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1952-06-25 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十七年六月二十五日(水曜日)     午後一時五十三分開議  出席委員    委員長 小平 久雄君    理事 池見 茂隆君 理事 小西 英雄君    理事 若林 義孝君 理事 坂口 主税君       青柳 一郎君    稻田 直道君       川端 佳夫君    庄司 一郎君       玉置 信一君    玉置  實君       中山 マサ君    福田 喜東君       丸山 直友君    亘  四郎君       堤 ツルヨ君  出席政府委員         外務政務次官  石原幹市郎君         参  事  官         (外務大臣官房         審議室勤務)  三宅喜二郎君  委員外出席者         厚生事務官         (引揚援護庁援         護局引揚課長) 山本淺太郎君         厚生事務官   田島 俊康君         参  考  人         (スマトラ地区         引揚者)    宮山 滋夫君         参  考  人         (スマトラ地区         引揚者)    川路  進君         参  考  人         (スマトラ地区         引揚者)    早川  清君         参  考  人         (元陸軍軍医大         尉)      北村 義廣君         参  考  人         (日本赤十字社         社長)     島津 忠承君     ————————————— 本日の会議に付した事件  参考人招致に関する件  南方地域における残留胞引揚促進に関する件  外地における戰犯抑留者に関する件  海外胞引揚に関する件  委員派遣に関する件     —————————————
  2. 小平久雄

    小平委員長 これより会議を開きます。  本日は南方地域における残留胞引揚促進に関する件及び外地における戰犯抑留者に関する件について議事を進めます。  南方地域における残留胞引揚促進に関する件につきましては、前回の委員会におきまして政府当局より説明を聴取いたしたごとく、なおスマトラに百五十名、ルバング島三名、仏印に数十名に上る同胞残留しているのでありまして、われわれとしてもすみやかにこれら同胞帰還を望むものであり、これにつき残留者実情を明らかにいたしたいと思うのであります。つ  また外地におけ戰犯抑留者に関する件につきましては、講和條約発効後の今日、いまだ三百十七名が外地に服役している実情より、留守家族心情としては、少なくとも内地服役を渇望するのでありまして、われわれとしてもこの問題についてすみやかな達成を望むのであります。  本日はこの両問題につきまして、マヌス島より最近帰られた方並びにスマトラより引揚げて来られた三名の方より、現地事情をお伺いすることといたします。  ただいまお見え参考人方々は、スマトラより引揚げられた宮山滋夫君、川路進君、早川清君、及びマヌス島より帰られた北村義廣君であります。     —————————————
  3. 小平久雄

    小平委員長 なお、海外胞引揚促進に関し、さきに日本赤十字社より国際委員会に要請中のところ、最近同委員会より日本赤十字社に対しての返電があつたことについては、新聞等により御承知のことと思いますが、これについて、ただいま日本赤十字社より島津社長がお見えになつておりますので、この件に関し、本委員会参考人として日本赤十字社社長島津忠承君より事情を聽取いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 小平久雄

    小平委員長 それではさよう決し、島津忠承君よりもお話を承ることといたします。     —————————————
  5. 小平久雄

    小平委員長 その前に一言ごあいさつ申し上げます。  参考人各位には、御多忙中のところ御出席くださいまして、委員長として厚く御礼を申し上げる次第であります。異境の地における同胞、一日千秋の思い帰還を待つておられる留守家族心情思いをいたしますとき、一日も早く引揚げ問題、並びに戰犯受刑者内地送還等の問題の解決をはからなければならぬものと焦慮する次第であります。この問題の解決に対する本委員会の意図をおくみとりくださいまして、終戰以来帰還に至るまでの概要、並びに現地における同胞状況等につきお話くださることをお願い申し上げます。  なおお話の時間はお一人大体十五分くらいにお願いをいたし、続いて委員よりの御質疑に応じて補充的なるお話を願いたいと存じます。まず最初宮山滋夫君。
  6. 宮山滋夫

    宮山参考人 宮山です。スマトラより帰つて参りましたが、神戸上陸以来、外務省、厚生省、あるいは各府県の方の引揚げ事務をやつておられる方方が非常に御熱心なんで、いろいろ感じたのであります。最初に申し上げたいことは、大体こちらの各官庁の方の向う残留しておる者に対する態度が、なるべく早く引揚げさしたいということを主としておられるように見受けられたのでありますが、実はこの点、引揚げを第一とするというよりは、向う残留者——これはインドネシアにおる者だけのことかもわかりませんが、向うにおる者に早く居留民としての資格を與える、あるいはインドネシア国籍を付與してもらうように働きかける、そういう方向を第一としてもらいたい、引揚げ促進ということは第二としてもらいたい、この点を申し上げたいと思います。というのは、あちらの同胞はいろいろな事情残留したのでありますが、現在の気持は、はつきり申し上げますと、第一に妻子のある方、向う結婚されて子供まで生れた方は、やはりその妻子に引かれる。それから大体日本インドネシアとの国交が調整されかけて来ましたから、非常に楽な気持でいます。ですから、今すぐに引揚げるよりは、残つてしばらく奮鬪して、その上で帰つて来たい、こういう意向の人も相当おります。ぼくなんか現地の最近の体験からいたしまして、やはり第一にインドネシアとの国交調整をはかつて、早く向う日本人居留権を與える、あるいはインドネシア国籍に入れさせる、そういう方向を第一として働きかけなければいかぬじやないかと思います。現在向うにいる同胞は、大体身分的に言つて幽霊のような存在なんです。というのは、正式に居留権をもらつていない、インドネシア国籍も大部分の者がもらつておりません。従つて非常に不利な点があります。さしあたつて向う同胞の一番苦にしているところは、実はそこなんです。  次に、引揚げあるいは遺族の方に連関しての問題でありますが、第一に、向う残つている者がどんな人たちか、あるいはなくなられた方がどんな人たちかということを調べることが第一だろうと思います。その点に関してちよつと申し上げます。向うでまだ生存しておられる方に関しては、インドネシア政府がある程度調査をしてくれております。しかしこれはあんまりあてになりません。まだインドネシアは、機構がそれほど整備しておりませんし、事日本人に関してそれほど熱心でありませんから、あんまりあてになりません。やはり一番たよりになるのは、向うにいる同胞、この人たち連絡による調査だろうと思います。それでぼくらこの三人は、スマトラメダンというところにおりましたが、その地区には、メダン地区日本人会というものがありまして、これはある特殊の事情で非常に団結がかたく、自覚を持つて仕事をしております。ですからどんどんこういう会を利用していただきたいと思います。たとえばすでになくなられた方、インドネシア独立鬪争において戰死された方、あるいは公傷死をなされた方、あるいは病沒された方、こういう人たち調査は、これはインドネシア政府には全然期待することができません。ただあちらにおる同胞の記憶、これにたよるほかありません。ですからぜひともそういう向うにある日本人の会を利用していただきたい。たとえばメダン地区日本人会、これが活躍いたしますれば、スマトラはもちろん、おそらくマレー半島の残留日本人の動向まで手がかりを得るようになるかと思います。ただ一つ、実はぼくもメダン地区日本人会の会員で、いろいろ仕事もしたのでありますが、資金の点で非常に苦労すると思うのであります。現在これもある特殊の事情で、みんな向う日本人はそれほど裕福な生活を送つておりませんから、みんな自分仕事をやるかたわら、いろんななくなられた方の調査とか、それからまた生存している方たちとの連絡というような事務に当つておりますから、もしできたら、こちらの方からジヤカルタ在外事務所を通じてでも資金を送つていただきたい。これは單に一人か二人の生活費だけ送つてつたらそれでいいと思います。それだけで非常に大きな効果があると思います。それからこちらからある程度の資料を送つていただきたいと思います。たとえば向うで行方不明になつた人の名簿とか、そういつたものを送つてやる。それは向うでは非常に参考になると思います。大体それだけであります。
  7. 小平久雄

    小平委員長 ありがとうございました。  次に川路進君にお願いいたします。
  8. 川路進

    川路参考人 私川路であります。実は少し呼吸器を害しておりますので、あまり長い話ができませんが、宮山君とぼくとは長い間同じような行動をとつておりまして、向う状況等につきましてはほぼ同じような観測を持つております。特に宮山君が今注意されましたような、向う残つておる者の気持というものを、もう少し考えていただきたいと思うのであります。というのは、向う人たちがこちらに家族を持つておられるということは、本人自身承知しておるのであります。そうしてそれの上にその人たちが決心をして残るというような人が、非常に多いのであります。その人たちが、向うに持つておられる家族方々に対する愛情というものは、やはりかなり人間的なものであり、やはり人道上から考えて正当なものであるのであります。従つてこちらの遺家族の、もしくはこちらにおられる家族方々考えばかりを通して、向う残つておられる方を無理にでも引揚げさすというようなことがないようにしていただきたいのであります。  それからこれは同じようなものでありますが、向うの方におられる方の生活程度が、こちらに将来帰つて得られる生活よりはいい場合があるのであります。ことにこちらに奥さんのおられる方で向うにもおられる方、一人でもつて両方奥さんのおられるというお方は、非常に苦しんでおるのであります。これをどういうぐあいに解決するかというのが、大きな問題になるのであります。そのお方が、向う奥さんにも愛情を持つておられ、内地の奧さんに対しての状況上、やむを得ず残つたのであつて愛情がないというのではないのであります。それの解決をやはり一応考慮していただきたいと思うのであります。これは私見でありますが、私がかかわつております一人の人などについては、向うの宗教的な結婚という問題の見方からいいまして、こちらのように一夫一婦でなくてはいけないというようなことがないのであります。それでイスラムに入つていれば、生活程度によつては四人まで妻帶できまして、内地の人の考えるように嚴密な一夫一婦でないのであります。従つてもし向う本人がそれを希望し、こちらの奥さんがそれを甘んずるならば、将来日本インドネシア国交が回復できて、向うの人が日本人として向うに生きておられ、居留でき、しかもこちらから家族を呼ぶことができるならば、こちらの奧さんが向うに行かれてもさしつかえないと思うのであります。そういう点を若干含んでおいていただきたいと思います。その他に関しましては、宮山君が言われたのと同じような考えであります。
  9. 小平久雄

    小平委員長 ありがとうございました。  次に早川清君。
  10. 早川清

    早川参考人 スマトラから帰つて参りました早川でございます。いろいろ皆様にお世話いただきましたことを厚くお礼申し上げます。宮山君、川路君両氏が話されましたのに重複しないように私は申し上げたいと思いますが、特に残留同胞引揚げ促進につきまして、何ゆえわれわれ同胞向う残つておるか、その原因はつきりとこの際申し上げようと思います。これは小さな点にわたる場合もあるのでありますが、幾つかその原因として申し上げたならば、何ゆえ残留したか、あるいは何ゆえにいまだに帰つて来られないか、その原因はつきりおわかりになつて、その原因によつてこの引揚げ促進あるいは援助の方法ということの足しにもなるかと考えられます私はこういう席上で、特に残留同胞に対して、その威信にかかわることがあつたにしても、私はこの際はつきり申し上ぐべきことと思いますから、幾分信用あるいは名誉という点は抜きにしまして、はつきり申し上げます。  まず第一に、残つた方の中にわずかではありますが、おれは戰犯容疑者となつておるのじやないだろうか、特に憲兵関係、あるいは軍政関係の、特に捕虜を収容されておつた方々が、その疑いを前もつて自分で解釈して、その調査の以前に、所属部隊から脱せられた方があるわけであります。現在それらの方々は、在ジヤカルタ日本政府在外事務所より塚本事務官殿が来られて、そういう心配はないというふうに申されておりますが、そういつたような心配のために残つたということが一つ原因であります。  次に、これは先ほど川路君も申されたのですが、向うインドネシア婦人あるいは中国婦人を妻として、中にははや二人の父になる同胞もおるわけであります。ふしぎなことに、そういう方々限つて内地にも奥さん子供がある方が多いのであります。それでこれは川路君が申しましたから簡單にいたしますが、特に妻子に対する愛情子供に対する愛情というものに引かれまして、幾分帰還の出足が鈍つているのではないかというふうに考えられます。  次に、帰つて来てよく家族方々からお話を承るのでありますが、私の夫は、私の兄は、私のせがれは、終戰から現在に至るまで何の音信もないということでありますが、その中の一部としまして、向うにおります同胞が何ゆえ音信不通でおるか、そのほかの友達の人は音信をしておるが、うちの者に限つてどうしてかという場合、その特殊な人たちはこういうおそれがあるのであります。それは、一つのつまらないおそれにすぎないのですが、今ここで私が内地家族の安否を尋ねる手紙を出した場合、戰災によつて全部なくなつておるようなことがわかつた場合、これは非常な精神的な打撃である。生きているか、死んでいるかわからない場合には、そこを疑問として自分自身一種の安らかな気持でいられる。全部死に絶えてしまつた、こういう場合、その本人気持は非常に暗いものとなつて、生きる望みを失うのではないかと思います。そういう個人的の、自分自身考えで全然音信不通であるがために、実際は残つておられる家族方々が非常に心配されておるのではないかと思います。  そのほかに、これはごく少数なのでありますが、今内地に帰りたい気持はあるのです。しかしその気持をおおうところのある支障がありまして、これははつきり具体的に申し上げますと、たとえば一人の残留同胞事業を興したいために、現地の銀行あるいは金持からある種の借金をしておるのであります。それが幸いに事業が成功しておれば話は別でありますが、案外うまく行かず、借金すらも、あるいは利息すらも返せないような現状にあつて自分は帰りたい気持でいながらも、そういう一種の法的なものに束縛されまして、自分気持内地に帰りたい、法に縛られている、この二つの気持帰還が実現しないこともあるわけであります。  次に、これまたいろいろ入り込みますが、残つた原因の中に、終戰当時自殺をするくらい精神的に打撃を受けた者もあつたのですから、そのとき幾人かの者の中には、おれは町から、村からえらい出征の送りを受けている。この際、負けましたといつて何で故国に帰れるかという気持残つた者もおるではないかと思います。  次に、終戰当時のどさくさにまぎれて、一部物品監視として後方に残され、本隊が急速に引揚げましたために、その間の連絡を断たれて、万やむを得ず残つた者もあるわけであります。そのほかに、いわゆる責任上、当時の現地土民が非常に武器彈薬、車両をほしがつたときでありますから、少数の守衛、監視でそれを奪われた場合、所属上司に、私はこれこれのものを盗まれましたといつてつて行く場合の言訳の責任残つた者もあるわけであります。そのほかに、同じアジア民族インドネシア独立運動に協力し、独立戰争指導者として、大いにこのかわいい同じアジア民族インドネシア独立をやつてみたいという気持残つた者もいると思います。  次に、これは非常に微々たる問題でありますが、いわゆるオランダ時代日本から向うへ行かれた一攫千金を夢見た者が、部隊からいろいろなものを準備して残り、一攫千金どころか、一週間あるいは一箇月のうちに現地土民からすべてのものを奪われて、その計画も希望もなくなり、今ではみじめな生活にある者もおるわけであります。  最後に、日本時代からのいわゆる婦人関係でそのままずるずると向う残つた者もおるわけであります。その婦人関係の場合、特に早くも子供があつて、その子供愛情に引かされたというふうにも考えられます。  前に述べました両君と重複しないように、まとまりもなく雑然と申し上げましたが、御質問があつた場合は御質問していただくことにいたしまして、これで終ります。
  11. 小平久雄

    小平委員長 ありがとうございました。  それでは以上三君からスマトラ地域状況につきましてお話を伺つたわけでありますが、議事の整理上、まずこの御三君に対する質疑を許したいと思います。通告順にこれを許します。玉置信一君。
  12. 玉置信一

    玉置(信)委員 長い間外地にとどまつて精神的、物質的に多大な苦労をされてお引揚げになりました皆さんに対しまして、私ども国民の一人として、留守家族皆さんとともに心配をいたしておつたわけでありますが、本日こうして元気な姿を目の前に見せていただきまして、まことに嬉しく存じます。  先ほどの宮山参考人お話で、引揚げの問題よりも、居留権を與えることと、帰化をさせるということが先決要件でないかというような御意見であつたように承つたのであります。川路さんあるいは早川さんのお話等から伺いましても、こういう方々向うに当分残留して、ある程度事業的に、あるいは社会的にそれぞれの地位を得てから帰つた方がいいというお考えを持つておるようにこれまた承つたのでありますが、この居留権を與えるとか、帰化権を與えるとかいうことは、いまだ残留しているそうした人々がそういう立場に立つて希望しておりますから、こうした人たち居留権を與えるなり、あるいは帰化させるということを日本政府の手において手続をした方がよいではないか、そうして成功を待つてから引揚げさした方がいいじやないか、こういう意味でありましようか、もう一度この点をお伺いしておきます。
  13. 宮山滋夫

    宮山参考人 先ほどは簡單に申し上げたので、実は申さなかつたのでありますが、遺族の方は確かに一日も早く引揚げてもらわなければ困るという気持でおられると思うのでありますが、その点は非常にぼくも理解できるのであります。ですから、まず第一にその連絡があることです。向うにとにかく元気でやつているということがわかつたら、ある程度その問題も解決がつくんだろうと思います。それで、この第二次大戰後のわれわれ日本人として、少くともインドネシア残留日本人に関しては、ひとつ大きな見方考えていただきたいと思います。将来日本向うへ発展する——インドネシアの位置は、中共と貿易ができないとか、そういうように関係日本にとつて非常に重要なものになつて来ると思うのでありますが、将来日本向うに発展するそのための一つの布石というような見方でもつて向うに現在まで残つておる人たちのことを考えていただきたいと思います。
  14. 玉置信一

    玉置(信)委員 今まで何年この方、引揚げ問題に私ども熱心に国会として国民とともに微力をささげて来ておりますことは、今日引揚げになつておられる方もすでにお聞きのことと思うのであります。しかし今までの引揚げ問題、あるいは残留希望等の問題について、中共あたりの情報も受けて来ましたが、本日御三君から承つたことに対して、私非常に精神的に、何と申しますか、表現のしづらい一つのシヨツクを受けたような気持を持つておるのであります。ということは、ただいま宮山さんのお話によりますと、きわめて遼遠なる御希望をもつて、わが国の将来にとつてまことに大きな、しかもアジア圏内における提携発展というような方面にまでも大きな構想を抱いての論旨のように拝聽いたしまして、この点私どもも了承できるのでありますが、しかしそこまで行くためには、当面問題になつておりまする留守家族の経済的、特に精神的な悩みを解決するために相当困難な問題がここに派生して来はせぬかという心配を持つておるわけであります。  そこで話をひとつ先へ飛ばしまして、川路さんのお話になりましたインドネシアとの民族関係、特に同胞のうちの残留者気持考えてやつてもらいたいと申されました中に、無理に帰さないように、すでに向う婦人の方と結婚をして、この結婚した立場から見ると、家族の情愛あるいは人間的感情というような点におきますと、内地における日本人同士家庭生活の面とかわりはない、こういうお話でありました。これはごもつとも千万と思うのでありますが、その点、御婦人の代議士の方もおられますので、後ほどこの問題は深刻な発言が出ることだろうと思いますが、これは非常な社会問題として、今後私は大きく現われて来るんじやないかということを心配いたしておるわけであります。  そこで第一にお伺いいたしたいことは、川路さんその他の方々は、この現地家族を持つておられる方の日本留守家族奥さん方にお会いになつたことがありますかどうかということが第一点。  第二点は、川路さんに承りますと、インドネシア宗教的関係から四人までの妻帶は許されておる、こういうことでありまするが、向うではなるほどそうでありましようが、日本へ帰つて来た場合は、今日御承知のように民主主義国家となりまして、新憲法のもとに人権尊重などという基本的な問題と並行いたしまして、これを日本国内で許すことは、婦人方の大きな問題として、これまた相当検討されることであろうと思いますので、日本内地に帰つて来て許すというようなことば相当重大問題であろうと思うのであります。こういうことを考えますと、向うに行くことはいいかもしれませんが、逆に向う婦人がこちらへ来るという希望があるのであろうか、ないのでありましようか、こういう点が第二点であります。これをまずお伺いして、次の質問に移りたいと思います。
  15. 川路進

    川路参考人 無理に帰さないようにと言いました理由は、向うで再三再四調書をつくつておるのであります。向うの人をおおむね三つにわけまして、残留したい者、それから居留権希望する者、それと帰りたい者という調書を再三つくつております。これはインドネシア側で作成したものでありまして、また日本人会ができてからもやつております。それで今度の件につきましては、外務省在外事務所の所員の方がメダンに来られまして、すでに日本に帰る希望を調べておるのであります。その際にメダンにおる日本人の方に集合していただきまして、特に在外事務所お方お話をしてくださつたのでありますが、その結果でも、まだ帰りたいという希望を言わないのであります。それがまず無理に引揚げるようにしていただきたくないと言いました理由であります。  それからこちらへ帰りまして、留守家族の方の問合せなり、または面会に来られまして大分困つたのでありますが、事実私が知つておる者が向うで妻帯しており、また来た方も奥さんの方が来られておるのでありますが、この問題は、自分としましては、今は解決策云々ということは言えないのでありますが、それを注意していただきたいという私の希望なのであります。  三番目の、インドネシアの御婦人方がついて来るというような意思の方は、私の知つておる限りにおいてはありませんです。もし夫の方が内地へ帰られるというときにはどうするかと聞いてみたことがあるのでありますが、そのときには私は残る、日本には行かないということを言つておりました。
  16. 玉置信一

    玉置(信)委員 御三人のうちで、どなたでもけつこうでありますからお答えを願いたいのでありまするが、先ほどのお話によりますと、まだインドネシアにおられる方々で、日本に帰つて来れば何か戰犯扱いをされるおそれを抱いておる者があつて在外事務所事務官の人が実情を説いて聞かしておるが、まだ半信半疑でおるような意味に私拝聽いたしたのでありますが、そうでありましようかとうか。  それからあなた方がお帰りになりまして、日本の今日の生活の状態と、インドネシアにおける同胞生活の状態と比較いたしまして、どちらの方が生活が楽とまで行かないかもしれませんが、通俗的に申しまして、どちらの方が実際楽な生活ができるであろうか、この問題についてお答えを願いたいと思います。
  17. 早川清

    早川参考人 その点早川がお答え申し上げたいと思います。先ほどの戰犯の件は、これは非常に少数なものでありまして、事務官が来られた場合に、特にその者について個人的にお話がありまして、大分その疑問は薄らいでおるわけであります。  次に、日本インドネシアの両地点で、どちらが生活状態がよいかという点でありますが、特にこの点は先ほど宮山さんが申されました、日本国籍というものが與えられました場合には、幾分インドネシア現地における生活の方が楽なんではないかと自分考えられます。しかし残留同胞は、日本国籍を與えられない者は、いくら仕事をやつても、あるいはどういうふうにやりたいと思つても、その国籍というために、実際のところ、人間ではありますが、まるで幽霊のような状態でありまして、日本人でもなければ、インドネシア人でもないある一種の法的扱いを受けるのではないかと存じます。事実自分たちが帰ります前に、そういつたふうな点で、やる意思はあるのでありますが、非常に肩身の狭い思い、あるいは実際にいろわれ支障を来すということがありましたので、この日本国籍という点につきましては、ぜひ一刻も早く善処していただきたいと思う次第であります。
  18. 玉置信一

    玉置(信)委員 今の早川さんの日本国籍を與えてもらいたいということについて、私ちよつと納得できない点がありますから、その点を重ねてお話願いたいと思います。
  19. 早川清

    早川参考人 一例をあげますと、在留同胞がある日警官にとがめられまして——この警官の警戒が厳重なのは、共産党がマレー方面から非常にスマトラ方面に侵入しますので、ときどきその調べがあるわけであります。その場合、在留同胞のごく少数の者は、調べられた場合、国籍あるいは入国証明書というものを何も持つていないわけです。でありますから、現地当局の移民局方面の調べを受けまして、もうどんな言訳を言いましても、全然書類上の証拠がありませんために、そのまま移民局関係の拘留所に入れられるわけであります。その実例が現に三件あるいは四件あつたわけであります。特に現地におきましては、口頭のあれは全然価値がなく、書類上のものによつて初めて価値があるわけであります。私たちが六月二十二日にメダンの外港ベラワンを出発するその日までは、全員日本国籍あるいは入国に関する証明書というふうなものは、全然入手しておりませんでした。
  20. 玉置信一

    玉置(信)委員 そうしますと、終戰向うへとどまつておられる大部分の人は、おそらくそうした証明書というふうなものは持つていないわけでございますね。そうすると、全部がそういうふうな取扱いを受けておるのでありますか。向うの官憲は、敗戰後日本の兵隊が残留しておるという事実は認めておるはずでありますが、これに対して向うの官憲はどういう取扱いを今までなさつてつたか、この点をお答えを願いたいと思います。
  21. 早川清

    早川参考人 そのことにつきまして、向うの政府といいましようか、あるいは警察官庁と申しましようか、ことしになりまして、初めて在留日本人というもののある一種の保護というふうな法的状況をつくりまして、とにかく各地におる日本人は、所属警察、あるいはこちらで言います郡役所、あるいは県庁、あるいは役場というところに申し出ろ。それによつて日本人のどういう者がどこにおるかということがわかる。特にまたその日本人がその居住地よりどこかへ旅行する場合には、一々その関係官庁の許可証をもらつて行くようにということになつております。
  22. 玉置信一

    玉置(信)委員 先ほどのお話によりますと、メダン地区には日本人会というものが組織されておるということでありますが、この日本人会のメンバーも先ほどお話のような取扱いを受けておるのでありますか。向うの官憲は、この人は日本人としてメダン地区に居住しておるものなりという証明は與えていないのでありますか、この点をお伺いいたします。
  23. 早川清

    早川参考人 それは、たとえばいろいろな談話上、日本人ということは彼らは申すのでありますが、それにまたそういうふうな規定を設けられてありまして、現在メダン日本人会というものを結成はしておりますが、それは一種の便宜上のもので、いわゆるインドネンア政府のはつきりした許可を得ていないのであります。自分たちはその交渉をしておるのであります。メダン地区日本人会というものは、特にメダン市内のある一部の軍隊関係のものに認められておるだけでありまして、自分たちのいわゆる会のメンバー、あるいは会の規則というふうなものを、全部関係官庁には報告してありますが、これはむずかしい問題であるから、いろいろ協議の上許可を下すという返答のみであります。いわゆる自分たち自身が団結して、メダン地区日本人会、会員はこれこれ、会の規則はこういうものであるというふうなものは、関係官庁には届けてあるのでありますが、しかしそれに対する実際の許可といつたふうなものは、まだ全然受領していないわけであります。
  24. 玉置信一

    玉置(信)委員 そうしますと、日本人会方々は、今日までそれぞれ適当な仕事をされておるのでございましようが、その仕事は日本人自身には許可がないということであれば、インドネシアの人の名義によつて商売をするとか、商売をしていない者はどういうことで生活をしておるか、これについてひとつ御説明を願いたい。
  25. 早川清

    早川参考人 この点につきまして、ちよつと長くなりますが、われわれが特殊な事情にあつたということを一応御説明申し上げます。終戰直後独立運動独立戰争に協力いたしまして、インドネシア領内ジヤワ、スマトラを通じまして、オランダ軍が攻撃をしましたときに、オランダ軍の戰火を免れた一つの州があるわけであります。これはスマトラ島の北端アチエ州であります。われわれ日本人たちも非常に幼稚な兵器で協力しておつたために、だんだんその辺に集められまして、日本人というものか非常にアチエ州というところに集合したわけであります。これはオランダ軍の攻撃中であります。その後オランダ政府、インドネシア政府というものの交渉が幾分円満に解決をいたしまして、いよいよインドネシア政府というものが設立になり、オランダ時代日本時代とは大分違つた政府の機構ができることになりましたときに、アチエ州としては、われわれは独立戰争時代あれほど奮鬪した、とにかく敵には一歩も踏み込ませなかつたというふうに中央政府に進言いたしまして、特に自治制を請求したのであります。そのときに中央政府としましては、お前たちの言うことはもつともであるというふうに言いました半面、そのオランダ軍が何ゆえアチエ州に一歩も踏み込めなかつたかという原因を中央政府が考えたのであります。その原因一つの中に、これは非常に日本人がそこに集合しておつた。おそらくあの当時アチエ州としましても、敵の駆逐艦あるいは飛行機が来れば、どんどん手製の砲をもつて応戰し、あるいは土民を指揮いたしましてとにかく日本人の協力ということも少くなかつたわけでありますが、中央政府が非常にそれを恐れたのであります。今後アチエ州の言うように、お前たちが言うような自治制を與えないと言つた場合、おそらくこれは百名前後の日本人がアチエ州の要人あるいは土民を指揮して、一種の暴動を起すのではないかという懸念を非常に持たれまして、それが原因というわけではないのですが、大きな原因になりまして、あの当時おりました——ここにおります三名もアチエ州におつたのでありますが、去年の一月を契機といたしまして、アチエ州各地において残留日本人は全部逮捕されたのであります。その各地において逮捕した日本人を一まとめにいたしまして、東海岸州のメダン市に移したわけであります。逮捕のときも、あるいはメダン市内に移りました以後も、すべてこれは警察関係でなく、軍隊関係でありまして、憲兵隊に逮捕されてメダン市に移り、メダン市に移つた後も、メダン市警備隊といつた意味の一つの軍隊の保護下に置かれたわけであります。この保護下に置かれまして、最初は警戒もつき、軍隊の方から食糧、衣類をちようだいしたのでありますが、その後警戒もなく、食糧とかそういつたふうなものもなく、軍隊の方からは申入れがあつて、各人各様仕事を探して生活するように、しかしここにおる抑留日本人メダン市街から外へ出てはならぬ。メダン市内において仕事を探すことは自由である。しかし出発時期になりまとて、ある一種の証明書をその軍隊から受領した場合メダン市外に出られまして、仕事を円滑にやることができたわけであります。ことに収容されたというのはアチエ州におつた大部分の日本人でありまして、それが約八十名近くそこの収容所におつたわけであります。ここで日本人だけが今後いわゆる軟禁という状態から一刻も早く出たいがために、メダン地区日本人会というものを結成したわけであります。それではアチエ州以外におつた日本人はどうか、たとえば東海岸州、タパノリー州におつた日本人はどうかというと、それらの日本人は、全然自分たちが受けたような軟禁的逮捕の現象がなかつたわけであります。現在メダン地区日本人会はそれらの同胞にも呼びかけまして、今後のいろいろの交渉、あるいは種々の便宜のために、メダン地区日本人会に入ることを勧誘しているわけであります。大体今まで申し上げましたのは、御質問に対しまして適当な答えでないかもしれませんが、何ゆえ自分たちがそうなつたか、特に残留同胞の中でも、自分たちは特別な束縛を受けた特別な立場にあつたことをかいつまんでお話申し上げました。それが日本人会設立までの経過であります。
  26. 小平久雄

    小平委員長 玉置君、他に通告者が大分りありますから、あと一問くらいにお願いします。
  27. 玉置信一

    玉置(信)委員 あなた方があちらへおいでになりまして、スマトラ、マレー方面に、先ほど委員長からお話のあつた数以外に、南方地域でお耳に入つておる同胞がどれくらいおるというようにお聞きになつておられたか、おわかりになつておりますれば、その点をこの機会にお伺いしておきたいと思います。  それからこれは非常に大きな問題で、この席で申し上ぐべきでないと思いますので他日に譲りますが、宮山さんのお話の、向う妻子のある者はその妻子に引かれて、内地に帰ることは家族愛情という面からあまり帰りたくないという考えを持つておるということでありまするが、そうなりますと、川路さんのお話と関連いたしまして、相当引揚げ問題というものはわれわれ委員会としても簡單に行かないことで、よほど検討を要すると思うのでありますが、この機会に外務次官にひとつ参考までに一言お伺いしておきたいと思いますが、政府としてはインドネシアに対して、先ほどお聞きの通りの参考人お話でありますと、居留権を與える、あるいは帰化をするということに対して、日本政府から何らかの正式な手続をすればよいということでありますが、政府はインドネシアとの交渉が持てておりますか、そういうようなことについての見通しはどんなものでありますか、この点をひとつつておきたいと思います。
  28. 宮山滋夫

    宮山参考人 先ほどの一番目の質問にお答えします。実はわれわれが大体確実にわかつておることは、北部スマトラに大体二百五十名ほどの人間が残つてつたのであります。そのうち百名以上の者は戰死したり、公傷したり、あるいは病気でなくなつた。現在大体百五十名近くの者が北部スマトラにおる。これは一つの省になつております。スマトラは中部、北部、南部の三つの省になつております。それ以外の数字は、大体われわれが耳にしたことがあるのは終戰当時の数字であります。これは日本軍の間にいろいろ言われていた数字でありまして、非常に不確実だろうと思います。というのは、当時の状況が非常に複雑であつて日本軍側から連合国へ言われた数字も、ちよつと山がかかつておる、そういう事情がありまして、全然当てにならぬと思います。  それから一つつけ加えておきますが、これは向うにおる人間の数字に関してでありますが、スマトラ全島に関してはメダン地区日本人会の努力によりまして遠からずわかると思います。それからマレー地区でありますが、マレーと北部スマトラは非常に連絡があります。マレーから中国の商人がどんどんやつて来ますが、大体向う日本人の動静はほとんどわかりません。おそらくマレーの共産党の中へ入り込んで出て来ていないのだろうと思います。あちらの方も全然数字はわかりません。それだけであります。
  29. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 このインドネシアには、御承知のごとくジヤカルタとスラバヤに在外事務所がございますので、それらを通じまして、先方といろいろ折衝することはできるのであります。しかしこの問題につきましては影響するところがいろいろございますので、今後いかがとりはからうべきかということにつきましては、目下研究考慮中であるという以外に申し上げようがありません。
  30. 堤ツルヨ

    ○堤委員 ちよつと三人の方にお尋ねをいたしますが、お帰りになりたい組で帰れる條件の方がお帰りになつたのだと思います。それでちよつとお聞きしたいのでございますが、お帰りになるまでの旅費の捻出であるとか、手続であるとか、そういうものをどういうふうにしてお帰りになつたか。もう少し具体的に御説明を願いたい。なお追つて奥さん、女性関係の問題について、特に女性の立場から少し検討してみたいと思いますから、順次お尋ねいたします。
  31. 宮山滋夫

    宮山参考人 今度帰りました手続の件でありますが、これは非常に特殊な事情にあつた思います。大体経緯はこういうことになつております。あちらにおつた者で、終戰時ほんとうにやむを得ざる事情で無理やりに残つた幾人かの方が、まず内地家族連絡をつける、何とかして帰れるようにとりはからつてもらいたいといつてやる。今度は内地家族の方の御努力で、私の聞いておりますところでは、大体外務省あるいは厚生省等の引揚げ事務の方の方が動かされて、結局日本外務省からジヤカルタ在外事務所引揚げのことで何とかしろというような命令が行つたんだろうと思います。それでインドネシア政府ジヤカルタ在外事務所の人が交渉したわけであります。インドネシアの中央政府から許可を得まして、まあ特に許可をもらつて引揚げられるようになつたのであります。費用は全部日本政府から出ております。われわれはできたら自費で帰りたかつたのでありますが、今度の場合は特別な事情で、そういつた個人的な希望も達せないうちに早々にして引揚げて来たわけであります。以上であります。
  32. 堤ツルヨ

    ○堤委員 先ほど玉置委員から御質問がありましたが、まだ少し判然としないのです。あちらにおいでになる方の職業、これについてもう少し詳しく御説明願えませんでしようか。たとえばどういう仕事をしておられるか。
  33. 早川清

    早川参考人 これは簡單に申し上げますと、主として日本軍時代からのあれが影響いたしまして、おもに機械関係が多いわけであります。機械関係というと漠然としますが、自動車の組立て、あるいは自動車のエンジン修理、あるいはその他一般の機械修理、こういつたふうのものが大部分かと思います。そのほかに木工関係、と申しますと大工さんでありますから、家を建てましたり、あるいは家具をつくる、そういうふうなものであるわけであります。そのほかに小規模でありますが、いわゆる土木請負、これは非常に小さな規模のものでありまして、頼まれればその辺のちよつとしたテニス・コートを直すとか、あるいはちよつとしたものを何でもつくるというふうなものであります。そのほかにまた少数でありますが、現地の学校の教員、あるいは中国人の学校の教員というふうの者もおります。そのほかに最初は宣撫を目的といたしまして、それからだんだん大きくはなつておりますが、薬剤を主といたしまして医療関係、こういつたふうの者もあります。大体以上のようなものの中に、在留同胞がその仕事を大きくしておるものを援助したり、あるいは本人自身それに携わつておるわけであります。
  34. 堤ツルヨ

    ○堤委員 大体わかりました。そこでひとつお聞きいたしたいのは、留守家族とあちらに残つておる御本人との関係でございますが、皆様方が御存じの中で、あちらの奥さんを持ち、すでに三人の子供の父親になつておる。それから故郷である日本には子供が、また奥さんがいるという方々は、こちらの留守家族にその事情はつきりわかつておりますでしようか。それともこちらの奥さんは知らないということになつておりますでしようか。そこの留守家族本人との連絡はどういうふうになつておると思つておいでになりますか。
  35. 早川清

    早川参考人 婦人に関する件は、先ほども特に申し上げようと思つておりましたが、これは幾つかに分けられると思います。今の御質問のように、向う結婚しておる者で、なお内地妻子のある人、おそらくその間のことは内地にははつきり申してないと思います。今後それはどういうふうな関係解決したらよいか。これは非常に大きい問題でありまして、私にもわからぬ次第であります。次にこちらの内地では未婚である。しかし現地では結婚しまして、現在は妻子がある。これも、本人がかかあはどうでもよいが、しかし子供には愛情を引かれるという点、これもむずかしい問題であると思います。それから次に割合簡單なのは、現地結婚しておりますが、まだ子供のない夫婦、これは向うの者が、何というか、割合貞操観念が薄いわけでありますから、その夫人に対しましてはいわゆる物質、あるいは金銭というもので一種の解決がつくのではないかというふうにも考えられます。あるいは妻子がありましても、私が聞きましたところによりますと、その事情内地に知らせまして、内地の父母に当る方の——現地結婚し、奥さんがあり、子供があるが、それでもよろしい、帰つて来いという内地の父母の方の一種の証明書があつた場合、現地から出国できまして、内地にも入国できるということを、公的ではありませんが、私は耳にはさんでおるのであります。でありますから、結婚しても子供のない者は非常に容易に現地解決ができるように考えております。そのほかに未婚の者もあるわけでありますが、これは帰る場合非常に簡單解決がつくと思います。以上大体婦人関係の問題について……。
  36. 堤ツルヨ

    ○堤委員 まだこちらにお帰りになつて、なれないと思いますが、母国のこのごろの社会問題はそう深く御認識がないわけであります。敗戰後の日本の社会の中で、今日もまだそうでありますが、一番問題になりましたのは、戰争犠牲によるところの戰争未亡人の問題であります。それから今なお表面づらでは三十七万になつておりますところの留守家族の妻と子の問題、それに加うるに老人の問題、これはお互いに戰争犠牲者でありますけれども、一番大きな問題として、今日まだ片がついておりません。皆さんが召集されてあちらにおいでになります日本の旧憲法時代には、あるいは公然と、まあ公然の秘密と申しますか、二号を持つ、三号を持つということは、これはさほど罪悪のようには表向きも考えられておらなかつた。ちようど今のインドネシアのように極端ではございませんが、四人持つてつても五人持つてつても、その人に干渉しないという観念が男の方の中には非常に多うございました。しかしこれは、女子の基本的人権という問題を新憲法に照して考えますときに、ただあなたがおつしやいました言葉のあげ足をとるのではございませんが、かかあなどには未練がないけれども子供に愛着がある。また子供がない場合には簡單に金で片をつけて帰つて来られる。これは今なお払拭し得ない男性の日本女性に対する女性観だと思いますが、子供の基本的人権は認めても、女の基本的人権は認められないわけなんです。従つて日本人である男の方が、あちらでそうした考えで対女性的な関係をお持ちになるとすれば、これは国際的にも一つの国辱だと私は思うのです。従つてこれは大いに考え直してもらわなければならない問題でございますが、さしずめお尋ねいたしたいのは、私が今申し上げました戰争犠牲によつて父なき、夫なき世帶となつた人たちに対して、皆さん方は、たとえば先ほど早川さんから簡単にお話がございましたが、非常にむずかしい問題であるとおつしやいましたけれども、しかしできるならばどちらかに寄せて、両方捨て得ないものならば、一緒に雑居させてもいいのではないかというような考えをお持ちになつている方が多いのじやないかと私は思うのですが、大きな社会問題の中の一環として考えなければならない未復員者、未帰還者の留守家族の妻の問題、これに対しまして、皆さん方がお帰りになつて、さしずめ当の奥さんにお会いになつた早川さんなどは——あちらもごまかし、こちらもごまかしといつたような考えで片づけられる問題であるかどうか、ここのところはみな考えなければならない問題でありますが、これに対しまして、やはり生活の問題、子供の教育の問題、将来の問題、妻の基本的人権の問題などを考えましたときに、むずかしい問題だから、そう簡單にここで片づけられないのじやないかということで、男性のわがままでこれをこのまま捨てておかずに、もしお帰りになれないならば、日本政府インドネシア政府と交渉いたしまして、私どもに言わしめれば、どちらかを離婚して、どちらかを生活の立つようにめどを立てて、早急に処置すべき問題だ、かように私は思うのでありますが、どうでございますが。むずかしい問題だといつて、ここでお互いに片づけないでおくわけに行かない問題だ、私はかように存じます。
  37. 小平久雄

    小平委員長 ちよつと堤さんに申し上げますが、その問題は、先ほど来参考人の各位も、非常にむずかしい問題で、どうしたらいいかわからねとおつしやつておるのですから、その点、これ以上参考人の各位にお尋ねするということも、実は無理だろうと思うのです。それはもつと大きな立場から研究しなけばれならない問題かと思われるので、どうでしよう。何か事実の問題についてお尋ねになつたらいかがでしよう。
  38. 早川清

    早川参考人 婦人代議士の攻撃に対しまして、一言弁解を申し上げます。私は出征以来満十三年振りで帰つて参りましたが、特に日本女性に対しまして誇つてもよいことは、私は完全な独身で帰つて来ておりますから、御安心ください。特に現地結婚している、内地でまた結婚をしている、そのむずかしい問題につきましては、私自身もただいまの婦人代議士の方のお言葉を詳しく現地日本人会に伝えまして内地婦人の代表の方のお考えはこのようであるということを伝えることをお約束いたします。
  39. 堤ツルヨ

    ○堤委員 非常にあなた一人をつるし上げにしたようでございますけれども、大切な問題でございますから、どうぞあなたの御好意によりまして、私信をもつてでもそういう連絡をとつていただいて、およそ日本の残されたそうした苦境にある妻の心情というものは、夫を捨てがたいでしようけれども、しかし生活は立たない、主人は帰つて来る見込みがないという妻の立場に立ちますと、非常に深刻な問題でございまして子供にとりましても大切な問題でございますから、日本政府にも何かその問題に関して具体的な手を打つていただく、たとえば留守家族の援護をもつと完全にやるとか、離婚したい、片をつけたい場合に、日本政府が何らかの御援助をするように要望いたしたいと思つておりますから、どうぞその点よろしくお願いいたします。  それから次に外務政務次官の石原さんにお尋ねいたしたいのでございますが、先ほどここにもうお入りになつてつた思いますが、玉置委員の御質問に対しまして日本の国籍をほしがつている、また與えなければいけないということを、日本人である、帰還された早川さんが言つておいでになるわけです。先ほどから事情を聞いておりますと、やはり密入国をしたような取扱いをあちらで日本方々が受けておる。これはいろいろ申分はありましようけれども同胞として私は非常にお気の毒だと思いますが、この無国籍状態にある日本人の処置に対しまして、これは日本で生れて、元日本兵で、当然未復員者の中に入るのですからという証明でもインドネシア政府に対して日本政府がなさつて、一人前の国民としての取扱いを受け得るような方法を、具体的にすでに外務省はおとりになつていることだろうと思いますが、その点いかがですか。
  40. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 ちよつと御質問の趣旨を私あるいは取り違えておるかもしれませんが、一応お答え申し上げます。これは日本の国籍を引続き持つておりますことは当然なことでございまして、何らかの証明をしなければならぬというような場合には、在外事務所におきまして国籍証明書を出すというようなことは、もちろんできることだと考えております。
  41. 堤ツルヨ

    ○堤委員 それではすでにおやりになつているのでございますね。
  42. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 在外事務所連絡がありましたならば、これは当然出してよいことと思つております。
  43. 堤ツルヨ

    ○堤委員 それはいつごろからでございますか。少くともこの三人の方がおいでになる間は、何らなかつたように私は解釈いたしましたのですが……。
  44. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 これは連絡があれば出し得ることになつております。
  45. 堤ツルヨ

    ○堤委員 それから援護庁の方にお尋ね申し上げたいのですが、ただいまの戰犯の留守家族とか、未復員者の留守家族、また戰争犠牲者の遺家族の援護、こういう問題は非常に社会問題として、大きな政治問題として私どもとつ組んで来たのでありますが、この三人の証言によりまして今はつきりいたしましたことは、もちろん未婚の方もおいでになりますし、簡單に帰れる方もおいでになりますけれども内地に妻を持ち、家族を持つてつてさらにスマトラ家族のできているところの未復員者の方々があるわけであります。在外事務所を通じて、その人の個人的なことになりますけれども状況をお調べになりますれば、留守家族が悲観なさるならば秘密でもよろしゆうございますが、一々この状態は御調査になれると思います。この点、調査をしていただいているでしようか。たとえば家庭が二つになつているという点について調査をしておいでになりますかどうか。
  46. 山本淺太郎

    ○山本説明員 幸い元の外務省の引揚課長がインドネシア在外事務所長におられる関係もございまして、引揚援護庁といたしましては、残留希望せられている人もあると思いますし、あるいは先ほどお話のように、残留を余儀なくされている方もあると思いますが、その双方を含めまして、現地残つておられる人々に関しますあらゆるデータにつきまして、現在間合せを依頼いたしております。
  47. 堤ツルヨ

    ○堤委員 問合せを御依頼中でございましたら、まだその結果はでき上つておらないと思いますが、あちらの方を御調査になつて、さらに留守家族を照し合せましたら、世帶が二つになつておる、妻が二人になつておる、子供が二人になつておるというところのトータルは出て来るわけであります。従つてこの留守家族の妻と子供が未復員者給與法の適用を受けておるかどうかということをさらに御調査になり、未復員者給與法の適用を受けておらないで、しかも永久に主人が帰つて来ないと覚悟をきめてしました留守家族の妻と子供の問題は、大きな戰争犠牲者でございますから、政府において真剣に考えなければならないと存じます。それでひとつ順次に早く御調査になりまして、そのダブつておるところの妻と子の母子世帶に対しましては、当然これは政府が生活を保障する、そして二重結婚になつておりましたならば、これは本人また奥さん、また三角関係になつておりましたらその三角の上に立つて妥当な結論を出して、ひとつ日本婦人の基本的人権を認め、しかも生活の安定のために国家の犠牲者としての補償を政府がなし、個人で解決し得ないこの問題をどうか円満に解決して、明るい再出発をお互いにされるように私はしていただきたいということを、厚生当局に特にお願いしておきたいと思いますが、よろしゆうございますか、必ずやつていただけますか。
  48. 山本淺太郎

    ○山本説明員 南方に残つておりまする人々の中には、今お話のございました未復員者給與法を適用しておる人々ももちろんございますが、中には明らかに本人が残りたいという事情残つておるというようなことがわかつておる者もあるのでありまして、そういう方々につきましては、当然現地復員の手続も終了いたしておりますことでありますので、未復員者給與法は適用されておりません。また適用地域でもありませんので、当然特別未帰還者給與法も適用いたしておりません。で、あくまで政府で考えております留守家族の援護といたしましては、本人の抑留が何ら理由なく当該国の不当なる国家権力によつて抑留されておるということについての一種の補償、そういうところに理念化した援護ということになるんだろうと思います。そういう見地から、ただいま御意見のございましたような点をも考慮いたしまして、将来の留守家族援護法というようなものにつきまして内々研究をいたしておるような次第でございますし、特に先般の両院の御決議にもございましたような趣旨を十分尊重いたしまして、いろいろ考えて参りたいと考えております。
  49. 小平久雄

    小平委員長 池見茂隆君。
  50. 池見茂隆

    ○池見委員 同僚委員から大分質問が出ましたが、今回三人の参考人によりまして、引揚委員会は今までは一人でも一日でも早く引揚げを促進しなければならぬということを建前に活動を続けて来たのでありますが、今日の参考人の公述によりますと、インドネシアにおけるところの状況は、およそそれと反対の状況にあるように考えられるが、これは終戰後においてのこうした現象であり、またそうした事柄によつて事情はよくわかりますが、しかしこの国籍の問題、あるいは帰化の問題、居留権の問題、こういうことは、先ほど石原外務次官からお話がありましたように、日本インドネシアとの国交回復の時期を待たなければおよそ不可能であるように考えられるけれども、この点について政府はでき得るだけ、いろいろな事情のもとに永住のできる者は永住のできるように、一日も早く引揚げのできる者はできるように、こういつた状況下においてはすみやかに善処していただきたいということを申し上げておきたい。  それから日本人会というものが向うにありますが、この点についてはどのくらいの人数がおられるのでありましようか。
  51. 宮山滋夫

    宮山参考人 現在北部スマトラに大体百五十名くらいの日本人がおりますが、その大部分の者が入つております。まだインドネシアの軍隊の中に残つておる人とか、あるいはその他特殊の事情にある人はまだ入つておりません。メダンが本部でありますが、シアンタル、これはスマトラの東海岸中の大きな町でありますが、そこには支部もできております。
  52. 池見茂隆

    ○池見委員 それでは第二点としまして、そういつた人々は現地においてどういうふうな仕事に現在従事されておりますか。
  53. 小平久雄

    小平委員長 そのお話は先ほどございました。
  54. 池見茂隆

    ○池見委員 さらに在外事務所が設置され、ことに事務官等も日本人会等に来られて、いろいろと引揚げ促進のためには努力されておるということを聞きまして、非常に私はうれしく思いましたが、この場合一人か二人の方に生活費程度のものを支給し、そうしてその人々がマレー在住の邦人の調査をやつたならば、おそらく百パーセントに近い調査ができるであろうというお話を承つたのでありますが、それらの人人の調査によつて、生存をしておる人、ないしは死亡、あるいは行方不明等のことにつきましても、日本における住所氏名等がある点まで把握することができますかどうか。
  55. 宮山滋夫

    宮山参考人 今百パーセントと申されましたが、実は私が先ほど申し上げたのは、マレーではある程度の手がかりが得られるだろうというふうに言つた思います。ただスマトラに関する限りは大体百パーセントに近い連絡がとれると思います。ジャワの方は、おそらく向うの方でやられると思いますが、この話はメダン地区日本人会を中心としての話であります。
  56. 池見茂隆

    ○池見委員 これは外務当局にも聞いておきたいことでありますが、参考人より、一人二人の生活費程度のものを支給してもらえば、事詳細なる調査をし、また資料等も把握することができるというお話がありましたから、この辺は在外事務所とよく連絡をとつて、こういうふうな調査を進めていただくことを私は希望を申しておきます。  さらにお話の中には、インドネシア独立戰争ということがたびたび出たのであります。これに日本人が兵隊としてどのくらい従軍されたかということが一つ。それからその戰いにおいてどの程度日本人の戰傷者が出ておるか。第三点としては、その戰傷者に対して、インドネシア政府、いわゆる独立軍側として何らかの救援あるいは弔慰等のことをしたかどうか。こういつた三点を伺いたい。
  57. 宮山滋夫

    宮山参考人 ただいまの御質問にお答えいたします。残留した日本人の九〇%以上、ほとんどすべてが独立戰争に参加しました。というのは、まだ未熟なインドネシアがオランダ軍の近代兵器に対抗しけなればならぬ、そのためにはどうしてもわずかな日本人の経験と技術を利用しなければならなかつた日本人といたしましても、オランダ軍に入られたならば、まずやられるのは日本人でありますから、いずれにしても極力援助しなければならなかつた。そういう次第で、大体ほとんどの者が独立運動を援助しております。具体的な数字で戰死された方のことを申し上げますと、大体北部スマトラに二百五十名残留いたしまして、百名以上の者がなくなりました。その百名以上の者の中で、大体三分の二が直接戰鬪の中でなくなつたりあるいは公傷死です。残りの三分の一が栄養失調とか、あるいはほかの病気でなくなられました。大体そういつたところで、北部スマトラ以外のことはあまりよくわかつておりません。  それから政府のとつた処置、これは、実は戰鬪最中は日本人は非常に大事がられたのでありますが、インドネシアが一九四九年十二月主権を獲得してあとからは、だんだんインドネシアの法規もはつきりして来まして、冷たくなつたのであります。簡單に言いますと、日本人に対して冷たくなつて、あらゆることを法規で適用して行く。従つて戰後中いろいろ傷をされたり何かして、傷病兵としての扱いを受けた人もたくさんありますが、現在の状態は、インドネシア政府としてあまりよくやつてくれてはおりません。指をなくなしたぐらいの人は、もちろんインドネシア政府に何か期待するなんということは考えておりません。ごくひどくやられた方だけが病院に入れてもらつたり、傷病兵としての救護を受けておりますが、大体の者が何も援助を受けないでやつておる現状であります。
  58. 池見茂隆

    ○池見委員 そうしますと、現在ではだんだんとそういつたことについては冷たくなつて、ほとんどもう援護の方法というものはないといつてもさしつかえないくらいであるわけですね。そこで現在この独立軍というものに参加しておる日本人は、あなた方のお考えで現在どの程度ありますか。
  59. 宮山滋夫

    宮山参考人 独立軍とおつしやられましたが、今正式に国軍になつております。これはほとんどおりません。というのは、大体インドネシアが主権を獲得いたしましたそのあとは、やはり日本人は外国人である、インドネシア憲法におきましても、国軍はインドネシア人をもつてインドネシア国籍を有する者をもつてこれを構成するということがあるのでありまして、ごく特殊な例の人だけがまだインドネシア国軍に残つておりますが、それ以外の大部分の者は、自分から身を引きました。これは日本人は、戰争中も国軍に入つてつたといいましても、ごく特殊な立場で入つてつたのでありまして、大体階級とか、俸給、そういつたものをきちんともらつてつておるというような人は少なかつたのであります。
  60. 池見茂隆

    ○池見委員 そこで、今のお話では、百五十名程度の人が北部スマトラ残留しておられる。これらの方々は、全部これは元いわゆる軍人なんですわ。
  61. 宮山滋夫

    宮山参考人 日本軍時代の軍人の方が多いのでありますが、軍政部の方もおられます。それから商社の方も若干おられます。
  62. 池見茂隆

    ○池見委員 そうしますと、これらの人々も軍人軍属、一般邦人、こういつたかつこうになつておるわけですね。  そこで、これは援護関係の方に質問したいのですが、そうすると、これらの人々はさつき堤委員からも話がありましたが、未帰還者給與法の適用を受るべき筋合いのものであります。この間田島事務官の話では、三十四年の何月か、ちよつと月を記憶しませんが、その何月かまでに行方不明ないしは逃亡、ないしは現地に居留するといつたような意思表示のあつた者は、一応こういつた適用の対象範囲から除外してあるということを私聞きましたが、それはその通りであつても、こういつた百五十名ないしは百名の人々の明確なる住所、氏名、その他等が判明しまして、日本政府連絡があつた場合、これらの人々に対するところの未復員者給與法の取扱いはどういうふうになるものであるか、またそれに対しての政府の見解をひとつお伺いしたい。
  63. 田島俊康

    ○田島説明員 スマトラ全土について申し上げます。先ほどは北部スマトラについて百何十名と申されましたが、スマトラ全部について申しますと、三百九十名ほどで、その方々は、内地関係も全部はつきりわかつております。なおそのほかに四十名ほど、やや不明確な点のある方がございます。  そこで今池見先生のお話で、万一——こういうふうにして帰つて参りますと、いろわれ情報かわかつて来るわけでありますから、今までとつておりました処置が、たとえば未復員者給與法を適用すべきものを適用しないでおるとかいうようなことがわかりましたならば、すぐさまその処置を取消しまして、既往にさかのぼつて給與を実施するようにいたしております。  なおつけ加えて申しておきますが、スマトラ全土について、今大体四百何十名の人が残つている、こう言われましたが、そのうち一割の約四十名ほどの者は、今なお未復員者給與法を適用いたしております。
  64. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 先ほどから本日の参考人方々残留中の御苦心のほどを伺いまして、まことに御同情にたえない次第でございまするが、私、露骨に申しますと、最初から理論鬪争が始まりまして、残留地におけるところの生活の状態とか、その他どういう経済状態であつたかということを承る機会がなかつたことをはなはだ残念に存じ上げますが、お話を承りますと、われわれの印象にぴりつと来ることは、御希望の通りでありまするならば、これは露骨に申し上げますと、むしろ本引揚対策委員会の問題でないような部分が大分あつたように承つて、私たちははなはだ意外な感に打たれるわけでございます。  そこで私は第一点として、お三人の方にお伺いいたしたいと思うことは、一体皆様方が現地におかれまして、終戰後におきましていつ戰鬪状態が停止して、いつから捕虜の状態が始まつたか、もしも始まらなかつたならば、その虜囚の関係はあつたかなかつたか。その後におけるところの各期間ごとの時期的な生活状態はどういうものであつたか、つまり捕虜の状態が終了した後において、経済的におきまして生活環境というものはどういうふうな状態であつたか、簡單に申し上げまするならば、住居の関係はどうであつたか、それから居留地におきまして自由に就職ができたのか、それから給與というものが、つまりインドネシアの政府なりあるいは現地の官憲当局から保護があつたのか、あるいは自分でかせいで食つてつたのか、あるいはまたその後帰還という問題が起つて来たときに、かつてに帰られたのかどうか、それから身分的な拘束関係があつたのかどうか、こういう点について、私たちは引揚委員会としてもう少し詳細に承り、事実関係をよく確認いたしまして、そうして外務当局なり厚生当局にお願いもし、またわれわれとして対策を提示すべき点があろうかと思います。どうもいきなり理論鬪争と申しますか、りくつの問題が先走りまして、こういう事実に関する認識がわれわれ委員の間にはわかりませんので、どなたからでもいいですから、その点をもう少し承つておきたいと思います。
  65. 早川清

    早川参考人 お答え申し上げます。私は残留した者の中で特殊な環境にあつた思いますので、私の申し上げることが残留全員の手本にはならぬと思いますが、御参考までに申し上げます。  私は近衛輜重兵連隊におつたのですが、終戰直後、特殊な今村少佐参謀殿を長とします北スマトラ連絡所という機関ができました。これは日本軍と英印軍の中間連絡をいたしまして、私の考えでは英印軍に対するサービス機関ではなかつたかと思います。そこに私は原隊から特別に勤務いたしまして、乘用車の配給をいたしました。それは英印軍将校が飛行場に到着しますと、それのめんどうを見て、メダン市の一番大きいホテルまで運搬する役でありました。仕事関係上、ある日私が自動車の蓄電池の修理の催促に支那人の工場に参りまして催促中——インドネシア土民が非常に兵器、彈薬、車両を掠奪しておつた時代でありますから、私はそこで六名の拳銃を所持する昔の食人種バタカロ族というものに拉致されたのであります。その後、幸い悪い事情であつたにかかわらず、殺されもせず、そのタナカロという地区に連れて行かれまして、そこで彼らの希望通り軍事教練を指導いたしましてときには作戰指導もしたわけであります。大分独立戰争もたけなわになりまして、本格的に敵である英印軍、あるいはオランダ軍と立ち向うわけに行かず、自然残留日本人一様に、遊撃隊を組織いたしまして、ゲリラ戰を展開いたしましたわけでありますが、それもインドネシア、オランダ政府の円満な解決のために、イドンネシア政府独立ということになりましたときに、各人各様、一人々々が職業を見つけて自活の余儀なき立場になつたわけであります。そのときに私は宣撫を目的といたしまして、あの時分不足であつた薬物、あるいは医療技術というような援助のために、私は薬物をもちまして宣撫の意味で仕事を始めたわけであります。でありますから、私の立場は割合恵まれた立場でありまして、就職、自活という点におきましても、あるいは住居という点におきましても、後半の自活のときには割合惠まれておつたわけであります。前半の独立運動協力、独立運動指導というようなときには、先ほども宮山さんが申されましたように、約九〇%近い者がほんとうに最低生活に甘んじておつた思います。日本軍時代、日本軍として連戰連勝のあれと違いまして、非常に近代兵器を持つた英印軍、オランダ軍を向うにまわしての、幼稚ら武器を持つた土民軍でありますから、その生活状態は露天、あるいはときにはいもをかじり、あるいは生命の危険にもさらされた非常に悲惨な状態であつた思います。しかし後半各人独立自営のために進んだ道は、先ほども私が申しましたように、百人百様、いろんな職業に特技をもつて進んだわけでありますから、その点私のお話残留同胞全般の状態ではないということをお考え願いたいと思います。最後の帰還にあたりましては、先ほども宮山さんが申されましたように、まず第一手紙の連絡により、あるいはその後内地家族の者が関係官庁にお願いをし、それから外務省を通じ、ジヤカルタ在外事務所を通じ、両政府の了解のもとに帰還いとうことになつたものであります。
  66. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そういう独立戰争後におきまして、皆さん方の生活というものは、お三人の方とも一地点に集合して共同生活をやられたものが大部分でございましようか、それとも各人各様、たとえば今お話を承りますと、小さい規模の土建業というようなことをおつしやられましたが、そういうような自由な職業というものを現地で選んで、そうして分散的にその土地に家を見つけて住んで、経済生活を立てて行くということがきわめて自由に行われたものでございましようか。かつまた帰ろうと思えばいつでも帰れる状態にあつたかどうか、そういう点についてお話を願いたいと思います。それから捕虜の状態というものがどのくらい続いたか、それが済んだ後はどうなつたかということを簡單に聞かしていただきたいと思います。
  67. 早川清

    早川参考人 独立戰争の終了後、自活の点におきましてはこれは割合に自由でありました。それがために百人百様で、いろいろ仕事の点も違いますために、固まつてお互いに助け合いながら自活の道を歩んだというのは、ある一部分だけでありまして、大部分の者は、各地点に分散いたしまして生活したように思つております。捕虜と先ほど申されましたが、捕虜の状態は、私はそういうふうの文字の当てはまらないような生活ではなかつたかと思います。というとこは、いろいろ監視が立つて、武器の警戒を受けながら、非常に行動の自由を奪われたというようなことは大体を通じてなかつたのではないかと思います。
  68. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 終戰後一ぺんもない。
  69. 早川清

    早川参考人 はあ。終戰後一ぺんもありません。それはなぜかと申しますと、先ほど私が言いました前半、後半——前半を独立戰争協力、後半を自活のときといたしますと、前半の時期におきまして、われわれ日本人同胞は割合に優遇されておつたわけであります。後半の自活の場合も、大体においてあすの飯にも困るというときがないでもなかつたとは思いますが、それほどみじめな状態ではなかつた思います。全般を通じてそのようであります。個人的には苦しい生活をされた者もあつたのではないかというふうに考えます。
  70. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そうすると今の御答弁によりますと、経済的には割合惠まれた状態におつたということが言えるわけでございましようが、帰つて来ようと思つたならば、いつでも帰られたんでございまするか、その点を伺いたい。  それから今全体のお話を承りますと、引揚促進委員会の問題とするようなところはないという印象を私たちは非常に受けたのでございます。いやな者を無理に国家権力を用いて引揚げさせるな、現地では残留希望が非常に多いのだ、それはもちろん結婚とかいう問題もありましよう、戰犯の疑いを受けやしないだろうかという問題もありましよう、いろいろ問題があるだろうが、とにもかくにも私たちが受けた印象は、この委員会引揚げ促進という問題を扱つているが、こういう委員会であまり無理なことをしてくれるな、こういう印象を受けるのでありますが、この点われわれの印象は間違つたものでないのでしようか、とうでしようか。
  71. 早川清

    早川参考人 お答えいたします。帰りたければいつでも帰れたかどうかということにつきましては、特殊な事情——それは帰りたい気持があつたのだけれども、本隊との連絡が切れて、そのまま万やむを得ず残されるというふうな者は、三年ばかり前から内地に手紙連絡をいたしまして、帰りたい帰りたいというふうな事情であつたのでありますが、それが手紙だけの連絡で具体的には現れなかつたようてあります。それが私の考えでは、サンフランシスコ会議のあの時代から、本人に来る家族からの返事の手紙にも、こういうところに連絡をとつた、いつ幾日ごろ帰れるようになるだろうから待つておれというふうに、大分具体的になつて来たように考えられます。その後今回の日本独立ということになります以前に、在外事務所事務官の方がわざわざメダンに来られて、われわれを調査されたわけでありますが、日本独立というあの後に、より以上具体的になつて今回の帰還になつたというふうに考えられます。
  72. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 どうも私のお聞きしたことがよくおのみ込みいただけなかつたようですが、私のお尋ねしたのは、先般内地帰還した後におきまして、戰犯という問題でひつぱられやしないだろうか、あるいは帰つても、いわゆる現地人の奥さん内地における奥さんというふうな問題、それから現地におけるお子さんとそれから帰つた後においての元の御婦人との間にできた子供、そというふうな身分関係に基くところのいろいろなトラブルがある。かつまた現地においては、裕福とまでは行かなくとも、生活には困らないが、帰つた後にはただちに職の問題がある、経済問題がある。こういう問題が片づかない限り、帰りたいのはやまやまだけれども、帰つてもそういう点の安心立命といいますか、めどがつかないので踏み切りがつかない、こういう気持なんでしようか。あるいは日本政府から帰つて来いといつても、自分は絶対いやだ、現在では自分はここにおりたいという気持なんでしようか、その点に関する御質問をいたしたわけであります。
  73. 早川清

    早川参考人 お答えいたします。ただいま申されました各項目にわたることに関係がある者は、帰りたい気持があつても帰れないという事情にあると思います。たとえば妻子のある者、あるいは内地へ帰つてこれから生活はどうなるだろうか。この一つ一つの項目に関係ある者は、やはり帰りたい気持はおそらくあるだろうと思いますが、それよりも大きい、帰れないという気持に束縛されておると思います。以上であります。
  74. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 現地残留しておられる方は、大部分皆さんみたいな気持を持つておられるのですか。
  75. 早川清

    早川参考人 その支障があるために帰れない人ですか。
  76. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そうです、
  77. 早川清

    早川参考人 大部分とは言いませんが、そういう支障に関係ある者は帰れないということになつております。
  78. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 皆さん御三人とも、日本へお着きになつたのはいつでございますか。
  79. 早川清

    早川参考人 六月の十二日に神戸へ入港いたしました。
  80. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 まだ現地には何人くらいおられるわけですか。
  81. 小平久雄

    小平委員長 その点は、先ほどから何回も話が出ました。
  82. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 そうすると、百五十名くらいおられる方々は、みんな帰つてから後の経済上の保障と申しますか、こういう点が解決されない。それから婦人関係もありましようし、お子さんの関係もありましようし、何らかこういうものはみんな持つておられると思いますが、それを解決されないと帰りたくないというふうな気持にとつていいのでしようか。それは未復員者給與法というような関係と離れて、そういう気持があるのですか。そういう法律の問題は皆さんおわかりになつておるわけでしようか。
  83. 早川清

    早川参考人 その点は非常にむずかしいと思うのです。先ほど申されました残つておる者が一人々々必ず大なり小なり各項目の対象に影響があると思います。そうでなかつたならば、今回二十名帰りました者以上にもつと帰れたのではないかと思います。しかし先ほど申されましたいらぬ世話をやいてくれるなという気持は全然ありません。帰りたいという気持はある。しかしこういつたふうの大なり小なりの支障があることを考えていただいて、ぜひ内地関係官庁の方々に善処してもらいたいという気持は大いにあると思います。ただ向う残つて日本の南方進出の礎石になりたいという烈々たる気持を持つておる者は、割合少数ではないかというふうに考えます。
  84. 小平久雄

    小平委員長 福田君に申し上げますが、ほかにマヌス島から帰られた方、日赤の社長もおいでになりますから、簡單に願います。
  85. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 私は最後に外務当局の方にお尋ねいたしたいのでありますが、今そういつたふうな事情を承りますと、スマトラに現在おられる方々は国籍もなしい、未復員者給與という関係もないのですが、身分関係はどういうふうな関係になるのでございましようか。つまり旋行者としているわけでもないし、一体どういう身分関係にあるのか。従つて外務省は一体どういう扱いをするのが、これが第一点。それから現地の国籍を與えてほしいというような御希望がありますが、その国籍というのは、現地の国籍を與えることにつきまして、現地政府との交渉をやる意思があるのかどうか。與えた方が外務省としてはいいのか、悪いのか。それからそれに関連して、結婚の問題というのは、これは国際私法上の問題はどうか。そういうふうな問題はどういうふうな御解決の見通しでしようか。それらの点を承りたいと思います。
  86. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 これは先ほどもちよつと質問があつたのでありますが、日本人であることには断然間違いない。国籍は身分法で、属人法でありますから、日本人であることには間違いないと思います。ただ向う日本人であるということについて何か証明がほしいとかいう場合には、在外事務所を通じまして、国籍の証明書のようなものを出すことはいつでもできるようになつております。それから先方の国籍取得の問題とかいろいろな問題は、相手国のインドネシアの国内法等によることでありますが、在留者のものにつきましてそういう措置をとつていいかどうかということにつきましては、これは先ほどもちよつと触れたのでありますが、いろいろ残留者に関連するところも多々ありますので、今後どういう措置をとつてつたらいいかというようなことにつきまして、目下考究中であると先ほど申し上げたのでありまして、重ねてそれだけのことを申し上げておきます。
  87. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 外務次官に伺いますが、国籍は日本人であることには間違いないでしようけれども向うの政府に要求するのは、族行者としての保護を要求するのか、どういう関係の保護を要求しておるのかということです。
  88. 石原幹市郎

    ○石原(幹)政府委員 日本人でありますから、向うではやはり外国人ということになると思いますが、いわゆる外国人としての保護ということになると思うのであります。ただ正式在留というような問題につきましては、先ほど申しましたように、全員の問題についてそういうことを議に供します際に、あるいは向う引揚げろとか、いろいろな問題が派生せぬとも限らぬと思いまして、そういう諸般のことを考慮いたしまして、ただいま研究いたしておる、いろいろさしさわりがある問題が多いと思いますので、研究中であるということを申し上げておきます。
  89. 小平久雄

    小平委員長 中山マサ君。
  90. 中山マサ

    ○中山委員 私は婦人議員としていろいろお話を伺つておりまして、考えさせられるところも多いのでありますけれども、私どもの昔の衆議院の同僚、今は参議院にいらつしやるある婦人の方も、南方から夫とともに来た人のために家庭が破壊されて、こちらに子供がありながら、遂に離婚という状態になりまして、国内におきましても、雑誌や新聞で非常に問題になつたのでございます。しかしそれは個人の問題として私は考えたいと思つております。お互いに国家がそういうところまで立ち入る問題じやないと思いますが、しかし今国内におきましては、いわゆる戰争の落し子というような問題、進駐軍の人と日本の女との間にできた子供の処理などが、非常に婦人問題の中に入り込んでおりますが、南方においても同じような種類の子供たちもあろうと思いまして、私は家庭婦人として、ことに同情にたえないのであります。そういう問題は個々の話合いで片づけられなければならない問題と思いますが、私が最もお尋ねしたいと思いますことは、現地におきまして、向う独立のために御努力になりました皆様方からごらんになりまして、インドネシア日本に対する国民感情ということをお尋ねしたいと思うのであります。実は私も講和の調印式に参つたものでございますが、向うにおきまして、インドネシアの代表が非常に猛烈に日本を攻撃された演説をされまして、その上ぜひとも賠償をしてほしいという問題がやかましく取上げられたのであります。そしてこの平和條約に調印をされた内閣が——これは私の間違いかもしれませんけれども、批准の前に、向うで非常に問題になつて、その人たちが内閣をしりぞかなければならなかつたというようなこともあつたかのように私は記憶いたしておりますが、いまだにそういうふうな日本に対するはげしい感情が存在しておるものか、あるいは皆様方の御功績によりまして、幾分か緩和されたものか。また賠償というものを考えましたときに、わが同胞が百人もそうして向う独立のために命を捧げたということが、この賠償問題を緩和する一つの動機になり得る立場まで、向うがそれを認めておるかどうか、こういう点を聞かせていただきたいと思います。
  91. 宮山滋夫

    宮山参考人 ただいまインドネシアの対日感情について御質問がありましたから、簡單にお答えいたします。インドネシアの対日感情は非常に悪いのであります。というのは、やはり三年半の日本軍駐留期間が原因しておるのであります。しかしフイリピンほどではないのであります。というのは、日本軍は、はつきり申しますとインドネシアを人間として扱わなかつた、あまり人間並みに見なかつた。それが非常に対日感情が悪くなつた原因の一番大きいものと思いますが、割合白人なんかと違つて彼らの中にとけ込んでおつた。それからフイリピンなんかと違つて、三年半の駐留期間に、実際の戰争からそれほど被害を受けていなかつた。そういういろいろな事情で、フイリピンほどはひどくないと思います。ただ新聞とか、そういう面では非常に悪い。しかしインドネシア大衆の内面では、日本人にある程度の親しみを持つている。それから日本人のいろいろな点に敬服もしておる。終戰後現在まで七年になりますが、対日感情の面でだんだん空白状態になつております。おそらく私が思うのに、今が過渡期ではないかと思います。これから日本がよくやつてつたら、案外好転するのではないかと私は思つております。  それから賠償の問題ですが、賠償の問題は、サンフランシスコ会談のあと、フイリピンなんかが賠償問題を大分持ち出して来ましたが、あの前までは、全然向うの人間は日本に賠償を要求するということは言つておりませんでした。新聞なんかでももちろん出なかつた。結局フイリピンなんかが賠償を持ち出して来たあれ以後、急に起きた問題なのです。本心はそんな賠償をとろうなんということは、期待していなかつたのだと思うのです。それだけ日本人が今まで向うにおつて、いろいろなことをやつた日本軍駐留期間の功績があつたわけです。われわれ残留日本人インドネシア独立闘争における功績といつたら、それほど取立てて認められるものではないと思います。ただこれはほんの逸話になりますが、向うでわれわれ在留日本人がどんなふうに見られているかということに対する一つ参考でありますが、われわれが向うから立つとき、われわれのおつたメダンの新聞、インドネシア新聞二種類だつた思いますが、それに、今まで独立戰争の折、一緒に戰つて生死を共にした当時の方々におわかれを告げる、これからも元気で鬪争を続けてくれというような意味の告別の辞を置いて来ました。われわれは勇敢にそういうことを言つて来られたのです。それだけ自信はありました。またこれに答えて、出帆する船の中にわざわざ来て、今日本インドネシア国交関係がうまく行つていない、いろいろ政治関係日本のことを悪く言うが、しかし真実は、インドネシア青年は日本に感謝しているのだというふうで、日本が来たから独立ができたということは彼らもよく承知しておるのです。その点が、対日感情が割合よく、フイリピンほどではないということの一つ原因なのです。だから日本の方に、われわれインドネシアの感謝の気持をぜひ伝えてくれ、そういうメツセージを持つてつてくれというようなことを言つて来ました。ある面では、インドネシア一般の中にそういう気持も非常にあると思います。これはわれわれ残つた日本人の活躍ばかりではなくて、日本軍が駐留しておつたころのことに対する感謝も含まれておると思います。以上であります。
  92. 中山マサ

    ○中山委員 私どもはそれを聞きまして非常に力を得たわけでございます。よく日本は、今度の講和でアジアの孤兒になつたというような宣伝を国内でする人たちもありましたが、そうした私どもが知らないところにやはり親日の感情を持つておる人があつたということは、皆様がその中におつてとられた行動に対して、当然感謝をさせるものがあつたということを私は喜ぶものでございます。私どもは長らくこうして引揚げの運動をして参りましたけれども、結局国家が赤紙一枚で皆様を送り出したそのことに対しては、国家としてはそれをお帰ししなければならない責任があるという、この責任感に立つてどもは非常な運動をやつておりますし、またその家族気持になつてつておる次第でございます。しかし無理やりに引揚げさせようという気持もないのであります。御案内の通りに、こんなに狭くなりました日本に多勢の人がひしめき合つているのですから、今後いろいろなことがおさまりましたならば、どうしても移民の問題を取扱つて行かなければならないのは、わが同胞が栄えて行く一つの道でもございますので、私もまた、そういうふうにしてお互いが了解の上で、帰つて来る必要を認めないとおつしやるお方には、喜んで向うにいてもらうというだけの気持はつきりあるわけでございます。しかしいろいろほかのブロツクにおきまして本人の意思に反して、強制的に残留希望者と極印を押された人たち——皆様方お帰りになつてすでにお聞きになつたかどうか知りませんが、そういう人が非常に数多いのであります。そのために何とかしなければならないと、この委員会が努めて参りました関係上、私どもは一人でも多く、一日でも早くというモツトーのもとに進んでおつたのでございます。今日皆様のお話を聞いて、非常に驚愕したという委員さんもおありになりましたが、私は少しも驚かないのであります。そういう新しい方向もあるという立場に立つて国家が動いて行つたらいいんだ、家庭と未帰還者の方々の御了解によつて引揚げが完了すれば、それもまた一つの行くべき道であろうと私は考えております。今後私の皆様方に望みますことは、向う残つている人たちに対する十分なる御文通によりまして、内地事情を、こういう考え方を持つておる傾向もあるということをお伝えになりまして、今後日本がますますアジアにおいて親善を重ねて行く基礎をお築き願いたいと思つております。これをお願いいたしまして、私の質問を終ります。
  93. 玉置信一

    玉置(信)委員 中山委員の御質問に関連して一言だけお尋ねいたします。伺いますと、非常に国民感情がいいようで、安心をいたし、御同慶にたえないのですが、インドネシア国民の中に、左翼急進分子と右翼というような流れがありますかどうか。先ほど中山委員お話にありましたように、本人の意思に反して、思想並びに主義の点において強制抑留されている面が今日あるわけでありますが、きようは時間がありませんから具体的に申し上げませんが、そうした思想的関係において強制抑留されていないことが明らかになつて喜んでおります。なおインドネシアの国内のそうした思想傾向について、簡單でよろしゆうございますから、この機会にお伺いできれば仕合せに存じます。
  94. 宮山滋夫

    宮山参考人 簡單にお答え申し上げます。インドネシアは思想的には非常に未熟でありまして、実はつい最近までナシヨナリストとコミユニストは同義だつたのであります。鬪争目標が結局オランダの植民地政策に対抗するというので、同じでありますから、非常に混淆しておつた。現在その右と左とはつきりしなかつた状態が大体わかれて来た、そういう状態だと思います。今の思想状態は、原始的なナシヨナリズムの段階だと思いますが、今若干右と左とにわかれて来たところだと思います。しかし左翼の浸透力はちよつと見のがせません。今まで労働組合なんかも、右翼の労働組合は一つもありませんでした。全部左翼です。もつとも労働者の数も案外少いのですが、ところが最近右翼の労働組合もできて来る。この前の内閣あたりから、右翼の労働組合から出た人が労働大臣になつておる。今はやはり日本と同じで、右の方の人が左の方の人を抑える傾向にある。しかし事実は右も左もあまりわかれていない、そういつたところです。日本人はそういう政治的な問題には全然関係ありません。向う残つている人も、そういうことは全然超越してただ独立運動のために戰つた、それだけであります。     —————————————
  95. 小平久雄

    小平委員長 スマトラ関係三君に関する質疑はこの程度にいたし、次は戰犯抑留者事情について、マヌス島より四月五日に帰られた北村義廣君より、また赤十字国際委員会日本赤十字との折衝経過、今後の見通し等につきまして島津日赤社長よりお話を承りたいと存じます。  御両君にはたいへんお待たせして恐縮でございました。まず北村義廣君よりお願いいたします。
  96. 北村義廣

    北村参考人 このたびかかる権威ある会議に呼ばれまして、皆さんマヌス状況を御説明申し上げる機会を與えられましたことを、実にありがたく思つております。こういうことをマヌスにおります連中が聞きましたら、私以上にもつと喜ぶだろうと思います。  実は私は、昭和二十一年に一旦復員いたしまして、昭和二十三年の四月に容疑者としまして、巣鴨に入れられ、二十五年にマヌス島に送られ、そこで二年の刑を受けまして、四月の五日に内地に帰つて来たものでございます。その際に一番感じましたことは、向うにおりますと、戰犯として帰つて来て、一般の人はどういうような目でわれわれを見るだろうかと非常に心配しておつたのでありますが、四日市に着きましてからも、その後も一般の方々の同情と理解あふれるあたたかい気持で迎えられたことを非常に感謝しております。またそういうことが逐次マヌスに伝わりまして、マヌスの連中も日一日とその気持の上で楽になつておるように思われます。最近特に新聞その他において戰犯問題が取上げられておるようであります。これもみな、国民皆さん方が戰犯に対する考え方がかわられまして、われわれに同情ある理解を持たれるようになつたおかげであると思つております。  現在向う残つております戰犯は総計二百六名でありまして、そのうち六十六名は台湾出身者であります。二百六名のうち、私と同じようにマヌスで裁判を受けた者は五十数名、そのほかの百五十名程度の者は、終戰直後あの異常なる心理状態のもとにボルネオ、モロタイ、ラバウル等において戰犯裁判にかけられ、収容され、今日に至つておる者でありまして、その後各地の者はラバウルに集結せられ、昭和二十四年の一月から三月ごろにわたつてマヌス島に移つて来たのであります。マヌス島では目下濠州の海軍の管理下にありまして、私は巣鴨にもおりましたけれども、特に嚴重なる規則のもとに管理されております。刑期について申しますと、二百六名のうち十年の刑の者が六十四名、十年以上の有期の刑の者が九十三名、無期の者が二十三名、十年以上無期までの者は、合計百十六名という多数に上つております。現在死刑囚はおりません。濠州におりまして死刑にされた数は、香港を除きまして、モロタイ、ラパウルにおいて百十三名、マヌスにおいて昨年の六月に五名処刑されまして、百十七名となつております。  御存じでありましようが、マヌスという土地はほとんど赤道直下にございまして、気候は年柄年中日本の真夏以上の暑さでございます。乾季と雨季との区別もあまりはつきりしておりませんし、また日中でございますと、部屋の温度は大体九十度以上——九十六度まで行つたことを私は覚えております。戸外の温度と申しましたら百二、三十度以上になるのではないかと思います。しかも土地はリーフで、白つぽい砂がございまして、そこに立つておるだけでも目がくらくらするようなときがしばしばでございます。原住民はほとんどおりませんで、収容所を警備するために濠州が持つております土人の巡査と、それから濠州の海軍の軍人が数百人おるだけでございます。もともとマヌス島は、戰時中は日本が占領しておりまして、それにアメリカが上陸しまして、そこの日本人は大体二箇大隊くらいと聞いておりますが、ほとんど殲滅されまして、アメリカはフイリピン攻略にその基地としてマヌスを使つたのでありまするが、そのときに若干の道路、それから重油タンク、あるいは港湾施設、あるいは居住施設というようなものをあの地に残して置きまして、それを濠州が引継ぎまして、目下海軍の基地を建設しておるのでございます。そこで日本人は強制労働を受けておるのでありまするが、基地の建設に当つては、非常に日本人の労働力というものは高く評価されておるように思われます。大体無償でありますから、ただより安いものはないというわけであります。また技術的な面におきましても、非常にすぐれておるという点が買われまして、現地当局としては、なるべく日本人をただで使いたいというふうな気持があるのではないかと察せられるのであります。  そこにおります二百六名の日本人の食糧というようなものにつきましては、すでに雑誌などにも出たと思いまするが、主食は米でありまするが、米とそれからビスケットのような乾パン、それからメリケン粉が少量というのが主食であります。米は一日二合三勺くらいでありまして、石油カンの中に入つた熱を加えた米であります。ほとんど玄米程度にしかついてはおりません。そうしてその中にもみが非常に多いというようなこともありまして、食べても非常にまずく、私が内地に帰つて来て一番感じたことは、お米がおいしかつたということであります。副食物としましては、もつぱらカン詰のコーンビーフであります。朝から晩までコーンビーフなのです。そのほかにトマトとか、にんじんとか、そういう野菜のカン詰などがございます。また元大将の今村さんなどが農園をつくつております。老人だけ十二、三名で農園をつくつて、生野菜の補給をしておるのでありまするが、それも土地が悪いせいもありますし、労働力も足りないという点もありますし、またたくさんつくり過ぎますると、一々目方をはかつておりまして、配給の方から減らすというようなことがあるものですから、あまり多くもつくれない。そうかといつて野菜は足りないというような状況であります。肥料などもありませんし、しよつちう連作々々でやつておりますから、いいものは一つもつくれないのであります。その食糧全体としましては、カロリーには不足はない。また脚気患者も、私のいる間にはほとんどそれらしいものはありませんでした。しかし潜在的に、そういう熱帶地におるということのために、また食事が今言いましたように非常に單調でありまして、どのように調理しましても、口に合うというような調理はむずかしいのでありまして、そのために食欲がないという点で、決して満足すべきものではないと思います。現に体重などにいたしましても、漸次低下しておりまして、ラバウル時代に比べまして、平均三キロか四キロ程度つております。それに関連しまして、私がマヌスに着きまして、未決の監房に入れられ、そうして既決の連中が外を通るのを見まして、何て色が黒いのだろう、目がぎよろぎよろしておる。太つているやつは一人もいないじやないか、これではたまらぬ。この暑いのに働かされたのではとてもたまらぬ、というような感じを受けました。まあ自分も中に入つてつてみますと、体重なんかも減りまして、つらいにはつらいにしましても、しかしどうやら務めを果すことができました。  そのほかに、通信としましては、月に一回の、濠州の赤十字で出します戰犯用のはがき、それから六週間に一ぺんの封書——封書も全罫紙一枚だけに限られておりまして、そういうものが発信ができます。受取る方は一月に一回でございまして、内地家族の方が何通書かれようとも、われわれが受取りますのは、家族の者から一通ということになつております。そのために、通信の時間も、往復するのに半年以上かかるというような状況でありまして、向うにおります者が一番心配しますのは家族のことでございます。家族から手紙が来て無事だということを聞きますときが、一番うれしいと思うのであります。そのほかにラジオがございまして、収容所の外側の事務所の窓からそれをやつておりまして、そのわきの柵のところまでみな集まりまして、夜の七時から七時十五分までのニュースを聞いております。空中状態が悪いと、ほとんど聞けないときもございますが、これが唯一の内地の直接のたよりでございます。そうしてみなそのラジオを聞くたびに、きようは戰犯についてのニュースがあつたかなかつたかということだけというわけではございませんが、世界の情勢とか、そういうことのほかに、特に戰犯についての放題がなかつたかということを気にしております。巣鴨は仮釈放されたというようなニュースがございますと、巣鴨のことについて、それはよかつたという反面、われわれはどうなるだろうというような気持を持つのであります。  そのほかに娯楽としましては、碁、将棋、あるいはマージヤンというようなものがもつぱら行われております。ピンポンとかバレー、それから野球の道具等もそろつてございます。これらは、ほとんど日赤を通じまして皆様から贈られた品物でございます。最近では、そういうベースボールとか、あるいはバレーというような屋外のスポーツのようなものは、どういうわけでありますか、国体的にも疲れるということもありましようが、そのほかに精神的に非常に参つて来ておるということのために、あまり以前ほど行われておりません。みな帰つて来ると、そのまま宿合に寢ころんで、雑談をする、そういうことになつております。  一般的に申しますと、健康状態というものは、先ほど申し上げましたように、体重は減少しており、労働に耐え得る最低の状態といつてもいいのではないかと思つております。そのほか患者といたしましては、大体二百人おりまして、五十名くらいがその一般の患者の部類に入るわけでございます。その中で——患者と申しましても、いろいろな作業別にわけられておりまして、軽作業をなす者、自分の宿舎で寢ておる者、重い者は入室する者というふうにわけられておりますが、そういうものを集めまして、大体五十人くらいが、常時患者としてリストに上つておるわけであります。向うの病気といたしましては、一番多いのはやはり下痢とか、かぜ引きでございまして、そのほかに十二指腸虫病が多いとか、あるいは腎臓結石が多いということ、また神経痛が非常にある。そのほかに、結核患者がしばしば出まて、私のおる間に六名が内地還送になつております。この結核になりまして内地に帰るということは、非常に思いやりがあるといえばあるようなものでございますが、なかなか申請いたしましてから、すぐ許可になるかどうかということはわかりません。ある一例のごときは、非常な喀血をした、すぐ内地に帰してくれ、ここにおつたのでは十分な養生ができないから内地に帰してくれということを申請しましてから、ほとんで一年たちましてようやく許可になりましたが、それなども、その間途中に二回も大きな喀血をしまして、病状が相当進んだということもございます。また最近の話によりますと、結核で帰した連中がよくなつたら、巣鴨に入れろというような通知があつたとかいう話を私聞いております。  それからまた全体といたしまして、精神的な面において一番悩んでおるということが申し上げられると思います。というのは、以前からでございますが、特に九月の講和條約の調印というようなときには、われわれについても何かいい知らせばないものだろうかということを非常に期待しておつたのであります。ところがそれも何にもございませんし、また今度の批准ということになつても、非常にみな期待しておつた。今度の批准のときこそは、濠州戰犯について帰すなり、あるいは帰さぬなりというふうな、何か決定がされるのではないかということを心待ちしておつたのであります。私は四月の五日に帰つて参りました。それ以後のことでございますから、向うの連中はどうでございますか、おそらく非常な失望落胆をしておるのではないかと思います。いろいろな向うの規則の中で、熱帯地において長い間拘禁生活、労働生活をしておつての唯一の希望、それをささえるものといたしましては、内地に帰るということだけでございます。  そのほか巣鴨の例と比較しますと、巣鴨の方では減刑制度が比較的完備しておる現在どうですか、従来いろいろなことが言われております。少くともアメリカがやつているときには、善時制度というか、仮釈放制度というようなものがありまして、どんどん出ておつた。ところがマヌスにおきましては、昨年の十二月にそういう一部減刑、非常にわずかな率の減刑があつた。そういう制度が実施されただけでございまして、仮釈放制度というようなものはてんで望まれないのでございます。それから減刑の率も、十年について申し上げますと、鴨では三分の一減刑されます。ところがマヌスにおきましては、それが四分の一、五年以上は四分の一しか減刑されない。無期の刑は三十年しなければ釈放されないというふうに規定されております。そういうふうに、巣鴨に比べまして、本質的な刑の減刑制度においてすでに差別があるというようなこと。また非常に規則が厳重であるというようなこと。それからまたフイリピンにおきましては、所長だとか、そこにおります教講師、大僧正の方が非常に理解をされておるというふうなことを聞きましたが、マヌスにおきましては、この点は話をしていいかどうかわかりませんが、すべて向うの人々は規則を守るということたけをモットーにしておるように私には感ぜられたのであります。現在濠州の海軍におります従軍牧師が、一週間に一度来て英語でしやべつております。しかしそれも聖書の講義だけでございまして、そのほかに修養になるような話などはありません。特に日本人の味方になつてわれわれを考えてくれるというあたたかい気持を感ずることができないというのが、彼らの不幸な一面であると思います。修養の施設といたしましても、いろいろな本も若干あります。しかしそれにも増しで必要だと思われることは、彼らの気持をやわらげるというふうなことではないかと思います。元の今村大将がそういう点についていろいろ教えておられますが、しかしなかなか感服というか、その気持になれない。こういう長い拘禁生活、あるいは熱帶地における労働というようなことから、これも無理のないことではないかと思うのであります。  この際もう一言お願いしたいと思いますのは、台湾人の問題であります。六十六名の台湾の青年がおります。みんな若い連中ばかりでありまして、初のクチンの捕虜収容所の監視でおつたのであります。それが日本の戰犯者として処罰されまして現在に至つておりますが、この問題については、すでに講和会議ができまして、台湾人というのは日本人ではないと思います。何かそこに手を打つことができるのではないか、向うにおります連中にいたしましても、われわれは二番目でもいい、ぜひ台湾の人々を早く帰してやつてくれ、そういうふうに日本政府、あるいは台湾の政府が濠州に掛け合つてもらえぬかということを要望しておるのであります。それから今向うにおる連中も、やはり出征以来十四年になる人もあります。十年以上の人が大部分でありますが、家のことを非常に心配しております。しかも通信が不自由でございますので、半ばあきらめるというような、また投げやりにするという気持も生じておりますが、家族のことについては特に心配しております。私が帰つて参りましても、向う方々のたのみというのは、家族に会つて、無事でやつているか、そういうことだけを伝えてくれというわけでございます。帰つて参りまして家族の方に会いますと、中には子供に学校をやめさせなければならない、あるいは自分自身が胸が悪いのに勤めに出なければならない、そういうような気の毒な家庭にいつも接しております。この点につきましては、各方面の御同情ある御理解によりまして着々と成果が上つていることを内心喜んでおります。  これをもつて終ります。
  97. 小平久雄

    小平委員長 次に島津忠承君。
  98. 島津忠承

    島津参考人 日本赤十字社がごく最近に入手いたしました引揚げ促進に関しまする情報から御報告を申し上げたいと存じます。去る五月の日本赤十字の第六十回の総会におきまして、ソ連及び中共地区残留邦人並びに日赤の看護婦の帰還促進要求の決議がございます。その決議は満場一致可決いたされましたので、その後この決議案を赤十字国際委員会、赤十字社連盟等に送りまして、特に赤十字国際委員会に対しましては、この決議案をソ連並びに中国の赤十字に通達するように依頼したのであります。さらにそれに加えまして五月十幾日でありましたか、ソ連に抑留されて服役中の戰犯の方々に対しまして、日本から通信並びに慰問品の送付ができるような情報がございましたので、これを確認することも申し添えまして、国際委員会に申入れをいたしておいたのでございます。それに対しまして、六月十九日に赤十字国際委員会の会長でありますリユガー博士から、日本赤十字社あてに返電が参つたのであります。新聞等によつてすでに御承知かと存じますが、ごく短かいものでございますので、ちよつと読み上げて御報告申し上げたいと存じます。  第二次世界人戰終了後、ソ連及び中国に抑留されている日本人のすみやかなる帰還を要求する五月八日目赤総会決議文を、同二十九日付貴翰をもつて送付に相なり、まさに受領しました。  御承知のごとく、大戰中行方不明となつた軍人及び文民の捜査と行方判明した者の帰還の問題につき、赤十字国際委員会は常に万全の注意を払つて来ております。  貴社総会の決議は明らかに人道的性格のものでありますので、当委員会は、これをただちにソ連及び中国の赤十字に伝達いたします。  ソ連または中国の領域においてなお生存し、または死亡せる近親者の消息を得ることかできぬ日本留守家族の苦しみを救うため、両国赤十字はその有するあらゆる手段をもつて努力するよう要請します。  他方ソ連赤十字に対しては、裁判関係でソ連に抑留されている日本人に通信と救恤品を送る可能性ありやいなやを尋ねるつもりでおります。返事を得次第貴下に御連絡します。」  以上がリユガー委員長から最近に参りました電報でございます。  この機会に日本赤十字が従来引揚げ促進につきましてとりましたことにつきまして、ごく大要をかいつまんで申し上げたいと存じます。終戰になりましてから、シベリア等におられまして帰還されない方々留守家族方々から日本赤十字に対しまして、赤十字を通じて帰還を要請したいというお申出がしばしばございました。またある婦人団体からは、ソ連の婦人団体あてにすみやかな帰還を要求する嘆願書を送りたいから取次いでほしいというお申出もございました。戰時におきまして、また直接戰後に通信連絡のつきません場合に、赤十字におきましては、赤十字国際委員会を通じて連絡をつけますのが赤十字の常道になつておりますので、日本赤十字から赤十字国際委員会にそのことを要請したのでございます。赤十字国際委員会は、戰争の場合におきましても嚴正な中立の立場におきまして、この俘虜の情報とか、救血とか、そういう仕事にあたります関係もございまして、常に嚴正な中立を標榜しておるのでございます。俘虜の送還、抑留者の送還等につきましても、いわゆるジユネーヴ條約、俘虜に関するもの、傷病兵に関するものにもございますか、このジユネーヴ條約を基礎に置くことを主としておるのでございます。不幸にして抑留者の送還と申しますか、俘虜の送還という問題につきましては、俘虜條約、これの当事国が調印国でない国もありますし、また調印いたしましても批准をしない国もございまして、この俘虜條約の條文がそのまま当てはまらない状態にもあるのでございます。しかし赤十字国際委員会は、あくまで人道的立場に立つて、未帰還者の帰還促進に努力する旨を表明いたしておりまして、日本赤十字は、今日まで総会におきまして三回の帰還促進の議決をいたしております。そのたびごとに国際委員会にこれを依頼しておるのでございますが、まだ一回もソ連赤十字から、あるいは中国紅十字会から返電に接しないのでございます。ただ一九四七年にシベリアからの引揚げが開始されます直前に、これは当時対日理事会にソ連代表部から報告されましたと同様のものでございますが、日本の富山の婦人会からソ連の婦人団体あてに送りました嘆願書に対しまして、何月何日からどれだけの人数の引揚げを開始するという情報だけが、日本赤十字がソ連赤十字から受取りました情報でございました。なお二年前に、モナコの赤十字社連盟の理事会でソ連並びに中国紅十字会の代表と面接いたしました際に、終戰後初めて会議に出席いたしましたソ連の代表、それから中国紅十字会の代表でございましたが、私的に会談をいたしまして、帰還促進を依頼したのでございます。その後両赤十字あてにもしばしば書簡等によりまして帰還促進の運動を依頼しておりますが、不幸にしていまだ両赤十字から直接に返事をもらつていないのでございます。なお今後の対策につきましては、来る七月二十三日から八月十日までカナダのトロントで第十八回赤十字国際会議が開かれますので、当然ソ連赤十字並びに中国紅十字会の代表も出席することと存じます。その機会に引揚げ促進につきましても一層の努力をいたしまして、何らかの手を打たなければならないと存ずるのでございますが、ただいま赤十字国際委員会とも緊密な連絡をとりまして、その対策を考えておる次第でございます。  以上大要を御報告申し上げました。
  99. 小平久雄

    小平委員長 ありがとうございました。これより北村島津両君の発言に関する質疑を許します。庄司一郎君。
  100. 庄司一郎

    ○庄司委員 日赤当局は、まつたく清らかなる聖愛の人道主義の上に立たれまて、これまでいろいろ有益なる対策を立てられ、また同胞のすみやかなる帰還を実現させるために、大いなる愛の手を伸ばしていただいたことはまことに感謝にたえませんところであります。赤十字の国境を越えた、民族、人種を越えた清らかなるところの愛情の発露こそは、世界万国の人種を越えての尊い使命であると考えられます。島津社長さん外役職員の諸君が鋭意本問題のために御健闘くだされておることは、まことに感謝にたえないところであります。どうか、ただいまお話にあられたように、近くカナダにおいてまたまた国際的な会合を持たれるそうでありまするから、日本国内において三十有余万の留守家族が、またこれに同情するところの八千万同胞がどんな心持を持つておるか、また国会の開会ごとに本会議において決議案を上程して、世界関係各国等に呼びかけておるかというようなことも十二分にお伝えをくださいまして、御善処を願いたいと思うのであります。なおまた来月の十日は、同胞救援議員連盟並びに抑留同胞帰還促進の目的を持つておるところの国民運動総本部が主体と去り、日比谷公会堂において全国的な国民運動的大会を持つのであります。この際はむろん来賓としておいでを願う準備を持つておりまするが、かような国民的大会の輿論等もどうかカナダにおけるところのあなたの方の大会にぜひ反映さしていただいて、何らか目的達成上の有益なる参考資料に資していただきたいと思うのであります。  お伺いしたい第一点は、まずあなたの機関のもとにあられる日本赤十字の看護婦の諸君が、何名戰時中に海を越えて戰地に派遣されたか、それがただいまどのくらい帰つておられるか、また未帰還の看護婦諸君がどのくらいの数に上つておるかというような一点を最初お伺い申し上げたいのであります。
  101. 島津忠承

    島津参考人 お答え申し上げます。戰時中海外に出ておりました看護婦の数は、私今ここに資料を持つておりませんので、はつきり申し上げかねますが、ただいままでに未帰還の日赤看護婦の数は三百二十六名でありまして、主として中共地区残つておる者でございます。
  102. 庄司一郎

    ○庄司委員 ソ連の赤十字の社長のホロドコフ博士、また中国の紅十字総裁の李徳野女史、かような方々に対してたといプライヴエートな御会談にせよ、御熱心に要請されたことに関しまして、その後何らの御返答がないということは、私ははなはだ遺憾に思います。それは赤十字という高い、神聖なるところのこの人道的な団体として、御返事ぐらいはあつてしかるべきものであると私は考えておる。よつて来るべきカナダの会合等におかれては、民主主義国家群の御同情あるところの支持のもとに、勇敢に追撃をしてもらいたい。抑留されておる同胞がどのくらいあるか、あるいはすでに不幸にして死亡した同胞がどのくらいあるか、あるいは戰犯等の名のもとに拘束されておる同胞がどのくらいあるか、あるいは死亡された同胞の姓名であるとか、あるいは抑留されておる同胞の氏名であるとか、こういうことは政治的な国際関係を超越して、赤十字の特殊使命にかんがみて、これは調査してお知らせを願う筋合いのものであると私は信念いたしておるのであります。そういう意味において、どうか具体策をもつて最も有効適切な手を打つていただきたいと考えておりますが、御所見はいかがでございますか。
  103. 島津忠承

    島津参考人 赤十字といたしましてただいま最も遺憾に思つておりますことは、戰時におきましても、赤十字国際委員会の代表を交戰国に派遣いたすりことになつております。しかしながら、不幸にしてソ連地区並びに中国におきましては、赤十字国際委員会の代表を認めません。国際委員会の代表の入国することを認めないのでございまして、この代表が認められますならば、ただいま仰せのようないろいろな調査が中立の立場においてなされるものでございますが、不幸にして今日までのところ、その代表者の入国を認めないのでございまして、この点は赤十字といたしまして——單に日本赤十字だけではございません、赤十字といたしまして最も遺憾に存ずるところでございます。ただ、ただいま数回にわたりましてお述べになりました、この来るべき国際会議におきます対策は十分検討いたしまして、遺憾なきを期したいと存じております。
  104. 庄司一郎

    ○庄司委員 日本赤十字社の本来の使命の上からお考えになりましても、気の毒な境涯に沈淪しておるわが国三十有余万の留守家族方々の中の大平は、まことに生活困難な状態にあるのであります。また数は多くはありませんけれども、いわゆる戰犯者諸君の留守家族もまたまことに気の毒な生活環境におられるこの際、私は御社の使命を普遍化して、御社の使命をあまねく達成される上において、留守家族等の中において特に生活困難な御諸君には、あなたの所管される各府県等にございます病院あるいは診療所、これがもつと積極的な愛の手を打つていただいて、でき得るならば民生委員等の上申により、あるいは市町村長等の懇請により——ただいままでも多少医療上の救恤は行われておりますが、この際特に留守家族等の妻子の患者に対して、一層の福祉的な愛の手を伸ばしていただきたい。それであつてこそ、多少なりともわれわれ国会議員のあなた方の方の基金の募集等に対する心から応援の意味が、ここに具現されて行くと思うのであります。どうか留守家族、あるいは戰犯の留守家族等にもう一段の愛情の手を、特に診療、医療の面において伸ばしていただきたい、かような考えを持つておりますが、昭和二十七年度における日赤当局の対策の中におかれて、かようなことは織り込まれておらないのでありましようか。
  105. 島津忠承

    島津参考人 ただいまの医療の面につきましては、特に引揚げ方々等につきましては、御趣旨のように対策を立てておると存じます。一般の留守家族方々に対しましても、仰せのようにいたさなければならないと存じますが、いろいろの点、財政面の点もございます。各方面を十分考慮いたしまして、御趣旨に沿うようにいたさなければならないと存じております。
  106. 中山マサ

    ○中山委員 関連して日赤の方にお尋ね申し上げますが、ソ連の方へ日赤の代表の入国を要請なさいましたのは、いつでございましようか。
  107. 島津忠承

    島津参考人 日本赤十字からは要請いたしておりません、赤十字国際委員会自体で数回にわたつて要請いたしておると存じます。
  108. 中山マサ

    ○中山委員 最後はいつでございましたでしようか。時期は御存じございませんか。
  109. 島津忠承

    島津参考人 その時期は聞いておりません。但し一九五〇年リユガー会長みずからモスコーに参りまして、昨年は北京に参りまして、ソ連並びに中国紅十字当局と話合いをいたしておるようであります。正式な代表はまだ認められておりません。
  110. 中山マサ

    ○中山委員 これは非合法的立場によつてでございますけれども、参議院のある議員がソ連へ入りまして、抑留者のラーゲルを訪問するところの権利をもらつたということを新聞で私どもは伝え聞いておりますし、またその墓にもお参りをしたということも伝えられております。今日私が望みますことは、それだけ鉄のカーテンが引きあけられたのでございますならば、私はこの際のがさず、日赤の方が同様の取扱いを申し込んでいただきたい、こういう気持を今持つているのでございますが、そういうことをなさる御意思があるかどうか、伺いたいと思います。
  111. 島津忠承

    島津参考人 お答えいたします。日赤の者自体がソ連に入りますことは、なかなかむずかしいのじやないかとただいまのところ考えております。赤十字国際委員会の代表者は、ただいま仰せになりましたことから考えましても、当然入り得るようにならなければならないと、ただ希望いたすだけでありまして、そうならなければならないものと存じます。
  112. 小平久雄

    小平委員長 川端佳夫君。
  113. 川端佳夫

    ○川端委員 政務次官がお見えになつてから伺いたい問題もございまするが、先ほど北村君からお話がございましたが、海外抑留戰犯の問題についてひとつ伺いたいと思うのであります。まず濠州の関係で、死刑囚というのはありますか——これがなければようございますが、戰犯者として向うにおられまして、過般外務政務次官が、海外における死刑囚は、今後そういう判決を受けておつても、刑を執行することはないであろうということを言明いたしましたについて、海外における反響があつたとかないとかいうような話もあつたわけでありますが、あなたが向うにおられました体験からいたしまして、講和発効後において、海外の戰犯の問題を推しはかつて伺えるとは考えませんが、もし濠州にそういうようなものがあつたといたした場合に、あなたの御体験から、今後もまだ死刑執行をするであろう、あるいは外務政務次官のそういう言明によつて硬化するようなことがあるだろうとか、そうお考えになるかどうかをまず伺いたいと思うのであります。
  114. 北村義廣

    北村参考人 お答え申し上げます。先ほど濠州における死刑囚はないと申しましたが、一名だけ、オランダで死刑を宣告されまして巣鴨に入れられ、巣鴨からわれわれと一緒に向うに行つた者が一名だけございます。オランダの死刑囚であります。残されたるただ一人でございます。  その次の、もしもという仮定の問題でございますが、向うにおります連中は、何といいますか、直接権力のある濠州のはつきりした表示でない限り、日本のことはあまり信用——信用というか、当てにしてはいなかつたというふうに感ぜられる部分があるのであります。いろいろなことがニュースなどでいわれますけれども、濠州は濠州だからわれわれはだめだろう、そういう気持が多いのであります。またそういう死刑囚があつた場合に、そういうふうなことが言われた際に、濠州がどのように反響を起すかということについては、今までの成行きから考えますと、やはり濠州当局としては、あるいは硬化するんではないかというふうに心配されます。その例と申し上げていいか悪いかわからぬのでありますが、昭和二十五年にマヌスの裁判が始まる前であります。私はその前二年ほど巣鴨に未決で拘留されておりました。当時アメリカあたりのニュースによりますと、濠州の戰犯も近く釈放されるであうというニュースが出まして、非常に喜んだのでありますが、それに反駁いたしまして、すぐ濠州の方では、いやこれから二百名の戰犯者の裁判をするんだというようなこと、あるいは裁判の準備をやつておるんだというようなことが再三出ました。またつい近ごろでございますが、二月に帰つた者が参議院で証言いたしました。その中に、若干向うを刺激するような字句があつただろうと思いますが、そういうものがすぐロイターに載りまして、濠州の向うの所長の耳に入り、それによつて所長が非常に気分を悪くして、直接われわれに当つて来るというようなこともありましたし、想像の問題ですから、はつきりしたことはお答えできませんが、過去の例から考えましてそういうことを言つたならば、あるいは硬化するんではないかというふうに考えられます。
  115. 川端佳夫

    ○川端委員 われわれはもうこの段階まで来て、死刑の執行あたりがあつては困る。国民感情からいつても、むしろ減刑あるいは釈放をしてもらいたいというふうな気持をひとしく持つておるものでありまするが、こういう点について、日本赤十字の方でも、死刑執行が、濠州だけではなくて、その他海外の抑留戰犯に対してあるやの情報をお受けになつておるかどうか。それから日本赤十字も、できるだけ日本のわれわれのこういう国民感情を伝えてもらいたいと思つておりますが、こういう点について特に何かお気づきの点があれば伺つておきたいと思うのであります。
  116. 島津忠承

    島津参考人 お答えいたします。第一の死刑の執行があるかないかを知つておるかというお尋ねでございますが、その点につきましては、特に赤十字には何ら通報が来ておりません。なおただいままでのところ、赤十字といたしましては、刑減のことには触れておりません。ただ健康上の理由とかいうことにおきまして、内地服役、そういう方面には働きかけておる次第であります。
  117. 川端佳夫

    ○川端委員 この機会にひとつ日赤の社長さんに伺いたいのでありますが、最近高良何がしがソ連へ伺いまして、そうしていろいろの情報がこちらへ流されて参つておるのであります。あるいは抑留者の数とか、あるいはこれを送還するなどというようなニュースも入つております。これについて何か裏づけされるような最近の情報はございませんか。
  118. 島津忠承

    島津参考人 先ほど読み上げましたリユーガー会長からの電報の中にもございましたが、実は高良女史の情報によりまして、これを確認することをこちらから申し入れましたに対しまして、赤十字国際委員会は、その旨をソ連赤十字に通じてくれたと思うのでありますが、これに対しましてはまだ何ら返事に接しておりません。
  119. 川端佳夫

    ○川端委員 もう一つ伺いたいのは、本日スマトラ関係帰還者の方々から伺つて、われわれはいわば意外に思つておるのでありますが、相当の方々残留希望いたしておる。また驚きというよりも、そういうこともあろうかと私たちは思つてはおりましたけれどもはつきりとこういうことを伺つたわけであります。日赤等では、各国からの情報によつても、こういうふうにむしろ現在まで残つておる連中の相当数がそこに残留をいたしたい、こういうような希望を持つておるような情報を伺つておられましようか。
  120. 島津忠承

    島津参考人 正式に残留希望しておりますようなことは聞いておりませんが、間接にはそういうことがあるやに聞いております。
  121. 川端佳夫

    ○川端委員 外務政務次官が来るのがおそいようでありますから、外務省の人が見えておりますから簡單に伺います。というのは、海外の抑留戰犯を集鴨の場合のごとく、できるだけ日本に移管したいという感じをわれわれは持つのでありますが、これはわれわれがそういう希望を持つただけではどうにもならないことはよく知つております。けれども條約に示されたあの方法でもつて折衝をいたすことができると思うのでありまするが、講和発効の今日、当該国に対して、戰犯移管といいますか、そういう折衝をいたしておりまするかどうか、伺いたいと思うのであります。
  122. 三宅喜二郎

    ○三宅政府委員 ただいまお尋ねの点でございますが、この点につきましては、平和回復の前からもずつと引続きやつております。濠州に対しましても、フイリピンに対しましてもやつておるのでありますが、先方といたしましては、それに対してまだ返答はよこしておらないのであります。戰犯の移管については、海外に戰犯のおりますのはフイリピンと濠州とでございますから、濠州とフイリピンとにあたつておるわけでありますが、フイリピンからはまだ何らの回答もございません。濠州からは、先方の対日感情はわれわれかここで想像する以上にまだ悪いので、日本の大使館が濠州に設けられて、先方の対日感情がもつとよくなつてから、日本の出先と濠州の政府とで話し合つてもらいたい、それまで日本におるところの濠州の代表部では取扱いきれる問題ではないということを非公式に言つております。なお私ども濠州の外交官とも個人的によく知つておりますから、この問題は国会や日本国民の強い希望であるということは、たえず伝えております。
  123. 川端佳夫

    ○川端委員 それでは私は簡單にもう一点でとどめます。  先ほど北村君のお話で、海外に抑留されている戰犯が通信に非常に不便を受けておるということでございますが、この通信のあつせんは、巣鴨にいる日本国内において受刑しておる連中も、最近私たちが会つてみますと、自分のうちと巣鴨との連絡についても非常に切実に訴えておつたわけであります。ましてや海外におる戰犯の方々の心中は、はかり知られざるものがあると思うのでありますが、せめてこの通信のあつせん等は、外務省で具体的にもう少し頻繁に行われるようにはかるわけには行かないものであろうか。何か方法があれば、ついでに伺つておきたいと思うのであります。
  124. 三宅喜二郎

    ○三宅政府委員 この問題につきましても、もつと頻繁にやつてもらいたい、年に数回では困るからということは、濠州にも申し入れてございます。ところが日本から出ましてマヌス島に行く船は、濠州の南の方までも行く船と同一でありますために、一往復に非常に時日を要するという関係で、運んで行く回数も少くなるし、運んで行つた郵便物か届くのもおそくなるのであつて、現在ではやむを得ない、事情は了承してもらいたいというようなことを今までは申しております。こちらの希望は、向うに対して数回強く申し入れてございます。
  125. 玉置信一

    玉置(信)委員 北村参考人にお伺いします。先ほどのお話のうちで、日本人は技術の点にもすぐれておるので、濠州がマヌスを海軍基地に目下築造しつつある際、そういう技術の優秀な日本人は帰したくないのだというような意味のお話があつたように、私先ほど承つたのですが、その点もう一度繰返してお話願いたいと思います。
  126. 北村義廣

    北村参考人 先ほど申しましたのは私の想像でありまして、濠州がどういうふうに考えているかわかりません。しかし、もしも立場を逆にしまして、私が濠州の海軍を管理しておるとしますならば、日本人のそういう優秀なる技術と無償なる労働力というものは、離したくないだろうと想像できるのであります。技術的に優秀であるということは、日本人は、建築にいたしましても、土木にいたしましても、向うで青写真を一枚持つて来れば、その通り全部つくつてしまう。向うが直接あそこをどうしろ、ここをどうしろということを言わなくても、写真の通りちやんとつつてしまう。そういう点が優秀であるという意味であります。
  127. 玉置信一

    玉置(信)委員 戰犯として抑留されておる人をさしての想像でございますか。労働力の点において、あるいは技術の点において、日本人を帰したくないであろうと想像される対象は、戰犯として抑留されておる人をさしておるのでありますか。
  128. 北村義廣

    北村参考人 戰犯者を帰したくないだろうというのは、現地当局は、そういう労働力とか技術の面からいいますと、基地建設上に非常に貴重なものでございますから、基地の者は戰犯者を帰したくないだろうという想像であります。
  129. 玉置信一

    玉置(信)委員 先ほど私はあまり長くおしやべりをしましたので、お讓りをしたのですが、もう一点、宮山川路早川参考人方々にお伺いしてみたいと思います。それは向うにおる方が、結婚されておるために、妻や子供に対する愛情に引かされて帰りたくない、向うにとどまる意思が濃厚であるということであるか。それとも、終戰日本独立国家になつて、文化、平和国家として相当立ち直る将来性のある日本の現状を知らないために、何かそこに誤解等があつて、むしろ私は帰らぬでこつちにおつた方がいいのだという気分の人があるのではないでしようか。この点お答え願いたいと思います。
  130. 宮山滋夫

    宮山参考人 向うの者が現在の日本の復興ぶりについてあまり知らないというよりは、実際を見ていないのですから、信じ切れないという面は確かにあります。ですからこの点は、今回帰つて来ましたわれわれが連絡してやれば、かなりの程度解決するだろうと思います。向う妻子にはもちろん引かれておりますが、全然帰りたくないなんて人はあまりおりません。
  131. 玉置信一

    玉置(信)委員 政務次官が帰られないので、一応事務当局にお伺いしまして、事務当局の御答弁いかんによつて、次会に政務次官なり大臣にお尋ねしたいと思います。  当委員会で先般岡崎国務大臣並びに石原政務次官が私の質問に答えてお話になつたことは、ただいま事務官からお話のあつたことと大分食い違いがあるので、もう一回お伺いするわけであります。それは、ただいま川端委員質問されたようなことと大同小異のことを私が質問いたした。それに対して大臣、次官は、関係各国に目下減刑——フイリピンの方面は助命でありますが、助命並びに減刑の点について交渉をされておるというような意味のお答えをされたのでありますが、ただいまの事務次官の御答弁によりますと、濠州方面には正式な交渉をしていないように、プライヴエートの話のように承つたのですが、これはどういう事情でありますか、お伺いしたいと思います。
  132. 三宅喜二郎

    ○三宅政府委員 ちよつと誤解があるかと思うのであります。先ほどの川端委員の御質問は、海外で服役している戰犯を内地に移還する問題であつたのであります。減刑は内地に帰つて来てからでありませんと、日本の勧告により、また連合国の決定により恩赦、特赦、減刑、仮出獄、こういうことはできないわけで、ですからその前提として、まず内地に移還することが必要なのであります。その交渉は、つまりフイリピンと濠州相手にやつておるわけであります。先般大臣あるいは政務次官からお答えになりましたのは、内地服役中の戰犯につきまして、仮出獄といいますか、そういつた問題について、それぞれの関係国に交渉しているというので、問題は少し別でございます。
  133. 玉置信一

    玉置(信)委員 もう一つだけ。これはどうもお互いここで話合つても妙なことになるかもしれませんが、先ほど北村参考人お話によりますと、米国の減刑の措置と濠州の減刑の措置が大分違う、アメリカの減刑措置は三分の一で、濠州は五分の一だということになつておりますが、これは国際連合の構成メンバーである濠州としては、私ども実にこれは納得できないのでこれはおそらく論議してもしようがないのですが、あなたはそれに対してどういうような感想を持たれますか、お話願いたいと思います。
  134. 三宅喜二郎

    ○三宅政府委員 御承知のように、減刑等をいたしますには、日本の勧告と各連合国の決定が必要でありまして、その各連合国の決定にあたつて、各国は自国の国内法上の制度を考えて、日本の勧告よろしい、まだ聞けない、こういうことを、個別的にそれぞれの国が、みずからの制度を参酌して決定する、こう思うのでございます。共通の制度と申しましてはございません。その点はまあやむを得ないと思います。
  135. 堤ツルヨ

    ○堤委員 外務政務次官はどうなんですか。
  136. 小平久雄

    小平委員長 外務政務次官は今外務委員会関係で、ちよつと手放せないそうですから、さよう御了承願います。
  137. 堤ツルヨ

    ○堤委員 それでは、私は政務次官、大臣にお尋ねしたいのでありますが、昨日私は巣鴨へ行つて参りまして、戰犯の方々と三回目の面談をして参りました。それで、これはあすあたり私のところに書類として届くと思うのでありますが、蘭印の大使館へ戰犯の奥さんが行かれた。そうして、もうこんなになつたのだから、非常に生活も困つておるし、ひとつ釈放並びに減刑を考えてくれたらどうかということを陳情に行つたというのであります。そういたしましたら、大使館では、その通りだ、しかし非常におかしいことは、独立した日本の政府が何も積極的に動かないとは一体どうしたことか。こちらは日本政府の勧告によつて、あなた方の御希望通り何時でもしようと思つて手をあけて待つておるのである。だのに日本政府は何もしないということを大使館で申しました。  それから今度もう一人は、アメリカの例でありますが、非常にイングリツシの達者な戰犯の方が、直接マーフイーに手紙を書かれて、そうして減刑なり釈放なりをしてくれということをるる手紙で出されました。そうしましたら、第二武官室付の何とかいう方、この書類もあす届きますが、これまた今の蘭印の大使館と同じようなことを答弁されて、日本独立したのではないか、日本政府はじつとしておる。日本政府が何もしないのにわれわれは何もすることはできない。従つて日本政府の勧告を待つて希望に沿いましようということをおつしやいました。これはフイリピンにおきましても、蘭印におきましても、私は同じ考えじやないかと思う。私が先般来政府のやつておられるところを、答弁なり、また新聞の報道なり、いろいろな面から検討いたしますと、講和独立を迎えて、戰犯の問題を全面的に、軽い者も重い者も、全部あらゆる諸外国に向つて、これをむしろ強硬談判と申しますか、強い意味の勧告をした場合には、あるいは対日感情が悪くなるのじやないか、従つて戰犯者にも不利になる、だからできるならば、ひとつ軽気球を上げるようなつもりで、この求刑に対して何分の一かを、なるべく多く服役した人を、試験的に、テスト的に勧告してみて、その決定を待つて残る人たちをやろうというような腰の弱い——これは吉田外交の通有性でありますからしかたがありませんが、非常に自信のない考えを持つておられる。これは私は向うの外国の人たち考えとまつたく逆である。むしろ向うは手をあけて待つておるのに、日本政府は積極的にやらないということを逆に私は言われた。自由党の方は怒られますけれども、これは私の口から言つたのではなしに、大使館みずから、マーフイーの事務官みずからが手紙を出して答えておられますから、日本政府が積極的にやらなければならぬということは、この二つを見ても出ておるのであります。この点私は非常に遺憾に思います。従つて昨日巣鴨に行つてつた戰犯の人たちは、まず外地に服役したおる人たち内地に送還されることが第一條件だ、あの人たちが帰つて来ないのに、われわれが先に出たいということは言えないと言つている。中でも涙ぐましいのは、年をとつた、五十以上の人は、われわれは何にも言えない、しかし第三国人であるとか、若い二十代の青年を早く何とかしてもらいたいというように、お互いにかばい合いながら、きれいな気持で一致団結して、希望ある日を待つておる姿を見ましたときに、まつたく私は日本の政府に不信の念を持たざるを得ない。これは外務省とばかり申しません。法務府も戰犯に対して自信がありません。なぜならば、法務府は、お前は大体どういう経過によつてどういう裁判を受け、どういう宣告を受けてどういう状態にあつたかということを、一人々々のケースを報告しろということを言つておられるそうでありますが、何ら一貫した書類がないので、これを勧告の種にしようという考えらしいことが十分うかがわれる。従つて法務府が法務府の立場として折衝なさる準備を見ておりましても——これは私、本会議でも討論につけ加えて申しましたが、あるいは人員の不足であるとか、またイングリッシの達者な通訳とか飜訳する人がないとかいう事情で、事務的にもまた資料的にも非常に困難を来しておる。そこへもつて来て、現政府が外交方針に自信のないということから、この伏線として、関係諸外国に対する積極的な手が打たれておらない、こういうところに、私は戰犯に対する処置に非常な不満を感ずるものであります。従つて、きようは外務大臣か政務次官に直接この問題についての御見解をただして、何とか国会の両院の決議を実現してもらいたいということを迫りたかつたのでありますけれども、政務次官は、先ほどから重要な御用事であるそうでございます。私はすなおに解釈いたしましよう。しかし今まで重要な用事だといつて、そこに来られた大臣とか次官がお逃げになつたことがたびたびあるのでございますから、信用できないと言つてもいいのでございますけれども、きようはその言葉を信用しておきますから、事務官の方は、速記にも残つておるのでございますから、大臣並びに次官に伝えていただきたい。そうしてこの次の委員会で政府の御方針を承りたい。なおこのことは、私はこの前の委員会でも願つておりまして、おのおのの関係諸国に対して、釈放並びに減刑に対する手続をやつておるということをお答えになりました。従つて、やつておる、やつておるでは政府を信じられませんから、何年の何月何日の現状においてかくかくしかじかの書類をもつて、かくのごとき交渉をしたというところの書類の寫しなりデータをわれわれ委員の手元に出されたいということをお願いしてあるのでありますが、その御返事がきようもまだございません。従つて私は、これは委員長の手落ちか、または政府が資料がないのでごまかそうとしていらつしやるのか、またお忘れになつたのか、そのいずれかと思いますが、この辺確たる御返答を伺わないと、私は民族の犠牲になつていられる戰犯の方々に対して非常にお気の毒だと思う。八千三百万の共同連帯の責任においてこれは解決すべき問題だと思つておりますから、政府のやられましたことについては、国民の代弁者として徹底的に御質問申し上げ、最後まで責任を持つていただきたいと思います。ひとつ間違いなくおことずけ願いたいということを申し上げておきます。  今北村さんから聞きましても、巣鴨におられる人はまだ極楽だな、マヌス島に残つておる人はまだまだお気の毒だという感じを受けました。それを思いますときに、実際やるせない気持がいたします。私巣鴨の状態を一回、二回、三回と訪問いたしまして、いろいろと中の空気を診断しておりますが、国会に決議案が出て、その次に政府が積極的な手を打つてくれたらどんな段階になるということで、非常に希望を持つておりました巣鴨の人たちは、私が十日ほど前に伺つたときにはまだそうでもございませんでしたが、昨日伺つたところによりますと、非常に希望を失つております。私は、あの人たちが今後非常に危險な思想にでもなつて行くのではないかと思う。具体的に申しますと、極端な右と極端な左とにわかれるような危険があるのではないか。今までも、極左分子といわれる人があの中にもおりますが、あの人たちは、一致団結の力で何とかしてみんなで明るい日を迎えようというので、御自重になつて押え合つておりますが、あまり希望がない。また筋の通らない政府の処置でありましたならば、私は憂うべきものがあるという感じを持つておるのであります。これは、あの中に行つて参りました国会議員も相当感知しておりまして、非常に大切な問題でございますから、重ねて私は間違いなく伝えていただくようにお願いしておきます。
  138. 三宅喜二郎

    ○三宅政府委員 ただいまの御要求と申しますか、御要請につきまして、私からここで御答弁できると思います。外務省といたしましても、また法務府といたしましても、できるだけ早くその條件に合致している人の減刑とか仮釈放は各国に対して要請したいということで努力しておるのであります。先ほど例としておあげになりましたオランダ関係の戰犯につきましては、オランダは御承知のように、数日前までまだ平和條約の批准書を寄託しなかつたのであります。批准書を寄託しない国につきましては、あの平和條約は発効いたしませんので、あの條文を援用して戰犯の仮出獄なり釈放を要求することはできなかつたわけであります。それで遅れておつたのであります。その他の国々につきましては、すでに法務府等で書類ができまして、外務省に持つて来られましたものは十四件ございますが、それはすでに関係の国々にそれぞれ申入れをしてございます。その後提出されて来られました十三件につきましては、目下外交文書を出す準備中でございます。
  139. 小平久雄

    小平委員長 ちよつと堤さんに申し上げておきますが、先ほどの御発言中、委員長の手落ちで何か資料が届かないというようなお話があり、また先般来外国に出された往復文書の写しを出せというお話があつたようでありますが、委員長としては、外務省と各国との往復文書の写しまでも当委員会に要求するということは、やや度を越しておるのではないかと思いますので、別段私からはあらたまつて外務省に要求をしなかつたのです。この点私の立場を明らかにいたしておきます。
  140. 中山マサ

    ○中山委員 いろいろと戰犯関係お話を伺い、またこの間新聞に出ました戰犯はどうなるという記事を読みましても、戰犯者の中には不当な取扱いを受けている者があつて不公平だと帰つて来ている人が思つている。私どもは、ソ連ブロックでわが同胞たちの労働力ほしさに返して来ないということを今までいろいろと攻撃したのでありますが、ほかの地区でも、やはり労働力ほしさに返してもらえない人もあるという不当な取扱いを、何とか今日是正していただきたいと思うのであります。私はサンフランシスコにおきまして、濠州の代表の方のいろいろ討論を聞いておりましたところが、非常に日本人に同情のある演説をなさいました。ソ連の対日のいろいろな要求というような問題について、日本人の代弁者であるかのような演説をなさつたのであります。そういう点から考えましたならば、今いろいろと準備をして、向うに要請をしていてくださるというお話は了承するのでありますが、私はどの国の代表者の演説よりも、濠州の大臣の御演説に非常に共鳴し感激したわけでございますから、その日本人に対する好感と申しますか、あるいは反ソ感情の逆効果でそういうふうに日本に対する感情を御発表になつたのかもしれませんが、私はその点を考えますと、向うへの出方一つによりましては、そういう不当な取扱いも除去していただけることが希望できるのではないか。さつきからここですわつて聞きながら、しきりにサンフランシスコのあの演説を思い出している次第でございますが、十分なる弁護士等も、船の都合で向うで裁判を受けた人のために送ることもできなかつたという状況を聞いて、まことに不利な立場で判決をお受けになつていることは周知のことでございますので、言いにくいことではございましようけれども、そういう点も強調していただいて、いわゆる無実の罪の判決を受けた人も多々あるようでございます。どうぞひとつ公平なる取扱いをして——独立日本として、そうむやみやたらに戰犯を釈放することもございますまいから、対外的の感情も考えて、日本においても私はこの取扱いができると思います。どうかその点をぜひ申し入れていただきたいということが一つ。  それから、日本ではまだ判決に至らないまでの勾留の日にちは通算ができまして判決の年数からさつぴかれて、あとに残つた年数だけ刑に服せばいいのですが、そういうわが国で行われているようなことが、文明国といつております戰勝国の中でできないということは実におかしなことであると思うのであります。どうかこの点も、ぜひ向うへお出しになります文書の中に加えて、日本においてすらも未決の日数は通算して服役の日数から引いてもらえるのだから、そちらの方も文明国として同様なことをしていただきたいということを強調していただきたいと思います。まことにこういう不合理なことが行われておるということは、日本独立いたしました今日、いわゆる言論の自由を尊重しておる国に対して申してやることは少しもさしつかえなかろうと思います。私はいつも言うのですが、勝つた国が負けた国をさばくことがすでに大きな間違いであつて、戰争をしなかつた第三国がさばくべきだと思つております。私としては、ぜひそれだけのことをお願いしておきたいと思います。
  141. 小平久雄

    小平委員長 参考人の発言に関する質疑はこの程度にて終ります。  参考人方々には、長時間にわたりいろいろと事情を詳細にお話しくださいまして、本委員会としては引揚げ促進の問題及び外地戰犯抑留者の問題解決に対しまして、非常に参考になりましたことをここに委員長として厚く御礼を申し上げます。では参考人の各位はこれにてお引取りを願います。     —————————————
  142. 小平久雄

    小平委員長 なおこの際お諮りいたします。閉会中の審査については、前会の委員会においてお諮りいたしましたごとく、閉会中の審査を議長に申し出ることに決定をいたし、その手続をいたしておいたのでありますが、閉会中審査の際に、その実地調査を必要とする場合におきましては、委員を派遣いたし、実地調査をすることにいたしたいと思います。その際における派遣委員の人選、派遣地等の決定並びに委員派遣の手続等に関しましては、委員長に御一任を願いたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  143. 小平久雄

    小平委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時三十二分散会