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滿尾委員 私が、いささかその間の
事情に通じておりますから申し上げます。たとえば、ここに非常な金持ちがおる。あるいは銀行の総裁がおる。ぜひ
アメリカ製の今年のぱりぱりの
自動車に乘りたいという人物がおるとするが、あなたのお話によりますと、
ドルは
ドルでというわけでありますから、どんな人物でも
日本人である限りは、
アメリカの新車を買うことはできないわけであります。第三国人は
ドルを持
つておりますから買えます。第三国人はきよう買
つて翌日
日本人の金持ちに売ればよいのです。そうすると究極においては、
日本人の金持ちはそれに乘るに違いないけれ
ども、それはじかに買えないで、まず第三国人のルートを一ぺんくぐらなければならぬ。まわり道を一ぺんさせられるが、そのまわり道をすることによ
つて必ず権利金を上られる。結局
日本人が乘るに違いないけれ
ども、そういう御制限があるために、いたずらに第三国人にただで金をもうけさせるという結果におちつくのであります。この
事情をとくと御認識になれば、さつきお話のような
ドルには
ドルをなんていうようなきゆう
くつなことをおつしやる必要はないと思う。その御
政策のよ
つて来るところは、先ほどの
国際貸借上の問題、
日本の資金の海外逃避の問題、この二点よりほかないだろうと思うが、これはいずれの場合にもちつとも該当しない。該当するとお
考えにな
つておるのは
通産当局だけであ
つて、健全たる良識をも
つて判断する限り、そういうことは
考えられない。一体
日本人は一年に幾ら
自動車を買いますか。かりに一万台としたところでしれたものだ。御
承知の通りそれはほんとうに
日本の政治経済の面において有用に働く
自動車でありますから、これを奢侈的浪費であるというようなお
考えはおかしい。どこか心の中にそういう
考えがひそんでおるのではないかと思う。今日
日本ほどの高度の文明国であ
つて、乘用車がこれほどしかない。これはフィリピンにも劣
つておれば、中南米の諸国よりもはるかに劣
つている。乘用車を年に一万台や一万五千台買うからとい
つて、
日本の
国際貸借上から申してそれがひつくり返るわけでもないし、それによ
つて資本が逃避するわけでもない。その点で乘用車を奢侈品であるといつ基礎的な潜在意識が当局にあるか、もしくは何とかして
外国車を少くして
国産自動車をぜひその線までひつぱ
つて行きたいという潜在意識があるか、この二者いずれかのなせるわざだと私は判断するのであります。この点すなおにもう一ぺん御反省を
お願いしたい。