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1952-05-27 第13回国会 衆議院 厚生委員会 第33号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年五月二十七日(火曜日)     午前十一時十五分開議     ―――――――――――――  出席委員    委員長代理 理事 青柳 一郎君    理事 丸山 直友君 理事 亘  四郎君       新井 京太君    田中  元君       寺島隆太郎君    堀川 恭平君       松永 佛骨君    松井 豊吉君       清藤 唯七君    松谷天光光君       堤 ツルヨ君    苅田アサノ君  委員外出席者         厚生事務官         (社会局庶務課         長)      熊崎 正夫君         参  考  人         (日本赤十字社         副社長)    伊藤 謹二君         参  考  人         (日本赤十字社         常務理事)   後藤眞三男君         参  考  人         (日本赤十字社         企画室)    岡田 好治君         参  考  人         (日本赤十字社         企画室)    片岡 經一君         専  門  員 川井 章知君         専  門  員 引地亮太郎君         専  門  員 山本 正世君     ――――――――――――― 五月二十七日  委員岡良一辞任につき、その補欠として三宅  正一君が議長の指名で委員選任された。     ――――――――――――― 五月二十三日  療術師法制定反対等請願(小金義照紹介)  (第三〇五八号)  栄養改善法制定に関する請願丸山直友君紹  介)(第三一一〇号)  同(堤ツルヨ紹介)(第三一三八号)  母子福祉法制定請願多田勇紹介)(第三  一一一号)  同(青柳一郎紹介)(第三一四〇号)  同(多田勇紹介)(第三一四一号)  国立渋川病院存置請願小淵光平紹介)(  第三一三九号) の審査を本委員会に付託された。 同日  国民健康保険法による国庫補助の増額に関する  陳情書  (第一九四五号)  戦争犠牲者援護対策実施に伴う職員の増員に関  する陳情書(第一九四  六号)  母子福祉法制定促進に関する陳情書  (第一九四七号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  日本赤十字社に関する件     ―――――――――――――
  2. 青柳一郎

    青柳委員長代理 これより会議を開きます。  都合によりまして委員長が不在でありますので、私が委員長の職を勤めます。  まず理事及び小委員補欠選任の件についてお諮りいたします。来る五月十六日、岡良一君が委員辞任されたのに伴い、理事が一名、戦争犠牲者補償に関する小委員国民健康保険に関する小委員医療体系に関する小委員及び国立公園に関する小委員が、それぞれ欠員になつておりますので、その補欠選任を行いたいと存じますが、岡君は現在再び委員選任されておりますので、同君の辞任によつて欠員を生じた職に再び選任することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 青柳一郎

    青柳委員長代理 御異議なしと認め、そのように決します。     —————————————
  4. 青柳一郎

    青柳委員長代理 次に、日本赤十字社に関する件について、日本赤十字社の当事者に対する発言を求められておりますが、伊藤謹二君、後藤眞三男君、岡田好治君、片岡經一君参考人として当委員会出席を要求することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 青柳一郎

    青柳委員長代理 御異議なしと認め、以上の諸君参考人に選定いたします。  なお、本日御選定願いました参考人諸君は、爾後の委員会においても、必要の際は委員長において御出席願うことといたしますから、御了承を願います。  なおただいまおきめいただいた参考人諸君には、あらかじめ御出席願つておきましたので、日本赤十字社方方に対する発言を順次許可いたします。堤委員
  6. 堤ツルヨ

    堤委員 私は少し参考人お尋ねをいたしたいのでありますが、参考人に誤解のないようにしていただきたいと思います。せんだつての小委員会でも私が申し上げました通り、私は日本赤十字社というものをこわそうとか、いわゆる破壊的な意見を持つておるものでは、ございません。純粋な使命を課せられたこの日赤が、よりよいものになるべきであるという私の信念に基いて質問をいたしますので、その点御了承願いたいのであります。  実は、日赤会計につきましては、小委員会においてあらまし御説明願つたのでありますが、われわれの耳には——これはずつと以前からもそうでございますが、相当日赤の内容または運営、あらゆる面において検討を要するのではないかというような数々の風聞を耳にするのであります。有力新聞であるところの毎日新聞が、今年の三月二十八日に「日本のお家騒動表面化す」という記事を出しまして世間の注目を引き、その後再三われわれの手元に送られて参ります日赤に関するスキヤンダルと申しますか、そうしたものが非常に多いので、私は非常に遺憾に思うのであります。従つて、この前の小委員会におきましては、こうした社会の注視の的になつておる諸問題に関しては、御説明を承らなかつたのでございますが、日赤の名誉のためにも、また御存じ通り戦争時代には、各戸ごとに強力な圧力をもつて一大衆の協力のもとに今日までこの大きな経営をなして来た日赤、なお今後もまた新たな使命を課せられて活躍をしなければならぬ日赤のために、私はこれらの問題を、ひとつこの委員会においてはつきりと御説明を承つて、間違いのないところをただしておきたしと思うのであります。従つて、そこにおいでになります副社長も、新聞などで指摘されました数点のことにつきましては御存じかと思いますが、いろいろな物資横流しであるとか、または総会に対するところの云々の問題であるとか、そういう指摘されております今までの数点の事項に関しまして、あなたの御所見を承りたい。またこの委員会委員の中に、その点に関して御存じのない方があるかもしれませんので、その問題を一々解剖しながら、御説明を願いたいと思うのであります。
  7. 伊藤謹二

    伊藤参考人 赤十字会計につきまして、世上一部の人々がどういう意図に出ておるのか、私どもも、理解いたしかねるのでございますけれども、悪声を放つておる人があることは事案でございます。私どももこの赤十字のとうとい事業について世間疑惑を招くということは、はなはだ遺憾に存じておるのでございます。今日こういう赤十字のことついていいろお話申し上げる機会を与えていただきましたことを、心から感謝いたしておる次第でございます。  赤十字会計につきましては、私赤十字関係いたしまして、ちようど満四年になるのでございますが、いろいろ経理状況をながめておりまして、私の見るところでは、民間団体としては、経理はきわめて厳重に行われておると申してさしつかえないと命じておるのでございます。大体赤十字会計につきましては、官庁の会計規則に準じた非常なめんどうな規則を設けまして、一々その規則従つて処理いたしておりますし、また終戦前には、御承知のように年々軍の経理部が厳重な監査を施しておりました。そういつた慣習も、今日まで伝統を引いておりまして、経理に関しては、かなり関係職員経理規則を遵守するというふうな風習が馴致されておりますので、そういつた方面から申しても、比較的信頼し得るように私は見ておるのであります。  さらにまた、本社の中には、特に本社並びに支部会計を随時監査いたします——自己監査でございますが、監査部なるものを設けまして、随時自己監査を施しまして、経理に誤りのないことを期しておるのでございます。  さらにこの赤十字事業運営につきましては、非常に自主性ということをやかましく申しておりますけれども、事いやしくも会計経理に関しましては、喜んで公開する、こういつたような態度で臨んでおりまして、年々本社経理につきましては東京都庁から監査を受けておりまして、その都度優秀というふうな判定を受けておるのでございます。そのほか厚生省なり各府県庁なり、いつでも私ども会計については喜んで監査してもらいたい、こういつたような気持経理を行つております。  さらに本社経理につきましては、年々専門の計理士がこれを監査いたしまして、そうしてその意見本社監事に述べることになつておりますが、本社監事には日銀総裁の一万田さん、あるいは大金さん、高橋龍太郎さんあたりに監事をしていただいているのでありますが、もちろんこういう方方は非常に忙しい方々でございますので、この監事方々にみずから書類を点検していただくわけには参りませんけれども計理士監査報告を願うと同時に、また日銀の一万田総裁は、その部下をして本社経理について視察を加えておつていただいております。そういつたようなことで、本社経理規則を遵守することにつきましては、かなりめんどうな手続を経てそれぞれ本社理事会なり役員評議輿会の最後の承認を求めることになつているのでありまして、まず民間団体としては、これくらいめんどうな経理監査をしているところは、他にあまり多く例がないと申し上げてもさしつかえないのではなかろうかと私は考えておるような次第でございます。  ただいま御指摘になりました毎日新聞に関する記事でございますが、毎日新聞の表題には、日赤内部お家騒動があるような記事が載つておりましたが、日赤内部におきましては、別段何らお家騒動もございません。役員を中心といたしまして、みな協力一致して業務に従事いたしております。決して御心配をいただくようなお家騒動というようなことはございません。ただ毎日新聞記事に載せられましたうちに、蜷川博士本社に対抗して、何といいますか争つておられるというような記事がございました。私ども別段蜷川さんと争いをいたしておる気持はございませんが、ただ蜷川さんが本社に対しましてかなり不満を持つておられることは、これは事実のようでございます。蜷川さんは、かつて赤十字外事部顧問をしておられまして、赤十字事業には相当功績のあつた方でございます。ところが、終戦追放令に該当されまして、本社外事部顧問をもおやめになつたわけでございますが、その後どういう原因でありますか、私どもよくわからないのでありますけれども、しばしば赤十字社に対して不満を漏らしていらつしやるということは伝え聞いているのであります。さらにまた徳川社長並びに現在の島津社長に対しまして、しばしば不満を漏らした手紙を発送しておられることも、これまた事実でございます。私、徳川社長あての書面は、拝見したことはございませんけれども、現島津社長あて手紙は、ときどき拝見させていただいております。その手紙を見ますたびに、いろいろなことが書かれておりますので、一々私記憶いたしておりませんけれども、終始一貫してかわらないところは、蜷川さんは赤十字事業、わけても第一次欧州大戦後成立いたしました赤十字連盟の創立なり、その後の赤十字平時事業の進展については、何といいますか自分が世界でも最も指折りのといいますか、最高のといいますか、少し私の表現が誇張に失するかもしれませんけれども、そういつたような自分功労者であるのだ、それに対して、日本赤十字社自分を遇することあまりに冷淡ではないか、こういつたようなことが、どの手紙にも必ず書かれているのでございます。蜷川さんの過去における赤十字に対する功績は、現社長も私どもも、いろいろな一記録によりまして十分承知いたしておるのでございまして、決して蜷川さんの功績を没却するといつたような気持ちは、現在の幹部もわれわれ毛頭持つておらぬのでございます。ただ蜷川さんといたしましては、私ども過去の蜷川さんの功績を十分認めておりますけれども、どうもそこに不満を感じていらつしやるようでございます。そういつたようなことがございますだけで、別段お家騒動といつたような内部争いは毛頭ございません。  それから新聞には、私が厚生省の官吏に対しまして贈賄をしたというふうなことが書かれております。私、厚生省諸君とは、特別懇意の間柄でございますが、私の方の仕事は、厚生省とは非常に関係のある仕事でございますので、密接に連繋を保つて業務運営をはからなければなりませんけれども厚生省贈賄する理由は何らないのであります。また厚生省諸君にも、私から贈賄を受けるような人は、一人もあり得ないことだと、確信を持つて申し上げてさしつかえないことだと思います。  第二には、私が不法に副社長として留任したというふうなことが、たしか書かれてあつたと思います。私は昭和二十三年の三月に厚生省をやめまして、五月に赤十字にごやつかいになることになつたわけでございますが、当時赤十字の副社長欠員で、その選考に赤十字は非常に困つておりまして、ぜひ私に来てくれというふうなことで、私、とうとうお引受けすることになつたわけでございます。赤十字社長、副社長選任は、定款の定めるところによりますと、評議員会推薦いたしまして総会決定することになつております。赤十字評議員とかいつた議決機関は、これは総会選挙することになつておりますが、社長、副社長は、評議員会推薦に基いて総会決定することになつております。一方本社定款によりますと、選挙による役員任期は三年とし、選挙補欠せられた役員前任者残任期間とするというふうなことになつておるのでございます。私は昭和二十三年の五月に、評議員会推薦に基いて本社総会で副社長として決定されたわけでございますが、これは補欠による選挙できまつたわけではないので、ございまして、評議員会推薦によつて総会決定せられたわけであります。従つて補欠の副社長というものは、本社定款にはないので、そこで定款の他の條文の規定する通り三年間その職におつたわけでございます。一部の人々選挙による副社長だというような解釈をしておりますけれども、私の前任者と申しますれば原泰一さんと赤木朝治さんと、二人副社長があられまして、相前後してやめられたわけでございますが、この二人の方の補欠として決定されたとは、私ども考えていないのでございます。また私は二人のあとを受けまして、私一人が副社長を汚しておりますが、原さんの補欠とも赤木さんの補欠とも、全然何しないで、ただ副社長として決定を見ただけなのであります。法律解釈といたしまして、当然三年間の任期を保持するものと私ども解釈いたしておるのでございます。それで昨年私の任期が満了いたしまして、昨年の九月の総会で再び私を副社長として決定をされたわけでありまして、今日では私としては第二期目の副社長を勤めておるわけでございます。その間不法留任をやつたつもりは、私は全然ございません。赤十字の副社長仕事は、非常に重要な、光栄のある仕事だと存ずるのでありますけれども不法にその地位にとどまろうとするような恋々たる気持は、私は全然持つておりません。  それから、昨年の私が軍任する場合の総会決定が、法律上無効である。というのは、社員の一部の人の出席を拒否したというふうなことが、たしか書かれてあつたかと思います。昨年の総会におきまして、私を副社長選任するか選任しないかの決定の問題の際には、私の一身上に関することでございますので、私は総会出席いたしておりませんでした。けれどもあとで、私は選任せられまして総会に出まして、重任のごあいさつを申し上げたわけでございますが、総会決定は適法に行われたように承知いたしております。また一部警察官が社員出席を強制的に拒否した、あるいは拉致したと言わんばかりの記事が、何かの新聞に載つてつたかと思いますが、さような事実は、私全然聞いておりません。  それから、新聞によりましては、何か物資横流しをしたようなことが書かれてあるようであります。ことに私がしたような記事の書きぶりがございますが、金銭出納とか、あるいは物資出納とか、そういつたことを私自身で取扱つたことは一回もございません。すべて本社会計規則の定むるところによりまして、それぞれの係員を通じて行つておるのであります。全然物資横流しをしたというようなことは、ございませんし、またその間金銭の授受などを行つたことは絶対にございません。一部新聞に、本社砂糖横流しをしたというふうなことがございました。このことは、私はあまり関係いたしておらぬ仕事でございますけれども米国在住牟田秀雄という人が砂糖本社に寄贈した事実があることは、私は承知いたしております。そうして牟田秀雄氏の指示に従つてこれを処理し、その利益金赤十字の財源にしてもらいたい、こういう申出のあつたことも承知いたしております。それで本社職員が、それぞれの寄付條件従つて砂糖の処理に当つたのでありますが、その間に、一部の商人がこの砂糖横流ししたことは事実であります。このことは、一昨年でありますか、その砂糖商人の一部が横流しをいたしまして、そのことが、たしか私の記憶では、神奈川県横浜経済調査庁つたと思いますが、ここで調査いたされまして、商人不当利得を排除し、赤十字社利益を擁護するために、この砂糖の話について、熱心に好意ある処置をとつていただいたことを記憶しております。その後、この事件横浜から東京検事局の方に移送されまして、検事局の方でずつと調査をいたされました。その間本社に対しては、何ら検察当局も、経済調査庁疑惑を持つておられるわけではないのでありまして、本社利益擁護のために、一部不正商人を徹底的に追究して、商人不当利得といいますか、それを是正し、赤十字社利益になるようにしてやろうということで、一生懸命に御調査をなさつておられることは事実であります。そういうことはございますが、本社職員砂糖横流しをしたり、あるいはこれによつて一部不当利得をしたというような事実は、全然ございません。  そのほか何かまだ新聞記事に載つたかと思いますが、いろいろそういつたたぐいのことを世上に悪意を持つて宣伝する人があるようでありまして、私ははなはだ遺憾に思つております。決して赤十字社経理についてあやまちのないことを、ぜひ御了承願いたいと思います。もし私の説明皆さん疑惑を解くに足らぬようでありましたら、いつでも本社経理なりその他を御監査願つてもさしつかえないと、私は考えておるのでございます。なおそのほか皆さんの方で疑念をお持ちになり、あるいは妙なうわさをお聞きでございましたら、お尋ねによりましてお答えを申し上げたいと思います。
  8. 堤ツルヨ

    堤委員 大体ただいま御説明を承つたわけでありますが、総会について、もう少し詳しく承りたいのであります。昨年の総会について、多し伊藤さんか御出席でなくておわかりにならなければ、他の参考人でもけつこうでございますから、もう少し詳、しくたとえばどれくらい、どういう方法でやられて、そうして時間をどれくらい使つてどうされたかというような具体的なことを、ちよつと参考のために承りたいと思います。
  9. 伊藤謹二

    伊藤参考人 昨年の総会は、私が副社長決定するかせぬかという議題がかかる席には、私はもちろん出席して知りらないのでございますけれども、商会は例年の例によりまして、定款の定むる手続によつて招集いたし、午前中は皇后陛下をお迎えいたしまして、大体儀式でございました。お昼に休憩いたしまして——この休憩前だつた休憩後だつたか、儀式を終りまして、一旦休憩いたしまして、それから総会移つて議題が審議されたわけであります。その議事の劈頭に、副社長決定の件が付議されたように思います。私はそのころから欠席しておりますが、別段何らかわつたところはなかつたのでございます。
  10. 後藤眞三男

    後藤参考人 ただいま副社長から御説明申し上げました総会状況でございますが、総会が開会されましてから、一旦休憩をしまして、その間別室で副社長推薦のために評議会を開いたのであります。そうして、一応だれをするかという議事になりまして、評議員方々から、現副社長にさらに御重任を願いたいというような話になりまして、投票とかいう形式ではございませんが、全会一致、一人の異議もなく御重任をいただこうということで、評議員会決定いたしまして、それによりまして総会がまた開会されまして、決定になつたのであります。総会におきましては、ごくあつさりしておりまして、社長から、別室評議員会におきまして、現伊藤社長に御重任をいただくことになりましたが御異議ありませんか、異議なし、それではさよう決定いたしますということで、決定されたような状態であります。
  11. 堤ツルヨ

    堤委員 社員総会は非常に大切なものだと思うのでございますが、第三者の目から見ますと、非常に日赤総会というのは、儀式一点ばりのもので、何らか前におぜん立てがされてあつたものをそのまま形式通りにやる。はなはだしきに至つては、数分で幕をとじるというようなことが行われていると巷間伝えられております。私は、一部の社員の入場を禁止されたとか、また引きずり出されたとか、そういう問題はまたあとにいたしますが、日赤総会というものは、非常に今まで形式に流れておりまして、私はもう少し民主的な総会というものが持たれるべきでなかつたかということを、私自体痛感いたしております。社員の社費によつて経済的な裏づけがなされているこの総会に、幹部ばかりが絵を描いて、そしてその意向に持つて行かれるような会合であるという御意見を、相当多数の方々から承つておるのであります。こういう今までの総会に対して、そこにおいでになる三人の参考人は、今後どういうふうに考えておられるか。はたして今までのまま何ら修正を加える必要はないとお考えになるか、あるいは、みずから御反省になつて、こういう点は反省すべきでなかつたかというような点があるというような御意見がありましたら、ひとつ建設的な意味で聞かせていただいたらけつこうと思います。
  12. 伊藤謹二

    伊藤参考人 本社総会のあり方についての御質問でございますが、御承知のように、本社は今日では一千万人の社員を擁しておるのでございます。戦前から赤十字社員は常に数百万人といつたような社員を擁しておるのでありまして、社員総会を開くと申しましても、社員の過半数を集めるということは、もちろん不可能でございます。従来の記録を見ますと、あるいは上野公園において、あるいは憲法記念館等におきまして、七万人あるいは八方人社員を集めて社員総会というものがしばしば行われたのででございます。それらの総会を見ますと、すべてこれは儀式でございまして、とうてい七万人集まりましても、八万人集まりましても、ほんとう社員の数から申しますれば、何といつても一少部分にすきません。その総会で重要なる問題を決定することは、ほんとうに不可能な状況でございますので、かつて総会がすべて儀式であつたことは、やむを得ざるところに出たのだと思うのでございます。終戦後、定款を変更いたしまして、この総会に相当な権限を持たせることになつたわけでございます。その権限としては、ただいま問題になりました本社社長、副社長決定する権限本社評議員選挙する権限定款の改正、変更についての権限と、本社の決算の報告を受ける権限、大体この四つのものが総会権限になつておりまして、本社業務運営について慎重審議し、可否を論議するには、総会はあまりにふさわしくないような状態でございます。従つて、今後私ども皆さんの御配慮をいただきまして、新しい法律案ができますならば、各支部におきましてそれぞれ選定せられました代表権限を持つた代議員の方々が、本社重要案件について最高意思決定する、こういうふうな形に持つて行きたいと考えておるのでございまして、現在までの総会、あるいは将来におきましても、この総会重要案件を審議し決定するということは、ことに本社のような組織では、不可能な問題でございますので、その点民法が社団法人に要求しておるところは、社員総会というものを、社員最高意思決定する機関にするというところにあるのだろうと私は思うのでございますけれども一千万人もの社員を擁しますと、何もても社員の過半数を集めることはとても不可能な状況でございますので、やはり各地で選出せられた代議員の方々によつて慎重に審議をしていただく、この方がむしろ民主的ではないかと思います。そうかといつて、昔から行われております一種の祭典でありますこの総会は、将来もやはり続けて行つた方がいいんじやないか、一種の式典としての総会といつたものは、保存しておいた方がいいんじやないかという気がします。そうしてまた、そういつた社員総会におきまして、いろいろの社員から希望意見と申しますか、そういうものの述べられることも、きわめて望ましいことじやないか、こういうふうに考えておるわけでざいます。
  13. 堤ツルヨ

    堤委員 それでは総会の問題については、もう少し私の意見もございますけれども、後ほどにして、質問を続行いたします。  そこで、今度は贈賄についてでありますが、今おもに御答弁になつておる副社長伊藤に、いろいろと批判が下つておるという問題でございまして、御当人でございますから、私非常にいかがかと思いますけれども、少くとも私たちは、今日の新聞にいろいろな新聞があるということは承知いたしております。従つて、どれもこれも取上げるのではございませんが、全国的に非常に大きな威力を持つ毎日新聞が、社会面をにぎわしたこの記事、これは街頭に立つて十円、五円を募金して、げたの裏をすり減らしておる一般協力者、それから都道府県において協力するあらゆる方々、こういう人たちがこの記事を見れば、一体何のためにやつてつたのだろうという気がすると思うのであります。しかも、これが新聞に出ましたのは三月二十八日だけでございますけれども、ずいぶん以前から、日赤においてはそうした金銭面での疑惑の目が向けられておる、そして相当政治的な御活躍さえなかつたのではないかというようなことが、巷間伝えられておる。従来、日赤からは、いろいろ醜聞が出ておるけれども、その醜聞は、いつも表面化しないで中途で不発爆弾に終つて、どこかでもみ消されてしまうのだということが、巷間伝えられておるのであります。そういう意味で、私は厚生省とのつながりが非常に強いとか、それから伊藤さんが前に厚生省おいでなつ関係から、あなたが下にお使いになつておる日赤幹部が、あなたの一族——というのは親戚という意味ではありませんけれども、非常に近しい方々だけで独占されておるというような感じを与える記事が出るということは、私ははな先ほどから蜷川ざんについて、あなたの御説明がありました。蜷川さん独得の御批判があるでありましようし、またこれを蜷川さん自体に聞いてみれば、蜷川さんのお言葉もあるであろうと思いますから、私たちは一人だけの御意見を承つて、第三者の意見を聞かないというような軽はずみなことはいたしたくありません。また他の参考人の御意見も拝聴して、あなたにかかつている疑惑が一掃されることは、朗らかな運営がなされることになりましよう。従つて、血液銀行の問題、また日赤の建物の一部を第三国人に貸して金をかせいでおられるとか、日赤の機関紙を刊行するといつて紙の横流しをしていらつしやるとか、数々の問題が取上げられて、しかも副社長の私宅をそれで建てておるというようなことまでも伝えられるようでは、私はまことに協力しておられる方々に相済まぬと思いますし、この日赤のよつてできました広大な理想にも反すると思います。こうした問題が巷間伝えられて、あなたが攻撃の矢表に立たれるということは、私ははなはだ副社長としては残念である、こう御指摘したいのでございます。この点に対しまして。あなたは、蜷川さんに一方的な御批判があつたようでありますが、こういう批判をこうむるのは私の不徳のいたすところである、というくらいの御批判があつてしかるべきであると思うのであります。そういう御批判が、事実はともかくといたしまして、こういう問題を「毎日」あたりに書かれたということは、やはりお互いにこうした問題が出て来ないようにしなければ、まことに相済まぬというような謙虚なお気持が、私はきようは冒頭にほしかつたのであります。ないのは、御自信がおありになるから、ないのでありましようが、私ははなはだ遺憾に思つております。この問題に関しまして、私はこの議会を通じて、事実はどうであつたにもせよ、こういう疑惑の目をもつて見られたということに対しては、一般末端まで遺憾の意を表されることが、私は副社長としての態度ではないか、かように存じますが、いかがでありましよう。少し言い過ぎかもわかりませんが……。
  14. 伊藤謹二

    伊藤参考人 私といたしまして、いろいろ世間からかれこれ言われますことは、お話の通りに私の徳の足らざるとこうだと思つて、私もはなはだ残念に思つております。ただ私は、二十数年間官吏生活をして参りましたが、その間愚直で笑われたことは、一再ならずございます。けれども、私が、いやしくも金銭上の疑いを受けたことは、一回も、ございませんでした。赤十字に入りましてから、そしてこの破局に瀕しておる赤十字を復興するために、皆さんはお笑いになるかもわかりませんけれども、私はほんとうに心血を注いだのでございます。その際に金銭上の疑いをもつて私をながめる人が一人でも二人でもあるということは、私の不徳のいたすところではありますけれども、私としてははなはだどうも残念でたまらないことなのでございます。その点、私の気持もひとつ御了承をお願いしたいと思います。私は厚生省の役人に贈賄した云々というふうなことは、ございません。ことに毎日新聞によりますと、赤い羽の募金と赤十字の白い羽の募金とわかれる際も、厚生省の役人に対して数十万円でしたか、百何十万円でしたか、贈賄したというふうなことが書かれてあつたように思うのでございますけれども、赤い羽と白い羽の募金がわかれるいきさつにつきましても、おおむね皆様のご承知おきを願つておると思うのでありますが、募金委員会の方で、今度は赤十字の募金をわれわれの募金とは別個にやつて行こうじやないかというふうな、募金委員会側の御希望によりましてわかれたわけでございます。その間厚生省との関係もございませんし、またそのために厚生省に数十万円といつたような金を使うべき何らの理由もございませんし、この点は、そういうことのあり得ない事実であることは、皆さんの良識に訴えたいと思うのでございます。ただいまお話のうちに、新聞紙の横流し云々というふうなことがございましたが、これは私は全然関与したわけじやございませんが、私の方の機関紙の「赤十字家庭新聞」というのは、最初から東京タイムズによつて印刷されて参りまして、一時東京タイムズの方で紙の不足を告げられて、本社の家庭新聞に配給せられた紙を一時貸してくれぬか、あとで返すからというふうなことで、一時貸すというふうなことが行われたということは、私聞いております。そういつたようなことは、私自身、全然タッチしたことのない仕事なのであります。もちろん、私監督の責任がございますから、責任をのがれようとするわけではございませんけれども、すべてみな私の罪のように言われることは、先ほどお話のように、私の不徳のいたすところでありましようけれども、私の調査した限りでは、そういつた紙の一時貸与が行われたことは事実でございます。そういつたことが大きくうたわれておるように承知いたしておるのでございます。  なお私の社宅の問題についてのお話がございました。こういつたことも、あまり申し上げることはどうかしらんと思いますけれども、私二十数年間役人をやりまして、片山内閣が芦田内閣にかわる機会に、後進に道を開く意味からいたしまして、厚生次官をやめたわけでございます。二十数年間の役人生活、愚直といつて笑われた生活を続けて参りました。そこに私は誇りを感じながら続けて来たわけでございますが、そのゆえに、私には何ら蓄財がありませんので、官界をしりぞいた私の一番心配しておりましたのは、住宅をどうするかということでございました。それまで、地方官として方々を歩きましたが、幸いにして官舎がございました。家を買うだけの能力もございませんので、非常に困つておりました。何とかして借家を見つけたいというので、八方奔走いたしました。後任の厚生次官の葛西君が、幸いに東京に住宅を持つておりましたので、ぼくに、ゆつくり家を探しなさい。自分は家があるのだし、決して官舎を明けろとは申さないから、ゆつくり家を探しなさいというふうな、好意ある葛西君のお申出に甘えて、次官官舎に、やめながらしばらくおつたのであります。私は非常に心苦しく感じましたが、借家は見つからず、家を買う能力もなく、何とかして官舎を明けなければならぬというので、非常に焦燥の念にかられておりました。そういつた際に、赤十字職員の一部の人々から、また役員の中から、きわめて同情あるお申出がありまして、赤十字で社宅を買つてあげようというふうなお話がございました。私はこれが今日世上に行われております街頭募金であるとか、あるいは戸別募金であるとか、そういつた募金を財源として社宅を提供してやろうというふうなお話でございましたならば、せつかくの御好意でも、おそらく私は受けなかつただろうと思います。私のあの当時の気持はそうであります。しかし私は赤十字に入りまして、赤十字の財政的の再建のために非常に苦労いたしました。一つの例を申し上げますと、たとえば、進駐軍の放出にかかるコーヒーを処理いたしまして——これは共同募金委員会と私の方とで連合してやつたのでありますけれども、その中心になつて一番苦労して、とにかく五千二百万円の利益金を上げたわけでありますが、一番苦労したということは、認めていただけるだろうと思います。それを折半いたしまして、二千六百万円というものは赤十字の財源として入りました。そういつた金もございましたので、私はほんとうに焦慮の余り、この好意ある職員なり役員方の申出に応じまして、社宅を買つていただきました。募金を財源としての社宅の提供であつたならば、私はお断りしたろうと思いますけれども、そういつた財源もございまして、まあいいじやないか、そんなことを心配する必要はないじやないかというふうな、親切なお話もございましたので、私はその好意に甘えて、社宅を提供していただくことになりました。決してその間に不正とか、その他は全然ございません。その好意に甘えたことが不都合であるというふうな御批評であるならば、これは私やむを得ないことだと思います。
  15. 堤ツルヨ

    堤委員 いろいろな目でもつて見ておられます当のあなたが、そういう清廉潔白な心持であつたことを、この委員会ではつきりするということは、私は日赤のためにけつこうだと思うのであります。今あなたの御説明になりました、疑惑をもつて見られておりましたいろいろな面についての、そのお言葉の裏づけになる参考資料を、簡単でよろしゆうございますから、いろいろな問題別に、私たちの手元まで後日いただけましたならば、なおけつこうだと思うのであります。私たちは、日本赤十字というものを特別法人として、そして国の事業まで委託して、今後国費を皆様方にお預かり願つて、そしていろいろな社会福祉のために御奉仕していただくというような仕事まで担当してもらうことになりますと、この機会に、今まで副社長の席にあられるあなたが、こうした目で見ておられることが事実ありながら、これを看過いたしまして、次に問題を進めるわけに行かないのでございます。この点は、どろでもこうでもあなたをつるし上げて、ほこりを出して見ようというような気持で申したのじやございません。協力する方々に、なお一層の協力を望みたいと思いますので、こういう点を申したのでございますから、だれの前にでも証明できるような、財政面について裏づけになる参考のデータをいただけましたら、非常にけつこうであると思うのでございます。  それからもう一つお尋ねいたしたいのは、最近編成されました日赤の奉仕団の組織の運営の問題でございます。これに関しまして、どういうふうにやつておいでになるか、私たち詳しく存じませんので、ちよつと承つておきたいと思うのであります。
  16. 伊藤謹二

    伊藤参考人 戦後各国の赤十字の間で、奉仕団の編成というものが、方々の国の赤十字で行われるようになりまして、日本の赤十字でも、これを組織したらどうかというふうな、進駐軍並びに終戦後参りました米国赤十字の勧告によつて、日本赤十字もその線に沿つて行こうというふうなことで、つくり始めたわけでございます。私が入社いたしましたころには、ぼつぼつできかかつたような状態でございましたが、戦後の道義の頽廃した世の中で、物資の不足した世の中で、せめて貧しいながらも、お互いあたたかい気持の通つた生活をしたいものだ。道義日本建設の先駆といつたような気持で、私はこの奉仕団運動というものに、非常に熱意を注いだわけでございます。この奉仕団は、それぞれ個人の生活を合理化することによつて、時間と労力を生み出して、この時間と労力を社会公共のために提供しよう、こういつたような運動でございます。その編成にあたりましては、大体大学等の奉仕団もございますけれども、その中心は、地域を中心として、あたたかい地域をつくつて行こうというふうな運動でございますので、この奉仕団の編成にあたりまして、私ども一番念頭に置いて注意を払つたことは、かつて解散を命ぜられました隣組の再建と同じような目をもつて見られるようなことがあつては困る。奉仕団は、あくまで個人の自由意思に基いて加入してもらう。また脱退も自由で、あくまで自由な個人の意思に基く奉仕活動にして行こう。さらにまた団費を徴収いたしますと、そこにまたいろいろな問題が起る可能性がございますので、全然団費をとらないで、篤志者のほんとうの任意的な集まりとしてつくつて行こう、こういうふうな気持で奉仕団の編成を進めて参つたわけでございます。ことに、日本におきましては、災害が頻発いたしますので、万一災害の発生した場合に、こういつた篤志家の集まりの組織ができておりますことが、災害救助活動に非常に役立つといつたような気持からいたしまして、日本のように、台風に全然影響のない地帯というものは、どんな山村でもないわけであります。安全地帯というものは、日本の国内どこにも、ございませんので、そういつたような災害に備えるためにも、できるだけ広く奉仕団を普及して行きたい、こういうふうな気持でやつておるような次第でございます。
  17. 堤ツルヨ

    堤委員 それでは、もう一つお尋ねいたします。先ほどお伺いするのを忘れておりましたが、血液銀行をやつておいでになります、そのデータもいただけると思いますが、それの今日の生際について、少し御説明を願いたいと思います。
  18. 伊藤謹二

    伊藤参考人 血液銀行につきましては、日本赤十字のやつております血液銀行は、去る四月の十日くらいに開設したわけでありますが、それまでにずいぶん準備に日数を要しました関係上、非常に開設が遅れたわけでございます。それと一面、まだ血液銀行の趣旨が十分に普及徹底いたしておりません関係上、今日のところ、開設後一箇月余を経たわけでございますけれども、まだ十分な成績をあげておるところまでには至つておりません。今後血液銀行の精神を普及することによつて、日本の衛生の向上のために十分役立ち得るように、ぜひ育成して行きたいものだと考えておるようなわけでございます。今日ではまだその成果を、あまり御報告申し上げるほどの大きな成果はあがつておらぬわけであります。  それからもう一つ、赤十字が行つた血液の供血運動、これについて世間で若干批一評しておられる方があるようでございます。これは国連軍で経営いたしております血液銀行に、日本人の血液を無償で提供する。こういつた運動を、これは韓国動乱が発生いたしまして数箇月後に起きたと思いますが、だん、だんと傷病兵が出て来ますので、国連軍の方でも非常に血液の不足に悩んでおられた。こういうふうなことを承知いたしましたし、また日本人の中にも、進んで血液を提供すべきじやないか、こういうふうな声を耳にいたしまして、そういつた運動を日本赤十字が音頭をとるべきじやないか、こういうふうな話がございましたので、日赤が音頭をとりまして、傷病兵に対する供血運動を起したわけであります。ごく最近の数字は、私記憶いたしておりませんが、数箇月前の統計では、たしか五千数百名が供血いたしたかと思つております。
  19. 堤ツルヨ

    堤委員 それでは、次にお伺いいたしたいのは、戦争中、また戦争以前には、非常に軍の保護のもとに日赤というのはありました。従つてまた、これは逆に、非常に戦争にも協力して来られたわけでありますが、昨今また非常に再軍備の問題がやかましくなつて参りまして、実際は警察予備隊というものがあるわけでございますが、警察予備隊の方からは、日赤に対して、また元の軍部とのつながりのようなつながりを、あなたの方と持ちたいというような動きであるとか、何か新しい申出であるとか、そういうものがございませんでしようか、ちよつとここで承つておきたいと思います。
  20. 伊藤謹二

    伊藤参考人 戦前の日赤の動きについて、ちよつと申し上げたいと思うのでありますが、赤十字は、戦争犠牲者の救護をその使命といたしております。ことに傷病兵の救護というのは、赤十字の根本的な使命になつておりますので、大戦中あるいはそれ以前から、軍の衛生部と密接な連絡をとりまして、傷病兵の救護には全力をあげて参つたわけでございますけれども赤十字は、あくまで赤十字の守るべき線を、決して越えていないのであります。戦争犠牲者の救護の線を越えないで、現実に戦闘員に対する戦力増強については、全然赤十字は関与いたしておりません。あくまで戦争犠牲者の救護の面にのみ協力いたしておるわけであります、その点だけは、ぜひ御了承おきを願つておきたいと思うのでございます。  警察予備隊の問題でございますが、警察予備隊の方で、どういうふうにお考えになつておられるか存じません。別段私どもに何も御連絡がございませんので、警察子備隊の考え方というものは、私ども知る由もないわけでございます。今日までのところ、何らの交渉はございません。ただ山形でございましたか、警察予備隊ができまして、その附近に病院がない、たまたま東根というところに、私の方の経営しております小さい病院が現在あるわけでございます。この東根病院を利用したい。予備隊の員数から申すと、今の東根病院では非常に小さいので、何とか増築してもらえないか、そして予備隊から病人が出た場合に引取つてもらえないかというような申出がありまして、東根病院で病床を少しふやしたわけであります。その後間もなく、山形の予備隊はどこか移転したらしいのであります。実は金をかけて病床をふやして、あとで迷惑したというようなことはございます。そういつたような小さい問題はございますけれども、そのほか予備隊と私どもの方とは、現在のところ何も交渉は、ございません。
  21. 堤ツルヨ

    堤委員 それでは予備隊の問題はそのくらいにしておきます。そこであなたに最後に申し上げておきたいのは、少くとも法学博士の蜷川さんが、あなたにこうした、いろいろ新聞記事になるような言葉を吐かれるということは、少くとも個人的の問題でなしに、日赤のためにこれは問題でございますが、その後あなたは、蜷川さんなり、あなたに対してこうした目でもつて見る方々に、腹を割つて、あなた個人の問題は別として、日赤のためにという態度で、お話合いになつたことがあるかどうか。私は、清廉潔白のあなたが、腹を割つてこうした意思の疏通を欠くようなことのないようになさるのが、副社長としてのあれではないか。なおあなたには関係ないことでありますが、当委員会としましては、日赤側の参考人は、幹部方々はこうしてきよう御出頭願いましたけれども、しかし、やはり少くともこうしたことをお取上げになる方々も、参考人として、片面からもう一度私は御意見を伺いたい、かように思いますので、各委員にお諮りになつて委員長蜷川さんであるとか、いろいろな批判を下して、こういう新聞記事になるような、贈賄があるとかいうような批判を下す、こういう反面の方々参考人として出頭願えるように、ひとつ委員会理事に諮つて、おとりはからいを願いたいということを、私は今日皆様にここで提案いたします。  今の御返事を……。私の希望としましては、もしないのならば、一度ぜひひざを交えてお話合いになつて、こういうことが今後起らないようにしていただきたい。
  22. 伊藤謹二

    伊藤参考人 蜷川さんに対してでございますが、私先ほど申し上げたことが、あるいは言葉が足りなくて、蜷川さんに対する私の批評というふうにお聞きとりだつたかもしれませんけれども、私としては、実は蜷川さんに対する批評的な気持で申し上げたわけではなかつたのであります。新聞蜷川さんと私ども争いをしておるような書きぶりでございましたけれども、私ども蜷川さんと争いをしておるわけではないという気持を申し上げようとしたわけであります。決して蜷川さんに対して、私は批評を申し上げようという気持はございません。何といつて蜷川さんは、かつての日本赤十字に対する功労者でありますので、その点は私どもも十分尊敬しなければならぬと思つておるのでございます。ただ蜷川さんが、戦後本社に対して御不満をお持ちであることは、これは先ほども申し上げましたように事実でございまして、あの毎日新聞が出ました後に、蜷川さんから初めて私手紙をいただきました。私は従来、今日まで蜷川さんには一回もお目にかかつたことはないのでございますが、蜷川さんがあの毎日新聞記事を見られて、私に非難の手紙をよこされたのでございます。君は直接一回も会つたことはないのだが、ぼくが自己宣伝をしておるように言つておる、これはぼくの人格に対する非常な侮辱じやないか、一体そういつた侮辱をなせするのかといつたような、きつい詰問状を蜷川さんからいただきました。それに対して、私返事を差上げたわけでありますが、私は毎日新聞の記者が参りましたときに、蜷川さんに対する批評がましいことは一切申し上げなかつたのでございます。毎日新聞の記者が私のところに参りまして、いきなり赤十字に関する民事訴訟の法廷のこと、そのほか副社長に対する告訴事件もあるようだが、自分はそういつたことを実は問題にして取上げておるのじやないので、蜷川さん対赤十字争いというような角度から記事にしてみたい、いきなりそういつたふうた話でありました。私はそれに対して、私どもは別段蜷川さんと何ら争いをしておるわげじやない、あの訴訟を起したのは、ある人——瀬尾君でありますが、その人の背後に蜷川さんがあるなどとは、自分は考えたこともないし、また考えたくもない。そういう角度からものを見ないでもらいたいというふうな話をしたわけでございます。それに対して毎日の記者が、しかし、とにかく蜷川さんが日本赤十字に対して非常な不満を持つておられることは争えない事実じやないか、こういうように重ねて質問がありました。そこで、その点は確かにそれは事実は事実なんだ、蜷川さんが赤十字に対して不満をお持ちであることは事実なんだということを申し上げましたところが、それではどういう点に蜷川さんは不満をお持ちなのかと、重ねて私に追究して来たわけでございます。それに対して私は、こうこうなんだ、島津社長あて手紙を私拝見しておるのだけれども手紙にはいろいろなことが書かれておるのだが、終始一貫して書いておられることは、自分赤十字連盟の創立について非常な働きをした人間である、苦労して来た、努力したのだ、それにもかかわらず、日本赤十字蜷川さんに対して冷淡だというふうな不満をお持ちなんだ、こういうことを申し上げた、これは事実でございます。これは現に私のところにあります蜷川さんの手紙をごらんに入れましても、すぐ御了解願えることと思うのでありますが、これは事実ですから、その事実を事実のままにお話したところが、それでわかつた、それでわかつたというので、新聞記者は帰つて参りました。決して蜷川さんが自己宣伝をしておるとか、あるいは自己宣伝しておるとかいつたような批評がましいことは、私は一言も申し述べなかつたのでありますが、新聞には、蜷川さん。が自己宣伝しておるように私が語つたかのごとく記事になつて出まして、蜷川さんは、おれは自己宣伝をするような男でないというようなことで、非常に憤慨して手紙をよこされたのであります。で、蜷川さんとお会いすることがいいかどうかということにつきましては、私十分に考えさしていただきたいと思うのであります。
  23. 堤ツルヨ

    堤委員 それで、あなたの御弁明はわかりましたが、日赤は、あなたの私有物でもなければ、蜷川さんの私有物でもない、私の言うところは、日赤は大衆の組織の上に立つた日赤なんですから、そこであなたと蜷川さんの感情問題は、これは別であります。個人的な感情問題は別であります。どういういきさつがあるかしりませんが、従つて私の言つておるのは、日赤のために、あなたと蜷川さんとの個人的なそうしたいざこざが、日赤に影響することを一私はおそれる。だから、できるだけ円満なお話合いをされたいということを希望しておるのでありますから、そこのところの解釈のし間違いのないようにお願いいたします。
  24. 伊藤謹二

    伊藤参考人 御趣旨は非常によくわかつておりますので、御趣旨に沿うようにいたしたいと思うのでございます。ただ私、蜷川さんが決して私に対しても感情をお持ちでもなかろうと思いますし、そうした御不満はおありでありますが、蜷川さんがああいつた赤十字に対する悪声を放つておられるその張本人といいますか、そういつたふうな人ではないと、実は私は承知しておりますし、いろいろな方面から聞きましても、蜷川さん自身が、別段ああいつた訴訟を起させたり、不平を言わせたりするような、そういうようなことをなさつておるようには、私ども承知しておらないのでございます。しかし、お話の趣旨はよくわかりますので、私ども赤十字を私有物視するような考えは毛頭ございませんで、赤十字の将来の発展のためには、私どもあらゆる手段を講じなければならぬと思つております。御趣旨の点は十分何したいと思います。
  25. 青柳一郎

    青柳委員長代理 ただいま堤委員の御要求にかかる次会の本委員会に御出席願参考人につきましては、ただいま御要求がありましたように、理事会に一任することに決定いたしまして御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  26. 青柳一郎

    青柳委員長代理 それではさようとりはからいます。  次は苅田委員
  27. 苅田アサノ

    ○苅田委員 ただいま堤委員からの御質問に対しまして、伊藤日赤本社社長からの長々とした御弁明があつたわけですが、これは、ただそういう御弁明だということではございましようけれども、聞いておりまして、これで一切の世上の風聞が明瞭になつたということは、決してどなたも考えていないと思うのです。私もその点につきましては、非常に納得できませんので、さらに、これと反対の言説をなしておいでになる蜷川博士参考人としてのお言葉を聞くことがかんじんでありますが、その前に、まず私の方から数点につきまして御質問をしたいと思うのです。第一点に、堤委員もお話になりました総会の件でありますが、あなたは、総会日赤社員出席して発表することを阻止するために、警察の人が入つてこれを拉致したということは、聞いたたこともないというふうな御答弁でありますが、私は、こういう大きな問題につきましては、聞いたことがないというようなことはないので、もしありとすれば、これは必ず耳に入つておるわけで、あなたはここで日赤を代表してそういうことはなかつたというふうに御答弁になるつもりでございましようか、この点をひとつお伺いしたいのです。
  28. 伊藤謹二

    伊藤参考人 総会の当日、皇后がお成りになります関係もありまして、警衛の関係上、愛宕の警察署員が見えておつたことは事実であります。しかし、その人が社員を拉致したというようなことは、私は絶対ないと確信いたしております。
  29. 苅田アサノ

    ○苅田委員 私の手元に参つております情報は、そうでないのでありまして、昨年の総会に際しまして、二十五年、つまりその前年に選挙違反事故でもつて免職になつておりました、元の日赤の職組の委員長である尾瀬正吉という人が愛宕署員によつて拉致された、こういうことを私どもは聞いておるのであります。この尾瀬という人が自由党の谷本利千代という参議院議員の選挙運動のために職をやめられておる人であります。ですから、こういう人たちの背後に、思想関係というふうなことなんか全然ないということは、そういう事件でもはつきりしておるのであります。ところが、この尾瀬という人が長年職組の委員長をしておりまして、日赤の中のいろいろな世上伝えられておりますところの砂糖事件にいたしましても、あるいは新聞事件にいたしましても、コーヒー事件その他あるようでありますが、そういう事件について、あるいは日赤運営の仕方につきまして、非常に日赤の精神からはずれておるというので、意見を持つておることは、日赤幹部の人たちも承知しておるはずで、その人たちの発言を押えるために、最初には出席者は記章を持つていない者は入場を拒むという形でもつて、当日入場を拒んだそうでありますが、見かねました同僚の人たちが、お入りなさいというので、記章を出して特別社員として入場をいたしておりましたところが「日赤幹部が参りまして、きようどうぞ君の発言はやめてもらいたい、こういう話がありましたにかかわりませず、自分はきようは社員総会でもつて日赤の従来のやり方についてのはつきりした批判を出して、幹部の一掃ということをしなければ、とうていほんとう日赤の人道に沿つた事業はできないと思うから、今日発言するということを主張いたしましたために、とうとう愛宕署員二名によつて場外に連れ出された、こういう情報が入つておるのであります。きようは伊藤社長以外にも出席幹部おいでになりますが、そういう事案は全然なく、これはためにするためにそういうような事柄を捏造したのだ、もしこういう御確言であれば、私はまたこの点につきまして、そういう捏造した人たちを調べなければいけないと思うのであります。この点につきまして、私はそういう詳細な情報まで得ておるのでありますが、事実全然ないことでありましようかどうか、お伺いしたいのであります。
  30. 伊藤謹二

    伊藤参考人 当日の総会のことにつきましては、先ほども申し上げた通りでございますが、ただいまお話の尾瀬君というのは瀬尾君でございます。瀬尾君というのは、かつて本社の調度課の職員をいたしておりました。お話のような選挙違反事件で起訴いたされましたので、本社規則従つて、休職処分に付したのでございますが、その瀬尾君が総会当日、総会で相当何か発言しようというような気持で来たという話は、あとで私承知いたしました。それに対しまして、赤十字の現在残つております職員組合の諸君——瀬尾君はかつて本社内部職員組合の組合長もいたしておりました。全日赤職員組合の組合長もいたしておりましたが、私の承知しておる限り、先ほど来いろいろ論議せられております事件については、全日赤職員組合員諸君も、瀬尾君に同調する者はほとんどない、全然ないと言つていいように、私は承知いたしております。で、総会の当日瀬尾君が、一種の総会での総会荒らしと申しますか、何か発言をしようとしたことに対しまして、職員組合の幹部諸君が、そういつたみつともないまねをするのはどうかといつたようなことで、瀬尾君に勧告したというふうな話は、あとで聞いております。で、赤十字職員の中で、私に対していろいろ疑惑を持つておる人がおありのようにお話でございますけれども、私は人がいいかもしれませんけれどもほんとうに心から私を疑つておる者は一人もないと確信しておるのであります。瀬尾君自身といえどもほんとうに心から私にそういう暗い影があるなどと考えておるとは、私は信じたくないのであります。おそらくないと私は確信しておるのであります。本社職員組合の幹部諸君も、瀬尾君に、たびたびのこういつた悪声を放つことに対しては、しばしば反省を求めおることを、陰ながら私は承知いたしておるのであります。総会の当日の模様につきましては、あるいは私よりほかのだれかから申した方がいいかもしれませんから、私はこの程度にいたしておきたいと思います。
  31. 苅田アサノ

    ○苅田委員 それでは、本日は日赤幹部が四名御出席になつておりますまして、これは免職になつておりますけれども、やはり日赤の特殊社員としての資格は持つておるのだというふうな情報なんでございます。この点はそうだと思いますが、当日その日赤社員発言を拒むために、警察の力まで借りたということは、全然事実無根であるという幹部のすべての御意向であるということを承知いたしまして、私は今日はこの点はこれだけにしておきます。  それから総会運営のことにつきましては、さらに本年の五月八日に行われました第六十回総会が、たつた十分間に足りない、八分ばかりでもつて幕を開いてすぐ閉じてしまつた。しかも社員報告する義務のある経理方面の説明なんかも、説明書を配付しただけでもつて、これをごらん願いたいというだけで——全国から相当の金を使つて集まつて来たに違いないと思われますが、その総会に対しまして、十分間に足りない総会の開会だけで終つてしまつたということが、これは「日曜新聞」という、これはこちらの参議院議員なんかも関係しておいでになる新聞でありますが、この新聞にも出ておるのでありまして、事実五月八日の総会がそういう短時間でほんとうに一方的に開会の辞とか社長のあいさつとかということだけで、何ら具体的な議事総会の間ではつきりすることなしに、きまつてしまつたかどうか、この点もお伺いしたいと思います。
  32. 岡田好治

    岡田参考人 私企画室の主幹といたしまして、当日総会運営をいたしました関係で申し上げたいと思います。  総会を始めましたのは二時四十分少し過ぎておつたと思います。従いまして——大体の予定は、二時半から始めまして三時に終つて、それから三時から十分間休憩いたしまして、あとせつかく地方から大勢お集まりになつておられますので、三津五郎の提供されました慰安の踊りをお見せしたい。こういうようなことで、朝の慰霊祭から式典からの時間のやりくりを、私の方でしておつたわけです。そうしましたところが、皇后様のお帰りの時間が少し延びましたことと、朝からの皆さんのお疲れがありましたことで、二時半というのが二時四十分少し過ぎて幕を明けることにいたしたわけです。従いまして、一番最初は——これは私が書きましたが、私が書いて、私が読んで時間をはかつたのでございますから、正確に申しますが、社長本社の今後の行き方その他についての、施政方針と申しますか、いろいろそういつたものを約十二分——私の何で十二分であります。十二分で社長が朗読いたしたわけであります。それからただちに業務報告に移つたわけでございます。ところが、今度の総会は、最初の七十五周年の式典だけに、実はとどめたいというつもりであつたわけであります。ところが、お願い申し上げております社法が、世話人の方等の何によりますと、大体あるいは総会までに一応の国会の御審議が終るだろうというような話があつたものでございますから、従いまして、今度の式典と一緒に総会をやつて、できれば総会定款の改正その他御審議いただこうということで、実は総会を今度の式典にくつつけたわけであります。ところが、だんだん総会の準備を運びますうちに、社法の見通しもなかなかつきません。従つて、一応通知はいたしましたけれども総会というものが、ほとんども形式的な総会にならざるを得なくなつたわけでございます。従いまして、総会での内容というのは、むしろ事業報告と決算報告だけが、総会議事と申しますか、報告する程度の総会であつたわけであります。従いまして、この報告は、いつも社長が口頭で事業報告をいたしますと、大体一時間四十分ぐらいかかる。それではどうにもしようがないからというので、昭和二十五年の決算と事業報告を書きました詳細な印刷物をお配りをしたわけです。従いまして、いつもの総会で、ございまして議事がありますれば、その議事の採決が済むまでは、それは時間を縮めようといたしましてもできませんけれども、ただ単なる報告でございますし、なお報告書は詳細なものがお手元に配つてありますし、朝からのお疲れでもございますし、長々とそういつた内容を御報告することも何だから、そこで総務部長から簡単な概況の報告をいたしまして、その詳細は印刷物でごらんを願いたい、こういうふうに言つているのでございまして、決して私ども総会発言を禁止しようとかなんとかいうようなわけではないし、また先日副社長から私にお話があつたのは、せつかく地方からお集まりになるのだから、意見があれば何とか述べる時間はないだろうか、こということを再三私に言われましたけれども、企画の点から言いますと、三時から十分間休憩して、そうして踊りが二十分で、四十分には公会堂を明け渡さなければならぬという向うからの約束になつている。そういうことで、とても時間がございませんしいたしますから、そういつたようなことで、総会はこんな報告程度でございますし、一応形だけでも総会をいたさなければ、一応招集の中に入つておりますからといつたようなことで、やつたわけでございます。決してその他の意図があつたわけではございません。
  33. 苅田アサノ

    ○苅田委員 ただいまの参考人の御説明を聞きましても、実際のこの総会に当てられた、つまり踊りだとか余興だとか、あるいは皇后の臨席の何とか、そういうふうな儀式以外の例年の総会の事務に当るものは、あなたの御説明では二十分間があつたということになつているわけなんですが、そうして、しかも業務報告とか決算報告については、今私聞きましたように、ただ手元の参考の資料を見てほしいというだけで、内容についての明細な報告も討論もなつたかということは、事実のようであります。しかし私は、今度の総会は、日赤にとりましては、そういうお祭興業では済まない総会じやなかつたかと思うのです。と申しますのは、今新しい日赤法案も出ておりまして、今度日赤が特別法人になろうというようなことで、しかもそれに対しまして、日赤の基礎になつているのは、全国にある一千万人からの社員なんでありますから、その人たちに対しまして、日赤が今までどうやつて来て、どういう点が困るから、これはひとつ特別法にして新しい組織でやりたいということについても、こういう際にこそ、私は皆さんによく説明もし、またあなたの知つていらつしやるように、日赤幹部の不正問題につきましても、世上非常に騒がれている際でありますから、この際そういうことにつきまして、全国の社員疑惑を解くということは、当然考えられなければいけなかつたことじやないかと思うのです。ところが、それをしないで、今おつしやつたように、副社長がどういうふうに皆さん質問を聞きたいとおつしやつたか知りませんけれども、事実においては、そうした措置が少しもとられないで、すぐ皆さんが拍手して、だれも発言しようにも発言できない、そういうふうな形で十分間——まあ二十分とあなたはおつしやるのですが、とにかくそれで幕が引けてしまつたというやり方は、どう考えましても、公平に考えまして、いかにも日赤は、そういう社員総会なんかで、逐一そういう事実を明白にする誠意を持つていないというふうに考えられても、しかたがないと思うのです。もつと悪く言えば、これはそういう事実が知れることを隠すためだというふうに疑われても、私は日赤幹部として、弁明のしようがないような総会の持ち方じやないかと思うのです。それで、そういう事実があつたということは、もういまさら言つてもしようがないのでありますが、それであれば近日中に、少くとも特別法になる前の従来の社員の形でもつて日赤総会をもう一ぺんお開きになつて、そうして日赤の、少くとも総員の批判にこたえて世上いろいろな問題になつている事を解明いたしまして、明朗な姿でもつて新しい組織に移るというようなことを、幹部の責任としてお考えになつているかどうかという点をお聞きしたいと思います。
  34. 伊藤謹二

    伊藤参考人 赤十字総会につきまして、いろいろ御注意をいただきましたわけでございますが、私ども御趣旨の存するところは、十分尊重しなければならぬと思います。従来赤十字総会で、社長から相当詳しい事業報告なり、その他いろいろの説明をいたしておつたのであります。昨年もそうでございましたが、いつも散会後に、出席者の方から、あんなに詳しい説明、あんなに長つたらしい説明はやめてもらいたい、大体印刷物で詳しく報告すればいいじやないか、とてもたまらぬというような声が、実は非常に圧倒的に多かつたのでございます。それで、私入りましてから、どうもそういう声があまりに多いし、今年もあんなふうにやつたのでは総会がだらけるから、なるべく説明は簡単にするようにというような多数の意見に従いまして、本年は社長説明をきわめて簡略にし、そうしてあとは書類によつて承知を願うというふうなことにいたしたわけでございます。ただ、今年の総会のときに、私あとで、やはりこれは将来考えなければならぬと思いましたのは、近年は、例年本社の講堂でいたしておつたのでありますが、本年は七十五周年の記念式典もございますので、日比谷の公会堂に会場を移したわけでございます。午前中は物故者の慰霊祭をやり、午後から記念式典をやつて、その後に総会をしたわけでありますが、日比谷の公会堂を借ります場合に、私も、一日朝と昼と予約しておけば大丈夫だというふうな気持で、五月の八日の午前と午後だけを、ずつと前に予約して借りたわけでございました。さて式典なり、慰霊祭なり、総会を開いてみますと、どうも午前と午後だけの時間では少し足らないように思いました。今後の総会に際しましては、日比谷の公会堂でやる場合には、夜の部も借りて、十分な時間をとつておかぬとまずいというふうなことを、私も今回の総会にかんがみて感じたわけでございます。しかし、大多数の方は、なるべく早くきちんとしたところで切り上げたいという声の多いということだけは、私しよつちゆう批評されるのです。その点からいつて、もう少し簡潔にやつたらどうかという要望が多いので、私も実は困つておるような次第でございます。  社法の問題につきましては、これは内々本社理事会とか、あるいは評議皇には、いろいろ御相談いたしておるのでございますが、何しろ立法権は議会にございますので、私どもこの立法府で審議せられる前に、あまりあれこれ動くのもどうかしらんというふうな気も一面いたしておりました。しかし、役員方々には、少くとも事前に御了承をいただかなければいかぬというので、いろいろ相談をいたしたようなわけであります。総会で審議するということは、先ほども総会について申し上げましたように、いろいろな方が集まつて十分に慎重審議するということには、どうも総会は適当な場所でないように思うのでございます。
  35. 苅田アサノ

    ○苅田委員 私は何も総会で新しい日赤法を審議すべきだと言つたのではなくて、そういつた日赤の従来のやり方に対する風評も——風評だけではなくて、現にあなたも認めておるように、日赤の現副社長を相手どつて告訴も起つておる際であります。しかも、これは日赤会計にからんで起きていることもあるわけですから、こういう問題を社員総会ではつきりさせる責任があるのじやないかということを私は言いまして、そのことができなかつたのは実に不可解だ、しかし今後そういう点について——少くとも組織のかわる前に、従来の日赤社員——あなたは不満が全然ないとおつしやいますけれども、それは本部べでもしよつちゆう顔を出したりしているような人たちは、そうかもしれませんけれども日赤のあり方についてのいろいろな風評は、地方でもあるわけなんですから、やはりそういう不明朗みことを一掃するという処置を、今後とられるお考えがあるかないかということを、私はお聞きしたので、この点をひとつお伺いしたいと思うのです。  それから、きよう私は、そのほかいろいろな点につきまして、まだ疑惑のある点をお聞きしたいと思つてつたわけなので、これがもし時間の都合というので、このまま打切られることになりますと、私としては非常に不本意なのですが、もしきようこれで質問を打切られるのであれば、私はあらためて、やはりきようのような内容で、日赤の現幹部とこういう問題について事態を明らかにするような機会をぜひつくつてもらうということを、お約束願いたいと思うのです。いつそれができるかということも、きよう委員長として、はつきりと御確約を願いたいと思います。  それから、これはこの前の小委員会で資料を出していただくようにお願いをしたのでありますが、きようまだおできになつていないようでありますけれども日赤の募金のことであります。これはやはり世上にも新聞に書かれておる点でありますが、全国民の協力によつた募金が、決して趣旨に沿うように使われていない。たとへば、二十四年度の募金の総額のうちの五三%が、本部支部の人件費に使われている。それから一五%が募金の費用に充てられておる。その内訳は、一〇%が資材費で、五%が手数料等の人件費、こういうわけで、ほんとう日赤事業に使われるもの、本社事業費として使われるものはわずかに一六%しかないのだ、こういう情報も私どもは得ておるのでありますが、これが事実であるかどうか。それからなお、二十五年度、二十六年度の募金の具体的な使途につきましても、詳細な数字をあげて御答弁を願いたいわけなんです。もしきよう御答弁の資料がなければ、この点もあらためて、小委員会ではなく、しつかりした委員会で、記録に残るようにしてお聞きしておきたいと思いますので、以上の点をとりあえずお伺いいたします。
  36. 伊藤謹二

    伊藤参考人 最初に、私に対する疑惑の問題について、いろいろ重ねてのお話もありましたが、私が非常に困りますことは、どういう事件で、いつだれにどういうようなことをしたというような具体的な例をあげて非難を浴びるのですと、私もまた、それに説明するのに、非常にしやすいので踊りますが、あの告訴状を見ましても、また新聞記事を見ましても、だれに私がいつどこでどういうふうなことをしたというようなことが全然なくして、ただ疑惑がある、疑惑があるというふうな告訴状なり、書きぶりなりでありまして、私としてもはなはだ心外にたえないのでございます。人を誹謗するならば、誹謗者においても、もう少し具体的に例をあげていただくと、弁明する方も弁明しやすいと思うのであります。それで、本社総会においては、私は別段説明いたしませんでしたが、本社の機関としては、評議員会が大事な機関になつておりますが、評議員会では、たまたまいい機会がございまして、新聞記事に関して、かなり詳しく説明をいたしました。それで、本社役員においては、皆さん事情を了承してくれておるわけでございます。なお、今後総会等でそういう機会がございますれば、私は幾らでも説明いたしたいと思つておりますが、ただ、先ほど申し上げましたように、ただ疑惑疑惑だと言われることだけは、私少々閉口をしておるのであります。  それから、本社の募金関係について、本社の募金が、大部分人件費に使われているというような御質問でございますが、私どもの知る限りにおいては、本社の募金した金が人件費にまわりますのは、一般会計におきまして、大体二割一分四厘というような数字が出ておるのでございます。五十何パーセントが人件費というようなことは、募金からまわるわけがございません。本社の予算として、本社経理の上から人件費の方にまわりますのは、大体二割一分四、五厘から、せいぜい二割五分内外のところで例年おちついておると、私承知いたしておるのでございます。
  37. 青柳一郎

    青柳委員長代理 ただいま苅田委員の御発言の中で、資料の要求があつたと思うのでありますが、資料の点につきましては、赤十字社の方から御提出を願いたいと思います。  それから、今後のこの問題の取扱いにつきましては、ただいま苅田委員から御発言がありましたが、先ほど参考人選任につきましても、理事会決定するということを申し合せたのであります。やはり理事会において、今後の運営について決定いたしたいと思います。  本日はこれをもつて散会いたします。次会は公報をもつてお知らせいたします。     午後一時二分散会