○黒田
委員 私は労働者農民党を代表いたしまして、本條約の
承認に
反対をいたします。
この條約が、
公海自由の
原則を無視したものであるということは、本降約審議の
過程におきまして、十分明らかにされたことであると私は信じます。條約
承認に
反対する最大の理由がここにあることも、私の前に
反対討論に立たれました
委員諸君の論旨から見て明瞭であると考えます。私も同様な論拠に立つものでありますが、多少その論拠をこまかく分析して説明してみたいと思うのであります。
私がこの條約の
承認に
反対いたします第一の理由は、
政府はこの條約の
締結において国家として
義務のないことをあえて
行つて、
日本国家に不利益を與えるような結果を招くものである、こう私は見るので、これが理由の第一であります。サンフランシスコ條約第九條の
漁業協定に関する
條項をもととして本條約はできたものであると思いますが、そのサンフランシスコ條約の
漁業に関する
條項によりますと、
漁業問題につき漁猟の
制限または規制並びに
漁業の発展と保存のために公正な
協定を
締結する目的をも
つて、連合国と交渉を行う
義務があるということは規定されてありますけれ
ども、希望する連合国と交渉をなせば足りるのでありまして、漁区
制限の
協定を作成する
義務を
日本は負担させられておるのではありません。しかるにこの條約は、
日本の海洋
漁業の
制限を定めております。なるほど條約の字句から見ますれば、
自発的抑止という言葉を用いておりますけれ
ども、実質上は
漁業権放棄であると私
ども解釈せざるを得ないのであります。このように、
義務のないことを
政府はしております。しかもそれによりまして
日本の利益を損じておるのでありまして、これが私が本條約に賛成しがたい第一の理由であります。
それから第二の理由は、本條約によりますと、わが国の出漁に対し、一定の海域の
制限を規定しておりますが、私はこれは
国際法上の観念としても不合理でありますし、同時にわが国に
差別待遇を與えたものであると考えますので、このような條約に私
どもは
承認しがたいのであります。元来
アメリカ及び
カナダの両国の共同原案には、
日本をして
漁業の
権利の放棄をなさしめるという文字があ
つたように私
どもは伝え聞いております。それを自発的な抑止という言葉にかえたのでありますから、ある程度
政府の努力がそこに現われておるというように、認められないこともないという見解も成り立つかもしれません。しかしながら
公海の
漁業資源の保存を
主張し、独占的
漁獲を求めておりました
アメリカ及び
カナダの提案は、実質的にはそのままに容認せられておるのであります。ことにべーリング海峡におきまして、西経百七十五度付近で、ある一定のラインを描いて海域の
制限をしておりますことは、私は、海洋を自由な海洋からとざされた海洋に変化させることになると考えざるを得ないのでありまして、私
どもは、このようなことをするのは、過去においても、不合理なやり方であるとして排斥されていたと思います。今回の條約によりますと、これは
さけ等の一定の漁類に対しまして、特殊な
権利を——その特殊な
権利というものはどういうものであるかと申しますと、海の中を泳いでおる不特定な魚の群という
一つの動産集団に対しまして、
アメリカ並びにカダのために、
日本は所有権を
承認するということになるのでありまして、私はこのようなおかしな
権利はあり得るものでないと思います。このようなおかしな特殊な
権利を、領海の限度である三海里以外の海域において
アメリカが
主張し、
日本はこれを認めるというようなことは(「これは法律ではないよ」と呼ぶ者あり)これは法律ではないというお言葉がありますけれ
ども、過去において、こういうやり方に対し、これを否認する例があ
つたと私は思います。これはベーリング海におけるオツトセイの捕獲事件に関しまして——これは私はある本で読んだのでありますが、特別国際仲裁裁判所の判決で、このような領海の限度たる三海里以外の海域において、このような特殊な
権利を
主張するということは正当でないとい
つて、判決においてこの
主張が否定せられた例が、私はあると思います。私は無学でありますから、まだほかに例があるかもしれません。少くとも私の読んだ本の中には、研究しました範囲内では、こういう事例があるのであります。どう考えましても、この條約は不合理なとりきめで、そして不公平なとりきめであるというふうに解釈しないわけには、私には行かないのであります。
それから第三の理由といたしましては、大体私はこの條約は、公正な
條件、自由な環境のもとで
締結せられたものでない。
日本の側から申しますと、まだ一種の
意思の拘束を受けておる、自由な行動並びに
意思の表明のできないような状態のもに置かれておる、そのような状態のもとで、無理やりに
締結させられたところの條約である、そういう性質のものでありますから、その意味におきましては、私
どもはこれに賛成することができないのであります。なるほど形式的にはこの條約の署名は、今年の五月九日にな
つてなされたのであります。しかしながら実質上は昨年の十二月に、すなわち平和條約の発効以前に仮調印されておるのであります。それが本條約の基本にな
つておるのでありますから、やはり私は他の若干の條約の例と同じように、平和條約発効前に無理やりに
日本に
締結させた條約だこう私
どもは解釈せざるを得ないのであります。私は事がここに至るまでには、
アメリカの非常な深謀遠慮があると考えます。元来私
ども日本人は、
李承晩ラインのことを猛烈に攻撃しておるのであります。李承晩が一九五二年一月十九日でありましたか、いわゆる
李承晩ラインというものの宣言をいたしまして、マツカーサー・ラインとややひとしいような線におきまして、一方的に
公海に対して韓国の主権の行使を
主張いたしましたときに、わが
日本国民は、それは
国際法上許しがたい声明であるとして、このやり方を痛烈に非難しております。しかるに大体これと同じような思想に基く宣言が、数年前に
アメリカにおいてなされておるのであります。必ずしも全部が同じとは申しませんけれ
ども、基本的構想において私は一致しておると思います。それは一九四五年九月二十八日に発表されましたトルーマンの大洋
漁業政策に関する宣言であります。これは合衆国に隣接する
公海の若干の
区域における
漁業保護のための保存海区の設定をはかることを意図してなされた宣言でありまして、この宣言は、一方的な宣言によりまして、保存海区が
アメリカのために設定できるという考え方の上に立
つておるのであります。その海区が
公海であることを認めながらも、なおその海区に入
つて来る他国の船舶に、
アメリカとしての統制を加えようとする宣言でありまして、このような宣言は
国際法上の根拠が私
どもにはあるとは考えられません。しかもこのトルーマン宣言が、米国の行おうといたしました対日
漁業政策の基本的方針にな
つておるのでありまして、着々と手を打ちつつ、まだ自由な
意思を表示することができない
日本、すなわち平和條約発効前の状態にあります
日本に対しまして、遠慮なくこの方針による
アメリカの
漁業政策が推進せられて参りまして、それが今日の
事態を招来したのであると私は考えるのであります。元来
アメリカ人及び
カナダ人が、
日本人の東
北太平洋にどんどんと進出して行くということをきら
つておる
気持は、私
どもにもわからないことではないのであります。それは
各国が、自国の利益という考え方に基いて抱く
気持で、そういう
気持を
アメリカ人及び
カナダ人が彼らの
立場から持つということも、私は当然であるとも考えますけれ
ども、しかしそこが必ずしも彼らの思うようには行かないというところに、
公海自由の
原則の適用があるのであります。しかもなお
アメリカは、海洋
漁業の規制という問題につきましては、特別な関心を持
つておりまして、これを対日
漁業條約の中に織り込めよう、こういう意図を彼らは
最初から持
つておりました。その現われの
一つの例を申し上げてみますと、一九四九年にマツカーサー元帥の招請に応じてわが国に参りました
アメリカの
漁業使節団が、私
どもから聞けば、非常に不愉快に感ぜられることを言うておるのであります。
日本が他国の
沿岸において無
制限に漁撈するというような、戰争前に考えていたようなことをいつまでもやれるように思うておるならば、講和條約などというようなものは、とうていできはないぞと、こう言うておるのであります。私は実にこれは、講和発効前における
アメリカの
日本に対する恫喝的
態度であると、
日本人として考えざるを得なか
つたのであります。その後一九五一年の二月七日に、吉田総理のダレス氏に対する文書となりまして、
アメリカ及び
カナダの
沿岸漁区の
制限をわが国が声明いたしましたのも、これはダレス大使が太
平洋沿岸の
漁業者の
意思を、
アメリカの政策の中に入れて、その
意思を
日本の
政府に伝えて参りましたので、吉田総理がそれに応じてこのような書簡を出したものであると考えられます。それに続きまして同年の七月十三日に、
カナダ及び
アメリカのみならず、他のすべての連合国に対しましても、同様の漁区
制限の方針に出るということを吉田声明によりまして確認いたしましたのも、ダレス大使が太
平洋諸国を歩いてみた結果、それらの国々が、
日本に対し漁区
制限の
要求を持
つておるというように見てとりまして、これを
日本政府に伝達し、そうして
日本政府に、このような声明をさせたものであるというように、私
どもは考えざるを得ないのであります。このような経緯を通じましてサンフランシスコ條約の第九條が生れたのであります。そして、この第九條によりましてこの條約が生れたのであります。しかしながら、先ほ
ども申しましたように、この條約はサンフランシスコ條約の規定以上のことをや
つておる。サンフランシスコ條約によればこれほどまでのことをやらなければならぬ
義務が課せられておるのではありません。しかるに、あえて海洋
漁業の
制限を甘受するというようなことをや
つておるのでありまして、私
ども、どうしても
日本人の
気持といたしまして、このような條約に賛成することはできないのであります。先ほど申しました
通りに、
日本がまだ正式に独立の国にならない前に、
アメリカはあえてあようなことになるようにどんどんと
事態を推進さして来たのであります。そこに私
どもは非常な不愉快さを感ずるのでありまして、これは
安全保障條約と
行政協定の
締結についても同様であ
つたと思います。それから昨年の十二月二十四日に吉田首相が台湾にいる蒋介石
政府を中国との平和條約の相手とするという書面を出したこれも私は同様の環境のもとに出させられたものと考えます。そしてまたこの
漁業條約の昨年十二月十四日における仮調印も、私
どもは同様なできごとであると見ないわけには行かないのであります。このように
日本が独立してからやればよいものを、なぜ
アメリカは平和條約発効前にそれを
日本にしいたのであるか、そこに私
ども日本人としての不満があるのであります。平和條約が四月ころに発効すると
アメリカは考えていたのでありますから、それから後にや
つてもよろしい、しかるに、いわゆる独立回復の状態になる前に、あえてこのような重大な條約、
協定等について
意思表示を
日本にさせたというところに、私は
日本人として真劍に考えなければならぬものがあると思います。和解と信頼の條約などとい
つておりますが、一体この條約がそういう精神に基いた條約でありましようか。私は
日本人として真劍にこのことを考えてみなければならないと思います。
それから第四には……。