○羽仁
五郎君 いろいろ御
説明下さ
つたのですが、
日本に
裁判所の独立という長い動かすべからざる伝統がある。こういうのならば今お話のようなことで、
職員は一般公務員法による公務員であるから、行整政理の場合に同調するということも、余り有害じやないかと思うのでありますが、今日のように
日本が
裁判を独立するという伝統の非常にない、むしろ
裁判の権威が地に落ちていたような場合さえもある、そういう意味でこの行政権の下に司法権があるというような悪い習慣が随分長く続いておりましたし、今後も
裁判所の独立ということを達成するにはよほどの社会の理解、それから又
裁判所御自身の自覚、又
国会のこれに対する態度というものを、まあ油断なくや
つて行かなければ到底
日本でこの際
裁判を独立するということがなかなかむずかしいのじやないかと思うのであります。ですから今の御
説明は
日本の過去の伝統ということから
考えて見ますと、どうも若し過去に
日本の
裁判所の独立という立派な伝統があるならば、
只今のようなことも或いは納得できるかと思うのですけれ
ども、そうでないので、どうも殊に大蔵省に対する苦しい立場ということをおつしやいますけれ
ども、その点で先ず第一にもう一度お
考え直しを願うほうがいいのじやないか。一体
最高裁判所は真実
裁判所の独立ということに積極的に努力し、それを熱意を以て遂行しようという決意を持
つておられるのかどうか。まあ勿論そうおつしやるでしようけれ
ども、併し事実ですね、一歩々々
一つ一つの又小さい問題の際にも常にそういう態度をおとりにな
つているかどうか、少くともこの場合にはそうは拝見できないのです、非常に残念ですけれ
ども。
第二に伺
つておきたいのですが、今日
裁判所が機能を果して行く上には、勿論
裁判官ばかりでなく
職員の質と量とが充実していることが必要だと思うのですが、我々が各
裁判所を拝見しております場合に、幸いにしてこの
裁判所の機能が非常に優秀に発揮されている、というような印象を受けないのであります。むしろ非常に悲しむべき印象を受けます。その
一つの例は、例えば
裁判所侮辱法案というふうなものを
政府が、或いは
最高裁判所がお出しになる。
最高裁判所、或いは
裁判所がみずから自分の権威を侮辱するような法案を
国会に向
つて御要求になる。これはやはり
裁判所自体がその機能を立派に果していないということの何よりの証拠じやないか。私
どもがこの法案に関係して各
裁判所、及びその所長、或いはその他のかたがたの御
意見を伺
つた際にも、こういう
裁判所侮辱罪法というものさえできれば、
裁判所は侮辱されなくなるのじやないかというふうな、実に情ない
考えを到る所で伺
つて、私は実に心が寒くな
つたのであります。法律さえ作ればそれができる。成文法の背後に慣習法がなければならん、その慣習法の背後に事実がなければならん、その事実を作り、慣習法を作り、然る後に成文法ができて来れば法律はよく守られますが、そういうものが
一つも実力を持
つてできていないで、ただ法律ができて、これで以て
裁判をや
つて行こう、そういうお
考えがまま見られる。私は非常に
裁判所全体の機能が優秀であるというふうな感じを受けることができないことを非常に残念に思
つているのです。これは現在のような非常にいろいろな問題が紛糾して、殊に講和前後ということにな
つて一体
日本に民主主義的な本当の
裁判所の独立、そうしてこのさまざまな経済的、或いは国際的なむずかしい問題が起
つて来表そして随分厄介な
事件がもう
裁判によ
つて立派に解決されなければならないという際に、この
職員なり何なり、
裁判所の機能号低くされるということに御同意になる、それを止むを得ないというふうにお
考えにな
つているならば、私はさつき
伊藤委員からは近い将来において増員の要求というふうなことをしないおつもりかどうかということで、それに対する明確なお答えがなか
つたのですが、
裁判所の機能が優秀でないために、それがそういう何か新らしい法律の助けなどによ
つて辛うじて
裁判所の権威を守るというような必要も、それじやお感じにならないかどうか、現在の
裁判所の質、機能をこれ以上下げるということは随分危険なことじやないか、そしてそういう法律を作るということによ
つて、却
つて裁判所の独立、或いは
裁判所の公平、或いは
裁判所の
国民に与える説得力というようなものは決して高まるのじやなくて、むしろ低まる、そういう七つ道具みたいなもので守られなければ
裁判所が機能を果すことができないというのは、根本的には
裁判所自身の機能が不十分だからじやないかと思うのですが、その点についてもお
考えを頂いてもいいのじやないか。
最後に第三に、特にこういう行政整理に同調されるというような場合に伺
つておきたいと思うのは、
裁判所は言うまでもなく基本的人権を守る最高の場所である、
従つてそこで一人でも基本的人権を守られないというようなことが
裁判所自身の学識を以てなすところの
行動から起るということは、これほど甚だしい矛盾はないと思う。併し現在この
日本の
裁判の現状を見てみますと、
裁判所が十分な機能を挙げ、その間に不当に人権を制限されているというようなことが少くともだんだん減りつつあるかどうかというと、必ずしも私は、我々が期待しなければならないような割合において減少していないと思う。それでこれは我々は各地の拘置所なりなんなりを見て歩きましても、なかなか問題が片付いていない。それで不当に人権を制限されているという場合を到る所に見ます。こういうのでは、一般の行政整理と特に違
つて、基本的人権を守らなければならないその
中心である
裁判所の機能をこの際低くして、それで基本的人権を守る、これもやはり
日本に今まで長い間の伝統というものはない、そこで新らしいそういう伝統を作らなければならない、そういう問題をも十分お
考えの上でこういう整理案というものをお
考えにな
つているのかどうか、この点も伺
つておかなければならないのじやないか、或いはお
考え直しを願
つたほうがいいのじやないか。私の願うところは、どうかして
日本の
裁判所がいろいろな立場に立つ人の、どういう立場の
人たちに対しても説得力を持ち、納得を与えるような、そうして本当に公平な、本当に高い立場に立
つて、そうして立派に機能を果すものにな
つて頂きたい。そうでないと、
国会なり
裁判所なりというようなものは頼るに足りない、実力行使するより仕方がないというような危険な、フアツシヨ的な
状態にな
つて行くことが非常に恐ろしい。少しばかりのはした金を倹約して、そうして失うところは実に大きい。民主主義の
裁判というものに対する信頼を失うということがあ
つては、本当に一文惜しみの何とか知らずというようなもので、この際私は
最高裁判所がその点を十分御自覚にな
つておられると思うのですけれ
ども、併しこういうものを拝見しますと、何だからちよつとばかりの倹約をして、実に致命的なものを失
つて行くのじやないかというように思いますので、これらの三点についてもう一度お
考えを伺い、或いはお
考え直しを願
つておいたほうがいいのじやないかと思うのです。それで殊にこの第二の点で、やはり
裁判官のかたがたがもつと勉強されることが随分必要じやないかという感じがするのですが、それにはやはり
職員のかたがたの協力がなければなかなかそういうことができないのじやないか、事実上
裁判官のかたがたが
職員のかたのなされる仕事まで或いはしなければならないというようなことにな
つてしまうと、ますます
裁判官自身が、判事のかたくが勉強されるということは少くなる。そうすると社会問題はいよいよ複雑になり、それを極く単純な、素朴にして原始的な
考え方で処理しても、到底納得しない。納得しなければ
裁判所侮辱罪法というものを作ればいいということになればいよいよ納得しないというふうにな
つてしま
つて、
裁判所なんかは問題にならないということにな
つてしまうのではないか。その点……。第三の基本的人権を特に守らなければならないという点について、なかんずく私は繰返して申上げますけれ
ども、基本的人権ということはまだ
日本では要するに
言葉に過ぎない。相当酒落た
言葉に過ぎない。理想に近いもののようにな
つて、現実のものとして実感されていないのであります。それを現実的なものとして実感して行くというように努力をする。そのためには現在今申上げたような、少しばかりの財政上の節約ということによ
つて、失うところのものは遥かに多いのじやないか。これらの点についてお
考えを伺いたいと思います。