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1952-05-19 第13回国会 衆議院 地方行政委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年五月十九日(月曜日)     午前十時三十九分開議  出席委員    委員長 金光 義邦君    理事 河原伊三郎君 理事 野村專太郎君    理事 吉田吉太郎君 理事 床次 徳二君    理事 門司  亮君       池見 茂隆君    大泉 寛三君       門脇勝太郎君    佐藤 親弘君       田渕 光一君    龍野喜一郎君       鈴木 幹雄君    藤田 義光君       大矢 省三君    立花 敏男君       八百板 正君    大石ヨシエ君  出席政府委員         総理府事務官         (地方自治庁次         長)      鈴木 俊一君         総理府事務官         (地方自治庁公         務員課長)   佐久間 彊君  出席公述人         東京都議会議長 菊池 民一君                 馬場 幸子君         会  社  員 田村 俊一君         評  論  家 山浦 貫一君         大阪市西成区選         挙管理委員長  刀山 萬造君         東京大学教授  杉村章三郎君         東京職員労働         組合副委員長  原島 照房君         東京都副知事  春  彦一君         東京都新宿区議         会議長     原田 要一君         元東京大学教授 安井  郁君        農     業 桑原源右衛門君         東京大田区長 代田 朝義君         市政調査会常務         理事      田辺 定義君         日本自治団体労         働組合総連合書         記長      宮澤 正有君  委員外出席者         專  門  員 有松  昇君         專  門  員 長橋 茂男君     ————————————— 本日の公聽会意見を聞いた事件  地方自治法の一部を改正する法律案について     —————————————
  2. 金光義邦

    金光委員長 これより地方行政委員会公聴会を開きます。  本委員会におきましては、地方自治法の一部を改正する法律案が去る四月二十三日付託せられて以来、愼重に審査して参つたのでありますが、委員会が特に本日公聽会を開きまして、地方自治法の一部を改正する法律案について、真に利害関係を有する者及び学識経験者等より広く意見を聞くことといたしましたゆえんのものは、申すまでもなく本案はきわめて一般的関心を有する重要なる法案であり、区長任命制あるいはまた議員定数等に関する問題など、種々論議のある点を含んでおるのでありまして、国民階層におきましても、賛否の意見が活発に展開されている現状にかんがみ、一般国民諸君の声を聞き、広く国民の輿論を反映せしめ、本案審査を権威あらしめると同時に、その審査に遺憾なからしめんことを期するにほかならないのであります。本委員会といたしましては、本日公述人方々より貴重なる御意見を承ることができますことは、本委員会今後の法案審議の上に多大の参考となるもので、深く期待する次第であります。私は本委員会を代表して、御多忙中のところ貴重なる時間をさかれまして、御出席くださいました公述人各位に対しまして、厚く御礼を申し上げますとともに、各位の忌憚なき御意見の陳述を希望する次第であります。  議事進行公述人方々の御意見を一応承つた後、各委員質疑を許すことにいたしたいと思います。公述人の発言時間は大体二十分くらいにお願いをいたします。それでは菊池民一君より御意見を承ることといたします。公述人菊池君。
  3. 菊池民一

    菊池公述人 ただいま紹介いただきました菊池民一でございます。本日の公聴会公述人としてまかり出ました。あいにくきよう都議会の招集をいたしておりまして、その時間が十時からに実はなつておるわけであります。長い時間皆さんの御意見等を承る機会を得ないことを残念に思いますが、どうか皆さんにおかれましても、その事情をお察しくださいまして、早目にひとつお帰しいただきたいことをお願い申し上げます。  本委員会で目下愼重審議されております地方行政の一部の改正、特にわが東京都にとりまして直接の関係のある都区行政の問題を主として、今日の公述があるようであります。私どもはしばらく自治行政に携わつておる経験からいたしまして、政府が提案されたる今回の、特に区長任命制問題等につきましては、原則的に賛成をいたしております。その提案の趣旨を見ましても、地方行政運営合理化簡素化によるところの住民福祉の点を取上げられ、二重行政を撤廃して、住民負担を軽減するということでありますが、これはおそらくわれわれのみならず、国民全体が、だれ一人これをいなむ者はないと信じます。  およそ法律制度というものは、住民を基礎とし、住民生活方法に適合するところの制度でなければならぬはずであります。わが日本国民が、敗戰という虚脱状態の中に倉皇として制定されましたるところの地方行政、特に区長任命制のこの問題等は、これはわが国民また日本におけるところの諸政治家意思に基くものではなくて、戰争後に指示を受けたるところの問題で、米国輸入品であつたかの感が深かつたのであります。かようにしてできましたこの諸制度というものが、六年を経過した今日、はたして健全な民主政治でありましたでしようか。日本における住民意思に反し、日本における歴史、沿革を無視してつくられたるところの案が、米国日本の間において必ず一致するものでありましようか。経済的にも文化的にも違つた制度を、日本に当てはめるところに無理があつたのではないでしようか。かくして六年を経てみましたが、その間に毎年々々繰返すものは都と区の両方の問題であります。その根本をなすものは、今申し上げる地方行政制度の中のこの考え方違つたからであります。憲法九十三條の公共団体の長は住民投票によるというこの一つ観念に発しまして、全体の地方自治体との見わけをここにすることができなかつた。いわゆる不完全のままにこの特別区という制度を残したからであります。これが明確でなかつたから、区においては区の主張は当然であるとし、都におきましては、大都市行政一体性を貫くためにこれが保持に努め、また区におきましては一般市政と同じような取扱いを受けておるということからして、当然に一つ独立性を獲得するというところに、財政的にも経済的にも文化的にも、おのおのの所管事務の争いが生じ、財政のわけどり等が問題となつたのであります。東京都におきまして、この財政調整等に見ましても、区に交付されたるところの金が、区に持つて参りますると、しばらくの間その配分に困つて、また再び東京都に持ちもとして、その配分をしたというような今日までの実情は、都と区の間の一体性を完全にしなかつたその災いが残り、都におきましては、また区におきましては、この明確を欠いておるために、一般住民宿命ともいうべきところの運命を恒久に背負わされることではないでしようか。この問題を解決しない限り、わが東京都における都区行政一体性は保持できないということになりましよう。いやしくも東京都政は、決して一個の区民、また一個の都民ということのみをもつて律することはできません。総括的に東京都は有機的一体性をもつて初めて貫き、一方の区に住するものといえども中央に出て勤務して収穫を得れば、その会社は中央において法人税を納め、また俸給は自分の区によつてこれを納めておる。しかしながら富める区と貧しき区との間における調整は、これは一体性でなければ貫くことはできないはずであります。中央にごたごた住んでおるものは、近接のまばらのところに公園を持つて散策を求めるというように、その生活の上にも必ず一体でなくてはなりません。その一体性を最も証拠立てるものは、東京都民全体で投票をもつてきめたるところの首都建設法であります。これがわが東京都における一体性を画したるところのりつぱな証拠であると言えるのであります。今日都と区の間が毎年々々同じことを繰返して紛争を続け、かくしてその行政の上にも、非常な澁滞を来しておるという状況は、この際ここにおいて解決しなければならぬはずであります。これはあまりにも民主主義民主政治というもののみに重点を置き、上も下もことごとく民主政治民主政治で、これを国民全体のはやり言葉にして、しかもその沿革等を調べないで、区におけるところの諸事業その他にぴつたり合わないものを行つたからであります。かような、わが国に当てはまらざる諸制度を、あまりに民主化という収穫を急いだために、肥料のやり過ぎから、こういうような例を残したということは、都区の問題だけではないでございましよう。わが東京都と区の間に残されたるところの宿命ともいうべきこの禍根は、今日この機会に提案された最中において、何とか検討していただいて、すぐにも解決してもらわなければならぬはずのものであります。かような問題を持続するうちに、都と区の行政の間の摩擦というものが一層激化いたしまして、現在においてすら、都と区とのこの運動過程を眺めたとき、都民の間には税金滞納の奨励をし、扇動をして、東京都政運営を妨げるようなことをなしつつあるものもありますが、かようなことがもし将来に続くといたしましたら、その責任お互い政治家責任でありましよう。都と区というものは、その根本において一つ行政体であり、決して分離されたるものと解釈することはできません。かような見地に立つてお互い大都市行政一貫性を持するためには、相互に起るところの問題を適当に調整し、相互依存の形で東京都政運営しなければならぬことと信じます。今日この問題を取上げまして、憲法違反であるとか、自治の逆行であるとかいうようなことを言われておりますが、およそこれはその法律制度の全体を探究せざるところの誤りであります。法律制度というものを相当経験し、運営してみて、その過程にまずいところがあつたならば、当然に直す、ということはあたりまえであります。国際法におけるすべての諸問題においても、国内法においても、選挙法においても、あらゆる制度というものは、その実施、運営の間にもし不適当なものがあるとしたならば、これは当然直すべきがあたりまえでありまして、今日の制度そのものをあえて不当だと断ずることはできないはずでございます。区がもしやその独立性を獲得するために、区の力を強めるということになりますると、大都市行政一貫性はくつがえされ、二十三のばらばらな都市行政となつて一大都市行政というものは壊滅するのであります。いやしくも国家的な観点からいうと、東京都の行政には、首都としての行政国家的な行政というものが多分に含まれておりまして、ばらばらに二十三に分割して、東京都政というものが成り立つものではありません。先ほど申し上げました首都建設法のごときものは、これを立証するにあまりあると思うのであります、これをいなむところの人々は、わが日本国民にだれ一人あるはずがありません。この一体性をくつがえすところの議論というものは、どこにも発見することはできないと私は断言してはばかりません。かようにして、この法案運営されましても、決して区民の損害になるものではありません。今日まで区にまかせられておるところの区固有事務考えてみましても、今度の制度の上では、およそ現在区で処理しておるところの事務は倍になりましよう。また法定されたる事務以外に、なお委任事務というものが加わりましたならば、おそらく区の事務は多くなるはずでありまして、区民福祉のために、完全に区民意思沿つた行政が行われるのである。もし区におけるところの方々の中に、直接に身近なものを都で取上げておるというような御談論がありましたら、それは区でなし得ないところの大きな問題のみでありまして、大部分のものは区の窓口によつて運営されるというような、今度の制度のあり方からしまして、決して区を圧縮するものではありません。区には仕事つまり事務というものが倍加して行くのでありまして、区民諸君が心配するはずはないと私は考えております。ただ大都市行政一貫性有機的一体性をくつがえして東京都政国家首都国際都市であるところの東京都の行政が成立つものであると思うなら、これは大きな誤りである。わが日本首都として健全な発達をするときに、かようなばらばらな考え方をもつて行政をやるということであるならば、二十三の市が個々に生れまして、おのおのかつて行政ができるはずであります。そのような点から、私は絶対にこの一体性をくつがえす根拠のない限り、都区の問題においても一つの流れを汲んだ一つの形の行政であるという観念を全都民に植えつけ、すべての納税意識もその義務も、他の扇動に迷わされず、ここに相助け、相はかり、東京都の運営に当つていただくことが当然であります。その根本をなすものは何であるかといえば、これが区長任命制であり、この区長任命制一つあるために、区民全体の福祉がどれほど増加されるでありましよう。すべての行政簡素化と、その配分によつて受くるところの区民負担が、年間二十億と数えられるときにあたりまして、それがもし任期中続くといたしましたならば、八十億になることは当然である。この八十億を有効なところに利用されましたならば、東京都の発展は目覚しいものがあるはずであります。これをばらばらにいたしまして二十三にして、この二十億がどこに一体出る根拠がありましよう。すべての行政一体にとりまとめて、初めてここに生み出される金が、住民負担の軽減ともなり、二十億が出るのであります。二十三にわけて、どうして二十億という金が出ることになりましよう。私は東京都の一体性というものはここにあると思う。行政簡素化合理化によつて初めてわが東京都政運営は完備するのである。かような意味からいたしまして、せつかく六年を経過したこの区長公選制というものを任命制に改めるならば、東京都民のすべての福祉というものが、どれほど大きいものであるかということがわかると思います。この機におきまして、この審議等が世間でうわさしておるように、あるいは今会期に間に合わないのではなかろうか、また内閣に組織する地方行政調査会に持つてつて検討されるというような話も承つておりますが、これはおそらくその行政調査会に持ち込みましても、今日のこの程度というものは再確認されて、再びここにもどつて来るのじやなかろうか、私はかように信じます。  この際わが東京都の宿命ともいうべきところのこの問題を、ぜひとも早急に解決していただくことこそ政治家責任でもあり、また都民の希望するところでもあると思います。わが東京都のために、どうか本委員会においても、連日苦心されておるようでございますが、この点を御了承いただきまして、どうしてもこの問題だけはここに解決をいたしまして、東京都と区との間の紛争をこの際に片づけていただきたい、私はかようにお願いいたします。  先ほど申し上げましたように、はなはだ失礼でございますが、招集した時間を一時間余も過ぎてしまいまして、皆さん御承知の通り議長選挙等の問題もありますので、これでお許しをいただきたいと思います。
  4. 金光義邦

    金光委員長 東京都議会関係上、菊池さんはお急ぎだそうでありますので、特にお一人だけ先に質疑を行いたいと思います。質疑は一昨日の理事会申合せによりまして一人五分間以内におまとめを願います。藤田君。
  5. 藤田義光

    藤田委員 占領政策によりまして、イデオロギーの確立に非常に急のちまり行政能率ということが無視されておるという公述がありました。まつたく同感でありますが、私は常任委員として意見の表明を避けます。ただいま公述された中で特にお伺いしたい点を、時間がありませんから簡單に伺いますから答弁も簡単にお願いいたします。  まず第一に伺いたいと思いますのは、なくなりました中島守利先生が中心になりまして、都と区の行政に関する仲裁が出ておるはずであります。この仲裁が成立しまして、相当期間を経過しておりますが、その結果がそのままに放任されておる、これはどういう理由であるかということが第一点であります。  第二は、ただいまの公述で区と都の紛争を一刻も早く処理してくれというお話でございますが、公述からいたしましても、都と区の財政の公正なる配分、あるいは事務の公正なる配分、こういうことが先決であり、しかもそれが最終の目的でなくてはならぬ。区長任命制というようなことは第二次的な問題ではないか。事務配分財政配分調整、こういうことが先決であつて区長任命制という人事の問題は、第二義的な問題じやないかというふうな感じがいたしますが、まずこの二点だけをお伺いいたします。
  6. 菊池民一

    菊池公述人 第一の質問でございますが、仲裁の際には事務配分も一応検討されたようであります。しかしこの事務配分をするという仲裁がありました後において、区に渡して適当でないもの、法制上どうしても都においてやらなければならぬというそのときの事情の変化や、諸制度の改廃がありまして、その約束——仲裁の案全部が通らなかつたことは当然であります。しかしそのかわりに東京都におきましては、平衡交付金に当るところの自由財源を区に持たせる——交付金としてこれをお渡しするという一つの仲介の案をとられたことは、私も承知しております。  それから都、区の公正な事務配分と、財政配分等お尋ねでございますが、これはもちろん事務をお渡しするにつきましては、これにその財源をつけることは当然でありましよう。しかし今日までの間に、東京都が渡すことができないで、法定されて命令をもつて都がやつておる仕事というもの以外には、渡してよいものもありましようが、渡してその実行ができないものが相当あるのであります。その行政の上に不適当であつて、渡してその運営が困難であるという事情のものは、これは渡してなかつたのであります。その財政配分は、今お尋ね通り事務が区に行く場合には、その財政的処置というものを講ずべきは当然であると私は信じております。
  7. 藤田義光

    藤田委員 都議会議長でありますので、簡單にお伺いしますが、都の行政と区の行政運営に関しまして、なるべく円滑なる運営ができるように特別な何か措置をとられておりますかどうか。もう一点は、この区長任命制をめぐりまして、法案反対あるいは賛成運動をする中に、この運動選挙運動に結びつけておるといううわさを私は聞いております。それから菊池さんの公述の中に扇動という言葉がしばしば出ております。この運動選挙に結びつけておるという事実がありますかどうか扇動ということは具体的にはどういうことであるか。この際非常に貴重な公述でありますから簡單にお伺いしておきます。
  8. 菊池民一

    菊池公述人 お答えいたします。選挙に結びつけているという事実は私いまだ存じません。おそらく選挙となりますと、その選挙のまぎわでありましようが、現在のところ選挙はまだありませんし、これに結びついてのことはないと思います。扇動と申しますことは、これは文字の通りでありますけれども、多数住民の中には都と区におきまして無益な費用使つて、われわれの税金を空費しておる、このように乱暴に費用を空費するならば——現在の新聞を見た状況でも、われわれは税金なんか納めるものか、不納にした方がよいということを言う者があると私は聞いております。これが都と区の行政に非常な問題を起すことじやないかと思いまして、ただ申し上げたわけでありまして、その人ははつきりわかりませんが、そういう声は十分聞いております。
  9. 立花敏男

    立花委員 最初にお尋ねいたしますが、私ども今いただきました書類を見ますと、菊池さんの名前で自治法改正反対意見が出ております。それは地方議会議員定数縮減あるいは地方議会定例会廃止反対、こういうふうに自治法改正に対して、これは地方民主化を阻害するものであるという観念からの反対が出ておるわけなのですが、この自治法を貫きます反動的な傾向、非民主的な傾向と、この傾向と同じく、この法の中に盛られております二十三区の区長任命制の問題と全然関係がないとお考えになつておるか。二十三区の問題だけは非常に進歩的であつて、他のところ——議員定数縮減、あるいは地方議会の開会の制限等反動的である、そういうふうにばらばらなものとしてお考えになつておるかどうか、この点をひとつ……。
  10. 菊池民一

    菊池公述人 配られたと申しますのは、多分全国都道府県議会議長会の会長として出たものだろうと思います。全国都道府県議会議長会におきましては、この法案が出る前のずつと古いことでございますが、議員定数を、勧告案によつて指示されたあの当時、すでに大幅に縮減されることを予想いたしまして、そのときにその大会で議決された問題が、そのまま引続いてここに来ておりまして、その後に修正を見ることももちろんできません。全国都道府県議会におきましては、議員定数縮減は、必ずしもこれは今日の制度に逆行するものではない。多数の目の光るところに政治の見張りがある、こういうような観点を持ちまして、その精神でこれは決議された、そういうものがまだここまで出ております。  その次に反対しておりますのは、議会定例会が現在六回になつておる。これを通常会臨時会にするという問題であります。これは地方議会にとつては大きな問題であります。県の財政大都市の二、三は別といたしまして、国家交付金によつてまかなつておるところの県財政は、およそ政府から交付されるものは、三回ないし四回に交付される、その交付されたところの財源をもつて予算を組むのであるから、定例会はぜひとも現在のままにしておいてくれ、こういう意見でございます。県の弱い財政上の立場から、こういうような反対運動を実はいたしたようなわけでございます。
  11. 立花敏男

    立花委員 根本的な点をお尋ねしておきたいのですが、菊池さんは現在地方のあらゆる問題が政府の一般的な反動的な政策から出発しておるというふうにお考えになるのかどうか、サンフランシスコ講和条約あるいはその後引続いて政府が一方的に決定いたしました行政協定、これの決定に基きまして日本の全体の政治が非常に反動的な、非民主的な方向に行つておる、その一つの現われとして地方自治法改正が出て来ておるんだ。さらに地方税法改正あるいは平衡交付金制度改正、あるいは最近国会に出しておりますところの警察法改正、こういう一連の反動的な、非民主的な傾向はつきりと現われて来ておるということをお認めになるかどうか、たとえば東京都で申しましても、区長任命制と同時に警視総監の総理による任命制が出て来ております。この二つの任命制区長任命制警視総監任命制との間に関連がないとお考えになつておるのかどうか、この点をひとつお伺いしたい。
  12. 菊池民一

    菊池公述人 私どもの職場は国家政治には非常に距離が遠いのでありまして、はなはだうといためにその認識を欠いておるのであります。反動であるかないかということは、私にはその判断がまだつきかねております。ただ地方行政というものが国家と特別に離れた、地方的の行政範囲を受持つために、その範囲のことのみを研究いたしておりまして、大局的に、国家的のものについては、私は言明することは困難であります。またその反動であるかないかということの理念はと、こう申しますが、これも同様でございます。
  13. 大矢省三

    大矢委員 簡單お尋ねいたしますが、一体東京の二十三区というものは行政区であるか、自治区であるか、こういうことが今度の区長任命制根本問題として重要であります。私の考えるところによりますと、財産区でもあり、現に区会があるのでありますから、私はこれは自治区として見ておるのであります。現に東京都知事は世界の有名な都市の、日本会議において、東京都と申しますか、市を代表してこれの招集の役目なり、あるいはその会場に市の資格で出ておるのであります。これ東京の従来の大都市というものをいまだそのまま考えており、またそういう考えから行政区であるからして区長の公選は上ない方がいい、こういうことも依然として大都市としての考え方が抜けないから、こういう問題はぜひともそれを拔かなければならぬということを考えておる。そこで私が今問いましたように、これは自治区であるのか、行政区であるのかということが根本問題でありますから、その点をどういうふうに考えられておるか、お尋ねしておきたい。
  14. 菊池民一

    菊池公述人 先ほど申し上げました通り憲法九十三條が、地方公共団体の長と議員住民投票によるということになつております。おそらく今日の制度の中で地方公共団体と認めるものは都道府県、市町村であります。その都の中に一つの構成の分子として残つておるところの区は、完全なるところの独立したものではありません。これは今申し上げました通り、御発言の中にもありましたが、事務組合とか、財産区というものは、これは地方公共団体に準ずるものであつて東京都の区は一般市政の取扱いをするという区であります。そのためには区には制限を設けまして、都の條例によつて行う事務が多いために、完全独立したところの自治区ということはできないと私は解釈いたしております。
  15. 大矢省三

    大矢委員 それではこういうことの矛盾が来ないでしようか、同じ東京都の中に数千の人口を持つておる町村があり、あるいは市がある。これは私は申すまでもなく完全な自治区であります。現に市長、町長、村長ことごとくがいわゆる直接選挙であります。その数十倍の人口を擁するこの二十三区の区民だけが、その町村以下に扱われなければならぬということは、これは必ず不平が起きる。その点をどういうようにこれらの区民の不満を調整しようとするか、同じ都の中で——私はなぜこれを申すかと申しますと、前の東京市を特別市として、区が行政区であればこういう問題は起きて来ない、あの当時東京府市全体をもつて一つ東京都としたために、従来歴史的に見て特殊な発展を遂げて来た東京市と山村郡部とを一つにして都としたことが今日矛盾し、あるいはそれらのいろいろな問題が起きておる。従つて今申しますように、区以外の市町村の首長は直接選挙であるにかかわらず、その数十倍を要するところの人口を有しておる区が一体任命制でいいかどうか、その間の不平等という区民の不平、不満をどういうふうに調整されるのであるか、これはこの問題を解決するに非常に大きな一つのポイントであります。今申しましたように、この矛盾は東京市を独立させて、今のような都にすれば、この問題はすぐ解消するものである、これを町村と一緒にしたところにこういう問題が起きて来たので、従つて私が先ほど言つたように、都知事が市長会議を招集してみたり、市であるか都であるか、市長であるか、知事であるかわからぬような、いわゆる二軍的な立場を持つておるということはあらゆる新聞、その他いろいろな行事の上に現われて来る。こういうことについてもこれは結局原因をただせば、大都市としてのあり方を、それも考慮せずして、たくさんの小さな市町村もそのまま包容して、一つ東京都としたところにこういう問題が今日起きて来て、今この跡始末をしなければならぬという矛盾を蔵しておる、かように考えておるので、この点に対する公述人意見を率直に述べていただきたいと思います。
  16. 菊池民一

    菊池公述人 先生も非常に御熱心に一つの理想都市としてのお考えを持つておるように私は拜聽いたしました。現在の過程においては、お話の通り東京府と東京市を一緒にして東京都にしたとき、すでに大都市行政一貫性がそこにはあつたわけです。しかしそのときの考え方の中には、東京都の性格は一つには県の性格を持つておる、一つには市町村の性格を持つておるというところのこの制度の不備のために、今日においても東京都は県のつき合いもし、市のつき合いもしております。現在二重な性格をもつてつき合いをいたしております。ちようど今日市町村の選挙をする者が知事の選挙もやる、二つの選挙をするのに、区民だけはなぜ一回しか選挙ができないか、こういうことになりますが、今申し上げました通り、二つの選挙をやるべきであるのに、二つの性格を持つておるために、一ぺんにやつておく、こういうふうな状況になつておるのでありまして、将来の東京都政につきましては、なお先生の御理想等があるいは実現するときが来るかと思いますが、現在のところはさような状態であります。
  17. 床次徳二

    ○床次委員 簡単に二点お尋ねしておきます。  第一点は、先ほど公述人のお話によりますると、任命区長のもとにおきましては、より広汎な仕事区長に與えて運営せしめることができるというお話でありますが、何ゆえに現在の区長に対しまして、それだけの権限を與えないかという点であります。もとより現在の法令において区長に権限を與え得ないこともあると思いますが、区長がほんとうにそういう仕事を担当するのにふさわしければ、現在の法律を改めて、むしろ区長にそういう権限を與えてもらうような改正を望んだ方が適当ではないかと思うのですが、その点を伺いたいのであります。  第二点といたしましては、貧乏な区とゆたかな区があるのでありますが、これをいわゆる区民という立場において、さらに都という立場において調整する必要のあることは当然でありまして、これに対しましては、各市町村に交付金が配付せられますと同じような行き方をもちまして、都が各区間の財政調整を行うべきで、これが円満に行い得ますならば、区長も十分なる仕事ができるのではないかと思うのであります。この点に対していかように考えておられますか、お伺いいたします。
  18. 菊池民一

    菊池公述人 権限を区長にまかせて窓口事務のごとくして、区民に利便を與えるという理念は一貫しておりまして、お説の通りであります。また区長に大きな事務をまかせて、区民本意、いわゆる住民本意に行政をするように改正することもこれは当然でありまして、決していなむものではありませんが、現在の不完全なる自治体の定義というものが、特別区というところのこの定義に災いをされまして、この問題が解決しないのであります。これがほんとうに私は東京都民の運命じやないかというくらいに考えております。これを解決して初めて今のような理想が実現されるということを私は信じております。
  19. 金光義邦

    金光委員長 次に、公述人馬場幸子君にお願いいたします。
  20. 馬場幸子

    ○馬場公述人 本日私は、一区民である婦人有権者の立場から、この問題について話を進めて行きたいと存じます。  私どものとうてい考え及ばなかつたかの有史以来の大戰争によつて、すべてのものをなくしてしまいました。まつかく私は家も財産も、そしてたつた一人の弟もあのみじめな戰争で失ない、戰後七年、ようやく自力でその日その日の生計を立てて行けるようになりました。この忍苦はまつたく並たいていの努力ではなかつたのであります。しかしこの忍苦のうちにも、日本は戰争放棄による民主主義の新憲法のもとに私どもが生れかわつたのだということ、それのみがただ一つの誇りであり、希望でもあつたのであります。それによつてわれわれ婦人は、まず第一に待望の参政権が付與されました。この一票がどんなに新しい国の政治面に反映するか、私はいつも自分が投票箱に一票を投ずるとき、まつたく敬虔な祈りの境地であります。その中でも特に私どもの最も身近に関係のあるものは、区政の問題であります。区民にとつて、ことに家庭の台所を預かるわれわれ婦人が、一番関心を寄せているのは、何といつても区政でございます。元来民主主義とは信頼政治の上に育つものであつて、決して上からのわくにはめられた規格統一であつてはならないはずであります。わが国は敗れたりといえども法治国であります。終戰後定められた該法案がわずか数年を出ずして改変されるということは、区民、いや国民を無視したやり方であります。地方自治の大本は市町村、大東京においては区に基盤があるのでありまして、その能力の許す限りにおいて、自治行政の権限を区に與えるべきであるということは自治制度の基本的な原則であります。今般の改正案で、地方公共団体としての特別区の性格をかえ、その長を任命制にしてもさしつかえないというごときは、憲法第九十五條による住民の一般投票権を踏みにじるものであると言つてもさしつかえないものと信じます。また区長任命制が施行される場合には、住民はその市長選挙において都知事のみを選挙し得るだけで、都下、市町村、他府県の住民に比して、参政権の行使に政治的不平等の状態に置かれるのであります。さらに憲法上與えられた参政権に基いて選出した区長を、任期途中において任命区長にすることは、選挙民並びに当選者の意思を無視するもので、参政権の冒涜であり、公選区長の罷免を法律で行うことは、国民固有の権利を侵すもので、明らかに憲法違反だと存じます。  かつて安井さんは次のような発言をなされておられますが、現在の思想とはまつたく逆で、信念のないことを暴露しております。すなわちそのときの言葉によりますと、「区の問題ですが、東京都は御承知の通り、今度は都制の改正によつて自治権を付與された自治区になつている、ところがこの調査委員会では、他の都市の区は行政区で行こうということになつている。これも同様の観点から出て来るのだと思いますが、三百五十万とか三百八十万とかいうような——現在は六百九十万人ですが、非常に大きな市内の区を、今日まで戰争中経験した行政区の考え方で、中央集権的にやつておりますと、中央事務がいたずらに輻輳して煩雑で、末端まで自主的に、まちまちの都の生活環境に合うような実際の自治行政をやつて行くのにいろいろ不便があります。そこでこんな大きなものになつた場合には、全体に関連を持つ有機的な操作をしなければならないもの、たとえば道路であるとか、水道であるとか、電車であるとか、その他各区にわたる共通の大きなもの——清掃のごときものと思いますが、中央でやるといたしましても、その他のものは凶に移譲して、区の自治権でもつてこの区に合うように区民の民主的な行政にまかせる。もちろんこれをやるためには、区の区域を整理統合して行く必要がありますが、そういうことを前提として、自主的にやつて行く方が都民生活の実際に合う、こういう考えを持つております。」と以上のように述べておられますが現実にはこれと逆行していることはたれもがうなずけることであります。前述のことを具体的に申し上げれば、まず保健所、福祉事務所、税務事務所の分立設置があげられます。一例をあげれば、従来一箇所で用事の済んだものが、納税の場合、国税は税務署、地方税は税務事務所と、いつときのひまもない主婦があつちだ、こつちだと窓口まわりをしなければならない状態であります。また清掃の問題にしましても、一荷十円のものが十五円と一躍五割に値上げされ、その集荷されたものが、元来は遠く観音岬沖に流されるか、または地方の農家に送られるはずのものが、私の地元にある旧駒沢練兵場内に大きな野天の壕を掘りまして、しかもそこは私たちの住宅に接近している所ですが、そこへあのトラツクで、白晝堂々と投棄されている状態で、付近住民の迷惑は言語に絶した非衛生きわまりないものであります。これはほんの一例にすぎませんが、はたして政府並びに都の言のごとく、これがほんとうに住民福祉、利便を考えた上での合理化、能率化でありましようか。自治行政の権限を区に與えるということ、これを一家の例にとつてみますならば、その家に女中を使用いたしそおります場合に、主婦が女中に当てがいぶちでは決して上手な家政の手伝をいたさないのであります。まず主婦は、女中の人格を認め、能力を認めてやることによつて、初めて女中のイニシアチーヴが発揮されるわけでありまして、さもないときは、女中はその家のために全力を盡さないのであります。かくのごとく、大東京においても特別区の性格を十分尊重いたし、特別区自体のイニシアチーヴを発揮させるところに、区政の充実がはかられ、区民の要望も達せられ、おのずから都、区の問題も円滑に運営されることと信じてやみません。  今般、地方自治の基盤たる区、市町村に共通した問題を取上げずして、何ゆえに突如として区長の公選制廃止を提案されましたのか、そこに区民として割切れぬ不明朗性を感じ、その裏面において、およそ住民とは何ら関係のない政治の取引がなされていることが感知されることはまことに遺憾しごくに存じます。われわれの生活上一番密接なつながりを持つ区の行政面に、強く民意を反映させるただ一つの機関は、区長の公選制であつて、区政は婦人にとつて最も手近かなよき政治教育であると存じます。  言うべきところは多々ありますが、大体以上のような理由によりまして、今回の地方自治法改正案に、私は反対いたすものでありますが、政府並びに都の意図するところは、時代逆行の中央集権化であり、民主主義の原則を無視するものでありまして、再建日本の指導理念に背反するものと考え、近ごろ巷間伝えらるる隣組の復活説のごとき、それやこれやを思い合せ、この道はいつか来た道を想起いたし、はだに粟粒の立つのを禁じ得ない次第であります。よろしく本案の審議は、地方行政調査委員会議において再検討せられますのが妥当であると信じます。  重ねて、区民であり、婦人有権者としての立場から反対をいたすものであります。
  21. 金光義邦

    金光委員長 次に、公述人田村俊一君にお願いいたします。
  22. 田村俊一

    ○田村公述人 私は、今度の地方自治法の一部を改正する法案を審議される委員会公聽会に出席いたしまして、意見を述べさしていただくことを、はなはだ光栄と存ずる次第であります。  まず、私の関係しております、あるいは苦慮しておりまする市町村の境界の変更に関する規定につきましては賛成するものであります。その理由といたしまするところは、今まで法律上いたしかたなかつたこの種の争論については、まず行政処置、次いで司法処置をもつてすみやかに解決をはかり、もつて健全なる地方自治の確立を目ざすものであるからであります。この機会におきまして、以下第九條第十一項を中心にして、私見を述べさせていただきます。  まずこの規定は、昭和二十三年法律第百七十九号の地方自治法の一部を改正する法律附則第二條の規定により、市町村の境界の変更に伴い生じました一定地区の争論の場合も、当然に該当するものでなければならないと思うのであります。この場合、市町村の変更に関し争論がある場合の第九條第一項から第十項までの規定が、政令の定めるところによつて準用されるのであります。「関係市町村」と申しますのは、現に境界の変更に関し争論がある市町村と、境界の変更がなされないときの関係市町村をともに含むものであると思います。そうしてその政令には、関係市町村もしくは、境界の変更に関し争論がある区域の住民で、その区域に属する選挙人名簿に登載されておる者の総数の一定数以上の連署をもつて、その代表者から都道府県知事に調停の申請ができることといたしてもらいたいのであります。  次に、九條の第二項は、都道府県知事の行政処分といたしまして、裁決について規定されておるのでありますが、「前項の規定によりすべての関係市町村」とある場合は、境界変更に関する争論の解決を期待するわれわれにとりましては「前項の規定により関係市町村」と訂正いたしていただきたいのであります。すなわち政令におきまして、第二項が準用される場合は、関係市町村もしくは関係区域の住民の一定数の連署による代表者の、いずれか一の申請によつてまず調停に付せられ、調停が成立しなかつた場合は裁定ができることと制定していただきたいのであります。  四番目といたしまして、第四項は、申請について関係市町村の議会の議決を必要としているのでありますが、関係区域の住民の一定数の連署による代表者から申請する場合は含まないこととし、第三項の裁定文の交付に際しても、あわせて代表者に交付することに、政令で措置されたいことをお願いするのであります。  第八項及び第九項の規定は、裁定に不服ある関係市町村の裁判所への出訴について規定されておるのでありますが、この政令において、関係区域の住民の一定数の連署による代表者にも不服があるときは、出訴できることとされたいのであります。  六番目に、署名等について必要な事項は、地方自治法施行令第九一條から第九十二條、第九十四條から第九十八條までの規定を準用し、政令の定めるところにより、当該都道府県の選挙管理委員会が管理することといたしていただきたいのであります。  第七番目に、第一項において第二百五十一條の規定による調停に付されるのでありますが、第二百五十一條第二項後段の都道府県知事が、自治紛争調停委員三人の委嘱にあたつて協議する都道府県の委員会または委員とは、いかなる委員会または委員を言うのでありましようか。むしろ当該事件に関係のある事務を担当する主務大臣と協議することといたしていただきたいのであります。  八番目、自治紛争調停委員会議制といたしていたたきたいのであります。  九番目、調停案は、関係地区の住民の一定数の連署による代表者の申請事項について、当該都道府県選挙管理委員会が管理する当該地区住民の賛否の投票の結果に基いて、作成するようにしていただきたいのであります。十番目、調停案を当事者に示してその受諾を勧告する場合は、期限を定め、指定期限までに受諾がなかつた場合は、解決の見込みがないと認め、調停を打切ることといたしていただきたいのであります。  十一番目、この法律による市町村の境界の変更に関する争論の解決は、その意思に反して境界の変更が行われたその区域であり、かつ、その地区住民意思が公の機関の行つた投票その他によつて確認されている区域であり、現に境界の変更に関して争論が行われている区域にのみ限定していただきたいのであります。  以上をもつて終りといたします。
  23. 金光義邦

    金光委員長 次に公述人といたしまして、評論家の山浦貫一君にお願いいたします。
  24. 山浦貫一

    ○山浦公述人 私はもつぱら東京都の特別区の区長の公選問題、それから区長任命制にするのがいいか悪いかということについて申し上げます。  結論から申し上げますと、私は区長任命制にすることに賛成であります。こういう私の議論の立論は、選挙が多過ぎるという、この選挙過剰論から来ておるのであります。今全国選挙管理委員会の調べに基いて見ますと、公職選挙全国に行われる数は、年を通じて二千件あるそうであります。大は衆参両議員選挙、その補欠選挙、あるいは知事、市町村長の選挙その補欠選挙、あるいは教育委員あるいは農地委員、漁業委員、そういうふうに選挙が非常に多い。その結果がどういうことになるかというと、まず第一に金が非常にかかります。国家が出しますのみでも、衆議院あるいは参議院の公選の場合でも、公営費として約二十億の金が出るのであります。でありますから、その他の選挙にも非常に金がかかる。まずこういう点を考えなければならぬ。それから地方自治体、私は都道府県知事あるいは市長、区長、村長、町長、こういうものの選挙も、間接選挙でよくはないかという議論を持つておるものであります。たとえば総理大臣はどうして選任されるかというと、国会がこれを選任します。そういう例にならつて、都道府県知事あるいは市町村長、そういうものも、その地の議会がこれを選んでいいではないかというふうに考えております。本日ここに参ります前に、二十三区自治擁護連盟の印刷物をいただきまして、反対論を一応通読いたしました中に、野村專太郎さんの言つておられる、昔の東京市の市長、たとえば尾崎行雄氏のようなりつぱな人を得られたのは、公選制のおかげである、こう言つておられます。これはその通りでありますが、その当時の公選制というものは、おそらく東京市民の直接投票ではなく、東京市会の選挙によつたものであると存じますが、それでもたとえば尾崎行雄氏のごときりつぱな人が出ております。それからもう一つ反対理由の中で熊本虎三氏の言つておられるのを見ますと、熊本さんが東京都議会議員におなりになつた時分に、西尾壽造という陸軍大将が東京都長官であつた。それが非常にフアツシヨ的な傾向でありますが、その当時はおそらく東京都長官というのは任命制であつたから、こういう陸軍大将などがのさばり出るようなことになつたと思う。そこで、これから先のやり方をどうすればいいかというと、私の考えでは、東京の特別区長にしましても、これは区の議会がこれを選べばいい。ただいまのところでは、東京都知事の任命する人を区議会が承認するという形になつておりますけれども、それより一歩進んで私は、区議会区長選挙すれば、りつぱな人が得られるのではないか、かように考えております。そういう観点から、私は区長任命制ということをもう一歩進めて、区議会が選んで、そうして東京都と相談をして決定する、こういう方式にすればいい。こういう観点から私は区長の公選制をやめるということに賛成するものであります。
  25. 金光義邦

    金光委員長 次に公述人といたしまして、大阪市西成区選挙管理委員長の刀山萬造君にお願いいたします。
  26. 刀山萬造

    ○刀山公述人 私は五大市の選挙管理委員の代表といたしまして、五大市における区の選挙管理委員会廃止というこのたびの法律案に対して、反対意見を陳情するものであります。五大市の各区は、御承知の通り、八万ないし二十幾万の市民を擁しておりまする大きな区でありまして、先刻も行政区か自治区かというようなお話もございましたが、五大市の各区の選挙管理委員会は、戰後きわめて思想の混乱した中にありまして、公正妥当なる選挙を管理して参りましだ。民主政治の母体である選挙管理を、苦労いたしまして今日まで育て上げたのは、区の管理委員会であります。従いまして、現在の区の選挙管理委員会というものは、区民から多大なる信頼を得て参つております。ただいま申し上げましたように、各区の人口というものは、市町村に比べますと、数倍ないし数十倍に達するものでございまして、特にこの五大市における各区の実情は、各区によつてことごとく違つております。区によつて市会議員あるいは区会議員選挙されるのであります。市会議員であるから区に選挙管理委員会というものはいらないという一つ観点は、一応もつともでございますが、区を單位に府会議員も市会議員選挙するのでありますので、これは一つ選挙区と見なして今日までやつて来て、しかも完全にこれを遂行し得たのであります。もしこれを廃止するといたしますれば、厖大なる市が市の管理委員会のみによつてこれを行いますると、実情に即せざる人がこの選挙に関與いたしまして、その間におきまして、いろいろな演説の妨害、あるいは選挙の公正を阻害するようないろいろな事柄が発生いたしまして、五大市における区の選挙というものはとうてい完全に行い得ないのではないかと思います。ことに最近いろいろな思想問題あるいは反動的な形勢がありまして、この区の選挙区長あるいは市の吏員によつて管理するといたしますれば、そこにはいろいろな政治的な混乱が生じて参ります。区民意思に反するようないろいろな疑念を抱かしめまして、選挙の公正が行われないのではないかと考えます。この行政簡素化の面で、区の管理委員会をやめるとおつしやるのでありますが、これらのいろいろな選挙に関する実情にかんがみて、これらの事柄を無規してまで、区の選挙管理委員会をやめるということは、妥当でないと考えます。もう一つ観点といたしまして、各大都市がきわめて財政窮乏でありますので、区の選挙管理委員会を廃止することによつて財政負担を軽減せしめる、こういう一つの見方もございますが、区の管理委員会というのは、実は決して報酬を目当てに活動し、あるいは事務をとつておる委員は一人もございません。みな滅私奉公の精神によつてつているので、手当を目標として選挙のお世話をしている者は一人もございません。従いまして、財政面においての事柄は、この選挙管理委員の手当の軽減、あるいはなくしてもいい、こういうふうな考えを持つております。ことに選挙法が漸次公営強化の方面に進んでおります。立会演説会の開催、あるいは氏名掲示、あるいは選挙公報の配布、その他万般、末端機関の政治事務の増強を来しておりまする今日、これらの区の選挙管理委員会をやめるということは、いかにも時代に遂行した感じを持つのでございます。先刻も申し上げましたように、五大都市の地域とか、人口、財政力においても、各府県を凌駕しております。かかる大都市において、選挙事務を迅速にかつ的確に進行するということは、市の選挙管理委員会のみにおいては、これはとうてい完全にその目的は達し得ないものと考えます。ことに地方的の特色を持つております区の選挙というものは、市と区の管理委員会が脣歯輔車の関係にありまして、これらを運行することによつて非常に円滑に行くものと思います。過去数年間の五大都市における選挙がきわめて円満に、しかも民主的の選挙を敢行し得たのは 一にかかつて区の選挙管理委員会というものがあつたことによると思います。  かようなわけでございまして、五大都市のその管理委員会を廃止することは、大都市の特殊事情を無視した措置でございまして、了解に苦しむところでございます。過去六年の歳月を費して営々としてつちかつて来ましたところの民主政治の遂行と考えます。従いまして、国家のためにまことに憂慮にたえないと思います。国事がきわめて多端の折から、本改正案については、特に愼重に御審議を重ねられまして、民主選挙の理想制度である区選挙管理委員会の存続を決定いたされまするように、切に懇願して陳情する次第でございます。
  27. 金光義邦

    金光委員長 次に公述人として、東京大学杉村章三郎教授にお願いをいたします。杉村章三郎君。
  28. 杉村章三郎

    ○杉村公述人 連合軍の占領下に行われましたいろいろな改革のうちには、わが国の実情に適しないものも少くないと思いますが、地方制度に関して行われましたいろいろな改革は、大体におきまして、よく民主主義の精神に徹しており、従来の中央集権的かつ官治的な自治制度に対して、日本人自身では永久になし得なかつたであろうような、徹底的な批判をなした上になされたものでありまして、少くともその方向は承認せらるべきものであり、また将来も長く推進せらるべきものと信じます。私はなるべく下積みの、地方団体、すなわち住民に最も身近い地方団体に、なるべく多くの行政機能を與え、これをその自主的処理にまかせて盛り立てて行くということ、国と地方団体との間に事務の明確な分界を設けまして、それぞれの責任を明らかにするということ、この二つが実現されなければ、真の地方自治というものは発展しないということを、かつて述べたことがあります。今日もなおこれを信じておりますゆえに、この信念に基きまして、今回の自治法改正案に対して、批判なり卑見なりを述べたいと存じます。  そこで正式の順序としましては、まず改正案における地方制度の一般問題といいますか、問題点というものについて、卑見を述ぶべきでありますけれども、皆様の御期待になることは、おそらく東京都の問題、ことに区長任命制をめぐる問題である、こういうふうに思われますので、この点につきましてまず申し述べたいと存じます。  東京都の問題につきましては、地方行政調査委員会議でも、特別市制の問題とともに、大都市に関する問題の一環としまして、一連の勧告をいたしました。その勧告起草の方針といたしましては、この会議の性格として、まず都と特別区との間における事務配分をなしまして、それを処理するに必要な組織及び財源措置というものを考えたわけであります。事務配分にあたりましては、他の府県と市町村との間と違いまして、都と特別区との場合は、都が特別区の存する区域におけるいわゆる一体的な行政を行わなければならないという建前から、特別区に属せしめる事務を列挙する方針をとりまして、その内容としまして、主として営造物関係事務を区の事務とし、他はあげてこれを都の事務とし、この両者の間の責任を明確に区分した次第であります。すなわち委員会議としましては、一方において現在の特別区の能力においてなし得ることはなるべくこれにまかせるとともに、他方において都が二十三区における一貫的な都市行政をなるべくやりやすいために、従来の都吏員の区への配属を認めます。また財源措置としては、従来特別区が賦課徴収する区民税というものは、還付税方式によりまして、都が徴収すべきものとしたわけであります。ところで区長選任、すなわちこれを公選とするか、あるいは都知事の任命とするか、あるいは区会の選挙とするか、こういう問題となるのでありますが、この問題につきましては今までいろいろ御議論がありましたように、憲法九十三峰の規定がありまして、地方公共団体の長は住民の公選によらなければならないと憲法で定めております。ですからそう簡單に公選以外の方法をとるということはできないのであります。同僚の田中教授その他東大の中堅、少壯教授がつくられました註解日本憲法、こういう書物がありますが、それにおきまして、これはいやしくも公共団体である以上は、特別地方公共団体でも財産区の末に至るまで、すべて長の公選制をとらなければならないものと書いてあります。かりにこの説は実際に適しないものといたしまして、特別地方公共団体の方に段階を設けて、財産区と地方公共団体の組合というものは、これはあるいは事務が特殊であるということ、あるいはその事務住民直接の事務を目的としておらないということで、九十三條の適用を除外するといたしましても、特別区をこれと同一に取扱うということには疑問があるわけであります。また基礎的地方団体というものに九十三條の適用があるものとしまして、特別区はこれを神戸勧告あるいはこの法案のように、特別地方公共団体の性格を喪失したのだから、区長公選を要しないという説を立てましても、そうなりますと、三多摩地方には都と市町村という二重の地方公共団体が存するということになるか、あるいは二十三区の区域の基礎的地方団体が全然存在しないということにもなるわけであります。と申しますのは、都が二十三凶の区域に都市としての権能を行いますのは、いわば代理にすぎないので、主人ではない。何となれば、区域が違うからであります。基礎的地方公共団体に九十三條の適用があるという議論を推し進めて参りますと、一般の府県知事の公選も、やはり府県が基礎的地方団体でない、市町村だけが基礎的地方団体であるということになりますれば、知事の公選も必要なしということになり、知事公選の廃止ということにいい口実を與えるのではないかというように考えるのであります。かようにして現行都制の建前では、たとい権能を局限したといたしましても、特別区に憲法九十三條の適用がないという解釈は、どうも自信をもつてとることができませんので、神戸勧告では区長選任の問題はこれを見送りまして、現行制度のままといたしたのであります。これは決して区長任命制を暗黙のうちに承認したのではないのでありまして、その可否につきましては十分討議を盡したのであります。要するにこの勧告は、東京都制につきましては、特別市制の場合のようにはつきりした態度をとつておりまして、都側の希望も十分に取入れ、その一貫的行政をなすに容易ならしめるようにしまして、いわばこれでひとつやつてごらんなさい、これでもいけなければ次の手段を考えたらいいのではないか。こういうことを言つておるつもりであります。  考えますのに、都と区との関係が、かように法律的に割切れないようになつた原因は、先ほどちよつと議員の方からお話が出ましたように、昭和十八年の戰時中、都の区域を従来の東京府の区域としまして、当時の東京市を、いわば抹殺したというと少し言葉が強くなるかもしれませんが、つまり二十三区を区域とする自治体というものがこの範囲において、真空状態になつたというようなわけであります。それでありますから、徹底的な都と区との間の解決策としましては、東京都政調査会の意見書であつたかと思いますが、三十三区を全体として一つの特別市をつくり、三多摩を独立の県とするということがその一つ。第二には道州制をつくりまして、同じく二十三区をまとめて一つの市とする、そういうことが一つ考えられます。さらに現在の東京都の区域を全体として大都市考えまして、三多摩の市町村もすべて二十三区と同様、区にするというような案も考えられ得るわけであります。こういうような根本的な案を考えまして初めて区の自治体としてのあり方が定められることになるのであります。いずれにしましても区長任命制というものは、経費の節約などの理由で非常に俗耳には入りやすく、また小さい問題のようでありますけれども憲法違反のおそれがあるわけでありますし、また道府県の性格というものとも関連を持つというような問題でありますから、さらにはまた政治的にいたずらに都と区の争いを今後一層激化させる問題でもありますので、私は結論としましてはこの際その施行を延期しまして、地方制度根本問題を解決するために設置すると言われております地方制度調査会で、今申しましたような点について十分検討を重ねまして、いずれなりとも決定せられたならばよいのではないが、こういうふうに考えます。なお改正法案に特別市の区長の公選ということを廃止して任命制としておりますが、これは行政区でもありますし、全然別個の問題であるということを御注意までに申しておく次第であります。  次に一般地方制度に関する改正法案改正諸点につきまして、もう大分時間もなくなりましたので、簡單に批判に移りたいと思います。改正法案地方団体の事務処理の自主性というものと、それからその組織運営簡素化、能率化という、この二つをねらつておるというように提案理由には出ておるのであります。両者を通じ、法案が神戸勧告の趣旨を広い範囲にわたりまして相当強く実現に移し、あるいは実現しようとする体制を形づくろうとしておる点には敬意を表したいと存じます。たとえば委任事務根拠を法律または法律に基く政令で限定する、ある地方団体に処理を強制する事務、すなわち必要事務というものを、別表に列挙するという制度を設けるあるいは知事や市町村長に対するいわゆる機関委任事務範囲、あるいは法令に基く地方団体の機関の設置につきましても、同様の措置を講じております。あるいは市町村の規模の適正化を促進する法的措置を講じたこと、あるいは議会運営簡素化あるいは部局の整理というようなものを取扱つて、一応解決をしておるという点がこれであります。また第十章の「監督」という章を改めまして、「国と普通地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係」ということにいたしまして、国と地方団体との関係が、監督権力による監督関係ではなくして、技術的な助言、勧告、監査というような、いわゆる非権力的な関與を内容とするものであるということを明らかにした点も、賞讃に値すると思います。もちろんこれらの改正事項のうちには不徹底、微温的なものも少くないのであります。たとえば国と県、市町村との間の事務配分につきましては、その基準も示してありませんし、ただ委任事務の法的根拠だけ限定するというのは、これは微温的な改革たることを免れないわけであります。むしろ神戸勧告のごとき国の事務というものを列挙して、そして地方団体の自主的な事務を広くするという方向に、将来は向われたらどうかというふうに考える次第であります。また町村規模の合理化というものをはかる方法としまして、知事がこれに関する計画を定めるというようなことが、法文に出ておるわけでありますが、その効果がはたしてあるかどうか疑わしいわけであります。むしろ端的に相当額の補助金を與えて、そういう適正化を促進するという方がいいのではないかというようにも考えるのであります。  なお行政の能率化あるいは簡素化、あるいは地方団体相互間の調停というふうなことを目標といたしますと、どうしても国または都道府県知事というものの地方団体に対する統制権の強化という弊害を来しやすいものであり、あるいはそういう口実をつくりやすいものでありまして、地方団体の自主的な活動、あるいは自主的な運営を確保するという一方のスローガンというものが、その目的を達しがたくなるおそれがあるのであります。この点について、たとえば法案の第七條におきまして、市の廃置分合に関しましては、あらかじめ総理大臣に協議を要する。協議をして届出をなした後に、内閣総理大臣がこれを告示するわけでありますが、その告示によつてその効力が生ずるものとしておるわけであります。市が他の町村と合意で合併するというような場合に、その効力の発生が総理大臣の告示にかからしめておるということは、地方団体としましては、いわば予定が立たないということになるわけであります。もちろん、法律には、ただちに告示しなければならぬというふうに書いてはありますが、しかしその期限の定めはないのでありまして、結局長期間の引延ばしが行われないとも限らないのであります。従つて告示というものに、そういうような強い力を與えるということは、都市の自主的な運営を妨げることになりはしないかと考えるのであります。  要するに、地方制度の一般制度に関する今回の改正法案というものは来るべき根本的な改革というものを前にしましての微温的なものである。従つてこれに対して批判すべきものはあまり多くないというのが、私の感想であります。ただ新たに設けられております地方団体間の調停の問題でありますとか、あるいは地方団体間の協議会制度でありますとか、こういうようなものにつきましては、研究すべきものが多々あろうと思いますけれども、今はまだここに意見を申し述べるだけの準備を持つておりませんから、省略いたしたいと存じます。  これで私の公述を終ります。
  29. 金光義邦

    金光委員長 それではあと一人公述人の方にお願いをいたしまして、それより質疑に入りたいと思います。東京職員労働組合副委員長の原島照房君にお願いします。
  30. 原島照房

    ○原島公述人 私は、ただいま御紹介をいただきました東京職員労働組合の副委員長をいたしております。区役所、出張所、各事業所及び地方事務所全四万二千の職員を代表いたしまして、今次法案改正にあたつて、今日まで私どもがたどりました経過を申し上げまして、皆様方の絶大なる御理解をいただきたいと存ずる次第であります。  今次法案の骨子と相なりました神戸勧告が発出されました昨年の九月二十二日に際しましても、私どもはあらゆる角度から、この委員会に対しまして私どもの実情を訴えまして、おおむねその線に沿つた勧告に基いて、今次の法案が提出されたものと了解いたしておるわけであります。私どもが特にこの委員会に大きく要請をいたさなければならなかつた理由といたしましては、東京都における特別区創設に伴いまして、私どもの身分問題をまず第一に取上げたのであります。この問題につきましては、国会の理解ある御協力によりまして、東京都の職員として今日まで参つておるわけでありますが、この特別区が市と同じであるという観点から、ここに二十三区にこれを固定化せんとする主張が、都庁側から再三にわたつてなされてありました。しかしながら私どもといたしましては、人事交流の面はもとより、この行政一体化して真に公正に行う面におきまして、どうしても固定化することは困難であるという立場から、これに反対して参つたのであります。その理由といたしますところは、私ども東京市及び東京都の今日に至るまで、常に職員は東京市の吏員としておよそ八割、二割は東京府の吏員であつたのであります。このような立場から、私どもはたまたま特別区の創設に伴いまして区に固定したのでありますが、この人事の今日までの沈滯というものは、私ども職員の立場から見ますと、きわめて遺憾な点が多々あるわけであります。特に私どもは單なる身分だけの問題ではございませんので、行政の一元化ということについて、かねがね東京都の特別区創設に伴いまして、條例をもつて定めるという條項がございました関係から、当初私どもは一切の仕事は区において万化されるものと了解しておつたのであります。しかしながら、これが固有事務あるいは委任事務という二つの権限争いの渦中に入りまして、保健所、あるいは税務事務所、あるいは福祉事務所、こういうようにできておるゆえんのものは、やはり知事なら知事、あるいは、区長なら区長としての固有事務を主体としたものでありまして、現在両者が公選制である限り、ある程度の指揮権、ある程度の監督権というものがない限り、この姿が出るのは当然と考えておるのであります。従いまして現在私どもの見る眼におきましては、二十四名の知事が現われておるような姿でありまして、遺憾ながら私ども行政事務が、きわめて阻害を受けておるのであります。その実例といたしましては、税におきまして、住民が指向する——ども都民の一人といたしまして、同じ税を納付するにあたりまして、区の税務課、あるいは都の税務事務所、あるいは国の税務署、こういうような三つの姿になつておるということが、住民に対する多大の不便をもたらしていることはもとより、保健行政等につきましても、知事にある程度の監督権のある限り、これはすべて窓口を一元化して参るべきであるということを、常に組合として大会の都度決定をいたしておるのであります。財政的な見地から考えましても、この行政事務を一元化する際において、とうていその部分的な区長さん方における調整というものは困難であるという実例は、一昨年のいわゆる年度における財政調整にあたりまして、遂に区側における財政調整ができなかつた。ほとんど期末に至りまして都に返還したということを聞くに及びましては、私どもは当然財源的な見地からも、これは一体制をとるべきものであろうと考えておるのであります。現在の区長さん方の御主張によりますと、いわゆる大きな業務は都で行つて、小さな業務は区でやる、こういうことで現在の、たとえば清掃あるいは道路、こうした問題に関しましても、これをわけようというお話があります。しかしながら私どもとしては住民を中心に考えますときに、やはり道路は、区道であろうと、都道であろうと、県道であろうと、同じ窓口ですべてが行われることが望ましいことでありまして、私ども東京都の発展過程を見ますならば、江戸時代から八百八町、それにおのおのひさしをおろして参りまして、いわばアパート的性格を持つております東京市を分断するということは、まさに都民生活を破壊する以外の何ものでもないと考えているのであります。かような見地から、私どもは他の五大都市、すなわち京都、神戸あるいは大阪、これらに勤めている職員の意向を聞きましても、やはり市の中における区というものは、行政区が最も正しいのであるということを職員が要望しているのであります。かかる見地から、私どもといたしましては、ある程度現在の都知事が区長に対しまして監督権、指揮権がない限り、遺憾ながらこの争いというものは、とうてい終止符を打ち得ないということを、身をもつて体験したわけであります。私どもは組合といたしましても職員団体が、もし東京市あるいは現在の二十三区が市として独立するならば、これは二十三団体にわかれて行くというような実情であります。このように公選以来特別区の創設が、当初の私どもの期待した事態とまつたく逆転をいたしまして、いわば分断行政というようなことに相なつて参りまして、かりに先般設けられました福祉事務所の創設にあたりましても、ある区の区長さんにおきましては理解ある態度をとられたようでありますが、場所によりましては、ほとんどかつてに出て行けがしの態度をとられまして、私ども職員といたしましては、まことに泣く思いでこの両者の権限争いの渦中にあるわけであります。このような苦境の中から常に本案の提出に当りました自治庁方面に対しましても、心からその現状をつぶさに伝えまして、また神戸委員会に対しましても、実地調査が行われたと聞いておるのでありますが、実際私どもは区及び出張所、これらの窓口の一元化のためには、やはりこの指揮権、監督権というものを持つ現在の自治法改正こそが、私どもの喫緊の要望でありまして、五箇年にわたる私どもの身をもつて体験いたしました今次改正案に対しましては、すみやかに本法律の施行を期待してやまないものでありまして、かかる見地から四万二千を代表いたしまして、皆さんに御要望申し上げた次第でございます。
  31. 金光義邦

    金光委員長 これより公述人方々に対しまして質疑をいたしたいと思います。一昨日の理事会申合せによりまして、お一人五分間程度におまとめをお願いいたしたいと思います。なおつけ加えておきますが、衆議院規則によりまして、委員公述人に対して質疑をいたすわけでありますが、公述人の方は委員質疑をすることができないことになつておりますので、申し添えておきます。大石ヨシエ君。
  32. 大石ヨシエ

    ○大石(ヨ)委員 日ごろ尊敬いたしております山浦先生に、私はちよつとお尋ねしたいのでございます。先生は選挙が非常に多過ぎるとおつしやいましたが、どういうふうな観点から選挙が多過ぎるとおつしやいましたか、第一点にそれをお聞きしたいと思います。  それから第二点は、区長任命制を非常に賞讃していらつしやいますが、私は先生は非常に民主主義的なお方であると思つておりましたら、意外に存じまして、区長公選制反対で、任命制がよいとおつしやる。いつだつたかの新聞を見ましたら、やはり知事も任命制にしたらよい、こういうことをおつしやいました。そこで私が先生にお尋ねいたしたいのは、もしも先日のように安井さんとそれから共産党の人と二人争いまして、もし共産党が都知事になりました場合には都庁は全部共産党の党員をもつて占めますが、この点山浦先生はいかにお考えでございましよう。  それから区長任命制については非常に金がかからぬ、ところが選挙をすると金が非常にかかるとおつしやいました。そこで私が第三点に先生にお尋ねしたいのは、現在警視庁は七十億の金を都からとつておりますが、区長任命制にいたしますと非常に金がかからぬとおつしやいましたが、その点いかようにお考えでございますか。  それから第四点、婦人が参政権を獲得いたしましてここに七年でございます。そういたしますと、一軒の家にこれを考えますと、一軒の家で主人は参政の権利を持つておる、ゆえに一軒の家であるからして、妻君は主人の言いなりになつたらいいじやないか、夫婦は一つである。ゆえに主人が権利を持つてつたら、その奧さんは権利はいらない、主人の言いなりになつてつたらいいじやないか、それが敗戰日本をつくつた基因だと私は思います。聰明なる先生の頭がだんだんとフアシスム化そうといたしておりますが、その点について、私はこの婦人参政権のあり方からしでも先生にお聞きしたい。そこでさつき御婦人の方がおつしやいました通り、今日日本をかくのごとく敗戰に導いたのは、專制と、それから警察国家と、それから官僚と、そうして軍国主義者であつたことは、聰明なる山浦先生よく御存じのことと思いますが、先生がそういうふうに区長任命制にし、府県知事も任命制にする、やがては昔の日本の姿に返つて、ボタン一つ押せば日本の警察、日本の府県知事、日本区長全部が総理大臣の言いなりになろうとしておる、逆コースでもつてもどろうとしておる。そこで聰明なる山浦貫一先生の御意見を私は拜聽したいと思います。
  33. 山浦貫一

    ○山浦公述人 大石先生のおつしやることはよくわかります。私が選挙過剰論ということを申し上げておりますのは、私が選挙のことに少々関係をいたしておりまして、これから来た所感であります。たとえば教育委員選挙でありますが、これはアメリカから押しつけられたいわゆる民主主義方式でありますが、これに対する住民の関心は一体どうでありましようか、きわめて少い。それからまた区長問題がこういうふうに盛り上つておるときに、このごろ行われました杉並区長選挙、あの投票率は二割七分とか八分とかいう驚くほど少い、これもその地方住民選挙民主主義とが、ぴつたりくつついてない証拠だと思う。私は選挙の原則に対して決して反対しておるものではない。何でもかんでも選挙ということは、アメリカの民主主義を拝借したか、押しつけられたか存じませんが、その結末である。アメリカの着物が日本人のからだに合わないところがある、合わないところは寸法を縮めるなり、短かかつたら長くするなりしたらいいじやないかというのが、私の選挙過剰論の根拠であります。先ほど申し上げましたように、全国選挙管理委員会の統計によりますと、全国で行われます公職選挙の数は年に三千回あるという、これは驚くべきことであります。これでどのくらい人手を要し、金を食い、御承知のように、今の選挙選挙法費用だけで足りないということはこれはもう常識であります。でありますから、日本がある程度選挙による民主主義をぴつたり身につけるまでの間は、今の何でも選挙というのは少し多過ぎる、こういうのが私の選挙過剰論のよつて来るところであります。  それから区長任命制の問題でありますが、私は任命制賛成しておるわけではない、区議会選挙したらよかろう、それでいけなければ都と区議会と相談してきめたらよかろう。それから今あなたはおつしやいましたが、私は都道府県知事の任命制賛成したことは一ぺんもない。私は内務省の復活というものには非常に反対です。だから今度の行政改革案でも内政省という案が出たが、私は及ばずながら内務省案というものには非常に反対して、これをたたきつぶす方にまわつた一人である。それから任命制に私は賛成したことはない。都道府県知事も議会が選べと言う。この議会議員は地区の住民が信用して選挙したものであるからして、その人たちが選んだ——まあ昔は知事は任命制でありましたが、市町村長はそのおのおのの議会選んだ、それでりつぱな人を得ているのでありますから、それをやつてちつともさしつかえないじやないかというのが私の意見でありまして、私の議論は任命制ではない。  それから選挙に金がかかる云々という話であります。これは大石先生は法定選挙費用内でやつておいでになるかもしれぬけれども、今おそらく日本中の選挙で、法定費用でやつているのは尾崎行雄先生くらいじやないかと私は考えている。国会議員ではですよ。それから最初九州の諌早の市長の選挙で今度当選された市長の方が、りつぱに法定選挙費用のうちでおやりになつた。こういう例はきわめて珍しい。そのほかは非常に金がかかる。金がかかるということは、そこにがかつた金を回収しなければならぬから利権問題も起る、汚職事件も起る、いろいろな問題が起る。そういうことは選挙による民主主義というものが、まだ日本人の血の中にしつかりした根をおろしていないことから来る。でありますから、選挙公明運動というものを私ら今一生懸命やつていますが、選挙をよくした上でならともかく、今のところはある程度省けるものは選挙を省いて、今の区長の問題でも区議会で選んだらいいじやないかというのが、私の議論のよつて来るところであります。  それから婦人参政権の問題でありますが、婦人参政権の問題と、区長の公選か任命か、あるいは私の主張する区議会で選べという問題は直接の関係はないと思う。私は婦人の参政権というものを非常に尊重しております。
  34. 大矢省三

    大矢委員 今お聞きしておりますと、大体原案には反対らしい。いわゆる間接選挙による区長をこしらえたらいいという御意見であります。これは別として、今選挙の数が非常に多いから少くしたらいい、特に選挙に金がかかる、それは法律を無視してたくさんの金を使うから、いろいろな汚職も起る、また利権をあさるようになる、こういう御意見でありました。それは選挙というものと選挙のやり方、あるいはその候補者が法律を無視してまでやるような者、こういうものといわゆる民主主義の基礎であるべき公選という選挙制度というものを、ごつちやにしているんじやないか。これは普通の人なら別として、相当研究され、日本の将来に対して非常な関心を持つておられる評論家の意見としては、私はどうかと思うのですが、その点で私ども誤解があつてはならぬし、この機会に明らかにしていただきたいのです。  それと、今もし間接選挙でよろしいというならば、これは東京都の特別区の問題でありますが、私が先ほどもお尋ねいたしましたように、東京都内にある市町村というものも、あわせてこれは間接選挙でいいのかどうか。東京の区だけは間接選挙でよろしい、しかし同じ東京都内である自治体である市町村に向つてはこれはまた今まで通りやるということになりますと、いわゆる区会、町会、市会で間接選挙により選ぶということの二重制度東京都内部でなりますが、これはどういうお考えですか。それも間接選挙でよろしいと考えるか。従来通りのいわゆる首長は直接選挙でなければならぬと考えるか。その点ば東京都の一つの矛盾でありますけれども、この機会お尋ねしておきたいと思います。
  35. 山浦貫一

    ○山浦公述人 お答えいたします。選挙に金がかかることと、選挙の本質とは違うという御意見でございますが、それはその通りと私は考えております。ところが、現実の問題の方を、私らは根が新聞記者なものですから、先に見るのでありますが、現今の選挙状況は、そのよつて来るところがどういう理由かというせんさくはいずれといたしまして、ともかく公明選挙運動を要するような現状である。そういうところから言つて——もつともこれは外国だつて何も日本とおつつかつつで、イギリスなども昔は選挙区を買収したという話もある、アメリカだつて大統領の選挙をするには、大分財閥から金が入るという話がある。何も日本ばかりの状態ではないのですが、どうもしかし現実の問題としては、アメリカ直輸入の何でも選挙ということは少少行き過ぎである。たとえば教育委員選挙などというものは行き過ぎてあるというように私は考えております。その私の考えに対してお前は間違つていると言うなら、これはまあ私はおしかりを受けます。  それから東京都内における市町村の選挙は、間接選挙でいいかということでありますが、その通りで私はやはり市長も村長も町長もたとえば市議会、町議会、村議会、そういうものが選ぶ、つまり昔やつた方式の方が実情に合つてつて、そうしてそれでいい人を選び得るというのが、私の観察している実際であります。
  36. 大矢省三

    大矢委員 もう一点簡單に……。現に今公選で選ばれている区長さんに対して、この法律ができると知事の任命になるということになりますが、期間中はどういうふうにお考えになりますか。
  37. 山浦貫一

    ○山浦公述人 現在公選で出られたりつぱな方々を、この法律が通つたからといつてすぐ更迭するというようなことは私はよくないと思う。そこのところは法律的な問題で、どうも私は法律的な問題はよくわかりませんが、そういうことはよくない。任期一ぱい、吉田さんじやないけれども任期一ぱいおやりになつて、りつぱに御退職になつて、その次に現在の区長さんが再び私の言う都議会選挙で、お出ましになるといつたつて、ちつともさしつかえないのじやないか、私はこう考えております。
  38. 大泉寛三

    ○大泉委員 馬場女史にちよつとお伺いいたします。先ほど原島さんの御意見を御一緒に聞いたわけでありますが、原島さんのおつしやるには、区民——いわゆる都民でありますが、区民として、また委員としての立場から区民の迷惑を察せられて、この区と都の二重行政を今日一本にすべきだという御意見でありました。私どもはずいぶん区民の多くの人に接近して、いろいろ御意見を聞いておりますが、たいていの人は、市町村の場合はとにかく行政区が独立して、区域もはつきりしているからいいが、都の中にある区の場合に、どちらの区でもみな同じ一つの関連性を持つし、われわれも区民であると同時に都民であり、日本国民であるのだから、大都市としての立場からは、しかも日本首都としての立場からは、どうしてもこれは都の一本行政を希持するというようなことを言つております。あなたはこういう立場から——やはり区長選挙権に対して強く申されておりますけれども、国全体の代表都市としての東京都と、政治行政においても、あるいはまた経済的な生活の面においても、密接にしてほとんど一丸になつているような立場においても、なおやはり区分された方が、いわゆる区長公選の方がよろしいと思われるか。よろしいということははつきり言つておられますけれども、先ほどの原島さんの御意見に対してはどういうお考えでありますか。
  39. 馬場幸子

    ○馬場公述人 たとえば一体化という線でございますけれども、私たち区民であり主婦でありますが、主婦の立場から申しますと、現在都がやつておりますことは、決してスムースに行つておらないのでございます。私は目黒区でありますが、先ほど私が例をあげて申し上げましたように、従来区でやつておりました窓口がかわつて、今度——われわれが都税事務所など建ててもらわなくても、従来のところでよろしいと運動をいたしましても、堂々たる税務事務所を建てて、そうしてそこでは所長が自動車を持つておられるのですが、ああいうものは従通来りにやつておられた方が、費用もかからずに済んだのではないかと思うのでございます。何も好んでああいう大きなものを、財政が逼迫しているというときに建てる必要はない。都は何ゆえにああいうものを増設されたのかということを、私はたいへんに不満に思つておるのでございます。
  40. 大泉寛三

    ○大泉委員 原島さんにちよつとお伺いいたします。この区の問題はきわめて政治問題化しておるけれども、何とかこれは妥協しなければならないのではないかとも私たちは考えておる。先ほどの山浦先生の御意見は、どうも多分に妥協性があるのではないかと私は考えておるのですけれども、これはあくまでもこのままで行かなければならないか、また、区長を区議会が認めて都知事が任命するというような場合、これに対する意見はどうかということをちよつと聞いてみたいと思います。私ども意見を加えてもおかしいのですが、一番おそれるところは、率直に言うと、都知事が今の安井さんのような温厚な、しかも識見のある方が出ておられる場合はいいけれども、これに反してとんでもない都知事が出た場合、区が一色にこの流れをくむような思想の者が出て、その人が都において強大な実権をにぎつた場合を想像すると、非常に不安感があるのであります。今のような立派な都知事が選ばれればけつこうですけれども、なかなかそうばかりは世の中は想像できない。そこで私は、分断制もあるいはやむを得ないのではないかと、こういうふうな将来の不安に満ちての考え方もあるのでありますが、先ほどあなたにお聞きしたこと、いわゆる区議会が推薦して都知事がこれを任命する場合、これについてどういうふうなお考えを持つておられるか、一点お聞きしてみたいのであります。
  41. 原島照房

    ○原島公述人 ただいまの問題は将来にわたつての仮定の問題を主として御質問をいただいたのでありますが、私どもといたしましては、都行政あるいは区行政たるとを問わず、区会議員と都会議員との方々が、真に住民代表といたしまして、都や区の行政事務に対して率直な意見を反映していただくことによつて、それらの問題は明確に監視できるということを強く期待しておるのでありまして、今回の改正案に伴いまして、区会議員方々区民を代表いたしまして、区長という執行者に対する意見を、率直に申し述べるという機会を得ましたことは、これはむしろ権限の増大であると私は解釈しております。将来もそのような形で、区会あるいは都議会方面の議員各位が、ほんとうにこの官庁の民主化ということに対しまして、強力なる御監視をいただくことを期待してやまないのであります。たとえば現在の区長さんの中にも——今かりに安井さんとかわつた者が出た場合というような御批判がありましたが、澁谷の区区長さんのように、それぞれ問題を起しまして、遺憾ながら公選の悪用と断定せざるを得ない事態を惹起している場合が多々あるのであります。従いまして都、区行政一体化と、行政運営に対する真の監視というものは、区会、都会の議員方々が、ほんとうに真劍に区民あるいは都民の声を反映せしめることによつてできるものと、確信をいたしております。
  42. 金光義邦

  43. 野村專太郎

    ○野村委員 山浦先生にごく簡潔に伺つてみたいと思います。先生は現実の上に立つて区長任命に対しましては、これを間接選挙に、しかも現在の区長に対しましては公選による任期を満了させたい、こういうようなお話です。また先生は、大体において選挙が非常に氾濫をいたしておるので、なるべくこれを簡素にいたしたらよかろうというような御指摘をなされました。特に、民主政治がしつかり完全に板についておらぬ今日、こういう点からこれを間接選挙にもつて行つた方がいいだろうというような御意見でありましたが、私どもも、先生の御意見は非常に傾聽に値するものとして感銘深く伺つておるのであります。なおかつ私は研究いたしておるわけでありますが、しかし民主政治がやはりまだ完全なところに至つておらぬので、これをほんとうに身につけて行かなければならぬ。そういう点においてこそ、多少現実において割切れないところがあつても、これは筋として公選制をとりたいと考えております。幸い地方制度調査会のことが内閣委員会の方に付託されておりますので、この問題は今の御意見等も含めて、日本民主化の完成の上に、もう少し時間をかけて検討すべきであろう、こういう考えを持つておるわけであります。選挙費用がかかることは私どもも痛感いたしておりますが、幸い東京の特別区の区長は区会議員選挙とあわせて行います。最近行われた区長選挙も、区会の補欠選挙と同時に行つたのであります。また現在公選区長は任期をあと三年ばかり残しており、平和條約の効力も発生して、憲法そのものについても検討しなければならない時期が刻々来ておる。そういう点において私はこのことはやがては府県の性格にも関係を持つて来ると考えております。この点について、ただちにこれを今回の国会に持つて行くことが妥当であるかどうか、お伺いいたしたいと思います。
  44. 山浦貫一

    ○山浦公述人 現在の区長さんがまだ三年の任期を残しておられる、それだのに急遽これを国会できめてしまうのはどうかという御意見でありますが、そういうことになりますと、私はどうも正直にいつてよくわからないのであります。この特別区長の公選が今のところは任命制になつておりますが、私が言えば間接選挙ですが、ほかの問題と関連してここでこの法案を国会がおきめにならなければならないというのであれば、やはり区長の問題も特に一緒におきめにならなければならぬのじやないか。ほかの問題も延ばしていいのなら、ほかの問題と一緒にこの問題もお延ばしになつて——ただいまあなたのおつしやるように憲法改正の問題も、これは早急にやらなければならぬ問題でありまして、地方自治の問題、それから地方公共団体の長の選挙の問題も、いずれ憲法に関連するのでありますから、ほかの問題も一緒に延ばしていいのなら、延ばしてちつともさしつかえないと思います。私の意見としては公選をよして間接選挙の方に持つていくというふうになさつた方がいいのではないかと思つております。
  45. 野村專太郎

    ○野村委員 次に原島さんにお尋ねいたしたいと思いますが、私は都区の関連性に対しては、現実的によく理解しておりますが、東京都区の間では御承知の通り長い間紛争対立が続けられておつた。一応超党的に裁定ができた時代があつたのですが、これを立法化するまでに至らないうちに、今回の改正法律案が上程いたされた。そういう点において都区の関連性は私は十分承知をいたしておりますが、最近八十万に近い署名を職員の人たちがおとりになつたようです。これは私の了解するところでは、特別区に市制を適用することが明らかにきまつておるにもかかわらず、いわゆる財源的な措置は條例にゆだねる、こういういわゆる財政上の不安から、身分を確保して行こうという考慮からやられたのではないかと思うのですが、この私の考え方と違つておりますかどうか、巷間伝うるところによりますと、任命区長反対のためにしたというように聞いておりますが、私は冒頭申し上げました観点において、むしろ職員の人たちが職責を完遂する上においての不安から、おとりになつた考えております。私のこの見解はいかがですか。
  46. 原島照房

    ○原島公述人 ただいまの御質問の点でありますが、私どもの署名をとりましたゆえんは、私ども過去五箇年間にわたりまして、身分を中心として直接に区長及び知事両者の間におきまして反対運動を続けて来たのであります。たまたま第三者が入りました都区調整議会におきまして、職員がよろしいとするならば、区に身分を移管せよという裁定が出たことを私どもは察知したのであります。従いまして私ども何といたしましても、この問題につきましては都行政の一元化という強い要望から、幸い学識経験者の入つておられる地方行政調査委員会議が過去五箇年にわたるいろいろの問題につきまして、特に私どもの実態を調査せられまして、第一次勧告が一昨年になされ、第二次の東京都に関する部面が昨年出るという話を承りましたので、私どもの立場から委員会にそれぞれ書面をもつて依頼に参りました。当時も職員全員の署名を持つてつたのであります。今回の署名八十万をやるにつきましても、もちろん身分を主としたものでありましたが、その要請をする内容におきましては、今次自治法改正賛成すべき立場に立つて署名を完了したのであります。その内容とするところは、私どもは身分の固定化はもとより、都行政を一元化して従来のように二十三区ばらばらになることは、財政的にもきわめて大きな損失がある。かような見地からその内容をつぶさに書きまして、一枚々々にそれを付して了解を得て、八十万の署名を完了したのでありまして、総括的には今次自治法改正に対しまして、神戸委員会の線に賛成するということが、われわれ職員の総意であります。従いまして身分の問題と行政の一元化、財政の一元化ということになつて参りますと、ちようど影に映るがごとく、都知事が区長の現在のあり方に対して、ある程度の指揮権あるいは監督権が出て来なければ、委任業務は一体化することはできないと私ども信じておりますので、かかる意味合いから必然的に区長の公選は廃止になる、こういうことを了解の上で、私どもはこの問題に対する署名を八十万にわたつてつたというのが実情でございます。
  47. 野村專太郎

    ○野村委員 最後に杉村先生にお尋ねをいたしたいと思います。神戸委員長はこの委員会において、東京の二十三区は歴史的に見て、私ども生活に関するもののすべてが、東京都知事に行くことは能率的ではない、そういう点から二十三区は自治区であることを明らかに認めるという証言をいたしておる。しかしそれだからといつて、二十三区が地方における市そのままの制度に行くことは困難だ、こういう点からある制限のついた自治区であることが最も妥当であろう、かように考える。しかし本案については大体第二次勧告を中心にして行つているわけですが、区長の問題は、御承知の通りさつき先生からいろいろお話があつた点から勧告にも載つていなかつた。それともう一つは今の区の事業、さつき馬場さんからお話がありましたように、住民の一番身近にある政治といいますか、事業、しかも二十三区は基礎的公共団体ですから、そういう点から、保健所とか福祉事務所とか、これに類するようなものは、一番身近にある区政によつてつて東京都がこれを理解をして行くのが一番円満であり、一番実情に沿うでしよう。こういうものは東京都側もいわゆる任命区長というものを前提としてゆだねるということは反対してないようですが、こういう点について、先生は神戸委員会を構成された方でありますので、どうお考えになるか。もう一つは今の財政というものは、いわゆる住民税のうちの法人を除いた個人の分を充てて、いわゆる準禁治産者的な形で、これはやはり自治法と比較いたしまして、幾分か財政の裏づけ、ある程度の自治というものを認めてやらなければならぬ。こういう点でさつき私が原島さんに質疑をいたしたいろいろな身分上の不安なども出て来る。そういう点から自治区として、しかも何十万という住民を包容している自治区なんですから、そういう点から、いわゆる條例によつてでも、政府における平衡交付金的な制度等を考えて、運営をすべきではないかと私は考えている。これに対するお考えを伺いたい。
  48. 杉村章三郎

    ○杉村公述人 第一点の問題はちよつと御質問の要旨が明瞭でありませんが、私の考えでは自治というものはなるべく下層といいますか、身近な団体でなるべく処理するということが根本でありますので、でき得る限りは区でできることは自治区としての区がやるべきものである。しかしいろいろなこのころの行政運営から申しますと、たとえば先ほどお話が出ましたように、清掃事業にいたしましても、ただ汲取りをするというだけではなく、それを終末的に処理をするというようなことが関連して参りますので、これはやはり都でやらなければならぬというようなことを私いつか聞いたことがありますし、またそういうことに勧告ではなつていると思いますが、そういうようにでき得る限りは区に事務を與えるという方針で将来進むべきものである。かように考えて、実際一貫的に処理しなければならぬものは都でやる、こういうことがいいんじやないか、こういうふうに私は考えております。  それからなお財政の問題でありますが、今の財政におきましては、なるほど実際において特別区というものは財源を與えられておらない。しかし区民——法人を除いた一般の区民税をとる。それにもかかわらず、区の間の調整がありますので、各区としては財源のゆたかな区がそれを全部使用できるという状態ではないわけでありまして、むろんその程度は問題でありますけれども、ある程度の財政権を與えるということは当然のこと、自治区にする以上は当然のことであろうと考えております。
  49. 龍野喜一郎

    ○龍野委員 私はまず杉村さんにお伺いいたしたいのでありますが、むろん杉村さんは御承知と思いますが、アメリカの自治行政におけるマネージヤー・システムについてのお考えを承りたいと思います。     〔委員長退席、野村委員長代理着席〕 昨年の夏、私どもはアメリカの自治体を見て参つたのでありますが、民主的として最もいばつているアメリカの自治の実態がどうであるかということを見て参つたのであります。その際アメリカの自治行政の新しい行き方としてマネージャー・システムをとつており、すなわち支配人制度をとつておる。その内容は私が説明するまでもなく御承知と思いますが、要するに住民の全体の意思は、市町村議会においてこれを構成せられて、その市町村議会の任免と申しますか、雇用と申しますかによつて支配人が任用される。そうして日常の自治行政運営はこの支配人にまかせるという方式をとつているのであります。この理由はいろいろありましようが、要するにアメリカ流のもちはもち屋にまかせる、それが最も能率的であり、同時にまた選挙行つた場合、あとに残るところの住民の感情の対立、そういう点も防ぎ得るというようなことから、こういう自治行政の新しい行き方としてマネージヤー・システムが多く、かつそのマネージヤー・システムをしいて行く市町村が、だんだん数多くなりつつあるようでございますが、この点に関しまして、日本の現在の情勢、特に問題になつておりますところの東京都の区の問題との関連において、この問題についての杉村さんのお考えを承りたい。  次に山浦さんにお伺いいたしたいのでありますが、東京都の区長を任命にするか、あるいは間接選挙にするか、直接選挙にするか、いろいろ御議論があると思いますが、またそれについては、いろいろ承るところによりましても、賛否両論あり、おのおの理由があると思います。民主的の行政の理論からいつて、あるいはまた能率の上に、経済的な上に、税負担の上に、いろいろな観点からそれについての議論があると思うのでありますが、しかし何といつてもこれを最後に決定するものは、私は住民意識じやないかと思うのであります。私は福岡県の者でありますが、福岡県民たることについて絶大なる誇りを持ち、かつ自分の生れた村に対しましては、非常な感激を覚えているのであります。私はいなか者でありますから、東京都の人たちが東京都民である意識をまず持つているのか、あるいは千代田区民というような考えに対して誇りを持つているのであるか、こういう問題が区の首長をいかなる方針によつて選ぶかというような判断をなす上についての重要な要素になるのではないか。山浦先生は評論家として鋭く物事を観察せられている特別な感覚をお持ちだろうと私は思いますので、東京都に住んでいる人方が、われわれが福岡県民であることを誇り、自分の生れた村の住民であることを誇つているごとく、千代田区民であることに誇りを感じているか、そういうことよりも東京都民であるということに対して誇りを持つているか、その辺について実際の先生の実感をこの際拜聽いたしたいと思うのであります。
  50. 杉村章三郎

    ○杉村公述人 ただいまの御質問は、いわば日本の将来の問題のように承りますが、今の憲法としましては、マ、ネージヤー制度というものの内容にもよりましようけれども、公選区長、公選首長以外のものはとることができないように考えますので、いわば一種の理想の問題に帰する、少くとも今の制度としてはそういうことはできない制度であるということを私は考えております。おそらくマネージャー主義というものは、やはり代議政治というものの、市町村長公選というものの欠陥といいますか、そういうものをある程度是正するために設けられたものというように考えるのでありまして、そういうような時代が来ますれば、憲法改正して、そういうような事態に応ずるということも、考えられないことはないというように私は思います。
  51. 山浦貫一

    ○山浦公述人 ただいまの御質問は、私非常に同感であります。というのは、私は長野県の生れでありますが、今でも自分の生れた村のことなどについては、相談にも乗るし、いろんなことをしますが、さて東京に住んで三十何年になりますが、どうもこれは悪いことではありますけれども、私は大田区の住民だけれども、どうも大田区民という感じが薄い。それから私の子供などを見ても、どうもそういう感じが薄い。これは私はかつて東京は植民地だということを言つたことがありますけれども、何かしら東京は植民地といつたような感じがするのです。こういうことでは、東京あるいは私の住んでいますところの大田区というものを盛り立て、住んでいるところをよくするということには、どうも力が足りないということを、私はしよつちゆう痛感しておるのであります。正直に言つて区民意識が強いか、都民意識が強いとかいうと、どうも私ども東京という観念は相当ありますけれども、区という観念は正直なところ、それに次ぐような感じでありますが、そういうふうでありまして、私は率直に言うと、先ほどもどなたかおつしやいましたが、東京というものを打つて一丸として、何とか区の方と妥協して、東京都というものを一本建にする方法はないかということを実は考えておるのであります。不幸にしてまだ私には案がありませんが、感じを申し述べろということでありましたから、率直に感じを申し上げます。
  52. 門司亮

    ○門司委員 私はおそく参りましたので、十分意見を聞いておりませんから、この機会に杉村先生にひとつお伺いをいたしておきたいと思いますことは、今度の地方自治法改正について、一貫して流れておる一つの方向があるように、私どもには見られるのであります。その方向といいますのは、たとえば今問題になつております東京都の区長任命制の問題にいたしましても、これはやはり基礎的の地方公共団体が市町村にあるということには、私は間違いがないと思う。そうしますと、やはり市と同じような取扱いを受けておる区、固有の事務を持つております区の長を凶が選挙するということは、私は憲法第九十三條の建前からいつても当然たと考える。ところがこれを任命制にしようという一つのものの考え方、それからさらに五大市における現在の行政区の選挙管理委員会をなくして、これを一本にしようという考え方——選挙はおのおのの区で独立して行われておるのであります。市会の選挙にいたしましても、あるいは府県会の選挙にいたしましても、行政区ではありますが、選挙はおのおの独立してこれを選挙しておる。従つて選挙事務管理ではありません。選挙管理委員会であつて選挙を管理する一つ委員会であります。当然それを執行いたします地域においては、やはり選挙を管理する委員会が私は必要だと考える。ところがこれもなくして、そうして市一本にしようという行き方、それからさらに町村の合併に対して知事がこれを企画し、勧告することができるという行き方、それからもう一つこの中に部局を定めておるのでありますが、伊道府県の一部に対して必要のあるときは、これを増加することができることをここに書いてございますが、従来の規定によりますと、都道府県は必要のあつたときには條例でその部局を増加することができるという規定であつて、まつたく都道府県の自主性にまかしておつたのである。ところが今度はこれをあらかじめ内閣総理大臣に協議しなければならないということで、中央にこれを集約しておる。こういうふうに、ずつと今度の地方自治法改正を見て参りますと、何かやはり中央にすべての権限を集めるような傾向を持つておると思うのですが、この点に対して、先生の御感想をひとつお伺いしておきたいと思います。
  53. 杉村章三郎

    ○杉村公述人 門司さんからいろいろこまかい点について御指摘になりましたが、今度の自治法改正は、これは私さつき申し落しましたのでありますけれども政府案として出ておりまして、地方自治庁当局者が中心となつてつくられたものというように考えます。それで現在政府としてつくる場合におきましては、おそらくいろいろな制約があるだろうと考えます。今御指摘になりましたように、いろいろな中央集権的な傾向があるということを伺いましたのでありますが、これはどうも率直に申しまして、役人の方々がつくればそういうことに多少はなる。つまり統制とかあるいは能率化ということの反面においては、先ほども私ちよつと触れましたけれども、そういうふうな傾向が、一方においては、あるいは自治を制約するという傾向が出て来ることは、当然警戒しなければならぬことでありまして、つまり時勢の変化と申しますか、この前アメリカの勧告が出た当時と現在の情勢とにおきましては、多少違つておるというように考えますので、おそらくそういうようなことが法案の上にも出ておるということは、察知できると思いますが、自治法としてはあくまでそういうことを排除して、自治権の拡充という方へ向わなければならぬ、こういうふうに私は考えております。
  54. 門司亮

    ○門司委員 それからもう一点お伺いしておきたいと思いますことは、自治法改正のもう一つの骨子として、行政簡素化に基く処置が、私は非常に多く現われておると思います。その中でひとつ先生の御意見を拝聴いたしておきたいと思いますことは、先ほど申し上げました都道府県の事務を担当いたします部局の数に対して、人口でこれを割つておるのであります。たとえば、北海道はこうだ、東京はこうだ、人口二百五十万以上はこうで、二百五十万以下はこうだ、百万以下の府県に対してはこれだけというふうにしておるのでありますが、これは今度の行政簡素化の面から考えられたこととは思いますが、中央行政はちつとも簡素化されておりません。大臣の数はちつとも減つておりません。中央においてはいろいろな行政機構を持つてつて、末端の行政機構を單に機械的に、人口的にこれを制約して行くということになりますと、おのおのの自治体におきましては、多少の特異性を持つておると思います。従つてその特異性を無視して、單に人口で二百五十万以上はどうするとか、あるいは百万以下はこうだとか、あるいは二百五十万以下二百万まではこうするというような、機械的に配列された行政機構の改革では、私は政府がねらつておるような事務簡素化はできないと思う。逆にこれは混乱に導くものを持つていやしないか。従つて一応簡素化してみたが、またいつの間にかこれが元のようにかわつて行くという危險性を持つておると思います。こういう点について、中央地方との行政事務簡素化の問題は、私どもから考えて参りますと、当然国の行政機構というものをまず十分改革して、その後に地方行政機構を改革するようにしなければ、必ずしも今の状態では民主主義の民主行政が徹底しておりませんし、何といつても、中央から多くの事務地方はゆだねられておりますので、ここに事務の複雑性と混乱性が出て来ると思いますが、この点に対して先生の御意見を辞職しておきたいと思います。
  55. 杉村章三郎

    ○杉村公述人 部局の制限ということを、人口数によつて区別するということは機械的だというお話に対しては、これは私も同感に存じます。また中央行政の方はちつとも制約しないで、地方だけをそういうふうに責めるということは不当ではないかということにつきましても、私は同感に存じます。さればこそ私の方の勧告では、そういう事務配分をまずやる、そうしてまたそれと同時に、行政事務そのものの整理をし、不必要な行政事務というものを廃止する、あるいは制約するということが根本の対策であろうというように考えます。そういうことを私は常に従来から主張しているのでありますけれども、この事務簡素化ということが、実は他の行政庁とのいわゆるセクシヨナリズムというようなもので、非常に停頓している。吉田さんの言うように、簡單行政簡素化というものはできないということを、私ども実際国民として常に痛感している次第でありまして、人口によつて部局の数を決するというようなことは、これはそもそも末の問題であります。また人口によつてそういうことをわけるというのが、はたしていいかどうかということも問題であろうと思います。ただほかによい標準がないものですから、大きい県と小さい県と同じ機構にするということはおかしいじやないか、そこで段階を設けよう、こういうのがおそらく立法の趣旨じやないかと存じます。御趣旨の点は私も同感であります。
  56. 立花敏男

    立花委員 山浦さんにお尋ねいたしますが、山浦さんの区長公選廃止に対する御意見は、まだ民主主義が身についていないという点と、選挙に金がかかるという二点だと思うのですが、そういたしますと、民主主義をいかにして身につけるかという点について、どうお考えになつておられますか、民主主義を廃止いたしまして、はたして民主主義の訓練が国民にできるか、この点をどうお考えになりますか、民主主義にかわる政治制度をどういうふうにお考えになつているか、これをひとつ承りたい。それからもう一点の金の問題ですが、山浦さんのお言葉によりますと、二十億金がかかるから、選挙過剰であるというようなことをおつしやいましたが、B二九一台で二十億の金はかかるわけです。フアシズムになつて戰争になりますと、国土の損害ははかり知れないものがあります。決して二十億の選挙費用の問題ではないと思うのですが、この点どうお考えになつているか。それから杉村さんにお尋ねいたしますが、二点お尋ねいたしたいと思います。杉村さんの論法で参りますと、改正案特に区長任命制憲法違反であるということになるのですが、その点確認願えるかどうか。それからもう一つは、その他の部分については微温的ではあるが、進歩的だという御意見をお持ちのようであります。私どもはまつた反対意見を持つております。今回の改正案自体が非民主的である。中央集権的である。その頂点として現われているのが区長任命制なんです。その証拠には区長任命制を主張されました都議会議長菊池さんが、区長任命制について賛成しながら、他の部分では反対意見の文書をお出しになつている。それから見ても明白だと思うのですが、杉村さんの、区長任命制の他の部分は、微温的ではあるが進歩的だという考え方お尋ねいたします。  それから原島君にお尋ねいたしますが、個々ばらばらの都の行政になつては困る、一元化が必要である、従つて区長任命制は必至であるという考え方なんですが、これこそ私はフアシズムの論理じやないか、一元制と民主主義とは決して矛盾するものではありませんし、いわんや区長の公選制と都行政の一元制は、私は決して矛盾するものではないと思う。こういう個々のパートにおける公選制を否定して得られました一元制というものは、これこそフアシズムであり全体主義だと思う。たとえばあなたの組合におかれましても、各支部の支部長は下から公選されているはずだ。しかもどこから見ましても、あなたの組合の統一的な指導が阻害されているとは私ども考えないのであるが、組合ではそういう民主的な形をとりながら、区の行政、都の行政においては公選制を廃止して、一元化の名のもとに任命制を採用することが、はたして民主主義の推進になるかどうか、この点をひとつ明白にしていただきたいと思います。それから人事の交流が組合として重大な問題のように意見が述べられておりますが、人事の交流は区長の公選があつて初めて私は完全に行くのではないか、区長の官僚的な任命制が行われまして、非民主的な区長が出て参りますと、人事の問題も官僚的になり、非民主的になるのは当然でありまして、組合の側から申しましても、人事の問題を解決いたしますためにも、区長の公選制が絶対必要ではないか、しかも区の行政、都の行政区民都民とともに民主化いたしますためには、区民が選んで参りました区長とともに、行政あるいは人事の面において組合が協力されて、ほんとうに民主的な組織を下からつくり上げて行くということこそ、ほんとうに都の行政あるいは区の行政を、完全に民主的な統一体とする基礎なんです。区長の公選制を廃止し非民主的な区長を選び出すことで、はたして都の民主的な統一を達成することができるかどうか、この点をはつきりしていただきたいと思う。  最後に馬場さんにお尋ねいたしますが、馬場さんは結論として非常に重大な発言をなさいました。この法案を見ると、はだえにあわの生ずる思いがするとおつしやられましたが、まことに私ども実感として同感でございまして、非常に重大なお言葉だと思うのですが、そのお言葉は具体的にどういうことをおさしになつておられるのか、これをひとつお教え願いたいと思います。
  57. 山浦貫一

    ○山浦公述人 民主主義云々でありますが、私も民主主義を否定するものではない、むしろ民主主義論者であります。そこで具体的な問題について申しますと、私が申しました区長の間接選挙ということまで、これは民主主義に反するとは私は考えません。  それから国会議員選挙に、選挙公営費だけで約二十億の金がかかる、そんな金がかかつて——B二九とおつしやいましたが、私はかかつても必要なものはやらなければならぬ。国会議員選挙などはいくらかかつてもやらなければならぬのでありますが、儉約できるものは倹約したらいいじやないかというのが、私の物の考え方であります。
  58. 杉村章三郎

    ○杉村公述人 第一点としまして、区長任命制というものは憲法九十三條違反であるか、私は現在の憲法そのままにおいては、あるいはその制度をとつている限りにおいては、これはやはり違反であるというふうに考えております。  それから第二点、微温的であるが進歩的であるというようなこと、私は進歩的であるということは申したような気がしませんが、微温的であるということは、つまり神戸勧告の線を必ずしてもすべて採用しているわけでもないし、はつきりした問題、重要な問題というものは、そう全面的に現われているというわけではないので、そういう点で微温的であるということを申したわけでありまして、中央集権的な傾向については、これはこういう時代でありますから、おそらく多くの点で出ておることと思います。先ほど申しましたように、能率的とかあるいは簡素化ということは、そういう中央集権的なまた国の統制的なことを導きやすいということを申したのでありまして、そういうことが、これは人によつておそらく違うだろうと思いますが、相当現われているということは、否定できないと思います。まだ私実は法案の内容のこまかい点につきまして、一々説明を聞いたわけでもありませんし、ただ一応法案を見まして、勧告の線が相当に現われておるということを申したにすぎないのであります。
  59. 原島照房

    ○原島公述人 第一点の、組合の現在の民主的なあり方と、ほとんど同一措置に見られる現在の公選制廃止ということは、むしろ自治制度に対して逆行していはしないか、こういうようなお話のように承つたのでありますが、立花さんも御承知の通り、組合というものにつきましては、各支部は一つの構成単位でありまして、本部において指令権を持つております。従つてどもは、明確に機関で、中央委員会、大会等できめた場合においては、これは支部長以下を拘束する力を持ちます。このように一切の問題を中央におきまして個々に検討を加えた結果、よろしいとなれば、支部に指令権を持ちます。現在の区長、知事の両者はおのおの公選でありまして、公選が明確に市と同じでありますならば、これは別の地方公共団体になりまして、指令権はまつたくございません。従つて指令権を持つことは、現在の公選のままでありまするとすれば、私どもは法の運用上明らかにこれは違法であろうと思うのであります。このの意味におきまして、私どもはある程度の指揮監督権というものを持つ、仕事一切を、区の窓口へ持つてつていただきたいというのが根元でありますから、この意味合いにおきまして、住民福祉の点から、東京都を二十三区にばらばらにすることは絶対に反対であるという意見を申し上げたのであります。  第二でありますが、人事の交流について、公選の方がうまく行くではないか、こういうお話でありますが、現在区長さんが公選になりましてから、その任免につきまして委任をいたしまして、その結果ほとんど交流が阻害されております。特に一昨年の三者の都区調整議会におきましては、おのおの二十三区を市と同じにいたしまして、市の吏員と同じように区の吏員も全部固定化そうというのでありますから、決してこれは交流にはなりません。従いまして、私ども組合は当然二十三の職員団体として登録になる。このようなことに相なりますると、遺憾ながら人事交流は、現在においてすらも沈滞して、ほとんど交流ができておらない実情に対しまして、さらに拍車を加えて参ります。これを私どもが阻止して参りましたのは、一に四万の総意に基きまして、区長及び知事に対しまして強力なる反対を、四年間続けて参りましたのが実情であります。この意味から、私どもはある程度指揮権、監督権を持つべき任命制度には賛成するという立場をとつたのであります。
  60. 馬場幸子

    ○馬場公述人 身にあわを生ずるほど戰慄を覚えるという言葉は、現在区長の公選廃止ということ、次には都知事あるいは県知事の公選廃止、任命制賛成ということに相なりまするとわれわれ先ほども申し上げましたように、戰時中中央集権、命令一本でわれわれに押しつけられました。今こうしてまず第一に区長任命制というようなことは、その中央集権、命令一本化の第一のやり方だと存じます。私たちはそのように命令一本、たとえば吉田さんが再軍備でないとおつしやいましても、現状においてだんだんと再軍備の様相を呈して参ります。そのときに、上からの命令一本で参りますと、われわれはそれをいなむことはできないのであります。私はそういう点におきまして、考えるだけでも身にあわを生ずると申し上げたのでございます。
  61. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 床次徳二君。
  62. 床次徳二

    ○床次委員 私は山村先生、杉村先生、それから原島さんに一言お尋ねいたしたいと思います。  山村先生にお尋ねいたしたいのは、先生は区長議会による選任ということについて、お考えを持つておられるようでありますが、今回の提案のごとく、都知事が任命した者をさらに区議会意見を聞いてきめるということになりますと、再選挙と申しますか、大分民主的な選挙ということから遠ざかつて来るのではないか、かような政治的ニユアンスがあるのじやないかというように考えておるのでありますが、先生の御意見を伺いたいのであります。  次に杉村先生にお伺いいたしたいのは、今回の改正におきましては、町村の紛擾について解決法をきめておるのであります。境界の問題について争論がありましたときに、調停、裁定というような手続がありますが、境界の変更に関する争論につきましても、この規定を準用するようになつております。この点は少しく地方の自主性というものに対しては、侵害し過ぎたのじやないかというような気がいたすのでありますが、先生の御意見を伺いたいと思うのであります。  それから原島さんにお尋ねいたしたいのは、原島さんは、区長任命制度は現在の都行政の一元化の上から必要である、ある程度の指揮監督権を知事に持たさなければ、都行政の一元化はできないというようなお考えのようでありますが、すぐただちにこれが区長任命制になるということについては、飛躍があるのではないかと思う。都行政の一元化をいたすために、すなわち指揮監督権が必要であるというならば、かかる一元制を要するところの事務に関しましては、都知事から区長に対する指揮監督権をある程度認めてもいいのじやないか、かかることによりまして、一元化を実現し得るとも思われるのでありますが、この点に関して御意見を伺いたいのであります。
  63. 山浦貫一

    ○山浦公述人 知事の任命制は民主的ではないじやないかという御質疑のように承りました。これが昔のように、内務省が電報一本で知事を動かすように、都知事がかつて区長を任免するということであれば、どうもこれは昔の内務省意識の復活で、私は先ほど申し上げた通り、これは非民主的だから、賛成できない。私が主張いたしますのは、間接選挙、つまり区議会区長を選任して、それに都の方が同意するという形式で行つたならば、決して非民主的ではないというふうに考えております。
  64. 杉村章三郎

    ○杉村公述人 今の境界変更が調停委員できめられるということ、これは実はあまりこまかい点で地方の実情をよく存じないのでありますけれども、事柄の性質上、境界というような問題について、町村相互の間にいつまでも争いを生じておるという状態はよくない。そこで調停委員によつて早く解決しよう、そういうことをおそらく期待しておることだろうと思います。またおそらくあれは終局的には裁判所へ行かなければならぬということであるとすれば、実情に明るい者に一応裁定させた方がいいのじやないか、そういう考え方もあるだろうと思います。おそらくそういう考え方じやないかと思います。でありますから、そういう点から事務を早く実情を即した解決をするという上からいえば、その程度のことは認めても別に自治権の点においてどうというようなことはないのじやないかといふうに私は考えます。
  65. 原島照房

    ○原島公述人 今回の改正にあたりまして、任命制度の必要性から、特に知事が区長任命制にすることは、一元化の必要性からただちに飛躍し過ぎているのではないかという御指摘であろうと思うのであります。私どもといたしましては、あくまで実際に住民に接しておる立場から、都市行政の一元化というものは必要であるということは、これは全四万の職員が常に考えておるところでありまして、この意味合いから、私ども区長さんに対しまして、現在のように公選制である地方公共団体の首長を制限し、あるいは指揮監督する、こういうような二重的な考え方を持つこと自体、私どもは遺憾ながら賛成いたしかねるのでありまして、かかる意味合いから、この仕事を行う上において、その責任の所在というところにつきまして、特に区長さん自体におきましても、一きな仕事は都でやれ、こういうことを言つておられるように、私ども聞いておるのでありますが、このいう仕事を二つにわけること自体が、私は住民にとつて最も不便を感じておる。その実体というものが現在都内に現われているというのでありまして、これを一つにするということになりますると、私は指揮権あるいは監督権というものをある程度持つて監視をすべき区会、あるいは都議会等におきまして、十分区民都民の意向を反映して、そうして実際の行政の監督をしていただく、こういうことが最もよろしいのではないかと考えておりますので、両者を公選制でそのまま置くということになりますと、私は指揮権、監督権というものを持つことは、最も自治住民の直接公選制というものに対する違反であろう、かように考えておるのであります。従いまして私どもは基礎的な公共団体というものは、先ほど申し上げました通り東京市自体が江戸時代から今日まで発展した過程にある。そのアパートをここに分断するということは、都民生活を破壊するものであるということは、先ほどるる申し上げた通りでありまして、この意味合いから、一元化の必要性から、区長の指揮監督権をなす場合に、公選のままで行うということは、他の実際的な東京都に関する見方というものが、区を基礎的な地方公共団体としていないと信じておりますので、基礎的な公共団体東京都に考えておりまする関係から、私は現在の任命制度というものは必然的に現われて来た、かように考えておりますので、本案賛成をしたものであります。
  66. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 これにて午前の会議における公述人方々の陳述は終了いたしました。  この際公述人各位に申し上げます。御多忙中にもかかわりませず、長時間にわたり、貴重なる御意見を承ることができまして、本案審査の上に多大の参考になりましたことを、委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。  午後の会議は二時十分から再開いたします。暫時休憩いたします。     午後一時四十四分休憩      ————◇—————     午後二時三十一分開議
  67. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 再開いたします。  まずこの際お諮りいたしますが、公述人に選定いたしました日本自治団体労働組合総連合副委員長泰平国男君は都合により出席し得ないので、書記長の宮澤正有君を代理人として意見を述べさせたい旨申出がありますが、これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  68. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 御異議なしと認め、さよう決定いたします。  それではこれより休憩前に引続き公述人方々より御意見を承ることといたします。この際公述人方々に申し上げますが、長時間にわたりお待たせいたしましたことをおわびいたしますとともに、貴重なる時間をさかれて御出席くださいました公述人各位に対しまして、厚く御礼申し上げますと同時に、各位の忌憚なき御意見の陳述を希望する次第であります。議事進行の都合上公述人方々の御意見を一応承つた後、各委員質疑を許すことにいたしたいと思います。  春公述人都議会に出席をしなければならぬ都合上、春公述人公述が終りましたら、別途委員各位から御質疑をいただきます。それから原島公述人に対します質疑を続いてやりまして、あと爾余の公述人の方の公述を願いたいと思います。  公述人の発言時間は大体二十分ぐらいでお願いをいたしたいと思います。それでは春彦一君。
  69. 春彦一

    ○春公述人 私のお話を申し上げます前に、私の見方と申しましか、立場という点がありますので、ちよつとつけ加えておきたいと思いますが、私は大正十四年から東京市に勤め、引続いて東京都に勤務いたしまして、終戰直後まで東京市及び都に勤務いたしておりまして、その後退職をいたしまして、昭和二十四年ごろ地方自治委員会議ができましたときに、地方自治委員をしておりました。たまたまそのときに、このたび問題になつております都区調整に関します中立委員を、しばらく勤めておつたことがあるのであります。それから一昨年の五月から東京都の副知事になつた者でありまして、そういう経歴を持つておりますので、一応お含みを願いたいと思います。  今申し上げましたように、私は二十数年来都区行政に直接間接関係を持ち、ある場合は離れておつたこともありますが、大体関係をしておつた者でありますが、私が役人をやめまして、その後に東京都に入つて参りまして非常に異様に感じましたことが一つあるのであります。それは長い間都区の間が非常に円満でありまして、それは東京市政の時代におきましても、また東京都政の時代におきましても、非常に円満でありましたものが、昭和二十五年に東京都に帰つて参りますと、その空気が非常にかわつております。私も地方自治委員をしておりました際に、多少感じないのではなかつたのでありますが、それでも大したことではあるまいと思つてつたのでありますが、実際に東京都に帰つて来まして、今までの空気と非常にかわつておるのにびつくりいたしました。東京都民と申しますか、区民と申しますか、東京都に住んでおられる方々のお世話をいたしております東京都庁と、東京の各区役所の間がうまく行つていないということは、都民にとりましてまことに残念なことでありまして、私どもは非常に責任を痛感いたした次第であります。こういう残念な結果がどうしてできたんだろうということを感じたのでありますが、私が考えましたところでは、これはまつたく現在の地方自治制度が原因ではないかということを感じておるのであります。東京都になりましても、東京市時代に引続きまして、都区の間には何も問題がなくて、非常に円満に行き、こういう面に関しまして都民方々なり区民方々からの御批判はなかつたように承知をいたしておるのであります。それが今度現行の地方自治法ができまして、非常に気分がかわりましたのは、御承知のように、地方自治法では東京都の特別区の性格を市に準ずる扱いをするという建前をとられておるのであります。どの程度市の扱いをするかということは問題でありますが、一応市に準じた扱いをするという御方針が、地方自治法に定められておるのでありますが、時を同じうしてできた地方財政法にしても、警察消防関係の法律にしても、社会福祉関係の法律にしても、衛生関係の法律にしても、そういう具体的な東京都政関係いたします関係の法文によりますと、東京都の特別区の性格は非常に制限せられまして、市に準ずる扱いになつていない面が非常に多いのであります。同じ法律でありながら、地方自治法とその他の法律との間に、東京の特別区に対する扱い方が非常に異つておるところに、私は都区関係者の円満に行かなくなつた大きな原因があるのじやないかということを痛感いたしておるのでありまして、地方自治法の立て方が原則であるという考え方からいたしますれば、爾余の法律は非常に悪法であるということになりますし、爾余の法律が東京都の特別区政の実情に合つておるものだといたしますれば、今の地方自治法の規定が適当でないということになるわけでありまして、この立場が全然違つております関係上、都区関係者の間において非常におもしろからぬ空気が強い、従いまして事務も円滑に行かない面が多く出て参つておるように痛感いたすのであります。何と申しましても、東京都の都政なり区政の実情を考えて参りますと、これは沿革的に申しましても、これが一つの大きな都市である、ここに住んでおる人たちが一団となりまして都市生活をいたしておるという、これはもう厳然たる事実であろうと思うのでありまして、二十三のばらばらの都市が集まりまして、一つ都市を形成しておるということはないと思います。これは私ははつきりした事実であろうと思うのでありまして、都民はいずれの区かに属してそこに住所を持つておるのであります。生活の実情を見ましても、その勤務地と勤務場所並びに通過地あるいはレクリエーシヨンに行く場所、あるいは立ち寄る場所というようなふうに、それぞれの区の境を超越いたしまして、全都を対象といたしました都民生活が繰広げられておるのでありまして、私どもは区を單位にした都民生活というものはいたしていないと信じておるのであります。都の施設にいたしましてもそうでありまして、これは特殊なものは区民を対象にいたしておるものもございましようが、多くは東京都民を対象といたして、その施設の配置は考えられておるのでありますし、これを利用される方々も、区民の立場ではなくして都民の立場で最も便利な方法で利用されておるのでありまして、私は大都市行政の実情として、これは当然あるべき姿であろうと考えておるのであります。しかしながらこれを二十三区をわけて考えますると、その点に非常な不便が現われて来るのでありまして、最近都が区に渡しました公益質屋の例を一つつて申しましても、公益質屋の利用者の数を調べてみますと、公益質屋などはどうも顔の知られておる近くの質屋を利用しないで、むしろ隣の区の質屋を利用するというような事情もあるそうであります。それから授産場にいたしましても、自分の近くではなくして、むしろ通勤や乗物の便利な隣の区を利用するという人たちも非常にたくさんあるわけでありまして、今申した通り都民生活というものは、区の境を超越して毎日行われておるというのが実情であろうと思うのであります。また二十三区の実体を見ましても、二十三区にはもちろんそれぞれ特徴があるのは当然でありますが、しかしながらその区の事業の裏づけをなすべき財政力という点を考えてみますると、各区によりまして財政力は非常に異なつておるのであります。また各区の財政需要も非常に異なつておるのであります。しかも財政需要のあるところに財政財源があればけつこうでありますが、財政需要と財源とはマッチしてない場合が非常に多いのでありまして、いろいろの点から考えまして、私は東京都の実情は区単位に行われておるのではなくして、東京都が一体となつて経営せられておるものだということを痛感いたしておるのでありま書す。  先ほど来申しましたように、今の法律の規定の仕方が、全然異なつた二つの立場から規定せられておりまする関係上、都区の間にことごとに仕事の分配なり、あるいは財源の裏づけと申しまするか、財源の分配につきまして紛議があるわけでありまして、数箇月の間紛議を重ねて毎年決定をして行くというような実情でありまして、これが東京都政運営上非常に大きな支障となつておることは、区の関係者におかれましてもよく御承知の通りであります。新しい自治法ができまして以来、しばしばこの事務の問題、財源の分配につきましては折衝が重ねられておるようでありますが、私が関係いたしました二十五、六年は最も大げさと申しまするか、相当論議をされた機会でありますが、二つの場合を通じまして、最初の場合には、当事者だけではなかなか話がつかないために、参議院と衆議院の地方行政委員長、それから地方自治委員の方その他が関係されまして、いろいろ懇談されまして、都がやるべき仕事、区がやるべき仕事というようなものの御決定を願いまして、それに両者が服した次第であります。二十六年度は、大体その決定のうちで履行せられなかつたものの履行その他につきまして相談いたしまして、これも第三者は直接には関係せられなかつたのでありますが、両者の間で一応決定を見た次第であります。今までにこの第三者の入られた決定を都側が履行しないという声をよく聞くのでありまするが、私どもが承知しております範囲におきましては、実行できるもので実行をいたしていないものはないのであります。よく問題になつておりまする清掃関係仕事とか、保健所の問題でありまするとか、これは中立委員も保留せられたものでありまして、決定を見ていないものであります。それから一応二十五年度で決定を見まして実施に至りませぬ部分がありましたが、これは当時軍政部からメモランダムが出まして、衛生関係並びに民生関係のものについては、現状を変更することは好ましくないという非常にきついメモランダムが出ましたので、当時の情勢といたしましては、私どもはこれに従わなければならぬ情勢でありましたので、実施を見合せておつたのであります。しかしながら、そのうちでも二十六年度になりますると、いろいろな占領政策その他の面におきまして事柄のかわつたものも出て参りましたので、その実施を見合しておりましたもののうちで、公益質屋でありまするとか、診療所でありまするとか、ミシンの貸付でありますとかいうような部分は、区の方へ移管いたしました次第でありまして、今残つております大きな問題といたしましては、区役所の職員を区の職員にする——今は都の職員でありまするが、区の職員にするという問題が残つておるのでありまするが、それは裁定の際にも組合側と話合つた上だということになつておるのでありまして、これは午前中の公述人からお話もありましたろうと思いまするが、組合側の非常に熱烈な御意見なり御主張がありまして、これは協定の線を実施する運びになつていないのであります。そういう事情でありまして、私どもといたしましては、現行の法制下におきまして、区に移管すべきものでありまして、移管をいたしてないものはないわけでありますから、この点は誤解がないように申し上げておきたいと存じます。二十七年度の問題につきましては、今年の予算を組みまする際に、都区関係者が相談をいたしまして財源の処置をいたしたのでありまするが、この二十七年度の財源措置につきましては、両者の間で非常に円満なる理解が進みまして、非常に短期間のうちに話がつきまして、それを予算化したような次第でございます。こういう事情で、毎年都区の間で紛議を重ねながら、あと味の悪いものを残しながら、お互い都区行政をいたしておるということは、非常に東京都民にとりまして困つたことでありまするので、私どもはこの禍根を早く除いて、適正なる組織のもとに明朗なる大都市行政を実施したいということを念願いたしておつたのでありまするが、さきに神戸委員会におきまして、都区行政の実情を実地に非常に精密に調査研究せられまして、勧告をせられましたし、その勧告を中心にいたしまして、政府におかれまして今度地方自治法改正が国会に提出せられたのであります。都区問題に関しまする限り、私は今度の政府の原案は適当であると考えておるのであります。  その理由でありまするが、これは先ほど来申しましたように、現在の地方自治法のきめ方と、それから爾余の法律のきめ方が非常に紛議をかもしやすいような形に残されておりますので、今度特別区の処理すべき事項を明瞭に列挙せられましたことは、この点につきまして非常に明確になつたわけでありまして、私はこの点は、問題解決のためには大きな意味があるものかと考えておる次第であります。  それから区長の公選廃止の問題でありまするが、御承知のように今度の神戸勧告にも述べられておりまするように、東京都におきましては、普通の県と市の場合を考えてみますれば、東京区政に相当する部分で、金の面から申しますると八三%は市役所が処理するものとして、結局東京都庁が行い、一七%に相当する部分を区役所で行つておるのであります。こういうふうで、ほかの市に比べますれば、八三%の部分が東京都庁で行われているわけでありまして、区で行つている部分は非常に少い部分であります。しかもこの区役所の固有の仕事と合せまして、東京都が区長に執行を委任している仕事は、区の固有の予算と同額ぐらいの約九十億くらいの仕事があるのでありますが、こういう仕事は、東京都知事が執行委任をいたしておりまする関係上、区長という立場よりも、全都的な立場、知事の立場で御考慮願わなければならない面が非常にあるのであります。それに、先ほど来申しましたように、区で固有の仕事として処理を願う分につきましても、東京都の実情から見まして、区民という立場とあわせて、全都民を対象にした御考慮を願わなければならぬ部分も非常にあるわけでありまするから、そういう見地から、今度知事が区議会の同意を得て区長を任命するということは、都区の間が非常に緊密に行くことでありまして、東京都の行政の実情から見まして、私はけつこうな制度ではないかと考えておる次第であります。これによりまして、私は、最近の都区政の行詰まりの状態にありまする、あるいは人事が停頓して困つておるという問題も容易に解決せられるだろうと思いまするし、都区行政を通じまして、人員の適正配置、あるいは事務の適正なる配分等も、今までより以上に円滑に行われることと存ずる次第でありまして、この面におきましても、東京都政は非常に改善せられるものだろうと思う次第であります。  非常に簡單でございますが、以上をもつて私の公述を終ります。
  70. 大石ヨシエ

    ○大石(ヨ)委員 原島さん、あなた、お急ぎになるそうですから、ちよつと私あなたにお聞きしたいのでございますが、あなた、都の職員労働組合の副委員長でございますね。それは皆さんから選ばれて出られたんですか、それとも任命制で出られたんですか、ちよつとお聞かせ願いたいと思います。
  71. 原島照房

    ○原島公述人 私は組合の規約に基いて、選挙によつて選出されております。
  72. 大石ヨシエ

    ○大石(ヨ)委員 それでは、選挙で選出されたその人が、区長任命制を非常に御賛成の様子でありますが、あなたはそれで労働者のほんとうの味方かどうか、私は実はあなたの頭が狂つておるのではないかと思う。実に私はあなたのセンスを疑うのです。とにかく間接選挙にしたらよろしいというのであれば——行政区にするなれば話はわかつておりますが、行政区にせずして、そうして区会議員の間接選挙にしよう、そういうことを労働運動に携わつておる、しかも副委員長のいすにある人がおつしやるということは、私はこれはまことにもつてあなたの頭のセンスを疑うのですが、あなたはどういうふうにお考えになつているのでしよう。  それから私は京都の生まれでございまして、東京都とは何も関係のないものでございます。けれど、なぜこれを真剣になつて私がかく発言するかということは、まさに時代が逆コースになつておる。たとえて言うと、警察予備隊です。あの警察予備隊は、私がここでたびたび質問したときに、これは軍隊になるのではないかという説明を政府委員に聞くと、それは軍隊じやない。しからば海上保安本部は未来の海軍になると違うかと聞くと、政府委員は、海上保安本部は、海上警備と救難をするための海上保安本部である、そうおつしやつておられたのが、だんだんと海軍になり、そうしてまた予備隊は陸軍にまさにならんとしておる。あなたはどういうふうにそれをお考えになるか、たとえて言うと私は婦人でございますから、婦人参政権についてあなたにお尋ねしたいのですが、区長と区会議員はこれは一つの家の関係にあります。しからば、それを一家にたとえれば、主人が、家長が参政権を方つていたならば、妻は参政の権利はいらぬじやないか、一家の家長が選挙権を持つてつたらば、妻はそれに服従したらいいじやないか。しからば区長もそれと同じことになつて来る。しかも、あなた方、労働運動に携わつていらつしやる人が、そういうふうな時代に逆行する考え方を持つていらつしやるということは、私は非常に驚いた次第でございます。  それから春副知事さんに申し上げたいと思うのでございますが、すぐあなた方は、二十三区がばらばらばら(笑声)——このごろばらばら事件でばらばらという言葉が非常に有名になつて来ましたが、すぐあなた方は、二十三区がばらばらになつておるということをおつしやいますが、私はこのばらばらは、安井都知事の政治力によつて解決がつくと思うのです。安井さんにほんとうの政治力があつたら、この東京都の二十三区ぐらい、何ですか。それを自由にやり得ないのは、私は安井さんの政治力がないことを非常に悲しむものでございます。まず第一に、区長任命制というものは——とにかく内務省の復活を企て、そうしてだんだん日本を右翼転換せしめつつある、それを私は非常に悲しんで、声を大にして言うのでございます。あなたはどういうふうにお考えでございますか。これをきつかけに、日本には県会議員もなくなるでしよう。区長、区会議員もなくなるでしよう。そうして府県知事もなくなるでしよう。そうしてまたしても昔の内務省の復活になつて、そうしてまた日本を再軍備に導き、日本をフアツシヨにして、そうしてまたしてもわれわれ多数の日本国民が戰争の惨禍を味わわねばならない、これを私はおそれている。婦人の立場からこれを悲しんで私は申し上げておるのでございます。これがまず最初で、いわゆるこれが前奏曲である。どうですか、選挙権の年齢を三十歳にしようとしている。これがまたきつかけで、そうしてやがては婦人の参政権を剥奪しようとする、府県知事を任命制にしようとして、そうしてまたしても昔の日本にもどつて行く。これをあなた、どういうふうにお考えになつておるか。  それから、その裏にいらつしやいます、何とかいう、非常に時代の逆コースに向つておられる副委員長に私はお聞きしたいと思う。
  73. 原島照房

    ○原島公述人 第一点は、組合の選挙制度等を対象といたしまして、今度の区長問題についてお尋ねがあつたようでありますが、組合の制度につきましては、午前中に申し上げました通り、本部の委員長及び副委員長、執行部そのものが指揮権を持つております。しかしながら都知事及び区長との関係におきましては、これは指揮権あるいは監督権等がございません。従いましてこの関係から見ますれば、私は大都市行政一貫性といたしまして、やはりある程度の監督権あるいは指揮権等を持たない限り、一切の行政の一元化というものは、住民を本位に考えて参りまするときに、必然的にこれは賛成をするという意見に、私どもは十分検討を加えた結果、なつておるのでありますから、組合におきまして、私ども民主主義の発展のために——私は過去八年間、組合の一執行委員として今日まで参つております。従いましてそうした大石さんの御指摘の点等については、十分考えた末、都民本位、住民本位に私どもも公僕としてこの問題を解決すべきだという信念のもとに決定いたしたのが第一点でございます。  第二点のいわゆる逆コース論でございますが、私どもはこれをほんとうに仕事のみ中心に考えます場合、これは行政区として区会は廃止になるでありましよう。しかしながら今日まで一応戰前においても、東京都においては区会というものはあつたわけであります。従いましてこの人口多数の東京都におきましては、区会の議員方々が、ほんとうに区民の声を反映し、そうして都政、区政に対する監視をしていただくことが望ましい、こういう考え方と、先ほどのいわゆる指揮権あるいは監督権の必要性、これがすなわち東京都の一元行政化という問題に対する、住民生活を破壊しないようにするという、最も困難な東京都における特別区制度の創設に伴つた過去五箇年間にわたる紛争で、身をもつて体験した結論でありまして、もしただいま御指摘になりました通り、これがいわゆる内務省の復活となり、知事が任命制になるような状態におきましては、四万職員か私にこのような公述をさせることは絶対にございませんので、私は部分的に東京都の過去五箇年間の血の出るような紛争を、身をもつて体験した職員といたしまして、ここに一刻もすみやかにこの法案を通過させて、安心して都民行政福祉向上をはかつて参りたいというのが念願でありますから、誤解のないようにお願いいたしたいと思う次第であります。
  74. 春彦一

    ○春公述人 今の二十三区の歩調が乱れそうになつたら、知事が政治力を発揮したらどうかというお話でありますが、私は法制上対等の立場にあるべき都と区の間にあつて、知事が他のものに対して政治力を働かせることは、民主的でないと考えております。それで実際の必要上、東京都区政の間にそういう関連性を持たせる必要があれば、それは制度化すべきでありまして、制度を独立した形に置きながら、一方で政治力を及ぼすことは、民主的な行き方ではないと考えております。そういう意味におきまして、今の形で大石さんの言われるようなことをするのは、デモクラテイツクな行き方ではないと考えております。  それから逆コースになるのではないかというお話でありますが、私は世上言われております逆コースと、今度の場合は全然違うと考えております。率直に申しますれば、現行自治法は制定の際に関係者の間にむしろ錯覚があつたのではないかと考えておるのでありまして、これを訂正するのでありまして、理論的な逆コースとは考えておりません。それからいわゆる逆コースにつきましては、私も非常に反対であります。逆コースが実現されるようなことは、都民として非常に悲しいことでありまして、これは大石さんその他国会の方々の格別な御奮闘によりまして、逆コースはたどられないように、皆様方にお願いいたしたいと思います。
  75. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 門司亮君。
  76. 門司亮

    ○門司委員 ちよつと一言だけお聞きしておきたいと思います。これは重大な問題ですが、現在の東京都政というものが完全な自治制を運行する機関であるとお考えになつておるかどうか。
  77. 春彦一

    ○春公述人 今の制度につきましては、私は批判の余地はあろうと思いますが、自治制を行使する団体と考えております。
  78. 門司亮

    ○門司委員 憲法の九十三條にあります通り地方自治体の基礎は、私はやはり市町村だと考えております。そういたしますと、その市町村と同じような固有の事務を持つております区は、やはり市町村と同じように考えてさしつかえないのではないかと私は考えますが、この点についてどうお考えですか。
  79. 春彦一

    ○春公述人 原則としては、私は門司さんの考え方と同様だと思いますが、区と市町村とが、ほかの一般のところでははつきりわかれておるわけでありますが、東京都の場合におきましては、県に相当する部分と、市に相当しますうちの八七%を合せたものを都という形で行つておるこれが私は都政という形だと思います。それで今の都知事の公選というものは、知事の公選とあわせて市長の公選という部分が実質的には含まれておるものだと私は考えております。
  80. 門司亮

    ○門司委員 今の御答弁でありますが、私は民主政治のあり方について明らかにしておきたいと思います。民主政治のあり方というものは、どこまでも権力政治ではなく、どこまでも住民の持つております一つ責任政治でなければならないと考えております。その点について、そうお考えになつておるかどうか。
  81. 春彦一

    ○春公述人 その点は全然同意見であります。
  82. 門司亮

    ○門司委員 そうだといたしますと、先ほどのお話の中に、現行自治法は制定の際にいろいろな何か過誤があつたのではないかというようなことを思えるような御答弁があつたように聞いておりますが、現行の地方自治法制度は、主権在民いわゆる民主政治政治形態というものを明らかにするため、責任政治制をとつておると思うのであります。この責任政治制の最も大きな現われは、みずから持つております自治体の長をみずから選挙して、これを罷免することができるという、みずからの政治をみずからの手によつて行うというところに、私は新しい戰争後の自治法根本があると思う。これがもし任命制になつて参ります場合には、直接区民が罷免の権利を持つておりません。よしんばこれが区議会の承認を得なければならないといたしましても、区議会区民の代表であることには一応間違いはございません。しかしながらこれは完全な区民意思であるとは言えません。そこで完全な区民意思というものは、やはり区民の直接の選挙により、直接罷免の行われる制度にしておかなければ、完全な民主政治責任政治のあり方に反するのではないか、こういうふうに考えておりますが、この点もやはりそうお考えになつておるかどうか。
  83. 春彦一

    ○春公述人 私は原則的には門司さんと同じであろうと思いますが、先ほど来繰返して申しますように、東京自治行政の実情を申しますと、都市生活の実情というものは非常に特例でありまして、今も言うように、都知事は実はガバナーであり、メーヤーであると考えております。あの選挙が結局知事の選挙と市町村長の選挙に相当する部分を行つておるのでありまして、市政の一部分を担当しておるのが区政であり、区長であろうと考えております。
  84. 門司亮

    ○門司委員 それは非常に大きな誤りだと思います。公共団体の基礎が市町村にあることは間違いないと言われる。さらに住民責任において政治をすることは間違いないと言われる。そういたしますと、都知事と市長とが同じような選挙で、同じような性格を持つておるということは、根本に非常に大きな誤りがあると思う。都道府県の行政というものは、どこまでも地方の市町村が自治体の基礎であるとするならば、中間行政であるということに私は大体間違いないと思います。ことに中間行政の部分が非常に多いと思う。この中間行政の部分が非常に多い知事と、基本の自治行政を行わなければならない、固有の事務を行わなければならない市長とが同じように選挙され、同一のようなものであるという考え方は間違いだと思う。この現われはどこに出て来ておるかと申しますと、東京都政の欠陷でありまして、同じ東京都政の中にあつても八王子、立川等は自治体の基礎になつてつて、市長の選挙が行われておる。町村も同じように行つておる。さらに中間行政的の存在を持つております都の知事もやはりこれが選挙をしておる。そこまで民主政治が伸びております。それを縮めて、そうして一方の地域に対しては完全なる責任政治がとられ、一方においては不完全な責任制がとられておるというところに、私は今日の間違いがあると思う。従つて都知事の任命制ということについては、いま少し都では考えるべきではないか。同時に私は最後にお聞きしておきたいと思いますことは、これは事実かどうかわかりませんが、新聞紙上その他で仄聞いたしますと、もし今考えられておるような自治法が通過して、曲りなりにも、おかしな形でありますが、とにかく知事が推薦をして、区会がこれを認めるということになれば、行政的の大幅な事務の委譲をしてもさしつかえないということを新聞に散見したのでありますが、もしこれが事実であるとすれば非常に大きな問題であります。区民が自分たちの政治を行うために、自分たちが選んだ区長では、事務の大幅な委讓はできないが、自分の任命したものに対しては大幅な委譲ができるということになりますと、これはまつたくボス政治の一番大きな弊害の現われだと考えております。そういうことを一体考えになつてつたかどうか。これは、私は直接安井さんから聞いたわけではないのでありまして、新聞で見ただけでありますから、はつきりしたことは申し上げられませんが、そうだといたしますと、これは非常に大きな誤りであると思いますが、こういうようなことをお考えになつてはおりませんか。
  85. 春彦一

    ○春公述人 今八王子の例をとつてのお話でありますが、私は八王子の場合と、東京の区政というものは、非常な違いだと考えております。八王子市というものは、ほかの川崎なりあるいは静岡と同様であると思います。規模の大小はありましても、性格的には同じだと考えます。しかしながら東京の区というものは、御承知のように現行の法制のもとにおきましては、ほかの市町村の市の行うべき仕事の八割三分までは東京都が行つておるのであります。そういう意味におきまして、性格的には非常に行政区に近いものでありますので、八王子の場合と東京都の区の場合とは、私は違つて来るのが当然であろうと思います。ただこういう扱いをするのがいいかどうかは別といたしまして、実情はそうなつておりますので、八王子の場合と東京都の区の場合と、非常に違つた構成になるのは当然だろうと考えております。
  86. 門司亮

    ○門司委員 任命制なら事務をたくさんやるというお考えであつたと思いますが、そういうお考えがなされているかどうか。
  87. 春彦一

    ○春公述人 私は今度の政府原案が通りますれば、区へ行く仕事の分量は、ふえるだろうと考えております。
  88. 藤田義光

    藤田委員 常任委員として私見をさしはさむことは遠慮いたしますが、任命制といたしましても、たとえば複数推薦制というようなことを考えておる学者でもあるとすれば、副知事はどういうふうにお考えになりますか。たとえば原案では一名の知事の任命になつておりますが、これを二人あるいは三人を推薦して、区会議員がきめるというような方式に対しては、どういうふうにお考えになつておりますか。考えられたことがありますか。
  89. 春彦一

    ○春公述人 そういう問題は考えたことはございません。
  90. 藤田義光

    藤田委員 日本行政法の大家である杉村先生の御公述によりましても、現在の東京都の特別区というものは、憲法第九十三條のいわゆる地方自治体としては結論が出ていないようであります。私も昭和十八年都制ができましたころ、新聞記者でこの問題に取組んだことがございますが、一つ自治体であつた東京市というものが、ほかの地区を加えて都になつたために、その下にある区というものが空白状態になつた。変な、市というものが幽霊化しておるところから、こういう問題が起きたという杉村先生の御公述でございます。実際上、人事権を知事が握ることによる行政の能率化、それら民主政治の強化というイデオロギーの問題、午前中にもどなたかにちよつと簡単に聞きましたが、これをはかりにかけまして、国家的な見地から、われわれは判断を下すことが必要なわけでございます。この能率化の面で私が仄聞したところによれば、都知事の通牒をある区長のごときはその場で破つてしまつた。こういう通牒は聞けないというようなことを言つたという実例も拜聽いたしておりますが、副知事は実際行政の第一線の責任者として、能率化はどういうふうにすればいいとお考えですか。私たちは区長任命制ということでやらずに、ほかの方法でもやれはしなかつたかというような疑問も持つております。ここに問題の解決を求めたのは、これは自治庁でございましようが、副知事としてこれに賛成をされておる根拠を、この際簡単にお知らせ願いたい。
  91. 春彦一

    ○春公述人 行政簡素化なり、経費の節減という問題は、いろいろな立場から案が考えられ、案があるだろうと思いますが、私は、これも行政簡素化、能率増進の一つの大きな方法であろうと考えております。
  92. 立花敏男

    立花委員 副知事にお尋ねいたしますが、副知事のお答えの中に、区に対してやはり事務をどんどん與えて行くのだということがありましたし、この政府提案によりましても、特別区に対して、区民の身近な事務は原則として特別区が処理するようにするのだ、それから特別区の権限も非常に増加して行くのだとあるわけです。改正案によりましても、今までは区の仕事を都の條例できめることができたのですが、今度は法律あるいは政令できめまして、大体都があまり干渉できなくなつて、非常に区の権限が強化されるということは、お認めになるだろうと思うのですが、そういうふうに国でたくさんの事務を與えて行く、特に区民の身近な事務をどんどん與えて行く。しかも都の権限も強化して行く。その場合に、それなら任命制ではなしに、逆に公選制をもつと強化しなければいけないのじやないか。区民からいたしますると、自分たちの最も身近な事務を扱う区長に対しては、やはり自分たちの意思を表現した区長が出ることが一番望ましいので、従来よりも区の権限が弱くなり、区の扱う事務が減つて行くのであれば、任命制にしても、区民は日常生活にそう影響をこうむらないということが言えると思うのですが、あなたのお言葉のように、あるいは政府提案理由の説明のように、これからどんどん区に仕事をさせて行くのだ、区を独立させて行くのだという場合には、区長は当然従来のごとく公選制でなければいけないと思うのですが、その点非常に矛盾ではないかと思うのです。いかがですか。
  93. 春彦一

    ○春公述人 今の立花さんのお話でありますが、私最初に申しましたように、都の仕事というものは施設にいたしましても、何にいたしましても、その区民だけを対象にしていないものが多いのでありまして、その近くの人というような意味の施設が多いのでありますから、区長という区民を対象にした立場の人でありましても、今の全都的な立場というものを一方に考え得る法制上の立場の人が、実施することが非常にいいのじやないか。そういう立場の人であれば、区の仕事がふえて行くのじやないかと考えております。
  94. 立花敏男

    立花委員 その点は大分御理解が私と違うと思うし、政府提案理由の説明とも違うと思う。やはり身近な事務を與えて行くと言つて、全都的な事務を與えて行くとは言つておりません。身近な事務を與えて、区としての権限を強化して行くと言つておるのですが、身近な事務を処理し、権限を強化して行つた場合には、むしろ今までの任命制であつたものを公選制にしなければいけないのに、公選制のものを任命制にするということは逆行じやないか。こういうことを言つておるわけです。  それからもう一つお尋ねしておきますが、よくばらばらである、統一がないと言われますが、統一とは一体何を基礎に置いた統一であるか。これはやはり住民を基礎に置いた住民意思に従つた統一でなければいけないと思う。知事の意思による統一というものは、これは末梢的な統一であつて、あくまでも統一ということを主張されるのであれば、住民意思を基礎にした統一、そういう意味で私は統一を主張されても、決して公選制とは矛盾しないと思うのですが、なぜ統一と公選制が矛盾があるのか。この点をひとつ具体的に、明確にお示し願いたい。
  95. 春彦一

    ○春公述人 今の全都的と申しましたのは、非常に言葉が広い意味でありまして、その区に限らないという意味であります。区長となりますれば、その区の区民のことを考える立場でありますが、その区と限らないで、その地域というふうな広い意味の立場を考えるという意味で、全都的とは必ずしも全都にまたがるという意味ではないのであります。それから今の統一の問題でありますが、私はその点につきましては、立花さんのおつしやることがよくわからなかつたのでございます。はなはだ恐縮でありますが、もう一度……。
  96. 立花敏男

    立花委員 統一と申しますことは、やはり人民の意思を基礎にした統一でなければならないので、支配者とか指導者の意思による統一ではないと思う。そういう意味で統一はまことにけつうこなんですが、それは民主主義的な統一でなければならない。住民意思に基く統一でなければならない。決して知事の意思に基く統一であつてはいけないと思うのです。従つてあなたの主張される統一が真に正しい民主主義的な統一であるとすれば、統一と公選制は矛盾しないと思うのですが、なぜ矛盾するとお考えになつておるか。
  97. 春彦一

    ○春公述人 私が今区の仕事がふえると申しましたのは、執行を委任する部分の仕事でありまして、これは知事の持つておる権限を区に渡す部分でありますから、私はその仕事がふえても、公選の必要性との間に矛盾はないと考えております。
  98. 立花敏男

    立花委員 さいぜん都の議長にもお聞きしたのですが、返事がなくてお帰りになつたのですが、警視総監任命制が出ておりますが、この問題と区長任命制とどう関連があるとお考えになつておりますか。あるいは関連がないとお考えであれば、警視総監任命制についてはどうお考えになつておりますか。これをひとつ……。
  99. 春彦一

    ○春公述人 私は個人の立場では話し得るかと思いますが、個人と申しましても、やはり肩書をつけて呼び出されておりますので、私はここで私見を申し述べることは、ちよつと遠慮させていただきたいと思います。
  100. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 原田要一君。
  101. 原田要一

    ○原田公述人 私が原田要一であります。今回政府が提出された地方自治法の一部を改正する法律案中、特別区に関する部分、すなわちその第二百八十一條以下の改正について、私は全面的に反対するものであります。  その理由は、改正案は、特別区の性格を根本的に改変して、現行の基礎的公共団体から、一挙に都の末端機構たる一行政区的存在に転落せしめんとするものであつて、これこそ民主政治地方分権制を根底から否定するもので、明らかに民主憲法の精神に背反するものと信ずるがゆえであります。岡野国務大臣はその提案理由の説明において、都区間の調整が困難であり、多くの事務について二重機構、二重行政的な取扱いがなされているから、今回これを改めて、特別区はその実態に即するように、大都市の内部的部分団体としてその性格に変更を加え、都と特別区の一体関係を明確にすると述べておられ、さらにまた野村委員の質問に答えて、東京都の二十三区の存する区域というものは一体をなして市制が行われた方が、事務簡素化でもあると同時に、また住民に対しても非常に福利を増進すると述べておられますが、東京都二十三区の区民自治を剥奪して、これを單なる行政区的存在に降れ、二十三区の存する区域に、都知事によるところの市の行政が行われるということは、あらゆる点から見て非常なる疑問があり、しかもその行政は二十三区のみでなく、市、郡及び島嶼選出議員を含めた、いわゆる東京都議会によつて運営せられるという矛盾を生じ、ひいては府県たる都の財政と特別区域の財政との混同を来し、簡素どころか、むしろ複雑性を増すがごとき結果を招来することは、われわれの真に納得の行かぬ点でありまして、憲法の基本観念に相反する非合法もはなはだしいものと思考するものであります。しかも同じ東京都民である五市、三多摩並びに伊豆諸島の住民には、おのおのその自治体の長の選挙権を認めながら、二十三区の住民に限りこれを剥奪することは、明らかに憲法違反のそしりを免れません。  上述のごとく、改正案は区から市の性格を剥奪して、都に府県と市の二重の性格を持たせようとしておりますが、これ明らかに戦時都制への復元であり、地方分権を基底とする民主政治の逆行であります。しかも区の性格変更は二百八十一條に明文化されておるにかかわらず、都に市の性格を附興すること、都の性格を変更することは、何ら明文化されていないのでありまして、しいて言えば、他の法令中、市の規定は都にこれを読みかえることによつて、事実上市の性格を附興するものというかもしれないが、立法上、府県である都に市の性格を兼ねさせるということは、それ自体現在の地方制度根本的変革を来すことになり、しかも全国にその類例を見ないことであるから、当然明文化にまつべきが本則であります。この一事を見ても、この法案が速成ずさんなものと言えると思うのであります。  今回の改正案は、その理由の一つとして、都区間の調整が取上げられており、都側の言い分としても、特別区制度の実施以来、都区の間に紛争の絶え間がなかつたことをあげておりますが、凶側では決してそうは思わないのであります。今日までの都区紛争根本原因は、地方自治法と、地方税法その他の法令との間に、いろんな食い違いや矛盾があることに基因するのであります。すなわちわれわれ区側の主張は、あくまでも区の財政の確立、地方税法改正を主眼とするものでありまして、都区意見の相違点は、この財政問題以上には出ていないのであります。一例を申し上げますならば、毎年度都は区の財政需要額を一方的に算出して、区民の納付した区税の中から、都財政の窮乏を理由に、いわゆる吸い上げ條例により、これまた一方的に都の歳入に組み入れてしまう。かようにして、昭和二十六年度の例を見ましても、二十三区から十一億円を吸い上げております。都の財政がそれほど窮乏しているかどうか。二十六年度の都の税収予算は、合計して三百三十九億円でありますが、私の見るところでは、本年三月末において、すでに税収見込額は三百八十億円を突破しており、その増収差額は、実に四十一億円の巨額に達するのであります全国いずれの府県に、このようなずさんな予算の編成、財政運営が存在するでありましようか。しかもさきに述べたように、都財政の困窮を理由に、当然区の財源に充てるべき十一億を吸い上げ、そのため区は、義務事業である小、中学校その他の重要事務の遂行に支障を来し、その結果は勢いPTA等大衆負担を余儀なくされることになるので、区側は常にその不合理を指摘して、これが是正方を都に求めて来たのでありますが、これをさして、都側では都区間の紛争と呼称するのであります。かりにこれを紛争といたしましても、その因をつくつたものはすなわち都でありまして、この責任こそ当然に都みずからが負うべきものと考えるのであります。  都はまた常に区の財政を圧迫することにより、区を無力化せしめることに汲々たるものがあつたのでありますが、手ぬるしと見てか、遂に一挙に市の性格を区から奪取せんとして、政府に執拗に働きかけ、その結果でき上つたのが今回の改正案であると想像するのでありますが、われわれはかかる官僚独善的暴案に対しては、断じて承服しかねるのであります。  政府はまた今回の改正を目して、事務の簡素能率化と、経費の節減のためと言われるが、今日まで事務の複雑化と経費の増嵩を来したものは、むしろ政府と都であつて、決して公選区長責任ではないのであります。すなわち政府並びに都のいわゆる中央集権的な施策によつて、年々区から事務を取上げ、保健所、税務事務所、さらにまた福祉事務所等、都直轄の出先機関を濫設したことが、今日の複雑化と経費の増嵩をもたらし、都区民に多大の困惑と損害を與えていたのであります。一例をとれば、税金の問題にしましても、従来は都税、区税ともに区役所の税務課で扱い、何ら支障なくやつていたものを、都は突如として都條例を改正して都税事務を凶から取り上げ、新たに税務事務所を各区に設置してこれを管掌せしめているのでありますが、新宿区の例をあげてみますれば、税務事務所開設当時、区から引上げた都税徴収事務従事員はわずかに六十五名であつたものが、現在では九十一名を増員して百五十六名となつておるのであります。これを二十三区について見れば、非常な厖大な数字となり、それだけ都はみずから好んでむだな冗費を費しているといわざるを得ないのであります。  以上簡単に二、三の例を申し上げたのでありまするが、そういう理由のもとに、私はこの特別区の性格変更の部門だけは、絶対に反対申し上げる次第であります。よろしく御審議を願いたいと思います。
  102. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 次に安井君。
  103. 安井郁

    ○安井公述人 私は元東京大学法学部教授の安井郁であります。最初にこの公聴会における私の公述の要点を明らかにしておきたいと思います。  第一に私の立場でありますが、私は専門の法律学者としての立場からではなく、区政に特別の関心を持つ社会教育家としての立場から意見を述べることにいたします。  第二に区政の実体について、私の居住する杉並区の実例に即して、区政の民主的な運営に関する民衆の政治意識が、徐々にではあるけれども、向上しつつある事実を述べることにいたします。  第三に、今回の地方自治法改正が、右のような民主政治の発展に逆行するものであることを、特に区の性格の変更の問題と、区長公選制の廃止の問題を中心として述べることにいたします。以上が私の陳述の要点であります。次にこの三点についてやや詳しく説明いたします。  第一は私の立場であります。私は二十数年来、大学において法律学の研究と教育に従事して参りましたが、終戦後いささか考えるところがあつて、社会教育にも努力することにいたしました。私はその主力を自分の居住する杉並区に注いでおりますが、この数年にわたり、区内のあらゆる階層の人々と親しく接している間に、区政の実体について多くのことを学ぶことができました。  今回の地方自治法改正は、もちろん法律学の親点から論議さるべき多くの問題を含んでおりますが、それについては他に専門の公法学者が公述人として意見を述べられることと思いますので、私としては主として区政の実体に触れた社会教育家としての体験に基いて意見を述べることにいたします。  第二は区政の実体であります。区政の実体は、外部からは容易につかむことのできないものであり、またその内部に入れば、そこにはさまざまの現象があつて、一部の現象から簡単な断定を下すことはきわめて危険でありますが、私はその中にあつて、区政の民主的な運営に関する民衆の政治意識が、徐々にではあるけれども、向上しつつある事実を認めることができると思います。  一例を最近の杉並区長選挙にとることにいたしましよう。区長公選廃止問題について、世論の沸騰しているさ中に、去る五月七日杉並区において区長選挙が行われました。その投票率は二割七分三厘でありました。この選挙は、新聞論調等においては、簡單に低調と批判されており、表面的に見ればまさにその通りでありますが、その実体に即して考えますと、必ずしもそうは言い切れないものがあります。これを前回の昭和二十三年の杉並区長選挙に比較してみますと、そのときは有権者十五万七千二百九十七名のうち、三万三千四百六十二名が投票いたしました。投票率は二割一分三厘であります。今回は有権者十九万千三百九十八名のうち、五万二千二百三十名が投票いたしました。投票率は、前に述べました通り二割七分三厘であります。前回に比較して六分の増加であり、いまだ低率であるとはいえ、投票率において幾らかの向上を示しております。問題となるのは、この投票がいかなる態度をもつてなされたかということであります。今回の選挙において立候補者は二名であり、ともに無所属ではありますが、明らかに保守系と進歩系を代表しておりまして、いわば保守対進歩の一騎打ちとなつたのであります。これについて一部の区民の間では真劍な論議が闘わされました。区政に無関心といわれるインテリ階級の中にも、今回の選挙には熱心に運動に参加した人々もありました。私は社会教育家としての立場から、あらゆる階級の区民意見を聞く機会を持つたのでありますが、区長選挙というような身近な問題が、民衆の政治意識の向上に適切なものであることを、あらためて痛感いたしました。もちろん私といえども、今回の五万余の投票がすべてしつかりした政治的自覚をもつてなされたと主張するものではありません。またこの選挙の結果の当否は別問題といたします。それはともかく、この選挙が前回よりも強い関心のもとに行われたことは事実であり、これは投票率における六分の増加とともに、民衆の政治意識の向上を示すものとして注目に値すると思います。  杉並区長選挙の問題はこの程度にとどめて、他の例に移ります。それは杉並区立図書館の設置問題であります。杉並区においては、このたび総工費約九百五十万円を投じて、近代的な区の図書館を設置いたしました。この図書館の設置については、区長初め、区役所関係者と区議会と一般区民との美しい協力がありました。その装飾には、区内在住の芸術家が喜んで奉仕いたしました。この図書館は杉並区の社会教育のセンターとすることが考えられており、一般区民の参加を求めて、これを真に民衆のための図書館として運営することが計画されております。この例を通じて痛感されるのは、区の事業と民衆とのつながりを密接にすることが、いかに必要かということでありまして、これは区の性格の問題の根本に触れるものであります。区政の実体については、このほかにも述べたいことが多々ありますが、時間の関係上省略いたします。  第三は今回の地方自治法改正に対する批判であります。以上において私は区政に特別の関心を持つ社会教育家としての立場から区政の実体を述べ、区政の民主的な運営に関する民衆の政治意識が、徐々にではあるけれども、向上しつつある事実を指摘いたしましたが、今回の地方自治法改正は、このせつかく伸び始めた民主政治の芽を無残につみとるものであり、その一層の生長を願う私たちとしては、まことに忍びがたいものがあります。  この角度からまず問題となるのは、区の性格の変更の問題であります。従来の地方自治法においては、東京都の区は原則として市に準ずる自主性を持つものでありました。しかるに今回の改正においては、区の持つ性格を変更し、区の自主性を縮小しようとしております。しかし東京都のような厖大な人口を持つ地方公共団体において、その行政を民衆に身近なものとして、民主的に運営するためには、どうしても自主性を持つ区を單位としてこれを運営することが必要であり、都は各区の自主性を尊重しつつ、その連絡調整をはかるのが正しい行き方であります。民衆とのつながりが密接でないところでは、民主政治は発達いたしません。区長公選制の廃止もこの角度から問題となります。民衆の実感において、区長は都知事よりもはるかに身近な存在であります。地方公共団体の長は、その住民が直接に選挙するという憲法第九十三條の精神は、区長のような民衆と密接なつながりをもつ長の選挙を通じて、真に実現されるのであります。区長公選制の廃止は、この憲法の精神に反するという意味においてのみならず、民主政治に対する民衆の意欲を打砕く暴挙として、きびしく批判されなければなりません。先に例としてあげました区立図書館の設置や管理が、改正自治法においても区の処理すべき事務と定められていることは、私もよく承知しております。しかし、今回の改正によつて区の自主性が縮小され、官選区長が上に立つとき、はたして民衆はこの種の事業を自分の問題として取上げ積極的にこれに協力するでありましようか。民衆の心理のこの微妙な動きを私たちは深く考える必要があると思います。  本日私は自分の居住する杉並区の実例に即して意見を述べました。私の現実の体験に基くこの公述が、地方自治法改正問題を正しく解決するために、何らかの参考となれば幸いであります。他の区においても私の意見を裏づけるような民衆の政治意識の向上が必ずあると思います。この民主政治の芽が大切に育て上げられることを私は希望いたします。  最後に一言つけ加えます。今回の問題は直接には地方自治法に関するものでありますが、その影響は広く且つ深いものがあります。憲法第九十三條の一角がくずれることは、やがてはその前提をなす憲法第十五條をも揺がせるおそれがあります。かくては民主政治が一歩々々後退し、かわつて官僚政治が次第に台頭することになりましよう。これは実にゆゆしい問題であります。この逆コースヘの進行を第一歩において食いとめるために、適切な措置がとられることを切に希望いたしまして、私の公述を終ります。
  104. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 次に桑原源右衛門君。
  105. 桑原源右衛門

    ○桑原公述人 老生は九州熊本県鹿本郡三玉村桑原源右衛門、いなかで昔の名を持つておりますから、さぞかし変なやつが来たとおぼしめしになるかもしれませんが、一言初めに感謝の言葉を申し上げることをお許しを願いとう存じます。私はいなかの農家に生れましたもので、農業も少しいたしましたし、またいたしてもおりますが、戰時中村長に選ばれまして、相当期間郷里の村長を勤めました。そのときのことを申しますと、当然であろうと思いますが、大政翼賛会支部長を仰せつけられまして、またこれも当然とは思いますが、長く追放をちようだいしておりましたが、幸いにして昨年めでたく解除になりました。やがて地方行政委員会のお呼出しによりまして、ここに公述人として一言、ほんの一言申し上げることは私の非常にうれしいことでありまして、追放からこういう公な国の最高の議院におきまして意見を陳述しますことは、老後の楽しみのみにとどまらぬことであると、欣快にたえない次第であります。もしこれに幾分の御了承をいただくことができましたならば実にありがとう存じます。特にいなかの農業を主としてやつておる者をお招きになつたことは——今までおありであつたか存じませんが、名簿を拝見いたしますと、今回に限りまして日本国中からほんとうに私一人のように存じます。こいねがわくは、かかる公開の席上で意見を陳述するような機会を農民にもうんと與えられんことを、将来のために希望してやまない次第であります。どうぞ諸公の御配慮を特に——あえて代表して出たというわけではございませんけれども、お願いしてやみません。本論として申し上げますことは、実に卑見という名前通りで、内容もその通りでございます。私は材料もあまり持ちません。五月十日の毎日新聞の裏の方のずつと下欄の真中ほどに、衆議院、地方行政委員会公聽会というのが——私はやや閑人でもありますかしれませんが、毎日、新聞をすみからすみまで読むという常習慣がついております。だから繰返し繰返し読んでおりましたところ——これです、これは記念のために切抜いてこうして張りつけて参りました。それに五月十四日までの提出期限で、ここに書いてありますように、住所氏名それから職業、生年月日というようなことを書いて、そうして先の方に地方自治法改正案に賛成か不賛成か、その理由、賛成賛成は、ただいまいろいろのことにマルじるしをつけるということになつておるらしゆうございますが、理由というとこの老人には相当重荷でございます。それでお前の言うのはどれが理由かなんとおつしやると、私も大方お答えに困りはせぬかという懸念も自分ながら持つておりますから、どうぞしかるべくお願いいたしとうございます。  それでその要点は、その地方議会議員の人数を、何と申しますか、いなか者で言葉も適当に存じませんが、人口階級別基準とも申すような基準によりまして、大ざつぱに申しますと、人口の多いところは人数も多くする、少いところは少くするというようにお定めになるということでありますが、これは私は大いに賛成でございます。その理由を簡単に申しますと、現在の私の熊本県の鹿本郡は、町村の数が二十七ありますが、これは郡として、あるいは町村といたしまして、小なる方ではありますけれども議員を自発的に、その町村の議会において條例を変更して、十六名を十二名——あるいは法律のことはあまり詳しくないですから言いはずしたり何かするかもしれませんが、どうぞ御了解願いますが、十二名に自発的にやつておるところもございます。これはある意味においては、町村自体が本案賛成のみならず、すでに先覚者の考えを持つておるのじやないかとも私は考えます。これは非常にけつこうでございます。そうすることの結果によりまして、第一議員が減少することになつて——みだりに減少するという意味じやないです。また民主主義の進展を阻害するという意味でもありません。それはますます向上発展せしめつつ、議員を精選するということにおいては、私は非常に今度の改正案は力あるものだと確信いたします。同時に議員を精選する結果は、議会人みずから責任を自覚し、非常に自分たちが自粛しまして、町村のため、あるいは府県のために盡すということになり得る余地が、相当に私はあると信ずるものでございます。同時に会議費に関する費用は相当減ずることができまして、しかも比較的多額の費用を費しておつたときよりも、その結果はよい。経費小にして結果は大なり、私はこれは非常にけつこうと存じます。同時にこの会期のことでございますが、町村会はそうでもなかつたかと存じますが、府県会等におきましては、定例会を一箇年六回でございましたか、ほかに臨時会をやるというようになつておりましたが、これを通常会は年一回、時期もきめて、日数も限定して開く、そうして必要によつては案件を定めて、それに限つて臨時議会を開いて、そうして論議をし結論を得るというように改正される趣きでありますが、これも実に私は当を得たところの案であると思います。いなか者ですから長くなると、ろくなことを申しませんから、以上をもつて、私は今まで大都会の先生方がおつしやつたことと比べますと、非常に小でございますけれども、気持においてはあえて私が代表で来たという——日本全体の農村を代表して来たという意味には形式的にはなつておりませんけれども、事実はそんなことまで考えても悪くはないじやないかということを私は考えております。どうぞこれでお許しを願いたいと思います。
  106. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 次に代田朝義君。
  107. 代田朝義

    ○代田公述人 ただいま御紹介を受けました代田でございます。私は本日は大田区長として参つたのでございますが、若干関係を申し上げておきますと、昭和七年の東京市が隣接八十二箇町村を合併するその前には、町長をやつておりまして、そうしてそれ以来東京市会、東京府会、東京都会とずつと十七、八年やつておりますので、一応都の中の事情、また市の当時の行政も承知しておるわけでございますが、そういう観点から、むしろ率直に都と区の問題について申し上げたいと存じます。都と区の問題の今度の地方自治法改正につきましては、あの特別区の性格を変更するということについては絶対に反対する者でございます。まず結論を先に申し上げておきます。そこで現在の都・区のあり方について一応申し上げたいと存じますが、今度の改正案が出ますのにあたりましても、実際に現在の都と区のあり方というものを正しく御認識をいただきませんと、判断がつかないのではなかろうかと存ずる観点から申し上げるのでありますが、二十二年に新しい憲法が制定せられ、同時に新しい自治法が出発いたしましたあのときにおきまして、新たに民主憲法には住民自治をほんとうに確立せられまして、そうして人民の基本的人権を尊重せられた憲法になつたことは御承知の通りでありますが、そのときの自治法に、東京都の性格といたしましては、完全に基礎的公共団体ではない。市区町村を包括する複合的公共団体であるということをはつきり明定せられたのであります。と同時に、特別区に対しましては、あくまでも地方自治の基礎的の公共団体であるということで、住民自治の面から特別区を地方の市と同等であるというふうに見たということ、反面に東京都は戰争中の戰時都政とは建つて、今度は新しい自治法、新しい憲法におきましては、地方の道府県と同等である、こういうことをはつきりと明定せられたのであります。それによつて当時の安井都知事は、最後の都長官でありましたが、当時三十五区ありましたものを二十二区に区域を変更いたしたのであります。そのときの安井さんの意見、また私どもに公約いたしましたのにも、今度の二十二区は少くとも自治区として出発するのである、そうして将来完全自治区として育てるのであるから、現在の三十五区ではどうもぐあいが悪い。だからまげてこれは二十二区に統合することに賛成してもらいたい、こういうことが当時の安井さん本人の意見であつたのであります。そういうことで三十五区を二十二区にするのには、いろいろな障害もあつたのでありますが、たまたまそういうことならばということで、三十五区が納得をいたしまして、二十二区に統合をいたした、こういうふうな実情がまさにあるわけであります。そこで安井さんが今度は都長官をやめられまして、今度の新しい公選の知事に当選せられ、その知事に立候補せられるときにも、あくまでもそれをスローガンとして、自治区をつくるんだということで出発をしたことは間違いのない事実であります。ところが知事に当選してしまいますと、さつぱりその公約を実行してくれないのでありまして、むしろ戰時中の東京市と東京府が合併したあの変態ないわゆる戰時都政というものをやつたその味いというものは、これは忘れされなかつたと存じますが、おそらくその割切れがつかなかつたのが、この大きな問題の盲点になつていると思うのでありまして、結局あくまでもそういうふうなことで特別区というもののスタートをし、新しい自治法で出発はしたものの、やはり戰時都政のときの気持をそのままにずつと割切れずに継続して来ている、こういうことが現在の都政のあり方であります。先ほど来もいろいろ都側の方の御意見がありましたが、やはりそういう考え方で、みな戰時中の都政の考え方そのままをずつと続けてやつている、こういうことであります。新しい自治法、新しい憲法自治の姿、住民自治というものを生かして行くというふうなことには、少しも割切れがついておらぬ、こういうことが事実であります。そのために遂に都と区の間が、まことに円滑に運営ができなかつたということに相なつたわけであります。そこで都の方から申しますれば、区がずいぶんわからぬことばかり言つて非常に始末の悪い存在であるというふうに、誤解をされておるようでありますが、私どもは決してそういう考え方は持つておりません。あくまでも特別区としましては、やはり遵法精神によりまして、結局自治法に示されました特別区としてのあり方を、そのまま実現をしてもらいたい、こういうことを都にお願いをしておるだけでありまして、むしろその考え方といたしましてはあくまでも六百万の都民区民方々生活をできるだけ明るくして、その方々福祉を増進して行きたい、それにはどうすればよいのか、こういうことを努めて研究をして来たというにすぎないのでありまして、結局わがままなことを言い、わからぬことを言つて、ことさらに相剋摩擦を好んでやるというようなことは、何ら考えておらなかつたのであります。たまたま都の方はよくそういうことを外部には宣伝をするようでありますが、その点はどうかひとつ誤解のないようにしていただきたいと思うのであります。 しからばどういうところに盲点があつたかといいますれば、先ほど来もいろいろ御意見があつたようでありますが、確かに法制と、つまり早く言えば相マッチしてなかつたというところに、一つの盲点があるようでございます。地方自治法と、その他の地方税法とか、あるいは道路法とか、社会事業法とか、平衡交付金法とか、あるいは保健所法とか、いろいろ関係法令がございますが、そういうものが自治法と相マツチしておらなかつたいうところに、運営一つの盲点があつたのであります。  もう一つ大きな盲点は、これは都の方ではおつしやらなかつたのですが、運営のよろしきを得なかつた。先ほど御質問があつたようですが、むしろ知事の政治性が足らなかつたのではないかというお話でございましたが、私もその通りだと思います。つまり知事がほんとうに政治性を持つておれば、現在の自治法に示されたあの内容でも、都の方に対しては十分に活殺自在の剣を與えておるのであります。生かすことも殺すことも十分できるところの権限を都に與えておる自治法でありますから、大いにその生かす方の劇を使つてもらえばよろしいのですが、その殺人劍ばかり使つてしまう、結局つまりものを殺そう殺そうということでやつて来たので、始終その間にうまく行かなかつた点が起つて来たことは事実であります。税の問題にしましても、人事権の問題にしましても、またほかの事務事業の問題にしましても、都が條例をつくつて唇歯輔車の間にあるのですから、親心を十分出して、区の方にできるだけやらしてやるというふうなあたたかいお気持を持つていただけば、都の條例で、今の制度そのままでも、特別区というものは十分やつて行かれるようになつておるのであります。それを一向にやらないで、逆の方ばかり、殺してしまうようなことばかりやつて来たものですから、そこに紛争といいますか、摩擦といいますか、こういうものを起さざるを得ないというふうな実情に相なつたことを、まずひとつ御了解を願いたいと思います。  それともう一つの盲点は、先ほど申し上げましたように、戰時統制そのままの観念で、要するに都の当局は同じ人が戰時中の幹部であつたのが、やはり民主政治になつてもそのままずつと引続いてやつてつたために、結局その割切りがつかぬというところに、大きな盲点がある、こういうことに相なるのでありまして、そういう面から私どもは常にその後努めて自治権の拡充運動ということでやつてつたのでありますが、これが都で言ういわゆる紛争紛争だということに伝えられて来たわけであります。  それから都がよく都区一体性ということを言つておりますが、私ども都と区のあり方が決して一体性を欠くようなことは考えておりません。あくまでも都区一体性——一つ大都市行政としましては、有機一体性であることを十分認めておるのであります。  そこで私どもが主張しておりますことは、できるだけ住民生活に直結しておる身近かな行政だけを区に全部やらせるべきだ、そして二十三区に共通的に、総合的に大きなもの、つまり早くいえば計画性のあるものは全部都がやつてもらいたい、こういうことを言つておるのでありまして、いつもばらばらということを言つておりますが、先ほどお説がありましたように、私どもは決して二十三区をばらばらにしてもらいたいなどということは寸毫も言つたことはないのであります。あくまでも住民自治の面から考えて、住民の身近かな事務事業だけは、区の方に全部まかせてやらせるべきである、そのほかの大きな仕事、つまり早く言えば、計画性を持ちまた全都的な仕事は全部都でやるべきであると言つておるのでありますが、それをややもすれば、区というものはまことにうるさいことを言うものだということに、解釈されて来たのが事実であります。そこでその後自治権の拡充運動というものを年々やつて参りまして、とにかく一つ自治体に財政の裏づけがないということは、はなはだどうもやりにくいことであつて、私どもがちようど公選区長で二階に上げられてはしごをとられたようなものである、公選区長区民に公約して来たが、はしごをとられてしまつて、つまり人事権も財政権も起債権も何もなく、戰争中の行政区そのままであるから、ちつとも区民に対してほんとうの行政ができない、こういう姿が今日まで続けられて来た姿であります。そのために、われわれは非常に困つて年々自治権の拡充運動というものを続けて参つたのであります。それがだんだん熾烈になつて参りましたので、一昨年政府や国会の方々に、これはどうも都と区があまりやつてつてはいかぬということで実は仲裁に入つていただきました。これは二十五年に都区調整議会というものができた、あのことであります。これは御承知のように中立委員が五人、これには国会から三人出ていただきました。衆議院から二人、参議院から一人、政府側は主として自治庁でございますが、自治委員会議の方から二人、都合五人の中立委員が出、そして都の方がら安井知事以下五人、区の方からも区長二人、区会議員三人、都合五人出まして、五人、五人、五人の十五人という都区調整議会ができまして、約半年以上の日子を費しまして、会同すること二十数回、実際に掘り下げて研究をしたのであります。どうすれば都と区の間が円満に行くかを研究に研究を重ねまして、その結果といたしましては、大体百二十四件ばかり問題がありました。そのうち都と区の意見の一致したものは九十二件、それから都と区の意見の一致しなかつた残りの三十二件に対しましては、中立委員が二十五年八月二百に裁定を下したのであります。都の方はこうやるべきである、区はこうやるべきであるということを裁定してくださつたのが、都と区のいわゆる理想の事務事業裁定の線でございます。これが私どもがあくまでも——早く言えば法律ではありません。法的に根拠は何もございませんが、少くとも都と区の間を円満に運行して行くためには、むしろ法律以上の憲章であるという考え方をその当時持つたのであります。そこで中立委員を入れた十五人が全部これに署名捺印しまして、全部がこれに承認を與えたわけであります。それだけではいかぬというので都はこれを持ち帰つて都議会にかけてこれを承認し、区は持ち帰りまして、二十三区の区議会にかけてこれを承認し、同時にみなこれを承認したのですから、完全に理想の案がここで一旦できた。これを実行に移してもらえば、都と区の間は何ら問題は起らずに済んだのであります。ところが完全に施行するには法律を改正しなければならぬ案件が十二、三件ございました。十二、三件の関係法令を改正しなければならぬということで、中立委員の方、中島先生、松岡先生、参議院の岡本先生などが、これはわれわれが院内であつせんする、都と区の問題であるから、両方の連名で出せば、その法律改正はいとやさしいから、これはわれわれが心配してやるから、法律を改正すべきだということで、この法律を改正するということまで、この協議会できめたのであります。そしてその法律改正がしつかり実現するのを見届けるまで、この都区調整議会を存続しよう、こういうことまで言われて存続しておつたのであります。ところがその翌年になりますと、都の方では都合の悪いことだということにしまして、もつとも都議会の改選等がありましたから、全部都議会が新しくなつて、昨年になつてそんなものは御破算だ、そんなものはないということになつて、また相剋摩擦が起つて来た、こういうことになりましたのが、この都と区の間柄でございます。ところがその間にすでに御案内の通り、シヤウプ博士の線の中で、あの地方制度調査委員会議というものが設けられまして、その間一年有余にわたつて審議せられた案というものが第一次勧告、第二次勧告として行われたことは御案内の通りであります。あの第二次勧告の中に、都と区の問題の勧告をせられたのであります。私どもはこの勧告も大いにいろいろ期待をいたしておりましたが、結局十二分に満足すべきものでなかつたことは事実であります。しかしながらこれは勧告でありますからやむを得ぬということで考えておつたのでありますが、そのあとの行き方といたしましては、当然今度はこの国会で地方制度調査会というものができる。そうなればつまりそれに神戸勧告の線も、また都の方からも、区の方からも、また全国的な全般的な地方行政というものがかけられて、愼重審議の結論として当然一つの結論が出た上に、これが立法化せられるであろうということを期待しておつたのでありまして、そのためには十分の資料を整えなければならないということで、資料を整えつつあつたときに、たまたま今度の改正案がぽかつと三月一日に朝日新聞に報道せられたということで、実に唖然としたような実情でございます。ところが政府の方の提案の理由等を伺いましても、何か神戸委員会地方行政調査委員会の勧告の線に基いて立案したのだというふうに私どもは聞かされるのですが、どうもそういう線に私どもは受取れないのでありますが、もしそうであるとすれば、神戸勧告のどこに一体任命制ということが入つているのか。任命制ということはあの中に入つていない。先ほど杉村さんというその五人の委員の一人が来て、任命制憲法違反だから触れなかつたということまで、ここで言われているくらいで、触れていないのです。政府はその勧告に基いて提案したのだということを、はつきり言われているのですが、どうもこれは私ども承服できないのですが、これは政府でやられたことですからいたし方ありませんが、そういうことであくまでも今度の地方自治法改正案の立案の要領というものが、私どもにはどうしてそんなにこの都と区の問題だけを急いでやるのかさつぱりわからない。要するに地方制度調査会というものができて、その方でゆつくり審議して、専門家を集めて、そうして検討をせられた結論を得てからでも、おそくないのではないかというような感じが多分にいたすのでありますが、今度急速これを出して、無理に押し切ろうとする態勢にあることは、どうも不可解に考えられるのと、一面にはこの案があくまでも自由党の何らの機関にもかかつていない、政調会にも、総務会にも、代議士会にも何もかかつていないということであつて、ほんとうに政府の独善で立案したということは、立憲政治のもとにおける政府としては、どうしてそういうことをやつたのかということも、まことに私どもは理解に苦しむところであるのでありますが、幸いに今承るところによりますれば、地方制度調査会というものが、すでに国会に提案せられておるようでありますし、ことに一面には道州制の問題、あるいは都道府県の性格もなお再検討しなければならぬということも言われておるように聞いておりますので、そういう面と、また五大市の特別市制の問題もございますので、こういうものと全部一体にあわせて、そうしてこの地方制度調査会において審議したならば、ほんとうの理想的な日本の民生的な地方制度のあり方というものの結論が出るのではないか、ここでこんな改正を少しばかりやつたところで、また全体的な都道府県の性格、全国の市町村の性格から、全部のものをほんとうに一つ——つまり今度地方制度調査会で審議して結論を出すということになりまして、またこれがどういうふうにかわつて行くかわからぬということになりますと、あまりにも法令の朝令暮改になるのではないかというようなことも——これはよけいなことですが、私どもはそういうふうに考えておるのでございまして、むしろこれはできるだけその地方制度調査会の方で、もつともつと正常の軌道を歩かして、そうして正常の軌道で十分に審議してから国会に提案して、そうしてこの委員会でなおまた愼重に御審議を願うということが、私は当然あるべき順序ではなかつたかと思うのであります。そういう面から考えましても、私どもはどうしても今度のこの行き方には賛成かできないような気持がいたすのであります。特に私ども反対しておることが、区長の立場で区長任命制反対すると、護身のために反対しているように思われるのは、非常に遺憾でありますが、私どもはそんな考えは毛頭持つておりません。あくまでも六百万区民自治権というものは、どうしても擁護しなければならぬ。われわれの現職の時代に、区民六百万の方々自治権がなくなつたと言われては、われわれはほんとうに責任の面において申訳がないという感じを強く持つておるのでございまして、そういう面からこの際大いにこの問題について反対をいたしておるのであります。そうしてあたかもその法案の内容が、違憲の内容を多分に持つておりますことは、もう私が申し上げるまでもないことでありますが、ごく簡單にはしよつて申し上げますと、一点といたしましては、今度は府県と市の性格を都が持つのでありますから、完全に戰時立法、戰時都制に逆行するということは間違いのない事実であります。そういうことは民主憲法の精神をまつたく蹂躪するものであると思うのであります。  それから特別区の性格が基礎的公共団体ではたいようにしてしまおう、こういうことの考え方、その面から見ますと、一体あの提案理由の説明の中には、大都市の内部的な部分団体としての性格に変更するというのでありますが、内部的の部分団体としての性格というものは、一体どんな性格でありますか、私にはよくわからないのでありますが、かりにこういうものにしたときに、そういうものにしながら、結局私どもに解釈せしめればこれは行政区である、こういうふうに断定いたしたいのであります。行政区とするのにこういうふうな苦しい言いまわし方をしているのだというふうに解釈できるのであります。しかるにその改正案の中には、あくまでもこういうふうになりましても、二十三区はやはり特別区としておくのだ、そうして特別区という文字を、地方公共団体としても、そのままにしておくのだということを言われておるのですが、しからば一体地方自治法の第一條の特別区というその特別区というものと、それから今度の改正案の二百八十一條の特別区というものとは、一体どういうふうな性格的な関係を持つのかということを、私ども非常に理解に苦しむのであります。いずれにしましても、これが特別区であるということ、地方公共団体であるということには相違がないと仮定するならば、これはあくまでもやはり九十三條である程度まではつきりしておる住民の直接選挙でなければその長を選べないという結論になつて来るのではないかと思うのでありますが、この点につきましても、私どもはあくまでも憲法の違反であるということを強く主張をいたしたいのであります。ただこれをあるいは財産区だとか、一部事務組合のようなものだから、これは何も公選でなくてもいいのだ、こういうふうな政府の方の御見解があるようでありますが、これはどうも私どもには受取れないのであります。財産区、一部事務組合といえども、あるいは一部公選でないものが、日本全国の中にはたまたまあるかもしれませんが、任命制はおそらく一つもないと思います。任命制で一部事務組合あるいは財産区の者をきめておるというのは、おそらく全国一つもないと思います。こういう面から見ましても、財産区、一部事務組合でもさようであるのに、特別区に対して任命制を使おうなんということは、あまりにも憲法の解釈を便利主義に解釈しておるということであつて、私どもはこんなかつてな解釈をすること自体が、憲法の威信を害するものであり、同時に憲法の神聖なる国民の信頼を喪失するものであるということを、強く申し上げたいのであります。  それからなお六百万区民から自治権を剥奪するのだということにおいては、間違いのない事実でありまして、御承知のように憲法十五條には、公務員というものを選定し、また罷免することは、国民固有の権利だとしております。固有ということは非常に強い意味だと思います。国民が固有の権利として公務員というものを選定したり罷免したりすることが、要するに国民の固有の権利でありますから、この固有の権利をとつてしまつて、任命するということはこれは大きな憲法違反であるということを申し上げても、過言ではないと思います。先ほどもお話がありましたように、これを東京の二十三区だけ行うということになりますれば、第十四條の平等の原理にこれは当然違反することは間違いのない事実であります。  それからなおことさらに、現在の三年間まだ残つておる任期のある区長を、その三年間を任命区長とみなしてやらせるというような便利主義の考え方は、これはまつたく参政権を冒涜し、同時に憲法の精神を蹂躪するものだということは、まつたく論ずる必要のないほど、はつきりしていることだと思います。  なお一つ申し上げたいのは、特別区から基礎的公共団体であるという性格を取上げ、都に基礎的な公共団体であるという性格を與える、こういうことになりますから、これを今度は区の方は別としまして、都の方から見たときにも、都の方の性格がかわつて来るわけであります。都はいわゆる基礎的公共団体ではなく、市区町村を包括する複合的公共団体であるという性格が、今度は基本的公共団体であるという性格を與えるのでありますから、ある程度までその都の方から見ますれば、はつきりその都だけの区域の一つ違つた特別法ということに私は見られると思うのであります。特別法というその意味は、憲法学者等に伺いましても、決して單行法でなければ特別法でないということは言えない、そこに一つ政治の現われとして、実際に実行し得るものならば、やはり一つの條文の中のことであつても、それはやはり特別法とみなす、こういうことを私ども聞かされておるのでありますが、そういう面から参りますれば、あくまでも東京都の面から参りまして、性格が完全にかわるのでありますから、東京都全体の住民投票をいわゆる九十五條の規定によつてしなければ、結局これは成立しないという議論も、私は成り立つて来るのではないかというふうな考え方もいたすのであります。  あまり長くなつて恐縮でありますから、結論を申し上げたいと思いますが、さような線で、あくまでも今度の任命制に対しましては、私どもは性格の変更であるがゆえに反対をするのでございますが、先ほど伺つておりますと、何か職員組合が全部この任命制に大いに賛成してくれるかのごとき言葉がありましたが、非常に私どもは遺憾千万でありまして、実際にはそん事実はありません。むしろ職員組合でそういうことを最高幹部のごく少数の者が言つたために、職員組合で問題になつて、あとで声明書まで出して、われわれはこの任命制に対しては厳正中立であるということを声明までしておるので、八万の署名をとつたということでございますが、これは人事の任命権だけについてとつたのでありまして、今度の任命制についてとつたものではないということをはつきり申して、御了解願いたいと思います。  なお二十億の問題が先ほど出ておりましたが、こういうこともはなはだ都の方の一方的な詭弁でありまして、現在二十億をむだ使いしておるのは、都の方がむだ使いをしておつて、むしろ私どもは、公選区長に、任命区長にまかせる仕事を全部まかしてやるならば、都が八百何十億の予算を組んでおりますが、少くともその一割くらいの予算の節減は必ず可能性があるということを申し上げておるのでありまして、決して任命区長でやることによつて都費が軽減できるとか、全体の都民区民負担が軽くなるということにはならないと考えますので、この点も御了解願いたいと思います。  また申し上げたいことがありますが、時間がございませんので、以上申し上げまして反対の理由といたします。何とぞ種壷に御審議をいただきまして、せつかく地方制度調査会ができるのでありますから、その方で十分慎重審議の後に、なお皆様方に御審議していただくことになりますれば、たいへんけつこうだと思います。
  108. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 田辺定義君。
  109. 田辺定義

    ○田辺公述人 私はこの地方自治法改正案が、一日もすみやかに国会を通過するよう希望する一人であることを、まずもつて表明しておきます。そしてこの案のうちで、問題をもつばら東京都の特別区に限定いたしまして公述することにいたします。  特別区の問題については、いろいろの意見や論議がずいぶん行われておりますが、それらを通じて何人も異議のないのは、ただ一つ二十三区の区域は密集した集団によつて一つ大都市を形づくつておるというこの一点であります。ところで何人も疑わない厳然たるこの事実こそ、特別区の問題を解決する唯一の基礎的事実あるいは唯一のかぎであるのでありますが、その間の関係が案外閑却されておるかに見受けられるのであります。特別区の問題は、申すまでもなくこれは政策の問題ではありませんで、制度の問題であります。大都市制度の問題であります。大都市という現実の存在を対象として、学問的に合理的に検討されるべき根本機構の問題であります。これは何人も異議がないであろうと思いますが、すべての研究立論の基礎が厳然たる事実の上に置かれない限りは、いつまでたつても、この特別区の問題は解決するはずはないと私は確信しております。  およそ一つ都市的集団を形づくつておる地域は、單一の行政力によつて自治生活を営むべきもの、これは論理の当然であります。都市の構成は大小いろいろありますけれども、どんな都市においても、すべていわゆる有機的一体をなしておるのであります。東京について見ましても、区の数が三十五であろうと、二十三であろうと、人口が三百万であろうと、六百万であろうと、あるいは住民の年齢層や職業別がどんなに構成がかわりましても、そんなことには一向に関係なしに、常に一体をなしておるのでありまして、この一体性は社会学的について不可分的な本質を持つておるのでありますから、従つてこれに即応するための行政形態、すなわちこの区を律する制度とか組織とか、それからすべての行政運営はいずれもその一体性を破るものであつてはならない。これを法的に言いますならば、ただ一つ意思しか持たない單一の自治団体であることが要求される。またこれを行政内容の面から言いますならば、すべての種類の自治行政作用がすべての区域に対して独立平等に行きわたる、そういう行政が要求されるのであります。これが理想であります。しかるに特別区については現在どうでありますか。いろいろ先ほど来お述べになつたところを総合して見ましても、東京市の一部分としての行政力に支配されるとともに、二十三区はある程度の制限は受けておりますけれども、やはり自治団体としての行政力を行使しておる。つまり公の生活を二重に営んでおるのであります。ただいま申し述べました理想から申しまするならば、現在の二十三区の地域のような行政形態はきわめて下自然で、きわめて不合理なものでありまして、これを十分証明しておるのが現に団民の前に示されておるあの都区の間の深刻なる摩擦、不経済、非能率、それであります。この点につきましては、すでに他の公述人の方からお述べになつたことと思いますし、またことに現在あまりにもなまなましい明白な事実でありますので、ここに述べることをいたしませんが、要するに大都市行政にそぐわない制度の久陷を露骨に現わしておるのであります。  以上申し述べました論理と事実とから生ずる当然の結果としまして、現在の特別区の行政力を強くすればするほど、一体としての都市行政を乱すことになるのであります。周知のごとく都市の区域を拡張することは、近代都市の大きな特色の一つであります。これは要するに社会的に一つ都市的集団を形成しておる区域に対しては、一系統だけの行政を行うものでなければ、ほんとうの都市経営はできない、ほんとうの都市生活はできないというところから来るのでありまして、都市付近の町村がせつかくつておる独立の団体性をみずから進んで放棄して、そうして他の団体の中にとけ込んで行くというあの現象は、とりもなおさず一つの集団形態の中に二つ以上の行政力の存在することは不自然であり、不合理であり、少くも非能律であり、不経済である、これから来ておるのであります。  昭和七年に実現したいわゆる大東京の例をとつてみましても、東京市の周辺八十数町村が、東京市と区別のつかないまでに一つの市街地になつた結果としまして、東京市も町村の方も、住民の幸福になる公の生活をするには、町村が東京市の中にとけ込んで行かなければ絶対にだめであるということになつて、そして大東京ができたのであります。その場合にこの八十数町村というものは、最初にまず区に属して、それから今度市に属するのだ。だから市に合併しよう、こういうような段階的の計算は一つもさしはさむ余地のない趨勢であつたのであります。もちろん制度の上からいたしまして、どれかの区に属することは当然でありますけれども、かりにあの当時、東京市が他の五大都市と同じように、自治区というものかなかつたとしてどうであつたろうか。私はやはり合併というものは今日のように実現しておると思うのであります。合併に加わつた町村議会の決議が例外なく、町村を廃して東京市に編入するために云々、こういうようにまつたく同じ文句で表わされておりまして、あの当時は二区々まちまちの多数の行政力が一個の中心を求めて、そうして有機的結合的生活に入ろうという、ただそれだけの理由が合併を実現させたのであります。もし昭和七年に東京市に区がなかつたならば、八十数町村は合併しなかつたであろうかという点、それから合併事実の意義、これについては特別区の問題を論議する方方は、この際あらためて考えてみる必要があると思うのであります。特別区の沿革と伝統というものは、これはもちろんあります。しかしながら大体において財産営造物の所有主体であり管理主体であるというのを認めたのが初めでありまして、自治法人になつたとはいうものの、制度の建前からいつて、またその行政過程から見まして、決して都市一体行政を破るような割拠的な区政を行う趣旨では毛頭ないのであります。たまたま戰時立法として不自然きわまる東京都ができ上つた。そのとたんに東京市という自治体がどこかへ消え失せてしまつた。そうして続いて制定された地方自治法で、その消え失せた東京市のあとへ市とほぼ同じようなものが隣り合せに二十三存在する。少くとも存在し得るという今日の自治制度、これはおよそ近代都市制度の理論からしますれば、全然正反対の方向に向つておるこの制度ができました。そうして、ややもすれば都市行政の内部的崩壊を来すような潜在力を與えるような制度が生れたのでありまして、これが収拾しがたい今日の混乱を招いたものと私は解釈しております。  以上のような見地におきまして、私は特別区の制度は現在のままでは断じて存続せしむべきものでない、この点に一点の疑いを持ちません。そうして私の持論から行きますと、いかなる場合においても、区というものは大都市制度の一環でありますから、必ずこれは行政区的性格のものであるべし、かように私は主張するものであります。この主張からいたしますれば、この改正法案の内容は必ずしも満足すべきものではありませんが、これは理想に一歩を進めるものでありますし、それからことに最近数年の都区行政のあの憂うべき事態は、何とか早く救済しなければなりませんので、その善処の処置としてこの案が一日もすみやかに成立するように希望する次第であります。  なお改正法案に対する反対意見のうちで、区長の決定方式のところに一般の論議が集中いたしておるようでありますが、私は抽象観念としては公選が民主的である。これは何らの疑いはありません。しかし選挙はどこまでも手段であつて選挙そのものが政治目的でないということは申すまでもないのであります。選挙にした方がいいか悪いか。それはそれに関係する事柄を、全体的に研究して決定すべきものであつて区長の場合でいいますれば、割拠主義を否認する統一的な自治体機構を確立するのには、公選制と任命制とどちらが適当であるか。これは言いかえますれば、一つの有機的一体をなしておる団体の行政を統一のない区々まちまちのものにすることに役立つものが公選制であるか、任命制であるか、答えは全体の関係を判断した上に求むべきものでありまして、政治目的を達するためには、住民に大統領の選挙権も與えていない、そうして国会議員選挙権も與えていないというアメリカの首府ワシントン・D・Cの事実のようなものもあるわけであります。要するにこの問題は、全体と部分の関係、目的と手段との関係、それを考慮しまして、さらに大切なことは、この問題はどこまでも制度の問題であつて政策の問題ではない、こういうことを考えまして、判断しますならば、おのずから正しい結論が出て来るはずのものであります。選挙でさえあれば、それがすなわち民主的だ、こういうような考え方をもつて扱うべき性質のものではないと存じます。時間の都合もありますので、これで私の公述を終りますが、要するに論点の中心が、私ども耳にしますところでは、いろいろ民間の様子を見ますと、少しそれておるようであります。これはどうか本道にとりもどして研究する、それは大都市制度の問題である、それから制度の問題であるから政策の問題ではないというところに、立論の基礎を置かなければならぬものと確信いたしております。  私の公述をこれで終ります。
  110. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 最後に宮澤正有君。
  111. 宮澤正有

    ○宮澤公述人 私は日本自治団体労働組合と申します全国の府県庁あるいは市町村役場に働く自治体労働者の全国団体を代表いたしまして、ただいまからわれわれに最も関係のあります地方自治体の組織と運営という問題を出しておりますところの自治法改正につきまして、意見を発表したいと考える次第であります。  元来われわれの組織は、もちろん他の労働組合と同様、生活権の維持向上というようなスローガンを一つつて運動を進めておるわけでありますけれども、われわれの運動過程におきましては、どうしてもこの生活権の擁護ということは、地方財政あるいは地方行政の問題を抜きにしては、絶対に考えられないという点におきまして、地方自治法改正には、重大な関心を持つて運動を進めていることを前置きしたいと思う次第であります。  まずこの法案をずつと見ますと、われわれの身近な問題といたしまして、二つの重要な問題が含まれておるわけであります。その第一点と申しますのは、現在一般労働者におきましてもそうでありますが、貿易の不振であるとか、あるいは企業が倒産するということにおきまして、一般の労働者を首切つてしまう。その首切りてしまつたあとへ必ずまた人を入れて臨時工という形をとつて使つているわけでありますが、これとまつたく同じ形が現在の地方自治体の職員の中におきましても露骨に出ております。一割、二割、三割というような形で使つているわけであります。とこがこれは、今まで実際に地方財政が逼迫して、国家委任事務がどんどん押しつけられるために、どうしてもやむにやまれず、地方理事者がこれをカバーするために雇つたいわば過渡的な現象である。しかしわれわれは生活権の向上というスローガンのもとには、決してこれを是認するわけではないのでありますけれども、しかし今度の自治法改正を見ますと、公然と臨時職員という文字を入れまして、政府はこうい形でどんどんと使つて行けと言わんばかりの形を出しておるわけであります。こういう点につきましては、昔、中国が植民地のときにおきまして、苦力というものがありました。現在われわれは自由労働者を二コ四といつておりますが、二コ四どころではなく、現在の自治体に働く臨時職員と至りましては、日給が百五十円あるいは百三十円という問題が、現実の問題として出ておるわけであります。こういう観点から、こういう條文を改正するのではなく、改悪する最も具体的な内容を出したということにつきましては、われわれは絶対に賛成ができないという意見を持つておるわけであります。  なおもう一つの問題といたしましては各種の行政委員会が今までの條文よりは具体的にいろいろ出されております。たとえば選挙管理委員会とか、農業委員会とか、公平委員会とかいろいろ出ておりますが、この中で一番問題になりますのは、公平委員会の職員を一般の職員と兼務させることができるという意味の條文が出されておることであります。これはどういうことかと申しますと、御存じの方が多いと思いますが、地方公務員法によりまして、地方職員の不利益処分の取扱い、いわゆる審査機関として、公平委員会というものが設けられておるわけであります。この公平委員会は、実際問題といたしましては、財政上の問題で單独の委員会の書記というものがないわけであります。従来までは、一般の職員からこれを兼務させるという形で進めて来ておるわけでありまして、今度の改正におきましては、当然万難を排して單独の救済機関の職員をつくるべきであつたにもかかわらず、従来の既成事実を是認いたしまして、公然とやはりこれを兼務させることができることになつた。この問題につきましては、ただいま申し上げました通り、救済機関でありますから、理事者が、その使用人であるところの事務員の首を切つておいて、首切られて困るといつて申請して来た場合に、その審査をまたその人がいたします。どろぼうが自分で裁判しておるようなものです。こういうようなでたらめな内容につきましても、私どもは、身近な勤務條件の問題といたしまして、これには賛成しかねるということになつて来るわけであります。これがわれわれの身近に、ここに出されました條文の内容であります。  そのほかに大きな問題といたしましては、ここに一部の改正として出されておりますけれども、われわれの働く感覚からいたしますれば、文字は一部ではあつても、これは基本的な重要な問題を全部改悪した内容であろう、こういう見解を持つておるわけであります。その重要点と申しますのは、たとえば先ほどからたくさん論議されておりますところの区長任命制の問題につきましても、先ほどの春公述人の御意見をそのままお借りいたしますれば、ある一つの区の公益質屋に通うのに、同じ区ではぐあいが悪いから他の区に行くという、いわゆるばらばらと統一の問題こういうような問題が出されておりましたけれども、そういう悪い事実のみを指摘いたしまして、この法文に対する考え方を出すということについても、われわれはいささか見解を異にするのであります。と申しますのは、現在やはり問題になつておりますのは、地方財政の問題だと思うのです。きようの内容は財政の問題ではありませんけれども、やはりこの問題を抜きにしては自治法の問題は論ぜられないということについて、若干申し上げたいと思います。  先ほどもどなたか申されました通り、この道はいつか来た道、その道へ再び逆もどりし、復古調がかなでられておるということなのでありますが、現在すでに地方財政法とか、あるいは地方財政平衡交付金法、あるいは税法の問題、あるいはまた最近公営企業の問題というぐあいに、地方自治体の財政は、決してバターをつくるために使われておらない。大砲をつくるために使われておる。こういう財政をしぼつて来て、これではもうどうしようもないというぐあいに、地方理事者の考えを向けさせて来ておる。この段階におきまして、既成事実をつくらしておいて、その上に立つて、こうだという、困る前提をもつて改正をしておるというぐあいに、われわれは解釈を下しておるわけです。従つてこの問題は、地方公務員の権利の剥奪の問題とあわせまして、やはりこの地方自治法ができるというときは、すでに各地方自治体におきましては、法律以上の現実がたくさん出ておる、こういうぐあいにわれわれは考えざるを得ないわけであります。従いまして、以下申し上げますところの地方議会の縮小の問題にいたしましても、進歩的な、いわゆる国民の九五%を占めるところの働く大衆の意思を代表しようとする人たちの選挙の活動を制限し、あるいはたくさん出ないようにするというようなねらいがあるということを、われわれは考えておるわけでありまして、これは決して地方住民意思を発展させるものではなく、かえつて民主主義のルールを阻止するものではないかというぐあいに考えるわけであります。なお会期におきましても、年六回の定例会を年一回にするというように、これもアンチ・デモクラシーの方向に進みつつある。このことにつきましても、具体的な問題につきましては、いろいろ文書で出されておりますので、省略いたしますが、ねらいといたしまして、われわれはそういうふうに考えるわけであります。  なお地方自治体の部局、いわゆる部とか局の問題があります。なるほど、ここに出された條文を見ますと、過般来巷に伝えられるような、一口に申しまして民生事業を全部切つてしまつて、いわゆる戰争態勢への機構塗りかえであるというような、明確な文章では出ておりませんけれども、先ほど私が申し上げましたように、現実の問題としては、ある一つの市役所の例をあげてもけつこうでありますが、現にそこの総務課では、特審局という一つ仕事をやつているわけです。特審局が国民のために仕事をやつているか、やつていないかということは、見解の相違もございましようけれども、われわれは決してこれは国民的な愛国的な仕事をやつているというぐあいには考えられませんが、市民のサービス・センターである吏員が、やはり同じ地域の住民に対して家宅捜索の協力をするというような仕事をやらなければいけない、あるいは一たび間違えば、目下論議されております住民登録法の問題につきましても、自治体が全部やらなければいけないということ、こういうような例がたくさんあります。私も昨日鳥取から帰つてつたのでありますが、鳥取の大火にいたしましても、百五十億の損害があるにもかかわらず、やはり涙金程度の国庫補助しか出ていない。しかも火事の原因は、消防自動車が一台しか出られなかつた。これはもちろん、その瞬間的ないろいろな條件がありましよう。しかし根本的にはこういうような施策のまずさ、消防自動車一台しか出られないような状態にある。こういう点につきましては、やはり自治体の部局の問題と関連いたしまして、もうすでに現実の問題として、どんどん出て来ておるということ、こういうような内容につきましても、賛成はいたしかねるわけであります。  なおそのほかには、地方自治体の事務範囲を縮小する内容が出ております。この問題につきましても、政府の発表によりますと、現在の地方自治体の財政で、赤字のないところは東京と大阪と、市町村では三割くらいしかないという資料があるわけでありますが、やはりこの大部分の赤字を背負つておる仕事の内容と申しますのは、国の委任事務が七割を占めておるという現実であります。この問題と関連いたしまして、先ほど、都におきまして区長と都知事の権限の問題とか、事務の委譲の問題とか、いろいろ論議があつたわけでありますが、こういう問題と関連いたしまして、われわれといたしましては、先ほどの、大砲かバターかという、この集約されましたスローガンに基くもろもろの施策の中で生まれ出ました地方自治法改正の問題につきましても、ただ單にお題目を並べて、こういう仕事と、こういう仕事をやらせるのだというぐあいに列挙しただけでは、地方自治体は、やはり独自の地方住民福祉と平和のための仕事ができるものではないということであります。従つてこの並べました内容を見ましても、何ら前と変更はない。ただ地方政府の出先機関を具体的に明示したにすぎないのだというぐあいに、私ども考えておるわけであります。  それからもう一つ、市町村の合併を中心としました政府と知事の監督権の強化の問題であります。これはいろいろとくどく申し上げませんけれども、ある一つの案といたしまして、人口七千から一万くらいに町村をまとめてしまうのが妥当であろうというようなことを聞いておるわけでありますが、このことにつきましても、いろいろと問題はありましよう。しかしわれわれは、やはりこのねらいとするところは——提案の説明も、行政の能率を上げるというぐあいに出されておるとは思いますけれども、しかし言おうとするところと、やりつつあり、またやろうとする意図とは全然違うということ、これは先ほど私が述べましたようないろいろな事実でもつてわかる通りであります。従いまして、ここで出されました行政の能率を上げるということにつきまして、新しく戰争をやる国防のための多大な努力を傾注するために、いわゆるサービス行政機関を削除つし、縮減するという町村の合併であると、われわれは理解しておるわけであります。  従いまして、以上申し上げました個個の各條文に関しましては、決してこれが一部の改正ではなくして、今の段階におきましては、ただわれわれ自治体の職員がどうである、こうであるということでなくて、いわゆる住民の全部の福祉を破壊し、平和を破壊するところの具体的な政策が、この自治体に最後にやつて来たということを私ははつきり申し上げまして、この案に対する反対意見を申し上げる次第であります。
  112. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 以上の公述に対しまして、御質疑がございましたら、どうぞ……。
  113. 門司亮

    ○門司委員 まず市政調査会の田辺さんに対して、少しお聞きしておきたいと思います。田辺さんの御意見を大体拜聽いたして参りますと、都制が自治体のあり方についての疑問を非常にたくさん持つておる。申しかえますならば、都制自身が誤りである。従つてこれを根本的に改革するには、やはり特別市のような形に置くべきであるというように、私は拜聽いたしたのでありますが、その通りに解釈していいかどうか、お伺いいたします。
  114. 田辺定義

    ○田辺公述人 結論的に申しますと、御質疑通りでございます。特別区の問題の根本的解決は、特別市と申しますか、その言葉は今日非常にデリケートでありますから、私申しませんが、ともかく都制全体に対して検討を加うべきものと考えております。
  115. 門司亮

    ○門司委員 もう一つ聞いておきたいと思いますことは、選挙に対する問題でありますが、選挙を行うことが必ずしも民主政治のあり方、と言うと多少は語弊がありますが、公平を期し得るものでないというふうに解釈するように私聞いたのであります。選挙自体はいろいろて問題があると私は思います。選挙でなくてもよさそうだと思うものもないではないと思いますが、選挙を行いますゆえんのものは、やはり責任の所在を明確にするということが根本になつておると私は思う。結局行政あるいは政治責任制というものが、人民のために行う人民の政治という民主政治の原則から行われておると思う。従つて意見としてはそうではあつても、何でもかでも選挙をするということについては、多少弊害があるというように解釈してよろしいかどうかということであります。それとも別のお考えをお持ちになつておるかどうか、この点をお聞かせを願いたいと思います。
  116. 田辺定義

    ○田辺公述人 ちよつと御質問の趣旨が、はつきりしない点がありましたが、私が述べましたのは、何でも選挙であれば民主的だという考え方誤りだ、こういうことであります。
  117. 門司亮

    ○門司委員 私はそのことで聞いたのであります。選挙というものが多少民主的でないということに、実は私ども疑問を持つておるわけであります。それはさつきから申し上げておりますように、責任の多寡に応じて、これくらいのものは何も選挙でなくてよさそうなものだというものは私もあると思います。ないとは申しませんが、しかし責任政治の建前からいえば、やはり民主政治というものは、責任の所在を明確にするものだ、人民のための政治は連帯責任の上で行うのが正しいので、権力政治というか、官治行政であつてはならないと思う。そういう意味から申しますれば、御意見は非常に重要であります。私の考えておりますのは、さつきから申し上げておりますように、何でもかでも選挙にするということは行き過ぎではないかというように、解釈すればできないわけではございませんが、あなたのお考え選挙必ずしも民主主義の原則ではないというお考えであるとすれば、私どもとちよつと考え方が違うのであります。この点もう一度はつきりお聞かせ願いたいと思います。
  118. 田辺定義

    ○田辺公述人 選挙選挙でないものと両手に掲げまして、どちらが民主的かといえば、これは小学生でもわかるように、選挙の方が民主的だということは問題ありません。しかしながら選挙というものはある行政現象の一部分であり、そしてある政治目的を達するための一つ行政手段なのであるから、全体が均整がとれて選挙もなるほど適当である、そこに行かなければ選挙の意義がない。その全体のつり合いにどういう地位を選挙が占めるかということいかんにかかわらず、選挙はすなわち民主的なり、こういうことは絶対に言えないと思います。一つの例としては、明治年間に御存じのような都制廃止の問題がありまして、多年の経過をたどりまして、ようやく大正十年でありましたか、廃止になりました。これは選挙の問題どころではない、一つ地方団体を廃止したのであります。しかしながら今日振り返つてみて、あの郡制なるものが一体どういうものであつたか、そうして都制によつて、どれだけの利益を得たかということは、当時はわからなかつたでありましようが、今日になつてみれば、そういう一つ地方団体が地方行政に寄與したということによつて、町村の行政が本格的なものに近づいたのであります。これは多分御承知だろうと思いますが、さような現象はいろいろあろうと思います。たとえば今の区長任命の問題にいたしましても、これは遺憾ながら戦時中の法律制定でありまして、どういう事情でああいうことになつたか私は存じません。存じませんが、たとえば今の都制の問題について過去を振り返つてみますと、当時やはりその立法に参加したドイツの学者が、後になつて郡制制定は非常に失敗であつた、申訳ないという書面を日本政府によこしておる。そういうような例もありますので、私はたとえば自治団体あるいは選挙の形式、そういうもの全体の一部分として考うべきものであつて、それから切り離してこれは民主的であろう、そうじやないものは民主的でないであろう、こういう立論は成り立たないのであります。こういう意見であります。
  119. 門司亮

    ○門司委員 もう一つ聞いておきたいと思います。先ほどの財産区の問題でありますが、東京都の問題も、やはり財産を持つておるということで、行政上の処置をどうしてもしなければならないことになつて来る。それで財産区のあり方ですが、現在のように民主政治の発達の過程というよりも、むしろ徹底しなければならないときに、依然としてやはり財産区というものを置くことがいいか悪いかということであります。この点については私一つの疑問を持つておるので、この際権威者でありますあなたの御意見をお聞きしておきたいと思いますことは一つの例をあげて申しますと、福島県にあつた例でありますが、昭和二十一年に当然選挙をしなければならぬのに、その機会選挙がなされないで、昭和二十六年になされておる。五箇年間財産区の選挙が行われなかつたのであります。その間理事者である町長が三代かわつておりますが、町長がこれを処理しておつたという事実がある。従つてこの財産区の問題については、私どももう少し研究をして、たとえばこれを処理する管理者というようなものも、やはり何らか考えるかどうかして行きませんと、間違つた運営の行われる危険性を私は持つておると思います。従つてこの際財産区というようなものを一応なくすか、あるいはこれを置くとすれば、これに多少の自主権を與えて行くか、どつちかにすべきじやないかと考えておるのでありますが、この点について御意見を伺つておきたいと思います。
  120. 田辺定義

    ○田辺公述人 ただいま申し述べましたのは、財産区と申したのではありませんので、区の生れたときが財産の所有主体、管理主体であつたわけであります。そもそも区の起りは、嚴格に申しますれば明治十一年の郡区町村編成法のできたときに出た区が、そういう性格において生れたものである。それは決して今日われわれの面前に暴露されておるような性格の活動をすべきものではなかつたのであります。従つて今日の東京都の特別区を財産区だと定義したわけではありません。私個人の意見から申しますれば、やはり財産区というものは、あまり残すべきものではないと思います。これは過去の遺物であつて、明治二十二年の市町村合併のときに始末がつかないで、あとまわしにした部落財産であり、今お話の福島県の問題も多分その意味の財産区ではないかと思いますが、抽象的に申しますと、財産区は望ましくないものだと私は思つております。
  121. 門司亮

    ○門司委員 今の自治体の組合の方にお聞きをしておきたいと思います。これは一言だけでよろしいのでありますが、お話の中に、私の聞き違いであつたら別でありますが、特審局の仕事のようなものをある市がやつておるというお話がありました。これは重大でありますので、どこの市か明瞭にしていただきたいと思います。
  122. 宮澤正有

    ○宮澤公述人 それは具体的にあげますと、私の出身は長野県の松本です。松本の市役所におきましても、最近警察と特審と県の労働部、こういうところと一緒になつて、組合の彈圧をねらうという目標のもとに、今度私の方で地方税の重税に対する反対のビラ事件というものが起きたわけです。このときに具体的に調査がやられる。同時にやはり団体等規正令の事務を市町村がやつておるわけであります。それと関連する人の調査をするために、あそこに出されました団体の名簿を見に来る。こういうような事実ですね。それと同時に今の中の職員は、また警察へ、事もあろうに人を介して、とにかく来いというようなことがある、こういうような情勢の一つとして申し上げたわけであります。
  123. 門司亮

    ○門司委員 もう一つ明確にしておきたい。それは特審局自体の行政の組織の上において行つたのか、あるいは市の行政としてそういう施設を持つておるのかということが問題であります。私は市自身が特審局の仕事をしているということならば問題であります。従つて市でそういう機関をもつてつておるのかどうか、特審局には特審局としての仕事があるから、その点……。
  124. 宮澤正有

    ○宮澤公述人 特審局とは形式的には全然別でありますが、しかし先ほど申し上げました通り団体等規正令というのはそういう仕事をやるもので、私どもは市側においてそれとの関連が問われざるを得ない状態にあります。そういう点で行われておる。従いまして形式的には特審局は地方事務所の方に入つておるわけであります。
  125. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 立花敏男君。
  126. 立花敏男

    立花委員 大田の区長さんにお尋ねいたしますが、区長さんの公述で非常に明確になりましたのですが、ただ一点非常に疑問が出て参りました。同時に今度の区長任命制の本質が暴露されておると思うのですが、それは区長さんのお言葉によりましても、すでに区と都の間に話合いが決定し、円満に理想的な都の行政と区の行政とにつきまして、都全体の行政が実施できるという情勢になつておりましたのを、政府が一方的にその成行きを無視いたしまして、しかも神戸勧告も無視、あるいは自由党の機関にも諮ることなく突如として今回の改正案をお出しになつた。しかも区長さんも唖然とされたらしいし、まつたくその原因が不可解であるということを言つておられるのでありますが、ここに問題の本質があるんではないか、なぜ政府はそういうふうに従来の都あるいは区側の協定を蹂躪し、民主的な意見を聴取することなしに、この問題を出して来たか。それを区長さんは不可解というお言葉で片づけられておるように思いますが、おそらく本質をおつかみだろうと思います。それをどうおつかみになつておるか。私はやはり自治の拡張の上に大きな御仕事をなさるのは、根本的な政府の態度がつかまえられておりませんと、十分な運動はできないと思いますが、この問題をどうお考えになつておるか、明確にしていただきたい。
  127. 代田朝義

    ○代田公述人 ただいまのお尋ねでございますが、都と区との協議の結果一つの憲章というような線が出た。それは二十五年の八月でございますが、それが翌二十六年に遂に都議会と区議会とが全部地方選挙の改選によつてかわつたので、二十六年東京都の方で抹殺したわけでありまして、政府が抹殺したというわけではないのであります。都と区との間できめた、都と区の間で承認した、都と区の議会にかけてきめた問題でありますから、これはあげて法的には根拠がないのでありますが、都と区が両方これに納得し、同意して、そうしてそれぞれ持ち帰つて、それぞれの機関にかけて、はつきりきめた問題でありますから、つまり早くいえば議会の改選があつても、それは一応当時の知事が参画しているんですから、当然二十五年にきまつたことでも二十六年にそれを継承して、実行に移すべきだということを私どもは迫つたのでありますが、東京都の方で早くいえばそれは抹殺してやつた。あれは二十五年度だけのことだつたんだから、二十六年度はおのずから年度もかわり議会もかわつたんだから、別なんだということで、蹂躪されたということを申し上げたわけであります。政府の方から抹殺されたということはないのであります。そこで今度の法案がたまたまそういうふうなことを私どもが全然予知しない間に出て来たということに対して、まつたく唖然としたのでありまして、正常の軌道としては当然これは当時から今度は政府地方制度調査会というものができるだろうということが、はつきりと伝えられておりました。でありますから私どもはそこの委員会を通じ、それから最後に国会に出て、そうして国会で審議されて決定されるんだ、こういうふうに正常なルートを考えておつたわけであります。  それがたまたまぽかつと去年の秋からことしの春にかけて、政府の方で案を極秘裡に——どもは言うておりますが、どこへも話もせずにやつたのでありまして、政府が独自の立場で立案せられた、こういうことで私どもは唖然としたということを申し上げたわけであります。初めて三月一日の朝日新聞で区長任命制ということを報道せられたことによつて、それ以来この運動が国側としては起つて来たのであります。それまでの間は都と区との間はまことに円満に進んでおつたのでありまして、まつたくそのときを契機として、唖然として、同時に運動が活発に行われた、こういうことであります。
  128. 立花敏男

    立花委員 もちろん都側にそういう計画の蹂躪があつたことはその通りでありましようが、やはり政府法案を出しますのに、單に都の意向によつて定められたものではないと思う。やはりこの法案の性質は政府自身の考え方にあり、政府政策の現われ方であると思う。都がそれに便乗しているにすぎないと思う。だから政府がそういう都区間の協議の経過を知つており、しかも神戸勧告にもそうはつきりしたものがないということを知つておりながら、突如として出して来た、その意図をやはりはつきりつかむ必要があるじやないか。われわれはこの問題をはつきりつかむ必要がある。われわれはこの問題をはつきりつかむことなくしては、この区長任命制の本質がはつきりわからないじやないか。宮澤君の陳述にもありましたが、自治体の行政と申しますか、あるいは財政の困窮は戦争準備の方向に明らかになつてつている。こういうことから考えまして、何も私ども東京都の区長任命制の問題は、東京都の郊外にあります第五空軍司令部の所在する横田基地ですね、あれの拡充の問題、あれの補強の問題、あれの安全確保の問題、これとやはりはつきりつながつているのではないか、行政協定によりますと、基地だけが問題ではございませんので、基地の隣接地区あるいは近傍地というような形で、東京都全体が基地の安全のために行政をやらなければならぬ規定がありますので、そういう意味におきまして、都の区長任命制の問題が起つている。都の支配権の問題が起つている。都の警察権の問題が起つている。こういうようなことがはつきり予想されると思うのであります。だから政府はあわててこの問題を出して来て、従来の協議を無視し、神戸勧告を無視して、憲法を蹂躙して、はつきりこういうものを出して来たと考えるのですが、そういうお考えになつておられるか、これが私問題の本質だと思いますがどう考えられるか。
  129. 代田朝義

    ○代田公述人 ただいまのお尋ねでございますが、私どもはそこまでの深い何は関知しておらないのでありますが、ただ私ども常に考えますことは、今度の案は先ほど申し上げましたように、あくまでも政府が独自の立場で、政府がつくつたということで、政府提案ということで與党である自由党にも何らの何もなかつたということは事実でありますが、そういう面から考えて、都の方が政府の原案だからということを、口には言つておるのであります。ところが今日伝えられており、また現実に各方面のいろいろなパンフレツト、いろいろな宣伝啓蒙を努めて都がやつておりますが、これらを見ますると、都が言つておる、政府の案だからそれは事前に国会でどういうふうになろうとも、おれは知らないのだということを口に言いながら、その運動はそれを通すことに、非常に大わらわになつてあらゆる努力をしているという、こういう現実から見まして、やはり政府は、つまり早く言えばこれは私どもの邪推かもしれませんが、また一つの推測にすぎないのでありますが、都が相当その間に関連があつて、できたのじやないかというように推測するわけでありますが、そうでなければ都はむしろ静観して、むだな費用を使わずにいることが賢明な策だと思いますが、非常に都はそれに対してあらゆる努力を払つているという事実がありますので、都が強く推進しているという事実は、それをもつてもうかがい知れるのでありますが、そういうふうに考えておりますが、それ以上の御説のような意図は、どうこうということにつきましては、私どもまだ関知する余地は持つておりません。
  130. 立花敏男

    立花委員 田辺さんにお聞きいたしますが、東京都は一つの統一された自治体である、一つ意思を持たなければいけない。現在東京都は一つ意思を持つておりますが、区側としても二つの意思をつくるとは決して主張しておりませんので、一つ自治体の中でパート、パートが自主的な意思の決定を、その部分に関して行つて行くということは、決して一つ自治体が二つの意思を持つということにはならないと思うのでありますが、その点どうお考えになつておりますか。  それから割拠主義という言葉が出て参りましたが、区長の任命を公選で行いますことは、区民にとりましては決して割拠主義でも何でもありませんので、これこそ民主主義なんです。割拠主義というのは、安井知事の立場から見たら割拠主義になるかもしれませんが、区民の側から見ますと、決して割拠主義にはならないと思うのですが、どういう観点から割拠主義ということを言つておられるのか、それから最後には制度の問題であつて政策の問題ではないと言われるのですが、政策の問題を抜きにして制度の問題は考えられませんし、今回の制度の改革も軍事的な、あるいは植民地的な政策の遂行というところから、はつきり出ておると思うのですが、單に政府政策を離れまして、制度としてだけ問題にしておるとお考えになつておるかどうか、その点をひとつお伺いしたい。
  131. 田辺定義

    ○田辺公述人 この第一と第二は関連しておるようでありますが、東京都の中に二つの意思がないというような御解釈なんでございますが、私はその解釈いたしません。東京都全体に対する意思一つある。それから今度は大田区ならば大田区だけの意思がある、品川区に行くと品川区だけにまた一つ意思がある、その限りにおいて二つの公的生活、二つの意思が重複しておる、これは嚴然たる事実でありますから、その認識によつて御判断なり、御批判なりがあろうと思います。それから割拠主義ということは、私は割拠主義だと思つています。先ほど公述いたしました内容の通りに、一つの集団、それはただ三多摩とそれから古い東京十五区とが一緒になつておるようなのは、これは有機的一体とは、私どもは解釈しないわけであります。しかしながら二十三区の区域は何人も否認できない有機的一体であります。この有機的一体に対して、現在の地方制度がそれを見ておる主義はこれは割拠主義であります。つまりある程度の統制制限を受けておるとはいいますものの、市に準ずるような性格を持つたものが隣合せに二十三ある。そうしてその二十三の区が市に準ずる行政をやつて行きたい、またやり得る。これは私は割拠主義に間違いないと思つております。それから制度政策と申しますが、この政策という言葉の内容は、必ずしもはつきりいたしませんので、あるいは私の用い間違いになるかもしれませんが、制度というものはきわめて冷静な、そうして現実を認めて、それに当てはめる基本的な立法をするのが制度でありまして、政策というのは一つの運用の問題で動的なものであります。しかしながら今日の動きを見ておりますと、何か制度として論者が論ずるのではなくて、政策的な考えにおいて論ぜられることがありますので、この点はその論者の方でも十分戒むべきものと私は考えております。制度政策ということについては、これは国会のお方に申し上げるのは、はなはだ失礼でありますが、私はこれは別物だと考えております。
  132. 立花敏男

    立花委員 安井さんにちよつとお尋ねいたしますが、さいぜんから公述人の中で、特に都の労働組合の副委員長あたりから、都が特別区に対して指示権がない、あるいは都はもう特別区をどうすることもできないんだ、いわゆるばらばらの表現がありましたが、現行法によりましても二百八十二條によりまして、「都は、條例で特別区について必要な規定を設けることができる。」とありますし、それから改正案によりましても「都は、條例で特別区の事務について特別区相互の間の調整上必要な規定を設けることができる。」明らかに都が区に対して現行法でも改正案でも、そういう規定を設けることができるとありまして、決してこれはばらばらではないと思うのですが、その点をどうお考えになつておるか、どうも任命制の百長の方は、ばらばらになるから、統一体だから、ばらばらにしちやいけないんだということがありますが、こういうふうにはつきりと二百八十二條では都が必要な場合、区に対して措置をとることができるという規定がありますので、私どもは決してばらばらにはならないと考えるのですが、その点どうお考えになりますか、承りたい。
  133. 安井郁

    ○安井公述人 先ほど申しましたように、私は自主的な区でありながら、都がこれを連絡調整することは可能であり、現在の制度でもそれは行われると思つております。そうして今後の方向としてはむしろその方向を強化すべきで、いわゆる一元的統一の名のもとに、区の自主性を失わせることは、先ほど来ると述べましたような意味において私は反対であります。そういう意味におきまして、区の自主性を尊重し、さらにそれを育て上げて行くことは、決して全体の統一を破壊するものでないということを、重ねてはつきり申し上げたいと温います。  一応付言しておきたいと思いますが、先ほど来問題の制度政策の問題につきましては、私は今度の改正は申すまでもなく、制度の変更の問題であると同時に、それが重大な政治的、政策的意味を持つものであると、私どもは認識してかからなければならないと思います。私は国際法学者でありますが、今回の平和條約、行政協定、日華條約、それらすべての国際的な條約は、国内のもろもろの制度改正、その他と根本的に連なつておると思います。この認識のもとに、私どもは一地方自治法改正の問題についても、深い連関に立つて、その背後に存するものを見つめて、しつかりと対処しなければならないと思います。  次にこれは私どもの過去の追憶になりますが、いわゆる満州事変、支那事変、大東亜戰争を通じて、一歩々々そこに既成事実がつくられて参りまして、それに対する抵抗力は一歩々々後退いたしました。私自身も最後にその波に巻き込まれた一人であります。もう一度そういう一つ一つの既成事実がつくられて行くことから思いがけない破滅が民族的にも、国民的にも来ることを何とかして防止したい。その意味において地方自治法改正を大局的な視野のもとから取扱つていただくことを、私としては切に希望いたします。付言いたします。
  134. 立花敏男

    立花委員 まことに有意義な御意見をいただきまして感謝にたえないのでありますが、私どもが満州あるいは中国を侵略いたしました場合に、日本の軍隊が占領いたしましたのはやはり各都市つた。そこで占領いたしますと同時に傀儡政権をつくりまして、その都市を支配し、そこを拠点として付近の農村等において彼らの言つておりましたいわゆるパルチザンと申しますか、人民の勢力をいわゆる討伐したわけです。あるいは現在においても、仏印等においては、外国の軍隊がハノイ等の大都市を占拠して、その周辺に軍事基地をつくつて、土民軍と戰つているわけです、解放軍と戰つているわけです。こういうふうに他国の軍隊が一国を支配する場合は必ず都市をねらう、これは歴史上明白です。現実に行われておることです。これはわが日本におきましても、東條軍閥が大陸において行つて来たことなんで、一国の軍隊が他国を支配するのは都市を占拠することです。その支配権を確保することです。こういう意味におきまして、日本の中におります他国の軍隊、アメリカの軍隊が日本を軍事的に支配する場合には、私は必ず都市をねらつて来ると思う。そういうような意味におきまして区長任命制が起つておるのだし、警視総監任命制が起つておるのだし、あるいはその他の地方行政において反動的な、いわゆる復古的な政策の転換が、今行われておるのじやないかと思う。これを私どもはつきり見ていただきたい。その一環として最も露骨に現われて来たのが区長任命制である。だから代田区長ですら唖然とするような、まつたく不可解なこういうことが、突如として出て来ておるのじやないか。しかも杉村さんまでが明白に言つておられるように、憲法の蹂躙すらあえてやつておる。私はこういう事実を公述人諸君に、はつきりと見ていただきたいということを付言いたしまして、質問を終らせていただきます。
  135. 大矢省三

    大矢委員 田辺さんにちよつとお尋ねいたします。先ほど来の公述によりまして大都市東京都制がはなはだ不完全だ。それから大都市制度というものは全体の市政の上から、すなわち行政区であるべきものが、現在のような完全な自治区にもあらず、また行政区にもあらざる中間的なものができたことによつて、こういう問題がある。こういうありのままの公述があつたのですが、まつたくその通り考えております。そこでそういうふうな長年の間に実際体験して来たいろいろな矛盾と申しまするか、不合理が現われて来たと思いますが、午前中に各公述人から問題が出ましたように、都道府県のあり方、あるいはこの二十三区以外の自治区の東京都としての今後のあり方というものを合して、これをほんとうの自治の完全なものにするために、もつと根本的な検討をする必要があるんじやないか、言いかえれば都道府県の問題、さらに東京都の二十三区以外の、そうした完全な自治区とのバランスをどうするかというようなことをも合して、検討すべきではないか。そのためには特別な委員会をつくるか、幸い今度できる調査会でそれを検討するか、いずれにいたしましても、任免だけは早急にぜひともこの機会にやらなければならぬのだと考えられておる理由がわからない。一挙にこれだけをやらずに、そうしたものも並行して完全なものにすべきか必要じやないか、私はこう思う。そこでどうしても任免を急いでやらなければならぬという特殊な事情があるのか。今あなたが申されたように、いろいろ矛盾の点をも合してそれをやるべきが当然じやないか、かように考えるのですが、公述人考え方をひとつ……。
  136. 田辺定義

    ○田辺公述人 私は先ほど申しました通り、現在の都制はきわめて不完全であると思います。でありますが、私は地方制度調査会なら信用できるが、国会の審議ならば信用できないというふうには考えたくないのでありまして、これは国会においてはよろしく審議さるべきもの、ことに特別区だけの問題を急いでやる必要があるかどうかというお尋ねでありますが、これは急いでやる必要ありと確信しております。先ほどどなたかの公述人のお話に、こういうことになればこうなるだろうから、はだえにあわを生ずるということがありましたが、だろうでもつて判断する場合に、はだえにあわを生ずるのはほかにもたくさんあります。しかし今日の都区の問題は、これは現実の問題として、私どもがはだえにあわを生ずる問題であります。これは多分御承知のように、ほとんど内面的に、また事実の上にひどい困つた状態になつておりますから、もし特別区の問題でこの点はこうすべしということがはつきりすれば、それだけ切離して急いで適用されるということは一向さしつかえないし、これは望むべきことだと思つております。
  137. 大矢省三

    大矢委員 私は午前中にもちよつとお尋ねしたのですが、非常な信念を持たれて、どうしても今やらなきやならぬというようにお考えになつておるようですが、こういうことはどうなんですか。東京都内において、これは三多摩、大島も一緒でありますが、五市町村がある。それは私が申すまでもなく完全な自治区なのです。そうして同じ都民でありながら、しかもそれよりか数十倍の人口を擁しております区が、不平等になつた場合の住民の感じですね。これは初めから違うんだ、それは承知の上じやないか、こういつてあきらめられたものか、同じ都民でありながら、なぜ区だけは自治区でありながら、特別区として、そういう差別をして扱わなければならぬか、この不満——そういう不満を持つ方が無理だ、こういう原則のもとにその問題を何とか処理しようとする考えに立つておられるのか。これは現実の問題です。もしそうなればまた次に来る問題、いわゆる残つた市長もいずれ任命するであろうと考えます。そういう信念のもとにやるならば、なぜ一緒にやらぬか、その点で現実の不満、不平、不平等に対する都民の間における考え方をどう調整するか、どういうふうに今後しようとするか、そんなことは心配ないと考えられるか、その一点だけ伺いたいと思います。
  138. 田辺定義

    ○田辺公述人 私は本日は大体事実を述べておりますので、自分の想像とか推察は述べる準備をしておりませんが、けさほど山浦さんでございましたか、その方の質問応答の中に、都民意識はあるが、区民意識は持つておらないというようなことがありましたが、これは私は味わうべき言葉と思つております。それから自治行政において、他の町村のものに比べて、この二十三区の区域は半分しか持たないことになるのは、自治の後退ではないか、こういうことのお尋ねと思いますが、これは私が先刻公述しました中に、選挙は全体の一部分の座を占めるんだということから行きますれば、両方天びんにかけて見て、区民意識はどうありましようとも、都民の幸福、二十三区の住民の幸福が、より高い方に改正案が向くものだどいうことになれば、それはそれで目的を達すべきものではないかと思つております。
  139. 野村專太郎

    ○野村委員長代理 これにて公述人各位の陳述は全部終了いたしました。この際公述人各位に申し上げます。きわめて長時間にわたり、あらゆる角度から貴重なる御意見をお述べくださいまして、本案審査に多大の参考となりましたことを、委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。  それではこれで地方行政委員会公聴会を散会いたします。     午後五時二十九分散会