○佐藤国務
大臣 いろいろ基本的な問題についての御
意見で、それぞれごもつともな点もあると思います。ただいまのなぜ
公社にするかという問題についてでありますが、これは昨日来いろいろ申し上げておりますが、
公社にするか、国でやるか、
会社にするかという基本的ないろいろな
議論があると思います。しかし特に
公社という形を選びましたゆえんのものは、国が経営いたしまして、特に不便だと
考えますものがまず二点あります。その
一つは予算的な面において非常な拘束を受ける、やはり
事業遂行上予算として相当の幅をもらわなければうまく運営がや
つて行けない。国の
機関である限り国の予算というものは相当きゆうくつな思いをするわけであります。この点についての拘束をはずしたいということが
一つのねらいであります。そういう場合に、しからばそれを
公社にするか、
会社にするかという問題になるのでありますが、
事業の性格から
考えましてこの場合
公社が最も適当なりという判断を下したのであります。第二点の人事管理の問題でありますが、実は組合活動だけの問題でもございません。たとえば公務員としてのいろいろな資格の
規定を設けるとかいうことが、
事業官庁としてはたして適当なりやいなやということもあるのであります。さように
考えますと、在来の管理機構によ
つて事業を遂行するということには、相当の疑問が存するのであります。私
どもは特に国の経営でなしに、
公社に移行するという場合に
考えましたのは、管理制度についての
一つのくふうを
事業官庁として必要とする。それはただ單に組合活動だけの問題ではないと
考えて参
つたわけであります。これらの二点が主たる
理由で
公社ができ上
つたわけであります。しかしながらその場合国が監督するという範囲につきましては、できるだけ基本の線にしたいというのが
一つのねらいであります。ただいま監理官は二名で、全国にわたる厖大な機構の管理監督がどうしてできるかというお話でありますが、私
どもが監理官を運用して参ります場合には、基本的な問題についての指導監督に携わ
つて行く。しかし業務総体といたしましては、大部分これを経営主体の創意くふうにまかして行きます。その場合におきましては、
民間の
会社でありますれば株主総会等がありまして、各界各層の識見を十分取入れる方法がありますけれ
ども、
公社としては経営者だけでや
つて行く。そうするとそこに独善という批判を受けることになるのではないか。この種の
事業のごとく、経済、政治各般に大きな影響力を持つ
事業としては、各方面の良識を集めて、
事業経営の基本的方針を決定するのがよろしいのではないか。そこでただいま言われるような
経営委員会の組織をつく
つたわけであります。ただ
経営委員会の組織をつくります場合に、五人では少いとか、あるいは七人がいいとか九人がいいとか、あるいはもつと少くて三名でいいとか、いろいろな
議論があるわけでありますが、私
ども部外の方の批判を十分受けるといたしますれば、必ずしも数が多いばかりが目的を達するわけのものとも
考えないのでありまして、要は五名の
経営委員の方にいたしましても、これがそれぞれの分野において十分識見を持たれる
方々を人選いたしますれば、まず不都合はないのではないかというように
考えて、一応五名ということにいたしたわけであります。これに対しまして経営主体が独善的な経営に陷らないくふうを
一つしておるわけであります。それらの方の責任において
事業の遂行を行い、同時に国として基本線はどうしても堅持して参らなければならないのであります。その
意味において必要な監理官制度を設けておるわけであります。
従つて非常に少数の人でけつこうじやないか。もちろんこの種の特殊
機関に対する監督の方式としては、いろいろあると思います。
国有鉄道の場合においては、相当厖大な管理機構を持
つております。あるいは専売
公社の場合におきましては、非常に簡単なものを持
つております。また
日本銀行にしても、非常に簡単な管理機構である。そういうような点をいろいろ勘案いたしましてまず監理官でや
つてみる。またこの監理官を通じまして基本線を十分握
つて参りまして、間違いないようにして参りたい。しかしその基本的な
考えはただいま申したように、できるだけ経営主体の責任において
事業の遂行をしてもらう。但しその場合においては独善にならないように、各界各層の方の御高見を大いに取入れた経営方針を立て、国はできるだけ監督機構を簡素なものにして行く。その大筋だけをつかんで、この
事業の運営の円滑を期し、同時に公益の増進をねら
つて参りたいと
考えておる次第であります。