○八百板
委員 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであ
つて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、」ということは、いわゆる憲法の基本的な原則として、前文にうたわれておるところであります。この基本的な線に立
つてわれわれが
考えて参ります場合に、
警察の行います
権限は犯罪の捜索、犯人の逮捕、公安の維持など、それぞれこの作用は性質上当然に国民の行為の自由を
拘束し、いろいろの
意味において権力の発動によ
つて憲法に保障せられましたところの理想、憲法が理想といたしておりますところの人間の自由の尊厳を
制限する性質のものであります。でありまするから、そういうものでありまするだけに、
警察の
運営、
警察権の行使というものは、より一段と民主的な機構のもとに、
運営せられなければならないということは明らかであります。自由を尊重する民主国家のもとにおいて、
警察の組織がほかの組織よりも一層民主的機構のもとに確立せられなければならないということが重要視せられますゆえんであります。ややもすると権力活動は、憲法の精神を蹂躙する危険があるのでございまするが、その場合において、これらの
警察権の行使が、一部階層の独裁的支配を可能ならしめるような集中的権力と
なつたり、あるいは官僚の支配に堕するようなことは許されないものと、われわれは
考えるのであります。地方自治について憲法が一つの長を求めまして、明確に地方自治の精神をうた
つて、これとの関連において
自治体警察というものを
考えたことも、その間の精神を明らかにしたものであると、われわれは
考えるのであります。でありまするからして、これらの方向は今日
警察の
運営の上に尊重せられなければならない基本的なものであろうと思うのであります。
警察法は第五十四条において「市町村
警察は、
国家地方警察の
運営管理又は
行政管理に服することはない。」と明らかに独立を
規定いたしておるのであります。しかも
警察の指導権を
会議体の
公安委員会に持
つて行
つて、
公安委員会に持
つて行つたがために、
責任の集中と行動の迅速化がいろいろ不便である。
警察行為の原則でありますところの迅速なる行為を達成するために、こういう分散した状態が不便であるという
考え方は、一応これはうなずくことができるのでありますが、だからとい
つて、この制度の本来持
つておりますところの重大な意義というものを、もつとよくするという努力をしないで、これを單に
警察権の一本化、首相によるところの
警察の長の
任命、そういう形においてこの問題を救済、解決しようという
考え方は、明らかに憲法の精神に反し、平和国家、文化国家の建設の方向に逆行するものであると、われわれは断定せざるを得ないのであります。さきに当
委員会において伺いましたところの橋本
公安委員長の陳述によりますると、今日
公安委員会の任務は非常に重い。重いけれ
ども機能が弱められておるということを、明らかに指摘せられておるのであります。
従つてこうした憲法の精神に基き
警察の問題を
考えますときに、われわれがまず第一に取上げなければならない点は、この
公安委員会の機能をもつと強くし、どうして解決するかという点にその改善の第一点は向けられなければならないと思うのであります。しかるに
政府の出されましたところの
提案を見ますると、そういう方向とはおよそかけ離れた形において
政府提案がなされておるということを、われわれはまず第一に
反対の
理由としてあげなければならないのであります。
さらに
自由党の
修正案を拝見いたしますると、第十二条に関する部分については、これによ
つては何ら問題は解決せられないのでありまして、十二条の
自由党の
修正は、
改正の必要を要しないとわれわれは
考えるのであります。
政府が
提案の
理由として取上げております点は、言うまでもなく
責任の所在を明らかにするということ、
治安の確保に資するということ、この二点を取上げておるわけであります。しかしながら
責任の所在を明らかにするという点が、これらの
政府原案、
政府改正案並びに
自由党修正案によ
つて、どの
程度明らかにな
つておるかという点を見ますと、
責任の所在を明らかにするという点は、何ら明らかにな
つておらないのであります。端的に申し上げますならば、
治安の乱れて来る
政治的な
事態の
責任は、何ら
政府が負うことなく、單に
警察行為そのものの
責任についてのみ、これを
警察官の首切り等によ
つて責任を負うというような
考え方が、この
法律案の中に明らかに流れておるわけであります。さような点から
考えて参りますならば、これは
責任はとらないで、実質的な指揮をや
つて、ただ單に首相の指揮下に入れるということだけを
規定したものと、われわれは
考えざるを得ないのであります。
さらに改進党の
修正案について
考えてみまするに、第十二条を削除したということは、まことに喜ばしい
修正案であるとわれわれは
考えるのでありますけれ
ども、次に
公安委員会の性格の変更、改変等についてこれを見て参りますと、必ずしも
公安委員会の機能をより民主的なものにするための改変、変更であつたとわれわれは認めるわけには行かないのであります。
さらにまた重大なことは、改進党の
修正案の中に、六十一条の関係部分すなわち六十一条の二の点については、こういう
事態をというふうに、一応列挙はいたしておりますけれ
ども、事実上において
政府の
改正案をそのまま承認したという結果にな
つておることを、われわれは遺憾としなければならないのであります。
さらに
治安の確保の点について
考えて参りまするに、今日
治安の確保をするためには、
治安の阻害とな
つているものが何であるかということを
考えなければならないのであります。今日
治安の確保の阻害にな
つているということは、決して
警察の
任免権が一本化されておらないとか、
国家警察への集中的な
警察権力の一本化が行われておらないとか、そういうことによ
つて、今日
治安の確保が阻害されておるということは、だれもこれを言うことはできないのであります。
従つて今日の
治安の確保は断じて国家中心の
警察権の集中、そういうことによ
つて救済されるものではないと、われわれは
考えなければならないのでありまして、むしろ今日の
治安の確保のために必要なことは、
運営そのものを民主化することであり、さらに
警察官の質的な向上をはかる、こういう点にこそ
治安の確保の具体的な道があるのではないかと私は
考えるのであります。もつと
警察官が
治安維持の担当者として信頼されるような、民衆の心からなる協力を得るような
警察官をつく
つて、
警察制度の改善を
考えて行かなければならないのであります。とりわけ巡査の質的向上が今日必要であろうと思うのであります。今日われわれが世相を見ますときに、遺憾ながら民衆の
警察が民衆から愛されるどころか、かえ
つてきらわれておるという現状を、われわれは率直に認めなければならないのでありまして、こういう点にかんがみますときに、学生とむきにな
つて、四つにな
つてけんかをするような巡査であ
つては、これは今日の
日本の
事態を収拾し、
治安維持の任をゆだねることはできないのでありますから、これらの
警察官の公正なる職務の執行ができるような質的な向上を
考え、さらにまたこの
運営の民主化をこそ、いろいろとくふうして行かなければならないと思うのでございます。申すまでもなく、農村などに入
つて参りますと、御承知のように村に駐在巡査というものが一名おりますが、この駐在巡査の村における位置というものは、私から
説明申し上げますまでもなく、村長あるいは学校の校長先生、あるいは駅長さんこういうような人とほとんど同格の
立場において、村の中においては一巡査の地位が取扱われておるということは、皆さん方も御承知の
通りであります。ところがはたしてそうならば、なるほど制服を着て金ピカをつけておりますから、そういう点においでは違
つておるでございましよう。しかしまつ裸の人間としてこれを見ました場合に、はたして、村長と同格の人間であり、あるいは駅長と同格の人格を持つた、訓練された人間であるかどうかということは、きわめて疑わしい場合が多かろうと私は思うのであります。
私は、蛇足になるかもしれませんが、ここに参考までに一つのものを読み上げてみたいと思うのでありまするが、あの「パリの空の下セーヌは流れる」という映画の中に出て来る問題でございますが、この記事を見ますると、これは写真家――顔などを非常に重要視しますところの写真家の短かい随筆でございまするが、「工場のストライキの場面があるが、そのストの警備に当
つている巡察の顔が非常にうまみのあるいい顔なのである。そして警備をしながらも和気あいあいとしている。大体ヨーロツパの巡察は四十歳から五十歳ぐらいの人が多くて、
日本のように、ばかばかしいいばり方をするようなこともなく、まつたくの社会のために奉仕する隣人の感じである。そんな点で
日本の巡査とは何か心構えが異なるように思える。年が若いこと、社会環境による人格が完成していないことなどがそうするのであろうが、
日本の巡査の味のない顔は、女子供はもとより、私たちにも親しめない。」ということが、写真専門家の言葉として出ておるのであります。こういう
印象のもとに、今日の
治安担当の
警察官が
考えられておるということは、非常に重大なことであるとわれわれは
考えるのでありまして、こういうふうな点にこそ、
警察の親しまれる、質的な向上にこそ、いろいろの
警察法改正の努力がなされなければならないと、われわれは
考えるのであります。
私
ども日本社会党第二十三控室の
立場といたしましては、とりわけ平和非武装憲法を特に支持する
建前をわれわれはと
つておるのであります。
従つて国内の秩序維持の担当者としての
警察官に期待する面は、より一段と大きいということを
考えていただかなければならないのであります。しかるにこの
警察法の
改正によ
つて、公正なるべき
警察官の諸君が、時に私兵化し、あるいは一部官庁の独裁的支配を可能ならしめるような権力化の傾向に行くということは、とうていわれわれの賛成することのできない点であります。
さらに法文の点について、特に私はこの際申し上げたい点は、第十一条に関する問題でございまするが、特に必要がある場合においては、
総理大臣は全国の
警察を
指示する
権限を持つことになるのでございまするが、そのときの事実上の本部の役割を果すものは、第十一条に定められておりますところの
国家警察本部であります。これは特に国家
公安委員をたな上げして、
国家地方警察本部にそういう
事態の中心を置くというところに、非常に重大なる問題があると、私
どもは
考えなければならないのであります。しかもこの特に必要があるという
事態は、もしこの
法律が
通りまして、独立して行われまする場合においては、
制限なく繰返されるという危険があるということも、あわせて
考えなければならないのであります。たとえばか
つて検束の時間は二十四時間ということを定めました時期においても、二十四時間で一ぺん出して、玄関からまたもう一ぺん入れて、そうして繰返すということが行われた時代があつたのでありますが、必要なる
事態は
制限なく繰返して、これを常態化するということを、非常にわれわれは重大なるものとして指摘しなければならないのであります。それと関連いたしまして、きわめて重大なことは、
警察法の六十五条並びに六十六条は、御承知のごとく、
内閣総理大臣が発した
国家非常事態の布告は、これを発した日から二十日以内に国会の承認を得なければならないということを
規定いたしております。さらにまた
警察法の第六十六条は、これらの布告に対して国会が命ずるときは、
内閣総理大臣は廃止の布告をしなければならないということにな
つて、いずれも全国一本の統一的
警察権力の行使は、国会の承認した限りにおいて、一時的に許されるものであるということが、明らかに
警察法の中に
規定せられておるのであります。だれが見ても当然と認められるような非常の
事態においてすら、その
権限の行使、
警察権の一本化については、国会の承認を条件としておるのでありまするが、もつとそれよりも軽い問題について、以上申し上げましたように、
内閣総理大臣の指揮下に入
つて、そのことが、何ら国会等において監視せられることなく行われるということは、この六十六条に
規定いたしましたところの
警察法の
根本的な精神と、はなはだしく離れるものであると私
どもは
考えざるを得ないのであります。
以上私は
警察法の一部
改正案に対して、
政府提出の
原案に
反対し、
自由党の
修正案、改進党の
修正案に対して、それぞれ賛成できないということを明らかにするものであります。