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眞鍋委員 私はもう二点ばかり
お尋ねをいたしますが、このメーデーに関しまして、議員の中にも実際これを見た人もある。私は見なか
つたけれども、新聞や雑誌において承知をしたのでありますが、罪のない巡査をほりに投げ込んで、出て来ようとするのを、石を投げたりして妨げたということであるが、もし今日の世の中に、司法の警察官がなか
つたら、この世の中はどうなるであろうかと私は疑わざるを得ないのでありますが、その巡査をほりに投げ込んで、そうして快とするのは、われわれははなはだ疑わざるを得ないのであります。由来、共産党に多く見るが、無宗教者である。無宗教も
一つの理論は立ちますけれども、眼中に宗教がない人はえてして――仏教であれば慈悲であり、キリスト教であれば愛であり、儒教であれば仁義道徳、日本流に解釈すれば、義理人情といいますか、この義理人情なく、道徳なく、愛なく、慈悲がないのが共産党の特色であります。ことにその総帥であるスターリンは、火事どろぼうするような調子で、昭和二十年でありましたか、満洲に出動しているわが兵を捕えて酷使をしたり、あるいは諸施設まで持
つて行くというような火事どろぼうをした。もし志天下にあるならば、道徳とか宗教なくしては、長い目で見るときに、天下を云々することはできまいと思う。いわんや、彼の眼中に道徳なく、無宗教である。スターリンのためにわれわれは非常に惜しむのでありますが、この点より見ましても、メーデーの日何ら罪のない警官をしてかくのごとくならしめたということは、はなはだ遺憾でありますから、私はこの点において野党にひとつ
考えてもられなければいかぬと思うのであります。しばしば奏の始皇帝のことを言うて相済まぬが、秦の始皇帝のころと今日の時節と同じことであると思う。すなわち世の中の人は侃々諤々の論議をし、奏の時代も同様で、始皇帝は李斯の言を用いて、非常に儒生を坑殺した。「竹帛煙消帝業虚。関河空鎖祖龍居。坑灰未冷山東乱。劉項元来不読書。」という詩がありますが、すなわち秦の始皇帝は、儒生があまりに時勢を痛論するというので、たしか三百人か――その時分のことでありますからわからぬが、これを捕えて、穴を掘
つて燒き殺し、そうしてこれを埋めたということでありますが、「竹帛煙消帝業虚。」万代の長きに伝えんと思
つたところの秦朝は、二世にして滅び、そうしてこれにと
つてかわ
つた劉邦は、われ馬上において天下をとる、何ぞ書を必要とせんと言い、項羽は、書は姓名を記すれば足ると言
つたが、しかしながら項羽は無学ではない。あの最期のときに、妾の虞氏をして舞わしめたときのあの五言の詩がある。無学であ
つたならばあの詩を読むことはできぬから、
相当の学問があ
つたと私は思う。これらの人の時代を見ると、今日とよほど似ておりはせぬか。
法律家は、法律を制定したならば世の中は太平であるとするが、もし嚴刑酷罰でも
つて世の中が治まるならば政治はたやすいが、嚴刑酷罰ばかりでは世の中は治まらない。前にも言
つた通り、秦は万里の長城を築いたけれども、堯舜のときの宮殿三尺の階段の高さにも及ばなか
つたという。ここにおいて章碣の詩のごとく、学者を焼き殺した灰がまだ消えぬうちに山東乱れて、天下は結局劉邦の手に帰したが、劉邦が天下をとるときに、父老に約したのに、法三章があります。法三章とは、このときに始ま
つた言葉であります。すなわち劉邦がもし天下をと
つたならばこれまでの複雑な法律をやめて、法は三章でよろしいとい
つた。この時代を大いに
考えなければならぬと思うが、今日この世の中を見ると、今言
つたごとく、罪のない巡査をほりにたたき込んで、上から石を投げたりするのは、仁義道徳に欠け、義理人情をわきまえぬ世の中であると思う。だからこの点に対しても、総裁初め、法律制定をする人はよく
考えなければならぬと私は思う。いかに嚴刑酷罰をも
つて臨んでも世の中は治まらない。これにと
つてかわ
つた人間は劉邦、項羽であ
つて、あまり学問を尊重しなか
つた。しかしここに
考えなければならぬことは、この前の東大
事件のことで、矢内原東大学長、これが絶対平和論というものを、一月号の、「世界」という雑誌に書いておる。この絶対平和論を読んでみると、われわれと同じこともないではない。はなはだ少いが、そういう点もあるが、しかし社会を知らぬ。社会を知らざる人間が学長にな
つているから、この学長の下にこの学生ありで、東大
事件が起り、あるいは早大
事件が起る。投票によ
つて学長はきめるのであるから、こういう絶対平和論を唱える人に共鳴する人もあるに違いない。これらの大学で書を講ずるいろいろの学者たちの投票によ
つて今日学長を決するのでありますから、かくのごとき論議をするところの矢内原学長に似通
つたものもたくさんある。してみると、これらの先生も
相当考えなければならぬ。のみならず、この「各大学並びに諸学校
関係日本共産党細胞に関する資料」というのを拝見してみると、どこの大学でもほとんど細胞がある。これに出ておるのはこれだけでありますが、このほかにどれだけの危険思想を有する人間があるかもわからぬ。この絶対平和論に共鳴する学者が多いから、この矢内原君のような学長が出て来るし、前の学長は、所もあろうに、アメリカへ行
つて、全面講和論を唱えたりした。もつとも前学長は演説もうまいそうだが、ソビエトへ行
つて全面講和論を説くならいいけれども、アメリカへ行
つて説くというような調子である。歴代の学長がかくのごとき人間である。これによりまして東大の性格もうかがうことができる。きよう総裁に聞かなければならぬのは、かくのごとくできた人間を罰するところの
破壊活動防止法をや
つたところが、ほんとうには効果は少い。いかにすればこれら破壊分子を出さぬようにするか、根本的の対策というものが、ここに
お尋ねしなければならぬ問題である。今申し上げたごとく、矢内原学長の絶対平和論をお読みにならぬ方は、一月号を読んでみたらすぐわかる。これは世の中を知らぬ人の論議である。すなわち世の中を知らざる人間が学長にな
つているのがはなはだ多いし、また学長を助けて講釈をしておる先生たちの多くは、つまりわれわれと
考えが違う。学問は
相当あるであろうけれども、世の中の実際を知らざる人間が、学長になり、教授とな
つておる。今日の過誤がここにあると思うのでありますが、要するに、学生とか婦女子、これをくみしやすしとなし、共産党が働きかけておる。これらの学生なり、あるいは婦女子は、よほど
考えなければならぬ。これまでの歴史を
調べてみると、学生のいわゆる暴動といいますか、これらのものから世の中の革命というものが発足しておるのでありますから、この学生の言動というものはよく
考えなければならぬ。ことに東大のごときは、一人前八万ないし十万円かかる。八万、九万の国家の費用を投じておるところの人が、学問をせずして労働問題に没頭し、巡査をこづいりたりするようなことではいけないと思いますから、これに関する総裁の御意見もひとつ聞いてみたいと思う。