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1952-05-15 第13回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年五月十五日(木曜日)     午後一時四十三分開議  出席委員    委員長 内藤  隆君    理事 大泉 寛三君 理事 鍛冶 良作君    理事 高木 松吉君 理事 田渕 光一君    理事 福田 喜東君 理事 佐竹 新市君       天野 公義君    川本 末治君       黒澤富次郎君    篠田 弘作君       野村專太郎君    高倉 定助君       竹村奈良二君    山口 武秀君       久保田鶴松君    浦口 鉄男君  委員外出席者         証     人         (日本労働組合         総評議会政治部         長第二十三回メ         ーデ—実行委員         会事務局長)  島上善五郎君         証     人         (東京都特別区         公安委員会委         員)      浅尾  新君     ————————————— 本日の会議に付した事件  証人出頭要求に関する件  治安警備状況に関する件(五月一日皇居広場  騒じよう事件)     —————————————
  2. 内藤隆

    内藤委員長 会議を開きます。  この際御報告申し上げます。第四港湾建設部関係事件につきまして、北九州事務局長より、第四港湾建設部関係、第五号起重機船についての報告が参つております。これを朗読いたします。  北九財3第二九四号  昭和二十七年五月二日   衆議院行政監察特別委員会委員長内藤隆殿      北九州財務局長川戸定吉印    第四港湾建設部関係第五号起重機船について   標記についてその後日本サルベージ株式会社該船使用の実績に徴し、下記により使用料を徴収することを妥当と考え、かねて日本サルベージ株式会社折衝中でありましたが、このたび納入することに決定昭和二十七年五月一日完納せしめましたので御報告申し上げます。    記  日サルに対する本船の預託開始昭和二十三年十二月十九日であるが、昭和二十三年十二月より昭和二十四年二月までは、整備のため、ほとんど使用していないので、実質的に使用して収益をあげた事実が認められる昭和二十四年三月以降、四建に実際に引渡した昭和二十四年十二月二十一日までの十箇月間に対し使用料を徴収す錢こととし、次の通り算出した。  一、台帳価格六十八万四千五百九十円八十銭        旧指数(一四)  基準価格  五百七十七万円  貸付料年額 三十八万四千六百六十七円  徴収期間  昭和二十年(三月—九月)              七箇月  徴収金額  二十二万四千三百九十円        新指数(三〇)  一千二百三十四万九千二百五十五円      八十二万三千二百八十四円     昭和二十四年(十月—十二月)            三箇月       二十万五千八百二十一円       計四十三万二百十一円以上であります。
  3. 内藤隆

    内藤委員長 次にお諮りいたします。治安警備状況に関する件につきましては、札幌市警警備課長射殺事件京都事件及び広島事件について調査を進めていたのでありますが、理事諸君と御協議の結果に基きまして、さらに本委員会において、五月一日皇居広場騒擾事件につき、本日、日本労働組合評議会政治部長島上善五郎君、東京公安委員浅尾新甫君、五月十六日に、全国繊維産業労働組合同盟会長国際自由労連評議員滝田実君、法務府特審局長吉河光貞君、東京警視総監田中榮一君、以上五名の諸君にそれぞれ本委員会出頭を求める手続をいたしておいたのでありますが、以上の諸君を本委員会証人として決定いたすことに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 内藤隆

    内藤委員長 御異議なきものと認めます。それでは証人として決定いたしました。  なお証人出頭時日等変更を生じましたときの措置につきましては委員長に御一任を願います。     —————————————
  5. 内藤隆

    内藤委員長 これより、治安警備状況に関する件中、五月一日皇居広場騒擾事件について調査を進めます。  ただいまお見えになつておられる弁は島上善五郎さんですね。——あらかじめ文書をもつて承知通り、本日正式の証人として証言を求めることに決定いたしましたから、さよう御了承願います。  ただいまより、治安警備状況に関する件中、五月一日皇居広場騒擾事件について証言示を求めることになりますが、証言を求むる前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合に、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人後見入または証人後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとつき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書の御朗読を願います。     〔証人島上善五郎朗読〕    宣誓書  良心に従つて真実を述べ、何事もか  くさず、又何事もつけ加えないこと  を誓います。
  6. 内藤隆

    内藤委員長 それでは宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  7. 内藤隆

    内藤委員長 これより証言を求めることになりますが、証言証言を求められた範囲を超えないこと、また御発言の際にはその都度委員長許可を得て答えるようお願いいたします。なおこちらから証言を求めるときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。  島上善五郎君はこの五月一日の第二十三回メーーデーの実行委員会事務局長をしておられたのですね。
  8. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  9. 内藤隆

    内藤委員長 さらに島上君は総評政治部長もしておいでのようですね。
  10. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  11. 内藤隆

    内藤委員長 政治部長に就任されるまでのあなたの略歴を述べてください。
  12. 島上善五郎

    島上証人 簡単に申しますと、大正十三年に今の都電、当時の市電の労働組合を創立して執行委員となり、爾来戦争中を除いて労働組合の運動をやつて参りました。政党日本で初めて近代的ないわゆる無産政党ができた当時から多少関係しております。終戦後は社会党創立参加して、社会党中央執行委員になり、一方労働組合の再建に参画して、日本労働組合同盟中央執行委員会計主事等を歴任し、その後今日の日本労働組合評議会準備会を結成、発足した当時その事務局長をいたし、その後正式に昭和二十五年七月十一日に発足しましたときに初代の事務局長をいたしました。昨年の大会事務局長が今の高野実君にかわつて、今日政治部長をいたしております。昭和二十二年四月の総選挙で衆議院議員に当選いたしました。以上であります。
  13. 内藤隆

    内藤委員長 講和が発効しまして四日目の五月の一日、この日はまことに快晴であつて労働者式典日としてはまことにけつこうな日であつたので、われわれもこの日のメーデー労働者の幸福のために真のメーデーの使命を果すことを念願しておつたのですが、遂に皇居広場においてあの未曽有の大騒擾を起したということは、まことに遺憾とするところでありますので、あなたが実行委員会事務局長であつたという立場から、五月一日のメーデーについてお伺いしてみたいと思うのであります。  まず第二十三回のメーデーをやるにあたつて実行委員会が設置されたそうですが、その経過を簡単に述べてください。
  14. 島上善五郎

    島上証人 ことしのメーデー総評労鬪を中心としたメーデーを行う、こういう方針を立てまして、まず最初に総評及び労鬪参加している組合のみによつて、各組合から一名ずつ委員を出して実行委員会を結成しました。その後総評労鬪以外組合をどうするかという問題になりまして、これは申込みがあつた際に個々にその実体を審査をして、実行委員会に加えるか加えないかをきめるということになりまして、第二回実行委員会以降次に述べるような団体申込みがありました。産別会議東地労、これは産別会議系東京都における組織全逓労組、全金属労働組合、全印刷労働組合自治労連、映演総連、記憶で一、二落ちておるところもあるかもしれませんが、大体労鬪参加以外の組合はこれらのものであります。これに対して実行委員会協議した結果、産別会議という形はお断りする。理由はもし必要があればあとで申し上げます。東地労もお断りする。全逓労組、これも実体がほとんどないのだからお断りする。全金属労働組合、全印刷労働組合はこれを実行委員会に加えることを了承する。今申し上げた断つた組合もしくは入れることを了承した組合は、いずれも産別会議加盟組合もしくは下部組織であります。それから産別会議以外の組合自治労連映画演劇連合等はこれを加入せしめるということになりました。後に自治労連については、同じ地方自治体の職員諸君によつてつくられている総評加盟自治労協から異議が出まして、すなわち実行委員会から除外するよう要求がありまして、これは数回の実行委員会において論議をいたしました結果、最後実行委員会の議長である私の折衷案とでも申しましようか、調停案と申しましようか、その案によつて解決しましたのが、結局自治労連実行委員会正式メンバーからは引いてもらう、実行委員会オブザーヴア治として参加する、但しメーデー行事には参加を認める、こういうふうになりました。その後朝鮮メーデー対策協議会全学連都学連、その他若干あつたかもわかりませんが、といつたような団体から、実行委員会への加入スローガンに対する意見を附加して申入れがありました。これはいずれも拒絶をいたしました。そして今申しました総評労鬪加盟全国組合並びに後に参加を認めた労働組合によつて実行委員会を形成して参つたのであります。
  15. 内藤隆

    内藤委員長 その産別以下ですな、たとえば更地労とか全逓とかあるいは自治労連等、こういつたものを除外した理由はどういうことなんですか。
  16. 島上善五郎

    島上証人 自治労連については一たび加入を認めたのを、今申しましたように自治労協から異議が出まして、話合いをして引いてもらうというようになつたので、これは理由が若干違います。これは自治労協自治労連とのふだんの深刻な対立ということが原因だと思いますが、自治労協から強い除外要求があつてそれに基いてしたことです。これは一たびは加入を認めたのですが、全然当初から加入を認めない産別会議東地労全逓労組というようなのは、たとえば金逓労組については実体がほとんどない、名前だけで実体がほとんどないということ、それから産別会議あるいは東地労については、産別会議に入つている組合実体があり、その統制なり責任なりが明確に持てるものは認めよう、しかしそういう点が不明確であるという団体はお断りするというので、これはそう大して断る理由について深い議論はしませんでしたが、産別会議東地労というようなものはお断りしよう、こういうことになつたのです。つまりしいて言えば、その統制なり規律なり責任なりの所在が、どうも十分に信頼できないというところに理由があつたといつてよかろうと思います。
  17. 内藤隆

    内藤委員長 この実行委員会というのは、会議を何回ほど開かれたか、その会議の主たる議題とかあるいはその内容について簡単に御説明を願います。
  18. 島上善五郎

    島上証人 実行委員会は今まで十回持たれております。もう一回持つて解散する予定ですが、今までは十回持たれております。このうち二回はメーデーが過ぎてから以後に持たれ、八回はメーデー実行以前に持たれております。
  19. 内藤隆

    内藤委員長 メーデー実行以前のものは、メーデーに関する実行委員会ですか。
  20. 島上善五郎

    島上証人 メーデーに関することです。たとえば、メーデー会場問題、スローガンをどうするかという問題、費用をどうするかという問題、メーデーやり方をどうするか、当日の行事プログラムをどうするかということがおもです。但しこのうちの第八回目の実行委員会は、メーデー当日、中央会場において若干のトラブルがあつて行進開始前に実行委員会を開いて事態収拾と申しますか、行進等について最終的な確認をし、かつ連絡をする必要があつて、当日行進開始の直前に中央会場のテントの中で開きました。
  21. 内藤隆

    内藤委員長 それは八回目ですな。
  22. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  23. 内藤隆

    内藤委員長 それから、このメーデーに関して実行委員会をおやりになると同時に、他面警視庁とも諸般の打合せをやつておられるようですが、その間の交渉経過等簡単にお述べ願います。
  24. 島上善五郎

    島上証人 警視庁には私は二回ほどしか行きませんので、動員関係を担当している動員部あるいは渉外部というような、直接その衝に当つている部長が主として折衝したのですが、私が二回行つた範囲での折衝は、公安委員会から集会許可証が正式に交付されるときと、その前との二回です。デモコース解散場所等に関する打合せと、公安委員会からの許可証が交付される際のいろいろな條件等に関してです。これはいつでもそういう場合には、最後には責任者行つて許可証を受取るということになつておりましたので、そのときに参りました。
  25. 内藤隆

    内藤委員長 要するに公安委員会から條件を付された、その條件を聞きに行つたわけですな。
  26. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  27. 内藤隆

    内藤委員長 その條件というのは、大体危險物に関すること、あるいは集会または交通の秩序維持に関すること、あるいは行進中にその列内へほかの隊が入つては困るというような、そういうこまかい條件がついた、それをとりに行かれたのですな。
  28. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  29. 内藤隆

    内藤委員長 それから、メーデーを行う前にメーデー前夜祭というものが行われたそうですが、その間の事情を御承知ならばお述べを願いたいのです。
  30. 島上善五郎

    島上証人 メーデー前夜祭は、後楽園のスタジアムで二十六日の夜行いました。これは宣伝部がこの事務を担任して、企画を立てあるいはそれを実践推進して参つたのであります。もとよりその都度実行委員会に報告されて、実行委員会はこれを了承し協力するというふうにやつてつたのです。宣伝部平垣美代司君という人が部長を担任してやつておりました。
  31. 内藤隆

    内藤委員長 その宣伝部というのは、総評の中にある宣伝部ですか。
  32. 島上善五郎

    島上証人 いや、メーデー実行委員会の中の宣伝部です。
  33. 内藤隆

    内藤委員長 そこでこの前夜祭解散後、水道橋派出所が襲撃されたという事実があるようですが、この前夜祭のいわゆる派出所襲撃事件から見ても、メーデー当日相当混乱状態が起るという御判断はおつきになつておりましたね。
  34. 島上善五郎

    島上証人 メーデーの当日は、多少のトラブルは心配されましたが、あの五月一日のような、ああいう大きな問題になるということは、それまでは考えていなかつたのであります。
  35. 内藤隆

    内藤委員長 しかし尖鋭分子と言おうか——ともかくもこの前夜祭に集まられた人々は、大体においてどういう組合に属しておつた人ですか。
  36. 島上善五郎

    島上証人 前夜祭は、組合を主にして、一般にも招待券を発行したので、必ずしも組合組合員を統率して来て参加するというような行事ではないので、メーデーとその点は違うわけです。メーデーは、参加団体がそれぞれ責任を持つて統率者連絡者警備員を配置して、団体として参加するのですから、それにはおのずから統制規律が行われますが、前夜祭の場合には、招待券を入手した者は、いわばだれでも参加できますし、また前夜祭でそう問題が起るとは常識上考えられませんので、前夜祭では組合員がよしんば参加しても、それに警備とか連絡とか統制責任者を設けるというほどのことは考えてなかつた。今言われた事件というのは、私も終つてから多少その状況を見ましたが、前夜祭行事が全部済んで会場から出た、帰る者の一部がしたことです。
  37. 内藤隆

    内藤委員長 その招待券はどういう先へ配付されました。
  38. 島上善五郎

    島上証人 招待券は主としてメーデー実行委員会参加している団体を通じて配付されましたが、その配付先は必ずしも団体員と限定はしておりません。
  39. 内藤隆

    内藤委員長 要するにその招待券は、主催者側として、やはり実行委員会の名において出したわけですね。
  40. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  41. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると実行委員会責任はないとは言われませんな。
  42. 島上善五郎

    島上証人 前夜祭行事範囲に関する限りはもとより責任があります。
  43. 内藤隆

    内藤委員長 四月の二十八日に東京地方裁判所より、皇居前の使用禁止処分取消し判決があつたので、実行委員会ではこの問題を取上げて、既定方針通り神宮外苑でやるか、あるいはまたこの東京地方裁判所判決に基いて皇居前でやるかということを、相当激論されたということを聞いておりますが、その間の実情はどうでありましたか。
  44. 島上善五郎

    島上証人 激論というほどのことはありません。会場については、当初実行委員会皇居広場でやる。それから皇居広場使用不能になつた場合はどうするかということについて、これは多少激論があつた。その際にはどこか一箇所収容できる場所を見つけて、中央へ集合して、東西南北中部と五隊にわかれて行進をするという今までのやり方、これで行くか、それとも皇居広場以外には適当な場所がないのだから、東西南北中部がそれぞれ別個の場所に集合して、それぞれ行進を開始して、むしろ解散地を大体中央の適当なところに求める方がいいか、こういう二つの意見がありまして、これはなかなか激論でした。最後に採決をいたしまして、よしんば皇居広場使用ができない場合でも、他の場所を借りて一箇所で行事を行い、五除にわかれて行進をする、こういう在来やり方で行こう、こういうことになつた。それから今御質問の、二十八日判決があつた後については、二十八日といえば、実は実行委員会が演壇を設営したり、下部連絡をしたり、マイクの設備をしたりするには非常に期間が差迫つてつて実行委員会としては若干迷惑ではあるけれども、しかし当然政府は貸すであろうから、多少無理をして、強行軍をしても皇居広場でやろう、こういう考えを一応きめて、それに基いて厚生省、労働省に折衝しましたが、これは控訴をするから今年は使わせない、こういうことであつたので、それでは、その措置についてははなはだ不満ではあるが、しかし合法的にメーデーをやるという建前に立つ以上は、他の場所を物色する、すなわち今まで準備を進めて来た神宮外苑でやろう、こういうことになつた。
  45. 内藤隆

    内藤委員長 神宮外苑を再確認したわけですか。
  46. 島上善五郎

    島上証人 そうです。従つてそれには激論も何もなかつた
  47. 内藤隆

    内藤委員長 今回の統一メーデー開催に際しまして、さきに京都及び広島地評大会と、その後のデモ行進に見られるような、共産系分子によつて、あるいは北鮮人たちによつて撹乱された事実に対して、一体どういう判断を下しておいでになりましたか。
  48. 島上善五郎

    島上証人 まず統一メーデーという言葉について、私は若干言いたいことがあるのです。統一メーデー統一メーデーとしきりに言う人がありますが、私たち考えからすれば、しいて統一メーデーという言葉を使う必要はないと思う。何となれば、終戦以来ずつとメーデー政党所属いかんを問わず、労働組合の系統のいかんを問わず、一緒になつてつて来たので、その通り今年もやつただけの話であります。ですから昨年までは分裂しておつたが、今年は統一したという意味統一メーデーではないのです。終戦以来ずつとやつて来た通りにやつただけです。
  49. 内藤隆

    内藤委員長 しかし統一メーデーという呼び方は、あなたの方からも出ているのではないですか。
  50. 島上善五郎

    島上証人 いや私の方では言いません。むしろ私の感じでは、共産党系と申しますか、そういう左の方と、それから違う意味において、労働組合の右の方の諸君が言つているので、私の方は統一メーデーとは言つておりません。中央メーデーとは言つておりますが……。
  51. 内藤隆

    内藤委員長 そこで今お尋ねしたような、京都あるいは広島等地評大会に起つたような、ああいう共産系尖鋭分子が撹乱するというような事実に対して、どういう御判断を持つておられましたか。総評はあらかじめ共産系分子の胎動があるものという判断をしておつたかどうか、この点をひとつ……。
  52. 島上善五郎

    島上証人 そういうことについては多少心配しないではなかつたのですが、しかし今申しましたように、メーデー実行委員会はちやんと責任所在が明確で、規律統制のある団体をもつて構成したということと、それから実行委員会において再三にわたつて討議をした結果、次のような確認事項が満場一致で確約されているのです。その通り言います。    確認事項  1、メーデー式典実行委員会決定  のプログラム通り行い変更追加は  行わない。  2、メーデー行事デモ終了までと  し、この間は実行委員会方針通り  行動し、指揮者警備員連絡員の  指示に従うこと。  3、(1)項の行事進行を著しくげ  若しくは(2)項にそむいて逸脱行  為のあつた団体に対しては実行委員  会が責任をもつて対処する。  これは当初の案だと、次年度メーデー参加せしめない、こういう案でしたが、次年度のことまで今年の実行委員会でどうこう言う必要もなかろうというのでこういう言葉に直したのです。要するにメーデー中央会場における式典デモデモコース解散等——解散場所において到着順解散することをもつてメーデー終了と解釈しておりますが、それまではすべて実行委員会決定プログラム通り守るということ、これは全実行委員会参加している団体が、再度にわたつて何の異議もなく確認している。こういうことをやつたのは、撹乱される場合に対する予防の措置としてやつたので、これだけのことが確約されておれば、そう大きなこともなかろう、こういうふうに考えておりました。
  53. 内藤隆

    内藤委員長 そこまで準備をし、確約しておけば、おそらく騒擾などはあまり大したものは起きまい、こういう見通しでおやりになつたのですね。
  54. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  55. 内藤隆

    内藤委員長 そこでメーデー大会当日のことについて少しお伺いするのですが、メーデーには各種団体から祝辞等が読まれておりますが、この祝辞を述べる人の人選はどういうふうにおやりになりましたか。
  56. 島上善五郎

    島上証人 祝辞を述べる人選は、大体政党、それから文化人平和推進会議、それから農民組合関係、これは大体従来のしきたりを踏襲しておりますが、しいて従来と違つた点を申しますならば、平和推進会議というものが新たにできたのでこれを加えたのと、それから従来は外国人団体祝辞の中に加わつておりましたが、ことしは時間等の都合もあつてそれは除外するということになりました。また国内の文化人——これは団体代表ということではありませんが、文化人を一人加えよう、なるべく文化的な行事という意味も加味しようということで加えたのであります。従つて平和推進会議が新たにできたのでそれを加えたのと、文化人を加えたのと、外国人団体祝辞の中から除外したこと、これだけの違いで、その他別に大して議論するほどのこともなく在来やり方を踏襲した。従つて人選については、ことし祝辞をやつていただく団体は何らの議論もなしにきまつたのです。ただ農民組合関係日農全農等がありましてこれはやつていただく予定でしたが、その時間にお見えにならなかつたので、実際はやつてもらわなかつたということです。
  57. 内藤隆

    内藤委員長 祝辞人選在来のしきたりを踏襲してやつたということでわかりますが、何かそのときに今ソ連に行つておられるという高良とみ子あるいは宮腰、帆足さんですか、この三人の名前で祝電等が来ておつたと聞きますが……。
  58. 島上善五郎

    島上証人 それは電報です。二十八日モスクワにてということで。これは帆足さんたちの電報もそうですが、外国から来た電報は敬意を表して読み上げて披露した。国内から来た祝辞は、団体を読み上げるだけで、内容は時間の関係で省略する、そういう措置をとつたわけです。
  59. 内藤隆

    内藤委員長 ことにソ連から来たというので、非常に敬意を表して読み上げられたわけですな。
  60. 島上善五郎

    島上証人 いや、ソ連から来たんじやなく、ソ連におつた日本人から来たのです。(笑声)
  61. 内藤隆

    内藤委員長 結局何といいますか、非常に興味の中心になると考えて読まれたわけですね。それから、そういう祝辞を述べておられるときに、もちろん演壇でお述べになると思うが、その警備の状態等はどうでありましたか。どういうふうな警備の態勢をとつておられたか。
  62. 島上善五郎

    島上証人 演壇に必要以上の人々が上つて、演壇がこわれるということがあつてもいけませんし、また行事実行委員会プログラム通りにやることになつておりますが、その進行を妨げられるようなことがあつてはなりませんので、二つの階段口は、下の方に普通の状態では突破できないだけの警備は配置しておりました。
  63. 内藤隆

    内藤委員長 メーデーに直接参加する資格のないと思われる全学連会場に入れまして、それを許可しておるようですが、その許可された経過はどうです。
  64. 島上善五郎

    島上証人 全学連もしくは朝鮮人の団体、自由労務者等が入つたということは、これも何も事新しく、ことし初めて入つたのではない。メーデー実行委員会をつくつて実行委員会でその行事についてきめるのですが、メーデーそのものへ来る、たとえば皇居広場でやる、神宮外苑でやるというときに、その場所ヘ来るということは、見物人をも含めて、どなたが来ても従来これを阻止してはいなかつたのです。場所自体としてもオープンの場所ですから、人の身分を検査して入れる、入れないということのできる場所ではない。これは今までも実行委員会に入つていない団体であるが、当日メーデー会場へ来る、あるいはデモ行進の後尾の方につくということはあつたことです。しかし全学連と朝鮮人の団体は、実行委員会参加させてくれと申し込んで来たのは、実行委員会がスタートしたころですが、これはお断りしました。すると二十八日ごろになつて、それではデモ行進参加させてほしいと申し入れて来ました。これに対しては、すでにデモ行進の順序その他について全部打合せ済みで、決定済みだつたので、たとえば全学連中部地区の行進参加したいという申入れに対しては、中部地区は非常に人が多くて、労働組合でもお断りしておる状態であるから、これはいけない、東部に入つて、しかも順序はすでにきまつてつて、その順序を変更するわけに行かないから、最後尾についてもらおう、それから朝鮮人の団体につきましては、南部へ入りましたが、これは南部地区の実行委員会——地区にも実行委員会があるのですが、地区の実行委員会と話合いの上、南部地区の行進のちようどまん中ごろに入るという了解がついて参加せしめたのであります。これもことしあらためて事新しく参加せしめたというのではなくて、従来とも数の問題はともかくとしまし合て、メーデーの趣旨に賛成するいろいろの団体が入つております。
  65. 内藤隆

    内藤委員長 最初の実行委員会では、全学連並びに朝連の正式参加は断つた。しかし当日この団体大会場ヘ来て、会場へ入りたいという要求があつた場合に、あなたの方では従来の例もあることだから、これを許可したのではないが、大目に見ておつたわけですね。
  66. 島上善五郎

    島上証人 まあ、そうです。
  67. 内藤隆

    内藤委員長 正式に許可するのではなくて……。
  68. 島上善五郎

    島上証人 実行委員会参加はお断りしました。実行委員会参加と当日来るのとは別なんです。実行委員会参加するというのは、メーデーのいろいろな行事に対して、いろんな発言をするということですから、そういうことはお断りしたのです。
  69. 内藤隆

    内藤委員長 当日大会に来ることは、従来の前例があつたからこれを黙許しておつたというわけですね。
  70. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  71. 内藤隆

    内藤委員長 それから石川島造船所に日の丸メーデーというものがあつて、これに対する抗議があつたそうですが、そういう実情はお聞きになつておりますか。
  72. 島上善五郎

    島上証人 まあ、日の丸メーデーということが適当かどうかしりませんが、石川島造船所の諸君が、神宮外苑には遠いから、自分たちは錦糸公園でやりたい、それを中央メーデーの第二会場として認めてほしいということを、実行委員会へ代表を通じて申入れかありました。そこで実行委員会では、会場の遠いことも十分承知の上で論議をした結果、一箇所でやることになつたのだから、石川島だけを第二会場として認めるわけにはいかない。第二十三回中央メーデーは、神宮外苑でやるのがただ一つだ、あなた方の組合が、組合の自主的な考えでどのようなやり方をしようと、それは御自由であるが、第二会場として認めるわけにはいかぬ、こういうことで、実行委員会は満場一致でそうなつた。ところが当日石川島の諸君がやつたことを聞いております。
  73. 内藤隆

    内藤委員長 ここでも相当騒擾があつたように、当委員会でも調べておりますが……。  それからいよいよデモに移つたのですが、だれか特に壇上に上つて皇居広場デモ行進せよというような緊急動議を出した者がおると聞きまするが、それはどういう団体の何という人でしたか。
  74. 島上善五郎

    島上証人 それはこういうことです。ちようど参加団体代表のあいさつ、十人あるその十人目の人があいさつをしようとしたときに、石川島の諸君が、錦糸堀で日の丸メーデーをやつてつてけしからぬ、そこからこの会場へ特に皆さんに訴えに来た、その石川島造艦所の諸君がやつているメーデーは分裂メーデーで、労働者階級の裏切り者であるということをお訴えしたいということを申し込んで来た諸君がありました。そこで私は、確認事項がありますので、そのようなことは困る、そのことについては、すでに実行委員会において、どこでやつて中央メーデーの第二会場ではないということを確認しておるので、あらためてここでそのようなことをしてもらいたくないと言つてつた。ところが相当数の——これは数ははつきりはわかりませんが、とにかくこちらの警備員を実力でもつて突破できる程度の数の諸君が集まつて来まして、石川島造船労組の旗を先頭にした諸君が強行突破をして、演壇を占領した。こういうことなのであります。それで事態が一時混乱に陷つたので、私はプログラムの追加変更を行わないという確認事項最後まで守つていましたが、当日の議長団が臨機のとりはからいとして、それでは一入だけ訴えさせようではないか、こういうことになつて、私も了承しました。そうしましたら、石川島労組の旗を中心にして、三人マイクの前にがんばつて、三入やらせろ、こういうことを言いました。そのときはすでに演壇占拠のつかみ合い等のために、マイクが故障しておりました。一人は確かに錦糸公園でやつた石川島のメーデーはけしからぬというような意味のことを訴えておりました。その他の二人はどういうことを言つたか、私はよく記憶しておりませんが、そのうちの一人が、皇居広場メーデー会場にしてやろうということを訴えようとしたことは、承知しております。しかしそれを議事として取上げて、議長が採決をするというような扱いは、絶対にしておりません。
  75. 内藤隆

    内藤委員長 そのとき壇上というものは平静を保つておりましたか、すでに混乱状態でしたか。
  76. 島上善五郎

    島上証人 石川島の諸君ともう二人が何かしやべるときは、一時の混乱がやつと落着いて、一応納まつた状態であつた。しかしマイクはこわれて、みんなには聞えない。前にいる数百人の人にはどうか知りませんが、一般の人には聞えない状態であつたのと、もう一つは、それは緊急動議として、議題として取上げるというものではなかつた。ただ演壇を通じて訴えたいということから、その訴えることのみを、議長が臨機のはからいとして承知をした。動議を提出してそれを議決するというようなことは、少くとも実行委員会が存在している以上、実行委員会の議を経ないでやれる性質のものではない。そのような扱いはしておりません。
  77. 内藤隆

    内藤委員長 そうするとその三人の人たちは、皇居広場デモ行進の緊急動議は、そう強く主張しなかつたというのですか。
  78. 島上善五郎

    島上証人 言葉の内容では強く弱くということはどういうことになるか知りませんが、議長はこれを動議として取上げてみんなに諮る、こういう扱い方はしなかつた
  79. 内藤隆

    内藤委員長 それは動議ではないようですが、さような申出をした人の名前はわかつておりますか。
  80. 島上善五郎

    島上証人 わかつておりません。
  81. 内藤隆

    内藤委員長 三人ともわかりませんか。
  82. 島上善五郎

    島上証人 わかりません。
  83. 内藤隆

    内藤委員長 石川島造船所の人であるということはわかつておりますな。
  84. 島上善五郎

    島上証人 一人は石川島造艦の人でしよう。石川島造船の旗を持つて来たですから……。その他の二人についてはわかりません。
  85. 内藤隆

    内藤委員長 それからそういういざこざがあると、それを機会に日本共産党がビラを散布されたようですね。そういう事実はございましたか。
  86. 島上善五郎

    島上証人 それを機会にということは正確でないと思いますが、当日行事が始まつてから、ときどき後方からチラシが散布された。それでそのころもチラシが散布された。そのチラシの中には、共産党のもあつたでありましようし、そうでなかつたものもあつたでしよう。これは私も若干チラシは手に入れましたが、いろいろのものがあつたようです。
  87. 内藤隆

    内藤委員長 実力で人民広場を戰いとろう、日本共産党明大細胞、あるいはまた日本民主青年団、デモを組み人民広場へ、こういうものをごらんになりましたか。
  88. 島上善五郎

    島上証人 これと同じものは見ませんが、会場がみんな出拂つたあとで、相当紙くずがあつた際に、学生団体のチラシだと思いますが、こういつた意味のチラシがあつたことを一、二見ました。これと同じものは見ません。
  89. 内藤隆

    内藤委員長 そういう類似のものがあつたわけですな。実行委員会メーデーの主体性を大会最後まて保持しようという申合せがあつたことを、さいぜん証人証言されておりますが、大体あなたは実行委員長として、最後まで主体性を保持しておつたとお思いになりますか。
  90. 島上善五郎

    島上証人 今言つたように、多少演壇におけるトラブルがあつて行事予定より若干は遅れましたが、全部済ませた後に、いよいよデモ行進に入ろうという直前に、各地区からデモコースはどうするとか、いろいろなことの問い合せがありましたので、実行委員会を開いて、デモコースデモの順序、解散場所等は、すでにきまつた実行委員会方針通りいささかも変更しないということを最終的に確認して、実行委員会が棄西南北中部の各方面に手わけをして連絡をして、ただちに行進を開始するようにということを連絡しました。それで最後まで主体性が確保されたかどうかということですが、デモ行進の順序については、一部かつてに順序をかえた団体があつたように思われます。しかし実行委員会に正式に参加している団体の限りにおいては、この確認書にあるように、行進コースについても、順序についても最後まで守つておりました。一部かつて行進の順序をかえた団体があるように見受けましたが、その他の実行委員会参加している団体に関する限りは、全部既定方針通りつたわけであります。従つて日比谷で解散、あるいは澁谷、新宿、後楽園のうしろの方で解散するまでは実行委員会の主体性は保たれておつたものと、こう考えております。
  91. 内藤隆

    内藤委員長 主体性は保つてつたとあなたは実行委員長として信じておいでになつているわけですな。
  92. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  93. 内藤隆

    内藤委員長 それではデモ行進について少しお伺いしますが、デモ行進計画は先ほどからの証言でほぼわかりましたが、ジグザグの行進等はどういうふうにしてこれを統制する予定でありましたか。
  94. 島上善五郎

    島上証人 行進が始まつてから途中の統制については、実行委員会として連絡員警備員を派して方針通り実施するようにいたしますが、さらに具体的にはそれぞれの団体が、たとえば都労連なら都労連という団体がまた別箇に責任者を設け、警備員連絡員を設けて、それぞれの団体統制するというのが今までのやり方です。ですから、行進に移つてから途中における統制は、実際上少くともそれぞれの団体か主としてこれに当るということになつております。われわれの方ではそれを全体として総合的に連絡し、あるいは警備をするということであつて、途中におけるジグザグ行進というようなことも、それぞれの団体においてそのようなことをしないように、団体を通じて十分連絡しているわけです。
  95. 内藤隆

    内藤委員長 実行委員会としては直接にそういう統制はしないが、デモ行進の各労組が統制をして行くことになつてつた、かようなわけですな。
  96. 島上善五郎

    島上証人 実行委員会としては総合的に全体的に連絡や指示等はいたしますが、それぞれの団体の直接のことについては、団体がこれを規律統制連絡をはかる、これが従来からのやり方です。
  97. 内藤隆

    内藤委員長 この中部デモ行進、南部のデモ行進解散が日比谷となつておりますが、日比谷に決定するまでの経過をお述べ願いたい。
  98. 島上善五郎

    島上証人 日比谷に決定するまでの経過は、南部の一番最初の方針は芝公園で、中部は日比谷公園——これは要するにデモコースがあまり長過ぎても困るし、短か過ぎて、人のいないところばかり歩く、焼け跡ばかり歩くというよすなことでも困るというので、四キロないし五キロというところがちようどいいというのが、今までのこの種のデモの経験にかんがみて得た結論です。それと、最後解散する際に交通の便がいいということが一つの必要な條件です。そういうことから考えたのです。但し新宿や澁谷は、そういう條件からいうと、コースが短かすぎたり、人家が少かつたりということはありましたが、これは神宮外苑を中心にして五方面にわかれたとすれば避けがたいことであつた。それから芝公園が日比谷に変更されたのは、その間の事情は私にはよくわかりませんが、これは動員部の方で警視庁当局との折衝過程においてそういうふうになつたと聞いております。
  99. 内藤隆

    内藤委員長 動員部ですね。その部長はたれですか。
  100. 島上善五郎

    島上証人 芳賀民重です。
  101. 内藤隆

    内藤委員長 これは日比谷に決定したのは、皇居前が近いということも考えの中に入れて決定したのではないですか。
  102. 島上善五郎

    島上証人 いや、もちろんそんなことは考えの中へ入つていません。
  103. 内藤隆

    内藤委員長 そこで、中部の示威行進の中で、全学連が赤坂の表町附近でかけ足をもつて一気に先頭に立つたんですが、その際実行委員会としてはこれに対してどういう処置をとられましたか。
  104. 島上善五郎

    島上証人 実行委員会は、従来ならば大して問題が起らなかつたので、実行委員諸君も司会者も行進の先頭に立つて歩くというやり方をしましたが、ことしはそうではなく、実行委員の少くとも部長の人々は残つて、各方面の行進に対して、途中でも解散後も問題が起らぬように連絡するということで、実行委員会の首脳部と申しますか、中心になつた人々は中央会場の後方、神宮絵画館前の芝生を連絡場所にしておいて、五台の自動車を借り切つて各方面に連絡をしたわけです。その連絡の任務をしている途中に、そういう一部かつて行進の順序をかえるというようなことがあつたことも聞きましたが、これについては、実力でかけ足でかえるようなものをこつちが実力で阻止するということになると、デモ行進の途中で大きな混乱を起すおそれがある。それともう一つは、大勢のそすいう行進を実力で阻止するといつても、われわれの力で阻止することは非常に困難でもありますので、その場合については、少くとも実行委員会参加している団体については、秩序整然とそういう混乱の事態に巻き込まれないだけの連絡をしたわけです。
  105. 内藤隆

    内藤委員長 しかしその際、われわれも若い時分はそういう示威運動等も相当つたこともありますが、かけ足をして全学連がかけて来たといえば、すでにその目的がどこにあるかということくらいは実行委員会は想像できたと思います。そうしていわゆるまじめなデモ行進をしようとする先頭に立つておるその指揮者というか、組合というか、その人に向つて引離せというような何か指令でも発せられれば、この全学連に引きずられて行くというようなことはなかつたと想像されるのですが、どうですか。
  106. 島上善五郎

    島上証人 それは引きずられては行かないのです。全学連の人はかつてに先頭には行つたけれども、こつちの部隊は当初の方針通りちやんと行つておる。引きずられたと今委員長がおつしやいましたけれども、少しも引きずられてはいないわけです。
  107. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると、先頭に立つたので、行列の順序が違うけれども、全学連のあとへついて先頭が進んで行つた、こういうわけですね。
  108. 島上善五郎

    島上証人 そうです。それは引きずられたのではなくて、行進コースが当初きまつておるコース通りつたし、日比谷で解散する場合にもその通り解散したわけです。日比谷で解散した後の行為についてはこれは別ですけれども。
  109. 内藤隆

    内藤委員長 けれども、今委員長のお尋ねしているのは、かけ足をもつてその行列を乱すために先頭に立つた以上は、もうすでにこの全学連が何を目ざしているかということくらいは、実行委員会で気がつかなかつたかという点をお聞きしているわけです。     〔「警察でも阻止できないじやないか」と呼ぶ者あり〕
  110. 島上善五郎

    島上証人 かりに気がついたとしても、それは今のやじじやないけれども、実行委員会は警察でも軍隊でもないので、それはどうにもならないということです。
  111. 内藤隆

    内藤委員長 実力でやれば双方またトラブルを起す……。
  112. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  113. 内藤隆

    内藤委員長 それから南部の行進ですが、これには朝鮮人が先頭に立ちまして、六本太付近から溜池付近で相当な衝突事件が起きておるようですが、これに対して実行委員会はどういうふうに処置をとられましたか。
  114. 島上善五郎

    島上証人 六本木付近は知りませんが、これは私が連絡に行つたときです。が、溜池の付近で、溜池からずつと虎ノ門にまつすぐに電車通りを行くコスであつたのに、溜池で電車が赤坂見附の方とわかれるところから、一旦赤坂見附の方にかつてコースをかえたというのは見ました。そこでその人たちが赤坂見附の方に行つてしまうのかと思つたら、そうではなしに途中から、たしかスケート場の近所だつたと思いますが、途中からまた帰つて来て、最初きめたコース通りに行つた。それだけのことはあつたのです。これは私は現場を見ました。そのときに南部地区の指揮者というような人々にただちに連絡して、先に立つた部隊がコース変更してもこちらはコース変更しないようにということを連絡いたしました。そして先に立つた部隊が通つてしまうまで、しばらく待つていました。一まわりまわつて来てまた元のコースを行つたので、しばらく待つて、しかる後にそれについて行つた。こういう状況です。
  115. 内藤隆

    内藤委員長 その間衝突等の事件はあなたは見なかりた、こういうわけですな。
  116. 島上善五郎

    島上証人 私の承知しておる限りではなかつた
  117. 内藤隆

    内藤委員長 事実は相当に衝突があるようであります。そこでデモ行進は、いろいろそういう実情等を聞いてみますると、一部尖鋭分子、共産分子に乗ぜれておるということは想像できるのでありまするが、一体こういうよりに牛耳られたその原因はどこにあるとお思いですか。
  118. 島上善五郎

    島上証人 吉田内閣のやり方に対する憤遍が相当材料になつていることは事実でしよううね。
  119. 内藤隆

    内藤委員長 吉田内閣に対する憤怨、批判等はまたいずれかの機会において聞くとしまするが、要するにあなたの今まで述べられたことを聞いてみると、実行委員会としては主体性を持つてつたというが、事実はああしたデモ行進なつた、主体性がないじやありませんか。
  120. 島上善五郎

    島上証人 それは見解の相違です。元解の相違で、私たちは少くとも実行安員会に参加している団体に関する限りは、実行委員会決定した通りつておるのですから、それをもつて主体性は保たれた、こう解釈しております。
  121. 内藤隆

    内藤委員長 そうすると、あなた方の実行委員会では認めていない別のものが、それに乗じてやつたということになるわけですな。
  122. 島上善五郎

    島上証人 まあそういうことが言えるでしようね。
  123. 内藤隆

    内藤委員長 そこでああいう不祥事というか、むしろ革命の前衛戰のような光景を演じた。そこでこの騒擾事件後、総評として皇居広場騒擾事件に対して何か声明を発しておるようですが、その内容について少しく
  124. 島上善五郎

    島上証人 総評の声明ですか、実行委員会のですか。
  125. 内藤隆

    内藤委員長 実行委員会つたと思いますが……。
  126. 島上善五郎

    島上証人 実行委員会でも出しました。総評でも出しました。
  127. 内藤隆

    内藤委員長 両方とも言つてくださ
  128. 島上善五郎

    島上証人 きようは実行委員会事務局長として呼ばれたので、実行委員会のを持つて来て、総評の資料は持つて来なかつた実行委員会のはここにあります。
  129. 内藤隆

    内藤委員長 それでは実行委員会の方を……。
  130. 島上善五郎

    島上証人 これは翌日開いた実行委員会です。翌日第九回の実行委員会を開きまして、きのう起つた事件に対してどうしようか。こういうことで、そのことのみを協議した実行委員会です。読みます。    声明書  (一) 昨日皇居広場附近で起つた事件は、メーデ治行事が完全に終了し、デモ隊が解散した後、主として共産党系分子及びその影響下にあると思われる全学連、旧朝連等の一部によつて行われた不祥であり、実行委員会としては関知しない処ではあるが、まことに遺憾である。  (二) 一部分子のこの行動は平和と民主主義を守る国民的行事としてのメーデーを汚した反労働者的行為でありわれわれ自らの力によつてかかる行為を排除して行くものである。  (三) しかしながら、政府が破壊活動防止法をはじめ、露骨な強圧政策をとり、特にメーデー会場問題に関して裁判の決定を無視してまで皇居広場使用させなかつた頑迷な態度が暴力行動に絶好の條件を與えたものであり、更に警察官の発砲と催涙彈の乱射により一層事態を激化せしめたものである。  (四) メーデー実行委員会は政府の反省を要求責任を追及するとともに、この事件を口実として反動政策を強化せんとする政府の企図ならびにフアッシヨの擾頭に対しては断乎反対して闘うものである。 これが声明です。
  131. 内藤隆

    内藤委員長 今声明書を聞いておりますと、他を責めるに急にして、あなた方総評自体あるいは実行委員自体が責任を感じている文句は一事もないですね。
  132. 島上善五郎

    島上証人 「まことに遺憾である。」ということは広義に解釈すればそういうことです。
  133. 内藤隆

    内藤委員長 まことに遺憾といつても解釈のしようだが、もう少し具体的に、こういうことで責任を感ずるというような何かそこに文句がなければならぬ。いたずらに政府に向つて責任を着せるような、それではわれわれは誠意のある声明ということができない。ことにその声明書に、皇居広場を使わせなかつたことがこの原因だと書いてある。一体どうして皇居広場を使わせないということがその原因なんでしよう。
  134. 島上善五郎

    島上証人 皇居前を使わせないということ、少くとも裁判によつて使わせるべきだという結論が出ているのに、強引にそういうことをさせぬことが相当に憤慈を買つた。それが皇居広場に行けという行動を生んだ一つのきつかけとなつていることは否定することはできない。
  135. 内藤隆

    内藤委員長 総評実行委員会は、要するに神宮外苑でやること乞再確認して行つておるにかかわらず、あなたのあとに出されたその声明書によると、皇居前を貸さなかつたことがこの原因だ、こういうことになつておる。一体皇居前を使わせなかつたその原因を聞く前に、皇居前を使いたいという目的がどこにあるのです。
  136. 島上善五郎

    島上証人 皇居広場メーデー行事としてあらゆる観点から見て最も適当な場所であるということ、使用許可しないという何らの理由を発見することができないからです。
  137. 内藤隆

    内藤委員長 それではもう一つ聞きますが、そういう場合のことでなく、むしろデモ隊がビラをまいて、そうしてデモ行進のいわゆる先に立つて皇居前を——皇居前というのじやない、人民広場と称する、人民広場を奪還せような、これはまつた皇居にあばれ込むような、二重橋を破つて入る目的があつたんではないですか。
  138. 島上善五郎

    島上証人 そうではないでしよう。
  139. 内藤隆

    内藤委員長 現に二重橋の棚が破られておる。
  140. 島上善五郎

    島上証人 まあ御心配することはないでしよう。二重橋の中に入るなんということは、天皇陛下になるという考えは別になかつたでしよう。
  141. 内藤隆

    内藤委員長 天皇陛下になるという考えではない。そんなことは聞いてない。そうじやない。二重橋を破つてあそこへあばれ込もうという尖鋭分子考えがあつたとわれわれは考えざるを得ない。皇居前ばかり言うから……。
  142. 島上善五郎

    島上証人 私の考えをもし……。
  143. 内藤隆

    内藤委員長 神宮外苑でもできるじやないか。何で皇居前ばかり主張するのだ。それがわからない。     〔「委員長、何を言つておる」「議事進行」と呼ぶ者あり〕
  144. 内藤隆

    内藤委員長 それでは委員長証人に対する尋問をこの程度にしまして、委員諸君にお願いします。篠田委員
  145. 篠田弘作

    ○篠田委員 証人にお伺いいたしたいと思いますが、最初に産別会議東地労全逓労組という団体が申し込んで来たときに拒否されたその理由は、責任者所在が明らかでない、こういう理由で拒否されておるようでありますが、しかしこれらの団体も、それぞれの責任者があるのではないかと思います。決して烏合の衆ではないと思いますが、責任者所在という意味はどういう意味ですか。それをお伺いしたい。
  146. 島上善五郎

    島上証人 それは責任者所在と言つたのではないのです。それは聞き間違いでしよう。その団体実体が、私たちが十分に信頼できるような責任と秩序、規律を十分に重んじる団体として信頼できるような状態でないから。責任者所在じやなくて責任所在等について十分信頼できるような状態でない。
  147. 篠田弘作

    ○篠田委員 それでは、これは私の想像であるかもしれませんが、あなたの方でお断りになつ団体は、大体において共産系団体が多いというふうに私は考えるのですが、そういう意味も含まれておるかどうか、それをひとつ。
  148. 島上善五郎

    島上証人 共産系団体が多いことは事実です。それは私どもふだんつき合いをしておりませんので、そういう関係もあろうと思いますが、要するに今言つたように、その団体実体とか、責任所在、はたして統制規律のある団体であるかどうかということについて十分信頼ができなかつたということです。
  149. 篠田弘作

    ○篠田委員 そうしますと、あなた方かふだんおつき合いをされない団体は、労働組合であつても、労働者の祭典であるメーデーには参加させないという意味ですか。
  150. 島上善五郎

    島上証人 いや、そういうことではありません。もちろん私どもふだんつさ合つていなくとも、世間的に見まししちやんと実体もあるし、規律統制も保たれている、また信頼できるというふうに認められる団体は、先ほど述べたように、参加させているわけですから。
  151. 篠田弘作

    ○篠田委員 そうすると共産系団体は、大体において責任所在が明らかでないというふうにあなたの方で判断これておるのですか。
  152. 島上善五郎

    島上証人 それは責任所在もそうですが、大体実体がほとんどなくなついるということも、一つの大きな理由になつておるのです。
  153. 篠田弘作

    ○篠田委員 それから参加を拒否された団体が、当日突如としてデモなり会場なりに参加した場合には、あなた方としては施すすべがないというふうに先ほど証言せられたようです、また一面、メーデーというものは、主催者において責任を持つて対処するという証言もありました、その間の証言に多少食い違いがあるように私は考えるのですが、その点はいかがでしようか。
  154. 島上善五郎

    島上証人 それは食い違いはありません。実行委員会への参加をお断りしたのと、メーデー会場参加をお断りしたのとは別です。メーデー会場ヘの参加を断つたことはありません。実行委員会への参加をお断りしておる。
  155. 篠田弘作

    ○篠田委員 事実上メーデー会場への参加というものは断ることはできない、こういうことですね。
  156. 島上善五郎

    島上証人 そうです。
  157. 篠田弘作

    ○篠田委員 そこで、メーデー会場で、共産党の細川嘉六さんが、人民広場行進しようという演説をされたということが出ており、また東大の自治会中央委員会という名で、そういうビラがまかれておるといつて、そのビラも現に拾つて来ている人もありますが、こういう問題はあなたの方で、演説会の会場で、少くもメーデー会場メーデーの主催者が考えておらないような発言をされた場合には、あなた方はそれを默つて聞き流しておかれるのであるか。あるいはまたただいまの発言はメーデーの主催者としては反対であるというような意思表示をされたのか。それをひとつ伺いたい。
  158. 島上善五郎

    島上証人 演説の中で、多少私どもの考えと違うようなことを言われても、演説はあくまでも演説で、それを大会の議場へ提案して採決をしようということになれば、おのずからこれを阻止しますが、演説の言葉のはしはしに、多少自分たち考えが違うことを言われても、それをどうこうということはいたしませんし、また今までもいたしておりません。
  159. 篠田弘作

    ○篠田委員 私は原則といたしまして、すでにメーデーを実行される前に、八回もお打合会をされたことであるし、また総評自体の立場から見ても、こういうような暴挙にくみされるとも思わないし、あなた方はあくまでも労働者の祭典として、りつぱなメーデーをやりたいというふうに考えておられたであろうということは私は想像します。しかしそのあなた方の主催された席上においてたとえば細川嘉六さんが、人民広場行進しよう、あるいはその他の諸君がいろいろなビラをまいたというようなことが、これはあなた方に関係ないかもしれませんけれども、こういう問題を起す一つの原動力になつたということは、公平に認め得るのじやないか、それを阻止しないという責任は少くもあなた方にあるのじやないかと私は思うが、その点については、どういうようにお考えになるか。
  160. 島上善五郎

    島上証人 細川君の演説については、私はそばにおりましたが、人民広場へ行こうということを言つたということを聞いた記憶がありません。  それからビラについては、そういうビラをまかないことが好ましいし、またそのような連絡をいたしておきましたけれども、五十万人も四十万人も集まつて来ておる人の一部の人が、ポケットにビラを忍ばしてまくということは、実際上私は阻止する手はないのです。そこで私どもとしては実行委員会において、事前に実行委員会決定したプログラム通りやろうということを、再三再四、各団体の代表が実行委員会に入つておるのですから、その実行委員会を通じて確約し、それを下部に浸透するということをもつて実行委員会としての手は打つてある、こう思うのです。
  161. 篠田弘作

    ○篠田委員 今申しました通り、あなた方がメーデーをおやりになる前に、主催者としてのでき得る限りの善意の注意も拂われたであろうし、対策も練られたであろうということは、私は繰返して申し上げますが、決してあなた方主催者の気持を疑つておりません。しかし現実の問題として、会場にはそこにあるような堂々たる凶器がたくさん持込まれておる。(「ピストルはどうだ」と呼ぶ者あり)ピストルは警官が持つておるだけであつて、一般の人は持つておりません。警官は法律の定めるところによつてピストルを持つている。この凶器が堂々と持込まれておる、しかも持込まれた人たちはあなた方ではなくて、あなた方の会場を利用してこういう暴動事件を起しておる、これに対して主催者としての責任は、ただ共産系の扇動と吉田内閣の政策が悪かつた、そのほかのことについてはひつくるめてただ遺憾であるという二字によつて、もし主催者の責任が解除されるとするならば、今年のメーデーはまたあなた方が予想されなかつたのであるが、来年のメーデーはもつともつと大きな騒擾が予想されるのであろう、そういうことになるならばメーデーという神聖な労働者の祭典を通じて、年ごとに暴動が繰返されて行く、こういう心配がある。そこであなた方の今年度責任というよりは、むしろ今後の責任というものをどういうふうに感じておられるか。それをただ遺憾の二字、ただ極左と現在の政府の責任だけに帰して、主催者が浩然としておるという態度は私は賛成できないのですが、その点についていかにお考えになつておるか。
  162. 島上善五郎

    島上証人 今後のことにつきましては、この声明書の二項にもありますように、われわれはずからの力によつてかかる行為を排除して行くものであるということと、それからこれとは別個に、確認事項の違反に関する申合せということもいたしております。それについては、やはり今後われわれはメーデーを行うにあたつて、断固としてこのような傾向をみすからの力で排除して行くものであるというような言葉で表現しておりますが、要するに私たちは今度の経験にかんがみまして、今後のメーデー等にはもつと十分な措置を講じたい、こう考えております。ただ私どもがメーデーをちやんと正々堂々と行いたいという念願、そのような措置をとることはもちろんですが、来年のことをおつしやいましたが、もし来年今の政府のやり方がもつともつと露骨に反動化するとか、労働者の状態がもつともつと悪くなるということになりますると、そういうことがまた材料にならないとも限らないので、私ども自身が十分正々堂々ときちんとやるために努力し、手配すると同時に、そう参いうはたからも材料を提供するようなやり方をやめてもらわなければならぬ、こう私どもは考えております。
  163. 篠田弘作

    ○篠田委員 みずからの力によつて善処するということをあなたはおつしやつていらつしやいますが、みずからの力によつては善処できないのではないのですか。先ほど言われた通り実行委員会参加させることを拒んだ団体が、あるいは会場なりデモなりに直接参加する、あるいはまたあなた方と全然反対の意思をもつた大衆といいますか、一部の扇動者と申しますか、そういう者がもぐり込んでも、あなた方は対処することができない。だからスローガンあるいは声明書の上でそういうことをおつしやつても、あなた方の力では事実上できないのではないのですか。その点をもつとはつきりしてもらいたい。
  164. 島上善五郎

    島上証人 来年のことはまだ一年もあることですが、少くともこういうことを責任ある団体参加して十分論議した上できめた以上は、来年はその来年の事態に十分に対処するような手は打たなければならぬと思つております。ただしかしながら実行委員会として打つ手はおのずから限度があるわけですから、そういう点については、来年のことをここでどうこうとこまかいことを申し上げることはできませんが、私どもは来年はそのときの状況に応じて、不祥事件が起らぬように、実行委員会できめたスケジュール通りにやれるように、十分手を打たなければならぬものだと考えております。
  165. 篠田弘作

    ○篠田委員 最後に一つお尋ねしますが、ただいまあなたの証言の中で、われわれも十分注意するが、しかし自由党の政府も反動的な政策をとられると、またこういう問題が起るから注意をしてくれ、こういうお話です。しかし今度の問題の大部分のあれは、破防法に反対する一部の分子の行動である、こういうふうに思います。破防法というものは、要するに国会に現在提案されて審議中のものであつて、これは憲法を守るという建前から見ましても、あくまでも民主的に、国会を通じてそれに対する論議はなされなければならぬ。もちろん批判の自由はあります。これは言論機関であつても、労働組合であつても、十分に批判はされてよろしいと思う。しかし政府が反動的な政策——反動というものは、あなた方の方から見れば反動かもしれませんが、われわれの方から見れば、何も反動ではない、伝染病が非常に多いから、消毒をするということと同じであつて、そういうことをする者があるから、われわれはそういう法律をつくらなければならぬということで、これは見解の相違です。そういうことから言えば、あくまでも憲法の建前からいつて、民主主義の建前からいつて、国会を通じてやるべきであるのにかかわらず、その国会を承認しておられるところのあなた方労働組合の幹部が、政府が反動的な政策をとるならば、来年はまたこれ以上の流血の参事が起つてもやむを得ないという考えのように聞えるが、その点についてはどうですか。
  166. 島上善五郎

    島上証人 最後の方を申しますが、起つてもやむを得ないとは申しません。それから破防法に反対する一部の分子と言いますが、メーデー参加した者から言えば、皇居広場事件は一部の分子であることは間違いありませんけれども、破防法に反対する者は決して一部の分子ではなく、四十万労働組合員は全部が反対です。もつともつと範囲の広い人々が反対しておるのですから、破防法に反対する分子だけがやつたということは考えられません。それから破防法が国会で審議されるということは、もちろん私どもも認めておりますが、同時にまた国民が国会の外でこれに対する反対の意思を表示し運動することも、当然許された自由であると考えております。
  167. 篠田弘作

    ○篠田委員 憲法の建前から言えば、言うまでもなく選挙によつて選ばれた多数の国会議員をもつて組織されておるところの国会において、これが審議されるということは当然であり、またその国会を通じて改善することがあたりまえであるにもかかわらず、もし自分が反対であるならば、言論で反対するということはさしつかえない。演説会とか何とか、そういうことをどんどんおやりになることはさしつかえない。しかし大衆を動員してデモをやるときに、凶器をもつて反対しても、それは普通の意思表示であるというようにお考えになるのか。やむを得ないというあなた方指導者のそういう言動が、大衆をかつてそういうふうな騒動に導くということは十分にあり得るのであつて、あなた方は口では遺憾であると言いながら、一方において、政府の態度が自分たちの気に食わなければ、そういうことが院外の活動として行われるということはあたりまえである、こういうような考え方を持つておられるように私には考えられるが、それはどうですか。そういうような行動をとつてもさしつかえないのかどうか。
  168. 島上善五郎

    島上証人 「そういうような行動」という抽象的な言葉ですが、「そういうような行動」の中にデモを行つたり、ストライキを行つたりということは、私は当然だと思うのです。正しい必要なことだと思う。ただそれが流血の惨事を起すようなことにわたることに対しては、私も賛成していない。ただ私たちは、国会が選挙によつて選ばれたる国会であることは認めますが、この国会が国会の外における国民の輿論に十分まじめに耳を傾けて、多数の横暴でなしに、国会の外における輿論、労働組合の反対はもちろん、弁護士会も全部反対しておるし、新聞協会も全部反対しておるし、その他の学者も大部分反対しておるというこの事実に真剣に耳を傾けて、これにこたえるような審議をしてくれることをわれわれは期待しておる。もしそうでないとすれば、国会の外において、それに対する憤懣がいろいろの形で出るでしよう。しかし私たちはその場合においても、もちろん非合法な暴力的な形で出ることを好ましいとは思いませんし、われわれ自身は極力そうでない方法でやつているわけです。
  169. 篠田弘作

    ○篠田委員 水掛け論になつてもしようがありませんから、これでやめますが、結局国会が愼重に審議するということは、もちろんわれわれが国民から選ばれたる政治的責任において審議するわけであります。いろいろな形において反対の意見がある、しかしそれが輿論の全部であるとは考えられない。たとえば言論機関にしても、もちろん批判の自由はあります。しかし批判の自由というものをあまりに過大視して、もし言論機関が反対したからといつて、国会の意思がそれによつて左右されるということになるならば、これは言論の横暴である。そういうことはやはり民主主義においては私は許されないと思う。真に政治的責任を感じておる者が愼重に審議してやるべきものであつて、もしそれがいけないというならば、総選挙を通じて、そういう反動的な政府を倒すということがあたりまえであつて、あなた方がそういう考え方をせずして、総選挙という一つのチャンスが與えられておりながら、それを使わないで、あなた方の今のような手段で政府を倒すとか、政府を牽制するということは、非民主的な、議会政治を無視したやり方ではないか。
  170. 島上善五郎

    島上証人 そのようなお考えもあるでしよう。しかし私としますれば——話が少しそれるようですが、この前の選挙では、二つの條約の問題や破壊活動防止法に対して、国民に訴えていないはずです。こういう重大問題が起つたら当然国民に訴えて、国民の声を聞くために、そのような問題を国会で審議し、通す前に、国会を解散するという措置をとるのが真に民主的な方法だと思う。そうして国民の輿論が正しく国会に反映する、こういうことこそが民主的な国会のあり方だと思う。
  171. 篠田弘作

    ○篠田委員 しかし国会議員は憲法で定めた任期があるのであつて、何も問題が起るごとに解散しなくてもいいでしよう。     〔発言する者多し〕
  172. 内藤隆

    内藤委員長 静粛に願います。
  173. 篠田弘作

    ○篠田委員 憲法でもつて衆議院議員の任期は四箇年となつておる。その四箇年というものは少くとも政治を担当する責任がある。来るべき選挙は半年を出ずして行われるのであるから、そのときあなた方の意思表示をすればいいのであつて、問題が起るたびごとに国会を解散したら、国会は半月や三月でどんどん解散しなければならなぬ。そこに現実にそぐわないような言論をもつて、そうして暴力活動を正当化するような言論は慎んでいただかなければ、私たちはあなた方総評あるいはメーデーの幹部というものに対しては、そういう意図がなかつたということを確信し、また敬意を表しておるのであるから、あなた方もわけのわからない大衆が扇動されるような激越な言葉、あるいは一部の分子に便乗されるような行動は嚴に愼んでもらいたいということを申し上げて、私の質問を打切ります。
  174. 内藤隆

    内藤委員長 ほかに質問の申込みが六委員からございますので、順次これを許します。福田宮東君。
  175. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 証人にお伺いしますが、先ほど来証言を承つておりますと、メーデーの実行に関しまして、許可と申しますか、警視庁当局と諸般の打合せをなさつたとおつしやつておりますが、警視庁当局があなた方に対してメーデーデモ行進をすることの許可をしたのはどの範囲でございますか。
  176. 島上善五郎

    島上証人 それは神宮外苑に集合して、外苑の中央会場行事を行い、東西南北中部コースにわかれて行進をし、最終の解散場所解散するまで、これが正式の許可であります。
  177. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そうしますと、最終解散場所というものは、初めあなたがおつしやつた実行委員会の決議の内容によりますと、日比谷ということになつていたわけですね。
  178. 島上善五郎

    島上証人 五箇所ですから、そのう一二箇所は日比谷で、あとの三箇所は、新宿駅の西口、澁谷の東急本社前、それからもう一箇所は後楽園のスタジアムの後方の道路であります。
  179. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 それでは証人の御証言は、皇居広場で行つたことについては、いわば警視庁許可範囲外になるから責任がない、こういうふうにとれますが、そのことはどうですか。
  180. 島上善五郎

    島上証人 そうです。警視庁許可、及び私どものスケジュールでは、日比谷で到着順解散する。こういうことですから、解散した後はなるべく早い時間にそれぞれの交通機関を利用して帰つてもらうということで、メーデー行事は、中部と南部は日比谷で到着順解散するまでが行事であります。
  181. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そこでさつき島上訴人の御証言によりますと、結局参加を許された団体は、自己の団体統制は自分が責任をもつてその統制をする。責任の明確ならざるところの団体参加を許さぬ、こういうふうにおつしやられたようでございますが、それのいうところは、結局実行委員会といたしましては、メーデーの全体のトラブルに対して責任が持てない、こういうトラブルが起つたときには、参加団体ごとに責任をとれ、こういうふうに結論が出て来るように思いますが、この点について証人証言は、そういうふうにとつていいわけでございますか。
  182. 島上善五郎

    島上証人 所定の解散場所解散するまでは実行委員会責任があります。但しその行進が始まつてからは、実際上かなり広汎な地域にわたつて行進するのですから、行進が始まつてから以降については、それぞれの団体が直接統制なり連絡なりをして実行委員会に協力するという形です。
  183. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 それではメーデー全体の統制といいますか、行事に対する責任というものは、やはり実行委員会と申しますが、あなた自身が責任をとるべきではないのですか。この点はうですか。
  184. 島上善五郎

    島上証人 解散場所において解散するまでは、実行委員会責任がある。
  185. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そうしますと、さつき委員長から質問がありましたが、中部で、全学連が赤坂表町付近で一挙に…先頭に立つた、擾乱を起す目的のためにこういうことをやつておる。これに対して実行委員会としてはどうにもならない、そういうことはあるが、やむを得ぬ、こういうふうにあなたは証言されましたが、これははなはだ無責任なことにもなるし、かつまたあなた自身は本年の四月十六日、皇居外苑使用許可処分取消請求事件に裁判所に証人として出頭して、総評責任をもつて暴力的破壊行動はとらせない、過去においてもそうであつたし、今度の場合においても、必ず自分が責任を持つということを陳述をなし、裁判所においても、裁判長も、おそらくあなたの証言を基礎として例の判決があつたことと思いますが、この点につきまして、あなたの証言からしても私は、やむを得ないでは、責任というものに対してはなはだ心もとないことになると思いますが、この点に対してあなたの御見解はいかがでございますか。
  186. 島上善五郎

    島上証人 行進の途中で一部の者が順序を強力に変更したということに対しては、私ども実行委員会決定方針が、一部ではあるにしても、変更され、もしくは破られたわけですから、これに対しては非常に遺憾だと思います。  それから広義の意味責任を感じておることは事実です。但し実際問題としては、それではそのような事態をわれわれがまた力をもつて阻止するということになつたらどうなるということになれば、事態がよけい混乱するということになつたでしよう。つまりやむを得なかつたというのは、われわれ自身が事態の混乱を拡大させないということを考えるならば、それからまたわれわれ自身が持つておる警備力なりその他の力を考えると、阻止するということは困難な状態であつたということであつて、困難な状態であつたからしかたがない、まつた責任がないということは言つていないつもりです。  それから裁判所の証言の際のことですが、裁判所の証言の際は、記録をはつきり見ていただけばわかりますように、皇居広場使用させてくれるならば、そのようなことを絶対起さないようにやる考えである、こういうことを言つておるようです。
  187. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 全体としての責任証人はお認めになる、全学連が先頭に立つてそういうふうに実力行使に出たということに対しては、これは阻止しない方が暴動に導かない手段である、こういうふうに御証言でございますが、もしそういう御証言通りであるならば、メーデー全学連参加——あなたのところは参加でないとおつしやるかもしれませんけれども、実行委員会なるものがこれをかりに阻止できないとすれば、これは一つの組織体としての参加でなく、初めから撹乱者としての、烏合の衆の参加である、こういうふうにとらざるを得ないことになりますが、この点はいかがでございましようか。これはメーデー行事参加する組織団体ではない、始めから暴徒である、そういう点に対するあなた方の御見解はどういうことになりますか。
  188. 島上善五郎

    島上証人 全学連がどのような意図をお持ちであつたかということは、私としてはわかりませんが、全学連団体としてメーデー会場に、もしくはデモ行進参加したいという申入れがあつた際には、その団体がちやんと規律を守り、実行委員会決定を守ることを條件として黙認したのであつて、名前は私よく覚えておりませんが、来た人がそれを承諾して帰つた以上、やはりそれを守るものと私どもは信じておつたわけです。
  189. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 共産党の「アカハタ」によりますと、証人は当日の会場の演壇におきまして、人民広場へ行くことを承認し、これを一般に伝えたと報道されておりますが、これは事実でございましようか。
  190. 島上善五郎

    島上証人 そのようなことは毛頭ありません。
  191. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そうすると、「アカハタ」は真実を伝えるという看板に偽りがあるわけです。  それからメーデー参加、参列ということと、会場に見物に来るということをあなたは別個にわけて答弁しておられるようでありますが、何をもつて参加といい、何をもつて参列というのか、その点の区別を明確にしていただきたいと思います。
  192. 島上善五郎

    島上証人 私が先ほど言いましたのは、実行委員会参加してメーデの行事そのものの中にいろいろ加わるということと、それからそれには参加しないが会場に来る、あるいは行列の最後の方につくという場合と、そうではない、まつたくの見物人、こういう場合とがあると思います。
  193. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そうなりますと、あなた方は警視庁と諸般の打合せを行つておられ、その間の交渉経過についていろいろ承りましたけれども、あなた方の実行委員会において許可せざるもので参加したものについては、これは別個の許可をとつた方が妥当であつた、こういう結論になりますが、いかがですか。
  194. 島上善五郎

    島上証人 私は別個の許可ということにはならぬのじやないかと思うのです。実行委員会参加してないが、メーデー会場に来ること、あるいは行進の後尾につくのを阻止するということを今までいたしておらなかつたのです。だから別個に許可をとる性質のものであるとは私ども考えません。
  195. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 石川島造船所の日の丸メーデーに対する問題でございますが、これはあなた方の態度といたしましては、日の丸メーデーというのは神野信一氏以後の思想的傾向からの対立、本部との間のいきさつというものがあるのですが、何かそのほかの理由でこういういざこざがあつたわけですか、その間の事情をもう少し御説明いただきたいと思います。
  196. 島上善五郎

    島上証人 石川島の労働組合の代表が実行委員会ヘ来たときの発言をそのまま信頼するとすれば、何ら他意があるわけではない。ただ会場神宮外苑では自分たちにとつては遠くてやりきれない、近間の錦糸公園でやりたいから第二会場として認めてほしい、こういうことでありましたものですから、来た代表の言葉をそのまま私が紹介したわけですが、ただ私どもがそれを第二会場として承認しなかつたのは、遠いということを十分承知の上で、たとえば江戸川の東篠崎とか葛飾の金町の方から来る人はもつと遠いのですから、十分会場の問題を論議した上で、一箇所でやろうということがきまつたのですから、第二会場として認めるわけには行かない、こう言つたわけです。ただ日の丸メーデーと言つておりますが、私は日の丸を揚げたか、あるいはどういうスローガンをきめてどういう演説をしたか、詳細に聞いておりませんので、にわかにこの内容をとやかく言うことはできませんが、しかし今質問者が言われましたように、戦争前に、日本メーデーは外国のまねだからやめてしまえ、日本労働者日本人らしくと言つて、天長節の日に日本労働祭と称するものをやつたり、あるいは建国祭というものをやつたりした。その際に石川島の神野君がその方の率先提唱者であつたという事実からして、そういう考え方があるいは一部の諸君の中に流れておるのではないかということも考えられないこともないのです。大体そういうことです。
  197. 内藤隆

    内藤委員長 これから破壊活動防止法案の討論、採決が行われますので、本日はこれ以上会議を継続することは事実上不可能と思われますので、明日午前十時より開会して、島上証人に対する尋問を続行することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  198. 内藤隆

    内藤委員長 御異議なしと認め、さように決します。  島上証人に申し上げますが、以上のような事情ですから、どうかあしからず御了承の上、明日は午前十時に御出頭を願います。   なおこの変更に伴いまして、他の証人出頭時日、順序等につきまして変更がありますときは、先ほど御承認を願いました通り委員長において適宜決定いたしますから、さよう御了承を願います。   本日はこれにて散会いたします。     午後三時三十九分散会