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1952-02-22 第13回国会 衆議院 大蔵委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年二月二十二日(金曜日)     午前十時四十七分開議  出席委員    委員長 佐藤 重遠君    理事 小山 長規君       有田 二郎君    川野 芳滿君       夏堀源三郎君    三宅 則義君       宮原幸三郎君    武藤 嘉一君       宮腰 喜助君  早稻田柳右エ門君       松尾トシ子君    高田 富之君       深澤 義守君    久保田鶴松君  出席公述人         一ツ橋大学教授 井藤 半彌君         日本医師会副会         長       武見 太郎君         日本証券投資協         会理事     飯田 清三君         国鉄労働組合書         記長      太田 末男君         全国商工団体連         合会会長    河野貞三郎君         国民経済研究協         会理事     藤井 米三君  委員外出席者         議     員 丸山 直友君         專  門  員 椎木 文也君         專  門  員 黒田 久太君     ————————————— 公聴会意見を聞いた事件  今回の税制改正各案について     —————————————
  2. 佐藤重遠

    佐藤委員長 これより大蔵委員会公聴会を開会いたします。  御承知のごとく、本委員会におきましては、ただいま所得税法の一部を改正する法律案法人税法の一部を改正する法律案相続税法の一部を改正する法律案、及び砂糖消費税法の一部を改正する法律案の四つの税制改正案について審査中でありますが、これら税制改正案国民生活に影響するところ大であり、本委員会としては重要な歳入法案と認めまして、今回公聴会を開会することといたした次第であります。本日の問題は今回の税制改正案についてでありますが、公述人方々におかれましては、今回の税制改正案について忌憚のない御意見の開陳をお願いいたしたいと存じます。  なお本日の公述人方々のお名前は、お手元に配付いたしてあります印刷物の通りでありまして、発言の順位につきましては委員長に御一任願いたいと存じます。それから発言時間についてでありますが、お一人約三十分以内ということでお願いいたしとうございます。  それではこれから公述人方々の御意見を拝聴いたします。まず最初に一ツ橋大学教授経済学博士井藤平彌君にお願いいたします。
  3. 井藤半彌

    井藤公述人 一ツ橋大学東京商科大学教授井藤半彌であります。御命令によりまして税制改革案について公述いたします。  公述いたしますにつきまして大体二つにわけたいと思います。一つは今度の税制改革に限らず、税制一般の問題、もう一つは今度の税制改革に関連する問題、この二つにわけさしていただきたいと思います。このうち一般的の問題ということは、実はこの大蔵委員会にお招きにあずかりまして、絶えず繰返しておるところでございまして、ただ材料、資料を新たにいたしただけでございますが、しかし税制を研究するにあたりまして、こういう一般的のことはどうしてもその背景として持つておく必要があると思いますので、きわめて簡單に一般的のことを申し上げます。  そこで昭和二十七年度の予算によりますと、一般的のことと申しますのは、税金数量及びその種類の問題でございますが、まず数量から始めますと、昭和二十七年度の税金は御案内通り租税及び印紙收入が六千三百八十一億、専売益金が千三百十三億、合計いたしまして、広い意味国税が七千五百九十四億であります。それから地方税でございますが、これは大ざつぱな推算でありますが、二千七百七十七億といわれております。そこで両者合計いたしますと、国税地方税を通算いたしまして、昭和二十七年度は一兆三百七十一億となつておるのであります。  そこでこの数量が実は一体国民経済という立場から見て多いか少いか、これについて一番普通に行われる方法は、租税国民所得で割算する。これはもう絶えず行われている方法であります。それをいたしますと、昭和二十七年度は二一%であります。国税のみをとりますと一五%、これは政府作成の書類でもそうなつています。多少一%くらい違うかもわかりませんが、これは井藤計算でございますので、あるいは間違いであるかもしれません。昨年度は同じく国税地方税を通算いたしますと二一%、国税のみをとりますと一五%、全然パーセンテージは同じことであります。ですが昭和二十四年度シヤウプ勧告以前はどうだつたかというと、二九%であります。これが一番パーセンテージが高い。それがずつとさかのぼつて日華事変以前の昭和十年度は一三%、そこで租税国民所得に対する割合から申しますと、シヤウプ勧告以前の昭和二十四年度以前に比べますと、低くなつておりますが、昭和十年度に比べますと、かなり現在重いということが言えます。ところがこれが当てになるようでならぬということは、絶えず多くの方がおつしやる通りでありまして、これは一応の参考の程度でありまして、これによつてすぐに国民租税負担が、重いの軽いのということを議論するのは、だれかのお話ではありませんが、議論の飛躍だと思うのであります。そこでもう少し真相に近い数字を出せないものかというので、私は前回のこの大蔵委員会公聴会でやつたと思いますが、もう少し真相に近い数字を出してみたのであります。それはエンゲル係数、われわれの総支出のうちで食費が占めておる割合、このエンゲル係数によりましてわれわれの国民所得から食費部分を引いた残り、これを負担能力の最大限と解釈いたしまして、租税をそういう意味負担能力で割算をやりました。この数字を絶えず私申しておるのであります。今回もその方式によりましてて、その計算をやりました。そこでエンゲル係数を幾らと推定するか。それが昭和二十七年度を——これはまだ将来のことでありますが、いろいろの趨勢から判断いたしまして、エンゲル係数はまず五〇%と推定いたしております。それから昨年度はエンゲル係数は五四%、おととしの二十五年度は五五%、それから二十四年度が六〇%、二十三年度が六三%、昭和十年度が三四%、そういうことを前提といたしまして、租税負担能力に対する割合計算いたしますと、次のような数字が出るのであります。昭和二十七年度は四二%、二十六年度は四六%、二十五年度は五〇%、二十四年度は七二%、二十四年度はやはり一番重いのであります。それから戦争前の昭和十年度は一九%であります。この方が租税負担を表わすものといたしましては、より真相に近い数字だと思うのであります。  そこでアメリカイギリスではどうだと申しますと、昭和二十六年度、去年はアメリカ租税国民所得に対する割合は二七%、イギリス租税国民所得に対する割合は三七%、みな日本よりは軽いのでありますが、そのかわりエンゲル係数は向うは非常に低い。アメリカは三二%内外イギリスなどは三八%内外でありまして、これを計算に入れますと、日本の現在の租税負担というものは、かなり重いということが言えるのであります。これは毎年資料を新たにいたしましただけで、同じようなことを申し上げまして恐縮でございますが一応申し上げます。  それから一般的の内容でありますが、その内容についていいか悪いかの判断は、一番普通のやり方、また一番便利なやり方と思いますが、それは税を直接税、間接税租税負担にわけてみて、それによつて判断する方法であります。私この機会に特に申し上げさせていただきたいことは、これは実はこの前の公聴会で申し上げたことでありますが、それはどういうことかと申しますと、一体直接税とは何か。間接税とは何か。きわめて教科書的なことを言うようでありますが、この教科書的のことを言う必要があるから言うのであります。というのは人によつてみな違うのであります。もちろん所得税が直接税であり、物品消費税間接税である、こういう問題はもうすべて問題はないのでありますけれども、何が直接税か、何が間接税かという二つ概念については、非常にまちまちであります。人によつてみな微妙なところは違うのでありまして、これを私は何とかはつきりとさす必要があるのではないかと考えております。一番普通の解釈は、直接税というのは皆さん案内通り、国家がその税金負担せしめようと思うものから直接とるのが直接税と思う。間接税はそうでないものからとつて価格引上げの形で転嫁するような間接税がございます。これは普通に行われている解釈であります。ところがこの解釈をとりますと、実は次に述べるような困つた、理論的に申しまして変なことが起るのであります。それは遊興飲食税であるとか、入場税であるとか、これはたれが見ても消費税であります。ところがこれは直接税になるのであります。そこで直接消費税という中間の変な概念ができまして、遊興飲食税など直接税に入れざるを得ない。これはどうも変なのであります。  それで私は次のような説をとる方がいいのじやないかと思う。これは私が初めて言うわけではなく、学界で一言われておるのでありますが、それはどういうことかというと、直接税とは負担能力を直接に表わすもの、すなわち所得高または財産高、この負担能力を直接に表わすものでありますので、そういうものを標準としてかける税金、これが直接税だ。間接税というものは負担能力、すなわち所得または財産のありやなしやということを、間接に推定せしめるものを標準として税金をかける。たとえば消費とかなんとかいうものは、消費があれは、遊興があれば、これは財産所得に結びつくものと間接に推定ができます。そういう場合にとるのが間接税、そういうふうに解釈いたします方が、よりいいのじやないかと思つておるのであります。  そこで大蔵省主税局発表統計では、直接税と間接税とその他のものとなつておりますが、大蔵省のいうところのその他のものというのは、私の申します解釈をとれば全部間接税に入るのであります。そういう意味で直接税と間接税解釈いたしまして、そうして国税関係だけについて、これを直接税と間接税とに区分いたしますとどうなるかということを、パーセンテージだけ申し上げます。そういたしますと昭和二十七年度は直接税が六〇%、従つて間接税は四〇%であります。もちろんこの間接税の中には相当専売益金が入つております。それから去年はどうであつたか。もちろん補正予算を加えてでありますが、去年もやはり同じパーセンテージでありまして、直接税が六〇%、間接税は四〇%、これもよく一致しているのであります。それから二十五年度はどうかと申しますと、直接税が五六%、間接税が四四%、それからシヤウプ勧告以前の二十四年度は、直接税が五七%、間接税が四三%、それからずつとさかのぼりまして戦争のまつ最中の昭和十九年度は、直接税が六七%、間接税が三三%、このころは非常に直接税が多かつたのであります。それから例の戦争前の昭和十年度は、面接税はわずかに四一%、間接税は、五九%となつております。  そこでこの趨勢を見りますと、日華事変以前の昭和十年ごろは、直接税が非常に少くて間接税が多かつた。これは反動的とかあるいは大衆課税が多いとかなんとか批評があつた。確かにこれは正しかつたのであります。ところが戦争が進むに伴いまして直接税を非常にたくさん増税いたしましたために、昭和十九年度は直接税は六七%で間接税は三三%。それでこれは確かに少くとも租税制度という点から申しますと、いい傾向であつたのであります。ところが終戦後また間接税がふえる傾向が起りました。これはもう皆さん案内通りであります。ところが去年の昭和二十五年ごろからまた直接税がかなり重くなりつつある。直接税の比率間接税に比べてふえつつあるという現象に、お気づき願いたいと思うのであります。これは財政学の常道から申しますと、直接税が多い方が望ましいことであり、間接税が少い方がまたいいということは、言うまでもないことであります。しかしこれも私絶えず申し上げさせていただいております通りに、現在わが日本におきましては、直接税と間接税を区別するということは、割合意味がないのじやないか。と言うのは、直接税を払う者も間接税を払う者も両方とも同じでありまして、間接税大衆課税であるのみならず、現在のわが日本におきましては、直接税もまた大衆課税なんであります。直接税は金持ちが払い、間接税は貧乏人が払うものだというのは抽象論でありまして、わが日本では両者ほとんど同じであります。  これを数字で申しますと、両方とも大衆課税であります。数字で申しますと——これはよく言うことでありますが、ただ計数がわかれているだけでありまして、これはもちろん推算でありますが、昭和二十六年度の所得税申告納税についての統計を見ますと、基礎控除扶養控除等のいろいろの控除以前の一年の総所得金額三十万円以下の人員が、所得税申告納税者三百八十万人のうち八一%。所得金額で見ますと、申告納税所得金額合計八千四百八十九億円のうち、三十万円以下の者が六〇%であります。まあ大体日本では三十万円以下の連中が、所得税の大部分を払つていると解釈していいのであります。それで三十万円以上と言うと多いようでありますが、井藤級でも三十万円を突破しているのでありまして、これが大したものではないことは申すまでもないことです。たとえば昭和十年と現在の物価指数を比較いたしますと、大体三百倍になつていますから、三十万円と申しましても、昭和十年ごろの貨幣価値に直しますとわずかに一千円です。昭和十年ごろは個人の所得税すなわち第三種所得税は、千二百円未満は免税であつたのですから、現在は昭和十年ごろたつた免税であつた連中が大部分所得税を払つている。だから直接税も間接税大衆課税だ。そこでどちらも同じなんだから分類は割合意味が少い。そこで私は、これも絶えず申し上げていることでございますが、直接税よりも間接税の方が、納税の便宜という点についての長所がありますので、はなはだ嘆かわしい次第でありますけれども、日本の国情から言いますと、当分の間は間接税に重点を置く方がいいのじやないかと思うのであります。これは念のために申し上げておきたいのですが、私は間接税を特に重くせよというのではございません。日本の現状としては税金が重過ぎるから、減税をやるのだつたらまず直接税の減税をやつていただきたい。と言うことは間接間接税比率が重くなる、そういう趣旨でございます。これは一般的のことでありまして、一般的のことが少し長くなり過ぎまして恐縮であります。  そこで以上申しましたことを背景といたしまして、今度の税制改革案内容について、卑見を申し上げさせていただきたいと思います。  申すまでもなく今度の税制改革案は、根本的改正というのではなくて部分的改正であります。従つて割合に問題が少いのであります。それから部分的改正のうちの所得税税率云々も、もう大体この前の国会で方針がきまりかけたのを、すなわち臨時措置を平年の措置に直したものでありまして、そういう意味において割合に問題は少いのであります。それで私は結論を申しますと、大体今度の税制改革案は、達観いたしましていい案だと思つております。しかしながら問題はないわけではございませんので、私は問題のあるところだけを指摘して申し上げたいと思います。  まず所得税から始めます。そこで所得税につきまして、一体減税だ、減税だと政府当局言つておられるが、はたしてこれが実質的に見て減税になるかならぬかということが、これは所得税だけの問題でございますが、問題になつているようであります。これは確かに同じ金額を比較いたしますと税率は低くなつている。基礎控除とか扶養控除上つた。ですから形の上ではもちろん減税になつていることは、言うまでもないのでありますが、実質的に見てこれが減税になるかどうか。これを判断するやり方はといいますと、これも私二年半ほど前に申し上げさせていただいたことでありますが、その間の物価の変化すなわち貨幣価値変動を調査する。たとえば一万円に対して一〇%の税金は千円です。ところが物価が二倍になつていれば、二万円に対して一〇%の税金がかかつてやつと同じことになる。そういうふうに貨幣価値変動と対応せしめて税率やその他を比較する。こういうことによつて実質的に見て減税かどうかということが、問題になつているようであります。実は二年ほど前のこの公聴会におきまして例のシヤウプ勧告が出ましたときに、所得税についてはありらゆる所得階層について、シヤウプ勧告では減税になつているというようなことを言つてつたのでありますが、あのとき私は、今申しましたような計算方法をいたしますと、そうではなくて、一部の者については確かに減税になつているのだけれども、一部の者については増税になつているということがあつたのであります。その同じ方法をきようとつてみました。ところが結論を申しますと、私は減税だと思うのです。但し市町村民税は人づておりませんので、御注意願います。なぜ実質的に見て減税かと言いますと、私の比較いたしましたのは昭和二十五年——と申しますとシヤウプ勧告による新税制が実施された年であります。その昭和二十五年と今度の改革案と比較してみて、実質的にやはり所得税については減税だと私は言いたいのであります。それで結局物価が問題なのでありますが、総理府統計局調べ消費者物価指数、これは全都市のものをとりました。それをとりますと、昭和二十五年の四月が物価指数一二四・三であります。ところが最近の物価指数、これは昭和二十六年十二月のが最近でありますが、これは一六二・八。そこでこの間の物価騰貴割合を見ますと三一%、大体三割騰貴していることになるのであります。それからもう一つ東京卸売物価指数をとりますと、これは五七%の騰貴となつておりまして、これは大分騰貴率が大きい。どちらをとるかと言いますと、やはり国民生活の点から、消費者物価指数をとる方がより適切と思いましたので、私はシヤウプ勧告を実施した昭和二十五年に比べて、今大体物価は三割騰貴している。そういう立場から基礎控除扶養控除その他を見てみます。そうするとやはり單に税率調整だけでなくて、実質的に減税になつているということを言いたいのであります。  まず基礎控除でありますが、昭和二十五年度は二万五千円が基礎控除でありましたが、今度は五万円を基礎控除する。そうすると、三割物価騰貴しておるのですが、控除率は倍になつたのでありまして、これは確かに減税であります。  それから扶養控除でありますが、昭和二十五年度は、一人につきまして一万二千円を引いておりました。ところが今度の改正案では、三人までを二万円にする。これも控除金額が三割以上にふえておりますから減税であります。ただ四人目はどうかというと一万五千円。これは一万二千円が一万五千円になつたけれども、大体三割くらいしか上つておりませんので、数字から申しますと減税でありますが、実質的にいうと減税ではないのであります。  それから税率について申しますと、これは煩雑だから一々申し上げませんが、税率を今申しましたようにずらして比較いたしますと、これは確かに税率は低くなつております。そういう意味において今度の所得税税率や諸控除の修正というものは、実質的に見まして、單なる数字——貨幣価値変動に伴う税率調整だけではなくして、実質的にも減税になつておるということは言えます。ですが、私は政府のこの案について、次の点は遺憾であり、反対であります。それはどういうことかと申しますと、勤労控除についてであります。勤労控除につきましては一五%の控除をやつております。これを上げるか上げないかに問題があります。ところが勤労控除につきまして、最高三万円というものが二年半前から依然としてすえ置きになつております。そこで今の私のやり方で言うならば、ほかの控除上つたのだから、最高三万円というと、結局二十万円以上は、いくら勤労所得があつても引かないのでありますが、貨幣価値の下落という点から考えますと、勤労控除一五%、但し最高三万円を超過した場合には三万円で打切る、三万円という天井が二年前と全然同じになつておるということは、私はよくないと思う。それはもつと上げなければ、ほかの負担と比べまして、均衡を失するのではないか。今度の改正案でこれが出てないということは、遺憾に存ずる次第であります。  その次に所得税につきまして、私が今度の政府改正案について遺憾と存ずる点を述べますと、譲渡所得の問題であります。相続の場合の譲渡所得相続をした場合に、相続財産を評価して譲渡所得があれば、相続税がかかるほかに所得税がかかる。これは当然のことであります。ところが今度の改正案を見ますと、非課税つまりこれは税金をかけないことになつたのでありますが、これは租税理論立場から見れば非常によくないのであります。この譲渡所得、英語で申しますキヤピタル・ゲイン課税ということは非常にむずかしいのでありまして、世界立法例でもまちまちであります。英国におきましては、相続の場合も相続以外の場合も、譲渡所得には全然税金をかけておりません。ところが英国の学者は、これは英国所得税法の大きな穴であり、大きな欠陥であると指摘しているわけであります。ところがアメリカではどうかと申しますと、キヤピタル・ゲインつまり譲渡所得には、原則として課税しておるのであります。ところが相続の場合だけ免税にしております。これはアメリカ制度の欠点といわれておる。わが日本はどうかというと、従来の制度は、あらゆる場合、あらゆるキヤピタル・ゲインに対して、相続の場合も免税にしないで税をかけておつた。この点は、大げさにいえば、世界最良制度であつた。これは少し言葉が大げさでありますが、制度が最良でも実際運営ができているかどうか知りませんが、とにかく制度の精緻なること世界第一であつた。ところが今度はアメリカの悪例にならいまして、アメリカ並にならおうというのですから、これは少し改悪じやないかと思つておるのであります。この問題に限らず、譲渡所得課税というものは、シヤウプ勧告におきましても、これは非常に重要な中核体をなしておるのでありますが、なかなかうまく行かない。譲渡所得課税がうまく行かないということは、なかなか問題があるのでありますが、相続税についてわざわざ改悪するのはどうかと思つております。これは私は御撤回願いたいと考えておるのであります。しかもこの結果を見ますとどうかというと、この相続の場合の譲渡所得非課税にすることによつて、だれが利益を受けるかというと、大体大相続財産を受ける者が利益を受ける。小相続者、つまり相続財産金額少い者利益を受けない。これは今度の政府税制改革案を見ますと、山林所得、一時所得及び譲渡所得を合計いたしまして、十万円の控除を認めております。だから非課税にしようと、従来の通り課税しようと、十万円控除してもらえますから、課税にしようと非課税にしようと、あまりかわらない。それを突破する場合が問題になる。そういう意味において、大相続財産相続者優遇の結果になるのでありまして、この制度はどうかと思うのであります。察するに、なぜこういうような改悪が行われようとするのか。これは私は株式評価が困難だという理由に基くのだろうと思う。そういう実務上の理由、これは確かにそういうことはあると思います。これはしかし何とかごくふうを願いたいのであります。この問題に限らず、最近の情勢を見ますと、無記名定期預金を復活するとか、あるいは課税にいろいろ手かげんするというようなことは、どの程度できるかわかりませんが、そういうことが予期されておるのでありまして、これは課税立場から言うならば、あくまでも税法通りに厳粛に御履行願いたい。負けるべきものは、あくまでも法律によつて負けるということをしていただきたいのでありまして、そういう手げんとかその他いろいろな方法によりまして、一部税金を負けたり重くしたりするということは、租税制度の乱れるものとなりますので、その点は何とかお考え願いたいと思います。ことに今度の税制改革におきましては、源泉徴收の範囲が広がつて参りました。それだけ源泉徴收の部分は、税金を厳重にとられるということになる。だから源泉徴收でない賦課課税の方面も、それと歩調をそろえて厳重に御履行願いませんと、いろいろその間に不均衡なことが起るわけであります。相続税についての問題はそれだけです。  次は法人税でありますが、注入税は今度の税法改正では、きわめて問題は少いのでありまして、特に申し上げたいことはございません。ただ去年の秋、ここに公聴会ではございませんが、参考人としてお呼びくださつて意見を述べさせていただいたときに、申し上げましたことでありますが、この点が私はまだ欠陥だと思います。それは厳密に言うと所得税の問題でありますが、個人が配当金を法人からもらつた場合、個人に所得税がかかりますが、それについて二五%の所得控除をやる。二五%に当る金額所得から引いております。ところが所得税の最低率は幾らかというと二〇%であります。所得税の最低率よりも控除率が多いために、下の方におきまして、累進税が反対に逆進税というような変な結果が出て来ておるのでありますが、この点は何とか御修正願いたいと思うのであります。  次に相続税の問題でありますが、相続税についての大きな問題は、基礎控除十五万円を三十万円に引上げた。これはたいへんけつこうだと思います。シヤウプ勧告から今日まで、物価は三割上つておる。それに対して基礎控除を倍に上げたいということは、確かに減税なつたことでたいへんけつこうなことであります。もう一つは、税率を全面的に引下げたこと。従来は二十万円以下二五%から、五千万円を越える金額は九〇%という重い相続税がかかつておりました。今度はこれが二十万円以下は二〇%、一億円を越えるものは七〇%とうんと安くなつたことは、非常にけつこうなことであります。但し、これもシヤウプ勧告が実施された当時に比べて軽くなつたというだけでありまして、昭和十年ごろに比べますとやはり重いのであります。昭和十年ごろの遺産相続税税率の、最低一%から最高二一%に比べますと、なお重いということが言えるのであります。それからもう一つここで問題になるのは、所得税最高率と相続税最高率との関係であります。御案内通りわが日本では所得税最高率が五五%、相続税最高率が、今度の改正案によりましても七〇%、それで世界各国、アメリカでもイギリスでもドイツでもフランスでも、みな所得税最高率は、相続税最高率よりも高いのが普通であります。それから日本では、シヤウプ勧告以前におきましては、所得税最高率は相続税最高率より高かつた。ところが、今度はシヤウプ勧告によつて逆になりまして、所得税最高事は相続税最高率よりも低い。これに対してはいろいろ問題があるのでありますが、私は結論を申しますと、現在の日本制度ではそれでいいと思つております。それで所得税最高率が五五%で、これに富裕税という形の補完税がかかつております。それを所得税に直しますと、これは相当に高いものになるということが一つ、もう一つは、所得税を重くする方がいいのか、相続税を重くする方がいいのかと申しますと、勤労意欲を阻害しないとか、あるいは個人の資本蓄積を勧めるとか、そういう社会政策的な考慮、それから生産の増進という立場から見ますと、やはり所得税を軽くして相続税を重くする方が合理的だと思うのであります。  そこで今度は日本相続税の欠陥でありますが、日本相続税世界最初の制度であります。シヤウプ勧告によつて世界最初の新税が二つできました。一つは御案内の附加価値税、一つはこの相続税であります。名前は相続税でかわつて起らぬようだけれども、内容は非常にかわつておりまして、これは英語でサクセツシヨン・タツクス、ラデイツクというアメリカの人が一九四五年に唱えたものでありまして、きわめて精緻なものであるということは皆さん案内のことであります。それでこれはどういうのかというと、皆さん案内通り相続であろうと何であろうと、とにかく個人を中心として、井藤なら井藤という個人を中心にして、もらつた財産を通算し、一生を通じて三十万円を引いて税金をかけよう。これはなかなかいい税金のようでありますが、しかしながら次の点が重大な欠点であります。それはサクセツシヨン・タツクスでありますので、累積をいたしまして、そして一生を通算して三十万円を引くというのであります。これには一つの大きな前提があります。それは貨幣価値が変化しないということであります。ところが貨幣価値は必ず変化するのでありまして、これをどうするか。これについてはシヤウプも何ら答えを與えておりませんし、日本税制については依然ほうりつぱなしになつておりますが、これがきわめて大きな欠陥であります。これを調整するにはどうしたらいいか。言うまでもなく物価指数によつて、これを調整するのほかはないと思うのであります。これは精密なだけに大きな欠陥だと私は思つており、改正の要あるものと考えております。  それからその次は砂糖の消費税でありますが、これは引上げです。これは関税をも含めまして、小売価格の約三割くらいの税金となるのでありますが、私は物品税その他の関係を見まして、これはやむを得ぬことだと思つております。  要するに、今度の改革はみな部分的改革でありまして、私は大体この改革案に賛成でありますが、個々の問題について賛成できない点は、さつき指摘した通りであります。  それからもう一つ、この機会に申し上げることをお許し願いたいと思いますことは、どうもわが日本におきましては、必要もあるのですが、改革が多過ぎる。日本ほど租税制度の伝統のない国はないので、所得税についても、これは英国式であるとか、何式であるとかいうように、アメリカ式、イギリス式、ドイツ式、〇〇式というようになつておるのであります。これが私はいけないというのじやありません。あやまつて改めるにはばかることなかれかどうか存じませんが、これは自分がすき好んで別にこれをかえておるのではないかもしれませんが、もう少し伝統ができないと、国民が困るのであります。だからどうしてもかえる必要があるならば、かえなければならぬのでありますけれども、どうか伝統のできるようにやつてもらいたい。そうしないと、われわれは租税制度になれませんので、それがために脱税があつたり、無意識による滞納も起つたりするのであります。  これをもつて私の公述を終ります。御清聴を感謝いたします。
  4. 佐藤重遠

    佐藤委員長 ただいまの井藤君の御公述に対して御質疑があれば、これを許可いたします。
  5. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 ただいまの井藤教授のお話によりまして、これはあげ足をとるようですが、申告所得税につきまして八千四百八十九億円とおつしやつたが、私の計算が違うかもしれませんが、これは何か間違いじやないかと思うのです。
  6. 井藤半彌

    井藤公述人 それは八千四百八十九億円という数字ですか。
  7. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 その点につきまして、私が計算しますと、二十七年度予算につきましても、たしか七千百四十億というふうに考えておつたのですが、何かはかに専売益金か何かお入れになつたんじやないでしようか。
  8. 井藤半彌

    井藤公述人 私が使いました資料皆さんのと同じ資料で、謄写版刷りで出ておりまして、今度の国会に配付された資料であります。これは二十七年度じやなく二十六年度の、しかも改正後の分でございます。それによつて調べたのですが、それを見ますと、八千四百八十九億円となつてつて、謄写版刷りにも出ている数字でございます。それから私が計算いたしましたのは、あれは所得階層別になつておりますが、そのうち三十万円以下、ということは別の言葉で申しますと、二十万円を超過し、三十万円未満のものを累計したもの、これは私が計算したものです。
  9. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 今お話になつ相続税のことでありますが、相続税につきまして、米国におきましてはこれらの基礎控除をするというふうに言われたわけでありまして、今度は改悪であるとお話になつたわけでありますが、私はむしろ山林等については、大幅に免除する規定を設けた方がよろしいという考えを持つております。十万円ばかりじや足らぬという意見があるわけですが、それが今度の改正によりまして、山林もしくは不動産等については十年延納することができる。日歩二銭ということで行つているのでありますが、相続税につきまして日歩二銭という金利をとることも、私はどうかと思うわけでありますから、そのような不動産もしくは山林所得等についての相続については、延滞金利はとらぬという方法を講じたいという点が一つと、もう一つ山林所得もしくは相続税については大幅に基礎控除を認める、こういう線を貫かなければ、日本の緑化運動、治山治水ということは完全にならぬと考えますが、井藤教授はどう考えておりますか。
  10. 井藤半彌

    井藤公述人 二つ問題があるわけでありますが、初めの方の譲渡所得の問題です。これは実は私は二つの問題を申し上げたのですが、譲渡所得に関する課税問題が、所得税をかける場合に問題になります。それからもう一つ相続税をかける場合に問題になります。相続の場合の譲渡所得免税にするということは、もちろん相続税はそのときの金額にかかる、それから譲渡所得に対してまた所得税をかけよう、こういうのでございます。それで今のこの問題になるのは相続税の問題でございますか。所得税の問題でございますか。
  11. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 譲渡所得の方につきまして、米国では非課税にすると言つておりました。それから相続税の方につきましては、これについての構想といたしまして、大幅に私は免除するという規定を設けたいと思うのですが、井藤教授はどうお考えになりますか。
  12. 井藤半彌

    井藤公述人 アメリカでございますね。これは譲渡所得には原則として課税するのだけれども、相続の場合は譲渡がないものと見て、譲渡所得所得税としてかけないということなんです。  それでその問題は、私補足さしていただきますが、あとの基礎控除をまた上げよう——私はやはり税金は安くなる方がもちろん賛成でございまして、基礎控除を上げることはもちろん賛成でございますが、しかしほかとのつり合いでございますね、一つ動かして参りますと、どうも次々と参りますので、それで私は、趣旨はもちろん賛成でございますが、ほかとの関連において、はたしていいか悪いかということは、私は即答することはどうかと思うのでございます。
  13. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 もう一点だけ伺います。山林所得の方は基礎控除は十万円でありましたが、相続税の方は十五万円となつておりますのを、三十万円に引上げるわけでございますけれども、今まで三人もしくは四人というふうに子供がおりますと、わけるわけであります。共有ということによつて行くわけでありますが、財産につきましては、分割の不可能なものがある。たとえばおも屋とか倉庫とかいうものは分割が不可能でございますから、固定資産につきましては、これは共有という制度をしきたいと言つておりました。私どもはこういうことにつきましてどういうふうに考えておるかと申しますと、非常にめんどうくさいと思いまするから、なるべく価値だけを算定いたしまして、残つたものにつきましては、代表者を選んで代表者に課税するという方法をとりたいのでありまするが、山林もしくは田畑、家屋等につきましての共有に関しまする御構想を承りたい、こう考えます。
  14. 井藤半彌

    井藤公述人 相続税だけの問題じやない、これは私は税金だけの問題じやないと思います。ただ共有ということは、今御指摘の点のみから考えますと、非常に私は便利なこともあり、同時にまた欠点もあると思うのでございます。共有ということも、うまく行けばいいのでございますが、兄弟は他人のもととか言つて、けんかしたり何かすることになると、結局は現在解決すべき問題を、将来に延ばすということになりますので、私はできれば思い切つて早く解決する方がいいじやないか、そういうふうに考えております。
  15. 高田富之

    ○高田(富)委員 基礎控除のことにつきまして、幾分かシヤウプ勧告当時より安くなつたというお話でありますが、この機会に基礎控除というものについての先生の理論的な御説明を願いたいと思うのです。というのは、先ほどの御説明では、昭和十年では一千円が基礎控除であつた。ところが現在の物価に直しますと、現在ほとんど税の大半を払つておる者が、その当時の免税点に相当する。従つてそれからいえば、ほとんど現在に引直しますと、その当時の担税能力のない者が大部分負担している。これであつて基礎控除というものの根本的な理論的な点が、くずされているのではないかというふうな気がするのですが、基礎控除をどういうふうに理解したらいいか。
  16. 井藤半彌

    井藤公述人 結局基礎控除に限らずでございますが、一般に税金の問題——ちよつと学校の講義のようになりまして恐縮でございますが、一般的なことは、要するに国民所得を国家と人民でわけて使うのでありますが、その場合に国家がそれを償う方が、社会的に見て価値が大きい場合に、税金は是認される、こうなるのでございます。だからして基礎控除金額がかりに少くとも、国家が社会政策施設や、何を無料にするとか、あるいはわれわれの恩給をたくさんにしていただくとか何とかして、返す方が多ければ、いいことになるのですが、結局社会的に見て価値の動きによつてきまる。これは一般論でございまして、こういうところで申し上げるのはどうかと思います。それではもう少し具体的に入るとどうかと申しますと、まず常識的に考えれば、国民の最小生活費というものをどうしても基礎にすべきではないか、一応そう言えるのであります。もちろん私は最小生活費を割つてもいいと思う。そのかわりに国家が経費として出してくれれば同じことになりますから……。だから最小生活というものは基礎控除の最低線であつて、それを割るようではいけない。そういう点から見ると、昭和十年ごろは千二百円で、月に百円ですから、百円まで所得税がかからぬようになると、これは何とかやつて行けました。それから申しますと、今の計算は三十六万円まで引かなくちやならぬ。三十六万円まで引くとなると、さつきの計算で行くと所得税をほとんどとれなくなる。とれなくなるとほかの税金をとらなければならなくなる。これはいわば日本の財政経済が困つておる状態でございまして、りくつに合わぬようなことをなぜやつているかと申しますと、結局私は財政経済の困難じやないか。これは税金の方でいじくつても、一方をいじくれば一方が高くなるのはきまつております。そこで財政論といたしまして、私はきわめて無責任なことを言いますが、経費をできるだけ国民生活の安定や国民経済の発展に使つていただく、それ以外に道はないのであります。それでは具体的にどうするか。これは皆様の御研究になることでございます。
  17. 小山長規

    ○小山委員 私井藤先生にかねがね伺いたいと思つておりましたが、この機会にひとつ学者としての御意見を伺いたいと思います。  昨年の税制から特に目立つて来たのでございますけれども、源泉徴收という制度を盛んにとるようになりました。昨年、前国会で株式の源泉徴收をいたしました。また今度は社会保險の源泉徴收、その前には原稿料、放送料の源泉徴收を始めたのでありますが、それはおのおのりくつはあるのです。りくつはあるのでありますが、これを物によつては非常に返すものが多過ぎはしないかというものが、相当あるのでございます。この場合にどつちを重く税法上見るべきものであるか、まず源泉徴收をとつておいて、返すものは返すのだという建前の方が正しいのか、返さぬでいい程度のところに線を引くのが正しいのであろうか、これをひとつお聞かせ願いたい。
  18. 井藤半彌

    井藤公述人 結論を申しますと、私はあとの万がいいじやないかと思います。源泉徴收というのはやはり徴税の便宜という立場で来たのでございます。それで取過ぎてあとから返すものが——われわれの印税なんか二〇%引いたものを一五%にするとかなんとか、政府の方でもくふうしておられるようでありますが、りくつといたしましては、取過ぎにならない程度で源泉徴收をやつていただく、これが私は一番望ましいのだと考える。  それからそれに関連して、私もさつき申し上げたことでございますが、源泉徴收というものは逃げることはできません。だから私なんかの所得はほとんど全部源泉徴收でございますが、それで私申し上げたいことは源泉徴收以外の普通の賦課徴收も厳重にやつていただかないと、負担の均衡を失するのではないかということを、この際申し上げておきます。
  19. 佐藤重遠

    佐藤委員長 井藤君に申し上げますが、まことに御苦労さまでございまた。感謝いたします。お約束の時間も来たようでございますので、どうぞ御退席くだすつてけつりこうでございます。御苦労さまでございました。  次は日本医師会副会長、医学博士武見太郎君にお願いいたします。
  20. 武見太郎

    ○武見公述人 日本医師会副会長武見太郎でございます。私は主といたしまして、社会保險の基金を通じます支払い報酬に対します源泉徴收について、意見を申し述べたいと存じます。その前に社会保險の日本におきまする医療部門の体系と構成、それからどういう傾向にあるかということにつきまして、一応御説明を申し上げたいと思つております。  基金を通します支払いは、政府管掌の健康保險と、組合管掌の健康保險、それから船員保險、共済組合、これは国家公務員も地方公務員も含めております。それから生活保護法による支払いも、一部は基金で取扱つております。結核予防法によりますものも、このたび基金で取扱うことに相なります。そのほかに、医師の手元に入つて参ります保險收入といたしましては、労災保險と国民健康保險という大きな分野がございます。この中で今度の改正案によりますと、基金の支払うものということになりますと、労災保險と国民健康保險の所得に対しては、源泉徴收が行われないということになるのであります。そういたしまして、今まではわが国の社会保險の医療の水準に関しましては、これは本来一本であるべきものが、実際は三本引かれておつたのでございます。その三本の医療内容と申しますのは、健康保險の医療内容と、国民健康保險の医療内容と、それから生活保護の医療内容と、この三段階にわかれておりました。本来医療の内容が、そのような段階を持ちますことは正しいことではございませんので、社会保障制度審議会の勧告におきましては、社会保險医療の体系的な整備を勧告いたしております。そして医療の内容を統一いたしまして、世界的な水準を維持して行きたい。少くともそれをわが国の実情に合せまして、最も理想的な線に持つて行きたいという努力がされております。また同じ勧告の第一次より第二次の勧告の中におきまして、保險事務の簡素化を勧告いたしております。これは事務費は全額国庫負担でございますが、相当な額に上つております。今その事務費について一々数字をあげて申し上げますることは、煩雑ですから申し上げませんが、一件当りにつきまして生活保護法を除くほかは、十円八十銭の事務費が計上されております。そしてその件数はきわめて多いのでございまして、この上にまた徴税の手数が加わりますときには、事務費の相当な増額も考えなければならないのでございます。そしてその事務費が国庫負担をこれ以上いただけないという限度に来ております今日、必ず被保險者の保險料がその中に加えられて行くことは当然でございます。こういたしますと社会保險の医療は、生活保護及び健康保險、国民健康保險と合せて一本の線で、日本の社会医療のレベルを上げて行きましようという努力は、この税法が施行されますと、そこにまたちぐはぐができるおそれが十分にございます。そして一部の社会保險は源泉徴收であり、一部の社会保險は源泉徴收でないと申しますことは、事務の簡素化も避けられぬおそれが十分にございます。そして先ほど申し上げますような体系的な整備が、社会保險全体といたしましてこれによつてそこなわれるとすれば、これはかなり重大なことであると考えております。  その次の問題は、医療の公共性の問題でありますが、パブリツクユーティリテイを最も高揚すべき医業に対しまして、この方法がどうかということを検討してみる必要があると思います。その前に、医師が現在どういうふうな法律的及び社会通念上の公共性を、要求されているかということについて一応申し上げますと、医師法の第十九條は、正当な理由がなくて診察を拒むことができないということを言つております。その正当な理由につきましては、二十四年の九月十日に厚生省から通牒が出ております。この通牒が出ました根拠は、ある東京都立の病院で、病室がなかつたので、患者を入院させなかつたために、その患者を死亡せしめたということに端を発しまして、その通牒が発せられました。その通牒によりますと、どんな貧困な患者でも、それを拒否しては相ならぬ。そうして十分な治療を與える。金を今まで払つていなくても、将来払う見込みがなくても、診療を拒否しては相ならぬ。それから診察時間をきめておつても、時間外といえども診察をすべきである。そしてまた自宅に診療設備のない医師でも、頼まれた場合にはこれを見なければいけない。他に医者がいないときには見なければならない。どんな天候が不良で不可能なことがあつても、相当な努力をして義務を果すべきである。さらにまた專門外の患者が診察を要求いたしましても、これを断わつてはならぬ。その患者に専門でないということを話して、その患者がなおかつ見てくれという場合には、これは拒否してはいけないというふうな、こういうふうな徹底した法規と社会通念によつて縛られているのが医業でございます。そしてまたこの際、どういうふうな形で医師が経済的な面にあるかということも、お考えを願いたいと思いますが、現在は健康保險の一点單価が十一円五十銭に上つております。上つておりますが、この際における医師の生活費は、家族構成が五・二人について生計費月毎万九千円という勘定で、十一円五十銭が出ております。これを二万五千円といたしますと、同じ計算方式で、一点單価十五円となります。この十一円五十銭にくぎづけされた收入しか得る方法がないということでございます。そしてまた医師の努力というものは、使いました材料や人件費やいろいろな経費だけのほかに、精神的な負担あるいは労働というものを、相当に見ていただかなければならないのでございますが、現在におきましては、この精神、労働の面に関しては、まつたく顧みられていないという状態でございます。このことはひいては医療の頽廃を来しますし、また学問のレベルを低下させるおそれもございます。そのほかに、患者が来るか来ないかということは、これは受身の商売でございまして、自分の方から積極的に動いて行ける仕事ではございません。今度の税制改正に、職業野球の選手や楽士、外交員その他の者と一緒に同じような考え方で、この十一円五十銭の單価による收入に対しまして、パーセントは違いましても、課税されるということになりますと、医師に與える心理的な影響についても、私は医師会の幹部といたしまして、相当な動揺を與えはしないかということをおそれております。  それから第三番目には、一〇%を源泉徴收された場合に、どれくらいの医師がこれと的確に合つたあれで、先はとのお話のような払いもどしを受けないで行くかという点を考えてみまするに、これはまことに驚くばかりのことでございますが、東京都の支払い基金におきまして支払つております医師の八八%までが、一箇月六万円以下の支払いを受けております。そういたしますと、七万数千円、八万円近くまでのところですと、ちようどこれがとんとんになつて参りまして、それ以上のところですと、総合調整でとからよけい払うようになりますが、少くともこの一〇%の現在の徴收ということになりますと、八八%の医師はあとから返していただくということになるのでございます。そしてわずか一二%の医師のために、非常に煩雑な事務の増加と、いろいろな影響を考えなければならないということは、まことに私は重大なことであると存じております。この医師の支払い基金の所得の構成その他に関しましては、別に表がございましていろいろございますが、少くとも一二%の高額所得の医師のために、八八%の零細な所得の医師が影響される。しかもこの人たちは直接国民大衆と接触している人たちでございますが、日本の医療制度が、そのような零細な経済によつてささえられておりますということは、日本の医学の将来の発展、社会医療の向上という点から考えまして、相当に憂慮すべきことでございます。この点に関しまして私たちは社会医療の向上発展のためには、なお一段の御考慮を願いまして、十分なる診療費の與えられますならば、日本の社会医療がもつと進歩するでありましようし、また高額所得で滞納いたしております地方の病院その他のものは、その滞納の原因が大体は国民健康保險の不払いによるものでございます。現に国民健康保險は約二十七億の不払いをいたしております。これが解消いたしませんと、地方の大病院の納税の滞納はどうも避け得ないようでございます。もしも源泉徴收の制度国民健康保險に及びますならば、この国民健康保險制度はたちまちのうちに崩壊することは必至でございます。こういうふうな情勢におきまして、一部の社会保險にだけこれを御適用になるということは、私は考えていただきたいと思います。相なるべくはわずか一〇%の医師のために、八〇%以上九〇%の医師がこの煩雑な取扱いを受け、しかもその零細な医師にとつては、あとから返つて来ます五万円なり十万円なりの返済金というものは、毎月毎日重大な生計費であり、薬品購入費であり、人件費を持つのでありまして、あとから返せばいいという考え方では、その月月の運営に相当な支障を来すのでございます。そういう点をごく零細な医家のために、そうしてまた国民大衆と直接接触いたします医家のために、私は先ほど申し上げましたようないろいろな点から、ただいまの法案の中の源泉徴收は、相なるべくは削除していただいた方がけつこうだと考えております。はなはだ簡單でございますが、大体の私の考えを申し述べさせていただきました。
  21. 佐藤重遠

    佐藤委員長 まことに剴切な御意見を拝聴したのでありまするが、質疑をお願いいたします。深澤君に発言を許可いたします。
  22. 深澤義守

    ○深澤委員 ただいまのお説の中に健康保險の一点單価が十一円五十銭であるということが言われておりますが、この十一円五十銭ではたして医者の良心に基く診療ができるかどうかということが、これは重大問題であると思いますが、実際にはどういうことになつておりますか。
  23. 武見太郎

    ○武見公述人 これは医者の良心という言葉でございますが、医療の内容どいうものは、現在世界的な水準でこれを行おうとすれば、とうてい十一円五十銭では不可能でございます。しかたなしにある程度の、ただいま申し上げましたような医師の生計費五人家族で一万九千円というような状態において、辛うじて運営されております。それでありますからしかたなしに、これは事実上は制限診療と申しておりまして、こういう場合にはこれだけしか使つちやいかぬとか、こういう場合にはこれだけしかやつちやいかぬというような、いろいろな制約が事実上はございます。その制限診療によりまして、この單価が維持されておるのでありまして、学問的な良心で十分に治療を行うには、とうてい不可能でございます。
  24. 佐藤重遠

    佐藤委員長 ちよつとお諮りいたします。それは委員外発言の件でありますが、厚生委員の丸山直友君から、ただいまの武見君の御意見に対し質疑のため、発言の許可を求められておりまするが、この際これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  25. 佐藤重遠

    佐藤委員長 御異議なしと認めます。それでは丸山君の発言を許可いたします。
  26. 丸山直友

    ○丸山直友君 ただいまの公述人にお伺いしたいのでございますが、今度の政府が提案いたしました所得税法の社会保險の支払い基金に関する分は、その目的といたしまするものは滞納の防止、つまり税收の確保と、それから他の部門は支払う側の便宜という、二つの考え方から出ておるのであります。支払う方の便宜ということは、ただいまのお話によつて、かえつて支払う側においては相当に困難を感ずる人が多いという事実は、ただいまお述べになつ通りであろうと考えます。政府が考えておる滞納の防止あるいは收入の確保という面に対しては、御意見がなかつたのでありまするが、何か自治的に医師会としてそういうことに関するものを、この改正の要請に応ずるような御態勢を整えられる準備があるかどうか、そういうことができるかできないか、これを削除いたしました場合に、政府の要請にこたえることができるかどうかということが一点。それから現在の社会保險の診療報酬に関しまする所得税の決定は、先般一点單価のときに相当問題化したのでありまするが、大体いわゆる歩どまりと申しまするか、三〇%か二五%というようなことが閣議でも決定せられ、通牒にも出されておるのでございますが、その点に対しては税と社会保險の医療の関係について、何らかの御意見がありましたら伺いたいと思います。
  27. 武見太郎

    ○武見公述人 ただいま御質問の、どうして税を確かに納め得るかという御質問でございますが、これは支払い基金を調べさえすれば、個人の医師に払われた金額は常にわかつておるのであります。ですから全体の金額がこれほど明らかになつておるものはございませんので、総收入に対しまする額は最も簡單に決定できると思つております。それから自治的に何らかの方法があるかというお話でございますが、地方の医師会においても納税組合をつくつて、非常にまじめにうまく運営されておるところがございます。日本医師会としましては全国の医師を集めまして、全国的な納税組合をつくつて、これを実行できるという目安もついております。  それからその次の御質問でございますが、社会保險医療と税の一般的関係と私は考えております。先般十一円五十銭の單価がきまりまして、三〇%ないし二五%の歩どまりというような大体の目安をおつけになつておりますが、これは医療の内容との関係でございまして、ほんとうに学問的に進歩した医療を行おうといたしますならば、とうてい三〇%の歩どまりは私はあり得ないと考えております。そうして現在におきましては、薬品その他にいたしましても非常に高額になつておりますので、三〇%の歩どまりはあり得ないような場合も往々にして出ております。ストレプトマイシンの注射を四十本いたしますと、三〇%の歩とまりでも医師はおそらく千円近くの損をするわけであります。従つてこれは患者に薬を買わせまして、そうして医者が注射をするというような大衆負担の形式が、現にとられておる事実もございます。新しい機械ができまして、それを購入いたしますれば利益と考えられますが、正しい医療を行うために、学問の進歩に即応いたしました内容の医療の向上ということを考えます場合には、とうていこの三〇%の歩どまりをもつてしてもできないのでございます。私は医療の内容の向上その他の点が、全部税の制度に責任があるとは存じませんが、少くとも現在におきまして学問を社会化して打つて、社会医療を学問的水準に上げて行こうとします場合に、現在の税の取扱い方がこれをはばんでおるということは、私は事実だと考えております。それからまた被保險者の側にいたしますと、保險料は申告いたしますならば医療費として控除されますけれども、これは本来から申しますならば、当然に生命保險料の控除と同じような意味で、いろいろの社会保險で相当金額控除されますので、これは所得の中からやはり基礎控除と同じように控除していただくことが、大衆のために利益になると思つております。  もう一つ大きな問題でつけ加えたいことは、現在におきましては、大都市においてはまだ国民健康保險はございませんが、工業都市はほとんど健康保險でございます。九〇%、九五%が健康保險のところもございます。農村に参りますと一〇〇%国民健康保險のところがございます。こういうところに参りますと、日本の医学の社会的な水準というものは、社会町保險医療にその基礎を置いているのでございます。また次の時代のために、医学を再生産いたします社会的基盤の役目も、しなければならないのでございます。その役目な果します点を考えますならば、現在の健康保險がいかに無理な運営で行われているか。そして医師がいかにパブリツク・ソサイテイの問題に協力しようといたしましても、その経済的な背景が、自由経済の社会において何ら認められたものがないということでございます。この幾多の矛盾を克服いたしまして、次の時代の新しい社会医療をつくる努力のためには、税の面でも相当大幅にいろいろな点をお考え願わないと、学問の社会化ということは、私はとうてい不可能じやないかと考えております。
  28. 小山長規

    ○小山委員 ちよつと伺いますが、われわれが考えます場合の参考にお伺いしたいのでありますけれども、医師の健康保險による收入に対して一〇%課税しようというのが法律案であります。ところが先般の閣議決定その他によりまして、健康保險に対する所得は三〇%ないし二五%となつておる。その標準課税するということを、国税庁長官が言明いたしておりますが、そういたしますと、これを具体的に言うと、健康保險の收入を十円もらつた場合に、税は源泉で一円とつておる。そしてその所得は三円の所得と見る。こういうことでありますからして、源泉でとられている税は、所得に対して三三%になる計算になるのであります。それで税法の税率の欄を見ますと、三三%というところは大体所得十二万円を越える人、そして二十万円以下の人でありますから、大体十五万円見当の所得の人と見ればよろしかろうかと思うのであります。十五万円の所得という人は、基礎控除扶養控除を考えますと、收入が年におそらく二十五万円見当である。そういたしますと、かりに二十五万円見当の人が三三%以上であとで税を納めなければならぬ人でありますからして、それを今度は保險收入に還元いたしますと、大体八十万円の保險收入があれば、その基礎控除あるいは扶養控除以前の所得が、大体二十四、五万円くらいになります。そしてそれから扶養控除基礎控除を引くと、ちようど十五万円くらいになりますから、保險料收入が八十万円見当以上の人は、この一〇%の課税をしても何ら苦痛はないのであります。ところが私どもが考えますのに、お医者さんをやつておられる方で、年所得が二十五万円以下という人はなさそうな気がいたします。従つてこの一〇%課税ということは、そんなに苦痛ではないのじやないかというような感じがするのでありますが、全国の医師の社会保險料收入平均、あるいはそれ以外の自由診療による收入平均というものは、どの程度になつておりましようか。それによつてもどしの部分が多いか少いか、先ほどおつしやいました八〇%というものが、はたしてその程度になるのかどうかという参考になると思いますので、この点をひとつお聞きしたい。
  29. 武見太郎

    ○武見公述人 ただいまのお話でございますが、社会保險收入の全国平均は、医師一人につきまして二万五千円になつております。
  30. 小山長規

    ○小山委員 月ですか。
  31. 武見太郎

    ○武見公述人 月でございます。
  32. 小山長規

    ○小山委員 そうすると年に三十万円ですね。
  33. 武見太郎

    ○武見公述人 そうです。そういたしまして、先ほど申し上げました基金から六万円以下の支払いを受ける医師が、大体八〇%から九〇%の間におることは、東京、愛知県その他の地方を調べましても、大体同じ数字が出ております。自由診療の方を入れました金額についてはわかりませんが、地方は自由診療はきわめて少くなつております。ことに工業地帯は尼崎あるいは川崎が九十七、八パーセントまでが健康保險で占めておるようなわけでございます。自由診療の正確なデータについては、日本医師会は持つ方法はないので持つておりません。少くとも社会保險の影響と国民健康保險の普及発達によりまして、医師の收入が驚くべく低下いたしていることは事実でございます。
  34. 小山長規

    ○小山委員 基金から六万円とおつしやるのは月に六万円でございますか。
  35. 武見太郎

    ○武見公述人 月に六万円です。
  36. 小山長規

    ○小山委員 今問題になりますのは大体年に七十万円くらいで月に六万円、これは八〇%ですね。
  37. 武見太郎

    ○武見公述人 八八%です。
  38. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 私一点だけ伺います。はなはだ平凡なことでありますが、今の武見公述人の公述によりますと、健康保險の方では採算がとれないというわけでございまするから、薬品その他については患者持ちということを、慫慂せられると考えているのでございます。もちろん今の健康保險の状態ではやむを得ない状況であると思いまするがそういうように第三者といたしましては、健康保險料以外にずいぶん自分持ちの費用を薬価、治療費等に相当払うものがありましようかどうか。
  39. 武見太郎

    ○武見公述人 健康保險の保險証を持つている人たちが、そのほかに自分で払うということは私はほとんどないと思つております。先ほど申しましたストレプトマイシンを患者が買いましても、これは療養給付で請求して受取るのであります。ですから自己の支出ではないのでありまして、一時立てかえるということになるのでございます。
  40. 佐藤重遠

    佐藤委員長 御苦労さまでございました。  それでは次に日本証券投資協会の理事飯田清三君にお願いいたします。
  41. 飯田清三

    ○飯田公述人 私は與えられました四つの税制の一部改正の中で有価証券の譲渡利得税の問題、それから同じく有価証券の配当の源泉徴收の問題、それから法人課税が今度増加した問題、この三点につきまして問題の点だけを拾い上げまして、意見を申し述べてみたいと思うのであります。  第一に有価証券の譲渡利得税でありますが、これは大分廃止されるような傾向にあるということを聞いているのでありますが、最近のところでは結局十万円の控除をもつて、一部内容が修正されたのみで、今後継続するということになつているらしいのであります。その点につきまして意見を申し述べてみたいと思うのであります。この有価証券の譲渡利得税は、根本において廃止されるべきものだというのが私の意見であります。なぜかと申しますと、有価証券を買う、株式を買うといつた場合の大きな問題は、それが心理的に非常に左右されるという点であります。証券を買うということ、つまり証券の形において蓄積するということは、これは米を買つたりしようゆ、みそを買つたりする生活必需品関係のものではない。その人の処理作用によつて影響されることはもちろんでありますが、しかもその心理作用というものは、資本の臆病という言葉が昔から申されております通りに、相当デリケートなものであります。かような税金がありまして、しかもこの税金が実際問題としましては、株式を買うと幾らの利得があつたかというだけの問題ではなく、いかように買つたか、あるいはまたその買つた資金がどこから出て来ているかというようなことを、税務署の方で一々調べられるというようなことになりますと、だれも好んで株式なんか買うというような気持になれない。それ以外に蓄積の形態は銀行預金にしろ何にしろたくさんあるのですから、結局株式なんか買おうという意欲を、これですつかり追つ払つてしまうということになる。株式制度というものがあり証券市場というものがあつて、その役割を果さなくちやならぬというからには、この税制というものは現実に株式の形で蓄積しようという意欲を、非常に阻害して行く、これが一等根本の問題であります。それから株式でボロもうけをしたというようなことがよく世間で言われますが、それはごく短期のブームの間のことであつて、長い目で見ますと、株式というものは一定の間を往来して振幅する。一人の人について見ましても、あるときはもうかつたがあるときは損する。また大勢を見ますと、ある人は損してある人は得するというわけでありますが、大体において個人の投資家というものは、まず総じてですが、十中八九損すると見てさしつかえない。これは日本だけではない。アメリカあたりも統計をとつておりますが、大体九五%ぐらい損するだろうという数字が、これは実際の裏づけはどうかと思いますが、言われているくらいなんです。そうしまして結局やはり保險会社とかあるいはそのほかの金融機関の大きなところで、その利益というものはとられている形があるのであります。でありますから、そうした課税対象に向つて税金をとろうということになりますと、大体の人は損しているから、むしろほかの所得から引いてもらえるといつたようなことになつて、実際の税收の成果としては幾らも上るまいということが、想像しやすいのであります。ただしかし、まれにもうかつた人があり、負担の公平という点からそういうことを見のがすわけに行かぬということであれば、これはまたりくつとしては当然でありますが、しかしなおその他の一面に徴税技術の上で相当めんどうな手数をかけなくては、この税金は正確に徴收されない。これは御承知の通り、今日東京だけの取引所でも五百万株、場合によりますとこの前なんか一千万株以上という取引ができておりますが、單位当りは大分上つておりますけれども、これを一々洗い上げるということは容易ならざるわけであります。しかも甲の店から買つて乙の店に売つている。あるいは東京で買つて大阪で売つているというようなものが合わなくては、その株の利ざやというものがはつきりしない。そうなりますと現に証券業に従事している者が、今日大体四、五万もありましようか。それくらいの事務員の手数が徴税のためにまた極端にいえば必要である。しかも毎日々々の取引というものを追究して、一箇月前に売つたものを今買いもどしたとか、あるいは今買つたのがいつ何どき買いもどされるかというようなことになりますと、実際問題としてこの徴税技術というものは非常にむずかしいので、売買の経過を一々たどつて行くということは不可能に近い。よし一定の量以上だけに限定しようとしましても、たとえば一千株以上だけの利ざやだけを求めようとするとあるいは五百株にする、五百株にするというと今度は三百株にするというようなことで、どうしても税金を回避することが行われますので、そういつた点から見ましても、取引の上に非常に不明朗な暗影を與えるという点からどうもおもしろくない。今申し上げる通り徴税の上に実際の効果がないのみならず、取引の上では非常におもしろくない影響を與えるというわけであります。なお十万円の限度ということでありますが、きよう日の十万円と申しますと、戰前のまあ三百倍としますと、かれこれ三百三十円くらいの値打きりない。かりに今日の価格にいたしましても、株式市場あたりに打つて出る連中はみなうぬぼれの強いもので、十万どころか三十万、四十万もうかるつもりでいるのです。その実実際は先ほど言う通りかえつて損して帰るのですが、その結果として十万円というように考えましても、年にこれだけの控除くらいでは問題にならない。これは大体控除でかれこれ言うべき筋合いのものでなしに、根本において廃止さるべき性質のものだ、かように考えます。  こまかい点はいろいろありますが、ごく大筋だけ申し上げますと、次に配当の源泉課税でありますが、シヤウプ・ミツシヨンでの規定では、長年配当の源泉課税があつたものが全部解放されまして、銀行預金が税金をとられているにかかわらず、配当所得というものは源泉なしで来た。今度伺いますと、二割だけ一応徴税しまして、あとでまあ返されることにはなつておりますが、とにかくここに源泉課税というものが、もう一ぺん出て来たということになつております。これは徴税技術上、やはり返してもらえるとは言いながら、実際問題としてはそうは行かないというようなことは、一般に言われている通りでありますが、この源泉課税の影響としまして投資家の受ける感じというものは、やはり二割は天引きされるんだといつたような感じが強いと思います。税制の実質はそうではないのでありますが、どうしても実際上そうなりがちだということであります。そうしますと、今日の株主の所得に二割方の減額を来すことになる。現にこの一月からすでにそういうことが行われている。最近の株式は御承知の通りに、利潤証券としましてかなり利回りのことをやかましく言つている。ちようど今有配会社、つまり配当しています会社の平均利回りというものは、年末まで一割二分くらいのものが平均利まわりになつている。つまり有配会社の平均の配当率は二割六分くらいのものでありますが、今の市価でそれを割りつけますと、一割二分くらいであつた。それが年が明けまして最近では、市価の方が高くなつているものですから、それでその配当率を割りつけますと、まあ一割一分を割つたというようなところになつています。これが非常に問題になつている。また外人の投資については、利回りということは御承知の通り非常にやかましくいわれている。これが結局株をある程度まで買うか買わないかの、一つ標準になつているわけであります。またそうあるのが当然であります。でありますから、二割方利回りが少くなるとどういうことになるかと申しますと、二割配当をしている会社があつて、一割の利回りなら百円まで買える。それが二割控除ということになりますと、百円の時価のものが八十円に低下することになるわけであります。利回り採算という点から申しますと、二割方信用の收縮になる。今日東京証券取引所で上場されている株の時価は大体三千億円であります。その二割方と申しますと、かれこれ六百億円というものが、この税制のために信用收縮を来す、かように見ていいのであります。この信用收縮から来るいろいろな影響がこの際考えられなければならない。そうしますと、さしむき大きな問題は、今日の企業は御承知の通り外部負債が多過ぎる。自己資本が少な過ぎる。このアンバランスを直すことが、今の企業界では立て直しの最も基本的な対策になつているのでありますが、信用收縮の結果、増資払込みがそれだけ困難になるわけでありますから、必要な企業資本の是正という点が、よほどこれで後退、抑圧されるということは考慮すべき点だと思うのであります。  さらに、これは利害関係になりますが、今日株主の所得——大体戦後の例としまして、企業の内部に蓄積することが非常に奨励される。これはけつこうなことでありますが、しかしおのずからそこにはバランスがあり、大体の程度というものがある。われわれの見るところによりますと、今日の企業の分配状態は、少し社内保留に片寄つている傾向がなくはないかと思うのであります。戦前におきましては、事業会社の利益は約半分ぐらいを外部の株主、つまり配当として社外に分配いたしまして、あと半分くらいを内部に——重役の賞與とかあるいは償却そのほかに分配するというのが普通でありました。電鉄とか電気事業のような経費のきまつたところでは、償却の多少遅れている点もありますが、七、八割までは外部に分配して二、三割方を内部保留といつたことで済ましていた。ところが今日はどうかと申しますと、配当にまわすものが、戦前の約半分あるいは七、八割に対しまして、全收益額の大体一割見当と見ていいと思いますが、最近少しよくなつて、あるいは一割一、三分というところへ来ているかもしれません。あとの八割何ぼ、九割そこそこは内部に保留している。もつともこの大きな違いは、あとに出て来る法人税の問題がありますが、戦前の税金はそう大してかからなかつた。今日では三割五分、今度四割二分になるそうですが、三割五分はまずもつて税金でとられる。でありますから、戦前と比較するためには、今日の利益分配はその三割り五分の税金控除したあとの六割五分のうちで、どれだけ社外に分配をし、どれだけ社内に保留するかということが問題になるのでありますが、その六割五分のうち一割というのでありますから、六割五分を百とすれば、二割足らずのものが社外に分配される。そうしますと二割足らずというのが、戰前の半分ないし七、八割と同列に比較できるのですが、戦前よりか半分以下の分配しか株主には與えられておらないことになる。もつとも今日は資本家経営の時代、つまり株主が権力を振つてつた時代とは違いまして、社会的に経営者時代とでも申しますか、よほど時代が違つて来ておりますので、分配がそれに応じて違うのは大きな目から見て必要でもあるし、また戦後の経済復興という点から、社内保留に重点を置く必要もあつたと思うのですが、しかし戦前から見て二割足らず程度の分配率で甘んじておる株主に対して、はたしてこれでいいかどうかという点になると、そこには相当大きな問題があると思う。大体社内保留さえしておけは、これが生産の大きな資力になる、外部負債の返済その他にもなるというふうに、きわめて有効に使われることのみを考えておるのですが、しかし今日社用族がどうのこうのといわれておる時代に、とかく寄合い世帯の多い企業内部で、はたして社内保留がしかしか効果的に、能率的に使われておるかどうか。株主に與えられた資金は、これはやはり個人の責任においてそれ相応に使われるわけでありますから、一概に社内保留を絶対的に支持し、株主に分配する資金を非能率あるいは非経済的だとのみいえない点がある。これからの経済の民主化の時代には、この点はひとつ御考慮願いたいと思うのであります。  第三は、法人税であります。これは四割二分になりまして、そのかわり償却を十分させてやろうといつた税制改革なんでありますが、これにつきまして第一にどうして三割五分で一応おちついておつたものを、四割二分にしなければならないかということが、われわれには一つの大きな疑問なんであります。これはおそらくここ二、三年の間企業の收益がどこでも非常に上つておる、企業利用が多いといつた一般の新聞雑誌あたりの輿論とでも申しますか、そういうことから法人税を高率にして、そのかわりほかの方で多少緩和するといつた調節の必要を感ぜられたゆえんではないかと思うのであります。しかし、はたして日本の企業が今伝えられておるがごとく、高收益を上げておるかと申しますと、これは非常に大きな見当違いをしておるのではなかろうか。この点はよくいわれておる点でありますけれども、この税制の改革される基本情勢の分析として、よくお考えおきを願いたいと思う。たとえば今日企業資本がどれだけもうかつておるかと申しますと、使用総資本という点から、外部から借りたものとか、何もかも自分で使つておる企業資本全体から見ますと、最近の数字はまず三、四分からせいぜい六分と行かない、五分程度のものだと私は思うのであります。この程度の企業收益から申しますと、過去における昭和四、五年の世界恐慌のときとか、あるいは日本のこれまでの不景気のときから、ちよつと出たくらいの企業收益を上げておるにすぎない。お金は資本にたくさん使つておるが、收益はそう上つていない。ところが自己資本、つまり外部から借りた負債は一切のけまして、自分の資本金あるいは積立金、内部保留というものから見ました利益はどうなつておるかと申しますと、まず四、五分、七、八分というのが普通であります。たとえば三越なんか、これは一年くらい前の数字でありますが、資本金は九千万円であつて、五割の配当をしておるようなところは、あの内部保留というものは、二十四、五億の再評価積立金を持つている。そういう点からしますと、自己資本に対する收益というものは、五割配当が多いの、あるいは收益が非常に多いのと申しますが、わずか一分六厘だつたと私は記憶しておりますが、その程度のものです。あれを時価に引直してあの率をとつたら、おそらく一分にもならぬでしよう。再評価積立金と、時価よりはるかに低いところのあの自己資本を基礎として、そうしてあげた收益の割合を見ますと、一分六厘そこそこのものにすぎない。そういうふうに自己資本に対する率も非常に少い。ただ多いのは配当金が多い。今日三割配当、四割配当というものは至るところにある。昔の配当というものは、一割二分も配当すれば非常にいい方で、普通は一割とか八分の配当であつたものが、それが三割とか四割の配当になつているということは、これは言うまでもなく資本金が昔の帳簿価格のままとは申しませんが、それから幾らも増加していない。十倍、二十倍、三十倍ぐらいは増加しておりましよう。しかし物価はあるいは二百倍とか三百倍とか増加しているというような点から見ますと、ほとんどその十分の一というようなところにあるのでありますから、極端にいえば、貨幣価値という点からすれば、今日三割の配当といつても、三分の配当、十分の一くらいに、資本と対照しまして、見てもさしつかえないくらいなものなのです。こういうふうに資本金が寡少——配当率というものは株主の払い込んだ資本金に当てるのでありますから、これが標準になる。従いまして三割配当の四割配当のというと、いかにもあの会社は景気がいいというようなことになつておるのでありますが、これは資本金が小さ過ぎるからそうなつておる。その会社が使つておる資本全体の額、使用総資本からいえば、せいぜい四、五分、自己資本から見れば大体七、八分、資本金だけから言えば、半年の間に資本金くらいもうかる会社は幾らもある。これは資本が小さいからで、相対的なものであつて、配当が多いのではない。この点がいかにも誤解を生んで、四割二分への法人税の引上げというようなものが、やすやすと行つたのじやないかというような感じがするのであります。むろんそんなことは先刻わかつているというふうに、専門の方は皆さんお考えになつているに違いないのでありますが、しかし大、衆を背景としては必ずしもそうとのみは言えない。それから法人税を今度三割五分から四割二分に上げます場合に考慮しなければならぬ点は、世界的なインフレがだんだん発展して、日本再軍備の線が強く押し出されて、経済情勢全体が膨脹するというような観点からしては、あるいは四割二分くらいの税金は何でもないじやないかというふうに、一応大ざつぱに考えられるのでありますが、もう一つ内容を、今の経済をめくつてみますと、情勢はもつとじみなものなんです。特に最近の企業收益で見のがすことのできないのは、米が上つたり電気料金が上つたり、そのほか通信費とか運賃の値上りというもので、コストが非常に高くなつております。物価世界的な中だるみ、ないしは日本は少し割高でありますが、そうそうコストが上るように上げられない。従いまして利ざやがかなり縮小されている。企業それぞれにも非常にむらがあるというようなわけで、一般的に見ましても、利ざやが縮小しているという点から、今後だんだんに收益が上げにくい。従いまして税金としましては、三割五分程度ならいいが、四割二分もというようなことになりますと、かなり圧力を感じる気持が強くなつて来るのではなかろうかと思うのであります。この点は経済界がだんだん安定経済になりますと、やはり企業経営者としてはもうけにくくなるたけに、またぞろ過去のような税をのがれようというような弊害が、出て来なければ幸いだというふうに考えるのでありますが、この利ざやの縮小で四割二分の圧力が相当相対的に加わつて行くという点を、ひとつ御考慮願いたい、かように思うのであります。  それから最後に一、二ちよつと申し上げて、ぜひひとつ御考慮願いたいと思いまます点は、第一に、日本の現在は、経済復興というような建前からしましても、また経済自立というような点からしましても、資本蓄積が根本だということは、これはもう一昨年あたりから何人もほとんどお念仏みたいに唱えて来ている。この資本蓄積の必要ということは、お互いが使うものをなるだけ節約する、生産をできるだけ増加して、そうしてそこへ蓄積を多く残すという生産活動、あるいは消費生活という面からも考えなければなりませんが、資本を尊重するということが、やはり資本蓄積の根本になる。そこへ参りますと、資本とは一体何ぞや、何を尊重するのか。その最も具体的な姿が、これはやはり株式です。銀行預金よりか株式。それは銀行預金はある意味において貸付資本、株式というものは擬制資本、それぞれ本来の意味の資本という抽象的な観念からすると、一つの條件はつきましようが、しかし最も具体的には株式なのです。ところがこの株式市場というものが、資本蓄積のこれだけやかましい時代に、だれが尊重した政策をとつているか。これはまあ最近大蔵省あたりがしきりに考えてはおられるようでありますが、しかし相対的に考えると、よほど片手落ちになつている。資本の尊重つまり資本そのものとしての株式、あるいはその市場としての資本市場、証券市場というふうな施策というものが、とかく片手落ちになつている点は、たとえば日本開発銀行なら日本開発銀行というものができておる。れは日本の資金の足らぬところへ政府資金を出すといつたようなわけですが、そのとき証券市場というものは、民間の資金を動員して産業資金に出す一つの機関なのです。それがあわせて考えられているかというと、あわせて考えられない。株式市場というものは何か半分は賭博をしておるように考えられている。これは業者の悪い点もおそらく伝統的に多少残つているのではありましよう。そういう点ではそこにむろん問題があるわけでありますが、しかしこれからの復興に対する一つの役割としては、日本開発銀行が必要だ、あるいは長期投資銀行が勧銀、興銀を越えて必要だというなら、なぜそれとあわせて証券市場というものにもう少し考慮を加えないか。これは税制という観点から多少逸脱した考え方ですが、しかし税制の上でも、やはりそういうことも考慮のうちに入れながら、行われるべきものではなかろうか。それから資本蓄積という観点からそうであるばかりでなしに、一体日本経済というものは、大体明治の初めから国民の蓄積というものが、どつちかというと預金形態に片寄り過ぎているのです。郵便貯金に預ける、あるいは銀行に預けるということを中心にして発達して来ている。直接投資としての株式投資というふうなものは閑却されている。これも株式をやつたがために、田畑を売つて一家離散したというような例が災いしている。そこにはそれ相当にやはり施策が必要なのでありましようが、預金中心にここまで来た日本の経済というものをどう見るかということは、経済民主化というような、日本経済が再編成される観点から、私は非常に考えなければならぬ問題だと思う。資本蓄積が必要だという観点からしますと、ともかく直接の投資という形態で、そこにできるだけ資金を置かせることが——その投資したものは自分が投資したんですから、利害関係につながる。その事業が伸びることを期待する。そのかわり悪くなれば自分の責任においてこれを処理しなければならぬ。これほど経済復興に直接の関心を持つ貯蓄の形態はないわけです。銀行あたりの預金として、そして二次的にそれが産業資本になるといつたような形では人まかせである。日本の経済民主化というものは、極言すれば私は自分のためるお金というものが、自分自身が責任を持つという形態のものでなしに、人まかせでやるという形態である限りにおいて、日本の経済民主化というものはできないのだ、こういつたような感じを実は持つているのであります。この前ドツジさんが参りましたとき、これはある銀行でのちよつとした話でありますが、日本人ほど銀行の支配を受けているものはない。銀行の期限が来た、不動産なら不動産を抵当に入れておつて、それをあすにも売るぞといわれると、これは銀行の言うことだからいたし方がないというふうなことで、抵当権を処理する。そういうふうなことは、これは経済民主化ということから非常におもしろくない。日本人から見ると、ともかく担保にとられているものを、お前は期限に金を入れないから、これを処分してしまうんたといわれたら、だれもそれはいやだとは言えない。これはそういう契約で最初から金を借りたんだからいたし方ないという。これが常識でありましよう。ところが外人、特にアメリカ人あたりから見ると、私がちよつと異様に感じたのは、そういうことはもう少し話合いの上で何とかならぬものか。そう銀行のいうことばかり聞かんでもいいじやないか。これがあれだけ検査のやかましいアメリカ人の考え方です。それが有価証券の形、資本の形で集められておるというなら、これはお互いに出し合つた資本なんです。その資本を話合いの上でもつと民主的な運営というものができる。だから日本で最も遅れておるのは資本市場だ、これが前提だということも彼ドツジ氏が言つていたのでありますが、この点からも私はよく考える必要があると思います。でありますから、その二つの観点から、証券つまり資本、あるいは資本市場といつたようなものに対しての、税制のみではなく、大体これまでの考え方というものは、非常に閑却されているということを、根本問題としてお考えおきを願いたい。特に株に対する課税でもそうでしよう。明治以来今日までの経過で配当に税金をかけないといつたのは、シヤウプ・ミツシヨンだけです。その前自由経済時代にはむろんかけておりませんが、その後は大体銀行預金というものに非常に有利にして、株式の配当なんというものは最も圧迫されていた。戦時中なんか子株に対するプレミアムまで課税するというところまで来ている。そして犠牲を負つているのはその産業資本なんです。最も奨励しなくちやならぬものが最も犠牲を受けて来ている。人まかせの金だけは最も優遇されている。こうしたようなやり方では、ほんとうの経済民主化はできないと思います。  なお最後に一言申し上げたいことは、今日資本蓄積、資本蓄積といわれる。資本蓄積のためには、本来税制の角度からいえば、とらなくちやならぬものだけれども、ひとつ緩和しよう、譲渡所得税でも何でもその議論が行われていますが、しかし問題はその程度なのです。資本蓄積がいかに日本経済復興のために必要か。これからいよいよ講和のあとで経済を自立して、八千三百万人が食つて行けるような経済態勢をこさえるのに、どれだけ税金をとることが必要か。この必要のバランスがまたできていないと思うのです。今日学校の先生でもそうですが、税務当局の方は、全体の経済の動きからすれば、そう言つては何ですが、井戸の中のかわずみたいな原理論を相かわらず振りまわしている。時代はそうじやない。もう少し時代の要請する点を考える必要があるのだ。それは資本蓄積のためにはどういうふうに税金が、税制というものが大きな障害をなしているか。これをもつと具体的に考えてみる必要がある。そうするとおそらく今度の問題なんか、ほとんど八、九十パーセントは解決すべき問題なんだ、私はこういうふうに実は考えている。この点も問題だけ提出して、その内容は申し上げませんが、ひとつ御考慮おきを願いたいと思うのです。
  42. 佐藤重遠

    佐藤委員長 飯田君の御発言に御質疑がありますならば、きわめて簡略ということで許可いたします。三宅君。
  43. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 三点ありますから、一点ずつお答えを願います。最後に言を強めて公述されました点は、法人が少くとも再評価、再々評価しているところもございまするが、それが少な過ぎるために、その配当等が相当多いように見えるけれども、実際はきわめて少い、こういうことを言われたのでありまして、私もそれに同感であります。むしろ再評価もしくは再々評価をいたしておるわけでありまするが、法律でもつて一定の基準を定めて資本を標準化せしめるように、もう一ぺん再々々評価をいたしたらよろしからうと思いまするが、どう考えておりますか承りたいと思います。
  44. 飯田清三

    ○飯田公述人 これは法律でというよりも、やはり企業家の自覚を促すような施策から行つた方が、実際問題としていいんじやないかと思われるのです。と申しますのは、お説の通り再評価当初としても、再々評価にしましても、また今後第三次の区再評価もおそらく必要でありましようけれども、それは收益と見合いの観点においてきめるべき問題で、單に資産と時価との食い違いからのみ決定するのはどうか。やはり收益がないと再々評価しても、いたずらに動かない、稼動しない資本を表へ並べ立ててみてもしかたがないという点もありますから、これはその企業家の自由裁量にある程度まかせるという部面も相当あると思う。従いまして法律で行くよりか、企業家自体がそういうふうにだんだん自覚して来ることが先決問題ではなかろうか、かように思うのです。しかしお説の通り、確かにそういう傾向がある。これはもう経団連あたりでもわれわれが言つたことですが、非常にあるのです。
  45. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 二番目にお伺いしますことは、証券民主化ということをわれわれは念願をいたし、また飯田さんもやつておられるわけでございますが、これは従来は資本を持つてつた者が重役になつてつたのでありまするが、このごろは反対に資本を持つていない者、むしろ昔使用人であつた者が急に重役になつておりまする関係上、経費を濫費するおそれがある。これが経済の民主化あるいは証券の民主化に、非常に弊害を與えておるということを聞いておりまするが、飯田公述人はどう考えておられまするか。
  46. 飯田清三

    ○飯田公述人 同感だと思います。まつたくあの会社は非常にいい仕事をしているし、資産内容もいい、将来の見通しもいいが、あの金の使い方がああいうふうなやり方では、どうも安心ならぬといつたようなものは相当あるのじやないか。日本の経富者というものは、これは敗戦の結果ではありますが、偶然の機会でああいうふうな形になつている場合が多いせいもありましようが、しかしまた考えなくてはならないのは、それは株主即資本家即経営者であるという、昔のそれがそのままいいかというと、これももう時代がかわつているんですから、確かにこれからの経営者というものは、一方に株主としての資本家を押え、一方に社会の福祉をねらいながら、従業員とうまく協調して行くといつたような、幾つかの責任の上に立つ者でなくてはならない。その点はまつた日本の今の経営者というものは、時代が非常に進んでいるようで、案外どうもはずれていると思います。
  47. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 三番目にお伺いします。これは外資導入、政府言つているし民間も言つておりますが、なかなか外資が入つて来ない。これは日本の経済並びに法人等が、秩序を回復していないという証拠であるとともに、またその経営状態がうまく行つてない、こういう点があるかと思うのであります。私どもはこの配当が確立しない、また経済が平常化していないから、外資が入つて来ないかと思うわけですが、飯田公述人は専門的に考えまして、どういうふうにいたしたならば外資が入つて来るか。たとえば基礎産業、電気あるいはその他船舶というようなものには外資が入つて来るかもしれませんが、ほかの方面には外資が入つて来ないように見えるわけであります。そこでどういう方面に外資が入つて来るべきものであるか。今後の会社経済はどういうふうにいたしたならば、外資が導入できるものであるか。その点につきまして最後にお答え願いたいと思います。
  48. 飯田清三

    ○飯田公述人 今外資が入つている形は三つあるのです。ロイアルテイとかパテントとか、そういうふうなものをキヤピタライズして、これを借りたような形にしておる。これはこつちが向うの技術を買い取つたような形にしておるのが一つと、今石油会社あたりがやつておりますように、お互いの経営に参加するというような意味で入つて来ておる。これが次に大きい。円にしまして約六十億くらいの金額になつております。それから第三には、向うの投資家が日本の市場で利殖のために株式を買つておるというような形であります。そのほかに皆さんがおそらく頭でお考えになる外資導入というようなものは、これはすぐ前の、たとえば東電が外債を募集した、社債を募集したというようなことをお考えでしようが、そんなものは全然ございません。それからごく短期の借入金、これは外資導入とは一応別個な問題ですが、一部ありますけれども、これは問題にならない。お話の点は長期の外資が、しかも民間へ入るにはどういうふうな條件かと、こういう御質問だと思うのでありますが、そうといたしますと、やはり民間だけだと、米ソの対立あるいは朝鮮問題というような基本的な線が片づかないと、これは日本の経済だけの安定ではない。むろん日本経済が健全化し安定化するということが大きな土台になりましようが、なかなかむずかしいのではないか、こういうふうに思われます。しかしたとえば電力の外債はどうだとか、あるいはこのごろ新聞なんかに出ている日米経済協力の線に沿つた外債の問題はどうだ、とかいうことになりますと、これは多少ガヴアメント・クレジツトといつた色彩が強いのでありまして、おそらく政府が關與して、日本が東亜の安定勢力としての多少裏づけをするような経済協力という線からは、これは外資が導入される可能性は私は多分にあると思います。おそらく今ではみんなが疑つているような形でも、日米経済協力というような形で表へ出ましたら、あれなしでは日本の経済が東南アジア開発というふうな点はむずかしい。そういう点ではできますが、純民間の外資導入というのは、今期待されるのは、やはり株式を買い取るというような程度で来るのではないでしようか。大体年末までに三億五、六千万円外人が日本の株式をつつております。今度外資導入というような問題にはなつていないようでありますけれども、今御承知の通り向うからドルが入つて来ると、もうそれは元金は送れないというようなことでありますが、ある一定の條件でドルをまた向うへ持つて帰ることができるとか、あるいは途中で甲の株を売つて乙の株に乗りかえることができますれば、相当外資は導入できる、今の市場の株式を買うドル資金というものは入つて来るものだ、かように考えるのであります。
  49. 佐藤重遠

    佐藤委員長 まことに該博なる知識で、適切なる御意見を拝聴いたしましてありがとうございました。  大分時間も経過いたしましたので、午前中はこの程度にとどめ、午後一時半まで休憩いたします。     午後零時五十五分休憩      ————◇—————     午後二時四分開議
  50. 佐藤重遠

    佐藤委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  午後はまず国鉄労働組合書記長太田末男君にお願いいたします。
  51. 太田末男

    ○太田公述人 私は国鉄労働組合の書記長で、太田末男と申します。  先ほどの公述人であられる株式証券界の代表格の飯田さんが、その前に公述されました一ツ橋大学井藤博士の公述を評しまして、井の中の蛙である、あれは原則論のみを述べておるのである、こういうことを申されたわけであります。そうして世の中というものはもつと複雑であつて、もつと生き生きとしておる、こういうことを言われました。私は勤労者の立場といたしまして、もちろん井藤博士ほど学理的に詳しくもありませんし、また飯田さんほど実際の経済界についての知識、特に株式売買の利得に税金をかけるというようなことは、たといそれが引下げになつても心理的に影響するところがあるのだといつたような、きわめて該博な精密な知識も、私にはないわけであります。しかしながら私どもは、それがなくては今の日本にとつて一番困るものであるところの生産に、直接従事いたしておるところの勤労者といたしまして、井の中から見るのではありません、汗とどろの中から私どもの意見を申し上げたいと思うのであります。先ほどからお話を承つてみますと、この税の問題について、きわめて余裕綽々と発言をされておるのを聞きまして、またそういつた質問のおありになるのを聞きまして私どもはきわめてうらやましく存じておるわけであります。私ともにとつて、税は高いか安いか、あるいはもうかるかもうからないかといつたような問題ではないのであります。実に私どもが生きて行くことができるのかできないのかといつたような、切迫した問題であります。きようもまた朝刊を見ますと、蒲田において労働者の騒動が起つておるようであります。私どもは、こういつたことの最大の原因として、勤労者の生活に不安があるからであるということをよく考えたいのであります。八千四百万に及ぶところの人口を、この狭小な国土に養わねばならぬわが国におきまして、生産の直接のにない手としてまた民主的国家の国民といたしまして、わが国の財政に、あるいは租税によつて払うところの歳入の使途につきまして、私どもがその身を削つて出すにひとしいところの租税でありますからして、それがほんとうに有用に使われておるのであるか、あるいは租税負担は公平であるかということについて、深い関心を持つておるのは当然であります。今回政府が今次国会に提案されますところの税制改正に対する説明書を読みますと、国民租税負担の状態にかんがみ、負担の軽減と調整をはかるために、先に臨時特例法によつて実施したところの所得税を維持、平年度化するのほか、所得税及び相続税について一層負担の合理化をはかるとともに、課税の簡素化及び資本の蓄積に資するためであるというふうにあるのでありますが、われわれ勤労者の立場からこれを概括的に見るときに、その負担は著しく不公平であります。その使途についてはまさにさか立ち政策であると、言わざるを得ないのであります。以下私は項別にこれを列挙いたしまして、これが批判並びに勤労者の立場からの主張を試みたいと存ずるのであります。  まず最初に所得税について申し上げます。所得税の改正については、勤労控除の引上げほか数項目の減税措置が、講ぜられておるということになつておるのでありますけれども、これが改正は、軍に税法上の改正にすぎないのであります。しかも賃金引上げと同様に、常に物価の上昇に遅れて実施されたものでありますから、実質的には少しも減税でないということであります。基礎控除についてこれを言うならば、その免税点は三万円から五万円に引上げられておりまして、はなはだ減税なつたようであるのでありますけれども、名目賃金は二割の上昇を伴つておるのであります。まして電気料金、ガス料金を初めとするところの一般物価の上昇、先ほどまで一度も触れませんでしたけれども、住民税の逆の増加、こういうことを計算いたしますると、実質的には私どもは少しも税の軽減として、身に感ぜられないわけであります。元来この基礎控除は、先ほど井藤博士が述べておりましたが、憲法によつて保障されたところの最低生活の保障措置であるという見方が、もちろん原則的には正しいものであると信じております。今私どもが受けておるところのべース賃金は、私どもにとつてはまさに最低生活給であることは、世間周知の事実であります。今やこの税というのは、私ども勤労者の生活の中に食い込んで来ておるのである、こういうことが言えると存じます。すなわち物価の上昇は昭和十、十一年度に比べまして、二十六年度末においては、政府統計によりましても、三百十倍に及んでおります。免税点に至りましては、当時千二百円であつたものが、現在五万円でありますから、わずかに四十一倍強の上昇にしかすぎないのであります。また私どもの生活は当時に比べまして六五%の水準であるということは、大蔵大臣が先ごろ国会で述べられた通りであります。かつて大衆課税というものは間接的な消費税の代名詞であつたのでありますが、今では所得税というのが大衆課税にまでなつておるわけであります。すなわち戦前で、私どもの身辺におりますところの係長クラスの人が、大体百円とつておりました。ずいぶん偉い人であつたのでありますが、こういう人も無税であつたのであります。今ではやつと就職したばかりの五千円の給料をとつているものが、すでにこの所得税課税の対象となつておるようなわけであります。物価の上昇に比例するならば、免税点は実に三十六万円とすべきである、こういつたような机上のりくつも成り立ちます。しかし私どもは、わが国経済の実情にかんがみましても、少くともその免税点は、最低生活を保障するというところの憲法の保障の趣旨に従いましても、大体十二万円までは引上げなければならないということを、かたく信じておるわけであります。  次に勤労控除についてでありますが、これは依然として一五%にすえ置かれておるのでありまして、この点についてもまことに不当であるというふうに存じております。二十四年に参りましたシヤウプさんの勧告によりまして、中小企業、農民との均衡上、当時二割五分の勤労控除であつたものを、一割五分に引下げられたわけでありますが、事業は逆に不均衡を来しておるのだということができると思うのです。なぜなら、源泉課税におきましては、完全に百パーセント漏れなく徴税いたされます。しかしながら申告納税の場合には、七〇%ないしは八〇%とれるものであるということは、これはどこの税務署に行きましても、税務署の常識となつておるわけであります。これらの均衡をとるためには、勤労控除免税点は三〇%に引上げねば不均衡である。これは私どもの單なる主張ではなくして、過ぐる第十二臨時国会の大蔵委員会におきまして、大蔵省主税局泉税制課長が明言しておるところであると聞いております。  次に扶養控除でありますが、今回三人までは二万円となりました。これまた最低生活の保障という意味におきましては、これらの数字を十二箇月で割るとき、家族一人の生活がこれによつてもちろん保障されるものでないことは、申すまでもないのです。少くとも私どもはこの扶養控除も五万円まで引上ぐべきであるということを、主張したいのであります。  次に税率について申し上げますが、物価上昇に伴う名目賃金の引上げに対応したままであるはずですが、結果的には高額の所得者を利することになつておるのは遺憾であります。国民総耐乏の態勢というべき折から、しかも生産に従事する直接の働き手であるわれわれの最低生活に、この税が生活そのものにも食い込んでおるというときに、生活に余裕があつて、しかもその所得はあるいは交際、あるいは遊興、こういつた非生産の面に消費さるる高額所得者の税につきましては、百万円以上の所得については、私どもは少くとも六〇%ないしは七〇%まで引上ぐることか、公平なる措置であるというふうに存じておるのであります。  次に遊戯手当について申し上げます。退職手当あるいは一時恩給、こういつたものの課税につきましては、従来はまさに苛酷なものでありましてちようど首つりの足をひつぱるような税金であつたのであります。今回はやや改善されたのでありますけれども、就職中の賃金は辛うじて一家の生活をささえるにすぎず、その長い全生涯を通じて業務体に奉仕をいたし、国の生産に従事いたした者に対して、退職後の生活を保障するためには、最低五十万円までは免税点とすべきである。そうして小さな家の一軒も持たせて、少い余生を送らしてやることこそ、国家としての義務であるというふうにかたく信じておるのであります。  さらに健康保險、厚生年金保險料、こういうものについても、今述べられたような趣旨からいたしまして、私は給與所得から除くのが妥当である、かように存ずるのであります。  次に法人税について意見を申し上げたいと思うのであります。法人税につきましては、税率は三五%から四二%まで七%の引上げを行つておるのであります。税額においても一見増額のように見えるのでありますけれども、私どもの立場からこれを観察いたしますならば、他方において資本の蓄積と称して、至れり盡せりの実質上の減税措置が講ぜられておるということを発見するのであります。その第一は、減価償却を大幅に特例措置として認めておるということであります。その第二番目は、産出衆合理化法によるところの減税措置であり、その第三は地方税において従来の一五%から一二%に引下げられておる、こういう事実であります。さらにまたこういつた大資本における利益の絶対額というのは、われわれ勤労所得者のような、もとわくの少い者にかけ合せるところの税率ではないのでありますからして、その絶対額はきわめて大きいのであります。しかもこの増税分については、見通さるるインフレの過程におきまして、銀行資本の融資による肩がわりによつて負担を他に転嫁する機会があるのであります。しかしながら個人の場合には、それがほとんどできないということを考えるならば、その減税なるものの性質も推察できるのであります。ついでにここで申し上ぐるならば、政府は大所得の隠し場として、大所得者に合法的脱税すら認めておるということであります。何であるかと申しますと、この二月十一日に復活いたしました無記名預金制度がまさにこれであります。これは資本の蓄積、インフレの防止といつたようなことを一万田日銀総裁は述べて、この目的を援護いたしておりますけれども、この制度は先ほど申し述べました勤労控除の二割五分から一割五分への引下げととともに、シヤウプさんの勧告によつて禁止されたはずであります。それがひとりこの無記名預金制度、これのみが復活をいたしまして、勤労控除の面は復活をしない。こういう面に私どもは今回の減税の性格を、また考えさせられるのであります。さらには譲渡所得について有価証券の売買によるところの所得、これはまた減税をされており、また将来は廃止の方向に向つておるんだということも聞いております。こういうことを考えますと、私どもは今回の税金がどうも勤労者を生かさず殺さずの体にすえ置いて、大資本、大所得者を擁護しておるというようなことを、深く深く考えさせられざるを得ないのであります。  次に相続税について申し上げてみます。租税負担能力、こういう点から申し上げまするならば、私どもはこの相続税については低位相続、低い額の相続のものはもつともつと免税点を上ぐべきである。しかしながら少くとも五百万円以上といつたような高額の相続者については、すなわち現行税率を適用しても、いささかも聞違いがないものである。公平なものであるというふうに考えておるのであります。  最後には砂糖の消費税でありますが、この関税引上げは粗糖において一〇%、精製糖において一五%の引上げがなされておりますが、またただちに勤労者に振りかかつて来るところの大衆課税であることは、言うまでもないことでありまして、私どもはこれらのものは現行のままにすえ置くことが、正しいのであるというふうに主張いたしたいのであります。私どもはかくしてこれら一連の動きの中で、私どもの生活は常に脅かされ、常に不安な状態に置かれておるということを痛感するのでありますが、眼を転じてこれが使途についても考慮を払つてみたいと思うのであります。すなわち歳入面において、租税によるところの收入は、私の手元に政府から與えられたものによりますと、六千二百七十七億円でありまして、そのうち源泉徴税は千三百三十億円であります。これは全部が全部勤労所得ではないだろうと思いますけれども、そのほかに酒を初めとするところの間接的な消費税、あるいは専売納付金、こういつたものを考慮いたしますと、優に千五百億円を越えるところのものは、勤労者の納税であると思うのでありますが、反面、歳出の面において千八百四十二億円に及ぶところの、いわゆる防衛関係費が目につくのであります。しばしば新聞によつて報道されておるところによつて承知いたしますれば、政府は国会においてこれは決して再軍備ではなくして、国内の治安維持費であるというふうに強弁をいたしておりますが、まことにそれが国内の治安維持のための費用であるというふうに考えますならば、実に政治としては愚かしいきわみと申さなければならないと思うのであります。日本国民が、重ねて申しますならば、狭小な国土に八千四百万という世界最大の密度をもつてひしめき合つておりますが、厖大な賠償に耐えて、そうして民主的国民として発展するためには、その全力を生産の増強にまたなければならぬことは、申し上げるまでもないのであります。その直接のにない手であるところの、勤労大衆の生活を安定させないからこそ、治安の要が生じて来ると存ずるのであります。勤労者の最低生活からしぼり上げた税金でもつて、勤労者の生活を不安な状態にいたしておき、それでもつて警察予備隊をつくりあるいは大砲をつくる、そうしてそれでもつて、不安な状態から生ずるところの勤労者の動揺あるいは治安を取締ろうとする。これらは何と考えても、まさにさか立ちの政策である。政治の貧困であると断言せざるを得ないのであります。私どもはよろしく納税負担を真に公平化し、そうして勤労者の生活を安定して、不要な治安維持費の出費、こういつたものをいることなくして、それらを必要な部面に使いまして、そうして喜び勇んで日本発展のために全国民が邁進し得るというところの、正しい正常な政策を遂行されんことを最後に力説いたしまして、私は勤労者の立場からの意見を終りたいと存ずるのであります。
  52. 佐藤重遠

    佐藤委員長 ただいまの御意見に対して御質疑があれば、これを許可いたします。
  53. 高田富之

    ○高田(富)委員 午前中井藤博士から基礎控除上つた理由を、物価の上昇率と政府発表の統計によりまして比較をいたしまして、物価の上昇率よりも基礎控除上つた率の方が大きいので、実質上の減税になつておるという御意見を聞いたわけであります。ところがただいま実際の勤労者の生活の体験からいたしまして、実質上の減税になつておるということは少しも感じられない。ぜひとも十二万円——とおつしやいましたか、大幅の引上げをしてもらわなければ、生活費の中から税金を払うというような感じであるということでありましたので、私は特に戦前との比較は別といたしまして、戦後のシヤウプ勧告当時から、政府ではずつと減税していたと言つているし、学者が統計的に見ますと減税になつているということを、数字的に証明されるわけでありますが、これをそういう数字にとらわれずに、実際に勤労者の生活状態というものが、政府減税をするたびごとにちよつとも減税に感じない、あるいはむしろ実際生活はもつと苦しくなつているという実体を、この機会にぜひ——これは私は單に賃金の上つたことばかりでなくして、生活費が上つたこと、あるいは職場におけるいろいろな條件といいますか、実質上の労働の状態等も、全体としての生活が苦しくなつて行く原因になつていると思いますので、その現実、ここ数年間における国鉄労働者諸君の生活が暫しくなつているという実態を、端的に何らかの事例をあげてお話し願いたい。
  54. 太田末男

    ○太田公述人 具体的にこまかい事例を今ここに持ち合せておりませんけれども、私どもはいつも減税である、生活は幾らかよくなつているはずであるということを言われるのでありますけれども、職場における実態は決してさようなものではないのであります。皆様方御承知かもしれませんけれども、私ども国鉄労働組合内におきましては、労働組合内が分配の問題をめぐりまして、内輪でもめているといつたような実体があるのです。これらはすでに私どもが上の方に向つて要求し、かち取り、それによつて少しでも生活を楽にしようという道が、完全に開されておるというような印象を受けている一証左なんです。そして今や飢えたものの前のわずかの肉片に、お互いが何とかして生きるために、これを奪い合うという現象すら出ておるといつたようなことは、これは例にはならぬかもしれぬけれども、一応申し上げられるのであります。さらに三月、ちようど入学期前でありますが、この時期に私ども中央執行部に対して、現場から盛んに訴えて来ているのは、学用品その他のものすごい騰貴であります。これに対してどうしても負担が耐えられない。中学の一年、二年の学用品はわずかに千円内外でありますけれども、この千円内外が、私どもの生活には一番はげしくこたえるのであります。たとえば私に例をとつてみますならば、鉄道奉職以来すでに満十八年であります。私どもがつい年末までもらつておりましたところの給料は、八千二百円にすぎなかつたのであります。今回のべース・アツプによりまして、二万一千円ほどにはなつたのでありますけれども、この私の事例を見ましても、大方の点が推察つくと思うのであります。まして国鉄の労働者の大部分のものは、徹夜勤務と申しまして、二十四時間ぶつ続けの勤務をするのであります。こういつた特殊な勤務をして生産の増強に、日本の産業の血脈としての作業を行つておるわけでありますが、そのような点からも御推察願えるかと思うのであります。御質問に対して適切なる資料でお答えできぬのは、きわめて残念でありますけれども、そういう点から御推察願います。
  55. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 ただいまの太田公述人のお話では、基礎控除の引上げは、十二万円にしてくれ、扶養控除において五万円にしてくれ、こういうお話でございました。私は政府を弁護するわけではございませんが、今までの私の計算によりますと、日本の家族は大体五人であると思いますが、基礎控除が五万円、扶養控除が三人まで二万円、十一万円、四人目が二万五千円でございますから、十二万五千円までは大体免税である、こう考えております。また勤労者に対しましては、十四万五千円までは国税免税である。かように考えておるのでありますからして、もちろん地方税は上りましたが、国税面からみると、ほとんど勤労者には税金はかからぬ、やはり全体からいつてそういうふうに感ずるのでありますが、どういう根拠であなたは減税になつていないとおつしやるのか、私どもは了解に苦しむわけでございます。これについて承りたい。
  56. 太田末男

    ○太田公述人 その点について申し上げますが、今の御質問者のように、余裕綽々と税の問題にとつ組んでおられればいいのでありますが、私どもは先ほどから申し上げますように、この税の問題はほんとに生活そのものとのとつ組み合いの問題で、さつき私は言つたのでありますけれども、戦前の比較からりしますともちろん免税点は三十六万が妥当である。しかしそうまでは申しませんので、少くとも最低生活までは保障するようにしてくれ、こういうことを言つておるわけであります。家族の点につきましても、私は実生活の面から申し上げるのです。上から現在あるこの税金がこのくらい税率を下げたので、このくらいはよくなつたであろうがといつたような、いわゆる税制上のりくつから私どもは考えられない立場です。そういう立場はおそらく余裕のある立場で、その是非、よし悪しという立場で言うのでありますが、私どもは最低生活を維持するという立場からいつておるのでありまして、その一番下は、家族が一人一年間に生活するところの費用、二万円で行きますと、それを十二で割りますれば幾らになりましようか、千幾らかにしかすぎないのです。そういうことでは一般のお宅で、実際に家族の何らか別に給與所得の道を設けない限り、生活が維持できるかどうかということは、よくお考えになつていただけばわかると思うのです。多数の勤労者がその基本的な給料だけでなくして、別のいわゆる内職をしておるということ、こういう面は皆さん方は察知できないかもしれませんけれども、なまなましい生きるための現実であることを御承知願いたいと思います。
  57. 佐藤重遠

    佐藤委員長 それではどうも御苦労さまでした。  次は全国商工団体連合会会長河野貞三郎君に御意見をお願いいたします。
  58. 河野貞三郎

    ○河野公述人 私はただいま御紹介いただきましたように、全国商工団体連合会といいまして、きわめて小さい商工業者の組合、その他団体の集まつておりますところの連合会の会長といたしまして、また自分で書籍の小売業を二十数年やつておりますが、そういう中で得た経験、また東京都内並びに地元中野区におきまして、それら商工業者の世話役をやつておりまして、そういう中からの商工業者の声を、この機会に皆様方にお伝えいたしまして、商工業者の立場から、今回の税制改正に対する御意見を申し上げたいと思うわけでございます。  さてこの度政府が国会に提出いたしました税制の改正に関する法律案は、その提出の理由に示されたところによりますならば、国民税金負担を軽減し、または税金負担の均衡をはかることを目的とされておるようでありますが、しかしながら所得税の場合において考えてみまするならば、この改正案に示されておるところの基礎控除におきまして、従来の旧税法よりはわずかに二万円、扶養控除におきまして三人まで五千円ずつという引上げでございます。今私ども中小商工業者といたしまては、現在の税金がわれわれの元手や、生活費に食い込んでおるような実情でございまして、こういう立場減税の要望には、これくらいの基礎控除扶養控除では何らこたえられていないというふうに、考えておつたものでございます。従いまして現在私ども中小商工業者、農民、勤労者の方方の要素しておりますところの、生活費の基本となるところの基礎控除としては、現在政府で示しておりますところの改正案金額は、あまりに隔たりがあるということを申し上げたいと思うものでございます。旧税法と比較いたしますならば、旧税法の基礎控除額は、一日にこれを換算いたしますならば、百円でございます。扶養控除におきましては、一人当り四十円だつたわけでございます。ところが今回これが若干引上げられまして、基礎控除におきましては、大体百三十八円になると思います。それから扶養控除におきましては、一人当り一日が約五十円という金額になると解釈されます。基礎控除があまりに少額たということは、これは今の国鉄労組の方も申されておりますが、私もそれと同じ意見でございますし、扶養控除の場合におきましては、これまたきわめて少額であつて、実際現在の生活費と比べましたならば、すずめの涙みたいなものだということが、言えるのではないかと思うものであります。今官庁統計で発表されておりますところの実質生計費の、大体三分の一の額でしかないように解釈されるわけであります。従いましてこの五十円という金額で、一日はたしてどういうものをわれわれが食べて行けるかということを、ここで考えていただければ、この控除額というものがあまりに少額だということが、はつきりするのではないかと思うわけであります。大体私どもが昨日調べたところによりますならば、東京都内の配給食パンの値段が一斤、二十八円でございます。従いまして、この五十円という金額は、配給食パン一斤半分に、さらに若干のおみその代というものでしかないわけであります。一回に半斤ずつを食べましても、それにおみそをつけて食べる。現在の扶養控除では辛うじてその程度の生活しかできない。パンにみそをつけるということがはやりつつあるかもしれませんが、実際の生活はこれではできない。つまり国民に対して、生きて行けないような保障にしかなつていないということが、言えるのではないかと思うわけでございます。今さらここで私どもは、憲法第二十五條を引用する必要はないと思うのでありますが、このようにきわめて低い基礎控除扶養控除の上に立つておきながら、それでは今どういうようにこの税金の取立ての面で、国税庁や国税局、税務署がやつておるかと申しますと、こういうわずかな基礎控除あるいは扶養控除をそこに持つて来まして、お前のところはこれくらいもうかつているからという推定で、大体政府の発表しておりますところの実質生計費とか、そういうものから推定いたしまして、人数が幾人ならば幾ら生活費がかかるはずだ、それが結局お前の所得ではないかというふうに、税金をかけて来ておるのが多い実情であります。そこに現在いろいろ深刻な税金問題が起きている原因があるわけであります。この実例につきましては、後ほど詳しくいろいろな事例を出しまして、お目にかけたいと思つておりますが、そういうことが現在の末端の税務署において——今、昭和二十六年度、昨年度の所得税の確定申告の時期でございますが、その申告の指導にあたりまして、こういうことが盛んに行われているわけでございます。  私どもは今こういうような課税の状況の一端を申し上げましたが、そのついでに私ども商工業者の現在の営業と生活の状態を、御参考までに述べたいと思うのでございます。われわれ零細な商工業者の営業というものは、現在言われておりますところの企業とか経営とかいうようなものとは、はなはだしくその性格を異にするわけでございます。なぜかと申しまするならば、生きんがためにやむを得ずにやつているところの、商売や手工業であるわけであります。従いまして、その一日々々の仕事というものは、まつたく朝は未明から起き出し、夜は夜中まで、十五時間、十七時間というような労働をいたしまして、命をすり減らして、辛うじて自分の生命と、それから家族の生活というものを維持しておるのでございます。  こうした実情の中で税金の問題を負わされて来ているわけでございますが、われわれがそういうような状態に置かれているということを立証する最もよい例の一つといたしまして、現在政府税金のために奨励しておりますところの青色申告の問題があるわけでございます。現在政府が青色申告会とか、あるいは税法の面におきましても、いろいろな特典を與えております。たとえば今回の改正案にも一部盛られておりまするけれども、純損失の繰越し繰りもどしとか、貸倒れ準備金とか、価格変動準備金とか、あるいは専従親族に対する五万円の控除とか、こういうふうな奨励保護を一般の白色申告と別に設けておりまするけれども、こういう税金を納める上において、非常に有利な特車を與えられながら、こういうようなことが実行できない。なぜ実行できないかと申し上げますならば、生活上の余裕がないために、税務署の奨励しておるところの帳簿なんかを、正確につけることができないという業者が、ほとんど零細企業の中では大多数を占めておるわけでございます。過去数年間にわたりまして、政府、税務署が非常に莫大な費用を使つて、この青色申告を奨励しておると思いますが、私の知つている限りにおきましては、大体全国平均にいたしまして、この有利な青色申告をやつている者は、わずかに二、三パーセント、東京のような大都会地におきましても、わずかに五、六パーセントというのが実情でございます。こういう点から見ましても、いかに現在の商工業者というものが零細化されておるか、あるいは税金の面におきましても、完全に帳簿をつけられないような苦しい状態に置かれているかということが、おわかりになつていただけると思うわけでございます。  これと関連いたしまして、私どもは今まで政府からたびたび、日本税金は非常に安い、外国の税金に比較して比較的安いのたから、納税できないはずはないというようなことを、言われておるわけでございますが、私どもの知り得ている限りにおきましては、確かに日本税金は、私どもは現実に高いと感じておるばかりでなく、やはり制度上におきましても高いものだというふうに、考えざるを得ないような資料を持つておるわけです。それはアメリカの連邦所得税の場合でございますが、その場合を考えてみましても、大体扶養控除におきまして一人六百ドル、日本の金に換算いたしますならば、二十一万六千円というような数字が出ておりますので、まあ富の程度とか生活の程度が違うにいたしましても、あちらでは日本の十二倍の生活の保障がされているというふうに考えられるわけです。そういう点から見ましても、税制の上から言つても、非常に日本税金は高いということが、身近な例ばかりでなくて感ぜられると思うわけであります。それから税率の面でございますが、税率の点につきましては、一応累進課税ということになつておりまするけれども、今度の改正の場合におきましても、今までの百万円の最高税率の限度から、二百万円に引上げられたわけでございますが、これは私ども考えますのに、やはり下に重く、上に軽いという結果になると思うわけであります。従いまして、この税率の面におきましては、さらに現在のこの経済状態から行きまして、一年に何億という所得があつたとか、何千万円所得があつたとかいう人たちもございますので、それらの人たちにも累進的に課税する方法をとることが、税負担の公平を期することになるのではないかというふうに考えられるわけです。従いまして、その大所得者に対する累進高率課税をもちまして、さらに現在生活もできないような状態に置かれているところの零細な、われわれのような中小商工業者、または勤労者、農民というような者の負担率を軽くしてもらいたい。下の方の税率をもつと低くしてもらいたい。並びに扶養控除基礎控除の額をもつと上げてもらいたいというのが、私ども中小商工業者の偽らない真の要求でございます。  現在私どもが、こういうような基礎控除も非常に少額であり、扶養控除も非常に低い、そういう税法によつて生活が保障され——つてその以外のものは全部税金としてかけて行かれるというようなことになります点から、現在の税問題が起きておりますので、その関係から、最近も新聞紙上に出ておりましたが、親子心中をしなければならないとか、あるいは父祖伝来の営業をやめて、ルンペンのようになる商工業者が、最近は非常い多いわけであります。こういう点を防止するためには、どうしても現在の基礎控除扶養控除を実質的に生活できる金額まで、上げて行つてもらわなければならないと思うわけであります。私はここでこの基礎控除を幾らにしてほしい、あるいは扶養控除を幾らの額まで引上げてほしいというような数字は、出すことはいたしませんけれども、やはり現在の物価に比較しまして、あるいは理論的に生計費を割出していただきまして、その標準によつて基礎控除扶養控除物価が上がれはその水準によつて上げて行く、こういう形をとることが最も必要だと思うわけであります。戦前の話が出ておりましたが、昭和十年に比べると、今は物価が三百倍になつておるそうでございますが、三百倍以上三百四十倍になつているという話もありますので、そういう点から考えますならば、今の基礎控除はまつたく話にならないほど低過ぎるものだ、ということができると思うのであります。そういう点からいろいろ四十万説とか三十万説とか二十万説とかいうものがございますが、やはりこれは大幅な引上げをやらなければ、現在起つておりますところの税問題も解決できなければ、中小商工業者、農民、勤労者を含めまして、税金に困つておる国民の要望には沿い得るものではないというふうに、考えられるわけであります。この基礎控除扶養控除の根本的な問題が、今回の改正税法においても解決されない限りは、この改正税法の中にも載つておりますところの不具者とか、あるいは老人とか、それから寡婦とか、勤労学生とか、遺家族とか、傷痍軍人等の控除額なんかを若干引上げましても、これら遺家族や傷痍軍人のような方々の切実な要望には、沿い得るものではないというふうに考えるものでございます。  次に今回の所得税法の一部改正につきまして、最も注意していただきたいと思いますことは、政府の言われておりますところの税金負担調整が、單に税法の改正だけによつてはできないということを、指摘したいと思うわけでございます。といいますのは、今まで税金を軽減するために、税法の改正が数回行われているわけでございますが、皆様方も御存じの通り、今までの税法の改正、減税声明というものは税法上の減税というふうにたれでも解釈しておりますし、これが一般の定評だつたと思うわけであります。私ども商工業者にとりましては、今までの税法上の減税では、かえつてこの減税が声明せられるたびに、逆に税金が高くなつて来たような立場に置かれているわけでございます。つまり最近の税金と比較して考えますならば、二十五年の場合は、これは国税庁の発表でございますが、前年より三割所得が向上した、そういう点で一律に大体三割以上の税金をかけられた。二十六年の場合は、これはやはり国税庁で発表しておりますものですが、前年よりも売上げにおいては六割向上して、所得においては五割向上した、こういう点から課税されて来ておるわけでございます。従いまして国会におきまして税制改正が行われまして、これで納税者の税金を軽減したというふうにお考えになつていただきましても、一歩これが外へ出まして国税庁、国税局、税務署というふうな運営の面になつて参りますと、逆にこれが高くなつて行く。このふしぎな事実を皆さん方に考えていただきまして、行政措置におきましても、この点を最後まで見ていただかなければ、ほんとうに減税したということにはならないのではないか、というふうに考えるわけでございます。  御参考までに、現在二十六年の所得税の確定申告は、今月の二十九日が期日でございますが、それを前にしまして税務署が行つております申告慫慂の状況を、申し上げてみたいと思うわけでございます。大体今まで私どもが、いろいろな商売物の雑誌やなんかを見まして知つておる範囲におきましては、昭和二十六年度の申告所得税は、当初予算におきまして千百七十七億であつた。それが昨年の補正予算におきまして、税制改革によりまして、つまり扶養控除基礎控除が引上げられたために、千二十二億に引下げられまして、百五十五億の減税なつたというふうに聞いておるわけでございます。ところが今税務署でこの確定申告にあたりましてやつておりますことは、国民所得は向上しているじやないか。去年より向上している、あるいは実態調査とか精密調査とか、個人調査とかいうのを、税務署は納税者に対して行つておりますが、矛、の調査の結果、それだけ所得が向上したことを、捕捉したという理由のもとに、現在去年より税金を、少いところでも二、三割、多いところでは普通でも五割、七割、高いところでは十割、二十割というふうに、申告指導によつて押しつけて来ておるわけでございます。申告慫慂と申しますのは、本来ならば、納税者は昨年の一月一日から十二月三十一日までの所得を、今月の二十九日までに自分で計算して、そうして税金を納めなければならないところの所得計算ができたならば、所定の税率によつて納めればよいわけであります。従つてこの申告以前に、何ら税務署から、税法上におきましては拘束される理由はないと思うわけであります。しかしながら現在税務署がやつておりますことは、皆様御承知だと思いますが、税法上には更正決定というものがございますが、申告のあとにおきまして、税務署の調査との食い違い等があつた場合には、税務署が更正決定を出す権利を持つておりまして、納税者にその決定額を押しつけて来るわけでございます。本年の場合は、申告慫慂、申告指導というような意味におきまして、税務署があらかじめつかんだ数字納税者に示しまして、それによつて今月の確定申告を出してもらいたい——今まで今月以後にやればよろしかつたことを、今月以前にやらせられておるのが実情でございます。しかも私どもが最近受けた納税者からの報告によりますと、もう今年の税金は、一ぺん君らに示した以上はどうしてもひつ込むわけには行かない、これはもう上からの命令で、どうしてもとらなくてはならない、そういうようなことを言われて、捺印を強制されておるような事実が非常に多いわけであります。これは私どもが考えましても、明らかに税務署自体が税法違反をやつておるのではないかというふうに考えておるわけでございますが、これは税法違反だけでなく、私ども納税者が受ける精神的な実際上の打撃というものは、非常に大きいわけでございまして、昭和二十六年度におきましては百五十億の減税をしたといいながら、末端の税務署におきましては、納税者に対してかような増税をやつておるという逆な事実を、認識していただきたいと思うわけであります。この機会に、お手元に配付してあると思いますが、そういう不当課税の押しつけの実例を申し上げてみたいと思います。どういうふうにして税務署がわれわれ納税者に対して、二千六年の減税なつたといわれる税金を、今高くしてこれを承認させようとしているか、その事実を申し上げます。これは一般的な例でございまして、特に本日の公聴会に出るためにつくつたものでも何でもなく、たくさん出ている実例の中から、ありふれたものを拾つたものであります。  これは下谷税務署の管内に起つている事実でございますが、谷本宏、台東区竹早町十二の一、自転車修理の人です。ことしの第一期のときに御自分のやつた申告が十七万円、高橋事務官という人が担当しておりますが、この人に対して申告慫慂額が二十八万四千九十二円、十一万も上つて来ている。その理由としては、総売上げが六十六万と見て、これに四五%をかけた。そうして払えぬというなら行政処分をする、こういうことを言つているわけであります。  次に、やはり台東区でありますが、中根岸町四十八の菓子小売業者の早坂さんという方、この人の申告額が十四万円、係は池田事務官ですが、この慫慂額が二十五万円、今度のは約倍になつております。理由は、係官がちよつと店に行つてみればわかる、生活費から推してもそれだけはあるはずだ、全体にことしは六割増しになつているのだ、国を守るために予算がそうなつているんだ、こういうことを言つているわけです。ここでは調査もしないでかけているという事実を、税務署側でみずから証明しておると思うわけであります。これでは国家予算を割当てて押しつけて来ていることが、証明されるのではないかと思います。  森喜久次郎という人はやはり台東区竹早町ですが、かじ屋さんです。御自分の申告が十三万円、それに対して慫慂額が二十六万円、これはちようど倍です。担当は内藤という事務官です。どういう理由でそのようにかけて来たかと申しますと、向うの説明では二十六万円の根拠はない。家族の生活費だけでも月二万円はかかるから二十四万円はある。多少多くなる月もあるから二十六万円をかけたというのであります。こうなりますと、これは食うためにやむを得ず商売をしておるのに、生活費にまで税金をかけるという結果になると思うのであります。  次に加藤清治という人、これは台東区谷中天王寺で菓子屋さんをやつている人ですが、御自分の申告が十万円、これに対して池田という事務官が十五万円の税金を押しつけて来ておるわけであります。理由は家族五人だから月一万五千円はかかるはずだ、年十八万円だから十五万円では安いはずだ、絶対に下げない、こういうことを言つております。  同じく台東区竹町の国友愛男という機械修理の人ですが、御自分の申告が十六万六千円、税務署の慫慂額が四十万円、担当は北村事務官……。
  59. 佐藤重遠

    佐藤委員長 ちよつと公述人に申し上げますが、資料も出ていることでもあり、時間の節約上あとは各自で読むことにいたしますから……。
  60. 河野貞三郎

    ○河野公述人 それではまだこういう例は三枚ばかりあるのですが、委員長さんからのお話でありますので、これは省略いたします。  ただいま報告いたしました通り、現在七割とか十割とか、そういう押しつけ課税がなされておるわけであります。こういうふうに考えますと、先ほど申し上げました通り、税法上で減税措置をしていただきましても、実際に私どもはその恩恵に浴していないということが、はつきり申し上げられると思います。大体税務当局が商工業者の売上げは六割も向上したと見ておるところから、こういう高い税金が来るのだと思うのですが、こういう点につきましても私どもは納得が行かないわけです。どうしてできないかと申しますならば、われわれの営業は、大都会においては実際には去年とやや同じか悪いくらいが通例でございます。どなたでもこれはおわかりになると思います。しかるに税務署だけがこういう数字を出して来る。一面これはまた数字的にも私どもが調べた範囲によりますならば、先ほど国鉄労組の方からもお話がございましたが、名目賃金は二割しか上つていない。私どもは勤労者たちを相手にして商売をしておるわけでございますが、名目賃金が二〇%しか上つてないのに、税務署の言うようにはたして私どもの売上げが六割も七割も上るでありましようか、こういうべら棒なことはないはずだと思います。その点から行きましても現在税務署が押しつけておりますように、売上げが六割上つたから所得が五割上つたのだということは、りくつとしても成り立たないと考えられるわけであります。またそういう国内的な低賃金による購買力の低下ばかりでなく、御承知の通り外国貿易等もいろんな悪條件がございまして、そのために私どもの身近な商売がつぶれて行つております。たとえば群馬県におきましては桐生を中心とした織物は、現在七割は操業を停止して、辛うじて二割何分か三割くらいのところが、操業をしておる状態でございます。北陸方面における織物産業におきましても、同様な状態が現われておりますし、岐阜の金物業であるとか、あるいは京都の西陣織であるとか——京都の西陣などはまつたく全滅の形でありまして、高級品をつくつておるわずかな工場が操業しておる状態であります。四国におきます紙の産業も、和紙産業は今非常に衰微をしておる状態であります。それから全国的に見まして近海漁業が非常に崩壊しておる。これはマッカーサー・ラインの関係もあるそうですが、そういう中ではたして政府言つておるように、国民所得が実際に上つているかどうか。二十五年度に比較して国民所得上つた、そして商工業者の所得上つたと言われますけれども、そういう点は私どもといたしましては、絶対にうなずくことはできないのであります。ただ税金をかけるために、税金を高くするためにだけ国民所得を使つておるのではないか。過日私どもは日本経済新聞紙上において、国民所得国民の福祉のために利用さるべきものだという、どなたかの御意見を拝見したのでありますが、政府はこの国民所得を逆に使つて、われわれ国民税金で苦しめる道具に使つておるのではないかと考えるのでございます。また一面税務署が五割上つたとか、十割上つたとかいうことは、まつたくずさんな推計であると思うのでございますが、こういうようにずさんな推計をもちまして、私どもから税金を取立てることは、執行機関でありますところの国税庁とか国税局とか税務署というものが、政府の方針や議会における減税というものを無視してやつているように考えられますので、この点につきましては、今後の税法の改正とも関連いたしまして、最終的には税法の改正の趣旨が徹底いたしますように、この際特にお願いしたいものだと考えるわけでございます。そうしてこの税法改正をやつていただきましても、税務署の課税方針というものを改善していただかなければ、われわれ商工業者はやつて行けない段階に来ているということを御承知願いまして、今後は徴税機構の民主化の点につきまして、格段の御配慮をお願いしたいと思うわけでございます。  以上、私が所得税課税の面、そういう面につきまして申し上げましたことは、あくまでも先ほど申し上げましたように、今回の税制改正におきましても、税法上の改正に終らないようにする。一千億減税すると言いながら、実際これが来年の二月の現在のような確定申告の時期になりまして、また上つたというふうにやつていただきたくないというのが、まず第一のお願いでございます。これは昨年度におきましても、百億円の申告所得税における減税をやつた言つておるのでありますが、私どもの狭い範囲の資料でございますが、経済雑誌なんかで拝見したところでは、別に申告納税者の税金は引下げられていないのだ、あべこべに私ども商工業者は増税を受けているのだというような報告があるわけでございます。申告所得税減税するといつた場合には、あくまでもこういうようなすりかえをしないで、申告所得減税をしていただきたいと思うわけでございます。
  61. 佐藤重遠

    佐藤委員長 公述人に申し上げますが、時間が大分経過いたしましたから、どうか簡略に要点のみひとつお願いいたします。
  62. 河野貞三郎

    ○河野公述人 もうすぐ申告所得税の関係は終りますが、以上申し上げましたように、簡單な国民所得の推計とか、それから生活費がこうだというような面から、今後は実際に課税していただきたくないと考えております。これは私一人の考えではなく、全国の商工業者の声でございます。従いまして、今後はそういう立場から、ひとつ税務署なんかの動きを見て行つていただきまして、現在行われているような割当課税の方面につきましても、これはただちに中止するように、議会でもつて皆さん方に御努力をお願いしたいと思うわけでございます。  それでは次に法人税関係のことにつきまして、意見を申し上げます。今度の法人税の改正につきましては、退職給與引当金の損金算入、それから新規機械「船舶等の繰越し償却の三箇年の延長とか、そういうようなことが改正になるわけでございますが、こういう点が青色申告の法人にのみ限定されるというところに、私どもは問題があると思つております。現在法人の中で青色申告をやつておりますのは大法人でございまして、小法人はやはり青色申告をやりましても否定されるとか、そういう面がございまして、やつておらないところの小法人がたくさんあるわけでございまして、そういうことになりますと、これは大法人だけに恩典が與えられて、小法人には與えられない。従つて税金がやはり実際には不公平になる。上に軽く、下に重いという結果になるという立場から、この点はこういういい方法であるならば、全般に適用してもらいたいということを申し上げたいわけでございます。  それから政府はこの理由書の中にも書いてございますが、本年度の法人税收入を百九十一億の増收と発表しております。この増收の割合を、私どもが経済雑誌等によつて見ましたところでは、二百万円以上の法人に対しては六・二%増しだ、ところが二百万円以下の法人に対しては、二〇%増しと見積つておられるのだというふうに聞いておるわけでございます。従いましてこの税法の改正の面ばかりでなく、運用の面におきましても、もつとこの点を公平になるようにやつていただきたいと思うわけであります。実際には下の方にばかり重くて、上の方には軽いというようなことは、運用の面におきましても、これはぜひ厳格に進んでいただきたい、さように考えるわけでございます。  それから小法人に対する差別の問題でございますが、最近はこの点がことにはなはだしくなつていると思います。税務署等におきましても、小法人の決算報告はどんどん否定するものが多い。そういう最もいい例といたしまして、最近でございますが、中小企業等協同組合法に基くところの企業組合というものが、たくさんできておるのでございますが、この企業組合に対する国税局あるいは税務署の圧迫の問題につきまして、ちよつと申し上げておきたいと思うのでございます。御承知のように企業組合というものは、中小企業等協同組合法に基く法人格を持つた団体でございますが、これが全国で約七千あるわけでございます。この七千ある企業組合に対して、大体国税局また各税務署は、これをどんどん否定いたしまして、現在認められているものは、二千に満たない数字になつておるわけでございますが、こういうようなことは従来の法人の取扱いには、絶対に見られなかつたことでございます。法人は所定の手続をふみますならば、当然この税務署に対しまして、時期時期の決算報告を出して行きますならば、そうして所定の法人税を納めておればよかつたわけでありますが、この企業組合に対しましてはこれを否認いたしまして、非常に圧迫を加えているわけでございます。私ども中小商工業者が営業を合理化して発展するためには、どうしてもこういう方法をとらなければ発展できないということは、これは中小企業庁等が認めて奨励しているところでございます。それにもかかわらず国税局あるいは税務署におきましては、これを否定しているような実情があるわけでございます。この例といたしまして、昨年十一月八日に島根県下におきまして、十五の企業組合に対しまして、広島国税局員が百名も押しかけまして、地元の警察官までも使いまして、差押え、公売等をやつた事実があるわけでございます。法人として脱税とかそういうことで差押え、公売等を受けることは、これはやむを得ないことかもしれませんが、その場合も法人格を否定して、個人の所得だというふうに認定して、それを納税しないという意味から差押え、公売をやつたわけでございまして、これは目下裁判にもなつておりますが、こういうようなことは、やはり運営の面においてやつていただきたくないというふうに、考えられるわけでございます。しかもこの企業組合が、島根県の松江市の商工会議所並びに松江市役所の認めるところとなりまして、現在この松江の企業組合から島根県下に出張いたしまして、島根県下の中小企業の合理化と育成のために、指導しておるというような状態になつておるわけでございます。  次に砂糖消費税の問題について申し上げたいと思います。私はこの改正案というものは、決して改正ではなくて、砂糖消費税の場合はまつた改悪だと思つております。というのは間接税を一挙に七割も引上げるというようなことは、今までの例からいつても非常に少いというばかりでなく、やはりこれは先ほど井藤教授からもお話がございましたが、税金というものは大体直接税とか所得税というものが中心になつて行くべきだと思いますのに、なぜか今回に限つて政府間接税の砂糖消費税を一挙に七割も上げた。こういう点は私どもとしてはまつたく了解に苦しむところでありまして、政府が最近におきましても織物消費税の廃止とか、必需品に対する物品税の軽減ということをやつておるのでありますが、こういう政府の従来の措置ともこれは非常に矛盾することだと思います。この点にやはり現在の政府租税体系といいますか、租税政策といいますか、そういうものが一貫していないということを、はつきり私は指摘したいと思うわけであります。こういう点は、あらゆる面にやはり関連していますので、單にこれが砂糖消費税の問題に現われて来たばかりではないと思うわけでございます。しかしこの砂糖消費税の問題は、私どもがこの税法上の問題よりもさらに重要だと思いますことは、砂糖というものが、單に嗜好物とか一部の人の使用するものであるならともかくも、国民の食生活には必要欠くべからざるものだと思うわけであります。そればかりでなく、ことに発育盛りの乳幼児にとりましては、これは栄養品であるわけです。そういう点から私はこの砂糖消費税の引上げというものは、大衆課税であるとともに悪質な税金だと思いますので、私どもといたしましては、絶対に反対したいと思います。  最後に結論として申し上げたいことは、先ほども申し上げましたように、所得税の面におきましても、現在進行しておりますところの申告慫慂の問題ともからめまして、ぜひこの税法上における減税を、実際の減税にしていただきたいということを、特に申し上げたいと思うわけであります。なぜ税務署が議会が協賛して減税したものを、今この事例で申し上げましたように、五割も十割も増して課税するか。こうしてとつた税金を一体どこへ使うのか。税務署で税務者に対して脱税しているとか、隠し財産かあるとか言いますけれども、税務署には私は隠し財産があるのではないかというように、考えざるを得ないことがあると思うのです。予算においては減税をしたと言いながら、こういうふうにとつたら実質的には取過ぎるのではないか、その取過ぎた税金を一体どこへ使うのだ、こういう点を指摘したいと思うのです。今日本は再軍備の問題で非常に金がかかると思うのですが、二千億の再軍備費を見込んでおるとか言いますけれども、外電あたりによりますと、実際は三千億をとらなければならないのだというようなことが言われておるのであります。そういう問題とも関連いたしまして、私どもは実際税金をとるならば、やはり国民の福祉として還元されるような使い道をしていただきたい。われわれの福祉として返つて来ないようなものは、あまり支出の面でやつていただきたくない、そういう支出は停止していただきたいというふうに、考えられるわけでございます。ことに私ども商工業者は、戦時中のことを考えてもわかりますように、戦争中は零細なものから先に企業整備を食つたわけでございます。そして私ども初めといたしまして、自分の長い間の家業をなげうつて徴用や兵隊として行つたわけでございますが、そういう経験からしましても、特に私ども中小商工業者というものは、平和の中でしか繁栄することはできません。戰争のもとでは私どもは決して繁栄することはできませんので、どうか平和の中で私ども中小商工業者を繁栄させていただきたい、そういうように考えまして、特にこの点を今後の減税措置とあわせて、商工業者の繁栄策をあらゆる面でお考えになつていただきたいと、お願いする次第でございます。
  63. 佐藤重遠

    佐藤委員長 ただいまの御意見に対して、御質疑があればこれを許します。但し簡單にお願いいたします
  64. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 るる長くお話になりましたが、私は一つだけ伺います。  今資料によりますと、自主申告十七万円、慫慂額二十八万円と書いてあるわけですが、自主申告の前に昨年の確定はどうなつておるか、それを見ないと、たとえば昨年の決定が二十五万円とか二十三万円となつておりまして、自分の方で今度は十七万円というふうに出したのでは話にならぬわけですが、その点だけをお伺いいたしたい。
  65. 河野貞三郎

    ○河野公述人 これは御承知の通り、税法上におきまして予定申告というものをやります場合には、現在では昨年と同一の額以下に出した場合には、税務署から許可を得なければならないことになつております。そのために一応は昨年と同じ申告をやつていることと思います。それから昨年より低くしようとする方は、税務署の一応許可を受けておりますので、その線でやつておると思います。ですから自主申告と申しましても、これは昨年と同一か、税務署の許可による自主申告だと考えます。
  66. 久保田鶴松

    ○久保田委員 ちよつとお伺いしますが、いろいろ全国の零細業者の方の立場からお話がありまして、中で企業組合の話がなされました。この企業組合についてなされました話によりますと、税務署の方でこれを認めずして、訴訟している組合があるという話でございます。これはどのくらいございますか。
  67. 河野貞三郎

    ○河野公述人 現在島根県でやつておりますのは十六組合です。
  68. 久保田鶴松

    ○久保田委員 それは島根県だけでございますか。
  69. 河野貞三郎

    ○河野公述人 私の知つておりますのは島根県だけでございます。
  70. 久保田鶴松

    ○久保田委員 全国的な企業組合という問題をとらえての話ではなかつたのでございますか。
  71. 河野貞三郎

    ○河野公述人 全国的な企業組合でございます。その一例としてきようはこれだけの資料を持つてつたわけでございますが、全国的にも東京の組合を初めとして連絡がございますので、これは無数にあると思います。
  72. 佐藤重遠

    佐藤委員長 御苦労さまでした。  それでは次は国民経済研究協会理事藤井米三君に御意見をお願いいたします。
  73. 藤井米三

    ○藤井公述人 国民経済研究協会の理事の藤井でございます。私はこれまで農業のことに関係していたことが比較的長かつたので、農村、農家の立場から今度の改正案につきまして、所得税相続税について簡單に申し上げたいと思います。  今度の所得税改正案におきまして、青色申告をいたす納税義務者の家族で、家業に専従する者につきましては、配偶君並びに十八歳未満の者を別として、一人につき五万円の控除を認めるということになつております。私はこの場合青色申告をいたさない事業者についても、一般的にこの規定を認めることにした方がいいではないかという意見なのであります。申すまでもありませんが、この場合ことに農家が問題でありまして、農業部面から従来この要求は強くいたされたことは、皆様よく御承知のことだと思います。青色申告は農家の場合でもみずから進んでこれをいたす方がよく、またそのように指導奨励する必要がありますが、何分小さな事業体でありまして、終日労働に忙がしい立場にありますので、あの程度の複雑さの帳簿形式でも、これをこなすのに困難な事情にある現在の農家にあつて、青色申告をいたしているのは、全国で三万戸程度にすぎないというふうに聞いております。しかしもし所得が、小さい労作的な事業体であれはあるだけ、専従者一人当り五万円の控除を受けると受けないとでは、経営並びに家計上その影響するところが大きいのであります。政府の提案の理由書にもありますように、農家の平均所得は十五万円程度であつて、他の中小営業者の所得の平均は三十万円程度で、ちようど倍ということになつております。ほかの中小営業者の場合は、農家に比較すれば経営がやや大きいから、帳簿によつて経営成績を記録する必要が大きく、かつまた総じて帳簿の記入や整理の能力も大きいのであります。それゆえに青色申告ということは、中小常業者の場合は比較的容易にこれをこなし得る、誠意があればこれをこなし得ると言うことができますけれども、農家の場合はこれとは違うのであります。今、より大きな所得者においては、春色申告が比較的楽にできるから控除があり、より小さな所得者においてはそれが困難であるから、控除がむずかしいということでは、より小さな所得者に対して、私は著しい不公平をもたらすものといわなければならないと思います。租税公平の原則に反すると思うのであります。かつ農家の所得は田畑、家畜その他外形標準によつて、その所得の把握は必ずしも困難ではない。青色申告によらなければ真相がわからないといつたほどのものではありません。この点、商工営業者の場合と著しい違いがあります。彼此考えまして、私は青色申告の場合という制限規定を取除いて、一般的に家族専従者については控除規定を適用するということにいたされたらとうか、このようにお願いしたいと思うのであります。  次に相続税についてでありまするが、今度の改正案におきまして、政府の提案理由書におりまする通り、配偶者一人と子供三人の場合において、百五十万円程度の財産が、配偶者並びに子供三人の間に分割して相続される場合には、相続税はかからない。しかし、もしその場合一子相続、一括相続でありますれば、三十二万円のものがかかります。百万円程度の財産でも十七万円のものがかかるということになつております。周知のように新民法におきまして、農家財産についても分割相続の原則が認められたのでありまするが、わが国の農家のほとんどすべては家族共働の農業でありまして、その所得財産所得、企業所得というよりは、労働所得の性質が強いのであります。従つて親がなくなつた場合、その田畑、財産を分割したのでは、一家経営に事を欠いて来て、経営が零細化されて、農家としての生活の安定ができませんし、また農業の生産力の発展のゆえんでもありません。ですから、新民法の上では分割相続の原則が認められておりましても、実際は二、三男以下はその相続権を放棄して、一子相続が行われているのが実情であります。しかし新民法でそういう法則が認められたので、共同相続人がそれぞれ相譲らず、ところによりますと、田畑ばかりでなく家具、什器あるいはぜん、わんといつたものまで分割するということで、一家の和合上はなはだおもしろくない争いが行われている例もまれではありません。農林省が最近調査いたしましたところでは、八割五分は一子相続で、分割相続は一割五分程度と聞いております。すなわち大体において、新民法の規定にもかかわりませず、一子相続の慣行が戦後も続いて行われているのであります。そしてこの一割五分の分割相続ですから、もし相続税が分割相続と一括相続とで違いがないのでありますれば、この程度にも及ばないだろうと言われておるのであります。従つて農家の場合、相続税制度があるがために、農業生産力の発展のゆえんでもなく、農家の生活の安定の道でもない。従つて当人たちの意思でもない分割相続を、相続税があるというそのために、税制の方面から刺激促進するということは、おもしろくないと私は思うのであります。もちろん農家の場合も、一応分割相続で各人の持分を出し合せて会社組織にする。実際上の経営は子供のうち一人がこれに当るということも、不可能ではありませんが、何分わが国の農家の実情に沿わないことは、言うまでもありません。分割の当座は兄弟相互の間で善意の了解が成り立つていましても、時日の経過は必ずしもその善意の了解を永続させるものではありません。いわんや子供の時代、いとこ同士の時代となりますと、そうであります。従つて多くの農家は前途をおもんばかりまして、こういう処置には出ていないのであります。従いまして、今ここに百五十万円以下の財産がありまして、それが農家の資産の場合は相当の相続税がかかり、そうでない場合には分割してもそう困らない。あるいは分割が望ましいので、分割の事実が大体に行われて相続税がかからないということは、不公平だと私は思う。公平の原則上問題だと思うのであります。今度の改正案のように、免税点が三十万円であつて、一子相続の場合でありますと、関西、中国町方では田畑合せまして五、六反、東北地方では一町一、二反程度のものは免税されます。私の申しまするがごとく、再五十万円以下の場合に免税いたしますると、わが国農家の場合はごく一部のものを除くほかは、ほとんど相続税は免除されることになります。ほとんどすべての農家において相続税免税されるということは、どうであろうかという反対論が起るかもしれません。しかし第一に、さきに申しました通り、ほかの商工財産、株式、預金という場合は分割が可能であり、分割してもあとの経営に困ることは少いのであります。しかし二町、三町という農家は、わが国の農家としては最も農業に熱心であつて、その生産能力、供出能力は最も高いのであります。そういう農家はわが国農家の真の中堅でありまして、農地改革は、農家保有の上の制限を少しく低いところに置き過ぎ、農地の零細化を促進し過ぎたということが、農地改革についてはこのごろ反省されているところでもあります。  第二の理由といたしまして、シヤウプ勧告を読みますると、配偶者は被相続人とともに、財産造成にともに寄與貢献した場合が多い。自分が一緒に働いてつくり上げた財産を、名義上自分が今度は譲り受けるというので、承継税を払うのは酷である。ひど過ぎる。それゆえに、配偶者に分割された財産については、その半額は免税すべきだと主張されており、現にこの趣旨がシヤウプ税制相続税に取入れられまして、現行のものができております。ところが同じりくつを農家の場合に適用いたしますると、先ほど申しました通り、わが国の農家は二町、三町、四町のものであつても、主として家族農業でありまして、多くの場合ほかの小さな農家より家族の人員が多く、働き手が多いという場合であります。そうして一家それぞれ分に応じて働く。子供であつても、子守りをしたり、乳をしぼつたり、養鶏を担当するといつたようなことが、わが国農家の実際でありまして、暮しのいい農家、財産の残る農家、だんだん大きくなつて行く農家というものは、必ずや主人を中心として一家円満で、一家協業がよく行われておる、そういう農家であります。従つて今問題の相続さるべき農家資産というのは、ひとり被相続人、死んだおやじ一人でこれを保ち、これをつくり、これをふやしたのではないのであります。配偶者の助力貢献も大きいが、また男の子供たち、女の子供たち、それぞれ努力貢献をしてこうなつたのであります。シャウプ博士の趣旨を延長して考えると、農家の場合は配偶者以外にも、半額控除の規定を広げてもいいということにもなります。しかしそれではあまり広げ過ぎるではないかということに、もしなりまするならば、少くともそういう事情も加味して、百五十万円程度以下の農家資産には、一切相続税を免除するというのが至当たと思います。第三に、農家のほとんどすベては、相続税が免除されていいという理由といたしましては、そもそも相続税財産税の一種でありまして、富の集中独占を防ぐということが、この税の重要なる目的であることは、近世の財政学の原理でありまして、シャウプ勧告にもまたそのことがうたつてあるのであります。ところが百五十万円程度の農家資産というものは、なるほどわが国の農家としては最も大きいものではありますが、およそいわゆる富の集中独占、すなわち近世の資本主義が社会問題としてこれを提起しているような富の集中独占ということは、およそはるかにはるかにかけ離れた縁遠い存在なのであります。またこういう措置で税の收入はもちろん幾分減ります。しかしこれは言うに足るほどの額ではない。改正案によつても、二十七年度の相続税の收入は全体として二十億程度なのであります。国家の税收入としてはこれは無視することができ、しかも当該農家にとつては、負担上また農家の存続上重大な問題を構成するといたしますると、農家資産につきましては大幅に免税することが望ましいと思います。今度の改正案では、千万円、五千万円、一億円というふうな高額所得者の相続税税率が引下げられておりますが、むしろ私はこの方が問題なんであります。前二回の公述された方とこの点同じであります。むしろこれは国家の税收入にも相当関係をいたし、また財産税たる相続税そのものの趣旨からも、問題だと思うのであります。皆さん御承知のように、朝鮮事変以来、また戦前のように富の集中独占がようやく日本においてもはけしからんとしているというのが、わが国現在の経済の実情であります。こういう場合の財産税の措置としては、こういう高額所得者の財産税の税率を軽減するということは、大いに問題であります。これは財産税の趣旨衣相続税においても生かすべき必要がもつと増したときに、その趣旨に背馳する改正措置といわなければならないのではないかと思います。  最後にもう一つ、私の申しますように一子相続が里ましいとすれば、二、三男以下はどうするかという問題が起きますが、私がここで申し上げることは、あえて法をもつて分割相続そのものを禁止せよということを言うのではありません。ただ当事者が一括相続が望ましいと考えているのに、税の制度の方からその希望意見に反した方向を促進することは、よくないという意味であります。分轄相続か一子相続かについては、税の制度としてはいずれにも味方しない、どつちも促進しない、この問題については税制としては中立であつてほしいというのであります。  それから二、三男そのものの問題の解決は、これは税制ではどうしようもないことであります。これこそ人口問題としてわが国経済の根本にかかる問題でありまして、ひとり農村だけでは解決できる問題でもありません。  主要なことはただいま申し上げましたが、たとえば所得税におきまして基礎控除の引上げだとか、あるいは砂糖消費税の今度の税率の引上げだとか、あるいは高額所得者に対する税率の問題が非常に低くなつている。あるいは財産税、そういうようなことにつきましては、前二回の公述者の方と同意見であります。なるべくというよりは、ぜひ国家の経費面において支出の合理化、節約をお考えになつて研究されて、そうしてできるだけ前二回の公述者と共通な私の希望意見が満たされるように、おとりはからい願いたいと思います。
  74. 佐藤重遠

    佐藤委員長 御質問があれば許可いたします。
  75. 宮腰喜助

    ○宮腰委員 ただいま公述人のおつしやる通り、農家の青色申告については、われわれも前から研究しまして、ぜひこういうような農家の方には簡易制度、いわゆる青色申告制度をもつと簡易にしまして、だれでも記入できるような制度にかえることが望ましいということについて、大蔵大臣に再三お願いをしておつたのでありますが、今もつてそういう態度を示してくれないのであります。われわれが農家を考える場合には、普通の中小工業であれば、納税組合だとかなんとか日常收入がある場合に、その日その日において税の貯蓄をして行かれまして、最後には非常に容易に納税もされますが、農家の場合にはそういう所得がありませんで、收穫の場合に初めてまとまつた所得がある、こういうような場合に、どうしても農家に対しては特別な青色申告を制定しなければならぬと同時に、夜おそくまでたんぼに出て、帰つてくたびれたからだを、こういうような経理の面で頭を悩ますことは困難であります。こういう意味で、私も公述人のおつしやることは賛成であります。従つて公述人のおつしやる御意見が妥当と思いますが、どういうような具体的な方法でやれば、これが簡易化されて行くのだという御意見がありましたら、お教え願いたいと思います。
  76. 藤井米三

    ○藤井公述人 私どもも農家の簿記の指導ということはやつておりますけれども、できるだけ簡單なものがあれはいいのでございますが、さつき申しましたように、農家の所得というものは外形標準でありますから、これをつかまえることは、そうむずかしくはない。ですから、なるべくならそういう青色申告にまたないで、一般規定としてこれを適用するということにしていただきたいと思います。
  77. 宮腰喜助

    ○宮腰委員 ただいま公述人がおつしやつた相続税の問題でありますが、これは民法と農地調整法と金融の問題と三つに関連した問題としまして、私も以前からこの問題を解決してやらなければ気の毒だと考えておりますが、民法で先ほど公述人が述べられたような相続問題、まだ税法等、いわゆる農業政策上非常に矛盾する問題があります。私はこの際農地調整法を一部修正しまして、担保貸しの方法、抵当権あるいは一部売却するような方法を考えて行くことによつて、農家の救済ができると思うのでありますが、この農地調整法と民法相続とは重大な関連性がありまして、この問題に関連しまして分割相続をやつたような場合に、非常にむずかしい問題が起つて参ります。一人当りどのくらい——これは関東と東北と違います。東北は單作地帯であり、関東、関西方面は裏作ができる関係上所得が違いますが、東北では一子相続の場合どのくらい、一子相続でなくても一般に農家が経営できる、家族が生活できるという所有耕作反別と、関西方面の耕作反別といずれも同一ではないと考えますが、どのくらいあつたら関西、東北方面で農家の暮し方ができるかということについてお伺いしたいと思います。
  78. 藤井米三

    ○藤井公述人 これは背から適正規模の問題として、十何年前から問題になつておりまして、大体において東北の方におきましては、田どころでありましても三町ぐらいほしい。関西の方は一町あるいは一町五反ということに、大体いろいろな調査の結果は帰着しております。それだけありますれば、農家として大体現在程度の生活水準は保持して行けるということになります。
  79. 宮腰喜助

    ○宮腰委員 こういうように相続関係で分割すると、とうてい農家経営ができない。従つて二男、三男が分割を受けた場合は、他方何らか内職を見つけなければやつて行けない。都市に近いところであれは、そういう適当な仕事がありますが、奥地になると、そういうように内職を見出すことは不可能であります。現在の相続法は絶対的であり、農地調整法もそうでありますから、もしこのままで行くということになると、たいへんな結果を招来するわけでありまして、農林当局でもこの問題については考えられておると思うのでありますが、公述人はそういうことについて、農林省なり適当な所管庁にお話をしたり、あるいはお話を聞いたことがあるかどうか、お覚えがあつたら、ぜひお教えを願いたい。
  80. 藤井米三

    ○藤井公述人 二、三男の問題につきましては、二、三男がどうするかということは何でありますけれども、もし分割相続をすれば、兄弟だれもが成り立つて行かぬということになつております。兄貴も成り立つて行かぬけれども、まただれも農業だけでは生活の安定ができない。一子相続になれば、やはりだれかは大体においてかなりの生計ができるという、一つのよりどころができると思います。それからあと二、三男はどうするかということになりますと、やはり二、三男が成り立つようなことにつきまして、私も農家の子弟で三男坊でありますが、大部分日本の兄貴というものは、一、三男のことはやはり心配して、できる限りのことは田畑の分割以外の方法でやつているわけなのでありまして、今までそこのところでそれほどの問題は起つていない。しかしそれにしましても、ことに戦後は三、三男の問題はますます大きくなるのでありますけれども、これは特に農業政策というほどのことよりは、もつと商工業の方の発展がなければ、なかなかそれは根本的に解決つかない問題で、税制として今これを論議するという問題ではないと思います。
  81. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 私はただいま宮腰委員もおつしやいましたし、また藤井公述人も答弁されましたので、大体盡きておると思いますが、一言補足してお伺いいたします。今公述人のお話に出ました通り、一子相続でなければ農家は成り立たぬという御意見であります。私も愛知県方面の産でありまするが、五反百姓ということが言われておるのでありまして、五反百姓が三人に分割されたのでは問題にならぬ。でありますから、私どもは今の公述人と大体同じ意見でありますが、これを免除する規定において、三人に分割すれば全免せられる、一人だとかかるというのであります、そこに中間に何か線を設けましたならば、この妥協案ができるのじやないかと思うわけでございますが、この方法があるかないかということを伺いたいことが一つ、もう一つは山林の方でありますが、山林の相続は、御承知の通り三十年、五十年かかつてようやく成り立つものでありますから、これについては大幅にこれを減税してやらなければ、日本の緑化運動、山村の成立ち、治山治水ということが健全にならぬと思いますが、これについて公述人はどういうふうに考えておられますか、お教え願いたい。
  82. 藤井米三

    ○藤井公述人 その中間規定につきましては、これは委員さんの力が特に御専門じやないかと思います。というのはいろいろ税制上あるいは法律上のことともなりまして、かなり形式的な技術的なことになりますから、大体私が申し上げた根本的趣旨をくんでいただいて、あとからひとつ案を練つていただきたいと思います。大体私の言つた点が全部の農家、農業団体の意見と思いますから、さしあたり一日も早く通るようにひとつ御研究願いたいと思います。  山のことについては、私は山のことはそれほど詳しくありませんが、こちらに参ります前に山の関係の人と話して来ましたが、十分納得行きませんでした。おつしやるように、わが国の治水、電源開発ということから申しましても、今植林、治山ということが一番必要でありまするから、何か山持ちに対して、もつともつと長い将来についての心配をなくするような措置を講じてやることは、ぜひいたしたいと思います。これにつきましては、ここで私お願いですが、私以外に山の関係について非常に詳しい方を、もう一人公述人として呼んでやつていただけば、私はたいへんありがたいと思います。
  83. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 もう一点お伺いいたします。山の専門家でないとおつしやいますが、私どもの試案でございまするが、山は三十年、四十年たたなければ成長しませんから、一旦相続を決定いたしましても、年々三十分の一ずつ納めるというような方法を講じたならば、円滑に平均化するかと思うのでありますが、御試案がありましたならばお教え願いたいと思います。つまり相続税が一旦五十万なら五十万ときまりましたならば、一年で納めないで年賦で納める、こういう案はどうかと思いますが、いかがですか。今は十年延期になるということになつておりますが、それも日歩二銭とることになつております。私は日歩をとつてはいかぬという説を持つておるわけですが、公述人がもしお知りならば御意見を承りたい。
  84. 藤井米三

    ○藤井公述人 山については、やはり二つに区別する必要があると思うのであります。一つは一般の農家が山も幾分持つておる、あるいは予備財産約に持つておる場合と、大きな山持ちの場合と二つあると思います。一般の農家が持つておる場合には、何十年に一回かお金がいるときに切るというようなことになつておりますので、今おつしやつたような措置が必ずしもいいかどうかわかりません。それから大きな山持ちになりますと、五百町歩持つておりますと、五十年間に毎年十町ずつ切るということになりますと、御趣意のようなこともいいかと思います。
  85. 佐藤重遠

    佐藤委員長 御苦労さんでございました。  以上をもちまして本日予定しておりました公述人方々よりの税制改正案についての御意見を、全部聴取いたしました次第でありますが、高席ながら委員長として一言ごあいさつ申し上げます。本日は公述人方々には、御多用中にもかかわらず多数御出席の上、今回の税制改正各案について忌憚のない御意見を開陳せられ、本委員会におきましての税法審議に多大の参考となりましたことを、深く感謝いたす次第でございます。この席から重ねて厚くお礼を申し上げます。  本日の公聴会はこれをもちまして散会いたします。明日は午前十時から開会いたします。     午後三時五十六分散会