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滿尾委員 私もこの
事件につきまして、若干の
お尋ねを
国鉄の
総裁に申し上げたいと思います。
まず第一に私の思いますることは、こういう遺憾な
事件が発生しましたときに、国会がその
事件の直後にこの問題を取上げる態度でありまするが、私はかような
事件は別に起そうと思
つて起るものではない。これはまことにやむを得ずいろいろな
事情があ
つて、起
つて来た。
原因がすつかりわからぬうちに国会で
責任者を呼び出して是々非非の論を闘わしますことは、これはまだ少し適切でないように思う。これは政府
当局に申し上げることではない。われわれ自身としてその点は反省したい。もう少し時間を置いて、感情の静ま
つたときに、ほんとうに
原因の調査がよくできて、こういうところに真因があ
つたということが明確に
なつたときに、国会は科学的に冷静に、当時の風潮に惑わされることなく、ジャーナリズムにおどることなくして、知性を持
つて原因を探究し、その対策を論ずるのが適当だと思うのでありまするが、先般来もく星号の
事件といい、その他等々の嘆かわしい
事件の直後に、いつもこの論議が闘わされる。そうすると議論の調子がどうも少し高くなると申しますか、根底に感情がまじるおそれがあるのであります。でありまするから、この点はお互いにぜひ反省して行きたい一面だと思うのでございます。そこでこの問題につきましても、私どもはあくまでもこの問題を冷静に取上げて行きたい。と申しますのは、決して私は
人命を軽んずるという意味ではない。なくなられた
方々に対する弔慰の気持は、人様に劣らぬつもりであります。十分そういう
慰藉の面は尽していただかねばならぬと思いますけれども、われわれが国家の一つのできごとといたしまして、大きな見地から本問題に直面いたしますときの態度は、また別にあるんじやないか。とかくこういう
事件によ
つて、国有鉄道の
総裁がもし必要以上の刺激を受けられて、本来の使命達成のコースの上において、若干とも狂いが来るようなことがあれば、これは非常に残念なことだ。
先ほどのいろいろな同僚費の御
質問の中にも、一体補修をどう思
つているか、あるいは建設とのバランスはどうかというような、いろいろな意見が出て参る。これは非常に大きな問題であ
つて、偶発的な一々の
事件によ
つてそのコースに影響があるようなことがあ
つては、これはたいへんなことだと思う。なるほど今回の
事件はたいへんなことである。なるほど結果は非常に大きか
つた。貴重な
人命が、数名も失われた。しかしその内容を
考えてみると、そこに非常に偶然の要素も入
つて来る。もし
電車が入
つて来なか
つたら、
事故の結果が大きくなか
つただろう。たまたま
電車が入
つて来たために、結果が非常に重大である。そこには偶発性の要素が多分に、私は結果を大きくした面におきまして大きな役割を演じたと思う。ここらの点は、よほどわれわれがこの問題の軽重を
考えますときに、
考えて行かなければならぬ要素であろうと思うのであります。
従つてこういう
事件によ
つて巻き起されましたところの一つの感情なり雰囲気というものは、国有鉄道の将来の国策に対して大きな刺激を与え、影響を与えるということは、これは私は非常に残念なことではないかと思う。もちろん
国鉄の
現状というものは、いろいろの資料によ
つて国鉄からお示しにな
つております
通り、非常に老朽した面がたくさんある。
従つてその補修をしなければならぬことは明々白々の事実でありまするが、戰後七年かか
つてそれが十分に行かないのは、もちろん局に当られる
国鉄当局の直接の
責任もあるが、われわれ国会もしくは
国民全体、日本の国力全体が負うべき一つの運命なのでありますから、必ずしもそう急速に行かない、こういうことに気をとられて、本来の
輸送力の拡充に少しでも手をゆるめられるようなことがあれば、私はその方が大問題だと思う。
事故というものは、
設備の悪いことによ
つても起ります。しかし
設備の要素が強いか、従業員の志気の弛緩なりあるいは注意力の欠如という要素が多いかといえば、私は鉄道のような動的な
仕事をしている面におきましては、むしろ物的
施設、それは程度問題でありますけれども、物的
施設の要素よりも人的要素の方がもつともつと重大
事故に対する大きな
原因を胚胎しておるものだと
考えるのであります。
従つて国鉄総裁として、将来
事故の根絶ということについて御努力を願うとするならば、第一段になすべきことは、従業員の訓練である、志気の高揚である、私はかように
考える次第であります。物的
設備以上に、問題は従業員の訓練にある。私どもが拝見しております
国鉄の従業員は、遺憾ながらこのごろ方角が少し違
つておるのではないか。つまりサービスということをいろいろ言われておるが、過剰のサービスに努力して、本来の
仕事に努力が行
つていないようなきらいがある。でありますから、たとえば
国鉄の
輸送の
設備というものは、一面におきまして、非常にぜいたくと申しますか、過剰とい
つては言い過ぎかもしれませんが、ぜいたくな面が相当ある。もつと本質的な
輸送力の拡充、
安全性の絶対限度の確保というようなことに、従業員の努力を向けられる必要がありはせぬかということを、私はしみじみ感ずるのでありますが、これらの点に対する
総裁の御所見を伺いたい。