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1952-04-22 第13回国会 衆議院 水産委員会 第31号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年四月二十二日(火曜日)     午前十時四十九分開議  出席委員    委員長 川村善八郎君    理事 小高 熹郎君 理事 田口長治郎君    理事 永田  節君 理事 林  好次君       石原 圓吉君    川端 佳夫君       鈴木 善幸君    二階堂 進君       松田 鐵藏君    岡田 勢一君       水野彦治郎君    木村  榮君  出席政府委員         警察予備隊本部         経理局長    窪谷 直光君         文部事務官         (大学学術局         長)      稻田 清助君         水産庁長官   塩見友之助君  委員外出席者         農林事務官         (水産庁漁政部         協同組合課長) 濱田  正君         農 林 技 官         (水産庁生産部         漁港課長)   林  眞治君         参  考  人         (農林中央金庫         理事)     更級  學君         参  考  人         (農林中央金庫         審査部水産課         長)      宮島 八弥君         参  考  人         (漁港審議会会         長)      井出 正孝君         参  考  人         (漁港審議会委         員)      横田象三郎君         参  考  人         (東京水産大學         教授)     棚橋鍾一郎君         参  考  人         (東京水産大學         後援会長)   鍋島 態道君         專  門  員 徳久 三種君     ————————————— 本日の会議に付した事件  水産金融に関する件  漁港に関する件  水産教育に関する件     —————————————
  2. 川村善八郎

    川村委員長 これより水産委員会を開きます。  水産金融に関する件について調査を進めまする  この際お諮りいたします。去る十九日の当委員会において、十勝沖地震による災害復旧資金について調査を進めるため、当日の委員会農林中央金庫鶴田理事の御出席を求めて資金操作について御意見伺つたのでありましたが、御確答を得るに至らず散会したような実情でありますので、本件について農林中央金庫理事更級學君、同審査水産誤長宮島八弥君の両君を参考人に選定し、その実情を聴取いたしたいと思いますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 川村善八郎

    川村委員長 御異議なしと認め、さよう決します。  まず松田委員より発言を求められております。これを許します。松田鐵藏君。
  4. 松田鐵藏

    松田委員 この前の委員会において中金理事鶴田参考人から、十勝沖災害に対する中金融資現実の話をいろいろと承つたのであります。またわれわれもこれに対して要望するところがあつたのでありますが、確答を得なかつたのであります。ところで本日は理事長に御出席願つてつたのでありますが、理事長はどういう理由で当委員会に御出席にならなかつたのか、この点お聞きしたいのであります。
  5. 更級學

    更級参考人 現在決算期を控えておりましていろいろ用務もございますし、ほかにさしつかえている用がありますので、私かわつて出席した次第であります。
  6. 松田鐵藏

    松田委員 この前の委員会にも理事長は御出席にならなかつた。そこで鶴田理事が御出席になつたのでありますが、今日は品をかえて更級理事が当委員会に御出席くださつた鶴田理事は前の事情をよくおわかりになつているのに、どういうわけで今日は鶴田理事、がおいでにならなかつたのか、この点もひとつお伺いしたい。
  7. 更級學

    更級参考人 鶴田理事は実は前からの約束がありまして、福島県に協同組合の大会がありますので一昨日ですか、出発することになつておりまして出かけました。私あとで伺いまして皆さんお話申し上げるようにという連絡を持つて参りました。
  8. 松田鐵藏

    松田委員 今日委員会が開かれるこを鶴田理事ははつきり認識して行かれたのであります。しかして鶴田理事おいでくださらなかつたなら、理事長は必ずおいでになると私ども考えているのであります。ところが千葉県の御用も重大な御用かもしれませんが、ときどきその品をかえてよこされては、話がまた逆もどりになるのであつて、われわれもまことに迷惑するのであります。中金そのもの性格は普通の銀行ではないのでありまして、一貫した政策をお持ちになつていることだと存ずるのであります。この前の委員会で、何もわれわれは中金に対してとやかく言う議論をする必要もない。中金中金性格から行く、あらゆる施策を行つてくれることによつて漁民も農民もこれに満足するのであります。またそうすべきがほんとうであります。これが中金性格であると私ども考えている。ところがわれわれは懇談をもつてどうしていただかなければならない、こうしていただきたいといつて、われわれは中金理事ともあろう人に対して、あらゆる角度から懇談をもつてお願いしておつたが、それに対して一言も具体的な方法を示さぬ。しかも委員会が始まつてから答弁をいたしますというのでありますが、何たる不遜な態度であつたか。そこで委員会が始まつてわれわれの質問になつたところが、言を左右してそれを拒否しようとした。とうとう押詰められて当初われわれの希望しておつたところをそのまま言うてしまつた。なぜそのようなかけひきをするか。私はこの点に対して、中金あり方にまことに不満を持つているものであります。理事長決算のためにお伺いできないということもやむを得なかろう。しかし鶴田理事は今日委員会があることを当日はよく御承知になつている。それにもかかわらず千葉県に行かれた。そんなら更級理事はわれわれのこれから問わんとするところは、前のいきさつとはつきり関連した問題によつてお話ができ得るやいなや、この点が私どもの非常に疑惑を持つものであります。また話をぶり返さなければならない。まずすべての会社であろうと銀行であろうと、中金であろうとみな同じだろうと思うのであります。一貫した方々の御出席であれば、そのときの話のぐあいによつて、またいろいろと妥協の点もあるだろうと思います。しかし品をかえ手をかえてやつて来られては、実際われわれも話をぶり返さなければならぬというようなことで、まつたく迷惑するのであります。更級理事においては、鶴田理事からよくお話を承つておるであろうと存じますし、それから理事長とも御相談なさつておいでくださつておることだろうと思いますので、私はその点はもし話が間違つてつたのつたならば、どうしても理事長に出てもらわなければならないことを委員長に要望していただきまして、質疑を進めて行きたいと思います。  まず更級理事に伺いますが、十勝沖震災に対して、前の委員会においてここで論議された結果が、どのように中金において御研究になつて、今日のわれわれの委員会に御報告なさることになつておるか伺いたい。
  9. 更級學

    更級参考人 ただいま松田議員の方から、中央金庫あり方といいますか、経営の方針、中金仕事についてお話がありましたが、私自身中央金庫創立以来、中央金庫関係しておりまして、中央金庫のあるべき立場、中央金庫のなさなければならない仕事につきましては、もちろん普通の銀行とは違いました性格を持つた金融機関であるということは、十分承知の上で今日まで仕事をして参つたのであります。また農林水産、あるいは林業方面日本唯一の中枢的な金融機関であるということも認識いたしまして仕事をして参つておりますので、その点は十分腹蔵なく、われわれの足りないところは御指導願いたいと存じます。われわれとても長い間やつておりましても、皆さんのお考え通りに行かない点もございます。これはどうぞただいまお話のように、御懇談の上でわれわれを御指導願えれば非常にけつこうではないかと存じております。それから先ほど鶴田理事千葉県とおつしやいましたが、私の言葉が届きませんで、福島県に参つております。  それから金庫仕事につきましては、先ほどお話が、ございましたように、われわれ役員、職員も理事長もみな一緒になりまして仕事を進めておりますので、一昨日の土曜日のこちらの協議の状況につきましても、鶴田理事から私一応承つておりますので、その間食い違いがございませんようにと私考えております。もし食い違いがございましたら、どうぞ御指摘を願いたいと存じます。それで先日の御会議の際に、中央金庫といたしましては、十勝沖震災に対してどれだけの金を出すかということについて、皆さんの御質疑があつたようでございます。これはもちろん鶴田理事からお話があつたと存じますが、金庫資金繰りにつきまして現在の法律では六億という数字が出ております。六億全部別わくにして、金庫で金を別にとつておいて出してくれないか、こう言われてもそれは困るのじやないかということは、鶴田理事が申し上げたのではないかと思います。これはもちろん皆さん承知かと思いますが、金融機関といたしましては、金を別々に持つているわけではございません。そういうお話がございまして、その結果、現在北海道あるいは東北方面におきまして、現実にどれだけの申込みがあつて、どのような進行状態にあるかということとについての、金庫の現在の状況報告をしろという御指示ではなかつたかと存じております。それにつきまして一応北海道東北方面の現在の実情を調べた結果を御報告申し上げます。  これは電話でいたしておりますので、こまかいことはわかりませんが、大体の数字として申し上げますれば、現在、北海道の私どもの方の支所で、十勝沖震災関係申込みを受付けましたものは、三億九千六百万円大体四億円ばかりのものでございます。件数といたしましては二十八件あります。もちろんこれは地方の皆さんの御希望の点がそのまま私どもの方に反映しております。その中で、法律が認めているところの用途がきまつております、たとえば漁船とか漁具とかその他共同施設というものがありますので、その用途に当てはまらないような御希望金額もあるようでありまして、それらを整理いたしますと、この法律用途の指定に該当するものは大体三億円くらいになるらしいのでございます。その中で、現在のところ金庫で緊急必要と見まして貸出しができろような金額になるものは、大体一億三千四百万円くらいになるだろうと思います。これが大体私どもの手元にある数字でございます。もちろん支所といたしましての様子から見て、そのほかにさらに二千万円くらい緊急に出して行かなければならぬのじやないかというように考えられますので、この際大体一億五千万円くらいの金が緊急に必要だろうと思うのでございます。それについて申し上げますれば、現在つなぎ資金がどのくらい出ておるかという点を調べてみましたら、現在北海道庁漁信連に対して五千万円の資金預託といいますか、貸付をしておりまして、その中から大体二千四百万円くらいの金が漁信連の方からつなぎ資金として出ているようでございます。とれが大体の数字でございまして、私どもの方としては、早急に仕事を進めまして、早く資金をお流しして、緊急の事態に対処いたしたいという気持で、支所の方を督励しております。どうぞ御了承を願いたいと存じます。
  10. 松田鐵藏

    松田委員 ただいまの説明で私どもは満足するのです。何も六億を出せというのじやない。しかし、一億三千四百万円という額をただいま更級理事お話のように緊急必要なものとして認めた。そのほか二千万円くらいをまた緊急必要なものとして認めた。この書案われわれは満足するものであります。なぜこういうことを今まで委員会で言えなかつたかということ、しかも、ただいまの説明から行くと、北海道庁が五千万円を信連預託して、それを貸し與えておるという。北海道庁としてもあらゆる努力をして、財政の乏しい中からこの五千万円というものを預託して、その中から二千四百万円貸し與えておる、こういう御説明である。これをなぜ中金がやり得ないのか、なぜこういうものを信連に貸し與え得ないのか、信連というものは、あなたの方の系統機関である。もつと信連を強化して、中金表裏一体となつてすべての仕事をやつて行つておる現在の姿である。この信連道庁が五千万円を、財政の乏しい中から一時貸し與えて、預託をして、それで緊急な用を足しておる。中金はなぜこれをやれないのであるか。どうして中金はそういう制度をとり得ないのか。書類も必要でありましようし、いろいろの審査も必要でありましよう。しかし信連には信連として、別わくであろうと何であろうと、方法があることだと思うのであります。こういうことをやつてくれることによつて、初めて中金中金たる性格が現われることであり、系統機関信連を活用することが一番よい方法ではないか。北海道庁道議会を開いて、決議をして、五千万円という金を預託しておる。そしてこれを信連が貸し與えておる。中金理事現地を御視察になつておるかどうか私はわかりませんが、国会では建設大臣を初めとして代議士四名も五名も、いな、調査団としておよそ二十名近い者が現地行つて、つぶさにあの実情調査して参おられる。ところが一番重要なのは中金で、その中金は、はたしてあの実態を見ておるかどうか、ここであります。北海道支所は見ておることだろうと思うが見ておるのにいまだに二箇月たつて金が出ていない。しかも先日の委員会ではちやらんばらんとして、鶴田理事などというものは、金を早急に出そうというだけで、出しますと言つても、いつ出すということを一つ言つていない。さすがに更級理事はかわりにこちらへ来て、明快に、ここではつきり一億五千万円出しますと言う。これは一体いつ出してくださるのか、援助してくださるのか、この期日を明確にお話を願いたい。
  11. 更級學

    更級参考人 それはいつとおつしやいましても、やはり金を貸す以上は、一応の手続がございますから、現在支所書類をまとめておると思いますが、その書類を整理いたしまして、中には本・所の決裁になるものもありましようし、また支所長の権限でできるものもありましようが、そういうものが整理されて、ある程度の基本的な金を出すということになりますならど、御承知のように現在の法律が施行されて政府と契約した上で出すことになりますけれども、その間にある程度つなぎ資金を出さなければなりません。そのつなぎ資金を出すのは、一応書類が撃つて、整理した後になりますので、現在支所で早急に整理されておりますので、それがこちらに参りまして、理事長の決済が済めば……。
  12. 松田鐵藏

    松田委員 何日くらいかかるのか。手続きのことを聞いていない。
  13. 更級學

    更級参考人 なるべく早くいたします。
  14. 松田鐵藏

    松田委員 政府と契約されて、あなたの方で出すのは三億円くらい、それが法に適応した金額だとただいま言もれておる。ところがあなたはただいま緊急必要な一億五千万円程度をということを言うておる、いつ出すか出さぬかわけがわからぬのでは、とてもひつ込みがつかぬ。
  15. 更級學

    更級参考人 私の今申し上げたのは、現実にいつ金を出すかということについて、今支所書類をまとめておりますので、それが来ますれば、おそらくここ二、三週間のうちには出ると思います七書類がまとまりますれば——その書類がどの程度まで支所でまとまつておりますかどうか、その点につきましてはよく支所の方に連絡いたしまして、できるだけ早く金が出るように措置いたします。
  16. 二階堂進

    二階堂委員 関連して……。ただいま十勝沖災害復旧に対する緊急融資について、更級理事の方から、緊急に必要な金であるからなるたけ早目に出したい。がしかしその金が出るのにはやはり書類が整わなければいけない、こういうことでありますが、御承知通り昨年ルース台風がありました。私鹿児島でありますが、九州ほとんどすべての県が非常な被害をこうむりました。ことに鹿児島は、水産のこうむつた被害は甚大なものがあります。従いましてこれが復旧に私ども十勝沖よ力以上の緊急に必要な復興資金といいますか、要求したわけであります。そのときも県が一億の補償をする、なおまた漁連においても同様な補償をするということで緊急の融資をしていただくことにしていただいたわけでありまするが、その後この金が今日に至るもまだ十分出ていない。その理由はこの前もこの委員会で申し上げましたが、未端においてきわめて複雑な書類中金支所において要求しており、組合人たちが何べんとなく中金支所の方に足を運んでおる。こういう実情がありまして、末端の方では、中金にお願いしても金が借りられない。呼ばれることを非常に恐ろしがつておるような方々もおられるわけであります。今私御意見を伺つておりますと、書類が整わなければいけない。これはもつとも金を出される当局といたしましては、その通りであろうと思つておりまするが、今回のような災害に要する金というものは緊急を要する金であるということは更級理事も十分御承知通りであります。従いまして私どもも一々こまかい書類を整えて、そうして手続を経てお金を融資してもらいたいということではないのであります。県なり、あるいは北海道におきましても道庁なりが、ある程度の保証をして、そうしてとりあえず何らかの金をば現地に渡していただきたい、災害復旧に役立つようにしていただきたいということ、が、漁民願つているところのほんとうの便意であります。従つてそうしたこまかい書類というようなものは、一応なんとかあとにしていただきまして、とりあえずその生きた金を現地復旧に役立たせるような緊急の措置方法中金においても場お考え願いたいと思うのである。それでなければ一、二週間ないしあとで金が出ると言われましても、末端に行きますと、末端ではそういうような書類を要求する、しつかりした的確な書類を持つて来い、あるいはこの金をどういうところに使うのかというような、いろいろなめんどうくさいことを言われて、聞いておられないような実情が、現に鹿児島にもあるわけであります。かようなことになりましては、せつかく今理事が申されておられるような、緊急の金だから緊急に出したいというようなお気持末端に生きて行かない。生きて行かなければ、ここでわれわれがいくらやかましく議論申し上げましても、ほんとうに無意味な議論に終つてしまうので、はないか。要は生きた金が一日も早く県に届いて、それが漁民のために使えるということがほんとう結論でなければならないと考えております。どうかそういう事情をよくお考えくださいまして、何らかの緊急の措置をどつていただくように、私は過去のルース台風の経験にかんがみましてお願を申し上げるのであります。
  17. 松田鐵藏

    松田委員 ただいま更級理事は、緊急必要なという言葉を使われている。しかも五月からあの近海においては、これから一年中やらなければならない漁業ができて来る。委員長と私が手形に判を押して網を買つてつている。それまでしてやつているのに、理事自体が緊急必要な金ということを言われて、三週間もたたなければできないなどというのでは、今日は二十二日ですから、五月の十四、五日になります。地震であつても、火災であつても、すべての人が平時の普通の人の三人前も働かなければならないのに、こんなことでは災害復興などというものはでき得るものではありません。またわれわれが現地に行つたとき、自分の体験から、政府が援助するから金を借りればいいんだというような考え方ではいけない。もらう金でないのだ、どこまでも返さなければならない金だからということで、現地の私のところの紋別町でも、年四分五厘の復興資金を十五箇年間借りただめに、十五年というものは紋別では大火の場合に苦しいことにあつたことがあるんだから、君らはただ金を借りればいいのだという考えではいけない。たとえば綱を今まで二百反持つていたものは、百五十反に切り詰めて、人の出ないときでも出漁して努力しなければならないと注意して来ている。今現地の者の報告などを聞いても、ここに来ている協同組合長報告を聞けば、今までよりもつとこまかい数字において科学的に、計数的に処理している。そうしてこの金を有利に使わんとしている。そういうように漁民が真剣に生産意欲に燃えて、復興に邁進せんとするときに、あなたは三週間もたたなければ金が出せないとか書類がどうだとか言われる。北海道庁は五千万円というものを信連に預けて、信連責任において出しているではありませんか。そうしたならば、何らかここに便法があるものと思う。信連を信用して、信連と同じ仕事をして行かなければならない表裏一体中金としまして、信連を信頼したならば、書類の提出はどうしても必要でありましよう。しかし大わく信連委讓をして、信連のいいというものであつたならば、これを貸し與えるような方淡もあることだと思う。それができ得ないことかどうかは、技術的にはわかわませんが、何らかの方法をここに講じていただかなかつたならば、ここに平でいる協同組合長たちは帰るにも帰れない。せつかくここへ出て来られたふなたの御意見を承るのに、この程度結論を聞かせてやつていただきたい。私ども委員会としてもあなたに対しで満腔のお願いを申し上げますから、ひとつよい話を聞かしていただきたいのです。
  18. 更級學

    更級参考人 私が三週間と申しましたのは、実はこれだけの措置を全部集成するまで、その一億三千万なり五千万なり出すまでには、早いものもあろうしおそいものもあるが、全部終るまでにはそれくらいかかるであろうというような頭の中の私の考え方を申し上げたわけであります。現在の北海道の方の書類が大体そろいますれば、せめて十日か二週間もあればすぐ現金化することができるのではないかと思つております。
  19. 松田鐵藏

    松田委員 大体御意見はわかりました。理事決算で忙しいのでときどきかえ玉を使わなければならぬのだから、宮島さんひとつよく今の更級理事の御意見を体得して、きようも電話でもつて連絡願つて、一日も早く善処せられんことを希望いたします。  ここで私はもう一つ中金に対して苦言を申し上げておくが、大体中金のあの特融の金の出しざまは何だ、いまだに出していないものがある。特融で決定したものであのざまは何たることか。水産業に対するものであつても、また農業に対してでも、これは特に委員長に要望いたしますが、次の委員会でもまたこの金融問題を論議願いたい。それからあの特融の金に対する今までの中金資料をもらいたい。とんでもないことをやつておる。しかも北海道のあのさけの問題は何たることだ。ぼくは現実の問題を取上げて、将来の委員会においてこれを論議しますから、宮島さんはひとつ資料を出していただきたい。それから今度の北海道の白滝の小水力の問題に対し中金がどんなことをしておるか、これに対する資料も出してもらいたい。また先ほどの鹿児島県の問題なんかも、十分に研究して善処せられんことを希望して私の発言を終ります。
  20. 石原圓吉

    石原(圓)委員 この災害融資につきましては、前からすこぶる緊張した論議が進められておるのであります。ただいまの松田委員との資疑応答によつて、おそいながらも北海道の方は一時的な応急措置が講ぜられるようでありますが、それよりも教箇月も前の九州四国方面融資応急対策については、二階堂委員が申されておるように解決がつかないようであります。それを率直に言えば、あとの方が先になつて、先のものがあとまわしになる、こういうことは中金として後日非難の的にならないか。私がこれを考えるのに、中金としても貸し得る性格のものは貸すつもりでおる、また実現しようとしておる。しかし手続上や調査やいろいろなことで遅れているように私は信ずるのであります。それを一概に中金のみにその責任を負わしておくべきものであるかどうか。これは水産関係であれば、水産庁も十分これに協力して資料の収集、書類の完成についてはお手博いをして、お手傳いよりは、むしろ水産庁が積極的にその資料をそろえて提供する必要があるのではなかろうか。また一面災害という臨時的のことで送る融資でありますから、中金には中金の職員等の限度があろうと思うのであります。従つてそういう臨時的な融資に対する調査手続等には、臨時の人を増すというか、この人事の問題にも欠くるところがないのか。そういう場合に備えるところの対策がなければならぬと私は思うのであります。そういうことがはつきりしておるのに、中金の内部の人の関係調査の不行届のために漁期を失い、時期を失するということは、漁民にとつては苦痛でありますから、私はそういう点を迅速に運ぶべく、水産庁においても協力する。また中金においても十分それらに対する用意をする。人事も必要であるものはどしどしふやす、そしてこの問題が円満に解決することを要望するものであります。もう今回で災害がなくなる、地震がなくなるというものではないのであつて、今後も災害はますますあろうと思うのでありますから、中金水産庁と何か対策に関する方法を、今から立てることを切に要望するものであります。私は別段に答弁を求めるものではありませんが、私の考えを率直に申し述べておきます。
  21. 永田節

    ○永田委員 中金にお尋ねいたします。毎年災害がありますと、常に起る問題は災害に対する特融でありまするが、この議論は先ほどより同慶委員において盡されておりますので、私は省略いたしますが、ルース台風書類が整つているもので、中金の方でお扱いになつて今日まで貸出しができないという数字はどのくらいありますか、それをお示し願いたい。  それから漁業権証券の資金化の問題でありますが、これらはすでに水産庁において長官が決裁をして、当該協同組合の委任状まで添付してあるものが、今日まで支拂われておるかいないか。いないとしたならば、どのくらいのものが未処理のまま残つておるか、同時にその理由も承りたいと思います。  それから私、中金の機構というものはあまりよく知りませんが、日銀あたりも相当の金利がありまして、株主には五分も配当しておるように承つておりますが、一体中金がお扱いになつておるところの貸出金はどのくらいあるか。そして決算に器けるところの金利はどのくらいあるのか、これも参考に承りたいと思います。
  22. 更級學

    更級参考人 最初のお話の、ルース台風書類が整つてつて貸出しができないというものは、結局私の方の各地の事務所で受付けて、しかもそれがあつても実際お断りしておるという数字でございますか。
  23. 永田節

    ○永田委員 支所を通じてあなたの方へ来ておるわけです。それが本所の方へ来ておつて、決済にならないということは……。
  24. 更級學

    更級参考人 そういうものは全然ないそうです。決済済みだそうであります。     〔「うそをつけ、地方から委任状は出てますよ。」と呼ぶ者あり〕
  25. 川村善八郎

    川村委員長 発言の許可を求めて発言願います。
  26. 宮島八弥

    宮島参考人 お答え申し上げます。私ども協同組合の方から代理委任状をもらいまして、水産庁の方から証明書をもらいまして、両方合せまして日銀に持つて行つて、金を受取つておるわけであります。両方合せまして日銀に持つて行つて、金を受取るまでの間、私どものところで突き合せる時間が必要でございますので、最長二日間必要の場合もありますけれども、大体きよう証明書をもらいまして、前もつて委任状をもらつておりますれば、明日のうちには私どもに入金いたしております。両方集まつて、三日以上かかつて入金しなかつた例は今ないと思います。
  27. 永田節

    ○永田委員 利益はどのくらいあるか。
  28. 更級學

    更級参考人 貸出金は約四百億くらいだつたと思つております。が、今資料を持つておりませんので、貸出金の利益がどのくらいあるかということは……。
  29. 川村善八郎

    川村委員長 漁業災害復旧資金等に関し参考人に対しての質疑はこの程度にとどめます。  参考人に対してお礼を申し上げます。非常な事務多端の折から御出席を願いましたところ、長時間にわたり御発言をいただきましたことを厚くお礼を申し上げます。お引取りを願います。     —————————————
  30. 川村善八郎

    川村委員長 この際お諮りいたします。漁港審議会会長井出正孝君、同委員横田象三郎君の両君を参考人に選定し、漁港指定及び漁港整備計画等の実情を聴取いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  31. 川村善八郎

    川村委員長 御異議なしと認め、さよう決します。  まず漁港審議会会長井出正孝君の御発言を願います。
  32. 井出正孝

    ○井出参考人 ただいま委員百長から御指名がございまして、漁港審議会の会長としまして、最近の漁港の指定及び漁港整備計画等の問題につきまして一言申し上げます。  漁港につきましては、これの建設整備の要望と申すものは、わが国の水産の発展の根源でありまして、この要望は、わが国の漁村、漁業根拠地のほとんどすべてから非常に力強く要望されておりますことは御承知通りであります。ただ潰憾なことは、戦争中及び戦争直後にかけましては、この漁港の修築整備が非常に怠られておりまして、その結果これらが非常に荒廃をして参りました。一方戦後わが国の漁業は、まずすべての産業に先んじて充実、発達をしなければならない立場にありまして、利用し得る根拠地を利用して、ほとんど各種の漁船その他の機械化が行われたのでありますが、これ以上の日本の漁業の近代化、機械化、合理化のためには、漁港を至急に整備し、いわゆる全沿岸にわたつて漁港網的な組織のもとに漁港をそれぞれの立場に即した整備をして行かなければならないということになつておりました。幸いにしまして国会の、ことに水産の常任委員の皆様方の非常なお力によりまして、戰後一時非常に少かつた漁港に関する国の修築費のごときものも、年々増加を見て参つた次第であります。またこれと併行いたしまして、お骨折りによつて一昨年でございましたが、漁港法という法律の制定を見ていただきまして、これに基いてただいま申したような意味における、全国に必要な漁港漁港網的に指定をして、それぞれの漁港の価値に応じて—漁港の価値と申しまするのは、結局その付近におきまする漁場の生産力その他の状況から見ての整備をして参るということのために、漁港法ができたわけであります。それで漁港の指定及びそれに基く漁港の整備計画というものが昨年にかけて一応できたのであります。しかしながら現在指定せられておりまする漁港整備計画は、御承知のように、四百五十港ほどでありまして、これはごくとりあえずの数字であります。その後漁港法を施行して参りますにつきまして、順次いろいろな関係から、さらに漁港の指定せられるものがふえて参り、指定せられた漁港でさらに急いで整備をして参らなければならないというふうなものもあるのでありまするが、漁港法によりますと、漁港整備計画ができておりません以上、これに対して公共事業費等の政府漁港修築の予算をこれに施すことができないという状態にもなつておるのであります。さような状態のもとにおきまして、一方第一次の整備計画の四百港余の漁港につきましても、その後の予算は非常に増加はしておりまするが、これは着手をいたしまして、数年間に必要な整備をし、さらにその後第二次以降に漁港の整備計画を立てて、整備をして参らなければならない多数の漁港がまだあるのでありますが、これらの漁港に対して手をつけることは、今の予算のようなスケールをもつてしましては、いつのことになるかはなはだ心細い次第であります。漁港審議会の私ども委員といたしましても、実はこの点について漁港の指定及び整備計画を立てることをいろいろやつて参りましても、立てたけれども、これに伴う予算が年々予定のごときものがつけられないということであつたのでは、一体漁港の整備の実行ということがどうなるのかということについて、非常に憂慮をいたしているのであります。この点につきまして私ども漁港審議会といたしましては、いかんともしがたい点であるのであります。また一方各漁村におきまするこの点についての要望は非常に増加して参りまして、漁港協会と申すような、漁港に関しまする全国的の団体においても、一昨日でありましたか、総会において特にこの点について強い決議が行われまして、私同時にその漁港協会の会長もいたしておりましたので、この決議に立ち会いましてその決議を別途皆様方のお手元にも差上げてあるというふうな次第であります。何とぞ漁港の整備計画に対する裏づけとして、漁港の修築費をもつと至急に増加していただきたい。また整備計画を第二次といたしましても、整備計画も至急に立てて現在残されている漁港の整備を急速にやつて参りたいということを、特に国会のお力によつて推進を願えたらば、私ども非常に仕合せと考える次第であります。一言漁港に関しまする最近私どもの見ました事情を申し上げておきます。
  33. 川村善八郎

    川村委員長 この際林漁港課長より漁港指定並びに整備計画の概要について御報告を願います。
  34. 林眞治

    ○林説明員 昭和二十七年度の漁港修築の予算の関係につきまして御報告を申し上げたいと思います。昭和二十七年度の予算につきましは、私どももできるだけの努力をいたしたのであります。また当委員会におかれましては、この予算の問題につきましては、格別の御盡力をいただきましたことを厚く御礼を申し上げる次第であります。水産わくにつきましてはすでに大分以前に決定をいたしました。この点についてはすでに御報告を申し上げましたので、ただいま大体の内容の決定を見るに至りましたことについて御報告を申し上げたいと思うのであります。  御承知のごとく十八億四千万円の予算の内容の配分の問題でございますが、大別いたしますれば、本土におきまして十二億三千九百七十万円、北海道におきまして五億八千九百三十万円災害は別にいたしまして改良的な修築費はこういう内容になつております。そのうちこまかい項目がございますがただいま差上げました資料でごらんをいただくことといたしまして、いわゆる漁港修築費の補助につきましては、本土に蹄きまして十二億一千四百十万円、北海道におきましては、御承知のごとく今年度から直轄事業と補助事業というものが二本建になりました。直轄事業といたしまして二億二千二百九十五万八千円、補助といたしまして二億六千七百四十万円という数字に相なつております。その内容につきましてはいろいろ問題を慎重審議いたしましたもので、ただいまお手元に差上げました資料によつてごらんをいただきたいと思うのであります。継続事業でやるべきものにつきましては、これは当然二十七年度に継続して行うということになります。また新規事業につきましては、いわゆる予算の総額、それから整備計画との関連におきまして、いろいろ問題があつたわけでありますが結論といたしまして内地におきまして六十九港、北海道におきまして十八港というふうなものを実施に移して参る、こういうことに相なつたわけでございます。その内容は、予算の継続に対します数場字といいますか、補助金等の割当につきましては、各漁港実情に即しますようになるべく配分をいたしたわけでありますが、何といたしましても、まだ総額におきましてやや不足な点がありましたので、実際の事業に適しますような適度の割当ができなかつたのは遺憾でありますが、これは今後の機会におきましてできるだけ早期完成を期するように努力をいたしたいと考えております。それからまた新規のものにつきましても、当初年度におきましては、あまり多額の事業費を見ることができ得なかつたような実情にありますので、ただいまの決定を見ておりまする予算の範囲内ではこういうことになつておりまするが、これらの問題につきましても、今後におきましては十分事業の実施にさしつかえのないように、増額というような面について私ども十分努力をいたして参りたいと考えております。  いずれにいたしましても、本年度の事業実施につきましては、万遺憾なきを期しまして、定められた予算の範囲内におきましてやることはもちろんでありますが、今後適当な機会におきまして、予算の増額等の問題につきましては私ども十分努力したいと考えておりますが、これらの点につきまして、御支援を今後ともお願いしてやまない次第でございます。  なおはなはだかつてな申分ではございますが、この内容につきましての御公表は、ここしばらくの間ちよつと御遠慮願いたいというふうに考えるわけであります。
  35. 川村善八郎

    川村委員長 この際参考人漁港審議会会長井出正孝君、同委員横田象三郎君、並びに林漁港課長等に御質疑があればこれを許します。
  36. 石原圓吉

    石原(圓)委員 漁港の数がだんだんふえるが、これに伴う予算がふえない。これはどこに欠陥があるか、隘路があるかと申しますと、水産庁内の機構が漁港課ではいけないということを私は断ずるものでありますが、水産長官はどう考えておるか。厖大なる仕事になつて来たが、依然として昔のままの課の制度では絶対にふやすことはできない。予算をふやし仕事を充実することが根本である。私はそう考える。とにかく第一種の漁港が一年に継続事業費が一千万円や八百万円でやつてつたならば、十年かかるか二十年かかるかわからない。その間には築港事務所を置き、その事務所に事務員が配置され、種々の経営費、またその港に往復する官庁の人々、そういうようなもので道草を食つてしまうのであります。官吏や職員のためにみんな経費を食つてしまうのであります。こういうことをやつてつたならば、むしろ私は縮小した方がいいと思う。ただ港をふやし、仕事の分量はふやすが、実質においてはふえない。これは第一に水産庁内における漁港課ではだめであります。少くとも部にしなければいけないと私は思う。それに対するところの長官のお考えはどうか。また事実において運輸省の港湾の関係より予算の比率の約半額にしか達しないように私は心得て泊るのでありますが、そういうことは予算を公共事業費のうちからとることに、運輸省より水産庁が弱いからとれないということの一つの実証であるといつていいと思うのであります。こういう点を一体どう考えておられるか、私はまずこの点について水産庁長官の御意見を承りたいのであります。
  37. 塩見友之助

    ○塩見政府委員 漁港仕事がだらだらになつて、それで漁民の要望に即応にでき得ないというふうなことは、今お話のあつた通りだと思います。その点については政府全体の財政状態と公共事業費の割振り瓦びそれと見合つて漁港の補助を受ける漁港の選定という問題になりまするが、それらに対しては、今後十分注意してやつて参りたいと思います。但し日本全体の財政状態から、私もここでそう甘いお答えをすぐにやるというふうなわけには参りませんけれど、できるだけの努力は払つて参りたいと思います。  なお漁港行政に対する水産庁の機構の問題でございますが、これは部にするとかしないとかいうふうなことは、設置法について国会でおきめ願うことではありまするが、われわれとしては現在の機構のもとでも、單に漁港課のみにこの仕事をまかせつぱなしにするというふうなことでなしに、これに関係するところの各部課も一緒になりますほか、部外に対する十分な説得力水つけまして、それでできるだけ漁民の要望に沿い得るように努力して参りたいと考えております。
  38. 石原圓吉

    石原(圓)委員 はなはだ不満足でありますけれども、時間の関係でその追究は後日に譲ります。  この際補正予算で相当追加を要求する意思が水産庁自体にありますか、あるならばその程度調査の内容等の説明ができればお願いをいたします。
  39. 小高熹郎

    ○小高委員 関連して要望を申し上げておきたいのであります。ただいま石原委員から補正予算の問題が出たのでございますが、この際委員長水産庁長官に特に要望をして、石原委員の補正予算の問題とからんで、ひとつ御考慮を願いたいのであります。その問題は先般漁港法の一部改正に上りまして、北海道漁港修築に対しましては、全額国庫負担という箇所が非常に大きく盛り込まれたのであります。その蒔われわれは、委員会において相当これに対して議論もあつたのでございまするが、議員提出であり、まする関係上、同一の利用度であるならば、時をあらためて本土も見ようではないかという了解事項が成立したために、一時黙認してこれを通過せしめたのでありまするが、私は公平なる政治行政を行う意味において、北海道と本土と利用度が同一であるならば、必ず対等にすべきものであると信ずるのであります。もとより北海道の重要度は認めますけれども、今日に至りましては、一応この表を見ましても、はなはだつり合いがとれない、不公平であるというような気がいたしますので、この際特に委員長水産庁長官に、次の機会において補正予算に必ず本土側も均勢のとれる程度にしてもらうように努力してほしいことを、強く要望をいたしておく次第であります。
  40. 塩見友之助

    ○塩見政府委員 補正予算に関しましては、現在検討中でございまして、その額は他の類似の事業とも関連がありますので、まだ内定をしておりませんけれども、もちろん出す意思を持つております。しかしながらこの補正予算は、過去においては漁港について今まで出したことがないというふうな初めてのものでございますので、これは国会においても、業界全体においても十分な御協力をいただいた上で、何とか実現をはかるように努力をして参りたいと考えております。
  41. 川村善八郎

    川村委員長 小高委員委員長に対する要望についてお答え申し上げます。  漁港法は御承知通り昭和二十五年の十月に制定されまして、当時大蔵省では、この漁港の補助の比率についての折衝をした場合に、国の財政がふえた場合においては補助率も十分に上げることを考えようという約束もありますので、かねて同僚議員とも相はかつている次第でありますから、本委員会でぜひお取上げ願つて、その実現をいたしたい、かように考えます。
  42. 石原圓吉

    石原(圓)委員 補正予算を出すならば、すみやかに参お出しになることを強く要望いたします。私は個人的に自由党の総務会長その他に了解をお願いしました。なおここに有力なる松田総務も控えておられます。従つて補正予算を出すならば、必ず成立すると、私は確信を持つものであります。しかし昨年補正予算が確定したのは二十六年の十一月であります。そういう先例によつて当局がのんきにしておつたならばだめであります。なぜならば、今年は必ず秋か年内かに解散がある。そのために二十八年度の予算があるいは八、九月号ころに通常国会を開いて出すかもわからないというような情勢もあるのでありますから、今日ただいまよりその補正予算を編成して、これの実現を期するべき必要に追られていると思うのであります。  なおこの際北海道の選出代議士諸君にお願いをいたします。北海道の代議士諸君は非常に有力でありまして、子のために北海道漁港の予算は本土より特別有利な立場にあります。このことは非常に慶賀すべきことであつて、われわれもその法の実現には極力賛成をいたしたのであります。それはやがて本土も北海道にならい得る時期が来るという確信のもとに賛成をしたのでありまして、北海道の有力な諸君が、もう自分のところはできたからあとはよいのだというふうな水くさい考えをないように願いたい。また北海道の制度がかわつたために、二億幾千万円という予算は、本土の分がまわつて北海道行つておると私は信ずるのであります。本土は非常に片手落ちに陥つておるのでありまして、これは北海道の諸君が有力であるためにそうなつておるので、私はそれを非難もとがめもしないのであります。私は当局をとがめるのであります。なぜ本土の分を削るような予算の割振りにしたか、そのふえる分だけは別途に予算をとらなかつたか、これは私は当局を非難すべき重大なる問題として後日に残します。以上であります。
  43. 松田鐵藏

    松田委員 まず私は水産庁が微力であるという議論に対しては反対を表明するものであります。なぜかというと十石原委員長の言われる通り一億四千万円の漁港修築費に対して、委員長百七億幾らをとつたのであつて、約三位になつた功績御努力に対しては、われわれとしては満腔の敬意を表しておつたのであります。しかし翌年には十三億三千万になつたのであります。これも石、原委員長の御努力によつてつたのであります。要するに倍になつたのであります。さて本年度の予算において十八億八千万になつたということは、前の例から行きますと二十六億ならなければならないのでありますが、国家財政の上から行きましても、また昨年度の国民総所得四兆九千億が本年は五兆三千億という金額になつておる点から行きまして、十八億幾らになつたことは、むしろ水産庁当局、当委員会のあらゆる努力によつてであつて一般のものと比べるときに相当な増額になつておるのであります。ただ倍になつた、三倍になつたという意味合いのものでなく、すべてが国家財政の建前から、収入の建前から起算されておる公共事業費の中からとつたものであつて、その努力は金額数字において問題にすべきものでないと私は考えておるのであります。また運輸省との関係において、水産庁が不足だなどとは私どもは、こうも考えておりません。結果から見てよくこれだけとり得たものと思つて、むしろ満足したものであります。なお今後においては、明年度予算からいつて必ずや、われわれの希望する多額のものがとり得るものと確信いたして場おるのであります。しかして先ほどからの漁港の予算を多くとれという御意見、これは同感であります。しかし先日の漁港審議会の審議の状態を傍聴しておつたとき、たまたま一例でありますが、この港には漁船がそうもないではないかというような質問があつたのを私は耳にしておるのであります。かようにしてその整備計画なり、その調査なりというものが、單なる希望があるからといつて、どんどん漁港を申請するなどということは、今後においても相当考えて行かなければならないものでなかろうか。また漁港においてもただ厖大な予算をつくつて、それをしいるがごとき—そのためにあらゆろことが誇大になされておることをわれわれは耳にし。また知つておるのであります。かようなことではいけない、もつとまじめな方法によつて審議を進めて行かなければならないものと考えております。また私ども北海道が非常に誇大な予算をとつたために、内地の方からぶんどりしたがごとき、ただいまの石原委員言葉に対しては、私はまつこうからこれに対して反駁を試みるものであります。かような意味合いにおいて、北海道は全額国庫負担というような議論皆さん方の御協力を得たわけではないのであります。たとえて申し上げるならば、私の住んでおる紋別町というのがあります。これには漁港はないのであります。運輸港であります。しかし紋別町は山梨県と同じ広さであります。山梨県と同じ広さにおいて人口はわずかに二万四千よりないのであります。二万四千よりない紋別町が、平衡交付金においては山梨県の百分の一にも該当とない。あの寒い所に、しかも交通の不便な、東京に来るのには三日もかかります。かような所で孜々営々として産業にいそしんでおるのであります。別海村は愛媛県と同じ広さを持つております。こうした村、こうした町、こういうところにおいて、その町民、村民がはたして何億という金を負担でき得るやいなやということがわれわれの考えの根本であつたのであります。しかも北海道には拓殖計画があつて、その拓殖計画は北海道の全収入を全部北海道に使つて、なおかつ年内八千万なり九千万なりという国費を北海道に導入して、北海道を開発せんとする計画であつたのであります。かような植民地的な拓殖計画を持つてつた北海道と、人口が稠密しており、しかも気候風土において日本国民として世界に誇るべき風土を持つておる内地と漁獲高においてどれだけの差があるか。われわれはただいまの石原委員言葉に対して、内地の漁港などというものは一つの村に三つも四つもあるではないか、かようなところに漁港などはつくる必要はないと申したい。かような点からいつて、われわれは今お互いに自由党の党員である。しかも漁港の問題で予算を獲得せんとするものである。さような北海道を誹謗することなしに—内地の全額国庫負担ということに対してもわれわれは満腔の敬意を表するものである。だれがこれに反対するものがありましよう。しかし国の財政の上からいつてさようなことができ得るやいなやということは、おのおのがよく知つていなければならない問題であります。こうした点からいつて、われわれは協力を求めるよりも協力をしいるものである。今ここに二階堂先生からのお話もあり、やるべきだ、やろうじやないかと協力を求めるものであります。水くさい考えなど一つもありません。しかも私はこの間審議会の会合において、自由党の代議士は各県において漁村を持つておる。四月二十八日を契機として日本は占領政策から解放される。しからばわれわれ全国の国会議員が、一致協力して漁港に対するあらゆる努力をすれば、五十億や三十億の予算をとることはいとやすいことではないかという議論を申し上げた。私はさような感覚を持つておるものである。しかもこれは道路よりももつともつと必要なものであると私は考えておるのであります。どうか北海道に対する誹議がましいお話は、これから一切御無用にしていただきたい。あらゆる機会においてわれわれは協力を惜しむものでない。むしろ北海道選出の代議士としての立場から申し上げるのでなく、国会議員としての立場からわれわれは皆様方と協力して、予算の獲得及び漁港の補助、設置に対する協力を惜しむものでないことを極言いたしまして、石原委員北海道に対する御意見に対しては、私は反対を申し上げるものであります。
  44. 川村善八郎

    川村委員長 漁港に関する参考人並びに林課長等に対する質疑はこの程度にとどめます。  参考人諸君にお礼を申し上げます。公私ともに御多忙の折、長時間にわたつて意見を拝聴することができましたことは、まことに感謝にたえません。どうぞお引取りを願います。
  45. 川村善八郎

    川村委員長 この際お諮りいたします。東京水産大学教官棚橋鍾一郎君、東京水産大学後援会長鍋島態道君の両君を参考人に選定し、水産大学の移転問題につきまして、その実情を聴取いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  46. 川村善八郎

    川村委員長 御異議なしと認め、さよう決します。  なお本日政府委員として文部省大学学術局長稻田清助君、同警察予備隊本部経理局長窪谷直光君の御出席があります。小高委員より発言を求められておりますので、これを許します。小高委員
  47. 小高熹郎

    ○小高委員 水産教育問題について参考人方々及び政府委員にお尋ねをいたしたいのでございます。最近国際社会に日本がようやく復帰をすることができまして、今後遠洋漁業方面においても、いわゆる国民外交的に相当に対外的な折衝が多かろうと思いまするとき、わが国の国民の品位が劣つてつたり、あるいは文化性が低かつたりするということはどうかと思うので、わが国の国民外交の一端とも見られる最前線の水産に対して、国家といたしましても、きわめて重要なる観点において施策を講じなければならないと思うのでありますが、その際当然の帰結、して、水産教育の振興を離れて水産文化の高揚あるいは水産人の常識の酒養ということはでき得ないと考えられるのであります。水産教育については小中学校の問題もあり、高等学校の問題もあるのでございまするが、高等学校部面におきましては、昨年産業教育振興法という法律が制定されまして、昨年度は予算をとることができなかつたのでございまするが、昭和二十七年度予算においては、産業教育振興費として六億六千万円の予算を獲得することができ、この一部が水産高等学校に使われるということは、まことに本邦水産界のために祝福すべきことであると思うのでございまするが、その際最高学府たるところの水産大学の教育は、一体いかがに相なつておるかということでございます。予算面はさておきまして、現在水産大学が久里浜にございますが、この大学校舎の問題がいまだ解決しておらないと了承しておるものでございます。この推移について一応私の知つている範囲を申し上げますならば、先般天野文部大臣、大橋国務大臣、江口警察予備隊次長、文部省の稻田局長、これらの方々水産大学を視察されましたとき、内容はまことにけつこうな学校であるが、校舎がきわめて貧弱で—貧弱どころかこれでは問題にならない、何とか早急に解決しなければならないということを異口同音に唱えたそうでございますが、その後参議院の文部委員会水産委員会の連合審査会におきまして、それらの問題についてこの解決促進方が繰返されたのでございますが、その当時の話によりますと、久里浜の水産大学は、越中島の元の校舎を警察予備隊が早急に引揚げて、あそこに、元の巣にもどす、そうしてりつぱな水産大学の教育をすることに話合いがついておつたそうでありますが、その後遅々としてはかどらないのでございます。これにつきまして当時の事情をよく知つており、また水産大学の教育について非常に貢献をなされておりきすところの鍋島水産大学後援会長から、その経過につきましての御意見をまず伺いたいと思うのでございます。
  48. 鍋島態道

    ○鍋島参考人 東京水産大学校舎の問題につきまして、一応今までの成行きをお話し申し上げたいと思います。二十二年の五月久里浜を接収されて追い出されました。当時の農林省及が文部省ともいろいろ御相談の結果、久里浜の元の海軍通信学校、あそこに行つた方がよいのではないかということになりました。当時国は久里浜を日本の遠洋漁港に修築するという方針であつたのでございます。それははつきり文書にも残つております。それであそこを遠洋漁港にすると、その一部に水産学校を設置する、しかも通信学校の全部の校舎を使つてよいからということでございました。ただそのときに、今の通信学校がやはり進駐軍に接収されております関係上、使つてはよいが必ず将来これを君にやるという公文書は出ておらないのでございます。しかし内容から行くと、今申し上げたような公文書は出さないが内容はこうだぞ、こういうことになつております。その後国の方針として、久里浜の漁港が立消えの形になりました。当初は、全部やるという通信学校の一部であつたが、現在は大部分警察予備隊があそこに入つております。現状を申し上げますと、坪数は私はつきり覚えておりませんが、通信学校の一小部分、しかもこれが全部バラツク建で、化学の実験などというものをやるのに、やむを得ず元の便所を一部改造して化学実験室に充てているというようなさんたんたる状態でございます。それで昨年の九月右ありましたか、九月の初め、文部省と警察予備隊の方にいろいろお話を申し上げまして、とにかくひとつ実情を見てください。当時、今小高委員からのお話もありましたように、天野文部大臣と稻田局長と寺中会計課長—これは当時の会計課長でございますが、この御三方、警察予備隊の方から大橋国務相、それから増原長官は御都合で見えなくて、江口次長がお見えくださいまして、現状を見ていただいたのでございますが、それから数日たちまして参議院の文部委員、参議院の水産委員委員の合同委員会を開かれまして、その席で文部大臣と大橋法務総裁に、この校舎に対する御意見を承りまして、私も傍聴いたしたのであります。当時のことは速記録にはつきり残つております。大綱を申し日上げますと、天野文部大臣は、いやがつてうわさには伺つてつたのだが、現状を見て、いかにも校舎はそまつであるが、内容は非常に充実した学校である。これは自分の責任においても、この校舎を何とか至急に解決しなくちやならぬが、相手が、予備隊の現に入つておる越中島に復帰するということなんだから、大橋法務総裁とよく相談して毒処する、こういうお話を承りました。大橋法務総裁はやはりその席で、当初予備隊創設のときには、皆さんの御迷惑しかなんとかいうものをあまり深く考慮に入れるいとまがなかつたので、あそこを拝借しておつたのだ、ところが久里浜の実情を拝見しまして、まこと皆さんに御迷惑をかけておる、一日も早くこれを明けてお返ししたいと思う。こういうはつきりしたお話でございました。なおその席で、それじや一件いつまでに明けてくださるかという話もありましたが、当時は講和の発効が大体二十七年の三月ころだろうという見通しのときでございましたが、講和が発効して九十日で、六月といつても、六月にはむずかしいだろうが、おそくとも八月までにはぜひ、お返しして、皆さんに帰つていただきたいと思うということをはつきり申されたのでございます。爾来私及び学校の当事者も、数回にわたりまして警察予備隊に参りまして、促進方をいろいろお願いいたしましたが、今日に至るまで、まだほかへ予備隊が移らなくては、ここを明けるわけにはいかぬ、ここが適当な場所とは信じていないから、ほかへ移転ずるべく努力している。努力していると言う以上、どういう努力をしていらつしやいますかと言つても、なかなか説明がないのでございます。もつとも数回行きました当初には、旧士官学校へ相談をしているという話でございましたが、その後あの場所は駐留軍が接収するということにきまつたわけでございます。その新聞を見ましたから、翌日また、実は私みずから参りまして、江口さんにもお目にかかりましたけれども、どうも不幸にしてあすこへ行けなくなつたんだ、その次の手を打つている、その打つている手は、警察予備隊のことで秘密事項がおありのことだから、われわれには説明できないかもしれませんが、どうもはつきりしたことを申してくださらないのでございます。こういう停頓の半面に、大学の方では、学制に基きまして本年また一学級ふえて、二百二十名の生徒を採用いたしました。それで現状では隣に電話局がありますが、その電話局がほかへ移転いたしましたから、とりあえずそれを拝借いたしまして、そこに今の図書室とか標本室とかいうようなものを移し、そうして、バラツクの校舎を整備して、はなはだ不自由な状態でございますが、行き先がないのですから、やむを得ずとにかくそこへ収容しておるのでございます。ただああいう施設のもとに水産教育をして、先生方も非常にお骨は折れましようが、人間が環境に左右されるということも皆さん承知通り、あの不便不利な場所で水産教育を施すということは、国としては非常な損失でなかろうかと思いますので、この機会に一日も早く越中島へ復帰するように、皆さん方の御協力、御配慮をお願いいたしたいと思います。現状はただいま申し上げたような次第でございます。
  49. 小高熹郎

    ○小高委員 ただいま鍋島後援会長の御説明で、大体了承いたしましたが、なお水産大学の教授の方がおいでになられるようでございますから、補足すべき事項がございましたら、お伺いいたしたいと思います。
  50. 棚橋鍾一郎

    ○棚橋参考人 ただいま鍋島会長から大体の御説明がございましたので、あえてつけ加えることはほとんどないのでざざいまするが、ただいまの施設で水産教育がどんなふうに不都合な状態にあるかということを、一応御説明申し上げたいと存じます。私どもの大学が校舎問題に非常に悩むようになりましたのは、昭和二十年の十二月に越中島の校舎が接収せられてからのことでございます。爾来校舎問題で非常に苦しんでおるものでございます。越中島の敷地は大体二万一千坪でございまして、その上に建物が延べ坪数で約四千七百五十坪ございます。そうして本館はもちろん図書館あるいは標本館というようなものは、いずれも鉄筋コンクリートづくりの耐震耐火のものであつたのでございます。これが終戦後約三箇月ばかりいたしまして、突然接収されたのでございまして、当時の学校当局は、百方手を盡してそのとりやめ方を懇願したのでございますが、どうしてもそれが聞き入れられませんで、やむなく近隣の商船大学の寄宿舎を仮校舎にいたしまして、そこできわめて不満足な教育を一年数箇月やつていたのでございます。大体か寄宿舎でございますので、教室なんかに充当するのが非常に困難なのをあえてやつていたのでございますが、あまりに不便、不都合であつたので、百万手を議しまして、ようやく横須賀市の招きに応じ、久里浜の旧海軍通信学校に参つたのでございます。参つたと申しましても、当時海軍通信学校はほんのバラツク建のごく老朽の建物だけが約五千百坪ばかりあいておりまして、そこにとりあえず入つたのでございます。これもむろん進駐軍の一時使用許可を得て入つたのでございます。それではなせ全部入らなかつたかというお疑いがございましようが、当時は優秀な建物が五つございまして、その優秀な建物を五つともそれぞれの官庁によつて使われていたのでございます。第一には第八軍が三階建の鉄筋コンクリートの最も優秀な建物を使つておりました。また横須賀のアメリカの海軍基地が鉄筋コンクリート三階建の二棟を使つておりました。それから木造の鉄骨三階建の建物が二棟ございましたが、その一棟は横須賀地方の復員局が使つており、いま一つは海上保安庁が使つていたのでございます。こういうようなわけで、全部使用許可を得たかつたのでございますが、どうしても得られませんので、やむなくその老朽な約五千百坪ばかりの所に移つたのでございます。けれどもそれは数箇月あるいは半年くちいの後に、どれか一つは必ず明くだろう、また全体的に見てほとんど仕事らしい仕事をしているのは復員局くらいでございましたので早晩明くものという期待が非常に強かつたものですから、あえてそういう老朽な建物にわれわれは移転したのでございます。そしておりましたが、とにかくその当時学生が約一千名、教職員が三百二十二名、それに非常に得がたい図書が約十万冊ございます。それから標本類が一万一千点ばかりございます。また学生の実験あるいは実習に使います機械、器具が五千数百点ございました。これらのものをその中に同時に収容しながら教育をするということが非常に困難でありましたので、五千百坪のうちの一千二百坪に該当する所をかりに倉庫にいたしまして、むろん非常にひどい建物で、ございましたのでとりあえず雨漏りと戸締りだけを厳重にするようにいたしまして、そこにみな収容してしまつたのでございます。そういうわけで標本とか機械、器具なんかは教育上使用することは全然できなかつたのでございます。それから図書と申しましても、残りの三千九百坪ばかりの所へ教室あるいは事務室、研究室というようなものを設けるような始末でございますので、閲覧室なんというものは設けることができず、ほんの明いている所に図書を格納いたしているような次第でございましたので、これを教育上利用して一般の閲覧に供するなんということはとうとうできなかつたのでございます。こんな状態でありましたが、翌二十三年になりますと、われわれが期待した通り海上保安庁が一部分明けたのでございます。それでさつそくそのあと関係人たちの立会いのもとに—大蔵省の方もこのときには立ち会われまして、われわれが引継いで管理使用することになつたのであります。これは千五百坪ぐらいのものであつたと存じます。その建物は当時はあまりいい建物ではございませんで、一部は教官の宿舎なんかに充てていたのでございます。また多少実験、実習室をつくりました。それから翌年になりますと、今度は優秀な建物が三棟明きました。横須賀の海軍基地が使つておりました鉄筋コンクリート三階建のものが二棟、海上保安庁が使つておりました鉄骨木造のものが一棟明いたのであります。このときやはり関係官庁の方々の立会いのもとにわれわれがそれを引継いだのであります。当時のアメリカ海軍のデツカー少将から、この建物は一切水産大学が使うのが一番合理的であるという添書までしていただきまして、ただちに第八に軍使用許可の出願をしたのであります。とにかく、それだけのものが明きましたので、とりあえず必要な図書、標本類をそこに移しましたし、案験、実習所をさつそくそこに設備することにいたしました。こんなふうにして一時大学教育らしいものがやや施されるようになつて、非常にみな喜んでおつたのでありますが、昭和二十四年八月十九日と覚えておりますが、アメリカのジユーカス中佐が首班になられまして、米軍の将校二人と大蔵省の関係官が四、五人ついて参られまして、われわれの建物の使用状況を視察するということで突然お見えになつたのであります。当時ちようど私がおりましたので、親しく御案内していろいろ説明したのでありますが、そのときに突然に、あるいは近き将来にこれが接収されるかもわからないということを漏らされたのであります。そこで非常に驚きまして、われわれは越中島の校舎を追い出されてやむなくここに来たのであつて、これは大学を存続するのにぜひ必要な建物であろから、どうぞ引続いて使用させてくださいということを盛んに懇願したのであります。このときは非常に感動されたように見えたので、私たちは多少善意に解しまして、楽観しておつたのでありますが、三日の後に関東民事部のジヨーンズ課長の明渡し命令に接しだのであります。それでやむなくそこを明け渡して、元の老朽の建物に引越しさせられたのであります。しかもこのときには倉庫に使いました千二百坪ばかりの場所もまた接収されてしまつたのであります。それで結局三千九百坪ばかりの所にみな押し込められてしまいまして、従来以上に非常に不都合な教育をしなければならないような状態になつたのであります。そこで何とか校舎に使えるような所を物色いたしまして、とりあえず旧軍関係の建物を探しまわつたのでありますが、みな使用中でありまして、使えそうだと思つてつた所もほとんどだめでありました。そこで次には東京付近の海に面した三万坪から四万坪ぐらいの土地を求めましたが、それらの土地は全然ありません。ただ辛うじて二、三ありましたが、これらはいずれもこれから埋め立てる、あるいはすでに埋め立てられていても、護岸工事が非常にくずれて、バラツクを立てることさえとうてい不可能のような状態にありましたので、これもやむなく断念いたしました。そこで次には民間の建物で破産の宣告を受けて売りに出ているものを物色したのであります。たまたま大森に一ついい建物がありましたので、それを買収するということになり、当時大蔵省当局、文部省当局の方には非常な御援助を願つたのでありますが、不幸にして即時に現金を全額拂うことができないで、とうとう競争者の他の全社に買いとられてしまつたのであります。こういうわけで校舎問題については非常に行き悩んでいたときに、たまたま昨年の夏参議院の文部委員会並びに水産委員会の合同委員会などでこれが問題に取上げられまして、今日のような状態になつたものでございます。以上のようなわけで、教育という面のことになりますと非常に遺憾な点がございます。
  51. 小高熹郎

    ○小高委員 水産大学が久里浜で非常に困つているという状態は私どもよく了承しているのでありますが、さらにただいまの参考人御両氏の御意見を承りまして、一層その度を高めたのでございます。  そこで警察予備隊関係及び文部省当局にお尋ねしたいのでございますが、問題は八月ころまでに移転できるかできないかということにかかつているのでありまして、私どもも久里浜の窮状を見るに忍びないので、ここで議論をしているのでございます。しかし予備隊といたしましても事、国防上に関する問題もありましようし、治安維持関係もございましようし、いろいろな関係からこれを困らしてまで無理に私どもは押しつけようとするのではなくて、その予備隊は明け渡す意思を持つているが、どことどこへ折衝してその結果が出そうであるか、また全然見込みがないとするならば—警察予備隊費は本年度予算においに五百四十億を議決しているのでありますが、その一部をさいて新しい庁舎をつくつてもよろしくはないか。場合によつては追加予算あるいは便宜の措置で早急に新築して、今の越中島が必ずしも予備隊の庁舎として満足すべきものでないとするならば、これは新築方法も考慮して最もよろしい環境において解決してもよろしいじやないかと思うのでおりますが、まず警察予備隊関係者の御意見を承りたいことと、文部省当局と予備隊間において、今までどういう折衝があつたかということをあわせて文部省当局にお尋ねしたい。当局というよりも御出席の局長さんにお尋ねをしたいのであります。
  52. 川村善八郎

    川村委員長 まず警察予備隊本部経理局長窪谷直光君の御答弁を願います。
  53. 窪谷直光

    窪谷政府委員 水産大学の施設の問題につきましては、先ほど御説明があつたように私ども承知いたしております。予備隊が急速に設立をしなければならぬという情勢になりましたので、当時利用できるところに入つたというふうなかつこうでありました。その間各方面に御迷惑をかけたことがしばしばあるのでありまして、水産大学の問題もその一つでありまして、私ども非常に恐縮いたしているのであります。越中島の庁舎の問題につきましては、私ども場所として必ずしも予備隊本部として適当であるとは初めから考えておりません。できますればもう少し都心に近い方面であつて政府の各機関との連絡も円滑に行くような場所ということを考えておつたのでありますが、御承知のような状況で、新築ということは都内においてはなかなか言うべくして考えられないことであります。従いまして私どもが第一候補にあげましたのは、先ほど話の出ました旧陸軍士官学校でございます。市ケ谷にある建物でありまして、この建物でありますれば大体予備隊の本部と制服部隊の本部というものは収容できるという建前で、各方面にいろいろの折衝をいたしたのであります。まず日本政府部内におきましては、あそこは予備隊が使うのがいいだろうというところまで漕ぎつけたのでありますが、進駐軍との交渉がはかどらないままに推移をいたして参りました。最近におきましては、講和の発効後においてもあの建物は継続して使うというような決定がありました。日本側としてもそれに従わざるを得ないような状況のようであります。非常に残念なことでありますが、これをあきらめざるを得ないというようなことになつたのであります。その後ほかの建物として利用し得るものは、ただいまのところでは元の海軍の技術研究所、これは恵比須にあるのでありますが、その建物ならばどうにか入るだろうというようなことでやつておるのでありますが、これまた国内的にはほかの方で利用の希望を持つておるところがございますし、またいつこれが日本側に帰つて来るものか、目下のところはまつたく不明の状況でございます。私どもといたしましてはあの目黒の技術研究所が欲しいというふうなことで、各方面にそういう希望の申し出をし、やつておるのでありますが、日本側に帰つて来るかどうかもまだ私どもとしてははつきりいたしませんし、日本側に帰つた場合に、それが予備隊に渡されるものかどうかというふうな、最後的な話合いもまだできておらないのであります。非常に恐縮をいたしておるのでありますが、現在の実情はそういうことでございますので、御了承を賜りたいと存じます。
  54. 稻田清助

    ○稻田政府委員 東京水産大学の現状及び今日の現状に至ります経過につきましては、参考人方々及び予備隊の御当局のお話になりましたところと、大体同様に私ども考えております。文部省におきましては、大学行政の中で最も早急に解決を要すべき問題の一つといたしまして、この問題についてはいろいろ焦慮いたしております。時間の関係で非常に省略いたしまするが、結局警察予備隊の今日おられまする越中島に帰ることをもつて解決の最善の方法と昨年来考えまして、この点につきましては両大臣の間、また事務当局の間に種々折衝を重ねて参りました。大橋国務大臣及び警察予備隊本部御当局も、非常にこの問題に配慮しておられるように拝察いたしたわけでございます。現に先週におきましても両大臣の間でお話もあり、私自身も予備隊本部に江口次長をお尋ねいたしまして、この件について会談いたしました。ただいま予備隊御当局からお話のありましたように、まだ解決の具体策を得ていないのであります。しかし誠意をもつてこの問題については対処するというお話を承りました。われわれといたしましては、今後といえども予備隊本部当局と協力いたしまして、できる限りすみやかにこの問題を解決いたしたいと考えておる次第であります。
  55. 小高熹郎

    ○小高委員 ただいま両局長の御答弁によりまして、大いにこの解決に向つて努力をするという御意思を承りまして、非常に欣快に思つたのでございますが、本問題はただ單に両局長さんばかりでなく、あるいは学校当局ばかりでなく、われわれ衆議院の水産委員会といたしましても、この解決方に極力努力をしなければならないと思いますので、今後ともこの問題につきましては学校当局、あるいは関係官庁方面とも連絡をいたすかもしれませんが、これは総がかりで解決することにいたしたいという希望を述べておきまして、質問を打切つておきます。
  56. 石原圓吉

    石原(圓)委員 水産大学というものはもともと農林省の所管であくまでやつて行きたい、こういうことが根本の主張であつたのであるが、文部省が教育一元化ということから、文部省所管にしようということはなかなか強硬であつて、その中間に文部省と農林省が共管にしようという説も強く出たが、結局文部省へ一元化した。このいきさつから行きまして、私は文部省が少し今日までの経過において熱が足らぬじやないか、冷淡じやないか、こういうふうに感ずるのであります。もしこの学校が昔から文部省所管であつたならば、決してこんな状態で置いておかなかつたと私は確信するものであります。これは強奪という言葉はよくないけれども、教育一元化のために、しやにむに文部省の所管にした上から申しますれば、従来の文部省所管の学校よりは、より一層これに対して熱意を示して、早く安定する場所を選ばなければならぬのじやなかろうかと私は思うのであります。そこに私は非常にあきたらぬところがあるのでありますが、一体今日までどういう経過をたどられたのであるか、私はその点をもう少し詳しく聞きたいのであります。  またこの問題は、文部委員会が大いに力を入れなければならぬ問題であるが、学校当局及びこれに関連する後援者の従来の関係農林省所管であるから、水産委員会へ持つて来て、文部委員会にあまり働きかけないのじやないかという気がするのでありますが、私はそれは非常に的がはずれておると思うのであります。あくまでも文部委員会へ向けて強く要望して、ある場合には文部委員会水産常任委員会の連合審査会を開くというところまで行かなければならぬと思うのであります。また今日まで、学校の校長がここにお見えにならぬということは一体どういうわけか。この重大な問題を抱えて、ここへ来ることを躊躇しておるのか、あるいは都合が悪いのか、そういうことにことごとく私は不満を持つものであります。ことに文部当局に対しては絶大なる不満を持つものではありましてなお今日までの経過のあらましについて、もつと要点をお話願いたいと思うのであります。
  57. 稻田清助

    ○稻田政府委員 文部省といたしましては、所轄の大学がかつていかなる所管にあつたかという点につきまして、どうも差別的考えを持つていないことをまず第一に申し上げたいと思います。今日までこの問題が解決いたしませんことにつきましては、遺憾でもあり、恐縮にも感じております。今日までの経緯につきましては、先ほど来参考人方々からるるお話になりました経緯と私は相違する事実を認めていないので、先ほど時間の関係もあり、答弁を省略させていただきましたが、さらに繰返しましようか。
  58. 石原圓吉

    石原(圓)委員 同じことなら繰返す必要はありません。
  59. 稻田清助

    ○稻田政府委員 同様です。さらに水産大学長が今日この席に見えない事情につきましては、水産大学長は先ごろから沖縄へ公務のため出張中でございますので、御了承願います。
  60. 川村善八郎

    川村委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は公報をもつてお知らせいたします。  なお参考人諸君にお礼を申し上げておきます。公私多端の折から、長時間にわたりまして御意見を拝聴する機会を得ましたことを、まことにありがたく厚く、お礼を申し上げます。  これにて散会いたします。     午後零時五十九分散会