○平林太一君
法務総裁に……。この質疑をどういうふうに扱うかということは、私がこれから申上げる結果によりますが、兼岩君と
法務総裁との間に質疑の展開されましたいわゆる小笠原、琉球に対しまする主権の性格に対してのお話でありますが、この際、私は極めて明かにこれはいたしておくべきことと信じまするので、あえて私の見解をこれに申述べる必要をここに感じた次第であります。私の
考えからいたしますると、
法務総裁、兼岩君、両君とも非常に御熱心の余りにこれを非常に過大評価されてお
考えにな
つておることが、自然、主権の問題
従つて憲法の問題に波及いたしたことと信ずるのであります。極めてこの問題は常識的に又平易な気持を以て処理することによ
つて、何らむずかしい問題でありません。御承知の
通り條約におきまして小笠原、琉球の両島は、主権を放棄するということは、條約の
條文の中に入
つておりません。いわゆる台湾におきましても、澎湖島におきましても又千島におきましても、いずれもこの主権を放棄するということが
條文に明らかにな
つておりまするが、小笠原、琉球は主権を放葉するということが何にもここに出ておりません。ですから、これは講和
会議におきましてもその
通りである。我が方もそれであるから、その
ように受ければよろしい。
従つて主権は我が方にありということは極めて昭々として明らかなるものであるということが明確になるのであります。従いまして、これらの住民は、いわゆるこれらの両島における住民の国籍というものは嚴然として我が国にあるのであるということは、これは明らかであるのであります。それでありますから、主権がいわゆるあるということは、何ら疑義の余地のないことである。
従つてこれが憲法に波及するという
ようなことは私はないと思います。又
法務総裁も、この問題に対して潜在主権という
ようなことは、恐らく
法務総裁も当局として質疑に対して、つい何か
一つの錯覚を起して、その
ような潜在主権という
ようなことを言われた心情は、誠に同情に値するところがあると思うのでありますが、でありますから、むしろ主権は、この問題は何ら論議の余地なくて、両島は我が国にある。住民は又我が国籍である。それから若し潜在ということを殊更に使うのであれば、いわゆる
施設権、この国に信託統治として行われまするその施政権下にある司法、立法、行政の三権がこれは潜在の施政権であるということをあえて私はこう主張して支障がないと思います。私は聰明にして叡知なる米国
政府は、この施政権に対しまして両島に対しては潜在する施政権であるということを必ず米国当局はそれを首肯し得ることを深く私は信じて疑わざるものであります。それでありますから、この問題に対しましては、御承知の信託統治に対しては、講和
会議の際におきまして首席全権からしばしば米国
政府に対して、安保條約に
関連するところの
一つの
事態として、切にさ
ようなことをせられない
ようにということを切々として
要望したということを先日も承わ
つておるのでありますが、併し先方では決して
日本のために惡い
ようなことにはしないから、この場合は、ということで、切なるこの米国当局の要請によりまして、我が方が米国に対する信義の上において、これを一時、いわゆるこの
ような信託統治に対する
承認を與えたということでありまするから、これは将来必ず、近い将来にこれらが解放せられることは明らかである。現に数日前のワシントン電報におきましても、米国の有力筋及び米国の上院におきまして、この問題に対しましては、はつきりと、このことを取上げてある事実を私
どもは見逃がしてはなりません。私は以上の見解によりまして、いわゆるこの両島に対しましては、もはや主権の問題に対しましてかれこれ論議するべきものでない。若しそれをするというに至りまするならば、あえて事を好んで、先方がか
ようの意思であるにかかわらず我が方が殊更事を好んでみずからその両島に対する我が方の主権というものを却
つて歪曲した方面に主客顛倒していたすという
ような結果に相成るのではないかということを深く信ぜざるを得ません。この点に対しましては
法務総裁の私はこれに対して
答弁を求むることは甚だ忍びがたきものがあることを思わざるを得ません。それでありますから、あえて
答弁を要する、私のほうから求めることはあえていたしませんが、併し
法務総裁におきましても、いわゆる心情がそこにありましたことを思いますれば、何かそこに
考えがありまするならば、この際承わ
つておきたいのでありますが、(「精神訓話」と呼ぶ者あり)要はこの両島における主権はまさしく我が
日本にあり、従いまして憲法に対しまする問題は更にこれは
関連しないということを明かに私はここに申上げておく必要を生じましたので、あえて申上げた次第であります。