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稲本参考人 私は学者でないので、外国のことはもとより、日本の法律もむずかしいことは存じません。しかし過去三十三年の間、純粋の刑事専門の
弁護士として、気の毒な人たちの相談相手にな
つて参
つたのであります。いわば年をと
つた町の大工さん、むずかしい建築理論はわかりませんが、のみ
とつちを持てば雨漏りのしない家くらいは建てられると思います。従
つて私の申し上げます言葉は素朴であり、単純であるかもしれません。そこは
委員諸公の御聰明により、あれはああいうことを言いたいのだと私の意のあるところをおくみとり願えば仕合せであります。
今度の
刑訴改正法案を逐一拝見いたしまして、軽々しく賛成してはならない、容易に納得することのできない点が数点あります。しかしながら、これも公共の福祉維持というりつぱな看板に免じてまあまあしんぼうできないことはないというところは別に
意見を申し上げませんが、以下申し上げまする三点は、これは絶対に御同意できない。御賛成を申し上げることができない。
起訴前の
勾留期間の
延長、
法案二百八条の二、それから
権利保釈の
制限条項を拡張しようとする
法案八十九条、それから
有罪の
陳述をした場合、訴因を認めた場合に、
簡易公判手続でやつつけようという
法案の二百九十一条の二、この三点は何といたしましても納得いたしかね、かつ御同意申し上げることができないのであります。
順序は少しかわりますが、申し上げることの簡単なところから申し上げます。
有罪の
陳述に基く
簡易公判手続、これの適用を受けまずのは、
法案によりますと短期一年未満の
事件であります。一年未満と漫然と見ますとまことに軽いように思うのでありますが、これは短期であります。短期一年未満であります。
刑法犯の大部分、特別
公判の
犯罪はもちろんのこと、今日日比谷の法廷で毎日
審理されております
事件の大部分を占めます。従
つてこの
改正案の影響するところはすこぶる広
範囲であります。この点を特に御留意願いたいと思う。これはもう専門家の諸公には申し上げるまでもないことであります。私がなぜ御同意できないかと申しますと、まだまだ日本の民度から申しまして、訴因を理解判断する力が
被告人にないものが多い。実際法廷におきまして裁判長が冒頭に尋ねられますと、
被告人があべこべに裁判長に対して尋ねておる。これはわからないからです。そんなことを裁判長に尋ねられては困る、お前さんの
考えを聞くんだというような問答もあります。いや、もう裁判長におまかせしましようというのがあり、お前さんの
事件ではないか、まかされては困るというような問答もあります。これをも
つていたしましても、まだまだ民度といたしまして、訴因を理解して、私は
有罪であるということを間違いなく言えるかどうかはなはだ疑わしいのでございます。
それから日本人は官憲に対して、裁判所なりそういう
取調べ機関に対しまして自己を主張することが遠慮がちであります。これは国民性であります。悪く言えば官尊民卑、長いものには巻かれろ、泣寝入りになれというのが一つの国民性の悪い点でありますが、これもおいおい教育にまつよりしかたがないのであります、この
法案が出たからとい
つてすぐにりこうにすることもできないのであります。それから自暴自棄によるもの、あきらめによるもの、毎日大事に
会社の帳簿を持
つて裁判所に来るということはやりきれない、どうせたかだか罰金ぐらいで済むんだから認めてしまえというので裁判を嫌悪する。それから拘置所の中には御
承知の牢名主というような先輩もありまして、てめえの
事件は何だと言われると、こうこうだよ、けちなやろうだ、そんなことは認めてしまえというな同房者の示唆、入れ知恵によりましていとも軽々しく自己の責任を認めるという実例が、私三十三箇年の
経験に多々ございました。それからもう一つかんじんなことは、
被告人の策略に裁判所が乗せられるということ。量刑が
保釈の問題に関連して、たやすく認めるならば、頭を下げれば刑を軽くしてくれるだろう、
保釈も許してもらいやすいだろうという利益との交換よりいたしまして――これはずるい
方法でありまするか、阿諛迎合をする傾向がある。諸公多くのお方は
弁護士でありますから、たくさんの御
経験を持
つていることだろうと思います。それからもう一つずるいのは、余罪の発覚を恐れて、ごく軽い
事件についてすらすらと述べる。これは正直なやつだということで余罪探査の端緒を与えない。つまり、大事の前の小事だというので軽々しく認める者があります。それからもう一つけしからぬのは、これはよく裁判所が乗ぜられることでありますが、かえ玉であります。身がわり被告というやつであります。たとえばくず鉄問屋の主人公がどろぼうのくず鉄を買
つた、これが臓物故買罪で
事件に
なつた。ところがおやじは今執行猶予中だ、前に前科がある、おやじが今度出たのでは助りつこないのだ。そのときにおかみさんを出す、あるいは小僧を出す、番頭を出すという身がわり被告であります。かみさんはごく神妙に乳飲子をかかえて裁判所に出て来る。これは確かにおやじよりも刑の軽いことは確実であります。かくして大魚を逃がして細魚を捕えるというような身がわり被告にだまされるということが多いのであります。これはまた親分子分の関係の博徒の賭博開帳
事件などでは、えてしてあることです。ほんとうのてら銭をとり、税金をと
つておりまする親分は開帳罪からのがれる。せいぜい半ばくらいの連中が開帳罪で身がわりとなるというようなことがあるのであります。ごく一言につづめて申しますと、結局これらの誤判の原因をつくるということであります。その誤判というのは刑の量定と事実の認定の両方であります。しかし、お前はそう言うが弁護人
はつくじやないか、弁護人がついてよくトレーニングするじやないかと言われるかもしれませんが、御
承知の
通り、どの
事件にも弁護人
はつきません。ことに、私は
有罪ですと言うようなものは、強制弁護
事件でない限りは弁護人をつけないのが常であります。ことに、
刑事訴訟法三十一条にありますように、簡易裁判所だとか家庭裁判所では、弁護人と申しましても、
弁護士にあらざる特別弁護人がつきます。特別弁護人なんというのは、被告に毛の生えたようなものであります。そういうような人が
被告人によく言
つて聞かせるというようなことは私はできないと思う。つまり、必ずしも被告をよく教育してやる弁護人がつくものではないということであります。それから
手続上やつかいだと思いますのは、共犯が数人おりますときに、共犯の一人が
有罪を認めたとき、必要共犯の場合に他の者の取扱いをどうするか。それから一人の
被告人で幾つもの訴因によ
つて起訟されておりまするときに、その訴因の五つの三と五を認めます、二と四は認めませんとかいうようなときには、一人の被告においてもさまざまな
手続をかえなければならぬ、これは
手続上においてむしろ混乱を来すのじやなかろうかと私は
考えます。そこで、
簡易公判手続をやろうというのは、おそらく訴訟経済から来たことであろうと私はお察し申すのでありますが、訴訟経済の上からいえば、どうせ
有罪の供述をするのでありますから、今まで
通りの
手続法でや
つて行きましても運用上幾らでも倹約ができます。訴訟経済が幾らでもはかれるのであります。それと、この
改正がもし
アレインメントを導入しようという意図のもとであるといたしましたならば、これは少し筋が違うのではないかと思います。冒頭に申し上げました
通り、外国のことは私は存じませんが、
アレインメントとは筋が違います。
アレインメントをや
つておりまする所は民度が高い――官憲に向
つても自己の権利を十分主張する民度の高い国であります。そういう国においてやられております。そうしてこれはいつも
陪審裁判にくつついて行くのであります。日本のような
陪審裁判でないところにこれを導入しようというのであるならば、これは少し行き過ぎでないかと私は思う。
現行法が、少しどさくさまぎれで
改正され過ぎたというようなことを聞きますが、その行き過ぎを非難される人が急にここに
アレインメントを取入れよう、導入しようとするのであるならば、はなはだ行き過ぎであろうと私は
考えるのであります。それで、しいて
簡易手続によろうとするならばこういうふうにしたらどうかと思うのであります。弁護人のついている
事件に限り、
被告人及び弁護人の同意を得て、それに相談して――「
被告人又は」ではなくして、「
被告人及び弁護人」、必ず弁護人への
意見を聞く。それでありましたならば、ただいま申し上げましたような誤判の種をまくような危険はないと私は思うのであります。しかし、そんなことまでして訴訟経済をはか
つて幾ばくの倹約ができるかということを
考えまするならば、これも冒頭に申し上げましたように、影響いたしまするところすこぶる広
範囲、現在法廷に毎日行われておりまする裁判のほとんどがそれにかかるというほど広
範囲のものであります。これは申し上げることは簡単ですから――逆でありましたが、
有罪の
陳述に基く
簡易公判手続は御同意できないという私の所論であります。
その次に
権利保釈制限条項をもつと広げようというのでありますが、こんなことを申し上げると笑われるかもしれないが、人間の命とからだの自由というものは、これは基本的人権の最右翼です。このものを中心としていろいろの基本的人権、権利が派生しておるのであります。これを保障しようということが憲法の大眼目でありまして、これに
制限を加えようということは、それ自体悪なんです。しかし、公共の福祉を維持したいという必要があるから、悪いことではあるけれども
制限を加えようというのがこれであります。必要悪であります。あるいは、必要なればこそ可能である、ネセサリー・イーヴルというのがこれに当るのではないかと私は思うのであります。こういう必要悪、必要可能というようなことは最小限度にとどめてもらわなければ困ります。一体未決
勾留というようなことは例外です。外へ出しておくのが原則であります。これを転倒してはならないと私は思うのであります。
それから、これには短期一年以上という
制限があるじやないかというのでありまするが、これも、私は今死刑、無期と短期一年以上を並べたままは申しませんが、死刑、無期を除いて、単独に短期一年以上のものを
刑法犯の中からちよつと拾
つてみてもたくさんあります。こういうことを諸公に申し上げることは釈迦に説法でありますが、内乱の幇助、それから内乱の予備陰謀罪、外患罪、
騒擾罪の首魁、放火罪、鎮火妨害罪、溢水罪、水防の妨害罪、汽車、電車の往来妨害罪、浄水道の損壊、百四十八条、百四十九条の通貨偽造、変造、強姦罪、強盗罪、強盗傷人罪、これまた実際法廷で行われておりまする
事件のたくさんの
事件がこの適用を受けるのであります。影響するところすこぶる広
範囲であるということを御留意願いたいと思います。
私はこの
改正法案の
提案理由書を拝見いたしたのですが、その冒頭に、今の
刑事訴訟法は比較的短時日の間に企画立案したもので、不都合が生じて来たというような
意味のことを書いてあるのでありますが、ああいう場合であ
つたらばこそ、われわれのぜひ享有しなければならぬ人権を擁護する、尊重するところの、現行の立法ができたのではありませんか。ああいうときにこしらえたんだからいいかげんなものだ、不都合が生じて来たというのは、私は逆であろうと思うのであります。せつかくあれだけの
保釈制度をきめられたのでありまするから、これに
制限を加えようということは、これは全然ごめんをこうむらなければならぬと思うのであります。それで私は、この
現行法を存置しながら運用面を改善して行けばこの
改正の理由を満足さすことができるんじやないか、八十九条の
除外事由などはこれは
証拠隠滅のことだろうと思いますが、これなどもよく運用いたしますると、今
範囲を拡張しようとするような罪名に当る
事件は、
証拠を隠滅されたんでは
捜査上裁判所は困るというようなことに当るのではないかと思います。とい
つてこれをやたらに濫用されては困りますが、
現行法を存置してその
範囲内においても私はけつこうや
つて行けるのではないかと思うのであります。
それから案の八十九条四号の多
衆共同犯、同じ罪名で大勢が共同してや
つたから
保釈の権利を
制限しようということは、これはどう
考えても合理的な理由はないのであります。同じ罪名である合理的な理由はありません。大勢で、多衆でや
つてはいけない、特に重く処罰しなければならぬというようなものでありまするならば、暴力行為等処罰に関する法律というものがある。それぞれの特別法があり、また
刑法には
騒擾罪というようなものがあるのであります。ただ窃盗を大勢の者が
共謀してや
つたからどうである、もつともこれには窃盗は入りませんが、そうい
つたように多衆でや
つたからとい
つて、同じ罪名で特別に
権利保釈を
制限されるということは、どうしても合理的な理由を発見することができません。それからこれが
騒擾罪だとかその他特殊団体または
集団的犯罪、このごろよく言われております公安
事件というようなものを目ざしてやろうとするのでありましたならば、これは私はいたずらに刺激するだけじやないかと思います。これもよほど
考えなければなりません。しかしまたそこは問題は少し政治的になりますので、私の領域以外になりますから申し上げませんが、そういうものをねら
つての立法であるということでありまするならば、少々
考えなければならぬと思います。
それから今
小野参考人も申されておりましたが、多衆という文字、これは立法当時には、提案者からああだこうだといろいろ説明があり、また説明をなさるために出頭されておりまするようなりつぱな方々でありまするならば、この法の運用を誤るようなことはなかろうと思いまするけれども、これもまた、たくさんの裁判をされる人たちのことでありまするからして、
相当の危険が内在しておるということを覚悟しなければならない、おそれなければならぬと思うのであります。
それから八十九条の六号です。これは
保釈御礼防止ということだろうと思います。私はこの文言から想像すると、
証拠を保持したい、
証拠隠滅を防ごうというのが眼目であるように思うのであります。しかし
証拠を保持しようというのでありまするならば、
現行法の
権利保釈の除外の
事由の一つでありまする罪証隠滅の問題として議論すればいいのじやありませんか。この八十九条の六号は、文言上、中学生が読んでもこれは
証拠隠滅防止の
考えからだなというぐらいのことはわかります。それならばもうすでに
現行法にあるのです。それによ
つて論議されてもよろしいと思います。それからこういう被告を外へ出すと暴行をやりかねない、脅迫をやりかねない、どうもまた何かやる可能性があるというようなことで、
権利保釈を
制限しようというのは、これはも
つてのほかであります。それこそ未決
勾留を予防拘禁制に切りかえようとする魂胆と申されても私はしかたがないと思います。これは論外であります。そこで、暴行、脅迫の事実がもしありまするならば、
刑法の暴行、脅迫の適条で処分すればよろしいのであります。それからまた暴行、脅迫のおそれがあるというのでありまするならば、今度の
改正案にもありまするが、
保釈取消し請求の
方法もあるのであります。と申して、この
保釈取消しもそうやたらにやられては困ります。なぜかというと、
保釈取消しの理由にあげられます疏明は、多くは
警察官の聞込みであるとか、あるいは投書である。あるいは被害者が、往々そういうことをする人、あの親分が出て来たから、自分もその
事件に証人に出た、あるいは出ると、おどかされはしないか、暴行を受けはしないか、財産上の損害を受けはしないかというふうに思い過しをして、
保釈取消しの請求をする動機をつくることがあり得るのであります。これは世上確かに二、三の例があります。新宿の親分、銀座の私設
警察署長という人が
保釈で
帰つて来てお礼に行
つたというようなことがあります。こういうことは法治国においてはよくないことであります。そういういやがらせはよくないことであ
つて、そんなことは私は奨励も賛成もするものでもありませんが、そういう二、三の事例に懲りて、この
制限を加えるということは、事の本末、事の重い軽いを転倒したものであると言われしもしかたがないと思うのであります。
それから
最後に、
起訴前の
勾留期間の
延長、これも適用の及ぶ
範囲がすこぶる広いものだということを申し上げたいのであります。長期三年以上というと
相当なものじやないかと思います。
相当重いものだといわれるかもしれませんが、私が
刑法犯から拾
つてみましたのでも、公正証書の原本不実記載、登記所に行
つてちよつとうそを書いた公正証書原本不実記載、偽証罪、誣告罪、傷害罪、遺棄罪、詐欺罪、窃盗罪、背任罪、横領罪、恐喝罪、建築物損壊罪、公私文書毀棄罪、贓物罪、略取及び誘拐罪、逮捕監禁罪、文書必び有価証券並びに印章の各偽造、これほどたくさんあるのであります。ことに窃盗、横領、恐喝というような財産罪は、諸公も御
承知の
通り、今法廷で
審理されております
事件の多くを占めるものであります。でありますから、非常に影響するところが広いものだということを御留意願いたいと思います。それから
起訴前の
勾留が
被疑者に及ぼします心身の労苦というものは、これは私は
被疑者に
なつたことはないのでありますから、体験は申し上げませんが、三十三年間こんな人たちと暮しておりまして、これは非常に苦痛であります。
起訴後の
勾留よりも、
起訴前の
勾留というのが非常に苦痛であります。とい
つて私はそれがかわいそうだという感情論をいたすのではありません。そういう苦痛を与えることが、真実発見という裁判の大きな精神にもとるような結果を生むのではないか。ここのところをよく御留意願いたい。あまり苦しめちやかわいそうだ、そういう感情論ではないのであります。
小野参考人も申されましたように、
起訴前の
勾留には
保釈もなく、
刑事補償もない、ま
つたく切捨てごめんであります。それから私はこの
改正案を見て、こういうことを思いました。六・三制の教育
制度がしかれてから、中学校の試験を受ける子供の気の張り方がゆるんでいるんです。あの学校の試験に落ちても、どうせ入れてくれる中学校が手を広げて待
つてくれているんだということで、気の張り方が違う。十日間という
起訴前の
勾留期間が過ぎても、
あと十日あるぞということで、その衝に当る人にどれほど気をゆるませるかということは、実際問題として私は飾らぬところを率直に承りたいと思うのであります。それがさらにまた七日ふえて来るというのであります。もう現在でも十日という原則は守られない方が多いのであります。九日目くらいなら、まだ前日でよろしいんですが、もうきようで切れるという日に初めて呼び出す、そして遺憾ながらまだ取調中である、
参考人も届け出ていない、
警察から
捜査の書類もまだまわ
つて来ないというようなことで、十日は当然のように延期されております。それから先ほど
小野参考人から、また
委員の方からもお話が出ましたが、二十日間という、これは
相当長いですが、この間に最初の嫌疑
事件を一応調べて、ものにならなければ、第二に余罪でやる。ところが最初の嫌疑
事件で
勾留したのですから、これは一旦帰さなければならぬ。一旦出す、出すけれども、次の、前に
勾留している間に調べて用意したもので、逮捕状を出して
勾留する。きたない言葉で申せば、たらいまわしということが私は絶対にないということな保証することはできない。ずいぶんあるように伺いましたが、ないということは私は保証はできません。ですから、十日を二十日にし、二十日を二十七日にいたしましても、所詮自分の影を踏もうとするようなもので、二十七日でも、それでも足らぬ、三十日でも足らぬということになることを私はおそれるのであります。いつまでた
つても自分の影を踏むことはできない。
それから
延長を請求する理由というものは、東京など優秀な裁判官は、たとい請求が来ても、主任
検事を呼んで、
延長しなければならぬ余儀ない事情をよく聞きとられる優秀な方がおられます。これは私も認めておる。宿直の晩など持ち込まれるときは、宿直室に呼んで、よく事情を聞いて、それなら仕方がない、
延長しようというような――あたりまえのことでありますが、慎重にや
つております。しかし、これは全国津々浦々の裁判所で、これほど厳重な喚問検査をや
つておるということも疑問であります。ただ理由を書いて来れば、
延長するというものがないということも、これまた私は保証できないのであります。非常に危険であります。
それから、それに関連して、これには、特に継続の必要ある場合というきわめて厳重な
制限をつけております、ということを申される方があるかもしれませんが、
刑事訴訟法二百八条二項の
被疑者勾留期間の
延長も、これは「やむを得ない
事由があると認めるとき」それから
刑事訴訟法六十条の二項の
被告人の
勾留期間の
延長の、「特に継続の必要がある場合」これは兄たりがたく弟たりがたい、似たような定冠詞であります。定冠詞と申しては失礼かもしれませんが、これが法律の運用面において、どの
程度まで
取調べがはなはだしく困難になると認められるかということは、それぞれの主観に関する問題でありまするから、これを全国津々浦浦の裁判官にまかせるということも、
相当危険であるということを憂慮しなければならないと思うのであります。そこで、現行
刑事訴訟法は、当時の情勢上比較的短時日の間に企画立案した。その当時に比べますと、
捜査機関というものは隔世の進歩をいたしました。人的において人がふえ、物的において交通、通信、連絡その他科学
捜査が急激に進歩をいたしました。ですから、大きな
事件も少しふえて参
つております、それは私よく存じておりまするが、おそらくそれくらいのことをカバーすることができるほどの設備なり、人員の陣立てというものは、私はできておると思うのであります。それを巧妙なる当局の運用の
方法にわれわれが信頼すれば、二十日を二十七日にする必要はない。必要がないどころではない、してはならないという
考えであります。それをも
つてしても、まだまだ人員が足りないとか、設備が足りないとかいうのでありまするならば、それは大蔵省に向
つて交渉なさるべきである。もつと金をよこせ、予算をよこせということで事が足りるのであります。その
捜査の不便、欠陥ということを、基本的人権の犠牲において充足しようなんということは、私は困ると思うのであります。
以上をもちまして、私は
参考人として、この三点にはどうしても御同意申し上げかねるということを申し上げたのであります。
それから「
被告人の氏名又は住居が判らないとき。」これもひ
とつ申し上げておきます。申し上げないときつとお尋ねを受けると思いますから申し上げておきますが、氏名と住居と両方わからないのは、ちよつと私も困ると思います。しかし住居のわかる者は、氏名がわからなくてもいい。一号二号でも、ABCでもいい。番号でも写真をつけて
起訴しておるのであります。裁判もしておるのでありますから、氏名はわからなくとも、住居さえわかれば、これを許してやらなければならない。それからたしか
現行法では、明らかでない場合と書いてあ
つたと思うのでありますが、それは「判らないとき」という文字にかえております。これが私は何かの魂胆――魂胆と申しては失礼でありますが、思惑が伏在しておるのではないかと思う。明らかでないというのが、今度は「判らない」ということにな
つておる、これはほんとうにわからない話であります。