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1952-06-04 第13回国会 衆議院 法務委員会 第62号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年六月四日(水曜日)     午後二時十八分開議  出席委員    委員長 佐瀬 昌三君    理事 鍛冶 良作君 理事 田嶋 好文君    理事 山口 好一君 理事 中村 又一君       安部 俊吾君    北川 定務君       高橋 英吉君    松木  弘君       眞鍋  勝君    大西 正男君       加藤  充君    猪俣 浩三君  出席政府委員         法務政務次官  龍野喜一郎君         検     事         (法制意見第四         局長)     野木 新一君         検     事         (中央更生保護         委員会事務局         長)      齋藤 三郎君         法務事務官         (中央更生保護         委員会事務局成         人部長)    大坪 與一君  委員外出席者         最高裁判所事務         総長      五鬼上堅磐君         判     事         (最高裁判所事         務総局刑事局長)岸  盛一君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 六月三日  破壞活動防止法案反対陳情書  (第二一〇五号)  戰犯者釈放並びに内地送還に関する陳情書  (  第二一〇六号)  戰犯者釈放に関する陳情書外二件  (第二一〇七号)  戰犯者渡邊哲男釈放に関する陳情書  (第二一〇八号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  裁判所侮辱制裁法案田嶋好文君外四名提出、  第十回国会衆法第四七号)     ―――――――――――――
  2. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これより会議を開きます。  裁判所侮辱制裁法案を議題といたし、質疑を行います。質疑の通告がありますので、順次これを許します。加藤充君。
  3. 加藤充

    加藤(充)委員 きのうの逐條的な質疑に引続いて質疑をいたします。  第二條に、「監置」あるいは「監置場」という文字が見えますが、これは一体どういう実質を持つのか、そしてその法制的な裏づけをひとつお聞きしたい。
  4. 野木新一

    野木政府委員 この「監置」は、同じくこの第二條規定してありまする「過料」と同じ性質の秩序罰系統に属するものと、この案では考えておるわけでありまして、なるほど過料の方の秩序罰は、わが国におきまして、旧憲法時代にも、また新しい憲法のもとにおきましても、各種の法令において認められておるところでありまして、あまり問題はないと思いますが、監置の方は、御指摘のように、他の法令にはまだ見えていないところであります。この裁判所侮辱制裁法案特殊的性格に基きまして、過料秩序罰だけでは不十分であると思いまして、新しくこの監置という秩序罰考えたわけであります。しかし裁判所侮辱制裁法案特殊性と申しましても、世界に類例のないわが国のみの独特な秩序罰という式ではありませんで、これは名前は違いますが、英米法コンテンプト・オブ・コートという場合におきましても、監置に類する一つ制裁考えられておりますし、また大陸法系の、たとえばドイツ等裁判所を見ましても、これは刑罰と同じ名前を使つておりますが、やはり一種制裁としての監置に類する制裁があるわけでありまして、その場合におきましても、名前刑罰と同じ名前でありますが、性格秩序罰であるということに、通読はなつておるようであります。そういう事柄からいたしまして、監置という制度は新しい制裁ではありますが、進歩した国家においては、その範囲、名称等の差はあるといたしましても、やはり同種の制度は認められておるわけでありまして、わが国独特の、世界に通用しない制度であるという点はないと存ずる次第であります。しこうしてその監置内容は、しからばどうであるかと申しますと、監置一種身体拘束でありまして、一定場所留置することになるわけでありますが、その留置する場所といたしまして、第二條第二項で「監置は、監置場留置する。」ということに相なつておるわけであります。そうして監置場はしからばどこに設けられることになるかと申しますと、この法案附則第二項にその規定が書いてあるわけであります。第二項は監置場を設ける場所と、同時に監置処遇内容が、附則第二項の監獄法改正で定められておるわけであります。まず監置場は、この監獄法八條改正によりまして、労役場と同じように監獄に附設するということにいたしまして、監獄職員等をこの監置場官吏に充て得るように相なつておるわけであります。そして監置場がない場合とかあるいは不十分な場合には、いわゆる拘留場の特に区別した場所監置場とすることができる。またこの拘留場にはいわゆる代用監獄警察留置場も含まれることになつておりますから、場合によつては、警察留置場もこれに充てることができるというような仕組みに相なつておるわけであります。しこうして監置内容につきましてはどういうことになつておるかと申しますと、單に刑法の刑名をかえたというだけのことではありませんで、その内容も、監置刑罰ではないのでありますので、自由刑の一番軽い拘留よりも、その処遇はずつと軽減しておるわけであります。すなわち監置に処せられた者に対しましては、労役を科したり。教誨を施すごとき刑罰的色彩を有するものは全然行われないで、たとえば白衣の着用、衛生上特に必要ありと認める場合のほかは、その意思に反して頭の毛を刈つたり、ひげをそらせるようなことはないといたしております。しかしながら一定制裁として、秩序維持等の必要があります場合には、刑事被告人に認められておる糧食の自弁と無制限の接見及び信書授受等につきまして、これは刑事被告人よりもやや処遇を異にいたしまして、糧食は官給とし、接見信書は特に必要ありと認める場合のほかは、親族である場合のほかこれをなさしめないことにいたしております。なお規律に違反したような場合におきましては、拘留囚などと異なりまして、刑事被告人と同様に七日以内の減食の懲罰以外は科したいというふうにいたしておりまして、どちらかといえば刑事被告人に近い処遇で、自由刑の一番軽い拘留よりも寛大な処遇考えておるわけであります。
  5. 加藤充

    加藤(充)委員 この監置場はすぐにできそうもないと思うのでありますが、いつごろ、どのくらいできるのか。それからこの際聞いておきたいと思うのですが、附則の二に「第十八條第一項中「及ビ労役場」を「、労役場及ビ監置場」に改める。」こういうことなのですが、一定施設を新たに設けることなしに、役労場監置場と呼びかえるというようなことでは私は監置あるいは監置場拘留というものは実質的な刑罰執行と同じものであり、それ以下のものでは断じてないと思う。また警察留置場をあなた方は監置場に充てることもできるというように言つておるが、これはもつてのほかだと思うのであります。それは経験のある人に聞いてごらんなさい。実際上は刑務所を本刑と称し、早く刑務所の方にまわりたいというようなことは、前科者経験のある人のひとしく言うところである。その内容は、留置場留置処遇というものは刑務所拘置所処遇よりももつと残忍をきわめておるものである。こんな地獄みたいな所に、いつまでもいさせられたのではたまらぬという気持なのであります。これは実態裏づけておるものであつて、ただの悪口ということでは断じて理解できません。こういうふうなことになつて監置場というものが事実上できず、そうしてただ拘置場監置場に呼びかえるということに相なり、また警察留置場留置することができるという段に至つては、ますます私はこの名前がどうであろうとも、名目は秩序罰であるというようなことを言つても、実質的には刑罰以上のものをこの監置並びに監置場留置ということにおいて実現して行くことに相なると思うのです。そういうことを意識しておらなかつたらとんでもない話だし、意識しながらこんな文字の置きかえをやつているのであるならば、その悪質さは断じて許すことはできないと思うのです。それともう一つ、この際承つておきたいのは、いわゆる一般的に申し上げて、監置あるいは監置場留置処遇の問題ですが、これが一般犯罪者被告人被疑者留置と異なつたものである、秩序罰執行として本質上異なるものであるというのであるならば、外形的な点については今指摘いたしましたが、その処遇実態について秩序罰的だというのであるならば、そのように内容づけられておらなければならないと思うのであります。今の御説明の中に、衣食ないしは接見あるいは文書閲読等々の、いわゆる処遇についての御説明があつたと思うのでありますが、その説明では、いわゆる秩序罰に対する執行としての処遇と、いわゆる犯罪者としての被告へあるいは被疑者あるいは体刑受刑者という者との区別が私には了解ができないので、この点をいま少し明確に御答弁願いたいと思います。
  6. 野木新一

    野木政府委員 まず監置場の点でございますが、監置場国家予算が許すならば、これを全然刑務所系統から離して独立に立つて、しかも行刑官吏以外の官吏によつて管理する。すなわち別の官庁でも設けてこれに当らせるというのが、一番理想的であると思うのでありますが、予算関係もあり、またこの事件がはたしてどの程度あるものやら、私どもの観測では、この法案ができれば、今の法廷秩序維持というものはずつとよくなつてしまつて被告人傍聴人その他法廷関係者が自粛するところがありますので、そうたくさんの尨大施設を要するほどの事件が出ることはあるまいと考えるわけであります。そういうような関係でありまして、監置場というものはこの案のような立て方なつたものと存ずる次第であります。  なお処遇の点でございますが、処遇実態は、條文的に申しますと附則第二項の、監獄法のいろいろの條文改正規定中にそれが盛り込まれておりまして、その結果具体的に申しますと、私が先ほど申し上げたような内容になるわけでありますが、やはり監置と申しましても一つ制裁でありますから、制裁である以上一つ施設に入れられました場合には、一定秩序に服するのは当然でありまして、本案のような立て方は、決して秩序罰という本質から行き過ぎになつているものとは考えられない次第であります。なお先ほど御指摘のありました監獄法第十八條改正でありますが、これは懲役監禁錮監拘留場拘置監労役場、それから今度できます監置場などは、同じ区画内にある場合においては、同性者につき同じ病監または教誨堂を使用することができるというような條文でありまして、監置に処せられた者につきましては、昨日も申し上げましたが刑と違いまして、教護ということはありませんので、教誨堂の方は問題にならないと思いますが、病監の方は場合によつては使用するという條文でありまして、労役場監置場に呼びかえるという趣旨條文ではありません。
  7. 加藤充

    加藤(充)委員 私は今の発言の中で二点聞きのがしがたい点を発見するのであります。一つ国家予算が云々ということであります。予算がないから刑務所に入れるのだこういう話であります。この際国家予算というものと人権保障というものとどちらが重点的に考えられなければならないのかということ、これは決して軽からざる質を持つた発言だと思いますので、この点を明確にしておきたい。それからもう一つ、あなた方はこの法律ができれば、事実上裁判所侮辱制裁法とやらに該当する者も少くなる、こういうふうに考えておられるが、これはまつたくもつて権威主義の裏返しの答弁だと思います。これはあとからも発言いたしますから、いわゆる裁判所侮辱というような事案行為がいかなる原因といかなる動機によつて発生するものであるか、この点については今ここでは申し上げませんが、数字がわからぬから準備をしないで、まずこの法案をつくるのだという点だけに限つてもう一度明確な答弁を願いたいのであります。これらはあなた方の立場に立てば君じやないかもしれないけれども立案者立場に立てば、現在の状態に対応して立案がされるのであつて、少くなるとかならぬとかいう問題については第二におきましても、現在のいわゆる裁判官訴訟指揮権に違反するとか、あるいは審判妨害罪だとか、あるいは法廷における公務執行妨害あるいは裁判官侮辱罪、あるいは名誉毀損罪というものにかかる者すらあまりないとするならば、またそれ以下の、こういうものも別にかかる者が、それよりは少いということであるならば、この立案をする必要はない。従つてお尋ねしたいのは、今申し上げたようないわゆる犯罪行為にならない者までこれで処罰しようとする、処罰しなければならないというのであるから、現状としてみれば、どのくらいの者がひつかかるかというような事柄は、およそ目算の上では、そろばんがはじき出されなければならないと思います。必要があつて立案をするのであり、立案をしたならば、その必要に応じた監置あるいは監置場留置という問題が起きて来るのでありまして、こういう点から考えても、相当数の者が監置処遇を受けることは予想されるはずであります。しかるにもかかわりませず何ぼかかるかわからぬから、この法律ができればなくなると思うから、監置場あるいはその他監置についての秩序罰執行としての実質制度的に打出す面については考えておらないのだ、法律だけ先に通すというような考え方は、私はどうも問題の答弁だと思います。今の二点についてお尋ねしたい。
  8. 野木新一

    野木政府委員 国家予算の点と人権保障と両方はかりにかけて御発言のようでありますが、私ども人権保障という点を非常に大事に考えておることは間違いないところであります。ただ諸外国の例を見ましても、この法案に類する制度におきましては、やはり同様な措置をとつておるようでありまして、それはなぜかと申しますと、やはり普通の犯罪と違つて非常に大量起るものでもないし、そのために特別の施設をつくるということは、国家全体の立場から見て、やはりそこまでのことを考えるには及ばないという立場からだろうと存ずる次第であります。この法案におきましても同じような考えで出ておるわけでありますが、政府の部内のどこかでこういう拘禁と申しましようか、身体の自由を拘束する制裁を受けた者を監置する監置場を設けるとしましたならば、やはり今行刑方面を扱つておるところにお願いするのが一番適切である、いろいろ設備の上からいつても、また処分の上からいつても一番適切に行くのではないか、そういう考えでこの案はできているものと思います。決して人権を軽んじた、人権のことはあまり考えないという立場からではないと信ずるわけでありま  次にこの法案ができますれば、いわゆる裁判所侮辱行為というものは根絶するだろうという点でございますが、この点はこの法案が出ましても、裁判所侮辱行為は依然としてまます盛んになるというようなことは考えませんで、やはりこの法案ができればできただけあつて、この法案趣旨とするところ、すなわち民主国家におきましては国民権利擁護するためには、裁判所というものがしつかりしておらなければ国民権利擁護というものはできない。そういう精神からこの法案ができておるわけでありますから、その法案趣旨が徹底いたしますれば、裁判所に出て来る方々も、裁判所審理中にこれを妨げるようなことをしたりあるいは裁判官などをののしつたりするようなことをしてはならないというような気持が徹底して行きますから、おのずから現在よりもそういう違反は少くなろうという考えなのでありまして、そういう趣旨で先ほども申し上げたわけであります。なおこの法案が出ました場合に、制裁を受ける者がどの程度にあるかという点の見通しは、私どもはまだ立てておりませんが、そう多くはないだろうというように考えておるわけであります。
  9. 加藤充

    加藤(充)委員 あとはりくつになりますから申し上げませんがやはり秩序罰でも制裁だ、こういう言葉なのですが、監置留置というものがいわゆる一般刑罰執行ということと相なつてはならない、またそういうことであるならば、現在の憲法的な裏づけを持つた刑事訴訟制度手続と、そのことから来る刑の執行というふうなものでやらなければならないということを私は言いたいのですが、最後に人間ですからあそこで一番問題になるのは、そしてまた一番はつきりするのは食費の問題だと思うが、やはり監獄法とやらによつたりあるいはそれを昔の警察司法主任が適宜に職権でいいかげんにあんばいして執行している警察留置揚執行というようなことと同じようになれば、食費というのは一体どのぐらいになるのか。私は、こういうのは食うことでいやしいことですが、あなた方が秩序罰制裁にすぎないんだという監置と、いわゆる刑罰執行との具体的な違いがここに明確に出て来るものだという考え方でお尋ねするのですが、食費というようなものはどのぐらいになるのですか。
  10. 野木新一

    野木政府委員 今食費の金額は手元に資料を持つておりませんので、調査して後ほどお答えいたします。
  11. 加藤充

    加藤(充)委員 じやいいです。そういうことをやつて差入れを許すというようなことになつて来ると、これはまつたく無責任もきわまるのです。制度として一定衣食というものを保障してやる、こういうことになつて特殊な條件や環境の人が足りないから、その人の差入れ等も特別なはからいで許すということがあつて、初めて制度的に裏づけられるのであつて、いわゆる給食、給費というようなものはまるつきり人間的な処遇にしないでおいて、そうして特別なはからいで差入れを許してやるというようなことで差入れして、せめて生存を維持させるというような、やり方制度として最も卑屈な、下劣な、これは民主的でも何でもないやり方だと思う。  それで私はその次に進みますが、第三條の「裁判所侮辱に係る事件は、その裁判所が審判する。」というのは、これはだれが何といつて糺問主義なのであります。これは犠牲多き人権の確立のための人間の歴史のあとを見ればわかることでありまして、これは明らかに糺問主義である。こういう点は最も不届きなものであると思いますし、しかも本法の第七條の七、「制裁を科する裁判をした裁判所制裁執行の全部又は一部を免除することができる。」というようなことになつては、これはまつたくでたらめもはなはだしい。この監置その他の制裁を科しておいて、そうして科するにあたつて自分がやり、一旦自分がやつたことを百日以下とか五万円以下の過料だとかいうことをいつておいて、そうしてこれを全部または一部制裁執行を免除することができるなんていうのは、いいかげんな威喝と権威主義である。堂々とその処分の不当を争つて行つたときに、卑屈な裁判官というものが、この七條の七を不当に運用いたしまして、これを全部免除するからまあまあというようなことで幕を引く、こういうようなことは権威主義責任を持たない、権威主義がまつたくのこけおどかしの権威であつて、しかもそういうふうなものが、無責任幕引きでごまかすというようなことに使われるのであります。従つて裁判所侮辱にかかる事件というものはその裁判所でなくして、他の裁判所がやるべきであると思います。こういう点についてその裁判所がやることが一番証拠がはつきりしておる、現場の目撃者だから一番いい、迅速だというようなことを言うが、これはほかの裁判所はほとぼりがさめたりすると——あなた方は神聖な形式的な権威というものを持たせようと努力しているけれども裁判官つてやはり一介人間です。しかも場合によつては、一介人間の中でも特別に蔑視されなければならない石頭だといわれておるような人たちがまだたくさんおる。こういうような連中が意地づくになつてつてしまう、ほかの裁判所が判断すればそう取上げなくてもよかつたような問題であるというようなことが出て来る。しかし他の裁判所判事諸君は人の感情でやつたりそういうとばつちりでやつたりしたようなことについて、いろいろな法的な価値判断をするにはどうもおとなげない、あるいはしりを持つて行かれるのは迷惑だというような気持、これが実際上偽らざる実情であります。こういうふうな実情に便乗して裁判所侮辱制裁法等の処罰の問題をその裁判所でやらせるというようなことは、歴史的に見ましても、制度的に見ましても糺問主義であり、また具体的な運営にあたつても避けられなければならないものであり、これを原案の第三條のようなものにしましたことについては、私は正当な根拠がないものだと思いますが、この点についてひとつお尋ねしたい。  もう一つは、第二条の監置留置場留置というようなもの、同時にまたこの過料執行の問題についても、実質上の刑罰と何ら異なるところはないことを私は指摘したのでありますが、そういうようなものであるならば、当該裁判所裁判に服させて、そうして決定に対しては抗告するとか異議の申立てができるとかいうようなことをしなければならぬが、実際上刑罰を科し、人身の拘束をやる場合の一般的な制度ときわめて違つた簡易なやり方をやつて、簡易なやり方の中に、一般的な訴訟法による方法や制度をこれで完全に抹殺してしまつておると思うのですが、こういう点も不届ききわまるものであり、基本的人権の侵害という点については、明らかに違憲のさたであると思いますが、この点についてもお尋ねいたしたい。
  12. 野木新一

    野木政府委員 まず第一の点でありますが、第三條第一項の「裁判所侮辱に係る事件は、その裁判所が審判する。」という点は、公正を欠くきらいがあるのではないかという御質疑であります。これは通常の事件でありますれば、やはり対審の構成をとりまして、裁判所は中正な判断者という立場に立つて裁判をするというのが普通の形態であることは言うまでもありませんが、この裁判所侮辱という事件、ことにいわゆる裁判所侮辱のうちにおきましても、ここに取上げているようないわゆる直接侮辱と申しましようか、裁判所または裁判官審判等手続をするに際して、その面前等で行われた事案にかかる事件は、これは特異なものでありまして、諸外国立法例を見ましても、こういう場合にはその裁判所が取扱うというようになつておるわけであります。たとえば英米コンテンプト・オブ・コートはもちろんそうでありますが、わが国の旧裁判所構成法等におきましても、審判妨害をしたような者に対しては、五日以内の拘留を命ずるというような点も同様であつたと理解されるわけであります。なぜこういうような異例な措置がとられるかと申しますと、その本質に起因するのではないかと存ずる次第であります。すなわち裁判所は、本来の事件がありまして、その事件を公正迅速に審理裁判するという本来の職責があるわけでありますから、その職責を果す過程において、いろいろ派生的事件が起つた場合におきましては、その派生的事件を迅速にその場で処理して行くということが、やはり本来の事件の公正迅速な処理に非常に関係があるわけであります。すなわち一般国民権利を一層公正迅速に保護してやろうという場合におきましては、その事件審理にあたつて派生的に起るような事柄は、その場所々々で迅速に処理して行くということが、ひいてはその本来の職責である権利擁護に大いに役立つという関係になるものだろうと思います。さらに言葉をかえて申しますならば、裁判所という制度国家憲法によつて打立てまして、その裁判所裁判機能というものが本来の目的に従つて公正迅速に処理されるためには、ここにあげてあるような、いわゆる直接侮辱に属するような処理につきましては、その裁判所がその場で迅速に処理して行くということが、やはりうらはらの関係になつて、ぜひとも必要だというのが、この裁判所侮辱制裁案考え方であらうか存ずる次第でありまして、このことは、裁判所機能を十分に果させようということを強く願えば願うほど、この制度は必要だと存ずる次第であります。従つてそういう意味におきまして、裁判所制度本質に根ざすものでありまして、これはほかの事件と違いまして、こういう特殊の取扱いをするということも実質的に許され得るところであり、憲法から見てもさしつかえないものと存ずる次第であります。
  13. 加藤充

    加藤(充)委員 その当否については省きますけれども、天皇に対するいろいろな名誉その他の毀損罪についても、簡略な方法で迅速公正な処置が必要だというようなことで、こんなべらぼうな処分手続というものはなかつたのであります。しかも私は、やや小さくなりますが破防法の制定にあたつて、公安審査委員会というようなものがあつて、その審査にあたつては、やはり行政処分だということで、その争訟については民事訴訟法の定むるところによつて、刑事訴訟法の厳格な証拠力の拘束を受けないということがある。この法案の四條の二にも、証人尋問その他証拠調べをする際には、民事訴訟法によつて刑事訴訟法にはよらないということが書いてある。ここまで至りますと、まつたくこれは事いやしくも裁判所にかかわる問題であり、法を守り法の秩序を云々し、その前提の上に築かれた裁判所権威だとか神聖だとか威信だとかいうことを言いながら、こういうばかげたことをやるのは、脱法的三百代言の範を裁判所みずから示すものである。こういう具体的な内容を持つた法律を持ち、それで人民にのしかかつて行き、人民に対抗するという事柄は、この法律の制定、あるいはその執行、この法の存在自体が、人に威信を毀損されるのではなくて、裁判所みずからの威信をみずから失墜し毀損するものだと断ぜざるを得ないのであります。  それからもう一つ、私はここでも不敏にして新しい文字を使うのですが、收容状というようなものは、勾留状、あるいは捜査令状、あるいは勾引状と違つて、私どもは刑事訴訟の手続の上に発見しないと思うのであります。こういうようなものを便宜的にやたらにつくり出して来るというようなことに対してはどうかと思うし、しかもまたこの執行には裁判の送達を要しないということが七條の五に書いてあるが、これは送達をもつて効力発生の要件にするという原則にも反するのでありまして、まつたくこれはもうめちやくちやもはなはだしい。私はこういう破格なやり方の中には、権威というものは断じて維持されるものではないと思いますが、この点をお尋ねいたしたいと思うのであります。
  14. 野木新一

    野木政府委員 まず收容状の点でございますが、收容状はなるほど刑事訴訟法にはありませんで、刑事訴訟法ではこれに類似する制度といたしましては、收監状というような制度があるわけでありまするが、これは特に刑事事件でないという関係から、收容状という名称を用いただけのことであります。  なお七條第五項の但し書、「執行前に裁判の送達をすることを要しない。」という点でございますが、これは他の法令で、あるいは刑事訴訟法も同じでありますが、訴訟手続法も大体同じであります。過料裁判執行については、民事訴訟に関する法律規定によりまして、「但し、執行前に裁判の送達をすることを要しない。」というのは一つの例文のような形でありまして、全部過料裁判執行についてはほぼこれと同じ形になつておるわけであります。この点は、この法律だけ特別にこの形をとつたというわけではございません。
  15. 加藤充

    加藤(充)委員 私は民事訴訟法に関する証拠調べ並びに民事訴訟に関する一法令の引用から見て、執行前に裁判の送達をすることを要しないというようなことがある、こういうことは実は実質において、これは言葉がどうであろうとも、文字がどうであろうとも、刑罰執行なんでありまして、そういう点から、この点について民事訴訟法に従つたり、準拠したりするということ自体が私はけしからぬということを言うのであります。  それからまた、收容状というようなものはなるほどない。それに当るものは收監状というようなものだというふうな答弁でありましたけれども、收容状というような新しい名前をつけて、これは收監状と同じだというような、これは言葉文字の違いだけじやなしに、私はそういうような新しいものをつくつてつて行くということが、大きく言えば現在の憲法秩序なり憲法制度あるいはそれに基く万般のいわゆる刑の執行制度あるいは人権拘束する現制度的なものと著しく違つた本質を持つている。それが重大だということを指摘するために言つたのでありまして、ほかにこれに似寄つたような、もつとえげつないところの收監状といつたようなものがあるから、收容状というような、言葉も緩和されていいとか、悪いとかいう論議を申したのでは断じてありません。こういうようなところに、あなた方の言う民主主義というもの、言葉をかえれば基本的人権保障と充足でありますが、そういうものが一角くずれ、またくずされて行くということを、あなた方と違つた立場でわれわれは真剣に考えるのである。あなた方は民主主義裁判とか国家とかいうようなことを言いながら、それとあべこべの、いわゆる逆コースを、こういうような條文あるいは文字の使い方の中に実証しているじやないかということを私は明確にしたいのであります。その点と、それから答弁漏れになつていたと思うのでありますが、なぜ刑事訴訟法の厳格な証拠原則によらないで、民事訴訟法の自由心証主義というようなことで処分するのか、これは第三條の糺問主義をまさしく裏ずけるようになりはしないか。ここで糺問主義というものはいたし方ないというのであれば、この証拠のことだけについても、刑事訴訟法の、せめて厳格な、証拠なりその価値判断、評価というものの原則にのつとらなければならないのじやなかろうか、それと相まつてますます糺問主義の実体をここに露呈しているということを言いたいのである。
  16. 野木新一

    野木政府委員 まず收容状の点でありますが、繰返し申しますと、收容状は第七條條文でもわかりますように、すでに制裁裁判がきまつてしまつた後に、その制裁を科せられた者を監置場まで連れて行く手続であります。その制裁を科せられた者が任意に監置場まで出向けば何も收容状というようなことはいりませんが、任意に出向かない場合に、すでにきまつた裁判執行する手段として監置場まで連れて行くためのものであります。すなわち監置裁判がきまつている者に対する場合であるということを御記憶願いたいと存じます。  それからなお重ねて申しますと、第七條の第五項の過料裁判云々という点につきましては、刑事訴訟法の四百九十條にもこれとまつたく同じ表現があるわけでありましてこの点だけは別に当法案だけが特異な取扱いをしておるというわけではございません。  それから第四條第二項の証拠調べについて、民事訴訟法の証拠調べの場合の例によるということになつておりまするが、実は、この裁判所侮辱制裁法案事件につきましては、しばしば申し上げましたように、その場所制裁を科するのが原則でありまするから、実際問題としては証人を尋問したりするという場合には、非常に例外的な場合になるわけであります。しかしながら例外的にその場所で科せないような場合に、しかも愼重を期するために、何か証人に調べてみたいという場合には、やはり証人を強制的に尋問するというような措置が必要になる場合がありますので、おもにその関係を頭に入れて四條二項ができておるわけであります。刑事訴訟法規定を準用しませんでしたのは、その性質がやはり刑事事件でないという点を区別して行きたいためであります。しかもその証人尋問の方法などは、大体裁判所がやる場合には、刑事も民事も大した差はないことになつているものと存じておる次第であります。
  17. 加藤充

    加藤(充)委員 こういう処分を受けまする場合には、弁護人の選任というようなものはどうなるのか、その点と、それからもつとほかにもいろいろ総論的にお尋ねしたいことがあるのですが、猪俣委員質疑をするそうでありまするから、私は最後に一点お尋ねしまして終りますけれども、最後の一点というのは、法廷だとか裁判所だとか、あるいは裁判だとかいうようなことを言いましても、実際上は裁判官人間、判事がやることなのであります。ところがその判事諸君たるや、これは決して——一般的に言うと語弊なきにしもあらざることは私みずから認めますけれども、大体論から言いますると、やはり現在の判事諸君というものは戦争中の判事諸君であります。この戦争中の判事諸君がどんなことをやつて来たか、あるいはどんな考えを持つていたか。どんな考えを持つていたにもせよ、どういうことをやつて来たかということを考えてみまするならば、まつたく判事みずから考えてみて、汗顔、額に汗せざるを得ないような心境に立つのが、人間として当然なほどのことをやつて来たのではないか、これは判事諸君に一々聞くわけにも参りませんが、それを、現在主権在国民ということになつて、民主憲法ができて裁判官の地位も違つて参りました。ところが天皇の裁判官というようなことで、戰争中にやつて来た事柄に対して一つも反省もしない、あたりまえのことをやつたのだということになれば、私は問題だと思うのです。こういうような判事がおる。また同時に、これほど裁判所権威というものをあなた方が言うように高めなければならぬというのであるならば、一定の判事たるの資格というようなものが——いわゆる判事補などというようなもの、判事代理とかいうようなもの、こういうようなものがやはり一人前の判事としての職責を勤めるというような、あの戰後の例外的な処置というものは、厳重にこれはやめられなければならないのであり、そういう点をずるずるべつたりにして、みすから制度的に——一人前の判事たる資格を持つていないものが、一人前の裁判ができるわけにはならない、これは制度としての問題であります。しかるにそういう点については、例外をいつまでも延期々々で、原則的なものにすりかえて行つて、そうしてこういうことを押しつけて来る。まつたく判事というものは、こういうことになれば、恥知らずじやないか。日本の裁判所というものは、そういう点については制度的に少しも反省しておらぬのではないか、こういうことが言えろと思うのでありまするが、私は最後にお尋ねしたいのは、戦時中の判事というようなものが、一体今どのくらいおつて、それは現在の判事のうちの幾割を占めているのか、この点を最後に一つ明確にしておいていただきたいと思うのであります。あと質問は一般的な問題についてまだ残つておりまするが、私は今日はこの程度で私の質問を終ります。
  18. 野木新一

    野木政府委員 まず最初の方の弁護人の選任の点でございますが、この点はこの法案では何ら触れておりません。というのは、この法案におきましては、裁判所侮辱にかかる事件は、原則としてその場所裁判するという建前をとつておりますので、勢い弁護人をつけたりするという時間的余裕その他の点から、一般的に弁護人の選任をしなければ裁判ができないという規定を置きますると、この法案本質的なものが阻害されることになりますので、こういうものは置いていないわけであります。しかしもちろん抗告とか異議の申立てのような場合には、時間的な余裕もありまするし、選任し得ることになると思いますが、それらの点は裁判所の規則に適当な規定も設けられることを予想して、この法案では触れていないものと存ずる次第であります。
  19. 加藤充

    加藤(充)委員 これは弁護人の選任もできないということになつたら、ますますもつてけしからぬと思う。裁判所は即決でやるというが、弁護人の選任も許さないということと、弁護人を選任することができないということは別です。こういう問題に当つて、即決で切捨てごめんでやつてしまつて、抗告だ、異議の申立てだというときだけに弁護人は選任できるかもしれないけれども、原則的に弁護人の介入する余地をなくするというようなことは、べらぼうきわまると思うのであります。弁護人選任が許されても、弁護人を選任する余裕がなかつたというようなことになる場合があるかもしれませんが、なぜ一体裁判官権威というものをそんな方法で維持しなければならぬか、これはまさしく人権の蹂躙どころか人権の無視だ。いやしくも拘束され、いやしくも監置され、監置場留置を受け、過料にせよ、一定制裁を受ける場合において、弁護を原則として認めないというような制度が、日本の憲法下において許されると思うのか。
  20. 野木新一

    野木政府委員 これは必ずしも弁護人を絶対に法律は禁止しているという趣旨に、強く申し上げたわけではありません。弁護への点は裁判所の規則にしかるべく譲るという趣旨考えているわけであります。
  21. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 猪俣浩三君。
  22. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 裁判は、判事は明鏡止水の心境でもつて至公至平にその判決を下す。そこで、さような裁判のあり方を存置するために、いろいろの法律が出ておりまして、一応の裁判に関する理念というものが打立てられているのであります。そこで私はこういう特殊の法律を次々とつくられまして、一定の打立てられている理念を打破ることにつきまして、はなはだ疑惧の念がある。そこでこの法案と不告不理の原則、並びに刑事訴訟法第二十條に規定せられております裁判官除斥の問題——御承知のように刑事訴訟法第二十條には、「裁判官は、左の場合には、職務の執行から除斥される。」「裁判官が被害者であるとき」ということが書いてあります。これは裁判のあり方を公平にさせなければならぬという一つの法理念から出ていると思うのであります。こういうものと、なおまたただいま加藤氏から質問されました弁護権の問題、どうも今の答弁では、本件につきましてただちに弁護権の発動があるのかないのか、はなはだ不明でありますがおよそ罪あり、これが裁かれるというときには、憲法の精神にのつとりまして、弁護というものがあるのであり、かようにいたしまして裁判官が至公至平の裁判がなし得る、こういう体系なり理念なりというものは、一貫しておる。この法案はさようなものはことごとくぶち破つて特別な方式を編み出したところに非常に問題があると思うのでありますが、この不告不理の原則、あるいは裁判官自身が被害者であるときには除斥せられるという原則、罪に問われんとする者に対しては、弁護人がつくという原則こういうことと法案とをどういうふうに調和されるのであるか、またかような裁判をして裁判らしき裁判たらしむべく打立てられましたる理念を一朝にしてぶち破られる、しかもそれがその裁判官自身の問題についてぶち破られるということに対しまして、どういうふうなお考えがおありであるか。これは一体提案者にお尋ねすべき問題でありまするけれども政府委員の方々も本案を支持なさつておるやに見受けられますし、事が学理の問題でありまするがゆえに、政府委員の御答弁でもいいと思うのでありますが、こういう裁判に関する原則との調和につきまして、なおその調和を破つても何ら遺憾な点がないのだという確信がおありなのであるかどうか、その点を第一点としてお尋ねいたします。
  23. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 田嶋好文君、提案者としての御説明を願います。
  24. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 提案者として御答弁いたします。法律的な面につきましては専門的な立場政府委員に御答弁を願うことにいたしまして、提案者の立場から今の御質問にお答えいたしたいと思うのであります。  提案者といたしましては、今御質疑にありましたような点をより一層守つて行きたいという趣旨においてこの法案を提案いたしたのであります。と申しますのは、私たち日本国家は封建主義的な制度から敗戰によりまして抜け出まして、新しく民主主義国家として生れ出たわけであります。御承知のように、私たち日本が初めて経験いたします民主主義国家——これは西欧的な民主主義であろうと思うのでございますが、西欧民主主義の現在の立法の建前から、人権の最後の擁護場所裁判所であるということがはつきりと打立てられておるのであります。人権の最後の擁護場所裁判所にあるといたしますれば、この裁判所を最も健全に育て上げて、この裁判所をして国家の最も権威あるものにするというところに民主主義機構の最後の守りがあろうと思うのであります。この最後の守りが破れたとき、これは民主主義国家の破壊でございまして、今猪俣委員が御質問されたようなことすら破壊されるということになつて参るのであります。そこで私たちはこの最後の牙城を最も権威あらしめ、法の威信を最も権威あらしめんといたしまして、この法案立案いたしたわけであります。御質問のような趣旨に逆行してこの法案をつくるというような意思が毛頭ないことを御答弁しておきたいと思います。
  25. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今提案者の御説明は私の問いに答えておられないのでありまして、私ども裁判というものがいかに民主国家において重要なものであるか痛切に感じております。そこで裁判官というものはどこまでも至公至平の心境でなければならぬし、また法廷というものはどこまでも静粛で審理を盡すというところに特徴がなければならぬということに対しましては、私どもはあるいは提案者以上の熱意があると申してもいいのであります。そういう観点に立つて質問を申し上げておるので、これは第二段として質問いたしますが、提案者がはたしてさような心境で裁判の真の権威を保持し、法廷の神聖を守らんとするためにこの提案をなさるとするならば、私は逆効果になるということはこの次の質問で申し上げたいのでありまして、それは見るところが違うことになるかもしれませんし、議論になるかも存じませんが、私どもの質問の前提は、どういうふうにしたならば裁判の威信が保持され得るかということの見地からやはり質問を申し上げておるのであります。     〔委員長退席、山口(好)委員長代   理着席〕 それには今まで長い間の訓練と伝統に基きまして樹立されましたる原則がある。その原則を破つてつて、なおその目的を達することの自信ありやいなやを質問した。その原則と申しますのは、まだたくさんあるかもしれませんが、私が例示的に申し上げまする不告不理の原則、裁判官除斥の原則、弁護権確立の原則、これはいずれも裁判権威を保持する長い間の人類の経験から出発いたしましたる制度であり、法理念であります。裁判官自体の問題についてこの大きな原則を打破つて、なおこの法案を出してこの裁判権威を保持する自信ありやいなや。どういうところにこの説明の調和を求められるのであるか。なお裁判所法の七十一條ないし七十三條の存在することを頭に描きながら質問をしているのであります。でありますから、今の御答弁は御答弁にならぬと思いますが、なお政府委員の御答弁があればお聞かせ願いたいと思います。
  26. 野木新一

    野木政府委員 ただいまの御質問は、この法案のきわめて重要点に触れる御質問であると存ずる次第であります。御指摘のように、この法案は刑事訴訟法の採用している不告不理の原則あるいは除斥の原則を採用しておらない。また弁護権の行使につきましても、法案自体はこれを明白に規定しておらないわけであります。これは在来の刑事訴訟法、民事訴訟法等の訴訟概念から見ますると、非常に異例の措置であることは御指摘の通りであろうと存じます。すなわちわが国におきましてはまだその例の認められなかつた手続に属するものと存ずる次第でありますが、そういう新しい考慮をなぜここに払つてこの法案をつくるに至らなかつたかと申しますと、ただいま申し上げた法理論は何もわが国独特のものではなく、すなわち世界に他に例のない法理ではないのでありまして、すでに民主主義国家として民主主義を完成している英米諸国等におきましては、一方人権の保護が非常に強調せられている反面、なおかつこの裁判所侮辱制裁法とほぼ同じような趣旨制度が打立てられておりまして、裁判所権威を保持し、人権の保護を全うするという二つの目的を調和的に果しているわけであります。この法案も実は私もこの立案に多少関係いたしましたが、初めのころは新憲法におきまして從来の裁判制度と相当離れてまして、そこに英米法的な思想を取入れておりますので、この新しい裁判制度をうまく運用して行くためには、單に古い憲法当時の裁判所制度やあるいは訴訟法的な考え方だけでは、十分にこれを全うすることはできないのではないか。それには英米に見られるような、裁判所侮辱制度を取入れる必要もありはせぬかということが議論になつたわけであります。元来英米におきましては、私も十分の知識はございませんが、人身保護法とこの裁判所侮辱制裁という制度は、非常に特異なものであるようでありまして、二つとも両々相まつて英米の民主主義を強くささえておるもののように存ずる次第であります。そこで私どもといたしましては、裁判所侮辱制裁法の思想を取入れるといたしましても、英米には長年の伝統がある、これを社会情勢の違つたわが国に全部を移すということは少し行き過ぎである、しかしながらそのうちでも一番大事な点で、しかもわが国におきましても現実的に必要と認められる点のみを、まず採用したらどうかというような考えがありまして、結局この法案におきましても、その考えと同じような考えで、いわゆる裁判所侮辱のうちの直接侮辱の点だけを取上げたものと存ずる次第であります。すなわち裁判所の面前その他直接に知ることができる場所で、裁判所審判等手続を妨害したり、あるいは裁判官を罵詈讒謗したりするような点を取上げたわけでありまするが、それはこのいわゆる直接侮辱をその裁判所が処罰するというようなことは、これは裁判という機能から見てやはり必要ではないか。英米でも、單に伝統があるというばかりでなくて、やはり権威ある裁判——権威というのは、何も旧憲法時代のように上から来る権威ではなくて、人民なり国民に根ざした権威でありますが、そういう権威ある裁判所制度を打立てるというためには、この裁判する手続を円滑に進行する、従つてその手続を妨げるようなものは、その裁判所でみずから除去するということが、結局大きな目的から見て、裁判全体を権威あらしめるものにするのだという考え方から、この直接侮辱はその侮辱された裁判所が審判するという立て方になるのが、十分了承できると思うわけであります。たとえば、いわゆる間接侮辱と申しまして、その場で必ずしも裁判する必要がないものにつきましては、英米でも必ずしもその裁判所裁判するという型ではないようでありまして、この除斥の原理をとらないというのは、ただいま申し上げましたように、この裁判官の面前の明白な事柄は、その裁判所が現に見ておつて、間違いないところであるし、しかも本来の事件を公平円滑に裁判するためには、その派生的な事件は、その場でこれを排除して行くというのは、やはり合理的な理由があるわけでありましてこれに除斥の原理を働かせますと、また別の裁判所裁判をし、そこでまた別個の形で進行するということになりまして裁判全体から見ますと、裁判所の全体の機能をそこなうものではないかという考え方から出ておるものと思うのであります。しこうしてそこはある意味で天びんの兼ね合いみたいな意味があるかとも存じますが、やはり裁判制度全体として考えますと、そういうような派生的事件はその場で簡單に処理して行くという方が裁判全体を生かすゆえんになるものと存ずる次第でありますなお不告不理の原則を採用しないという点も、ただいま申し上げましたように、その裁判官がその面前の明白な事件を取扱うのであるから、必ずしもこの則原に従わないわけでありますし、また弁護権の点もそういうような場合につきましては、事態が明白でありますし、しかも一般的に見まして、制裁の範囲も少いわけでありますから、これも普通の刑事事件のように考えるまでのこともあるまいという考えに出ているわけであります。これらはただいまもしばしば申し上げましたように、わが国の特異な事情で、わが国だけで世界に通用しない一つ制度にするというものではないわけでありまして、他の国にもそういう制度がありますから、必ずしも不当ではないものと信じておる次第であります。
  27. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 先ほどの御質問で、提案者の説明が御質問の趣旨にかなつてないというようなお言葉もございましたが、私はあの説明で十分答えられておると思うのです。今こまかい点の質問があつたようでございますから、これに附加いたしまして、もう一言お答えいたしますと、実は私たちが見ておりますのに、旧憲法時代裁判所というものは、旧憲法のもとにおきましての制度がこれをつくつておりました関係か、国民裁判所に行くことが恐ろしかつた。要するに警察や検察庁と同じように、裁判所を恐れて見ておつたのであります。裁判所へ行くことは、自分人権擁護する場所とは考えずに、それ自体が恐ろしいところに行くという考え国民自体に彌漫いたしておりましたことは、これは猪俣委員も御承知の通りだと思うのです。ところが新しい民主主義の原則を打立てられましたところの今日の裁判所におきましては、国民からそうした観念が払拭されまして、だんだんと裁判所自分人権擁護をしてもらう場所自分たちの権利を守つてくれる場所だという観念が浸透して来つつあるのであります。この観念に伴いまして、この裁判所を惡用しよう、むしろそうなつたことを惡用することによつて裁判所権威を妨害したり、法の威信を失墜せしめんとするところの行動が見られるようになりましたことは、これはかつて裁判所と現在の民主主義の裁判所に対する国民の観念が違つて参りました結果が当然生むところの状態なんであります。この状態を放置いたしますときは、親しむべき裁判所国民人権擁護してもらうところだと感じておりますところの裁判所が、これがこうした行動によつて裁判所の威信が失墜される、頼るべき裁判所権威がない、われわれの権利は一体こういうところで守つてもらえるのか、こういう観念が国民の間に浸透して行くということは恐ろしいことであります。私たちはその意味で、どうしても最後の権利を擁後する場所をどこまでも守つて行かなくちやならぬ。守つて行くには、やはり防壁としてこの制度が必要になつて来るのじやないか、こう考えておりますが、不告不理の原則、弁護権の問題等、人権擁護におきまして、私たちはこれを否定しようとするものではありません。どこまでもその原則を守りながら、新らしく生れた民主主義の制度のもとの裁判所権威をより一層守る方法としてこの法案を提出いたしたのであります。先ほどの説明に附加いたしまして……。
  28. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 政府委員説明は、裁判所の基本理念に対して本法はそれをことごとく破壊しておる、それでいいかという私の質問に対しまして、るるお述べになつておりまするが、およそ二点ある。一つ外国に例があるのだということであります。二つはこの方が結局早く事が処理できて便宜である。そうしないとなかなか納まりがつかぬというふうに私は受取れるのであります。これも私としては納得できない論拠であります。先般第十国会でありましたか、やはり裁判所侮辱法の名において提案せられましたときに、十三人の公述人の公述を聞きまして、裁判、検察関係以外の方々はほとんど反対されました。そのうち最も有力なる反対意見を提供せられましたのは今はなくなられましたところの末弘先生及び早稻田の教授の戒能先生でありました。このお二人の公述は日本の裁判所というものと英米裁判所というものはたいへん違うんだ。それであるから、英米にあるからといつて、ただちにこれにならつたものを日本につくるということは行き過ぎであるということを論じられました。今その詳細を申し上げる心要もないと存じますが、外国にあるからというて、ただちに日本にそれを持つて来るということは合理的な説明の根拠になりません。陪審法も外国にあるのであります。しかるにこれは廃止して今日まだ復活させておりません。いろいろ理由はございましようが、これはわが国土にふさわしくないという論拠であろうと思う。されば外国にあることだから、しかも陪審法のごときはほとんど外国の文明国にはみなあると存じます。そういうものは日本は今やめておる。英米にあります。こういう制度だけ行おうとするところに、われわれは危惧の念があるのであります。それが便宜であるからということでは、私の裁判に関する原則を打破する論拠になりません。  なお田島君の説明は、はなはだ矛盾していると思うのであつて、やはり提案者の本心はそこにあるのじやないか。戦時中の裁判所に対しては、みな民衆が恐れおののいて、警察や検察庁へ行くような心構えで行つたがというお話でありました。それが今乱れておる。今人権擁護する殿堂であると思つて行くようになつたという言葉もありまするが、どうもその辺が私ははつきりしません。そういう観念が浸透いたしまするならば、本案のごときますます必要がありません。本案のごときで規制いたしまする相手というものは、違つたものである。そいうう人権擁護の殿堂として行くものでありません。後に私なおお尋ねしたいが、確信犯人に対する本法はいかなる効果を持つかという問題と関連して来ると思いまするのは、戦前のような警察や検察庁へ行くような、恐れおののいて行くような気風をまた裁判所に起させようという企図でかような法案を提案せられたのではないかと私は心配いたしておりましたが、どうも提案者はちらつとさような心の奥をちよつとお話になつたような気がするのでありまして、そういたしますと、これは私どもは首肯いたしかねる法案であります。それは議論になりまするので差控えますが、私どもは戦前のような裁判官というものが威たけ高になりまして、人民控所というような名前で公衆の控所をつくつたお白洲のような裁判所というものを私は築き上げたくないのであります。この法案がさような恐れおののいて裁判所へ行つて裁判官一人壇上にその威厳を発揮するような効果をねらつたものだとしますならば、ますますもつてけしからぬと考えます。  そこで実際の場合を考えて参りますると、こういう法案というものはやぶへびになりはせぬか、現在法廷秩序を保つということは申すまでもないことであつて裁判官が主観的にも客観的にも心静かなる態度でもつて真実の発見に努める裁判官の心境がそうであらねばならぬのみならず、外見から見ても、ああいう態度でやるのがあるならば、公平な裁判ができるだろうという環境に置かれなければならぬ、また傍聴人にしても、弁護人にいたしましても、裁判所の神聖というものを保持することに努力する、これは私必要だと思いますし、ある一部の人たち法廷で騒ぎまわることにつきましては、まつたく理解ができません。何の意味で、ああいうことをやるのであるか、私どもは理解ができないのであります。さような者たちに対しまして、私どもはこれを容認するものでは断じてありません。しかし事実問題と考えまして、こういう法案が出まして、侮辱せられたと感じられます裁判官が、ただちにそこで相手に対して、言葉はいろいろ違つておりますが、捕縛なり留置なりであります。かようなことをただちにその裁判官が命令するということは、裁判官人間でありますがゆえに、相当の感情の発露がそこに出て来る。これは主観的にも裁判官が至公、至平の心構えを乱されることだと存じますし客観的にもさような姿をながめますならば、ああ裁判官を怒らせたら、あいつは重くやられるぞという印象を与えるであろうと思います。それは私は裁判官の威信を保つゆえんじやないと思う。裁判の威信というものは、官僚主義に考えてはいけない。ほんとうにもつともだ、よく情理を盡して真実の裁判をしたと被告人にも傍聴人にも思わせるところに裁判の威厳というものが存するのだと考えるのであります。先ほど申しましたように、裁判官が権力をもつてぐずぐず言うとすぐ処罰するぞということによつて法廷を静粛ならしめることが、裁判の威厳を保つゆえんじやないと私は考えるのであります。かえつて逆のことになる。そこでかような一部のいわゆる確信犯人と思われるような、あるいは特別な心神の持主だと考えられるような連中のために、私は裁判全体の原則というものを打破るということははなはだ危惧があると存ずるのであります。それで日本の裁判官実情は必ずしも私ども満足できません。英米裁判官のように弁護士の長老が裁判官となつて、そうしてかえつて弁護士を指導しながら裁判を進めて行くようなありさまと違いまして、まだ年は若く、あるいは新進気鋭ということになるかもしれませんが、私ども裁判所へ参りましても、自分の子や孫みたいな判事さんがやつておられる。大学を出て一筋にやつて来られたこういう人々に、ある種の権力を与えるということが、はたして裁判官としてほんとうの裁判をするような態度にさせるか、逆にその権力を振りかざして威たけ高になつて、いわゆる人民どもというような考え方になるであろう。今東京弁護士会あるいは日本弁護士協会で心配いたしておりまするところはそこにあると思う。主観的にも客観的にも、静かな至公至平の感情にとらわれざる裁判をするという本質を阻害するようなことになるのではないかと思いますが、その点についての心配はないのかどうか、御答弁を願いたいと思います。
  29. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 ごもつともな御指摘だと思います。提案者といたしましても、最も心配をいたしましたのはその点でございます。裁判所侮辱制裁法に限らずに、法の制定にあたりましては、私たちが第一番に心配をしなければならないのはその点でございますが、特にこの法案につきましては、そうした点を私たちは考慮の対象として立案をいたしたのであります。従いまして、この法案提出後いろいろと世間の評判を聞き、輿論を聞き、また先ほどお述べになりましたように、公聴会も開きまして御意見を承り、その趣旨を十分体得いたし、なおこの法案は提出いたしましてからは国会で三回目の国会になつております。それだけに愼重に私どもはこの点について検討を続けたつもりであります。検討を続けました結果、ようやく結論を得ましたので、お手元に裁判所侮辱制裁法というものを提出いたしました。けれども名前自体がどうも検討の余地があるのではないかというようなことも考え、この法案の名称をまず改めますと同時に内容につきましても、虚心坦懐にそうした面について誤解を招く点があればこれを修正し、裁判官の職権濫用のおそれがない、また世間にそうした面に対する誤解のないようにということで、せつかく改正について検討を続けました。いずれこの法案の本国会通過にあたりましては、修正案を皆さんの前に提出いたしまして、その点を明らかにいたしたいと考えておる次第であります。
  30. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 本法案が実施されますると、実際本法によつて処罰しようというものには効果なくして、かえつて裁判官の公正を疑わしめたり、若い裁判官をして官僚的な権力に酔わせるような結果を来す弊害の方が多くなるのじやないか。一体提案者は、共産党その他の法廷を闘争の場と考えておる革新的な人たちが、この法律によつてたちまちに羊のごとくおとなしくなつて、ただちに裁判秩序が保たれ、威厳の上るものと考えるか、その辺のことを承りたいと思います。
  31. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 私たちはこの法案の提出によりまして、今日までいろいろと破壊的な行動をいたしておりまする分子諸君が、ただちにその行動をやめて、裁判所が、まるで大海の大波が静まつて一度に平穏な海に返るような状態、それを想像しておるものではありません。ただ先ほど申し上げましたように、われわれの人権の最後の擁護の機関に権威を持たせ、そして権威ある機関のもとに国民が安心して、要するに裁判官が自由裁量の意思を破壊的な行動によつて左右されることなく、平穏な気持裁判ができるような状態を構成し、その状態のもとにおいて国民の信託にこたえたい、こういう気持であるのであります。従いまして、この法案を出してただちにそれがやまるとは考えておりません。この法案を出すことによつて、ますます国民をして裁判所権威を信頼せしめ、たよるべきところを與えしめ、信頼と威信によつて国民権利擁護する目的のためにこの法案立案いたしておる次第であります。
  32. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私はその点については、最初から申し上げましたように反対をしておるものではありません。ただ実際問題として、諸君が庶幾せられるようなことと逆のことになるのではないか、もしさような意図であるならば現行法で十分である。裁判所法の七十一條ないし七十三條、これを有能な裁判官が適正に施行いたしまするならば、十二分に法廷秩序は維持できる。裁判の大原則を破壊してまでも、かような特別法をつくる必要はないのであります。私どもの言わんとするところはそれなんです。法廷秩序を守るための手段は他にある。その手段を十分盡せばよろしい。その方はそつとしておいて、新しい立法をすることによつて裁判官自身が法廷闘争の禍中に巻き込まれるという危険が十二分にあり、かえつて法の威信を阻害する。そうして真に対象となるべき人間はさようなことには大した痛痒を感じないで、裁判官自身にある種の弊害が出て来る。すべて物事ははかりにかけて判断をしなければならぬ。それは考え方の違いだと申されればそれまででありますが、私が第十国会におきまして、あの裁判所法第七十一條ないし七十三條を発動した実例を報告してもらいたいと裁判所側に申しましたら、鳥取県に二件やらあつたきりだということでありました。しかもその発動をした場合においてはただちにそれに庶幾の効果が現われて来ておる。それは最高裁判所事務総局から発表されましたる法廷闘争事例というものにたくさんありますが、一つ読み上げます。これは昭和二十五年九月六日、三次簡易裁判所であります。三次町の公安條例違反事件であつて、しかもこの公判の前に町の至るところに公判闘争に結集せいというビラが張られ、共産党員及び共産党員と思われる者百名以上が簡易裁判所に押とかけて来て、売国奴、弾圧等の言葉を用いて妨害したこの記事を読んでみても、当時の状況が目に浮かぶのであります。その都度裁判長は発言の停止を命じたが、なかなか応じない。これは第二回以後の裁判でありますが、第一回の裁判のときに、やはり傍聴に騒いでおる人間が入つておつたから、その人間二名だけを断固として退廷せしめた。そうして毅然として大声叱呼して退廷せしめたら、あとは比較的平静に裁判が進行した、こういう報告をして来ているのであります。あの裁判所法を適正に利用いたしますならば、法廷秩序は十二分に保てると私は考えるのであります。それで保てないような、ある種の目的を持つて、もし法廷を騒がせるということ自体を目的として入つて来ておる者があるならば、こんな法案をつくつたつて何にもなりません。そこで私どもはまず第一にこの裁判所法を裁判所におかれてもつと有効適切に実行する、それでどうしてもだめだということになりましたならば、また、相談もあると存ずるのであります。全国にたつた二件しかこの裁判所法の七十一條を発動したことがないというようなことをやつておいて、そうしていきなり裁判の根本原則を破壊するような法案を出すということは、ものの順序を誤つておる。かような状態であるならば、先ほど私が申しましたように、これは有能なる裁判官がないということになりますから、さような裁判官にこういう村正の名刀みたいなものを与えますならば、弊害あつて効果が少い、こういう法案の根本精神について私どもは反対するのじやありませんけれども、濫用のおそれに対しまして私ども心配があるのであります。それは裁判官の過去におけるやり方というものがまことになつていないと私ども考える。ほんとうにその裁判官がしつかりした人格を持ち、公正な態度で裁判を進め、もし傍聴者や何かで騒ぐ者があるならば、毅然たる態度でもつて法廷指揮権を行使するということでありますならば、裁判秩序が保てない道理はない、私どもはそれを言いたいのであります。いかに時勢が反動化したとはいえ、それを十分実施しないでいて、ただちに裁判官自身が簡單にやつつけることができると若い裁判官は快哉を叫ぶかもしれません。今度は自分たちが騒ぐやつは片つぱしから自分で処罰してやれるんだということで意気軒昂たるものがあるかも存じませんが、彼らが意気軒昂になると反比例いたしまして、裁判本質というものがそこなわれて行きます。威信は落ちて行くのであります。私どもはそれを心配する。一体今までの裁判所法というものに対しまして何ゆえにこの法廷指揮権を裁判官が十二分に行使しなかつたか、そういうことに対して政府は何か御研究なさつたことがありますか。
  33. 野木新一

    野木政府委員 裁判所法の規定にあります法廷秩序権の行使でありますが、これは具体的の事例にも関連いたしますので、裁判所側で説明を願いたいと思います。
  34. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 ただいまお話の中で七十一條を発動したのはこれまで二件しかないというお言葉がありましたが、それはちよつと誤解されておると思います。今まで発動されたのは二件しかないというのはおそらく七十三條の審判妨害罪の適用になつ事件だろうと思います。七十一條に基く法廷警察権、退廷命令その他必要な措置を命ずること、そういう措置はこれまで十分にとられて来ておるのであります。それにもかかわらず退廷命令を命じたというだけで、その命令の執行ができなかつたという例はちよいちよいあります。退廷命令を命じますと最近の事情ではその命じられた者がいすにしがみついてなかなか離れない、廷吏が近づくと乱暴する、そのために廷吏がけがをしたという例もあります。また傍聴人に対して退廷命令を命じました場合に、まわりの傍聴人がスクラムを組んで命令を執行しようとする係員を近づけない、あるいは傍聽人の中にまぎれ込ましてしまつて執行を妨げてしまう、そういうような状態であります。  それから七十三條の審判妨害罪の適用さるべき事件がこれまで相当ありましたにもかかわらず、それが適用されませんでしたことはお話の通りであります。これまで二件と申しましたが、調査漏れがありまして、これまで三件あるのであります。その中の二つは米子の事件です。その中の一つは高崎の簡易裁判所事件であります。みな相当古い事件であります。なぜ七十三條の審判妨害罪、つまり刑罰権の発動でありますが、これが適用されないかと申しますと、七十三條違反として、審判妨害罪として制裁を科することになりますと、通常の訴訟手続を予定いたしております。従つて普通の刑事手続に従つて審理をいたすわけであります。控訴、上告を経て確定するのを待つわけでありますが、その処罰によつてどれだけ決定の秩序維持に効果をあげるか、すこぶる疑わしいのでありまして、七十三條の規定は妨害排除というよりも刑罰を科するというのが目的であります。即時に適時適切な処置をとつて法廷の妨害を排除するという趣旨規定ではないのであります。またこの審判妨害罪を置きますれば公訴を提起しますのは検察官でありまして、検察官一体の原則から見ますと他の検察官でも公訴の提起をしうるわけでありますが、どうしてもその法廷に立ち会つた検察官が公訴を提起するのが自然であります。ところが検察官はその事件の当事者として被告人と相対しておりまして、もともと、その事件について被告人に対し有罪判決を求めているわけであります。その上重ねてこの審判妨害罪をもつて追打ちをするということは心理的にも相当困難であろうと思うのであります。これまで審判妨害罪規定が適用されなかつたのは決して理由のないことではなかつたと思うのであります。
  35. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 検事が今までやらなかつた理由の中に私ども疑惧の念が出て来る。検事は憎まれたくないからやらない、自分が起訴しておるのにまた追打ちをするような形である、そこで検事の立場に同情して今度は裁判官がかわつて現われたことになる。さようなことでいいのであるかどうか、検事というものはそもそも犯罪あればこれを訴追するのが職能であります。また世人もそう考えておる。裁判官は人が訴追したものを裁判するのが本質である。しかるに検事の立場に同情して裁判官が検事の憎まれ役を買つて出るような法案であります。だからそこを根本的にいけないと私どもは言うのであります。裁判の威厳をそこなうところである。至公至平の裁判だという印象を世人から奪い去るような逆の点が出て来る。だから不告不理の原則というものが裁判には原則として樹立されて来た。それをあなた方がこの法案によつてぶち破る、そうして検事の立場を買つて出る。もし法廷審判妨害をする者があつて、検事がやらないとするならば、検事の怠慢でありますから、検事を責めるべきものなんだ。ところが検事に対してはどうもあまり責めることができない。そこで自分がかわつて処罰してやろうとする。こういう考え方がいかぬというのです。そういう考え方でやりましたら、検察官も裁判官も区別がなくなつてしまう。従つて裁判本質が阻害されるのであります。今まで私が二件と申したのは、第十国会のときでありましたから、今日は一件ふえたかもしれません。その間二、三年たつておる。一体もし検事が怠慢であるならば、なぜ国家機関同士あるいは法務府において、検事に対して嚴重なる督促をやらぬのであるか。検事がなまけていることを、判事がかわつて出ることによつて日本の裁判の体系を乱すということは、最もけしからぬ観念だと思う。私どもはそういう含みがあるとにらんで、この法案に賛成しかねておるのでありますが、果然諸君の方からそういう答弁があるというと、これはますますもつて危險千万である。裁判官あるいは検察官、いずれも国家機関である。それがなまけていて、今ある裁判所法なる法律を十分に適用しないでおいて、そうしてこういう法案を出すというところに根本的な欠陷があるのであります。そうして裁判本質というものを乱してしまう。なぜ、検察官を督促せぬか、あるいは裁判長においてその指揮権を十二分に活用することによつて法廷秩序を保つだけの熱意がなかつたか。私は裁判官に対しましてはほんとうに敬意を表しております。日本の裁判官くらい実に清潔なる心情の持主はないと思つておる。おびただしい不潔な行政官吏がうじやうじやしておるが、わが裁判官だけは実に心身が清潔で撮ると敬意を表しますけれども、どうも私どもの見るところによると、法廷における自信がない。私は先般、平の裁判所を視察いたしましたが、裁判長の声が聞えないのだ。かの鳴くような声を出して、今にも倒れそうによたよたしている。あつちで声を出すとピクン、こつちで声を出すとピクン、こういうことではやはり傍聴者は騒ぐのです。もう少しどつしりとした、自信のある態度でもつて、大きな声で朗々と審理をやりますならば、そんなに乱れるはずがございません。それでもなお騒ぐ者は、どんどん大声叱咤して法廷外に出せばいい。そういうことをさつぱりしない。それは裁判官の訓練が足りないのです。自分たちの訓練の足らぬことをたなに上げまして、こういう簡易な便利な法律をつくつて、そうして裁判の原則を乱すということは、許さるべきことではないと考えます。法廷における裁判官の態度というものにつきまして、一体あなた方は十二分に考えておられるかどうか、もう一回御答弁願いたい。
  36. 岸盛一

    ○岸最高裁判所説明員 審判妨害罪は普通の刑罰を科するのが目的ですが、これは刑罰を科するということそれ自体が目的ではなくて、法の秩序維持のためにその妨害を排除するという点にありまして、両者の目的もおのずから違つておるのです。  それから裁判官法廷における態度についてでありますが、最近の裁判官は、訴訟法上並びに裁判所法上与えられている訴訟指揮権法廷警察権は、十分にこれを行使いたしております。そのいろいろなこまかい具体的な例については、これまで再三申し上げましたから、ここでは繰返しませんが、ただ手をこまねいておるというようなことは絶対にないのでありまして、十分にその権限を行使しながら、しかも法廷秩序は御承知のような状態で乱されておる。はなはだしきに至つては暴力が法廷にまではびこるといつたような状態でありまして、裁判官は実際に骨身を創られる思いで法廷審理にあたつておることを御了解願いたいと思います。
  37. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なお私はこの法案で憂慮にたえないのは、監置するとか拘束するとか収容するとか、刑事訴訟法に使つている言葉と違う言葉を用いております。しかしその実体は人身の自由を拘束する刑罰であります。刑法なり刑事訴訟法規定せられざるところの新たな言葉を使つても、やはり人身の自由を拘束することにおいては同じ内容のものである。こういうものをつくられるということは、私ははなはだ法体系を乱すものだと思う。刑法なり刑事訴訟法なりに一定言葉があり、人身を拘束するには一定手続規定されている。これは憲法保障する基本的人権擁護立場からもしかるべきことでありますが、一体監置留置とどこが違うか。拘留とどこが違うか。あるいは第三條に書いてありまする「警察官又は警察吏員に行為者を拘束させる」というのは、拘引なり拘留なり、あるいは捕縛なりとどこが違うか。ただ言葉だけちよつとかえて、刑法に規定しておらないような名前刑罰を科する。こういうことを濫用されますとまつたく法体系が乱れてしまう。言葉さえ発明すると、脱法的にいろいろな基本的人権の侵害ができるといふことに相なる。私はこういう点に対しましても根本的に疑いがある。一体監置留置とどこが違うのですか。それをひとつ説明してください。
  38. 野木新一

    野木政府委員 まず監置でありますが、先ほどもちよつと申し上げましたように、監置刑罰でない秩序罰として考えておるわけであります。現在でも、刑法の規定しておりまする罰金、科料のほかに、別に秩序罰として過料制度がありまして、これは旧憲法から新憲法に引続いて認められておるわけであります。なるほど秩序罰監置という制度は新しい制度でありますが、性質は過料と同じように秩序罰と存じておる次第であります。ただ名前があるいは刑法の懲役、禁錮、拘留と違うだけで、実質は同じじやないかという御議論でありますが、その点につきましても、私どもは刑法の刑名は長年用いなれておりまして、国民感情といたしましてもあるいは刑罰であるという意識が強く、しかもその処分内容等におきましても、それぞれ所定の処分がせられることになつておるわけであります。これに対しまして、この監置は、国民感情といたしましてもそういうような色彩は持つておりませんし、またその処分内容におきましても、先ほどるる申し上げましたように、刑罰のうちで一番軽い、拘留よりもはるかに寛大な処分内容として法律で定めております。  なお御指摘留置監置とどこが違うかというと、留置はただ監置場にとめておくという事実上の内容を表わしておるのでありまして、監置一つ制裁という点から見ておるわけであります。すなわち、留置というのは監置に処せられたものの身体監置場というところに拘束して、とどめておくという内容を意味しております。  なお先ほどの説明にちよつとはつきりしなかつた点があると存じますのでつけ加えますが、いわゆる侮辱を受けた裁判所自分から裁判するという原則は、刑事訴訟法的見地から見ますと、まことに御指摘のように、不告不理の原則とか、除斥の原則とか、弁護権の確立というようなことから例外的なものにはなりますが、わが国におきましても、実は旧憲法時代でありますが、旧裁判所構成法中においてこれと類似の制度があつたわけでありまして、旧裁判所構成法第百九條、百十條、第百十二條條文におきまして、裁判所は審問を妨げる者がある場合には退廷を命じ、また必要のある場合にはこれを勾引し、またさらに必要のある場合には五円以下の罰金、五日以内の拘留をすることができるというような規定がありまして、ここでは罰金とか拘留という刑法の刑名と同じような名前を用いておりますが、これは通説といたしまして、刑罰でなくて、実質秩序罰だということになつておるわけであります。これに類似の規定及び考え方はドイツの裁判所構成法にもたしかあつたと存じます。こういうように、裁判所の行動を妨げるというような者に対しましては、その裁判所がその場である程度の排除的な、さらにそれに多少つけ加わつて制裁的な処置をするということは、やはり英米法でなくても、大陸法の制度においてもある程度認められておるところでありまして、わが国においては、新憲法になつて裁判所にはこの規定が削られましたが、昔はあつたわけであります。そのことを一言つけ加えておきたいと思います。
  39. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私はきようはこれで終ります。
  40. 山口好一

    ○山口(好)委員長代理 北川定務君。
  41. 北川定務

    ○北川委員 私は、二、三点明確にしておきたい点がありますので、政府委員に質問したいと思います。本法案は民事、刑事の裁判について適用されるものと思うのでありまして、弾劾裁判には適用されないものと思いますが、御見解を伺いたいと思います。
  42. 野木新一

    野木政府委員 この裁判所侮辱制裁法のいわゆる裁判所は司法権を行使する裁判所ということでありまして、御指摘のように弾劾裁判所は入つておらないわけであります。
  43. 北川定務

    ○北川委員 次に、先ほどの御説明によりますと、裁判所侮辱制裁裁判については、民事訴訟法規定を準用される場合がありまするが、その場合に、弁護士を入れることはできないと申しておりました。その点はいかがでございますか。
  44. 野木新一

    野木政府委員 民事訴訟法規定の準用と申しますか、民事訴訟法規定を借りて来ますのは第四條の証拠調べに関してでありまして、ここで主としてねらつておる点は、裁判所にかかる事件について証人を調べるというような場合に、民事訴訟法で証人を喚問する規定に従つてやるということを考えておるわけであります。御指摘の弁護人の点につきましては、この法律は直接には触れておりませんで、それらの点はすべて最高裁判所規則にまかせておることになつておるものと存じておる次第であります。
  45. 北川定務

    ○北川委員 最高裁判所の規則にまかせられるつもりですか。つまり弁護人を入れることを規則に規定するつもりでありますか。それともこれは性質上弁護人を入れることを許されないお考えでございますか、その点を伺いたいと思います。
  46. 野木新一

    野木政府委員 この法案としては、弁護人がなければ第三條の審判はできないというような意味で、弁護人を必要的にしておるという考えに立つておらないのではないかと存ずる次第であります。
  47. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 立案者としてお答えいたします。今の政府委員説明ではちよつと徹底しかねると思います。先ほど猪俣委員の質問にもお答えいたしましたように、弁護人の弁護権を制限しよう、弁護人の弁護権を否定しようというような思想は毛頭持つておりません。弁護人の弁護権を否定するものではないのでありますが、法案趣旨上絶対的に必要とする弁護人をつけることをも排除するということが考えられぬのはどの法案の立法に当つて考えられることでありまして、こういう議論が起きます前に、そういうことが考えられるのでありますが、弁護権を否定する、弁護人をこの法案から排除するというような思想は持つておりません。
  48. 北川定務

    ○北川委員 民事訴訟法が準用せられる場合には、弁護人を付することが許されるというふうに解してさしつかえないのでありましようか。
  49. 野木新一

    野木政府委員 第四條の方に行きまして、すぐその場で裁判するのでなくて、別の日にするとか、あるいは別の時間にするとかいうような場合には、多少時間的余裕もありますので、そういう場合には弁護人を排除するという趣旨ではございません。ただそれらの弁護権は、規則できめていただくという考えであります。
  50. 北川定務

    ○北川委員 証拠調べする場合に、弁護人を付することを許されるならば、これと同じように、直接その場で審理される場合にも弁護人を入れる方が権衡上よろしいのではないかと思われるのでありますが、この点はいかがですか。
  51. 野木新一

    野木政府委員 その点につきましては、この事件裁判所の面前で犯された明白な事件で、しかもすぐその場で制裁を科するのが原則でありますから、弁護人がいなければ開廷し審判することができないかどうかということにつきましては、この法案は触れていないものと存ずる次第でございます。
  52. 北川定務

    ○北川委員 次に抗告の場合でありまするが、この抗告には、事実の誤認を理由として抗告することを許されないことになつております。これは直接侮辱の場合、もしくは裁判官が知り得る場所において一定の行動をなした場合に限られてはおりますが、全然事実の誤認がないという保証はできないと思うのであります。さような場合を救済する方法が全然ないのでありまして、私は、この場合には事実の誤認も抗告の理由に入れた方が人権擁護上妥当ではないかと思うのでありますが、この点に対する御見解を伺いたいと思います。
  53. 野木新一

    野木政府委員 この法案におきましては、御指摘のようにいわゆる事実の誤認は抗告の理由に入つていないように存じております。それはしばしば申し上げますように、この制裁の対象となる行為は、裁判官の面前で行われる明白な行為であるから、事実の誤認というようなことは起る余地があまりないということと、それからそういうことでどこまでも争わせると、かえつてこの制度趣旨が達せられないのじやないかということ、それから、各国の立法例、たとえば英米はもとより、わが国も、先ほど申し上げました裁判所構成法当時の立法例に基きましても、たとえば裁判所構成法におきましては、「此ノ処罰ニ対シテハ上告を許シ控訴ヲ許サス」というような規定になつておつたのでありまして、古い刑事訴訟法のころには事実誤認の條文もなかつたような時代もあつたわけであります。そういう前例もありますし、ここでは事実誤認を抗告理由として取上げなかつたわけでありますが、この第五條第二項におきまして、抗告をする場合はに抗告書を原裁判をした裁判所に提出しなければならない、その際原裁判をした裁判所は、その書類等を見まして、抗告を理由があると認めたとき、すなわち法令違反があつたと認めたとき、あるいは原裁判を更正することを適当と認めたときはその裁判を取消し、または本人の利益に変更することができるというようにいたしまして、抗告の際に裁判所の職権の発動を促すというようなことで、そこに調和を見出しておることがごらんのごとく建前となつておるかと思います。
  54. 北川定務

    ○北川委員 第二條に該当する行為をなした者が他にいる場合、それから法廷外で法廷に向つて乱暴を働くような場合、かような場合には往々犯人、行為者を誤認する場合があり得ると思うのであります。誤認された場合に、これに対する救済の方法を認めないことは非常に危険ではないか。私は、事実の誤認も抗告の理由に付することがいいのじやないかと思うのでありますが、しかしこれは、かような規定でなければならぬとおつしやれば無理に争うものではありません。  次に伺いたいのはこの裁判でありまするが、決定で過料もしくは監置の言い渡しをするということになつておりまするが、これは書面審理でやるのか、弁論を開くのか、場所はどこでやるのかということが明確にされていないと思うのであります。そうして、刑事訴訟法規定に従うのか民事訴訟法規定に従うのかも規定されていないようでありますが、裁判場所裁判の方法、告知の方法について御説明を願いたいと思います。
  55. 野木新一

    野木政府委員 御指摘のように、この裁判所侮辱制裁法制裁を科する手続等につきましては、民事訴訟法によるとも刑事訴訟法によるとも書いてございません。これはやはり、民事訟訴法にも属せず、刑事訴訟法にも属せない一種特別の手続にならうかと存ずる次第であります。しかしながら、両者の法理はある程度参酌せられまして、結局第八條裁判所の規則によつてその詳細を定めるという建前になつておるものと存ずる次第であります。従いまして、裁判をやる場所とか、意見、弁解は当然聞くことになると思いますが、そういうような手続の詳細はこの規則にゆだれるわけであります。決定するということになりましたのは、判決いたしますると、わが国手続上の普通の原則と申しませうか、常識として、必要的口頭弁論——必ず口頭弁論を開かなければならないというような建前になりまするので、その点は、判決でなくして決定ということにして、任意的口頭弁論という建前とをり得ることを規定したと存ずる次第であります。
  56. 北川定務

    ○北川委員 第二條に該当する行為があつた場合には、六箇月間経過した場合にはこれを裁判することはできない。裁判がなされた場合には、さらに六箇月間経過した場合にはその裁判執行することができないという法案に相なつておりまするが、この六箇月の期間というのはあまりに長過ぎるように思われまするが、いかがなものでしようか。かような軽微な事態で六箇月間も不確定な状態に置いて、また、裁判してから六箇月間も執行しないでおくということは、本人にとりましては非常に迷惑であります。もつともつと期間を短縮してもいいのではないかとも考えられるのでありますが、この点に対する御見解を伺いたいと思います。
  57. 田嶋好文

    田嶋(好)委員 北川委員の御質問は、原案についての御質問でなくして、修正意見を予定いたしましたことに対する御質疑ではないかと思うのでありますが、これはまだ公になつておりませんが、私たちは北川委員の御説のような修正意見を持つておるのであります。しかし、この修正意見に対してもなお御説のように修正したらという意見を持つておりますことを御了解願いたいと思います。
  58. 山口好一

    ○山口(好)委員長代理 他に御質疑はありませんか。——他に御質疑がなければ、本案に対する質疑はこの程度にとどめておきます。  明日は午後一時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。     午後四時四十分散会