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浦野参考人 ただいまの御
質問でございますが、ただ單に私は
中日友好協会に対する私の
考え、あるいは
送金問題のデーターのみを御
説明申し上げたのでは、たいへん失礼ですが、おわかりになるまい。これは
中共の
抑留問題全般にわたるからくりと申しますか、計画的なものだと私
ども留守家族は
考えておりますので、最初にさかのぼりますが、概略御
説明申し上げたいと思います。
中共が
日本人を帰さなくなりました初期の第一期の
段階は、御
承知のように、
中共地区の人間は帰れないのではないかということで、
留守家族は非常に心配いたしました。
ソ連が撤退いたしまして
中共が入りましたときに、
中共地区の人間はすでに一部引揚者として
内地に帰
つております。これは御
承知のように、当時
中国に
行つておりましたトルーマン大統領の特使マーシヤル氏が、いわゆる国共の停戰のあつせんをいたしました。そのときに
中共地区の
日本人を帰すという話が進められまして、
中共側と
国民政府側とアメリカ側と、現地でこれを三人組と言
つたそうでありますが、その三人組のあつせんによ
つて中共地区の人が一部帰
つて来たわけであります。そのとき、これは一九四六年の秋のことでありますが、その年の十一月に至りまして、ちようど一昨年の
ソビエトの四月二十二日のタス発表と同様に、
中共側は還送を継続しようとせず、もう
日本人はいないんだと報告しました。それが
内地にもそういうふうにそのまま伝えられているのでありますが、当時の混乱した
情勢下では、われわれ
留守家族はその辺の消息は一、二年の後にな
つてやつと知
つたような
状態でありまして、詳しい事情は知らなか
つたのであります。従いましてそれを正直にとりますならば、今日
中共地区に
日本人はいないはずであります。今日いるということが非常に驚くべきことなんであります。
従つて大部分の家族は、満州におりました
日本人はことごとくソヴエトに連れて行かれて、満州にはいないんだというふうに
考えてお
つたのであります。
中共が
抑留いたしましてから今日に至る経過というものは、私
ども家族から見ますときには、並々ならぬものでありまして、ただ單に帰りたくない、いわんや本人が進んで残
つておるということは絶対ありません。もちろん、非常に多くの人間でありますから、中には少数の例外はあるかもしれませんが、全般としてはそういうことは
考えられないと思います。
これが第一期におきましては
——私
ども第一期と名づけておりますが、非常に恐怖的な、あるいは機械的な彈圧政策
——帰りたいと言う者に対する徹底的な彈圧政策をと
つた時代でありまして、これははつきり区別はつきませんが、大体全満から
中共が
国民政府を追い出しておりましたころが境であります。
その次は、われわれは
抑留忘郷工作時代と名づけております。
向うに残
つて内地の家族を忘れるような工作であります。これにつきましては
内地に関する非常なデマ、これはま
つたく一方的なデマでありますが、たとえば
内地では、女はことごとくアメリカの兵隊に強姦されるであろうとか、男子はことごとく去勢されるだろうとか、お前が帰
つたつて、お前の戸籍はすでに抹消されてお
つて、お前の奥さんは新しい夫を迎えておるとかいうようなデマを朝から晩まで聞かせる。それから思想教育はもちろんその間非常に熱心にや
つております。これと並行して非常に巧妙なのは、いわゆる結婚政策でありまして、残留
同胞同士を結婚させる。
内地に家族があり、ことに奧さんがあり、あるいは主人があ
つても、
向うで結婚しますと、
感情的にも非常に帰りたくなくなる、あるいはいまさら帰れもしないので、やむを得ず残留する。こういう結婚政策は遺憾ながら奏功しております。この結婚政策の犠牲にな
つて泣いている家族、泣いている夫人は非常に多いのであります。つまり主人が
向うの
抑留日本婦人と結婚したということであります。そういう時代が第二期であります。
第三期は、昭和二十五年からだと
考えております。それはいわゆる
中共の
抑留同胞に対する
抑留政策のみならず、さらに積極的に、家族に対する通信を許して来た。思想教育の
段階に至りましたために、今度は通信によ
つて内地の家族の思想を教育しようといいますか、その陣営に飛び込ますといいますか、その線に出て来たのであります。その手紙はいろいろありますが、俗にこれを赤い手紙などとい
つております。その赤い手紙なるものは、いわれておるほど多くないのでありまして、赤くない手紙の方が実際多いのであります。その赤い手紙といわれておりますものの要点を申し上げますと、大体三つございます。その第一は、
中国の革命が非常に成功している。第二は、自分たちは
中国にいて非常に楽をしている。第三の点は、サンフランシスコの
講和会議ころまではいわゆる全面
講和と帰国ということを必ず結びつけておる。全面
講和をしなければ、私たちは帰れないんだ、
従つて家族は全面
講和をやるように努力してくれ。さらに具体的につつ込んだものは、吉田反動内閣を倒せというようなことが書いてある。それからサンフランシスコ
会議が終りました後は、私たちは
中国との
外交交渉ができなければ帰れないから、
中共を承認してくれ、そういうふうに書いてある。この第三の点は非常に政治的な問題に結びつけて来ておるわけであります。通信を許して、手紙を効果的に利用して来たということと並行して、個別
引揚げの問題がございます。
これらの事象は、表面的に見ますならば、一応私
どもは喜びたいのでありますが、私
ども留守家族特有のひがみがあるかもしれませんけれど、私
どもが見ます場合には、遺憾ながら、これらの事象をうのみにして喜んではおれないと思うのであります。個別
引揚げの問題にいたしましても、その他の問題にいたしましても、また先ほどの
外務政務次官の今後の
引揚げの
方針につきましても、
参考人として
範囲を逸脱するかもしれませんけれ
ども、実は私は非常に失望いたしております。失望を少し通り越しまして、はなはだ失礼な言い分かもしれませんが、
政府のお役人の方たちも多少
中共の謀略にかか
つておられるのではないかと思われる点が少くないのであります。個別
引揚げの問題につきましても、実はそれが
内地に伝えられまして、御
承知のように、この四月分初旬から
日本の
政府がお金を出すことになりました。実はこれは昨年から出てお
つたことは御
承知の通りであります。これを公表いたしましたのは、今年の三月でありまして、つい最近のことであります。この個別
引揚げにつきましても、実は私
どもが
考えますのには、決して喜んでおれないことだと思うのであります。少くとも全国の
留守家族はみなそういうふうに
考えて来ております。というのは、この個別
引揚げということを新聞にデカデカと出しまて、三人帰
つた、五人帰
つたということになりますと、いかにも帰りたいという
希望の人は帰してやり、帰りたくない人だけが残
つているという印象を第三者に與えるのであります。しかし
実情ははなはだしく違うのであります。それから個別
引揚げの特徴は、御
承知のように、百八十名ばかりこの年間に帰
つて来ておりますが、この百八十名は全部
中国本土であります。いわゆる満洲地区、関東州地区から帰
つて来た人はいないという事実であります。いま
一つは、個別
引揚げというものは、比較的問題に
関心の薄い人たちには、それは待
つておればそのうち帰
つて来るだろうという安易な印象を與えるのですが、この個別
引揚げで帰
つたのは、私が申し上げるまでもなく二年間にわずかに百八十名であります。そういたしますと、
中共地区の残留の数の問題もありますが、一応十万といたします。十万といたしまして、
あと十万の人間が個別
引揚げで帰
つて来るのに何年かかるかというと、実に千年かかります。これは千年といえば、現在残
つている残留
同胞はことごとく死んでしまうことは間違いないと思います。ところがこれを表面だけ見ておりますと、いかにもそういう
感じがするのであります。実に非常に巧妙なやり方だと、私
どもは喜ぶ以上に、そういうふうに
考えざるを得ない気持に
留守家族の心境はな
つているのであります。
その個別
引揚げと通信とを私が並べて申し上げましたのは、第三期の
段階でありまして、今年に入りますと、第四期の
段階に入
つて来たと
考えております。第四期の
段階と申しますと、第一が先ほど申し上げました通信を
——通信は御
承知のように
向うの
抑留者から家族に参りますので、家族が仏壇なり、神だなに上げて大事にしておけば、だれも内容を見る人はないわけであります。そこでこの通信を
——というと少し違うのでありますが、通信はごく一部であ
つて、大部分は現地の新聞、民主新聞に出ました
日本人のいろいろ書いたものをまとめまして、先ほど来問題になりました
中日友好協会から書物にして出して参りました。これはごらんにな
つた方もあろうかと思います。はるかなる祖国へという題でありまして、いわゆる
中共同胞の真相だということで出している。これは先ほどの赤い手紙の中の、さらに優秀なものを集めてあるのであります。私
どもから申しますと、全然これを信ずることはできない。なおかつこれらの手紙の中でも、私
どもから見ますれば、火のつくように帰りたいという気持はわかるのであります。この手紙の中ですらわかりますが、これを一般の方が見られた場合には
——たいへん失礼だが、
特別委員会の諸
先生方は別といたしまして、それ以外の
国会議員の方がこれを見られましたならば、それぞれのお立場において、あるいはこんなに赤くな
つているならば帰らない方がいいとお思いになる方がたくさんおいでになるかと思います。また一方で、こんなに赤くて
中共に
協力しているのならば、帰す必要はないじやないかという方も、お立場においてあるかもしれないと思います。どうしても帰したいという
留守家族の
希望と、一般
国民の呉論との間に大きなくさびを打つものだと思います。これは恐るべき攻勢だと思います。私
どももかねて予期しておりましたが、かように
考えております。但し情報によりますと、本の売れ行きが非常に悪そういうでありまして、非常に困
つているそうでありますから、私
どもも多少安心しております。
これと並行いたしまして
送金問題が起
つて来た。全国の家族はこの
送金問題に対して、非常に憤激しております。ところが一般の知らない方、あるいは官庁の方たは、非常な朗報ですねと、とんでもないことを言われる方が非常に多いのであります。この
送金につきまして家族は
——中日友好協会並びにその他のことについて詳しく申し上げますと、
向うに
団体がありますが、一体金を送らせることが事実上できるということと、それだけの厚意を持
つているならば、なぜ人間を帰さないのだという点で非常に憤激しております。それからまた一部には、事情をよく知らない家族の方たがあるのであります。そして非常に困
つておられる方も中にありますから、困
つておられる方でよくわからない方は、喜んでいる方がある。これは私が先ほど来申し上げますように全般に関係いたしますが、特に
外務省あたりにおかれては真剣に
考えていただきたい。
外務省だけではない、
政府全体であります。しかも私
どもが非常におそれておりますことは、ちよつと事例をも
つてたいへん失礼でありますが申し上げます。かりに私が現地で
日本人を百名なら百名牛耳
つている
向うの幹部であるといたします。このうち三十名だけはどうしても残しておきたい。
あとの七十名はしかたがない、時期が来れば帰してやろうと
考えているといたしますれば、その三十名だけを呼びまして、諸君の家族は非常に困
つているから、しかも諸君は働いておるのだから金を送
つてやろうと私が申しますと、その三十名は、何分よろしく頼むと一応言うだろうと思います。これは
日本の
内地の
状況につきまして、私
どもの知
つている終戦当時の
内地の
状況以下に
考えさせられております。みんなそういう印象を持
つているので、間違いないと思います。その場合に、三十名の名前で送
つてやります。かりに一年なり二年して、
日本人をある
程度帰さなければならぬとぎが来ましても、その三十名は帰しません。その場合に、なぜわれわれだけを帰さないかと言うでしよう。じようだんじやない、お前たちは月々三千円ずつ
日本に送
つておるのだ、それが十万円にな
つておる、すでに二十万にな
つておる、この金をどうして拂
つてくれるか、
向うに五年残
つて働かなければならぬではないか、十年残
つて働かなければならぬではないか、それ以外にないではないかというふうなからくりさえ
考えられるのであります。そういうことを家族は非常に心配しております。この金をすなおに受取
つていいかどうかということにつきましては、非常に半信半疑でおりますし、またこの金を送るということを客観的に見ますならば
——たとえば非常に無批判な、不勉強だと申していいと思いますが、新聞社の諸君などが、金が来たというその事実だけをつかんででかでかと書いている。しかもその新聞社が、妙な言い方をいたしますと、いわゆる—方の人たちからは反動と札つきにされている新聞である。そういうを気がつかずに、何と申しますか、私
どもに言わせると、
送金攻勢のお先棒をかついでいるという珍現象さえあるとしかわれわれには
考えられないのであります。従いまして以上のような見地から、私
どものそういう見方がはたして客観的に正しいかどうかは別といたしまして、少くとも今までの
留守家族団体では、こういう問題はそう
考えておると御理解いただきまして、
送金問題を御了解いただきたいと思うのであります。これを非常に意識の高い
留守家族のごときは、まさに
留守家族を侮辱するものだとい
つて憤
つております。
それから
中日友好協会の性質なるものでございますが、これは私
ども、別に直接関係がございませんので詳しいことは存じませんが、形から申しますならば、やはり
日本に来ております
中国の一部の人と、それから
日本での
中共系の方たちがおもにな
つてや
つておられるようであります。これはちようど前にありました民主擁護同盟と非常によく似た形でありまして、ほんとうの中心にな
つておられる方たちはあまり表面に出ておらないようで、表面には割合八方にさしさわりのない方が出ておられるようであります。以上であります。