○奧野
政府委員
青柳さんは厚生行政の権威者でありまして、私からとやかく御
説明いたしませんでも、よくおわかりにな
つておられることでございます。しかしながら、なお一言児童福祉行政の費用につきまして、国からひもつきの財源を
交付した方がいいかどうかということにつきましての
考え方を申し上げさせていただきたいと思います。
お話のように、
昭和二十四年度までは、児童福祉行政に対しまして、国から直接負担金を支出しておりました。
昭和二十五年度の国、地方を通じますところの財政制度の根本的な改正にあたりまして、ひもつきな
補助金は、原則としてやめた方がよろしいのではなかろうか、そうすることによ
つて、地方団体の独立性を確立して行きたい。地方団体の独立性を確立するためには、財政的
なつながりというものを、なるたけ断ち切つた方が、自主的に物事を判断することが可能になりまして、
住民に対して地方行政というものが活発に行われるのではなかろうかというふうな
考え方が持たれたわけでございます。しかしながら、国が期待しておりますような行政が、各地方において行われませんと困りますので、
基準の設定を通じて、地方行政の
計画的な
運営を行
つて行こうというふうなことが
考えられまして地方財政平衡
交付金制度が生れて参つたわけでございます。すなわち全地方団体におきまして、
兒童福祉行政その他の行政において、どの
程度の財源を必要とするかということを測定しながら、他の行政におきまする経費も測定いたしまして、その団体の財政需要額から、その団体が獲得できまする税
収入を差引きましたものを、地方財政平衡
交付金として出して行く。言いかえれば、個々の地方団体について測定されました財政需要額は、どの地方団体においても財源として確保して行こうという
建前がとられたわけであります。しかしながら、これらの
交付金は、ひもつきの財源ではございませんので、自然どのように使いましても、地方団体の自由であります。その結果、
青柳さんが御指摘になりましたように、あるいは若干の地方団体において、
兒童福祉行政を軽視して、他の行政費により多くの財源を持ち込んでおるという団体もあるのではなかろうかと、私は想像するわけであります。その場合に
考えなければならない問題は、いろいろあるだろうと思うのでありますけれ
ども、それではその団体に願えられている財源をどのような使い方をすることが、その地方
住民にと
つて、あるいは国全体にと
つて適当であるかどうかという判断を、どういう見地からするかということが
一つございます。もう
一つは、なるほど
兒童福祉行政は非常に大切な行政であります。それならひもつきの財源でそれを強制して行く行き方がよろしいだろうか。あるいは他の立法
措置を講じまして、必ずこの
程度のことをしなければならないのだという強制的な道を講ずる必要がないかどうかということを
考えなければならない、これも私は非常に大切な問題ではなかろうかと
考えるのであります。そうや
つても、なおかつ
兒童福祉行政が円滑に行かない場合に、さらにあるいはひもつきの財源を
交付するとかいうことがくふうされても、おそくはないのではないか、こういうことも
考えるわけであります。それよりも、根本的には地方財源が全体として不足している。こういうところから、必ずしも個々の行政において満足するような成果が得られていないという点は、われわれとしても認めざるを得ないと思うのであります。児童福祉行政なり、個々の行政なり、それだけを取上げまして、それだけについて、国が期待しておりまするような行政
運営を地方において実現せしめて行こうといたしますならば、私はやはりひもつきの財源が一番手取り早いと思うのであります。一番手取り早いのでありますけれ
ども、これにはいろいろな弊害がございますので、
補助金行政というものは廃止するという方向に持
つて参りまして、まだ二十五年度、二十六年と二箇年度を経過しただけでありまして、このような行き方がいいか悪いかということにつきましては、なおいろいろな角度から研究して行く問題も多分にあるだろうと思うのであります。大体ひもつきの
補助金行政をやりました場合には、
補助金交付に伴いまする事務だけでも、やはり増加して来るということは、
考えなければならないと思うのであります。さらにまた、これは
兒童福祉行政について行われていることを言うわけではございませんけれ
ども、
一般的に
補助金行政は、いろいろと地方の行政に対しまして、あるいは人事について、あるいは機構について、不当な干渉の機会を與えがちであるということも、私は指摘しておきたいと思うのであります。さらにまた一定の金を地方の
実情に即しまして最も適切な使い方をする。そういう意味において地方団体には総合行政を行
つて行く権能が與えられているわけでありますが、総合行政の推進の見地から見た場合に、どうであろうかということも
考えられるわけであります。あるいは
補助金行政は、その
補助金の支出の
條件について示されました
通りの画一的な行政を行
つて行く
——その
通りの行政は地方において実現されて行きましようけれ
ども、
住民みずからがどのようなやり方をすることが、それぞれの行政を伸ばすために最も適切であるか、みずからくふうする気構えというものは、私はやはり少くな
つて行くということをおそれなければならないと思うのであります。さらにまた現在の地方税制がどういう姿にな
つているかということも、あわせて
考えなければならないと思うのであります。かりに
兒童福祉行政を昔のままに返すといたしますならば、東京都や大阪府なり市なりに対しましても、相当の
補助金は
交付されるということになると思うのであります。こういう団体におきましては、現在では地方税制によ
つて得られます
収入だけで十分であるとわれわれは
考えております。そうしますと、現在におきましても、地方財源が偏在いたしておりますけれ
ども、ますますこれらの偏在を激化させるおそれが出て来るだろうと思うのであります。でありますから、各種の行政に対しまして、国が直接支出する制度をつくるかどうかということを
考えます場合には、地方税制なり、その他の財政制度とも一緒にして
考えなければならないという
考え方を持
つておるわけであります。個々の地方団体において、児童福祉行政が十分でない。特に
兒童福祉のことについて心配しておられる方々によりましては、あきたらぬ面も非常に多いだろうと思うのであります。その場合に、それぞれ市
町村政府なり、府県
政府なりに対しまして、
兒童福祉行政にもつと金を出せと切実な訴えをする道と、市
町村や府県の世話にならないで、直接
政府からひもつきの金を持
つて来ようとする
態度とが、あるだろうと思うのであります。私は、やはりできるなら、地方ごとに
住民にみずから解決させる道を選びたい、こういうふうな
考え方を持
つておるわけであります。しかしながら、
兒童福祉行政を直接国からその何割かを支出金として
交付する
建前の長所というものも、無視することはできないだろうと思うのでありまして、そういう面で、
先ほど大臣から
お答えになりましたように、両方の長短をあわせ
考えながら、他面には、また現行の地方財政制度、地方税制ともにらみ合せて研究して行きたい、こういうことから今日なお結論を得ていないような
状態にあるわけであります。