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1952-05-22 第13回国会 衆議院 法務委員会 第56号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年五月二十二日(木曜日)     午後一時三十九分開議  出席委員    委員長 佐瀬 昌三君    理事 鍛冶 良作君 理事 田嶋 好文君    理事 中村 又一君 理事 田万 廣文君       押谷 富三君    北川 定務君       古島 義英君    松本  弘君       眞鍋  勝君    大西 正男君       吉田  安君    加藤  充君       世耕 弘一君  出席政府委員         法務政務次官  龍野喜一郎君  委員外出席者         判     事         (最高裁判所事         務総局刑事局         長)      岸  盛一君         参  考  人         (大阪地方裁判         所長)     小原  仲君         参  考  人         (広島地方裁判         所)      藤山 富一君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 五月二十七日  委員田中堯平君辞任につき、その補欠として加  藤充君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 五月二十一日  破壊活動防止法制定反対に関する請願(今澄勇  君紹介)(第二九七八号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  裁判所侮辱制裁法案田嶋好文君外四名提出、  第十回国会衆法第四七号)     —————————————
  2. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 これより会議を開きます。  裁判所侮辱制裁法案を議題といたします。  この際お諮りいたします。本案の審査に関連し、過般大阪地方裁判所堺支部において起りましたる津田一朗に対する昭和二十五年政令第三百二十五号違反事件審理中の事件及び広島地方裁判所における鄭泰重外三名の勾留理由開示公判の際に起つた事件につきまして、それぞれ大阪地方裁判所長小原仲君、及び広島地方裁判所長藤山富一君より参考人として実情説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 御異議なしと認め、小原及び藤山両君より参考人としてそれぞれの実情説明を聴取することにいたします。  なお本件に関連して最高裁判所当局より発言の申出がありますから、これを許します。最初に小原仲君よりお願いいたします。
  4. 小原仲

    小原参考人 それでは本月十五日に、私の方の大阪地方裁判所堺支部に起りました事件について、その経過を御報告申し上げます。  まず場所は、大阪地方裁判所堺支部、堺市に存在する支部でございます。事件は、昭和二十七年の三月二十七日に起訴されたものであります。事件名は、昭和二十五年政令第三百二十五号違反事件として起訴されたものでありまして、被告人津田一朗、この被告人は、その当日は拘束を受けておりませんでした。保釈中でありました。事件公訴事実は、被告人は、昭和二十七年の二月十五日午後六時四十分ころより、同七時三十分まで近鉄の南大阪線恵我ノ荘駅付近で、安田茂子外十数名に対し、「高わし村の子供等八人米軍に鉄砲をつきつけられ靴でけられ命からがら逃げる——大正ヒコー場附近で」と題する文書を領布し、連合国に対する破壊的批評を論議したという公訴事実であります。それにつきまして、第一回の公判が、本月の十五日午前十一時三十分に開廷いたされたのであります。係の裁判官松田判事、それから立会いの書記二名、法廷におきましては、廷吏二名、検察官並びに弁護人、これが立会いのもとで開かれました。これにつきまして、開廷前の様子を概略申し上げます。  この堺の支部はまだ仮庁舎でありまして、非常に狭隘であり構造も至つて粗末なものでありました。でありますから、傍聴券というものも、今まで発行してみても、あまり効果がないと思われますので、従来傍聴券は発行したことはありませんでした。本件の場合にも傍聴券は出しませんでしたが、この法廷は非常に狭くて、わずかに二十四、五名くらいを収容する程度の広さしかございませんでしたが、その日は、法廷内に約百名、法廷外にまた約百名くらい傍聴人が来ておりました。が、この傍聴人のほとんど大部分は、自由労働者でありました。これは平生からでありますが、堺の支部のじき隣のところに堺市庁舎がありまして、ここで職業安定の方の事務を取扱つておりますので、毎朝その自由労働者がたくさん集まつて来ます。その職にあぶれた者が、時間つぶしに裁判所へ参りまして、裁判傍聴をしておる。でありますから、どんな事件にかかわりませず、刑事裁判があるときには、傍聴人がたくさん押しかけて来ている状態であります。それで本件につきましては、この公判の数日前に、あらかじめこの事件を円滑に審理を終りたいということからいたしまして、まさかの際をおもんぱかつて、担当の裁判官は、堺市の警察署長に面接しまして、被告人傍聴人等において不隠の行動がある場合は、いつでも警察吏を派遣せられるように、打合せをいたしておつたのであります。またその日の裁判所としての手配としまして法廷内に立会いの書記を一名増加しまして、立会い書記官補助者としまして、書記官補一名を加え、さらに廷吏二名を法廷に入れておりました。そうしてさらに法廷の内と外との連絡に当らすために、書記官補一名、合計三名というものは平生よりもよけいに配備しておつたのであります。それから法廷外におきましては、北側の裏庭、それから裁判官入口傍聴への入口、それから裁判官室に通ずる廊下、これらの要所々々に、庶務課長指揮のもとで、五名の職員を配置して、万一に備えておつたのであります。ところがなおその日におきまして、朝検察庁の側から連絡がありまして、何か事があつたならば、すぐ検察庁連絡ありたいということであつたので、係の裁判官は、すでに検察庁におきまして、警察職員連絡もでき、検察庁警察職員が待機しておるものと信じておつた次第でございます。検察庁はじき隣に建つております。それで公判は午前十時三十分に開廷いたしまして、そして人定尋問を始めたのであります。まず裁判官被告人の年齢を問うと尋ねましたところ、被告人は非常な強い態度でもつて、そこに書いてあるじやないか、何度も同じことを聞かなくてもよいじやないかというようなことを述べたので、裁判官裁判手続上、それを尋ねる必要なわけを説き聞かせまして、そしてなお立会いの弁護人からも、裁判官に協力して被告人をたしなめたのであります。それから検察官起訴状の朗読をいたしまして、これが終つてから、被告人意見陳述を始めましたところ、法廷内の傍聴人の中から、何人かが大きな声で、しつかりやれというような声を発する者がありました。そのうち法廷内の傍聴人が、南側の窓寄りにおつたところの傍聴人に対して、被告人の席のそばがあいておるそこを指さして、大声でここがあいておるから入れというような誘いをかけた。その傍聴人がくつばきのままで窓を越して入ろうとしたのを裁判官が目撃したので、これを禁止したのであります。それからその後検察官から証拠申請がありまして、そして裁判官証拠決定をしようとしていた際に、傍聴人の一人が突然立ち上りまして、検察官に対して、起訴状にある犯罪事実は何が悪いのか、それでも日本人かという怒号を始めましたので、裁判官はかつて発言は許さないと言つて制止しますと、ほかの傍聴人がさらに、どうして発言しては悪いのか、発言ぐらい許してやつてもいいじやないかというようやじを飛ばした。そこで裁判官は、許可なく発言する者に対しては退廷を命ずることを告げましたが、これに従わないで、なおも発言を続けようとします気配がありました。その矢先に、傍聴人からやれやれというような扇動する者も出て来たのであります。そこで裁判官は、制止するのを聞こうともしない傍聴人二名に対して退廷を命じましたところ、やはりその命ぜられた者は退廷ようとしない。そこでまた再度退廷の命令を発したのでありますけれども、これにも応じないで、ますますやじが盛んになつて来まして、法廷内が騒がしくなつて来たのであります。とうてい審理を進めることができないと思われたので、やむなく午前十一時三十分に、裁判官休廷を宣言したのであります。そして裁判官は、この休廷を宣して、ただちに裁判官入口の方から、自分部屋へ帰ろうと廊下へ出て、六、七歩出て行つたときに、廊下にあふれておりましたたくさんの傍聴人や、それからまた法廷傍聴人入口から出て来た傍聴人、これらが三人、四人と順次増して来まして、傍聴人が前後左右を取囲み、そして法服をひつぱつて、このまま公判を続けろ、卑怯だぞというようにどなり、またある傍聴人は、殺してしまえというような叫び声を立てた者がありました。それと同時に、足や腰のあたりをけつた者もあつたのであります。そこで裁判官は、自分あとから続いて退廷して来ました立会いの書記官に対し、殺してしまえと言つた男をよく目撃しておりましたので、殺してしまえといつた男を指さして、あと参考のために、この男をよく覚えておけと言いましたところが、書記官はどうもそれを聞き間違えまして、つかまえろと言われたものと思つてか、その男をつかまえたのであります。ところがかえつてその男からその書記官は頭をなぐられて、また他の傍聴人から足を蹴られたり、あるいは服をひつぱられたりしましたので、これを見ておりました廷吏は、その場にかけつけて、その書記官を救おうとしましたところ、この廷吏もまた同じく傍聴人からげんこで一回後頭部を強く突くようになぐられた、さようにしております間に、裁判官は三十数名の傍聴人にもまれながら、約数間の間廊下を押されて行きました。そして傍聴人入口の角までもみあつておりましたが、他の書記官補が見まして、たいへんなことと思つて裁判官のその急を救おうとそこへかけつけて行つたのでありますが、傍聴人らはこの書記に対しましても、お前は何者だ、警察の犬だろう、なぐれ、でつち上げろということを口々に叫びながら、同人のえりがみをつかんで、引きもどそうとした。そして他の傍聴人からは、手の平で頭や顔を十数回なぐられた上に、足も蹴られ、またワイシャツも破れるほどひつぱられたのであります。かように騒いでおる間に、外に警備にあたつておりました庶務課長もそこへかけつけて、裁判官を抱くようにして傍聴人を払いのけようといたしました。そしてようやくその場を切り抜けまして、書記官室の方へ退くことができたのでございます。その初めにあたりまして、その公判休廷を宣言する少し前から、法廷が少し騒がしくなつて来ましたので、庶務課長職員に命じまして、検察庁警察官が待機しておると思いましたから、その出動方検察庁の方へ連絡させたのであります。その連絡にやつた者がなかなか帰つて来ない。また警察官もじきにはやつて来なかつたのであります。これは実は思い違いでありまして、検察庁の方には、まだ隣までは警察官が来ておらなかつたのだそうであります。それでようやく連絡がつまして、武装警官が五、六十人、私服十数人が來まして、まだこのほかにも警察官百五、六十人が検察庁の方に待機しておつたそうであります。そうしてこれらの警察官が来ましたが、その来たときにはもうすでに騒ぎあとでありまして穏やかになつており、また騒いでおつた傍聽人も、いち早くその場を去つてしまつてつたという状況であります。  それからその後の審理でございますが、その後そのある一名が裁判官のところに面会を求めて来ました。ちようどそこに弁護人もおりまして、被告人らから公判の再開を要求して来たのでありますが、裁判官はかよう状態では裁判の公平を期することができない、再開することはできないと言いましたが、その面会を求めて来た者たちは、執拗にぜひやつてくれと希望しますので、裁判官は、武装警官裁判所構内に入れる、それから私服警察官法廷内にそれぞれ配置する、その上で再開するといつたところが、被告人らもこれを了承したので、そこで武装警官を五、六十名、これを裁判所構内——建物の外だつたと思いまするかに、それから私服警察官十数名を法廷内に配置し、そうして午後零時過ぎから法廷を再開し審理を続行いたしました。そうして十分ほど審理の後閉廷をいたした次第であります。このあと公判中はまつたく平穏で過すことができたのであります。そうして次回期日六月三日ということにいたしたのでありますが、その午後二時か、三時ごろに、さきに裁判官交渉に来た一名と他の人も来まして、裁判所を騒がして相済まなかつたと陳謝しておつたそうであります。  大体堺における騒ぎ概要はただいま申し上げた通りであります。私もその支部の方からの報告を受けまして承知いたしたのでありまして、現場を見ておつたわけではありませんから……。
  5. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 次は廣島地方裁判所長藤山富一君に御説明を願います。
  6. 藤山富一

    藤山参考人 廣島地方裁判所状況を御報告申し上げます。  まず事件の概略を申し上げますと、去る五月十三日、朝鮮人四名に対する爆発物取締罰則違反被疑事件勾留開示期日その他の事件でありまして、この被疑事実の内容の大略は、五月一日のメーデー及びその前後の数日間に廣島市隣接の古市という町の巡査駐在所に、朝鮮人多数襲撃して、駐在所内火炎びんを投げつけ、また廣島市内にある特審局職員の親族のうへ、同様火炎びんを投げ込み、なおその門に特審局職員に対する脅迫的な文字を連ねた紙を張りつけた、そのほかありますが、こういう被疑事実の概要であります。そこで幸野裁判官——判事補の方でありますが、この判事補が型のごとく勾留理由開示手続、つまり人定尋問理由開示、さらに続いて被疑者並び弁護人意見陳述至つて平静裡に終了しまして、裁判官閉廷をを宣して退廷せんとするそのせつな、俄然法廷内におつた約二百人の傍聴人、大部分朝鮮人でありまするが、幾分は日雇い労務者も加わつてつたようであります。この二百人の傍聴人被疑者の周辺に殺到して、またたくまに被疑者を拉し去つて法廷外に逃がし、さらに裁判所構内から逃走せしめた。これには法廷外にいた約百人ばかりの朝鮮人も相呼応して逃走を容易ならしめた、こういう事実でありまして、逃走後、待機していた警察官がただちにこれを追跡して、うち一名は廣島市内で逮捕したのでありますが、他の二名はその後杳として姿がわからぬ、こういう事情であります。  そこで法廷の開始前後、裁判所法廷内外状況を申し上げるのでありますが、まず開廷までの状況を申しますると、担任裁判官幸野判事補はこの期日について、できる限り平静裡勾留理由開示を終了したい、またおそらく平静裡に終了し得るであろうということを期待したのでありましたが、しかし事案の性質、また客観的社会情勢を考慮しますると、あるいは不慮の事件が起りはしないかということをおもんばかり懸念いたしまして、法廷警備並びに裁判所構内秩序維持という趣旨で、廣島市の警察署に、検察庁を通じて警察官警察吏員派出方を要請してその了解を得ておつたのであります。一方当日午後でありますが、判事室では午後零時半、一時前ごろに係裁判官訟廷課長拘置所看守長判事室開廷時刻打合せ同時入廷というようなことを打合せようとした。そこへ約四十数名の朝鮮人がどやどやと判事室に入つて来た。そこで裁判官はその不法を責めて、ここで話は一切できない、退去しろということを命じたのでありますが、なかなかそれに応じない。たまたまそこへちようど被疑者弁護人である高橋弁護人判事室に入つて来ましたので、その弁護人にも協力を願つて被疑者関係朝鮮人と協議して、そうして弁護人のあつせんによつて代表者十名に限つて面会する、他の全員は階下に退去すべし、面会時間は十五分間に限る、こういう約束のもとに面会したのでありますが、多数の朝鮮人判事室からは出て行きましたけれども、廊下には依然多数集まつて退去する模様がない。そこでそのままで裁判官代表者十名と判事室の隣の応接室で面接したのであります。なお他の裁判官もその廊下から退去することを再三要望したのでありますが、依然として朝鮮人は退去しない。そこで当該裁判官以外の判事が事態のあまりに急迫しておるよう情勢を看取しましたので、たまたまこの事件関係で来ておりました市の警察署員に対して、即刻警察官を派遣してもらうようにということを要求させたのであります。そうして一方裁判官代表者折衝をする。そこへ掴原、原田という弁護人も来られたので、折衝を重ねたのでありますが、被疑者の方では即時釈放要求し、裁判官はこれを拒絶するということで約十分間ばかり交渉してものわかれになつて裁判官裁判官室引揚げたのであります。間もなく裁判所要求によつて約一小隊と申しまするか、三十数名の警察官裁判所参つたのでありまするが、被疑者関係朝鮮人たちは依然として即時釈放、スピーカーの設備というようなことを波状的に判事のもとへ押しかけて要求する。判事はこの要求を拒絶しておる、こういう状況のところで、隣の裁判官応接室交渉しておるのでありますが、その隣の判事室にいた裁判官電話で、こういう情勢ならばただちに警察官出動さす方がよいのではないかということを、交渉中の裁判官電話をかけますと、その電話を聞いたためか、押しかけていた朝鮮人が全部退去した、こういうのであります。ところがその後、一方法廷内には約百五、六十人の朝鮮人が入廷しておりまして、被疑者看守に伴われて入廷すると騒然となつて手錠をはずせとか、即時釈放しろとか、やはり同じようなことを言つて拍手声援を送る。廷吏がこれをしきりに制止したけれども、それを聞き入れようともしない。こういう状況のままで進行するならば、法廷占拠というようなことが起るおそれがあるというふうに考えられたので、裁判所はさらに一小隊警察官の増遣方を求めて、そうしてその裁判官がその増援がただちにあるということを聞いて法廷に入つたのであります。  それが開廷前の法廷外状況でありまするが、裁判官が入廷しましてからの内部の状況を申しますると、裁判官が入るまでは、ただいま申しました手錠をはずせとか、即時釈放しろとか、あるいは万歳とかなんとか拍手をする、声援をするというようなことでかなり騒然としておつたのでありますが、裁判官が入廷するや急に静粛になつて、そこで勾留理由開示審理が開かれたのであります。その間多少の騒ぎというようなことも聞えたのでありまするが、格別に審理を進行できないよう様子も見えない。このままならば、あるいは平穏裡に経過するのではないか、こういうふうにまず一般に考えられたのであります。しかし法廷外では法廷に入り切れない傍聴人が各出入口に蝟集しておるという状況であります。そこへ第二回目に要求した警察官小隊がやつて参りまして、警察官の数は約七十数名になつたのでありますが、これらの警察官をあまり廊下やまた法廷の直近に置くということは、かえつて彼らを刺激するのではないかということもおもんぱかつて、それぞれ判事室あるいは書記官室に待機させて置いたのであります。そうして法廷が開かれて、法廷内が平穏裡にやや閉廷直前という状況になりましたが、そのころに法廷外におる裁判官——われわれの方では閉廷直後に判事や検事の身辺の安否あるいは記録の保全ということが脅されはしないかということを考えたので、その際警察官を派遣すべきではないかという意見もあつたのでありますが、せつかく法廷平静裡に穏やかに進行しておるのに、外部からそういう刺激を與えて、かえつて混乱に導き、不祥事を起すというようなことがあつてはならないという考えもあつて警察官はそのまま各部屋に待機せしめて、裁判所職員約二十名がそれぞれ急を告げる連絡係として待機したのであります。  ところで、ただいま申しますように、すでに意見陳述も終了して閉廷になりますると、非常な混乱陷つたのでありますから、ただちに警察官出動を求めると同時に、裁判官退廷ようとしたのでありましようが、できませんし、そこで警察官がただちに出動したけれども、ときすでにおそくて、冒頭申しましたように、彼らは多数の同志に擁ぜられて法廷外に逸走し去つた、こういう事情なのであります。ただその間に裁判官自分身辺の不安を感じつつも、記録も持ち出さなければならぬというので、記録をただちに廷吏に渡すと、廷吏朝鮮人たちの非常な妨害を排除しつつ窓から飛び出して、その記録リレー式に送つて無事に持ち出すことができた、こういう状況であつたわけであります。それが退廷前後の法廷外状況であります。次に法廷内の事情を申しますると、裁判官法廷入ろうとすると、その周囲に十数名の男女の朝鮮人がおるので、裁判所の他の職員に対して出入り口に数名の警察官を配置しておくようにというようなことを命じておいて法廷に入つたのであります。入つてみると、ただいま申し上げますように、入るまでかなり騒然としていた法廷が急に静かになつて、それで型のごとく人定尋問勾留理由開示、さらに被疑者及び弁護人意見陳述終つて、その間、ときに拍手あるいは声援があり、あるいはまた傍聴朝鮮人被疑者にコップで水を飲まそうとするようなこともあつたが、その都度裁判官がそれを制止し、それを拒むと、すなおにそれに従つて、予期したよりも平静な状態であつて裁判官に対して侮辱的あるいは攻撃的な発言態度というものは少しも見えなかつた。それで裁判官も、このままで行けるならば、思つたよりもより以上に平静に閉廷、終了ができるということで、陳述を終るとすぐに閉廷を宣して、みずから退廷ようとしたのでありますが、ただいま申し上げますように、すでにそのときにほ、閉廷を宣すると同時に、二百人の廷内の傍聴人被疑者周囲に殺到して、渦を巻くように喧々囂々騒ぎ立てて、またたく間に被疑者を抱えて、頭から送るような調子で抱え出した。そうして廷外にいた朝鮮人もこれに応援して、ただちに裁判所西裏門から逃走したというよう状況であります。裁判官閉廷を宣して、ようやく被疑者法廷の出口から四人ともほぼ姿を隠して、外へ出て行つたと思うころに、裁判官身辺にいた朝鮮人が、引揚げろ、こう絶叫したので、傍聴人もがやがやと引揚げ行つたというのであります。なおその際に、法廷内から外部に向つてか、あるいは法廷内の傍聴人に対してであつたか、あれを投げるな、びんを投げるな、こういうことをしきりにどなつてつたのでありますが、これはおそらくこの被疑事実と同様に、あるいは火炎びんというようなものを用意していて、もし被疑者の脱走が思うように行かないならば、火炎びん、あるいはその他の武器を法廷内に投げ込んで、その混乱に乗じて奪還するというような計画があつたのではないかと考えられるのであります。  五月十三日における匂留理由開示法廷内外、前後の模様は、ただいま申し上げた通りであります。
  7. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 以上で参考人実情説明は終りましたので、次に最高裁判所岸刑事局長より、その後起りました同種事件説明を聴取いたしたいと存じます。岸盛一君。
  8. 岸盛一

    岸最高裁判所説明員 ただいま大阪、廣島両地方裁判所長から、廣島と堺市において起きましたこのたびの事件について、詳細御説明がありましたが、私から、やはり最近における同種類の事件の二つ、三つを御説明いたしたいと思います。  その一つは、つい最近の報告によつて承知いたしたのでありますが、五月九日に大分地方裁判所管内の臼杵という支部で起きた事件であります。その事件は、五月九日の公判期日に発生しました事件で、その事件被告人高橋某という人でありますが、その公訴事実は、被告人日雇い労務者として仕事についておつた。ところが、昭和二十七年二月十七日午後二時過ぎごろ、あるところの作業現場において、現場監督の坂本というものから作業上の注意を受けたことに端を発して、憤慨した結果、その坂本という人の顔や頭をげんこつでなぐりつけたという暴行被告事件であります。五月九日は、ちようどこの事件の第何回目かの公判期日に当りまして証人を二人尋問する予定になつてつたのであります。  まず午後十一時に開廷を宣して、当日の審理の順序の第一の証人である、この事件の被害者である坂本証人に対する証人尋問が開始されたのであります。その尋問は、検察官から尋問いたしておつたのでありまして、その検察官の尋問中に、当の被告人と、傍聴席におりましたある一名のものが、ときどき証人に対して、それは偽証だ、そんなふうでは現場監督の資格がないといつたような言葉を浴びせかけるので、その都度裁判官が、無断発言を禁ずるという注意を與えて、とにかく手続を進めておりました。そうしてこの主尋問と、それから弁護人側の反対尋問を終了して、正午十分過ぎごろ午前中の審理を終りまして、午後一時半にまた法廷が開かれたのであります。そこで特別弁護人としてついておりました富岡特別弁護人の反対尋問中に、先ほど傍聴人が、ときどきその特別弁護人に対して、そこをつけつけといつたよう発言傍聴席からいたしておつたそうであります。次いでこの被告人自身の反対尋問に入りましたころ、被告人は証人のすぐかたわらに立つて、証人に対して威圧を加えておると認められるよう態度で尋問を続けるので、裁判官はそれを制止して、被告人に着席のまま発言させることとし、それと同時に、証人にもいすを與えて尋問の手続を進めたのであります。被告人の反対尋問中に、被告人や、それから先ほどの傍聴人から、証人に対して、うそを言うなといつたよう発言がありましたので、もちろんさよう発言はその都度禁止いたしておつたのであります。また被告人の証人に対する尋問が、いつも長い自分意見をまじえた方法でなされるので、証人がどういう尋問の内容であるか理解しかねておりますと、先ほどの傍聴人が証人に対して、何とか言わぬかといつたようなことを申し、裁判官被告人の尋問のしかたがまずいので、その尋問内容を要約して証人に告げてやると、いらぬことをするなといつたよう発言をしますので、裁判官はその都度傍聴人に対して、無断に発言するときは退廷を命ずる旨を警告して、どうやら被告人の反対尋問も大した波瀾を生ぜずに終つたのでありますが、被告人の反対尋問終了後に、その特別弁護人からの補充尋問中、検察官から、重複尋問であるからこれを制限してもらいたいという申立てがありましたところ、先ほどの傍聴人が、いらぬことを言うなと発言し、たびたび発言しますので、傍聴人に対しては再三発言を禁ずる旨を命じ、また検察官に対しても、検察官が、発言をする際は裁判官の許可を受けられたいということを忠告いたしたのであります。すると、先ほどの発言を禁止された傍聴人がなおも執拗に発言を続けますので、遂にその傍聴人に対して退廷命令を発したのであります。そこで廷吏二名がただちにその傍聴人のかたわらに行きまして退廷を促したのでありますが、同人はいすを持つて動かず、そのそばにいた他の一人の傍聴人廷吏の行動を阻止しようとしましたので、このままの状態を継続することは退廷命令の執行に支障を来すと考えられたので、十五分間休廷を宣したそうであります。そこで廷吏二名をもつては爾後の開廷中、退廷命令かあつた場合に、その執行並びに法廷秩序維持に手不足であると考えられましたので、十五分間の休廷中に、裁判所法第七十一条の二によりまして、裁判官は臼杵市警察署長警察官三名の派遣方を要求して、休廷後の開廷にはその警察官五名を入廷させて、かつさきに退廷命令を受けた傍聴人に対しては、職員二名と廷吏をもつてその入廷を拒否してその際同人との間に法廷入口付近で小ぜり合いが起つたそうであります。次いで午後の開廷を宣するやいなや、被告人と特別弁護人は罵声を放つて警察官に向つて退廷要求しかつ裁判官に対しても警察官退廷要求しておりましたが、このとき、さきに退廷命令を受けた傍聴人のかたわらにいて、その傍聴人に対する退廷命令の執行を妨げておつたところの傍聴人一名が立ち上つて被告人と特別弁護人に相呼応して、裁判長は横暴だ、一方的裁判だとどなり散らすので、逐にその者に対しても、二人目の退廷命令を発したのであります。警察官の三名と廷吏二名は、その傍聴人のかたわらに行つて退廷を促しましたが、その傍聴人もいすを持つて離れようとせず、被告人及び特別弁護人は、警察官及び廷吏とその傍聴人との間に立ちふさがつて退廷命令の執行を阻止しようとしておりましたので、五名の警官のうち一名に対して、被告人を着席せしめるように命じて、その警察官がその命令を執行しようとしましたが、被告人はがんとしてこれに従わず、一方法廷の人口の外からは、最初に退廷命令を受けた傍聴人が再び入廷しようとして、入口警備中の職員三名と小ぜり合いをしていて、混乱を生じておりましたので、さらにもう三名の警察官の派遣を要求して、その警察官が到着すると間もなくまた別の一人の傍聴人が、その警察官に対して、お前は何ゆえ来たのか、おれたちの税金で飯を食つているではないかなどとどなつておりましたので、その傍聴人に対して、三人目の退廷命令を発し、かようにして約四十分の後二人の傍聴人を廷外に退廷々命ずることができ、一時平静に帰しということであります。  この裁判官は、このよう状態に入つた際には、最初とつたよう休廷を宣して全員を退廷させて、退廷命令を受けた傍聴人の入廷を制止する方法をとろうかとも考えたそうでありまするが、休廷後の再開廷間もないことであり、裁判官休廷々々を続けて審理を中断することは妥当でないと考えて、一時の混乱を賭しても退廷命令を断固執行すべきであると考えてこのような処置をとつたということであります。  かようにして平静に帰した後、特別弁護人に対し、証人に対する補充尋問の続行を命じましたが、同弁護八は、警察官と検事の退廷を求めて、これが実行されなければ、尋問したいことはあるが、尋問しないと述べましたので、裁判官は、弁護人に対し、與えられた尋問の機会に尋問しなければ、尋問を放棄したものと認めるということを告げたのであります。時に四時四十分ごろであつて、その日二人の証人を調べるはずのところが、証人一人しか調べることができなかつたということであります。     〔委員長退席、田嶋(好)委員長代理着席〕  この事件について、これは新聞記事が報道しておるところでありまするが、この裁判官の感想として、かようなことを申しております。退廷命令を出しても、これが実行されずに、うやむやになるといろのでは意味をなさない。自分はこの種の事件もかなり多く扱つて來たが、きようようなひどいことはなかつた。きようの場合は、まつた法廷が暴力化していた感じがした。警察の方も、けが人を出してはならぬと思つていた点もあるかもしれぬが、もう少し命令の執行を強行してくれたら、こんな騒わぎにならず、公判は続行できたと思うといつたような感想を漏らしております。  これが、ごく最近の五月九日に大分地方裁判所の臼杵支部で起つた事件であります。  少しさかのぼりますが、今年の三月二十五日に、津の地方裁判所の第一回公判期日に、次のような事実が起つております。この事件は、中村某外二十八名に対する住居侵入、損壊、公務執行妨害、傷害等被告事件、いわゆる松阪職業安定所事件といわれておるものであります。  同日午前十時に、約二百名の男女が、赤旗を先頭に行進して来まして、裁判所前に集合し、二、三のリーダー格の者が、傍聴券は八十枚だということだが、それだけでは絶対承知できないから、あくまで闘争しよう、あるいは法廷戦術をとろうというようなことを絶叫して気勢をあげておりました。約十分後、法廷入口傍聴券交付所に押し寄せて、そこで係員が被告人の名を呼び上げ、また傍聴人へは傍聴券を交付しようとしましたところ、全部入廷させろ、傍聴を制限するわけはない、公開の原則に反するなどと口々に叫び立てて、はては係員の持つ傍聴券を引きさくやら、その係員を群衆の中に拉致するやら、立入り禁止のため設けた柵を破るやら、またこれを阻止しようとする係員の目がねを割り、窓ガラスを破る等の乱暴に出て、被告人の入廷を促しても、この大衆全部に傍聴させなければ入廷しない。応援にかけつけた警察官に向つて、こんなところへ来ないで、どろぼうでもつかまえて来いというふうなことを口々に叫んで、はては入口つてワツシヨワツシヨの掛声で押し寄せるありさまであつたそうでさります。裁判長と弁護人との話合いの結果、傍聴券をもう十枚増発して九十枚とするが、被告人はすみやかに入廷すること、もし入廷しないときは保釈を取消す事態が生ずるかもわからないということになる旨被告人らに伝えられました。被告人たちは、われわれはたとい保釈が取消しになつても皆と一緒に闘う。とにかくわれわれはこれから法廷に入るが、傍聴人の件についてはあくまでも闘うと言つて被告人ら全部入廷いたしました。ところが、すでに傍聴券所持者を入廷させておりましたところ、群衆は法廷入口から法廷廊下になだれ込み、係員の制止、整理を聞かず、まず傍聴券を所持しない者が暴力をもつて法廷内に押し入り、法廷内は傍聴券の所持者が三分の一、所持しない者が三分の二となり、立錐の余地なく、一旦入口を閉じた後も、職員の制止を聞かずに法廷内外呼応して強引に入口を引開け、わつと喚声をあげてなだれ込み、まつたくすし詰め状態となつて法廷のドアを閉ざしましたところが、入廷できなかつた四、五十名のうち、計画的に後退していた傍聴券所持者が現われて、傍聴券の所持者をなぜ入れないのか、当然の権利だ、入れろなどと、係員、警官に入廷を要求し、また法廷から用便と称して出て来た被告人がこれを扇動していたということであります。その後法廷の窓が開放されますと、法廷外におるものはこれにすずなりになつて廷吏が窓を締めると、法廷内外から明けろ明けろと叫びたてて、相当の喧噪状態になりました。裁判長から法廷外の者に対して退去の命令を発し、警官をして退去せしめましたが、裁判長が派遣警官警察に返すや、またまた窓付近に集合して、廷内に叫び立てる状況でありました。一方法廷入口では十数名の者が執拗に入廷を要求しましたが、裁判所職員はこれを制止して入廷させなかつたのであります。  審理にあたつては、被告人らは、警官裁判所から退去せしめること、傍聴人をもつと入れることを要求して、傍聴人被告人がこれに呼応してやじる者がありました。その後は人定尋問起訴状朗読があり、被告人らは検事に釈明を要求し、検事は立証段階において釈明する旨を述べて、裁判長も訴訟を進行しようとしましたところ、裁判が不公平だ、検事はなぜもみ消すかなどと口々に叫び立てて、喧噪をきわめましたが、弁護への申出によつてその日はそれで閉廷いたしたということであります。その日は裁判所では傍聴人整理のために設けた柵が破壊され、廊下の窓ガラスが五枚ほど破壊され、また法廷入口の引戸の一枚の腰板が破壊され、廷吏のめがねが破損したそうであります。なお同日裁判所構内に、公判に押しかけようという題のビラをまいた者があつたということであります。これがこの三月に津で起きた事件であります。  もう一つ四月の十四日に、静岡の地方裁判所で勾留理由開示期日に起きた事件説明いたします。  その当日、午前十時三十分開廷に際して、警備員が六、七名廷吏が二名法廷に入つておりました。まず裁判官が入廷して、傍聴人被疑者の順で入廷の順序をとつたところ、傍聴人は、傍聴券所持者の間に券を持つていない者を巧みにはさみ込んで、大勢の人の勢を利用して、入口から押込みの方法で入つた法廷のうち側で傍聴券整理の任にあたる警備員が、これを制止いたしましたが、すでに入廷した全傍聴人が、総立ちとなつて警備員を罵倒して、その制止を妨害する挙に出で、その制止を押し切つて強引に数名が不正に入廷しましたので、警備員をさらに増加配置いたしましたが、入廷の傍聴人は完全なかたまりとなつて、四、五名の指導者に統率され、法廷外から腕力を振つて押し込んで来る、傍聴券を持つていない者を阻止している警備員の背後に立ちまわつてえり首をつかまえ、また不正侵入者を引入れる等の挙に出で、傍聴席にもぐり込んでしまい、警備員が不正入廷者の退廷を求めますと、傍聴人は口々に、公開の法廷だ、何が傍聴券だ、だれが来てもよい、などとどなり散らし、警備員の措置を罵倒妨害し、またいち早くその隣の者が、袖の下から自己の傍聴券を、券を持つていない者に渡し、不正入廷者は傍聴券があればいいだろう、とこれを提示をするといつたぐあいで、傍聴人の入廷に約一時間近い時間を要し、混乱を生じたのであります。裁判官はその際再々にわたつて不正に入廷する者の退廷を命じましたが、そのよう状況のもとでは、傍聴券を所持する者と所持しない者との判別が困難となり、その命令執行は不能の状況でありました。最後になりまして、定員六十名以上が入廷している場合は閉廷し、全員退廷させる、その上にあらためて傍聴券所持者の入廷を許すという命令を出した。その人員を調査しましたところ、約十五名の不正入廷者があつたのであります。その調査に際しても、いろいろそれを妨害する行為があつたそうであります。そこで全員退廷の命令を出しましたが、傍聴人は口々に先ほど申しましたような暴言を吐き、かたまりになつて退廷に応じない気勢を示し、法廷内は騒然となりましたので、裁判官廷吏、刑務官十二名、それから警備員十五人と、この多数の傍聴者、つまり朝鮮人傍聴者ですが、この七十五名との力の均衡を考えて、実力行使に出た場合には一層の混乱に陷ることを考慮して、そのまま開廷いたしました。勾留理由開示及び被疑者、請求者の意見陳述は比較的平穏に行われましたが、被疑者、請求者の意見陳述は各十分間の制限に、再三の制止にかかわらず従わなかつたので、やむなく意見中途の零時十五分に閉廷を宣し、被疑者傍聴人退廷を命じましたところ、被疑者、請求者、傍聴人は一丸となつて口々に続行を求め、総立ちとなつて閉廷が不当であると怒号罵倒して、数名の傍聴人は木柵を乗り越えて被疑者の席になだれ込み、被疑者退廷を執行しようとする刑務官を突き倒し、刑務官を床の上に転倒させる等の行為に出て、傍聴人被疑者を取囲んで混乱に立ち至つたの裁判官は待機警官四十名、警備員三十名を訟廷課長指揮のもとに入廷させて被疑者を救い出し、傍聴人の強制退廷をさせる等の処置をとりましたが、法廷の構造等の関係から警察官警備員の活動は行動の自由を十分発揮されずに裁判官席、被疑者席になだれ込み、傍聴人とこれを阻止せんとする警察官及び警備員が正面から対立して、この退廷命令の執行に際し警備員の森下雇ほか数名は傍聴人によつて殴打され、またはけられ、あるいは突き飛ばされ、倒され、また洋服をつかまれて引ずられる等の暴行を受け、警備警察官が警棒一本を奪われたほか、腕時計を壊される者や腕に傷を受けた者等も出たということであります。この混乱は口や筆には盡すことができないということであります。この混乱は約十五分くらいで済みまして、漸次法廷は静かになり、最初の命令通りようやく傍聴人退廷させて閉廷することができたということであります。かような次第でありまして…。
  9. 田嶋好文

    田嶋(好)委員長代理 岸さんに御注意しますが、説明はなるべく簡単に……。
  10. 岸盛一

    岸最高裁判所説明員 これで終ります。かような事例は——たまたま本日ここで説明申し上げましたのはごく一部でありまして、最近平和条約の発効前後にかけてかよう法廷内における暴力ざたまでに発展する事例は、全国の裁判所の随所に行われております。もともとものものしき警戒のもと裁判をするということは、およそ民主的な裁判にふさわしきものではありません。しかしながら、事情はただいま申し上げた通りでありまして、このよう状態でありますならば、今後の裁判所警備あるいは法廷秩序についてとくと再検討いたさなければならないことが痛感されるのであります。またかよう法廷闘争のために裁判所の機能は阻害され、能率が著しく低下しておるということも考えなければならない、さように考える次第であります。
  11. 田嶋好文

    田嶋(好)委員長代理 これにて最高裁判所当局説明は終りました。質疑の通告がありますからこれを順次許可いたします。鍛冶良作君。
  12. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私ちよつと遅れて参りましたので、最初の大阪報告はよくわかりませんが、広島の方を二、三点お聞きしたいと思います。  第一に、法廷の始まらぬ前にもうすでに不穏な状況が見えておつたということは、裁判官室へ押し寄せて、他の裁判官までもこれに対して憂慮して、いろいろさしずせられたというところから見ても、明らかなところでありますが、さようであつたならば、この法廷を開くときにはよほど注意して開かるべきものだと思いますか、この点はどのような御注意をなさつたか。それからもう一つ、傍聴人の整理などは考えられたのか、考えられなかつたのか、それをお聞きしたいと思います。
  13. 藤山富一

    藤山参考人 御質問の通り法廷外において不穏な形勢は見えたのでありまするが、当該の裁判官自身は、傍聴の制限とかあるいは禁止とかいうような、そういう手段によらないで、平静に終了し得る、こういうふうに裁判官自身が考えたのであります。そこではかの裁判官が、経験からといいますか、こういうところを考慮しておかなければいかぬぞと注意したのでありますが、従来広島の法廷では、私は昨年末着任したのでありますが、傍聴の禁止とかあるいは制限とかいうことはあまりやつていない。そうしてそれでどうやら従来事もなく済まして来た。そういう前例もありますので、当該の係裁判官は、これもやつて行けるといろ期待を持つていたというので、先刻申し上げましたように、特に傍聴の制限もせず、また現実、裁判官が入ればすぐ静粛になつたという状況で必ずや平静裡に終了し得ると考えていたのでありますが、俄然終了と同時にあのごとき事態になつた、こういう経過であります。
  14. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこでその法廷は、百五十人以上も入るというから相当大きな法廷だと思いますが、いわゆる立錐の余地ないほどでありましたか、それともそれほどでもありませんでしたか。
  15. 藤山富一

    藤山参考人 この法廷は私の方の二号法廷であります。従前この法廷は高等裁判所が使う法廷であつたのでありますが、広島の地方裁判所にはこういう事件を扱うに適当な法廷がありません。非常に粗末な、しかも外部との連絡、また外部への脱出というようなことも非常に楽にできたまずい法廷ばかりで、当日も被疑者の側の方では、従前通り一号法廷でやつてもらいたいという希望もあつたのでありますが、警備というようなことを考えて、特に高等裁判所の常用する法廷を借りて、二号法廷でやつたのであります。そこでこの法廷は、いすに腰をかけてすわると約百名、そこへ二百名くらい入つたのでありますから、相当多数の人が立つてつたよう状況であります。
  16. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで開廷前に、法廷内では相当不穏な情勢があつたかなかつたか。ことに私の聞いておるところでは、赤旗並びに北鮮旗を数旋持つて法廷内でこれを立てておつた、そういう状況であつたというのですが、それらの事実はあつたか、また不穏な形勢がなかつたか、そこを聞きたいと思います。
  17. 藤山富一

    藤山参考人 裁判官が入廷する前に、かなり騒々しかつた。というのは、最初裁判官看守長と相談して、同時に入廷するということを約束して、打合せておつたのであります。ところが先刻申し上げましたように、朝鮮人代表者との交渉がひまどつたので、数分間遅れたのです。看守被疑者を連れて入るよりも、裁判官の入るのが二、三分遅れた。その間に被疑者並び傍聴人たちが、先刻申し上げました手錠をはずせ、釈放しろというようなことを要求し、それに傍聴人拍手をする、声援をするということで騒騒しかつた。そこへ裁判官が入つて来るやいなや、代表者でもないのでしようが、ある朝鮮人が、裁判官がおいでだ、静かにしろというようなことで、静まつた、こういうよう状況であります。
  18. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこでそういうときに、開廷したときに、法廷内における監視と申しますか、この配備はどのように実際にはやつておいでになりましたか。
  19. 藤山富一

    藤山参考人 法廷内の警備というものは、普通はまず被疑者を連れて来る看守は一対一が普通でありますが、このときは多少幹部も不穏な情勢が勃発しやしないかということを考えて、被疑者五名に対して看守が十一名入つてつた、それと私の方の廷吏でありますが、そにへ警察官が、先刻申し上げました法廷に近いとにろの判事室で待つてつたというので、法廷内の警備ないし同町の状況というのは、先ほど申し上げた通りであります。
  20. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 聞くところによりますると、これは入口は一箇所だということですが、一箇所ばもう朝鮮人で出入りを固め、外から中までも全部朝鮮人が両側におる、窓はしつかり締めて、各窓々に朝鮮人が出入りのできないように監視しておつた、こういう事実を聞いておるのでありますが、かようなことは、あつたのですかなかつたのですか。
  21. 藤山富一

    藤山参考人 この法廷の出入口は五箇所あつたと思うのでありますが、法廷の法壇——裁判官の入廷する法壇のまうしろが裁判官の出入口、右側が検察官の出入口、左側が弁護人の出入口、それに相和する正面に二つ出入口がありまして、これは傍聴人の出入口、但しその裁判官から向つて右の方の傍聴人入口が常に閉鎖してありまして、左の方の一箇所から出入りする。最初裁判官が入廷するときには、裁判官入口付近に十数名の朝鮮人がいた。それから正面の傍聴人の出入口付近には相当たくさんいた。のみならずこの通路の廊下が非常に狭くて、裁判所職員が警戒かたがたこの付近に行こうとしたのでありますが、ほとんど傍聴人で一ぱいで、廊下が非常に狭いのと出入口が一箇所なのとで身動きできぬほどでした。それから窓でありますがこの窓は先刻申しましたよう裁判官記録廷吏に渡して、廷吏がそれを持つて朝鮮人傍聴者たちに足や腰をつかまれながら外に出た。それは窓から出たのであります。この窓はそのとき開いておつたのであります。周囲の窓を閉鎖した、特に窓について彼らが自分の勢力をそこに置いておつたということは、ことさらにはないのではないかと思います。
  22. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 われわれとして聞きただしておきたい点は、ちようどここで言えばここが被告人席になり、そこが裁判長の席、ここにさくがあつて、相当離れて傍聴人のいすがあるのだそうですが、それが開廷するようになつたら、傍聴人のいすを柵のところへ持つて来て、被告人に手が届くようにこさえておつた。それからさらに裁判官の横に傍聴人が立つており、被告人の両わきにも傍聴人が立つてつた。手を伸ばせばすぐつかまえられるように、前もつてできておりた。おまけに先ほどお聞きしておりますと水をやつたと言つたが、水ぐらいではない、メモをやりとりしておつた、こういうことを聞いておりますが、そのような事実はございますか。
  23. 藤山富一

    藤山参考人 柵はお尋ねの通り被告人傍聴者との間に一間半か二間半くらいの距離に、被告人のうしろに柵があるのであります。ところがそれが今お尋ねのように、この騒動後に見ますると、確かに被告人の方に寄つております。しかしそれは最初から寄せてあつたか、あるいは傍聴者がどつと殺到した際に柵が寄つて行つたか、そこのところははつきりいたしておりません。それから裁判官の横の方に傍聴人である朝鮮人がいたのじやないか、これは確かに裁判官退廷ようとしてうしろを振り向くと、すでに裁判官が出入りするとびらは朝鮮人がふさいでいた。そこで出入りができないから、検察官の出入口である右側の出入口に行こうとしたら、朝鮮人裁判官の法服をつかまえ、足もつかむというようなことになつたわけであります。
  24. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 立つておるばかりでなく、メモのやりとりをしたというのですがどうです。しかも聞くところによると、そのメモはどこそこに自転車が置いてある、どこそこに着がえがあるというふうに朝鮮語でやつてつたといううわさがあるのですか、これはいかがです。
  25. 藤山富一

    藤山参考人 メモのことは私はまだ詳細に聞いておりませんが、そういう事実が、メモというか、とにかく朝鮮人被疑者傍聴者の間に随時接近する様子があるから、その都度裁判官はそれを制止していた、こういうことであります。
  26. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それからいよいよ閉廷ようとすると同時に被告を奪取した。さくを越えればすぐ手が届くから。そのときに周囲におつた者が全部裁判官を出さぬことにして、相当時間押さえておつた。そこで被害がいよいよ門外へ出たということがわかつてから、そこで初めて裁判官を出した、こういうことですが、これも事実でありますか。
  27. 藤山富一

    藤山参考人 大体その通りでございます。意見陳述終つて裁判官退廷ようとしてうしろを向くと同時に騒ぎ出したのでありますが、そのときに二百名が被疑者周囲に殺到した。なお裁判官あるいは検察官にも、たしか裁判官を逃がすなというふうな声もかかつてつたそうで、とにかく裁判官を外へは出さないという計画だつたには違いないのであります。そうしてお言葉の通りに首尾よく奪取すると同時に引揚げてしまつたということであります。
  28. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これは裁判官が平穏にやれるという判断のもとにやられたというならば、われわれ責めるわけに行きませんが、判事補といわれるが、この人は判事の経験は何年ぐらいある人でありますか。
  29. 藤山富一

    藤山参考人 これは判事補に任命されて約一年中であります。そういう若い判事補にそういう事件を担当させるのはいかがか、こういう懸念があると思うのでありますが、これは裁判官会議事件の分担をきめまする際に、勾留状を発行した裁判官が必ず勾留理由開示をやるというのではなくして、事件分担になつておりますのでそれに従つたのであります。
  30. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これはかような騒々しい事件になりますと、他の裁判官からもいろいろ御注意があつたというのですが、所長みずからもそれらの点はこらんになるものですか。別にそういうことはございませんか。
  31. 藤山富一

    藤山参考人 所長もむろん見るのでありますが、ただ所長はどこからの連絡も受けられるように、所長室を動かないで采配をするという方針になつております。
  32. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 われわれとしても、あとで岸さんからも聞こうと思いまするが、おそらく法廷で被告を奪取されたというようなことは、日本裁判史上始まつてないことだろうと思います。まことに不祥事中の不祥事でもありまするし、裁判の威信を傷つくることこれより大なるものはないと思いまするが、今後かようなことがあつてはこれは一大事であります。従いまして、今後かようなことの起るであろうという想像もつきまするから、今後はかようなことをどうして防ぎ得るとお思いになつておるかを承りたいと思います。
  33. 藤山富一

    藤山参考人 御説の通りで、私も実に遺憾に考えております。これが対策につきましては、私はちようど所長会議のために十六日に出発して上京しましたので、その日に警察、刑務所、検察庁と今後の対策につきまして合同協議をするということになつておりましたので、相当な協議事項が出ておると考えるのでありますが、私自身が考えますれば、まずむろん法廷内外における警備状態を万全たらしめ、警察官の応援を受けるまでに裁判所自体でも指揮とか連絡とかいうことについて、もつと自衛的な態勢を整えなければならないのじやないか、こういうことも考えております。また庁内ないし法廷から外部連絡し得る、あるいは非常ベルとかあるいは拡声機とかいうものの設置がいるのじやないか、さらに情報収集ということについても考慮されなければならない、また法廷の構造ないし法廷に通する廊下の改造というようなことも考えなければならぬと思うのでありますが、しかし今度のこの事件が起つて考えてみますると、法廷のあの騒乱の間に、被告人が脱走したということを防ぐために、あるいは門から構内に入るときに、すでに彼らを制止すべきだつたというようなこともあるであろう、というふうなことも、措置としてとらるべきであるということも考えられると思うのでありますが、しかし要は、あの人たちが暴力に訴えるという計画的なものであるとするならば、裁判所が、裁判所職員でこれを防ごうというのは、とうてい不可能なのでありまして、今度の事件でも、法廷で脱走するのは実に遺憾しごくでありますが、あれがもしその事前に、法廷に入るとき、あるいは門に入るときに、何らかの措置を講ずべきだといつたら、そのときにやはりこれと同じよう状況ができたのではないか。被告人の奪還ということは別でありますが、彼らとの間の騒乱といいますか、衝突というものは必ず起る。そのためには、あれに対抗すべき武装といいますか、極端に言えば武装でありまするが、十分な警備態勢を整える以外にはない、こういうぐあいに考えております。これは私個人が考えたのでありまして、検察庁あるいは刑務所との協議の結果はまだ聞いておりません。
  34. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 若い裁判官の判断でいいと見られたという事柄は、やむを得ぬとはいいながら少しく甘く見たといわざるを得ぬように思います。そこで私は岸刑事局長に承りたいのですが、先ほど来の御報告にありましたごとき裁判所における騒擾自身もまことに遺憾しごくなことでありますが、その上被告人法廷から奪取されたというようなことは、私は事例がないと思いまするが、かような事例は今までありましたか、どらですか。
  35. 岸盛一

    岸最高裁判所説明員 私もそういう裁判所内からの奪取という事例は聞いておりません。
  36. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これに関して最高裁判所において、これらを防止するについては、どのようなことをすればよいかということを研究なさつておられるか、研究しておられるならば、いかなる結論が出ておるか、また研究過程においても考えておられる点があるならば、この際承つておきたいと思います。
  37. 岸盛一

    岸最高裁判所説明員 いわゆる法廷闘争につきましては、終戦後の特殊な現象で、また日本における法廷闘争のようなできごとは、おそらく世界に例がないと思うのです。それで裁判所の方といたしましても、ここ数年来、機会あるごとに刑事裁判官会同、所長合同の席上で、いかにして法廷の秩序を維持すべきかということを真剣に考えて来ておるわけであります。しかし何分にも裁判所というところは、職員が鉄かぶとをかぶり、警棒を握つて民衆と対するところではないのでありまして、裁判所警備ということにはおのずから限界があろうと思います。勢い警察官警備を依頼するという以外にはないのでありまして、そのために、先年裁判所法七十一条の二というよう裁判所法の改正をお願いいたしたわけであります。しかし最近の事情は、当該裁判官法廷のやり方がうまいとか下手とか、そういうことにかかわりなく、集団的暴力行為が起るのでありまして、これは裁判所だけの力をもつてしてはとうてい防ぎ得ないことで、先ほど広島の所長からもお話がありすしたが、あとになつて、あのときこういう態勢を整えておけばよかつたということは、なるほどあとになつて考えられますが、しかしそれはまた広島の事件なんかも、最初から裁判所の門を固めて警官と対峙したとしましたならば、はたしてまたどんな事態が起つていたか、予想できないのであります。先年長野地方裁判所の門前において、警察官とデモ隊とが乱闘して、警察官が死亡したという事例すらあるのであります。しかし問題は、裁判所というものを国民がどう考えるかということ、そのことが一番大切なことではなかろうかと思います。どんな理由があるにしても、法廷内で暴力を行使するということは正当化することはできない。法廷は法の定める手続従つて公正に事の黒白をきめるところである。そうして民主的な裁判制度は、被告人の人権を尊重して公平な裁判を受ける権利を保障しておる。またその審判は一般にも公開されることを担保しておるわけであります。     〔田嶋(好)委員長代理退席、委員長着席〕  法廷では法と秩序の支配のもとに、すべての法律上の争いが公平に平和的に解決される、それによつて国民の自由と権利というものが擁護され、法秩序が維持されて行くのである。裁判所が民主政治の一つの重要な支柱であるというのもそのためである。そういう考え方にもつと徹する必要があると思うのであります。先ほども申しましたようにものものしい警戒裡の法廷はおよそ民主的な裁判にはふさわしくないのであります。裁判官もまたものものしい警戒のもとに裁判を開くということは好むところではないのであります。これまで裁判所はたまたま警備の必要に迫られたときでも最小限度の処置しかとつておりません。それがそのときどきの事情によつて情勢判断を誤つて、とんでもない苦杯をなめたということもあるのであります。しかしこのたびのような前代未聞のことが起りました以上、また今後どういうことになるかもわかりません。今後は裁判所警備——警備と申しますのは警察官との連絡ですが、事態の危険は事情が迫つたということを裁判所が認めて、警察連絡しましても、応援の警察官裁判所に到着するのに非常に時間がかかることがままありまして、これは警察の方に言わせますと、パトロール制度がしかれてからそのようになつた、ことに広島あたりは聞くところによりますと、本署には警察官の予備の人員はおらずに、各派出所に配置されておる、そういうのをかり集めて来るということでは、どうしても手遅れになるわけであります。そういう点の警察との連絡ということを今後一層緊密にする。それから法廷の構造等がこういう事案に対しては、ことに戦後のバラツクの小さい法廷ではとうてい適当でないのでありまして、そういう点も早急に改めなければならない、さように考えております。
  38. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 岸局長の御説明を聞いておると、まことにどうも学校の子供が修身を習つておるようであります。まことにおとなしくしておつてさえくれれば国は平穏で、法を守つてさえくれればかようなことは起らぬ、かようなことを起すのはどういうものが起すとあなた方は思つておるのですか。日本の法を破ることを目的とするものが起しておる。平静な秩序をぶちこわすことを目的としておるものがやる。(「おれの方を指さして何を言う」と呼ぶ者あり)法を守ればこういうことは起らない。(発言する者多し)こういうことでさえやじる連中がおる。相手は不逞のやからなんです。その点を甘く考えておられるのだからこういうことが起るのです。これは議論をしてもしようがないが、さような甘い考えをもつてこれから裁判をやられてはたいへんですぞ。もう一ぺん十分研究の結果本委員会報告していただきたい。私はあなたの今の説明でこの事態が収拾できるとは絶対に思いません。これ以上私はあなたと議論してもしようがない。もう少し真劍に考えていただきたい。私はこの程度でやめておきます。
  39. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 押谷富三君。
  40. 押谷富三

    ○押谷委員 私は小原参考人にお尋ねしたいと思うのでありますが、ごく簡單に一、二点お尋ねいたします。  先ほどの御意見の中に、堺の裁判所は、近くに市役所がありますので、その市役所に集まる自由労働者が仕事にあぶれたときに傍聴に来る、毎日百人、二百人という大勢の自由労働者が、裁判所傍聴に来るというお話でありますが、毎日さように来るのですか。
  41. 小原仲

    小原参考人 毎日参つておりますが、毎日百人、二百人と来るということは、確かに調べておりませんが、ときとぎ私が堺へ参りましても、たくさんあちこちにおりますし、また広場の所におるのを見受けまして、聞いてみると、常にほかの裁判所よりは傍聴者が多いということであります。そうしてその際目につきましたからただしてみると、今の自由労働者たちが来ておる、こういうことであります。
  42. 押谷富三

    ○押谷委員 そこで当日乱暴を働きました傍聴者でありますが、その当日裁判所構内あるいは構外において乱暴をした傍聴人は、やほり平日傍聴に来るよう自由労働者の集まりだとお考えになつておりますか。それともまたほかに違つた性格を持つている傍聴人であつたと思いになりますか。その点の調査がありましたら、お聞かせ願いたいと思います。
  43. 小原仲

    小原参考人 その点につきましては、私東京へ参ります前に十分調査を命じて来て、あとまだ調査中であるはずでありますが、どういう種類の者が多かりたか、どういう割合であつたかということは、正確な報告はまだ受けておりません。その際に新聞にも出ておりました通り被告人の部落の者、部落といつて朝鮮人ではありませんが、ここからも相当の人数が来ておつたということも聞きました。また市内の者、ふだん見ないような者もまじつてつたようにも聞いております。その正確なことはまだ調査中で、報告を受けておりませんので、お答えいたしかねます。
  44. 押谷富三

    ○押谷委員 私の聞いているところも、被告と同じ部落の住民が大勢押し寄せて来たと聞いておるのでありますが、その裁判所に来たときに、赤旗を持つて大勢寄つて来た、こういうようなことを聞いているのですが、旗などを持ち出した事実があるかどうか、その点をお聞きいたします。
  45. 小原仲

    小原参考人 私は、まだ赤旗のことについては報告を受けておりません。が、法廷で赤旗をどうかしたというようなことは、私まつたく聞いてもおらぬし、私の想像としては、そういうことは頭に持つておりませんが、事実調べてみないとわかりませんけれども、多分そういうことはなかつたのではないかと私は考えております。
  46. 押谷富三

    ○押谷委員 赤旗の点は新聞に報道されておつたので、私は承知したのでありますが、その点も御調査を願いたいと思います。同時に、この傍聴人がかような乱暴をいたしましたのは、常日ごろ自由労働者裁判所傍聴に来るという、その人たちとは傍聴に来る意図もまつたく違つておるし、従つてその集まつた人たちの性格も、もちろん違つているように考えられるのでありますが、今御調査に相なつた程度において、裁判所に集まる前後において、あるいはこの乱暴をする直前、その事前において、こういうことの一つの計画がなされ、あるいは指示がなされておつたというような事実は、御調査に相なつておりませんか。
  47. 小原仲

    小原参考人 その点につきましても、まだここで正確に御報告を申し上げるほどのものは受けておりませんし、調査中であります。ただ聞くところによりますと、その法廷の開かれた朝、市役所の前に自由労働者が集まつている所で、ある一人の人が何か裁判所公判があることを話し、何と言いましたかそれはわかりませんが、公判の方へ押しかけることを使嗾するような言葉を漏らしておつたということを、だれか伝聞しておるように、さらに伝聞いたしました。それだけしか聞いておりませんから、それが事実であつたかどうか、これはまだ確定的にお答え申し上げかねます。
  48. 押谷富三

    ○押谷委員 当日の審理されました事件の性格から、一応その乱暴をした傍聴人の背後関係も想像ができるのでありますが、裁判所の方面におかれても、適当な方法によりまして、この堺事件の背後関係あるいはその計画性、特に当日傍聴に参りました、また乱暴をした人たちの集団の性格、かようなことを御調査を遂げられましたならば、適当なる機会に御報告をしていただきたいと思います。
  49. 小原仲

    小原参考人 ただいまのお申出了承いたしました。なお現地においては今後徹底的に調査をすると、警察並びに検察庁も申しておるそうでありますから、ある程度判明するだろうと思います。
  50. 加藤充

    ○加藤(充)委員 堺の支部事件では、犯罪行為の日時、起訴の日時はどんなものになつておりますか。
  51. 小原仲

    小原参考人 これは先ほど一番初めにも申し上げましたが、重ねてさらに申し上げますれば、犯罪行為は本年の二月十五日、起訴が三月二十七日。
  52. 加藤充

    ○加藤(充)委員 私も実は大阪で新聞を見まして、ちよつと調べてみたことがあるのですが、津田という男は村の青年団か何かの幹部ないし団長をやつておる男だというような事実は、所長何か御存じでしようか。
  53. 小原仲

    小原参考人 その点まで私は今調べておりません。
  54. 加藤充

    ○加藤(充)委員 先ほど所長の御報告の中にありました大正村の飛行場というのは、ちようど前の戦争時代に、ずいぶんあの辺一体の土地が広範囲に取上げられまして、大正村は、今は八尾市に編入されておるのですが、あるいは柏原に編入されておる東の方の村では、平均三反までも行つていないのじやないかと言われるほど耕作反別がドカ減りいたしまして、ために多年の先租代々の職業である農業をやめたり、あるいはよそに日雇いその他転職をして行かぎるを得ないというよう状態になつてつて、そして最近いわゆる講和の発効に伴つて、地元ではかねがね大正村の大正飛行場を何とか払い下げてもらいたいというような機運が強いものだという事実はどうでしようか。私がなぜこんなことを聞くかというと、よそから学校の先生か何かに引率され、あるいは小学校の生徒が数人連れだつて、あそこは大和川の流れているところで見晴しもいいし、遊ぶのにもいいので、出かけて行つたところが、追い帰された。その追い帰されるのも、女子供に銃劍をつきつけるというような形で追い帰されて、村に帰つた子供が、えらいこわかつた、おかあちやん、というような話をしていた。こういう問題なのでありまして、そのことがビラに書かれ、従つてその問題はかねがねだれか動員するとかいうようなことで自由労働者にひもをつけてひつぱつて来るというのではなしに、被告人になつておる津田という男が青年団長だつたりした関係で、あの辺では広い関心を持つた事件、こういう性格を社会的ないしは歴史的に持つた事件だと思うのです。その関係がはつきりしないと、何か赤旗をひつぱり出して来て、たくさんかき集めて来て、裁判所をおどかし上げたというようなことにだけなつては、私はまだ原因の把握が少し足りないような気がします。裁判所でもちろん必要以上の乱暴を働いたりいたしたことは、まあ別問題といたしましても、やはり事件の社会性、従つてそういう問題を取扱うための裁判所側の心構え、たとえばその事件の背景というものが先入主となつてはいけないので、最近刑事訴訟法上いろいろな制約がございましようけれども、そういうよう裁判所の頭と態度の持ち方というものも、やはり原因の一つの大きな部分を占めておるのではないかと思います。  そこで最後にお尋ねいたしますが、三百二十五号違反という事件ですが、これは虚偽の事実を書いたというのでしようか、虚偽であろうが真実であろうが、いわゆる破壊的批判だということで三百二十五号違反になつたのでしようか。裁判所側あたりでは文字通りそれに符合しなくても、それに近いような事実が大体あつたものというような御報告が上つておりましようか。
  55. 小原仲

    小原参考人 私はこの事件について直接当つておりませんので、証拠も見ておりませんし、審理もいたしておりません。従いましてその事件が、ただ公訴状として提出されたものがただいま述べた通りのものであるという事実しか申し上げることはできません
  56. 加藤充

    ○加藤(充)委員 広島の方の事件藤山さんにお尋ねいたしたいと思いますが、先ほどのお話の中に、狭い法廷でやるつもりのものであつたけれども、高裁の方の特別二号法廷を使用するようになつた。そのことは被疑者あるいは被疑者関係の方から申入れがあつて、高裁の二号法廷の方が使われるようになつたのでありましようか。
  57. 藤山富一

    藤山参考人 被疑者の方の申入れではありません。ただ先刻も申し上げましたように、裁判所の方で、一号法廷は一つには二階が会議室になつておりまして、たまたま当日は二階で会合がありまして、非常に下が騒がしいというのと、一つは先刻申し上げました一号法廷よりも二号法廷の方が大きかつたからであります。
  58. 加藤充

    ○加藤(充)委員 かねがね約七十名の警官、それから職員約二十名がこの対策のために配置されておつた、こういうことであります。結局被疑者を逃亡させたのか被疑者が逃亡したのか、その関係は私もつまびらかにいたしませんが、そういう際に何か警官ないし職員との間にいわゆる乱闘があつて、そのために双方に負傷者が出たという事案はないのでしようか。
  59. 藤山富一

    藤山参考人 そういう事実はまつたくございません。ただ先刻申し上げた廷吏記録を持ち出す際に、それをひりぱつたということでございます。
  60. 加藤充

    ○加藤(充)委員 私も現場はわかりませんが、警官武装警官でしよう。あるいは私服にいたしましても、ピストルを忍ばせておるのが最近の警官の実態でありますから、いずれにしても、鉄かぶとをかぶるということは除外いたしましても、武器を常用しておつた警官だと思われますが、この点はいかがでしようか。ついでだから確かめておきたいと思いますが、警備に不足があつて奪い取られてしまつた、逃げ出されてしまつたということでは、私はどうも納得いたしかねますので、もし警備に不足だというのであるならば、あれだけの人数と、それからピストル携帯の警官がおつて起きた事件は、軍に警備が不足だということではないのではないかと私は思う。     〔委員長退席、田嶋(好)委員長代理着席〕 警備が不足だというのであるならば、どこにそういう不足の場所があつたのか、あるいはどこに連絡等の事柄について欠陥があつたのか、いま少し具体的にお述べいただきたいと思うのであります。ついでだからもう一つお尋ねいたしますが、武装警官裁判所構内への派遣の要請あるいは警備態勢の要請というものを警官に求める場合は、当該の裁判長である判事あるいは裁判所長がやられるのだと了解しておりますが、この場合に、先ほどのお話ですと、何か騒ぎを聞いた判事が便宜的に好意的に電話をかけたというようなことがあつて、所長はお留守だつたようでありますけれども、所長留守のときには所長にかわる責任者、次席その他があるはずだと思うのです。その場合にかつてに、やたらにわあわあ騒ぎまわつてしまつて、結局これだけの配備した警官が役に立たなかつたということになつたのでは、その意図はいずれにいたしましても、少し秩序が裁判所側においてすでに乱れておつたのではないか、こういうふうに感じまするので、その点もあわせてひとつお知らせ願いたいと思います。
  61. 藤山富一

    藤山参考人 まず警官がいわゆる武装していたかという御質問でありますが、これは警備態勢につきますから、要するに警備態勢につくだけの身ごしらえはしてあつたと思います。それから警備が不足であつたかという御質問でございますが、不足と申しましても、要するに警備についていた警官は、大部分法廷の近所の判事室、ちよつと法廷構内の構造を申しますと、民事判事室法廷よりも東寄りにあるのであります。その判事室におつたのでありますが、その判事室におる警察官に対して御承知のよう法廷裁判官法廷指揮権を持つておりますけれども、法廷外は、私どもは高等裁判所地方裁判所が一緒におりますので庁舎の管理権を持つておる高等裁判所長官の指揮を受けなければならない。当日は今申しました二階で別の会合がありまして、その方に長官が行つておりましたために上席部長の伏見判事が指揮に当つてつたのであります。それでその伏見判事に急を告げて、伏見判事から警官出動を求めて警官が出たのでありますが、時すでに遅く、不足というのではなくて間に今わなかつたといろ状況であります。それから警察官を要請する場合の手続と申しますか、やり方であります。広島へは私昨年末着任したのでありますが、それ以前から例の裁判所法の規定による裁判所の直接警察官に対する派出の要求手続をとらないで検察庁に連結して、それで検察庁から警察連絡するというやり方でずつとやつて来たのであります。今度の場合もそれであります。それで判事がたまたま独断で警察官に云々ということは、検察庁警官の派出の連絡方を頼むとき、警察署も了承しておつたのでありますが、来方がおそいから判事がそれをさらに催促したという形であります。
  62. 加藤充

    ○加藤(充)委員 職員が三十人ほどおりまして、特別配備についておつて間に合わなかつたというのでしよう。しかもこの警官との間に乱闘も起きないですうつと出て行つてしまつたというのでは、どうもそこが何でそういうことになつたのか、いくら裁判所は広いといつても、またへいがどんなに破れたりといえども、囲いは多少ともあるのでしようし、どこからでも出入りできるということではないと思うのであります。結局職員三十名の配置を手配したときにはなぜ間に合わなくなつてしまつたのか、どうも私にはわかりません。その辺をいま少し明確にしていただきたいような気持が強いのですが、きようはこまかいことをお尋ねしてもいたし方ありませんから、最高裁の岸さんにお尋ねしようとと思うのです。やはり乱暴するということは好ましくないことでありまして、これに対する対策も必要だと思うのですが、そういうことが何のために起きて来るかというようなこと、これを明確にする必要があると思う。そうしないと対策だけのものになつてしまう。先ほどお話の一部にもあつたようですが、初めから裁判所構内に入れないで、そこで防ぎとめて、法廷はおとなしそうに思われる者だけ集めるということですが、おとなしいかおとなしくないかということを裁判官がおきめになつたり、警官がおきめになつたり、職員がおきめになつたりいたすと、これはどうも昔と違いまして、裁判官は天皇の裁判官じやございませんから、やはりそこに憲法的に行き過ぎが出て来るのではないか、そういう騒動が起きました場合の、法廷で問題になつた被疑事件の歴史的、社会的な性格とか性質とかいうものをはつきりさせておく必要があると思います。岸さんの先ほどの御答弁では、敗戦後特に目につくようになつて来た、同時にまた講和発効前後にこの種の問題が多くなつた、こう言われるのですが、とにかく占領法令、ポ勅というものが基礎になりまして、それに基いて各種のポ政令というものが出た。ボ勅そのものについても違憲論がやかましく、特に講和発効後においては、ポ勅に基礎を持つたこのポ政令というようなものは、憲法上あるいは理論上当然に失効さるべき筋合いのものであるとか、そういうやかましい論議は別にいたしましても、占領期間中の問題はそれが占領中であつたから犯罪視力され、取締りの対象になつた、講和が発効すれば当然帳消しになるのではないか、こういうふうな気持は日本人一般の間に強いのである。これは何も「アカハタ」が出て来たからそういうふうになつたのではないと思います。こういうふうなことと関連させて、戦争中の経済事犯、政治犯などについて反省してみますと、裁判所は法を適用するところである、あるいはその結果について判断をするところである、法廷というものは神聖なる場所であることは間違いないにいたしましても、戦争中裁判官があの毅然たる独立というよう態度でやつて来たかどうかということになつて来ると、私どもよそのことのように言つてたいへんあつかましいのですが、顔に汗する裁判官が一人もないだろうか、これは私ども自信が持てないのであります。私のいつも思いい出しますのは、いわゆる大津事件のときの児島裁判長のあの毅然たる護法の態度です。この問題については、あの当時日本の国家と民族が置かれておつた地位、それに伴う日本人の感情的なものが、やはりあの断固として法を守り抜いて行くという児島裁判長の考えの中に、二つ一体になつて顯現されたと思うのです。これは総合的に歴史的にながめてみなければむずかしい問題でございましようが、私はそう思うのであります。そういうような歴史的なながめ方をいたしますると、今の裁判官が法を解釈適用する、あるいは法廷はその裁判というものをするところだということだけの——押しつけといつては言葉が過ぎるかもしれませんが、そういうことについて内省的な批判が足りないことがこういうようなところにも現われている。先ほど鍛冶君は、法廷に初めから乱暴をする者がやつて来るのだから、そんなやり方じや治まりはつかぬのだということを——暴言だと思いますが、言いました。そこで小原さんは大阪ですし、ちようどいらつしやいますから、私はここで大阪の経験を申し上げてみたいと思う。あの何年か前に起つた……。
  63. 田嶋好文

    田嶋(好)委員長代理 加藤君に一言注意申し上げますが、あまり脱線しないように御質問を進めていただきます。
  64. 加藤充

    ○加藤(充)委員 いわゆる扶操金属の隠匿物資の摘発ということで、神戸地方裁判所で問題になりまして、日本で最初の黙秘権行便のいろは事件と報道された事件が起きたのです。神戸地方裁判所では、大野裁判長がお係であつたようでありますけれども、結局法廷のいきさつがまずくて、弁護人が出廷しない。弁護人は控室まで来ておつたけれども、法廷から案内があるだろうと思つてつてつたところが、被告人だけ出廷させて、弁護人の立会いなしの法廷のためいろいろなごたごたが起きて、全被告人退廷を命ぜられた。それが高裁になつてちようど大阪の高裁の万歳部長のところで審理されたのであります。そのときに私どもは初めて弁護八として法廷に出たのでありますが、このときには一つのごたごたもなしに非常に円満で、被告人達も、さすがは神戸と違う、万歳さんだというような心境で判決を受けることができた。これは脱線しないように注意されながら、多少脱線したと思いますが、やはりその原因をはつきり突き詰めることなしに対策ということだけに走りますと、これはとんでもないことに相なる。対策だけではこの原因を除去するわけには断じて行かないのである。むしろその波瀾と騒ぎを大きくすることに火をつけるような形にさえなりはしないかと思われるのであります。これは二十年ほどの弁護士の経験からそう感ぜられるのでありますが、やはり心服している人には、いい人にはいいのですから、そういうところにも原因があると思うのです。先ほどお尋ねしましたように、戰争後あるいは講和発効前後にこの種の事件が多くなつたというようなことを言われました岸さんに、そのことを最後にお尋ねいたしたいと思います。
  65. 岸盛一

    岸最高裁判所説明員 法廷の秩序が乱れる一つの原因は裁判官にあるのではないかというお尋ねのように伺つたのでありますが、その点については私は大いに異論を持つておるのであります。戰前戰後にかけての裁判官態度についていろいろお話がありましたが、御承知のように、戦前の裁判所というものは、いわゆる違憲判断権というものがなかつたのでありまして、国会のつくつた法律には忠実に従わなければならなかつたわけであります。もつとも命令については法律違反の判断をした例はちよいちよいありました。戦後になりまして、この点は裁判所の地位というものが非常に強化されまして、違憲判断の権能を持つようになりました。そして憲法上も高い地位を與えられて、民主政治の中心となるような重責を負託されたのでありますが、不幸なことには終戦直後占領下に置かれたのであります。この占領中は裁判官といえどもやはり最高司令官の命令で服さなければならなかつたことは、他の日本の国家機関とまつたく同様でありまして、本来新しい憲法に従つて新しい裁判所の姿を十分に発揮すべき時期がそれだけ遅れておつたのであります。たとえば覚書該当者に当るかどうか、あるいはある新聞雑誌が「アカハタ」の後継紙にあたるかどうかという判断は、これはその種の事件裁判の基礎となるべき事項なんでありますが、それについての裁判所の独自な判断権というものは認められていなかつたのであります。それは最高司令官の命令としてそうなんであります。そして裁判所はその範囲内においての権能を行使して来たのであります。私の経験しました例から拾いましても、占領下においても、日本の裁判所は、法を守るというその決意においては、先ほどお引合いになりました兒島惟謙翁の精神をその通りくんでおるのであります。そのために各所に占領軍当局と裁判所との間にトラブルが起きたのでありますが、これはよく御承知の通りであります。今後はすつかり独立いたしまして、裁判所が本来の憲法上の地位を持つことになりましたので、日本の裁判所はこれからその眞面目を発揮すべき時期が来たと思います。ポツ勅関係においてもいろいろ切りかえの立法等も出ておりますが、それについてどういう判断をするかということは裁判所の判断によつてきまることで、結局違憲判断の最終の判断は最高裁判所の判例によつてきまるわけでありまして、占領中あのような間接統治という統治方式をとられた結果、本来占領軍でやるべきことを日本の国家機関、裁判所にやらせたという面があるのですが、その点において裁判官の独立をとやかく言うことは、ちよつと見当違いではなかろうかと思うのであります。  それからもう一つ法廷秩序維持の問題でありますが、これは裁判官によつていいろいろな流儀があるのでありおして、これをどういうふうに統一するということはまだやつておりませんが、しかし先ほど来申し上げました例から見ますと、現行の制度のもとでは不十分である。と申しますのは、裁判所法の規定、あるいは審判妨害罪、訴訟法上の訴訟指揮権、法廷警察権だけではまかないきれないのでありまして、法廷審理の最中における秩序破壊行為というのは全国の裁判所至るところで起きておりますが、そういう者に対して即座に力強く制裁を加えるという方法は、ただいまの日本としては私は絶対必要であると考えております。
  66. 加藤充

    ○加藤(充)委員 大体御説明は御説明通りでありますが、ポツダム宣言あるいは連合諸国間の国際協定という問題と関連させて間接占領という形で行われた占領政策についても、これはそのこと自体がポ宣言に違反するのではないか。あるいは敗戦条件以上の割りつけではないか。特に憲法その他の条文との関係、あるいはまたそれを執行して行く場合の国内的な手続、制度との関係等、これはいろいろ議論の多いところである。また講和の問題などについても、安保條約につきましても、憲法に違反するという輿論も相当あり、学界の意見も強いのです。法律は通りましたけれども、これには日本民族として、治外法権の問題、あるいはその他いろいろな問題について、経済的にも政治的にも、やはり国民が得心のしきれないものを感情的に少くとも持つことが多いのではないか。これは私どもが言つては語弊がありますが、共産党とか一部少数の者が赤旗を立てて歩くというようなことではなくて、むしろ本質としては国民感情とそりが合わない。結局独立というものが早くされなかつたという根性まえが、やはり基礎になつて出て来るのではないか。われわれ共産党といえども、そういう国民感情無視して、いろいろな活動や政策を立てるものでは断じてありませんし、立てたところでそういうものは権威ある政治政策にはなり得ないものであると了解をしております。こういう問題は、上から——講和條約あるいは安保條約、行政協定等の発効に基いて、いろいろな法案が通ります。国会の多数決できまつたからその通り法律は守らねばいかぬといいましても、この疑うべからざる民族感情、民族の置かれている立場というようなところから出て来る問題は、国会できめられた法の権威である、その基礎づけはやはり両條約に発端するものだというだけでは、なかなか承服しにくいものがあるのではなかろうか。またこういう民族感情というものが芯になつて、大きなものになつてつて、日本の民族というものは更生し独立し得るものだと思いますが、裁判所は法を適用すればいいのだ、それ以上の解釈はどうでもよいのだということがあつても、やはり裁き方、扱い方の中に、日本人を得心させて行く一つのものが、法律の解釈、適用などのほかにあるのではなかろうか。そういうようなことから、もし法廷に必要以上、あるいは無用の摩擦が出て来るような場合があつたら、それはどういう原因のために起きたかということを真剣に追究し、対策を立てる必要があると思うのです。報告されたお言葉なり事例によりますれば、私はこういうことのないようにしなければならぬと思うのですが、そのないようにするには、先ほど来申し上げておりますようなことも、大きな——むしろ私どもの立場から言えば基本的なものでないだろうか。それでむちやくちや言うやつは、やはり権威をもつて処置をする、こういうふうな精神なり、態度なり、対策がやはり必要じやないか、こういうふうに思いますので、小原所長や藤山裁判所長や、あなたに関連して、そんなふうな意味合いから質問をしたわけなのです。
  67. 田嶋好文

    田嶋(好)委員長代理 世耕弘一君。
  68. 世耕弘一

    世耕委員 ほかの委員からそれぞれ質問がありましたので、私はその他の範囲で二、三お尋ねいたしておきたいと思うのであります。  近来社会不安が激化されて、それに伴う事件法廷において裁判されたという例がたくさん発生していることは御承知の通りであります。この法廷の不祥事件が全国に及んでいるということは先ほど来岸局長から御報告があつたと思います。しからばかよう事件をば裁判する場合に、これこれ注意を必要とするという注意事項くらいの訓示が上長官からあつてしかるべきものだと思う。たとえば大阪裁判所に対して上からそういうような注意事項か何かございましたかどうか、それをまず伺つておきます。
  69. 小原仲

    小原参考人 今の御質問は個々の事件についてでしようか。
  70. 世耕弘一

    世耕委員 法廷不祥事件が全国に及んでいるということは先ほど報告のあつた通りであります。さよう関係から、大阪地方においてもさよう事件を取扱うときには、自然そういう不祥事件が発生するものと予想しなくちやならぬ。だから監督庁からこれこれの事件を取扱うときはこういう注意をしろという訓示なり示達があつてしかるべきだと思う。この点があつたかなかつたかということをお尋ねするのであります。
  71. 小原仲

    小原参考人 そのことはもう以前からわれわれ実務を扱つてい義判所として非常に関心を持つているのでありまして、いかにしたら法廷をスムーズにやつて行けるかということは、われわれ最近において最も苦心しているところであります。裁判の研究会あるいは裁判官会議、すべての機会において各裁判官に対して教訓し、またわれわれとしても注意を十分與えております。また傍聴人等に対する注意は、大阪裁判所におきましては、傍聴席の入口に静粛に傍聴しなければならないというような注意書を張つていたしております。
  72. 世耕弘一

    世耕委員 先ほど来の報告を承つておりますと、裁判所側の事件処理等について一応十分の注意があつたことは理解できるのであります。しかしながら、警察との連絡に円滑を欠いていたということが指摘できるのであります。たまたま要求しても警察官出動が遅れた、あるいは少数であつた、かようなことを考えてみますと、最近における社会不安と、その激化の状況に対する見通しが不十分ではなかつたかということが言えるのであります。私はこの関係から見まして、事前に警察との打合せをもつと緊密にできなかつたか、事態を簡單に考えておつたではないかという考えを持つのであります。最近における社会情勢から見て、私はあの程度で事件が納まつたことはむしろ不幸中の幸いだと思つている。もつと事件が悪化したら、裁判官なり、あるいは書記は殺されていはせぬか、かよう説明を聞きながら、そういうことが想像できるのであります。こういう点を考えてみますと、結局警察裁判所関係がどの程度まで緊密に行つているか、また今後どういう処置をとるか、これが大事な問題ではないかと私は思う。この点について何かお考えがおありになるか。少くとも全国的にこういう事件が起つたとするなれば、警察側と裁判所側と十分懇談あつてしかるべきではないか、すでにこれまでにかような手を打つておかれなくちやならなかつたではないか、かように思うのでありますが、この点はどういうお考えをお持ちになつておりますか。
  73. 小原仲

    小原参考人 検察庁警察、これらにつきましても連絡は常々大阪としましては機会あるごとにやつております。今度の堺の事件におきまして、これはおそいといわれてもいたしかたありませんが、さつそくこの二十二日、私の留守中でありますが、検察庁拘置所並びに警察裁判所側の四者が集まりまして、いろいろ協議もいたしておるはずであります。また裁判所検察庁との連絡が悪かつたのではないかという御質問でありますが、この点におきましても大阪としましては、もしもというよう事件につきましては、絶えず検察庁連絡をとつております。ただ突発的のときにあたりまして、数分を争うという場合に、あるいは間に合わないというようなことがあるかもしれませんが、それはどうもやはり計画的にやられて意表をつかれる場合、裁判所としても最善を盡しても防ぎ切れぬような場合ができるんじやないか、これを常々心配いたしております。われわれ第一線の者としましは、社会の情勢も非常にかわつて来ておりますので、これに対する対策もまた新しい対策を考えなければならないだろうということを痛感いたしておりまして、われわれ現職の者として適切な新しい対策ができることを待望しております。それについてはいろいろ政治的のこともありましよう。それは各方面において御研究願つて、われわれが安んじて公正な裁判ができるような立場に置いていただけることを、全裁判官が常に熱望しておる次第でございます。
  74. 田嶋好文

    田嶋(好)委員長代理 ちよつと委員長からも一言質問いたしますが、現在裁判所侮辱制裁法案が本委員会にかかつております。この法案の内容は御存じのことと思いますが、この裁判所侮辱制裁法案が法として世の中に現われましたとき、今日起つておるよう事件をこの法によつて防止し、その法によつて効果を上げることができるかどうか、現地の裁判所長として小原さん並びに藤山さんお二人にお伺いいたします。
  75. 小原仲

    小原参考人 これは将来の問題でありまして、今私予断することはできませんが、かような強力な権限が裁判所に與えられるということがありましたならば、それによつて裁判所に対する社会の認識があるいはかわつて来るのではないかということを私個人として考えておるのでありまして、それを実際伝家の宝刀として抜く抜かぬにかかわらず、われわれとしては安心してやれるのではなかろうかと考えております。
  76. 藤山富一

    藤山参考人 従来の裁判官が持つ法廷に対する秩序維持権というものではまかないきれない事態が最近頻発しておるのであります。そういう際にはぜひともこういう法案がなければいかぬのではないかと考えております。
  77. 世耕弘一

    世耕委員 私はこの間の事件裁判所の手落ちだという前提で考えてはいないのです。裁判所自体から考えまして、十分の手は打つておるように私は想像する。しかしながら、ただ警察との連絡が不十分であつた、その警察との連絡裁判所がやるよりも、むしろ上長からふだんにおいて緊密な連絡をしておくべきではなかつたか。かような点について今後もあるべきことだから、実はあなたの意見を聞いておるわけです。ことにかような不穏な事件を予想した場合に、なぜ待機しておかなかつたか。電話をかけても間に合わなかつた、催促してもやつて来たときはもう済んでしまつたというようなことは、実は裏をかかれておるのです。最近における各地の事件は、みんな裁判所が裏をかかれた事件である。ところが先ほど岸局長の話では、もし武装警官が待機しておることが目につくと刺激をするだろうというようなことを言つた。そこなんです。いわゆる左翼戰術なるものは。そういうふうにして牽制するりのです。牽制をしておいて、一方では逆な戰術を使う。われわれから考えると、完全に裁判所は侮辱されているじやないか。どこに裁判の威信が保たれたかと言いたい。かようなことは裁判所自体の問題だけじやない。他の機関とふだんに緊密な連絡をとつてしかるべきじやないか。その点について中央における考えが認識を改める必要があるのではないか、かように私は考える。これはひとつ局長から御返事を願いたい。
  78. 岸盛一

    岸最高裁判所説明員 裁判所警備につきましては、これまで全国的にいろいろな事例がありまして、機会あるごとにお互いに検討し合い、研究しておるのであります。最初は武装警官法廷に入れるようなこともやつておりました。しかしそれは被告人側から苦情が出まして、武装警官を初めから入れたというそのことだけでもつて法廷の秩序が混乱したこともたびたびあつたのであります。そこでまた考えまして、今度は法廷には私服を入れ、武装警官法廷外の適当な場所に配置して、一旦事があつた場合に出動してもらうというやり方もやつたのであります。ところがその私服警官もみな顔を覚えられて、私服警官法廷の中に入れるか入れないかだけで、公判の冒頭の手続に入る前に一時間も二時間ももみ合つた例が非常に多かつたのであります。それで裁判所もいろいろ考えて、法廷内には警官を配置しないというやり方をとつて来て、それはそれなりにその問題は片づきました。けれども事案によつて警備が手薄と見るとまた騒ぎが起るという例もあるのであります。ですから初めから法廷武装化するようなことは、とうてい裁判所としてもとるべき態度ではない、また裁判官もそういうことを考えておりません。大体はできるだけ手続を早く軌道に乗せようという気持が非常に動きまして、このたびの広島の例はまさにそのあとの比較的穏健な方法によつたものだろうと思うのであります。あとから考えると、あるいは事前に、赤旗を押し立てて来たとき、裁判所の門で食いとめるという手もあつたということは十分考えられます。そういう事態になりますと、この場合の事件の性質からいつて、そこで相当の騒ぎになつたのではなかろうか、流血の惨事を起したのではなかろうか、そういうふうに考えられるのであります。
  79. 世耕弘一

    世耕委員 お説は承ればもつともだと思います。われわれも武装警官を張りめぐらして、その中で裁判をするような軍国調の裁判を望むのではありません。しかしながら事態やむを得ない場合にはしかたがない。ことに今のよう報告の内容からしても、安心して裁判官裁判できますか。私は非常な恐怖心をまず起さしめるであろうと思う。かようなことではたして裁判の神聖が保てるか、それをどうするかというのが、われわれがあなた方にお尋ねするゆえんなのです。もし不幸にして火焔びんを投げかけられ、火災でも起つたらどうなるか、そうして入口はさような不穏な行動をする者によつて閉鎖されていたとしたらどうなるか。幸いにして不祥事件が小さくて過ぎたことはけつこうなことであつたが、さようなことも想像しなければならぬ。広島の事件のごときは、最初は相当やつたのだけれども、あとで穏やかになつた。それが彼らの手です。彼らは裁判所を侮辱するという点では、一応目的を達成しておる。さような巧妙な手段によつて、次第々々に裁判の神聖を粉砕して行こうという戦術である。それをわれわれは考えるがゆえに、その手に乗らないように、裁判を公正にして、そうして神聖を保ち得る方法ありやいかん。この点現実にその衝に当つておる人の意見を聞き、その事情によつては、国会としてわれわれもしつかりした腹で検討をして、対策を立てなければならぬのでお尋ねをしておる。決して責任を追究してどうこうというけちな考えでお尋ねしておるのではないのであります。どうぞ親切に御説明願います。
  80. 岸盛一

    岸最高裁判所説明員 先ほど来の話の続きになりますが、もともと裁判所というところは、法廷武装化して、職員が鉄かぶとをかぶつて、国民と相をしているところではないのであります。裁判所は法律の手続によつて、そこで平和的に法律上の争いを解決するところなのであります。ですから、この種の事件被告人たちにも、それは言い分が多いと思います。その言い分を手続によつて法廷で秩序正しく述べる、そういうことが必要なのであります。ところが先ほど来説明しております事例における被告人たちの態度は、そうではなくして、初めから裁判官を攻撃の対象といたしておるのであります。それが従来はそれほど集団的なものはなかつたのでありますが、最近はほとんど傍聴人席を埋める傍聴人被告人と相呼応して、そういう方法でやつて来る。正面から裁判官を売国奴とののしり、あるいは、これはごく最近の例でありますが、弁護士の資格を持つておる弁護士すら、時代がかわれば、まず第一にお前を告発するぞという意味のことを、その弁論中に述べておる状態であります。でありますから、問題はいろいろ複雑になりますが、法廷審理を円滑に行うための法廷内の秩序維持の問題、と、それから昨今起りますような事例を考えて、裁判所全体の構内を安全に保護するという二つの問題があるのであります。しかもその二つの問題は、複雑微妙にからみ合つている問題であります。従来の制度によりますと、裁判所法七十三条に規定しておる審判妨害罪という制度があります。この審判妨害罪の制度があれば十分じやなかろうかというのが、これまでの裁判所侮辱制裁法案に対するところの有力なる反対意見であつたのであります。ところが審判妨害罪の制度というものは、法廷内に起きた妨害行為を、検察官が通常の手続従つて起訴して、本来の手続と別個の手続で、最初から刑事訴訟法の規定に従つて審理をやつて行くという建前でありまして、そういう手続になりますと、その審判妨害罪の事件審理において、また同じようなことが繰返される、そういうことになるのであります。審判妨害罪というものがあるにかかわらず、これまでそれが適用されたのはわずかに二、三件しかないのじやないかと思います。     〔田嶋(好)委員長代理退席、委員長着席〕  あの制度を十分活用しないで、侮辱制裁法案を考えるということは、絶対反対だという御意見がありますけれども、ただいま申し上げましたよう事情で、裁判所法の審判妨害罪の規定というものは実行性がない、あれが件数が少いのは、利用されないのは、やはり利用されないだけの理由があるからなんです。そこでどうすれば最も法廷の秩序が維持されるかというのに、まず裁判官の現に審理を進めてるときに、まつ向から手続を無視し、法を無視した態度があつたときに、即座に制裁を科するという制度、英米法でコンテンプトの制度といいますが、必ずしも終戦後日本が新しく取入れようという制度ではないのでありまして、旧裁判所構成法の規定にあるのであります。あれは明治二十年かの古い法律ですが、五円かの罰金、五日以内の拘留を即座に裁判官が科することができるという制度があつたのでございますが、その制度が、新しい裁判所法をつくりますときに、軽率に削除されて今日に至つておるのであります。どうしたらば法廷の秩序が維持できるかということは、これは裁判所侮辱制裁法の規定があればただいまのような集団行為は跡を絶つということは、おそらく断言できないと思います。しかしながら現在よりもはるかに法廷審理が秩序正しく行い得る素地をつくることができると思います。法廷の秩序の維持を離れて、裁判所の全体の秩序の問題、これは警察官の派遣ということを正式に法律で規定されることになりましたので、その点はそれで法的な備えはできたわけであります。今後その規定の実際的な運用をどうして行くか、これまでの失敗にかんがみて、新しく絶えずくふうしながら、対策を立てて行くということになろうと思います。
  81. 佐瀬昌三

    佐瀬委員長 他に御質疑はございませんか。他に質疑がなければ、本日はこの程度にとどめておきます。  参考人の各位には、御多忙中御出席をいただき、長時間にわたり熱心に御説明を賜りまして、まことにありがとうございました。  次会は公報をもつてお知らせすることにいたします。本日はこれにて散会いたします。     午後四時二十七分散会