○立花
委員 本日の朝日
新聞の社説として「本末を誤つた
選挙法の改正」という論文が掲げられておりまして、私
どもがただいま討論に付しております
公職選挙法改正を根本的に批判いたしております。まつたくこの
選挙法の改正は、本末を転倒したやり方でありまして、軍に
選挙費用の軽減をはかり、あるいはその他技術的な改正にとどめるのだということを表面の理由といたしながら、
新聞あるいは雑誌等に対する言論の自由、表現の自由を制限し、あるいは政治団体の活動を制限し、あるいは未成年者の
選挙運動への参加を禁止いたします等、まつたく本末転倒のことで、場合によ
つては憲法
違反であるという疑いのある制限さえあえてしております。従
つて表面に掲げましたところの、
選挙費用を軽減するとか、あるいはその他の技術的な行き過ぎを改めるということは、まつたく表面の口実にすぎないのでありまして、この
選挙法改正の本質は最も反動的な最も奴隷的な改悪であるということは、一点疑いの余地がないと思います。すなわち今政府の最も恐れておりますものは、吉田政府の売国政策、軍事植民地政策に対する
国民の反対であります。先般来の四月十二日、あるいは四月十八日のゼネスト、あるいはメーデーの闘争を経まして、明日から開始されますところの第三波ゼネスト、こういうものは全部吉田反動内閣の軍事植民地政策の収奪、あるいは彈圧に対する反対として、
全国的な、
国民的な闘争として沸き起
つておるのであります。これに対しまして、大衆が政治的に大きく高揚して、その代表が議会に進出して参る。これに対する抑圧政策、この
国民の憤りを議会にどうして持ち込まないようにするか、これがこの
選挙法の根本的な内容であることは間違いないと思います。
さらに
選挙運動期間を通じまして、
国民の吉田内閣の施策に対する批判を極端に恐れる結果、
選挙運動期間を短縮し、
選挙運動を制限し、演読会を制限し、あらゆる一切の
方法を講じまして、
国民の
選挙運動を制限したわけなのであります。これはこの
選挙法の改正だけではありませんで、現在行われておりますところの
地方自治法の改正におきましても、
地方議会
議員の定員を二万六千名縮減するということが
規定されております。あるいはこの
選挙に関しまして最も重大なことは、
選挙管理
委員会を廃止いたしまして、政府の一付属機関にいたしまして、
地方自治庁長官が
選挙管理の事務を扱うということにいたしておる点と、もう
一つは、今回の
警察法の改正によ
つて、直接
選挙運動を
取締りますところの
警察を政府が一手に掌握いたし、すなわち国家
警察本
部長官の任命、あるいは警視総監の任命、あるいは自治警の国家
警察への編入というような形で、
選挙管理と
選挙取締りを一手に吉田総理
大臣が握
つてしまうわけなのであります。これはまつたく吉田総理の掌握下における
選挙、か
つての翼賛
選挙と何らかわりがありませんので、明らかにフアツシヨ的な
選挙が行われるということを明白に暴露しておると思うのであります。
以上述べましたようなことが、今回の
選挙法改正案の本質的な問題でありますが、以上述べましたことを個々にわたりまして
立証いたしておく必要があると思いますので、個々の條文に関しまして、反対の理由を申し述べておきます。
まず第一には、供託金を衆議院の場合に
現行三万円を十万円に引上げる。これは明らかに、金によりまして被
選挙権を制限することは明白である。このことは最も明白な現われなんで、これは何人といえ
ども否定することはできないと思う。さらにもつと明白なのは、
選挙運動期間の短縮である。これはさいぜんも申しましたように、
選挙運動期間を通じての、現在の吉田政府の売国的な政策に対する
国民の批判を極端に恐れまして、これを制限いたそうということは間違いないのであります。
さらに未成年者の
選挙運動の禁止でありますが、戰後の
一つの特徴として青少年の間に政治的な批判の目が高ま
つて来ている。これに対しまして、未成年者の
選挙運動への参加の拒否、
政治活動の禁止ということにな
つておりますが、これも反動吉田政府の本質を暴露したものであろうと思うのであります。
さらに署名運動の禁止等も、これは最も大衆的な、最も金のかからない
国民的な
政治運動の
一つの形態でありますが、これを
選挙運動に名をかりまして、禁止いたしております。
さらに文書図画の禁止でありますが、無料のはがきの三万枚を一万枚への制限、ポスターの全面的な禁止等は、これも最も金のかからない、しかも大衆的な
選挙運動の手段でありますが、これを完全に制限し、あるいは全面的に禁止するということは、さいせん申しました
選挙法改正の本質から当然出て来るものだと思うのであります。
さらに問題でありますのは、さいぜん申し上げました朝日
新聞の社説もあげておりますように、
新聞紙、雑誌の報道及び評論の自由の制限であります。これは憲法に保障されました出版の自由、あるいは表現の自由を極端に制限するものでありまして、この降順
一つをとりましても、今度の
選挙法の改正の本質の反動的な性格が暴露されておると言わざるを得ないと思うのであります。
さらに放邊の場合も同様でありますが、一「虚偽の事項を放逸し又は事実を歪曲して放邊する等表現の自由を濫用して」というあいまいな表現を用いまして実は放邊の自由を制限しておりますが、これも憲法の條項に反するということは間違いのないところであります。さらに立合演説会の場合におきまして、私
どもが小
委員会で主張いたしました、少くとも労働者の多数おります工場等におきましては、労働者の要求によ
つて公開の立会演説会が開けるようにするという
規定が明確に入れられておりません。現在労働者は朝から晩まで、あるいは夜業いたしまして、演読会等に対してもほとんど聞く機会が与えられていないのであります。こういう労働者に対しましては、その職場において各党の演説が聞かれるという形にするのが当然だと思うのでありますが、この峰項が入れられていないということは、労働者の要求を完全に無視していると言わざるを得ないと思う。さらに個人演説会の回数を四十回に制限いたしておりますことは、何をも
つて四十回ということを
規定いたしましたのか、これはまつたく根拠不明でありますが、個人演説会のごときものは当然無制限に許すべきものでありまして、回数を限るべきものでは絶対にないと思う。
さらにその次は演説会の禁止であります。以上述べましたような演説会の制限すらまつたく不当であると思うのでありますが、その他の演説会につきましてもこれを全面的に禁止いたしまして
選挙運動期間中を通じて、他の一切の集会の自由をこれで制限いたそうとしております。これも明らかに憲法に
違反する
規定だと思うのであります。
さらに街頭演説の制限でありますが街頭演説は一時に一回しか行えないというような、まつたく禁止的な制限であります。最も大衆的な、最も民衆的な、しかも金のかからない
選挙演説である街頭演説をこのように制限いたしたということは、明らかに大衆の政治批判を恐れ、大衆に革新政党が接近することを最も恐れた明白なる例証だと思うのであります。
連呼
行為の制限に至りましても、これは街頭演説の制限とまつたく同様のことが言えると思うのであります。しかもこの街頭演説の場合におきまして、運動員を十五人に制限したということは、まつたく言語道断でありまして、
選挙運動を含めての
政治活動の自由を極端に制限いたしまして、何十万の有権者がありましても、わずか十五人しか
選挙運動ができないというような、まつたく言語道断な
規定だと思うのです。しかもこういう
規定を大衆の政党であるという社会党がお出しになりましたことに対しては、私
ども社会党の性格自体を疑わざるを得ない。
さらに法定
選挙費用の倍額への増加でありますが、これによりまして
選挙費用は四十万円になるのであります。この
選挙法の改正自体は、個人の費用の負担の軽減と公営の拡張ということも
一つのねらいにあつたはずでありますが、これによりますと、個人の負担すべき
選挙費用が倍額に引上げられておりまして、供託金の十万円と合せまして、最低五十万円の
選挙費用がいるということは、労働階級あるいは庶民階級にとりまして、
選挙の実質的な制限になるということは否定し得ない事実だと思うのであります。
それから百九十七條におきまして、実費弁償、すなわち
選挙運動に従事する者に対しまして、交通費、宿泊費、あるいは弁当料等を出すという
規定を新しくつく
つておりますが、これは明らかに、こういう名目のもとに買収の道を開くものであります。
選挙運動は決して他人のためにするものではなく、みずからのためにするものであり、
選挙運動とは最も純正なる
政治活動でなければならないのに、こういう金銭の問題を入れましたことは、
選挙そのものを腐敗さす根本の原因になろうと思うのであります。
さらにその次に重要なのは、政党その他の政治団体の
政治活動の制限、あるいは禁止であります。これは本日の朝日
新聞も指摘しておりますように、政党の自殺
行為ではないか、
選挙運動以外の政党の
政治活動を制限するということは一体何に基いておるのか。むしろ、これはこの
委員会の権限外であり、この法案の権限外であると私は思うのです。
選挙活動を制限するならわかりますが、
選挙活動以外のものを、しかも
政治活動をするのがその本來の使命である政党に対しまして、
公職選挙法の中におきまして
政治活動を制限するということは、これは一体どういうことなのか。しかも自由党、改進党、あるいは社会党のような政党自身がこういう政党の活動を禁止するものをなぜお出しにな
つたのか。これは
国民として疑惑の種だといわざるを得ないのであります。
さらにその次に、
候補者二十五名以下の少数党の
選挙運動に対しまして非常なハンデイキヤツプをつけまして、自動車が使えないとか、あるいはその他重大な
選挙活動の制限を
行つておるのであります。これはいかに保守的な既成政党が革新的な少数党の進出を恐れているかということを端的に現わしているものと言わざるを得ないのであります。
さらにこれらの問題は、自治庁の長官を通じて証明書が与えられ、しかも自治庁の長官に届け出で、自治庁の長官の指示を受けてやることにな
つておりますが、これでは当時の政府を構成いたしますものの支配下に
選挙が運営される結果になることは明白でありまして、最初に申し上げましたように、これは政府のための政府の管理下にある
選挙、李承晩の
選挙と同じだと思うのでありまして、そういうことの行われる危險が多分にある。自治庁の長官が、自由党の
選挙対策
委員長を兼ねないとは保障できない。自由党の
選挙管理
委員長の管理のもとに行われることになるとこれはいかなる
選挙であるかということは明白だと思うのであります。
大体以上の具体的な條項の例示によりまして、最初私が述べましたようにこの
選挙法の本質的な、反動的な性格が明瞭な暴露されたと思いますので、以上をも
つて反対論を終りたいと思いますが、この法案を
委員会の成案としあるいはさらに本
会議に提出することに対しては、共産党としては反対であります。もしお出しになるのであれば、これは党の責任を明確にいたすために、各党の責任においてひとつお出し願いたいということを付言いたしまして、討論を終ります。(「修正案は」と呼ぶ者あり)修正案ももちろん反対であります。