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1951-10-25 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十月二十五日(木曜日)    午前十時三十三分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     大隈 信幸君    理事            楠瀬 常猪君            一松 政二君            金子 洋文君            曾祢  益君            野田 俊作君            堀木 鎌三君    委員            石川 榮一君            泉山 三六君            大屋 晋三君            川村 松助君            杉原 荒太君            徳川 頼貞君            平林 太一君            岡田 宗司君            吉川末次郎君            岡本 愛祐君            片柳 眞吉君            楠見 義男君            高橋 道男君            伊達源一郎君            木内 四郎君            櫻内 辰郎君            一松 定吉君            羽仁 五郎君            堀  眞琴君            兼岩 傳一君   事務局側    常任委員会專門    員       坂西 志保君    常任委員会專門    員      久保田貫一郎君   参考人    元 外 交 官 伊藤 述史君    函館船渠株式会    社取締役会長  加納 久朗君    九州大学教授  今中 次麿君    元 外 交 官 尾形 昭二君    国立国会図書館    長       金森徳次郎君    元 外 交 官 松本 俊一君    名古屋大学教授 山下 康雄君    奄美大島本土復    帰対策委員会副    委員長     伊東 隆治君    前沖繩人連盟東    京本部長    宮良 寛雄君    千島及び歯舞諸    島返還懇請同盟    副会長     岸田 利雄君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○平和条約締結について承認を求め  るの件(内閣送付) ○日本国アメリカ合衆国との間の安  全保障条約締結について承認を求  めるの件(内閣送付)   —————————————
  2. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) それでは只今から委員会を開きます。今日は参考人のかたがたに御意見を承わることになりまして、最初に委員長から一言御挨拶を申上げます。  今日は誠にお忙しいところをおいで頂きまして恐縮でございました。平素平和と安保の両條約について、いろいろ御研究になつていると思いますので、問題とせられております点につきまして、簡單明瞭に御意見を拜聽したいと思います。簡單明瞭と申上げましたのは、実は予定の通り大勢のかたにおいでを頂くわけで、十分な時間がありませんので、大体一人三十分以内で御意見の発表を頂きたいと思います。  それでは只今から伊藤述史先生にお願いいたします。   —————————————
  3. 伊藤述史

    参考人伊藤述史君) 今日は日本に対しまする講和條約と日米間の安全保障條約に対しまする意見を述べろというお話でありまして、而も成るべく簡單明瞭で短時間でやるようにということでございますので、私は世界情勢から見ましたこの日本の両條約の持つ地位ということを申上げて、それから当然出る結論簡單に申上げようと思います。勿論その他の方面からもいろいろ観察はできるのでございますが、他のかたもおられるのでありまするからして、私は主として世界情勢という、現状という点から見まして、両條約について意見を申述べたいと思います。この平和條約に関しましては、極く簡單に触れまして、主として私は安全保障條約に関して申上げます。  一言平和條約で申上げることは、世間でもよく言われております通り、この平和條約は非常に寛大な條約であるということは勿論でありますが、而も戰敗国で無條件降伏をしたという国に対しまして、現在日本締結しましたような平和條約ができたということは、十九世紀の歴史以來私は始んど例のないことだと考えるのであります。ただ唯一例外と申しますか、これに似たような例は、今から約百年前のことでありますから、少し古くなりますが、百年前に当時のプロシヤがドイツ帝国を作らんとして、その味方にするために、当時のオーストリア、ハンガリー帝国を破りまして、そのときに作つた講和條約、一八六六年のプラーグ條約、それが戰敗国に対して非常に寛大な條件講和條約を與えたということで世界歴史上有名な問題であります。それとよく似たようなものでありまして、或る意味におきますというと、今度の日本平和條約は、それよりももう少し嚴格さの少い條約であるということが言えると思うのであります。從いまして、私のさつき申したように、そういう理由でこの平和條約は非常に寛大な條約であるということが言えると思うのであります。勿論、條約ができました現在でありますからして、その條約の締結前に行われました全面講和條約とかいうような議論は、今のところ或いはもうないかも知れませんが、併し一応その議論も私は考えてみる必要があると思うのであります。と申しますのは、條約は議会の批准を経ますが、一般国民の中にもいろいろその点に関して疑惑を持つておられるかたがあれば、それを除去する必要があるという点からして、一応そういう議論も検討してみる必要があると思うのであります。いろいろありましたが、この全面講和條約ということを主張された意見の中に、私はいろいろあつた中でこういう点が挙げられるのじやないかと思つております。それの意見の中には、全而講和條約でなければ困る、それができないならば、講和條約をやらないで現状のままで継続していたほうがいいという意見があります。他の意見もたくさんありますが、この意見だけを取上げたいと思います。この意見は現在ではもう或いはないかも知れませんが、或いは一部にあるかも知れません。これは私は理論上は相当正しい意見だと思つております。極くインテリ階級の中にあつた意見でありますが、理論上は正しい。何となれば、現在の世界情勢から申しますと、非常にいわゆる戰争危険性が多い。そういう態態に直面しますというと、現在の日本のような軍備を持つていない国としては、或いは講和條約を結んで独立をするよりも、もつと安易な方法として、條約を結ばないで現状維持のほうがいい。これは理論上私は考え得る点だと思つております。ただ御承知通り、それと独立国として存在するほうがいいか惡いか、こういう点が問題になりますが、一応理論上は考え得る点だと思つております。大体私は講和條約に関しましては、そんな程度にとどめまして、今日の私の申上げようと思う安全保障條約に対して少し申上げたいと思います。  現在の日本アメリカの間に締結されました安全保障條約を理解しますには、大体現在の国際関係と申しますか、世界情勢がどうなつておるかということから見るのが最も理解しやすいことだと思うのであります。勿論その他国内情勢から見る方法もありましよう。が、私はそういう点から見るのが最もやさしい方法ではないかと思つております。それで現在の国際関係と申しますか、世界情勢を見るには、どうしても先ず少くもこれから二十年くらい前に遡らなければならないことになつて來るのであります。非常に古いことを申上げるようで恐縮でありますが、そうしないと完全なる理解に達しないと私は考えております。御承知通り第一次大戰直後、我々はもう戰争はいやだというので、何か方法考え作つたの国際連盟でありますが、御承知通り遂に所期の目的と申しますか、世人の期待しておつたよう戰争防止ということに対しては力がなかつた。それで第二次の世界大戰になつたのであります。そうしますと、その世界大戰中からやはり第一次大戰のときと同じように、今度こそはもう戰争は起らないようにしようじやないかという考え連合国側のほうでは持つてつて相談をしておつたようであります。私は当時の余り情報を持つておりませんが、相談をしておつた。その結果できましたのが現在世界機構としてある国際連合と申すものであります。この機構では前の国際連盟並びにその以後における経験を活用しまして、国際連合国国家間の紛争が起つてもこれを武力に訴えないという義務を先ずとろうじやないか、それで国家間の紛争を持つた場合も武力に訴えないという原則を立てまして、原則だけではこれはいつ破られるかわからない、破られた場合には、その破つた国に対して制裁を加えて行こう、これは国際連盟時代のように、ただ経済制裁だけでなく、軍力を以て、武力を持つた制裁を加えて行こうという方針をとつた。それで、そのために常時開かれておりまする安全保障理事会というものを作つております。それがいつも世界全体の情勢を睨んでおつて、どこかで以てこの規約に反して武力に訴えておる国があつたならば、武力を行使しておる国があつたならば、直ちにそれに対して制裁を加える、或いは必要があれば軍事力も発動して行こうと、こういう機構作つたのであります。それと同時に、これは世界全体の機構が動くのでありまするからして、自然そこに時間がかかる。ところがいよいよ戰争となつたときには待つておれないということでありますので、その実情に鑑みまして、そういう世界機構は作つてあるのだが、それと並行して各国は他の国と協同して自衛、防衛体制をとり得るので、大体その体制をとることは成るべく地域的にやつたほうが都合がいいのだという規定は作つております。これはしよつちゆう問題になつておりますが、連合憲章と申しますか、チヤーターの五十二條規定です。そういうふうな規定を作つておりましたが、原則としてはやはり世界各国武力に訴えない、若しそういう原則にかかわらず、いつ訴えるところがあるかもわからないから、その場合には我々は武力を以て反対をする、こういういわゆる連盟時代にはなかつた組織作つたのであります。ところが御承知通り、この組織前提武力を持つておる国が協力して行くと、言葉を換えますれば、大国の間に完全なる協調があるという前提の下にこの組織は動くのであります。ところが国際連合ができまして、やつと一年経つか経たない間に、その大国間の協調というものが事実上できないということが明らかになつた。即ち一九四七年から以後の米ソ間の対立米ソ両方に分れまして、いわゆる冷たい対立となつたそうなりますと、国際連合の今の機関が動かない、そこで、前にあつた若しもの場合と言つてつて置きました各国協同して自分防衛をするし、それが成るべく地域的にこういう組織をするといういわゆる五十一條と五十二條の案をとりましてできたのが、アメリカ中心としまする大西洋條機構、それでアメリカ中心といたしまして、カナダを加えました西欧十二カ国が一つ大西洋協同防衛機構、丁度日本アメリカとの間にありまする條約のように各国協同した協同安全保障條約というものができておるのです。これは一昨年八月です。それで、その縦の條約がありますと同時に、アメリカ中心として各国の間に又個々別々に分れておる、まあ皆さんよく覚えておりましようから申しませんが、そういうふうに一つお互い協同して安全を保障して行こう、今度皆さんの御審議になる日本アメリカとの間の安全保障條約というものと同じようなものが、その上にもう一つ協同の條約ができた。それが一方であります。ところが他方、ソ連中心としました陣営では、ソ連はもう今度第二次の大戰が終りますと同時に、或いは終ります前から、いわゆる規在俗衛星国と称されておりますポーランドを初めといたしまして……、第一はポーランドでありまして、一九四五年からやつておるのでありますが、ポーランドルーマニアブルガリアハンガリアチエコスロバキアユーゴスラビアというような国と同じように協同しまして、自国の安全を守るという條約を作つた。それが同時に又チエコスロバキアユーゴスラビアポーランドルーマニアブルガリアハンガリア協同にやつております。縦と横となつてちやんと協同しまして、自国の安全、各国の安全を保障するという條約を作つておる。現在世界二つの大きな陣営に分れまして冷たい戰争をやつております。その体制は両方おのおの協同した安全保障條約網という網を張つてその上に立つておる。そういう状態でありますが、併しなぜそういうふうになつたのだということを考えてみますと、第一は、どうも現在の世界情勢は平和とは言いにくい。いつ、この平和が破れるかわからないという疑惑心各国の間に強い。これはソ連側から申しますと、資本主義国がどうしても戰争をしかける、民主国側から言いますと、ソ連共産主義の進出が危険だと申しております。ともかくも現在の世界情勢というものは、いつ平和が破れるかもわからないという危惧の念を持つて、その危惧の念によつて各国はみずから防衛をするのが当然である。これらの国は皆自分軍事力を持つて国防をやつておるのでありますが、現代のような進歩した武器を持つた近代戰では、とても小国の力では事実上十分なる完全なる軍備ができない。又仮に軍備をしても国が小さいためにそれが十分に利用できない。戰争技術上の変化ということが、小国をして自分の力を以て自分の国を守ることを困難にならしめたという事実がある。そこで、これは昔から毛利元就時代に、矢一本ならば弱いがたくさん集めれば強いという原則がありまして、各国がこれを中心にしてお互い協同して自国の安全を保障する。こういうことになります。それで、今申したように、そういう状況になつたのでありますが、前提世界情勢がいつ平和が破れるかわからないという危惧の念と、第二は、その場合に現在のような進歩した技術時代に、小国の独力で以て防衛するだけの力を確立するというのはむずかしい、從つて同じように危惧の念を持つている国が共同して自国の安全を図ろう、たくさん集まつて、一人では力が弱いが、たくさん集まつて力を強くしようということで、できているのであります。現状はそういうわけであります。これだけ申しますというと、私の現在の日米間の安全保障條約に対する意見はどうであるかということは当然おわかりだろうと思いますが、そういう意味において、は現在の国際情勢から申しましても、各国は、軍事力を持つている国ですら、現在では自国だけの力だけでは自分の国の安全を守るということの困難を感じて、共同して安全保障條約を結んでいる。ソ連陣営然り。英米も然り。こういう状況でありますからして、いわんや我が国のごとく今度講和條約が効力を発しますというと独立国になる。なるのであるが、御承知通り軍備もない国としては何らかそこにいい方法を講じなければならないということは当然であります。併しその方法も必ずしも安全保障條約を締結するばかりではないのかも知れません。一部の論者は、丁度近くにあります国のように、どちらの国にも入らないで、米英とかソ連陣営なんかに入らないで、いわゆる第三勢力というものと合作したらいいじやないかという意見があります。御承知通りインドは今申した外にある、安全保障條約網の唯一例外であります、インドビルマ……。それで日本でも大分信仰者がいるようであります。ネール首相は、自分は二大陣営のどちらにも入らないのだ、独立をやつて行くのだ、こういうことを言つておりますが、これは尤もな話です。私も非常に理論においては同感であります。從つて日本でも又そういうことをやつたらいいだろうという説の人もあるようでありますが、問題は理論がいいか惡いかじやなくして、果してそういうことが実行できるか、できないかという問題であります。これはもう詳しいことは申さなくても、戰がない間は実行できましようが、若し平和が破れた場合には、到底現在のような、インドビルマのような勢力では実行できないということば明瞭であります。でありますからしてその方法はない。それでは他の方法は、それならば自分の国の軍備を、日本で自力で以て立派な軍備を、再軍備をして、そしてやればという方法もあります。これは皆さんがたがそういうことをなさるという御決心ならばいいのでありますが、現在まだできていない現状であります。そういたしますというと、若し現在の世界情勢がいつ平和が破れるかもわからないという危險があるという前提の下では、私の今の二つ方法ができないとなればご当然の帰着としてどつかの国と共同して安全保障をしてもらう、或いはお互い安全保障をし合うという方法しかない。こうなるわけであります。でありますからして、私は世界情勢から見まして初め申したように、一般論から見まして、現在日本としましては日米安全保障條約というものを締結するのが最もいい方法であると信じ、それが当然の結論である、こういうことに達するわけであります。  私の意見はこれで大体済んだのでありますが、ちよつと附け加えさせて頂きたいことは、條約の内容であります。現在日本アメリカとの間に締結されたような安全保障條約は数十に上つております。それで、その條約の内容を検討しますと、大体共通点があるのであります。違う点もあります。  第一点は、その條約がお互いが共同して安全を保障するのだが、その安全保障は誰に対してやるのだということが書いたものがあります。ソ連締結しております安全保障條約は多くそれです。ソ連東ヨーロッパ諸国との間にできております安全保障條約の中には、大抵の條約には、ドイツから來る侵略、並びにドイツ同盟したり或いはドイツと密接なる関係にある国から來る侵略に対して、お互い様が共同して防衛する、こう書いてあります。又中共とソ連との條約には、日本から來る侵略危險、或いは又日本同盟と申しますか、日本と親しいような国から來る侵略危險、こういうふうに明示してある。ちやんと誰のために條約を作つたか書いてある。ところが大西洋條約並びにそれに関連した條約にはそれが明示してありません。一国又は二国から來る侵略に対して共同防衛をするというように書いてある。それが第一点であります。今度の日米安全保障條約には、今申したようなどの国のためにこの條約を作つたと書いてない、いわゆる米英型の、大西洋條約の型に入つておるのであります。それが第一点であります。  第二点は大抵安全保障條約には、その前提として、條約を結んだ国の間には紛争は起こらないように、お互い様、政治、経済、文化の方面で密接な関係を保つて行くということが大体條件になつております。これは勿論安全保障條約の効力を保つて行くという前提條件一つであるから当然のことであつて、多くの條約にはそれが書いてあるが、日米間の安全保障條約には書いてありません。この点は特別なものであります。  第三点はどの條約でも共通な点でありますが、どこかの国から侵略を受けた場合にはお互いに助け合う、こうなつております。これはどの條約にも書いてありますが、ところが日本アメリカとの間の條約には、書いてありますが、書き方が違つておる。これは日本軍備がないという関係でありましようがアメリカの兵隊は日本が使うが、日本のほうからは何も提供するとは書いてありません。というのは軍事力を持つていないからであります。第一條はこれであります。もう一つ一條に関しましては、外国からの、武力攻撃の場合のほかに大規模の内乱とか騒擾というような場合も想像してあります。これはちよつとほかの国にも例がたくさんないのであります。ないことはないのであつて、こういう例は一九三三年にロンドンでソ連だとかルーマニア、ユーゴースラビアとの間にできました侵略の定義に関する條約、それに書いてあります。それをここに持つて來ただけのことであつて別に新しいことではありませんが、ちよつと、よその條約にはあまりない。そういう点が違つております。  それから第四点といたしまして、どの條約にも書いてありますことは、こういう條約を二国間で結んだ場合に、その條約を結んだ国は他の国と同じような條約を結ぶ場合に、その締結国の同意を得るということになつております。これは大体どの條約にも共通の点であります。ところが日米間の保障條約を見ますというと、その点がそれほどはつきり書いてありません。もう少し禁止事項の制限があるように思います。二條以上を御覧になると、やつちやいけないという事項を全般的に書かないで、極く制限的に書いてあるというふうに見られることであります。これは大体どつちの義務が多いか存じませんが、日本のほうが義務が少くなつておるのだろうと私は思つております。そういう点に差異があります。  それから、その次は期限の問題であります。大体どの安全保障條約を見ましても何年間有効だと書いてあります。ところが相当期間長いのであります。十年、二十年、長いものになると三十年に上ることもありますが、ところが日米安全保障條約では第四條で年限が明記されてありません。よほど面白い書き方になつております。これはどつちがいいのかということは非常にむずかしい点でありますが、要するに新らしい書き方をしておるということは御注意願いたいと思います。これは日本軍備がないという関係からも來ておるでありましようし、或いは又日本が将來国際関係においてどういうふうに動くかという将來のことも考えられて書かれたことであろうと思います。大体各国安全保障條約に含まれておる点はそういう点でありまして、その点において日本アメリカとの條約が多少違つておるということは、これは日本軍備がないという点が主な原因だろうと思います。その点から申しますと、私は初めは当然こういう條約の中には、アメリカ日本に対して一定の援助を與えるが、何年かの間には日本も再軍備をやつて、みずから自国防衛に当るようにすべきものであるという義務を書くのが普通だと思つておりましたが、書いてありません。この点は私ども予期しておつたところと違つております。それで、而もそのためには御承知のように前文の終りに極く遠廻しな方法で、自国防衛のために漸増的にみずから責任を負うことを期待するという期待を表明したに過ぎません。これはどうも現在までの外国の二国間の條約にはこういう書き方をするのは珍らしいのであります。何だか我々から見まするというと、余り日本国民感情を、現在軍備のない国が果して再軍備をするかしないかきまつていない現状に、今言つた義務をつけないで、これは全然日本国民に任す、そういう極く日本国民感情考えに入れて書いてあるということは、私は感謝しておるのであります。  それからもう一つこれは最後の点でありますが、もう一つは普通の相互援助安全保障條約には、お互い様援助し合う條項が書いてあります。ところがこれには書いてありません。これは安全保障條約は相互援助ということが原則でありまして、どこの條約にも書いてあるのに、今度の日米條約には書いてない。これは当然なことでありましようが、日本軍備がないということから來る当然のことでありましようが、この点は我々としても非常に注意しなければならないと思います。我我世界どこの国の安全保障條約にも書いてある相互援助ということをやらないで、ただ一方的に援助を要請する、こういう立場に立つておるのであります。これは世界でも例の少いところであります。その点から見まして、この條約に対してもう少しできれば対等の地位援助ができるような国になりたいものであると私は希望しておるのであります。  いろいろ雑談的に申しましたが、もう一度結論を繰返して申上げますと、国内の問題のみならず世界情勢から見まして、安全保障條約というものは当然の結論であるということに私の意見は盡きるのであります。  甚だ御静聽有難うございました。(拍手)
  4. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) ちよつと速記をとめて下さい。    〔速記中止〕
  5. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 速記を始めて下さい。  次に加納先生にお願いします。   —————————————
  6. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 私は両方の條約、條文についての解釈というようなことはできません。それだけの力はございません。ただ私の專門が国際経済ということでございますので、この條約ができた後で日本経済というものはどういうふうに変つて來るかということをお話申上げたいと思うのでございますが、それでよろしうございますか。
  7. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 結構です。
  8. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 占領が始まりまして六年間の間に日本経済に地震が二度参りました。初めの地震は一九四九年の五月に為替相場ができるときまでが日本の地震でございます。どういうわけでそれが地震であるかと申しますと、今まで戰争が始まつてからその当時まで、日本経済世界経済に通じておりませんでした。この際、為替相場を決定するということが世界経済にパイプ・ラインを通ずることでございまして、今まで統制経済の下に育てられた工業というものは、世界経済にパイプ・ラインを通ずると到底堪えられないであろうという虞れから、為替相場を作るということを極力反対する運動が業者の中に起つ参りました。それが一九四七年の終りから四八、九年の初めにかけての運動でございます。いよいよ一九四九年の初めにドツジ氏が参りまして、為替相場を作らなければならないということがわかつて参りました。そうしますと、今度は業者の運動は、できるだけ為替相場を高く作つてもらいたいということであります。つまり日本の産業家の頭というものは、戰時経済に育まれたために、円というペーパーさえもらえばそれが利益であるという頭になつてつたわけであります。それですから軍の註文、政府の註文を受けて紙で拂われればそれが利益と思つて配当をして、それで安心しておつたというのが日本の企業家の頭でございます。それでございますから、いよいよ世界経済に通ずるというそのときに、為替相場をできるだけ高くしてくれれば、自分たちの円のふところの入り方が大きくなるから、それがやはり儲けになる、こういうふうに考えたわけでございます。それで大きな地震が揺れまして結局三百六十円という為替相場を決定したのでございます。そのときが一つの地震でありまして、そのために日本経済というものは産業の合理化を強いられということになりました。飽くまでも合理化しなければ世界に物を売つて行くことができない、世界から物を買うことができないというわけなのでございます。そこでこれは大変だというので、今までのような安易な考えではならんということから、首切りもございますし、機械の近代化ということも急がなければならんということになつて來たのでございます。その地震が一つ揺れまして、そして物価が安定いたしまして、やや下り加減になりました。そしていよいよ今度は物が出なくなつて來たというので、一九五〇年に滯貨が殖えて、そうしてお金が働かなくなつて輸出が振わなくなつて安くなりますと、世界が買つて参りませんから出なくなつた。そこで非常に煩悶しておりましたときに、六月に朝鮮事変が起りまして、それから様子が又変つて來たわけでございます。そこで配当も余計になりますし、企業も大変工合がいいということでやつて來ております。  今度は講和條約がいよいよできたというので、そこで又一つ大きく地震が揺れて來た。ここで日本経済が本当にその地震に耐えて、そうして安定した場所を見出すのでなければ日本経済は立ち行かない、こういう重大なことになつたわけであります。何故に日本経済は、今日地震というようなことを私が申上げるかと申しますというと、為替相場こそできましたけれども、日本の企業家というものはまだ本当に国際水準の下に商売をしているわけじやございませんです。彼らはこの今までの統制経済の頭で以て何とかして自分のほうの経営を今までのままでごまかして、そうして儲けがあるなら幾分なりとも儲けるようにということしか考えておらない。そんなことでは日本経済は立ち行きません。どうしても思い切てつ世界の水準までコストを下げて、そうして競争に耐えられるようにしなければならないというステージに入つております。只今御承知のように日本の大体の企業というものは借金さえできれば仕事が殖えるのだということを各企業とも申しております。でありまするから、私のほうはこれだけの借金ができれば必ず儲けるのだ、私のほうはこれだけの借金ができれば儲けるのだということがたくさんございます。若しそれを全体合せて、皆の要求を満足させるようにお金が出たらどういうことになるかと申しますと、それだけの原料も機械もございません。結局それは大変なインフレーシヨンになるというわけでございます。ドツジ氏も言つておりますし、又日本でも一万田、池田氏もそのまねをして言つているのでしようが、日本に潜在インフレーシヨンがあると言つているのは何のことかというと、そのことを言つておる。そうして、そういうようなわけでお金が足りない。なぜ足りないかというと、何といつても七十年間に蓄積された富をこの戰争で八〇%失つたあとなんですから、金が足りないのじやない、金詰りじやない、物詰りなんです。非常な莫大な植民地を失つて、六百万トンの船な失つたあとに、この四つの島にこれだけの施設が残つているのですから、それを動かそうというのには、どうしてもそれだけの物を回復しなければならない。そのために必要なお金を出すとすればお金が足りなくなるのですから、これが潜在インフレーシヨン。そこで各企業というものがもつとこれを明治の初めに帰つた頭で以て初めからやり直すよりほかしようがない。各企業家が銀行に頼り、銀行は自分の所にお金がないですから、それを央央銀行に持つてつて、中央銀行から金を借りて、そうして日本全体の経済はそれから又アメリカに頼るというような今までのやり方ではいけないのであつて講和條約になつて自由国家になり、独立して行くということになりますならば、日本経済が自立をして行かなければならんということになれば、個人々々、各会社会社の他に頼るという気持を清算しない限りは、日本経済は立ち行かないのでございます。今世界の銀行屋の健全な状態はどういう比率を持つているかと申しますと、アメリカは預金に対して三割三分が貸出、三割三分が投資、三割三分がキヤツシユ、これがもうアメリカの銀行の、どの銀行でもの状態でございます。イギリスの場合において今日非常に国歩困難と申しておりますけれども、銀行の貸出は預金に対して三割でございます。それなのに日本は今千二百億の預金を持つていて、銀行の貸出が千二百億でございます。百パーセントの貸出をしておる。こういう状態で、これはどうしてそういうことになつたかというと、今のような非常に頼まれて貸してくれということもございますけれども、一方的に日本銀行に頼つて、金をクレジツトしてもらえば貸出ができるというふうに考えている状態であつて、これをどうして直さなければならない、こういうわけでございます。  さてその資本の蓄積という問題になるのでございますが、今のように借金でやつていたのじやいけないので、折角配当をする金があるならば、その配当を一時やめてでも借金を減らすという形に変つて行かない限りは、企業の健全化ということはできないと存じます。それからもう一つ申上げたいことは、日本の戰後のインフレーシヨンの問題でございますが、一九四五年固定資産に入り課したお金が五千五百億、一九五〇年が五千五百億、一九五一年、今年が八千五百億固定の投資をするということになつております。併しこれは国民所得を六兆と仮定いたしまして、私は八千五百億固定資産にお金が入るということは多過ぎる。だから運転資金が足りなくなつているということでございます。それでございますから、どうしてもこの点を是正して行かなければならないと思うのでございます。それから産業界がそういうように自分の足の上に立つて行かなければならないというふうに決心しなければならないと同時に、日本の金融業者というものが心特を改めなければなりません。極端に申しますと、極端じやございません、事実を申上げますと、日本にはバイヤーというものがおりません。これは郵便局と同じようなことをやつておるのであります。ただ集つた金をただ出しているというだけの話であつて、一人の銀行家も、この企業が国家のためにいいのだからこれを出してやろうというだけの肚はございません。日本銀行には融資斡旋部というのがあつて融資を斡旋する、千代田銀行に幾ら、どこに幾ら幾らといつて、お前これを一口乘らないかというと、ほかのかたがやるなら私もやりましようといつてつている。全く銀行屋に自分のイニシアテイブというものがございません。そういう心細い状態にあるのであります。これをどうしても改めない限りは日本経済自立ということに参りません。そこで私が申上げますのは、第二に銀行屋が一つ改めねばならないということであります。  もう一つ皆様がたに是非考えて頂かなければならないことば、今日、日本で紙幣が出ますと、その出るに從つてそれはただ大きくなるだけのものである。一部のかたはそれをただ箪笥預金だ、こういちふうに言つて、これは税金を逃れるために箪笥預金をするのだというように簡單に片付けておられるかたがありますけれども、そうではございません。日本の銀行というものは統制経済の場合に、どういうわけか知らんけれども、やたらに大きく銀行をしようしようと思つて、各府県には一つにするとか、或いは大銀行に持つてつたほうがいいとかというように政府が言いまして、そうしてああいうふうに奬励したのでありまするが、資本のコンセントレーシヨンを奬励しまして今日のような様子になつた、それですから、地方で以て集つたお金はみな都会の銀行なり支店に入る、支店長はただ預金集めだけの能力しかないのですから集める、それが本店に回金され、そうして大企業にだけしか投資されないという状態にあるのですから、地方はまるで干上つてしまつている。それから今度は新宿なり澁谷なりの小さい商工業者のお金はどうかというと、あそこらへうつかりお金を預ければ、それは自分の所へ來ないのですから、札が出たが最後、札を持つていてぐるぐる廻さなければならん。ところがイギリスなりアメリカの場合には、物価騰貴が参りましても紙幣が出ません。紙幣が出ることが非常に少くて、その代り小切手の交換率が上ります。つまり通貨のヴエロシテイというものが強くなつて、そうしてノートというものの影響がない。ところが日本は今のように信用組織が薄弱で、銀行が銀行の役をしておりませんから、今の通貨のヴエロシテイで以てこの物価の上つて行くのを賄つて行くという力はないのであつて、すべてがノートに頼る。それだからその札がどうしても皆の民間の懐になければ賄つて行けないといる状態にある。これはどうしたらよいかというと、どうしてもこのいい銀行家が小さく地方々々でもう一度銀行業をやり直さなければならん。又各小さい商工業者が澁谷なり新宿なりという所に、自分たちの銀行をやはり持たなければ駄目だ。そうすればどうなるかといいますと、二千億、二千五百億の金は全部その銀行に入りますから、通貨は收縮いたします。今のままいればいつまで経つても通貨は出るに從つて通貨が動くだけであつて、通貨の收縮というものはございません。でありますから、どうしても皆さんにお願いしたいことは、日本の金融組織というものを一つ考え直して、そうして健全なる地方銀行と、健全なる中小工業者のための銀行を作るということを急がない限りは、この今の膨脹する通貨は收縮いたしません。  私は、この講和條約と安全保障條約のこの会に出まして、大変見当違いのことを申上げたようにお考えになるかも知れませんけれども、この條約というものが、日本が平和国家、自由国家として自立して行く門出でございますので、何としても日本の財政経済というものを確立しない以上は自立することはできません。それには何と言つても今のような金融組織と、それから企業家の頭というものを変えて行かなければならん。それから資本の蓄積をするのはこれは申すまでもございませんけれども、私の專門である国際金融のほうから申しまして、まだ日本の輸出というものはヴオリウムにおいて戰前の三五%しか出しておりません。輸入が三九%しか出しておりません。それなのに政府の暮しは金に直しても一四〇%になつておるというようなことでは、どうしても資本の蓄積はできないのであつて、先ず日本の諸官省を思い切つて一度やめてしまつて、そうして新たにスタートするというぐらいのドラステイツクなことをお考えにならない限り、行政整理をやつていても到底国民は富の蓄積をするということになりません。その点をどうぞ皆さんがた考えになつて頂くようにお願いいたします。
  9. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 加納さんに対して御質疑がございましたらお願いいたします。御質問ございませんですか。
  10. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 加納さんに伺いたいと思うのですが、只今問題になつております講和條約及び安全保障條約というようなものが批准されました結果、今御説明になりました特に国際貿易の上で具体的に御意見があろうと考えられるのですが、すでに大体政府も説明しており、我々も想像するように、平和條約、安全保障條約ができますと、日本と中国との貿易は非常に困難になる、そうして東南アジア貿易によつてそれを代えるというようなふうに言われておりますけれども、その方面について長年経験と識見を持つておいでになります参考人の御意見を伺いたいと思います。
  11. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) お答えはいたします。第一と第二に分けてお答えいたします。  第一は先ほど申上げましたように、日本の財界は今大地震、併しこの地震が恐らく半年、或いは來年の七月ぐらいまでかかると思います。そうしたならば、どうしてもこれでなければ自立経済は行かんという決心が財界に來ると思います。各企業とも皆その気になります。それで私はこの世界経済に乘り出して行くのに、やはり国際水準で貿易をやつて行かなければならないということを強く自分自身に強制して行かなければならない、こういうふうに存じます。  第二に中国の問題。ひとりでにしておいて、そうつとしておいても中国と日本との商売は殖えます。どうしても隣りにいる国の間で幾らとめようと思つてもとめることはできません。あの広い海岸線を幾らアメリカがブロツクケイドをやろうと思つても、できるものではございません。結局です、アメリカとしては日本に対する考えは、軍需物資でない限り、或いはクリテカルな物資でない限りは向うへできるだけ商売をして送つてつて、そうして向うの原料をお取りなさいという態度にアメリカは出ておると私は存じます。又そうして行くことによつてだんだん殖えて行くことだと存じております。
  12. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 大変貴重な御意見を有難く伺つたのですが、只今の御説明の中で最後の軍需物資或いはグリテイカル・マテーリアル、そういうものについての判断について、日本経済界を代表しておられるかたがたは何と思いますか。それがどういうふうに決定されるということを合理的だと……。
  13. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) これは常識で決定されると思うんですが、例えば繊維品のごときはどうせ軍需物資、それからクリテイカル・マテーリアルであるとは申せません。それから電線のようなもの、例えば鉄でできても、電線のようなものとか、薄板のようなものをすぐ軍需物資とは言えないだろうと、こう存じております。ですから、たとえ、それが鉄でできたものでも、それはすべてがクリテイカル・グツズであるとは言えないだろうと思います。これは要するに常識の問題だと思います。
  14. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 その常識で解決されておるこれはよろしいが、常識で解決されないような場合にはどういう機構によつて決定されるというふうにお考えでいらつしやいますか。
  15. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) それは日本人が馬鹿で、常識がなくなつたら、しようがございません。
  16. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 もう一つ意見を伺いたいのですが、中国の現在の経済状態、又は現在及び近い将來において、中国が特にまあ日本との関係においてどれぐらいの貿易の能力を発揮し得るものか、得ないものかというような点についての見通しを伺いたいと思います。
  17. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) それは非常にむずかしいのでございまして、戰前通りのパーセンテージで行くかどうかというと、これは非常にむずかしいのじやないかと思います。それは何故かと申しますと、相当ロシアのほうに物が行つております。そうしてロシアが高い金で相当向うへ取つておりますので、中国の物資の値段が高くなつております。それですから、これで仮に中国と日本との貿易をパツと開いて見たらどうなるかというと、案外日本が買えないのじやないか高くて。そういうことがあるのじやないかと思います。併しこれは一度貿易を始めて行けばおのずからアジヤストして行くと思います。それから、少しく政治問題に入りますけれども、朝鮮の問題、今の停戰協定が何とかまとまると存じております。まとまつたといたしますと、ロシアはそんなに中国を援助しないでもいいということ、又したくないということが肚だと思います。そうすると、アメリカのほうはクリテイカル・グツズ、それからストラテジツク・マテーリアルというものは困るかも知れませんけれども、その解釈はよほど緩和になつても文句は言わないだろうと思います。それから極く最近、例えばこの二三日でございますけれども、北京の政府のほうの考え方が、AのカテゴリーとBのカテゴリーというものがあつて、Aのカテゴリーは自由に日本に出してもいい、それからBのカテゴリーはどうしても余り出したくないと言つてつたのが、結局Bのカテゴリーもいいといることに二三日前にきめたそうでございます。それだけ向うのほうも緩和して來ておりますから私は中国と、日本との貿易というものは楽観しております。
  18. 堀木鎌三

    ○堀木鎌三君 私、ちよつと、お聞きしたいのは、最近これは、ドルの例の問題でございますね。それと今後のドル地域、それからスターリング地域に対する貿易、こういうようなものをどう見通しになつておられますか。
  19. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 私はこう思つておるんですが、この間ロンドンへ行つて頻りにそれを聞かれたときに、私はこう言いました。イギリスのロンドンのその連中の考えは、お前は今アメリカなんというものに頼つているのは馬鹿な話だ。又お前の国は何だ、アメリカの田舎の経済学者の、そのアドヴアイスなんか聞いて日本経済を動かしているなんて馬鹿の骨頂じやないか、こういうふうに言いました。そうして今世界の貿易の五〇%はスターリング・エーリアでやつておるので、而もそれがロンドン経済が五〇%から六〇%まで行こうというような状態で、スターリング・エーリアというものの状態が動いている。こんな世界で一番広い貿易の地域はないのだと、だから結局、お前の国は俺のほうのクラブに入らなければ嘘じやないか、これがイギリスの言い分なんです。そこで私はこういうふうに答えた。自分の国は六年間アメリカのお蔭で、飢えるところを、餓死を救つてもらつて、そうして経済の建直しは非常にのろいけれども、まあ六年間どうやらやつて來た。これら又アメリカ技術や資本を入れようというのであつて、ダラーのクラブから出るわけに参らない。だから日本はやはりダラー・エーリアのクラブ員になる。併し、だからと言つてスターリング・エーリアのクラブ員になれないということはない。自分たちは両方のクラブ員になる。こういうふうに答えて來たわけであります。そうであろうと思います。それから、日本は先ほど申上げましたように、戰前本当の自由経済の中に入つておりませんでしたから、スターリング・エーリアの研究が足りません。この広い地域の中から日本が買うべき物はまだたくさんございますから、だからスターリング地域に売つた物を、お金が余つたらそれをダラーに替えねばならないというような心配をしないで、売つただけは向うから何でも物資を買つて來る、なんだつたら先に買つてしまうというくらいにして、スターリングの余りのないようにするということが大事だ。それは畢竟商売を小さくするということではございません。私はイギリスに行つても話して來たのですが、一体ダラーにコンヴアートするのかしないのかというのは、そんなのは結局商売を伸ばさないという考えである。もつと大きくしようじやないか。三千万パウンドというものを五千万パウンドにし、一億パウンドにし、二億パウンドにするということで、買うのも売るのも盛んにして、そうしてバランスは、両方でいつでも融通するというようなことにして行くべきじやないかという話をして來たわけです。  それから、ついでにお話しますけれども、日本の船会社と日本の紡績業というものは、イギリスの恐怖病にかかつております。アングロ・フオービアと私は称しております。それはどういうことかというと、何でもあそこは邪魔をして俺たち日本をいじめるものだ、こう思つておる。そんなことばございません。もう日本は軍国でございませんから、外国へ参りましても、すべて事実と数字というものな基礎にして、こうしなければ日本経済は立ち行かないのだから、お前さんもメンバーとして助けて下さいという態度で、お互いに助け合うという態度で正直に話をして行けば必ず向うもわかる。だから決してイギリス恐怖病になる必要はございません。
  20. 木内四郎

    ○木内四郎君 先般新聞に加納さんのヨーロツパからお帰りになつたお話が載つておりましたが、その際に加納さんは、ドイツでは戰後非常によく働いておる、勤務時間なども非常に長く、大いに働いておるといることが載つておりました。そうおつしやつたんだろうと思います。
  21. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) さようでございます。
  22. 木内四郎

    ○木内四郎君 勿論戰争に負けて貧乏になつた国の者が大いに働かなければならないということは勿論であります。我が国においても同様だと思うのですが、ところが講和條約の前文に「国際連合憲章第五十五條及び第五十六條に定められ且つ既に降伏後の日本国の法制によつて作られはじめた安全及び福祉の條件日本国内に創造するために努力し、並びに公私の貿易及び通商において国際的に承認された公正な慣行に從う意思を宣言する」ということが書いてあるのです。これは止むを得ないことだろろと思うのですが、これとドイツの状態がちよつと違つたようなことになりはしないかと思うのですが、日本がこの四つの島に八千万人もおつて戰争に負けて、今お話しになつたように富の八割も失つて……、ドイツのように働かないで……ドイツのように働けば、これに多少反するところが出て來るのじやないかと思います。それで日本もやつて行けるとお思いでしようか。或いは貿易なども相当伸びて行くと思いますか。
  23. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) これはリツジウエイ大将が吉田さんに話したように、占領の六年間にやつたいろいろな法制で無理なものは、もう日本の力で以て、日本のほうの考えでそれを直して行つてもらいたいということを言われたという話でありまするから、私は労働基準法というようなものを、そんなものはいけないのだというべつにして、みんなやめてしまうことは余り日本が田舎者で面白くないから、あれはあのままで置いといて、併し或るものは十年間ぐらいは実行しない。この解釈はこういうふうにするというような智慧はあつてもいいのじやないかと思います。それからドイツの場合でございますが、これはもう、或いは労働者でも働くということに自分が決心、組合が決心すれば何も差支えないのであつて、十年間も十一年間も働いて、経営者と一緒になつている。この意気込みは、やはり西ドイツのほうの人たちは、東ドイツ自分たちと一緒になるというとは、これは百年、二百年でむずかしいのであるからして、西ドイツでも一つ建直しするよりほか仕方がないというドイツ精神、愛国心に燃えて始まつたことである。一九四七年から一九五〇年までの三年間に工業生産が三五〇%という比率でございます。如何に大きく回復しているかということがわかります。少し芝居じみているのですけれども、経営者の人が意気込みを示す、リーダーシツプを示すという点でございますが、もう労働者が來る時間前に出かけて行つて、みずからハンマーを持つとか、みずから機械に付くというふうにしている社長さんもございます。そういうふうにして……、どうせそれは、初めに五六分やつたのかどうかそれは知りませんけれども、併しいずれにしても早く出て行つて始めるという指導力は大したものだ。ところが日本の重役諸公というものはどうかというと、大体安易な考えで、戰争が終つたときに第三、第四流くらいから上つた社長、重役ですから、いい気になつて皆働かない。そうして朝も遅く出る。ですからアメリカやフランス、イギリスなんかに行つて重役に会うというのには、七時、八時でもみんな來ている。日本は十時くらいでもまだ來ていないというようなわけで、まだ経営者自体の決心が足りません。その点は実業界のほうからも一体政治家のほうを掣肘するのですけれども、政治家のほうからも実業界のほうを刺戟する必要があると、こう存じます。
  24. 曾禰益

    ○曾祢益君 加納さんに二つばかりお伺いいたします。第一は日本の貿易業者は、船舶それから織維業者等がまあイギリスと競争を、或いはいじめられることを恐れてはいかんだろうと思います。この点は御尤もだと思うのですが、同時に向うにおいでになつて、やはりこのイギリスの業界が日本のフオービアにはかかつていないのか、つまり不公正な競争ですね、これをなくして、どうしてもやはり日本に対する最惠国待遇のこの供與に対しては、一応はまあ政府は供與すると言つておるけれども、それを法的に確認するよるな、通商條約等によつて、そこまではつきり……まだ與えることは、いやだと、かような圧力がこれは無論労働組合側もあるでしようが、特に産業界、船舶業界なんかに強いのじやないか。この点と、それから今一つドイツの問題が出ましたが、ドイツ国民の復興に関する経営陣或いは労働組合の意気込みがいいという点は、これはもう事実だと思うのです。併し又同時に社会保障制度、或いは戰争犠牲者に対する援護等を、日本の政府なんかと違つて占領下においてもどんどんやつてつた。かような点もやはり労働陣営の執意と非常に私は関連があると思う。それらの点についての御感想を伺いたいと思います。
  25. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 第一の点、英国の業界が日本の不公正な競争というものを恐れているのじやないかという点ございます。今度紡績及び商業の代表者、銀行の人たちと一緒に七人でマンチエスターに参りまして、向うのコツトン・ボードで以て話をいたしました。やはり今曾祢さんのおつしやつたような、不公正な競争で出て來るのじやないかという恐れが大変にございまして、それに対して私の説明はこういうふうに言つて來たのでございます。戰前まだ日本の工業というものが薄弱だつた時代には、不公正な競争、それから見本と違つた惡い物を特に持つて行くというようなことがあつたかも知れないけれども、今日、日本の産業というものは非常に機械化して、そうして特別に惡いものを持つてつて世界の人に売る、惡いものを売る、又いいものを特に安く売るとか、いろいろ不公正という意味はございますが、そういうようなことは機械化が発達したためにむずかしくなつているのだから、その点は御心配頂かないようにということを話しまして、それから、なお、日本の労働條件というものが非常に惡くて、労働を売つているというようなことになるのじやないかとか、或いは生活程度がどうかとか、いろいろな質問がございましたが、それに対してこちらが正直に説明をして参りまして、先ずその点は十分話せば納得するのだということを私は確信を得たわけです。どうも日本のは今まで何事についても説明が不十分。どうしても言葉の関係もございますし、それから日本人の辛抱が足りないところもございますが、外国に対しては説明が不十分ということがありますので、今後この点は我々気を付けなければならないことだと思います。  それから第二のドイツ人の意気込みのことでございますが、これは先ほど常識の問題もございましたが、日本人はどうも常識に欠けているばかりでなしに、勇気にも欠けていると思うのであります。ドイツ人はアメリカ占領軍に対しても言うべきことをどしどしと申しまして、そうして自分の国の復興のためには、アメリカが例えば二十そうと言うと、いやそれじや足りない三くれないか、或いは四くれないか、そうすれば必らず復興して見せる。それからアメリカが五億やろうと言うと、いや、それじや足りない、七億くれなきや、これは完全にできないと、こう言う。だからアメリカ人に会つて聞いたのですが、アメリカ人から見るとどうもドイツ人は憎らしい。少しやると言えばもつとくれと言う。併しドイツ人のはもつとやれば必らずやつてのける。日本人のは、やればすぐ感謝の決議か何かあなた方なさる。(笑声)けれども、感謝するけれども、ちつとも日本人は実行できない。だからアメリカ人のドイツ人に対する信用のほうが日本人に対するよりは高いのだということをちよつと申上げておきます。(笑声)
  26. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 一つ二つ、お伺いしたい。一つは、あなたの結論として申されました財政経済の自立という問題がこの両條約で達成せられる方向に動いて行くか、それともそれと反対に働いて行くかというような点について、おおまかにどういうようなお見通しを構つていらつしやるか。もう一つは、結局講和後、現在すでにスタートしておりますが、講和後の傾向が軍拡インフレの方向に進んで行つて、一時繁栄と見えるけれども、非常に不幸な状態に日本を持つて行きやしないかという心配もございますが、そういうような点とも絡み合せて今の問題をお伺いしたい。
  27. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 私は第一の問題は、日本人の決意一つで、これはどうしても自立経済に持つて行く。持つて行くのはわけないですね、決意だから……。(笑声)つまり極端に言えば、汽車に乘る代りにわらじを履いて歩く。それでも自立です。だから極端に言えばそこまでやつてもいいから自立する。併しこれは精神運動が今大事だと思うのは、例えば近頃結婚というようなものも非常に派手になつて、そうしてお嬢さんがたくさんの着物を作る。ところが絹とか或いはお茶とかいうようなものは、本当に日本の原料で、できているものであつて、少し輸出してもそれはドルに変るものです。だからそういうことだけは日本人はできるだけ少くする、そうしてお茶も上等なものはできるだけ飲まないで輸出して、先ず三階級か四階級で我慢する。絹の着物は成るべく持たないようにするほうが誇りだということで、何でも輸出ということに考えなければいけないと思うのでございます。そういうふうに国民の決意が私非常に大事なんじやないかと、こう存じております。  それから第二は何ですかぬ。(笑声)
  28. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 軍拡インフレの問題はもうすでに足を踏み出して……。
  29. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 軍拡インフレの問題はこう考えております。日本が警察予備隊ですか、それがもう軍人に代るのか知りませんけれども、これは皆様がたにお願いしておきたいことは、日本国民所得のおよそ何%までがこれに使わるべきものかということを始終頭に入れて頂きたい。例えばスエーデン、スイツツルのごときは六%でございます。スエーデンなり、スイツツルは少しも戰争によつて経済が破壊されておらない国がそうである。だから日本のように破壊のひどかつた国は、先ず国民所得の三%ぐらいというところで常に抑えて行くということであるならば、私は軍拡インフレというものは起らずに済むのじやないか。それ以上に日本軍備をするというのならば、アメリカからもらうということでいいんじやないだろうか、ころ思つております。
  30. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 アメリカからもらうという問題よりも、今すでに足を一歩、これは意見の分れるところですけれども、軍拡インフレのほうに多少もう一歩踏み出しておるのだ、或いは今後この講和條約の締結によつてそういう方向に涎んで行くと、好むと好まざるを問わず、戰争に捲き込まれる不幸な状態になつて、一時繁栄と見える、或いは自立と見えるけれども、併し不孝な状態になるものじやないかという心配に対しては、どういう御意見をお持ちですか。そういう心配はないとか、或いは国民の決心一つだとか……。
  31. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 軍拡インフレというものは私は心配なしと、こう思います。それはどういうわけで申上げるかと言いますと、今アメリカの再軍備というものは、戰争経済、戰時経済と違いまして、再軍備経済です。再軍備経済というのをどういうふうにアメリカはやつて行く気であるかというと、只今一週間に十二億ドルずつ使つてつて行くわけでございます。一年に五百億使つて参る。併しそれだけを使うということは、アメリカの民需をどのくらい圧迫するであろうかということをしよつちゆう考えてやる。ですからこの再軍備というものは、アメリカへ行つて聞きますと、三十年から四十年続くという軍拡である。それで三十年、四十年の再軍備というものを進めて行くのには、一般民需を圧迫して国民の生活程度を下げたのではそれができるものではない。であるからして、民需を満足させて、一般の経済も繁栄させて行き、国民の生活程度も上げながら再軍備をやつて行こう、こういうのがアメリカ考えでございます。從つて日本は東洋における唯一の工業国として、アメリカのエージエント又はパートナーとして生産をして行くわけなんでございまするが、アメリカが今のように非常な大きな経済を持つておりますので、日本をインフレーシヨンにしてしまつたのでは、又未開発地をインフレーシヨンにしてしまつたのでは、自由国家自分のところへ附いて参りません。そういう大きな一環から見まして、どうしても必要なものは日本に出し、そうして儉約してもらうものは儉約してもらつて日本経済を自立々々と言いながらアメリカは助けて行く、それに乘つて日本はこの貧乏国を富まして行くということになるのであつて、再軍備というものはすぐ戰争経済に入るというのとは違いますから、私はアメリカとしても日本軍備のためのインフレに行かないようにしようと考えるし、又日本国家としては、先ほど申上げましたように、国民所得でおよそパーセンテージをきめて、それ以上のことをしないということで行けば抑えられる、こう思います。
  32. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 本変詳細なお答えを頂きましたが、私の質問をもうちよつと露骨にいたしますと、結局そういうようなふうに経済が希望的に、国民の決意もあり、企業家その他の決意もあつて順調に連むといたしましても、この両條約がやがてアジアの平和に役立つよりは、やはり戰争に巻き込まれる危險に寄與するんじやないかという心配は全然お持ちではございませんか。
  33. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 戰争は私はないと存じます。
  34. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 加納さんのように国際経済について非常に経験と識見を持つているかたの御意見は影響するところが多大であるというふうに考えますのですが、その意味で伺つておきたいのは、御承知のように、先頃現在の日本の吉田総理は或る会合で、日本の中国に対する貿易というものは過重に評価されているということを申されて、その後しばしば同じ趣旨のことを繰返しておられるのです。それからもう一つ吉田さんが日本に帰られてしばしば会合で、日本のいわゆるチープ・レーバーというものに対する非難というものは、非難するほうが間違つているのだということを言つておられますが、この二つの点です。
  35. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) それは吉田さんが経済がよくわからないのと、それから政治家であるということからのお答えだと思うのであつて、中国の貿易は非常に大事でございます。併し日本のほうの側から総理大臣が、中国が大事だ、大事だと言えば、中国の毛沢東のほうから言えば、そんなに大事なんだから少し物を高く売つてつたらいい、成るべく日本はいじめたほうがいいということで(笑声)コールも成るべく出さずにおけ、塩も成るべく出さずにおけ、こう來て、日本がいじめられますから、そこは総理大臣として日本の代弁者として吉田さんはいいことを言つている。(笑声)併し言つていることは嘘ですよ。(笑声)
  36. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 今のは吉田さんの中国貿易は過重評価されているということは嘘だということですが、それから第二日に、吉田さんが日本のチープ・レーバーに対する非難は不当だということをしばしば言つておられますが、これについてはどういう御意見でありますか。
  37. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) こいつはイギリスでも日本のスタンダード・リヴイングということのお話があつたのですが、そのとき私が言つたのには、日本の総理大臣の給料というものを考えたらいい、これがすでに低い。だからチープ・レーバーとか何とかということはその国々で違う。例えばインドなんかに行きますと、生活の工合が違いますから金の輪だの、金の足輪をやつている、どんな家へ住んでいるかというと、もう全くハツトの中に住んでいる。そして食う物は暑いものですから余り食慾はありません。そういうようなふうに生活の純度が違う。だから日本がイギリス、アメリカのような所でレーバーを住まわせて、ブリツクの家で、そしてテレビ・レシーバーがあつて何がなければ動けないというのでは、日本のスタンダードにはならないのであつて日本が負けた国の今日としては、まず労働者側のほうの生活状態というものは、上のほうの層の生活状態に比べれば比較的いいところに行つているのじやないだろうか。であるからしてチープ・レーバーということは当らないのだという説明は、そういう意味でやつておられるのではないでしようか、と私は存じます。
  38. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 あと二つ伺いたいのですが、一つは加納さんはマンチェスターでは、イギリスの経済界の代表者にお会いになつていろいろ御意見を交換されたようですが、勿論お会いになつてお述べになる場合に、忌憚なく意見を相互に述べられたわけでしようが、最近我々の見ます例えば九月の二十一日のマンチエスター・ガーデイアンなどを見ますと、イギリスの商工会議所の副会頭のロード・マンクロフト、恐らくお会いになつたかただろろと思います。ロード・マンクロフトが演説をして、日本がアンダー・セイリングをやるならば、ランカシア或いはイギリスのポツタリイスというものの将來はインデイード・ブラツク、実に暗黒であろう、我々は日本に向つて日本がミリタリー・マナーを改めると同時に、コンマーシヤル・マナーを改めるということを飽くまで要求しなければならないということを言つておられる。これは勿論加納さんがお帰りになつたから安心してそういうことを言つておられるわけでもないので、事実問題であるから言われたものだと思うのであります。  それから吉田首相の中日貿易過重評価論は嘘である、併し政治上の影響というような点は、という先ほどお話でしたが、日本とも澤東との交渉が現在問題になつているならば、吉田首相の言われたことは嘘であるけれども、政治的には了解し得るかも知れないという御意見も了解できますが、現在としては日本アメリカのほうとの関係が当面の問題ではありませんか。又……。
  39. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) それだけじやありませんよ。
  40. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 又チープ・レーバーというものも、結局国際的な基準というものもあるので、そういう点はよほど我々としても慎重に考えなければならないのじやないかと思います。  その点と、もう一つ最後に伺いたいのは、多分あちらにおいでの頃にも問題になつたのじやないかと思いますが、いわゆるNATOといいますか、北大西洋條約に基くイギリス或いはフランスなどの軍事上の負担の問題がございます。それで我々が海外新聞で見ましたのでは、英国などでも、北大西洋條約に基く英国の軍事負担というものが、或いは英国の国民経済の堪え得ないようなものになるのじやないかということを心配しているような記事を見ますが、加納さんはそういう点について直接あちらで何かお聞きになつたことがあつたらば示して頂きたいと思うのであります。
  41. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) 初めの商工会議所の議長がお話したという点でございますが、これはイギリスでも商工会議所といいますと、おのおのの商売の代表が商工会議所ですから、ポーセレーンなりテツクスタイルというのに関係の多い委員が出たり、それからその会長が出ますと、どうしてもそういう意見を言うのでございます。併し全体からいいますと、やはり健全な結論がおのずから出て來ると思う。それでマンチエスターで私は説明したことは、一体あなたの国でも初めテツクスタイルというものの比率が五〇%、四〇%あつたものが今日一五%に下つた、それで化学製品とか鉄鋼品、こういうものが貿易の中でレーシヨが上つているというのと同じように、日本も戰前六〇%以上あつたというテツクスタイルの比率が輸出品の中で一九四九年には三四%になり、一九五〇年には二九%に下つておる。そうして日本の機械或いは化学製品というようなものが比率が多くなつているということですから、日本が工事国として進歩するのにそんなテツクスタイルやポーセレーンにばかり頼つておるのじやない。もつと大きなアイテムがここにできて來つつある。それはイギリスの国と同じことである。而してスターリング・エーリアがこんなに広いように、まだインドなりアフリカなり南米なりに需要家がたくさんいるのに、両方の国の工事が競争なんということで御心配は要りません、まだインド人に着物を着せ、南米の人に物を十分やるというのには、両方の工業が一緒になつても足りないのですということを強制して來たわけでございます。でありまするから、そういうようなことを向うが言つたら、やはり誰か日本の本当は代弁者がいれば、すぐそれを打ち消すようなことが今後は大事だ。  少し脱線いたしましたけれども、アメリカにおいても、今、日本に対する空気がまるで歴史上ないようによろしうございますけれども、これで日本が何か経済自立がどうかとかインフレーシヨンでどうとかへマをやれば、それみたことか、おれたちが占領している間はよかつたけれども、日本人はやつぱり駄目じやないかといつて軽蔑されるだろうと思うのであります。ですから、そういうことのないように日本人も努力しなければなりませんが、同時に、誰かやはり向うにいい代弁者がいて、事、日本に不利な嘘のものが出たときには、それを打ち消すという人間が必要じやないだろうか、向うに言わせたきりでおしまいになつておる。こういうことでございます。  それから次のNATOの問題でございます。御承知のように、イギリスというものは前の戰争で以て九億ポンドの海外投資を失いまして、今度の戰争で十三億ポンドの海外投資を失いました。それで今日残つております海外投資が二十七億ポンドでございますけれども、一方、アルゼンチン、インド等から借金といるものは三十五億ポンドになつているという状態で、借金のほうが多くなつておる非常に困つた状態である。にもかかわらず、マーシヤル・プランで以て一九四七年の暮から一九五〇年までにアメリカは幾らの金をヨーロツパに入れたかというと、百二十億ドルの金が入つております。そうして見返資金でイギリス、フランス、ドイツの使つたお金、イタリー等に使つたお金が大体七十億でございます。イギリスの分が十五億ドル、フランスの分が二十億ドル、それが見返資金、三年間の見返資金でございます。それをフランスはどうしたかというと、フランスの産業のために、政府が日本でやつているように分けてしまつて使わせました。ドイツにも十億ポンド行つていますが、それも同様。イタリーの場合には借金を返すということと、それから産業に分けてやつておる。イギリスの場合にはどうしたかというと、いやしくもイギリスの産業の設備をするには自力で行こうといつて見返資金は使つておりません。そうしてイギリスは十五億ポンドに相当する見返資金というものは、すべて借金を返して行くということにして、銀行の手許に返して、銀行の機能をそのまま発達させる、政府が金融なんという余計なことを考えないようにするという筋道へ戻つて、而も今年からマーシヤル・エイドを断わつております。そういうようなわけでございますが、今のにお答えしますが、NATOに入つておりまして、そうして最近原料が安くなつているためにスターリング・エリアの商売が惡くなりましたために、金とドルを失いつつある。それですから結局私は、アメリカはNATOのメンバーとしてイギリスというものを助けずにはおかないだろうと思う。それはイギリスが、スターリングがそんなに下つて來るならば為替平衡基金を貸してやろうというような、そういう財政的、金融的の援助でなしに、武器で以て或いは軍備援助をするというような形で、イギリスの肩を軽くしてやるというようなことに行くんじやないかと存じております。
  42. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 成るべく時間がございませんから簡單にお願いします。
  43. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 今の御説明で以てもう少しく伺いたいと思つたのは、NATOに伴う英国のヨーロツパ防衛軍の負担金の問題ですが、その問題について特にお聞きになつたことば……。
  44. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) それは私何も聞いて來ておりません。
  45. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 最後にもう一つお伺いしたいが、よく我々が日本の新聞などを見ますと、英国国民は非常な耐乏生活に耐えている。さつきもお話がございましたように、優秀な製品は外国に輸出して、国内では消費しない。ジヨニーウオーカーなども内部で飲まないというようにやつているという、それがどうして英国でできて、日本では現在余りできないのかという点について、もう少し御意見がおありでしたら伺いたい。
  46. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) それは日本人の国民性もありましようけれども、為政者に対する不信ということが日本のやつぱり根本じやないかと思います。それからこの耐乏生活と申しますけれども、イギリスでは牛肉、それから羊の肉、豚の肉というようなものは、一週間に幾らというふうに割当されておるけれども、鶏とお魚と野菜と果物というものは、ふんだんにございます。殊に私の十年前におりましたときよりは果物などは輸入が多くなつております。それからカロリーはどうかというと、日本などはまだ二千カロリーもどうかと言つておりますが、イギリスはとにかく三千カロリー、こういうわけなんですから働くのにはちつとも、こと欠きません。ですから耐乏生活と言つても、イギリス人は成るほどイエス、日本人にはノーという答えでいいと思います。
  47. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 一つだけ……。大西洋では軍事同盟がどんどん行われ、いわゆる自由主義国家でもアメリカ、フランス等は、あなたの御存じの通り軍備拡張が行われておる。今度太平洋で日本との條約が締結され軍事同盟が結ばれる。そういう方向にどんどん世界が進んで行くにもかかわらず戰争なしというあなたの断定しておられます根拠を、ちよつとできれば簡單で結構です。
  48. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) それはアメリカ軍備というものの進み方がソヴイエトの軍備よりも速力が強うございますから、ソヴイエトの軍備がこのくらいの速力ですと、アメリカ軍備はこうですから、それを二年、三年、四年とやつているうちに非常な違いが起ります。ですから馬鹿でない限りソヴイエトは戰いをしないであろう。こういうことであります。
  49. 兼岩傳一

    ○兼岩傳一君 アメリカはどうですか。
  50. 加納久朗

    参考人(加納久朗君) やりませんです。やりたくない。(拍手)
  51. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 次は今中参考人にお願いいたします。   —————————————
  52. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) 私をお呼び下さいました理由は、政治学関係からのこの條約に対する見解を述べろ、こういうお考えだろうと思います。政治学は御承知のごとくに総合的な見解でございまするし、且つすでに、政治の本場でありまする皆さんのところで、いろいろ御論議になつておる事柄であります。從つて私の申上げますることがどれだけ御参考になりますか、非常に疑問に思つておるわけでありますが、とにかく多少違つておるところがございますれば結構だと思つて申さして頂きます。  最初にちよつとお断り申しておきますが、只今加納さんからお話がございましたように、日本人は非常に礼節を尊びまする関係か、物事を慎重に申す癖がございまして、私どもまあ外から眺めておりますると、外交の問題についても余りフランクにお話をなさるということが非常に少いのじやないか、こういうことを感じておるわけでございますが、事、日本国家の立場という問題に対しましては、もう少しフランクに言つていいのじやないか、特にアメリカとの交渉に関しましては、相手方は元來フランクに物を言う癖があるのでして、相当フランクに物を言つても余り誤解をされないという傾向がありはしないかと思うのでございますが、そういう点を一つ関係してお考えを願いたいと思います。併し日本国内においては、余りに物をフランクに申しまするとしばしば問題を起すのでございまして、私も満洲事変以來フランクにものを申しまして大分迷惑をして來ております。今日もフランクに私はものを申上げたいと思います。特に私の立場は自由党のかたがたその他それと同調なさいまするかたがたとは立場が余り違いますので、フランクに申上げますることが大分お差障りになると思うのでございまするからして、ただ私は御参考になるように申すのですから、フランクに言わなければ何らの価値がないということをあらかじめ御承知おきを願いたい。こういうわけでございます。太平洋條約でありまするから問題もフランクに取扱う必要がある。又、日本ではそういうことが非常にむずかしいのでありますが、ここにお集りのかたがたはそういうことはよくおわかりだと思いますので、私が申しますフランクな内容をフランクにお酌みとり願います。  前置はそれくらいにいたしまして、私が申上げたいと思いますることは、この憲法を中心といたしましてこの條約を考えまするに、先ずそこに三つの問題を最初に挙げておかなければならない。憲法の原則の中でこれに関係いたしまする問題は三つあると思います。申すまでもなく平和主義の問題、戰争放棄、武力放難、それから民主主義という問題、それから今度の條約は日本に主権を與える、国家主権を回復せしめる、こういう三つの立場、これは日本の憲法の立場において我々が否定することのできない原則であると思います。この三つの原則の立場から、果してこの條約なるものが認容して差支えのないものであるかどうかということを、先ず最初に総合的に考えておく必要がある。そういう立場で問題を取上げて行かなければ本当のこの條約の審議にはならないのじやないか、こう申したいのであります。  そこで先ず平和主義という問題でございまするが、これは要するに戰争という問題の危機に関係しておらないかという問題だと思います。それから民主主義という問題につきましては、この條約の運び方及び條約の内容というものの中に、非常に官僚主義的な傾向というものが含まれていないか、現に官僚主義的な手段においてこれが運ばれて來ていないか、又安保條約等において現われておりまする行政協定のごとき、今官僚主義的勢力の擡頭へ寄與するような傾向の虞れはないだろうかといつたような、官僚主義という問題がここにありはしないか。それが要するに憲法の民主主義という原則一つ問題が引つかかるのじやないか。  第三の問題は国家主権、日本国家主権ということは非常な努力の結果、これは今度の條約の中に明記せられることになつたと承わつておりますが、果して国家主権が駐兵その他の関係におきまして果して完全に日本に回復せられるのであるかどうか、日本に回復せられまずところのこの自主権なるものが、この條約の下において、果して日本国家の主権性を復興せしめるものであるか、今まで眠つておりました、ポツダム宣言以來永眠状態、冬眠状態におりましたこの日本の主権というものが、冬眠から醒めて本当の主権性を持ち得るのであるか、或る種の自主性というものはもとよりすでに持つておりまするし、今後拡大されて参りましようが、この條約が承認せられて効力が発生した後の日本に、果して主権ありということが言えるであろうかどうか、こういう問題が関連して参ると思うのです。この三つの観点から総合的にこの條約を眺めて参ることは、これは立憲制という立場において重要なこであろうと思います。そうしてこの條約の内容の一々について更に次に検討して参りますると、大体におきまして私は六つの疑問点、六つの点というものを御参考までに述べてみたいと、こう思うのでございます。  その先ず第一の点は、條約が交渉されて今日に至りまして、調印に至りました手続の過程、日本の側の手続過程がそういう三つの原則、特に民主主義、憲法が要求しておりまする民主主義に副うてこの條約調印過程というものが進められて來たかどうか、こういう問題が第一の問題、先ずこれを、時間が非常に少うございまして私の問題は一時間くらい要るのでございますが、只今承わりますと三十分ということでありますから、十分意を盡すわけには参りませんが、概略申上げたいと思います。で、その手続過程が民主的であるかどうか、こういう問題につきまして第一に挙げなければならない問題は、この交渉というものが常に言われておりまするようにダレス・吉田さんの線において進められて來たという、こういう交渉過程でございます。この交渉過程というものがどういうところへ非民主的なものを表現して來ておるかと申しまするに、例の駐兵の問題に早速これが関連をしているのじやないか。何となれば、駐兵ということは、アメリカ側では日本国民の希望であると、こういうことが声明せられておる。これは今春以來そういうことがしばしば声明せられまして、そうしてこれが條約を作る内容になつておる。で、国民の一般の要求も又アメリカの駐兵を希望する。こういうことについては、承わるところによれば吉田さんのほうから、当時そういう一札を入れたといる議会での御答弁もあつたように新聞で拜承しておりますが、ダレスさん及びアメリカ側のほうで申しておりまする駐兵の希望ということは、政府の希望ではなくして、私の承知いたしておりまするところによればそれは国民の希望、こういうことでございます。そこでダレスさんのほうでは、どういう態度をとつてこの国民の意向を検討されたかと申しますると、各方面中心的な団体、人々等にしばしば面接せられまして、可能な限り広く面接せられまして、どこに国民の希望があるかということを研究せられたように新聞を通して拜承しておるのですが、ところが、そういう手続を果して日本の吉田さんがなさつたであろうか、どうであろうか。そうしてそういうことを若しもなさらずに国民の希望であるということを表明なさつたといたしまするならば、そこに多少の独断のそしりが出て來ないか。こういう問題が先ず早速官僚主義的、非民主主義的、こういうところに関連を持つて現われて果ておるのだと思うのであります。もとより條約締結権は七十三條の三号によりまして、これは内閣の所管事項でございまするからして、この交渉過程において吉田さんがなされるのに一向差支はないだろうと思いまするが、併し広く国際的な各国の憲法の今日の組立というものも考えて見まするというと、宣戰と講和というものは議会の持つておりまする立法権と同じ手続でやるとすれば、ワイマール憲法の四十五條、ああいうようなふうに一般に民主的な建前でこれは取扱つて、それが要するに戰争防止一つ方法であり、こういう国際的な一つの傾向となつておるわけである。でありますからして、軍国主義を否定し、戰争放棄をした日本としては、成るべくこの宣戰、講和、特に講和の問題につきましては、これは国民の意図を十分に斟酌いたしまして、政府の行為による戰争が行われないようにと、こう我が憲法が前文の中で声明しておりまする趣旨を十分に実現せらるる必要がこれはあつたと存ずるのであります。そういう点において、果して、このダレスさんは非常に十分の行為を盡されたと思うのでありまするけれども、日本の内閣側においてそれだけの親切な行動を取られたかどうか。これは單にそれが違法だ、法律違反であるとか、憲法に反するとか、こういう問題よりも、広く民主義的な政治をやる、官僚主義的な方針を取らない、こういう内閣の当然あるべき方針の上から見まして、この條約交渉の手続の中でそれが一つ私は遺憾なように感じているわけです。もう一つのこれに関連した問題は、甚だ遺憾にも亡くなられました例の幣原さんですね。幣原さんが御存命のうちにおいて超党派外交というものを進めた。私は幣原さんは対支政策としての幣原外交以來非常に尊敬申上げておるわけであります。さすがに長く外交界に活躍せられました幣原さんだけありまして、今度の重要な外交折衝においても、成るべく広く国民の意向を反映するという意味において超党派外交を主張せられたその先見の明を、今日に至つてますます私は感心しておるわけなんでございまするが、この超党派外交に対して、もとより社会党その他野党の方面においていろいろの難色はあつたにいたしましても、果して現内閣のほうでどういうふうな御処置をとられましたか。そこに全く無視されたわけではなかつたようでございまするが、若しも国民と一緒に広く各党を交えてこの問題を審議して行こう、こういう御誠意が……、と言うと余り政治的になりますが、そういう点におきまして超党派外交なるものは非常によい企画だつた。これは野党の責任ばかりでなくして、やはりそういう意味において民主的にこの條約の交渉を進めて行く、こういう趣旨においてこの超党派外交というものが政府に取上げられて進められましたならば、もつとこれは野党をも納得せしめて可能になつていたのではないか。そして今日のこの重要な局面に当つて、與党、野党の分裂、こういう甚だ遺憾な情勢を作らずに済んだのではないのであろうか。こういう点、ここにやはり官僚主義と民主主義、こういう問題が一つ反映しておると思うのであります。  第三のやはりこの交渉手続の問題に関しまして申上げたいことは自主性のない対外依存的な外交というものは国家滅亡の端緒である。これはちよつと強い言葉を申し過ぎたかも知れませんけれども、すべて一つの政権にいたしましても、一つ国家にいたしましても、それが衰頽して行く兆候として、我々は歴史上しばしば見受けますることは、日本においてもそうでありまするが、幕末維新の過程においてその事実を見るのでありまするが、対外依存の外交政策というものはしばしば国家滅亡の危機を招く。むしろその国家権力というものが衰頽して行きまして、それ自身において国家を統制することができないような情勢に陷つて、自然外国の或るものと結合いたしまして、自己の権力の基礎を確立しようとする、こういう対外依存の政策というものが現われて來る。これは国家として非常に憂うべき方向でございます。そこで成るべく対外依存ということはできるならばやめて、そして飽くまで自主的な外交をやつて頂かなければならん。これが将來日本にとつて非常に必要なことである、将來日本の発展のために必要な一つ前提である、こういうことを我々は歴史の中で学んで來ておるわけでございます。それならば、どうしてこの敗戰日本がそういう対外依存を避けて、追随外交を避けることができるか、自主性外交をとることができるかと申しますれば、これは近代の政治の歴史が我々にしばしば物語つておりまするように、勢力の弱い国際的な国家の外交政策の要締はどこにあるかと申しますれば、国際的ないろいろの勢力関係をその国のために上手に乘切つて行く。ちよつと言葉は語弊がございまするが、諸勢力を上手に利用する、一つ勢力にくつつくのではなくして、いろいろの勢力の間を上手に乘切つて行く。むしろ一国に依存せずして諸勢力の間に上手な巧妙な外交を運んで行くということが、実にこの弱小国家の外交の要諦であるということを、我々は政治の経験の上から、歴史の経験の上から学んで來ておる。その一つの最もいい実例はイタリーの独立でございます。ドイツ、フランス、イギリスとこの三つの勢力の支配下にありましたイタリーというものが、近代の独立を完成いたしましたのは、実にこの三つの勢力をうまく乘切つてつた。これが一つの国に一辺倒の外交を傾けまするような場合においては、却つてその独立は阻害される、こういうことになるのじやないか。そういう意味におきまして、今日或る一部においてとられておりまするところの対米外交、対米依存外交やむなしということ、或いは他方において対ソ外交、対ソ依存外交やむなし、こういうことは共に日本のような立場の国の外交としては正しくない。よろしくない。こう考えるのでありまして、二つの大きな勢力の間に介在しておりまする日本の立場としては、その間に最も巧妙な外交的手腕を運営するところの一つの外交官が出現しなくちやならんのであるということを非常に我々は感ずるのであります。戰争の過程において、松岡外交であるとか、或いは枢軸外交であるとかいうことがございまして、私は現実にこれに反対をして参りまして非常な圧迫を受けたのでございます。そういう一辺倒の外交というものが如何に国家の政治の危機であるかということは、日本がすでに近き過去において身を以て経験しておるのでございます。そうしてこういうところへ我々は落ち込んでおる。これは実に外交がなさ過ぎる、自主的な外交がなさ過ぎる、なさ過ぎた、こういうことであつたと思う。それを私どもはもう少し考えなければならん。これがこの條約交渉手続の間において感ずる第三の点でございます。  それから、それとやはり関連いたしまして、日本自身の要求するところの外交政策というものと、アメリカ自身の要求いたしまする外交政策というものとは、おのずから相違がある、これは申すまでもないことであります。で、アメリカの中にもいろいろの立場がある。特に孤立政策であるとか、又アジア政策であるとか、対ヨーロツパ政策であるとかいつたような方向があるわけであります、路線があるわけであります。その場合において日本として考えなければならんことは、アメリカのアジア政策というものがこのままで一体いつまでも続けられて行くであろうか、どうであろうかということについての遠大な将來への見通しというものの下でこの平和條約というものが考えられなければならん。アメリカ内部の将來アメリカの外交を指導すべき勢力の動き、考え方の動向というものの基礎の上において、日本日本の外交というものを処理して行かなければならん。こういうことでございます。そういう意味において、日本の外交官といたしましては、外務大臣といたしましては、不必要に一方に片寄つて相手方を誹謗する、相手方に非常な刺戟を與えるというようなことは避けるべきでありまして、さつきから申しますような意味において円満なる各方面との折衝ということが非常に必要になつて來る。その中に日本の行くべき独自の方向を発見して來る。発見して來るだけではなくして、国際諸勢力の中に日本として進むべき一つの地歩というものを、弱小国家ながら徐々に確立して行く。こういうことが最も必要であるのでありますが、果してそれが十分なされておるか否かということをこの條約の交渉過程において感ずるのであります。  第二の問題は、部分講和、全面講和に対する部分講和ということでございまするが、この部分講和というものが果して日本のために妥当であるかどうかという問題でありますが、これにつきましては、先ず第一の論点といたしまして、国連憲章の精神というものを我々が考えまする場合に、武力を放棄した日本としては、これをどう取上げるべきであるか、こういう問題であります。その場合において、ここに論点になりまする問題は、要するに集団保障ということが問題になる。国連憲章はそれを規定しておる。日本でもこれを尊重したいのでございまするが、その集団保障の場合に考えなければならないことは、この国連の集団保障というものと、その国連憲章の規定の中で許容されておりまするところの地域的取極と称しまするいわゆる地域的集団保障、個別的、地域的集団保障、これは地域的取極、こう申したほうがよろしいのでありましようが、この地域的取極的な保障、それから国連それ自体としての保障というものを、これは国連憲章の中ではちやんと分けて考えております。例えば国連憲章一條とか、四十三條というようなものは、これは全体の組織において保障し得る。現に朝鮮動乱へ関與しておる。これに反しまして憲章の五十一條、五十三條は、地域的取極の方面関係をしたもので、今度の日本の部分講和の内容は、この地域的取極の基礎の上に立つておりまするところの自衛権の保障、こういうことになつておるかと考えるのであります。ところがこれは武力を持ちまする国連加盟国の自衛権の保障といたしましては、或いは考え得ることであるかも知れません。現に北大西洋條約のごときは、そういう形で現われて來ておりますが、これすら北大西洋條約というものがソ連の膨脹を防ぐ、こういう意味には役立つておるにいたしましても、将來ソ連対自由主義諸国家との戰争というものの勃発の危機を招きはしないかということを考えて参りますると、北大西洋條約のような地域的取極が、将來世界分裂、数三次世界戰争の危機への一つの足場に、基礎になりはしないかという危惧が持たれる。いわんや日本のように武力を持たないで自衛権の平和的手段による保障を必要といたしまする国においては、そういう戰争の危機を招くかも知れないような地域的取極による保障でなくして、国連の四十一條、或いは三條等が要求しておりますところの国連全体としての保障の基礎に立つべきであろうと思う。こういう意味におきまして、日本の自衛権の保障が、武力的保障が必要であるといたしまするならば、国連全体の決議に基く武力の保障の上に立つべきものであつて、地域的取極、即ちアメリカ日本、或いは将來太平洋保障條約、こういつたような地域的な保障、これはもとより国連憲章の認めておるところではあるのでありますが、日本武力を持ちませんからして、そういう関係ではなくして、全体の立場においての保障の基礎の上において、日本の自衛権というものを守つて行く、こういうことが必要ではないかと感ずるのであります。これはどういうことを、更にその意義はどこにあるかと申しまするならば、地域的取極は各国武力を結合する、結集することによつて侵略攻勢への防衛力を強める、こういうことになるわけなのでありますが、併し日本のように武力を持ちません場合は、それに参加することができません。從つて地域的取極の上に立つて日本の自衛権を防衛しようと、こういたしまする場合においては、自然、地域的取極に参加しておりまする部分的な国家日本の領土を利用する、基地を利用する、或いは日本武力を提供する、こういうことになつて、相手側と戰争する、或いはその他の防衛工作をやる。そういうことになりまして、自然、日本というものが国際分裂の渦中に捲き込まれるという虞れが、これは明日にある。すでにこれは事実になつておるとも考えられますが、そういう意味におきまして、武力なき日本といたしましては、地域的取極としての安全保障には参加すべきでない。国連の全体的保障の基礎の上において自衛権を飽くまでも平和的手段によつて確保する。これが国連憲章に対する日本の特殊な立場の最も正しい関係であろうと考察いたします。  それから第二の問題は、この條約がアジアとの分裂、これはさつきからいろいろ問題になりましたが、アジアとの分裂の立場を日本に持ち來たす。即ち今日アジアはさきから申されましたように、第三勢力としてだんだん抬頭しつつあります。もとより日本がすぐこの第三勢力に参加するか否かは別問題といたしまして、日本はアジアから離れては、その国家的立場というものが決して幸福ではない。こう考える。のみならず日本が最も今後なさねばならんことは……、なぜ日本がアジアに対してなさなければならないかと申しまするならば、日本は過去において余りにもアジアに多くの罪を犯したからであります。即ち今日我々がその罪を贖わなければならないところのものは、アメリカに対してではなく、ヨーロツパに対してでなく、或いはソ連に対してではなくして、実にアジア諸国家に対してである。中共の、今日は中共でございまするが、中共政府なり或いは南方アジアであるというふうな諸国家に随分御迷惑をかけた。その御迷惑を今日我々がお償いをすべきだという方法は飽くまで我々がアジアと行動を共にして、今度は正しい平和な立場においてアジアと共にやつて、アジアの経済的復興のために努力し、そうしてできるだけ日本の力を提供して行きたい、そうしてアジアから世界平和への一つの曙光が現われて來るような努力を我々はしなければならない。ただ利害関係の立場のみならず、そういう一つ日本の軍国主義の犯した罪の贖罪、こういう意味において我々はアジアと分裂すべきではない。いな、アジアと対立する権利は日本には少しもない。むしろ我々はアジアと結合しなければならない重大なる責務と義務とを負わされている。それから第三の問題といたしまして、この部分講和というものがむしろアジアに対する日本の前哨的な基地、将來戰争が勃発いたしました場合において、このアジアに対する戰争の基地化する脅威がある。これは今も申しましたところと非常に残念ながら矛盾することになります。のみならず日本そのものが、もうこれからは戰争の惨禍というものは御免だと皆考えております。その事柄が果たしてこれによつて実現できるかどうか、こういう問題。この三つは今部分講和そのものと関連しておりまするが、こういう点から部分講和そのものが内容的に一つの遺憾なものな持つておる、こういうことであります。  そこで然らばどういう方法をやるのかということでございまするが、私はそこで中立ということが可能であるということを一つ申さなければならんことになつて來ている。それならば、先ず日本が叫つの勢力に結び付かんで各方面に折衝して行く、その可能性が果してあるのかどうか。こういうことでございまするが、それは私はあると考えるのです。この第一の理由は、日本の地理的條件であります。日本の地理的條件は丁度こういうところでございまして、どちらにくつついても工合の惡い所におるわけであります。特に日本のこの軍略的な、戰略的な立場から申しましても、日本防衛というものは日本だけでは防衛できない。即ち兵隊さんたちの申しまするように、戰争のためには縦深、縦の深さというものがいるのでありまして、日本防衛するために大陸が必要になつて來る。このアメリカ日本を今後防衛することになりまするというと、太平洋からアメリカに亘るところの深い縦の深さというものができまして、これで防衛せられることになるわけでございまするが、この太平洋を中間に挾むところの戰略的縦深線、即ち軍略路線というのは果して戰争の場合にどれだけ役立つのかということについて私どもは非常に危惧を持つのであります。即ちここにアジアを中心としての第三次戰争が勃発いたしました場合に、太平洋を中に挾んだアメリカ日本防衛というものが、どれだけ役立つのであるかということについて我々は非常に危惧をする。又これを反対側から考えた場合に、反対側もその点においては余り違つたものではない。反対側もここに広い大陸基地を持つておりまして、むしろ北極を中心としてアメリカ大隅とヨーロツパ大陸との戰争が行われるほうがむしろ有利である。日本というものを確保して、これな前哨線として戰争をするということになりまするというと、これはソ連側にとつても非常に負担になつて來る。シベリアを通して日本まで軍需品を輸送して來る、そうして日本にいろいろな物資を與えなくちやならん。日本が十分に軍需生産の基礎を持つておればいいのでありますが、日本は人口が多いだけであつて、又技術を持つているだけであつて、資源がないということでありまするからして、從つて動力もない、從つてこの日本防衛するということは両側からとつて非常な負担である。でありますからして、むしろ日本はどつちからも戰争せずに、これは緩衝地帶としておいて、そうして戰争の場合には別の所で以て戰争する、こういうことについては、これは極めて大きな可能性が私はあると思います。そういう可能性の中に日本がわざわざ介入して痩腕を振うということは、非常に日本として不利な役割を演ずるものではないかと思うのであります。それから今日すでに朝鮮動乱が始まつておるのでありまするが、この動乱はどうしてもこれは解決せられなきやならんものである。アメリカソ連もこれを解決しようと努力しておる。これはなかなかむずかしい問題になつて來ておるということは、要するにそういう戰争の問題がこれに関連して來る。マツカーサ元帥がすでに満洲爆撃を要求いたしましたが、満洲爆撃だけでは片付かないのであつて戰争で以て、武力で以て、この問題を解決しようとすると、今の矛盾がどうしても現われて來る。これは一体どういうところからそういうことになつて來たかというと、アメリカの……フランクに申上げますが、誤解のないように願いたいのでありますが、アメリカのアジア政策の矛盾が現われて來たのだと思う。第一にアメリカは戰後において国民党を助けて参りました。ところが中共の政権ができて、アメリカの意図と反する中共がだんだん勃興して來たのであります。そこでアメリカは自然にここから後退をいたしまして、いわば放棄した形になつておる。放任して将來の出ようを眺めるというところに來ておる。それと同じ関係において、ここに朝鮮問題が追つて來ておる。すでにアジアの大陸というものは、アメリカだけでは処理のできない一つ情勢に陥つて來ておる。これは表現の語弊があるかも知れませんが、アメリカのアジア外交政策の矛盾がすでにそこに現われて來ておるのでありまして、アメリカもこの外交政策をどうしても転換しなければならん一つの時期に到達して來ておるということが言えるのであります。そういう意味におきまして、我々は日本の立場としてアジアの平和を主張し、日本の平和的なアジアにおける使命というものを高く主張いたしまして、ソ連アメリカに呼びかけるということは、これは大いに必要なことであるのみならず、それは可能性を十分に持つておる。今アメリカソ連軍備に対抗するために軍備拡張を一生懸命やつておりますから、甚だそういう声は聞きにくいかも知れませんが、フランク我々は言わなければならん。そうしてアメリカにおける平和主義者、これはすでにこの夏、スイスにおいても、或いはカナダ、アメリカのクリスト教会においても平和の声明をしておる。日本の再軍備及び日本の駐兵にはアメリカ側でも反対しておる勢力ちやんとあるのでありますからして、そういう勢力に呼びかけて、日本を飽くまで平和的な国家として守り立てるようなアメリカの輿論というものを、日本の外交官なり国民なりが喚起して行くこの努力が少しもなされていない。又我々は過去においてそういう努力をなそうとしても、民主的な言論の自由や国民の自由を許されていなかつたということを申上げておきたい。  それから第四の問題でありまして、自衛権の問題でございますが、自衛権というのは今日ではいろいろ変遷がございまして、御承知のように侵略戰争だけをしない、こういうことはすでに十九世紀から各国の憲法に明記せられて來ておる。ところがその後の国際連盟や、或いは不戰條約等におきましてだんだんこの戰争防止の組立が発展をいたしまして、そうして自衛権という規定ができて参りました。この自衛権では侵略戰争を防止するだけではなくして、成るべくその防衛をするのには平和的な手段で国際紛争を解決しようという建前になつておる。そこで自衛権は非常に制限せられておる。即ち国連に届出をしてまだ十分に処置が講ぜられない間に相手方が武力侵略を犯しました場合に自衛権の発動をして武力的抗争を許す、こういうことに今日の国連の規定にはなつておるわけでありまするが、日本武力を持たない。武力を持たずに自衛権を防衛して行こうということは、国連憲章の第一條及び第二條に明記されておる。国連憲章の最も理想とするところなんであります。止むを得ず最後の場面において戰争的な手段を認めておるのでありますけれども、平和的手段が実に国連憲章の理想である。そういう意味において日本戰争放棄の規定というものは、最高の国連の理想をここに表現した唯一の実例でありまして、その意味におきまして国連を育てて行こうという前提の下においては、日本のこの第九條というものは、これは飽くまで守り拔かなければならんものであると思うのであります。のみならず今日現実に武力日本が必要とするところの脅威が、外來の脅威が当面存在しているか否か、こういう問題でありまするが、私はそれは存在していないと考えられます。で、先ず第一、直接侵略という問題と間接侵略というものがございますが、先ず直接侵略というものを考えて見ますと、直接侵略の今危惧の対象とに、疑念の対象になつておるのは共産主義でありますが、共産主義の綱領の中には民族自決権というものを認めておるだけである。民族自決権を支持する民族主義の中において民族自決主義は飽くまで武力に訴えてでも支持するということでありますが、民族膨脹主義は飽くまでこれに反対するということが、これが共産主義の建前であります。でありますから、朝鮮動乱にソ連が大いに援助しておる、中共が援助しておる、これは当然の、朝鮮の民族自決を支持しておるわけでありまして、これは共産主義の当然の行動でありますけれども、これが更に進んで、統一して平和にやつている日本を突然侵略して來る、こういうことは、これは共産主義の建前からあり得ない。若しもそういうことをやりましたならば、これは共産主義というものはお終いでありまして、世界から姿を沒して行く端諸になると思うのであります。それにもかかわらず、若しも日本に駐兵をしてここからその民族自決の共産主義戰争というものを妨害する勢力が現われて來る、日本が軍事基地になるということでありますれば、止むを得ず日本を攻撃しなければならん、日本を攻撃するのではなくて、そういう武力を攻撃しなければならんことになるという意味におきまして、共産主義の危機というものは、そういう意味において、今日駐兵において仮定せられまするが、駐兵がなくなれば、日本が飽くまで平和的手段というものを建前として行きますならば、直接的な侵略の危機はないと、私はこう判断をするのであります。これに対しまして、間接侵略と呼ばれておりまするところの内部の共産革命の危機というふうなものは、これは革命に軍隊を用いるということは許すべからざることでありまして、革命を抑えるために軍隊を強化して行くことは、ますます革命勢力も惡化せしめ、革命を武力化、暴動化して行くところのものでありまして、且つ若しも革命というものが必然的になつたといたしまするならば軍隊があつてもそれは役に立たない、又革命は今必然的でないにいたしましても、軍隊がそれを抑圧するという態度をとりまするというと、その勢力というものはますます武力化して治安をますます惡くして行く。そこで共産主義勢力国内の勃興を抑えるということでありまするならば、これはできるだけ経済政策、政治上の問題とか、ブロツク的な工作以外の方法を以て抑圧せられて行かなければならぬ、ここにも我々が戒愼しなければならん官僚主義的なそういう運動の取締というものは、却つて国内の治安を惡化せしめて行く民主主義と官僚主義の問題が見出されると思うのであります。こういう意味におきまして、私は当面には危機は存在しないし、国内の問題ももつと別な方法でやつて頂かなければならん、こういうふうに考えております。  それからまだあるのでありますが、駐兵、第五の点といたしましては、今申しまするように駐兵は戰争の危機を招く、こういうポイントでございますが、時間がございませんから簡單に申しておきますが、若しもアメリカ日本の内地に駐兵をするということでありまするならば、琉球の信託統治というものは不必要なんじやないか。最近の軍事家の戰略論によりまするというと、原子、水素爆彈の発達によりまして、沖繩のようなああいう小さい島々はこれは一遍で崩潰してしまい、役に立たない。そこで日本のような、要するに不沈戰艦を必要として、これを基地とすることが必要になつて來ておると言われておりまするし、なお且つ片方は国際的な防衛の基地であり、日本には日本の自衛力の防衛の基地であるという違つた要求がもとよりあるにはあるのでありますが、今度の安保條約によりましてはこの二つの要求を駐兵によつて満たそうとしている。即ち琉球に要求されておりまする国際的侵略防衛というものを国内の治安の防衛と引つつけて米国の日本駐兵の中にも織込んで、その目的を安保條約の中で認めておる。そうだといたしまするならば、琉球の信託統治というものはこれは不必要になつて來る。日本全体、琉球も含めて日本全体を基地としても一向差支えない。何故にあそこだけ特別に信託統治とする必要があるかどうかということをアメリカ側にお尋ねをしたい点であります。のみならず、この信託統治の制度を御研究になつた人は御承知のように、国際連盟の規約においては信託統治地域は武裝することができなかつた。ところが今度の国連の規定においてはこれに武裝することができる。特別に信託地域という制度を認めたわけです。そこで平和條約を見まするというと、この琉球の放棄に関する條項の中にあつたかと思いますが、アメリカ将來国連に向つて要求すべき内容のことについては一切合切これは日本がこれを了承することを認めている。こういうことが婉曲に書いてあります。即ち琉球は特別な武裝を持つた信託統治となることが大体想像せられるような文面がこの條約の中にはある。のみならず現に我々は新聞を通して知りまするところによると、琉球は占領軍基地として武裝を強化しているように聞いている。この規定の文面からいたしまして、今の点が、日本とそれから琉球との関係というものを二つつた方式で以て基地にする必要がどうしてあるのであるか、こういうことが疑問になる。それから駐兵というものと関連いたしましては、さつき初め申しました主権に当然この問題が触れて参りまして、財政と外交と軍事、この三つのものを持たない国家は政治的にこれは主権を持つとは言えません。法律上の概念としてはいろいろ抽象的な説明があると思いまするが、政治諭的な説明といたしましては、財政、軍事、外交というものを持たないところの主権国家というものはあり得ない。もとより日本武力は持ちません。武力は持ちませんけれども、外国武力によつてこの軍事力を賄うという場合においてはこの主権の問題というものが非常に疑問になつて來るのであります。曾つてのエジプトあたりのような保護国的な存在に考えられはしないか。この條約は日本の主権的立場とアメリカとの対等の立場で締結せられると言つておりまするけれども、これは表現だけでありまして、実質的には一向日本は主権国家らしくならないということであります。そういう意味におきまして、この條約は先からたびたび言われましたように軍事同盟ではあり得ない。武力を持つておりまする国がアメリカの基地を認めるというような場合とは非常に違うのであります。その最も大切なる主権的な基礎をなしまする軍事力そのものを外国武力に依存するということになるのでありまするからして、形式的には対等でありましても、実質的には主権を持たないものと主権を持つものとの間のこれは保護国関係的な條約であると申さざるを得ない。主権という言葉がここに挿入せられたことを以て我々は満足することはできない。その文句に相応するだけの実質的な主権国家たることを日本国民が要求するのに、その原則が認められた以上は、それに相応する実質を我々が要求するということが必要なことではないかと思う。  それから最後に行政協定の問題について。これは曾つては大正七年の軍事産業動員法、近くは日華事変中の国家総動員法の古い帝国憲法の第九條のいわゆる委任命令権、この委任命令とよく似た構成を持つておりまして、即ち一見戰時事変の場合においてはあらゆることを行政機関が立法することができる、即ちこれを名付けて法律的命令、法律的効力を持つている命令と言う。これはヒツトラーの場合においてはグライヒシヤルツング、授権法というものによつて行われ、又ムツソリーニもイタリアの独裁法によつてそれを獲得いたしまして、このフアツシズムの立法関係というものはみんなこういう方式によつている。これは皆さんの国会が持つていらつしやるところの立法権を行政機関に委譲する。從つて形式は政令になりまするけれども、実質はこれは立法的な内容、法律的な内容を持つべき性質のものであります。これについて何らかの説明があるとかないとか、民主党の要求しておりますように説明のあるなしの問題ではなくして、例えばエキセントリツクーアテイチユードであるとか、それから軍需品の輸入関係であるとかというような問題について、日本の統治権の国権の及ばない、司法権、行政権の問題が当然起つて來るのであります。この問題を行政立法に委任するということは立法機関の非常な冒読である。立法機関においてはどういう場合にアメリカ軍人との紛争を解決するか、或いは輸入はどういうようにやるか、こういうようなことをちやんと明記したものじやなくてはならない。こういうふうな意味におきまして……。  それで最後に、この二つの條約というものは、二つになつておるのでありまするが、安保條約というものは、平和條約の五條、六條を根拠としてできておるのであります。若しも安保條約だけ否定してそうして平和條約だけ認めようということになりますと、五條、六條の或る部分を削除しなければならんのでありますが、講和條約というのは修正承認ということはできないというふうに聞いております。若しもそうであるといたしまするならば、修正のできない平和條的であるならば、こういうふうなものはやはり私は認められない。そういう意味におきまして、平和條約も安保條約も両方これは認めるということは、日本の……、さつき申しました意味においてどうであろうかということを極めてフランクに申上げました。私は学者として申上げました、或いは問題が政治でありますから、政治的な批判になつたかと思いまするが、或いは特にそれを支持なさつていらつしやるかたには甚だフランクに申上げ過ぎた点があるかと思いますが、これは学者の言でありまして、お認めを願いたいと思います。(拍手)
  53. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 伊藤、今中両参考人に対して御質問がありましたら御発言願います。
  54. 一松政二

    一松政二君 ちよつと今中教授に伺いたいと思いますが、両條約を認めないで、現在の日本の立場或いはあなたの見解からしてこれを認めることは甚だ面白くない。然らばこのまま占領を継続されることのほうがいいという結論になるのか、その点ちよつと伺いたい。
  55. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) それはさつきから申上げておりますように、まだ日本として盡すべきもつといい方法があると思うのであります。それでこの條約というものは、そのより盡すべきいい方法、手段というものをここで打切つてしまい、それを不可能にする、むしろそれをなさねばならん方法を非常にむずかしくする、こういう意味において、先に延したほうがいい、こう申上げたのであります。
  56. 一松政二

    一松政二君 然らばあなたはいわゆる全面講和論者と存じますが、全面講和論は、これから先、日本が努力の如何によつてはできるとお考えになつておりますか。
  57. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) はあ、できると、さつきそれを証言したつもりでおります。
  58. 一松政二

    一松政二君 そうおつしやられれば、それから先は議論になりますし、実際政治と学者との見解の相違もあなたは断わつておられますから、私ここであなたと議論することは差控えたいと思います。ただ実際問題としてはもろ世の中に論議を盡されていることを、多くの場合に仮定の上に立つたようなふうに私は伺つておりますが、もう質問はこれ以上いたしません。
  59. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) ほかに御質問がなければ……。
  60. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 今中教授にちよつと細かい点で伺いたいのですが、議会でしばしば本会議なり委員会で問題になつておることですが、外国の軍隊が駐在するということは必らずしも主権を侵害するものではない。殊に吉田総理なり或いは外務省の政府委員はそういう答弁をされるのでございますが、イギリスを御覧なさい。イギリスにはアメリカの軍隊が駐在しておりますが、これを以て英国の主権が侵害されたとは誰も考えないじやないかという答弁をされておりますが、これについての今中教授の見解を伺いたいと思います。
  61. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) それは、さつき、ちよつとそれに触れたと思いますのですが、スペインであるとか或いはフイリピンであるとか、英国であるとかいうようなところはちやんと軍隊を持つておりまして、それ自身の軍隊がございまして、そうしていわゆる軍事同盟の形でアメリカ軍がそこに位置をもらつておる。日本の場合はそうじやなくして、この安保條約にも認めてありまするように、国内の治安すらもこの駐兵軍が保障するといつたような形で駐兵が認められることになるのであります。ところで、この実例の対比が少し間違つていないか、今のそういうふうな例を持ち出して日本の主権が守られておる、こういう御説明は、その例が正しくないのじやないか、引例が正しくないのじやないか、これはさつき申上げた通りであります。
  62. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 大体御説明でよくわかつたと思うのですが、極く最近のイギリスの新聞なんぞを見ますと、こういう記事が出ているのですが、英国の飛行機を操縦している人は、あらかじめアメリカ軍の許可証を持たないと、英国々内の飛行場に着陸することができないということが決定されたようで、それは英国でまあ問題になつておるようですが、それは英国の飛行機を操縦している英国の軍人又は英国の民間の人もあるわけですが、それが英国々内のすべての飛行場に着陸する際に、アメリカの軍隊の発行した許可証を持つていないと着陸できない。それは英国々内にアメリカ人が非常に多くの飛行場を管理しているためにそういう決定がなされている。こういう問題が生じているのですが、それからさつき伊藤参考人のお話の中にも、いわゆる今お話の第二の点ですが、国内の内乱を外国人によつて鎭圧されるというようなことは、最近の国際法なり何なりの関係の上ではそういう場合があり得るというような、ヘーグなり何なりの場合にそういうことが考えられていたというふうに伺える御説明があつたのですが、只今のその二つの点ですが、いわゆるノース・アトランテイツク・トリーテイ・オルガニゼーシヨンと言いますか……、そのような範囲内において生じているそういうふうな問題は、やはり嚴密に学問的に見て、今御説明によればそれは主権の侵害でないというふうに解釈してよろしいのか、それともそこに何か新らしい問題が発生しているというようにお考えになりますか。  それから第二の点、いわゆる外国の示唆によつて発言するであろうというような内乱というものは、一種の侵略的な行為だというふうに規定され得るというように解釈することは可能でありましようか。その二つの点について学問上からの御意見を伺いたいと思います。
  63. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) これはむしろ国際法上のいろいろな実例の問題になるようでございまして、私はそれな非常に存じません。今日横田さんが見えるようなお話でしたが、そういうほうは私研究して参りませんでしたので、よく存じません。
  64. 吉川末次郎

    吉川末次郎君 今中教授とは十数年來の近ずきを得ておるので、最近数年間はお会いしないで、久し振りでお目にかかつたのですが、むしろ個人的に私はお尋ねするのが順序かと思うのでありますが、今のお話に関連して重大な関連性があるかと思いますので、私はこうした公開の席上でお伺いいたしたいと思うのであります。  それは大体今中さんがおつしやつたような御議論は、共産党の諸君が言うていられることに非常に近い点が多いのであります。從來私たちは、今中教授は政治学の学徒としてはそうでない方というように解釈して、あなたのお書きになつたものも私は今までたびたび拜見しており、又その学問的な御努力に対しては平素非常に敬意を表しておる者の一人でありますが、あなたが教えられた生徒の一人だと思うのでありますが、絶えず東京へ來るたびに京都から私を尋ねてくれる或る法学博士の男があります。あなたと同じ政治学の研究者でありますが、あなたのことを、そういう知つておる人々が來ると、これは非常にプライべートな話にになりますが、よくお噂しておるわけなんです。ところがその政治学專攻の一法学博士があなたの噂を私の部屋でしておりますときに、今中さんはこのごろすつかり共産主義になつてしまつている、こういうことなども話をしたのですが、どうかなと言つて、私も実に驚いておつたわけなんです。ところが昨日もあなたとお近ずきの河野密君とお話をしたのですが、そんなことを或る男が言つたがどうかと言つたら、河野君は、今中君はいいリべラリストだと思つていたがというようなことを昨日も言つてつたのでありますが、大体コミユニズム、共産主義というものについて、今のお話との関連性があると思いますから、基本的にあなたの御所見を簡單に、どんなにお思いになつているかということを一つ伺いたいと思います。
  65. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) いい御質問を受けまして、実は私に自分の弁明の機会を與えて下さつたわけですが、私ははつきり申上げておきます。私は満洲事変に反対いたしました。そのときに学校の新聞に、当時主張されていた民族主義というものをもうと正しい意味で批判して行かなければならない。即ち今のフアツシズムのほうで、軍部あたりで主張せられております民族主義というものには非常に不純なものがありますということを新聞に書きました。この新聞は発禁処分に会いました。そうしたら間もなく十月十七日の錦旗革命が起つて、それからいわゆる日本のフアツシズムが抬頭して、それからずつと彈圧を受けて來ました。それから枢軸運動が始まりまして、日独枢軸條約、同盟と三段に発展いたしましたときに絶えずこれに反対した。のみならず本を七冊ばかり書いて警告を発して來たのであります。このために軍部及び特高警察あたりからしばし彈圧を受けたのみならず、私の講義まで警察官が学生から借りて行つてこれをなして、中央の検事局に送致するというような、それを僞つて曲げて、私の講義通り少しも内容には……如何ようなものを発表して下さつて危險はなかつたのでありますが、そういうふうに非常に内外に彈圧を受けて参りました。そうして最後に私が朝日新聞社から出しました「政治学」という学術的な書物が、これは今中は民主主義者のはずであつたが、この本はマルキシズムであつていけないということで、これ又十六年に発禁処分を受けたのであります。これに関連をいたしまして私は学校を辞めたわけなんですが、そういうふうに外部で私をどういうふうに見ますかは私は意に介しません。私は学徒として飽くまで正しいところを主張して参りたいのであります。これがまあ国家にもお盡しするゆえんだと存じます。今日の講和條約、全面講和問題も、世間でどういうように御批評なさるか、皆さんがどういうふうにお受取りになりましたか、これは皆さんのほうで御承知のわけであります。私は学徒としてはそれは問題にいたしません。私が政治家でありますならば、皆さんへの反響を考えて、もつと有効なようにお話するかも知れません。私はただ正しいことを申上げ、皆さんがどうお受取りになりますかは皆さんの御自由であります。私はただ正しいことを申上げて來ておるのであります。
  66. 吉川末次郎

    吉川末次郎君 それで私のお尋ねした中にあつたと思うのですが、全体としてコミユニズムというものについてどうお考えになるか。いわゆるソ連の外交政策、この條約の審議についても関連して我々は物を考えて行かなければならんと思うのでありますが、ソ連の外交政策は、ソ連が持つておる共産主義、それから來る外交政策として生れて來るのでありますから、あなたが政治学の学徒として学者として、まあ世間ではあなたが全く前のデモクラツトでありリべラリストである立場から、今はマルキストになりコミユニストになつておると言つておる人があるのでありますが、それをどうお思いになつておるかということを、極く簡單な御表現で結構でありますが、共産主義についてどうお考えになつていらつしやるかということを一つ
  67. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) 共産主義につきましては、さつき申上げましたように、民族自決権は大いに共産主義側でこれを支持するということが本当の建前であります。けれども、それ以上に亘つて民族膨脹にまで共産主義というものが出て來ることはないと、私はそういうことを申上げたわけであります。この安保條約、平和條約に関する限り私ははつきり共産主義の立場を申上げたわけでございます。けれどもそれ以上に亘つて私自身のどういう立場をとるかという問題は、どうか私の教室にいらして私の講義を聞いて下さればわかると思います。(拍手)
  68. 吉川末次郎

    吉川末次郎君 私は別に今中さんの講義を今更聞かして頂く必要はないのでありますが、まあお答えはなくて結構でありますが、あなたの御講義を今更承わる必要はないということだけ申上げておきます。
  69. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) ではこの辺で休憩をいたします。一時間休憩いたします。    午後一時十八分休憩    —————・—————    午後三時三十一分開会
  70. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) では休憩前に引続き会議を開きます。  この際ちよつと御了解を得たいことがございます。本日の参考人の陳述が終りましたあとで奄美大島、千島、沖繩関係の三人のかたから意見を聴取したいと思いますが、御異議ありませんでしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  71. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) それではそのように取計らいます。松本さん。   —————————————
  72. 松本俊一

    参考人(松本俊一君) 私は松本でございます。本日は私をこちらへ参考人としてお呼び下さいましたのは、恐らく私が外務省で長く條約関係の仕事をいたしておりましたその関係上、この平和條約並びに日米安全保障條約についての私の意見を述べろという御趣旨だと思いますので、私も主としてそういう観点からこの両條約に対する意見を述べて見たいと思つて出て参りました次第でございます。  先般締結されました平和條約と安全保障條約は、いろいろな意味日本の條約史上から申しまして非常に重要な、或いは今までありました講和條約のうち下関條約であるとか、ポーツマス條約であるとか、いわゆる日本が勝ちましたときの條約と比べまして、今度は敗戰いたしましたときの條約でありまして、その意味におきまして今後長い間の日本の運命を決定するものでありまして、極めて重要な意義を有すると思うのでありますが、私は今度の平和條約並びに安全保障條約は、これを一体といたしまして、從來世界歴史上しばしば戰争後結ばれましたいわゆる講和條約とは非常に趣きを異にしておるものであることを痛感しておるのであります。と申しますのは、第一、戰後すでに六年以上の歳月を経ておる條約であるのみならず、その間日本を占領いたしておりました米国の代表する連合国によりまして、日本の内政各方面に亘つて極めて広汎なる改革が行われたのでありまして、その後に参りましたこの平和條約でありますからして、その性格はこの前の第一次世界大戰の後に締結されましたいわゆるヴエルサイユ條約とも非情に趣きを異にしておると思うのであります。むしろ私は、若し比較するならば、ヴエルサイユ條約の締結後、と申しますよりもその効力発生後約五カ年経ちましてできましたロカルノ條約に近いものではないかという感じさえするのであります。ヴエルサイユ條約は御承知通り当時のアメリカの大統領ウイルソンが親しくパリーに参りまして会議を主宰いたしまして、その結果できました條約でありまするが、ウイルソンの非常な理想主義に対しまして、当時のフランスの首相クレマンソーはこれは又徹底した現実主義と回しますか、ドイツに対する報復、並びにあわよくばドイツ民族を絶滅させてしまいたいくらいの意気込みを以てこれに臨んだのであります。そのために英の国代表でありましたロイド・ジヨージも、この二人の間を取り持つために非常な苦労をいたしまして、結局できましたヴエルサイユ平和條約は、ドイツにとりましては非常な不満、憎惡の原因となつてしまいましたし、又フランスにとりましても極めて物足りない、いつ又ドイツから報復を受けるかわからないような不満なるものとなつてしまつたのであります。つまりヨーロツパの大陸で戰いました両大国共に不満の條約ができてしまつたのであります。そのために、エルサイユ平和條約が実施されました後も、ドイツとフランスのみならず、戰争を一緒に戰いました英仏の間にも非常な紛争がありました。ヴエルサイユ平和條約のできました後、ロカルノ條約ができます間の五、六年間は、ヨーロツパは混乱の極に達しておつたのであります。丁度私はその時分に初めてヨーロツパに参りまして、当時の情勢を見ておつたのでありまするが、当時フランスは何を望んでおつたかと申しますと、言うまでもなくドイツの報復を未然に防ぐためにセキユリテイを求めておつたのであります。つまり安全保障を心から望んでおつたのであります。フランスの外交政策は殆んどセキユリテイを求めるという一点に集中した観があつたのでありまして、賠償問題を別といたしまして、当時ヨーロツパの情勢は如何にしてフランスがそのセキユリテイを確保するかということが第一の問題になつてつたのであります。なぜフランスがこういうふうな外交政策をとらざるを得なかつたかと申しますと、当時御承知のごとくフランスは大戰の結果非常に国力疲弊いたしまして、ドイツが再びフランスを攻撃するという恐れに日夜悩まされておつたばかりでなく、賠償問題につきましても、フランスの要求するところはドイツのなかなか容れるところとなりません結果、その点につきましてもフランスは非常な不満を抱きまして、この二つの問題を何とかしてフランスの思うように解決したいということを焦慮して参つたのであります。その基くところは何かと申しますと、これは結局ヴエルサイユの平和会議の結果できましたヴエルサイユの平和條約と、それから同時に調印されましたフランスの安全保障を確立した英米仏三国の同盟條約というものをアメリカが批准しなかつたためであります。フランスの当時の考えでは、若しライン河をフランスの東部の国境として確認できないのならば、せめて国際連盟に国際軍を作ることによつて自国の安全を保障したいということ、それができないならば、せめて英米両国から自国の安全を保障してもらいたい、つまり英米両国と三国の間に、いつか将來ドイツが侵入した場合には、英米はフランスを守つてくれるという確約を取り付けたいということを念願したのであります。そのためにできましたのが英米仏三国の同盟條約であつたのでありますが、これは御承知通りウイルソンがアメリカに持ち帰りましたところが、アメリカの孤立主義者の優勢に遂にウイルソンは屈伏いたしまして、この両條約共に批准を拒絶せられましたために、フランスは全く安全保障に関する安心を得られないという結果になつてしまつたのであります。そこでその後フランスはしばしば英国とも同盟の交渉をいたしましたけれども、英国は遂に最後の一点、即ちろフランスが攻撃されましたときに、自働的にこれを救援するために武力を用いるという一点につきまして、どうしても譲らなかつたのであります。そのために遂に英仏の間の交渉もたびたび回を重ねましたけれども、その結果を得られませんし、又国際連盟におきましても、この点について各種の委員会ができまして、いろいろな観点から今度は集団的の安全保障機構を完全なものを作ろうというふうにフランスは努力いたしました。フランスの狙いは、つまりフランスの領土が侵されるときには、英国を初め他の国がフランスを救つてくれるという確約を取り付けたかつたのでありました。これについては各種の法案ができたのでありましたが、併しながらこの法案はいずれもなかなか実を結びませんでした。併しながら遂に当時英国を主宰しておりましたマクドナルド首相の非常なる平和的の努力と、フランスのプリアン等の平和主義者の努力が実を結びまして、一九二四年には有名なるジユネーヴの平和議定書というものができました。今日になりましてこの平和議定書を見てみますと、集団保障機構としては誠に完全なる法律的の構成を有しておるものであります。これによつてフランスはその安全保障を全うしたいということを望んだのでありましたが、併しながらマクドナルドの政府はその後間もなく倒れまして、その平和議定書も遂に批准することなくして終つてしまいましたために、フランスの安全保障はその後暫らく又不安に陥つたのでありましたが、併しながらその当時からフランスでもだんだんドイツに対する賠償の要求を緩和しようという考え方が生れて参りましたし、又ドイツにおきましても、当時の外務大臣のストレーゼマンがヴエルサイユ條約の履行政策というものをとろうという決意をいたしまして、ドイツ国内に相当の反対があつたにかかわらず、ヴエルサイユ條約を成るべく忠実に履行するという政策をとつてつたのであります。そのためにフランスとドイツの間は漸次感情が緩和いたして参りまして、その間、英国のオースチン、チエンバレン外務大臣の努力もありまして、遂に一九三五年には有名なロカルノ條約ができまして、ドイツ、フランス、イタリア、英国、ベルギーの五カ国がこれに調印いたしまして、いわゆるロカルノ精神というものが強く叫ばれたのであります。このロカルノ條約と申しますのは、今も申しましたように、旧敵国であるドイツに対する怨みを英国もフランスも暫らく忘れて、これと手を携えてヨーロツパの平和を確立して行こうという政策でありました。これはドイツのストレーゼマン外務大臣の非常な功績でありました。その間ドイツ国民からは相当な迫害を受けましたけれども、敢然ストレーゼマンはこの政策に邁進いたしました。とにもかくにも一九二九年の十二月一日を以ちまして、ロカルノ條約はロンドンで調印されたのであります。私はこのロカルノ條約を持出しましたゆえんは、丁度このドイツのヴエルサイユ條約に対する不満と、フランスのヴエルサイユ條約に対する不満とが、ヴエルサイユ條約の効力発生後五年にしてロカルノ條約を以てとにかく融和を見たという事態は、ポツダム宣言を受諾いたしました日本が、その後このポツダム宣言を忠実に履行して参りましたために、今度のような平和條約並びに安全保障條約が生れたのと類似点があるからであります。つまり今度の平和條約はヴエルサイユ條約に比べまして、ヴエルサイユ條約は私は外務省へ入りました当時、その賠償條項に関する事務をいたしましたが、賠償條項に関してだけでも今度の平和條約全部よりもたくさんの條文があつたのであります。それくらい厖大な複雑な條約であつたのでありますが、それに比べますと、今度の日本に対する年和條約は極めて簡潔であります。なぜこんなに簡單になつたかと申しますと、この平和條約は、財産の問題、賠償の問題、その他を除きますと、殆んどそのほかは口カルノ條約が掲げておりますような日本とこの條約調印国との間の友好関係を増進させる趣旨の規定に満たされておるのでありまして、この意味におきましては、今度の平和條約はヴエルサイユ平和條約とは似ても似つかない形のものとなつておるのでありまして、むしろヴエルサイユ平和條約の中の極く一部分と、ロカルノ條約のような友好関係を規律する條約とが結び付いたような恰好になつておるのであります。今度この平和條約が寛大だということはその点から來ておるのであります。若しヴエルサイユ條約に比較するものがあるといたしますれば、そればむしろポツダム宣言並びにそのポツダム宣言から出されました幾多の連合軍最高司令官のデイレクテイブその他の命令、これらの集積したものがむしろヴエルサイユ條約に匹敵するものと思われるのであります。今度の平和條約は、その意味におきましては、日本におけるアメリカ軍が、連合軍が占領しておりました間の期間を、むしろ日本と連合国との間の友好関係を発展させる期間に置き換えまして、そうして今度は日本とこの平和條約の調印国の間に友好関係を増進させることを主眼とした條約ができたわけであります。この点ではむしろヴエルサイユ平和條約に比較せずに、ロカルノ條約に比較すべきものではないかと私は思つておるのであります。併しながらロカルノ條約のできましたときのヨーロツパと、今日の日本の置かれております東洋の地位とは、その複雑さにおいては比較にならないくらい今日のほうがむずかしい状態であるのであります。ロカルの時代には旧敵国で戰い合つたドイツとフランスが仲よくすれば、それで一応物事はその後はスムースに行くはずでありますが、今日におきましては御承知通り日本は、今度の平和條約において、日本が戰つた、最も長い間戰つた相手である中国が平和條約の会議にさえ招請されていないのであります。しかのみならずソ連邦も遂にこれに調印をいたさないばかりではなく、今度の條約を目して平和の條約ではなしに戰争の條約であるということを断言しておるくらいであります。その点から申しますと、今度の條約はロカルノ條約に対抗するもう一つのより大きな厄介な問題がその友好的な平和條約の彼方にあるということになるのでありまして、この点におきましては、今度の條約が極めて友好的であり寛大であるということをただ喜んでばかりはいられないことは、恐らくさんもよくお考えのことと思いますが、私は今度のサンフランシスコ会議の結果につきまして、最も短かい言葉で最も端的に批評したものとして感心して読んでおりますのは、丁度サンフランシスコ会議が開かれました当時、ニユーヨーク・ヘラルド・トリビユーンが「一九五一年」と題する論文を書いて、その拔萃が日本の新聞にも出ておりました。これによりますと、ヘラルド・トリビユーンはこういうふうに申しております。「今度の会議では一つの敗戰国が大多数の国によつて正当にして且つ寛大とみなされる平和の下に再生せしめられる。併しこのことは、他方において世界における二つ、否三つの相異なるイデオロギー的の確執が深められた結果になつておる。」こういうことを申しております。つまり日本に対しては極めて寛大な條約が結ばれたけれども、その結果として、二つ、否、三つの陣営の間のイデオロギーの争いはますます激しくなるだろうということを申しておるのであります。誠にこの通りでありまして、この三つと申しておりますのは、申すまでもなくインドがサンフランシスコ会議に出席いたしませんで、独得の立場をとつておることを指しておることはもとよりであります。こういう條約でありますからして、この條約の今後の運営その他につきましては、いろいろな問題が生じて來ることは明らかであります。併しながら私個人の意見を述べさせて頂ければ、日本としましては、もとより世界平和から生ずる全般的の対日平和條約が生れることが望ましいのであります。併しながら過去六年間のいろいろな事柄から結論いたしますと、全面講和ということは要するに講和條約をいつまでも結ばないという結果に等しいことになるのでありまして、誠に遺憾ではありますが、差当りはこの日本と友好関係を結んで行こうという国との間に、曾うてのロカルノ條約にも等しい平和條約を日本としては一先ず調印し、且つこれを批准して、これが受入れについてはできるだけの努力をして行くということが、差当つて日本のとるべき唯一の途ではないかと思われるのであります。  私は丁度終戰当時外務次官をいたしておりました。終戰につきます各種のいきさつについてもみずから体験したものでありまするが、終戰当時の私の感じを率直に申しますれば、当時五年後、六年後に今日のような事態が生ずるであるろということは私は実は想像しておりませんでした。もつともつと苦しい、もつともつと長い日本の暗い歴史が続くものと思つてつたのであります。そのときの感じから申しますと、今日の平和條約が結ばれて、來年の春には日本がとにもかくにも一本立ちになつてつて行けるということは、誠に有難いことと考えられるのでありまして、私はこれは、誰に対して感謝するとか、又誰に対してその間の苦しみの恨みを述べるということでなしに、こういう事態が生じたことは、日本としては私は誠に幸運であつたと思うと共に、その間の私は日本人の辛抱と努力には敬意を表さないわけには行かないのであります。成るほど今度の講和條約につきましては、経済上は賠償問題という極めて厄介な問題が残されております。又琉球、小笠原等の信託統治を日本が認めなければならないといつた條項も、日本人の国民感情から申しまして、又実際上これらの地域に住んでおる人たちのことを考えますれば、この條項日本国民として不満を有しない者は一人もないと思うのであります。併しながら、これも若しアメリカの指導者の日本の指導者に対する言明を信頼するならば、私は琉球、小笠原の将來についてもアメリカとしても十分なる考慮を拂つて、今度の講和條約の條項に対する日本国民感情については、将來必ずや何らかの日本国民感情を満足せしめるような措置をとつてくれるものということを、或いは私の空頼みかも知れませんが、私自身としては必ずそれが來るということを信じておる次第であります。又賠償につきましても、日本が今賠償能力ありやなしや、いろんな議論をする余地はありますけれども、とにかくにもフイリピンその他の国をこの平和條約に参加せしめるためには、あの程度の賠償條項を入れることが、ぎりぎりのところ止むを得なかつたものと考えるのでありまして、この点はアメリカとしましても最後まで極めて残念がつてつたことと思うのであります。これらの点につきましては、今後の日米間の友好関係の増進と、それから又関係国との間の交渉の結果によつて日本の財政負担、経済負担、国民生活の実情等を十分に考慮されて、私は必ずや日本経済を破滅に導くようなことにはならないものと思つておるのであります。とにもかくにもこの程度の平和條約ができましたことは、日本としては一応満足して、これを忠実に履行するという方向に向つて受入態勢を整えて行くべきものと私は信じておる次第であります。若しこの平和條約を結ばないとすれば、その結果は今の占領状態を続けるほかにはないのでありまして、これももはや日本人としても堪え忍び得ないところまで來ておることは、皆さんも御同感だろうと思うのであります。全面的に平和條約ができなかつたということは誠に残念でありますけれども、併しながら我々としてはこの程度で満足するのが現実の問題としては最上の方策だろうということを信じて疑わないものであります。  次に日米安全保障條約でありまするが、これにつきましては、先ほども申上げましたように、この前の戰後安全保障、即ちセキユリテイーという問題は、第一次欧洲戰から第二次欧洲大戰に至る二十年間のフランス外交の最も基本をなしておつたものでありまして、私はその間しばしばヨーロツパに参つておりましたので、これを親しく現地で見ておりましたので、その感を一層深くするのではないかと思いまするが、私はまだどうも日本人のこの点に対する感覚は相当鈍つておるのではないかと思われる節があるのであります。私いろいろ考えてみますると、成るほど日本人は長年の間アジアにおける非常な強い民族として、いわばアジア大陸にこちらから攻めるという恰好にはなつてつても、向うから攻められるという形になつたことは一度もないのでありますからして、從つて日本のこの四つの島の安全保障ということは考えたこともなかつた新らしい事態であるのでありまして、私は朝鮮事変が昨年の六月起きました以後、まあ比較的日本がのんきに構えておりますのも、一つは強大なるアメリカ軍がおるということと、それから日本が未だ曾つて大陸から侵攻を受けたことがない、その経験がないということの一種ののんきさが働いておるのではないかと、ひそかに思つておるのであります。併しながら日本の置かれております今の情勢をよく考えてみますと、恐らく日本歴史上未だ曾つてない重大な危機に直面しておると言つても差支えないのでありまして、日本安全保障ということは、実を言えば日本独立と同等に重要な問題でなければならないと思うのであります。  私は丁度終戰の翌年の六月の三十日に、「国際連合日本」という一論文を作りまして、今の国際連合協会、当時の国際連合研究会の機関雑誌に載せたことがあるのでありますが、当時はまだ憲法は草案でありまして、その年の十一月三日に憲法は公布されたのでありますが、そのときに私はその論説の中で、憲法の改正案の第九條、即ち戰争放棄の條項でありますが、これに関しまして三つの問題を提起して、それに対する私の考えを書いております。それを、私はここに参りますことを頼まれましたので、その論文を出して見ましたところが、当時私の書いておりますことは、丁度、今度の平和條約と安全保障條約で殆んど全部解決をされておるのであります。私の当時憲法の改正案の第九條について提起した問題と申しますのは、第一は、憲法第九條は我が国に自衛権をも放棄せしめ、防禦のための正当なる戰争をも不可能ならしめるものではないか。つまり憲法の第九條は自衛権まで放棄して、日本が正当な戰争をする場合にもこれをやることができないのであるかどうか。その次には、その結果、日本は国際的の安全保障を取りつけない限りにおいては、自国防衛を全うすることができないで、他国から侵略を受ける虞れはないのか。これが第二番目の問いであります。第三番目は、一切の戰力を廃止して交戰権を認められない結果、日本国際連合の加盟国として武裝兵力供出の義務を果し得ないから、国際連合の加盟を据否せられる虞れはないであろうか。この三つの問題を提起しておるのであります。  これは私が先ほども申上げましたように、終戰の翌くる年の六月の三十日に起草して自分で書いておりますが、この三つの質問に対しまして、私は自問自答しておるのでありまするが、この第一問につきましては、私は当時から、自衛権が国家固有の基本権であることは何人も争わないところである。不戰條約も、その文面には自衛権の規定はなかつたけれども、一般に自衛権の留保は認められたのである。併し自衛権はしばしば濫用せられたからして、国際連合憲章は、自衛権についてこれを国家固有の権利と認めつつ、濫用防止のため、その行使については飽くまで安全保障理事会の監督の下に置かれるように仕組まれているのである。憲法改正案第九條が成立しても、日本国際連合に加盟を許されるならば、第五十一條即ち自衛権の規定でありますが、第五十一條の制限の下に、自衛権の行使は当然認められるわけである。併しこれに対し、自衛権の行使は許されても、戰力がなくなればどうすることもできぬという議論も起り得るのであるが、国際連合憲章の前文に「共同の利益のための場合を除くのほか、武装軍隊が使用せられることなかるべきことを確保し」とあるように、各国安全保障に対する脅威を除くため、武装軍隊は国際連合の枠内でのみ使用せらるるのが国際連合の理想であるから、万一日本に対する侵略世界の平和を脅威して行われるような場合には、安全保障理事会は、その使用し得る武裝軍隊を以て日本防衛するであろうし、日本に対しては又適当な措置をとることを許すであろうと思われる。而してその場合の日本の行動は、交戰権の行使とは認められないであろう。こういうふうに当時考えたのであります。私の考えは、今日もこれといささかも変つていないのでありますが、ただ変つて來ましたのは、その後の国際情勢、並びに国際連合の運用であるのであります。つまり私の考えでは、憲法の第九條は自衛権を否認していない。併しながらこの自衛権は飽くまで国際連合の監督の下に嚴格に行使せらるべきものであるということがその第一であります。その第二は、日本が戰力がなくなつたために外国から侵略を受ける虞れがある場合にはどうするかという問題でありますが、これにつきましては、当時の私の考えでは、安全保障理事会日本の安全を保障してくれるということを考えたのであります。然るにその後御承知通り安全保障理事会は、ソ連のしばしば使いました拒否権のために麻痺されまして、その機能を発揮していないのでありまするし、又国際連合武力的な制裁を加えるために設けることになつておりました国際警察軍なるものも、今日までできていないのであります。こういう事態の下に、日本平和條約ができました曉には、自立して自分自分の国を守るということになりますならば、何か特別の仕組を設けて置かない限り、日本の安全は保障されないばかりでなく、日本の自衛権もこれを行使することもできない結果になるのであります。ころいう事態の下において、私は今度の安全保障條約は、そのギヤツプを埋めるただ一つ方法だろうということを考えるのであります。国際連合が完全に動いておれば、たとえ日本軍備を持つておりませんでも、日本の安全は守られるでありましよう。又太平洋方面においても、ヨーロツパと同様の北大西洋同盟條約といつたような比較的完全な集団安全保障機構ができれば、これ又日本はそれによつて安全を保障されることになるでありましよう。併しながら国際連合は不幸にしてその行動を麻痺させられておるのであります。又皆さんも御承知通り、サンフランシスコ会議の直前に、アメリカはフイリピンと、又濠州、ニユージーランドとそれぞれ別々に安全保障の取極をいたしましたけれども、これを打つて一丸として、その中に日本も加えた太平洋全般の安全保障機構というものは、まだこれらの国が日本に対して有する信頼感の薄いために、実現難の状態でありまして、その機は熟していないのであります。然らばどういう方法によつて日本の安全を保障するかと申しますと、結局日本に今まで駐屯しておりました米軍がその性格を変えまして、今度は日本安全保障をその任務とする軍隊として日本に駐兵するという方法が残されておることになるのであります。私は今度の日米間の安全保障條約はそのことを條約の形にまとめたものにほかならないと思うのであります。從つてその前提は、つまり日本に軍隊がないという事実と、太平洋方面国際連合による安全保障効力がないし、又全般的の安全保障條約も実現難であるという前提の下に作られたものでありまして、この條約そのものは、私ども長年條約を扱つて來た者の眼から見ましても、相当拙速主義と申しますか、いろいろここもこうしたらいいと思われる点がたくさんあるのでありまして、これは全然私の想像でありますが、恐らくこの原案を作りましたアメリカにおきましても、或いは国務省、国防総省或いはこの東京にあります現地の軍、いろいろな方面からいろいろな注文が出ました結果、妥協してこういうものができたと思うものであります。私も長年條約を扱いました経験上、そういういろいろな錯綜した利害関係を條約の形にまとめますときには、心ならずも極めて表現におきましても又條項の権衡におきましても不揃いなものができることをよく経験いたしておりますので、例えばこの條約の第二條を御覧になりますと、日本は第三国に対して基地を提供することができないということが突如として出ておるのであります。これはフイリツピンとアメリカとの間の軍事基地に関するアメリカ合衆国とフイリツピン共和国との間の協定の第二十五條と殆んど同様の規定でありますが、こういうものは突如として現われておることも、條約の全体の権衡からいうと非常に私ども奇異に感ずるのであります。その他いろんな点につきまして疑問もあるのであります。併しながら、要するにこの條約の趣旨としておりますところは、先ほども申上げましたように、日本の安全を保障する方法として目下唯一無二の方法であるということは、これは疑問の余地がないのであります。その意味におきまして、私はこの條約につきましても、日本としましては暫らくこれに從つて日本の安全を保障するという方向に向うほかないと思つておるのであります。  まだ申上げたいこともございますが、時間もありませんのでこの程度にいたしまして、若し御質問がございましたら御質問に答えたいと思います。(拍手)
  73. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 松本参考人は時間の御都合がありますので、今御質問がございましたらして頂きたいと思います。別に御質問ございませんでしたら次に尾形参考人にお願いいたします。   —————————————
  74. 尾形昭二

    参考人(尾形昭二君) 私は本日ここに條約に対する意見を述べる機会を與えられたわけでありますが、率直に申上げますと、私は非常に勝手が違うわけであります。と申しますのは、現在日本においてこの條約を我々国民の立場から批判する会合は全部禁止されております。例えばある町では條約を批判する会合を持つことにつきましては、武裝警察官が出動してこれを禁止するという状態になつております。この事実から見ましても、この條約が如何に日本の利益を無視しておるかということがはつきり見てとれると思うわけであります。つきましては私はこの條約がどういう見地から、我々日本人の立場からしますならば日本の利益に合わないかという点を申上げて行きたいと思うわけであります。  日本の利益に合わない点、これはたくさんあります。が併し私の最も重視します点は、この條約で果して日本独立が保障されるかどうかという点にあります。なぜなれば、我々が講和條約を結ぶという日本の目的は何にあるか。再軍備ということにありません。先ず第一に占領支配を解いてもらつて、我々が政治を我々の思うようにできるというそれ以外に目的はないと思います。即ち自主孤立を回復するということであります。若し自主独立さえ回復できまずならば、どこまでも日本の思うようにできる。ソ連や中国とも貿易をやろうと思うならばできる。安全保障の問題につきましても心配いりません。戰争をやりたくなければ、自主独立でありますから、おれはいやだということができるわけであります。すべての日本将來を決するには、果してこの條約において日本が自主独立を完全に回復したかどうかという点を見ればわかると思います。では、一体この條約において、日本の立場から見まするならば、日本独立が回復されるかどうか、私はされないと思います。  先ず第一に法律上の見地から見てみたいと思います。現在我々は独立国ではありません。なぜか、連合国の占領支配下にあると考えております。連合国は何か、アメリカだけではありません。降伏文書第一章にはつきり書いてあります。連合国は米英ソ中の四カ国、即ちこの中二人が占領支配をやめても、あとの二人は残つておるわけであります。そのソ連と中国の連合支配は依然として法律上続くということが言えると思うのであります。尤もこの点につきましては、政府当局においては、いろいろの御意見があるようであります。例えば対日理事会はなくなるのだ、モスコー協定によれば、連合国最高司令部は唯一のものであるから、アメリカの占領がなくなれば、現実の問題としてソ連中共の占領支配はなくなるという御意見があるようであります。これは三百代言的な議論であります。そういういわゆる手続の問題によつてソ連と中国が正当に持つている占領支配の権限がなくなるということは申すまでもありません。が併し現実の問題としましてアメリカが占領支配をしておるのでありますから、これがなくなつた以上は、私らとしましてもソ連と中国が積極的にここに連合国司令官を新たに置いて駐留するということはなかろうと思います。それを望むわけでありますが、かといつてソ連と中国が日本の占領支配を現実に放棄するということを我々が、日本国民が現実に考えてよいかどうかということであります。これは我々は放棄するということを望みたいのでありますが、ソ連と中国が放棄するということは、ソ連と中国自身がきめるべきことであり、我々はその放棄することを希望しているだけであります。彼らは何と言つておるか。この講和條約は無効であるといつておるのであります。その無効な條約によつてソ連と中国の持つている正当な権限が果してなくなるかどうか。私はソ連と中国に関する限り、向うの立場に関する限り、私はなくならないと彼らが解釈するのは当然だと思います。そうなりますと現実の問題としてどういうことになるか。例えば日本独立国になれば、いわゆるマツカーサー・ラインがなくなる。北氷洋にも北洋にも出漁ができる。領海には外国軍隊が入つてはならない。日本海にも出漁ができる。東支那海にも出漁ができるならば、又私は日本独立が事実上回復したと申上げてよいと思いますが、果してソ連と中国が自分の領域に関する限り、例えば北海道においていわゆるマツカーサー・ラインを解くかどうか。私は解かないだろうと思います。若し解くなれば、ソ連はこの講和條約の効力を認めたことになるのでありまして、ソ連の主張なす立場と相反するわけであります。從つて我々は、恐らくはマツカーサー・ラインを突破して、講和條約ができて日本独立国になつたからといつて、北洋に出漁し、或いは日本海に出漁することはできないだろうと思います。この限り我々は主権が制限されておる。絶対な自由の原則は、我々はソ連と中国に関する限りは認められないことになるわけでありまして、我々はこの意味から申しまして完全なる主権を回復したとは言えないと思います。が併しこれは余り大きな問題ではない。大したもんではない。從つてアメリカが占領支配をやめました以上は、日本は事実上一応主権を回復することができるということを我々は又同時に期待したいわけでありますが、果してそう問屋はおろすかどうか。事実上に我々は独立を獲得することができますならば、又私この條約を認めてもよいと思いますが、然らば事実上我々が独立が認められるかどうかという点を暫く見てみたいと思います。  先ほど來問題になつておりますところの日米安全保障協定、実は日米軍事協定と言えます。これはしばしば指摘されましたように、これによつてこの條約を見ましただけでも、日本独立国でないということがはつきり言えると思います。なぜならば日本日本に駐留する外国軍隊の管理下に置かれる。具体的に申上げますならば、━━━━━━━━━━ということを日本は認めておるわけでありまして、即ち日本に駐留する外国軍隊が、━━━━━ことができるというような状態の独立国は私には世界にあるとは思いません。こういう條約の下にある日本というものは、これは結局独立国じやなくして、その軍隊を駐留しておる国のこれは保護国、或いはそれ以下の、或いは從属国にほかならないと思います。決して独立国ではないと思います。勿諭條約の中には、駐留軍が日本人民に鉄砲を向ける場合は、日本政府の要請により、そうして又日本人民が外国の煽動によつて暴動を起した場合というふうにうまく作られております。このニつの條約がなければ、勿論こういう條約は結ばれません。從つてこれは單に駐留軍が━━━━━━━━━ということを粉飾した形容詞、或いは副詞でしかないということを我々ははつきり見て取る必要があります。從つて日本政府の要請により、或いは外国の煽動により日本人民が暴動を起した場合という、そういう副詞的なものは全部取つてしまつて、我々は、はつきりと外国軍隊が━━━━━というふうに我々が解釈すべきであろうと思います。  又第二に、日米安全保障條約を見て見ますならば、このような條約は、日本は独自で一方的に廃棄することはできない。少くも講和條約を結んだあとでアメリカとの間においては対等な主権者として結んだ以上は、我々に不都合になつた場合には、條約が不都合になつた場合には、当然に一方的に廃棄し得るという條項が入り得るはずであります。この日米軍事協定を見ましたならば、これは我々は一方的にこれは廃棄することができない。結局アメリカの同意を得なければ廃棄することはできません。いつまでもアメリカが欲する間だけ日本に軍隊を駐留せしめて、━━━ことができるという権限をアメリカがこの條約において持つておるわけであります。我々はこの点から見ても、この條約において日本独立国ではないということが言えると思います。が併し、若し又この場合日本政府のいわゆる自主性というものが完全に回復されるとしますならば、まだ只今申上げましたところのこの條約文に書いてあるところの日本政府の要求によつてアメリカ軍が出動するという條項を楯にとつて日本政府は自主性があつたならば、この要求をアメリカ軍の出動の要求をしないということができるわけでありますが、然らば日本政府はそういう自主性を今後この講和條約によつて主権を回復し得るかどうか。事実上の問題として私はできないと思います。何故かと申しますならば、先ず第一にこの日本軍事協定に基いて日本に駐留するであろう軍隊は、数が非常に多いということを国際情勢から我々は見拔かなげれはなりません。新聞によれば、約十万と言われております。この厖大な軍隊が日本に駐留していろいろな要求を持つて來ると思うのであります。而もこれだけの十万というところのものを置くアメリカの立場は、日本に関する限り非常な不安を持つておるということであります。從つてこの軍隊は非常におびえた軍隊であります。おびえた軍隊である以上は、いろいろな施設、道が一本あればそれも足りるのを、二本も三本も欲しいということを次に出して來るというような軍隊であるということを知らなければなりません。更に第三に、この軍隊の性質はどういうものであろうか。━━━━━━━━━━ということを我々は又当然なこととして頭に入れて置かなければなりせん。最近京城のタス通信によりますと、朝鮮戰線において、日本人が俘虜になつたそうでありますが、この俘虜の言によりますと、二千名の日本人が義勇兵として参加しておる。事実かどうか知りませんが、この二千名がどういうふうに配属されておりますかというと、二百人ずつ分けで韓国軍とアメリカ軍に配属されておる、こういうふうに言つております。こういうようにいわゆる彈丸除けに使う、いわゆる日本人の利益は第二、第三に考える軍隊であるということであります。若しそうだとするならば、厖大な軍隊それ自身が大きな要求を日本に持つわけであります。而もおびえた軍隊であります。次々と無限に要求を出す軍隊であります。而もその要求を出す場合に、日本の利益というものは第二、第三に置く軍隊であります。こういう厖大な要求を我々は受取らなければなりません。どれをどうして受けるか、いわゆる日米合同委員会であります。日米合同委員会は、新聞の伝えるところによりますと、日本側からは大蔵大臣、通産大臣、法務総裁、国警長官、海上保安庁長官という人が入るそうでありますが、これらのかたがたが厖大た注文を受けて來るわけであります。そうして、ごつそり日本政府に持つて來て、日本政府はこれを拒むことはできるか。こちらからお願いをなして、防衛をお願いした軍隊であります。それを損むことは我々の義理としてもできないことであります。これは全部承認しなければならない立場に事実上あるわけであります。としますならば、一体日本は政治上、経済上、財政上どれだけの自主性を持ち得るか、私は殆んど自主性は持ち得ない。現在と殆んど変らないと申上げても私は言い過ぎではないと思います。而もこの日米合同委員会の支部は各地に設けられるといつております。となりまするならば、いわゆる都道府県、市町村等々のいわゆる地方行政機関は、やはり同じ形において自主性は持ち得ないということを我々は今日からして見通さなければならないと考えております。その講和條約ができて、連合国司令官の命令がなくなつて日本政府は自主独立になつたと一応名目上は言えると思いますが、併しその瞬間に日米合同委員会の大きな注文がやつて來て、日本政府はこれを拒むことができない。現在とどう違うか。こちらから頼んで駐留してもらつただけに、現在よりも私はもつと惡いと申上げて差支えないと思います。而もまだこの場合、日本がその講和條約ができて、いわゆる日本人民の民主的な権利が保障されるならば、まだ私はこれを耐え忍ぶことができると思います。即ち言論、集会、デモ、出版の自由が完全に保障されるならば、我々はこれに対して、こういう政府に対して批判を加えることによつて、駐留軍のこの要求を最少限度にとどめることができ、その限り日本政府の自主性も又確保することができると思うわけでありますが、そういういわゆる我々の民主的権利が講和條約成立後完全に保障されると若し我々が考えるならば、これは我々が惡いということをはつきり我々は知らなければなりません。現に政府の発表するところによりますならば、いわゆる団体等規正法というものが制定されようとしております。これを見ましただけで、如何にここに日本人民の民主的権利が抑えられているかということがはつきり受取られるわけであります。而も吉田総理大臣の言明によりますならば、将來はいわゆる駐留軍の安全を保障するところの法律を出すといつております。こうなりまするならば、駐留軍に影響を及ぼす言論、集会、出版というものはすべて禁止されるわけでありまして、現在占領治下で占領政策違反といち名の下において言論、出版、集会の自由がない現在と一つも変りがない状態に我々は置かれるということを覚悟しなければならないわけであります。そうなりますならば、我々はいわゆる駐留軍の要求というものは、伺うが思うままに、黙つて何でもかんでも聞かなければならないという立場に我々は置かれる。こう考えますならば、この講和條約によつて我々は事実上の独立は、どこを見ても我々はない。我々日本の自主性というものはどこから衝いて見ても解放されないということをはつきり受取つて差支えないと思います。即ち講和條約、日米安全保障條約、そして団体等規正法というようないわゆる国内取締法律、これが実は三位一体をなして、講和條約成立後は恐らく日本及び日本人民の生活をがんじがらめに抑えつけてしまうということは、はつきり現在から言えるると思います。この意味におきまして、この二つの條約と、いわゆる団体等規正法の国内取締法は、私はこれは新らしい日本の我々の頭に残されるところの三種の神器であろうと、こういうふうに考えます。我々は再び三種の神器を奉戴して戰争に打つて出るか、それともこの新らしい三種の神器をお返し申上げて自由な日本を、道を切り開いて行くか、この岐路に我我は現在あると申上げて差支えないと思います。  では、一体これをどうしてそういうことができるかというような御質問がいろいろあつたと思いますが、これは我々の決意一つにかかつていると思います。イランを見ましても、エジプトを見ましても、民族の独立と利益を守るために、国民が一致して立ち上るならば、それはできないということはないということをはつきり証明しております。どうして我々ができないであろうか。それは我々がしないからである、我々ははつきり自己反省すべきであると思います。何故、じや我々はしないか。そこに大きな、我々の頭に大きな壁がのしかかつておる。何かと申しますならば、いわゆるソ連侵略して來るであろう、ソ連は奴隷国家であるという大きな壁が我々の目の前に押し付けられて來ておる。從つて侵略され、奴隷国家となるよりも、現在のほうがいいという考えの下に我々はなすべき努力をたじろいでおるというのが現在の日本における一般情勢であると考えるわけであります。從いまして我我としては、どうしても我々の頭に植付けられておるところの、拔け切れない感情というものを我々はもう一度反省して見る必要があろうと思います。この点につきましてソ連は果して侵略的であるかどうかという、この点につきましては、先ほども今中先生から一つの御説明がありました。或いは又、ソ連侵略的であるかどうかということを判断します大きな一つの標準としまして、社会主義経済と資本主義経済との差異というものもありますが、私はその方面に暗うございますので、これはただソ連が現実の問題として一体どういう国内態勢にあるか、別な言葉で申上げますならば、ソ連国内を見て、一体今戰争気がまえにあるかどうかということを御紹介して御判断の御参考にしたいと考えるわけであります。  現在ソ連国内を見まして一番私どもの眼に映るのは大建設をしておるということであります。例えば旱魃防止のために南ロシヤ一千万ヘクタール、ヨーロツパ全域に相当する地域に植林をしております。現在こういう仕事と取つ組んでおります。又中央アジアの砂漠地帶を、これを緑化するという大きな方針の下に大運河の建設に着手しております。こういう大きな事業と取つ組んでおります。又ヴオルが河河南に運河を作る、それからカスピ海と北のほうのアムダリヤとの間に運河を作るというような大きな仕事と取つ組んでおるわけであります。ソ連戰争に打つて出るという戰争に気がまえ、準備をなしつつある国であるとしますならば、恐らく私はこれだけの人手とお金と資材を食う大きな事業はしますまいし、又しようとしてもできないだろうと思います。又半面、皆さんもお聞き及びのように、戰後四回に亘つて物価の引下げをやつております。若しソ連戰争気がまえであつて、軍需産業に重点を置いて、力を注いでおるならば、当然に平和産業を犠牲にする。平和産業を犠牲にしますならば、消費物資の生産は頭を打つて、頭を打つて來れば物価を引下げるというようなことは、これは思いもよらないという点から見ましても、ソ連の現在の国内はどうしても戰争に打つて出ようという、そういう気がまえではない。戰争気がまえでないということは言えると思います。そればかりではなく、このようにして平和産業に力を入れる、大いに国民経済の全面的な発達を企図しておるわであります。その目的は何かと申上げますならば、現在は働きに応じて、それに応じて物を買取る、各個人が買うのだという社会主義の時代に、物をふんだんに作つて、そうして各人が好きなだけ、言い換えれば、ただで物がもらえる時代に一日も早く移ろうという、そういう努力の時代なんでありますが、現にモスクワとレニングラードの学者が、最近大きな会合を持ちまして、如何にして、いわゆる物の価格を外ずして行くか、パンから外すか、新聞、電車、郵便というものから外すか、それともずつと値段を全般的に下げておいて、一せいに物の値段を外ずして、そうして国民が欲しいだけ物をとれるようにするのかというようなことを、まじめに議論しなければならないというような、そういう段階に移りつつあるわけであります。この点から見ましても、ソ連における国内経済の発達というものは、こういう段階にあるわけであります。いわゆる共産主義社会の実現に、もう一歩というところに來つつあるわけであります。こういう社会を一遍にして吹つ飛ばすような戰争ソ連の指導者が出るかどうか、又国民としてももう目の前に見えておるこのいい生活を捨てて戰争に賛成するかどうか、私は恐らくしないだろうと思います。從つてソ連政府は国内におきましても平和運動を強化しております。よその国では平和を喋べれば彈圧されるこの時代に、ソ連におきましては、いわゆる軍閥禁止、反対の運動を大々的に展開しましたが、五大国平和條約署名運動を現在大々的に展開しております。そればかりでなく、職場を見ましても、デモのプラカードを見ましても、どこに行つてもただ一言、平和を守れというこのスローガンで塗りつぶされておる。いわばこれは平和精神作興激化の連続であるというふうに言えるくらいでありまして、どこから見ましても、ソ連戰争に打つて出るという気構えにはないというふうに私は見るわけであります。この国内情勢を見ますときに、ソ連戰争に打つて出ようとする、そういう態勢をとりつつあるのである、從つてこの運動に対して我々が防衛するということが大切である、力がなければほかの国と結ぶのが、それが日本のためであるという宣伝は、私はこれは為にする宣伝であつて、我々はこれに容易に乘ぜらるべきでないというふうに考えるわけであります。又第二に、我々はソ連侵略するであろう、して來るであろうという感じを持たされておる、直接の原因は何かと申しますならば、いろいろあるだろうと思いますが、終戰時においてソ連戰争に参加した、又朝鮮の問題もあろうと思います。併し、この点について私はこう考えております。こう見ております。終戰時において、成るほどソ連は拔き打ちに日本に関する限り参戰しましたが、併し一体なぜソ連は参戰したのか。これはアメリカの要請によつて参戰したのであります。そればかりでなく、ソ連が八月の九日に参戰した、如何にも土壇場である、けしからんやつという感じがありますが、これはヤルタ協定を見れば、決してソ連が勝手にこういう日を選んだわけではないのでありまして、ソ連はルーズベルトの要請に応じて参戰はするが、今ドイツと戰つてつて手一杯だから、ドイツが手を挙げてからのち三カ月以内に参戰するということを約束しまして、ヤルタ協定にも書いてあるわけであります。ドイツはいつ手を挙げたか、一九四五年五月九月、だから、それから三カ月後は八月九日になるわけであります。こういうことを見ましても、隙あれば勝手放題に戰争に打つて出るということは、我々は言うことはできないわけであります。この点からもソ連侵略的であるということは、やはり見当違いであるというふうに私は考えるわけであります。  然らば朝鮮問題はどうか、朝鮮で現にソ連は手先を使つて侵略しておるじやないか、誰が侵略したか。北朝鮮は戰つておる。これは国際法の普通の学者にお聞になりますならば、誰が侵略行為をしたと申しましよう。そればかりでなく、京城に入つて李承晩の居室から、秘密金庫から出した秘密文書を北朝鮮側がこれを発表しておりまするが、これを見ますならば、手を出したのははつきり南朝鮮側であるということはわかるわけであります。暫らくその点は別にいたしまして、仮に北朝鮮から手を出したとしましても、これはどこの国をも侵しておるのではない。これは飽くまでも、どこまでも国内問題でありまして、從つて北朝鮮が侵略したということは、為にする宣伝であるわけでありまして、その当然の結果、ソ連がやはり侵略的に朝鮮を侵略するのだという説も成り立たなくなるわけであります。では中共はどうしてしたのか、中共は侵略者と言われております。果してこれは正しいかどうか。中共は何にもやつていない。或る朝起きて見れば、外国の軍艦が來て中国本土と自分の領土であるところの台湾の交通を遮断した。翌日起きて見ると、満洲が爆撃を受けておる。これに対して默つておるという義務が中共にあるか。例えば日本外国の軍隊が來て、本州と四国を遮断した。この場合に、我々は宣戰を布告する。報復権を発動する。自衛権を発動し得ると思う。中共の朝鮮におけるところの武力発動は、正にその報復乃至自衛権の発動と我々は見るのが常識であると思います。從つて中共の側からの侵略もないということも我々は知るべきであると思います。このように北鮮において、共産主義者たちはどこにおいても、如何なる場合にも侵略行為をしていないと、出ていないと見るならば、これを以て、隙あれば日本侵略して來るであるろ、それを侵略者であるという説は、これは、為にするいわゆる宣伝であつて、我々はこれにごまかされてはならんというふうに私は考えるわけであります。然らば現実の問題としましては、日本が真空状態になつた場合には、ソ連が果して日本にいわゆる直接侵略をするかどうかという点、この同点も、常識的に見ますならば、私はあり得ないと思います。若しソ連武力を以て日本を抑えたとします。この場合アメリカが黙つておるかどうか。絶対に黙つておらん。默つておらない立場にアメリカがあるということを私は見拔かなければならない。若しアメリカが手を拱ねいてソ連のなすままに日本を任しておくとなりますならば、アメリカの権威は世界に失墜してしまいすし、ヨーロツパは崩壊してしまいます。從つてアメリカは当然にこれらに対して反撃を喰わして來る。これくらいのことは見通しのきくソ連と中共であります。十分に見通ししておる、としますならば、軽々に日本が真空状態になつたからと言つて武力攻撃に入る虞れはないというふうに、我々は一応現在の国際情勢から結論を下すのは常識であろうと思います。併しその場合といえども、或いはソ連が來るかも知れないという危惧があるかも知れない。その場合には、ソ連がこの危險を侵してもなお且つ日本を手に入れる利益がなければならない。どういう利益があるか、先ず戰略的に見ましても日本は一文の価値はありません。日本を基地にしてアメリカを攻撃する。地図を見てもわかる。ソ連アメリカを攻撃するに一番題かい距離はどこかと申しますならば、ヨーロツパから北氷洋を通るこの経路であもます。これは革命以來苦心をして気象のほうの研究ができておりまして、北氷洋には常備の気象観測所もあるわけでありますが、わざわざ危險を侵して、日本を取つて、そこから遠い距離にあるアメリカに攻撃を加える意思は今ソ連には毛頭ない。どういう必要で日本侵略しなければならない必要があるかというと、この場合のためでございましよう。ソ連にとつて日本経済、工業力が魅力であるというふうに我々は教えられております。併しソ連の現在の工業力はどういうものか。戰後二年間にして戰前の生産力を回復して、一千万動員を裝備し得る、装備を二年間で回復した。而も第四次計画の終りには、それを上廻ること七〇%、この国にとつてアメリカ戰争危險を侵して、日本の工業力を、日本を取らなければ、ソ連の死活になる問題とは私は考えません。こういう問題として、現実の問題として、日本が真空状態になつた場合に、ソ連日本にいわゆる直接侵略をして來る危險はないと我々は見るべきであろうと考えるわけであります。從つてソ連国内情勢からも、又いわゆる終戰時のソ連の行為、又朝鮮事変におけるいろいろのいきさつから見ましても、又日本自身のソ連にとつての価値から言いましても、真空状態になつたからといつてソ連日本侵略して來るという心配はないというふうに我々は判断して差支えないと思います。又このように判断すべきであろうと考えます。若し我々がこのように、いわゆる我々の頭の前に覆いかぶさつておるところのその壁を取除きますならば、ここに我々はおのずから日本の行くべき道が開かれるだろうと思います。即ちいわゆるソ連共産主義勢力に備えるために外国の駐留軍を要請して、なけなしの物を出し拂つて苦しい生活に喘ぐ必要もなし、不必要な再軍備をする必要もないとなりますならば、我々の自主独立、こういう外国軍の駐留をお願いして、これに便宜を供與することによつて、我々のこの事実上の独立が現在と同じように阻害されるというこの事実は取除くことができるわけであります。從つて我々は物事を正しく判断して、判断においても我々は自主性を持つ、自主性を持つて物事を正しく判断するならば、日本独立のための道は今日よりもつと広く我々の前に開かれておることを我々はお互いに知るべきであろうと思います。從つて間違つた前提から組立てられた現在の二條約に対しまして、我々は日本の立場からは、これに対しては絶対に反対する必要があろうと、こういうふうに考える次第であります。(拍手) 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  75. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 金森さんどうぞ。
  76. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) 私はその職務の性質から、余り実質的な政治関係の問題に触れることを避けておりまするので、今日特に申上げたいことは、問題となつておりまする二つの條約と日本の憲法とを結び合せまして、そこにどんな議論の余地が起つて來るか、その議論はどういうふうに解決せられて行くであろうか、この線を主として申上げたいと存じております。  日本国憲法の第九條につきましては、先ほど松本さんが若干の問題を挙げて取扱われましたが、私どももその線に沿つて始終ものを考えおります。必らずしも松本さんの御意見と同じであるとは申しきれませんけれども、大体において同じ方向に沿つておるらしいと存じておるのであります。第一の問題は、一体日本国の憲法がいわゆる戰争放棄の規定を設け、国民の輿論において支持せられてでき上つたという根本の理由は何であろうか、この点であります。もとよりこれは証拠を立てる途はございません。ただ多くの人がどういう気持を以てこの九條を迎えたかということに帰着いたしまして、要するに自分考えておるところを中心として推測するのほかございませんけれども、私どもの考え方といたしましては、世の中には三年、五年の計画もあるし、百年の計画もあるのであります。この二つが同じ線に沿つて動き得る場合もあるし、ものによりましては三年、五年の計画と百年の計画というものは、頭のうちに区別をしておいて、差当りは必要な計画を通つて行くけれども、終局の行き道を頭の中にちやんと保有しておかなければならんという場合があろうと思いますが、我々の憲法もやはりその意味を持つておると私は信じております。と申しますのは、一体今日はやや疑問が静まつておりますけれども、四年前に憲法ができました当時に、憲法九條の解釈につきまして可なり激しい議論の争いがあつたように思われます。殆んど矛盾と言わるべぎ議論が並行して存在しておつたように思いまするが、私どもの考え方から言えば、第一点といたしまして、我々は侵略戰争をやらないという原理を樹立いたしまして、正義は決して暴力によつて解決せられるものではない、人間の尊き行動を規律するときに暴力を持ち出すことはけしからん、これが基本の考えであります。その精神は前文の中に現われておりまするし、又第九條の第一項の中に現われておるのであります。併しその意味は決して暴力を否定するという意味ではございません、暴力を以て不正なる動機を実現させてはいけないというだけであります。暴力そのものは好ましいことではございませんけれども、場合によつては又やむを得ざるものであるということは念頭においております。その明白な証拠、前文の中に我々は平和愛好諸国民に信頼して自己の安全と独立を図ろうとするということを言つております。若しも世の中が理窟だけで動くということであるならば、あえて平和愛好国民に特に信頼するということを書くほどの必要はないと思つております。ともかく我々は暴力によつて自己の意思をこの世の中に実現して行こうということは絶対的に放棄する、これは動かすべからざる根本の原則であります。併しながら他の一面におきましては、世の中は決して神の国ではないのでありまして、現実の人間は長所と欠点、惡の面と善の面とを併せ持つておりまするために、遺憾ながら、ときとして実力を以て秩序を保つという必要はどうしてもこれを否定するということはできないと思うのでございます。マハトマ・ガンジーのごとき、最も暴力否定論者として尊き聖者として仰がれておりますけれども、併しこのような優れた識見を持つた人でも、最後の段階におきましては、時あつて実力を以て最も尊きものを守り通すことの必要があるということは、彼の態度、書物の中にはつきりさせられておりまするが、日本の憲法もやはりその気持は持つております。  そこで本文に返りまして、憲法九條の第一項はむずかしいたくさんの言葉を使つておるのでありまするけれども、要するに侵略戰争をやらない。こういうことに帰着するのであります。当時憲法ができまする途中、議会の質問応答の経過等を見ますると、私自身の言葉ではございませんけれども、政府側の言葉として、あたかも自衛の戰争までも放棄するという見解をとつたよう疑惑が世の中に流れております。幾らか錯覚を導くような言葉もあつた。それが省略せられて世の中に伝達せられますると、新聞紙その他の面に現われますると、それ自身が独立な力を持ちまして、日本の憲法は一切の関係において自衛戰争までも否定したのである、こういうふうなことが一面において言われておりまするけれども、そういう趣旨は憲法の中には含まれていないと思います。理論として自己を守るということは人類の本性です。国家といえども又自己の力を以て自己を守るということは当然の権利でありまして、この当然の権利までも放棄するという考えはなかつたと思い、私はさような線において常に説明をしておりました。ただ併し侵略戰争はやらないといつても、自衛戰争という名にかりて侵略戰争をやるということはその危險なしといたしません。仏を作つて魂を入れないということが惡いと同じように、我々はただ空論でしてはならんのである。事実日本が平和の線に沿つて執情を披瀝するというためには、若干特別なる制限も加えなければならん、それは多少は無理であつても我々は戰力を持たない、こういうことであります。理窟の筋から申しますれば自衛の権利はある、而もみずから実力を持たないということは矛盾であるといつてもよかろうと思います。併しこの矛盾を補つて矛盾でないようにする手段というものが世の中に絶対にないことはないのであります。例えば国内におきましても、その昔は人と人とが劔を以て正義を争つたということがありながらも、後に至りましては人と人との決闘は認められずして、法律秩序により公けの権力によつてその秩序を整えるということが認められるがごとき、若しも国際連合その他の手段が立派に備わつておるならばそれに頼ればいいではないか。從つて先ず自分自分の手を縛つて国際連合の発達と相呼応して平穏なる方法を以て自己を守るのがよろしい。こういう前提の下に憲法九條の第二項において戰力を保持せずということが言われたと思うのであります。  ところがたまたまそれと関連をいたしまして、国の交戰権を認めないという言葉が第九條の第二項に入つております。この国の交戰権というものは一体どういうことかというところに多少は疑問の余地もあり得るのでありまして、私どもの議会において説明した方針は一貫しておりましたけれども、併しいろいろな見解を不幸にして生み出したのであります。まあその経過は別といたしまして、私どもは国の交戰権を認めないということば戰争をやらないという意味には理解しておりません。若しも戰争をやらないという意味に理解するならば、わざわざ第一項において或る種の戰争を永久に放棄するというようなことをことごとしく言う必要はございません。国の交戰権を認めないということは特殊の意味において用いたものであります。その意味は、要するに戰争を行うということになれば、その戰争を行うことに伴つて交戰者にはいろいろな権利が発生して來る、国際法上の種々なる権利がある。例えば捕虜となすところの権利とか、或いは又第三国の船舶を抑留することのできる権利、こういうものが発生して來る。そういうところに着想をいたしまして国の交戰権という言葉が使われたものと私は信じております。学説は交戰権という言葉につきましてはかなり不明瞭でありますが、第一項との関係においてかく理解することが正しいと共に、これと相対応して存在しておりまするところのライト、オヴ、べリジヤランシーというような言葉がこの問題に関係する文書に使われておるその前後の関係等を見ますると、私の解釈は間違いではないと自分では信じております。そういう意味で結局これを突き止めますと、我々は抽象的なる意味においては自己を防衛するための戰争を放棄してはいない。けれども実行上の見地から見て本当にやれるか、この見地から見れば自衛戰争をする権利、権利といいますか、自衛戰争をなし得ない立場に置かれておる。抽象的には権利はあるけれども実行的にはできないのである。それで以て権利を正しく保ち、実行上又やり損ないをすることがないようにという自制の念慮を示しておると思つております。ところが過去三年ばかりの間にこの解釈はひどくむしろ攻撃をせられました。そんな馬鹿なことはない、抽象的な権利があるならばこれに備わる手段もあるに相違ない。こんなふうに主張する者もあれば、又一切合切抽象的な権利なしという議論も出て來ましたけれども、議論議論としておのおのの立場において価値があることと思うのであります。  そこでかような前提の下に問題となつておりまするところの安全保障の條約を見て行きまするとき、私の申しました解釈を認めるか認めないかによつて、この安全保障條約が憲法上いけないものかどうかという結論を見出だして來るような気がいたします。なぜかというと私どもの見地におきましては自衛戰争をなす権利はあるけれども、みずから兵隊は持たない、これが私どもの考え方でございます。從つて実質上の権利はありまするから、自分の力で戰争をやらなくても他人の力に依頼することによつて間接に自衛戰争をやるということは、私どもの立場からいえば是認せらるる答えとなつて來るのであります。併し初めから我々は自衛戰争をする権利がないのだ。この前提をとりまするならば、みずから戰争をするのも他人に頼つ戰争をするのも、共に戰争をすることになりますから、それはどうも憲法上面白くない。こういう結論が出て來るのでありますが、私の前提から申しますれば、今眼前に現われておりまする安全保障條約の中におきまして、いろいろな基地を認めるとか、駐兵権を認めるとかというようなことは、若しそれが自衛の範囲に限定せらるる上におきましては憲法上支障なしと思うのであります。併し自衛の線を超えるといたしますならば、勿論自衛ということにはいろいろの幅はございます、が併しそのデフイニシヨンの外に出るといたしますれば、憲法と牴触することになろうとこう考えております。現実の案は結局日本の自衛のために存すると思われまするから、別に支障はない、こう考えております。  そこで問題を更に進めまして、この安全保障條約は何も日本が再軍備をするということを当然には含んでおりませんが、これは恐らく将來別に問題とせらるべきものと思うのでありまするけれども、併し仮にその将來の問題を予想して考えてみまするときに、如何なる国家自分の力で自分を守るということが恐らくは理想的であろうと思います。從つて信用の置ける国であるなら自分の軍隊を持つということに何らの不思議もないのであります。ただこれが濫用せられ、若しくは逆用せられるということを防止するところに考えの余地があるのでありますから、そういう点とからみ合せて将來問題が発展せられて行くのではないだろうかとこういうふうに思つております。だから肯定といつても事実の問題としましては肯定しておるものではない。若しそうだといたしますれば、一体兇器であるところの軍隊をみずから持つということは、感情の面から申しますれば好ましくないことは勿論当然のことであります。我々はこの世の中におきまして軍隊のあるということに非常な悲しみの感情を持つものでありまするけれども、併し我々は一種の感情的な、或いは或る種の宗教的な情緒のみによつて問題を解決することはできないのであります。現実に地上に足を乘せてものを考えるということになると、もつと深入りをして考える余地が残つておるというふうに思つております。まあその辺のところが憲法との関係において言い得ることでございますので、この辺りところで私の申上げることを終ることにいたします。(拍手)   —————————————
  77. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 山下さんどうぞ。
  78. 山下康雄

    参考人(山下康雄君) 平和條約はいろんなことを規定しておりますが、平和條約として当然規定せられなければならないことは大体三つあると思うのであります。第一は戰争をやめるということであります。第二は戰争の跡始末をするということであります。第三は新らしい国際上の立場を作つてそれを保障するということであります。この三つのことのうちの第一のことはこれは当然のことでありまして、今度の講和條約によりましても、連合国と日本とり間の戰争が終結することを明示しておるわけであります。第ニの問題がいわゆる賠償の問題であり、又これに伴ういろいろな経済問題、経済條項の問題、或いは財政條項の問題、第三番目の問題が領土の問題であり、それからその安全を保障するところの今問題になつております安全保障の問題になると思うのであります。  私はこの三つの問題のうちの第二の問題、即ち戰争のあと始末の問題について、今度の平和條約について意見を述べてみたいと思うのであります。戰争の跡始末と言えば、結局賠償の問題と、それから新らしく連合国と日本国との間に経済関係を再開する、或い戰争経済関係が非常に異常な状態になつておりましたから、それを昔の状態に返す。この問題は大変安全保障の問題と同様に重要な問題でありますけれども、極めて技術的な複雑な問題でありますから、ともすれば世の中の人人はそれに関心を持たないのでありまして、安全保障のような問題に関心を余計に持つのであります。併しながら安全保障の問題は日本の政治を動かして行く上の根本的な問題でありますが、又同時にこの戰争の跡始末、賠償、経済條項に関する問題も日本国民生活の実態に深く触れて來る問題でありますから、これを見逃しておくわけには行かないであります。  そこで今度の講和條約は賠償についてどういうふうに規定し、それに対してどういうふうに私は意見を持つているかということをお話してみたいと思うのであります。今度の講和條約は賠償に関して寛大であるか、或いは苛酷であるかということなんでありますが、これは寛大でもなければ苛酷でもない。わからないのです。これからの問題であります、というより仕方がないのであります。何故ならば今度の講和條約は賠償に関して殆んど抽象的な文字を羅列するだけで、何も具体的にきめていてくれない。最近の平和條約の例をとつて申しますと、イタリーの平和條約でありますが、イタリーの平和條約は相当賠償に関して具体的にきめているのであります。賠償ということは結局どのくらいの金額を、どういうもので、どういう方法で支拂うか、その決済をどういうふうにするか、そういう問題について一応講和條約がきめていてくれなければならなかつたはずなのです。ところが今度の講和條約では、それらの問題のうちで、極く一部しかきめていてくれないのでありまして、賠償の総額もきめていてくれなければ、賠償実施の期間もきめていてくれないということで、賠償物件を引渡すかということも勿論きめていてくれない。賠償関係の決済をどうするかということも勿論全然規定していません。ただ僅かに日本が支拂うところの賠償はいわゆる加工賠償、若しくは役務賠償である。特殊なものとしてはサルヴエージでありますけれども、大体加工賠償と役務賠償による。そういう賠償の原則を抽象的に示していてくれただけなりであります。そうして金額も期間も示していてくれない。ただそのために他の連合国が追加の負担を受ける、例えば具体的にいえば、アメリカ日本の賠償支拂のために迷惑をするようなことがあつてはならない。又加工賠償のような場合には材料を賠償を要求する国が持たなければいけない。向う持ちである。そういう極めて抽象的なことしか書いていないで、あとのすべての問題は、これを日本とそれぞれの国との協定できめろ。こういうわけなんであります。これは面倒な問題を後廻しにして先ほど松本参考人から言われましたように拙速主義、とにかく講和條約を作るんだという調子で作られた講和條約であるということを如実に物語つているわけなんです。そういう点から考えますと、今度の講和條約は勿論賠償に関して天文学的な金額を課しているわけではありませんから、寛大であると言えないこともありませんが、併し金額がきめていないので一体これからどのくらい要求されるかわからない。そういう不安が非常にあるわけであります。これは今申しましたように行く行くは各国との間に結ばれるところの個別協定によつてきめられてくるわけなんでありましようが、それにいたしましても、この加工賠償のときの原料は向う持ちといたしましても、その引渡した製品との決済の方法をどうするか。或いは役務賠償のような場合、恐らくフイリピンへ日本技術者が行つて発電所を造るとか、橋を造るとか、或いはフイリピンの領海に沈んでいるところの日本の商船の引場をするとかというようなことなんでありますが、その場合日本からどれだけのものを提出するのか、ただ技術者又はそれに準ずる者が行くだけか、それともそれに伴つていろいろな特殊な機械があるでしようから、そういうものまで日本が持つて行かなければならないのか。大きな事業であれば当然労務者が要るわけなんですが、普通の筋肉労働者というものは現地において調達することができるとしましても、特殊な労働者というものは、やはり日本から連れて行かなければなりません。そうなればその場合の決済はどうするか、そういうようないろいろな重要な問題があるのであります。にもかかわらず、講和條約は、今申しましたように全然そういうことを規定していない。それは日本とフイリピンが、或いは日本インドネシアが適当に相談してきめろというわけなんであります。この講和條約の最終草案ができます前に、ダレス草案というものができました。そのダレス草案の中には、非常な重要な規定でありますけれども、日本はこの講和條約で規定されているよりも、もつと有利な賠償を、他の講和條約に調印しなかつた国との間において、有利な賠償をそういう国に與えてはならないという規定があつた。つまり講和條約で認められた賠償條件よりも、有利な條件をあとから日本と單独講和を結ぶ国に與えてはならない。それを與えないことが日本義務になつていたのであります。ところが最終草案におきましては、そういう規定は変更になりまして、あとから單独講和を結んだ国と、例えば中国と賠償に関して有利な條件を與えたならば、講和條約にすでに調印している国にも当然同じ利益を均霑せしめなければならない。こういうように変更したのであります。これは非常に重要な変更でありまして、このために、ダレス案のときには、そういう有利な條件を與えないことが日本義務であつたにもかかわらず、最終草案におきましては、與えたならば同じ利益を他の国にも均霑せしめなければならない、いわゆる最惠国約款のようなものが入り込んだわけであります。そういうふうに今度の講和條約は賠償に関して極めて漠然としておりまして、我々としては非常に不安を感ずるのであります。併しヴエルサイユ條約から比較いたしますと相当寛大になつているということは言えるのであります。又一方振返つて見ますと、日本は相当戰争中よその国に迷惑をかけたわけなんです。これの後始末をするということば当然なことなのであります。是非ともやらなければならないことであります。その形式はいろいろあるでしようけれども、今申しましたような加工賠償とか或いは役務賠償というような形式をとるとするならば、單に日本から物を持出すだけでなく、そこに日本技術も移出される、それに伴つてこれから賠償を受ける権利を持つている国、フイリピンであるとか或いはインドネシアというような国との間にいろいろ密接な経済関係が生じて來る。そういうことは日本のこれからの経済発展に決して不利ではない。ただ問題は今申しましたように賠償の総額、期間も何もきめてありませんから、それをどういうふうに有利にするか。これはこれからの問題であります。そういう点についてこれから政府がしつかりした見通しをつけてやつて行かれるならば、賠償に関する條件は決して不利にはならないと思うのであります。今申しました加工賠償或いは役務賠償というものは賠償の一つの源泉になつているわけであります。こういう加工賠償や役務賠償を受ける国は、日本によつて占領された国、日本から特別に迷惑を受けた国に特に厚く賠償するという趣旨から、そういう特別な規定が設けられたのでありまして、そのほかの国はすべてそこの国にある日本の在外財産の範囲で以て満足をする、これが今度の講和條約の規定一つになつておるわけであります。これは別に新らしい制度であるわけではないのでありまして、過去の講和條約と比べて見まして特に嚴格であるとか或いは寛大であるとかいうようなことはないのであります。イタリアにおきましても連合国はそこにある財産を……、ヴエルサイユ條約におきましてはドイツの財産を取得して連合国がその賠償に充てた。イタリア平和条約におきましては、各連合国にあるイタリアの財産を清算して、その賠償の一部に振り充てるということが行われましたので、取立てて寛大であるとか或いは嚴格であるということはないのでありますが、この在外財産の処理に関しまして私が特に遺憾と思い、又残念に思つていることは、この中立国或いは旧枢軸国にある財産が取上げられるということなのであります。この連合国にないところの日本の財産、中立国であるとか或いは旧枢軸国にある財産を連合国が取上げる方法には、先例によりますと大体二つあるわけなんで、それはその日本の財産があるところの国が自分日本の財産に手をつける方法であります。この方法は最近ドイツの財産について行われたことでありまして、スイスであるとかスウエーデンにあるドイツ人の財産をスイスやスウエーデンみずからが手をつけるのであります。そしてこれを清算する連合国は中立国にそういうことさせて、その清算した上の所得を自分たちのほうの賠償金に振り充てようとしたのでありますけれども、スイスもスウエーデンも相当骨のある国と見えまして、その金を遂に連合国に渡さなかつた。欧洲の経済復興のために使用すると言つて渡さなかつた。これに懲りまして今度の連合国は、日本人が中立国や或いは枢軸国において持つておるところの財産を日本の政府がこれを赤十字委員会に引渡す、そうして赤十字委員会がそれを清算して連合国人に分けてやる、こういうやり方をとつたのであります。これは極めて巧妙なやり方であります。その結果日本は連合国のみならず中立国や枢軸国にある財産まで取上げられる。そういう結果になつたのであります。これは国際法上前例がないことなのでありまして、この点において私は非常に不満を感ずるわけなのであります。  それから旧領土にある財産でありますけれども、この旧領土にある財産は必ずしも在外財産ということはできないのであります。旧領土にある……旧領土は曾つて日本の領土であつたわけなのであります。そういう戰争の結果戰敗国が失つた領土にある財産の処理に関しましては、ヴエルサイユ條約ではこれをその領土の譲り受けを受けた国が取上げる、そういう方式をとつたのであります。イタリア條約の場合は旧領土にある財産には手をつけないという方式をとつたのであります。從いまして過去の先例を見ますと、必ずしも一貫していないのであります。今度の講和條約は、最初のダレス草案におきましては、やはりその領土の割譲を受けた国がそこにある日本人の財産を取るという建前をとつたのであります。併し最終草案では、結局これは條約そのものの中では最終的には決定しない。日本から分離した地域、朝鮮或いは台湾、千島、そういうような所を、現在そういう所に施政を行なつている当局と日本との特別取極の対象にすると言つているわけであります。そういう意味では旧領土にある日本人の財産処分の問題はフエンデイングになつているということになるわけであります。  在外財産に関しましては大体そのくらいにいたしまして、次に在外財産の補償の問題についてお話をして見たいと思うのであります。  これは私が最も遺憾とすることの一つであります。在外財産を賠償に引き充てるということは、イタリアの平和條約でも或いはヴエルサイユ條約でも行われたことでありまして、そのこと自体は特にこの條約が苛酷であるとは決して思わないのであります。併しながら、その場合ヴエルサイユ條約にいたしましても、イタリアの平和條約にいたしましても、或いは最近のスイスや或いはスウエーデンにあるドイツ財産の処分の場合におきましても、必ずドイツなりイタリアなりに補償の義務を課しているのであります。元來在外財産というものは個人の私有財産であります。資本主義体制が認められている限り国家の財産と私有財産とは截然区別されているのであります。從いまして、この在外財産を賠償に振り充てるということは、元來国家が負うところの債務を他人の、たとえ自国民であつても他人の財産で以て引充てるということなのであります。これはいわば自分の債務を履行するために他人の財産を使用したことでありまして、憲法で申しますれば、二十九條の規定によりまして、当然正当な補償を伴わなければ行い得るところではありません。勿論講和條約はこの場合特別な方法をとつているわけなんであります。つまり元來連合国にある日本人の私有財産に対しては、日本国は外交的に保護をするところの権利を持つておる、併し講和條約によつて連合国にこの在外財産の処理の権制を與えることによつて、その外交的の保護権を放棄するという方法をとつているのであります。勿論国家はこの外交的保護権を持つているのでありますが、併し外交的保護権は或る場合において国家はいろいろな必要から放棄することができる、自国民の外国に対する請求権を放棄して、相手の国との国交が円満に行くようにする政治的な目的のために自国民の請求権を犠牲にする、そういうことは勿論できるのであります。国家の一般的利益のために、公益のために私人の外国に対する請求権を国家が放棄する。そういうことはできるのであります。併し單純に放棄した場合でなくて、今度の在外財産に対する外交的保護権の放棄のように、それに賠償債務の免除という対価が伴う場合には、これは明らかに公共のために私有財産を使用したものであつて、憲法上当然に正当の補償がなされなければならないのであります。勿論そのためには国家は非常な負担を負うのでありますけれども、併し、法律上の義務と、財政上これを如何に処理すべきかという問題とは、截然と区別すべき問題であると私は思うのであります。日本は賠償をまけてもらおうとしている。いろいろ連合国に平身低頭して賠償をまけてもらおうとしている。その矢先に国内補償の問題を論ずることは不謹慎である。若しそういうことをすれば、日本にそういう余裕があるならば賠償をもつと取ろうじやないかという国が出て來るのではないか。こういう議論もあるのであります。併しこれは賠償と補償というものの性質を知らない、区別を知らない議論であると私は思うのであります。賠償というものは紙ぺらを相手の国にやるのではない。外国為替にしろ、或いは金塊にしろ、或いはその他の生産物にしろ、要するに日本の富の一部が外国に持つて行かれる。それだけ日本の富の一部が減るということなんです。国内補償はそうではない。日本の通貨で以て支拂をする。或る場合においては公債を以て支堀をすることができる、而もその国家の債務を国家が任意に長期化することができるわけなんです。從いまして賠償と、この補償の問題とは截然として区別さるべき問題である。この議論は何も私の発明ではなくて、すでにアメリカの全権がイタリアの平和條約のときにはつきり言つておるのであります。イタリア平和條約を結ぶときに、イタリアに完全な賠償を要求することができない、併しそれはイタリアに、そういう賠償を支拂うだけの資本、或いは外国為替がないから……、併し補償の問題はイタリアの国内通貨でやることである、全然別個の問題である、補償に関しては完全でなければならないということを、アメリカの全権はパリ賠償会議の席上で明白に言つておる。そういうふうに考えて参りますと、この二つの問題は截然として区別せらるべき問題であるわけであります。併しながら一方から考えて見ますると、国内補償の問題はこれだけではないのであります。略奪財産を取上げられた人の問題もあります。或いは連合国財産を取上げられ人の問題もあります。更に広く言えば、戰災にかかつて家、家財等を失つた人に対する補償等の問題もある。そういう問題を考えて來ますと、非常に広汎な、非常に巨額な負担が国家の財政にかかつて來る。これは当然認めなければならないのであります。從いましてそこに完全な賠償をするということは到底できない。憲法は正当な賠償と言つておりますけれども、必ずしも完全な賠償と言つておらない。そこにいろいろな手加減をすることが可能であると思います。又賠償の方法、補償の方法を公債によるとか、その他の方法によつていろいろ按配し、手加減するということもできるわけであります。そういうふうにしていろいろ手加減をするということと、法律上当然に補償の義務があるということとは混同してはならない。一方において飽くまでも補償の義務ということは認めながら、他方においてそれを緩和するという方法考えるならば、それは当然のことでありますが、そうでなくて頭から補償の義務を否定してかかるということは、これは憲法に反する考え方であると私は思うのであります。こういう補償のことが講和條約に規定していないということは、非常に重要なことなんであります。この私有財産尊重の原則が国際法を貫く非常に重要な規定なのであります。国際法上いろいろな大原則がありますが、僅かの大原則の中の一つに数えられる原則なのであります。それを無視するということは、これは決して妥当な平和條約であるということは、私は考えられないと思うのであります。まだ私有財産は沒收してもよろしいという国際法の原則は確立されておりません。その証拠に、連合国は連合国人が日本において持つておる私有財産について日本が損害を與えた場合には、それに対して日本国内補償をせよということを言うておるのであります。このことは私有財産尊重の原則が今なお貫かれようとしておることを雄弁に物語つておるわけであります。ただ日本の在外財産を賠償に引充てるということのために、沒收ではない、沒收ではなくて、連合国は未だ曾つて在外財産を沒收するということを一度も公の文書では言つておりません。沒收ではなくて、ただ連合国が賠償の肩替りとして日本の財産を所有するに至る、そういうのがこの間の法理なんであります。これを無視して補償に関する規定講和條約が認めなかつたということは、実際日本が補償する能力があるかないかという問題とは別個に、法律上一つの疑点があると私は思うのであります。(拍手) 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  79. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 次に奄美大島本土復帰対策委員会の副委員長の伊東さんにお願いいたします。
  80. 伊東隆治

    参考人(伊東隆治君) 私がここに立ちましたのは、両條約に対しまする意見を開陳するわけではもとよりございません。時間の余りを以ちまして、今度、幾千年も日本の領土であつた琉球、奄美大島、又小笠原諸島これらの領域に関係のある人の意見を参考としてこの委員会が聽取いたしたいという委員長からの御要望に基きまして、私、急遽罷り出た次第であります。奄美大島におきまする本土復帰の執聖の状況につきましては、講和條締結前の都下諸新聞によりましても、皆様方とくと御承知通りでありまして、島民約二十五万人は、学校に行かない幼兒を除いて、いやしくも小学校に行く者は少くとも一日乃至一週間の断食をやつた。そうして本土に復帰できるようにという祈願を高千穂神社の境内でやつております。高千穂神社は、殆んど各村にそういう名前の神社があるのでございますが、その鎭守の森に集まつてとにかく断食を決行した。これを、私はこの状況を司令部並びに対日理事会にも縷々幾度となく陳情いたして、現地の人々のこの執情をよく伝えることに努力いたしたのでございます。そのときに司令部側では、ハンガー・ストライキをやるのですかという質問に対しまして、そのとき私と同道いたしました同じく同胞の数名は、これはストライキではありません、断食祈願でございますということをすぐ言下に答えるほど、実に天に祈つて日本国民であることを希望いたしたような次第でありました。そういうような実に執烈なる希望につきましては、この本土復帰対策委員会におきましては、ルーズヴエルト、アチソン国務長官並びに両院外交委員会委員長並びに有数なる共和党、民主党両党の領袖、又英国、フランス等のそういう要路者、又ニユーヨーク・タイムス、ヘラルド・トリビユーン、ワシントン・ポストとかいうような言論機関、ロンドン・タイムスその他有力なる言論機関の編集当局に対しましても、この執情は縷々訴えておつたのにかかわらず、これらの要望が容れられずに今度第二條におきましてああいう取極になりましたことは誠に遺憾の極みであります。私は両條約の全般的なものに関する意見を述べる立場にないのでありますが、皆さん承知通り大西洋憲章において、少くともこの第二次大戰においては勝つた国も負けた国も領土の変更はないのだというようなことが世界にわかつたにかかわらず、我々は如何にポツダム宣言を経てカイロ宣言を受諾したことに相成りましても、少くとも只今申しました三地域につきましては、これは恐らく連合国側におきましても私は弁解の辞はないのだと思つておるわけでございます。そこで私はこれらの問題につきましては、どうかこの国会におきましてもよくこれらの地域に住んでおります人々のこの執望をあらゆる機会に一つはつきりと御認識頂いて、この国会を通じて、又我々のこの執望を世界に、連合国に知らしめることが極めて重要だと存ずるのでございますが、飜つて何が故に然らば大西洋憲章にそういうことを明記しておりながら日本古來のこの三つの領土を、少くとも一時的にということでありますが、分離した……少し横にそれますが、いわゆるこれらの地域には日本の主権が残る。凍結せられたる主権が残る。凍結せられたる主権なるものの内容が如何なるものであるかということにつきましては、先般衆議院におきまして芦田前首相から吉田首相に縷々質問がありましたが、明快なる答えはありませんでした。国連憲章の第七十五條によればはつきり書いてある。フリーズンされたるソヴアレンテイというものは如何なるものであるか、これは我々として本当に了解するに苦しむのでございます。こういう問題は暫らくおきまして、ただこれら二十数万の島民、奄美大島はもとより琉球、これが約六十数万、七十万でございます、小笠原を入れますれば約百万の日本国民がこの講和條約において日本国民であるのだそうだというような立場でとにかく分離せられる。国連憲章第七十五條によつて分離せられてしまつたということは、何といつてもこれは悲しい事実であることを我々は認識しなければなりません。先ほど外務省の同僚尾形君から実に傾聽に値する議論が展開されました。私は非常に傾聽いたしました。私はそれについてこの席上で批判は加えませんが、仮にソ連の脅威がここにあるとしますならば、何も私は琉球や奄美大島、特に奄美大島には何ら軍事的な施設はございません、及び小笠原、これらの地域を信託統治の形式において司法、行政、立法を日本から切離してしまうという理由がどこにあるのか。ソ連の脅威に備えるならば、台湾あり、フイリピンあり、又我々のもとの委任統治領がある。これはマリアナから大体B二九は御承知通り日本を席巻し、なおシベリアを爆撃しても悠々と余力がある。まして今やB三五とやらその他の優秀な武器は、何もああいう近接したる地域に、私はソ連に対する仮に脅威がありとしても私はこれをする必要はどこにあるだろうかと思うのであります。然らば何が故にここにああいうことがあり得たか。これはこの前の芦田、吉田の質問応答の中で芦田氏が実に辛辣に触れたにかかわらず、これ又何の答弁もなかつた。これは私はアメリカにも数年在勤もいたし、アメリカのグツド・フレンドである私は自信を持つておる。アメリカのその立場から申しても、実にアメリカに対して私は惜しむ。ソ連に対する脅威を防ぐならば、何も日本に接近したこれら日本古來の領土百万の人間の涙を以てここに結ぶ必要はない。恐らくこれはアメリカのグツド・フレンドでも、これは日本を牽制するためではなかろうかという疑点をここに持たざるを得ない。私はアメリカのグツド・フレンドとして実に嘆かわしい。それは心ある人、日本人は賢明であるから、ここに一種の大勢がもたらされると默つてしまう。そうしてそれに一応順応する。長いものには巻かれろという哲学を我々は子供から教わつて、隣の腕白の子供と命がけで喧嘩することを避けて來た。併しながら我々には今日、日本が真に独立をしようとするならば、我々はそういうやくざな気持を持つてはならないと思う。私はそういう点はアメリカに対する一つの、又親しい親米家であるならばあるほどに私はアメリカの反省をここに求めて、そういうことをしたのでは幾ら何でも信頼と和解の條約とは言えないではありませんかということを、私はどうしてもここに言わざるを得ない。私はこの奄美大島の件に関して、大隈委員長から昨夜お電話がありましたので、それはいい機会だと存じましてここに馳せ参じた次第でございますが、どうかこれら二十数万の島民、私は奄美大島に関する発言を主とせざるを得ない立場でございますが、百万に達する琉球、又小笠原諸島、これらの農民のこの條約に対する思いを皆様は衷心一つ遥かに又身近に察して頂きたいことを私はここに執望いたしまして、今後一日も早くこれらの領土が、ダレス演説のごとく一日も早く日本に復帰できまするように、私はこの席上において希望して私の話を終りたいと思います。(拍手)   —————————————
  81. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 次に元沖繩人連盟東京本部長の宮良寛雄君。
  82. 宮良寛雄

    参考人(宮良寛雄君) 只今の御紹介で、連盟本部長というのは、前本部長でございます。現在は弁護士だけやつておる宮良でございます。  今度の講和会議で、領土の問題の最も中心となるのは、申すまでもなく琉球等の信託統治に関する問題であるのですが、その点について沖繩の住民並びに在日の沖繩出身者は如何に考えておるであろうかということについては、私から申上げるまでもなく、皆さん結論はわかつておるのじやないか。誰が何と言おうが信託統治反対だと、日本帰属は当り前じやないかというふうにおつしやると考えます。最もその通りであるのですが、なぜ最近になりまして、現地沖繩の人間がどんなことがあつても信託統治は反対でございますと、如何なることがあつて日本に付きたいのだということを強調するようになつたか。それを、新聞に出ないこと、並びに皆さんが余り御存じでないと思うことをピツク・アツプしまして、皆さんの参考に供したいと思うのであります。  沖繩は小さい島でございまして、あそこの住民は始んど從來百姓をしておりました。その耕地面積というものも大したものではない。戰前では四十二万三千町歩ぐらいだつた。一九四九年のその頃の調査によりますと、耕地面積は四十二万三千町歩から僅かに二十八万三千町歩に減つています。ああいう島国であり、大部分山であります。半分より北方の耕地面積というのは実に小さい、狹い、そのうちの三分の一はなくなつている。何が故になくなつているかと申しますと、向うには、何が故にとは申しませんが、向うには厖大な軍事基地があります。それから広い立派な道路ができました。こちらの新聞の伝えるところによりますと、現地沖繩から帰つて來た人の談話とか写真とかいうものが載つておりますけれども、大きな広い道路がすつとできておる。写真に載つております。立派な道路が四通八達しまして、自動車はぶんぶん通つている、何とかいいますか、如何にも文化生活らしくも見えますけれども、百姓は真から憤慨しておる。なぜならば耕地がないから。そういうための耕地がないから。百姓にはあんな大きな道路は要らない。それよりも畑が欲しい。田圃が欲しい。それが四十二万三千町歩ですか、それだから三分の一も減らされて小さい耕地面積になつてしまつた。百姓の憤慨するのも無理はない。百姓は考えます。いつになつたらこの土地が返るだろうか、何でこういうふうに狹められたのだろう。これは若し信託統治ともなつたら、これは如何に返す返すと言つても、これは半永久的のものじやなかろうか。いつまでこの心配は続くのであろうかというふうに思つております。こういうふうに住民の主たる職業たる農業が、農業の源泉たる土地がなくなりますると、百姓の次男三男というのは、もぅ仕事ができない。外地からすつと帰つて來た。沖繩は貧乏県なるが故に南米なんかに随分出稼ぎで行きました。それらも帰つて來る。外地からがんがんがんがん帰つて來た。次男三男はずんずん殖えておる。併し土地がない。どうしようもない。職業戰締はがらがらがらがら変つて來た。ついでに申上げましが、百姓の中の一戸当りの平均耕作反別は三反四畝です。昔から何反百姓というふうに言われておりまするが、沖繩の農民は平均して三反四畝、それやや次男三男の商売はできない。そこに職業戰線における混乱ができて來た。訳のわからない商売ができて來た。最近現地からの通信によりますると、向うの職業の種類が随分変つた。えたいのわからない職業の雑種というのが随分殖えています。あの統計を見ますと、雑種業、これはGI相手の商売とかいろいろなことを書いておりますが、とにかく訳がわかりません、どういう商売か……。そういう商売の人間の数が随分殖えて來ました。で、向うの治安状態といつても、日本の内地の丁度なんですね、終戰直後みたいようなもののようであります。現に向うの新聞では白人が強姦したり黒人が輪姦したりしておるのが載つております。これは向うの新聞に載つておりますから申上げますが、そういうような状態が毎日続いておる。それじや向うの人間は心配なんです。  あすこの人間は考えます。この状態はいつまで続くであろうか。この原因は何であるだろうか、信託統治というのだが、いつかは返されるというのだが、これはいつまで続くだろうかという心配はどうしても去ることはできない。而もです、あすこの治安の状態はそういうふうなものですが、向うの金融関係、向うの金融を握つておるのは琉銀といいまして琉球銀行ですが、あすこの中央銀行ですが、あすこの資金の五一%は米国が持つております。四九%は現地であります。この五一%というのがどうもなんですが……(笑声)さようなわけでして、現地の人たちは金融もどうにもなりません。どうです。あすこの人間は、じや信託統治結構です、二、三年間なら我慢しましようと申しましようか。  それからあすこの子弟が勉強したい、東京の学校に行つて勉強したいと私のところにも現地から青少年がやつて來まして、勉強したいので何とかやつて來たのだが、家から送金の方法はない、金を送る方法はない、だから何か職を探してくれと言つてつて來ます。勉強したいと思つてやつ來ても送金の方法がない、送れない。じやお前たち勉強するなというのと同じじやありませんか、というふうに現地人が憤慨します。かような状態では終戰後六年間の間に現在の住民が自分らの眼で見、自分らの耳で聞き、自分らの体験から集積して來た結論で信託統治は絶対御免でございというふうになつてしまつたのでございます。  サンフランシスコにおける吉田首相の演説の日に、その模様がラジオなりそれから新聞なりに出ておりました。その一節を、沖繩人がそれを読んで私の所に帰つて來た。宮良さん、これをあなたどう考えますかこ……。この一節にこう書いてあります。「今度の平和條約は喜んで受諾する。」併し一体吉田さんは沖繩や奄美大島、琉球のことは頭の片隅にでも置いてもらつただろうか。喜んで受諾するのだそうだと言つて憤慨した。それから主権が日本にあるということになるのだ、だから諸君ら安心しろという意味のことだろうと思いますが、勿論、国際法上、委任統治若しくは信託統治になつた場合の国の主権については、主権が施政権者のほうにあるのだとか、若しくは住民にあるのだとか、或いは元の所にあるのだとか、それから連合体にあるのだとか、いろいろ説はあるにはあるのだが、そういうのは主権がどこにあると言つて日本と切離して勝手に料理しろといつた場合に、主権があすこにあろうがここにあろうが問題じやございません。そういう蝉の抜け殻を当てがつて、君らはいつかは帰るのだぞ、そういうふうにおつしやつても、現地の住民はこれは決して納得するものではございません。  考えて見まするに、今度の戰争で最大の犠牲をこうむつた県はどこでしよう、申すまでもございません。琉球を最後に守つたときには、日本の一角が破れるのだ、死して郷土を守れというような指令が中央から行つておる。現地の住民は十五歳から満五十歳の人間は全部徴発されました。小さい十七、八歳の少女のかたも出掛けました。女学校に行つておる小さな女の子は看護兵として第一線に出ました。そうして最近向うから着きました「沖繩県の悲劇」という本によりますると、第一線に出てじやんじやんやられて爆風で手を裂かれた。裂かれた手を引張つてあつちこつち廻つて三日、四日、一週間くらいの後に死んでおります。これは小さな少女です。十七歳の少女です。そういうような状態、そういうふうにして小さな子まで全部動員して、郷土を死守せよ、郷土を死守せよと言われた。沖繩人は、尤もだ、勿論死守せなきやならん、国が破れていかんというので力を合わしてやつたんであります。併し少女はそういうふうにして一人一人死んで行つた。相当な数に上つておる。終戰後彼らの死んだ所に姫百合の塔が立つております。姫百合の塔というのは、あの女学生たちが看護婦として第一線に立つて手を裂かれ、胸を突かれて死んだ、そのなきがらを集めてそうして祀つたんです。その姫百合の塔ができて、現在ではその人たちの霊を慰めているそうですが、かの少女たちは果してその姫百合の塔くらいで冥じているだろうかどうか。戰争の真つ始まりのとき、米軍が琉球に上陸したとき、あのときは小さな島に最初上陸しました。そのときは小学校の小さな生徒が先生に引率されて、手榴彈を持つて真ん中に飛び込んで全部散華してしまつた。最後は小学校の生徒だつたのです。こういうふうに小学校の生徒から、女学生から、それから五十歳の人間まで全部動員された。その最もひどいというふうなことが結果においてわかりますのは、一九四六年の六月末日、向うのその当時の人口統計が出ています。大体人口統計は、富士山のごとく下は裾が広くて、一歳、二歳から三歳、四歳、十歳、百までずつと、こうなつておりますが、勿論それが半分から右側が男子、半分から左側が女子、勿論相以形であります。その統計ができたのですが、満二十歳から五十歳までの男子は全人口の七・二%しかなかつた。この相似形たるべきこの図面が右側の男子のほうだけはずつと引込んで、こうなつておる。恐ろしいことです。こういうふうにして二十歳から五十歳までの人間は殆んど死んだということがわかるのであります。僅かに全人口の七・二%、こういう琉球であります。ところで、日本政府としても勿論かような琉球に対してはその罪償いくらいはやらんければいかんのじやないかと思いますが、講和の全権はそういうことについて余り考えられなかつたらしいのです。頼むのは国の議員さんたちであります。今度の批准の問題であると、私らはこういうふうに考えておるんであります。時間も制限されておりまするので、そのくらいにとどめたいが、沖繩人は現在どう考えておるかと言いますと、如何なる名目の、如何なる国の、如何なる戰争にも決して加入したくない。参加じやございません。加入したくない。これが琉球における人間の現在の心情であります。このことは琉球全体だけの問題でなく、勿論日本の問題でもあり、これは申すまでもなく延いては東洋の問題、民族の問題、弱小民族に対する問題、先ほどからの民族自決の問題、いろんなものに関連して行くのではあるのですが、時間の都合上、私、以上を申述べて意見を終ります。(拍手)   —————————————
  83. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 最後に千島及び歯舞諸島返還懇請同盟の副会長の岸田利雄さんにお願いいたします。
  84. 岸田利雄

    参考人(岸田利雄君) 私は北海道の千島及び歯舞諸島返還懇請同盟の副会長をやつております岸田でございます。  今回この席においていろいろこの問題に対する陳情を申上げる機会を得ましたことを非常に光栄に存ずる次第でございます。時間もありませんので極く簡單にお願い申上げますが、一般的には非常に寛大な條約である、こう申されておりまするが、北海道、なかんずくこの領土問題の千島の帰属問題に関しましては、北海道民としては非常に期待が外れ、裏切られまして非常に遺憾に考えておるのでございます。現在ソ連軍の占領下にありまするところの千島及び歯舞諸島の帰属問題については、從來大体三段階の見解で陳情して参りました第一の段階は色丹を含むところの歯舞諸島、第二は択捉、国後島、第三は得撫以北の二十数島の島々でございます。この三段階に分けて陳情して参つたのであります。  そこで第一のこの色丹島を含むところの歯舞諸島は、先般の講和会議におきましてあのダレス声明によりましてすでに世界に公表されました。この色丹島を含むところの歯舞諸島は千島列島ではない。明らかに日本領土であるということが発表されました。確認されましたところのこの千島列島の主権を放棄するというこの問題であります。この問題につきましては、特に私どもの千島列島というものについての見解でありますが、得撫、国後は未だ曾つて国際間において問題になつたことはないのであります。得撫から北のほう、この方面はこれは曾つて日本とロシアとの間の問題で国境を設定したことがございます。その当時の原文も今回のこの講話会議の原文もクリルアイランズになつたのであります。クリルアイランズに新しくこの得撫とか国後というものは入らないと我々は考えておるのであります。国際外交上におきましてのこのクリルアイランズの問題は、あの安政の下田條約、或いは神奈川條約と申しまするか、その際の日露の国境を設定した際におきましては、択捉島と得撫島のあの水道を日本とロシアとの国境とする。こういうようにきめられております。從つて択捉及び国後はこれは当然日本のものでありまして、問題になつておらないのであります。又得撫以北の問題は、これは明治八年におきまして樺太島、それからこの千島列島、いわゆるクリル諸島とサガレンとの交換問題、この問題が起りました。その際においても日本の国力が非常に弱く、ロシヤの言いなりに圧迫を受けまして決定したのがその線であります。その際におけるところのクリルアイランドとサガレンとの交換條約というのは、この得撫から北を指しているのであります。この際においてもやはり択捉、国後というものは問題になつておらん。かるが故にこの現在の講和会議の際においてもこの線で考えて頂きたいというのが我々道民の念願であります。  それからこの講和会議の案文を見まするというと、一昨日委員の皆様がたに印刷いたしまして、千島列島の帰属に関する陳情書というこの書面を差上げてありまするが、平和條約第二條のC項によりますると、この千島列島に関するところの主権を放棄した、放棄して調印はいたしましたが、放棄後の帰属というものはきまつておりません。これを連合国が統治するのか或いはどこが統治するのか、その統治の仕方がきまつておりません。そこでこの統治の主権を、得撫から以北のいわゆるクリル諸島のこの放棄されたところの主権を国際連合が管理し、やがて日本にこれを管理させてもらいたいというのが我々の希望であります。あのポツダム宣言の根幹をなすところのカイロ宣言におきましても、先ほどもお話のありましたごとく、あの同盟諸国は可ら自国の利益のために戰争をしているのではない、又領土的野心があるのではないということを鉄則として掲げております。然らばこの千島諸島は、今この得撫以北の主権を放棄したというところの諸島も、これは何ら戰争によつたり貪慾によつて侵略したのではありません。明らかに侵略がここに行なわれているということを考えるのであります。私どもは国際信義に鑑みまして、この事実を何とか世界各国の同情を頂いて、一時は主権を放棄して、そうして国際間においてこれを管理いたしましても、やがてはこれを日本のほうに返して頂くような方途を講ぜられぬものかということを常々考え、又これを盛んにお願いする次第であるのであります。  で、時間もありませんので、結論として申上げまするが、一つには色丹島を含む歯舞諸島の復帰、これはダレス声明によつても千島列島じやないということが明らかにされましたが、その解決であります。ソ連があそこを占領いたしまして、そうして毎日々々を出るところのあの船をマ・ラインによりまして忽ち拿捕され、いろいろの問題が起つております。若しも、これはこの通り声明もされておるのでありまするからして、講和会議調印後におきましては速かにこれを歯舞、色丹の住民、元の住民、又日本人に便わしてもらうように、何らかの手を政府当局においてとつてもらうように国会で働きかけをお願いしたいと、こういうのであります。  第二番目は、択捉と国後は、これは国際慣行上クリル諸島ではない、違う。故にこれ又歯舞諸島がやがて国際司法裁判所等によつてこれの解決を見る場合においては、やはり択捉と国後を国際裁判にかけまして、そうしてこの所属というものをはつきりして頂きたい。ただ漠として千島列島と言つてこれを入れてしまうのは余りにもみじめなように考えるのであります。更にこの得撫以北の占守までの島、いわゆるクリル諸島の放棄後の帰属、これをはつきりするように、一日も早くはつきりとして、更に国連の信託統治になるならばなつて止むを得ませんが、その後においてもやがてこれは今までの歴史或いは連合国のあの領土不可侵の大鉄則から見ましても、これは日本に管理せしめるように呼びかけて頂きたい。これは我々北海道の四百三十万道民が日本全国に呼びかけて、過去六年間一生懸命叫んで來たのであります。先般サンフランシスコにおきまして吉田全権が千島問題に対してもいろいろ申されました。承服しがたいところであるというよるな言葉もあつたようであります。ただこれは仕方ないんだ、或いは一方においてはあのヤルタ協定というもので認めたのだけれども、事実において何ら侵略或いは貪欲によつてつたのでないところのこういうところまでも日本から剥奪するということは、非常に情ないと思うのであります。国民のこの熾烈なるところの要望を国会において取上げて下さいまして、将來のために政府に対してこの要望を決議して頂いて、やがて将來国際間において千島の問題がはつきりする、その歴史的な国際的な事情がはつきりすることによつて解決を見るときには、やはり国際連合から、信託統治から日本に還るような機運を作るところの点を十分に反映せしめて置いて頂きたいと、こういうようなお願いでございます。この問題は前から数回お願いしておるのでありまするが、今回この最後の、講和條約に対するところの批准国会でありまするので、特にこの点をお願いいたしまして失礼いたします。(拍手)どうも有難うございました。   —————————————
  85. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 参考人に対する御質問がありましたらば発言願います。
  86. 吉川末次郎

    吉川末次郎君 参考人の尾形さんにお尋ねしたいのでありますが、尾形さんは共産党内の外交のエキスパートとして、非常に我々は参考になるお話を承つて深く感謝する次第であります。お話になりました内容につきましては、我々といたしましてはもとより国際政治の分析の意見につきまして、又その他の点についても意見を異にするところが多いのでありますけれども、議論するというようなことが目的ではないのでありますから、午前の尾形参考人と幾多共通面を持つて御公述になりました今中君の証言につきましても、又同様意見は違いますが、意見は述べません。ただ質問いたしましてこの際参考にお答えを願いたいというだけであります。  それで第一に尾形さんにお尋ねいたしたいことは、サンフランシスコの会議におきましてロシアの全権のグロムイコ代表が発表いたしましたあの修正案の中にある賠償の問題、英米から出しておりまするこの條約案の賠償に対する要求よりも非常に苛酷の感を日本国民ソ連の要求は與えたと思うのでありますが、賠償の問題、それから又日本に微力であるけれども一定の海陸空軍の兵備を與えるという修正案をグロムイコ全権は出したのでありますが、あれも從來の日本共産党が国民に宣伝して参りましたこととは非常に違う感じを、私は当時アメリカにおりましたから知りませんが、併しやはり今もその感じは続いていると思いますが、併しやはりこれも非常に猪突的にソ連は兵備を、再軍備日本にさすのかというので、日本共産党の平素の主張と非常に違つたような印象を私は国民は受けたのじやないかと推察いたすのでありますが、これについでどういうようにお考えになつておるかというようなことを一つ伺いたい。  それから第二にお尋ねいたしたいことは、ソ連は絶対的に平和主義的な立場の外交政策をとるものであるというような話の内容であつたと概略申上げていいかと思うのでありますが、もとよりそれはいわゆる共産党の立場からいたしまするというと、ブルジヨア国家ソ連からすると資本主義国家は全然違つたこと言うのでありましようが、ところがこの社会主義の世界の諸政党の団結でありまするコミスコと言われておるもの、それには社会党からも代表者が参加したのでありますが、そのコミスコの社会主義インターナシヨナルの決議を見まするというと、こういうことが書いてあるわけなんであります。これは原文は英語でありますが、国際共産党の運動というものは單一のシングルな帝国主義者国家の機関である、インストルメント・オブ・ア・シングル・イムビリアリスト・ステート、こういう言葉を使つておるのでありますが、国際的共産党の運動というものは、たつた一つの国、即ちそれはソ連を指していると思うのでありますが、その單一帝国主義国家の機関であると、それから又それは自由或は自由を得るところの機会というもの、フリーダム・オア・ザ・チヤンス・オブ・ゲイニング・フリーダム、即ち自由或は自由を得るところの機会というものを破壊するところの、デストロイするところの力を進めておるものである、アツチーヴド・パワー。こういうように書いてあります。それから同時に国際共産党の運動というものは軍事的な官僚政治に基礎を置いているものである。又テロリストの警察というものに基礎を置いているものである。即ちア・ミリタリスト・ビユーロクラシー・アンド・ア・テロリスト・ポリスにベースを置いているものであるります。こういうように言つているのであります。そのほかいろいろ共産党の外交政策或は国際政策をそういう立場からいつて、それに対抗しなければならんと、世界の社会主義者、まあ共産主義者にあらざるところの社会主義、社会民主主義者といいましようか、或いはこの決議ではデモクラチック・ソーシアリストという言葉を使つておりますが、民主主義的社会主義者は、ソ連中心とするところの国際社会はこういうものであるからして、即ち帝国主義的な軍国主義的なものであるからこれを破壊しなければならんという決議をしているのでありますが、これについてまあいろいろ勿論御意見は違うと思うのですが、どういうようにお考えになつて、どういうようにお答えになるか、まあそのお言葉を参考にしたいと思いますので……。
  87. 尾形昭二

    参考人(尾形昭二君) 細かい問題に入つたわけで、勿論こういう面からもいろいろ誤解があろうと思いますので、私できるだけお答えしたいと思いますが、実は私は先ほどは一般論を申上げましたが、細かい点につきましては碌に考えてもおりませず、果して御満足行くかどうかわかりませんが、私もグロムイコの演説の修正案は一遍読みました。あれによりますと賠償問題がありまして、私の記憶では各国が集つて日本も入つて協議をするということになつておりますので、その結果、果して苛酷なものを日本に要求するかどうか、私は疑問を持つておるのです。そこで今後、先ほど言いましたように一体どういうふうになるか。これはゼロなんですが、今の條約自身を見ても、どんなものが出るかわからないという点から申しますならば、必ずしもソ連の修正案それ自身が苛酷なる賠償を日本に要求するという前提から出されたものとは、私は解することはできないだろうと、こういうふうに考えております。それからソ連軍備を持たすという点と、まあ共産党系一派が世界におきましても再軍備反対を唱えておるというのと、一体どういうふうな関連があるかということ、これも私はよく存じませんが、これを第一理解する上に先ず大切なことは、ソ連日本に持たそうという再軍備の性質、これは一体どういうものか、御質問のかたは或はこういうふうにお考えになつていやしないかと考えるわけです。再軍備は或る程度持たすと、そうするといわゆる我々の今問題になつております今後持つであろう再軍備の場合と別に変らないじやないかというふうにお考えじやないかと思いますが、ソ連日本に許そうという再軍備というものの性質は、我々が今この條約によつて持とうとする軍備とは全然性質が違うものであるということを、私ははつきり一つ指摘申上げたいと思うわけであります。ソ連の言つたこの軍備というものを見ます場合に大事なことは、ソ連が提示しておりますところの対日講和條件、あの中の一環として取上げなければならないと思うわけであります。先ず第一に日本ほどの国にも軍事基を與えないし、どの国の兵隊も置かないということであります。そういう立場において日本が再軍備した場合においては、これらの外国の軍隊と結びつく軍隊でない、全然純粋な、日本的な軍隊である、これが一つの性格だろうと思うのであります。もう一つは、日本はいわゆる外国に敵対する同盟に加わらないという義務を負うわけでありますから、日本が持つところの軍隊というものは、これは外国のお先棒を担いで、一朝事あれば外国にまで出掛けて行く、そういう軍隊ではない。純然たる国内の防備の軍隊である。この点が又いわゆる現在問題にされておる軍隊とは全然性質が違うというふうに私は考えます。又第二に数が制限されておるという点からいいまして、いわゆる無制限に日本が再軍備をする場合に比べまして、これが日本のいわゆる政治、経済に対してのインフルーエンス、いわゆる軍国主義的な傾向を助長するという心配は、或る制限を加えているだけに非常に少い。そういう軍隊であろうと思つております。これに加えましてソ連講和條件によりますと、日本にいわゆる民主的の権利を保障するということをはつきり書くようにというのが第一の條件でありますので、即ちいわゆる民主的な勢力下に置かれる軍隊である。從つてこの点からもこの軍隊はいわゆる軍国主義的な傾向を助長する要素を持たない。そういういわゆる特殊の性格を持つておる軍隊だと私は考えるわけでありまして、從つてソ連日本に持たそうという軍隊というものは、日本が今後持つであろう我我が希望しておる軍隊、今の当面持とうとしておる軍隊とそう変らないのじやないか。だからおかしいじやないかという議論は、この点からも一応私は崩れるだろうと思います。然らば一体世界の平和勢力日本の再軍備反対を、世界平和擁護評議会のほう、又中国などがはつきりと再軍備反対を唱えておるのに、ソ連はなぜこういうものを出したかという点につきましては、これは私はよくわかりませんが、併しこの場合に、我々としてソ連の立場というものを考えて見ます場合に、ソ連のほうはいわば世界を相手にしておる、非常に芸が大きいわけでありまして、サンフランシスコ会議のグロムイコの演説を見ましても、いろいろな方面に配慮を用いて行われておる。從つてこの軍備の問題につきましても、ソ連としましてはいわゆる日本の輿論、動向というものを見ておる。或る程度日本としては再軍備をしたい。そういう気持がある。從つてこれにミートするということは、ソ連としては一つ日本に対する政策としてとるのに、現実の政策として或いはこれは一応考慮に入れなきやならないという立場をとつたのかと、私は考えるわけであります。かと言つて、然らば日本に対して無制限な軍備を許すかということになりますと、いわゆるこれまでのポツダム宣言、ソ連がやかましく主張したポツダム宣言というものとのかね合いがあるわけであります。從つてソ連としましては只今申上げましたような大きな枠の中に若干の或る程度の再軍備というものを、日本が一応輿論として希望しておるその要求に合わそう、その立場からいわゆる制限附の軍備というものをこの対日講和條件の中に織込んだのじやないかと思います。併し、申すまでもなくソ連としましては、いわゆる軍備の縮小ということをやかましく提案しておりますし、でき得べくんば軍備全廃というようなことを提案しておりますので、でき得べくんば日本としても軍備を持たないことを希望しておる。從つてソ連の本当の意向としましては、世界平和のためには再軍備をしないということがソ連の基本の政策かと思つておりますが、只今申上げましたように、ソ連は立場が世界的な立場をとつておりまして、各方面のことを考慮しますので、いわゆる害にならない、外国侵略しない、そして又軍国主義が起らない範囲においては、一応は日本の現実の政策として再軍備というものを或る程度許そうという立場からこういう政策も出たのではないかと思つております。いわゆる共産主義世界平和勢力の本当の軍備に対する考えというものは、これはむしろ中国が主張している再軍備反対、世界平和勢力ソ連、中国も入つているところの世界平和勢力の主張のほうが本來の義であろうと私は理解いたしております。  第三には、いわゆるソ連の平和政策に関して、私が思い出します点につきまして、いわゆるコミスコ方面の御批判があつたわけであります。この点につきましては申すまでもなく、御質問者自身が申されましたように全然これは見解が違いますので、又私自身としましても共産党側のいわゆる主張というものを詳しく存じませんので、はつきり御満足行く回答ができるかどうか存じませんけれども、先ずあとの点から申上げますが、例えば自由を破壊する、軍事的独裁である、それからテロリストであるというような点がありますのですが、この点はほうぼうで問題になるわけでありまして、ソ連においてはテロが行われたということは、これはいわゆるゲーペーウーのことで皆さんの頭にもよく入つておるわけでありますが、これを見ますと、一体どういう條件の下でソ連の革命が行われたとかいうことを我々は先ず考えるべきだろうと思います。三十四年前一般の支持も少いうちに労働者を中心として革命をやつた。反対が非常に国内に起つたことはもう歴史で御存じの通りであります。その上に世界の列強がこれに対して干渉して來たわけであります。これに対して反抗しなければ自分がつぶれてしまう。自然ここに受身に立つてテロというものが必然的に起つたろうと思うわけでありまして、これ即ち共産革命それ自身の性格とおとりになるのは私は行き過ぎだろうかと思います。現に共産主義的な革命としまして中国において、又東ヨーロツパ諸国において起つておりますが、これに対して果してソ連革命当時のようなテロが行われたか。あのもの好きなリーダース・ダイジェスト一派の者すら取上げておりません。ただ僅かな個々の人に対してミンドセツチ卿とかナギーとか、個々の人に対して相当強い警告が行われたということは取上げておりますが、一般の市民に対してロシア革命当時におけるようなテロは行われなかつた。四囲の状況も違う、国内状況も違うわけであります。從つていわゆる共産革命イコール・テロを伴うものだということを、ロシア革命から共産党革命それ自身を性格付けるのは、私は間違つていると思います。ロシア革命においてテロがあつたとしますならば、只今申上げます世界の列強がこれに干渉して、どつちが先にテロを行つたか、ブルジヨア陣営のテロのほうが先行したのじやないかという点を我々考えるべきだろうと思います。  それから自由を破壊する、これが問題なんですが、この場合に一体自由とは何ぞや、突飛なものと考えられる傾向があるわけであります。共産党主義は自由を主張するとか、共産政権になれば自由が何でもあるのだというふうな前提があると共に、又逆にそれには一つも自由がないという、そういう二つの矛盾した観念が頭の中で皆さんつていると思います。これはもう少し問題を現実に引下げまして、一体我々はどこに自由があるのだ、日本の一般大衆ほどこに自由があるのだ、働く自由があるのか、働いて明日の生活が保障されるという自由がどこにあるのだ、これはあるというお方があれば私は御意見を拜聽したいと思いますが、ソ連においては絶対そういう不自由はないということだけでも、ソ連が一体どこに自由を破壊している、そういう自由な努力を仰えつけている、人々の自由を奪つている、これは言えると思います。それ以外の何ものでもない。ソ連国内においては失業者がない。そうしてすべての人の生活が只今申上げますように、今度ロハで皆にどうして食わそうかという段階にまで行きつつある。これ以上の自由は私は現在の社会においてはあるまいと思いますので、自由はどつちに強いかと言えば、私はソ連において自由がずつと百倍にも多いと申上げてよいと思います。  次に軍事的、独裁的、ミリタリー・ビユーロクラチズム……、どういうことを意味するか存じませんが、これはトロツキーが言いそうな言葉でありまして、いわゆるミリタリスト、軍閥だろうと思います。この点につきましては、御存じのようにソ連の現在においてどの程度軍閥がはびこつておるか。これは東京日日などが面白い記事として掲げておるようであります。私の知つておる範囲ではこういう傾向は一つもない。これは戰後軍人が非常に功績を立てました。これがはびこりやしないかということが日本的な尺度、資本主義的な尺度で憂慮されたわけでありますが、先ず第一に戰争に勝つた初めてのいわゆる官民を集めた大宴会で、スターリンはこう言つておる。お前ら指導者たちは、お前らが勝つたと思つたら間違つている、人民が勝つたのだ、こう言つております。このときにいわゆるこういう立場をとつておる。その後私は軍人がはびこつておるというようなことを聞いておりません。從つてこの問題が、どういうことを具体的に指しておるかの問題であります。それがわかりますれば、私は大体これまでの見ておりますところでは、やはりいわゆる文官、政治家、それがやはりソ連の動向を決定しておるのだというふうに申上げて差支えないと思います。  最後に問題は、結局私の困りますのは、單一帝国主義であるわけでありますが、いわゆる資本主義陣営からはソ連を帝国主義と言い、ソ連陣営からは資本主義を帝国主義、全体主義云々と言つております。問題ほどつちがどうなのかというふうで、私もこれをはつきりお答えしかねますが、それで私は先ほども申上げましたように、一つは今中教授が御指摘になりましたように、共産主義いうものはああいう立場を取つている。もう一つその基本的なことは、これはよく御説明申上げられませんが、いわゆる共産主義、マルクス主義、レーニン主義の基本をなしているもの、あれによればいわゆる資本主義は、これは止むを得ずそういう帝国主義の形態を取る、この要素をぶちこわして平和を保つためには、いわゆる社会主義革命でなければならないといくわけでありまして、從つてこれまで言われている帝国主義というものをぶちこわすというのが、いわゆる資本主義制度に代る社会主義であります。從つてこれまで言われている帝国主義というものが、社会主義制度の下ではあり得ないというふうに私は言えるかと思います。先ずそういうことは、私も余り学問的な御説明はなかなかむずかしいので申上げかねますが、先ほど私が申上げましたように、一体ソ連の場合と、それからアメリカ、フランス、イギリスの場合と、どつちが戰争をするか。軍備拡張をやつている、世界に基地を持つている、平和産業を犠牲にして失業者は街に追い出されている、物価は上る、賃金は抑えられているというような状態と、先程申上げましたようなソ連の場合と……国内のいわゆる模様、様子というものと、どつちが戰争に打つて出ようという形を取つているか。戰争に打つて出ようという形を取つているのが帝国主義だと思うわけであります。この意味からしますれば、ソ連のほうがずつと帝国主義的でないというふうに言えると考えるわけであります。
  88. 岡本愛祐

    ○岡本愛祐君 金森さんにお尋ねいたしたいと思います。  先ほどのお話で憲法第九條を中心にしてお話がありましたが、自衛戰争をする権利は憲法第九條は認めている、併し自衛のためにもこの戰力というものを持たないように規定している。こういうお話でありましたが、併し自衛の範囲内ならばアメリ軍の駐屯を許すことは憲法第九條に反しない。こういうふうに言われておりますが、併しそこをもう少し御説明を願いたいのでありまして、一方から言えば自衛のために自分で戰力を持たないということを規定しているならば、人を雇つて來て戰力を持つてもいけないという議論も立つのじやないか、こういうふうに思うのであります。で、この憲法第九條第ニ項に「前項の目的を達するため、」ということがあるのですが、これは芦田さんにじかに聞いたのでありますが、それは自分が修正案としてその條項を出した、その出した理由は、自衛権の発動をする場合に必要であれば戰力を持つてもいいつもりで出したのだ、それが幸いにして通つた。それで芦田さんとしては、「前項の目的を達するため、」のときには、つまり侵略戰争をするための戰力を持つてはいけないけれども、それから除外されている自衛権の発動のために要する戰力というものを持つてもいいのだと、こういうふうに解釈している。まあそういうふうに解釈しないと、外国の軍隊におつてもらつて、そうして自衛をする、こういうこともうまく説明がつかないのであります。こういうふうにも考えますが、その点を先ず伺います。
  89. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) 今お話になつておりますのは、一つ途中に予想を入れないと、予想と言いますか、仮説を入れないとうまく行きませんが、我々は国家の権威を十分に承認しておりますから、自衛権というものは絶対に放棄しない。これが第一項の意味でありますけれども、悲しいことではありますが、我々は過去において大きな過ちをやつた世界に迷惑も惹起したので十分自制をしなければならん、我々は軽率なことをする危險性があるということを自制いたしまして、從つてあぶないことをやめるためには飛道具を持たない、これが先ほど申上げた線であります。併し我々が軽率であるにしても、世界は必ずしも軽率ではありませんから、例えば国際連合が代つて我々のために骨を折つてくれるならば、それは信頼してもいいのじやないか。これは非常に悲しき信頼でありますが、日本のおかれた実情、過去の過失を念頭におけばそういうことも成立すると思います。そこで憲法の前文の中の、平和を愛する諸国民に信頼するということは、やはりそういう場合も裏表になつて予想しておられます。その平和を愛する諸国民ということは何を予想しているか。これは憲法の文字でははつきりしておりません。記述の仕方から見れば、国際連合というものを主として念頭に置いておつたに相違ございませんが、言葉はもう少しく広く生きている、こういうふうに一応私は理解いたしております。  それから芦田さんのお話の、憲法の第九條の第一項の字句を少しく改めて、第二項のほうに「前項の目的を達するため、」と、こういうふうにすることによつて日本は再軍備ができる、戰争ができる。こういうようなふうに御解釈になつているということを、印刷物において見まして、私は芦田さんに、これは個人的な問題でありまするが、そういうことを正式におつしやつたかと言つて聞いたら、そんなことは言わぬと、こういう話でありました。私どもが、芦田さんのお考えの中まで推測することはできませんけれども、これが当時衆議院の委員会、それから又派生しておりまする小委員会でこの問題が起つたのでありまして、当時の修正……、或いはそのときに、私の記憶が確かであるならば、下手をすると、こういうふうに直すと、日本が自衛戰争のために軍隊が持てるという解釈が起る心配はないかという、それは私も非常に杞憂を持つて、特にそういうことを聞いたのであります。そうしたら、何かそういうことば起らぬ、そんな解釈は出ないと、こういうように私は聞いたように、はつきり記憶しています。そうして、そのあとですぐ書かれた芦田さんの憲法の註釈論の百数十頁になるものがありまして、あの中な見ますと、芦田さんは、自衛戰争をする権利はあるけれども、九條の第二項が、これはちよつと少しそこの所、筋が違つてはおりますが、あそこで交戰権を認めないということになつているから戰争はやれないのだ。こういうふうになつております。そういうふうに筋な辿つて読みまして、そんなに、その時から芦田さんがそういう考えを持つておられたとは我々は受け取れないのであります。そして今度遡りまして、第二項に「前項の目的を達するため、」と、こういう言葉が入りましたために何か現在のままでも軍隊が持てるような疑問が出る。こういう一つの見方が成立するのでありますが、それはいわゆる非常に限られた法律專門家の一つの見方によりますると、或る程度その匂いは出て來ますけれども、正直にあれを見てみますると、どうも開き直つてあの字を忠実に見てみますと、そういう解釈がどうも出る論理的な余地がないように私は思つております。私は今まで、先ほど申しましたように解釈しております。
  90. 岡本愛祐

    ○岡本愛祐君 それからもう一つお伺いしたいと思いますが、やはり金森さんは、この條約には再軍備をするということは含んでいないというふうにお話になつたと思います。併し、この安全保障條約の前文を率直に読んで見ると、何か再軍備前提にしておるじやないかというふうに見えるのです。例えば日本は自衛権を行使するために有効な手段を持たないから危險がある、それで暫定的にアメリカ軍に駐屯をしてもらう、それからアメリカのほうでは、自分もそれじや極東における国際平和と安全のために、現在若干の軍隊を日本に置くことが必要であるから軍隊を維持する意思がある。併しそれは永久では困るので、日本がまあ漸増的に、だんだんとみずから貴任を負うに足る防衛力、即ち自衛をするための軍備を備えるようにすることを期待する。こういうふうに、すらつと読めば見えるのであります。そうすると、どうしてもそれは再軍備ということを前提として、この條約ができているというふうに解釈されるのですが、その点はどうですか、お伺いいたします。
  91. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) 只今のお話の点は、私はこの案文ができまする事情を一つも知つておりません。從つて文字を読んだということからして、自分の判断をきめるよりほかに途はございませんけれども、近頃の法律というものは、或いは法律に類したものは、昔の法律のように純粋に法律的な事項を書くばかりではなくて、その前に希望を述べるとか、将來に対する何かの感想を述べるという法律的な内容を持つていないものを附け加えるという慣例があるように思つております。実は憲法の前文などにもそういうところがありまして、論理的に、法律的に見るというと、甚だ解釈に苦しむようなところもございまするが、そういうものが入つておる。そこで安全保障條約の案文を私は何らの引つかかりもなく読んでおりまするときに、結局希望の部分、それから法律的な部分、二つが混ざつておる。それは法律的な部分は再軍備に触れていない。希望の部分は再軍備に触れている。その二つを結び付けるのは法律以外の一つの妙な、新らしき法律が持つておる特殊な拘束的でない一つ内容であろうかと考えております。
  92. 楠見義男

    ○楠見義男君 憲法問題で金森さんにお伺いするのですが、今の自衛権の問題、自衛戰争の問題なんですが、いろいろ学者の間でも議論があるのですが、一応金森さんの先ほどお話になつたことを前提として、その通りとしてお伺いするわけなんですが、お話のように日本は戰力は持てない、併し外国の兵隊である場合には憲法に支障ない、こういうお話でありますが、例えば今回の日米安全保障條約に基く米軍の駐屯の場合、経費を日本が負担する。いわゆる共同防衛という場合、こういうふうになつて参りますと、單純に外国が駐屯するという場合とは実質的にはよほど私は趣きが違うのじやないか、そこで憲法に言つておる戰力を持つちやいかんということは、まあ極端なことを言えば、全部日本が経費を負担した場合でもそれは日本の戰力にならない。こういうふうに、形式的なと言いましようか、そういうふうに解釈すべきものでありましようか。それとも実質的な意味における戰力というものを意味しておるのか。この点、先ず第一点として伺いたい。  それから第二の点は、今、岡本さんからもお話になつたと思うのですが、再軍備の問題はいろいろ希望的な観測、或いは将來に対する推測等もありますが、仮に警察予備隊というものがだんだんと裝備を完備して行きまして、そうして将來それが日本の再軍備に切替えられた。こういう場合を考えます場合に、それは再軍備として見るんだ、こういう政府と言いましようか。政府の意思に基いてできたときが初めて戰力になるのか。実質的にだんだんと裝備をその目的のために持つて行く、完全にするためにだんだんと裝備を整えて行くという、いわゆる再軍備の準備の場合には、それは憲法第九條に当るか。違反になるかならないか。即ちもう一度申しますと、それを再軍備と政府が認めた場合に、意思を明らかにした場合に憲法九條の違反になるのか。準備時代には違反にならないのか。この点を伺いたいと思います。
  93. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) 第一の問題は、この実質上の権利はあつても具体的な裝備を持たぬというところは、結局日本が行き過ぎをやつて、間違いをしでかしてはならないという、日本がみずから自粛する意味において反省をするということが根本の趣旨だろうと思つております。從つて実質的な点でこれは解決すべきものでありまして、軍隊を持つということがよその国の手で行わるるならば、経費その他の附随的な問題について日本がそれに対して若干の確保をする。又論理的な、極端な場面として、全部の経費を負担するということになりましても、好んでそういう軍隊は作りたいわけではありませんけれども、まあ論理的にそう考えたときにどう見るかということでありますれば、一応支障ないように私は考えております。  それから第二の点の、警察予備隊というものを漸次充実さして行き、そして或るときに制度としてそれを軍備に振換えて行くというような場合を予想いたしますと、私の考えておりますのは、戰力を持たないということは実質的な問題でありまして、何が戰力であるかということについては、これはいろんな解釈ができましようが、観念的に言えば戰力という実体を我々は持たないと、まあこういつたものでありまして、或る関係者の意見によつてその性質を変えることはできないと思つております。あれはこの前の議会の時でも、まあ、あの当時はそこまでは誰も予想していなかつたのでありまするが、併し幣原さんがどつかの委員会で言われたと思いますが、機関銃の一つ二つつてつたつてそれはかまわんと言われましたが、その気持は正しいのでありまして、結局戰力というものはおのずから客観的に正常でありまして、国際間の戰争において通常用いらるべき一つの実力手段、まあこんなふうに考えることが正しいと思つております。でありますから、これをカムフラージユして、戰力に該当するものをほかの名称で持つということは、持つた途端に憲法の精神に反するものであると思つております。ただ事実上の問題といたしまして、どこまで行つたら戰力になるかということは、これはまあそのときどきの常識で判断して頂きたい。
  94. 楠見義男

    ○楠見義男君 賠償の問題で山下さんにお伺いしたいのですが、在外資産の補償の問題について非常に有益なお話を参わりまして、大いに参考になつたわけでありますが、その問題に関連してお伺いしたいのは、連合国財産に対する補償の問題でありますが、現に他の委員会にその関係の法律案が出されておるのでありまするが、例えば広島に対する原子爆彈、或いは長崎に対する原子爆彈等も、こういうような無防備都市に対して加えられた攻撃によつて生じた旧連合国の財産に対しても日本は補償しようとしておるのか。そこでお話になつた在外資産の補償問題とかれこれ勘案いたしますと、非常にそこに不公平な感情を我々は持つているのでありまするが、それはそれといたしまして、そういうような無防備都市に対する攻撃によつて生じた財産に対して補償をするようなことについてのあなたの御意見、それから又若し御存じでありましたら諸外国における先例等についてお伺いできれば仕合せと思います。
  95. 山下康雄

    参考人(山下康雄君) 広島が無防備都市であつたかどうか。これはまあ問題だろうと思いますが、併し大体爆撃に関しましては国際法上軍事施設目標主義というものが、一応国際條約ではありませんが、慣例では確立しておるわけであります。でありますから特定の兵営なり、或いは特定の軍事施設に対して爆撃をすること、そのとばつちりを食つて、側杖的に近所の民家がやられたというのは、これはまあ仕方ないのですけれども、併し初めから計画的に絨氈爆撃のようなことをやるということは、從來の国際法上は許されないことなんです。從いまして原子爆彈によるところの広島の攻撃、その他の東京都に対する無差別爆撃は国際法上明白に違反の攻撃であります。で、それもまあそれに基いて日本国民は当然に国際法上の権利として、連合国に対して、アメリカに対して損害賠償を受ける権利が国際法上当然生ずるわけであります。それを今度の講和條約で放棄したわけであります。でありますから、その点におきまして極めて不公平であるということは止むを得ないのであります。これはまあ戰敗国であるということと戰勝国であるということの境もあると思いますが、この権利を放棄したということ自体から言いましても、その攻撃が国際法上違反であるということが当然言える。そういうことが前提にあつて、その前提の下に権利がある、その権利を條約によつてここにはつきり放棄するということになれば……。それでありますから連合国財産が仮に広島にあつた。それが爆撃によつて損害を受けたということになりますれば、その連合国財産の所有者である連合国民アメリカに対して損害賠償の請求権も持つているわけなのです。それは日本に対して請求権を持つているわけじやない。アメリカに対して当然持つべきだ。それを日本の国が補償する、代つて補償するということは、もう損害賠償の法理では説明ができない。そこには当然戰争そのものを起した責任が日本にある。だからその戰争の原因、損害の原因の如何を問わずすべて日本が補償するということは、結局今度の平和條約には日本戰争責任ということは明白には謳つておりませんけれども、実質的にはそういう日本戰争責任を前提としなければ理解することのできない、そういう規定があるわけなんであります。勿論連合国財産補償法案というものは飽くまでも一応日本の法律であります。日本の法律でありますけれども、あの條文を御覧になるとよくわかる通り日本の法律の書き方ではありません。これは全く條約の書き方であります。日本の法律の中には一々日本政府はどうする、日本政府はどうするというような書き方をした法律は私は末だ曾つて見たことはありません。でありますから、あれは当然連合国が示した法律であろうと思います。そういう意味で、一応日本の法律ではありますけれども、実質的には講和條約の一部を成す。その講和條約の一部を成すところのものにおいてそういう責任を課せられたということは、つまり結局日本戰争責任を明文を以ては追求していないけれども、そういう責任の根拠としてそれまで拂わせようという解釈になると思うのであります。でありますから、まあその戰争責任まで追求されるということになれば、もう何とも言いようがないということになります。
  96. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 今中参考人から自衛権のことについて一言発言したいという御要求があるのですが、御異議がなければお許ししたいと思います。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり。〕
  97. 大隈信幸

  98. 今中次麿

    参考人(今中次麿君) 只今金森先生のお話を承わつて一言発言したいと思いましてお願いいたしましたわけですが、それは、さつきのお言葉の中にありましたように自衛権についてはいろいろの概念があるということ、御尤もでありますが、最近御承知のごとくあの横田喜三郎君の自衛権という著書が出ましてこれは非常に、私、賛成でございます。自衛権の説明に関する限り非常に賛成であります。横田君今日見えておりませんので御紹介しておいて、自衛権ということが間違つて考えられないように、これは非常に重要でございますから一言申しておきたいと思います。それは今日自衛権と言われておりまするものは、国家の生存権とか、或いは防衛権とかいつたようなものではないのでございまして、国連憲章の中で認められておりまする時別な一つの権利、国連憲章の中に、その自国を自衛する権利がありということを認めまして、自衛権という言葉が使つてございます。急ぎますから引証いたしませんが、それは五十一條でございますが、その自衛権、この自衛権と申しまするものは連合に加入しておりまする国が紛争が起りました際に、一応国連のほうにその解決を要望いたしまして、而もその要望に応えて、未だ国連のほうが或る手段を発動するまでの間、相手国が傍路行為に出た、これをどうするか。この場合においては甚だ困りますので、單独の自国武力を以て応分の処置をする権利を認める。これが要するに今日の国連憲章における自衛権と称するものであります。いろいろまあほかの立場からの自衛権というものも考えられるだろうと思いまするが、フランス革命以來、戰争を防止しようとして参りましたこの各国憲法の條文の発達の歴史の過程から参りまして、自衛権という観念は極めて極小な内容を持つております。今月ではその歴史的な意味において、さような極く限られた、この国連の紛争解決手段が発動せられるまでに至る、自国武力による防衛というのでございますから、自衛権が侵略戰争へ出て行くという危險一つもあり得ないはずであります。でありますから、そういう意味において自衛権、こういう言葉がこの本会議においても御使用になることがこれは適当なことであろうと思います。そういう意味において九條なり前文の戰争放棄ということが了解せられなければならん。從いまして、私は專門ではありませんが、專門に近い者として一言申し添えておきたいと思います。
  99. 大隈信幸

  100. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 大分遅くなつて恐縮なんですが、金森、山下両参考人の御意見ちよつとお聞きしたいと思うのであります。  まず金森参考人の御意見を伺いたいと思いますが、この現在の日本国憲法が制定せられましたときにおきまして、日本国が他国と軍事協定を結ぶというようなことはお考えにたつておられたのでしようか。お考えになつておられなかつたのでしようか。それを先ず伺つて置きたい。
  101. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) 私どもが扱つておりまする間は、その問題を念頭に置いたことはございませんでした。
  102. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 念頭に置かれなかつたというのは、そういうことは当然許されないことだというふうにお考えになつてつたのか。或いはそういうことは全然考えなかつたということなのですか。
  103. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) そういうことを特に甚だそこまで心を用いる余地がなくて、念頭に置かなかつたと、これだけのことであります。  併し他の一面から考えますると、前文の中に平和愛好諸国民に信頼するというような言葉がございまして、あとから考えてみますれば、そういうところに一つの予想があり得たものだとは思つております。
  104. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 そうしますと、具体的には今中参考人からの御意見もありましたように、さつき、おつしやつた日本国憲法が持つている非常に遠大な考え方と、それから比較的近い問題の考え方、その二つの間の基準というのは、今問題になりましたような自衛権の場合に、その日本の自衛権というものが、日本武力によつては守られるということは予想されていないというお説でしたが、それが日本武力でない武力によつて防衛されるということが、現在の憲法で考えられるとすれば、さつきから今中教授の述べておられるような国際連合の決定によるような、そういうものによつて守られるということは認められるじやないか。併しながら特定の国の武力によつて守られるということを現在の憲法が認めているだろうかどうだろうか。これは当時お考えになつたかならなかつたかということからは離れまして、日本が過去において武力を甚だしく侵略主義に用いたということが反省されるということは、同時に何も世界日本だけがそういう点において責任を感ずればいいので、他国は感じなくていいということはあり得ないのですか、一国の武力というものは、とかく侵略主義的に使用され易いということが、特に日本の場合に反省されたというように考えるのが妥当じやないか。日本は非常に武力侵略的に使つた過去があるから自粛しなければならん、併し外国はそうでないというふうにはどうも考えられないと思う。  そこで日本国憲法の精神から言うと、まあこれは別に日本国憲法ですからアメリカのことやイギリスのことを勿論そこに明記することはないわけですが、併しそこに理想として、つまり一つの国の武力というものは、その一つの国だけの判断で侵略主義的に動かす場合がある。国際連合のような国際的平和機構の下にあつては、それが侵略的に動かないという保障が多少得られるのじやないかという、そういう歴史の進歩の中で考えてみますと、先にお話の日本に自衛権はある、併し自衛する軍力はない、具体的の問題として……。それならばどういう方法によつて自衛されるのかと言うと、日本武力によつては自衛されない。併しいずれか一国の武力によつて日本の自衛がなされるのであるという解釈が成立しまずか。それともそういう国際連合のような、そういう機構によつて日本の自衛権というものが守られるのであるか。自衛権を極く嚴密に解釈した場合においても、そういうことが論理工妥当するのじやないかという感じを抱くのでありますが御意見としては如何でございますか。
  105. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) ちよつと遡りまして、先ほど自衛権ということを今中さんが註釈をせられました。それは国際連合というものの中に入つて來考えますれば、その通りであろうと思つております。併しながら日本の憲法のその正文の中に行きますると、自衛権という言葉があるわけではございません。ただ国際紛争を解決する手段としては戰争を放棄する。それ以外の部面に残つておるものが相当あり得るのであつて、それがまあ私たちは急迫不正の侵害に対して、ほかに手段のない場合に身を守る。こういうようなふうに考えておりまして、極く緻密な問題……、国際連合の中に入つての問題というものは将來はそういうふうになつて行くのかも知れませんが、憲法を作るときにはまだ国際連合との密接な連関を考えていたわけではございませんで、いわばラフな自衛権を考えておつたわけであります。  それから理想といたしましは、もとよりこの世界に或る中心的な平和愛好諸国民の形作るところの勢力があつて、その勢力に信頼する、こういう気持であつたことは、これは疑いないと思つております。前文の中でもただ一国でないという趣旨を十分明らかにしております。併しそれは中心としての気持がそうであつたということだけでありまして、時代の変化に応じて種々なる様相が現われて來るという段階の中におきましては、法律的にそこにきちつと限定しておるというほどの強い規定が含まれておるとは思つておりません。そこに国際連合というもの、及びこれを含んでおる思想が次第に動いておるわけであります。その内容にいろいろの二週間の共同防衛というものも生れて來るといたしますと、その辺まで考えを拡めて行くということは、当初のぼんやりした気持とは違いますけれども、併し憲法自身の禁ずる範囲ではないような気がしております。
  106. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 もう一つだけ金森さんに伺いたいのですが、最近の政府なり或いは一般の新聞紙などの場合の取扱の場合に、先ほど岡本さんからも楠見さんからも御質問があつたと思うのでありますが、実際問題として、この安全保障條約の前文といいますか、第一條と言いますか、それがどういうことを意味しているかということとは無関係に、新聞なり或いは政府の答弁なり、或いは一般の日本議論なりに再軍備しなければならないということは当然だということを随分述べておられたが、まあ芦田さんなどもそうかも知義れませんが、そういう議論を読んだりお聞きになつたりしまして、この日本国憲法の立法の直接責任をお待ちになりました参考人としては、どういうふうにそれをお感じになりますか。
  107. 金森徳次郎

    参考人金森徳次郎君) 一体、人間というものは始終変化して行く、人間ばかりではないかも知れませんが、世の中はかなり急速度に変化して行くのでありまして、私どもがいろいろと意見を決定いたしまするときには、その時を中心として決定をするのである。将來何らかの発展があり得るということは、いつも念頭に置いておるのであります。憲法といえども又そういう一つ将來の発展性を予想しつつでき上つておるものと思つております。でありまするから、私が憲法を問題にしておりまするときは、再軍備をするということは極く限られた線においてのみ実は予想しておつた。実はと申しますか、私がいわばほぼ個人的な立場において予想しておりました再軍備の幅というものは非帝に狹いものであつたのであります。それは何かというと、我々は将來国際連合に入ることを希望しておる。国際連合に入つた場合何らの兵力を持たずしてこれに入るということは恐らく困難なものであろう。だから、そういうところに当面した場合、つまり憲法のできまする時を起点にして考えて行く、将來何年か後に我我国際連合に入ろうというときには、このままでは入れないのじやないかというような懸念を一つつておりました。これは議会でも起つた質問でありましたが、私どもはそのときに、そういう場合に処する考え方は、恐らく二つあるであろう。一つは、国際連合のほうで兵力を持たずとも中に加入することが許されるような途が開かれて來る、或いほこれを開く、これが一つ考え方であります。それから第二の考え方としては、我々は国際連合に加入するに必要なる限度においては、事によると、再軍備という方法に出でなければならんのではなかろうか。この二つの面を念頭に置いて、たしか衆議院の憲法に関する委員会の最終の会議のときに、芦田委員長からこの点に関して御質問があつたのであります。そのときに、この二つの途があり得るということを念頭に置きまして、そのときに至つて善処するという、比較的包容的な言葉を以て説明した記憶があります。今日のようになるとは当時は思わなかつたのでございます。世界の動き方というものに対して非常に残念な気持を持つております。でありまするから、若しできるならば再軍備という方法によらずして、日本の安全の保たれるように工夫して進むべきものではなかろうか。我々は安全を希望する。併しながら再軍備は希望しない。これが第一結論であります。けれども、他に何らの方法がなく、この途しか残らぬという場合には、将來考慮せらるることも止むを得ないのじやなかろうか。こんな気持を持つております。
  108. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 有難うございました。  山下さんにお伺いします。先ほどのお話の中に、在外資産が賠償に用いられる場合の補償の問題について御説明を頂いたのでありますが、その際の御説明のときにも、在外資産がいろいろな種類がある、ちよつとお触れになりましたが、例えば掠奪した財産とかというふうなものの場合。で、私の伺いたいと思いますのは、その労務賠償なり、加工賠償なりというようになりまして、現在現物賠償ということは考えられていないようでありますが、その現物賠償の場合に、つまり日本国内にある私有財産、その私有財産の場合に、それが特に、つまり、軍需工場などの場合です。純然たる軍需工場というふうなものが、一般に国際的に賠償の取扱を受ける場合、その補償との関係はどういうふうになつて來るか教えて頂けば有難いと思います。
  109. 山下康雄

    参考人(山下康雄君) 軍事賠償、軍事施設を賠償に用いた場合の補償との関係でありますが、その問題になつておる軍事施設が、軍が所有していたところの工場、海軍の工廠であるとかというのになれば、これは国有財産ですから、国有財産については補償の問題は起らないわけでここで問題になるのは、そのいわゆる賠償指定工場、現に指定だけではなくて持ち去られたものもあるし、それから持ち去られないで、指定されたまま使われないものもある。それで、持ち去られたものは、これは私有財産である限りはそれに関して当然完全に補償するとか、どの程度補償するとかということは別問題としまして、とにかく補償の義務はあるわけであります。つまり私有財産は、やつぱり国内財産であろうと、国外財産であろうと賠償に振当てるわけなんですから、当然補償の義務が生ずるわけであります。それから賠償指定の工場の場合は、指定が解除されますと、そうすると結局賠償のために取り去られたわけではないのでございまして、つまりそうすると、賠償指定という行為は、つまり本來所有者が使用し得る所有権の当然の発露として利用することができるのでありますが、その指定されることによつて、つまり一種の差押えされたような恰好になつて、それを使用し、利用して收益を上げることができない。却つてそれを保管するために油を差したり磨ぎをかけたり、監視人を付けたりして自分の費用で負担しておるわけです。ですから、それを使用することができなかつた期間における、つまり得べかりし利益の補償まで受けるか、或いはそれは位き寝入りになるかというような問題になるわけです。併し少くともその間、指定工場にされた間、自分で油を差し、自分で磨きをかけ、自分で監視人を付けていろいろな出費を投じた、その出費に関しては当然補償の問題が起つて來る。少くともそれは補償の問題が起つて來る。それならば、得べかりし利益まで補償するかどうか、これはいろいろの問題があろうと思います。その範囲の補償の問題が起るわけであります。掠奪財産の場合は、これは本当の掠奪財産ですね、軍人であつて、そうしていろいろな戰地で中国人の財産を泥棒して來たというのだつたら、これは補償の問題は全然起りません。軍票を以て中国でまるでスクラツプに近いような機械を買入れて日本自分で持つてつて、そうして部分品を取揃えたり、錆を落して立派に運転できるような機械になつた機械、これも初期における連合国の対日方針によつて、無価値の通貨によつて取得されたもの掠奪財産とみなすという方針によつて管理下にふいて返還せしめられたのであります。併しながら軍票が無価値になつたのは終戰と同時に無価値になつたので、戰争中は軍票として通用した。その軍票を受取つた中国人が、それによつて明日の米を買うことができたに違いないから、それは無価値じやない。ですから、そういうのは普通当時占領地において通用力を持つてつた通貨で以て日本国民が正当に商業的な手段によつて買入れて日本の国に持つて來たのですから、国際法の通念から言えば、それは掠奪財産ということはできないのですけれども、今度の特別な管理下の措置によつてそれを返させられたわけです。そうすると、それは一種の正当な手段による私有財産を取上げられたのですから、それに対する補償の問題も当然起つて來ると思います。それでよろしうございますか。
  110. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 有難うございました。
  111. 山下康雄

    参考人(山下康雄君) 国連加盟と再軍備の問題を、今、金森参考人からお話がありましたが、御参考に私の意見を申上げます。国連加入ということを理由にして、逆に国連に加入するのだから軍備を持ちたい。こういう議論をする人がありますけれども、それは誤まつておると思うのであります。現に国連の加盟国でありながら軍備を持たない国があるのです。その証拠に、アイスランドは軍備を持ちませんが、立派な国連加盟国として誰さ疑つていない。それから国連加盟国になるのには軍備を持たなければならないという一つの理由は、国連憲章第二條によつて国連の制裁に参加しなければならない、その制裁は或る場合においては軍事的の制裁になるかも知れない。そうすると兵隊を持つていない国はその制裁に参加ができないから、国連加盟国としての基本的な義務を果すことができない。よつて軍備を持たざるべからず。こういう三段論法になるのでありますが、これは誤つておるのでありまして、国連加盟国なるが故に当然軍事的援助をする義務はない。現にアイスランドが入つておる例を見てもわかるのであります。国連憲章の第二條に書いてあるところの義務は一般抽象的な義務でありまして、その一般抽象的な義務に基づいて具体的に制裁に参加する義務が発生するので、仮に日本が国連に加盟した曉において、安全保障理事会と特別協定に基いて日本軍備を提供することを約束したときに、初めてその義務が生ずるのであります。それは憲法で一般抽象的には国民の納税の義務がありますけれども、実際に国民の納税の義務というものは憲法から当然に生ずるわけではなく、特別な税金に関する法律が出たり、それからいろいろな施行法が出たりして、そうしてできるわけであります。それですから国連に加盟したら当然に軍事的制裁に参加しなければならないということは言えない。今金森参考人も言われましたが、日本としてはその場合いろいろ手を打つ方法がある。安全保障理事会と特別協定を結ぶときに、日本として相当の申入れをすればいい。こういうふうに私は考えております。
  112. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 山下さんにもつ一つ伺いたい。これは御意見がなければ結構でありますが、御承知のように、呉におきまして日本政府とアメリカのプライベートな会社の間に契約が成立しております。ああいう問題について理論上問題が指摘されることがおありでしたら、その御意見を伺いたいと思います。
  113. 山下康雄

    参考人(山下康雄君) 日本の商社ですか。
  114. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 日本の政府とアメリカの商社の契約によつて呉の軍港の施設が動いておるという事実を御承知ございませんか。
  115. 山下康雄

    参考人(山下康雄君) 存じません。
  116. 大隈信幸

    委員長大隈信幸君) 参考人一言御挨拶申上げます。今日は長時間に亘りまして、本委員会のために非常に参考となる御意見を御開陳頂きまして、誠に有難うございました。委員各位に代りまして厚く御礼申上げます。それでは本日はこれにて散会いたします。    午後六時三十九分散会