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1952-05-19 第13回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年五月十九日(月曜日)     午前十時二十九分開議  出席委員    委員長 八木 一郎君    理事 青木  正君 理事 大内 一郎君    理事 船田 享二君 理事 鈴木 義男君       田中 啓一君    橋本 龍伍君       平澤 長吉君    本多 市郎君       山口六郎次君    苫米地義三君       松岡 駒吉君    木村  榮君  出席公述人         日本化薬株式会         社社長     原 安三郎君         東京大学教授  辻  清明君         読売新聞論説委         員       愛川 重義君         成蹊大学教授  佐藤  功君         全国指導農業協         同組合連合会会         長       荷見  安君         神奈川県知事  内山岩太郎君  委員外出席者         專  門  員 龜卦川 浩君         專  門  員 小關 紹夫君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた事件  国家行政組織法の一部を改正する法律案その他  行政機構改革法案について     —————————————
  2. 八木一郎

    八木委員長 これより内閣委員会公聴会を開き、国家行政組織法の一部を改正する法律案その他行政機構改革法案について、公述人より意見を聴取いたします。  本日お見えになりました公述人原安三郎君。辻清昭君、愛川重義君、佐藤功君、荷見安君、内山岩太郎君の諸君でございます。  この際委員長より一言ごあいさつを申し上げます。今次の行政機構改革は広汎かつ重要なものでありますので有識の方々の忌憚のない御意見を承つて愼重審議をいたしたいと存じ、公述人に御多忙中にもかかわらず御足労願つた次第でございます。何とぞ公述人の方におかれましては、十分に御意見をお述べくださるようお願いいたします。  ではこれより、日本化薬株式会社社長原安三郎君より意見を聴取いたします。
  3. 原安三郎

    原公述人 この問題は、詳細に論ずると相当時間を要しますし、また法律のごときも、新しい法律が十一、その他を入れますと三十六法案となるわけであります。それをよこされましたけれども、仕事を持つておりますので、なかなか一々目を通しかねましたわけです。ただしかしながらこの行政機構改革は国民全体の声でございまするし、二十四年のときと二十五年のときと、両方私携わつておりまして、最近にまた昨年の五月から行われました政令改正などに関する諮問委員会にも、この問題が取上げられましたので、携わつておりましたことがございますので、今回の結論を拝見いたしまして一応意見を述べてみたい、こう考えております。  問題は單に簡素化とか、人員を減ずるとかいうことだけをねらつてもいけませんので、ほんとう行政機構改革の結果、能率が上らなければならぬということが大切なねらいではなかろうかと思われますが、やはり簡素化が主になつたと見えまして、省は数はあまり減つておりませんけれども、部の減し方のごときは、百二十九ありましたのを四十五に減じまして、八十四という大幅の削減が出ております。局もこれに書いてありますように十八ほど減つておりますが、こういう問題よりも根本問題を論じて行きたいと思います。ただ私が失望しましたのは、かねてからこの行政機構改革の点でいつも言われておりまする、常にある各省共管の問題、これが今度は少しもきれいになつておりませんで、相かわらずどうも元の共管民間が苦しみましたことがそのまま残つておりますことが、全般的に考えまして非常に遺憾に思われますわけなのです。たとえば小さな問題ではありまするけれども、非常に困つておる問題は上下水の問題が厚生省と建設省とにわかれております。これが実はいつも地方関係仕事では困つておりますわけなのです。何か水害でもありまして、水道を新しく復興しなければならぬときに、両省の意見を聞かなければならぬということがありますので、困らされておるということを聞いております。そういうものをあげてみますと、公園関係はたしか三、四省にわかれております。これは大きな問題ではないかもしれませんが、ユネスコを管理しておる関係は、外務省もあり文部省もありというふうに、こういう種類のものが相当あるのです。これを窓口一つにしていただきたいということが、簡素化の点からはたびたび希望されておるのでございまするが、今度は実効が現われておりませんようですし、そうしてその上に遺憾に考えますことは、航空関係のごときは、製造はやはり通産省関係に持つて行かれて、すでに前からあるという意味ですか、ほんとう運営上の問題、あるいは航空機の形の問題、あるいは耐空に関する査定の問題などは運輸省に残す、こんなふうになつておりますようです。新しく起ろうとする仕事にさえ、もう共管状態が現われておるということを見ますと、公園関係ユネスコ関係水道関係などの共管が取去られるよりも、もつとむずかしい状態に入りつつあるのではないか。こんな小さな窓口の問題が相当日常の仕事に悪影響を與えておりますわけなのです。そこで、ただここに著しい問題は、外局がほとんどなくなりました。やむを得ないものだけ残されておる。しかもこの今度の機構改編に関する政府説明書のうちには、外局のうちで審査判定をする局だけは独立にした。これは特許庁意味すると思いまするが、元来外局は、これはもうまつたく一省内にありながら、長官がまるで一大臣のごとき形で、次官の規制を受けていなかつたのですが、これが内局にかわりましたことは、これは昔の状態にもどりましてたいへんけつこうだと思います。そのうち今申し上げましたように、特許庁がそのまま残つておりますことは、審査判定という意味が入つておりまするから、これはけつこうだと思いましたが、その他の局のうちには、そういう職分をとらないものもやはり外局に残つておるのがございます。たとえば林野庁のごときものが残つておりますが、これはどういう意味であつたか、その一つのきまつたる目標からいつて離れておるような気がいたしますわけなのです。それから大きな問題では、労働関係のごときも、海員関係——海運事情から船員の労働関係は、当然運輸省に帰属しなければならぬことに相なつておりまして、これに連関したいろいろな配置が運輸省内に置かれておりまするが、労働省は別に労働関係というものの全部のことをつかさどつておりまするから、これなども何らかの機会に一緒にしたいという希望を持つておりましたわけなのです。  それから一般論から申し上げますと、行政委員会の問題です。これはずいぶん政令委員会でも取上げて問題にして、全面廃止ということが取上げられましたが、これは九つ減りまして十四残りました。これもただ数をもつて論ずるのではありませんけれども、労働関係委員会と、それから裁判官の資格検査のごときは残つておりますようでございますが、これもなるべく行政委員会というものの性資日本の現段階に合わないとすれば、もう少し減らしていただき得られるところは、減らしていただくのがよかつたのではないか。これは私は個々についての議論  を避けますから、一般論として申し上げておきたい、こう考えますわけなのです。  全般的に見てかように考えますが、ただここに今度の行政機構改革そのものを見ますと、各省に関するものについては、そう著しい変化がありません。外局内局に移した、あるいは内局の整備を行つたということが現われておりまするけれども、ただここに大きな外局一つである海上保安庁が、運輸省所属のものが総理府所属になりまりて、新しく海上保安庁保安庁にかわりました。これが大きな問題であり、もう一つかねて論じられておりました電気通信省が、大体において民営の線に移る前提といた正しまして、ここに公社ができました。そのほかに国際電気通信に関する限りは特殊会社をつくつて、これがまた現在国内電信電話などの公社進め方によつては、新しくできますこの特殊会社民営が完全に行われれば、公社になりました今度の通信機関も、民営に移すという前提になるのでないかと思われますので、たいへんこの措置は株式会社組織がまだできませんし、定款も設置法で想像するだけでございますから、私たちから見て必ずしも民営のサンプルになるかどうかわからぬ点もございますが、一応今度公社なつたことについては、一つ進歩だろうと考えます。それから経済安定本部は、あれは私たち一年か一年半で店をしめるものだと考えておりましたが、現在まで相当長い統制期間の間、またその後の経済企画調整に役立つて参りましたが、今度はこれをただ縮小したという形にしか見られません総理府所属経済審議庁なつたわけですが、これはまつたく形をかえたというにすぎません。ただ従来いわゆる安本が大きかりし時代はその仕事も広かつたために、三千人以上のスタッフを持つておりましたが、最近八百名前後になりまして、今度は三百七十四人で今後の仕事運営しようということになつております。これは人の持つて行き方、仕事のやり方でどうでもなりますが、私はもう少し各省からのお手伝いを強くして、もつと人を減らしてもいいのでないか、こういうふうに考えますが、これは時間が許しましたらあとで申し上げたいと思います。この点が著しい変化として現われております。つきましては、午前中の短かい時間でこまかいことは申し上げかねますけれども、一応さわつておりました各省についての点で、著しいものについての意見を申し上げたいと思います。まず内閣の方で、かねて問題になつておりました人事院仕事の一部が総理府に入りまして、内閣の方には、大きな問題としては法務府にありました意見局を入れましたこと、この問題はいろいろの観点から理由がありますが、この法制意見局そのものが、各省法律顧問であるというような立場からは、やはりこの内閣に置かれるという形の方が、全体に浸透していいのではないか、また同時にこれが総理に対する一つ法制上の意見番、というよりも、諮問機関というようなことであり、そうして全部の法律策定中央的存在とすれば、ここに置かれることは、法務府に置かれるよりもよりいいのではないかと、こんなふうに考えます。  そこで今度は総理府の方に移りたいと思いますが、総理府の方は、現在外局が十六ございますが、今度は増減変化の結果十一になりました。この数字は問題でございませんが、ただ一応新しく置かれましたことについての意見を申し上げたいと思うのであります。それは安定本部にありました資源調査関係が、資源調査会としてここに残りますことは、これは国全体の仕事見通して行くという関係を持つておりまする総理府として、この運営が完全に行けばけつこうでないかというふうに考えます。新しく加わつたものだけを申し上げますが、その次に新しく加わつたものとしては例の人事院仕事をいたします国家人事委員会組織であります。これは人事院そのもの全般人事にわたる問題でありますから、従来の人事院が非常に大勢の人を集められまして、各省からのいろいろのデータをもつて、その雇用並びに仕事進め方について管理をしておられた仕事をやられるわけでございますから、この国家人事委員会運営は、どうか人事院を廃したことによつて何らの穴が明かないように運営していただきたい。総理府にこれを持つて行かれましたことは妥当だと考えます。その次に現われておりますのは保安庁の問題ですが、この保安庁の問題は、これは私いろいろこまかくこの法律を見ましたが、これはもうまつた運営してみなければ何とも言えません。すなわちこれが單純な国内防衛関係を離れて、国際防衛にまで発展するかどうかというような基礎にしなければならぬかどうか、あるいはこの実行上の問題についての細目、平常の組織における行動をとられることについての幕僚長その他の組織、なかなか机上でわれわれが想像しても、判定しても、急に何とも申し上げかねます。これは単純な勘のみを働かすべき問題でなく、相当大勢の警備隊あるいは保安隊を持つておりますから、運営上一応この形で運営をして、そうしてもし欠点が出れば、すぐ次の議会ででも修正をするということでなければ、ほんとうのあり方をここで決定することはむずかしかろうと思われます。もつとも、従来海上保安庁がやつておりましたこと、また警察予備隊がやつておりましたことなどから想像すれば、ある程度の想像はつきますが、従来海上保安庁でやつておりました仕事は、今度海上公安局関係で処理されますし、ほんとう国内治安、平和を維持し、同時にまたもう少し意味を強めれば、それ以上の働きをする素地を育成しておかなければならぬということを考えますと、これはあるいは早晩もう一度改正をしなければならぬ法律であり、または組織であるかもしれぬ、こういうふうに考えております。これは私たち政令委員会で問題になりましたが、これを独立の省として、このうちに警察関係、現在の国内治安のおもなる組織である自治並びに国家警察関係を盛り込もうという説もありました。私はこれに強く反対をして参りました。これがそのまま存置せられておることはけつこうでありますが、これは今後この向きの仕事が不幸にして有用になつて来るという見込みが立てば、あるいはそういうことが想定し得られそうなれば、あるいは独立の省としてもつと重大に扱われなければなりませんし、この組織のごときも、もつとこの場合における実際に合うように動かして行かなければならないのでないかと考えております。その次に新しく総理府に置かれましたのは、経済安定本部仕事に大体かわるべき経済審議庁で、国務大臣長官として置かれる関係でありますが、この内容に盛り込まれておることがたくさんあります。さつき三百七十人では多過ぎはしないかと申し上げたのに対して、私の言葉反対のことを申し上げることになるのですが、実は私はこの官庁はできるだけ各省間の調整ということを第一に置いて、その次にどの省にも附属しない、しかも長期にわたる国家経済上の策定までする、資源開発等あらゆる面にわたるということが広く盛り込まれております。その目的広く、そうしてその実行なかなか骨の折れることでありますが、これは従来の安定本部各省の上に別の存在であつたがごとき形でなく、今度は各省によく浸透して、各省の権威を全部この機関の内部に入つた形をとつて、あらゆることは各省事務局で全部まとめてもらつてほんとう調整をするということと、まつた各省と連絡がとれない、別の観点から見なければならぬというものだけを、ここで審議決定するということにすることが必要であります。その意味から、この官庁は私はトップ・ヘヴイーになつてもよろしゆうございますから、非常に有能なる人——有能でない人は官庁にはいないでございましようが、全般のことがわかつておる、知識を持つておる人を各省から簡抜していただいて、これらの人の考えが即各省意見を代表しておる。もつとも審議とか討議の上に結果づけられて反映をしなければいけませんが、独断選考はいけません。そういう資格の人がいつもこの審議に参加するということにしたいと思うのです。別に個々審議機関を持つておりまするけれども、この根本官庁そのものが、審議庁そのものがそういう形でなければいかぬ。これは具体的に申し上げますと、次官大臣の間くらいにウエートを持つておるという方を、各省から一人この方に出していただく。そうしてしかも調査審議する事項は、各省が精鋭を盡して練り上げたものをこのうちへ反映する。こういう形を、また実際の精神をそういうふうに持つて行きたいと思うのであります。従来の安本は、まるで安本そのもの各省をある場合には監督したり、ある場合には指導したりなどしておることがありましたが、各省自身が現業についておるわけなのでありますから、この各省の手に合い、即現在行われておる経済政治、またはその他の農政、交通、あらゆる面からの専門の、その段階において必要なることが全部盛り込まれておるはずですから、それを反映して行く。そうしてそこで審議決定するわけであります。ところがこの問題はどういうふうにするかといえば、まず予算の行われます前に、各省の来年度の事業というものの各省だけの考え各省の盛り上げた意見をその代表者が持ち込む、これを調整する。今度はいよいよ運行されておりまする三百六十五日の間に生じますいろいろな問題についての各省間の調整したものを一々ここへ持ち出す。各省間の調整審議庁勧告示唆によつて進める。こういうことに持つて行きたいとその当時は考えておりました。私の申し上げます三百七十人、そのうちで約五十人の人はいずれもりつぱな資格を持つた各省のエキスパート、もつともこの人が専門におる必要はありません。専門におれば各省事情に暗くなりますから………。そういう意味の力を持つた人、あるいはまた人間をふやしたり課をふやしたりするおそれがあるとすれば、次官でもけつこうですが、次官か、そう事務にとらわれない余裕を持つた、そして省の仕事見通しを一箇年中よくつけ、あるいはその後の将来の見通しについても、省の意見を把握し得られる人がかりに得られますれば、けつこうだと思います。これは非常にむずかしい問題でありますけれども、むずかしいといえば何もできませんから、そういう点でこの審議庁を進めてほしい。まあ審議会運営についてはいろいろ案がございます。中に審議庁法律案がございますが、これはまつたく簡明でございまするから、この選ばれた人の力によつてりつば運営が遂げられるか遂げられないかは、すべて人でありますけれども、こういうふうに考えております。これで新しく大体かわつて設置された機関のことを申し上げましたが、もう一つ私はこれは毎度の制度改正のときにいつも問題にして、現在もまだ行われないようでありますが、私の仕事をしておる面から、特にここにつけ加えておきたいのは、ぜひとも科学技術に関する各省を通じてというか、日本全体を通じての最高機関設置する必要があるのではなかろうか、こう考えております。各省科学技術は、その省の専門によつてわかれて、いろいろ研究機関をお持ちになつておりますし、またその省の指導にるつてそれぞれその省所属、または省の管下にありまする私の研究団体が動いておりまするけれども、この問題の策定にはどうしても一つ中央機関がなくてはいけないのじやないか、こう考えます。一例をあげますと、学校その他官庁所属研究機関というものは、千七百余りあるのであります。これがみなむだはやつておらないと思いますが、われわれから見て、その研究の範囲のとりきめ方がどうも区分的になり過ぎる。あるいは少しも一貫した方針がない。よく言いますセクシヨナリズムになつておる。学者運営は特にそういうことになりがちでありますが、学者でなくてもそういうことになつておる形勢があるのであります。そういうことをできるだけ統一するためには、有力なる力を持つた、財界にもまた企業界にも、また同時に学者、また技術の実際の面にも力を持つた人を首班大臣として、大臣がまたこの官庁をつかさどる。これも非常に小さい官庁でありまするけれども、しかも非常に重大なものであるはずなんです。これをぜひつくりまして、各省にあります科学技術のいろいろの面における中央政府的、調整的の問題、経済審議会も取扱い得られない問題を専門的に取扱つて科学技術の振興をはかりたい、こう思うのです。終戦後一番問題になつておりますのは、政治とか外交とかいう面、日本国講和発効独立した後も、このギヤツプが除かれないのではないかという非難がされておりまするけれども、日本経済発展基礎になる科学技術上並びに科学技術による運営上の問題は、これは看過しては相ならぬ問題であつて、しかもこの方面学者とかあるいは一部の実業家がとなえておりまするだけで、明日の科学日本の将来の進歩については少しも意が用いられておりません。これはいわゆるローマは一日にして成らずという言葉をそのまま使えるのがこの科学です。本年度海外に出ます特許のロイアルテイだけが三十二億といわれておりますが、来年度は五十億、七十億あるいは百億、従来日本戦争前の状態でも多少のロイアルテイ海外に払つておりますけれども、この約十年間まつた戦争一辺倒で、その方面のいわゆる科学技術庁では、民生安定に必要な科学技術研究が行われておりませんといつて過言ではないのです。その意味から戦争アメリカから来るアメリカ科学技術指導者、あるいは批評家、その他一般企業家、常識的な判断力を持つておる企業家でも、日本科学技術全般に二十年ないし十年遅れており、政府並びに民間全融指導者は、やれ合理化、やれ近代化と口では唱えておりますけれども、一番大切なのは、この合理化した、この近代化した機械を運営する技術が今のコッピーだけでは相ならぬのであります。将来の日本が、明日の日本がこの方面について新しい技術を育成し、開拓して行くという力を持ち、将来十年あるいは五年後は、日本技術海外に売られるという事態まで持つて行かなければ、日本ほんとう経済上の発展は望まれない、こう考えますので、私は二、三度の行政制度改革審議会でいつもそう述べておつたわけなのでありますが、この点については少しも従来の説をかえませんばかりでなく、ますますその必要性を感じておるわけなのであります。これも運営、その人を得ざればなかなかむずかしい問題ではありますが、私の希望するところでは、その国務大臣資格科学工業技術運営する長官は、政党関係から来る内閣首班の更迭があつてもかわらないという考え方で行きたい、こういう考えを持つております。これは私の意見としてつけ加えるわけであります。その次に法務府でございます。法務府の問題はただ外局が三局になりまして、もと二局でありましたのが一局ふえておりますけれども、これは例の破防法を取扱います公安審査委員会並び公安調査庁設置があるわけであります。この問題については、私ここで一時間以上も費させていただかぬと意見が述べられませんが、端的に申し上げますと、これは法律をつくりましても、その法律運営を愼重にやつてもらわなければいけない。この委員会のごときも最適任者を得なければいけない。同時にまたこの委員会の形が、私がこの破防法公述人として出ましたときには、委員会そのもの調査機関たる調査庁の材料をそのまま援用して、判定するということになつておりましたから、これは意味のない形で、いわゆる現在の裁判制度の二審にひとしいものになつておりますけれども、この性質のものは二審制度書類審査でなく、審査委員会そのものがやはり独立の調査官を持つて、その団体行動を調べなければ相ならぬということを申し添えておきました。法律存在並びにこういう官庁必要性はあります。ただその法律の一部を修正してもらわなければならぬ。幅の広過ぎる点、またこまか過ぎてかえつて取扱いに不便な点などを指摘しておきましたが、これはここでは論じません。この法律のできる結果、新しい官庁の必要はある。同時に従来の刑法は個人の行動を規制しておりますが、団体行動については及ぶところがありませんので、やはりこの法律は必要である。こういう必要性は認めておつたわけでありますから、公安審査委員会並び公安調査庁設置は必要である、こういうふうに考えております。  大蔵省に移ります。大蔵省の方は外局を減らすために内局がふえております。このうちで、独立の形として現われておりました財務官財務参事官と相なりました。これは大したことではないと思います。ただ国税庁が徴税局にかわります。それからもう一つ外国為替関係為替局になつて新しく局がふえておりますそれによつて外局は大いに減つておりますので、その点ではむしろ賛成をいたしたい、こういうふうに考えます。附属機関も名前をかえただけじやないかと思います。今までの造幣庁並びに印刷庁が内部機関となつて次官の規制のもとに動くようになりましたが、印刷局並びに造幣局の独立はやむを得ないものと思います。ただ今後問題になりますのは、印刷局を庁にしてもらいたいとか、あるいは庁になつたから長官にしてもらいたいとか、あるいはまた印刷局がかわつたために、今度造幣局の方もまた庁にしてもらいたいということがよく官庁に起るのですが、将来こういう、バランスをとるという形はぜひかえてほしい。一応変更したものをまた元へもどすなどのときには、名前にとらわれたりしないで、まつたくの必要性からでなければやらないということにしないと、庁、局の廃合のごときを軽々にやるおそれがありますので、これを厳格にしなければ相ならぬと思つております。  文部省は大した変化はございません。ただ文化財保護委員会と称するものは、これを廃止してどつかの局へつけたかつたのでありますが、これが堂堂このまま残つておりますことを、私は遺憾に思つております。私は美術を愛好する者でありますけれども、必ずしも行政委員会のごときものを置く必要はないのじやないかと考えております。  それから厚生省の方は、引揚援護庁が局にかわつただけで、これもあまり変化なく行つております。各省を見ると、われわれのやつた行政制度の企画審議が、一体どこに飛んでしまつたのかと思つて非常に遺憾に思います。私はこういう制度がいいとか悪いとかいうことは、断の一字で断行しなければならぬと思つておりますが、一々の省を見ると、泰山鳴動してねずみ一匹というような感じがいたします。  次に農林省であります。水産庁の問題はちよつとさつき触れましたが、これは審議、判定を要することがあるのかもしれませんが、水産局でいいと思うのが庁で残つております。これなどはちよつと詮議してこまかく掘り下げてみると、なぜ存在したかということがわかるのじやないかと思います。  その次通産省は、元から少し局が多いと思われましたが、相当局が減りました。仕事はふえたと思いますが、これはたいへん喜ばしいことだと私は思います。のみならず外局を三局ほど移しました。中小企業局、またこれはよそから入つて参りましたが、公益事業局及び石炭局と鉱山局は二つになりましたけれども、資源庁はこれによつて廃止されて参りました。ただここにちよつと心配な点が一つあるのです。それは簡素化の結果少し問題が起らないかということです。実行上問題が起るならばすぐかえていただきたいと思うことは、従来資源庁に鉱山の保安関係をつかさどつておる鉱山保安局というのがありましたが、それが今度消えまして、官房の中に鉱山保安監というものができたのです。これは非常にむずかしい問題です。普通の労働よりもむずかしい命がけの労働をし、そして地下何千尺のところで働いておる。この人たちにとつてはロープ一本が命の綱だという問題があるのです。この保安監は何か事件が起つて、あとから飛び込んで行つてこれを調査してやりかえるというわけには行かないのです。あらかじめそういう危険をとめなければならぬ。あるいは坑内エレヴエーターは十人までしか乗れないのに、急ぐからと十五人、二十人乗つける。一応は乗れますけれども、それがもしものことがあつたらたいへんなことになる。鉱山そのものの運営も大事ですが、人命を一人でも損ずることは困るのに、これについての保安監がこういう官房所属で処理できるか。これは私は非常に簡明過ぎて目的の達成ができないのではないか。鉱山不安監じやないかと思うのです。鉱山保安監ついては、保安を維持するためにほんとう独立的の形にすべきで、部を減らしたり局を減らしたりとかいうことにとらわれ過ぎてはしないかと思うのです。これは鉱山関係官庁の方の意見をよく聞き、また民間の方々の意見もよく聞いていただくということで、これを監督する人たちの人数とか出張旅費のごときも惜しまず、各地方にあります通産局の問題まで掘り下げて意を用いていただかなければ、かえつてマイナスの結果を生ずるおそれがあると思います。  それから四つの通産省の外局が三つ減りましたのはけつこうですが、これは局になるという形の上だけで賛成申し上げるのです。私は工業技術院に関しては、今申した通り、中央工業技術庁の設置まで考えておりますから、絶えずこれについては力を盡しておりますが、この工業技術庁はなぜ局にしなかつたか、なぜ工業技術院としたのか、どうもわからな。それからやはりこれは附属機関となつておりますが、それならば、これはちよつと、おもしろいことで、さつき申しました庁を重んじ、局を軽んずるという一つの弊風から来たもので、庁よりも軽く局よりも重い院がよかろうということでこしらえたと思うのです。これは病院の院をとつて参りましたので、この長官は院長と申すのかもしれませんが、これははなはだおもしろくない。改悪であつて、リデイキュラスの問題だと思つておるのです。  その次に運輸省の問題ですが、私は運輸省というものについては、かねてから廃する省のうちへ入れておりました。私は、運輸省と厚生省と、望むらくは文部省を廃すという考え方を、常に持つておるものであります。その意味から、この運輸省仕事については、またこまかく意見がございますが、これは一応置くということになつておりますから、この基本案によつて私は意見を述べたいと思います。もし私の意見を述べさせてもらえば、ここにあります海運局、船舶局、並びに船員局というものは、全部海運交通関係に関することなんですから、これは対外問題もそうでありますし、国内問題もそうでありますし、一部観光とかいうものもありますが、全部が経済上の問題につながつておりますから、むしろ少し大きくなりますが、通産省に持つてつていいものではないかと思つております。港湾局は当然建設局に持つて行くべきものであり、また鉄道監督局及び自動車局も、これは陸運関係のものとしての方面にくつける。ことによつては、自動車などの製造は通産省に持つて参りまして、その他のものは地方にまかしてもいいのではないかと思つております。ただここに航空局が新しくできまして、もとの航空庁というものが局にかわりましたが、今後は飛行機の製造までやらねばならぬという航空行政であり、今後の日本は航運が海運以上になるという航空行政ですから、この関係において、通産省と運輸省と両方で共管するということは、非常に遺憾なことであると思います。ただそれをいずれにつけようかということについては検討を要します。  次に郵政省について申し上げます。郵政省の方は何ら変化がありませんが、ただ電波監理委員会という行政委員会がここに吸収されました。この吸収されましたことはけつこうであります。電波監理という仕事そのものは非常に重要な仕事でありまして、これは終戦後ことに大切になつて参りましたこれはもう皆様御存じと思いますけれども、人間の入国は海上保安庁であれだけ完全にとめても秘密入国があるのですが、これ以上に電波の入国はいかにしてもとらえることができない。そうして自然に入つてしまう。たえず繰返しても、これはいかんともしがたいというものでありますから、これに対する監理は、ただ新しい民間放送局を許すか、テレビジヨンを許すかということがこの委員会仕事ではなくて、今後そういう面における電波監理行政を完遂していただくために、この局は相当大切な局である。ある場合には、保安庁が省にでもなれば、これにでも入れることが必要であるかもしれぬ、こんなふうにも思われる重要な役目を持つておるものであることを考えますので、この点は実行面において、電波監理委員会が従来完全なことをやつてつたとは申し上げませんが、局になりました後、より以上これから将来に仕事がふえて参ると思いますので、これは運営上政府は留意するような御勧告を願つておくのが必要ではなかろうかと考えます。  労働省の問題は、外局と称する置かなくてはならぬ委員会のうちで、調停関係は、従来は国鉄と専売公社が別々に地方と中央とにありましたのを、二つを一緒にして地方と中央とをこしらえたにすぎないのではないかと考えます。これは六つの外局がありましたのを四つにしたということですから、これ以上申し上げません。建設省の方も自動車建設委員会というものが外局になるわけであります。その次は安本問題でございますが、安本の問題はさきに私申し上げました。これについては、もう消えてしまう官庁でありますけれども、これにかわつて起る経済審議庁の方の仕事が、ただいま申しました形で運営されることを希望します。ただここで問題になりますのは電気通信省の問題でございます。これは法案も手元にございますので、一応拝見いたしましたが、この公社の問題でございます。私は国鉄公社の模様も拝見しておりますし、また専売公社運営委員になつておりますが、専売公社のあり方のごときは、まつた大蔵省専売局が文字通り看板を塗りかえたというだけでございます。そうして秋山孝之輔氏がただ総裁となつているだけであります。総裁、副総裁と言つておりますが、副総裁以下は大蔵省の方がおられまして、まつたく帽子的の存在になつておるというわけであります。こういう公社では民営に移す段階の見本になりません。でありますから、私はこれにありまする電気通信省公社の問題については、この内容がいかなるものであるかということについて注視しておりますが、これについては、第一に公社そのもののねらいが何をねらつておられるのか。将来民営ということを希望しておるが、その第一段階として現段階ではまず公社で行こうというのであるか。専売公社の問題は、あれは民営に移す前提でやつたものではなく、その他の理由からやつたらしいのですが、今度のは民営に移す前提として公社をつくつたという形でなければならぬと私は思つているわけです。その点でこの公社の内容を拝見いたしますと、これは専売公社よりは民営に一歩くらい進んだものです。将来はともかく、まず第一にこの五十四条、六十一条及び六十七条、七十一条、これはいずれも経理関係に属するものでありまするが、單に従来の予算の取扱いのごとき方法をとりませんで、予算外にサープラスが出た場合には、予算の納付金以上のものは積立金として公社に残すというように、幾らか奨励的のことが残つております。また会計規則の方も、企業的運営に間に合うような規定につくれという非常に幅の広いものが、この法律に盛り込まれておりますから、従来の専売公社の会計規則のように、金を銀行に預けることも、必要上特別の場合に大蔵大臣の許可をとらなければならぬというものが、これは特別の事由があれば、企業上必要があれば、銀行へでも郵便局へでも預けていいことになつておりまして、預金をするなんてのは小問題でありますが、一応そういう点まで割方ゆるくなつております。いま一つ大切な問題は、予算が余りました場合には、その予算を翌年度に繰越していいということも認められております。従来は予算を使い切つてしまわなければ、その翌年から予算が減らされるのだという、いわば官庁考え方と同じような経営を押しつけておりましたが、その点は今度は一進歩があると思います。しかしこれもどなたが運営なさいますか、この運営なさる方が従来通りのやり方でおやりになるとすれば、これはサープラススも何も出ない。むしろマイナスになるのではないかと思うのです。その次に、電信電話公社民営に移す見本になる国際電信電話株式会社法案を見ますと、定款は準備委員がつくるので、まだわかつておりませんが、この線でできると思いますが、この十一条が気にいらぬのです。この十一条が民営本位になつていないと思うのです。これはやはり取締役、監査役の選任、解任、利益金処分案、あらゆるものが郵政大臣の許可を必要とする。もしこれが公社の許可を必要とするとなつておるならばもつと悪かつた。これは郵政大臣の許可を必要としております。これで見ますとその会社は当然株が売られるということになつておりますが、民営に移つてもかくのごときことがあれば、おそらく株を買う人はないので、民営に移らぬと思う。どうしてもこの点をはつきりさして、民営に移つてしまつたらこうという条件付の定款でなければ、この株を引受ける人はないと思う。現にこの国際電信電話というものは、終戦後その筋の命令で国内電信電話と一緒にするように——そのときは逓信省でありましたかが引受けて、無理に併合さして、そのときに——二十一、二年ですが、固定資産の価額が帳簿価額の五、六倍であつたにもかかわらず、それが払込み三十円でそのまま吸収された。でありますから電信、電話会社の株を持つべからずという財界の空気が非常に強い。こういうふうな定款ならば、おそらく民営に移す見本にならないのではないかということを、非常におそれているわけであります。それに連関して、附則の二十項に民間割当云々とありますが、これは幾ら割当てるか不明なのです。同時にまた第二十一項に処分の時期云云とありますが、その処分の時期も一定の期間を、三年以内とか五年以内とかきめる必要がないのか。初めは官が幾ら持ち民間が幾ら持つかということは大切な問題であります。そうならばまたその定款のうちに、もう少し自由性を持たせなければ、電信電話民営という前提、見本になるということには思われないのじやないか、こういうふうに思われますし、また財界人の頭もすぐにその点においての掘下げをいたしまして、危惧の念を抱いて、この株を自由に活発に持つことができないのじやないかそうなると民営の見本だという目的が達成されぬのじやないか、こういうふうに考えます。
  4. 八木一郎

    八木委員長 これにて原安三郎君の御意見の開陳は終りました。御質疑はございませんか。——御質疑がなければ、次に東京大学教授辻清明君より御意見を聴取いたします。
  5. 辻清明

    ○辻公述人 このたび従来懸案になつておりました行政機構改革に関する法案が、国会へ提出されることになりまして、同時にこの行政組織と密接な関係を持つております行政運営に関する法案、これが議員提出法案として出たというこの二つのことは、今まで長い間日本行政機構の大きな欠陷とされておりました諸種の問題を解決しようという、皆さんの御努力の現われと思いまして、私どもその方面の学問をしておりますものにとりまして、御同慶にたえない次第だと思います。この公述をいたしますのにつきまして、私のもとへも数多くの資料並びに法案をいただいたわけではございまするが、その詳細な一々の点につきましてお話を申し上げるという余裕もございませんし、また私自身の知識も乏しいわけでございますから、ここでは、いわば現在の行政機構改革する場合にどういう観点から考察すべきか、それが妥当であろうかという点につきまして、私の考えておりますことを若干申しまして、法案審議されます皆様方の御参考に供したい、こう思う次第であります。従いましてただいま承つておりました原公述人のように、詳細な点につきましてはお話できないかと思うのでありますが、若干私の関心を持つております主要な問題につきまして、その原理的なところをお話申し上げたい、こう思つております。  最初に総論として考えますことは、行政機構改革するということは、従来の内閣でしばしば取上げられたことであります。その場合におきまして、一体どんな基準に立つて行政機構改革したらいいのかという点が、必ずしも明白でなかつたという印象を持つわけであります。普通行政機構改革する場合と申しますと、節約とか能率を上げるためということが言われるのでありますが、一体節約とか能率という抽象的な言葉は、それだけできまつた基準というものはないのでありまして、やはりその時代、その国、その時のいろいろな社会条件といつたものによりまして、その内容が一定していない。いわば相対的な基準であるということが言えるわけであります。かりに節約ということをとりましても、非常に極端なことを申しますと、行政機構を全部なくしてしまう。これが一番安上りであるということになるわけでありますが、しかしそういうことをしましたならば、国家なり社会の生活というものは成り立たない。そうかといつて、必要に応じて幾らでもつくつておればそれでいいか、それが能率的であるかということになりますと、そうでないことは皆さん方御承知の通りであります。そこで現在わが国で、節約と能率という原理を一番生かそうと思えば、一体どういう点に目標を置いたらいいだろうかということが、ここで最も必要なことになるのではないかと思うのであります。よくしばしば、日本は貧乏国になつたからとにかく小さくすればいいのだ、大体行政官吏の数が多過ぎることが、そもそも社会の弊害の原因だという非常に素朴な議論をされる方があるかと思いますと、今度は逆に、そういう感情論に対しまして、今まで通り行政官庁の勢力と申しますか、なわ張りといいますが、そういうものをあくまで是が非でも守つて行こうという反対感情も出て来るというようなわけでありまして、この点におきましてはなるたけ合理的と申しますか、世人の納得するような一つの目標を立てて、こういう目標でやるから、行政機構がかりに縮小され、そしてそのために若干迷惑が生じても、国民は納得するというような一つの基準を立てなければならない。ただ多いから減らしたらいいとか、あるいは今までそれでやつて来たから、その通りにしておこうというようなことでは、国民は納得しないと思うのであります。でありますから、一体行政機構改革するときには、どんな目的を具体的に実現するかということを定めること、それからさらにそういう目的をもし果すことができなかつたならば、それは一体どこに欠陷があるのだろうということを次に考えまして、そしてその欠陷を具体的に行政機構の上で新しく改革して行こう、こういう三段階を経なければならないと思うのであります。日本で節約と能率の原理を具体的に生かそうと思うのは、いろいろな面にあるわけでありますが、なかんずく行政官庁の割拠制といいますか、セクシヨナリズムでお互いに対立し合つているという、この点の欠陷を改革することが、現在の日本で節約と能率を最大限に生かす最も重要な点ではないか、こういうように思うわけであります。この官庁のセクシヨナリズムといいますのは、今に始まつたことではありませんので、明治以来ずつと続いて来た日本の、いわばビユーロクラシーと申しますか、官僚の伝統的な精神であり、やり方であつたと思うのであります。このセクシヨナリズムの結果どういうことが起ろかと申しますと、まず第一に政策の統一的な遂行ということが非常に困難になる。これが最も現在なすべき政策であろうと思つてやりましても、どこかの省で強力に反対するということになりますと、かりにこれが実現されましても、初めとは相当違つた形になつて来る。そういう点が第一の欠陥。第二点は非常に能率を妨げる。相互の連絡がとれず、あるいはまた煩瑣な手続が起り、お互いが割拠対立しているところから、おのずからみなが自己の所管について秘密的になりやすいというようなことから、似たような手続が重複しましたり、あるいはまたその結果として今度は所管の空間が出て来るおそれがある、そういう意味におきまして能率を妨げる。それから第三には、むだな費用を産むということであります。統一的な行政機構が完備されておりましたならば、それだけで初めから一定の予算がどれくらいいるかということが、比較的明らかになるわけであります。現在伝えられるところによりますと、各省で有能な役人というのは、予算をなるたけたくさん自分のところへ持つて来る腕前を持つている人、これが最も有能な官吏と言えるということを私はよく聞きますが、そういうことから、かなりむだな費用が生れて来ているのではないか。それだけでもすでに能率と節約という原理に相反しておると思うわけであります。そこで大体このセクシヨナリズムといいますか、官庁の割拠性を克服して改革して行くのには、どういう方法がいいだろうかということが、ここで問題になつて来るわけであります。このことは新しくできました行政組織法におきましても当然考えていることであります。行政組織法におきましては、国家のすべての行政組織内閣の統轄のもとにはつきりした範囲の権限と事務を持ち、それが全体的に仕事ができるように、系統的に構成されるべきであるということをうたつております。あるいはまた行政機関相互の間に連絡ができ、そうして一体として行政機能を発揮しなければならないと書いておりますが、事実上それを具体的にどのような方法でやり、どのような組織で行うかという点につきましては、どういう理由か存じませんが、行政組織法においてはその点が欠けていた。その行政組織法のもとでその精神を実現して行くためには、当然現に存在する行政機構に対して運用のいわば批判といいますか、改革が加えられねばならなかつたわけであります。そこで一体官庁の割拠性を克服するのには、なるほどこれを統一的に行う組織をつくればいいこれは言うまでもないことであります。ただ日本の場合におきましては、そういう統一的な組織をつくつた場合に、これが非常に強度の集権的な機構になつて、せつかく新しい憲法とかその他の諸法規が定めております、いわば民主的行政の実現という点に妨げになるようなことがないであろうか、という危険が存するわけであります。この両者をいかに調整して、一方においては行政の技術的な能率を高め行政費を節約し、と同時に他方においてそれがかつての官僚行政というものの弊害を生み出さないようにしよう。この二つを調整することが、今日の行政機構審議する場合に、最もかんじんなことではないかと考えるのであります。行政官庁に対する一種の統制的といいますか統一的——学者はいろいろの言葉を使つておりますが、普通統合的などと申しておりますが、そういう機関をつくることに対しましては、相当強い反対、があるわけであります。現に一両年前の行政審議会の報告におきましても、横割型の官庁というものはとかく摩擦を生じていかぬ、従つてこういものはできるだけない方が望ましいという答申案をつくつているわけであります。しかし、これを別の面から考えますと、摩擦ということは必ずしも望ましくないわけでありますがおよそ改革をやろうというときには、そこに必ず摩擦が起る。そういう摩擦を初めからおそれておりましたならばすべて改革はできない、あるいは非常になまぬるいものになつてしまうわけであります。もちろんその摩擦の結果、それが行政の命とりになるというような欠陷を生む場合においては、その横割型の官庁のどこかに欠陷があるわけでありまして、そのこと自身が再び批判の対象になるわけでありますが、少くとも合理的な横割官庁存在は、今日世界各国いかなる国をとりましても、現代的行政をやつておる国においては、まず当然のことであると考えておるのであります。こういうことは釈迦に説法の観がございますが、通常行政組織をつくる場合には、まず行政対象の差別によつて分類して行くわけであります。たとえば商工業であるとか、農林であるとか、労働であるとか、社会福祉であるとか、そのほか資源の問題、財政金融の問題というように、一応大幅の行政対象によつて行政官庁をつくるわけですが、しかし、これをさらに統制するためにまずどこから始まつたかというと、これらの官庁に共通しておるごくささいな、たとえば印刷であるとか統計であるとかの非常に技術的な面は、各官庁でお互いに独立でやつてつたならば非常にむだが生ずるというので、これはまとめて一つ官庁をつくろうじやないかという機運がまず起つて来て、そうして印刷関係官庁であるとか、統計に関する官庁であるとかいつたものが出て来たわけであります。ところがそういう機運にさらに拍車をかけて来ましたのは、二十世紀になつて次第に社会の仕事がいろいろ専門的に複雑化し来る。それに応じまして行政官庁を多数つくらなければならない。あまりたくさん出て来ますと、今度は全体が非常に分散化して、まとめて行こうという方向が困難になつて来る。そこであらかじめこれらのすべての官庁に共通して統一的な基準を與えることが望しい、そういう要求からできるだけすべての官庁に共通し、しかも最も基本的な線が打出せるようなそういう行政を集めまして、これはこれで別個の横割官庁をつくろうじやないか、こういう機運が出て来た。その最も重要な機能が予算と人事と企画調査という行政であります。予算とか人事とか企画調査というのは、各省に共通の仕事でありまして、これらにつきましてそれぞれ専門官庁を設けてそこで大綱を定め、お互いの官庁の間で摩擦が起つたり、衝突が生じたりして、それによつて政策に矛盾を来したり、費用がむやみに出ることを押えよう、こういう機運になつて来たわけであります。現在のわが国におきましても、そういう機運が出て来た。こういう機運は行政官庁がそれぞれ非常に強く割拠的であるところではあまり起らない。実は戦争中のことでありますが、内閣人事部をつくろうという案が出ましても、いずれもこの人事については各省が独自の権限を持つていた当時でありますから、各省が先頭に立つて反対して遂にそれができなかつた。それからこれは有名な物語りになつておりますが、戦争中のことであります。朝日新聞におられた佐佐弘雄氏の書かれたものに、横浜でありましたかドツクのどこかに二本の鉄のくいを打つのに実際上は二、三時間で済んだけれども、その許可を得るのに八つの官庁から非常に多くの判をもらわなければならず、半年もかかつたというエピソードが出ておりましたが、ああいうものをできるだけ何とかして統合して、割拠性の弊害を救おうと努力したが、遂にそれができなかつた。今日そのような弊害を再びもたらさないために、行政機構改革が取上げられておるわけであります。この点におきましてもこの際はつきりした解決ができれば、何より望ましいと思う次第であります。ただ、しかしその場合におきましても、予算、人事、企画、調査といつた行政の基本的な問題をすべて一箇所に集めるためには、私が先ほど申しましたように扱い方いかんによりましては、これがまた非常に強い独裁的権力を発揮することにならないとも限らない。ですからその点をある程度牽制しながら、なおかつそのやり方の妙味を発揮するということが特に大事ではないかと思うのであります。そういう点につきまして若干の点を取上げまして、お話を具体的に申し上げたいと思うのであります。  今申しました人事、予算、企画、調査というような問題につきまして考えてみますと、まず第一に今度の行政機構改革におきましては、国家公務員法の一部改正に基きまして、人事院の機構が縮小と申しますか転換されております。御承知のように人事院がこのたび人事委員会という名前になり、従つてあの厖大な組織がある程度縮小され、その権限におきましても内閣総理大臣から独立していたというところから、これをできるだけ内閣の責任のもとに置くという改革なつたわけであります。当初から人事院のあの広汎な独立性につきましては、とかくの批判がありまして、あるいは三権分立の原理に違反する、あるいは議院内閣制度の精神にもとるものでないかという批判が、強くいろいろの方から叫ばれていたわけであります。ただここでこの人事院の問題でありますが、なるほど非常に人事行政を行う面において強い力を持つておる。これは準司法、準立法、それから人事行政全体にわたつて人事院がいわば非常に、人々の批判の言葉を使いますと、人事院の独裁化というような言葉が伝わつたわけであります。最近人事院人事行政を大幅に各省に移管すべきであるという声が出て来まして、大体今度の改革もその線に沿つたものであろうかと思うのであります。御承知のように人事院があのように広汎な人事院規則、つまり公務員のみならず、一般の国民の権利義務まで支配するというような広汎な規則制定権を持つているということは、これは相当重要な問題でありますし、この点に対する批判はもとよりであります。また厖大な組織を持つているということにつきましても、ある程度冗費がそこに出ているということから、当然これを批判すべきでありますけれども、ただ私をして言わしめますならば、あの人事院並びに公務員制度というものは、これは單に日本の今までの人事行政のやり方がまずかつた、だからこれに新しい合理的、科学的な行政を取入れるのだ、そういう考え方でできたのではないのじやないか、こういうように思うわけであります。むしろそういう問題ももとよりありますが、それ以上にもつと大きい点は、やはり従来の日本の官僚制的行政というものをこの際大いに改革して、そうしてこの公務員法第一条にうたつておりますような、民主的かつ能率的な行政を国民のために保障する、そういう大きな使命を持つていたと思うのであります。そういう使命そのものは、決してわれわれとして批判あるいは非難できないものであります。そのためには、ささいな技術的な行政の問題につきましては、ある程度しばらく目をつぶる。もちろん私としましても、今日人事院が広汎な人事行政権を握つているということは必ずしも好ましくない。いつかはあの行政を各省に移管して、もつと具体的に各省が要求し、各省の具体的実情に即するようなそういう人事行政を行うことが望ましい。現にアメリカのフーヴアー報告書もそういう点を勧告しておりますが、もちろんまだそこまで実施は強くされておりません。私自身もその方が具体的であろうかと思いますが、先ほど申しましたような大目的を考えますと、やはりこの際はある程度人事行政と申しますか、官僚制度の民主化を使命としている官庁に相当の独立的権限を與えまして、そうして一応その目鼻がついたところで、あらためてこの人事院というものの存在についてこれを具体的に改革して行こう、こういうように考えるのが至当ではないかと思うのであります。そういう意味では、人事院の権限なり機構を縮小するということは、根本論としては決して反対ではありませんが、時期尚早ではなか。御承知のように三権分立の原理、議院内閣制の原理と申しますか、これらはすべてイギリスにおきましてもアメリカにおきましても、時代によつてかわつて来ているわけであります。今から百年前のアメリカのあの統治構造と、それから五十年前、そうして現在、イギリスの議院内閣制の百年前、五十年前、現在では、ずいぶんその形態がかわつて来ているわけであります。最近のアメリカの行政のやり方は、これは本来の三権分立の原則に反するというようなことを、アメリカですら言つているようなかわり方であります。従いまして一体どの時代のどの形態をば基準として、これが三権分立に反する、あるいは議院内閣制の精神にもとるというようなことは、必ずしも厳密な意味で言えない今日の実情ではないかと思うのであります。問題は日本行政機構の欠陷をどの面で最も改革して行かなければならないかということの方が、はるかに大事ではないかというように私は考えるのであります。従いましてこの人事院内閣責任という名のもとに、総理府の一外局としてしまうその結果、そうでなくても歴史を持たない人事院が非常に無力なものになりまして、せつかく行政の民主化と能率化というあの大目的をうたつた大きな目的が、結局また元の通りの各行政官庁の力によつて減殺してしまう、あるいはそういう目的が消え去つてしまうということになることを、私はおそれるわけであります。従いまして問題は、單に技術の問題というよりも、もつと大きな新しい憲法に即応した、ほんとうに議院内閣制を実施して行くために、まず人事院の力というものを借りて、そうして官僚制の民主化というものに国会が努力されるということが、特に望ましいというように思うわけであります。  それから第二は、予算の面でありますが、今日予算という問題が、單に国家の経費の査定をするというだけではなくして、いわば統一的な国家の政策を実施して行くという面を強く持つていることは、これは御承知の通りであります。その点におきまして、アメリカにおきましては、予算というものは一九三九年以来大統領の片腕として、その有力な幕僚機関になつているわけであります。これは一つの予算を通じて国家の統一的政策を官庁のすみずみにまで徹底させよう、こういう一つの精神の現われであります。またイギリスにおきましては、この予算は大体におきまして大蔵省が握つているわけであります。この点におきましては、今日の日本の場合と比較的似ているわけでありますが、しかしその点でもやはり国情の相違で違いがあるわけであります。御承知だろうと存じますが、大蔵省は單に予算の査定のみならず、イギリスにおきましては人事もここで行われておるのであります。つまり日本人事院のような役割を大蔵省がやつております。それからまた一九四〇年の半ばごろから、経済計画に関する仕事もやはり大蔵省でやつております。イギリスの大蔵省といいますのは、人事経済計画、予算の査定といつたふうな非常に広汎な、いわば官庁の中の官庁、デパートメント・オヴ・デパートメンツという言葉をよく学者は用いておりますが、そういう大きな地位を持つております。だから日本の場合も、大蔵省がやればいいじやないかという一つの議論が出て来るわけであります。今日予算局というものを総理府に持つて来たらいいではないかという声が一方では強いわけでありますが、それに対しまして、いやそれではかえつて新しく摩擦を生じたり、それから金融といつたような他の面あるいは租税といつたような問題を扱つている大蔵省がやる方が、最も無難だというような根拠から、これに反対する方もずいぶんおられるわけでありますが、その場合に、前者は大体アメリカ型、後者はイギリス型をもつてそれぞれ主張の根拠とされておられるわけであります。ただ問題は、イギリスの場合に大蔵省側にとつて行くということは、これはちよつと日本の場合と事情が違うわけであります。イギリスの議会制度が発達して来ました根本の中心問題は、まず財政権というものを議会が獲得することであつた。従いましてイギリスでは今日大蔵省といつておりますが、いわばあの発生は議会の中から選ばれた内閣のその内閣員の中で最も主要な役、つまり多数党の政党の幹部のような人が数人集まりまして、そして国家の予算、財政を決定する最高の機関を形成している。これがだんだん今日の大蔵省になつて来たわけです。今日の大蔵省長官はいわゆる大蔵大臣でありますが、その伝統を持つておりまして、イギリスでは総理大臣のことをフアースト・ロード・オブ・トレジャリーという名前をもつて今日まで呼んでおります。つまり財務省の第一主任大臣と申しますか、これがイギリスの総理大臣の本来の名前であります。プライム・ミニスターという総理大臣言葉を用い出しましたのは、ごく最近の話であります。もともとはフアースト・ロード・オブ・トレジアリー、大蔵省の第一長官、これが総理大臣であります。ところが総面大臣がだんだん閣議でいろいろな仕事がふえて参りまして、フアースト・ロードオブ・トレジアリーの役割をすることができない。そこでいわばその次席格に当るカウンシラー・オブ・エクスチエーカーというのが、今日の大蔵大臣になつておるわけでありまして、本来は大蔵省長官というものは総理大臣だという歴史的伝統を持つておるわけであります。そういう意味におきまして、大蔵省はある意味では総理庁のような役割を今日ではしているわけであります。現にこの大蔵省は單に一官庁としてではなくて、予算の査定につきましては、ちよつとどう訳していいか、インター・デパート・メンタル・コミテイーというのがあるわけであります。インターナシヨナルというと国際という言葉ですから、省際といいますか、各省にまたがつた委員会というものが幾つもございまして、そのインター・デパートメンタル委員会、つまり省際委員会というものを非常に重要現して、それらの意見なりいろいろの勧告に基いて、大蔵省というものは予算を査定しているわけであります。そういう点におきましての役割とか、今言つた歴史的事情を見ますと、イギリスの大蔵省は、ある意味では内閣総理府のような役割をしている、こういうように言えるわけであります。今日日本の先ほど申しましたセクシヨナリズムを打破するという点におきまして、予算という全体にわたるような管理行政の機能をば一つ官庁、しかも同時に、なるほど税とか金融というような面は直接予算に関係あるといたしましても、そういうものの影響を強く受ける金融の問題も、商工業、貿易の問題もすべて同等に予算には反映すべきでありますが、それが特に金融機関規制の面のみが強く影響するような一つの省に置いておくことが、はたして妥当かどうかということになりますと、これはそう一概に現在の大蔵省に依然として予算編成権を置いておいていいかどうかということは、少し疑問になつて来るのではないか、こういうように思うわけであります。現に内閣総理大臣は、新しい憲法におきまして従来の日本官庁の割拠性を押えるために、非常に強い権限が與えられております。これは明治憲法のもとでは見られなかつたほどの強い権限であります。これは内閣制度ができました明治十八年に、総理大臣の権限を非常に強化した。しかしそうい強いう統制力というものは、一方におきまして内閣が会議体であるという議院内閣制の精神を、ともすれば破るということにもなりかねない。そこでこの強い統制力を憲法の上で與えられている総理大臣のもとに、さらに予算の編成権を持つて行く、あるいは人事を持つて行くということになりますと、イギリスに発達して来ましたようなキャビネットを中心とした本来の議院内閣制の精神が、そこで消えるのではなかろうか。なかんずくそう申しては何でありますが、日本の議会の歴史を見ますと、新しい憲法に至るまでは、本来の議会制にふさわしいだけの権限を持つていなかつたわけであります。本来の権限を持つようになりましてから、まだ数年のことでありまして、議会制に不可欠のいろいろな慣行というようなものも歴史として持つていない。これからつくつて行かなければならないという事情にある今日特に総理府というような行政官庁に強い統制力を與えると、キヤビネツト自身がある程度無力化するのではないか、そういう危険があるのであります。イギリスのような場合でありますと、内閣総理大臣の地位は日本の新憲法で規定されたほどの強い権限は持つておりません。従いましてそういう伝統のもとで、今言つたインター・デパートメンタル・コミテイーというような制度も活用されておるということがあり得るわけであります。そういう点におきまして、これをどの点で調整して行つたらよいかということ、しかしこれは行政機構の問題というよりは、むしろ議会制度自身の問題とも関連するわけでありますから、ここでは一応おいておくことにいたします。  それからアメリカ流の予算局を大統領の片腕にするということ、これはアメリカの場合において、なぜそれが大統領の独裁をもたらさないかと言いますと、ここではいわば権力分立の原理に従いまして、一応議会と大統領との間が分離されておる。その間に調整の機能も最近起つておりますが、しかし議会は議会で、大統領がいかに強力を誇ろうとも、それをチェックする、統制していく別の方法をいろいろ備えているわけであります。そういう点で独裁化を防ごうとしているわけであります。日本の場合におきましては、イギリスの傾向、つまりイギリスの大蔵大臣の持つている特殊な地位、それからアメリカの予算局の最近の傾向、それから特に日本のセクシヨナリズムということを考えますと、予算編成局というものを内閣の中枢部に持つて行くということは、これは今後当然の傾向ではないかと思いますが、しかしそれに対するまた別個の統制力というものは、他の方法で考えるべきではないかと思うのであります。  それからその次に、行政管理を所掌されます統計とか監察、経済企画とつたような問題であります。この点におきまして、最近行政管理庁が今度の改革で相当大幅の権限を持たれるようになりましたことは、ある意味では現代の行政組織の趨向にのつとつたものではないか、こういうように思うわけであります。ただその監察でありますが、監察も部内監察だけでありますと、往々にしてついお手盛りの監督に終つてしまうということになるわけでありまして、この点におきましても、何らかの形で部外監察というようなものが必要であろうと思うのであります。ただ問題は行政管理というような非常に裏門的な事項を取扱うことになりますると、下手にしろうとがいじくつて、かえつて行政の能率を妨げるというような危険も出て来るわけであります。いかにして識者の意見をそこに盛り込むか、あるいは国民が行政に対してこういうことをしてほしいという希望を取入れるようにするかという、このいわば部外監察といいますか、そういう制度が特に必要なんであります。これは参考のために申しておきますが、外国においてこういつた制度ができますときには、必ずといつていいくらいにそれに併置いたしまして民間の各代表、いろいろの識者の人々から成りますボード、審議会というものを必ず付設しまして、かなり大幅の監督権限をこれに與えているのが通例であります。そういう点におきましても今度の行政管理庁は、行政機構の原理という面からはまことにけつこうな改革でありますが、その面の配慮が少し足りないのではないかというように思うわけであります。  それからさらに自治庁の問題がございますが、現在の地方自治団体がそれぞれお互いに対立し合いまして、これを何とかして調整して行かなければならないという声が起つていることは、これは私も認めるわけであります。しかしながら同時にそのような対立が財源の問題で、たとえば中央に依存しているというためにかえつて激化しているというようなことも、他面考えなければならないわけであります。従いましてその解決は、なるほどある程度地方自治に連絡、調整させる中央官庁というようなものが必要であるかもしれませんが、それはむしろ集権的な機構を整備するというよりは、むしろもつと地方団体の自主的な、みずから進んで自分たちの意思に基いた連絡団体というようなものにまつべきではないか。あるいはまたそういう問題については、機構を整備してとにかく中央で指導して行こうというよりは、あるいは区域の変更であるとか、あるいはまたその他財政の問題を考えるといつたような別個の観点が必要なのではないか。日本の場合におきましては、とかく一応中央集権のきすなを放たれて放任されるということになりまして、その弊害が若干出て来ますと、また昔通りの中央集権の機構でこれを改革した方がいいという声がすぐ出て来るのであります。それを考えるもう一歩前に、もう一つそのやり方でなくて解決する道があるのではないかという点に対して、もつと真剣な研究と考察をしていいのではないかというように思うわけであります。現にこの改革案を見ましても、地方自治庁の権限は少し広汎に過ぎると思うのであります。地方自治というものは中央官庁によりまして育成されたり、あるいはまた指導されるということによつて発達したということは、古来いかなる国をとりましても一つもないわけであります。今日各国で地方自治に対する若干の中央集権の傾向がありますが、これらは地方自治が発達したあとへ起つて来た若干の弊害について、これを矯正するためにできておるものでありまして、初めから地方自治を育成するために、中央集権的な傾向をつくろうということで成功したためしは、おそらくどこの国にも一つもないといつても決して間違いではないと思うわけであります。地方自治庁の機構改革につきましても、地方団体の意思の参加ということがある程度稀薄であります。参與であるとか、また財政につきましてはかなり大きな権限を持たされておりますが、もう少し強く地方団体の意思の反映ということが望ましい。知識につきましては集権、権力については分権というのが現代国家の地方自治の原理でありますが、その点を今回の改革は少し逸脱しているのではないかというように考えるわけであります。  以上が行政組織人事院、予算、行政管理、それから自治庁という問題をとらえまして、私の思いつきました考えをお話したわけでありますが、この行政組織の問題と非常に密接な関係を持つております行政運営法案というものにつきましても、一言触れておきたいと思います。このたび議員提出法案として、国家行政運営法案というものが国会に提出されておりますことは、国会が行政に対する監督権を持つておるという本来の精神を生かし、行政官庁はすべて国会に対して責任を持たなければならないという近代国家の基本原理を現わしたものとして、まことに歓迎すべきことだと思うわけであります。今までは御承知のように明治憲法のもとにおきましては、憲法第十条、官制大権、任官大権の原理によりまして、そういうことが困難であつたわけであります。今日その趣旨に従つてこの法案が出されるということは、非常に慶賀すべきことだと思うのでありますが、全体としてこの原案を見ますと、非常に訓示的規定であるという印象が強いわけであります。もちろんなきにまさるわけでありますが、しかしこの結果、はたして大きな効果が出るあでろうかという点について、はなはだ疑わしいというように思うわけであります。なかんずく行政運営の基本方針としまして、行政の民主化と能率化の二つの面があると思うのでありますが、この国家行政運営法案を通読した印象を申しますと、いわゆる技術的能率という面に、少し重点が置かれ過ぎておるのではないかというように考えるわけであります。私は新憲法以来多くの諸法案が出ましたたびに、行政の能率化ということよりも、まず民主化の方が大事であつて、民主化が行われるならばそれは当然よき能率を考えるということが結果として生れて来る。ただ技術的能率、技術的能率といつていては、必ずしも民主化は出て来ないということを繰返し強調しておるわけでありまして、またかということにもなるわけでありますが、この問題につきましては、いくら強調しても決して強調し過ぎることはないのではないか、こう思うので一言申すわけであります。このたびのこの法案で許可に一定の限度を設けておるということは、非常に民主的行政の現われでありますが、同時に行政をやる場合には、人権をそこなつたり、あるいはまた憲法に保障しているいろいろの自由なり、あるいは国民の当然得べき生活というものを侵すようなことのない規定を、やはりこの場合にも強くうたつておくべきではなかつたかというように思うのであります。こんなことは当然のことであつて、わかり切つたことだから、わざわざこれに入入れなくてもいいのではないかという反駁もあると思うのであります。しかしそういう点ならば、この法規全体がある程度訓示的規定でありますために、ほかの条文についても同様なことが言えるのではないかと思うのであります。こういうような大事な行政の運用方法に対する注意というものは、念には念を入れることが必要ではないかと思うのであります。特にこの法案は、一九四六年にアメリカで通りました行政手続法というものをモデルとしておるようであります。そのアドミニストラテイヴ・プロシーデエア・アクトというものの骨子は、最近行政命令が増加して来る傾向にかんがみて、国会の目の行き届がない行政命令によつて人権が損害されるかもしれない。それをできるだけ守ろうとしてできたのがアドミニストラテイヴ・プロシーデユア・アクトの基本精神であります。従いまして、もしその法案を参考とされてこの法案ができたといたしましたならば、やはりその点も特に御配慮願いたかつたというように考える次第であります。特にこの法案につきまして、先ほども申しました行政監察に関する規定がありますが、この規定では、大体におきまして部内監察を中心としておるようでありますが、部内監察につきましては、先ほど申しましたような理由によりまして、いま少し部外的監察機関というものを設けまして、その意見を徴することがほんとうの民主的行政運営の目的に合致するのではないか、こういうように考える次第であります。  はなはだまとまりのつかない話になりましたけれども、行政構機改革を御審議なさいます皆様方の御参考になれば、幸いと思うのであります。
  6. 八木一郎

    八木委員長 これにて辻清明君の御意見の開陳は終りました。委員諸君から同君に対する御質疑はございませんか。
  7. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 この公聴会というものは、どういう性格のものか存じませんが、御意見を拝聴するだけにとどめておくべきものだろうと考えております。またこれだけこまかい問題を質問するということは、政府委員とは違うのであります。結局議論になるようなことがありますから、私は原公述人などに質問をすることを避けたのでありますが、辻公述人は幸い学者であられるのであります。中立的な立場から二、三の点をお教えをいただきたいと思うのであります。ただいま根本的なことについてお話を承りまして、非常に有益であつたのであります。今度の改革では各種の行政委員会を大部分廃止されるようになつたことは、御承知の通りでございます。審判的機能を持つたものを残して、あとは廃止いたしまして、各省の部分機関として存置したものもあります。統計局、全国選挙管理委員会、電波監理委員会中央厚生保護委員会、その他いろいろありますが、そういうものを廃止するのが行政学的に見て正しいかどうかということについて——これは民主化のためにアメリカのアドヴアイスに基いてつくつたものであるので、行政民主化の見地から見ていかがなものであるかということを承りたい。
  8. 辻清明

    ○辻公述人 行政委員会につきまして私も若干の勉強をしておるわけでございますが、御満足の行くお答えができるかどうかはわかりませんが、私、結論から申しますと、行政委員会を大幅に廃止するということは反対であります。なるほど行政委員会制度と申しますのは、ある点で単独長官の行政官庁がやつております行政機関に比べまして、能率がよくないという非難が出て来ることは、これはやむを得ないことだと思うのであります。ただ行政委員会制度と申しますのは、これも御承知と存じますが、いろいろの目的を持つておるわけであります。一人の長官制のもとで行つた場合には、ある程度かつてなといいますか、懇意的な行政が起るかもしれない。そういう危険があるとき、これを防ごうというので行政委員会というものを設ける場合、たとえば人事委員会、公安委員会というものがそれに当ると思うのです。それから今度はこの行政目的について、一般的の原則を定めることが非常にむずかしくて、ときどきの非常に違つた具体的な条件に適応したような決定をしなければならぬ。こういう場合にはやはり会議制の委員会制度でやつて行つた方が妥当だ。あるいはまた委員会制度にしておきまして、民間の人々に委員になつていただいてその知識を採用する。不当取引の判定などという場合はその例になると思う。それから特に利害関係者の意見を吸収して、これに対して公正な判定を與えようというような行政が必要な場合、これまたやはり行政委員会制度にしておきまして、なるたけそこへ多くの意見を反映させるようにする。たとえば労働委員会などというものは、そういう役割をするものだと思います。それからまた普通の行政官庁の官吏の知識をもつてしてはなかなか困難で、民間専門知識をできるだけ多く吸収して行くことが特に必要な場合、やはり行政委員会をつくる。たとえば今までございました統計委員会というようなものがそうじやないかと思います。そういうわけで、この行政委員会制度はただ会議官庁というだけでなくて、今言つたような効用を持つておるわけであります。その結果として、何しろ会議制でありますから、どうしてもその決定は迅速でない。これはやむを得ないところだと思う。日本の場合におきましては、従来単独官庁で迅速に決定をやつていたかというと、必ずしも非常に能率のいい行政が行われていたとは限らない。むしろ単独制の当局にとつて非常に都合のいい便宜なやり方を歓迎する、こういうのが単独制を強く主張される方々の意見ではないかと思うのであります。日本の場合においては、とかく今言つた民間の知識を吸収したり、それから個々の具体的な条件に対してほんとうに行き届いた、つまりかゆいところに手の届くような判定をしたり決定をしたりする点が、今まで欠けていたのではないか、そういう意味において、この行政委員会制度というものも一つのうまみがあるというように思うわけです。行政を民主化し能率化して行く、これを国会がコントロールして行くということは、これは基本の問題でありますが、それ以外にいろいろな手段を盡してこの際やつて行かなければならないその一助には、少くともなる。だからその結果として、将来また具体的に単独制官庁をもつてしても、決して今までのような弊害が起らないようになりましたあかつきには、この行政委員会存在理由をあらためて考え直してもいいわけでありますが、行政委員会の現在の日本の行政面における価値というものはかなり大きいのではないか、こういうように思うわけであります。一々の行政委員会の実情については、私も詳しく知るところがありませんが、ただ占領行政を遂行するために、特に行政委員会が設けられたというようなものにつきましては、この際これを整理するということは望ましいかとも思いますが、根本において行政委員会はとにかく行政能率の上から見て、どうもおもしろくないという理由から廃止することには反対であります。
  9. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 次に今度の改革におきましては、各省外局たる庁はこれを廃止して原則として内局にする、それから各省の局の中に置かれておりまする部は廃止するという原則を立てまして、その原則でずつとやつておりますために、われわれから見て、これを廃止しては行政能率の上から見ても不都合だと思われるものも、廃止せざるを得なくなつておるように見えるのです。一つの例を申しますと、農林省の農地局などは普通の省の二つ三つの予算を持つておりまして、一つの局で非常に大きな仕事をする。日本の将来の食糧増産あるいは農地の改良等をやるところでありますが、それがただこの部を廃止するという原則によつて、三部あるのを廃止して、そうして農地局長のもとに十四課をずつと並列させて仕事をやつて行く。局とか部とか課とかいうものは、それぞれの行政目的に従つて職能に応じた分類でやつて来ておるだろうと思う。大体われわれの見るところはそうなんであります。人間はできるだけ少いことを希望しますけれども、職能の分類というものは保存することが能率を上げるゆえんじやないか、こう思うのであります。そういう一斉に廃止するというやり方について、御批判を願いたいと思います。
  10. 辻清明

    ○辻公述人 私も詳しく一々の省の部局の現状を存じませんので、的確なお答えはできないのではないかと思いますが、一つの省の中で特に厖大な部局ができるということは、これは必ずしも望ましくないのではないか。たとえば若干の局の中で、一つの局が非常に大きな組織を占めるということになりますと、どうしてもその省全体の政策を決定する場合に、その局が重点的にといいますか、重要視されるようになり、たまたまその局の長につく者が、その省内で大きい発言権を持つというような結果になるわけであります。理想的に申しますと、内部の部局全体がある程度均衡化されて行くことが最も望ましいと思います。そういう理想に従つてこれを統合して行くということが、本来の行政機構の原理であろうかと思います。ただ同時に、今おつしやいましたように、天引制のようにすべて各省を五部なり四部なりに整理してしまうという方法から、実情を無視して今言つたような重要な部局を制限するというようなことになりますと、これまた何のために行政機構改革をやるかという本来の目的の方が忘れられてしまう。制度とか組織とかいうものは、私から考えますとあくまで手段であります。本来その目的としておる行政が最も効果的に行われるのが望ましい。ただ先ほどから申しておりますように、そこにバランスがとれなくなつて来ると、その本来の目的の遂行が困難になつて来る。だからこそそれをできるだけ平均化して行くという原理が働いて来るわけであります。そういう意味において、どうすれば一番行政目的が達成できるかという点の方が、大事ではないかというふうに思います。
  11. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 予算編成権の問題で、先ほどイギリスやアメリカの制度をお引きになつて、御説明になつたのでありますが、これは非常に大切な問題で、今われわれ論議しておるところでありますが、いずれも一得一失あり、御説の通りであります。日本でこれを今の大蔵省に置いた方がいいか、内閣に別に総合企画庁のようなものを設け、予算編成権を與えた方がいいかということは、日本の実情にも照して考えてみなければならぬ。大蔵大臣ならまだいいのでありますが、大蔵省の下の役人のところへ各省がみな頼みに行つておる。国会は最高の機関だが、これも大蔵省の小さい役人のところへ、ひとつ予算を幾らかおれの方にもまわしてくれという運動に行つておる。そういう運動に行くところがやはり内閣中央部にあるならば、各省大臣も国会議員もすべてがそこへ要求を集中し得るわけであります。いわゆる議員内閣制を完成して行く上において私は内閣の方にあつた方が、結局そういう妙な現象が起るくらいならば、理由は透徹するんじやないか、そういうふうに考えるのでありますが、いかがでありましよう。
  12. 辻清明

    ○辻公述人 予算の編成も、やはり行政組織の場合と同様でありまして、これは一定の政策を効果的に遂行するために予算を編成するわけであります。つまり予算をつくつておいて、その予算のあんばいによつて政策を決定するということも当然必要でありますが、しかしいずれが大事であるかといいますと、一定の確固とした政策をつくりまして、そしてそれを実施できるような予算の編成をやるということが、本来の筋道じやないかと思うのであります。政策の方が絶えず予算の方にひつぱられていて、せつかくでき上つた政策があちらの方ではかたわになり、こちらの方ではびつこを引いておるということになれば、統一的の政策ということは実施されがたいと思うのであります。そういう意味におきまして、今日予算というものが人事と並びまして、統一的政策実施の面に有力な武器となつておるわけであります。理想から申しますと、お説の通りに予算局というものをつくりまして、内閣に持つて行つた方がいいと思うのです。なお私が先ほど言いましたように、人事の場合には、ある程度独立制を持たない方がいい。人事の場合は、行政を運用しておるのは人間でありまして、その面で人事の公正を維持する。これは非常に大切なことでありますが、予算は何といいましても数字の問題であります。問題は公正な人によつて正確な予算がつくられればいいわけでありますから、従いまして予算の場合は、人事ほど私は特に独立性というようなものは強調しない。むしろ総理府に持つてつてもかまわない。弊害はそれほど起らないんじやないかという考え方で、予算の場合はかなり中央へ持つて行つた方がよいのではなかろうかということを申したわけでありますが、同時に私の憂えますところは、予算が中央へ参りまして、その結果内閣総理大臣に非常に強い勢力を持たれる。閣内で統一的な政策は望ましいけれども、これが他の官庁を統制するほどの強い作用を逆に著しく発揮し始めますと、これまた他面何か別の弊害が出て来るのではないかということを心配するわけであります。なかんずく日本の場合はアメリカの場合と違いまして、国会で絶体多数をとつて、その首領といいますか総裁といいますかが総理大臣になりますと、事実上予算編成権、人事権を持ちますから、一応何でもできるという条件に置かれるわけであります。アメリカの大統領の場合はそういうことができないということは先ほど申した通りであります。イギリスの場合におきましては、今日の憲法が規定するほど強い権限を総理大臣は持つておりません。従いましてこの点におきましては、議会制度自身の方がそういう弊害を来さないという一つの慣行といいますか、やり方を樹立されないと、先ほど言つたように、結局大蔵省が強い権限を持つておるにかかわらず、今度は内閣官吏が非常に強い権限を持つて、それが総理大臣と一体となつてすべてを統制して行くという、そういう逆の効果も出て来るんじやないか。その点の保障がないと、一概に持つてつてそれで置きつぱなしでいいんだというわけには行かぬのじやないかというふうに考えます。
  13. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 いろいろ聞きたいのですけれども、議論になるといけませんからお聞きまするだけにとどめたいと思います。それから行政運営に関する法律案というのはまだ出ていないのです。これは自由党の内部の試案で、未定縞らしく、私どもいただいておらないのです。しかし機構改革よりもその方が実は大事だと思つております。それで御意見は非常にけつこうであるのでありますが、なお十分でないように感じられますので、ぜひ引続き批判をしていただきたい意味において御質問申し上げますが、この機構がいくら整備されても、実際国民の方からいうと、非常に日本の行政はうまく行つておらぬ。最近の例も多少ありますけれども、戦時中私の關與した例で、綿布を国外に輸出するというのに、六箇月ほどかかつて六十幾つかの判をもらわなければ、終局へ達しなかつたのであります。しかもその商人が役所に行つて手続をやるのに、これはどこに頼むのでしようかと、まず最初に三階に行つて聞いたところ、それは六階だと言うから、六階に行つたら、それは四階だと言われて、ずつと午前中歩いて、やはり最初に聞いたところがその所管官庁であつたことを発見して、半日つぶしちやつた。そんなことは、その書類のある一点に、主管官庁の責任官吏の部局が書いてあれば起らないことであるが、そういうことが実にルーズなのである。そうして国民が時間と足とをむだに費すことを何とも思つていないのが、日本の行政の運営のやり方である。これをどうしたならば改革できるかということは、まじめにわれわれ考えてみなければならぬ問題であると思つておるのでありまして、もつとそういう願いとか、許可、認可というようなものを簡素化する方法、そうして国民の負担を減らす方法をひとつお教え願いたい。それから判をたくさん押すことは、どうしても官吏の責任回避主義の土台になる。どうしたならば少い判で処理して行けるようになるか、そういう官吏の責任制度をはつきりさせる方法というような点について、今ここですぐとは申しませんが、ぜひ行政運営について徹底した御批判を仰ぎたいと思います。
  14. 八木一郎

    八木委員長 この際ちよつと誤解があるといけませんから、委員長から申し上げておきますが、先ほど辻公述人から述べられた行政運営法案は、ただいまお示しのように、今国会に提案を用意いたしまして検討中のものであります。あるいは専門員その他の方から教えを受けに辻先生のもとにいつたのを、先生の方はもう提案されたと誤解されて述べられたと思いますが、この際誤解を解いておきます。
  15. 辻清明

    ○辻公述人 最後におつしやつた鈴木先生の御発言はまつたく同感でありまして、私どもも今後研究して、いずれ法案が出ましたときに……。
  16. 木村榮

    ○木村(榮)委員 時間がございませんから一つだけお伺いしたいのは、今度の改革の中で外国為替管理委員会並びに外資委員会が、従来総理府外局であつたものが大蔵省内局になつて為替局といつたようなものになる。この問題に対しましては、外国為替の管理や外国貿易の管理の内容、その他従来やつて来ました外国為替管理委員会の性格、また将来の外資の問題、また外国為替の管理の問題、こういつた問題をめぐつて、私たちの聞くところでは、財界では相当不安があつて反対の声もあるということなんです。私は専門家ではございませんから、詳しい内容はよく存じませんが、大体しろうと考え考えてみましても、外国為替の管理並びに外資の問題を、ただ單に大蔵省の一内局としてこれを扱うといつたふうなことは、日本の貿易の問題——貿易の問題は必ず為替の問題も伴いますから、貿易全体から見ました場合、あるいは通産省とも関連がありましようし、その他万般の問題と関連があると思いますが、これを大蔵省の一内局として扱うという点はどのようなものか。もし御検討になつてつたら御意見を承りたいと思います。
  17. 辻清明

    ○辻公述人 実はせつかくの御質問ですが、私外国為替の問題はそう詳しくないので、公述人の方で御専門の方もいらつしやると思いますから、その方からお聞きいただきたいと思います。全体といたしまして、占領期間中にいろいろな委員会ができたわけでありますが、今度の講和になりまして、みな争うように各官庁が昔の機能を自分の方にとりもどそうとしていることは、非常に憂うべきことでありまして、実際今以上に新しい構想のもとに、統一的な行政機構考えていいではないか、こう思つております。御満足の行かないお答えですが、私外国為替の問題は知らないものですから……。
  18. 八木一郎

    八木委員長 これにて休憩いたし、午後一時より再開いたします。     午後零時三十二分休憩      ————◇—————     午後一時三十四分開議
  19. 八木一郎

    八木委員長 これより内閣委員会公聽会を再開いたします。  読売新聞論説委愛川重義君に御意見の開陳をお願いいたします。
  20. 愛川重義

    愛川公述人 私はたまたまきようは早く参りまして、原さん、辻さんのお話を伺いました。従つて各省別にきわめて詳細に御意見のあつた原さん、また総括的な点についての御意見のあつた辻さんの御指摘の点と重複をいたしませんように、なるたけ努めまして、今回の改革案を拝見いたしまして、日ごろ考えておるところに基いて得た感想を、若干申し述べてみたいと思います。  今回の改革は、担当大臣の御説明にもございましたように、国民負担の軽減を第一のねらいとした行政整理の一環として行われたものと承知いたしております。前国会で、さきに人員整理が定員法の改正として行われたわけでありますが、これと本来ならば同時に行わるべきもの、同時というよりもむしろ定員法の改正に先だつて、まず事務の整理をやる。その次に、その整理された事務運営にふさわしい行政機構というものを考える。もちろんその間事務処理の敏速化ということは重々配慮せられつつ、最もその事務運営に必要な、適当した行政機構というものを、なるたけ簡素な形において考える。かくして最後に余つた人員というものを整理する。これは内閣政令諮問委員会もそういうような御意見のように承知いたしておりますが、そうあるべきものだと思うのであります。ところが御承知のように、これはいろいろ政治的な事情、閣内でのいろいろな問題もありまして、順序が前後したようで、まずその点が非常に遺憾だと思うのであります。行政整理というものが非常に困難なことは、かつて東條内閣時代、あれほどの非常に強権的な内閣の力をもつてしても、三割減という当初の方針が、必ずしもその目的を達し得なかつたという点から考えても、実際問題として、これは政治論としてやりますと、言うべくしてなかなか行いがたいということは十分わかつておりますので、政府がだらしがないという非難ばかりするのが能ではないので、なかなかよくおやりになつたという点もなきにしもあらずでありますけれども、しかしわれわれの考え方から申しますと、人員整理、行政機構改革、両方を含めてはなはだ不徹底きわまる。もう少し思い切つたものを国民は期待しておつたのではなかろうかと思うのであります。自由党が行政整理をやるということを選挙の公約になすつたときに、これが国民の非常な共感を呼んだことは疑う余地がないので、現在の行政機構というものがいかに複雑かつ厖大であつて日本の国力にふさわしくないものだということは、議論の余地がないのじやないかと思うのであります。国民が税金に非常に苦しんでおり、どうしてこんなに税金が減らぬのだろうかということを、われわれよく地方に旅行いたします際に、一番よく聞かされるのがこの問題でありまして、何とかこの税金がもう少し減らぬものでしようか、その原因はどこにあるのだろうかということで、多くの民衆は何とかお役所の機構とお役人の数をもう少し簡素にして、税金の負担を軽減してもらいたいということを熱望いたしておるのであります。聞き及びますところ、総理大臣は非常に積極的な整理の希望を持つておられるというふうに承知しておつたので、おそらく総理の希望するところとは、この結果は大分違つておるのじやないかというふうに思うのであります。  そこで今度の整理案というもののはなはだ不満足な点について、若干の例と申しますか、案を拝見して感じたところを申してみますと、今度の整理で行政委員会が九つ減つたとか、外局が十二減つたとか、いろいろな説明が行われておるのでありますけれども、これは名称が変更をされただけであつて、その事務量や人員の点に関しては、この名称が変更されたほど実は減つておらない。経済安定本部経済調査庁、調達庁等の廃止に伴いまして、三千五百人だけの人間は減つておるそうでありますけれども、しかしその他の点で、たとえば通産省の中小企業局であるとか、林野庁だとかいうようなものはそれぞれ内局なつたわけでありますが、企業庁が企業局となつて、しかしこれらもちよつと聞きましたところではほとんど名前がかわつて長官がやめるという程度で、人員も何も全然かわりがない。予算にしましても百万くらいの減少になるかならぬかというふうなことを耳にしております。たとい今度のような案でも、もう少しこれは簡素化するということの熱意があれば、もつともつと縮小の余地があつたのじやないかということを感ずるわけであります。たとえば厚生省と労働省とは一本化すべしという意見も、相当強くあつたにもかかわらず、これが行われなかつた理由というものは、あるいは対外的にこういう方面の省を減らすということが、はなはだおもしろくないというような考え方もあつたというふうに聞いておりますけれども、それならば中小企業庁を小さくしたり、ことに法務府の人権擁護局などをほとんどなくしてしまつて、民事局か何かの中に入れてしまうというようなやり方は非常に一致していない。簡素化第一で行くならば、この点は一本にできるのじやないかということを感じたわけであります。  その一番顯著な例は、私はこの法案を見まして感じたのは、法務府の改革案であります。御承知のように、これは非常に重要な問題ですから、私あとで触れたいと思うのでありますが、法制意見局内閣へ参りまとて法制局というものになつて、昔と同じようなことになつたわけでありますが、戦後の法務庁は昔の司法省と違いまして、裁判所に対する監督権もなければ、検察庁に対する指揮権もなく、昔検事局を司法大臣が指揮しておつたのと違いまして、検事総長を指揮し得るだけであります。法制意見局をとつてしまつた法務省というものは、実は一省として存在する価値があるかどうかということさえ言つても、過言ではないのではないかと思うので、その省にこれほど大きな局をたくさん並べておく必要があるのかどうかという点、非常に疑問を感ずる次第であります。この改正案によりますと、保護局とか訟務局、それから矯正局とかいうようなものができております。昔の司法省は民事局と刑事局と行刑局というもので大体やつてつたわけでございますが、この保護局と矯正局という二つの局をつくる必要が一体あるのかどうかという点であります。保護局の第一に恩赦に関する事項というのが入つておりますが、この恩赦関係は復権の点を除きますと、これは保護というよりも刑事政策であつて、これは刑事局に入るべきが適当なのじやないか。それをしいて保護局に入れたのは、やはり保護局というものを残しておくと申しますか、局としての体裁を保つために、何かしいて恩赦関係のものをここへ持つて来たというような感じがちよつとするのであります。これは矯正局の中に一本にいたしまして、矯正局一本ということで十分用が足りるのじやないかと思います。昔から機構改革で、司法省がいつも問題になるのは保護局でありまして、ちよつとゆるんだときは局になつて、ちよつと締めるときには官房の保護課ということに今までなつてつたので、これは因縁つきの局でありますが、こういうふうに政府が徹底的に簡素化するというねらいでやられる場合には、こういうものは二つにわけないで、一本にしていただくということができるのじやないかと思うのであります。そしてこういう点をむしろ縮めて、人権擁護関係を民事局に入れてしまうというのも、何かたいへん無理な感じがするのでありますが、これからだんだん伝えらますように、警察制度というものが昔の状態にもどつて来る。総理大臣が国警長官や警視総監の任免権を持ち、これで総理が不満足だというのですから、次第にこの点が強化されて来ると思うのでありますが、そういうことになりますと、人権擁護の必要というものは、これから一層必要と申しますか、重要になつて来るのであつて、一方に警察機能の強化という点で、ある程度警察の能率本位な機構ということをお考えになるならば、救済的に、人権をはなはだしく蹂躪された者が救済を求めに行けるように、行きやすいように、積極的にやつておくという必要があるので、この点は何か機構全体から受ける印象が、どうも方針が間達つておるのじやないかというような感じがするわけであります。  それから先ほどもちよつと話が出ましたが、農林省の林野庁を内局にして、水産庁を残してあります。これなども、じつと各省の案を見ておりまして、従来林野庁は、御承知のように帝室林野関係と一緒になつて、相当大きな受持と申しますか、所轄を持つておりますし、予算からいつても、かかえておる人間の数からいいましても、とても水産庁とは比較にならない。その林野庁を入れたのなら、水産庁も当然これは入れるべきであると思うのであります何か政府説明書を見ますと、一般農林行政とは性質が違うからということが書いてあります。それから将来活動が活発化するということも考えられるから、残したのだというような御説明でございますけれども、それは農林行政と違うというならば、省の名前を農林水産省となすつてもよろしいでしようし、しいてこれだけをぽつんと残しておくのは、外局を整理するのだ特許局のような審判的なものを除いて整理するのだという御方針ならば、これだけ残しておくのは何だか理由が納得できないという感じ、また将来大いに水産行政は活発にしなければいかぬからということならば、これはそういうことになつて、どうしてもまかない切れぬというときにまたあらためて考慮すればいいので、これはどうも林野庁に比べれば、片方だけ残す理由がはなはだないというような印象を受けたわけであります。  それからこの機構改革は、何でも縮めればいい、縮めればいいということで、まあ大いに縮めてくださることを熱望するものでありますけれども、しかし縮め方がございまして、全体の均衡において縮めて行かなければならないわけでありますが、政府の今回の案をおつくりになつた御方針というものを伺いますと、行政の簡素能率化と、それから責任体制の確立ということが大分強調されておる。行政委員会の整理やそれから外局内局に入れたという点は、確かにこれは責任体制の確立ということになるので、主としてこの点をさしておるのだろうと思うのでありますが、わが国の独立後の行政機構というもののあり方を考える場合に、私は従来の公述人のお話になかつた点で、これは一番重視しなければならぬと考えておるのでありますが、これから日本の政党の勢力というものと官僚勢力と申しますか、これはまあ官僚勢力と申しますと大きくなりますが、官僚機構ーこの行政機構とのあり方というものは非常に微妙な関係があるので、この点を常に念頭に置かなければならぬと思うておるのであります。現在のところ何と申しましても政党は戰後発足したばかりであります。しかも占領下であつたために基礎きわめて薄弱で、まだ健全しかも強力な政党というものは存在しておらぬ。日本はこれから民主政治、議会政治という建前であくまで行くわけでありますが、これは政党政治、政党の勢力というものは健全に強くなつて行くということを、念頭に置く必要がまず第一にある。そういう場合に考えますことは、政党がちよつと政権をとつても、官僚というものを自由に使つて行けないということでは、政党政治というものの効果を発揮し得ないのでありますから、これは行政機構というものを考える場合にその点を重視しなければならない。そうかといつてこう申してははなはだ失礼でございますが、ざつくばらんに申しますと、現在の政党でも一部に憂慮されておりますように腐敗と申しますか、あるいは徒党化と申しますか、必ずしも政策によつて動かない点があつたり、あるいはある一部では利権関係であるとか、あるいは官僚のポストに対するいわゆる猟官的傾向と申しますか、そういう傾向が独立後は相当出て来るんじやないかということも、これは当然考えなければならぬわけであります。この点はある程度弊害が出ても、政党を強くするためには私は多少の弊害はかまわぬと思つておるので、そう官僚を擁護することばかり予防的に考える必要はないと思いますけれども、しかしこの弊害があまり強く出て参りますと、今度は政党政治はこれだからいかぬということになつて、政党以外の極左極右の方が民主政治、政党政治を攻撃する材料を與えることになる。政党政治は、たとえばひんぴんとして更迭いたす場合が起るのでありまして、そういう場合に行政の継続性と申しますか、健全な行政機構というものがあつて、政党がかわつても日々の国の行政に支障を来さないというような状態は、これはぜひ必要なのでありまして、イギリスの官吏制度と申しますか、行政機構というもの全体が比較的模範的な状態だといわれておるのでありますけれども、そういう点を考えますと、あまり政党の自由になるというようなことばかりを考えてもいけない。適当な配慮と申しますか、必要なところに線を引くということが、必要になつて来るわけであります。  そこでこういう点から今度の機構改革案をながめますと、まず行政委員会の整理ということは、これは責任の所在がはつきりしないし、政党の勢力を及ぼさせないというのが建前でありますから、不必要なものはある程度整理をするということは必要であつてけつこうだと思うのでありますまた外局の整理ということもその点から見まして、これはやはりその趣旨に沿つた改革であると思うのであります。今度の改革人事院とそれから公安委員会というものは、片方は国家人事委員会ということになり、片方は公安委員会の制度を従来通り残すということで、人事と警察に関しては大体従来の制度をはなはだしく変更しない。人事院内閣人事局にしてしまうという案もあつたようでありますが、それをとらなれて行政委員会として残したということは、今申しました点から見れば、  これはよかつたのじやないかというふうに思うのであります。今これまでも  一挙に取込んでしまうということは相当に危険があるので、これはよかつたのじやないかと思います。全国選挙管理委員会も廃止されておるのでありますが、この選挙に関する行政事務を離しておいて、一体行政委員会制度をとる必要があるかどうかということも、  一つの問題でありましよう。今全国選挙管理委員会だけは廃止になりますけれども、参議院の全国のものを初めとして、各府県市町村のものは残つているわけでありますが、これなどはどうもやはり普通の行政事務としてやつてみても、法規に従つてやるのだから、そう大して弊害はないじやないかという気がするのであります。  それからその他の点でちよつと気づきましたのは、先ほど申しました林野庁などを中へ入れた点なども、これは  一種の考え方でありますけれども、これが内局に單に名前をかえただけで、実質的には何らかわつていない。むしろ経費の節減は判こをかえたり、看板をかえたりする費用でこれはプラス、  マイナスになつてしまうというようなことならば、これを内局として地方営林局のポストを自由にその人事権を持たせる。これは外局には政務次官もおりませんし、まあ外局であるよりは内局の方が人事はやりやすくなるわけでありますが、林野庁というのは相当利権の多い役所で、従来しばしばいろいろな問題になつていると申しますが、いろいろ選挙資金その他の関係で疑惑を持たれやすいところでありますから、実際上入れたことによつて何ら負担の軽減の点からいつても、どの点からいつても大してプラスがないならば、これは入れて一体どういうことになつたのだろうというような気もちよつとしたわけであります。  それからこういう問題に関連して一番考究を要するのは、今度法制局を内閣に持つて行つた問題、これは戦前ならば枢密院というようなことで、法制局というものは枢密院関係というような特殊な仕事があつたものでありますが、今はそういうこともない。ここには元法務総裁の鈴木さんもおいでになるのでありますが、元来法務総裁という制度は、これは内閣法律顧問として相当権威ある存在でなければならぬ。法律の行政解釈ということは非常に重要でありまして、国会でも主として法律の解釈をめぐつていろいろな争い、議論が沸騰することが多いのでありますから、政府としては法律解釈を内閣の手で握りたいと考えるのは、これは無理もないことでありますから、先ほど申しました政党の勢力と申しますか、政党政治の確立という点から申しますと、政権をとつた内閣がごの行政解釈に関してもある程度の自由権と申しますか、それを持ち得るような内閣法制局というものができる必要があるというのも、一つ考え方であります。それならばむしろ徹底的に法制長官を特別職にして、政党から長官が入るという昔のような制度にすれば徹底するわけであります。ところがどうも法制局というのは、従来狭い法律技術屋的傾向が相当に濃いのと、それからその内閣の希望に従つて、かなり法律を思い切つて、ときによると無理な解釈でもひんまげるといつたような事例も全然なきにしもあらず、東条内閣の当時などいろいろこういうかなり顯著な実例などもあるわけでありまして、そういう点で広く法務府は、全国の検察庁だとか裁判所だとかいうようないろいろな下部と申しますか、関係機関の点で、ともかく権威ある解釈をやり得る手足を持つておるのでありますから、ここにおいて法務総裁が権威ある解釈を下し得るという体制には、またそれだけに捨てがたい長所もあるわけであります。これは私今にわかにどちらがいいという簡単な結論をむしろ下し得ないので、こういう点はよほど愼重に御検討あつてしかるべきではないかということを感じて、一言つけ加えるわけであります。  それから先ほどもちよつとお話が出ましたけれども、行政機構のあり方というものが、やはり民主的と申しますか、社会の進歩のためご行政に力を入れなければならない面という点を考えて行かなければならぬので、先ほど人権擁護局を廃止したのはたいへ遺憾だと申したように、婦人少年局は大分一部から強い要望があつてつたようでありますが、中小企業庁なども、これは聞き及びますところによると、ほとんど名前をかえただけで、実際上何らかわりがないというのでありますから、これを内局にしたということは、今度の案が何もやらぬやらぬと言われることを防ぐために、できるだけ名前だけをかえるために、しいてこういうものも中へ入れたという印象が強いわけです。中小企業関係の対策ということは、これまたますます必要になつて参りますし、役所があれ結局いろいろなことをやるわけでありますから、これなどはやはり相当検討の余地があるのじやないかと思うわけであります。  それから次に保安庁であります。これは私は将来これが国防省に発展することは必至であるという観点から、かつて戰争中にわれわれが政治と軍事、陸海軍の対立というような問題で非常な苦汁をなめておりますから、この保安庁の機構というものは、特に愼重に検討を要すると思つておるわけであります。今回は大橋大臣の説明にもございますように、政治が軍事を支配すると申しますか、政治優位という点を非常に留意されたようで、これはまことにけつこうでありますが、どうもちとそれが行き過ぎておるのじやないかという感じを持つわけであります。長官幕僚長を通じて各部隊の指揮をやる、保安隊及び警備隊の指揮権はすべて長官に属するということになつておるわけでありますけれども、一体この部隊の指揮を、これは長官というのは国務大臣でありますから、通常政党大臣がなられるということを予見しなければならぬわけでありますが、政党出身の国防大臣が一体部隊の指揮をやれるかどうか。これは相当技術的な面が多いのでありますから、こういうことにしておいても、実際上動かないのじやないかという気がするわけであります。部隊の指揮は、やはり陸軍大学ーー保安大学ということになつております。これは将来陸軍大学、海軍大学になるのだろうと思いますがそうなつたときでいいじやないかと言えばそれまででありますが、こういう学校を出た人が幕僚長になるわけでありまして、幕僚長だけが指揮できるような体制で、長官幕僚長を指揮するということでいいのではないかという気がするのであります。そうしませんと、あまり片一方をむやみに強くしておきますと、かえつて中から反発が起つて来てー現に多少そういう傾向があるやに聞いておりますけれども、強い反発が起つて来て、これがその禍根の原因になつて、その反発の起り方いかんによつては、これがまた逆に行き過ぎて、長官の地位を現役の者によこせというようなことに発展する場合も考えなければならぬので、あまりどうも徹底的にやつておくということは、これはまあ強い保安隊という点から考えても、どうも少しー昔統帥権の独立という明治憲法の建前が、非常に禍根を生んだわけでありますけれども、その幕僚長を指揮できるということにしておいても、別に統帥権が独立するわけではないので、長官幕僚長を指揮いたしますし、総理大臣がすべての出動命令を出すのでありますから、その点は心配がない、政府のほかに立つて政府を牽制する勢力というような点の心配はないのじやないか、かように思うわけであります。  どうもたいへん飛び飛びで恐縮でありますが、大分時間もたつておりますし、あとあとたくさん公述人もおられるので、私はごく思いついたままの感想を申し上げたわけであります。結論といたしまして、今回の行政整理は非常に不徹底なものでありますからこれは私が日ごろ感じておりまする国民の熱望というものにこたえる見地から言つても、もつと徹底的な整理ということをぜひやつていただきたい。それには何と申しましても、事務自体を整理する、事務を整理するためには法令自身の改廃ということから始めなければならぬのです。今各府県の知事でもまた各省大臣次官にしても、自分のところの役所で一体具体的にどういう事務が処理されて行つているかということを知つておる人は、ほとんどあるまいと思うのですが、そういう点から言つても非常に複雑になつておるのでありますから、これは思い切つたこの調査のスタッフをこの際つくつてもー一国会がおつくりになるのもけつこうでありましよう。あらゆるものを、国会の内外を通じて権威のあるものをつくつて日本の行政事務の実態というものをまず徹底的に調査して、これを把握する、その上で整理すべきものをえりわけ、しかる後にもう一度本格的な行政機構改革から人員整理ということ、これはもう一年でも二年でもかかりましよう。内閣の運命とは別個に、超党派的国家事業として、ぜひこれをひとつ断行していただきたいということを熱望いたしまして、結論といたす次第であります。どうも失礼をいたしました。
  21. 八木一郎

    八木委員長 これにて愛川君の御意見開陳は終りましたが、何か御質疑はございませんでしようか。
  22. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 時間を倹約するためにあまり質問しないことにいたしますが、一点だけお尋ねしておきます。愛川さんはさすがに民間の自由人でありまして、非常によくとらわれない立場から今度の改革を批評されておりまして、非常に敬服いたします。ことに法務府の改造について適切な御批評があつたのでありますが、しかし大事なところがぼけたように感じますので、いま一度お尋ねしておきます。  司法省廃止論というものは久しい前からあり、裁判所を監督しておる時代から、司法省というものはいらないという説が強かつたのであります。いわんや今日は完全に司法行政は最高裁判所に移つたのでありまして、そうすると検察のことはお話の通り検事総長が全責任を持つてやる、法務大臣といえども関與できない、まれに検事総長に注意をするくらいのことはありますが、これは総理府外局として検察庁を独立させてやらせてもいい。イギリスのアトー二ー・ジエネラルはこういう形をとつております。あとは矯正保護局、これもまた総理府外局でも内局でもよろしい。いらないという議論が出て来る。事実戦後改組するときはそういう議論もありました。しかし行政部として一つ法律解釈の最高機関がほしい。また平素から世界各国の立法を調査して、絶えずわが国の立法を進歩的に調査して行くそのために、総理大臣大臣に勧告もできるというような権威ある、そして文化的な官庁を設けるべきではないか。こういうことからイギリスのアトー二ー・ジエネラルという制度を参照してつくつたのが、今の法務総裁の地位であります。ところが、そのうちの一番大事と思われる法制意見ーこれも昔は法務調査意見長官法制長官と二つのものになつてつたのを、行政簡素化で今日一つにして、今度それをまた法務府からとつて内閣に持つて来て、そして内閣一つの官僚にすぎない法制長官というものをつくることになつております。そうすると今度法務大臣になるそうでありますが、法務大臣のやる仕事というものはきわめて普通の行政事務、必ずしも大臣を必要としないほどのものになつて来る。先日私は法務総裁や法制意見長官にお尋ねいたしたのでありますが、満足なお答えを得られなかつた。そして比較的今の日本の現段階において文化的な使命を持つておるとすれば、小さいけれども人権擁護局というものが、法務府の中における唯一の、この過渡期における日本が十分民主化するまでの間において、存在理由がある部局であると思います。これもそんなことは民間でやるべきだというが、民間でやれるくらいなら何もこれを役所に置くべきものではない。しかし日本ではしばらく助長するために役所でめんどうを見なければ、人権の完全な擁護ができないので、これを置いた。しかるにこれを否定してしまうというのは非常な改悪であつて、最も今度の行政改革のうちでもよろしくないものではないか。愛川さんの御批評がちようどそこに触れたようでありますが、結論としては何かはつきりしないように承つたので、いま一度承つておきたいと思います。
  23. 愛川重義

    愛川公述人 今鈴木さんのおつしやるところとまつたく同意見でありまして、一々私が先ほど申し上げた通りだと思うのであります。あれほどいろいろな大して仕事もない局を並べて置くならなぜ人権擁護局を廃止したのかという点、それから一省として存在する理由がほとんど乏しい省であるにかかわらず、あれだけ局を並べておるのはむだじやないかということを考えておるのであります。ただ私の意見にはなはだ最後の点で不満足だとおつしやるのは、それならばいつそこれをやめてしまうか、そうでなければ人権擁護局と、法制局に行つた法制意見局という点を残しておくべきではないか、こういう結論を出せというふうな御質疑のように拝聴いたしました。人権擁護局を残す点は賛成であります。ただその法制局の点は、私も半ば鈴木さんの御意見に賛成なのでありますが、先ほども申しましたように政党政治の確立という鉄則から考えますと、行政解釈というものを内閣で持つていたいということにある程度の理由もあるので、私はこれは非常にむずかしい微妙な問題でありますから、今私の現在までのいろいろ考究の結果では、どつちがいいというはつきりした回答と申しますか、結論を出すまでに至つておらぬので、私が考えておりますところをそのまま申し上げて、皆さんの御決定の御参考になればという程度で申し上げたのでありまして、残すべしということに、ちよつとやはり多少の何と申しますか、躊躇をいたしておるような次第であります。
  24. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 これ以上やらぬつもりでありましたが、愛川さんは誤解しておられるかもしれませんが、法務総裁は各省大臣と違うのであつて内閣にあるのです。ですから法制長官というものは今の法務総裁の地位にかわるものなのです。今度の改革では法務総裁は下つて来て各省大臣と同じ立場に立つわけなのです。それですからちよつと誤解があるように思いますから、お答えはいらないですが、申し上げておきます。
  25. 八木一郎

    八木委員長 他に御質疑がなければ次に進みます。成蹊大学教授佐藤功君にお願いいたします。
  26. 佐藤功

    佐藤公述人 結論的にまず申し上げますと、私は今度の一連の行政機構改革案につきまして、これに反対である、従つて撤回すべしというような考えは持つておりません。ただなおそこにいろいろな問題があるということをも認めるのでありまして、また非常に不徹底であり、あるいは不十分であると思う点もあるわけであります。つまり将来に残された問題が多いと思いますので、そういう点につきまして、全部詳細にこまかいところまで述べますことは不可能であり、また不適当でありますから、大きな点だけを簡単に申したいと思います。  そこで、私は前に論文に書いたことがあるわけでありますが、今度の行政機構改革の基本的な特徴という点については、一々あらためて申し上げるまでもないと思いますので、そういう点はやめまして、その論点としてどういう点が考えられるかという点では、私はそこには五つの論点があると思つているわけであります。一つ簡素化という点、第二番目は統合化、三番目は保安庁設置に代表されますところのわが国の自衛態勢の問題、それから四番目は行政委員会の問題、五番目は、占領が終りまして従来連合国の手にありましたいろいろな権限が日本側に委譲される、そういう権限委譲に伴う機構の改革、そういう五つの問題があると思うわけであります。それの中で特に簡素化、それから統合化、それから行政委員会という三つの論点にまとめまして、私の感じたことを申し上げた  いと思います。   まず第一の簡素化でございますが、  これはいまさら申し上げるまでもなく、ここ数年来行政機構簡素化あるいは徹底的な簡素化というようなことが盛んに言われていたわけであります。今度のこの機構改革につきましての政府側の説明というものを拝見しましても、まず第一に、何よりもやはりわが国の行政機構が驚くべきほど複雑厖大化しておる。それを整理合理化する、わが国現在の国力にふさわしい簡素かつ能率的なものにするということを、まず開口劈頭に言つているわけで、その点がやはり第一のねらいとしている点であつただろうと思います。そうして今度の機構改革は、これまた御承知のように、昨年の五月の例のリツジウエイ声明以来の問題であるわけでありますが、それが前国会の行政整理すなわち人員整理の問題となり、そうして今度の機構改革の問題となつたわけであります。そういう一連のプロセスを通じまして、新聞その他では、行政整理なり機構改革なりが、後退に後退を重ねたというようなことが言われて来たわけであります。先ほどの愛川さんのお話にも、簡素化という点が一般の国民が予想していたよりはなお不徹底であるということを述べられましたが、そういう点も同じお気持だろうと思うのであります。前国会の人員整理につきましても、例の政令諮問委員会の案が三十八万人くらいを整理するといつていたにかかわらず、十万くらいにしかならなかつた。あるいはこの機構改革の問題にしましても、いわゆる一府八省案だとか、一府九省案だとかいうことが、結局一府十一省ということになつた。これも後退に後退を重ねたというふうに言われているわけであります。ただ私が思いますには、そういう省の数を減らす。つまり二つの省を一つに統合する、あるいは廃止統合する。それがただ数を減らす、数字的な数の減少ということとだけを簡素化考えることには反対なのでありまして、たとえば一時農林省と建設省を統合して天然資源省であるとか、厚生省と労働省を統合して社会労働省というような案があつたのでありますが、それが今度は採用されなかつたということは、私はむしろ賛成なのであります。つまりそういう問題は、結局はそういう役所がどういう行政事務一つのまとまつたものとしてやるか、どういう事務を配分するかということに問題があるわけでありまして、それを無理に関係があるというだけをもつて、性質の違うものを無理やりにくつつけるということ、そういう機械的な統合ということには反対でありますので、むしろ数が思つたより減らなかつた、少くとも省の数が思つたより減らなかつたということについては、私はむしろ賛成であります。それは、問題は要するに簡素化ということの意味でありまして、これも大体簡素化といいますと、数を減らすということ、それから人員を減らすということ、それから事務を減らすという、その三つくらいのことが漠然と簡素化というような名前で呼ばれていると思うのでありまして、それが全体が総合的に行われたときに、初めて簡素化ということになるわけでありましよう。それを省庁の数を減らすという、数学的な数を減らすということだけでやりますと、むしろ行政事務の関連性というものがなくなつてしまつて、人民が向い合つているところのそういう国の行政事務というものがばらばらになつて来るというのでは、むしろ役所の数は減つても、人民が向い合つている行政事務というものがむしろ複雑になつて来て、人民の側から見ると、それは決して簡素化ということにはならないと思うのであります。でありますから、私は前に、小さくまとまつた多くの省というようなかつこうが、むしろ望ましいのだということを申したことがございますが、それはそういう意味であります。そこで小さくまとまつたというところは、しかしやはり重要でありますが、現在の行政各省庁というものがむしろ不必要なまでに厖大になり、あるとは外局というようなものまでに分散しておるという傾向があつたということは、認めなければならないと思います。そこで今度行われましたような外局内局化したという点には、私は原則として賛成であります。  それから二番目の論点は統合化ということであります。これは今述べましたように、小さくまとまつた多くの省というような言葉に現われるところの、つまり国が全体として行います行政事務の分化ということを認めながら、それに行政機構全体としてのまとまりを與えるという作用が、まさに統合という作用だと思います。その統合化という点も、今度の機構改革では大きなねらいの一つとされていると思うのでありまして、たとえば人事院内閣からの独立というものを弱めて、それを総理府に移したというようなこととか、経済審議庁をつくる、あるいは行政管理庁を強化する、法制局を内閣そのもののスタツフとした、あるいは治自庁というものをつくつたということは、そういう統合化の現われだと思います。  それの一々について簡単に申し上げますと、人事院の改組という問題はあとで行政委員会の点で述べるときに譲りますが、次の経済審議庁でございます。これは一時経済安定本部的なものを廃止する。それはいわば統制経済あるいは経済統制というものについての一種の毛ぎらいのような気持が働いておりまして、つまり自由経済というものへの楽観的な見通し、復帰論というようなものから唱えられていたように思うのでありますが、それがある程度押えられまして、経済審議庁というようなかつこうで残つたということには賛成であります、それから行政管理庁でありますが、これは今度統計委員会がそこに合併をされるというわけでありますが、統計委員会仕事が合併をされた場合に、行政管理庁の、ことに管理部、つまり現在の機構改革などを担当しておりまする機構、人員の調査、企画というようなことをやるのが管理部、それが管理庁の今日までの主力でありますが、その管理部とこの統計、それからもう一つ合併されました経済調査庁関係、つまり監察というものとの一体化ということが、はたしてどういうかつこうで考えられているのかということに疑問を持つのであります。今日従来までの行政管理庁を見ましても、管理部と監察部というものとの一体化ということは、必ずしもうまく行つておらなかつたように思うのでありまして、監察部の方はそのときどきの問題を選んで監察をする。しかしそれが管理部における機構改革なり、人員整理というものの作業というものに、はたしてうまく総合的に資料として役立つていたかどうかということは、必ずしもうまく行つていたとは思えません。そこに今度はさらに統計という仕事が入つて来る。それで管理庁の設置法を見ましても、統計委員会から、まわつて来た仕事というものと管理部の仕事というものが、木に竹を継いだようになつてしまうのではないかということを懸念するわけであります。  それから今も鈴木委員よりお話が出ました法制局の問題でございますが、これは今御発言がございましたように、今までの法務総裁というものも内閣に置くということになつておりまして、ほかの省、ほかの大臣とは性質が違うという建前になつていたわけであります。しかしながらそれが奇妙にほかの大臣に行わせてもいいと思われるような種類の事務、すなわち法制意見を除いた事務というものも、あわせて法務総裁がやつてつたというかつこうだつたのだろうと思います。それを今度切離しまして、法制意見仕事内閣に持つて来た。そして残りを各省並にしたというのが今度のかつこうでありまして、私はそれは考えの筋道としては、必ずしも非難せらるべきものではないのではないかというように思うわけでありますが、ただ問題は、今後の法制長官というものが、従来の法務総裁の法制意見に関する仕事における権威というものと、同じ権威を持つことができるかどうかということが問題として残るでありましようが、しかしその考え方としては、私はむしろ今までの法務総裁というものの、そういう二重的な性格というものが、そもそもおかしかつたのではないかというように考えております。それと関連いたしますが、法制局を今度内閣そのものの部局ということにする。今までも法務総裁も今申しましたようにそうであつたのでありますが、今度の法制局もそうである。そうなりますと、これはこまかな問題になりますが、国家行政組織法というものが内閣そのものの部局には適用がない。つまり国家行政組織法は、内閣の統轄のもとにおける各行政機関組織についての基本法であるという建前でございますから、内閣そのものの部局には適用がないということに、ならざるを得ないわけであります。たとえば部の所掌事務というものは、内閣そのものの部局ということになりますと、行政組織法の適用がない。だから法律できめなくてもいいというかつこうになるわけであります。それで今度の法制設置法を見ますと、法制局は全部で三部あるようでございますが、それの所掌事務というものは政令できめるといつて法律事項にはなつておらないのも、そういう考えであるわけでありましよう。ただ法制局の定員というのは、それはその考えから行きますと、それも政令できめるとしてもいいわけでありますが、それはこの法律の中に書いてやる。だからそれはいいのでありますが、従つて法制局の場合は行政組織法の適用をはずれるということで、そう大したことはないとは言えるわけでありますけれども、しかしながら将来もしも内閣そのものの部局だという建前で多くの部局がつくられる。たとえば考えようによりましては、今度つくられます中でも、経済審議庁というのは、内閣そのものの部局にしてもさしつかえない種類のものであるわけだと思うのですとそういうふうにいろいろな部局が内閣そのものの部局だという建前でつくら  れるといたしますと、そこにやはり行政組織法を適用する、あるいは行政組織法で各行政機関について、特に法律という形で国会がコントロールされる、そういう態勢がそういうものにも及ぼして行くという注意が、払われて  いいのではないかと私は思つております。これは従来の人事院についてまさにそうであつたのでありまして、人事院はやはり内閣そのものの部局であるというような解釈があつて、そこでああいう非常に特権的な厖大な機構、しかも定員も法律できめない、内部組織法律できめない、そういうものができていたわけなんで、その人事院が今度国家人事委員会として行政組織法の適用を受けることになつたわけであります。そのかわりに法制局なりその他の部局ができて、同じような特権扱いをされるというのでは、私はあまり望ましくないというように思うわけでございます。  今の統合の関係でもう一つ残りましたのが、いわゆる予算局の問題であります。この問題はいまさら申し上げるまでもなく、多年の問題であるわけでありますが、私はむしろ予算局設置論に賛成であります。つまり大蔵省の主計局を内閣もしくは総理府に移しまして、予算編成事務内閣がやるという建前をとるということに私は賛成であります。それでこれらの反対論としましては、歳入部面と予算部面との連絡がよくとれなくなるとか、あるいは金融部面と財政部面との連絡がとれなくなるというようなことが言われるわけでありますが、それは私は何らかのくふうによつて、その連繋を保つことができると思います。むしろそれよりも問題は、予算の編成ということの性質をどう考えるかということにあるわけでございまして、予算の編成というものを、さつきから言うように統合、すなわち行政のプログラムというものが予算の編成であるという考え方をとれば、それは大蔵省に置いておくということよりは、内閣に置くという方が適当だというふうに考えるわけであります。そうしてそういう予算の編成というものを、そういう行政のプログラムであるという考え方の方に持つて行くということが正しい行き方じやないだろうかというように考えるわけであります。  次は第三の論点で、行政委員会の問題でございますが、これは今度非常に大きく整理をされる。その整理の方向、考え方は私も大体において賛成でございます。ただこの審判的な機能を主とするものに限つて整理をしたのだというふうに、説明の中に書いてございますが、そういう立場、そういう方針と必ずしも一貫していない点がないではない。たとえば私は、前に書きましたものの中でも、文化財保護委員会あるいは首都建設委員会というようなものは、廃止すべしということを述べたことがございますが、今でもそう考えております。ただこの行政委員会の制度は、審判的機能が中心だということは言えようと思いますが、それ以外にやはり民主化と申しますか、行政についての国民の参加ということがあるわけでありまして、そつちの方の観点から残さねばならぬと考えられるものもあるわけであります。そういう点では、たとえば国家公安委員会というものは、やはり依然として委員会として存置すべきである。またそうなつたことは賛成であり、また全国選挙管理委員会、それから地方財政委員会という二つにつきましても、私はそれはちようどそこの境目にある問題だと考えていたわけであります。  そこで人事院の問題でありますが、これは政令諮問委員会としては、内閣人事局というところまで飛び越えていたのでありますが、それが委員会として残つたということには私は賛成であります。それは私はやはり守るべき一線であつたと思うのでありまして、その点では賛成でございますが、ただそれが委員会という形態として残つたにいたしましても、なお古い官僚制というものにもどることに対する警戒が、必要であろうと思うのであります。たとえば今度の案を見ますと、人事委員会規則を制定するには、内閣総理大臣の承認がいるということが書いてございますが、これは多くの行政委員会で規則制定権のあるものを見ましても、承認が必要だというふうに特にメンシヨンしているものはないと言つていいと思います。実際においてそうならば、大臣なり総理大臣の意思に反した規則が制定される危険があるのかと言いますと、それはそこにやはり実際上の連係がとられるわけでありまして、それを特に承認を要するということを書くことによつて人事委員会というものは内閣総理大臣に従属するものだということが、むしろ強く出て来る危険があるというふうに考えるわけであります。なお人事院あるいは将来の公務員の制度の問題は、そういう機構の問題だけではございませんで、たとえば職階制の問題というようなことが、私は非常に大きな問題になろうと思います。これはいろいろ雑誌等で伝えられているような職階制度、つまり現在まで人事院がやつて来た職階制というものを、根本的にくつがえすような職階制をとるべしというような議論が、だんだん強いようでございますが、むしろそういうところに人事院あるいは国家公務員制度の将来がかかつている、というふうに考えるわけでございます。それと関連をいたしますが、委員会制度をやめましたそのかわりに、審議会というような制度が多くとられているようであります。たとえば自治庁の中に全国選挙管理委員あるいは地方財政審議会というものをつくる。そしてその意見を尊重しなければならないというような規定が置かれているようでございます。これはまあ委員会制度を廃止しても、決して官僚的にならないのだという意味をもつて置かれている規定であろうと存じますが、もしも目的がそこにあるならば、その運用について、その目的に沿うように運用をして行かなければならないと思うわけでございます。大体三つの論点につきましてはそういう点で、なお最後に将来の問題と申しますか、そういう点を述べさせていただきたいと思います。私は、先ほど愛川さんが御発言になりましたと同じに、行政事務の整理ということが、まず最初に行われるべきであるという点に同感でございます。今度の機構改革を見ましても、やはり機構の簡素化あるいは機構の整備という点を何よりも先に考えて、その観点から行われているというような気がするわけであります。つまり先ほど御発言がありましたように、国が行政事務としてどうしてもやらなければならない事務は、どういう事務であるのかということをまずきめまして、それを行う上にどういう機構が必要であるかというのが、それは非常にむずかしいと言われるかもしれませんが、正しい考え方だと思うのであります。そういう点で例の政令諮問委員会のあの答申の考え方に私は賛成でございます。問題はつまり今度の行政機構改革ということが、今までの何度も行われた機構改革と違わなければならぬ点は何だと申しますと、それは結局はこの日本の講和後の独立後の行政が、いかなるものであるべきかと申しますと少し大げさでございますが、講和後の日本がどういう点に行政の重点を置くべきであるのかということが、根底であろうと思います。それをまずきめる。ところがそれについての確固たる見通しというものがなくて、ただ機構図を前にして、この役所とこの役所をくつつけるというふうな作業にとどまつてしまつたような気がするのであります。先ほど一番初めに申しました後退に後退を重ねたというような批評が行われた、それには官僚の策動であるとか、あるいは政治力の不足であるとかいうような批評が下されたわけでございますが、それはむしろ末の問題でありまして、私は、将来の日本の行政がこういう点に重点を置くべきだということが、科学的にはつきりした見通しがついたならば、それに対していかに官僚が策動しても、いかに政治力が足りなくても、それはびくともしないはずのものであるというふうに考えるわけです。そういう見通しがなかつたところから、後退に後退を重ねたという批評を受けざるを得なかつたような結果になつたということが、あつたのではないだろうかと思います。それでたとえば伝えられているところでは、今度の機構改革に並行して、法令簡素化本部というものがつくられて法令を簡素化する、整理するというようなことが言われておりますが、これはむしろ順序が逆だと考えるのであります。そこで将来の問題としましては、たとえば行政管理庁に行政審議会というようなものが設けられるということが、提案をされております。それでそういう行政審議会というものが、はたしてどのように運営されるべきかということが問題でありまして、それがやはり今言つたような基本的な考え方をとるのでなければ、結局は何にもならないということを考えるわけです。今までの機構改革を見ますと、何か二年目おき三年目おきくらいに、あらゆる行政機関全体をふろしきに入れて、全体をひつくるめて一つ大きな改革をするという、それを繰返すというような傾向があると思うのです。そういうのではなくて、私はこの機構改革という問題は、そういう二年目おき三年目おきに固めてこそつとやるというのではなくて、恒常的に行われていなければならぬものだというふうに考えるわけです。そうでなくて、いつもほつたらかしておいて二年目、三年目おきにあわてて簡素化簡素化というようなことを言う。そうするとその間中にはどんどん新しい機構がつくられて行くというようなことであつてはならない。それをどうするかと言いますと、やはり今言つたように行政事務の実態を常に見ている。そうしてこういう事務がふえる。たとえばある法律でもつてそれはなるほど一つ考え方からすれば、あつた方が望ましい事務には違いない。しかしながらそれがはたして現在の日本の行政について、ぜひともやらなければならない事務であるのかということを常に見きわめている。そしてそれに応じて、それに伴う機構の設置あるいは修正というような点を、常にそこで見きわめて行く。つまり行政事務がいかにあるべきかということを不断に見きわめながら、そこで行政機構改革ということを不断にやつて行くという、そういう考え方がとられなければ、何度二年目、三年目おきにこそつとやつても、私は完全なものはできないというふうに考えるわけでございます。なお最後に一つつけ加えさしていただきますが、国家行政運営法案要綱というものを準備しておられるようでございまして、それを拝見したのでありますが、これはこの行政機構の面に限らず、行政運営という点が重要だということで、その行政運営の基準法をつくろうという御趣旨のようでございます。その趣旨においては私は賛成でございます。ただ拝見をいたしますと、それはあまりに訓示的な規定の羅列にすぎないというようにまず感じます。それからそのいうところの行政運営というのは、一体対人民の関係の行政運営のことであるのか、それとも行政部内部の運営であるのか、そのどちらに重点が置かれているのかということが、不明瞭であるというふうに考えられます。それでたとえば国家行政組織法の第二条第二項というようなものを見ますと、ここには「国の行政機関は、内閣の統轄のもとに、行政機関相互の連絡を図り、すべて、一体として行政機能を発揮するようにしなければならない。」という一項、があるのでありますが、これは私が今言いました行政部内部の運営ということの基本的な原則を言つていると思います。その相互の連絡をはかり、一体として機能を発揮するというためには、行政内部部においてどのような行政運営がなされなければならないかというようなところに、私は問題があると思うのでありまして、そういう点に一体重点を置いているのか、それとも窓口事務を親切にせいというような、そういう対人民の関係に重点を置いているのか、そこがどうも不明瞭で、ねらいがわからないというような気がいたします。 なおこまかな点につきましては、たとえば毎年度初めに事業計画をつくれとかというような規定もございますが、それは一体どの程度の事業計画のことを頭に入れておいでになるのか。はたして毎年初めにその役所の一年の事業計画を書いて出せというようなことを、はたして期待されるものであるのであろうか。あるいは聴聞の手続について、ほかに法令の特別の定めのない場合は、この規定によるのだというような趣旨の規定があつたようでございますが、聴聞の手続というのは、ほかの法律をごらんになりますと、非常に詳細に規定されております。それ以外に一体どんなことが必要であるのか。そこに書かれていることで、詳細なほかの法律の規定が及んでいない点というものはー一体あそこに書かれているものでいいのかどうか、そう  いうような疑問を持つたのでございますが、この運営法案につきましては以上のように考えるわけでございます。
  27. 八木一郎

    八木委員長 意見の開陳が終りました。何か御質問がなければ、次に進みます。次に全国指導農業協組合連合会会長荷見安君より御意見を承ります。
  28. 荷見安

    ○荷見公述人 行政機構改革に関しまして、簡單に申し上げてみたいと思います。今回政府で立案されました行政機構改革案につきましては、非常に浩瀚なものでありますので、私は数日前お話がありましてから、全般にわたつて一々詳細に拝見する時間もなかつた  のでありますが、ごく気づきました点を一、二申し上げることにいたしたいと思います。   この行政機構改革案を御説明によつて承知いたしますと、機構の簡素化、行政機関の責任態勢の確立、行政機構全体としてのまとまりのある活動、平和條約発効後の新しい状態に即応する方法というようなことに注意されまして、基準を立てて立案されたということになつておるのでありますが、まず行政機構を整理いたしまして、その合理化をはかり、能率を増進いたし、行政機構簡素化によつて国費を節約し、国民負担の軽減を期するということは、現在のようなわが国の国力、国情に応じましてぜひ実行すべきことであります。また行政各部の責任態勢が確立されまして、行政全体の統制をはかるということも、おそらく多数国民  の要望しておられるところと思われるのでありまして、この行政機構改革の趣旨につきましては、私はまことにけつこうなことだと思うのであります。  次に行政機構改革について、私の気づきましたことを一、二申し上げてみたいと思います。第一は行政機構合理化は、これによつて能率を増進いたしまして、国民の利益をはかることが主眼でなければならないのであつて、機構の簡素化ということが、国費の節約のみが目的となつてつてはよろしくないと思うのであります。もし改革のために行政事務が澁滞いたし、相手方たる国民に迷惑を及ぼすようなことがありますれば、これは本来の意義を失いまして、国費が節約されましても、国民負担は増加するから、さようなことのないように希望いたしたいのであります。  第二は、行政機構の取扱う仕事は、ただいまもどなたかお話がございましたが、官庁相互間の関係と、官庁と国民との関係の二つありまして、その変革がしばしば連続的に行われるということになりますと、これは官庁相互間の事務の進行にもふなれな場合があつて、一時混乱を生じ、事務能率はしばらく低下するようになると思うのでありまして、こういうことはよほど愼重にしなければいかぬと思います。また一般国民との関係におきまして、行政機構改革がしよつちゆう行われるということになりますと、国民といたしましては、どこの役所でどんな事務が取扱われるかということを了解いたし、なれるまでには相当のひまがかかるのでありまして、これも国民に対しましてはちよつと迷惑なこともあるかと思うのおります。またしばしば整理というようなことが行われますと、公務員が不安動揺を来すことになりまして、少くとも事務の能率を低下させるようなことがないとは申せないのでありますから、これはよほど注意いたしまして——行政機構改革は必要ではありましようが、熟慮断行ということを私は希望するのであります。もつともただいまのように戦後で社会、経済事情の変動が非常に急激な場合でありますので、このような常則には——ふだんのときの考え方にはよりがたい点もあるかと思いますけれども、しばしばの変更ということは、できる限りお避けになるのがよろしかろうと思うのであります。  第三に行改機構の組織や内容は、その行政機関が取扱う事務の性質から定まるべきでありまして、機構の改革をいたす場合には、行政の対象になりまする事業の性質をよく考えなければいけないので、これはむずかしいことでありましようけれども、画一的の基準で規律して参るということはなかなかむずかしいことがあり、実態に沿わぬことがあり得ると思います。それから行政機構の整理につきましては、事務整理を前提として行われることを希望するのでありまして、事務を整理しませんで行政機構簡素化いたしますと、従来の経験からいたしまして、数年を経ないうちにまた改革前の状態に復帰するようなことが、しばしば見受けられるのでありますから、これも注意が必要であると思います。  かようなな観点に立ちまして、農林行政について特に注意がほしいと思うことを一言申し上げたいと思います。平和條約の発効後におきましては、一番大事なことは経濟自立であるということは、もう一般に認められておるのであります。しかるに経済自立の基礎は何かと申しますと、簡単明瞭でありまして、国民の食糧供給が確保され、国民生活が安定することであると思います。それが経済自立の根本的の要素であると考えます。そこで農林行政の根幹は食糧増産ということが根幹であると思うのでありまして、ちよつと簡單に現在の状況を申し上げますと、現在わが国の食糧生産量は、戦前の生産量に達しないのであります。また朝鮮、台湾からの年々千二、三百万石の米の移入はなくなつておるのであります。その上国内人口が終戰前の七千万人から八千四百万に激増いたしまして、千四百万人もの人口がふえておりまして、この供給減と需要増による食糧の不足は、外国からの輸入で補充しておるのでありまして、これには莫大な資金が必要であります。貿易によつてこれを支払うことはなかなか容易でないばかりでなく、今後貿易の問題についても非常なむずかしいこともあるように思うのであります。その上今後年々百五十万人ばかりの人口の増加を予期いたしますと、このままでおれば外国からの食糧輸入というものは、ますます増加しなければならないことになりますので、農林省が国内食糧増産をはかるということが、根本的に重要なことであると申し上げたことは、御了解が願えると思います。それで農業上の問題といたしまして、増産をはかりますには、耕地が拡張され、改良されることが一番大事なことになります。農地の改良ももちろん緊要なことでありますけれども、その基盤になる耕地の改良、拡張ということが必要になるのであります。そのことができますれば、今後増加いたしまする農家に対しては、耕地を與えることもできますし、現在の農家の経営規模をできるだけ大きくいたしまして、幾分でも農家の経営を改善することもできると思うのであります。しかるにこの仕事がどうなつておるかということを見ますと、昭和十二年には田の面積が三百二十一万町歩でありましたものが、昭和二十五年の農林省の調査では二百八十七万町歩になつております。農家の戸数は戦前五百五十万戸と唱えられましたものが、同じく昭和二十五年の調査では六百十七万戸となつておるのであります。この非常に減少いたしました農地を、増加した農家に分配いたしましたのでは、零細農家の経営規模というものは拡大がむずかしいので、農家の困難ということはなかなか救われにくいと思うのであります。そこで農林省の農地の改良拡張に関する行政機構につきましては、政府のおつしやるように、責任体制を明確にいたしまして、行政能率を増進するため、分担事務の合理的整備に力を盡されまして、耕地拡張、改良等の成績を上げられるようにいたしたいと思うのであります。これについて農地の行政機構というものの充実を私は希望いたすのであります。また耕地の拡張、改良の実施と相まちまして、林政の面におきましても、これが治山治水、国土保全のための適切なる行政ができまするように、しかして災害防止ができまして、食糧増産のためになるようなことが願わしいのであります。  次に農家経済の改善ということが食糧増産には必要であり、農業の発達のため、ぜひ必要であるということは論をまたないのであります。現在の農家の経済を有利に建て直しますためには、農業協同組合の健全な発達が要請されております。政府は昨年から農業協同組合再建整備の制度を設け、農業協同組合の経営の改善に努めておられるのでありますが、この方面の行政につきまして、農業団体の運動を指導援助するに適するよう、行政機構運営を望むのであります。一つ例を申し上げますと、大正十四年に非常に農村振興が唱えられましたときに、農林省に初めて産業組合課が設けられました。昭和七年に農村更生運動の必要を唱えられましたときに、農林省に経済更生部が設けられまして、民間団体の農村経済更生運動と協力いたしまして、農村振興に役立つた事例がありますので、今後の農業協同組合の育成につきましては、この機構の運用について十分遺憾のないように願いたいと思うのであります。  最後に一言申し上げます。が、農林省の行政の相手方になる農家は、ほとんど零細規模の農家でありまして、たとえば経営の耕地面積五反歩以下の農家が全農家の四割、一町歩以下の農家が全農家の七割を占めるというような零細な農家が多いのであります。また農業の利潤は非常に少い。これは事業の性質からやむをないのでありますが、その農業を対象といたしまする行政部門は、大工業や大きな商事会社に対する他の行政部門に比べまして、保護助成を要するものが多いのは仕事の性質上当然な結果であるのでありまして、この事情を十分お含みの上、行政機構改革の案の実施にお当りになることを希望したい。  私は大体のことだけを申し上げます。その一々の運営をどうしたらよろしいかということは、これはよく政府においても御研究くださつた方がよろしいし、それから議会に、おいても十分御審議になることと思いますので、大体の大綱のことだけ申し上げまして、御参考に供します。
  29. 八木一郎

    八木委員長 何か御質疑がありますか。——なければ次に進みます。  神奈川県知事内山岩太郎君より御意見を承ります。
  30. 内山岩太郎

    ○内山公述人 お呼出しによりまして、行政機構改革について、地方公共団体の立場から二、三卑見を述べる機会が與えられましたことを、まことにありがたく思うのでありますが、私ども地方におりまして、今回の機構改革の問題を見ておりますると、大分泰山鳴動というような感じをもつて——非常に期待しておつたのでありまするが、あけて見ましてそれほどでもないことを見まして、これはという感じであるのであります。私どもの方では大体共通でありますが、一応待ちきれずして、現実の問題として相当多数の課を廃止するというようなこともやつておるのであります。従つて今度の機構改革中央において現実化されますれば、それによつてさらに何か考えなければならぬと思つておるのでありまするけれども、それによつて地方の行政機構はあまり変化なかろうと思うのであります。  そこで内容について感ずることを二、三述べさしていただきますると、まず改革の基準についてでありまするが、今回の改革は行政管理庁の長官の御説明よりますると、八つの基準から行われておるのでありますが、私どもの見たところでは、このほかに関連行政事務の統合調整というようなことが考えられてよかつたのではないか、こういうのであります。たとえば国立公園関係事務が、建設省と厚生省及び運輸省の三者にまたがつているために、国立公園を区域に持つておるところの地方団体が、その運営上きわめて不便を感じておるのであります。また行政事務主管省と、財政関係主管省との連絡が十分でないために、地方団体は財源の裏づけがなくて、ただ單に一方的に中央から行政事務を押しつけられるというのが多く、そのために多大の犠牲を払つておるのであります。地方公共団体の立場から見ますれば、今回の改革中央対地方の関係はあまり考慮されなかつた、こういうことが言ひ切れるのではないかと思うのであります。ことに戦後の講和発効に備えての大改革というようなことでありまするならば、少くとも国は、今度はどこに重点を置いてやるかというような意味合いから、従来の省を廃止して、一つの新しい省をつくるというくらいな意気込みがあつてよいのではないかと思うのであります。私思うに一これは卑見でありまするが、たとえば、観先というような問題は、これは、日本の新しい生き方としては最も重要な問題だと、私どもは考えておるのであります。それはただいま申し上げましたように、三つの省に細々と残つて出ておりましてその上に観光監と申しまして、まるでおまわりさんの監督のような監の字を使つたものができておるのであります。厚生省は今日まで国立公園を監督し行政に当つておるのでありまするけれども、財政的にはほとんど裏づけがないのであります。そうしていたずらに、これは厚生省が監督するのだ、権限の中にあるのだというようなことで文句をつけ、あるいは指令を出すことはできるのでありまするが、一向に施設の改善も進歩も見せてくれない。たまたま私どもがそのあとをついて行きますと、いつの間にか先達はどこかへ行つてしまう。こんなことであつたならば——もしやるのだつたら自分の予算でやつたらよいでしようというようなことになるのでありまするが、これは日本としてはよほど考えるべきことでありまして、私は少くとも三つの省からこれを一つにまとめて、少くとも内閣直属の一つの庁をつくつて、そこで観光行政を強力にとり上げてほんとうに新しい日本の立場としてのー従来のように観光とはぜいたくだというようなことではなしに、ほんとうの観光産業という意味において、貿易外収入をとり入れる大きな一つの道とすべきだと、かように考えるのでありますが、これは私の卑見でありまして、必ずしも当らないかも存じません。  それから地方自治庁の問題でありまするが、現在の地方自治庁を強化することはきわめて賛成であります。地方団体の行政を統制するという方面を強化するよりは、むしろ地方団体の利益代弁機関であるというように強化されてほしいのであります。具体的に申しますと、地方財政平衡交付金及び地方債を中心とするところの地方財政の財源充足について、大蔵省に対して強力に太刀打ちできるところの権限と機能を持つことが第一であります。各省が行政事務を一方的に地方団体に単なる通牒くらいで押しつけるような場合には、これに対して防波堤となるような役目を果してほしいのであります。またさらに補助金の交付及びその監査を通じまして、直接間接に地方団体を拘束している現状を改正するために、地方公共団体の行財政に関することは、たといどの官庁の行うものでありましても、すべて自治庁が責任をもつてこれに当るというふうに規定してほしいのであります。この意味から申しますと、自治庁というよりは、むしろ進んで地方自治省ということが、私どもには望ましいのであります。それというのは、私ども地方の知事として、この混乱した際にいろいろと仕事があるのでありますが、その中でも財政問題が過去数年にわたつて最も大きな悩みであつたのであります。これをあえて県と言わず、市町村にも大体同じ傾向があつたのでありますが、そういう場合に財政委員会というようなものがありましても、はなはだ力がない。いくら一つのりつぱな文章をつくつて出しましても、これは尊重さるべしということでありまするけれども、決して尊重されていない。そうして閣議には出席できない。しかるに自治庁の長官が結局地方財政委員会にかわつて閣議に列せられるようでありますけれども、どうもわれわれの見ている感じは、自治庁の長官というのは従来は国務大臣であり、もちろん閣議に出席するのでありますけれども、いかにも弁護士的な立場である。自分でこれをやるという責任をとるという感じよりも、頼まれたからこれはやるのだという程度で、大いにやつたけれどもできなかつたからしかたがない、こういう程度のものにしかわれわれには映らなかつたのでありまして、これは将来のためにはなはだおもしろくないのでございまして、私どもはできることならば、これは自分の省のことであるというので、ほんとうにそれを自分がよいと信じたならば、どこまでもそれを閣議で主張してくれるような国務大臣長官にほしいのであつて、すなわちそれは日本の現在の庁という感じよりも、省という感じの方が強いのではないか、こういう感じであります。  それから行政委員会でありますが、地方団体に直接関係のある行政委員会の中で、全国選挙管理委員会と地方財政委員会とを廃止するということになつておりますが、これはいろいろと問題があろうと考えます。先ほどもどなたかお述べになりましたが、審判的機能を有する委員会は存置する方針である。そういう場合に、全選管は審判的機能を有しないのであるから、これは廃止するということでありますが、選挙管理ということは、事の性質上特に独立公平でなければならぬのでありまして、戦前の内務省によるところの選挙干渉の弊害を予防する意味からも、行政委員会としてむしろ存置する方がよかつたのではないかと考えるのであります。また地方財政委員会は、毎年千数百億の厖大な財政調達資金を配分しておるのでございまして、財政委員会が廃止された場合に、最悪の場合は、時の政治勢力によりまして、地方公共団体に対する配分が動かされるという危険がないともいえないのであります。もちろん配分方法がさらに合理的となりまして、さらに地方財政審議会を設けて、これに相当の独立性を持たせていると思うのでございますから、配分の直接責任者を持たないということによつて変化の起ることは防げると思いますが、本質的に相違があるのでありますから、やはり地方財政委員会というような、ある程度責任を強く持つものが残つてつた方がいいという感じであります。平衡交付金が地方財政上大きな比重を持つておる現在においては、実際にこの問題は重要なことと考えるのであります。従つてあえて私どもは新しい機構に対して反対をするものではありませんが、審議会意見が単なる参考的意見として過ぎてしまうということのないように、特に御配慮をいただきたいと思うのであります。  それから最後に、地方の出先機関の問題でありますが、地方出先機関の統合廃止は、地方自治体の多年の要望でありまして、これは先年ずいぶん大きな運動を起した結果、政府においてもまた議会におかれましても十分これを了とせられ、その実現に向つて進んでおることを私ども承知して、大いに感謝しておつたのでありますがしかしその後これもややしり切れとんぼになつた傾きがありまして、非常にめんどうくさい仕事は地方団体にまかせる。たとえば自動車その他の陸運関係のごときごちやごちやしておるものは地方にまかせる。しかしながら財政の問題になりますと、地方の市町村に対する費用の配分についても、大蔵省が地方に出張つてつてなかなか文句を言うようなことがありまして、まだ地方自治体に対する中央の出先機関の制度は、完璧であるとは言い得ないのであります。従つて今後においても、もつともつと中央の地方における出先機関の統合整理はやつていただきたいと思います。ことに今度行政管理庁設置法の一部改正法律案によりますと、国の委任または補助にまで行政監査することになつておるのであります。たとえば現在公共事業の監査は経済安定本部、会計検査院、関係各省が行つておるのでありますが、さらにこれを新しい監察制度で監査するというのでありますが、言葉を悪く言えば、地方をどろぼう扱いにする、こういう感じもいたすのであります。言葉ほんとうに悪いのですが、地方でごまかそうといたしますれば、監査を二重、三重にやつたからといつて、そうわかるものではありません。会計検査院が来て調べる、関係のある省が来て調べる、その上に安本が来て調べる、その上に管理庁が来て調べる。そうすると地方の出納長あるいは出納室のごときは、ほとんど一月も二月もそれにかかり切りでありまして仕事ができない。一つのところから一週間も来て調べる、それからまたほかの人が来て調べるということになりますと、これはほんとう仕事にならないものでありまして、こんなにまでやらぬでも仕事はまじめにできるものと思います。従来日本では会計検査院という嚴たるものがありまして、地方の出納室でやつた仕事を会計検査院が来て調べればそれでいい。ことに地方には税金を納めるところの住民を代表する議会があり、その議会に監査委員というものがあり、専門家からも監査委員を出しておる。われわれのやつたことを出納長が見て、それをさらに監査委員が調べておるのであります。  それに対して、中央から補助金を出したからというので、交代で次々に調査にやつて来る。これは実際に迷惑な話でありまして、わずかの補助金をいただいて、それがために非常な苦労をするのであります。こういうことこそこの行政機構改革というような場合には断固として取上げて、中央で会計検査院というものが厳然としてあるならば、それにしつかりした人を置き、人が足りないならばそこに人をふやして、それがすべての中央機関の代理として委任を受けて全部調べる、こういうことでないとほんとうにやつかいなのであります。どこからでも少し金が出れば、そこから来て調べるということでありますと、ほんとうにやつかいであります。さらにまたこういうものがつくられて、調べにおいでになるということは、われわれから見ますと、やつかいなものができたわいということになるのであります。そうして地方で考えられることは、そう再三調べるのであれば、なるべくひつかからないようなことをやろうじやないか。いかに金を有効に使い、いかに便利に使うかということよりも、何とかしてひつかからないようにしようという方向に行つておるのであります。そういうことを考えますと、今度の機構の中でも、監査を厳重にするということが一番大きな問題の一つに取上げられて、基本方針になつておるようでありますが、それがために従来の会計検査院とか、あるいは経済安定本部とか、各省でやるところのものは、一切それが無視されるのであるかというような質問さえ出るのであります。  たいへん意見にまたがつていかがかと存じますが、忌憚なく所見を申し述べまして、御参考に供したいと存じます。
  31. 八木一郎

    八木委員長 これにて内山君よりの意見開陳は終りましたが、何か御質疑がございますか。——御質疑はないようでありますので、この際委員長より一言ごあいさつ申し上げます。  本日は公述人の方々には、貴重な御意見を熱心にお述べくださいましたことを感謝いたします。御意見のほどは十分参考にいたしまして、今後内閣委員会における審議を続けたいと存じます。  次会は明火曜日午前十時半より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後三時二十八分散会