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1951-11-27 第12回国会 参議院 法務委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十一月二十七日(火曜 日)    午前十一時五十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     小野 義夫君    理事            伊藤  修君            鬼丸 義齊君    委員            長谷山行毅君            中山 福藏君            齋  武雄君            一松 定吉君            羽仁 五郎君            須藤 五郎君  国務大臣    法 務 総 裁 大橋 武夫君    文 部 大 臣 天野 貞祐君   政府委員    文部省大学学術    局長      稲田 清助君   事務局側    常任委員会専門    員       長谷川 宏君    常任委員会専門    員       西村 高兄君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○検察及び裁判の運営等に関する調査  の件  (占領政策違反者の取扱いに関する  件)  (京都大学事件に関する件)   —————————————
  2. 小野義夫

    委員長小野義夫君) 只今より委員会を開きます。法務総裁文部大臣が御出席なさいますので、京都大学事件について御質問がおありのかたは順次御発言を願いますが、今日御出席願つた趣旨は、実は京都大学総長、その他関係者参考人として御出席を願うつもりであつたのでありますが、昨日遅くまで交渉いたしましたけれども、各関係者京都におきまして、善後策を今朝の朝から会議をする必要があるので、一応是非帰らしてくれ、御必要なれば来月上旬再び御招集によつて出て来てもよいというお言葉で、止むを得ず法務総裁文部大臣衆議院に有るいろいろの結果に関連しまして御意見を拝聴したいと思つて出席願つた次第であります。それでは……。
  3. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 その問題に入ります前に本委員会に対してお願いがあるのでありますが、それは先頃の本委員会決定によりまして、講和条約発効に伴う戦争犯罪関係かたがたに対する措置を妥当ならしめるための小委員会が設置せられたことは委員各位の御承知の通りであります。で、先頃の小委員会におきまして、これらの問題と或る意味において合せ並行して考えられるべき問題として、いわゆる占領政策違反といいますか、政令違反というか、反米闘争というか、そういう関係で逮捕され、又裁判され、刑に服している人々がありますので、これらの問題も講和条約発効と同時にやはり妥当な解決をせられることが当然であると考えますので、小委員会においてこの問題を合せて取扱うようにお願いをしたのでありますが、小委員会の皆さんの御意見で、本委員会から小委員会に付託されたのは、その戦争犯罪の問題のほうだけであり、この問題を只今私の申述べました問題を合せて取上げることが妥当なりや否やということは、本委員会にもう一遍お諮りをして、その後決定に従うということであつたのであります。本日の本委員会にそのことを委員長からお諮りを願いまして、それで御賛成を得れば非常に仕合せだと考えておるのであります。  この問題は、いうまでもなく、問題の性質上占領期間中に起つた問題でありますから、平和条約が発効し、占領が終結すると同時に、その問題の根拠なつ占領政策、及び占領事実というものはなくなるのでありまして、その後にまでその問題がそのまま残つておりますと、いろいろの点で憂うべきものも考えられますので、どうか委員各位の御賛成を得たいというふうに考えておる次第であります。
  4. 小野義夫

    委員長小野義夫君) 只今羽仁委員より御申出の点は如何でございましようか。占領政策に対する犯罪者の件も戦争犯罪人の小委員会でいろいろ御審議を願いたいという申出がありましたが……。
  5. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 只今羽仁委員のお申出にかかわります占領下における犯罪に対しまする問題について、先般小委員会でもやはりその希望の意見がございましたが、前回の当委員会におきましては、戦争犯罪に関するのみについての御了承を頂いておりますので、若しそれをも合せて審議することになりますれば、本委員会の一応御了解を得なければ事物管轄が違つて参ります関係上、本日この委員会において御審議を願うことになつたのであります。小委員会といたしましては、格段それに対して反対意見もございませんでした。ともかく手続上やはり本委員会の御了承を頂かなければならん、こういうことになつたのでありますから御了承を願いたいと思います。
  6. 伊藤修

    伊藤修君 只今羽仁委員のお申出に対しましては、成ほど占領下におきましていろいろ治安関係上不幸にして占領法規に触れたかたがたもおありになると存じます。これらに対しましても我々同僚といたしましては、なんらかの考慮を払うということも、或いは時宜適切と考えられるのでありますが、委員長において格別御反対、御意見もないようですから、合せて小委員会に付託されることを私希望します。
  7. 須藤五郎

    須藤五郎君 私も羽仁さんの提案に賛成して、どうぞ合せて小委員会に付託されるようお願いします。
  8. 小野義夫

    委員長小野義夫君) 別に御異議もないようでありますから、さよう決定いたしましてよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 小野義夫

    委員長小野義夫君) さように決定いたしまして、小委員会のほうへ占領政策に対する犯罪人に関する調査を付託することにいたします。それでは法務総裁は十二時半頃で一応帰つて、必要ならば午後一時半から再び出席されてもよいと言われておりますが、文部大臣は一時から先は差支える。そういうおつもりで大体文部大臣も十二時半くらいというのでありますが、多少の時間は御辛抱願いまして両大臣に対する質問をどなたからでもお願いします。
  10. 中山福藏

    中山福藏君 私一点お伺いしておきたいと思います。昨日私衆議院法務委員会の傍聴をいたしておつたのでありますが、その際永田京都警察本部長でありますかの陳述を聞いておつたのでありまするが、いろいろとまあずいぶん学生行動についての報告があつたようであります。でそのうちに天皇馬鹿野郎とかいろいろな文句があつたということを記憶しておりますが、それはそれといたしまして、法務総裁にお伺いをしておきたいのは、京都公安条例というものは違憲判決があつたということを承わつておるのであります。而して現在公安条例に違反しておる。いわゆる当時とられました学生行動公安条例に違反しておるのじやないかどうかということが問題になつておるようでありますが、万一京都公安条例というものが違憲であるということになりますると、問題は非常に外れて来るように思われるのであります。こういう点について公安条例以外の法律に抵触するというような場合があつたとすれば、これは又別個の問題なんでしようが、現在は公安条例違反程度のことしかなつていないのですか、その点を先ず第一にお伺いしておきたいと思います。
  11. 大橋武夫

    国務大臣大橋武夫君) 只今京都地方検察庁から最高検に対して相談のあります事犯は、公安条例違反容疑のかどだけでございます。
  12. 中山福藏

    中山福藏君 そうしますと公安条例というものは違憲ということになつて最後確定判決があつたということになりますと、結局それはもうそれで万事が終りということになるのですか。
  13. 大橋武夫

    国務大臣大橋武夫君) その通りでございます。
  14. 中山福藏

    中山福藏君 それじや文部大臣一つ伺いをしておきたいのであります。これはこの問題に関連し、並びに社会のすべての面に影響するところが大であると考えられますからお尋ねをしておくのでありますが、昨日私衆議院法務委員会で聞いておりますというと、結局大学自治という問題に便乗する気配が多分に含まれておるように看取せられるのであります。そこでこの人事行政、いわゆる教育に関するところ人事行政、或いは教育行政監督の面につきまして、文部大臣は今日の文部大臣監督権範囲で満足せられるというような思召しがあるのでしようか。或いは今後これを契機としてなんらかの措置を講じなければならんということを考えておるのですか。先ずその点について文部大臣の御意向を承わつておきたいと思います。
  15. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) これは非常に重大な問題でございますが、私は従来からこの大学自治ということは、学問研究根拠を持つておるものであつて、そういう限りにおいては、やはりどこまでも大学自治ということを尊重して行かなければならないと思つております。ただ、大学の中のそういう警備と申しましようか、そういうことについては、なおよく大学学長とも相談して研究する必要があるのでないかとそういうような見解を持つております。
  16. 中山福藏

    中山福藏君 私はこの際文部大臣一つお聞きをしたい重大なることがありますが、このたび警察京都大学の園内に侵入したというので、或る一部の将来を考えない、なんと申しますか、時流に迎合するというような気分の、無責任な思想家と申しますか、学者と申しますか、そういう人々の言動を新聞紙上で拝見しておるのでありますが、こういう事柄から推して、一応一つ文部大臣大学はどういうものであるかということについての確認をして頂きたいということを念願しておるんであります。そこで学校教育法の第五十二条の大学というところの項を見てまするというと、「大学は、学術中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」という大学目的がここに明示されておる。私は日本教育教育基本法の第一条及び学校教育法の第五十二条の範囲が骨子となつて、これを中心として廻転しておるとこう考える。そうすると陛下が京大においでになつたときの大学生行動というのは、全然この大学目的範囲内に入つていない。この観点に立つて当時警察とつ行動というものを考えまするというと、これは妥当な行動であつたということが考えられる。文部大臣にお伺いしたいのは、一体文部大臣として広く知識を授けると共にということをこれに謳つてありますが、この広く知識を授けると共にという、この広く知識というのは一体ずいぶん頭が悪いといいますか、妙な法文だと私は考えまして、実際こういうふうなわけのわからない馬鹿げた法文があるものかと思つて実は私は見ておるのでありますが、単に知識を授けるというのはどんな知識を授けてもいいという、共産主義であろうが、何であろうが知識さえ授ければよいという文句になつて見えるんですが、こういう点について御改正になる御意思はありませんか。
  17. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) それは新教育精神は、ただの技術者を作るとか、専門家を作るというのではなくして、先ず如何なる専門家人間でなければならない、そういう人をここで作ろうというために、広く知識ということは一般的な教養という意味でございます。そういう解釈であれば、私はこれを改める必要はないと思います。
  18. 中山福藏

    中山福藏君 私は広く知識を授けると共にといえばこれはすべての総合的な全般的な知識ということになつて、結局知識の基準というものは全然これではわからない、文部大臣は、いわゆるそれですべての知識のことを意味するとおつしやるんでしようが、それ以外にはおつしやるすべもないと思われるんでありますが、併しながらこういう文句が使われておりますると、共産主義いわゆるこの間のガリ版を見てみまするというと、どういうことが書いてあるかというと、天皇に対する質問書の中に天皇というものは象徴として憲法上立つておるか、なぜ象徴か、ホワイということに対する答弁を求めておる。これは学問ということはホワイということが根本にならなければ学問は発達しないと私も思つております。なぜかという問題がいわゆる学問によつて解決せられるというのが学問価値だと私は考えておる。それでありまするから幾ら知識が発達しても、ホワイという問題に対する答えが出て来なければ、学問価値は出て来ないのであります。そこで問題は憲法上の問題といたしまして、四肢五体を備え五臓六腑を備えておる同じ人間天皇がなぜ象徴というお立場に立つかという問題に対するこれは疑問なんです。学生として当然起るこれは疑問です。頭というものを学問という砥石に当てて砥いでおるのです。砥げ砥ぐほど批判力が出て来て懐疑の念というものが起つて来る。この懐疑を起させるための教育なんです。それに答えるところ指導者の頭脳が学生以上に卓越しておらなければ、これを解決して満足するところ答弁を与えることができない。答弁を与えることができないところから、すべての学生思想というものは私は混乱した状態が現われて来ると思うのであります。従つて単にガリ版をあすこに配布して、そうしてそういう行動をやるということは、これは一面において成るほど青年の血気と申しますか、感情と申しまするか、悪いという、常識的な考え方からは思われるのでありますけれども、我々国家がたくさんの経費を出して学問という府をこしらえて、学生に頭を練るということをやらしておいて、そうしてそれに対するところ答弁は満足する資料を与えずにおいて、そうしてそれがわからんから、こういう行動に出たということだけを以て罰するということでは、これは文部省というのはあつてもなくてもいい。又大学教授というものはそれくらいの程度の頭しかないのかという私どもは感じを持つわけでありますが、この場合これも一つ知識の片鱗でありまするから、文部省大学教授は、同じ四肢五体を備えておる人間天皇がなぜ象徴として憲法上に現われて来るか、その象徴たるゆえんの来る根源を、今日日本としては先ず以て御説明になるということは、国民全般に対するところの親切だと私は考えておる、この問題は非常に今日の学生は私は種々疑惑の念を以て探究をしたり何とかして自分日本人として立ちたいということも思つておるとこう考えるのです。単に祖国ソ連に対して、忠誠を誓うような簡単な学生というものはそうおらないと私は思つておるのであります。それでこういう問題について一つ文部大臣はどういうふうなこれに対しての説明を与えられる御所存であらせられるか、それをお伺いしておきたい。
  19. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) なぜ象徴だかということの、私がそれをどう考えられるかということの御質問でございますか。
  20. 中山福藏

    中山福藏君 それを一般にわかるように説明して頂きたい。どういうお考えを以て御説明なさるつもりであるか。いわゆる文部の主脳者としてこれに対する一つの見識と申しまするか、一つの方向というものをこれはあなた自身としてもお考えになつておらなければならんことではなかろうかと思うのであります。それで大体教育の内容についても始終御監督をなさる力と申しまするか権限はないかも知れませんけれども、広く知識を与えるということが書いてありますから、だからそれに対してそういう知識を与えておきながら、ほうりつぱなしでは、余りにも学生はかわいそうだと考えておる。我我に対してもやはり文部省当局としては自分憲法象徴という説明をこういうふうにするんだということも一応国民に明示しておかれることがいいのではないか、かように考えまするからお尋ねしておるわけです。
  21. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) そういうことは学校で以てずつと教えておることですし、殊に大学生ともなればそういうことは教えてあるんです。ところ学生が故意でありますが、始んど自明のようなことさえも、知らないようなふうにするので……、彼らが知らないというわけはないと思います。例えば今の象徴たる天皇にそういう権力などの何にもないことはこれは自明のことで、大学学生が知らないわけがないんで、で、そういうことを大学で教えないというよりも、彼らがそれを十分納得しないというところに私はあるので、教えないということは決してないと思つております。
  22. 中山福藏

    中山福藏君 納得しないということは、納得させる力がないと私は解釈するほうが、現在の立場では妥当ではないかとこう見ている。今日南原総長なんかの新聞紙上に現われました言辞を観察いたしておりましても、どうも私どもはもう少し深みのある、時間的に永遠を指し示すような人間の魂の光というものが大学総長言辞の中に見られないものかと私どもは探しておる。こういう指導者言辞に対しては、相当尊敬の念を以て私どもは魂の動きを見ておるのであります。それが一つ指導者言葉の中に現われていない。こういうことは私は非常に悲しむべきことだと思うのであります。只今仰せられたようなことを始終学生が悟つておるということをおつしやるけれども、悟らしむる力が現在の大学教授に私はないと思う。これは私文部大臣と御議論申上げても果しのないことでありますから、時間の関係上そういうことは省きますが、そこでこの学校教育法の五十二条の後半を見て見ますると、「知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」こう書いてあります。そうすると今度やつたことは、知的にいろいろな知識自分がスポンジになつて学生が吸収しておる。そして知的、道徳的、応用的の展開を大学の学園でやつたということにも見られる。こういうことが大学目的であると考えていますから、学生がこれをやることは、自分の使命であると思つて鵜呑みにしてやつたかも知れません。こういうことに対しては、教育法というものが、学校教育法が存しておる以上は、この教育法、この法律を妥当適切に適用するということについては、文部大臣もこの当然監督の任にあらせられる、こういうことについては如何お考えになつておるのでございましようか。これは学校教育法五十二条を御覧になるとはつきりと大学目的が書かれております。これは今度の大学学生とつたる措置学校教授とつたる措置、誠に不鮮明、不徹底、不埒な事柄だと私は考えております。この五十二条というものには全然該当しない行動をとつております。こういうことについて文部大臣はどうお考えになつておりますか。
  23. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 教育基本法を設けて、それを示せば、それですべての学生がその通りなつちまうというようなことは、私は不可能だと思うのであります。如何に大学がその精神則つてつても、一万人もおる学生の中に、幾らがの学生が出るということは、残念ですけれども、併し今のこの複雑した時世を思えば、責を一に大学教授にのみ課するというわけには私は行かないと思う。教育というものが非常にむずかしいということは、福沢先生の「徳育如何」という中に、生徒を学校に入れて学生はどうでもなるように思うならば、これほど間違つたことはない。学生というものに及ぼす世間の影響とか、そういうものが実に甚大なものだということを、あれほど教育について熱心な福沢充生言つておられるのですから、私は今の一万人を擁するという大学に、そういう学生が出たから、これはすべて学長初め教授が悪いんだ、こう言つては少し苛酷ではないか。併し私は、今の大学がすべてもうこれでよいのだなどと決して考えるのではなくして、学長と共に協力して、日本思想を健康にしたいと思つて努力はいたしておりますけれども、併しこれを一に大学当局の責に帰するということは、私は苛酷だと考えざるを得ません。
  24. 中山福藏

    中山福藏君 私は国民代表として少しも苛酷でないと考えております。こういうことは旗幟を鮮明にして、すべての国家の方針というものを確立するためには、こういうことは遠慮会釈なく討論して、そしてすべての問題を明確にしておく必要があると思います。これはたまたまこういう事件が現われて来たから私どもこうして取上げておる問題でありますが、世の中にはわからない事柄がたくさんあるのでありますが、だから現われて来た問題を捉えて、そうしてすべて国民向う所とか、我々の所存というものをここで明らかにしまして、そうして全国民と共に国家の将来の安寧秩序を保持するということが我々の考え方であります。この考え方によつて幾分苛酷かとも存ぜられましようけれども、私は国民代表としては、少しも遠慮することもなく、苛酷だとも考えておりません。ですから文部大臣は、文部大臣であられる人、或いは政府当局に立たれる人が苛酷だとか遠慮をしておるということは、こういう時代には極めてふさわしからん態度だと思います。私ども人間として、個人として考えまするときは、幾多同情すべき点は多々ありますけれども、そういうことを考え時代ではないということを考えますから、文部大臣にそういうことをお聞きしておるのであります。  最後に、ほかのかたがたも御質問なさると思いますから私はくどいことは申上げませんが、いずれにしても文部省文部大臣の御責任だと私は考えております。この学校教育法大学目的に副わないところ行動とつたという点につきましては、その態度国民の前に明らかにして、学校当局というものは、他の所管省違つて教育というものは、国家百年の大計を定むるということに一つ十分思いをいたしまして、福沢先生の言にもございましようが、私は教育時代と共に成長するものであると思います。思想時代と共に成長しなければなりませんでしよう。その成長するところ思想先端に立つということは、国家指導者責務で、その先端に立つ指導力、施策を持ち得ないところ人々は、これはみずから御遠慮して頂いて、そうして先端に立つ資格がないということを、国民に明らかにするということが、私は国家の指導的な立場にある人の当然考えなければならんことであると考えます。ベルグソンでありましたか、神は不断活動なりということを哲学の言葉によつて言つてつたように思うのであります。不断活動は時間的に時々刻々に進展して行く社会現象であると思います。この時々刻々変遷してやまないところ現象の最も坩堝に入つておるのが今日の学生であります。これは大学学問の府において行われることでありますし、私はそういう思想先端に立つところ学生を、訓育的の問題については、何事よりも国家のために大事だと思います。文部大臣はほかの大臣ならいざ知らず、今日文化国家として立つ日本としては、文部大臣責務が一番大事だと思います。ほかの大臣をかれこれお考えになることなく、自分立場ということをこの場合明確にしておいて、その責を国民の前に明らかにして置かれたいと思います。
  25. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 御意見はよく承つて考慮いたしたいと思います。
  26. 一松定吉

    一松定吉君 大臣にちよつと伺いますが、今のあなたのお話を承つておると、どうも私は腑に落ちんことがある。それはあなたの平素の行動については敬意を払つておる一人でありますが、大学自治というものは、学問に関することでありまして、それは尊重しなければならんが、大学治安を維持するということについての限界というものは、大いに研究しなければならんと仰せになりましたね。それは遅いではありませんか。そんなことは文部大臣におなりになつたときに、それはすでに考えてやらなければ、あなたのようなこれから研究するということは、泥棒を捕えてから繩をなうのだというのと同じで、遅いのでそれではいけません。自治自治、学内の警備警備その間にちやんと一線を画して、こういうときには、こうしなければならんということを、文部大臣は頭に描いて、それを学校教育に携る人の頭に打込んで置かなければ、今度のような失策をやられるのではありませんか。その点についてあなたのお考えを承わりたい。
  27. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 一応はきまつております。大学学長管理権はございますけれども大学に何も力はないのでありますからして必要の場合はいつでも警察力を借りてやるのは当然なことであります。私が研究と申しましたのは、補導部とかというところがよく充実しておらないようでありますから、学長諸君の現場における意見も聞いて、補導部の充実とかいうことをしようじやないかということであ参つて、その他のことはすでに明らかなことだと私は思つております。
  28. 一松定吉

    一松定吉君 そういたしますると、今あなたのおつしやるようなことが完全になつていないから、今度のような不祥事が起つたと断定していいのでありますか。
  29. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) いや、それがすべてだとは見ておりません。それがすべてだとは思はないのであつて、いろいろ複雑したこれには原因があると思つておりますが、併しそういう点も今後研究すべき一つの点ではないかという考え方であります。
  30. 一松定吉

    一松定吉君 それならば、若しあなたのお話のような結論にはならんわけだ。整備が十分できていない、整理する必要があるのだということは、整備ができていないから今度のような不祥事が起つたということを前提に置かなければならん。それならばそういう不祥事が起らないように、今あなたのお考えになつておる、整備の欠陥というものがあつたのだ。だからしてこの欠陥を十分に是正してそうして再び起らないようにこれからするということでなければならん。
  31. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) そうでございます。
  32. 一松定吉

    一松定吉君 ですからして今までのやり方については、あなたにも手落ちがあつたのだということを潔くお認めになつたほうがよろしいと私は思いますが如何ですか。
  33. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 大学はすべての管理を学長に委任してあつて、私もこれで十分だとは思いませんけれども、とにかく学長に委任をしておるわけであります。ただ私も以前京都大学学生課長などをしたこともあつてそういう経験もありますから、どうも学生課といいますか、今は厚生補導部といいますが、そういうところが手薄だということは感じておりました。けれどもこれが唯一の原因だと決して言うわけではございませんが、ここにも一つの欠点があつた。それを文部大臣が今日まで予算も取らないでおいておいたことが文部大臣の手落ちだということであれば私も認めます。
  34. 一松定吉

    一松定吉君 それではそういうことは将来改める、こういうわけですね。
  35. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 将来改めたいと思つております。
  36. 一松定吉

    一松定吉君 そこであなたのお言葉の中にすべて大学のことは学長に任かしてあるというので結構ですが、併し、任して置くことによつてかくのごとき不祥事が起るというようなことになつて来ると、その任かしてあることについて大いに文部大臣として考慮を払わなければならんことがあるのではありませんか。若しくは機構の上においてこれはいけないのだ、だからこの点は文部大臣がこれだけの職権を一つ持たなければいかん。然るに文部大臣はそれだけの職権しか持つていないことに欠陥があるなら、これは一つ是正しなければならん。例えば人事の問題のごとき、或いは大学教授で以て不適認者があれば文部大臣が自由にそれらのものを入れ替えることができるとか、馘首することができるとか、そういう権限が若し文部大臣にありませんならば、それはこういう機会に文部大臣もそういう権限を持つように法制を改めなければならんというようなことについては、御研究の必要があると思うが如何ですか。
  37. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) これは非常にむずかしい問題であつて、仮にも文部大臣がそういう権限を持つて大学の人事にどしどし干渉するということが出て来るというと、そうすると私は学問研究ということはできないことになる虞れがある。だからして実は今度の大学管理法などに盛られるような何か委員会制度というものによるということにも研究の余地があると思いますが、文部大臣が自由に大学の人事ができるということは、私は非常に憂うべき結果を招来しやせんかと思います。
  38. 一松定吉

    一松定吉君 私の伺つているのは、自由勝手にあなたが大学教授の首切りをすることができる権限を持てというのではありません。そういうような人事の問題について必要があるというときには機に応じ、変に乗じて適当に文部大臣がこれを処理することができるように法制を改めなければいかん。文部大臣が自由に学長を首切つたり、大学教授をあつちこつちにやるということをすると、これは学問に対する一つの干渉になつてよくないことはわかつております。ただ機に適するような処置ができるだけの権限を文部大臣が持たなければならん。然るに現行法ではそれを持つていないということで、その点に考慮を払う必要があれば、それを是正するということでなければならんのではないか。こういうあなたの言われるように、文部大臣が自由に権力を大学学長教授に振うというようなことになつて来ると、学問の神聖とか、研究というものは思うようにできないということになるのは、これは当然です。併しこれは必要だ、国家存立のために、こういうことはやらしてはいけない。これはこうしなければならん。何人が見ても客観的に見て、文部大臣のやり方として、正しいと思うような行動をとることのできる権限を持たなければならんのではないか。こういうことなんです。
  39. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 大学はとにかく学長が一人でやるわけではなく、評議会というのがあつて、総合大学なら七学部以上の教授から選ばれた人が出て、そうして一つの評議会を組織してこれでやるわけですし、先ず最初には各学部で以て教授会というものがあつてそこで学部の人事は十分に相談し、又各科にはそれぞれの機構があつて相談しているのです。幾重にもやつているわけです。それを文部大臣がその上にこれに何らか権限を持つということは、私はよほど考えなければならんことじやないかと思つております。ただ研究をする必要があるとおつしやれば、それは私はそういうこともしていけないというのではないのでありますが、今日のような場合、又これと反対に行き過ぎということになりはせんかという気持も持つているものでございます。
  40. 一松定吉

    一松定吉君 委員会があつて幾重にも幾重にも研究して、それが行動に現われるのだから、その上に文部大臣がいろいろ職権を振うということはよくないということはよくわかります。私が言うのは、つまり委員会があつていろいろ研究しおるけれども、なお且つ行過ぎということがなきにしもあらず、こういう場合に文部大臣はこれを是正するだけの権能を持たなければならない。何でもかんでも頭から文部大臣が権力を振つてこれを抑えつけるとかどうするとかいうように法制を変えるというのではないのです。つまり文部大臣は文教については最高の国家機関であるから、そういう必要のある場合には、それを是正するだけの権限を持つておるということがいわゆる文教の首脳者である文部大臣の職責として大切ではないか。こういうのです。
  41. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) そういう点につきましては、文部大臣も何かの場合には発言権といいますか、今でも助言はいたしておりますが、発言権を持つということが必要かどうかということは私もよく研究して見たいと思つております。
  42. 一松定吉

    一松定吉君 是非研究して頂きたい。そういうことはあなたお一人が文部大臣ではないのですから、将来の文部大臣も出るのですから、やはりそれは文教の首脳者として最も必要なことだろうと思う。  もう一つお尋ねしておきたいことは、中山委員のお尋ねに対して、こういうことを生徒がするということは、どうも生徒のそういう疑問を解決するだけの能力を持つた教授がおらないからではなかろうか。或いは教授がそういうことにまで心を用いてそういう疑問を解いてやるように努力するということが足りないのではなかろうか、こういうような質問であつたようでありますが、それに対してあなたのお答えは、そういうことは教授も生徒も、教授は皆生徒に教えておつて生徒は知つておりながら知らない振りをして今度のような不祥事が起つたというようにお答えになつたのですが、これは私どもずつとはたから学校当局のやつておることや、生徒の行動を眺めておりますと、成るほど知つてつて故意にこういうような不穏な行動とつたものもあるけれども、或いは教授の中にその生徒と同じような考え方或いは生徒のそういうような不祥事はむしろ教授の煽動に基いて行われたのではなかろうかと思われるような節もある。つまり教授の平素の行動についても私は文部大臣としてやはり監督立場において、これを監視しておく必要があるのではなかろうか。生徒がそういうことをしたのは、教授が悪いのだと教授の責任に帰するということは、苛酷だとあなたはおつしやるけれども、併し教授の中には常に立派な神様ばかりではない、ときどきは自分考えておる思想を生徒に植付けて、それがために学内の秩序を紊すばかりじやなく、国家の秩序を紊すことも往々にしてあると私は思う。そういうことに対しては、教授の平素の行動についてやはり監視の目を以てそういう不適任のものはこれを是正し、そういう人は教壇から去つてもらうというようなことをして、そうしてこういうような不祥事が起らないように、常に文部大臣は気を付けなければならないと思うのですが、ただこれは教授を責めるだけではなく、あなたの考えは、教授も必ずしも悪いとは言えない、生徒も必ずしも悪いとは言えない、あなたのおつしやるように幾多の客観的ないろいろ原因がありましようけれども、成るたけそういう原因を除去して、そうして不祥事の起らないように一つ将来御研究の上御努力なさることを特にお願い申上げます。私は今中山君の質問に対して附随した御質問を申上げただけで、又いずれときを変えまして京都事件については新たにお尋ねいたしたいと思います。今日はこの程度にしてとどめます。
  43. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) なお、ちよつと、私はこの今の大学のやつていることが決してこれでいいのだ、何も欠点はないのだということを決して申したわけではございませんので、多分そうはお考えではございませんでしようが、又そういう欠点についてはどうかしてこれを改めたいというふうにも常に思つておりますが、今後はなお一層そういう点に努力をいたしたい、こういうふうに考えております。
  44. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 只今の問題について、文部大臣というよりも文部当局のお考えをちよつと伺つておきたいと思うのでありますが、教育の問題は実にデリケートな問題であつて大学の質ということがどういう歴史的沿革を持ち、どういう理論的な根拠を持つているかということは、文部当局においては詳しく御承知になつていることだと思うのであります。でこの大学の起源を考えて見ますと、御承知のように大学というものは元来は学生によつて作られたものである。ルネツサンス時代の、例えばボロニア大学とかいうようなものは、この言葉から見ても、ウニヴエルシタス・ストデンテイオシス、学生の組織それ自体には学生学長の任免権、教授の任免権、今日の言葉で言えば任免権というむずかしい言葉になりますか、当時の習慣としては学生教授お願いして来て頂き、そうして学生がその学長を選挙するという慣行が行なわれていたことは、文部当局において十分御承知のことであろうと思うのであります。その後にドイツにおける国家主義の勃興に伴つて、いわゆる国家大学を管理するということになつて、現在の我が教育基本法なり、或いは現在の日本大学の制度というものがこの不幸な戦争を導いた。戦時における大学及び学問の自由の圧迫というものについての様々なる忘れることのできない悲しい出来事というものの上に深く反省をして今日の大学はできており、又教育基本法ができていることも文部省としては十分に御承知のはずであります。殊に天野博士のようなかたが文部大臣として実に困難な今日の状態に処しておられることに対しては、私は内心実に深い同情の念に堪えないのであります。どうかこの学問の自由というものを、軽々しく権力の下に置かないという考えの下に進んで頂きたい、こういうふうに考えるのであります。本日の毎日新聞の余録のところにもそういうような趣旨のことが輿論の一端の現れとして出ております。この学問の自由、およそ一般に基本的人権というものは、いわゆるバツクケース、つまり不祥な場合において破られることが一番多いのであります。誰が見てもこれは余りひどい、じや取締つたらどうだろうという、この取締が前例となつて広く基本的人権や学問的自由というものが地に墜ちてしまう、踏みにじられてしまう。そういう意味でこの諺になる基本的人権というものは、バツクケースにおいて守られなければならない。いい場合には誰でも守るんです。併し悪い場合にも基本的人権というものは踏みにじられて、そうして基本的人権全体が踏みにじられるということになる。殊に我々法務委員の一人として軽々しく権力が学問の自由の上にのしかかつて来るということは如何に非惨なことであるか。これは人類の歴史始つて以来二千年の間に、漸くにして学問の権威というものは法の、権威というものに屈しない、或いはいわゆる権力というものの下に屈しない最高の学問の自由というものが認められ、我が日本憲法においてもそれが保障せられていると思うのであります。今日起ります様々なる問題というものについて、政治上さぞかし御苦心のことであろうと思うのでありますが、どうか今申上げたような点を御考慮下さいまして、最もデリケートなこの学問の自由、大学自治、そうして決してもののわからない人たちではない教授なり、学生なりというものが、彼らの理性的な判断に訴えて過ちを改めるということを期待することが私は教育の本旨であつて、これなくしては教育というものはあり得ない。本日のこの毎日新聞の余録に先頃の文芸春秋の三笠宮とレスター女史との対談のときに、三笠宮が、私は号令による敬礼は、ただ背骨の運動に過ぎないと思いますといわれている。これは三笠宮のような地位におられるかたがそういうふうに言われているというこの毎日新聞の余録を文部省においても御覧になつたことだと思いますけれども、そういう点において学問の自由というものがややもすれば、而も悪いバツクケースにおいて権力の下に置かれ、そのために学問というものが成立たなくなる。余り天野博士のようなかたをいじめると、天野博士のようなかたは、文部大臣として嫌になられるだろうし、そればかりか今後の文部大臣なり大学教授なりというものを、余りいじめると、さつき中山委員もおつしやつたように、有能な学者が文部大臣なつたり大学教授なつたりすることを嫌うようになつてしまいます。現に私自身などを顧みても、自分は元来学問を志した者でありますが、大学教授というものは、如何にひどく社会からいじめられるかということを考えて、私自身はむしろこれを守りたい。守る立場に立ちたいというくらいに考えておりますので、文部当局においては、どうか弱い学者、又弱い文部大臣というものを、弱いというのはいわゆる権力というものによつて人を動かそうとはしないという意味において弱いのでありますが、つまり優雅な、グレーシアスな文部大臣と、グレーシアスな大学学長及び教授を守りたいという決意をお持ちになつていることだと思いますが、別に御答弁を頂かなくても、これは私の希望であります。
  45. 須藤五郎

    須藤五郎君 文部大臣にお尋ねいたしますが、私は昨日衆議院法務委員会を聞いていますと、いろいろ意見が出ていたように思いますが、或る委員は、共産主義はもう頭から不逞の輩という呼ばわりをして、如何にも国民でないごとき言動をなしていると思うのでありますが、私たちはそうは考えていない。共産主義大学教授されるということに対して、いわゆるマルクスの経済学が大学教授されるということに対しまして、大臣はどういうふうにお考えでありますか。
  46. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) この大学の専攻の学生ともなれば、マルクス主義などはよく知つていなければいかんと思つております。それを批判するだけの力がなければならないと私は考えております。だから教授されても一向差支ない、最上のクラスにおいては……。但し子供のときにはこれを理解することはできませんからして無暗にやることはできない。そういうことは大学教授のボンサンスに信頼して行こうと思つています。
  47. 須藤五郎

    須藤五郎君 大臣意見は、マルクスを教授することは差支ない。そうしてマルクス主義の真髄を理解しなければいけないという御意見ですね。
  48. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) マルクス主義を研究すると申しましても、どこまでもこれは学問的に研究して行かなければいけないと思います。世間でマルクス主義といつても、本当に私はマルクス主義を理解している人がどれだけあるものかということを私は思うくらいで、マルクスというものを理解するためには、へーゲル哲学を知らなければならない。ところがヘーゲル哲学を知るということがすでに非常にむつかしいことで、だからそういう意味大学学生などは本当の意味においてこの思想研究というものをもつと十分やらなければならん。ところが何にもやらないで、ただ実際的に社会においていろいろな行動をしたりすることは、私は非常に間違つたことだというふうに考えております。
  49. 須藤五郎

    須藤五郎君 学問は単なる学問に終らず、学問がなぜ必要かといえば、これは我々人類の生活の幸福に役立てるために学問は必要だ、そういうふうに私は理解とますが、要するにマルクス経済学を研究すること、それに徹することによつて、その学説に従つた行動を十分欲求するという信念に立つて、恐らく今日の共産主義運動というものはなされていると思います。又共産主義思想というものは決して日本だけのものではない、恐らく世界人類、その半数を占めている国がすでに共産主義のマルクスの経済学の下に立つて国家というものを作つておる。そうして幸福に行つている。そういうことを我々が見るならば、決して共産主義、マルクス主義というものは危険ではない。これは大きな人類の発展途上に起つた一つ思想だヘーゲル哲学から発展した思想と私たちはそういうふうに解釈しておりますが、その思想に対しまして、あたかもその思想を抱く人間に対しまして不逞呼ばわりをするようなことが昨日の衆議院委員会においてなされておつた。私は国会の権威上非常に残念だと思つたわけであります。なお先ほど中山委員思想は進展する、指導者はその先端に立たなければならんとおつしやいましたが、これは正しいと私は思いますが、この思想はどの方向に進展して行くかということに対して、大臣はどういうような御意見を持つておいででしようか。
  50. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 私は先ず第一に須藤さんとこういう点で考えが違うのじやないか。学生というのは、私はまだ研究ということが本当にその人のやるべき仕事であつて、いわば準備期である。マルクスといつてもマルクスの資本論をあれを徹底的に研究するということは、それはもうあれにつきつきりでやつても容易にやれることじやない。ヘーゲル哲学と軽く言いますけれども、ヘーゲル哲学を本当にそれをやるというのは相当な力を用いなければならない。私は学生諸君はどうかそういうことをやつてもらいたいと思うのであります。いつも考えることは学問にも適齢期があつて、やるべきときにやらないというとやれなくなつてしまう。そうしてマルクスもやらなければ何もしないで、そうして社会に出て、そうしてただマルクス、マルクスなんということを言う人間なつたら困ると思います。卑近な例を挙げて済みませんが、よくカント哲学というようなことをいいますが、それはカント哲学の反対のことを言うと、カントだからいけぬ。本人は何もカントは知らないのです。そういうようにカントとかヘーゲルとかマルクスということは、言うことはやさしくてもこれを本当に徹底的に身につけるということは非常にむずかしいと思います。それをいつつけるかといえば、私は学生時代につけない限りつかないと思います。そういう意味で私は学生諸君はどうか学問本位にやつてもらいたい、学問をしない大学というのがあるなら、非常に私は矛盾した概念だと思います。もつと徹底的に学問をやつてもらいたいという考えです。そういう意味学問の自由を尊重したいと考えております。
  51. 須藤五郎

    須藤五郎君 私のお答えを願いたい点に外れておるように思いますが、なおもう一つ今日の思想はどの方向に向つて進展しておるかということをお伺いいたします。
  52. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 私はこう考えております。今日の思想は抽象的なものから具体的なものへ進展しておると思つております。
  53. 須藤五郎

    須藤五郎君 先ほどカントを徹底的に勉強しろ、ヘーゲルを勉強しろ、それを理解することはなかなか短時日ではできないということをおつしやいましたが、それは確かにそうだと思います。ところがあの大臣の御意見ですと、大学学生がすべてヘーゲルに徹し、カントに徹しなければ問題にならぬというような御意見ですが、私はこれはなかなか容易なことではないと思います。あなたもカント哲学者として有数なかただと思つておりますが、日本にたくさん人間がおつても、カントに徹するのは天野文部大臣以下数名だろうと思います。そういうことはなかなか考えられない、やはり大多数の大学生はそれに徹することができなくても、一応その学問の概念を得て、そうしてもうすでにそれが正しいと立証されておる、その現実に従つて行く。これがいわゆる今日の大学学生の大多数の気持ちではないかと思います。即ち今おつしやいました具体的な方向に行くのがこれが道ではないか、そのために今日の大学学問をしながら、やはり具体的な行動というものは往々それに附随して来るんじやないだろうか、私はそういうふうに思います。大学といえども、すでに相当の年齢に達して、そうして政治的な考えも大体持つておる青年たちが集まつて、そうして一万人の人間がそこにおれば、学問だけやつて政治に目を塞げと申しても、これは無理な注文でありまして、そういうことは絶対にできないことだと思います。若しもそれを大臣学生に強要するならば、これはあなたはできないことを要求するので、これは政治家としての私は要求じやないと、私はそういうふうに理解するわけです。今度大臣が出されると言つておるところの実践要領ですか、それに対しましても金森さんは、天皇は愛情の中心であるのが本当である。道徳的中心というようなことは考えられないと言つておるようですけれども、私も天皇が愛情の中心になれば結構だと思いますが、私もこの金森さんの説のほうが正しいと私は考えるのですが、この間の学生行動も即ちこの愛情の中心である天皇に対する気持ちがやや現われて来たのではないか。私はそういうふうにも理解できるのではないかと思つておるのです。それは私は京大に参りましていろいろ聞いて見ますと、あの当時天皇を迎えておる学生の状態は、車庫の屋根の上に登つたり、或いは松の木によじ登つて天皇の来るのを迎えていたようであります。それは初めて天皇を傍で見る学生たちは、天皇というものに対して好奇心を持つておる。この好奇心は天皇に対する人間同志の愛情の一つの表現の形だと考えております。それがたまたまああいう行動なつたということは、私は大学生が確かに挑発されたというふうに解釈します。それは何に挑発されたかと申しますと、毎日新聞社の放送車が参りまして君が代を大きな声で放送して入つて行つた。その君が代を聞いて学生の気持に割り切れないものが生まれて来た。即ち青年たちが君が代に対して決していい感情を持つていない。天野文相は君が代を礼讃なされるかも知れないが、君が代を聞いてぞつとする人間がたくさんある。それは曾つての戦争で君が代によつて送られて、そうしてたくさんな仲間が死んで行つたというその追憶から、君が代に対していい感情を持つていない。それが如何にも挑発するごとくどんどん放送されて学校に近付いたから、そのときに学生たちの天皇を迎える気持の上に非常な変化を来しておるということを大臣は認めないのか。その結果ああいう行動なつた。而もそれも天皇を決して迫害しようとか何とか、そういう気持でなしに、人間天皇に対して学生の若い気持をぶちまけて一応聞いてもらいたい、そういう気持であつたように私は理解するのであります。それはなぜかというと、天皇象徴だとおつしやる、それは確かに象徴だということになつておりますが、今日の天皇は政治運動をやつていらつしやる。天皇自身の気持ではないかも知れませんが、確かに政治運動に利用されておる。ここで申上げてもいいが、私は名前は申上げませんが、或る我々の同僚かこういうことを言つております。共産党はなぜ天皇が地方に巡幸なさるときに随行して行かないのか、俺たちは天皇の巡幸を利用しているんだ、利用することを考える。それは天皇の車について自分たちが自動車に乗つてそのあとへついて行くと、その地方の人はあれは大分偉くなつたなというふうに考える。だから次の選挙にそれが有効になる。だから我々は選挙運動のためにも天皇に随行しているんだという、こういうことをはつきり私に言つております。これはまさに天皇が政治運動に利用されておる。天皇の地方巡幸というものが政治運動に利用されておると言つていい。それからこの前も委員会で申したのでありますが、天皇が開院式で参議院の審議を前にして、平和条約、安保条約が結ばれたことは喜びに堪えないということを言つておる。あに図らんや天皇の意思に反して参議院では三分の一の反対者があつたじやないか。それは審議の前において象徴である天皇がそういうことを言うということは、私は政治運動と理解しておるわけですから、そこに非常に敏感な青年たちは何とかして平和に生きたい、戦争をなくしたいという気持から天皇にああいう内容の質問書を出した。これは人間人間との私は愛情の一つの現れだ、これに対して天皇が本当に、青年たち心配するな、僕も君たちと同じ気持だ。決して再び日本が戦争に入ることは私も好みませんよと、天皇が一言言葉で答えられたら、青年たちはどんなに感激するかわからないのです。それがなされなかつたという点が、青年たちを非常に不満な状態に陥れた。私はそういうふうに理解するのですが、天野文部大臣の御意見伺いたいと思います。
  54. 天野貞祐

    国務大臣天野貞祐君) 私は先ず中山さんもいらつしやるので、中山さんのこの間の御質問を私がどうもよく理解しないで唐突な御答弁をして相済まないと思つております。そのとき道徳的と申したのが非常な誤解を呼んでおるのですが、私はこういう考えです。天皇は宗教的に扱かつてはいけない。又天皇はこれは権力的に考えてはいけない。天皇に権力があるというのでもなければ、天皇が宗教的な崇拝の的になつてはいけない。そうではなくて、又文化的ということも考えられますが、文化的でもまだ足らないものがある。天皇国民親愛の中心だと、私はこういうふうに理解しているのでありますから、親愛ということは人間人間との関係でありますから、これは道徳的な関係だ、そういう意味天皇は宗教的対象でもいけない、権力でもいけない、親愛の対象であります。即ち道徳的だ、こういう趣意のことであつたのですが、言葉が簡単であつたためにいろんな誤解を起こして、天皇が道徳の中心だといつたとか……。私は天皇を道徳の中心とは考えておりません。親愛の対象だということを、私の、今日に生きる倫理という本に、去年出した本でありますが、書いている通りでございまして、その点はどうか誤解のないように願いたい。私は憧れの中心といつても宗教的なにおいがするよりむしろ親愛ということが一番いい、こういう考えであります。その他の点については御意見として私は承わつておきます。
  55. 小野義夫

    委員長小野義夫君) ちよつとここでお諮りしますが、もう時刻も一時になつているので、会議はここで閉会したいと思いますが、その前に文部大臣は先ほどから時刻で他のほうへ御出席だそうですから、次の機会においてお伺いすることで、これで結構です。
  56. 須藤五郎

    須藤五郎君 もう二点ばかりあるのですが……。
  57. 小野義夫

    委員長小野義夫君) もう一つほかに御相談ごとがありますから、この辺で……。論議がなかなか哲学論だからむずかしいと思いますから……。ちよつと速記をとめて。    〔速記中止〕
  58. 小野義夫

    委員長小野義夫君) 速記を始めて、本日はこれにて散会いたします。    午後一時六分散会