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1952-03-26 第13回国会 衆議院 厚生委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年三月二十六日(水曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 大石 武一君    理事 青柳 一郎君 理事 亘  四郎君    理事 金子與重郎君       新井 京太君    高橋  等君       中川 俊思君    堀川 恭平君       松永 佛骨君    丸山 直友君       松谷天光光君    柳原 三郎君       岡  良一君    堤 ツルヨ君       苅田アサノ君    寺崎  覺君  出席政府委員         厚生政務次官  松野 頼三君         引揚援護庁長官 木村忠二郎君  出席公述人         司 法 書 士 上田 一郎君         民主社会主義学         生同盟中央大学         委員長     大井 秀雄君         全日本海員組合         組合長     陰山  壽君         賜金実務取扱者 高木 三郎君         前広島市議会議         長       任都栗 司君         熊本県天草郡楠         浦村遺族後援会         長       原田 好吉君         日本遺族厚生連         盟常務理事   藤田 美榮君         傷い軍人団体代         表、身体障害者         団体代表    森田 忠平君  委員外出席者         專  門  員 川井 章知君         專  門  員 引地亮太郎君         專  門  員 山本 正世君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた事件  戦傷病者戦没者遺族等援護法案について     —————————————
  2. 大石武一

    大石委員長 これより厚生委員会公聴会を開会いたします。  この際公述人皆様一言ごあいさつ申し上げます。本日は御多用の折にもかかわらず、遠路わざわざ本公聴会に御出席くださいまして、種々の貴重なる御意見をいただきますことは、まことに感謝にたえない次第でございます。ここに厚生委員一同を代表いたしまして、委員長より厚く御礼を申し上げます。  本日御意見を聞く法案は、申すまでもなく、過去の戦争のために身体に重い障害を受けられた方々及び肉身を失われた遺族方々を、国家の義務において補償援護しようとするものでございまして、これこそ私どもが七年間の長きにわたり、解決を熱望して参りました自当本の最も重要、かつ最も早急に取扱うべき問題の一つであると信ずるものでございます。お手元に差上げてあります本法案をごらんになれば、おわかりのことと存じますが、今回の法案は今次の大戦による遺族戦傷病者等国家の責務において手厚く弔慰し、処遇すべきであるとの観点に立脚し、敗戦の結果やむを得ず支給を停止されておりました恩給法に基く諸種の恩給にかわるべき措置をとるべく、旧軍人及びその遺族戦地勤務軍属等対象として、戦傷病者には障害年金更生医療費補装具等支給を行い、遺族に対しては遺族年金遺族一時金を支給しようとするものであります。これらの問題は、国民の非常に重大な関心事でございまして、本法案については、当委員会も特に愼重を期し、委員諸君は、いやしくもこれらの審査にあたつて、いたずらに政争の具に供するようなことを極力排除し、真摯な態度審査いたしたのでございます。この法案内容につきましては、皆様も御同感のことと存じますが、決して満足すべきものとは申されません。しかし私どもは、現在の日本立場とその国力を勘案して、その態度をきめなければなりません。私どもは、この七年間の長きにわたつて心に済まないとわびつつあつた問題が、初めてその基礎をつくり得る機会を得ましたことを、ここに喜ばしく感ずるものであります。従つて、かかる重要なる法案は、広く国民の輿論を反映せしめ、正しき意見を徴し、でき得る限りりつぱなものにすべく念願いたしまして、長い間この問題と取組んで来られた皆様方の御意見を十分拝聴し、審査に万全を期すべきであるとの委員会の意思により、本日御足労を願つた次第であります。公述人におかれましては、十分忌憚なき御意見をお吐きくださるようお願いいたします。ただ時間の都合上、公述の時間は一人十五分程度といたしますが、公述の後で、委員諸君から質疑があると思いますので、これに対しましても忌憚なくお答え願いたいと存じます。  念のため付言申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、公述人発言しようとするときは、委員長の許可を得なければなりませんし、その発言につきましては、意見をお尋ねする問題の範囲を越えてはならないのであります。従つて今回は、戦傷病者戦没者遺族等援護法案についての御意見をお伺いいたしたいのでございますから、本問題についての陳情のようなことは、できる限り避けていたたきたいのであります。また委員は、公述人質疑をすることができますか、公述人委員質疑することはできません。以上お含みおき願います。  次に、公述人諸君が御発言の際は、便宜上勢頭職業または所属団体名並ひに御氏名を述べていただきたく、発言の順位はかつてながら委員長にきめさせていただきます。  まず第一に高木三郎君。
  3. 高木三郎

    高木公述人 私は恩給制度研究者という立場におきまして、本法案についての意見を申し述べたいと思います。と申しますことは、私はかつて恩給局長でありました立場から、また恩給金庫理事長でありました立場からいたしまして、この援護法案に対す私の見解を申し上げたいと思います。」  まず第一に申し上げたいと思いますことは、本法案の第一條によりますと「援護」という文字を使つておるのであります。本法に言ういわゆる障害年金であるとか、あるいは遺族年金であるとかいうような制度は、将来とも権利として認められるものであるかどうか。権利として認められるものであるといたしましたならば、恩給法特例等によつて認められております恩給との関係はどういうことになるであろうか。この点が、私どもから見まして、はなはだあいまいであると思うのです。元来、軍人並びに遺族恩給は、御承知の通りポツダム宣言の受諾に伴う勅令によつて一応停止されておるのであります。しかしながら、少くも傷痍軍人増加恩給につきましては、今日もなお恩給法上の恩給権として認められておるものと考えられます。しかるに、援護法中には、この点についてやや重複的な規定を設けておるように思うのでありまして、ある部分恩給法により、他の部分援護法による、こういう必要がどこにあるだろうかということに、疑いを持たざるを得ないのであります。元来、軍人並びに遺族恩給は、武官であつた公務員が、在職中の獲得能力喪失に対する損害愼補、こういう性質を有する国家補償であると思うのであります。この点は恩給法制定当時の恩給理論に基くものでありまして、受給者は一定の條件を完成いたしますれば、当然に恩給法上の恩給を受くるの権利を有するのであります。従つて、私ども援護とはまつたくその基礎において異なるものであると考えます。軍人及び遺族恩給につきましては、敗戦当時の国際情勢上、やむを得ざる理由をもつて給與を停止せられたのであります。しかし、その当時において非常に重要なる社会問題として取上げられたのであります。そして昭和二十年十一月二十四日の最高司令官から日本政府に対する覚書を検討いたしまして、これに対して善後策を講ずるために、臨時社会保険制度調査会なるものが設けられた。その当時の覚書によりますと、傷痍軍人については、当然恩給法上の恩給を給付してもいいという明文があるのであります。また旧軍人並びに遺族に対しては、恩給という形式以外の形式をもつて、ある程度給與を継続してもよろしいというマッカーサー元帥の内諾を得まして、この委員会昭和二十年の十二月二十八日に、当時の厚生大臣でありました芦田均氏に対しまして、厚生年金の附則によつてこれを救うという答申案を出した。もしこの当時においてこの案が採用されておりましたならば、今日さらにこの問題を繰返す必要はなかつたと思う。しかるに、私どもより申しますれば、関係官庁の官吏の怠慢であつたと思う。そのためにこの実現の機会失つたということは、私ども当時はなはだ遺憾に思つた。従つて、かような事情からして、停止になりました軍人並びに遺族恩給につきましては、講和発効後においては、まず第一に考慮せらるべきものであると私は考える。軍人並びに遺族恩給復活が、当然行われなければならないということは、特に文官については、追放によつて支給を停止せられました文官は、追放解除によつて解除の時以後において復活いたしておる。この点私どもは、文武官の間の取扱いのはなはだ不公平なることを感ずる。かように、政府軍人並びに遺族に対して、まず恩給権復活をはかつて、しかる後に、なお足らざる場合において援護を行うべきであると思う。要するに、この法案はこの点において本案転倒したところの立法であるといわざるを得ない。  便宜主義者から論じましたならば、ある点においての給與があれば、それでよろしい、こう考えるかもしれません。しかしながら、これを受ける側から考えますれば、権利として受ける場合と、援護という恩恵的に受ける場合とにおいては、精神的において著しき差異があると私は考える。かような日本財政状態において、今日十分なる給與ができないということは、これは当然であると思う。しかしながら、私ども政府が旧軍人、ことに傷痍軍人、また遺族に対して、いかに取扱うという精神の問題であると思う。その精神の持ち方が、私は問題であると考えております。  次に、公務傷病範囲についてでありますが、四條の規定によりますと、恩給法規定によつてすでに症項の確定したものについては、これは当然恩給法によるべきであると思う。症項未確定のものにつきましては、本法案によりますれば、援護審査会を設けて、この援護審査会においてその傷病範囲並びに内容等審査する仕組みなのであります。しかし、元来恩給症項の査定、これは非常にむずかしい専門的な知識と長い経験を要するものであります。これがために、恩給局には恩給審査会という制度ができておるのにかかわらず、ことさらにここに援護審査会というものを設けまして、形式的にこれを分離するという必要がどこにあるのだろうか。またかような制度を二重につくりますことによつて、ある場合においては裁定の間の翻臨ということも想像し得る。また中には、妥当なる裁定をなし得るやいなやということについても、疑になきを得ない。  さらに障害年金の額の問題です。これはすでに公聴会においてお述べになつたことと思うのですけれども特別項症と申しますのは、廃疾の程度の最も高いものである両眼盲、両肢亡、あるいは常時就床を要し、介護を要するというような、最も重き症項のものでありますが、これに対する障害年金の額がわずかに年額六万六千円、月額にして五千五百円。かようなことで、かような重症傷痍軍人援護足れりとするのでありましようか。この点について、私どもははなはだ不満に思う。かような場合に、政府は常に、口を開けば財政上のいろいろな理由をもつて十分な給與ができない、こう言うのであります。しかしながら、これもまた私ども精神の問題だと思う。極端な例でありますが、最近行政整理においてやめた公務員を見ますと、少しく長期にわたつて勤務いたしました者は、百万円近くの退職手当をもらつております。なおそのほかに、十分なる恩給をもらつておる。かような事実から判断いたしまして、必ずしも財政的理由をもつてこれを片付づけるわけには行かない。かりに、財政的理由から、国家窮乏であつて、どうしてもやむを得ないということであれば、私はむしろ重点的に、最も救護を要する者に十分なる給與をなすべきであると思う。たとえば、症項第六項症と申しますのは、一側の親指または人さし指の全亡でありまして、この程度身体障害者ならば、職業の選択その他の方法によりまして、必ずしも獲得能力なしということはないと思うのでございます。かような程度症項傷痍軍人に対して、わずかに年額二万四千円、月額二千円の小づかい銭を給する。私どもははなはだ不徹底であると思う。むしろほんとう窮乏で出すことができないというのであるならば、むしろ重点的に重症者にもつと徹底的なものを給すべきではないか。  遺族年金についても、まつたく同様である。この点も昨日の公聴会でお述べになつたようでございますが、配偶者に対してわずか年額一万円、その他の遺族に対してわずか年額五千円。かような小づかひ銭を給することが、はたして援護なのでございましようか。私どもは、むしろこの際においても、ほんとう援護をしなければならない遺族に対して、重点的に援護することによつて、十分その目的を達成し得るのじやないかと思います。この点についても、まだ私ども関係当局のくふうが足らないように思うのでございます。  なお、こまかい点でありますけれども、附則の五項、六項等によりますと、増加恩給障害年金を併給しない、その多きに従つて択一的に給與するという規定を盛つておりますが、これは私ども先ほど申しましたように、方面を異にするところの給與を択一にするということは、立法として必ずしも適当でないと思う。これは支給の問題にもただちに関連する問題でありまして、私ども実際に仕事に従事いたしておりました際に、給與の上において最も大きな問題でありましたものは、支給事務改善であります。これは増額というよりも、むしろ非常に大きな問題でございまして、私どもしばしば支給事務改善を唱えたのであります。毎月給與を受けております俸給生活者でさえも、非常に生活に困難を感じております際に、定額収入のないところの恩給受給者が、年に四回、三月目の給與というようなことは、私ども適当でないので、こういう点から考えまして、支給事務改善しなければならぬ。ところが、今度の規定によりますと、支給の点についても、従来の恩給総理府恩給局がやる、支給郵政省でやる、傷病年金その他は厚生省が主管である、かような複雑な組織をもつて行政簡素化に逆行するような方法をとられることの理由が私にはわからない。  これを要するに、いずれの方面から見ましても、私は本法案がはなはだ未熟であり、研究不十分な立法であると思う。かような法律国会の承認を得まして公布されるということは、むしろ将来に対して禍根を残すものじやないか。この際むしろ政府本案を撤回されて、暫定的臨時措置に関する法律案をすみやかに提出され、その根本対策はさらに愼重審議を要するじやないか、かように考えるのであります。  なお付言いたしたいことは、本案のような未熟な法案が、何ゆえに提出されるに至つたかと申しますと、それは庁官のセクシヨナリズムの結果だと私は考える。現在におきましては、公務員恩給は人事院が扱う、恩給法特例総理府恩給局が扱う、支給事務郵政省が扱う、援護厚生省が扱う、かような分散された機関においては、統一された援護は行われないと私は思う。この点におきまして、政府はすみやかにこれらの機関を統一した一つ統一機関をもつてこの問題を処理せられたい、かように考えます。  なおこの問題に関連いたしまして、占領下特殊事情によつて廃止せられました恩給金庫にかわるべき、さらに民主的な恩給受給者金融機関をつくりまして、この方面からも援護並びに福利、厚生の実をあげるの道を開かれたい、こういうことを提唱いたしまして、私の公述を終らせていただきます。
  4. 大石武一

    大石委員長 御苦労様でした。  次は大井秀雄君。
  5. 大井秀雄

    大井公述人 私、中央大学学生自治会委員長をやつておる大井秀雄です。  今回提出されました戦傷病者戦没者遺族等援護法案につきまして、学生としてこれに対しまして若干の意見を述べさせていただきたいのでありますが、特に私は学生という立場に立ちますならば、戦時中に勤労動員学徒として動員されました勤労学徒犠牲者に対しまして、特にこの法案に対して意見を述べたいと思うのであります。この法案に対しましては、生活保護法とか、恩給法のいろいろな問題がありますが、そういうような点につきましては、私も学徒として、それに対してまだ十分な知識も持つておりませんし、何も存じ上げません。そういう点で、ぜひとも私が主張いたしたいのは、この勤労動員学徒に対しまして、この法案がそれに適用をされていないという点につきまして、私は特に申し上げてみたいと思うのであります。  大体そういうような立場に立つてみまして、私が今日までこの戦没勤労動員学徒援護につきまして努力いたして参りました経過を考えてみましても、この問題につきましては、現在の政治を担当しておられます方々が、どれくらいの熱意を持つて考えていただいているかという点について、私は非常に疑問を持たなければならないのであります。私たちは、終戦直後におきまして、もはやこの問題について学生間で云々されておつたのでありますが、何分敗戦占領下という現実の前に、これが十分なる学生運動として盛り上ることができなかつたのであります。しかし、今日国家独立がようやく目前に迫りまして、これら一切の戦争犠牲者に対しますところの援護が問題となつて参つたのでありますが、この国家独立にあたりまして、勤労学徒への援護運動も、われわれ学徒間の重大なる問題となつて来たのであります。しかも、本年初頭におきましては、この遺家族の問題につきましては、大きく社会問題として盛りつて参つたのでありますが、特に今国会の前において、今度の国会には戦争犠牲者に対する援護法案が提出されるということをお聞きいたしまして、私は去と二月六日、文部大臣並びに厚生大臣に対しまして、この援護法案の中には、当然勤労学徒死亡者傷病者が包含されるでありましようということを陳情参つたのであります。そのときに厚生大臣におかれましては、現在予算上、学徒に対する援護は考えられないという一言で追い返されました。文部省におきましては、文部当局において、現在学徒に対する援護を考える場合に、予算を組まなければならないが、その予算を組むときにおいて、学徒犠牲者がどれくらいあるか、その数がわからないとおつしやつたのであります。また今日その数字を調べるには相当な費用がかかり、その費用を出してまで調査をして、どれほどの効果があるかどうかということをおつしやつたのであります。こういうようなことを私お聞きいたしまして、われわれ学徒として、この切実なる問題について申し上げたのにもかかわらず、一片のお言葉をもつてわれわれ学徒のこの要望を一蹴するがごときは、まことに現内閣の不人情と不誠意を物語るものであると考えたのであります。しかしながら、私たちは、何とかしてこの問題については考えていただきたいということをお願い申し上げて引下つたのであります。  今日、私たちが、かの戦争中に動員されたときのあの悲惨なる状態を考えてみました場合、私自身も、勤労動員学徒として化学工場動員され、三年間それに従事させられたのでありますが、教育機会から学徒をむしりとり、悲惨なる戦いに酷使するだけ酷使して、死のうが、傷つこうが、倒れようが、あとは知らないというような、鬼畜にもひとしい傲慢なる態度が、今日の日本における教育機関の中枢であると思えば、われわれ学徒は、まことに断腸の思いがいたすのであります。しかも、その調査には費用が高くついて、その割合に効果がどれほどあるかわからないというに至つては、まことに何をか言わんやであります。これら学徒犠牲者——たちは、中学時代からこれに対して動員されたのでありますが、当時中学生から大学生に至るまで、これらの犠牲者の数は、相当な数に上ると思うのであります。今日明確に判明いたしておりますものでも——戦争当時に動員学徒援護事業要綱というものが政府から出されたのでありますが、この援護事業要綱に基きまして学徒援護会全国各地に設けられましたが、その学徒援護会組織を通じて判明いたしました数字は、広島長崎原爆犠牲者なつ学徒は、死亡者が八千九百五十三名でありまして、障害者は三千九百九十四名、その他原爆以外の各地における犠牲者死亡者が二千十三名、傷病学徒が九千七百八十九名でありまして、合計死者一万九百六十六名、傷病者九千七百八十九名となつて、約二万余名の数でありますが、この学徒援護会組織が、全国各県に確立せられないうちに、戦争は終了いたしたのであります。そのためにこれ以外の地におきまして犠牲なつ学徒の数は、まだまだ相当な数に上るのではないかと考えております。またこの援護会対象なつ学徒に対しまして、援護会から傷病手当金といたしまして五十円ないし百円の傷病見舞金を與えております。私はこの五十円ないし百円というような見舞金の多少について、何も云々しようとは思いません、またそういうことは考えていないのであります。私はこれら学徒に対しまして、あまりにも誠意なき冷淡なる政府並びに世の指導者に対しまして、青年の教育学徒に対するあたたかい援護に、何らの積極性を見ることができないというこの現実社会の冷たさを訴えたいのであります。あの残虐きわまりない戦争に、国家総動員法第五條の適用をもつて学徒勤労動員令として勅令第五百十八号のもとに日本の全学徒教育機会から強制的にむしとりまして、わずか十四、五歳の何も知らない中学生から、国家の中堅をになわんとして真理学問の探究を志しておりましたところの大学生に至るまで、すべてをなれない勤労重労働に服せしめまして、日本における一切の教育機関と学園から締め出し、しかもその学徒勤労動員令の施行が昭和十九年八月二十三日という敗戦一年前、まことに敗戦色濃厚なる時期でありまして、本土空襲のはげしき中にあつてこれらの学徒を容赦なくかり立てたということは、私が今ここで申し上げるまでもなく、委員長初め各委員方々は、戦争中におけるわが子の状態について、よく御存じのことだと思います。  かくして、その結果、軍需工場におきまして、また兵舎、陣地の構築中において、原爆の陰に若き命を失い、また広島長崎におきましては未曽有殺傷兵器原爆犠牲になりまして、ことに長崎におきましては、佐賀県の学生がその死亡者中の三分の一を占めておるのであります。またある者はなれない機械にはさまれ、あるいは鉄棒の下じきとなつて、痛ましき障害を受けて前途の希望をとざされたり、あるいはこれは重労働によりまして、結核患者となり、十分なる医療手当もなく、遂に一名をなくしたという哀れなる学徒が、数多く存在することを考えますとき、特に私は、化学工場の不純なる空気の中におきまして、作業中に結核病のために一名をなくした哀れな同窓生も知つております。またこの東京の郊外の中島航空機工場におきましては、動員学徒作業中に直撃弾を受けまして、なまなましき肉片が天井や床板に飛散したという現実も聞いております。またか弱い女子学生も、同様われわれとともに兵器弾薬の製造に従事しつつ、その工場従業員徴用工方々から、暴行迫害を受けた事実が少くないということを、教育者は何と考えたでありましようか。  このようないろいろな実例を申し上げれば、きりがありませんが、これら学徒の多くの犠牲に対し、世の指導者は、直剣に考えていただきたいのであります。ただ單に、学問を放棄して、強制的に重労働に服せしめられたということ自体においても、発育盛りの青少年の前途に及ぼす影響の重大なることは、申すまでもないのでありますが、中でも、これらの動員中に爆撃と災害によつて一命を失い、あるいは傷つき倒れた学徒こそ、実に悲惨なる戦争犠牲者と申さなければなりません。そして今これら犠牲なつた多くの学徒が冷たい社会の片すみに追いやられ、片手、片足を無くした不自由な身となり、あるいは結核に倒れていまだ正常に復し得ないまま、あたたかい援護の手を待ち受けているのであります。また無残にも一命を犠牲にした多くの先輩、同窓たちは、聞けわだつみの声を再現するなと地下から叫んでいることを考えますとき、この学徒の遺家族援護を通じまして、みたまをしずめるだけの誠意と努力を私たちはお願い申し上げたいのであります。本法案が、この戦争犠牲者に対する遺家族援護ということになつておりますにもかかわらず、この勤労学生を包含されていないということに対しましては、非常に遺憾にたえないのであります。  今日われわれ学生運動を通じて、また子をなくした親たちが、真剣にこの切実なる願いを訴えておるとき、今日の政治を担当せられておる人々の中に、この学徒援護問題に対し、どれほどの真剣味を持つておられるかということを、私は先ほど申しましたことく非常に疑問でならないということ、單に青年のアプレ的存在のみを糾明することはあつても、戦争犠牲者方々動員学徒に対し真剣に考えてくださる方々は一体何人おられるでありましようか。特に私は国会議員の中に、日教組出身の先生方が数多くおられるということを存じております。一体これら日教組の出身議員で、この問題を真剣に考えてくださる方がどれほどおありでしようか。自分たちの教え子が、無残にも戦争犠牲となつて若き命を失い、または不自由な身となつて冷たき社会に投げ出されておるにもかかわらず、自分たちの賃金ベースの引上げと観念的な平和論を振りまわして、何ら具体的な措置に協力してくださらないということに対し、私は深く嘆かざるを得ないのであります。特に今回提出されておりますこの法案に対し、私は以上のような点に対して、この勤労動員学徒犠牲者を包含せられないということは、この法案が非常に不誠意、不備かつ冷淡なる法案と考えざるを得ないのであります。この法案が、單に軍人軍属というものを適用範囲とするきわめて不平等なるものであるということ、こういう点を、私は本法案第二條第二項における軍属規定の、旧陸海軍部内における用人、雇員、工員というものと、われわれ学徒が従事して参りましたところのこの総動員法によつて動員されました学徒における作業において、いかなる点において相違があるかということを、私は申し上げたいのであります。特にそういう点に立つて、当然私はこの法案の第二條第二項の中において、この動員学徒適用をされるのが当然ではないかということを、私は主張したいのであります。  大体そういうような点に立つて、これら学徒に対しまして、私は本委員会の愼重なる御審議をお願い申し上げまして、特にこの点について私は学徒の代表といたしましてのこの意見を、終らせていただきたいのであります。
  6. 大石武一

    大石委員長 御苦労さまでした。  次は森田忠平君。
  7. 森田忠平

    ○森田公述人 私は全国傷痍者代表であり、また富山県の身体障害者協会の会長をしておりまするところの森田忠平でございます。ただいま御審議をされておりまする法案につきまして、私の所見を述させていただきたい、かように考えます。  終戦七箇年を経過いたしました日本は、おかげで平和の世となりました現在に進んでおるのでありますが、事、傷痍軍人遺族のみは、太平洋戦争並びに日華事変の重みを背負つて、死ぬまでその重みと闘つて行かなければならない運命を持つておるのであります。一般の方々は、平和の世とともに、新生日本の輝かしい前途とともにあられるのでありますが、事、傷痍軍人のみは、身に傷痍を受けまして、その受けた傷疾は、失つた手、失つた足は、決して伸びて参りません、もとにならないのであります。でありますから、日華事変並びに太平洋戦争の重みが一生涯身にまとうのであります。また私に子供もございます。この小さな子供に、自分の父に手足がないために、世間の子供に卑下させてはいけないと考えまして、お父さんは戦争で手がなくなつたのだと、いつも言つております。ところが、がんぜない子供はどう見るか。お父さん、あんたは戦争に負けたんだと言うし、近所の子供は、あんたのお父さんは手がなくなつて戦争に負けたんだと言う。小さい四つか五つの子供の単純な頭では、それしか考えられぬと思います。また四、五人の子供が寄るとさわると、戦争が負けたのは君のお父さんが悪いからだと言う。でありますから、お父さん、もし同じ手がなくなるなら、戦争が失わぬで、ほかのところで失つてくれたらよかつたと申すのであります。それを聞く親といたしましては、断腸の思いがするのであります。戦争に負けた、手を失つた——がんぜない子供にまでこの思いをさせなければならない。これを思いますと、親といたしまして、何とも申し述べることのできない心境になるのであります。  また全国傷痍軍人が、かつて死線を越えて身に傷痍を得たのだから、やるときには徹底的にやるのにかかわらず、終戦後七箇年黙つておつたという方もございます。しかしながら全国何十万の傷痍軍人の状況をつぶさにながめますときに、終戦後、生活の根拠はむしり去られました結果、それをだれに訴えることもできず、黙つて自殺し去つた傷痍軍人が数百名ございます。もちろんこれらの傷痍軍人は、皆様の熱意あるお言葉によつて、戦線へそれぞれおもむいたのでありますが、その後終戦を経過いたしまして、手をむしられ、足を失い、両足を失い、身を傷つけたこれらの傷痍軍人は、生活することもできず、また敗戦の今日、世間の同情にすがることもできず、黙つて自分の身を自分で処して行つたのであります。これらのことを考えますると、われわれ傷痍軍人同士といたしまして一抹の涙を禁じ得ないのであります。  しかるところ、今般国会におかれまして、われわれの援護法案をおつくりくださいましたことにつきましては、厚く御礼を申し上げるのでございますが、しかしながら、その内容を拝見いたしましたとき、いま少し、終戦後七年も黙つていた傷痍軍人に、何とかしてもらえなかつたものであろうかと考えるのであります。現在生活保護法で救われておる方は、日本全国に相当数ございます。日本の各家庭の平均人口は五人弱と聞いておりますが、この五人弱の方々に対する生活保護費は八千円ないし九千円というところであります。しかしながら、両腕も両足もなくして、だるまで何にもでき得ない傷痍軍人に一年六万六千円、特項症から六項症の平均をとりますると、三項症で年間四万二千円であります。社会福祉より、国家補償の方が重大であるから心配するのだと申されておりながらも、現在の金額においては、社会保障の線より、国家補償の線がずつと下まわつておるのでございます。今月の中旬に、国鉄の傷痍者の同志が東京で大会を開きました。その決議といたしまして、傷痍軍人はとても苦しんでおるのだし、とても困つておる、見るに忍びない、われわれ国鉄の傷痍者は、ある程度給與ももらつている、保護も受げているから、傷痍軍人が何とかしてもらうまで、われわれの要求をやめようではないかという、あたたかい同志愛の決議をいたしております。また軍属におきましても、外地軍属は、当時まだ政令が出ぬ先に終戦になりましたので、援護は受けておりませんが、内地軍属においては、相当の給與が受けられます。でありますから、内地の軍属にこの法案適用されることになれば、今の手当から見ると、二割も三割も四割も低い手当になるから、この手当を受けることは絶対にいやだと申しております。また戦争中、われわれ傷痍軍人は誉れの傷痍記章をちようだいいたしておつたのでございます。しかし終戦後その記章も新しく傷痍軍人には給與されておりませんので、これも本委員会で御審議いただきまして、これが支給されますように念願する次第でございます。また国鉄の無賃乗車証をいただきまして、程度の重い傷痍軍人は、温泉療養その他に使つてつたのでありますが、これも昭和二十二年より廃止されたのでありまして、この件につきましても、一段と御配意願いたい。そしてこれを一日でも早く復活してくださいまして、傷痍軍人の温泉療養のために使わせていただきたいということを、強くお願い申し上げるものであります。口に国家補償と申されますならば、何とぞわれわれ傷痍軍人のために御努力願いたい。  また傷痍軍人立場といたしましては、決して遺族問題は軽視できないのであります。かつてわれわれの戦友でありました方の遺族を、何とぞ国家補償の中において強く援護されますことを、ひとえにお願い申し上げる次第であります。  私の公述はこれをもつて終らせていただきます。
  8. 大石武一

    大石委員長 任都栗司君。
  9. 任都栗司

    ○任都栗公述人 私は広島の任都栗一興と申します。ただいまお招きにあずかりました書面には、司となつておりますが、この司は旧名でございまして、正式に一興と改名をいたしました。私は現在、広島原爆犠牲者遺家族援護連盟の委員長をいたしております。また広島長崎復興連盟の委員長、及び広島県市引揚促進連盟会長をいたしております。私が今日お招きにあずかりまして、ここで発言機会を與えられましたことは、まことに感謝にたえません。  今日ここで申し上げたい事柄は、原子爆弾によりまして犠牲を受けました学徒、及び女子挺身隊員、徴用工、義勇隊員、これらに対しまして、今回軍人遺家族援護法が施行せられるにあたりまして、これをその対象者として取上げていただきたいという事柄を、かねてより陳情をいたしております。その事柄を概要を申し上げて、御理解を賜わつて、ぜひともこの機会に取上げていただきたいと存ずるのであります。  原子爆弾によつて受けました被害は、私がここで重ねて申し上げますままもなく、すでに皆さんはよく御存じの通りでありますが、この原子爆弾の惨害は、御存じいただいておる以上に悲惨なものでございます。この原子爆弾によりまして終戦がもたらされ、日本の各都市が助かり、平和がもたらされたという結果にはなつておりますけれども、戦時中、学徒にいたしましても、女子勤労動員を受けた隊員にいたしましても、それぞれの犠牲を受けましたものは、相当な手続をとつて、あるいは靖国神社に合祀をせられ、あるいはその他の処置がとられておりますが、広島の場合は、その犠牲を受けますと、即終戦でありますために、その手続をとるの余地がございませんでした。同時に、惨害がきわめて熾烈でありましたために、あらゆる機関がことごとく壊滅をいたしました。生き残りました者も、ほとんど身に傷を受けまして、遠く広島市を離れた地帯で療養をいたしておつた者がほとんどであります。そんな事情で、この実情をただちに訴えて取上げていただくような処置がとれなかつたのであります。それが、今回軍人遺家族援護法がここに取上げられるというときにあたりまして、ぜひともこの機会にこれを取上げていただきたいと陳情に及んだ次第であります。  総合的にこれを申し上げますと、原爆によつて被害を受けました数は、広島市内の地域国民義勇隊が八千二百五十名、広島県郡部の国民義勇隊が一千八十七名、学徒動員令によりまして動員をされておつて犠牲を受けました数が九千五百五名、徴用工員及び女子挺身隊員を合せました数が二千二百六十名、合計二万一千百二名でございます。第一回、昨年陳情いたしましたときの数字の推定は、約四万名のごとく見えたのでございますが、だんだんこれを精査いたしますると、こういうふうな数字になつて参りましたわけであります。なお国家よりこれが精密なる調査をせよというので、ただいま調査費をいただきまして、調査をいたしておりますけれども、何分全滅をいたしました家族、郡部に疎開をいたしましたこと等によりまして、その調査がきわめて困難でありますけれども、これを県とともに協力いたしまして極力取急いでおります。不日これのとりまとめがつくことと存じますが、この数は大体間違いないものと思われます。国民義勇隊の行動は、まだこれが当時法制化されておりませんために、軍の命令によるやいなやということが問題になつておると存じます。しかしながら、広島の場合において、当時の戰況、当時の実情等より考察して行われましたその指導の実情が、ここに明確になつておりますから、この機会にこれを明らかにいたしておきたいと思いま。  戦況がますます緊迫して参りまして、八月中旬、中国軍管区参謀長松村少将、広島地区司令部付小谷少将、高野広島県知事、中国地方総監府の大塚総監、これらが総監室に参集をいたしまして、重大な対処会議を開きまして、この際義勇隊、学徒隊の出動を命ずることに、その総監室において決定をいたしたのであります。この事柄は、現在生きておられます松村参謀長、その他小谷少将等の証言等において明らかであります。  その以前から、地区司令官は、正規軍隊及び警備隊のみでは兵力が不足いたしますので、義勇隊の動員を強力に軍管区司令官に要請していたので、小谷少将の主張は最も強く主張されまして、松村参謀長も遂に意を決しまして、大塚総監に義勇隊、学徒隊の出動を要請したのであります。命令系統から言えば、確かに要請でありますけれども、当時すでに義勇兵役法が閣議決定を見ていたのでありまして、軍の強力な要請は、即出動命令と見るべきものであると存ずるのであります。大塚総監は高野知事をして、八月三日から毎日義勇隊約三万名、学徒隊一万一千名の動員を下令しまして、なお現場における作業指揮は、地区司令官冨士井末吉少将と広島県知事兼広島県義勇隊本部長高野源進との申合せによつて、正規軍隊または警備隊の直接指揮を受けることになつたのでありますが、八月六日出動していた学徒隊、義勇隊には、次の種類があつたのであります。  (イ) 各郡地域国民義勇隊——これは佐伯郡、安佐郡、安芸郡、豊田郡、賀茂郡、山縣郡、双三郡、高田郡等、広島に近接した郡にまたがつておるのであります。  (ロ) 広島地域国民義勇隊——これは三十三連合町内会から約三百人ずつを出しております。  (ハ) 職域国民義勇隊——これは会社工場で編成したものでありまして、工場では三年以上の動員学徒及び女子挺身隊員を主体といたしております。  (ニ) 学徒——これは高等小学校一、二年生、中等学校一、二年生を主体といたしておりました。  以上が義勇隊の組織されました要素と、それから出動いたしました状態における実情であります。それから学徒隊は学徒動員令に基きまして、法的根拠に従つおのおの出動いたしておるのでありまして、この関係につきましては、小委員会におかれましても、あるいは現在の委員会におかれましても、すでに詳細御存じのことであろうと存じますから、私はこの関係は説明を省略いたします。女子挺身隊員及び徴用工についても、同じくそれぞれ法令に基きまして活動し得る要素があつたのでありますが、これについても私はこの説明を省略いたします。  以上の方たちが緊迫いたしました当時の広島地区管区の軍の実情に基きまして、その命令によつて緊急要務にそれぞれ携わつてつたのであります。その仕事は、急速な家屋疎開、それから弾薬その他の物資への輸選運搬等に従事いたしておつたのであります。それが八月六日の午前八時十五分、原子爆弾の洗礼を受けまして、ほとんど例外なく全滅をいたしたのであります。この君たちに対しまして、今回遺家族援護法適用をぜひとも受けたいというのが、われわれの主張の要点であります。まことに当時を思い起し、現在広島市民の気持等は、これが当然軍人遺家族援護法対象となることを念願をいたしておりますけれども、現在の国の事情その他財政の都合上、これが万一取上げられないということになりますならば、将来いつかの機会に、これをぜひとも取上げていただきたい。特に学徒に対しましては、学徒勤労令という法的根拠が明らかになつておることから、これを取上げられない理由は、いずこにもないと存ぜられるのであります。この点に関しましては、すでに先ほど詳細に公述されましたから、私は重ねて言及を避けますが、今回の遺家族援護法にこれを取上げられるということが、どれだけ大きな社会的意義を持つ結果となるかは、すでに皆様御想像の通りでございます。よろしくお願いをいたします。
  10. 大石武一

    大石委員長 以上の公述人方々に対して、御質疑はございませんか。  それから、お断りいたしますが、午前中の公聴会は、正十二時に休憩いたしますから、それ以後に御質疑のある方は、午後におまわし願いたいと存じます。
  11. 苅田アサノ

    ○苅田委員 議事進行について——あと十五分では質疑は終らないと思いますので、もし公述人の中で、午前中だけしか御出席願えない方がございましたら、その方にまず質疑させていただきまして、そして残りの方は再開旁頭に、午後の陳述が始まります前に、質疑させていただくようにお願いしたら、いいのじやないかと思います。
  12. 大石武一

    大石委員長 それでは高木さんが午後さしつかえがあるそうですから、まず高木さんに対する御質問を……。
  13. 青柳一郎

    ○青柳委員 高木公述人に、簡単に一、二御質問いたしたいと思います。非常に貴重な御意見を承りまして、われわれとして参考に相なる点が多々あると思います。その中で、最後の結論的な御意見として、本法案を撤回して、暫定的臨時措置でやつたらどうか、こういうお話でありました。その暫定的臨時措置につきまして、少しく具体的な御意見を持つておられますならば、承りたい。  もう一点は、かかる法案を施行すると申しますか、かかる措置をとるに際しては、重点的にその措置をとるべきである。これまた非常に貴重な御意見と思うのであります。傷痍軍人につきましては、六項症程度のものはある程度遠慮しても、特項症、一項症に多分に援護金額を出せ、こういう御意見でありました。その他の遺族に対しましても、同じような意見を持つておるというお話でありましたが、これまたこの点につきまして、具体的な御意見がありますならば、少しくお漏らしを願いたいと存じます。
  14. 高木三郎

    高木公述人 お答えいたします。私は、この法案が、先ほど申しましたように、はなはだ不満足、不十分であると考えますので、これをもし両院がお認めになりまして、法律として施行された場合においては、今後の改正の上に非常に障害があるんじやないだろうか、こういうことを考えます。従つて、私の申します臨時措置は、財政上やむを得ないということでありますれば、この程度給與でも、ともかく一応臨時措置として給與をされまして、根本の問題は他日愼重審議する、こういう方法をとられることがよろしいのじやないか、こう考えておるのであります。  それから、いま一つ重点的と申しますことは、お説の通りでありまして、恩給法の特例におきましても、七項症は実は現在切られております。そういうことになりますと、結局程度の差になりますが、これも認定上非常に困難な問題であると思います。たとえば、一側のひじの部分から先を落した程度で切るとかなんとか、何かそこに一つの限界を設けて——これは職業的にも違うと思う。極端に申しますれば、弁護士であるとか、国会議員というような場合でありますれば、多少の障害がありましても、言語の機能障害がなければ、ある程度以上の獲得能力を持つと思う。これの審査をすることは、非常に困難でありますけれども、私といたしましては、やむを得ざる場合においては、やはり重点的に重症者に重きを置くという方法をとるほかないのじやないか。遺族についても同様でありまして、これも極端に考えますれば、敗戦後五箇年間にわたつて、すでに相当な生活をしておる遺家族の方もあると思います。そういう相当な生活をしておられる遺家族までも、一般的、普遍的にわずかな小づかい銭を給する、こういう行き方が誤りであつてほんとうに活動能力のない、獲得能力のない遺族に対して、十分なる給與をして、徹底的に援護をする、これが私ども適当ではないか、こういうふうに考えております。
  15. 苅田アサノ

    ○苅田委員 ただいまのことに関連してお伺いしたいのですが、公述人意見では、大体六項症くらいでも、これを打切つてもいいのじやないかという重点的なお話があつたのですが、聞きますと現在七項症の中にも、たとえば骨髄を麻痺いたしまして、しかもこれを取出さないで、両方に松葉づえをつかなければ歩けないというような症状の方も入つておるというふうなお話を聞きます。もしそういたしますと、こういう不合理な点を、やはり今回十が調整いたしまして、もつと項症を改めることが必要じやないかというふうに考えるのでありますが、その点についての御意見いかがでございますか。
  16. 高木三郎

    高木公述人 恩給法には、御承知の通り退職後の機能障害規定がありまして、ある一定の年次までは再審査を要求する権利を保留されております。私ども最近の法令をよく存じておりませんので、その年限等を記憶いたしませんが、もしそういう退職後の機能障害によつて、事後重症なつたというような場合におきましては、これは当然私ども改訂さるべきだと思うのでり。御説の通り、退職当時において軽症であつても、事後において重症に陷つた場合には、やはり政府は相当な国家補償をなすべきだというふうに考えております。
  17. 苅田アサノ

    ○苅田委員 そういうことは、もちろん私も必要だと思うのでございますが、なおお尋ねしたいのは、従来の特項症、七項症の定め方の中に、従来その当時には気づかなくて落ちていたような症状が、後になつて出たものがあろうと私は思います。そういうものも、あらためて再審査するということも、御同意だろうというふうに思いますが、それでよろしゆうございますか。
  18. 高木三郎

    高木公述人 御意見の通りだと思います。
  19. 苅田アサノ

    ○苅田委員 次にお聞きしたいのは、これは御陳述の中にはなかつたのですが、私はやはり恩給関係の専門家としての高木さんにお聞きしたいのですが、たとえば、今度の戦争に参加いたしまして、そして、たとえば正確な軍人とか軍属とかいう資格でなく参加いたしまして、しかもこれがフィリピンとか、あるいはパレンバンとかで軍人と一緒に運送なんかをして協力して来た人が——これは例でありますが、後になつて軍属の資格を獲得し、また金鶏勲章をもらいましたり、靖国神社に祭られたりしたような人は、やはり今度の援護対象になるのが適当のように思うのでありますが、前恩給局長立場としては、どういうふうにお考えになりますか、お伺いしたいと思います。
  20. 高木三郎

    高木公述人 その問題は、むしろ政府当局のお考えになる問題だと思うのですが、私ども国家犠牲者という立場においては、できる限り国家財政の許す範囲内において平等の取扱いをされることが、正しいのじやないか、こう考えます。
  21. 堤ツルヨ

    ○堤委員 支給事務の統一をはかれという御意見を拝聴したわけでありますが、まつたく同感でございます。前恩給局長といたしまして、いろいろ御体験もおありになると思いますが、それではこの総理府厚生省郵政省などにわかれておるこの取扱い、支給事務をどこで担当すべきか、具体的にどういうふうにお考えになつておるか。具体的な御意見がございましたら、ちよつと聞かせていただきたいと思います。
  22. 高木三郎

    高木公述人 私、かつて恩給局長の時代に、恩給裁定から支給に至るまでの事務を統一する計画を立てたことがあるのです。これはなかなかむずか場しい方法であると思いますが、たとえばクーポン・システムにする。一定の期間に対してのクーポンをもつて、支払いは簡単に郵便局で支払える、かような方法をとれば、統一された方法で、もつと簡単に支払いができる。同時にまた、現在のように一年四回というようなことでなく、毎月支払いというようなこともできるんじやないか、具体的な方法まで、実は起案をいたしたことがあるのですが、実現をいたしませんで、そのままになつております。おそらく現在の恩給局当局も、この点については十分御考慮になつていることと思います。具体案については、むしろ政府側の方に御研究を願つた方がいいと思います。
  23. 大石武一

    大石委員長 ほかに高木さんに対する御質疑はございませんか。——なければ高橋君。
  24. 高橋等

    ○高橋(等)委員 任都栗さんにお伺いしたいと思います。これは全国的な問題と思いますが、勤労学徒動員中に犠牲になりました者が、ある場所では靖国神社におまつりをしてあるのでありますが、広島の場合はいかがになつておりますか。
  25. 任都栗司

    ○任都栗公述人 お答えいたします。先ほど簡単に申し上げておいたつもりでございますが、言葉が足りませんので、あらためて御質問にお答えいたします。具体的な例をあげますと、終戦前に山口県の徳山燃料廠が爆撃されたことがございます。この際に勤労学徒犠牲になりました者たちは、すでに靖国神社へ合祀せられておると確聞をいたしております。その他都市及び航空機会社等で、同じく爆撃されました際に犠牲となりました君たちも、手続をとりまして、そういうふうな処置がとつてあると存じております。広島の場合は、原子爆弾によりまする被害のために、あとほとんど首脳部はなくなりまして、処置をとることができませんのみならず、即終戰でございますから、そのままになつておつたわけでございます。
  26. 高橋等

    ○高橋(等)委員 もう一点伺いますが、勤労学徒等が犠牲になりました場合には、何か弔慰金等が従来出されておつたように承つておりますが、広島の場合も、やはりそうした弔慰金が出ておりますか、どうですか、その点を一点伺つておきたい。
  27. 任都栗司

    ○任都栗公述人 弔慰金としては受取つておりません。広島の場合は、見舞金として、当時一律でありませんが、最高のものが千五百円、それから最低のものが六百円支給されておるようでございます。
  28. 高橋等

    ○高橋(等)委員 その見舞金は、どこから出ておりますか。
  29. 任都栗司

    ○任都栗公述人 それは当時県の学務課あたりから出ておるようであります。
  30. 高橋等

    ○高橋(等)委員 国の金ですか。
  31. 任都栗司

    ○任都栗公述人 それはわかりません。
  32. 高橋等

    ○高橋(等)委員 この見舞金を全部がもらわれておりますか、まだもらわれない人がありますか。そして、もしもらわれない人があれば、大体のパーセンテージはどうなつておりますか。
  33. 任都栗司

    ○任都栗公述人 明確な数字は申し上げられませんけれども、われわれが調査いたしておりますうちでは、あまりに悲惨な実情でありますから、たとえば一人むすこを失つたという場合に、親が見舞金の数百円などを受取るのは忍びない、受取りに行くこと自体が涙の種であるというので、それを受取らなかつた者が相当多数に及んでおるそうでございます。それから、当時出征をして留守中の者、または他に勤務いたしておりまして、子供を広島に置いた者というような者がありまして、それがために受取つておらない人間も多いようであります。現在推定をいたしますと、受取つておらない数字が約三〇%ないし四〇%に及んでおると存ぜられます。
  34. 青柳一郎

    ○青柳委員 私も任都栗公述人にお尋ねしたい。ただいま陳述の内容にある義勇隊、これはひとり広島に限らないものかとも思いますが、この義勇隊にひつぱり出された根拠、ひつぱり出した根拠、これは非常に重要な問題であると思います。ただいまの陳述の中に、軍管区司令官から命令が出た、こういうお話ですがこの命令はどこに、どういう形式で出て、その内容はどういうものであるか、それについて承りたい。
  35. 任都栗司

    ○任都栗公述人 お答えいたします。中国には中国軍管区司令部がございまして、その下に広島地区司令部がございました。中国軍管区司令部は、司令官は藤井中将でございます。広島地区司令部の司令官は冨士井少将でございます。その上に第二総軍司令部がありまして、その司令官は畑俊六大将でございました。その中に松村という人が参謀長でございました。その総軍司令部において、軍管区司令官、それから広島地区司令官及び当時の県知事等を集合を命じまして、そうしてそこで協議の結果、緊迫した当時の戦況よりいたしまして、先ほど申し上げましたように、義勇隊を出動せしむべく協議が決定されました。しかしてその決定した協議に基きまして、当時の県知事に向つてその要請をいたしました。ところが、この要請が先ほど申し上げたように、問題でありますが、要請とは、当時まだ法令に基く国民義勇隊を動かす法的根拠がありませんので、一応要請ということになつたのでございますが、しかし当時の会議の模様及び出動の実情等より考えまして、いわゆる命令と何ら異なることのなかつた実情に考えられておるのであります。
  36. 青柳一郎

    ○青柳委員 出動の要請については、文書がありますか。
  37. 任都栗司

    ○任都栗公述人 これは総軍司令部及び県庁、市役所、全部灰燼に帰しまして、一切の文書はありません。しかし、当時集合いたしまして会議に列席いたしました者は生き残つておりまして、証言ができるのであります。その証言に基きましてこれだけの書類が整備できたのであります。それから命令を受領いたしましたその書類は、軍部に一部残つておつたものがあるのでございます。
  38. 青柳一郎

    ○青柳委員 その文書の御提出を願いたいと思います。  それと先ほど、義勇軍編制についての閣議決定があつた。その閣議決定はいつであるか、その内容についてお持ちになつておるかどうか。
  39. 任都栗司

    ○任都栗公述人 そのことにつきましては、後ほど書面で提出させていただきたいと思います。
  40. 大石武一

    大石委員長 午前中の質疑はこの程度で中止いたしまして、午後は一時半まで休憩いたします。     午後零時六分休憩      ————◇—————     午後一時四十二分開議
  41. 大石武一

    大石委員長 休憩前に引続き公聽会を再開いたします。  まず午前中陳述していただきました大井秀雄君、森田忠平君に対する質疑を許可いたします。
  42. 青柳一郎

    ○青柳委員 森田公述人にお尋ねいたしたいと思います。森田さんも、けさの陳述、ことに高木公述人の陳述をお聞きになつたと思います。あの中に、附則の第六項にある傷病恩給障害年金の併給禁止の規定はおかしい、本質的に違うものを相互相殺して画一的ならしめることはおかしい、こういう意見があつたのであります。事は傷痍軍人に非常に重大な関係があるものであります。これについて、御検討になつたことがありますか、あるいは御意見があれば承りたい。
  43. 森田忠平

    ○森田公述人 ただいまお話がありました増加恩給障害年金の併給の禁止でございます。附則の第六項であると思いますが、これはおのおのその特質を持つておりますし、また違うのでありまして、これは傷痍軍人といたしましては、どうあつても併給いたしていただきたい、かように存じておりまま。
  44. 青柳一郎

    ○青柳委員 もう一点、傷痍軍人記章についての陳述があつたのであります。本委員会としても、傷痍軍人記章については、遺族記章と同じように、今後もそれを出していただくという希望を持つておるのであります。現在の傷痍軍人記章はその名前も傷痍軍人という名前がついており、また意匠も至つて軍国主義的なところがありますが、これの傷痍軍人記章をめぐつて意見があれば承りたい。
  45. 森田忠平

    ○森田公述人 ただいま傷痍軍人記章のお話があつたのでございますが。御承知の通り、傷痍軍人記章は昭和十三年十月に制定せられたのであります。これには意匠は、私どもとしましては、かえる必要はないと考えておりますが、かえられてもさしつかえございません。御承知の通り、今の状態から申し上げますと、同じ傷痍軍人でも、持つておる者と、持つていない者があるのです。でありますので、どうあつてもこの傷痍軍人にその標識たる傷痍記章は授與していただきたい。もちろん傷痍記章令は現在生きております。ただ單に今交付停止されているものと考えておりますが、引続き交付されますように、特に念願いたすものでございます。
  46. 堤ツルヨ

    ○堤委員 学生大井さんにお尋ねいたします。いろいろ御意見を承りましたが、最後にお聞きしておきたいのは、それでは具体的に適用範囲対象になりました場合に、どういうものをお望みになるか、御意見がございましたら承りたい。
  47. 大井秀雄

    大井公述人 お答えいたします。午前中私が申し上げましたような点に立つて、当然この勤労動員学徒というものは、その行つた作業の性質とか、そういうものから考えまして、また自分の意思から出たものではないというような点で、どうしてもこれは軍人軍属と同等の扱いをしていただくのが当然であると、私の方ではお願い申し上げたいのであります。そういう点に立つて、この法案の中における軍人軍属に適用されるところの傷病手当、あるいは遺家族年金というようなものと同額なものをお願い申し上げたいと思つております。
  48. 堤ツルヨ

    ○堤委員 そこでもう一つお尋ねいたしますが、あなたの学徒援護会の方から出ておりますところの統計、死者の合計一万九百六十六人というものを大体御発表になつたのでありますが、これは援護会だけから出た数でございます。文部大臣は、こんなものは調査する金もないし、めんどうだからする意思がないというような御答弁を、あなたにしておるようでありますが、大体援護会だけでなしに、動員学徒犠牲なつた数は、どれぐらいだという御見当がおつきになつておりますか。
  49. 大井秀雄

    大井公述人 その点につきまして、私の方も文部大臣並びに文部次官の方へ陳情を申し上げましたときに、この援護会組織以外の数については、いまだ全然わからないということだつたのです。そのために私の方でそれを調査しているのかいないのかという質問を申し上げましたのですが、この二月の初めに文部省から各大学に通じまして、これらに対する調査を依頼いたしております。その大学に出した調査がいまだ文部省の方に届いていない、まだ返事が来ていないという御答弁で、それ以外にはつきりした数字を申し上げることはできないとして、絶対に公表していただけませんでした。そのためにそのほかに、厚生省の方で何とかしておわかりになるのじやないかということで、まわつたのでありますが、厚生省の方では、そういうような所轄——学徒勤労令というものは文部省の方、文部大臣の名前をもつて出しておるというような点で、やはり文部省の方がそれを担当するというようなことで、私の方ではそれ以上はわかりません。
  50. 堤ツルヨ

    ○堤委員 さらにお二人にちよつとはつきりとお聞きをしておきたいのでありますが、公述人のほとんどが、この今審議されつつある援護法案というものは非常に不満足だ、それで、もしこれをあえて立法するのならば、これは昭和二十七年度一年限りのものとして、いただきたいというところの御意見が非常に多い。今そこにおいでになられるお二人から、その点をはつきり聞かなかつたが、この点についてはつきりしていただきたい。
  51. 森田忠平

    ○森田公述人 もちろん私らといたしましては、昭和二十七年度の初めに恩給法特例審議会をおつくりになるそうでありまして、その方へは強く要望いたすとともに、これはもちろん昭和二十七年度限りとしていただきたいと強く念願いたします。
  52. 大井秀雄

    大井公述人 二十八年度のことについて、文部大臣のときにも、二十八年度からは学徒の方も考えるというような予定は、大体自分の方では考えておるという御答弁であつたのですが、ぜひともわれわれとしては、この法案が提出される限り、これはやはり四月の一日から実施されるというように規定されておりますが、こういう点で、ぜひとも一緒にやつていただきたいということを念願いたします。
  53. 堤ツルヨ

    ○堤委員 大井さんの気持はよくわかるのですが、私の質問を取違えていらつしやるのです。それは学生の問題についてはわかつているのですよ。但し、この法案全体を御研究になつたと思いますが、全体をごらんになつて予算面から、またこの法案内容からいつて遺族並びに傷痍軍人全般にわたつて、とにかくこれが実施されるということになつたならば、学徒だけ対象でなしに、今年限りのものと御希望になるか、臨時処置的なものとお認めになつて、できるならばさらに前進した、充実したものを、恩給法特例審議会の審議などと相まつて、よりよきものを来年以後は望む。この援護法は、とにもかくにもやるならば、今年一年限りにしてほしいとおつしやるのか。学徒だけを対象にして質問申し上げているのではないのです、この援護法全般についてです。おわかりになりましたか。
  54. 大井秀雄

    大井公述人 それにつきましては、私昨日公述人として出られました早稻田大学の末高先生と、大体意見を同じくにいたしておるものであります。そのために、たとえば当然この十分でない形のものを一年だけというような形じやなしに、そういうものをやるとすれば徹底的に、やられるとすればごく一部の者だけというような形で、しかもそれが一年間という暫定ということでなしに、やはりその点をはつきり規定していただきたいと思います。
  55. 苅田アサノ

    ○苅田委員 まず森田公述人にお聞きしたいのでありますが、一般の傷痍軍人の方から、私どもは六項症で打切るということの不合案、たびたび訴えられておりますのですが、この点につきまして御意見を承りたいことと、それからもう一つは、今きめられております六項症の中におきましても、非常に不合理がある。つまり、ほんとうはもつと三項症、四項症の扱いを受けなければならない人が六項症になつておつたり、どうしても松葉づえをつかなければ歩けない人が七項症、八項症になつて非常に不合理だという点を訴えられておりますが、このことを傷痍者としての御体験や、あるいはめんどうを見ておいでになりますいろいろな実例から、私どもによくわかるようにお話願いたいと思います。
  56. 森田忠平

    ○森田公述人 ただいま六項症で打切りになつているが、それでいいかという問題が一つと、六項症になつてつても、実質的にはもつと程度が上るべきはずのものがおるじやないかというお尋ねでありますが、もちろん私らといたしましては、六項症で打切られるということは、不満が十分にあるのであります。しかし、今日現在においては一応がまんはするけれども、このあとに引続き行われますところの恩給法特例審議会においては、十分に審議くださいまして、昭和二十八年度からは今度は款症並びに目症までに及ぼしていただきたい。御承知の通り、傷痍軍人はどこかにけがを持つておりますので、傷痍記章をもらつております。しかしながら、現在六項症というようなのは、その傷痍軍人の中の一割か二割であります。残余の八割ないし八割五分の者は、現在救われておらないのでございます。しかしながら、これをきよう申し上げても、なかなかむずかしいと思いますので、きようは一応とどめまして、あとの恩給法特例審議会の方に今度は主力を注いで、皆さんの御同情を願いたい、かように考えておるのであります。御承知のように手に一本のとげを刺しましても、その手は使えません。でありますから、たとい指が何本か都合が悪くなりましても、普通ではちよつとわからないのでございますけれども、実際その負傷しておる本人から申しますと、作業能率が二〇%も三〇%も落ちるのでございます。現在就職難でございまして、まことに一般完全な者でも採用してくれません。そこへ持つて来て二〇%も三〇%も作業能力の低下した者は、絶対使うはずはありません。でありますから、款症傷痍軍人でありましても、まことに困つておるのでございます。しかしながら、押し詰まつた現在におきましては、いずれ六項症までをひとつ救済していただく。但し、この来るべき恩給法特例審議会においては、目症までも審議していただきたいということをお願いいたします。  それとともに、恩給程度がどうもぐあいが悪いと、私どもは重々考えております。これはもちろん先ほど高木公述人におかれましては、そのときは救済する方法がある。これは私の知つておる限りでは、四十六條の後段の規定によつてやられる方法があるのですが、実際それを出してみましても、四十六條の後段の規定によつて事後重症によるところの恩給請求をしてみましても、通つた実例は少いのであります。これも今度のときに一緒に資料をつけまして出す予定にしております。もちろんこの援護法におきましても、その四十六條の後段の規定と一緒のものが出ておりますが、実際あとから五年過ぎ十年過ぎに、今度はこのけがが重くなつたから交付していただきたいと言いましても、実際なかなか出していただけなかつたというのが従来の実情でございます。この問題につきましても、今資料をまとめまして、恩給法特例審議会には提出する決意を持つておりますから、その節は何とぞ御審議ありますようにお願いいたします。
  57. 苅田アサノ

    ○苅田委員 あなたの持つておいでになる不合理な点を矯正するといういろいろな資料は、恩給法特例審議会をまたなくても、提出なさることは、いつできますか。それとも、まだそういう資料はそろつておらないので、待つておいでになるわけですか。もし、そろつていますれば、あとの機会をまつまでもなく、やはりあらゆる機会にそういうことは御主張になつた方がいいと思いますので、それはぜひ早くそういう処置をおとりになつた方がいいと思います。これは前恩給局長のお言葉でも、やはりそういうものは当然交付しなければいけないという話もあつたのですし、これは何もそうたくさんの予算措置を要する問題でもないと思いますから、ぜひそういうことは、なるべく早くお出しいただいた方がいいと私は思います。  次に、大井公述人にお聞きしたいのですが、動員学徒で負傷された人に対しまして、当時どのような手当があつたか。それは全般に行き渡つていたかどうかということをお話願いたい。  それから、それによつて負傷されて、病気になられて、なおつていない方が今日までどういう手当をもらつておられるか、あるいはもらつておられないか、そういう点についてお述べを願いたい。
  58. 大井秀雄

    大井公述人 大体そういう遺家族援護の観点に立つて学徒援護事業要綱に基きまして、学徒援護会組織を通じて出されました手当金は、広島長崎原爆の死亡と、それ以外の死亡とに区別いたして出しております。その広島長崎の場合には、大学、高等専門学校、中学校、国民学校、おのおの別々にわけまして、国民学校で三百円、中学校で五百円、高等専門学校で六百円、大学で七百円、この手当を出しております。それ以外に、原爆地域の方々に対しては五十円から百円までということになつております。そういう形で手当を出しておられます。それはあくまでもそのときの一時金でありまして、それだけで、あとは全然今日まで何の援護もなされておりません。そのために、いまだ結核で正常に復していない方がおられますが、それらの方々は、特に学生でありますから、一家の生計を立てておるという人はほとんどありません。そのために今日まで両親あるいは租父母のもとで、医療手当を受けているというような方々がほとんどでございまして、なくなられた方々は、そのお金ぽつきりで、あとは全然もらつておりません。しかも、これが全部に行き渡らないで、この学徒援護会対象なつ方々だけでありまして、この援護会組織全国に確立をされないうちに終戦になつた。だから、この方々の中には援護費をもらつていない方もたくさんある。われわれとしては、あくまでもこの援護会対象とならない方々を中心にして考えなければ、そこに非常に不平等が出て来るのではないかということを考えております。
  59. 苅田アサノ

    ○苅田委員 病気の人も、それから傷痍者になられた方も、引続きの手当は何にももらえなかつたのですね。
  60. 大井秀雄

    大井公述人 全然ございません。
  61. 大石武一

    大石委員長 ほかに御質疑はありませんか。——なければ陳述を継続いたします。陰山壽君。
  62. 陰山壽

    ○陰山公述人 私は全日本海員組合組合長陰山壽であります。  講和條約の発効する日がいよいよ目睫に追つている今日、戦争犠牲者に対して国家が適切な援護をすることの緊要性については、申し上げるまでもないのでありますが、しかし、その実施にあたつて方法をもし誤るならば、その精神が單に滅却されるだけではなくしてそのことを通して、国政に対する国民の不信と不満を増大することによつて、平和国家建設の前途に大きな暗影を投ずることなきやを、私は思うのであります。このような意味におきまして、今回の援護法案は、幾多の不備を内蔵しているという意味において、この審議にあたつては、きわめて愼重を期せられるべきであると思うのであります。従つて、私は先ほど来他の公述人によつて述べられておりますように、十分愼重に扱うという意味において、本年度は一年限りの暫定措置を講ずることによつて、来年度において、さらに完璧なものを制定するということが考慮されるべきであると考えるのであります。  しかし、具体的に本法案に対して私が要請申し上げたい点を述べますならば、もちろんこの種の援護の実施に際しては、国家財政との関連において考慮されるべきであることは、もちろんでありますが、しかし、現在の法案が予定している金額は、少額に失するという点であります。いま一つは、最も重要なその対象範囲の決定に際して、きわめて重大な過誤が存在するという点であります。特に私がこの機会において申し上げたいことは、その対象から船員が除外されておるということであります。おそらく戰時における船員の実情を知るならば、このような措置が考えられるべきでないと思うのでありますが、事実は船員がその対象から除外されているのであります。もしこのような不合理が看過されるならば、ただに国家の名においてなされる援護精神にもとるのみならず、私は日本の自立の上に、きわめて重要な役割を持つ日本海運の将来に対して、大きな悪影響をもたらすであろうということを申し上げたいのであります。  戰時における船員が、言語に絶する危険と困難の中において、作戰業務に従事いたしましたことは、結果して軍人軍属の戰没率をはるかに上まわろ四割五分の最高率の犠牲者を出しているのであります。このような船員が対象範囲から除外されておるという事実は、物の本末を誤ること、これより大きなものはないと、私は言いたいのであります。私は国会の名誉と責任と議員各位の良識によつて処理される本法案は、このような点に対しての不合理が十分是正されるであろうことを強く要望し、かつ期待しているものでありますが、一部の人たちにおいては、船員は一時金をもらつている、あるいは船員保険の遺族年金をもらつているから、今度の援護法対象にする必要はないというような説をなすものあるやに仄聞するのでありますが、なるほど一時金をもらつているのは約五万五千の殉職船員の中に一万七千名あるということが、船員保險の調査に載せられております。さらに船員保險の遺族年金を現在支給されておるものは約一万五千名あるのでありますが、前者の一時金については、單に船員のみならず、軍人軍属といえども、当時何らかの名義による一時金が支給されておるはずであります。船員保險の遺族年金の点に至つては、これは社会保險被保險者として、長きにわたつてみずから零細な給料の中から保險料を醵出して、ようやくかち得た権利であり資格であつて、しかも現実に船員遺族が年金としてもらつておるものは、年額六千八百円であります。月額にして五百六十六円の少額にすぎない。このような社会保險の年金をもつているということを理由として、遺族援護法対象から除外して可なりという説が、もしあるといたしますならば、私は問題の性質が根本的に違うという点について、御再考を願いたいと思うのであります。  さらに私は、各位の御参考に資するために、戰時における船員活動の実情について、若干申し上げたいと存ずるのであります。船員の法律上の身分につきましては、昭和十七年の三月に国家総動員法による戰時海運管理令によりまして、船舶がすべて国家使用になり、これらの船舶に乗り組んでいる船員及び予備船員は、仰げて国家に徴用されたのであります。爾来戦局の進展と悪化に俘つていろいろな措置が講ぜられたのでありますが、その内容は、漸を追うて、回を重ねるに従つて、船員と国家の身分関係が的確に明確化されて来たという点であります。  ここでなお御説明申し上げておきたいと思いますのは、皆さんも先刻御了承であろうと思いますが、戰時における船舶の区別と申しますか、につきましては、陸軍関係の使用船舶はA船と称しております。海軍をB船、船舶運営会使用船舶をC船と称しておつたのでありますが、これらの船に乗り組んでいる船員の身分につきましては、A、B船には甲船員と乙船員とございます。C船員は一本でありますが、この陸海軍のA、B船舶における甲船員と申しますのは、船へたくさんの兵員が乗船したために、急な食事その他の雑務に必要な臨時船員であります。本来から申しますならば、これは普通の船員の範疇に入るべき人たちではないのでありますが、それらの臨時船員は、直接輸送司令部関係において雇用されたため、給與を軍から支給されておるところの船員であつたのでありますが、船とともに徴用されたその船に乗り組んでおつた本来の船員は、乙船員として扱われて来たのであります。しかしその従事する業務は、もちろん軍属といいましても、軍政場系統の軍属と軍令系統の作戰業務に従事する軍属と区別さるべきであると思いますが、船員の場合はA、B、C各船員を通して、すべて軍の作戦行動の任務に従事したのであつて、軍令系統の輸送作戦業務に従事したのであります。ただこれらの本来の、当然職業軍属として扱わるべき船員が、なぜしからば職業軍属として給與が軍から直接支払われなかつたかと申しますと、あのような混乱の時期において、事務の簡素化によつてこれを処理して行く必要上、船主に支払うべき用船料と、その船に乗り組んでいる船員を軍属として採用し、それに対して支給すべき給與を、合算して軍が船主に支払うという意味において、船舶使用料の中に、船員の給與も含まれて支払われておつたのであります。さらに、このほかに二割の御用船手当というものが、乗り組みの船員に対して軍の経理から直接支払われるという措置がとられておつたのでありますが、今回の援護法案において、この本来船員として扱うこと必ずしも妥当ならずと考えられる臨時船員、いわゆる陸軍の甲船員のみがその対象として考慮されて、以外の本来の船員のすべてが、その対象から除外されているというこの一点は、何といたしましても、事情を知る者にとつて、断じて容認できない一点であるのであります。  私がさらに申し上げたいのは、しからば、船員はどのような作戰業務に従事しておつたかということであります。これは戦争の初期において、あるいは戰争の末期において多少かわつてつてはおりますが、常時船員は航海中対潜、対空監視の任に当ると同時に、敵飛行機あるいは潜水艦の襲撃を受けるならば、直接戰闘に参加して戰つたのであります。さらに前線においてその乗船が撃沈された場合に、生き残つた船員は、近くの島にはい上つて、そこの軍とともに、身分不明確のままに作戦行動に従事し、戰闘に従事して、多くの戦死者を出しておるのであります。私は戰時において、ひとり船員のみが最大の犠牲を払つたと申し上げるのではないのでありますけれども、その実態において、船員は、A船、B船、C船の乗組たるとを問わず、すべてこれ軍人と同様の作戦任務に従事して来たという点、そうした船員の実情が、先ほど申し上げましたように、四割五分という最高率の戰没者を出す結果になつたのであります。  このような実情を考えて参りますとき、さらにA船B船の船員の配乗事務が、どのような形において行われておつたかと申しますと、A船B船、陸海軍の使用船舶に対しては、予備船員というものがなかつたのであります。従つて、もし陸海軍の船に船員の下船者ができた場合には、その補充は船舶運営会のC船員の労務給源から供給されておつたのであります。従つて、A船に乗つておつた船員が撃沈されて帰つて参りますと、それは船舶運営会のC船員として、船舶運営会の予備員に編入をされる。その場合に、海軍のB船に欠員ができれば、そのC船員である予備員は、ただちにB船の乗組として派遣される。このように一つの労務給源からA船B船C船の船員の配乗事務は行われておつたのであつて、一年の間に、短い期間の間に、A船に乗組み、あるいはB船に乗組み、C船に乗組むというようなことが、多くの船員には繰返されて来ておつたのであります。そういうような点から申しましても、ABC船の乗組を、單に形にとらわれて差別待遇をするというがごときは、私は実情を無視するこれよりはなはだしいものはないと思うのであります。このように考えて参りますと、私は船員の取扱いに関しては、当然今度の援護法に、もし軍人、軍属のみを限定して、その対象として考える場合を考えて見ましても、船員は軍属として扱われるべきものであるということを申し上げたいのであります。  しかし、最初に申し上げましたように、私は必ずしもこの法案において、たとえば私どもの主張する船員が軍属として取扱いを受ける結果になつたといたしましても、それをもつて国の名においてなされるところの援護法として完全であるということは思わないのでありますが、当面の措置として、暫定措置として、この一年限りのものとして処理される場合に、私は軍人軍属に限定されるとするならば、この場合、船員は当然軍属の範疇に入れらるべきものであるということを皆さんに申し上げたいのであります。  それから、具体的にいろいろ申し上げたいことはたくさんございますけれども、要約をいたしますと、ただいま申し上げたことに盡きるのでありますが、現実に私は、今ここに傍聴に見えております船員の——これは陸軍の乙船員であります。A船の乙船員の無線局長が、この通り、これは昭和十七年の十一月、まだ戰争の初期でありますが、戰争の初期において功五級の金鶏勲章並びに動六等單光旭日章及び五千四百円という金をやる、こういうものをもらつております。軍人以外の者に対して、このような、当時の軍の考え方から申しますれば、厚い論行功賞を船員の中に行われた者があるというこの一つの事実を通しても、船員が戰時において、いかに軍同様の困難な作戦業務に挺身して来たかということはわかるのでありまして、以上申し上げたことはきわめて簡単ではございますが、私は軍人と同様の危険と困難の中に作戰業務に従事した船員に対して、援護法によつて支給されるべき金額の多寡は別といたしましても、軍人と同様に扱われるべきであるという点について、各位の十分なる御理解をお願い申し上げたいと思うのであります。  その他の点につきましては、もし御質問がございましたならば、それによつてお答えを申し上げることにいたします。
  63. 大石武一

    大石委員長 御苦労さまでした。  この委員会は、本会議出席のため暫時休憩いたします。     午後二時二十五分休憩      ————◇—————     午後三時四十一分開議
  64. 大石武一

    大石委員長 休憩前に引続き公聴会を再開いたします。  引続き公述人の陳述をお聞きいたしたいと思います。藤田美榮さん。
  65. 藤田美榮

    ○藤田公述人 私は日本遺族厚生連盟常務理事並びに青森県遺族連合会理事をいたしております藤田美榮でございます。  いよいよ講和条約の発効も目睫に迫り、七年の長い間ほうり出されて顧みられなかつた遺族並びに傷痍者の問題が、政治的にも社会的にも大きく取上げられて参りましたことは、当然のこととは申しながら、たいへん喜ばしい次第でございます。しかしながら、待望のこの問題に関する基本方針を示す法案、すなわち戰傷病者、戦没者遺族援護法案のうち、遺族に関する部分をつぶさに拝見いたしまするに、国家補償精神に立脚して遺族援護すると申しながら、法案を貫く根本思想は、單なる援護にすぎません。すなわち根本的に不合理であることを、まず指摘せざるを得ないのでございます。遺族は、単なる援護対象ではございません。ポツダム勅令第六八号によつて押えられておつたけれど、もはや復帰すべき既得権利があるのです。当然主張すべき恩給法に基く扶助料受給の権利があるのです。政府はごの権利をさらに一年間停止を続けようとしておられる由であり、暫定的なそれにかわる援護措置であると称して、二百万以上の英霊とその遺族数百万に報いるには、あまりにも微々たる少額の予算のわくを設け、それを固持して讓らず、その中で数字的な割振りをしたにすぎない、まことに支離滅裂なこの法案に対しましては、まつたく何をか言わんやでございます。  遺族の窮状は、遺族でなければわかりません。一家の支柱を失い、さびしく苦しい心境、しかも敗戦と同時に、人情も道徳も地に落ち、冷酷きわまる社会にあつて、歯を食いしばり石にかじりついても、なきみたまの崇高なる精神を心として、強く正しく生き抜いて来た遺族です。その遺族のただ一筋の力、それは講和発効と同時に復活される私どもの既得権利でした。この権利復活に大きな期待と明るい希望を抱いて来て、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで来た遺族にとりまして、こうした貧弱な不合理な法案をもたらされたとき、遺族は、今日まで何のために苦労を続け、何のためにしんぼうして来たのであつたかと、絶望のどん底に陷れられたばかりでございます。やはり死んだ者はばかを見たのだということを、再認識させられたのでございます。平和日本建設の礎石となつ犠牲者に報ゆる国としての道は、これでよいのでしようか。現下のわが国の財政力のもとにおいては、精一ぱいのやむを得ない措置であると言つて片づけられて行くことを、許されるべきでありましようか。とうとい生命を喜んで祖国のためにささげた崇高きわまりなき英霊の犠牲を踏みにじるものであり、遺族の誇りを傷つけるものであるといわざるを得ません。遺族は、遂に日本政府にも完全に見捨てられたのでしようか、まことに悲しむべき、誤れる政治であるといわざるを得ません。血のにじむような苦しい生活にあえぐ未亡人、交なきつらさを骨身にしみて感じている将来ある遺兄たち、老い先短かい老人たちの憤りと悲嘆の苦しみから、何を思い、何を決意するでしようか。国としての当然の責任を果さずして、独立国のスタートを切ることのみに汲々とすることは、まことに危険であり、祖国再建のために深く憂えるものでございます。こうした法案は返上すべきであると、多くの遺族たちはいきまいておりますが、私どもの選んだ代表である議員諸公が、これをさらに研究修正いたしまして、国としての意のあるところを示したいと努力されておられる向きもあり、一方には、一日も早く遺族補償が実施されるようにと、一日千秋の思いで、のどから手が出るほどに待ち焦がれている遺族の方方も多いので、いささか意見を開陳させていただきます。  まず、遺族年金について1年金というからには、算定の根拠がなければなりません。しかし、妻一万円、子並びに父母五千円の線には、何ら根本的な基礎がないのです。前には、未亡人に対して月千六百円、長子六百円、次子以下四百円の年金支給を発表いたし、これに対して生活扶助をはるかに下まわる線であり、それさえ不足であると指摘したにもかかわらず、その後がらりと変更いたしまして、年額において子供二人の場合は、さらにその三分の二以下に限定して顧みないことは、何としても納得が行きません。この額については、まつたく論議外のもので、お話にならないと思います。またその範囲におきまして、本人の死亡当時、その者によつて生計を維持し、またその者と生計をともにしていたものに限定する必要はありません。さらに年金の性格からいいまして、父母六十歳以上の年齢制限はすべきではないと思います。  次に、遺族一時金については、その性格がはつきりいたしておりません。英霊に対する弔慰の意味であるのか、それとも六年間待たせておつたその償いであるのか、あるいはその他の理由でこれを交付するのであるのか、その性格が不明瞭でございます。英霊に対する弔慰の意味であるならば、弔慰金とすべきであり、それならば一柱ごとに弔慰を表すべきであつて配偶者及び直系尊属並びに卑属に限る必要はないのであります。もちろん子、孫に十八歳未満という年齢の制限もすべきではない。兄弟姉妹はもちろん、おじ、おばその他の縁者にも及ぼすべきであることは当然であり、そうした人々にまつられる英霊こそ、まことにお気の毒であり、安らかに眠らせるためにも、当然支給しなければならないのでございます。また、もしこの一時金の支給が六箇年の間何の手も打たなかつたおわびの意味であり、償いの意味であるならば、何も昭和十六年十二月八日以降ときめるべきではないのであります。いずれにしても、その性格をはつきりさせて、それに即応した対策を打ち立てていただきたいのであります。またその償還方法も、十年以内に償還するとだけあつて、その内容が不明瞭であり、聞くところによれば、特に生活に困窮する者に対しては、特例を認めるなどとお話は伺つておりますが、この点も、遺族には重大な関心事でございますから、明瞭にしていただきたいのでございます。  また年金及び一時金は課税の対象としないと明記してあります。それはもちろんですが、生活扶助の支給は収入とみなさないということも明記していただかねばなりません。また遺家族の子弟の育英を充実させるために、いささかかの予算をとられたようですが、この育英問題こそ、遺族問題の中でも重要な問題であり、将来の日本を背負つて立つべき一員として、遣兒も思想的にも人格的にも健やかに育成されなければならないのでございます。父が国の犠牲なつたために、子供の向学心を無規し、あたらまた社会犠牲者にならなければならないというようなことであつてはならないのでございまして、あくまでもこの育英問題を重要視し、法案の中にこれも取入れて、十分な措置をしていただきたいと思うのでございます。  またポツダム刺令第六八号の延長期間を、はつきり一年間と限定しでおりながら、暫定措置であるという年金の期限が述べられておりません。これもはつきり一年間と明記していただくべきであります。またこの法案に関しては、超党派的に相協調して進んでおられるように伺つておりましたが、新聞等によりますと、参議院の野党連合は、さらに修正案を出されるように拝見いたし、遺族は大いに期待いたしておりますけれども、この辺も政府與党のお話に危惧を感ぜざるを得ないのでございます。また政府恩給法特例審議会を設置して、旧軍人とその遺族に対する恩給につき、調査審議を行うと申されておりますが、いつからその審議会が持たれるのか。またせつかく審議会において妥当な線が発表されたとしても国の財政力の面でまたまた実施できないなどと弱音を吐くのではないか。また最近の行政機構改革案と称するものを、新聞などで拝見いたしますと、引揚援護庁が省内の一内局になるように報じております。そうでなくてさえ手遅れなこの援護問題が、ますます遅延緩慢になるのではないかなどと、非常に心配が大きいことを率直に申し上げたいのでございます。  また政令で定めるところにより都道府県知事は援護の事務を行うと示されておるのでありますが、この六年の間放置されておつた各遺族世帶の実情は、まことに複雑多岐な状態に置かれておりますので、各市町村末端まで、遺族相談所のような機関をぜひ設置されるようにこの法案に盛つていただきたいのであります。  以上、この法案に対しまして、是正」していただきたい数々を申し上げて、私の公述を終ります。
  66. 大石武一

    大石委員長 藤田さんはお帰りを急がれておりますので、特に藤田さんに限つて質疑がございましたら、お願いいたします。
  67. 堤ツルヨ

    ○堤委員 遺児の育英の問題につきましては、まつたく同感でございますが、未亡人の代表であるあなたは、もう少し遺児の育英に関して具体的な御意見を持つておいでになるのじやないかと思います。たとえば義務教育に対しては当然全額国庫負担であるべきだ、高等学校、大学に対してはいかにあるべぎかというような御意見がございましたら、御希望としてひとつ聞かせていただきたいと思います。
  68. 藤田美榮

    ○藤田公述人 堤先生には、いろいろといつも御心配をしていただいておりますが、私ども遺族連盟といたしましては、遺児の育英問題を大きく取上げ、再三再四陳情請願して参りました。その中には義務教育においては全額国庫負担にしていただきたい、高等学校以上の生徒に対しては、育英資金を貸し付けていただきたい、さらに今問題になつております軍人会館が払い下げられまして、東京に学ぶ遺見たちの収容施設にしていただきたいというような面でお願いしていることは、もう先生方十二分におわかりだと存じます。ひとつよろしくお願いいたします。
  69. 高橋等

    ○高橋(等)委員 ただいまのお話の中で、軍属の範囲については何もお触れにならなかつたように承ります。この軍属の範囲についての御意見を、一応承らせていただきたいと思います。
  70. 藤田美榮

    ○藤田公述人 軍属の範囲につきましては、この法案に示されておりますほかに、けさほどから問題になつております学徒であるとか、船員であるとか、そういう方々も、ぜひ考慮に入れていただかなければならない、そう思つております。
  71. 松谷天光光

    ○松谷委員 御説明の中で、年金の額に根拠がないというお話、これはもう多くの委員が同じような意見を持つているのではないかとも思いますが、それでは一体年金の御希望、最も妥当だとお考えになる額はどの程度だとお思いでございましようか。
  72. 藤田美榮

    ○藤田公述人 遺族連盟といたしまして、昨年以来再三再四陳情、請願をいたして参りました年金の線は、月額一世帶につき四千円の基本年金、さらに十八歳未満の子並びに六十歳以上の親に対しましては——その他不具疾病の者も含んでおりますが、千円の増額年金という線で運動して参りましたけれども、講和の発効ということを目の前に控えまして、当然私どもに與えられてあつた既得権利復活するという線になりまして、私どもは暫定措置としてその線を主張して参つたわけでございます。
  73. 松谷天光光

    ○松谷委員 なおもう少し詳しくお尋ねしておきたいのは、先ほど相談所の件についてお話がございました。これは私ごとにお母さん方にとつてこの相談所の問題が今後相当大きなよりどころとなり、またいろいろな問題の解決に向つて行くところではないかと思うのでございますが、これについて、何かもう少し具体的なお考えをお持ちでございましたら、伺わせていただきたいと思います。
  74. 藤田美榮

    ○藤田公述人 この問題は、自由党といたしましても、いろいろ私どものために、かくあるべきだという法案の原稿をおつくりのように、私たちつておりますが、その中にも、たしか御心配をいただいておりますし、私どもも九原則という原則を掲げまして、今日まで皆さんにお願いいたして参りました中に、終戰直後に遺族問題が取上げられるのであれば、こうした心配もあまりない、しかしそれでさえも、家庭的にも扶助料その他を囲んでいろいろな問題が起つておつたということは、すでに先生方御承知の通りでございますのに、さらに六箇年間放置されていた。食べられないためにむりやりに再婚しなければならなかつた者もあり、あるいは子供まで籍を入れざるを得なかつた者もあり、今また離婚すれば権利復活するかというような問題で、遺族会自体といたしましても、その相談だけでも手に負えないような状態にあるのでございます。この法案が実施されるにあたつては、当然はつきりした政府機関一つとして各市町村に相談所を設け、よく事情を見通して、りつぱに相談に乗つてくださるような相談員を配置していただかなければ、まことにこんとんたる状態遺族が置かれているということを率直に申し上げまして、ぜひ民生委員にまかせるようなことのないように、特別の御考慮を願わなければいけない、そういう意味でお願いいたしたのでございます。
  75. 松谷天光光

    ○松谷委員 ただいまのお話と同じでございますが、遺族の問題に関する独立した相談所というふうに了解してよろしゆうございましようか。
  76. 藤田美榮

    ○藤田公述人 そのようにお考えいただきたいと思います。
  77. 苅田アサノ

    ○苅田委員 遺族の代表として、非常に当然な御要求と伺つておつたわけでありますが、なおはつきり伺つておきたいと思いますことは、先ほどからの御主張の中に、単なる遺族に対する援護の代償ではなくて、当然国としての義務がある。これは、つまり恩給というふうなことを考えてお話になつたのですが、この内容につきまして、ちよつと私お聞きしたいのです。と申しますのは、昨日の恩給関係の方のお話を伺いましても、また委員会におきまする恩給局長等のお話を聞きましても、従来の恩給を考えておいでになります方のお考えは、やはり在職年限とか退職当時の給料とかいうものが標準になりまして、一応階級別の支給ということが常識的に考えられておりますが、現在の遺族の方たちの大半は、私はやはり一兵卒の方が多いと思うのでございます。この会の代表として、あなたのおつしやいます恩給というふうなことは、やはりそういうふうな階級別のある恩給のことを言つておいでになりますか、それともこの点につきまして、もつと十分に考えて、実情に即して、なるべくは平等にそういう恩典にあずかれるというようなあなたのお考えでございますが、この点をさらに明らかにしておきたいと思うのです。
  78. 藤田美榮

    ○藤田公述人 たいへん大きな重要な問題でございます。私どもは、いずれ恩給法特別審議会によりまして、この問題は遺族のみではなく、国民全体に十二分に考えていただたいて、文官恩給というものともにらみ合せ、その他各方面から検討しなければいけない問題ではございますが、少くとも兵から大将までという階級別そのままが復活されるということは、今日の社会情勢にはそぐわないということを考えており、兵の場合は、生活ができないくらいの封建的な時代の遺物でございますから、当然引き上げられるべきである。その上の段階がどうなるかということは、簡単には申し上げかねると思いますし、先生方のいろいろな御指導をいただきまして、最も妥当な線を研究しなければいけないと考えておるわけでございます。
  79. 堤ツルヨ

    ○堤委員 先ほどの松谷委員の質問に関連して、もう一つつておきたいのは、ただいま福祉事務所というものがございます。遺族の紛争処理相談の機関として、福祉事務所をどういうふうにお考えになりますか。
  80. 藤田美榮

    ○藤田公述人 福祉事務所は、大体今までの各市役所その他の厚生課というようなものから離れて独立した形になつておりますが、単なる福祉事務所——單なると言つては失礼ですが、今までの福祉事務所の対象として取扱うべき問題とは違う。これは母子福祉、そうした面のみではなく、遺族のあらゆる面を考慮しなければいけないということで、ぜひ独立させていただきたいということを考えております。
  81. 大石武一

    大石委員長 他に御質疑もないようであります。ありがとうございました。  次に上田一郎君。
  82. 上田一郎

    ○上田公述人 私は三重県四日市の遺族会の副会長をいたしております。職業は司法書士、行政書士、土地家屋調査士という法律制度の運用と、国民生活に直接結びつきのあるものの仲立ち役をさせていただいております。私も遺族の一人でございます。多くの方々からるる申し述べていただきましたので、なおその上に言葉をつけ加える必要はなさそうにも考えられますが、私は観点を異にいたしまして、最も実行可能なる方法において、このたび示されたところの法案を御修正願いたい。このことを一、二の方面からお願いを申し上げたいと存ずるものでございます。  まず第一番に、どなたもがおつしやつたようでありますが、この法律案が戰傷病者戰没者遺族援護法案とありますのを改めて、補償法案としていただきたいのであります。なぜならば、戰傷病者並びに戰没者というものは、自分の考えでもつて自由にあの戰争に従事したのではないのであります。当時大日本帝国憲法第二十條に規定されました兵役の義務に基いて、兵役法の規定に従いまして、召集令状をもらつて国の要求に従つて、みずからもまた国民の義務として法令の定むるところによつてこの戦争に従事し、その途上におきまして、また自分の自由意思によらずして戰傷病を得、あるいは戦死を遂げたのでございます。そのようなところへ持つて行かせた国は、当然これを補償すべき責任があるからでございます。しかるに、ただいまの日本国の実情のもとにおきましては、十分な補償を行うことができない。これは国民の一人といたしまして、私どもかねがねよく存じておるところでございます。そういう苦しい中から、ほんとうの補償のできないのに先だつて援護してやろうなどというお考えのもとに、このことをお考えいただいたというその発足点において誤りがあつたと、私は遺憾に思うのでございます。国はまず補償をしてなお余力あるときに、あちらこちらをながめてみて、援護を加えなければならない者に特別の援護を與えてやつていただくのが当然である。ことにさいぜんからいろいろの方々からのお話、また諸先生のお話などの中にもございましたように、これはあくまで本年のただ暫定的のものとして、明年は断然新たなものを考えなければならぬというようなところへ、およそ考えが一致しつつあるように思われまするので、もし暫定的なものであるならば、なおさらにこれに援護などというような考えを交えることなく、まず補償の第一歩を前進するんだというような気持でもつてこの問題を取扱つていただきますると、次に申し述べたいと思います私の気持が、よく御了承をいただけると存じます。  次に、私がお願い申し上げたいのは、遺族に対する支給金は、いかなる理由のもとにおきましても、何らの差別があつてはならないということを、私は考えておるものでございます。なぜならば、あの若者たちが国の要求に従つて戦争に従事いたしますときにちようだいいたしましたあの小さな赤い召集令状は、これは親がある人でもない人でも、妻のある人もない人も、子供のたくさんある人も少ししかない人も、貧乏な子も金持の坊ちやんも、名誉ある人もそうでない人も、何らの差別を施すことなく、きわめて平等にあの紙が一枚ずつ配られて、あの紙によつて国の命に従つてつたのであります。そして、さらに戦死をいたしまするあの当日のできことは、家庭の事情を考え合せて戦死をいたした者は一人もございません、みな生きて帰るべしであつたのであります。戦争で十分に働いて、なお戰争が終つた後は生きて帰つて国のために盡そうという、将来有望な青年たちでございましたから、だれ一人としてあのときあそこで、おれは死にたくてどうもならぬと言つて死んで行つた人は一人もないはずです。考兵も新兵も、将校も兵卒も、あの日あのときの現地の実情に従いまして、きわめて均一に死んで行つたのであります。召集されてから死に至りますまでの道程が、かくのごとくまつたく無差別平等に行われたことに対しまして、これに対する対策が考えられるときには、やれ未亡人に対してはどうか、六十歳以上の親にはどうか、十八歳以下の子供にはどうかなどという、さまざまな差別的な考えが加えちれるということが、実に奇怪千万と私は思うのであります。そこで、ことにこれが本来の暫定的なものとして取扱われなければならないことであるならば、なおさら平等に、何らの差別あることなく、一人の兵隊が死んだのであるから、あの一人の兵隊分を補う、そのうちの一部分の仕事をするのだ、このお考えのもとにこれを考えていただきますなら、わずかばかりのお金を出しながら、これででこぼこをこしらえて、一部の人はわずかに喜ぶかわりに、また一部の人は大きな不平不満をはらむがごとき対策は、賢明な策とは考えられないのでございます。  私どもは、かつて数年前から、この遺族年金というものをお考えいただいております諸先生に対しまして、ただいまお見えになりませんが、高橋等先生とは、私両三回一問一答をお願いいたしました。そのとき、私どもがあくまでお願いいたしたいと存じておりましたことは、遺族が年金をちようだいいたしますならば、事件発生のときから兵隊一人分を、支給される者の資格のある間やつていただきたいと願つたのであります。私がごう申し上げますと、その当時、三重県のやつは非常に欲の深いことを言うと取扱われました。私はちつとも欲の深いことを申しておらぬ、額を論じていないのであります。ところが、私のこの話をお聞取りいただきますお方々は、あらかじめ一年に三万円とか五万円とかいう一つの目安をお持ちになつていらつしやる。そこで私が申し上げる数年間さかのぼつてつてくださいという、数年倍していただきますと、これが厖大な数字となりますので、あたかも私の申し分が、欲の深い申し分であるかのごとくに取扱われるのであります。これは遺族会の内部においても、そのようなことを言つて私を攻撃した人もございました。けれども、私どもは断じて常に額を論じてお願いを申し上げていないのであります。遺族に対してはこういう方法をもつて補償をするという、まず軌道を敷設することによりまして、その上に走らせる汽車のことはあとに考えていただきたい。まずレールを敷いてくださいということを、私どもは常に論じ来つたのでございます。この示されました法案は、多くの方々によつて論ぜられましたが、あたかもレールの完備していない上へいかなる汽車を走らせようかと、そのことばかりが考えられておるかのごとくに思いますので、このようなことでは逸線転覆をいたしまして、せつかく盡力をし、汗をかいて国民のためと思つて骨を折つていただきながら、あにはからんや、恐るべき逆効果を来す憂いがございますので、根本的にさかのぼつて、すべてのできごとが均一の、無差別平等のできごとであるから、その遺族に家族の数がたくさんあろうがあるまいが、年が寄つていようが若かろうが、そんなことにはとんちやくなく、一人の兵隊の死んだ分を補償してやつていただく、この建前においてお考えをいただきますならば、きわめて簡単でありまして、一番実行可能な方法と私は思うのであります。  しかしながら、国民生活はきわめて千差万別でございます。一つ一つ深く考えてこれに適応するがごとき対策を考えようといたしますならば、これはまことに困難でございまして、国民の全部がお役人にならなければ、これらの処理をすることはできません。ありがたいことに、日本国におきましては、貧乏人を助けてやることのためには、すでに生活保護法というものがちやんと設けられておる、お金持衆からは遠慮会釈なく税金をちようだいする諸税法が設けられておるのであります。また児童福祉法あるいは身体障害者福祉法とか——どもはそういう法律ができますときに、これはどうも足元の穴を捨ておいて、穴の向うの政策ばつかりをお考えになるなと思つたことでございましたが、それでもけつこうでございます。そういう社会福祉的なる制度がすでに設けられておるのでありますから、貧乏な人にはそれでもつて助けてやつていただき、お金持衆からはそれによつて税金をとつてつていただく。ただ遺族対策といたしましては、一人の兵隊が死んだのであるから、一人分を補償する、きわめて単純率直に行つていただくことができますならば、まことに仕合せに思うのであります。  実は六十歳を境とし親のことが論ぜられておりますが、今年あたりまだ六十歳にならないような親の子供が七、八年前に戦死をいたします年齢を考えてみますと、これはおよそ長男か次男でなければ、そういう者はないのであります。そうしてまだ今年六十にならないような親で、十八歳未満の子供が三人も四人もある人はたくさんあります。幸い私どもには一人もございませんが、そういうような小さな子供がまだ沢山ありながら、どうやらこうやら上の方の者が親の手助けをしてくれるわいと思うやいなや、とたんに長男、次男を切り倒されてしまつたのでは、この若い親は困るのであります。年寄りと申しますと、だんだんございまして、切りがございませんが、尾崎先生のような九十幾つというような人もある、六十一歳の人もありますけれども、年の行つた親御さんであればあるほど、それらの人の長男、次男はとつくに成人して、もはや家業の中心をなしておる。その人の子供に、未成年の子供なんというものはもはやございません、楽隠居の身分である人も数多くあるはずであります。そのように千差万別の家庭の事情があるのでありますから、一番単純なところへ持つてつて、兵隊一人分を補償するという建前において、本年はそのようにお考えをいただき、なお、さらに賢明な方法かあるならば、一年間ゆつくり考えていただいて、いろいろ御相談をちようだいいたしまして、さらに理想的なる方法をお立ていただきますことが願わしゆう存ずる次第でございます。  主権在民と申しまして、もつたいなくもわれわれのようなとるに足らざる民までに、主権の一部を担当させていただいております。この主権在民の唯一最高の機関である国会の諸先生方は、ことにこの厚生常任委員会の諸先生方を中心といたしまして、これらの問題に関する限り、超党派的に大同団結して、一本調子でこのことをおとりきめいただきまして、うかひとつこのたび日本国再建の人柱となつて倒れたさらに将来望みのあつたところの若者たちの多くの英霊を慰める心持におきまして、それによつて明日のりつばな日本国ができますように御協力を賜わりますならば、仕合せこれに過ぐるものはないと思うのであります。  今年十月から、警察予備隊が防衛隊に切りかえられるというようなうわさを聞いております。これはよく聞くところによれば、軍備ではないなどということを、しきりにおつしやられておるようでありますが、軍備には人数に制限はないと私は思います。一人でも軍備ならば軍備だと思う。が、軍備でなくてもけつこうであります。事実は日本人の手に武器を持つて日本国を守るのであります。このことが今や行われようとするときに、最も重大な問題は、この遺族問題の解決方法であります。警察予備隊の隊員諸君は、必ず興味ある眼をもつて、今や行われようとするこの遺族対策の成行を見詰めておることであろうと思います。給料をもらわずに、国民の義務として行つた兵隊の跡始末が、ああいうことであつてみれば、日ごろ給料をもらつているおれたちの跡始末は、乏しいものになりはせぬかと、えらく心配させるようなことでは、明日の日本の防衛力まことに憂うるに値すると思うのでありまして、いろいろの観点から釈迦に説法を申し上げまして、はなはだ恐縮の至りでありましたが、国の明日を憂うる国民の一人としての言葉とお受取りいただくならば仕合せであります。  私は長男、次男二人の若者の命を、国再建の人柱に提供いたしておりまして、日本再建事業の大資本家だと存じておりますが、大資本家が、その経営いたします事業の盛衰に関して大きな心配を持つということは当然でございますので、皆様方とともに大きな御協力をちようだいしたいと考えまして、御無礼いたした次第であります。よろしくお願い申し上げます。
  83. 大石武一

    大石委員長 原田好吉君。
  84. 原田好吉

    ○原田公述人 私は熊本県の原田好吉であります。現在農業をやつておりますが、地元の遺族後援会長でありますし、また自由党公認といたしまして、県段階の農業委員をやつております。しかしてまたその訴願の特別委員長でありました関係で、県内三百五箇町村をつぶさにまわつておりますが、土地改革が行われましてから、遺家族の生活がどんなふうに変化しておるかということを私はつぶさに見たのであります。  御承知のごとく、あの法案は、所有者自体がおらなければ、その所有権が認められません。しかして、私は県の協議会の副会長でありますし、全国協議会の常任理事でありました関係で、国家権力によつてとられた方々の土地は、何とか特別な措置がとられないかということを、国家並びに政府及びGHQに御相談申し上げたのでありますが、その努力はむだに帰したのでございます。従つて農村における一家の支柱である主人が奪われ、また一家の主人が手や足を奪われて帰りましたと同様に、土地そのものも奪われております。従つて生活の状況が非常に変転いたしておるのでございます。かような立場に立ちまして、私がこの法案をながめますときに、先ほどからお話がありました通り、先生方が国民の代表として、すべからく国民が困らないようにという御観点からお組みになつた案だとは承知いたしておりますし、しかして骨格案といたしますならば、私はそれでもさしつかえないが、これについての肉づけを少し御考慮いただきたい。言いますならば、少し大幅な修正と、それに伴う予算の修正をお願い申し上げたいという感じを持つものであります。  しからば、どういう観点からそれを考えておるかということでございます。パスカルをかりますと、人は考えるあしであるという言葉がございます。この法案を逐條的に申し上げることは、時間を要しますので申し上げませんけれども、一時金の五万円の支給が応急措置であることは、国家財政の現状からながめて、やむを得ないと感ずるのでありますが、先ほどお述べになつ遺族方々は、十万円の線を持つておいでになるように聞いております。英霊は、御承知のようにとうとい人命でありますから、金銭で比較することは差控えなければなりませんが、現在の状態からいたしまして、五万円の線というのがどこから出て来たかということを感ずるであります。おそらく、予算がこれだけしかないから、その人員で割つてみて五万円くらいだという線から出ているのではないかと考えるのでありますが、現在の公務員が公務のために倒れた場合のものは、相当の額に上つているようであります。かるがゆえに、この五万円をいま少しく増額していただきたいという考えを持つております。  なおここで申し上げたいことは、農地証券が出ましたときに、証券ブローカーが出まして、農村はこのブローカーが非常に暗躍したのであります。かるがゆえに、これは記名された証券だということを聞いておりますが、この証券にかようなことのないように、何とか法制化していただきたいと思つておるものであります。  それから、新聞で伺いますと、参議院の緑風会の方で、議員総会をなさいまして、遺家族援護対策について、政府原案のわくを少し広げてくれたようなお話を伺つておるのでございます。私は、国家権力によつて徴用された者、すなわちその内容は、満洲国開拓青年義勇隊、学徒報国隊、警防団員、国民勤労報国隊、これらは明らかに戦時勤務に従事して死亡されたものと考えるのであります。従つて、これらの遺族に対して、その額は問いませんが、弔慰金として一時金の公債を支給していただきたいと考えるものであります。  なおこの法案は、戰傷病者戰没者遺族援護法案となつておると思いますが、静かに七年前を回顧してみますと、当時大政翼賛の名のもとに、国をあげての総力戰であり、国民みなが戦争に従事していたことは、先生方も同様御異存はないものと考えます。特に終戦近くになるに従つて、国土は間違いなく職場であつたはずであります。これにも御異存はないと思うのであります。国民すべてが、好むと好まざるとにかかわらず、この戦争に参加せられていたことは、明白な事実であります。従つて国家総力によつての戰争でありますから、私はいま少しくわくを広げて、空襲その他によつて戦争のために倒れた者は、その場所のいかんを問わず、これは明らかに私は戦死であり、戦傷であると名づけるのであります。それで国家財政の許す範囲内において、これらの一柱に対する、金額の多寡は私は申し上げませんが、すべてを包含して、同様の取扱いをすべきものだと、かように考えるのであります。  私は、一例をあげてみまするならば、私のところに大きな戦時型の造船所がございましたが、そこの御主人が、空襲によつて倒れております。現在非常なみじめな生活をやつておりますが、この人の意見を聞いてみると、私たちの主人も、確かにここに強制的にとられて、しかして銃撃のためになくなつておる。またう私の町に県立の高女がございますが、この生徒は川棚の工場に動員されて、間もなく空襲のために倒れております。かような人を、先ほど申し上げましたように、その金額のいかんを問わず、私はこれらすべてを含んでこの取扱いをすべきものだと、かように考えるのであります。  われわれは、八千万同胞がお互いに助け合い助け合つて、同胞の真の霊をこのとき慰めなければならないと思います。しからば、その霊は、必ずや祖国再建の礎となつて、この日本の建設の上に大きなるものになると、かように考えるのでございます。この件については今申し上げた通りでございます。  それから、列車の中あるいは町で、傷痍軍人——やはりこの方も、国家権力のために生れもつかない不具廃疾の身になられた方でありますが、列車の中で募金をやつておられます現状を見て、国民として非常に考えさせられるものでございます。ゆえに、かように街頭で、あるいは列車中で募金をなさらなければならないのか、かように考えるのであります。従つて、要は、食えない者の真の声を、食えない者のほんとうの声を聞いてみる必要性があるのではないかと、かように考えるのでございます。  それから、慰霊祭のことでありますが、この慰霊祭の件を、何とか法文化していただきたい、法制化していただきたい。私どもは、国家公務のために倒れた方であるからして、これは明らかに国家あるいは行政官庁が主催をいたしまして、盛大なるところの招魂祭をすべきものだという観点を持つておるものでございます。今までの実態はどうであつたかと言いますと、遺族方々が主催をして、自分の子供やあるいは夫の霊を慰めておつたのであります。本年になりまして、私の郡あたりは、遺族後援会が主催をいたしまして、この招魂祭を盛大にやろうということに話がきまつたのであります。お話を承りますと、平均一箇町村一万円ぐらいは出そうというお考えのようでありますけれども、少くとも私は一箇町村十万円ぐらいの金を出していただきまして、この七年間いかに連合軍の覚書によつてやむを得なかつたとはいいますものの、われわれ国民は、この際こそみな一緒になつて、この空白時代をつつしんで英霊にわびなくてはならない、かように考えるのであります。  これは別になりますが、御承知の通り、熊本県は靖国神社の団体参拝をいたしたのでありますが、三月の十四日鹿本郡米田村の角田すえさんという方が、靖国に参りまして非常に大きな衝撃を受けまして、靖国会館において自殺いたしました。この方の実情を聞いてみますと、決して生活に困つておつた人ではありません。これは精神的に大きな衝撃を受けた方であります。遺骨が帰つて来たが、中を開いてみると、自分のいとしい子供の遺骨が入つてなくて、何にも入つていなかつた。こういう国家の取扱いに対する明らかに反抗の死であつたと、私はかように考えるのであります。  要は待望日本再建の輝かしい曙光が見えたことは、われわれ日本国民としてひとしく喜びにたえないところであります。しかるに、麟つて終戦時の過去と現在をながむるとき、いまだに悲しむべき運命にとざされ、不安と焦慮の明け暮れを送つている人々があります。これすなわち戦争によつて生じた遺家族であります。国民として、しみじみ同情せずにはおられないのであります。これらの戦争犠牲者の姿を見るに忍びず、何とかしてこれらの方々を心からお慰めできる援護の手を差延べることは、八千万国民の当然の義務であり、道義的な責任であると痛切に感ぜられます。西ドイツにおいては、戦後国民の協力によつて、至れり盡せりの援護対策が講ぜられておると聞いております。わが国におきましても、十分の対策はできないが、この際何とかして皆を助けてやろという、われわれ国民の代表である先生方の晝夜の御辛苦に対して、私は深甚の敬意を表するものであります。  以上をもちまして私の言わんとするところを終らせていただきます。
  85. 大石武一

    大石委員長 御苦労さんでした。  以上の公述方々に対して御質疑はございませんか。
  86. 堤ツルヨ

    ○堤委員 上田さんにちよつとお尋ねいたします。あなたの御意見で、一律になくなつた人に対して一手を打てという御意見でございますが、しかし、それをやつても、どうしても社会保障の面から捨てておけないという人たちがあるはずなんです。それ人に対しては、あなたは生活保護法によつて救えというふうにおつしやいましたか、どうでございましたか。
  87. 上田一郎

    ○上田公述人 御説の通り発言をいたしました。均一にやつていただいて、なお足らざるものにはすでに生活保護法というものができておるのであるから、これを発動してやつていただく、金のある人からは諸税法によつて遠慮なく金を取上げてやつていただく、こういうことで申し上げたのであります。
  88. 堤ツルヨ

    ○堤委員 もう一つお尋ねしておきますが、あなたがお使いになつた「ほしよう」という言葉は、補い償う方の補償ですか。
  89. 上田一郎

    ○上田公述人 そうです。
  90. 松谷天光光

    ○松谷委員 ただいまの上田さんの御説の、平等に與えよという内容は、弔慰金というふうに解釈してよろしゆうございますか。
  91. 上田一郎

    ○上田公述人 弔慰金と申しますか、その名前について、私適当な具体案を持つておりませんが、とにかくにも、国はあの一枚の借用証書によつて一人の人間の命を借りたのであるから、これを補い償わなければならないというのが建前でございまして、そのようにしていただきたいと思うのであります。弔慰金と申しますか、それはひとつ専門家のお方々において、適当な名前をお考えいただきたいと存じます。
  92. 堤ツルヨ

    ○堤委員 それから、もう一つお尋ねしたいのは、軍属をどういうふうにお考えになりますか。ちよつとあなたの御意見をお伺いしたい。
  93. 上田一郎

    ○上田公述人 それらのことに関しましては、すでに多くの方々から論じ盡され、皆様方からの御質問にも答えられておるのと、私も同感でございまして、一言添えさせていただきますなら、私乏しきやからの分際をもちまして、昨年の春、戦争犠牲補償法案というものを、柄にもなく考えてみたことがございました。どうもしろうとの悲しさで、上手なものができませんので、これを諸先生方の方へ請願の手続をいたすまでに参つておりませんが、そのときに、私が法律の目的として掲げましたものは、国の要求する戦争に従事し、または外国の攻撃を受けたために犠牲を払つた者に対して補償するということを書いたのでございまして、私の根本的な考えはそこにございます。軍人軍属といわず、戦災で死んだ人も、勤労学徒の分も、ことごとくを含めて、少くとも戦争によつて被害を受けた者には、同様に補償をしてやつていただきたい、こう考えおります。
  94. 堤ツルヨ

    ○堤委員 大体それはわかりました。そこで先ほど警察予備隊と関連して、遺家族の補償を論じられたのでありますが、私たちは議会で論じられる遺家族補償の問題が、警察予備隊を安心させるために、また再軍備の前提として、われわれがこういうものを論じおるということを、一般国民の間に、そういう解釈をされることは、まつぴらごめんで、もちろんこれはそうあつてはならないのであります。その点、あなたのおつしやつた話はわかりますけれども、警察予備隊だとか、今後の日本の国際に処する外交政策に伴うところの防衛隊の強化、そういうものに関連して論ずるということは、私ははなはだ英霊を自演するものではないかというふうに考えますが、どうかその点ひとつ……。
  95. 上田一郎

    ○上田公述人 まことにその通りでございまして、私も再軍備の前提としてこの遺族問題が論ぜられることを、悲しく思う者の一人であります。しかし、その方面から考えてみても、あまりつまらぬ処置はできないではないかと、反面から心配をいたしておるということを、御了承願いたいのであります。
  96. 苅田アサノ

    ○苅田委員 私は、陰山公述人に対しまして質問いたしたいと思います。軍に協力いたしまして、重大な輸送の任務を負われて、しかも軍以上に被害の多かつた海員の人たちが、今回のこの援護対象から漏れていることの不合理は、お話を聞けば聞くほど、私どもは痛感するわけなんでありますが、今回の法律の建前といたしまして、政府から給料を支給されなかつた人は入れないという建前があるわけですが、私はこの点をお聞きしたいのです。つまり船舶運営会というものの成立ちが、これは政府企業ではないにしても、一般の民間企業ではないというふうに考えるのでありますが、こういう点につきまして、もう少し公述人の御意向をはつきりしてくだされば、なおよろしいんじやないかと思いますので、その点お伺いいたします。
  97. 陰山壽

    ○陰山公述人 お話のように船舶運営会は、民間の企業体ではないのでありまして、総動員法に基く戦時海運管理令によつて設立された特殊法人であります。従つて、この特殊法人を設立した目的は、原則として、たしか百トンであつたと思いますが、百トン以上の船舶を国家が使用する、そしてその船に乗り組む船員及び予備船員は、国家が徴用をして、その国家の使用する船舶と国家の徴用した船員をもつて逓信大臣の指定する業務を遂行させるための機関として、この特殊法人である船舶運営会というものが設立されたわけであります。従つて、この国家によつて徴用され、逓信大臣の指定する業務を遂行する船舶運営会の所属船舶の乗組み船員として働いて参りましたので、私は直接政府から給與支給されてはいないけれども、それに準ずる性格のものであると、かように考えております。  さらに、戦争の中途におきまして昭和十九年の九月に、船員の身分確定に関する件というのが、閣議において決定されているわけでありますが、この内容は、国家の使用船舶に配乗する船員——これは予備員も含みますが、待遇官吏に任命するという目的をもつて、船員待遇職員令というのが公布されているわけであります。従つて、爾来船員の身分は、待遇官吏として扱われて来ている。そういう点を、特に私は関心を持つて考えていただきたい、かように考えます。
  98. 苅田アサノ

    ○苅田委員 今お話になりました船員待遇職員令で該当されておつた方でありましても、死亡の際、今日遺族対象からのけられておる、こういう実情でありますか、その点もあわせてお聞きしたいと思います。
  99. 陰山壽

    ○陰山公述人 御質問のように、のけられております。先ほどの公述の際に申し上げましたように、今度の対象になつておりますのは、陸軍と海軍のA船とB船に、甲船員と乙船員とあるというふうに申し上げましたが、海軍の方の甲船員は、船員保険法の適用を受けて、遺族年金あるいは一時金をもらつたわけであります。ところが、陸軍の方の甲船員に限つて、これは先ほど申し上げましたように、ほんとうの臨時的な船員でありますが、これは直接戦時中の、いわゆる鵬部隊等で地方の散髪屋さんとか、あるいは飲食店に働いておつた人などを徴用し、直接そこで給與支給するという建前をとつておつたわけでありますが、これらの船員だけが、今度の対象になつておるのであります。
  100. 松谷天光光

    ○松谷委員 陰山さんに、ただいまの問題に関連してお尋ねしたいのですが、先ほど数をお示しくださいました五万五千人、これは全員が先ほど御説明くださいました乙船員というふうに考えてよろしいのでございましようか。
  101. 陰山壽

    ○陰山公述人 戦没船員の数は、確実な数を申し上げることができないのでありますが、運輸省で調査をいたしました数字と、復員局で調査をいたしました数字とに、相当な開きがあるわけでございます。船舶運営会所属応徴船員の死亡者数は、十七、十八、十九、二十年と、この四箇年間に二万八千三百五十九名となつております。それから復員局の調べによる死七船員数は、陸軍の甲船員が一万三千名、乙船員が一万六千五百名、計二万九千五百名、海軍の甲船員が四千二百名、乙船員が七千三百名、計一万一千五百名であります。陸海軍の甲、乙船員の合計が四万一千名、こういうことになつております。従つて、船舶運営会の所属応徴船員の二万八千三百五十九名と、この四万一千名を合計いたしますと、六万九千何がしになるわけでありますが、このうち船舶運営会の調べと、復員局の調べのうちの乙の船員とは、相当数が重複していると認められるので、実数は大体五万数千と推定される。こういうことであります。
  102. 苅田アサノ

    ○苅田委員 そういたしますと、この法案に漏れ、なお対象としなければならないと考えますものが、大体五万数千名と考えてよろしゆうございますか。
  103. 陰山壽

    ○陰山公述人 その通りであります。
  104. 苅田アサノ

    ○苅田委員 さつき御質問することを落しておりましたのですが、公述の中に、一万五千人が死亡に際して一時金をもらつたという御陳述がありましたのですが、この一時金はどこから出ましたかということが一つと、それからその金額はどのくらいのものであつたかということが第二、それからなお御陳述の中にありました、功何級金鵄勲章というので、一時金の五千円と、それから何千円を渡すとかいう賞状をもらつておるとしうことでありますが、聞くところによりますと、そういう金は全部おりていないという話も聞きますのですが、そういう事情もあわせまして御説明願いたいと思うのです。
  105. 陰山壽

    ○陰山公述人 一時金をもらつている者が約一万七千名ということになつておりますが、内容的に申し上げますと、AB船、陸海軍関係の船舶乗組船員は、死亡特別資金というのをもらつております。それからC船、船舶運営会関係の応徴船員の一時金は、応徴船員一時金支給規則というのに基いて支給されております。これはその階級あるいは基本給與の額等によつて相違がございますが、大体平均千二百円程度のように承知しております。
  106. 苅田アサノ

    ○苅田委員 そうしますと、最初の死亡特別資金というのは軍から出て、あとのものは船舶運営会から出ているわけなんですか。
  107. 陰山壽

    ○陰山公述人 死亡特別資金というのは、これは私その出どころをよく承知しておりませんが、多分船員保険の関係であろうと思います。それからC船の応徴船員一時金支給規則というのは、これは運輸省からもらつております。しかし、これは一万七千名程度もらつているということになつておりますが、実情は、もらうべき資格の者が、たとえば前線においてなくなつたけれども、死んだという公報がなかなか来ない、一年あるいは二年もたつてからその公報が来て、そしてそれを所属会社に申し出て、所属会社から運輸、大臣に申請をするような手続によつてもらわれているので、現在なお、今でもぼつぼつもらつている人があるように承知しております。従つて一万七千名の全部すでにもらつて済んでいるかどのかという点については、必ずしも済んでいない、なお相当数のもらうべき資格の者がもらつていない事実がある。このように考えます。
  108. 苅田アサノ

    ○苅田委員 第三番目にお聞きしました恩賞についてのお金のことなんてすが、特功賞とかなんとかいう感状と一緒にお金もいただけるような感状ももらつておるけれども、実際は紙きれだけで、お金はもらつていないというような個々人の訴えを私は聞いておるのですが、その実情はいかがでありましようか。
  109. 陰山壽

    ○陰山公述人 その通りであります。公債などをもらつて、それをすぐ売つて——もらつた人でも処分をしてないために、そのうちにその公債は無効になつたというようなこともありまして、実際にその金が金として使用される形において多くの人たちがむらつていない、こういう実情であります。
  110. 堤ツルヨ

    ○堤委員 最後に、原田さんに一つお聞きしておきたいのですが、あなたの御主張は、遺族並びに傷痍軍人の農地の問題ですが、これはやはりそのうちに一部をうたえとおつしやるのですか、あなたの御意見は。
  111. 原田好吉

    ○原田公述人 いや、そうではございません。大体私の申し上げんとするところは、遺族の方が、みんなあるいはつえとも柱とも頼んでいた夫とかわが子を失つて生活の元気を失つているという事実を申し上げたつもりであります。
  112. 堤ツルヨ

    ○堤委員 それから、ひとつお聞きしておきたいのは、他の方からは、これは非常に不備で、不満足なものであるから、従つて一年限りのものにして、来年はよりよいものをこしらえろという御意見があるようでありますが、あなたにはその御意見がなかつたので、この点この法案に対して、どのようにお考えでありますか。
  113. 原田好吉

    ○原田公述人 実はいろいろ私たちの聞いておりますところでは、財政面において非常な降路がある、かようなことに聞いております。それがほんとうであるかどうかは存じませんけれども、そういう財政面だけのことでありますれば、結局この法案でいいのじやないか。将来だんだん遺族方々が要求しておられる額というものも、結局もう少し上げていただきたいというようなお話のように聞いております。従つて、結局この案でもさしつかえはない。ただしかし、先ほど申し上げました通り、財政面において相当大幅の修正と、それから根本精神は、国家補償ということを強くしていただきたい、こういう希望は持つております。
  114. 大石武一

    大石委員長 ほかに御質疑はございませんか。——ないようでありますから、これにて本日の公聴会を終了いたします。  終りにあたりまして、公述人の皆さんにごあいさつ申し上げます。本日は遠路わざわざ御来院くださいまして、いろいろ有意義な御所見を賜わりましたことは、まことに感謝にたえないところであります。私どもこういうりつぱな御公述基礎にいたしまして、愼重審議の上に、りつぱな法案をつくり上げたいと思います。まことにありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時一分散会