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1951-11-14 第12回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十一月十四日(水曜日)    午前十時五十一分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     長島 銀藏君    理事            森崎  隆君            高良 とみ君            紅露 みつ君            千田  正君    委員            大谷 瑩潤君            木村 守江君            玉柳  實君            内村 清次君            片岡 文重君            杉山 昌作君            木内キヤウ君   証人            宮沢 綱三君    四国在外公館借    入金緊急措置促   進会常任幹事長  中北  繁君            水田 直昌君            高碕達之助君            幡谷仙次郎君            大国  彰君    全国引揚者団体    連合会理事長  大滝 克己君   —————————————   本日の会議に付した事件 ○在外公館等借入金返済実施に関  する法律案内閣送付)  (右法案に関し証人証言あり)   —————————————
  2. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 只今から委員会を開会いたします。  本日は在外公館等借入金返済実施に関する法律案審査のため、七名の証人に御出頭をお願いいたした次第であります。なお高碕達之助君は十一時から出頭する旨連絡がございましたから、この点御報告いたしておきます。証人におかれましては御多用中御迷惑の点多々あつたかと存じまするが、御都合お繰合せ御出席下さいましたことに対しまして、委員会を代表しまして委員長から厚く御礼申上げます。  宣誓に入ります前に、証人に御注意申上げます。これから宣誓を行なつて証言をして頂くのでありますが、若し虚偽の証言を陳述したときは、議院に於ける証人宣誓及び証言等に関する法律第六条によりまして、三カ月以上十年以下の懲役に処する罰則があり、又正当な理由なく宣誓若しくは証言を拒んだときは、同法第七条によりまして一年以下の禁錮又は一万円以下の罰金に処せられることになつておりますから、この点御注意を申上げておきます。但し民事訴訟法第二百八十条(第三号の場合を除く)及び第二百八十一条第一項第一号及び第三号の場合を除く。)の規定に該当する場合に限り、宣誓又は証言若しくは書類の提出を拒むことができます。これも併せて御注意を申上げておきます。念のために先ず民事訴訟法第二百八十条の該当部分を朗読いたします。  第二百八十条 証言カ証人ハ左ニ掲クル者ノ刑事上ノ訴追又ハ処罰招ク虞アル事項ニ関スルトキハ証人ハ証言拒ムコトヲ得証言カ此等ノ者ノ恥辱ニ帰スヘキ事項ニ関スルトキ亦同シ   一 証人配偶者、四親等内ノ血族若ハ三親等内ノ姻族又ハ証人ト此等親族関係アリタル者   二 証人ノ後見人又ハ証人ノ後見ヲ受クル者  次に民事訴訟法第二百八十一条の該当部分を朗読いたします。  第二百八十一条 左ノ場合ニ於テハ証人ハ証言拒ムコトヲ得   二 医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教又ハ祷祀ノ職ニル者ハ此等職ニリタル者カ職務知リタル事実ニシテ默祕スヘキモノニ付訊問受クルトキ  前項ノ規定ハ証人カ默祕ノ義務ヲ免セラレタル場合ニハ之ヲ適用セス  以上であります。では宮沢綱三君から順次宣誓をお願いいたします。全員起立を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓行つた〕    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 宮沢 綱三    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 中北  繁    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 水田 直昌    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 幡谷仙次郎    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 大国  彰    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 大滝 克己
  3. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) これで宣誓を終りました。御着席を願います。これから証人のかたから証言して頂くのですが、その運営についてお諮りいたしたいと存じます。先ず委員長から証人のかたに順次証言を求めまして、これが終つてから各委員から証人のかたに質疑をするように取運びたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) では委員長から先ず証人証言を求めることにいたします。各証人のかたにおかれましては、この機会に種々御発言したい点が多々あることと存じまするが、時間の都合がありますので、各証人約十五分程度で要点をはつきりと開陳して頂きたいと存じます。なお委員会といたしましては、在外公館等借入金返済実施に関する法律案審査当り、当時の現地の実情を的確に証言して頂きまして、十分に法律案審査に資したいと思いまするので、この点御了承の上、要点を簡明に御開陳下さるよう重ねてお願いいたします。それでは第一点といたしまして、証人のかたの終戦当時における職歴及び終戦内地に帰還されるまで外地如何なる地位におられたかという点を第一点といたしまして、それから第二点といたしまして、在外公館等借入金返済実施に関する法律案による返済レートは主として当時における内地米価との比をとつているが、この点に関する御意見、第三点といたしまして、右法律案によると換算額五万円以上は打切りとなつているが、この点に関する御意見、以上三点について順次各証人発言して頂きます。
  5. 千田正

    千田正君 只今高碕証人が見えられましたから宣誓をお願いいたします。
  6. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) それでは高碕証人宣誓をお願いしたいと思います。それでは御起立を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓をおこなつた〕    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 高碕達之助
  7. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 御着席を願います。水田さん、何か御発言がございますか。
  8. 水田直昌

    証人水田直昌君) 私、証人としてこういう所に立ちますのは初めてでございますので、お教え願いたいのでありますが、「何事もつけ加えない」ということを、いま一度証人の心得としてお教え願いたいと思います。
  9. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) これは真実を申述べて頂きまして、偽わりを附加えて頂かないという意味のものであろうと私は心得ております。
  10. 水田直昌

    証人水田直昌君) 御説明了承いたしました。そういたしますると、お示しになりました証言要点に関連しましたことについて意見を申述べる、これはお許し願えると思いますが……。直接には関連いたしませんことでありましても、必要であると思われることを申上げるという場合には宣誓には触れないと、こう考えてよろしうございますか。
  11. 千田正

    千田正君 只今水田証人の御発言に対しましては、委員長はその場合は委員長の御判断によつて適宜御注意をされたほうがよいと思いますので……。
  12. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 只今千田さんの御意見もございましたので、委員長はさよう取計らうことにいたします。  それでは宮澤綱三君から一つ発言願いたいと思います。
  13. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) 証人終戦当時における職歴を申上げるのでありますが、私は終戦当時におきましては、上海におきまして主として時計及び貴金属等輸出入商をやつておりました。なお当時上海におきまするところの地位といたしましては、名譽職のことを申上げますと、上海日本商工会議所の常議員であり、且つ商業部長でありました。なお領事館方面嘱託といたしまして、上海居留民団における各種の主要な地位についておりました。以上であります。
  14. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 第二点を一つ続いてお願いいたしたいと思います。
  15. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) 私は第二点は、上海商工会議所の常議員商業部長、それから上海居留民団におきましては主として日本総領事館嘱託をいたしまして同法廷における調停委員政府復興資金審査委員、それから上海における税制の審査委員及び当時食糧に対して上海の十数万を賄うところの広生公団の仕事をやつておりました。
  16. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 私が第二点と申上げましたのは、先ほども申述べました通り在外公館等借入金返済実施に関する法律案によると、返済レートは主として当時における米価の比をとつているが、この点に関する意見、それから第三点が、右法律案によると換算額五万円以上は打切りとなつているが、この点に関する意見、これを順次一つ発言願いたいと、かように思う次第でございます。
  17. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) わかりました。第二点につきまして申上げます。政府が対処すべき返済方途を米に一つの基準をおきまして研究され、今回の上海におきまするところの日本金一円に対して法幣十二元という値段に持つて行きまして、それが適当として今度の法案に盛られているのでありますが、私は、仮に若し対華物価の制定が困難であつたために米に持つて行つたとするならば、それを必ずしも拒否いたしません。併し私ども政府が私ども提供金に対しまして、当時の米の値段に主点をおきまして勘案して、そうして日本金一円に対して法幣十二元と裁定されたことは私は不合理であると考えます。これの不合理であるという点は、二十一年当時におきまするところの日本の米の値段は非常に厳格なところの統制配給値段を以て行われておりました。それに反しまして上海においては当時の米の値段というものは、一切自由主義的な販売価格であつたのでありまするから、従つてその開きにおいても、当然日本考えるより以上の自由価格上海方面に行われてあつたということになりますので、従つて米値段日本上海ではそれほど違わないにかかわらず、余ほど違つておるかに見られたという点が、非常に上海方面返還率に対して不利な立場になるのじやないかと考えております。併しながらそれを仮に百歩を譲りまして、金一円を十二元と認めるといたしましても、それはどこまでも二十一年当時の日本における米の統制価格によるものでありまして、決して只今返還して頂こうという只今の米の値段ではないのであります。これをどなたも首肯し得られる言葉で、私が只今証言いたしますると、二十一年度におけるところの日本の米の配給価格は、私ども調査によりますると一キロ当り金三円六十三銭三厘であります。そういたしまして二十六年度である今日只今配給価格は同じ量目の一キロ当り実に六十二円であることは御承知のことと思います。即ち政府は三円六十三銭、三円六十銭強を返済することによりまして現実の六十二円を私ども返済したのと同様であるとの理論を強圧的に堅持するのであるといたしますれば、これは全く天下の奇観と申さねばならないのであります。その比率の差は実に二十一年度と二十六年度では十七倍にも上つておるということを御了承願いたいと存じます。  更に五万円の問題に移ります。私ども当時上海におきましてこの難民救済という問題に当りましては、出先官憲におきまして中国方面官憲に成るべく漏れてはいけない、よつて可及的に大口にまとめて提供して頂きたいということを我々に伝えまして、我々は又下部組織の各調査員にそれを伝えたほどでありますが、さていよいよ返済して頂くということになりまするというと、忽ち五万円以上は頭を切つてしまうということは、甚だ私は悪質的で、我々の肯定できないものだと私は考えております。で、こういうことを考えますると、政府只今返済の方針は、真に我々の債権債務という立場から適当にこれを返すということではなくて、これは本当にうるさいから涙金か何かで追払つたらいいじやないかという意図が多分に盛られておるように考えられるのでありまして、我々提供者の側といたしましては、如何にしてもこれを肯定することができないような状態でございます。以上でございます。
  18. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) それでは中北君に一つお願いいたしたいと思いまするが、どうぞ御発言願いたいと思います。
  19. 中北繁

    証人中北繁君) 私はもと台湾総督文教局に勤務しておりましたものでございまして、主に社会教育社会事業専務を担当していたのでございます。終戦直前におきましては台湾総督錬成官を勤務しておりました。引揚げまして、私は高松引揚同胞会専務理事に選任せられまして、高松当局の委嘱を受けまして、この在外公館等借入金請求受付事務に従事いたしたのでございます。当時私は香川引揚同胞連合会理事を勤めておりまして、かかる関係におきまして、香川在外公館等借入金緊急措置促進会が誕生いたしまして、この常任幹事を命ぜられました。更に四国にこの連合会が結成せられまして、同時に常任幹事を委嘱せられまして今日に至つておる次第でございます。以下第二点、第三点について、以上のような立場によりまして、私は四国借入金債権者一同の意思を代表いたしまして陳述をいたそうと考えます。  先ず第二点につきましては、この借入金は御承知通り政府訓令で開始せられたものでございます。即ち二十年の九月七日、七百二十七号、外務大臣名を以て、在外公館宛在外邦人引揚経費に関する件を以て訓令せられ、在外公館はこの訓令に基きまして、借入金を帰国後即時返済するという自信を持つて返済を条件といたしまして、難民救済等引揚経費を調達せらるるに至つたのでございまして、この借入金提供いたしました債権者各位は、現在政府の違約によりまして、お気の毒な姿となり、難民を救済せられたかたがたが今難民になりつつあるのでございます。これ全く私どもといたしましては、政府の無責任に基くものであると考えるのでございます。この支払実施に関しまして、米価基礎といたしましてレートを算出せられておらるるのでございまするが、私は購買力根拠といたしまして、米価基礎を置かれたということに関しましては、政府購買力平価説を以て評価せられたものであると考えるのでございます。返済支払にも必然的にこの購買力根拠とした返済をして頂かなければならないと思うのであります。我々が提供いたしましたこの現地通貨を、六年前に遡つて、その購買力米価基礎として算出せらるるということは、我々も一応これを認めることができるのでございまするが、併しこの態度は、当然、返済に現下の日本円購買力をも評価して頂かなければ相成らないと思うのであります。この政府案によりまするというと、引揚者借入金提供した者の利益のために法律案を設けられたのか、或いは不利益に陥れんがためにこの法律案を提案せられたのか、疑わざるを得ないのであります。購買力で評価をいたしまするといたしますれば、当然購買力支払額を換算せられたいと思うのであります。然らざれば在外公館等借入金返済の準備に関する法律における公正妥当な返済はできないと信ずるのであります。私はここにこの法律案米価基礎としてこのレートを設定せられておりまするが、昭和二十六年法律第五十四号第二条の違反であると私は信ずるのであります。即ち公正妥当なるレートを算出しておらないと私は信ずるのでございます。次に米価基礎とせられましたところのこのレートは、私は公定レートが正式にはまだ廃止せられておらない、即ち儲備券昭和十五年十二月二十日、連銀券は十三年の二月十一日にそれぞれ一〇〇対一八或いは一対一というふうに公布されたままになつておるのでありまして、我々はこの借入金提供いたしましたときには、この公定レートで貸借をいたしたのであります。従つてこの公定レートでこれを返済をして頂けるということが、最も公正妥当な返済の方法であると思うのであります。何を苦しんで米価基礎として六年前に遡つてこれを評価なさるのであろうか。而も我々は連銀券なり、儲備券なりというものによつて提供を申上げたのでありまして、法幣なんかにつきましては、我々は使用することも、持つことも禁ぜられていたのであります。然るに政府米価基礎としてレートを設定せられるに当りまして、先ず連銀券及び儲備券法幣に換算せられまして、    〔委員長退席理事千田正委員長席に着く〕  然る後米価基礎をおいた算出をしていられるのでございますが、この法幣なるものは、我々公館等借入金提供いたしました者の頭の中には全然なかつたのであります。或いは一部グレシヤム法則の裏に隠れまして、法幣なるものを入手しまして、提供されたものも一部にはあつたかと存じまするが、大部分かたがた日本円と直接繋がつておりました連銀券儲備券提供申上げたのでありまして、法幣とは全く隔絶せられた生活をしていたために、且つ又グレシヤム法則のために、敗戦国民の我々といたしましては、容易に良貨を手に入れることができなかつたのでございます。従つて私は何を苦しんで法幣にこれを換算せらるるのであるか、提供者不利益を企図せんがために、かかる策をとつておられるのではなかろうかと疑わざるを得ないのであります。而もグレシヤム法則通り敗戦の結果、我々の手中にありましたところのこの連銀券儲備券等に関しましては管理の力を失つた結果、非常にこれが下つて来たということも、これは考えられるのでございまするが、これは実に敗戦の結果でありまして、下つたからといつて、下つたままでこれを評価するということにつきましては、私は非常なる異議を持つておるのであります。即ち間接管理の責を回避するものである、敗戦の責を提供者のみに押し付けるものであるというふうに考えられるのであります。従つて米価基礎としたこうしたレートにつきましては、四国提供者一同といたしましては絶対に反対であるのでございます。  次に第三点について申上げます。この借入金は、老人婦女子が主に提供申上げているのであります。非常なる社会的意義を持つているものであると思うのであります。その事情は、若い男のかたがたは大部分応召して留守であつたのであります。    〔理事千田正退席委員長着席〕  留守を守る老人や女子が公館等の言明を信じ切りまして、帰還後の生活設計のために……持つているものも僅かになつておりましたけれども、衣類や手廻品等を売却しましたし、或いは僅かの勤労収入を割愛して、身を切るような貴重な資金借入金といたしまして提供したのでございます。それは同胞難民の痛ましい悲惨な状況を見聞いたしまして、同情の念からも提供したのでございまするが、生活設計のために提供申上げたということを確言いたし得ると思うのであります。然るに政府案によりまするというと、五万円でこれを打切るというようになつているのでございまするが、私は、社会政策的に高額提供者はこれは頭をはねるべきだというふうに政府当局かたがたがお考えになつたのか知らんと思うのでありまするが、先ほど述べましたごとく、老人婦女子が主に提供しているものである。これらのかたがたは、今非常に悲惨な生活をしているのであります。私どもの周辺には悲惨な数々の事実があるのでございます。社会政策的に頭をはねようとせられたことが、非社会政策的になるものであるということを私は申上げなければならないと思うのであります。而も五万円で頭をはねるということが如何ようなる悲惨な事態を惹起するかということに関しまして、私は具体的事例を申上げます。高松市に神谷幾太郎というかたが、ソ連方面において三千円、三万円、一万円という提供をいたしておるのでありまするが、このかたは政府支払が遅延いたしましたばかりに、病気となり、栄養失調で遂にたおれてしまいました。奥さんの神谷ツネさんは、遺言によりましてこの三通の請求を出しました。この法律案のままで算出いたしましても五万円を超えるということに相成ると思いまするので、頭をはねられるということが起るのであります。更に高松日下クラさんというかたがございます。このかたは瀋陽におきまして国幣五千円と二万円を提供しておられます。このかたの夫、日下和吉さんは七千円と六万円を提供しているのであります。然るに日下クラさんは遂に栄養失調となりまして、政府の怠慢を恨みつつ遂に他界せられてしまいました。結局日下和吉さんが八十四歳の身の上でこの四件を請求しておられるのであります。当然九万二千円となりまするから頭をはねられるということに相成ると思います。こうした事例は非常に多いのでありまして、政府支払返済を遅延したばかりに、生きられるかたがたがこうして亡くなつているのであります。この上遺族が請求いたしますれば幾分かが合計請求せられまするために、五万円を超える……見殺しにされたということが言えると思うのであります。その上に且つ又頭をはねられるということになります。私はこうした悲惨な最後を遂げられたかたがたの冥福を祈る上からも、かかる措置は絶対に避けられなければならないのではないか。又法理的に考えましても、五万円で頭をはねるということは納得が行かないのであります。
  20. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 有難うございました。次に水田証人にお願いいたします。時間は大体十五分くらい予定したのでございますが、二十分超過いたしましたので、恐縮ですが……。
  21. 中北繁

    証人中北繁君) 最後に私は、上海方面大口提供につきまして、この五万円に関しまして頭をはねるということに関し、大口提供であるから頭をはねるべきであるといつたような社会政策的な考えにつきまして、一言付加えさして頂きたいと思うのであります。大口提供はあるにはありまするけれども、これらは殆んどが合算せられまして提供せられているものであるということを申上げるわけでございまして、後ほど私はこれらの証拠として委員長殿に提供申上げたいと思います。以上であります。
  22. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 有難うございました。それでは水田証人にお願いいたします。
  23. 水田直昌

    証人水田直昌君) 私は、終戦当時は京城朝鮮総督府の財務局長を勤めておりました。進駐軍が入つて参りましてから、十一月の末に京城引揚げて、十二月に東京に参りまするまで、進駐軍のアドバイザーの役を勤めておりました。その役を正式に解かれましたのが二十一年の夏でございました。朝鮮からの引揚者の一人といたしまして、第二点、第三点について申上げたいと存じます。返済実施について、レートを主として当時における米価とつた、これをどう思うかということであります。これは、若し日本と外国との間に正確な為替相場が立つておりますれば、こういうことをする必要は毛頭ございません。この借入金の別表のほうで、タイ、仏印などは、このバート、ピアストルは、これは為替相場によつておられるものと察します。ところが、その他の地域におきましては、こういう為替相場は立たない。従つて止むを得ず両地域における購買力はどうであるかということを見る必要がまああるわけだと思いまするが、この購買力の比較というのは、これは物価指数によつて見るとか、或いは労銀によつて見るということになろうと思いまするが、どうも物価指数も、日本における物価指数はこれは完全でありまするが、とかく外地における物価指数は不完全である、到底とれないということで、審議会のほうの様子も伺つてみますると、止むを得ないけれどもこれが最大公約数である、各外地に通ずる、比較的これをとつたならば先ず先ず近かろうかというのをおとりになつたというふうに承わります。併しながら、それぞれの地域におけるこの数字は、やあ米だけじやいけないのだ、やはり主食と主食との比較のほうがいい、或いはすべての物価指数とつたほうがいい。なおその地域においてもそういう資料はあつたという地域もあつたやに承わりまするが、全体として見ますると、やはり米が最大公約数で止むを得ないじやないか、こういう印象を持つのでありまするが、併しながら、例えば朝鮮の例で見ましても、この米価によるということは全く止むを得ない、止むを得ざるに出でたことでありまして、これが不完全であり、不十分であるということは、これは申すまでもないところでございます。朝鮮の例で申しましても、米についての物価指数は、南鮮におきまして、三十八度以南におきましては、朝鮮銀行の公けに発行されたものによつて或る程度窺うことができまするが、八度以北の物価につきましては、米価につきましては、これは到底窺い知ることができません。引揚げて来た人の口によりまして、その地域その地域米価がどうであるかということを聞く程度に過ぎません。資料としては甚だ不完全なものであります。従つて米価によるということは万止むを得ない措置だと思いまするが、これが不完全、不十分であるということは、これは何人も認めなければならん点であると存じます。これにつきまして、私朝鮮引揚げの者としまして、この表の、朝鮮銀行券は当時の米価日本米価と比べて一円五十銭である、日本銀行券も一円五十銭である。この扱いでありまするが、日本銀行券、朝鮮における日本銀行券は、これは外国通貨なりという法律案になつておると、かように承知いたすのでございまするが、この点について疑問を持つものでございますので、委員会とせられて十分御検討を頂きたく存じます。日本銀行券が、日本法律で以て日本銀行券は無効にするという法律、或いはこれに基くもので以てそういう宣言がされればこれはもう日本の紙幣ではございません。私は法律につきましては素人でありまするので、法律論をここで申上げるつもりはございませんが、極めて常識的に考えてみましても、日本の旧領土であつた、そこで日本銀行券と朝鮮銀行券が流通しておつた日本の旧領土であつた、そこにおける日本銀行券が外国の貨幣だということは、これはもう常識から考えてみて余ほどこれは納得し得ないところでございます。これはくどくどしく申上げる必要はないと思いますが、この朝鮮銀行券は、当時日本の議会で以て協賛せられた朝鮮銀行法に基いて、無制限に朝鮮の十三道に通用するということであつたのでございまするが、日本銀行券は、朝鮮銀行券を発行するについて、正貨準備、つまり金と同じ扱いがされておつたわけでございます。日本銀行におきましては金が正貨準備でございますが、朝鮮銀行におきましては、金と日本銀行券というものが正貨準備となつて朝鮮銀行券が発行せられておつたわけでありまして、そうしてこの朝鮮銀行券は無制限に日銀券と交換されて、それで日銀券というものが朝鮮に無制限に流通しておつたわけでございます。この日本銀行券がどの地域に流通するかということは、日本銀行法においては明示されておりませんが、やはり朝鮮等にこれが流通力を持つておるものということは、これは日本銀行においてもそういうお考え方であろうかと存じまするが、それをのけにしましても、正貨と同じ取扱で朝鮮銀行においてはあつた。この一事を以てしましても、日本銀行券というものが、朝鮮において日本のいわゆる正貨と同じものであつた。これに基いて朝鮮の人たちが日本銀行券は朝鮮の札であるという常識を持つてつたことは当然のことだと考えるのでございます。この扱いは、八月十六日以後は日本銀行券は朝鮮の札でない、外国の通貨であつた。こういう前提の下に為替比率を設けられておるわけでありまするが、その日本の通貨であつたものによる債権債務というものは、これはやはり国内における公債と同じように取扱われるということが至当じやないか、かように考えるのでございまするが、九月の十二日でございまするが、為替管理法に基いて、外地からの引揚者の持ち帰りの金についての取扱の通達が出ておりまするが、それによりましても、朝鮮銀行券は上陸地で千円まで日本銀行券と換えるということになつておりまするが、日本銀行券の持帰りについては無制限である。要しまするに、日本銀行券というものは、朝鮮においても内地においても勿論でありまするが、日本の通貨として取扱われておつた。かように考えてよかろうと存じます。その以後におきまして、日本銀行券というものが新円との交換で無効になる、こういうことはありまするが、少くともそういう法律上の根拠のない限りは、この日本銀行券による貸借関係というものは、外国通貨の貸借関係だと、こう見てここに掲げられるということは、これは如何なものであろうか。この点につきましては、委員会とせられて十分御検討頂きたく存じます。朝鮮銀行券につきましては、これを外国通貨と見てここにこの比率を出しておられる、この点については今申した理窟から申しますれば、これはこのお取扱がよかろうかと存じまするが、感情といたしまして、感じとしましては、先ほど申したように、朝鮮銀行券と日銀券というものは全く無制限、同じように取扱われておつたわけでありまするので、この感じから申しまするというと、而もこの法律というものは成るべく引揚者の利益になるように、全体として頷け得るようにということで、政府も百分の百三十ということの御配慮もあつた、こういう点から鑑みましても、朝鮮における日本人としての何人も頷け得る常識を尊重して頂くとするならば、朝鮮銀行券もやはり日銀券と同様に一対一ということで扱われるのが至当ではないか。この常識論を除けましても、先ほど申しましたように、交換の比率というものは為替相場を引上げておればもうこれは問題のないところでございまするが、それがない場合には米ドル、我々は占領下にありまするので、この占領軍がどう思うか、どう見るか。これは国会といえども無視せられ得ないところのことではなかろうかと、こう忖度するのでございまするが、当時日本における円、当時と申しますると、朝鮮におきましては昭和二十一年の四月乃至八月のピーク時でございまするが、この当時は米軍単票一ドルが日本においては十五円の日銀券との交換比率をきめておられました。朝鮮におきましてもその当時米軍の軍票一ドルは朝鮮円の十五円、つまり米ドルというものを間に考えた場合におきます場合に十五円、十五円、これは動かすべからざる事実なんでございます。こういう観点から見まして、若しこの米というもののレートが、何人もが認めるところの完全なるものであるということでありまするならば、又この米によるレートをとることも一つの方法でありましようが、これは甚だ不完全、不十分なことでありまするので、そうであるならば米軍というものが認めた比率というもので考える。これが取るべき筋じやないか、かように考えるのでございます。その意味におきまして、この朝鮮に関する限りにおいて日本銀行券を外国通貨なりとして取扱われておられるこの法律案については、多大の疑点を持ちます。朝鮮銀行券につきましては、今申上げたように米軍のドルとの比率は同一であつた。この観点から見まして、なお常識的に見まして、日本国民の常識の観点から見て、一対一というふうにやられるのが妥当ではなかろうかと、かように考えるのでございます。  第三問の換算額五万円以上は打切りとなつているが、これについてどう思うか。これは政府におかれてもいろいろお考えなつたことと存じまするが、若し昭和二十一、二年当時にこの金が頂けておつたとしまするならば、或いは五万円でも満足されたかも知れませんが、その当時と今日と、すでに数年たつておりますので、物価の関係から見まするというと、もう数倍になつております。この点から見まして五万円で打切られるのは迷惑であります。やはり全額認めて頂くのが至当ではなかろうか。これは内地における戦災者……、これは二十六年三月の法律の、在外公館等借入金返済の準備に関する法律で、国民負担の公平の見地、こういうようなことも考えて、多額なものを打切るという趣意で出されたのではないかとも拝察いたすのでございまするが、我々外地引揚者として見ますると、内地の戦災者ももう随分ひどい目に会つておいでになりまするが、家が焼けましても或る程度は火災保険金がもらえる。土地はどんなに激しい爆撃に会いましても依然として残つておる。なお相当な地盤がある。戦災で全部焼けたにいたしましても顔があり、地盤がある。併しながら外地から引揚げて来ました者は、土地も顔も全然ないのでございます。なお帰つて参りまして、父祖の土地を離れて来る。こちらに地盤もなければ顔もない。こういう観点から見ますると、同じ戦災者、戦争による被害者にしましても、外地引揚者内地の戦災者に比べまして相当な逆ハンデイがある。この点を十分頭に入れて頂く必要があると存じます。なお五万円で打切られたために財政上どれくらいの利益があるかと申しまするというと、若し五万円以上のものが数にいたしまして数十億にも上るということでありまするならば、これは財政上の見地から見て、政府として御考慮になることも、これは尤もであり、現在の財政上頷けると思いまするが、この表には五万円以上打切りによつて幾ら節約されているかということがわかりませんので残念でございまするが、恐らく二、三億にとどまるのではないか、こう考えるのでございます。決して今日八千億近くの財政に、これを打切つたがために、どれだけ影響を与えるかということは、殆んど言うに足らない数字ではなかろうかと、かように考えるのでございます。前に早く返して頂けたならば、購買力関係から見て今日より余ほど有利だつた。今日なお、内地の戦災者から見まして、外地引揚者というものは相当の逆ハンデイがある。なお財政上の見地から見ましても、殆んど財政に大した影響を与えない、こんな点から見まして、やはり五万円で打切らないということが至当だと、かように存ずるのであります。  なおもう一点、これはやはり法律論に亘りまして、これは委員会として十分御検討頂きたく存ずる点を申上げたいと思いまするが、今度のここに書かれました法律案の第二条に、「債務として承認した借入金」である、こういうことになつておりますが、そうしますとこの法案によつて、この債権債務というものは法律上の効力を持つという前提であるやに見られるのでありますが、若しもこの債権債務というものがこの案によつて認められるというものでなくして、その当時以前においてもう政府においては支払の義務があつたのだ、それをこの法律によつて包括的な義務があるけれども、個々別々に見て誰が幾らかということははつきりしないので、ここで確認するということであるとしますというと、ここに相当見解の相違があるのじやないかと、かように存ずるのでございます。この「承認」という文字を使われましたのは、これで債権債務関係が成立する、従つて五万円という制限をつけるのは何ら差支えない、こういう見解じやなかろうかと想像するのでございますが、これは我々の考えるところによりますと、この債権債務政府にどれだけの債務があるのだということは、その当時すでに成立しているものだ、こういうふうに考えるのでございます。これにつきましては国会の承認を得たわけじやございませんですが、芦田内閣総理大臣がこの在外公館等の借入金は在外財産でない、これは行政費である。であるから明らかに政府の債務として政府としては認めている。ただ連合国軍のほうの関係があつて、予算等のために今直ちにこれを予算に計上して支払うというわけに行かないけれども、できるだけ速かにこれが支払については善処するということを、参議院におきまして答弁をしておられますことに鑑みましても、この債務というものを、すでに以前において政府として認めておられるものだ、かように考えられるものではなかろうかというふうに思うのでございまするが、この点につきましては、やはり委員会とされまして十分に御検討頂きまするならば、五万円以上打切りということは正しいか正しくないかということは、法律上の関係において問題になる点ではなかろうかと、かように考えるのでございます。
  24. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 有難うございました。次にそれでは高碕証人にお願いいたします。
  25. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私は終戦当時満洲国重工業開発会社の総裁をやつておりまして、新京におりました。終戦後ソ連が進駐いたしますると同時に、私は当時の大使山田さん、それからそのほかに新京におりました要人たちと相談いたしました結果、私東北日本人会の会長として残務整理をしろ、こういう命令を受けたのであります。二十年十一月八日に、記録を調べたのですが、十一月八日にソ連と中国との間に中ソ工業公司というのができまして、その会社の副総裁として勤めておりました。二十一年の四月十四日にソ連が新京を撤退いたしますると同時に、共産軍が入りまして、二十一年五月一日から五月二十三日まで東北産業調査所の副所長をしておりました。二十一年の六月の二十三日から中共軍がいなくなつて、国民軍が入りまして、国民軍と共に六月二十三日以来東北行轅の経済部の顧問といたしまして二十二年の十一月引揚げて参りますまで働いておつたのであります。只今証言の第二のほうを申上げますというと、これはよほどむずかしい問題で、よほど御苦労になつたことと思いますが、私今ずつと調べて見ますというと、米の値段を以て比率をきめるということは非常に困難なことだと思いますことは、丁度私中国経済部におりましたときに、毎月の物価の変動の表を持つておりましたが、丁度それがここにありますから簡単に申上げますというと、主食の値段が、昭和十二年を一〇〇といたしますというと、終戦のときの二十年八月には九八五〇になつております。それが終戦と同時に物価が少し下りまして、十一月には五八〇九になつております。十二月にはそれが八六四八になりました。それから二十一年の一月は一〇七六四、二十一年の六月は三六八一六、二十一年の十二月は五三八八一、二十二年の一月は五五四二四、それから二十二年の六月は三五〇二〇八と、こういうふうな工合に非常に物価に変動があります。日によりまして、月によりまして、のみならず場所によりまして非常な違いがありまして、例えば関東州のごときは、ここから米は入らんということになると、もう一遍に物価が騰貴する。そのほかの物価はやはり依然として低いのであります。主食だけであるということはなかなかむずかしいことでありますが、この相場によつて比率をきめるということはむずかしいと思います。これよりほかに方法はないと思いますが、非常に困難であると、こういうことを考えます。私はやはりこれはもう少し……法律は私どもは知りませんけれども、当時我々の持つておりました金というものは、やはり終戦当時は向うの一円は日本の一円だつたのです。こういう観念で皆おつたのでありますから、これはもうそんな理窟を言わずに一円は一円と、こうやつてもらうのが私は常識ではないだろうかと、こう思います。  それから第三の問題になりますと、五万円で打切るということでありますが、これはちよつとお考え願いたいと思いますことは、先ほど前証人のおつしやつたように、日本の戦災者も同様非常に困つておられますが、満洲の戦災者というと、これはもう皆様から……皆様というと何ですが、日本国民から歓呼の声で送られて行つて、もう屍を満洲に埋めるのだと、こういう考えで土地も家も皆自分で持つてつた。それが一朝にしてなくなつてしまつたわけでありまして、親戚知人等もない、地位もないと、こういうことでありますから、これは内地の戦災者とは多少違うと思つております。それがために私二十二年の十一月に引揚げて還ると同時に、これについては非常に責任を感じましたから、当時の芦田総理に向つてこれはどうなつておるのだということを強く要望したのでありますが、これは日本政府としては先ほどおつしやつたごとく行政費であるから出す考えであるけれども、GHQが承知しないと、こういう話でありましたから、それで私は直接GHQに行つていいかということを確かめたのでありますが、これは行つて話してくれと、こういうことでありましたから、私は再三行つたのであります。初めは非常にけんもほろろにやられまして、お前たち侵略主義の手先になつて行つた人間が、行先においてお互いに飯が食えなくなつたというので、自分の持つておる物で助け合うことは当然な話ではないか。そういうものをこの日本が賠償するというようなことは、日本の財政が許さないと、非常に強い意見でありましたが、私は日本内地の戦災者と満洲の引揚者とは違うということを懇々と説明したのであります。それではその事情を詳しく書いてよこせと、こういうことで、私は二十三年の五月十四日にGHQのマーカット将軍の許に手紙を出したのであります。それはここに書類がありますが、それに対して六月の十一日に、どうもやはり君の言うことは非常に考えなければならんと思うから、日本政府及びGHQに協議した結果、成るべくこれは考慮しようと、こういう返事が参つたのでありまして、私はそれで安心しておつたようなわけであります。そういうわけでありまするから、この五万円で打切るということはもうちよつと考えてもらわなければならんことは、先ほどのお話のごとく、これは皆がまとめて一つにして出そうじやないかという人が相当あつたのです。それともう一つは、相当日本に余力があると、日本に還つてからそう困らないといつたような考え方のある者は、持つておる物を皆寄附したのであります。この救済金のほかに、寄附金というものは相当大きな金額であります。私個人のことを申上げて甚だ何でありますが、私個人のごときは、持つておる物は全部寄附してしまつたのであります。それで私どもの女中さんのごときは、働いておつた人間には、一人前五千円ずつ渡したのでありますけれども、自分は帰ればどうにか飯を食つて行けると、私どもは満洲に五年くらいしかおりませんから、内地に相当地盤があるから金は要らんと、こういう人が相当あつたのであります。こういう出した人が日本に帰つて来て、粒々辛苦して、非常に困つて、金があれば何でも買えたのでありますけれども、それを買わずに持つてつて救済し、同時に日本に帰つてからどうにかしてもらいたいという、こういう感じの人が集まつて出したのが、五万円以上打切られるということはどうかと思いますので、どうしても社会政策の上からも、この五万円というもので打切らずにやつて頂きたい。国家財政が非常に窮迫しておるときでありますから、若し余裕がある人は、恐らくこの五万円以上もらつても受取らないだろうと信じます。ですから少くとも出すだけは出してやるということにして頂きたいと私は思います。以上であります。
  26. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 時間も大分経過いたしまして、次の証人ということになると、又相当時間が延びると思いますので、この際休憩をいたしまして、午後一時頃から再開するようにいたしたいと思いますが、御意見如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  27. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 御異議ないと認めます。それでは休憩をいたします。    午前十一時五十九分休憩    —————・—————    午後一時三十九分開会
  28. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 休憩前に引続きまして委員会を継続いたします。  証人諸君非常に御多忙のかたばかり多いわけでありますけれども、わけても高碕証人は午前中におきまして時間を区切つてのお申出であつたわけであります。高碕証人に対しまする質疑を許します。どうぞ委員のかた御発言願いたいと思います。内村君おやりになりますか。
  29. 内村清次

    ○内村清次君 ええ。混乱状態のときに高碕さんも当時非常な御面倒を見られたのでありますが、今回のこの法律案に、五万円以下の、在外公館に貸付けた金の額については、これは政府のほうではこれを切捨てるというようなことになつておりますが、そこであなたの、今これをまとめておられるというような立場にあられる状態からいたしまして、五万円以下のかたがたが一体どれくらいおるものであるか、そういう点おわかりでありますか。それから又金額その他につきましてのおわかりの分がありますか。
  30. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 五万円以下の人たちの……。
  31. 内村清次

    ○内村清次君 人数だとか……。
  32. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私しつかりした記憶はありませんが、その当時、私はGHQに申出ましたのは、全体といたしまして満洲及び関東州を入れまして、関東州はどうもわからなかつたのですが、満洲だけで申しますと口数が十三万五千八百二十五でありまして、借入金の総額が六億六千九百四十三万七千七百八十四円、一口の平均の借入金が四千九百二十八円、それは全部引揚げをいたしました人間の数は百二万、大体百二万、引揚者一人当りの平均が六百五十六円と、こういう数字であります。これで五万円以上が幾らとか、五万円以下が幾らとかということを私記憶いたしません。私にはわかつておりません。
  33. 内村清次

    ○内村清次君 ただ私聞きたいのは、この法律の条文で、五万円以下の人たちは切捨てるということが条文にありますね、そうしますとですね、あなたの大体お関係なさつておりまする後始末の関係で、そういう適用の人たちの大体総額がどれくらいになるものであるか、これがおわかりになりましようか。
  34. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 大体の記憶によりますというと、五万円以上の金額は私は大体二億円と記憶しております。六億円の中で。
  35. 内村清次

    ○内村清次君 以下のほうですね。
  36. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 以下のほうは五億円になるわけですね、それを私はつきりここで、このあとでもう後始末は私あんまりやりませんでしたものですからよくわかりませんです。
  37. 紅露みつ

    紅露みつ君 これは各証人のかたに伺いたいと思つておる問題ですが、高碕証人早くお帰りになられるという御都合がありますので伺つておきたいと思うのですが、これは根本問題でございまして、この法案ができまして初めて債権債務というものが確認されたというようなことは、非常に納得しかねるという御意見がほかの証人のかたからも出たのでございますが、私どもが非常に関心を持つておるのはそこのところなんです。どうもそこがしつかりとつかめないためにですね、弱いのです。弱いのですが、実際に当られましたそのときの様子はどういうふうであつたかということをもう少し具体的に、確かにこれは貸したのである、国家に貸したのである、政府は責任を以つて直接早急に返すという自信の下にというような先ほど表現の証言もありましたけれども、そういうことでなく、実際にそのときの感じをもつとはつきりと出して頂きたいと思いますので、高碕証人から一つ伺いたいと思います。
  38. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) その問題は根本問題でありまして、当然国家が持つべきものであるという信念を当時から抱いております。私は法律的の問題につきましては素人でありますが、先ほど申上げました通り終戦直後、八月の二十四日だと記憶いたしますが、私は日本政府の代表として考えておりますのは、当時の軍司令官の山田大将、これは日本の大使であります。そのかたを中心にいたしまして、満洲における満鉄総裁、満拓総裁、興銀総裁、私ども、それからその当時の公使の上村公使、満洲の総務長官の武部長官と、いろいろの人が寄りまして、当時新京に避難して参りますところの人たちを見るというと、もう男はいなく、女のかたが雨の降る中を幼き子供を懐に抱き、幼き子供の手を引いてあの中を各方面から虐げられつつ新京に流れ込んで来るその状景を眺めるときは、私どもはこれは如何にしても自分たちのできるだけはやりたい、国家は当然これを救済すべきものであるという確信を以ちまして、当時日本政府の私どもが責任者と認めております人たちに話をしたのであります。で、勿論そのかたがたも、その私ども意見に同意されたのでありますが、日本に対する通信が何らできないというので、私はソ連といろいろ折衝いたしましたが、どうしてもソ連は許さないというので密使を出しまして、日本に、どうしても満洲におる人たちは二百万人と見る、一人分に対して、これはいつ引揚ができるかわからないから、少くとも二十億円の金を連合国司令官から承認を得て送つてもらいたい、と同時にこれらの人たちを一日も早く日本に送るようにしてもらいたいということを頼んでやつたのであります。そのときに私は在外同胞の中で、幾らかでも有力な人は一文でも出してもらいたい、この金は必ず政府から出してもらえる、そういうふうに政府と折衝する、併しできないけれども、必ずこれはやることに力を尽すと、私は道義的にも責任を持つてその当時の上村公使、私、それから武部長官、それからいろいろな関係がありましたから三井、三菱、住友の支店長、これは財閥を占めるというと誤弊があるが、頼んでもらうという、こういう考えがありますから、その人たちは責任を持つてくれと、それだけが保証人になりまして日本との折衝をやる、そうして金を借りたわけであります。然るに日本からは最後まで私どもには直接返事が参らなかつたのでありますけれども、華中、華北のほうには当然国家がこれを保証するということの返事が来たというので、華中、華北の人たちがその報告を私にくれたわけであります。それは多分終戦の翌年だと思います。それで漸く力を入れまして、更に又金を借りることにしたのであります。そういうわけでありますから、私は、私どもの信念といたしまして国家があらん限りこれは国家に助けてもらいたいということの、国家の責任に帰すべきものだという考えで今でもおるわけなのでございます。
  39. 大滝克己

    証人大滝克己君) 今の問題に関連しまして明らかにしておきたい問題が一つありますので、特に私に発言をさして頂けませんか。
  40. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 大滝さん、あとから一つ……、整理上今高碕証人だけのことで……。
  41. 大滝克己

    証人大滝克己君) 高碕さんがおられるときに証言してもらいたいから、その問題を引出したいと思いますのですが、かまいませんでしようか。
  42. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 皆さんにお諮りいたしますが、よろしうございますか、順序が狂うわけでございまするが。
  43. 紅露みつ

    紅露みつ君 一応の決定ではありますけれども、高碕証人が退場されるということでございますので、この際に必要だということでございますれば簡単に……。
  44. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) それでは簡単にお願いいたしましようか。
  45. 大滝克己

    証人大滝克己君) ちよつとお許しを得まして、高碕さんがお立ちになる前に、丁度紅露委員から求められました点について、高碕さんがお触れになかつた点が私はあると思います。それは高碕さんが御記憶がうすれたのかと思いますので、この際その点を念を押しておきたい、と申しますのは、先ほど高碕さんが密使を出して、時の政府に交渉をされたと申されたのでありますが、私は丁度当時今の皆様がたが組織しておいでになります在外同胞救援議員連盟でございますが、その前身の海外同胞救援連合会というものの常務理事の一人といたしまして、たまたま当時幣原内閣ではありましたが、毎週次官会議のあとで木曜日に連絡協議会をやつてつた事実がございます。そのときに高碕氏から時の幣原内閣、殊に楢橋官房長官に宛てました密使が届きまして、それによりますと、高碕証人からは、当時満洲の救済のために政府から何としても私、額を、その点どうも記憶がうすれておりますが、九億円でございましたか、四億円でございますか、中国政府から借款をしてもらいたい、そういうことによつて難民の救済を委せてもらいたいということを強く要望されて来たはずでございます。そうしてこの問題は次官会議にもかかりまして、私どもの協議会の際に発表されて閣議にも持ち出されて楢橋官房長官がGHQに交渉されたはずであります。而もそれのみならず中国の代表部とも話されたのでありますが、その当時、二十一年の春のことでございますが、困難な事情があつて具体化しない、ただ中国政府としては、日本人の難民については何とか万全の措置をするという約束をされたという報告が次官会議に出されておるのでありまして、政府としては閣議決定までして、何とかこの問題を措置しようということをはつきりとされておつたと私は記憶しております。従いまして高碕証人にこの際明らかにして頂きたいことは、それに関連してその後中国政府から数億円の金が出されたと聞いておりますし、楢橋官房長官からも後日でありましたが、その一部が実現されたやに報告されたと記憶しておりますが、そういう事実があつたかどうかという問題と現地でどう処置されたか、その点をこの際委員の皆さんの御審議のために明らかにされておいたらどうかと考えるわけであります。
  46. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) じやその点についてお答えいたします。私は当時の楢橋氏に、官房長官か何かよく存じませんが、只今おつしやつた通りのことを言うてやつたのであります。第一回に言うてやりましたのは、私は鮎川を通じて二十億円をどうしても出してもらいたい、こういうことを言つたのでありますが、それから後の話であります、中国から借款してくれ、その全額はよく覚えませんが、やつてくれということを頼んでやつたのであります。そしてそれから以後というものは、中国政府からはあの鉄道を、輸送するための鉄道の運賃、これが幾らかかるかという問題があります。又車馬を雇うとか、それから一時仮小屋を造るとか、こういつたふうなことは我々難民の手ではとても補い切れないのであります。その金額は恐くは何億円になつておるでしよう。それは中国政府に向いまして、当時経済部の私は顧問をしておりまして、経済部の張公権という人が、経済部長でありました、張公権氏が中央銀行の総裁を兼ねておりましたから、それと折衝をお願いいたしまして、そういつたふうの金額は全部中国政府から鉄道の輸送であるとか、それから壺蘆島における収容所とかいうようなものを出してもらい、又米軍からも医療の薬品を出してもらうとかいつたふうなことは中国政府はやつてくれたわけなんであります。それは借款になつたか、どうなつたか存じませんが、とにかくそうして足らんものだけは、お前たちからも出せ、足らんものだけはこつちから出してやるというので、両々相俟つてやることになつたのであります。金額全体はどれくらいか存じませんが、それは事実であります。
  47. 玉柳實

    玉柳實君 高碕証人証言の中に、皆がまとめて一つにして出したというお話がございましたのですが、その意味はいろいろな人が少額の金を持ち寄つて便宜上或る代表者を作つて五万円なり、十万円の額にして提供した、かように考えられるのでございますが、そうでございますか。そうでございますと、仮に表面十万円という場合、その内容はかようようになつておるということを今日において証明する方法がございますかどうか、その点伺つておきたいと存じます。  なお委員長にちよつとお願い申上げたいのでございますが、他の委員会出席のために中座しなければならんかも知れませんから、水田証人に極く簡単なことをお尋ねすることを御了承を願いたいと存じます。  朝鮮から内地引揚げます際に、日本銀行券は無制限に持ち帰ることを許されておつたのでございますかどうか。或いは総司令部の覚書に基きまして千円以上のものは正式に没収されるというような制限を受けていなかつたものであるかどうか。その点ちよつとお話し願いたいと思います。
  48. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私、個々についてこれはどうだ、あれはどうだということについてはよく存じませんが、当時これを取扱つておりました人たちに向つて話がありまして、どうもいろいろ証券がばらばらになつてしまうとなくなつて困る、持つて帰ることが許されない、だから成るべくこれを一括してみんなでやつたほうが取扱も便利ではないか、そうして又或いは証券を持つて帰れるかどうかわからん。どういうふうになるかわからん、一々身体検査を受けるしどうなるかわからん、だからこれは一括してやつたほうがいいのではないか、そういうことを私はその取扱つておる人に向つて注意を申上げた事実がありますから、果してそれが十分行つておるか、或いはどういうふうになつておるかというふうな詳しいことは存じません。併し私のそのときの常識といたしまして、折角証券をもらつて、みんながどこへやるかわからんということでは困るから、成るべく一本にしてしまつたらいいじやないかということを注意したことがあります。そういう事実がございます。
  49. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 次に水田証人からお願いいたします。
  50. 水田直昌

    証人水田直昌君) 朝鮮におきましては、進駐軍の命令がございまして、進駐軍が入つて来ましたのが九月九日と記憶いたしますが、命令がありまして、有価証券、金銀等の朝鮮領域よりの持出しに対しては許可を要するということになつておりました。内地におきましては、為替管理法に基きまする大蔵省の規則が、あれは九月の十二日でございますか出されまして、それの取扱によりますると、朝鮮銀行券を下関などに持つて来た場合に、千円を限つて日本銀行券と交換する、日本銀行券については、何らの制限なしにこちらにずつと持込むことがその当時はできるということになつておりました。それから十月になりまして、大蔵省の、これはポツダム政令に基く命令だと記憶しておりますが、十月に入りまして、日本銀行券を日本内地に持込むということについては、例外を除いてこれを禁止する、こういう扱いになつたと記憶しております。
  51. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 玉柳委員に申上げますが、只今の程度でよろしうございますか。では高碕証人に主としてお願いいたしたいと思います。
  52. 杉山昌作

    ○杉山昌作君 先ほどの高碕さんのお話のうちに、この金は政府から返すべきもので、或いは政府からとつてやるべきもので、当然政府が責任を負うべきものというふうなことを、これはそのときの事情として、或いは我々今日から考えても常識的或いは道義的には無論そうだと思うのですが、これを純粋に法律的に考えましたときに、一体そのときの債務者は誰であつたろうか。政府が債務者として金を借りたものだろうか。あとで政府から取つてやるんだからと言つて誰かが借りたものなんでしようか。その点はどういうふうにお考えになつておりますか。
  53. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 初め私はこういう満洲を一括して、東北日本人会総会というもので一本で借りておこうじやないか、私は借りた借主になろうという考えでやつたのであります。ところが終戦の九月中頃になりまして、新京に駐在している衛戌司令官のカルロフという少将が、ロシア人でありますが、それが日本人は東北地区内、つまり満洲地区内において相互に連絡をとるべからず、で新京は新京、奉天は奉天、と別々にやらなければいかん、そういう全体を統轄したことをやつてはいかんという厳重な命令がありました。それでいよいよ借りることになりますというと、その地における救済総会、例えば大連は大連で、新京は新京で、奉天は奉天で、それぞれ救済総会というものをおきまして、その地において在住民から選ばれた主要なる人がその会長になる、長春では小野寺博士がなつたと思います。ほかはよく存じませんが、併しその人たちが借主になる、それは在外同胞が全部寄つて選ばれた人がその借主になるということになつてやろうではないか。それに対して東北日本人会総会と言いますか、この全体を総括したるものが保証しようじやないか。それは先ほどちよつと申上げました通りに、保証人として私とそれから上村公使と、それから武部氏と、そのほかに三井、三菱というような証券銀行というほうの支店長がなつたわけでありまして、ですから法律的に言うとどうなるかわかりませんが、日本政府を代表する人は誰もいなかつたわけなんです。従つてその選ばれた人たちが中心になる、それが借主になる、そういうことでいたしました。
  54. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 千田さんございませんか。
  55. 千田正

    千田正君 当時の在外公館の人たち、いわゆる特に外務省関係の官吏ですが、この人たちの家族も勿論この救済資金の分配を受けて一応期間までそれによつて生活をしておつたというふうに承知してよろしうございますか。
  56. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) そうです。只今の御質問、その通りであります。
  57. 森崎隆

    ○森崎隆君 少し話が変りますが、一つだけ今後の審議に私たち必要だと思いますので高碕証人にお尋ねいたしたいと思います。送金の制限の問題でございまするが、たしかこれは終戦の年の九月の下旬に総司令部から指令が出まして、大蔵省令は、あの八十八号というものは十月の中旬ではなかつたかと思います。これに関連しまして、レートの決定のことにつきまして数カ月前大蔵省関係かたがたからいろいろお話があつた。それにつきまして私どもいろいろ疑念なり、意見を持つておるのでございまするが、この大蔵省令八十八号が十月十五日に出たといたしますると、その以前に取扱われた借入金、それ以後に借入されましたところの借入金と、まあ或る程度の区別というものは今後におきましてつき得るものであるかどうか、御意見をちよつとお伺いしたいと思います。
  58. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 大蔵省令の何とかというのですが、それは何年の何月頃……。
  59. 森崎隆

    ○森崎隆君 二十年の十月の十五日だと記憶しておりますが、このときに大蔵省令八十八号を以て送金の制限の省令というのが出たわけなんですね。
  60. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私どもは、それを全然、大蔵省令が出たとかということも二十年頃は存じておりませんです。私はもう終始一貫私の考えでは、又私ども借入金を借りるときに申しましたことは、終戦当時の割合、これは満洲の一円は日本の一円であつた、そういうことで私は償還されるものだと信じて皆様にお願いしたわけであります。ですからその間に起りましたことは全然存じませんです。
  61. 森崎隆

    ○森崎隆君 わかりました。
  62. 紅露みつ

    紅露みつ君 これは議会にも資料があると思いますが、先ほど高碕証人がおつしやられました米価、この際にちよつともう一遍読んで頂きたいと思います。米価の非常な変化のことを。
  63. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 昭和十二年を百といたしまして、そうすると終戦のとき、つまり昭和二十年の八月にはそれが九千六百五十、それから昭和二十年の十一月には五千八百九、それは終戦直後物価が下つたわけでありますが、それから十二月になつてそれが八千六百四十八、それから翌年の一月には一万七百六十四、その六月には三万六千八百十六、その年の十二月には五万三千八百八十一、それから翌年の一月には、即ち二十二年の一月五万五千四百二十四、それでその年の三月、この辺は申しませんでしたが、三月は十一万五千九百四十九、それで二十二年の六月には三十五万二百八、こういう数字でございます。これは正確な数字でございまして、つまり中国政府が各方面からのあれを取つて調べた数字でありまして、これは毎月あります。毎月御入用ならばここにありますから、主食そのほかの食糧費、衣料費、燃料総平均という物価がありますから、これは差上げてよろしうございますが。
  64. 紅露みつ

    紅露みつ君 中国が取つたのですか。
  65. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 中国政府が取つたのです。
  66. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 何か、ほかに高碕証人に……。
  67. 千田正

    千田正君 今当時の米価の大体の平均の統計を詳しく申述べられましたが、非常に参考になると思うのでありますが、そういう観点から御覧になられて、今度のいわゆる政府法律案に盛られた米価によつてレート決定という点からいえば、高碕証人としましては当時の関係者でもありますので、当然これは反対として考えられますか、それとも止むを得ない、この米価によつて決定しなければならないものというふうに考えられますか。
  68. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私はこれは政府としては非常に御苦心をなさつた、非常に公平を期すために御苦心になつた結果だと思いますけれども、その御苦心には感謝いたしますが、私はそれは間違いだと思います。私の考え終戦当時におけるレートがあつたわけです。それは公定のレートがあつたのですが、それによつてきめるべきものだと私は今でも信じております。何となればそのときにおつた人たちはそういうふうな価値あるものと信じておりましたから。それからの変化はその人たちの考えじやありません。ですから終戦当時のレートを以てやつて頂きたいということを考えます。
  69. 高良とみ

    高良とみ君 私ほかの委員会に行つておりましたために大変失礼しておりますが、すでにお話があつたかと思いますが、二つばかり特に一般的なことについて御意見を伺つておくと大変参考でありまして、その一つは、昭和二十四年の外務省調査におきまして、今回の予算が不足であるから打切るというような意味は全然ないという当局の答えがありまして、今回は五万円で打切つても将来国の予算が増して行つたときに、逐次決算して行くという考え政府にその頃あつたと思うのでありますが、それにつきましては在外資産をお貸しになりましたかたがたが、今回の予算においてはそれも止むを得ない、併し国の富が増して来たときには逐次払つてもらいたい、殊に五万円までのかたはとにかくとして、それより上のかたは逐次適当なレートで以て払つてもらいたいというお考えがおありになるかどうか伺いたいと思います。或いはもうこの際で打切つてもよろしいというお考えがおありになるか。第二の点は、これは海外で御苦労なすつたかたには誠に御同情に堪えないことでありますが、内地在住者が終戦後受けました諸般の金融的措置がございまするので、そういうことをお考えになりましたときには、先ほどお話のあつた占領軍当局においても多少の考えがあつたようでありまするので、戦時補償打切という意味でなくても、今回の同情ある措置は、一応内地のあの円の切替え当時に比べますれば、そのことも考えに入れて今考えていらつしやるかどうかということをもう一つつておきたい。その二つの点を。
  70. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私は只今の御質問に対しまして、満洲におりました人たちは、日本内地におられたかたがたがあの当時、つまり戦災賠償というものについては打切る、それから預金は打切られたというのと同じだけの、より以上の何と申しましようか、困難と申しましようか、これは当然受けているわけなんであります。何となれば、彼らが持つてつたところの預金だとか、彼らが持つてつたところの債券だとか、彼らが持つてつたすべての財産というものは全部なくなつておる、それを全然離れております。これは救済のため終戦後、戦時じやありません、戦後救済のため、自分たちの食うものも食わずに、着るものも着ずに出したものであるということでありますから、ここに大きな違いがある、こう存じておりまして、その点は私は総司令部においても強調したのであります。同様のことを私は今日も、丁度いい質問でございますからお答えいたします。
  71. 高良とみ

    高良とみ君 それから只今の逐次国の予算が、国の財力の増して来たときに予算を追加して行くというお考えを伺つたのであります。
  72. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 国家の予算が非常に緊迫しているときに、私はそういうふうな方針をとられてもこれは止むを得ないだろう、五万円以内のものは今度払つてやる、五万円以後のものは、他日国家の富の増したときには払つてやるという処置をされても、これは止むを得ないことだと存じます。それは国家がきめるべき問題であります。ただ打切つてしまうということは、如何にも私はこの際国家に信頼する国民の一人としても、国家に信頼を欠くということは、国のために甚だ悲しむべきことと存じますから、これはそれだけの債務はあるのだ、今は金がないのだ、他日予算ができたら払つてやるということを言われても、私は止むを得ないことだと存じます。
  73. 高良とみ

    高良とみ君 少し了解が不十分な点があるかと思うのでございますが、この委員会としましては、少しでも皆様に対する国の債務はお返ししなければならないという立場から申上げるのでありますが、先ほどの御説明を、大変お言葉を返すようで恐縮でありますが、内地における財産税及びその他の預金の打切り等も、やはり戦後の社会の相互扶助のためにいたしましたことにおきましては、その点はやはり戦後であつたということ、それから外地においてもやはり同胞救援、帰還のためであつたということにおいて多少類似点があるのでありましようか、或いは全然違うというふうにお考えでありましようか、ちよつと御説明を願いたい。
  74. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私は当時内地におらなかつたものですからはつきりわかりませんですが、私が帰つていろいろ話を聞いていることから私は論じているわけでありますから、終戦日本内地におられたかたがたがどういうような処置をされておつたということは存じません。はつきり詳しいことは存じません。ですから或いは私の観察は誤つてつたかも知れませんが、私は今までの観察ではそう考えておつたわけであります。
  75. 千田正

    千田正君 簡単ですが、私も外地からの引揚者ですが、高碕証人のおつしやることはよくわかるのです。ということは、只今高良委員からの御質問は、内地においても財産を失い、戦災に会つて非常にこうむつた損害が大きい、同じような犠牲を外地でもやつておるのだが、それを国家の再建のための財政の困難な時であるから、そういうことも勘考してこの法律案が出たのだが、その点はどうかという御質問だろうと思うのですが、外地におけるところのいわゆる借上金というものは、政府が特に居留民に訴えて、なけなしの金の中からでも、とにかく邦人を祖国に還すために金を出してくれという政府からの国民に対する訴えであつたはずであります。ところが国内における戦災を受けた人たち、そういう人たちに対して、然らば日本政府は、戦災を受けた人たちがこれだけあるから金を出してくれということを政府訓令或いは命令等において日本の国民にやつておるかといえば、私は国内においては不幸にしてそういうことを聞いておりません。でありますからこの在外公館借入金ということは、飽くまでもこれは政府借入金であつて、当然政府支払わなければならないところの国の債務であるというふうに私は考えますが、高碕証人はどう考えられますか。
  76. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) 私は、只今のお話は非常に私ども意を強うしたのでございまして、私は実は本当のことを申上げますと、内地のことがどういうふうになつておるかということを存じなかつたのですけれども、私は国家がこれを払つてつてくれるというので、あのなけなしの金を終戦後或る一部分の人たちは自分の物を売り、或いは自分が働いてそれを出したという人もあるわけでありまするから、大分内地と違つておるように考えておつたわけなのでございます。
  77. 紅露みつ

    紅露みつ君 証人への質問が大分一般的になつて参りました。高碕証人は午前中にというような御希望もあつたのでございまして、この際集中して高碕証人に質問が向けられておりますが、御都合もありましようから、続いて個別の供述をして頂きまして、あとで質問に入るという前からの規定に戻つて頂きたいと思います。
  78. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 只今紅露委員からの御動議も御尤もでございます。高碕証人におかれましては、大変御多用のところ、長時間質疑にお答え下さいまして非常な貴重な証言を得ましたことを、当委員会といたしましては喜んでおる次第でございます。有難うございました。
  79. 高碕達之助

    証人(高碕達之助君) それでは甚だ勝手いたしますが、私は実はこれをもう少し早くなんだつたらできたのでございますが、急に十四日ということでございますから、前からの約束もございまして、甚だ勝手でございますが、又若し必要がございますれば、喜んで参りますですから、今日はこれでお許しを願いたいと思います。
  80. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 有難うございました。  それでは榊谷さんにお願いいたします。
  81. 幡谷仙次郎

    証人幡谷仙次郎君) 私は引揚げ当時までは、満洲並びに関東州土木建築協会の理事長を勤めておりました。終戦後は大連在留民二十有余万の引揚げに対する世話をいたしておりました。  第二の在外公館借入金返済実施に関する法律案、この米価を以て関東州の通貨の率を決定されたという点につきましては、甚だ大なる不満を持つております。今日のこの委員会は、我我不満の声の現れだと私は大いに解釈いたしております。米価を以て労働賃金又は諸物価の標準にされているということは、由来我が国には行われておるということは私は承知いたしておりますが、併しそれは平時の場合であつて、今回のごとき我が国有史以来の混乱の時期においてなお且つ米価を以て各地の通貨換算率を決定されるということは、甚だ私は過ちでないかと考えるのでございます。いわんや大連においてはまさにその通りであると申上げて私は憚らないと思うのでございます。その理由を申上げたいと思います。大連は、御承知通り、関東州は全く米のできない土地でございます。関東州におる約百万人の者は他地区から、北は満洲或いは又安東、営口、我が国、各方面から輸入された食物が百万人の生活に充てられたものでございます。併しながら交通が非常に便利がよいので、大連在住民の生活は非常に安くできたのでございまして、その点から考えますというと、大連の通貨は甚だ価値があつたと言い得ると私は考えるのでございます。然るに終戦後、中ソ両軍が進駐いたしまして、北は瓦房店、若しくは石河で交通遮断され、海上は営口又は安東の沿海は全部封鎖され、関東州の百万人の生活は、食物はただ当時関東州内にストツクされておつたものによつて生活に充てられたのでございます。いわんや大連は終戦後約一年三カ月完全に罐詰にされたのでございます。かくのごとき罐詰に会つた所は他地区には絶対になかつた考えます。その関東州に百万人の者が、そのうちで日本人は約三十万であつたと思いますが、それが一カ年三カ月というものを罐詰にされまして、州外から食物は勿論、何物も入つて来ないということになつて来れば、相場が高くなるということは、これは当然でございまして、すべて品物は、人間の最も必要な、なくてはならん品物が少くなれば、値段が高くなるということは、これは当然であると私は考えるのでございます。いわんや一カ年三カ月も閉じ込められたのでございますから、この間の消息を大蔵レート委員会のかたが十分実地の実情をよく御承知になつていられたのならば、少くとも大連に限つて米の相場を根拠としてレートをおきめになるというようなことは、私はなかつた考えますが、ただレート委員のうちに、大連の実情によく徹していられたかたがいられない結果、こういうようなレートが現われたのであると考えるのでございます。御承知通り関東州は、長い間満洲、朝鮮と同じ経済ブロツクにありましたので、我が国の紙幣も或いは朝鮮、満洲興銀の金も、終戦当時ソ連の軍票も、皆一様に同価格でこれは扱われたのでございます。終戦前は日本の一円も朝鮮又は満洲の一円もそこに何らの差別はなかつたということは、これは事実が明らかに、我々が満洲におりまして土建のものを注文をいたしましても、やつぱり満洲の興銀の一円札を渡せば、それで日本の一円に通じておつたのでございまして、終戦当時までは何らここに差別がなかつたのでございます。然るにもかかわらず、今度終戦後引揚に際し我々が借入れた金は、何らの差別のない、等級のない金を借りて、一カ年三カ月の間におけるところの難民救済、奥地から流れて出るところの三万五千人という難民を救つたのは、皆その借入れた金で救済をいたしたのでございまして、私ども日本の金と何ら変りのない同じ価値の金を借りてお返しするということを固く誓つて借用いたしたのでございます。本日私がこの証言を申上げますのは、私は借入者の責任者として申上げるのでございますが、私ども日本へ帰つたならば、一カ年のうちには必ずもらつて上げるということを固く話しておるのでございます。尤も、ここに申上げておきたいのは、在外公館のあつた地方には、終戦後、八月の二十四、五日頃から後、二回も三回も政府から、金がなかつたならば借りて処理せよ、その金は日本へ帰つたらば支払いするということが、政府から電報その他で連絡があつたように伺つておりますが、大連には全くそれがなかつたのでございます。同じ外地から引揚げるのに当りまして、二十五万人の海外唯一の日本人を有しておるところの大連には、どうして政府からそういう指令がなかつたかということは、私はこちらへ帰つて委員会ででも随分質問したのでございましたが、そういう指令がございませんから、日本へ帰つたならば、必ず如何なることがあつてももらつてやるという断言はでき得なかつたのでございます。政府から何らかのそこに指示があれば、私どもは強硬にそこを主張いたしますが、最初はそういう強いつまり保証ができなかつたのでございます。ただ九月、十月頃に至りまして、満洲でも日本へ帰つたならばもらつてやるということを保証して金を出してもらつておる、朝鮮も然りである、大連にもそうしてもらいたいということが非常に声が強くなりまして、満洲や朝鮮がそういう保証を与えられるならば、大連も当然その責任は帯びる、我我世話人は必ずその責任は帯びるから、諸君出してもらいたい、あるだけの金を出してもらいたいということを私は先頭に立つて主張いたしたのでございます。皆さんによく御了解を願いたいと思いますのは、他の地区は終戦後一、二カ月をいたしますと、引揚をどんどん始めましたが、大連だけは一カ年三カ月というものは完全に罐詰にされて、私どもは引揚を中ソ両当局に願いましても、日本へ帰れば、日本は今非常に食糧がなくて困つておるじやないか、そこへ持つてつてからに三十万人の人間が帰つたら、日本全体がますます困るということになつて来るのじやないか、であるから、こちらにおれ、こういうことで何と言つても帰してくれなかつたのでございます。然らば我々日本人が安心して食えるように生活を容易にしてもらいたいと言うて私は随分迫りましたが、日本人の難民日本人が救えと言つて、何と言つてもそういう救済はしてくれなかつたのでございますので、それで大連で金を集めるのには、何とかここに方法を講じなければ、一カ年三カ月のその間には、随分奥地から流れて来た難民ばかりでなしに、大連二十有余万人のそのうちからも月々多くの難民を救済せなくちやならん金の必要が起つたのでございますので、その金を集めるのには随分苦心いたしまして、あらゆることを申上げてその金を出さしたのでございますから、そういう苦心して集めた金を日本へ帰つていよいよ払う時分には、その十分の一しか払われないということになつては、我々は全くインチキ的の人間になつて参りますので、先ほどもいろいろ御質問がございましたが、我々は満洲、大連引揚については日本政府から必ずどなたかが見えるはずだ、来るはずだと思つておりましたが、十二月の四日にいよいよ第一船が入つて来ました時分にも、埠頭へ私は参りましたが、船長に会つて見ますと、どなたもお見えにならなかつた政府からも何らの御通知はなかつたということで私ども如何に失望したか知れませんが、私ども政府の代行を勤めた考えでおります。まさに立派な政府の代行を勤めて大連にいる二十有余万人の引揚者を無事に引揚げて来た、その責任の一端は、例の我々が借入れておつたところの借入金が完全にできなかつたならば大連二十有余万人の引揚げは無事に完了はできなかつたんじやないかと考えますれば、私どもが借入れた金は日本政府の何ら変らない、値打の変らない金を日本へ帰つたならばお返しするということを確かに約束して借用いたしたのでございますから、どうか、関東州、大連の借入に対するレートは甚だ貧弱にできておりますが、どうか事情をよく御酌量下さいまして、先ほど申上げました通りレート委員会で実情をよく諒とされたかたがいられたならば、こんなへまな結果にならなかつたであろうと、私は当時在外公館借入金のほうの委員でございましたが、このレート委員会には少くとも我々のような金を借りた者を委員として選択さるべきでなかつたかということも私は当時申上げたことがございますが、先ず委員に適任者を得なかつたというのでこのような結果になつたのだと、甚だ遺憾に存じております。  どうか右の事情をお酌み取り下さいまして、鮮満間は、明治三十九年の日清、日露戦争以来同一経済ブロツクの中にあつたのでございますから、ただ引揚に際しての預り金に対してそういう差別をされないように、よろしく従来の関係に鑑みて、鮮満間平等の一対一の率に是正されますことを強いてお願いいたします。  この三の五万円以上で打切るということにつきましても、私どもは一カ年三カ月籠城をいたしました。その中にはある人から極力出してもらわなくてはならん関係上、あなたがたのものは如何なるものを売つてでも何でも皆できるだけ作つてもらいたいということを私は要望をいたして借用いたしたものでございますから、どうか五万円ということに制限されないことに、我々の引場について或いは難民救済について借入れた金は全部お支払をして頂くことを、切に御支払ができるように御尽力のほどを参議院の皆様、委員会の皆様に一つお願いいたします。以上。
  82. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 有難うございました。次は大国証人にお願いいたします。
  83. 大国彰

    証人大国彰君) 私は在漢口総領事館の領事といたしまして、終戦を迎えまして、終戦当時の職といたしましては、領事館の官房長といつた形で人事、会計、経理その他企画一切をやつてつたわけでございますが、終戦になりましてから中国側が入つて参りまして、領事館の機能を認めないということになつたわけでございますが、対内的には依然として領事館の仕事を続けておつたわけでございます。そういたしておりますうちに、総領事以下領事二名、警察官十名が或る米人関係の戦犯容疑で全部上海に護送されまして、結局漢口の領事館の責任者といたしまして十一月以後私が居留民の引揚関係を全部やつてつたわけでございます。それでこの第二点でございますが、レート関係、これはいろいろ外務省、大蔵省のほうでいろいろ資料を基にいたしましてきめられたことと存ずるわけでありますが、私といたしましては、当時の資料を一切なくしまして、この米価が果して妥当であるかどうかということを、今何ともこまごま米価の点からだけで判断することはできないのでございます。若し米価を本当に中心としてやりましたということになりましたならば、これは各地区それぞれ同じ儲備券と申しましても各地区それぞれ差があるわけでございまして、御承知のように湖北、湖南を控えました武漢地区の米は上海に比べまして非常に安いわけでございます。それで米価だけを主として取入れるといたしましたならば、上海、南京等の下流地区等に比べまして物価は安かつた従つてこのレートは甘いということは言えるわけでございます。併しそういつた地区別の問題を一々斟酌することもできないと思うのでございますが、従つてこの法幣十二円、儲備券二千四百円と申しますレートをきめましたその経緯がはつきりいたしませんことには、私ども何ともこれについて意見を申上げるわけにいかんと思います。但しこれは当時の日本米価との対比で若しきめられたといたしましたならば、引揚げて参りました二十一年にこれだけのレート支払つて頂きましたならば、非常に引揚者のかたも納得すると思いますが、爾来この物価騰貴の世の中、五年も六年もたちましてからこのままのレートで僅か三割の加算ということでは何とも納得が行かないのじやないかとかように考えております。  それから五万円で打切るという問題でありますが、私ども領事館におりまして、九月以降漢口のほうは大体上海から送金を受けておつたのでございますが、一銭の送金もなくなつてしまつたわけでございまして、領事館員、警察官も含めまして約四百名、並びに居留民一万三千、これだけのものを中国側の管理がたとえ寛大であろうとも、言わば敵地の真中におきまして約半年以上の間もこれをまとめまして、而もあの当時として長江の奥から上海、南京を経て内地へ帰すまでのいろいろな経費を賄うことは非常に大変でございました。終戦直後でございましたが、南京、或いは東京の外務省か忘れましたが、電報が入りまして、爾今一切送金はできない、併し現地であらゆる手段を講じて資金を集めて居留民の保護に遺憾なきを期せよといつた意味の電報が入つておりました。最初私どもは三カ月ぐらいで内地引揚げられるのじやないかという、やや甘い楽観を抱いておつたのでありますが、従いまして終戦直後に銀行その他より私どもが集めました金は、大体三カ月を目標に一応集めたわけでございます。そのうちに中国側の様子も大分私どもの予想と変つて参りましたし、楊子江の減水が始まりまして、大型船が入つて来ないということになりまして、初めて私どもこれは大変だと、来年の三月以降でなければ大型船が入つて来ない、その前には帰れないということで、初めて長期の籠城計画を作つたわけでございます。そのときにはすでにもう銀行は閉鎖されておりまして、私どもとしては如何にしてその資金を集めるかということに苦心したわけでございます。その居留民自体といたしましても、一体いつ帰れるかわからないと、何カ月分の準備をしなければいけないかということも不確定なときに、領事館の依頼に応じまして金を出すということは、非常な決意が要るわけでございまして、私どもは口をすくしていろいろと居留民の現状を説き、又将来発生するであろういろいろな貧困者の状況を強調いたしまして、この資金を集めることになつたわけでございます。たまたま十一月の終りから一月頃にかけまして、千円の持ち帰り金のほかにそれを超過する金額については、総領事名義でこれを預れという通牒がございましたが、その中には本件についてはいずれ内地へ帰つてから補償する方針であるが、それを如何なるレート等でやるかは未定であるということは謳つてございました。併し私どもといたしましては、当然そういう訓令に基きまして集めました金は、これは国家の金でありまして、私どもは当然これを今まで下流地区から送つてもらいました国家資金と同じように取扱つて、居留民の引揚、救済並びに館員の生活維持ということに充てていいという考えでやつたわけでございます。従つてそういつた状況におきまして、例えば或る人が気持よく儲備券で一億の金を出してくれたわけでございますが、私どもとしては当時十一月に十五億の金を集めまして約三カ月の間四百人の領事館関係者の生活に充てたわけでございます。その一億が今度の計算におきますと、五万円になりまして、三割加算されますと六万五千円でございますが、その六万五千円ぐらいで返済されるということは、何としても私忍びないところでございます。もとより私どものほうといたしましても、借り上げをいたします場合には、各債権者に対しまして、これは昔の十八円レート返済されるとはこれは言いませんでした。返済の時期並びにレートの決定等については、いずれ内地政府がきめてくれるであろうと、その了解は十分得て借りてはおつたのでありますが、このようなレートになろうとは夢にも思つていなかつたわけでございます。従つて当時一億の金がございますと、これを法幣に換算いたしましても大体五十人、五、六十人が一カ月食えたことになるのだろうと思うのでございますが、その一億を貸した人に対して五万円で打切るということは甚だ酷なような気がするわけでございます。現在の五万円がどの程度の効用価値を持つておるかということは、皆様おわかりのことだろうと思います。  要するに私どものほうといたしましては、この引揚者のかたから、居留民のかたからいろいろと金をお借りしたのでございまして、私借りたほうの側といたしましても、一日も早くこれを返還して頂きたいと同時に、又返還に当りましては債権者に十分納得の行くようなレートと、それからこの打切りなどということなしに、納得の行くような仕方で一日も早く返済のできるような法案をできるだけ早く御審議下さるようにお願いしたいという、まあ希望を持つておるわけでございます。
  84. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 有難うございました。次に大滝証人にお願いいたします。
  85. 大滝克己

    証人大滝克己君) 私は終戦当時シンガポールにおりました。丁度昭和十七年まで北京におつたのでありましたが、ドイツとの貿易関係がいろいろと困難になつて参りますと同時に、東亜輸出総連合の南方の代表としてシンガポールに出されまして、爾来終戦まで現地におりました。その後陸海軍の顧問その他を引受けまして、占領地区の資源調査その他をやつてつたのであります。終戦になりますと同時に、英軍が進駐をすることになりましたが、それと共に、日本人は一切シンガポールの島内から摩擦を避けるために立去れということで、一般邦人約一万名はジヨロンという所へ集結をいたしまして、ジヤングルを切拓いて私どもの労力と私どもの醵出いたしました金でそこへ集中営を造つて結局生きのびたわけであります。その集中営の食糧その他のものがその後マレー、或いはスマトラ、或いはジヤワの引揚者根拠地として長く役に立つたのでありましたが、当時御承知のように、南方の引揚は四年三カ月かかるという陸軍大臣の放送がございまして、非常な衝撃を私どもは受けましたと同時に、年寄がそれによつて衝撃を受けて死んでしまうというふうなことがございました。私が主に英軍との渉外関係に当つておりました関係で、南方に対する配船の交渉をいたすために、特に英軍の海軍部の好意によりまして、第一船を昭和二十年の十二月に出されることになりまして、二千五百人を引連れまして、私は責任者として帰つて参りました。爾来南方の配船のために直接GHQに交渉をいたしますと共に、先ほども申述べましたが、当時進歩党、自由党、国民協同党、社会党、共産党の王党を歴訪いたしまして、この五つの党の御協力によつて海外引揚に関するところの一つの組織を作つて頂きました。いろいろな関係で私も民間人としてその責任者の一人になつてまあさせられて来たわけであります。その後御承知のように、引揚の団体ができまして、今日社団法人引揚者団体全国連合会の副理事長としてやつて来ておるのであります。そして本件につきましては、引揚者団体全国連合会は、全国から約三万数千名の白紙委任状を以ちまして、この公館借入金の交渉を依頼されておりますし、私自身も約一万数千件の委任状を頂いてこの交渉の一切の責任を委託されておる立場でございます。そういう立場に立ちまして、この問題について意見を申述べさせて頂きたいと思うのであります。  御承知のように、全国の引揚者は、先月二十二日に築地の本願寺で引揚者大会を開かれまして、在外資産の問題並びに在外公館借入金の問題について決議をなされ、その後国会を中心に実行委員かたがたが折衝をされておるわけでありまして、今日もその代表のかたはまだ東京に残り、この中にも傍聴に来られておるように、熱心にこの問題の促進を図られておるわけであります。第一点の問題につきましては、要するにこの米価を基準としたということが如何かという御質問であろうかと思うのでありますが、問題の所在は、私は米価がいいか悪いかという問題よりも、公館借入金そのものに対する考え方の問題が非常に大切なのではないかと思うのであります。勿論今朝来水田証人、高碕証人以下いろいろとこの問題等について御説明がございましたが、今日恐らく大蔵省といたしましてもこの資料を収集されるのには非常な困難を感ぜられたことと思います。私ども自体もあらゆる方途を講じて終戦以来この問題についての資料を収集いたしたのでありまするが、的確な又信憑性のある資料を確保するということは殆んど不可能であるのでありまして、結局引揚費に使われた。従つて生活費が大部分であるという観点から、米価を一応の基準とされたことに対しましては私は大した異論を申述べるものではございません。併しながらその米価そのものをただ純粋に取入れたという点につきましては榊谷証人等の御意見もございますように、又大国証人の御意見もありまするように、その地その地の米価の、米穀事情というものは異るのでありまして、その調整を図らなければならないということが当然のことでございます。それと同時にその米価をいつの時期によつてとるかという問題が更に大きな問題となると思うのであります。大蔵省は米価借入金が一番たくさんなされた時期においての数値をとりまして、いわゆるピーク時の評価をしたということによつてアヴエレイジの価格を出したと言われるのでありまするが、そのこと自身に非常に大きな狂いが来ておると申しますのは、先ほど来の各証人の御意見にもありまするように現地事情そのものは占領治下にあり、而も敵国の中にあつて日本国内の事情とは全く違うのでありまして、景気の変動或いは物価の変動というものもその政治体形或いは又その現地の事情等によつて異るのであります。そういう調整が図られなければならないと同時に、これはやはり貸し借りの問題でありまするから、当然常識といたしましてはその貸し借りを設定するそのときの評価をとるのが妥当であろうと私は思うのであります。そういたしまするならば、まだ恐らく各提供者といたしましても納得し得るものがあるのではなかろうか、こういうふうに考えるのでありまして、結局私どもの結論といたしましては、今日この問題を純粋に理論的に検討をいたすということについては、何人も納得し得るような信憑性のある資料のない今日におきましては不可能である。従つて飽くまでもこの問題は政治的に解決されなければならない問題であると同時に、通常の観念、一般の観念によつてやはり律せられなければならないと私は考えるのであります。従いまして基準をとるならば借入れを開始するときの条件として、当然一般通念では成立つのでありますから、そのときの米価値段を以て評価価格といたしまして換算率を設定されるならば、そう無理がないのではなかろうかと思うのであります。ただこの現れました表をいじるということはなかなか困難でありましようが、この表それ自身につきましても幾多の矛盾は発見せられます。今朝ほど水田証人が述べられましたように日本銀行券そのものに対して差等を設けるということは、これは国民感情も許さないでありましようが、更に通貨の理念から申しましてもこういうことはあるべからざることだと私は考えるのであります。でき得るならばこういう措置法律として、法律の別表としてお出しになるような措置はお避けになるのが当然ではなかろうか、又一方におきましてこの表で御覧になりますればおわかりの通り華北と華中南の法幣並びに関金券の間に差がございます。この法幣並びに関金券というものは御承知のように他の主権国の法定通貨であります。そういう他の主権国の法定通貨を日本が一方的な意思によつて差を附けるということが果して妥当であるかどうかということはこれ又非常に検討を要する問題であろうと思います。と同時に今後この問題は国際関係が逼迫するとか、或いは中国とのいろいろの問題が出ましたときに必ずや問題に提起せられるであろうと私は考えるのであります。従いましてこういう問題については成るべくこういうことは避けて、法幣、関金券は一本にまとめて行くべきが当然のことであると私は考えるのであります。通貨の問題について無理にそういう理論を組立てるために、この理論で参りますれば、日本銀行券は東京の値打ちと北海道の値打ちが違うということをこの法律できめるようなものでございまして、この点は百年の悔を残すと私は考えざるを得ないのであります。従いましてそういう調整を図られると同時に、又関東州について榊谷証人が申述べられましたように長い歴史、又大連がどこよりも、東亜の諸地域において内地よりも物価が安かつたということは過去において厳然たる事実でありまして、誰も知つておることであり、そういう安い物価の土地、つまり高い通貨を蓄積されたところの大連が、今日こういうふうに昭和二十年の十二月三十一日を以て、それ以後においては一対十というふうなひどい烙印を捺されるということにも無理がある。従いまして当然これは満洲と同じような時期に直すべきであると私は考えておるのであります。而ういたしましてこれらの問題に対して一連の調整といたしまして百分の百三十という問題を適当にこれを政治的に御勘案願いまして、率を上げて、そうして提供者提供されたときのことを考えて頂いて、皆様がたの御厚意によつて適当に御決定がなされるのが妥当ではなかろうかと思うのであります。時間がございませんのでレートの問題についても申述べたいことはございまするが、この第三の問題に移つて見たいと思います。  第三の問題でございますが、要は五万円以上を打切るとなつておる。そのこと自身については私は二つの問題があろうかと思うのであります。第一の問題は、五万円という問題は別といたしまして、一つの段階でこの債務を打切るという問題の妥当性、更に五万円ということの妥当性と二つの問題があろうかと思うのでありますが、これは一体化いたしまして、先ほども申述べましたようなものの考え方であり、公館借入金に対する見方であると私は考えます。各証人が申述べますように、この公館借入金の使命、その果した効果というものは何人も私は忘れることのできないことであると考えておるのでありまして、本来でありますれば、その功績は高く評価されるべき性質のものである。これが何が故に今日厄介物視され、又不法行為のような眼で見られなければならないか、そこに私は問題があるのではないかと思うのであります。一つの事実の適正判断というものは、その事実が発生した条件を前提として初めて私は可能だと考えるのであります。御承知のように通常或る条件の下におきまして正当な行為でありましても、それが全く異つた条件の下にありましては不法行為と断定せらるる場合があることは又皆さんもよく御存じの通りであります。公館借入金が今日冷遇、あえて冷遇と申しますが、冷遇せられますのは、又六年に近い年月が経過いたしましたことと、全く異つた今日のノルマルな条件の下においてこれが検討せられるからにほかならないと私は強く感ずるのであります。従いまして今日必要といたしますことはいわゆる論理的真理ではありません。歴史的現実の事実的真理でありまして、現実たるところの公館借入金の論理、認識の領域におけるところの観念ではないのでありまして、歴史的事実なのであります。即ち観念論ではなくて、事実の追究とその事実の適正なる処理こそが必要だと思うのであります。  そこでこの第三点に立ち戻りまして、第一に政府があえて言つておりますように憲法上の疑義という問題について考えてみたいと思うものであります。大体今日までの国会の審議の過程を通じて私どもが感じますことは、政府は公館借入金に関するところの法律上の国の債務は、この返済実施に関するところの法律案の成立によりまして初めて創設せられるものであるから、借入金額、即ち国の債務を五万円と限定いたしましても、すでに確定している債務を打ち切るのではないから、憲法に牴触しないという見解を持つておられるようであります。果してこういうことを言い切ることができるでありましようか、この論拠とされておりますのは、公館借入金に関しては今日まで国の債務として、いわゆる議決によるところの国会の承認乃至予算措置によるところの承認を得ていないからして、法律上国の債務とはなり得ないということであります。従つて在外公館等借入金整理準備審査会法第一条第二項に言つておりまする「法律の定めるところに従い」ということは、将来制定せられる法律を意味し、不確定の要素を含むものであるからして、同条において「政府現地通貨で表示された借入金を、」「将来返済すべき国の債務として承認することをいう。」と定義しておりましても、この規定によつてすでに国の債務として承認せられたものというわけには行かないと言つておられるようであります。法律技術上或いは成立いたすといたしましても、明らかにこの論旨の組立て方には無理があります。違憲論にあわてて、私どもから申しますれば、間に合わせにこじつけたとしか受取れないのであります。今日事実上の債務は認めながら、かかる議論によつて公館借入金法律上の債務とは認めないという立場を固執するのであるならば、先ず私どもとしては訓令を発した際の憲法上の措置を懈怠した国の責任を追及する必要が生ずるでありましよう。又外務大臣の訓令は、法律如何なる性質のものであり、如何なる効力を有するか、更に又出先官憲が外務大臣の訓令に基いて国家非常の際に行いましたところの行為は、果して国の表見代理人として正当な行為であるかどうかも明らかにする必要があるでありましよう。国家非常の際に債務発生の適法の措置をとり得なかつたことはあえて咎めないといたしましても、本法律案の提案の理由には明瞭に「外務大臣が国の債務として承認した在外公館等借入金返済実施するため」云々と明記しております。これを読んだ何人が果して借入金はまだ国の債務とはなつていないものであると判読をいたしますでございましようか。一般通念は到底こういう理論を受入れることはできないと私は感ずるのであります。国は事実上の債務を認めればこそ今日まで二つの特別立法をされたはずであります。又本法律案によつてこれを返済せんとされるのであると私は考えるのであります。そうであるならば非常事態において善意無過失の借入金提供者をして、国家を信頼し対等な立場において提供せしめました借入金を、国家の一方的意思によつて提供者の理解しがたい法理解釈に基いて債務の内容を変更するがごとき行為をし得るでありましようか。民法の大原則は御承知通り信義、誠実をその基本としておるのであります。従つて民法上平等な債権債務関係を、国家が法律の強制力によつて上下の関係に置かんとすることは、明らかに民法の原則に反すると言わなければなりません。更に公館借入金債権債務である以上、なお幾多の問題が、疑問が残つて参ります。例えば政府の法理解釈が確認証書によつて確認された事実上の債務とは無関係に、国の債務は五万円までであるとするのでありまするならば、打切られた債権はどうなるのでありましよう。これに対する直接の借受人、即ち出先官憲の責任は免れ得るでありましようか。又審査会法第五条第二項によりまして確認請求の機会を逸した提供者は、審査会法に基くところの確認請求権は失いますけれども、国に対するところの債権は消滅するものではございません。これらに対しまして本法律案は又当然に何らの拘束力を有するものではないのであります。従いましてこれらの者は訴訟によりまして債権全額を請求し得るはずであります。この問題は裁判所の認定の問題となりまするけれども、いずれにいたしましてもこれとの調整をどう考えておられるのでありましようか、又出先官憲におきまして借入勧奨の際に事務整理上、先ほども証人が述べられましたように一括多額の金額にまとめ上げた事実を、これをどう処理されるおつもりでございましようか、若しも同一人に対しまするところの債務額を五万円に限定するというがごときことを政府が当初から予定していたといたしますならば、何が故に審査会法によるところの確認請求に際しましてかかる債権内容を明らかにせしめる措置を講じなかつたのでありましようか、みずからかかる将来の行為を予見していたといたしますならば、これを隠蔽して今日五万円に打切るというがごとき行為は、まさに国民を欺瞞するものであると断ぜざるを得ないのであります。若しも私ども国民がこのような行為をいたしました場合にはどうなりますか、必ずや詐欺的行為と断定せられると私は信ずるのであります。このように幾多の問題がここから出て来るのみならず、法律によつて債務者である国が債務を打切るということは、国内一般の債権、債務にも重大な影響を将来に残すと考えるのであります。いずれにいたしましても本法律案は憲法の私有財産尊重の原則に違反し、且又憲法十三条によるところの幸福追求の原理に反するものと言わざるを得ないのでございましよう。又憲法上の疑義は容易に氷解せられないでありましようし、必ずやこれは尾を引いて参ると思うのであります。従いまして私ども考え方といたしましては、こういう問題については到底純粋な法理論によつて解決せらるべきものではない、飽くまでも道義上の問題といたしまして、皆様の御好意によつて政治的に解決せられるのが妥当であろうと私は感ずるのであります。法律によつてこれを冷酷無残に解明いたしましても、結局得るところのものは何もないのであります。残るものは怨恨と呪詛しか残りません。而もなおたくさんの疑問が残されておる。こういうことは是非とも避けて頂くように御配慮をお願いしたいのであります。  更に五万円の妥当性の問題でございますが、これは法律論を離れまして、数字的に五万円に打切るの妥当性を検討いたしましても、先ほど来いろいろお話もございますように、この五万円と断定した理由は私どもも詳かにいたしておりません。併し審査会法第一条第二項の「法律の定めるところに従い、且つ、予算の範囲内において、」云々という規定並びに返済の準備に関する法律第二条におけるところの「借入金返済の方法は、国民負担の衡平の見地から、公正且つ妥当な基準に基いて定められなければならない。」という規定を引用して、戦時補償乃至戦時保険打切りとの均衡論を振りかざしておいでになるようでございます。併し数字的に申しますならば、成るほど五万円は当時の五万円と同じ数字ではございまするが、その中身が果してそれでは同じでございましようか。均衡論というものがありますならば、どうかその実質的な均衡論をお述べ願いたいのであります。余りにも言われることがあちこち矛盾があり過ぎますので、結局理窟の闘争をいたさざるを得ないのでありまするが、私どもは理窟では解決をしたくないのであります。飽くまでもこの問題はこの発生の経過から見まして、是非とも道義的に、政治的に御解決をお願いを申上げたい。これが私の全国連合会を代表いたしまして皆様がたにお願いを申上げる次第なのであります。  なお最後に丁度ここに一つの例といたしまして、大国証人が申述べられなかつたのでありますが、漢口におきまするところの借用証の雛型がございます。この雛型を私は御参考までに読んでみたいと思うのであります。    借 用 証  一金儲備券   元也   但右は終戦に因る新事態発生に際し、国庫より支出さるべき在漢口日本総領事館経費未達の為め、之に充当するものなり  右金額左記条件により借用候也   昭和二十年十一月  日            中野勝次         殿     記  一、無利息  二、返済返済方法及儲備券日本円との換算率は当館並に貴殿引揚後政府の決定に一任す               以上 と書いてございます。この中でおわかりの通り現地公館は「国庫より支出さるべき在漢口日本総領事館経費未達の為め」と書いてございますが、これをもらつた誰が、果して法律上今日においてこの借入金が国の債務となり得ないということで判断いたしますかどうかという点を特に私は御理解を願いまして、先ほど来申述べますように、是非ともこれは理窟でなくして解決をして頂くようにお願いをいたしたいと思います。
  86. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) いや有難うございました。これで証人の第一点、第二点、第三点の御発言は全部終了したわけであります。これから委員から御質疑があれば許します。どうぞ。森崎委員
  87. 森崎隆

    ○森崎隆君 我が儘ですが四時頃にちよつと官房長官にお会いすることになつておりますので、暫く時間を頂きまして二、三の問題をお尋ねいたしたいと思います。その前に証人各位の熱心なる御証言のあつたことにつきまして感謝いたします。要点が三点に一応限られておりました関係上、その他の問題につきましていろいろ御意見があろうかと思います。私あとで時間がございましたならば、そういう意味の時間、まあ自由に証人各位が意見並びに証言をいたしたいという山々ないろいろな材料につきまして、特に重点的なものを本委員会で取上げて頂きますことを希望いたします。私二、三気付いたことにつきましてお尋ねいたしたいと思いますが、証人各位のどなたでも結構だと思います。  第一には、今度の法律案の中で百分の三十だけを特に加えている条項が書かれておりまするが、これは政府の証明に、正式な説明であつたかどうかわかりませんが、過去六年間の利子に相当するといつたような説明があつたやに実は私聞いております。これにつきまして証人各位のどなたかの御意見をお聞かせ頂きたいと思います。  それから借入金と調整料の問題につきましても御意見をお聞きいたしたいと思います。この二点につきましてどなたか……。
  88. 中北繁

    証人中北繁君) 森崎委員のお尋ねにお答えをいたします。私はこの返済実施に関する法律案は、どこまでも債権者に対してその不利益を図るような節が見られる虞れがあると先ほども申し述べましたが、只今のこの百分の三十ということにつきまして、民法の第四百四条によりまするというと、法定利息は年五分となつている次第でございます。而して同じく民法の四百十九条によりまするというと、支払が遅滞したる場合の損害金は、更に法定利息を追加し得るように規定してあるのであります。然るに政府のこの百分の三十なるものが利息であるということになりますれば、又私はこれに関連いたしまして、政府は、これは消費債務であると私は確認していると思慮いたす次第でありまして、これに伴いまして三十なる利息を附けたものと推察するのでございまするが、この消費債務に対して単に百分の三十だけを附けて、民法のこの規定から遅滞損害金をノツク・アウトしているというところに、私は立案者に悪意の幾分かがあつたのではなかろうかと、こういうふうに私は考える次第でございます。従いまして各方面からいろいろ検討をいたしまするとき、こうした矛盾を数多く発見することができるのであります。我々は民法上の解釈をしたものと考えておるのであります。日本人として日本人である我々が日本の公館と約束を申上げたのでありまして、どこまでも私どもはこの民法の規定は忠実に御実行願いたいと存ずるのでありまして、どちらかと申しますると、語弊がございまするけれども、余りに政府のこの法案立案者はつまみ食いをなさり過ぎていはしないか、こういうふうに考えるのであります。重ねて申上げますが、百分の三十をお附けになるならば、当然遅滞損害金もこれは加えられなければならない、この点からかく申上げる次第であります。
  89. 森崎隆

    ○森崎隆君 いま一つ調整料の問題につきまして……。
  90. 中北繁

    証人中北繁君) お答え申上げます。上海方面の調整料関係につきまして、私はここに恐らく日本中にただ一つしかなかろうと思われますところの証拠を提出いたします。これは上海方面において発行せられておりました大陸新報の二十年八月十七日の新聞でありまして、三万円送金につきまして在外公館上海事務所が発表しておる記事がここに掲載せられておるのでございます。それによりまするというと、全く在外公館が大蔵当局と打合せをお遂げになつて、こうしてやるから三万円送金をするようにしろと、勧奨にこれ努められて三万円送金したものが起り、これに不当にも十倍の調整料を殆んど強制的に徴収せられまして、儲備券を以て申しまするというと百八十一万五千円を提供せしめまして、内地金融機関において退去証明書を提示することによりまして、金三万円が受領できるようにしてやる、だからお前たちは町内会を経て、殺到しては困るからまとめてこれを持つて来いということを在外公館が発表しておられる記事がここに掲載されておるのでございまして、これは大蔵省令第八十八号、先ほどからたびたび各証人からこれに関しまして述べられたのでありまするが、この大蔵省令の外国通貨並びに金銀有価証券等輸出入に関する金融取引の取締の件に関しましては、はつきり申しますというと、昭和二十年十月十五日に公布せられておるのであります。併しこれに先立ちまして昭和二十年九月二十二日に司令部の指令があつたということは我々もこれは承知いたしておるのでありまするが、この法令が効力を発生するに至つた年月日はどこまでも公布の日からであると思うのであります。この三万円送金なるものに関しましては、この殆んどが二十年の八月から九月上旬ぐらいに手続を完了しておるのでありまして、この大蔵省令八十八号が公布せられる前に送金をいたしたものであり、不当なる調整料を、政府間の半命令的な措置によりまして徴収せられておるのであります。従いまして当然この三万円なる送金は、省令がまだ公布せられないうちに送金を取組んだものであると信ぜられまするがゆえに、何としてもこれは送金を取組んだかたがたに早く返済して頂きたい。並びに不当なる十倍の調整料を徴収せられたことに関しましては、外務省の審査会におきまして先般来検討をお加えになつていられるようでありますし、これは明瞭に在外公館等借入金たる性格を持つているものと確信する次第でございまして、然るに未だにこの調整料関係、これに伴いますところの三万円送金なるものが返済もせられない。借入金として確認もせられないというような実情にあるのでございまして、中支方面引揚者に関しましては重大なる事項であるのであります。即ち各世帯漏れなく金額の差こそあれ皆この政府の勧奨によつて、はつきり申上げますると、大蔵省の承認によつてこうした取組みができたのでありまして、返済支払を中支方面の関係者が鶴首しているものでございまするから、当委員会におかれましては特にこの問題につきまして十分なる御検討を頂きまして、一日も早く確認をせしめられまして、返済のこの実施法律の恩典に浴せしめられるよう懇願申上ぐる次第であります。
  91. 森崎隆

    ○森崎隆君 いいお話を承わりまして有難うございました。ただこの百分の三十につきましては、できますならばもう一人のかたから御意見を聞きたいと思いますのですがね、大滝さんのほうから……。
  92. 大滝克己

    証人大滝克己君) 百分の三十の点は、御質問の要旨が、要点がちよつとわかりかねるのでございますが、どういう点についてでありましようか。
  93. 森崎隆

    ○森崎隆君 それでは私からもう一回申上げます。今度の法案の中に百分の三十の附加率の問題が入つているわけであります。先般質問をいたしますると、まあ利子でもないような、又利子でもあるようなまああいまいな御返答で、一応その算定した基準はどうしたかと言えば、今もお話のありましたような、まあ年五分というものを六年間でこの程度というような意見政府のほうから答弁があつたわけなんであります。これにつきましては私たちいろいろ意見を持つておるわけなんであります。これにつきまして証人かたがたのほうから忌憚のない御意見をお聞きしたい。そうして参考にいたしたいと思います。
  94. 大滝克己

    証人大滝克己君) それでは御質問について答えさして頂きます。私は先ほど申述べました中でも申上げたのでございますが、公館等借入金そのものにつきましては、初めから理窟で解明しようと思いますと、所々方々に矛盾と欠陥が現われて来ると思います。はつきり申しますれば矛盾だらけであります。従いましてそういう追求のしかたをやめて頂くことが私は妥当だ。そうして国民感情に強くアツピールする行き方をとらるべきではないか、そう考えているわけでありまして、そういう意味合いから申しましても、私は先ほど換算率の改訂の問題に際しまして百分の三十というものをもう少し大幅に改訂頂いて調整を図つて頂くことがいいのではないか、それを理窟を申しますと、今中北君が言われましたように、法律論になつてしまいましようし、それだけでも割切れない。それでは現実に帰つて来たときに約束通り返してくれれば役に立つた金が、今日一万円でありますと、僅かに換算率から申しますれば、華北でございますれば結局百円しかもらえないというふうなことになつてしまうのでありまして、そういう問題についてまあ諸先生がもう少し政治的にお考え下さいまして、いろいろな意味を含めたものとしてこの数字は私は考えて頂いたほうが最も妥当じやなかろうか、それを年五分或いは日歩何銭、或いは遅滞金が幾らということになつて参りますと、それだけでも割切れないので、これじや価値が落ちたやつは、下落したのをどうするのだ、こういうことが直ぐ次に出て来なければならない。そういうふうに考えられるのであります。  それから先ほど私の申しました中でちよつと落しましたので、この際附加えさして頂きたいと思います。ほんの一言でございますが、五万円の打切りの問題につきましての態度は先ほど申しましたが、結論は打切りはやめて頂きたい。その代り丁度、先ほど紅露先生がお聞きになりました点でありますが、私どもも現実に、そういうことが現在の国家財政の上からいつて必要であるならば、あえてそれを即刻払えとは申さないのでありまして、適当にその点も御調整相成つて然るべきだ。たまたま予算の範囲内と書いてあります点が、これが又先ほどの私の論旨に戻りますけれども、大蔵省流の解釈をいたしますと、特定の規定がございませんから当該年度に限らない、数カ年度に亘るとも解釈できるわけでございますので、そういう点もございますので、その点は如何ようとも政治的に御解決になるのがいいのではないか。そう考えます。  それからもう一つ、森崎先生から御質問がございまして、中北証人が言われました調整料の問題につきましては、私個人といたしましては別な観点を持つております。それは当委員会におかれましても調整料の問題等につきましてはもう今日まで数回に亘つていろいろと証人を喚問されましたので、私から述べるまでもなく諸先生はよく御承知のことと考えているのでありますが、この中支の送金というものにつきましては、私は調整料という問題がたまたまありましたために、却つていわゆる送金小切手、円為替と申しますか、そういう意味が合法化されるというふうに考えられます。いわゆるその為替をしたときの手数料が端的に申しますれば調整料であります。従いまして三万円の送金小切手は飽くまでも日本円三万円の送金小切手として、これは今日国会において御審議に相成つております日本との平和条約が締結されました際におきまして、この平和条約の第十四条の(A)の2の(1)でございますか、結局取られる在外資産というものは連合国の主権の存する所、ジユリスデイクシヨンの下にあるという解釈はこれに外れることになりますし、同時に十四条の(A)の2の(II)の(V)の例外から申しましても、これは当然講和条約が成立いたしました暁には送金小切手として貸借関係でこれは清算さるべきものであつて、連合国に清算されるものではないという見解をとつておるわけであります。その際におきましては、これは有効な三万円の円送金といたしまして解決がなさるべきである。それが又実際上本当の姿であり、それが又端的に申しますれば当該者に利益をもたらすことだと私は考えておるわけであります。そういう意味合いにおきまして私の意見を申述べたわけであります。
  95. 森崎隆

    ○森崎隆君 お話有難うございました。ただ今政治的に解決をしてくれというお話誠に御尤もな御意見であろうと思いまするが、私たちもやはり良識を持つた上に立つて債権者各位の利益を擁護する立場におきまして、何とかこれを解決したいという気持は十分持つておりまするが、このことに関連して政府を含めてすべての人がこういうように良識を持つて円満に解決する意思がございますれば、今度のような法案は出なかつたはずなんであります。その点からいろいろまあ御質問申上げたのでございますが、言換えまするならば、結局政治的に解決すると言いましても、問題がこうしてこじれて参りまして、債権者各位にまあ最小限度の御満足も与えられない法案が出ました限り、これを修正しこれを審議する立場から参りますと、どうしてもやはり法律論になつて参るわけなんです。理の当然のことで、そうして修正しなければいけない、そうしてそれで盛り上げて行きまして、最終的なやはり政治的な解決ということもあり得るかも知れません。その過程におきましては、飽くまでも本委員会の審議といたしましてはやはり筋の通つた正しい行き方をしなければならない。試みに極くつい先般の委員会におきましてもこの借上金に対しまするところの債権者の権利につきましてもやはり政府の答弁では、国家が正式に予算を組んだ上でなければ正式に国家が借りたという債務はまあ生じないといつたような、そういう答弁もあつたわけなんであります。これを默つて聞いておりますると、言換えましたならば、これは誰が借りたか知らないが、政府としては責任がないのだ、その当時議会に諮りまして、これだけのものを居留民又は未帰還者のかたがたから借りるといつたような決議も何もないから、だから国家は知らないといつたような理窟に似たような、そういうまあお答えがあつたから、私はいろいろ皆さんがたから貴い資料を頂きたい意味におきましてまあお尋ねしたわけでございまするが、大体中北さんのほうからもいろいろお話がありましたので、それでまあ質問をこれで打切りたいと思います。
  96. 玉柳實

    玉柳實君 証人のどなたでも結構でございますが、一つお伺いいたしたいと思いますのは、この在外公館の要求に応じないで金を貸さなかつた場合、或いは金を貸しましても内地帰還前に現地で返還を受けました場合におきましても、内地に帰還いたしました場合はやはり総司令部の覚書に基く制限によりまして、現金一千円と若干の身の廻り品しか持ち帰ることができなかつたのでないかどうか。言葉を換えて言いますると、この金を在外公館にお貸しした場合におきましても貸さなかつた場合におきましても、政府の責任論は別といたしまして、実害の上におきましては別に変つたところはなかつたのじやないかという見方が成立つかも知れない。これは何も政府が責任を免れてよろしいという意味合いでお尋ねを申上げるのではなくして、今後審議をする便宜上からただ事実関係をはつきりしたいという意味合いにおいてこのお尋ねをするわけでございまするので、誤解のないようにお受取を願いまして、どなたからかお答え願えたらと思います。
  97. 大滝克己

    証人大滝克己君) その問題は私も先ほど申述べましたが、現象そのものを捉えますればそういう議論は私は当然出て来ると思います。併しこの問題が皆さんもよく御承知通り本来政府が送金をしてやらなければならない性質のものが、国家非常の際にその措置がとれない、従つて現地においてそのことを政府があえて結局、訓令を以て命じたわけであります。その命令が行使されたことになるわけでありまして、一方の提供者というものは、そういう諸般の情勢を考える余裕が当時はなかつたはずだと私は考えます。先ほど榊谷証人も言われましたように、当時還るか還らないかわからない、どういうことによつてそれでは生計を立てるか、頼るべき結局保護を行使する外交機関も停止しておる、軍隊もなくなり、お互いに頼るのは身一つであります。自分の財産一つであります。従つてそういう際におきまして、やはり人間の自己防衛の本能というものは、自分の財産をとにかく減らすまい、これに頼つて飽くまで生き延びるということがこれは当然のことでございまして、そういういろいろなことを考える余裕はないはずであります。関東震災に私も丁度会つたのでありますが、あの震災に当時御経験のあるかたはおわかりでございましようが、自分の財産というものを保全をするという観念がそのときに途端の場合にあつたではないか、これを将来どうやつて行けば……目の前に落ちている物を拾つて行けば得だとか損だということは考えられないのであります。そういうことから考えますと、今これをこういうノルマルな状態で批判するのは少し酷だ、だから是非そういう角度から私は御議論をなさらないで頂きたい。そういうふうな御議論が出ますと、提供者は憤慨するだけなんであります。たとえこの金が返らないでも、お前たちはよくやつてくれた、私は端的に申しますならば、政府が感謝状でもお出しになるのが当然だと思う。そういう措置でもやりますれば、相当多数の人はそれで満足したと私は確信しております。払えない、併しよくやつてもらつた、これだけでよかつたはずなんです。それが今のような議論が出て来るところにこの問題がどうしても皆が納得しないことになるのでありますから、それを私はいわゆる政治的と申したのでありますが、言葉が妥当ではないかも知れませんが、そういう意味でどうぞお汲み取りを願いたい。  それから実際上の問題にいたしますと、零細な醵出者が非常に多いということであります。これは今まで御承知のように、確認証書が出されておりますのが五万七千七十六件になつております。この中で一例を申上げますと、千以下のものがどれだけあるかと申しますと、実に一万四千三百八十五件というものになるのであります。こういうふうに大体千円以下というふうな零細なもの、而も最低幾らであるかと申しますと、五十円であります。五十円、六十円というその非常に零細な醵出がその中に含まれて、すでに確認証書が出ておるわけであります。そういう人たちのことを私はやはり皆様がたは念頭に置いて頂きたい。だからこういうものに百分の一だなんということになりますと、今日どういうふうになりますか。金がどうも使えないのじやないかと実は考えるわけでありまして、そういう意味合いでやはり親心を持つて適用されて、こういうものにつきましては私どもは何とか換算率を適用しないで、只で返して頂きたい。又これが御承知のようにこの法律案を見ますと、日本銀行で払うというふうになつておるようでありますが、田舎に参りますと、日本銀行へ取りに行くだけで恐らく相当の金が今日かかる、だから五十円、六十円出した人はどうなるのか、私は実は心配しておるわけです。そういうことは相当の件数があるのだ、そういう五十円、六十円というだけでもすでに確認書が出ておるだけでも千何百件ということがすでにあるのですから、そういうものを先生は頭に入れてお考えを願いたいと思います。
  98. 千田正

    千田正君 先般森崎委員からも質問がありまして、中北証人からも御答弁がありましたが、在外公館等借入金に対する確認の問題から、いろいろこれを中心にして、非常に実際はこの居留民のために集められた金であるのだけれども、処置において、それが巧妙なる当時の出先官憲によつてこれが在外公館借入金となつておらない、確認の、調査の対象にはならないというような問題について相当あると思います。例えば華中における三万円の調整料につきましては、只今大滝証人から別の観点において堂々たる理論的なお話がありましたが、確認書を持つて、実際在外公館が借りて領事がはんこを捺したものでさえも政府がかくのごとく切拾てようという考えであるならば、巧妙なる手段によつて実際集められて、それが避難民のために使われて、証書がなかつたなら、現実において使われたというような問題に対しては恐らく大滝氏の堂々たる理論も、現在の政府考え方であれば、まさしく水泡に帰すのじやないか、それを非常に私は憂うるのであります。その点につきまして、先ほど中北証人から中支におけるいわゆる調整金の問題がありましたが、特に当時の上海のそういう問題に携つておられた宮沢証人から、調整金は一体在外公館に繰入れらるべきものであるか、別個の問題として考えらるべきものであるかという点について一応あなたの考えをお聞きしたいと思います。
  99. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) お答えいたします。この三万円送金の件につきましては、当時私は町会長であり、又上海におきましても民団の関係者といたしまして、ただに送金関係内地に送金せよというだけの問題でなしに、この三万円送金は如何にして行われたか、又この三万円送金に関して取扱つた儲備銀行券、そのものは如何ように保全されたかというものも知らなければならない、この問題がありますために、私どもは去る十月十一日に外務省に呼ばれまして、当時の模様を詳しく申し述べたのであります。大蔵省のかた、外務省のかたの合体委員会でありまして、その席上においても私は申上げたのでありまするが、当時この三万円送金というものは二つに考えられておりました。一つは、我々上海在住者が内地に帰つて若しも食うに困るというふうなことがあつては困る、親兄弟に迷惑をかけることもいけない、どうかして自立するためにはこの三万円送金を行えという意味におきまして、三万円を限度といたしまして、各町内を皆歩き廻つたのでありますが、併し私は又別な観点から、当時民団長でありますところの中島氏の許に参りまして、実はこの三万円問題につきましては声を嗄して金を集め歩いているのですが、この金は一体送金のほうはよろしいとして、集められた金は銀行へこれは保金するものであるか、或いは又何らか他の方法によつてこれは使用されるものかということを私は尋ねました。併しそれは先般十月十一日この証言をいたすまでは私は一切口を拭つておりました。その理由は、当時中島民団長が、宮沢君、君だから話すけれども、これは一切口外してはならん、こういうふうなお話でありましたために、私はこの十月十一日に外務省で申上げる前には全然何びとにも口外しなかつたのであります。併しながら事甚だ重大でありまして、調整料はおろか三万円問題も我々がこれを一歩誤りますと、全然手にすることができないというような状態で、各提供者、送金者から非常な質問を受けておりました際でありましたので、私は中島氏には誠にお気の毒ではありますが、中島氏の面前におきまして、中島氏と交渉した結果を全部私は述べ立てたのであります。その結果大蔵省においてもこれは一民間の銀行業者と在留民との間において送金契約が行われたのでなしに、政府の指令に基いてやつたものであるということを確言することができまして、非常に送金者は喜んでおるような状態であります。が併しその理由はどこにあるかと申しますと、第一には送金することが若し可能であつて、そうしてそれが内地へ到着いたしまして、三万円もらえれば非常に在留民は喜ぶであろうということ。二はこの莫大な金を積立てて置くことは、万一在留民が簡単には内地に帰ることができない、船もなかなか廻つて来ないし、又帰してもらうこともできないという場合に、一体十何万という上海におけるところの在留民はどうなるか、即ちその生活、その他いろいろな難民救済、或いは上流方面から上海に流れて来る同胞の救済、その他雑多な費用には相当莫大な費用が要る、そのために我々上海におけるところの行政主任者なるものはすべからくこれだけの金を貯めておかないというと、お互いが餓死するような状態になつたらどうするか。これは大変な問題であるからして、可及的速かに金を掻き集めておく必要があるのだ。これは政府の了解も或る程度得ておるのだから、安心して募金してくれ。但しこれは絶対に口外してはならんということがありましたので、去る十月十一日までには私は申しませんでしたが、去る十月の十一日の外務省における委員会においてこれを述べました。述べましたところが、その関係者でありますところの岡崎嘉平太氏は非常にこれに対して不満足の意を私に表しておりますが、実際はそれは別個の問題としまして、この調整料なるものも三万円送金なるものも百八十六万ドルというこの金は挙げてその出先官憲によつてセーブされ、そうしてそれがこの難民救済その他のものに役立つたか、或いは出先官憲によつて生活の一助となつたか、どちらかであることを私は考えております。以上であります。
  100. 千田正

    千田正君 只今宮沢証人から非常に重大な発言がありましたが、当時私も上海におりまして、或る会社の幹部としておりまして、当時集められた金は先ほど大国証人は、漢口において非常に苦心されたようでありますが、漢口、南京、杭州、或いは北支と中支の間にある蚌埠、徐州、そういう方面から陸続として上海に流れ込んで来るところの避難民をどうして救つてやるかということが当時の問題として非常に重要な問題だつたのであります。銀行は皆閉鎖されて、そうして在外公館は当時の中国官憲によつて金庫は閉鎖されて、一文の金もなかつた。その際起きたところの非常に巧妙な問題でありまするが、調整金を出して内地に送金さしてやるという理由の下に調整金を集めて、その調整金を如何にして利用したか、これが皆難民のために使われたとすれば、当然これは在外公館借入金として実質的に使えたもので、若しこれが当時の為政者であるところの在外公館のいわゆる要職にあつた人たちが自分らの勝手な意思の下に使われたものとすれば、これは詐欺として、我我としては当然この問題について重大なる結果を招来するような方法によつて解決しなければならない。ともかくも当時の状況はそういう状況であつたのでありますが、特に漢口におられました大国証人から承わりたいのでありますが、当然上海に参られて、或いは二日、三日、或いは一週間という船待ちの間十分上海において暮せるだけの用意をして漢口から避難されて来られたか、それとも上海におけるところの在外公館、若しくは当時の居留民の醵出した金は幾分でも当時の漢口から来られた人たちの間に役立つたかという点について若し御承知でありましたならば、御証言を願いたいと思います。
  101. 大国彰

    証人大国彰君) 只今の調整料の問題につきましては、私は又別個の見方をしているわけでございます。御承知のように終戦直前におきまして儲備券が非常に暴落いたしまして、内地に対する送金も非常に制限されておつたのであります。そうしてその場合に、内地に送金いたします場合には七十倍の調整料を付けて送らしておつたわけであります。これも非常に件数は少なかつたと思います。なぜ七十倍の調整料を取つたかと申しますと、これはまあ私どもの詮索なんでございますが、大体七十倍の調整料を取つた見当が儲備券日本円との実質的な比率ではないかという点にあつたことではないかと私は考えるわけであります。ところが終戦の直前でありましたか、直後でありましたか、下流の上海或いは南京でしたか、電報が参りまして、三万円に限り三万円送金、これは三万円、二万円、一万円とございましたが、十倍の調整料で内地送金を認めるからという電報が入つたわけであります。これは私どもといたしましては、これは終戦になりましてから発表したわけでございますが、政府が非常な措置を以て在外の居留民に対して恩恵的に特に七十倍の調整料を十倍に下げて内地送金をしてくれるのだ、こういうふうに私は解釈いたしまして、この点は上海と同じでありますが、町内会を通じましてできるだけこの三万円送金をやるように勧奨したわけでございます。従つてどもといたしましては、この三万円送金は必ず内地に帰りまして額面の金額通りもらい得るという期待の下に居留民に対して勧奨したわけであります。この集まりました厖大な金を使おうという考えはなかつたわけでございます。ただこれは私もはつきり覚えておりませんですが、私と一緒に経済の関係をやつておりました同僚の調査官も申しているのでありますが、確かこの三万円送金について取つた調整料の一割を限度として、在外公館で居留民の集結等に使うという電報が入つたように記憶しておりまして、その関係で漢口では六億七千万円ほど台湾銀行か正金かどちらかで、或いは両方併せましてかも知れませんが、六億七千万円ほどを引出しまして、それは大体居留民の収容にあたりまするアンペラ小屋の作成に使つたのでございます。それで私どもの希望といたしましては、この三万円送金が十倍の調整料を付けたもので一つ何とかいわゆる送金小切手としての効力をこの平和条約ができました暁認めて頂きたいということを強くお願いする次第であります。なお私ども漢口地区は非常に引揚が遅れまして、この関係はあそこには軍が約三十万おりまして、大体湖南省に多かつたのでありますが、湖南省は丁度昭和二十年が非常な旱魃で餓飢でございました。約三十万の軍を中国側が救助することが非常に困難であつたという関係で、居留民の輸送よりも軍のほうの輸送を先に計画したわけでございます。なお私どものほうといたしましても、軍と一緒に居留民を下げようと思つたのでございますが、当時はまだ減水の最中でございまして、大型船が入つて参りませず、はしけ等の非常に危険な航行でございましたので、大型船が入つて来るのが延びて、四月頃まで居留民の下航を拒否しておりました関係もありまして、南京、上海等は殆んど済みました五月十日頃から本格的に輸送が始つたわけでございます。私どもといたしましては上海では、非常に上海の自治会のかたに御迷惑をかけるというつもりで連絡のために約二十名の要員を上海へ先遣いたしまして、上海の自治会のほうと連絡を取りまして、いろいろと受入態勢のほうを計画さしておつたのでございますが、上海最後の引揚が四月上旬か何かに殆んど行われておりまして、それ以後主として漢口から先遣いたしました二十名の先発要員が中心となりまして、漢口地区の居留民の引揚を担当したわけでございます。上海へ私が下つて参りましたのは六月の二十日頃でございましたが、そのときには残留を希望しておられるかたがまあ数千名おられましたが、それ以外に上海の方面へ引揚をされるかたは二百名ぐらいでございました。これは私七月十日の船で一緒に帰つてつたのでありますが、そのころから上海の引揚の関係は全部漢口のほうでやつてつた、私どものほうで上海の連絡所に対しましては、船の下るたびに余り金もなかつたものですから、百万円、二百万円程度団長に持たせまして、それでいろいろな連絡交渉の任に当らせたわけでありますが、なお自治会のほうに相当米や何かをたくさん用意しておいて頂きまして、それによつて部分食糧なんかのほうは十分面倒を見て頂いたことを私ども感謝している次第であります。なお乗船に際しまして一人何千円か、何か乗船手数料というものを徴しておりましたのですが、漢口は一応下航いたします前に一人四万円程度の金を持たせる計画にしておつたのでありますが、滞在が長きに亘つたために非常にそういつた金の捻出にも各居留民は困つておりまして、その点で乗船手数料なんかを免除して頂いたものが相当上海に多かつたというように聞いております。その点非常に又上海のほうにも御迷惑をかけたところでございます。
  102. 千田正

    千田正君 非常に漢口のことは別ですが、非常に何か私が危惧に、疑問に思うのは、この前の当委員会において、昨年でしたか証人喚問をしたのは、矢野当時の総領事並びに岡崎大使館参事官を証人としておいで願つて聞いたのですが、終戦と同時にいわゆる当時の蒋介石の国民軍が上海に占領のためにやつて来て、直ちに日本の金融機関並びに公館等の金庫は一切封鎖されたのであります。その後の居留民の生活をどうして保護して来たかという問題につきましては甚だ不明瞭な答弁でありました。ということは、領事、副領事、或いは総領事、或いは公使というような人たちはとにかく居留民を預つて一応避難処置をとつたと、どこからそれじや金を出したか。公使館にも領事館にも金がない。封鎖されてない。銀行から取り出して来た、銀行も封鎖されているじやないかという問題で、そこのところが甚だ不明瞭でありました。当時の証人の答えはとにかくどこからともなく当時の官房長が引受けて金を持つて来たのだ、こういう答弁でありまして、これは本委員会における速記録を御覧になつてもわかる通り、一体その金がどこから出て来たかという質問に対しては明確を欠いておる。で我々から当時の考え方としてどこからもあれだけの多額の金が出て来るはずがない。そこで何かしらそこにはつきりした明瞭を欠くものがあるので、この際調整金というものは一体避難処置のために使われたのか、それともそのまま中国官憲のために封鎖されたのか、封鎖されてからのちの問題であるからこの金はどこかに、いわゆる日本の金融機関の手に保管されておるか。或いはこれは官憲において保管されるのか、或いは避難処置のために使われたのか、この三点しかないと思うのですが、この点について宮沢さんはその当時のやはり民間側の代表者の一人としてタツチしておるはずでありますが、その点については何か御証言になることはできないでしようか。
  103. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) 私も千田先生と同じように幾分割切れないような考えを持つております。併し更に私の知つております範囲を大体申上げてみたいと思います。上海からこちらへ引揚げて参りまして、私のほうの町会において送つた金は住友銀行でありましたために住友銀行へ私は参りました。そうしてこの金はあなたのほうに三万円ずつ来ておるはずだが、一応渡してもらえるかということを私が尋ねましたときに、銀行員は即座にああそうですか、それはあなたがたとしては御入用の金でしよう、それなら私どもの銀行といたしましては、大蔵大臣の許可があれば直ちにお払いいたします。これは大蔵大臣の命によつてつたものであるから、大蔵大臣がよろしいと言えばいつでもお払いしますが、そうでない限りは私の銀行だけでは処理はできませんと、こういう回答でございました。これに鑑みまして、私は上海にまだおりますときに、中島元民団長の言葉から推しまして、終戦即ち八月十五日前後この公館等借入金の第二回目の五十万単位というものはその翌る年の二月二十二日から大体始められております。そういたしますると、この間の数カ月間というものは内地から出先官憲その他に送金の途が絶えたといたしますれば、如何にして生活したかということに思いをいたしますると、出先官憲はその金の一部を流用して生活費に当てたのではないかと私はそういうふうに考えております。これがために岡崎嘉平太氏に質問いたしましたところ、岡崎嘉平太氏はいやそれは違う、我々は公館借入金に関するその在留民やいろいろのそういう人の金は一文も使わないで、他の金によつて自分たちは生活して来ておるのだから、そういう点は質問してくれるなというお話でしたが、かりそめにも数百人の出先官憲が数カ月間内地からの送金が絶えてそのまま暮して行けるということはあり得ないことであります。こういうことがありますので、私はそうであることがあつてはと思いまして、中島元民団長を当時訪ねて質問したときに、これは我々が集中生活をして、そうしてお互いを救わなければならない。餓死から免れるような方法を講じて、一面何らかの打開策を講ずるまでは貴い金であるからこれはセーブしておかなければいけないのだ。だからこれは非常に必要な金であるから、諸君はこれによつて先ず餓死は免れ得るが、このことを他人に絶対に口外してはならんぞということを附け加えて申されて私はおつたのであります。考えますると、上海におけるその十数万に上るところの人々を養うということ自体におきましても、私は成るほどそういう意図もあつて一石二鳥のいわゆるこれは名案だ。一面において内地へ送金するという形態をとつて内地において三万円もらえるならば結構であるし、若し船も廻つて来ないし、或いは我々も帰ることができない、そういう場合にはどうしたらいいかと申しましても、その金が必要であるのだから、それは結構なことであると私はそのときに非常に感服しておつたのでありますが、併し岡崎嘉平太氏におきましては、その金は全然大使館、領事館を通じて使つておらんというようなお話がありますので、自分としても今日まだ割切れないような点がある。以上でございます。
  104. 千田正

    千田正君 済みましたが、ただ一つ、これは満洲でもよろしうございますが、今度の確認証から洩れた人たち、こういう人たちは恐らく非常にこの法案が通過しました、或いはこれに修正を加えて通過した後においても、実際は当時の居留民のために使つたが、証拠不十分という故の下にこの法案の対象にならない人たちが相当あると思います。これに対してはどういうふうな処置をとるべきかという点につきまして、証人のうちから特にその方法についてお考え付きのかたがございましたらお答えを願いたいと思います。
  105. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) 只今千田先生の御質問に対しまして、私のちよつと知る範囲を申述べさせて頂きたいと存じます。十月十一日の外務省における審査会議の席上におきまして、私どもがこの問題をとり上げて縷々述べました結果、大蔵省の当時参加されました役人のかたはなるほどそれでわかつた。お気の毒でありました。これは公館借入金として責任を以てお返しするか、或いは他の方法を以てするかわからないが、政府としてこれは責任を感じておる。だから、これは何らかの名儀を以て三万円はお返ししなければならないという義務を感じたということを明言されております。以上であります。
  106. 千田正

    千田正君 只今のは上海における調整料、或いは借入金三万円の小切手に関してでございますが、それ以外のいわゆる満洲地区、或いは朝鮮、台湾その他の地区において今度のこの法律の対象になつて確認証をもらつたという人のことは別として、確認証をもらわない、実際は貸してあるのだが、証拠不十分のために到頭もらえないという人の数も相当あるようであります。これに対しましては、やはりそれが事実であるとするならば、何らかの方法によつて考えなければならないと思いますが、その方法につきまして、お気付の点がありましたならば、特にお伺いしたいと思うのであります。
  107. 紅露みつ

    紅露みつ君 先ほど大滝証人からその点にちよつと触れられたと思うのでありますけれども、この期限に洩れたものは本問題には該当しないとしても、国家に対する債権は依然として残るということを主張されたと思うのでございますが、大滝証人は全連の副理事長でもあります関係で、先ほどもお述べになりましたように、三万何件という白紙委任状を持つておられるかたでございますので、その中に、中にと申しますよりはそうした関係に繋がつておりまして、随分申告漏れのものからの連絡があるであろうと思いますから、その数、それからそれに対してどんなお考えを持つておられるかという、今千田委員からの御質問を併せてあなたにお答え願いたいと思います。
  108. 大滝克己

    証人大滝克己君) 今調べましたが、資料をちよつと持つて参りませんでしたが、入つているだろうと思いましたが見付かりませんので、的確な数字は或いは違うかも知れませんが、その点お許し願いたいと思います。大体今まで各地の台帳その他からいたしまして調べ上げますと、総数の約三九%というものが未提出になつている、その数字が大体概数を申しますと七万九千ぐらいだつたと思います。結局今申します審査会法に基く確認請求の機会を失なつたか、又その中ではすでに現地で亡くなられてしまつて、永久に請求されないかたもあるかも知れません。或いは又まだ帰えられないかたも入つているかも知れませんが、とにかく大体提供者としてはつきりわかつているものの中で、八万近いものが未提出になつている、これは事実であります。そこでこの私自身が、諸先生もよく御記憶でございましようが、審査会法の成立いたしました際に私ども参りまして、重ねてお尋ねいたしまして、法律の一部改正によつて延ばして頂いて、五月十九日で締切つた、これがやはり当時の事情から申しまして徹底を欠いておつたことは事実のようであります。そこで何とかしてこれを合法的に救済をして頂きたいと考えるのでありますが、その要旨は結局審査会法の第五条の問題になつて参ります。それと共にその時期をいつにするかという問題があろうかと思いますが、そこで私どもの見解から申しますと、前の確認の場合におきましてもいろいろと誤解がありまして、公館借入金でなく、純粋の在外資産あたりも出されて請求をされた例もたくさんございますので、今度御救済を願うといたしますならば、そういうふうに明らかに台帳上わかつているもの、つまり主体が確認せられたものについて請求をする権利を復活させて頂く方法が可能ではなかろうか、そういたしますと、大体今の確認の事務が一応めどがついた頃の時期が私は最も妥当だと考えるのでありまして、そう考えますと、大体来年のことになるのじやないか、今年度の終りか遅くとも明年度の当初におきまして、そういう措置をとつて頂ければこれは非常に幸いである。これは甚だ恐縮なことでございますが、私はこの第五条をそういじくらなくても、何かそれは可能になるような気もいたします。例えて申しますと、それが若し可能でございまするならば、ここに一つ改正をやつて頂いて、但書を入れて頂きまして、但し政令に定めるものを除くというふうにして頂きまして、その政令の中で主体がどこどことこれに提供したもの、それをいつ何日までに確認請求しろというふうにしてやつて頂きますれば、事務も極めて簡便でございましようし、本人への連絡もつき得る、こういうことによりまして、万事円満に私は解決し思ると思います。本人たちも一応この法律の機会を逸したということに対しまして、善意無過失とは申しましても、やはりそれは自己の責任も考えておりますので、そう今直ぐどうしてもやつてもらわなければならないとは私は言わない。そういうふうに考えますので、そのような時期をかれこれ考えて頂いて、是非御善処をお願いしたい、こういうふうに考えておるわけであります。
  109. 千田正

    千田正君 簡単ですが、これはイエスかノーかだけお答え願いたいと思うのでありますが、今日の委員長からの御質問の点の第二点のいわゆるレートは主として当時における米価をとつておるが、その点に対して御意見を皆さんから聞かされたようでありますが、重ねてお尋ねしますが、今の国家財政では止むを得ないと、レートの取り加減はいろいろ手を尽したのだが、これ以外に手はないのだが、これを以て一つ法律支払方法の観点とするのだという政府の意向に対して止むを得ないから、これで納得するというふうな考えのかたと、それからいや絶対にこれは別な方法において訂正してもらいたいというかたとあると思いますが、訂正して欲しいというかたの御挙手を願いたいと思います。    〔反対者挙手〕
  110. 幡谷仙次郎

    証人幡谷仙次郎君) 私は関東州関係だけを申上げまするが、今のお言葉につきましては、第二のレート政府レート委員会の原案については不賛成でございます。これは飽くまでも訂正を願いたいのです。それは先ほどから私がよく御説明を申上げておきましたから、本日の……。
  111. 千田正

    千田正君 よくわかりますが、反対と、止むを得ないからこれに賛成するのだと、両方だけなんですが、反対の御意見つたら御挙手を願います。    〔反対者挙手〕
  112. 幡谷仙次郎

    証人幡谷仙次郎君) ついでにちよつと……、さつきから中支、北支方面の御質問はございましたけれども、関東州のことについては何も御質問がございませんから、私の申上げたのでよく御満足になつたのじやないかと、こう私は思つておりますが、どうか関東州のことについて疑問の点がございましたら、私は材料はたくさん持つておりますから、説明いたします。  それから関東州関係につきましては、現在の私どものやつておりますところの在外公館、この在外公館委員会のやり方も甚だ不徹底である。ついでに御質問がありましたから申上げますが、まだ確認請求のできていないものは、大連で関東州関係はまだ三分の二以上残つております。できておりません。それはまだ確認主体というものがきまつておりません。根本に一番先に確認主体をきめなくてはならない問題がそれがまだきまつていないのです。私どもの世話人会というものは、ただ労働組合を借入主体と認めるか認めないかということによつて大連の関東州関係のものは決定して来るのでございますが、その労働組合の借入主体というものが今日に至つてもまだ決定しておりません。次の二十二日の委員会でこれをどうするか、まだ関東州においては労働組合関係と、それから住宅関係と、建設公債関係とこの三つが保留になつたり否決になつたりしておるが、これはもう一遍取上げて決定してもらいたいという要求は私は前回の委員会で主張いたしましたので、関東州のようなはつきりした、わかり切つた、何も疑問の起らないはつきりしたものが、どこに感情がこだわつておるか、今日に至るまでそれが借入主体というものが確認されないのでございます。それが大体今の私ども委員会の事務が非常に渋滞しておると私どもは申上げていいと思つております。どうか関東州にはまだ確認されていないものが数において三分の二からあるということを私御承知願いたいのでございます。  それから第二の現在のレートでは絶対に服従ができないどころか、これは場合によつたら裁判に訴えるという私どもは自信を持つておりますが、これで若し我々が納得いたしましたならば、関東州関係では先ず千円以下のものが相当にあります。千円以上のものが仮に十分の一払つて頂いたならば百円にしかならない。その千円以下のものは仮に十分の一とすれば百円、五百円以下のものであつたならば五十円しかもらえないということになつて来るので、これは到底我慢のできないことでありますので、その貧弱なものほど今日私どものほうへ同じ人からいつくれるか、いつくれるかと言つて、同じ人から五回も十回も手紙を寄こしております。御承知のように今日の郵便料では、郵便料だけでも四、五回出せば四、五十円もかかる。又この確認請求を願う上においては区役所に行つたり、県庁に行つたり、この確認請求ができるようになるのには何回往復したかということもよく考えて頂きたいと思うのでございます。これは絶対にこのまま承認いたしませんから、よろしく願います。
  113. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 榊谷証人に申上げますが、おつしやることも……厚薄付けて関東州は薄いほうに考えてよいというふうには決して思つてませんから、その点は御安心願いたいと思います。
  114. 千田正

    千田正君 私個人としての立場で言つておるのでありますが、今のレートについて反対の意見がある、又納得されるかたと、御意見のあるかた何人の比率があるか、それらの点についても国家財政上止むを得ないから、五万円で打切るということについても、今の政府のやり方についてですね。止むを得ず納得するか、絶対反対かという点を私は参考に承わつて、次の委員会において政府に対する質問の資料にしたいと思います。
  115. 紅露みつ

    紅露みつ君 大変結構なよい御質問だと思います。ですからそれはやつて頂きたいと思いますが、それは最後にして頂きたいと思います。もう時間もありませんけれども、今榊谷証人から御不満が出ましたので、あなたは審議会委員にもなつておいででございますから、内部のことはおわかりと思いますが、今確認主体は労働組合の関係ばかりですか。
  116. 幡谷仙次郎

    証人幡谷仙次郎君) 労働組合の関係ばかりです。
  117. 紅露みつ

    紅露みつ君 そればかりですか。
  118. 幡谷仙次郎

    証人幡谷仙次郎君) 労働組合の関係ばかりです。大連の引揚対策は労働組合よりほかにはやつておりません。皆労働組合がやつております。その労働組合がやつておる根本も認めなくて、世話人会とか、或いは又、チチハル奉仕団というものはこれは私的な関係のものでして、根本の労働組合の確認が認められていない、こう言つておるのです。
  119. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 只今千田委員からの何と申しますか、問に対しまして、今のに反対するか、我慢するか、我慢しないかという御意見がございましたが、挙手は丁度三人しかございませんでしたが、口頭でおつしやることを承わりますと、大体反対だということがはつきりわかつたわけでございますが、もう一度恐縮ですが、挙手でお示し願いたいと思います。
  120. 水田直昌

    証人水田直昌君) 先ほどお隣りの榊谷さんと同時に発言しましたが、年長者でありまして先に……。私千田先生から米の問題についての挙手如何というときに手を挙げませんでした。それは、この表における日本銀行券というようなものは、やはり米でやつているということにおいてどうしても納得ができない。その意味において挙手をいたしませんでした。併し米を取るということ自体はこれは万止むを得ないのじやないかと考えております。それに関連いたしまして、先ほどの森崎先生の御質問、これは証人として意見があれば言えということでございました。只今榊谷先生のお話のようにこれは絶対にいけない。非常に不満足でありますが、それは止むを得ないと思いますが、百分の百三十というのは政府としても恐らく利子であるとはおつしやらないだろうと思いますが、この審議会で答申しましたレートは、これは前にも申上げた通り不完全、不満足なものであります。これを機械的にこのまま適用したならば、これはどうしても引揚者として納得できない。そこで大蔵大臣としては何と申しまするか、引揚者に納得の行くように政治的考慮と申しますか、というもので百分の百三十ということに付けられたのであると、こう私は了解いたします。それにつきましても今日の御証人かたがた、これは私自身もそうでありますが、この程度でもなお非常に不満足である。殊に関東州のごときは訴訟に持つて行くというような意思表示をされまして、この審議会で答申をしたレートに対して若干の色をつけようとして、これならば満足するであろうという大蔵大臣のお考えがそうでなかつたわけでありまするので、この百分の百三十ということについて、引揚者が先ず最小限我慢が行くであろうというふうな程度にこれを御再考を煩わすということが必要ではなかろうかと存ずるのであります。
  121. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 千田委員からもう一遍御発言下さい。その挙手の数をおとり下さるようにお願いします。
  122. 千田正

    千田正君 委員長から只今一応伺つたのでありますが、反対のかたの御挙手を願います。このレートに対して不満足である。だから反対であるという、この米を標準としてのレートについては反対であるという御意見のかた挙手を願います。    〔反対者挙手〕
  123. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) 委員長、条件付きで賛成いたします。
  124. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) それでは宮沢証人の条件を一つ……。
  125. 宮沢綱三

    証人宮沢綱三君) これは政府当局において非常に御配慮を下すつて上海方面におきましての米の、例えば為替の問題の決定に先だつて米を勘案されて、そうして一対十二というところへ持つて行かれました。これは二十六年度におけるところの大体日本上海方面の米の値段を勘案いたしまして決定したものであると私は信じております。若しこれをこのまま今日我々に返済して頂く金としてこれを決定されたのでは、私はこれは全然賛成はできませんが、これは二十一年におけるところの先ほど申しました通り日本におけるところの米の値段が三円六十三銭三厘を、それを二十六年の現在は事実において六十二円に間違いないのですから、これの十七倍をかけたものを現在返して頂けるならば、私はこの米で結構でありますから賛成いたします。
  126. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) それでは大滝証人の御発言を願います。
  127. 大滝克己

    証人大滝克己君) これは千田委員にはつきり確めておきたいのですが、今の米の値段とすることそれ自身に反対という意味か、それともこの表の数字、それに関連して数字についての問題か、その点がわからないのですが。
  128. 千田正

    千田正君 委員長に申上げます。米を基準として支払いの方法をきめたということに対して反対だということは、これは何故かというと、恐らく政府にしましてもあらゆる観点から研究をしたけれども、妙案がない。普遍妥当として米より手がないのだから、これできめたという答弁でありました。でありますから、ほかに私は皆さんの実際の立場において妙案があるならば、私はこれはあとからお願いしようと思つたのでありますが、政府のこの米でレートの標準をきめた、米できめたということについて賛成できないという意味で……。  次に私がお願いしたいのは、若し米以外に十分に債権者も納得し、又支払うほうも納得するような方法があるならば、皆さんから書面で結構ですから、委員長宛に御意見を承わりたいと思つて実は質問を発したのであります。
  129. 大滝克己

    証人大滝克己君) それでははつきり申上げますが、先ほど私証言の中で申上げましたように、米そのもの以外には実際上根拠資料というものは今日ない。それは次善の策として私は止むを得ないと考えたわけであります。但しこれには先ほど申述べましたように、評価の時期が問題になるのであります。米そのものについてはもう今となつては若し根拠を求めるならば私は止むを得ない、こういうふうに考えますから、どうも手をはつきり挙げるというわけには……。どつちかわからんと思います。
  130. 千田正

    千田正君 それはなかなか面倒な問題ですが、それで今の問題につきましていろいろ午前から皆さんの御意見を承わりましたから、委員会としましては十分にこの問題は大きな問題ですから、皆さんで御気付きの点で、こういう同じ米をレートにするにしても、こういうふうな方法できめてもらいたいという妙案がありましたら、委員長宛に一つ至急に御意見を御伝達願いたいと思います。  第三案の五万円に打切る、これは政府側はこのいわゆる百三十を加えて五万円にならないということですから、実際の貸金は五万円以下のはずであります。それでいいかどうかということです。その点は先ほどから勿論御不満もありましようが、政府の財政がどうにもならない。併しそういうことで打切ることが果していろいろな憲法上の疑点もあるでしようし、それから実際先ほど大国証人のおつしやられた通りそういう犠牲になつて、そうして皆の生活を救つてくれた人々に対して、たつた五万円で打切るということはやはり道義的に考えて果してそれがいいかどうかというようなことを相当慎重に審議しなければならない法案だと思います。でありますが、止むを得ない、今の国家財政としてはこの第三案の政府提案の五万円で打切るということについて止むを得ないのだから賛成せざるを得ないというおかたがありましたら、賛成のかたは手を挙げて頂きたい。    〔賛成者……〕
  131. 千田正

    千田正君 皆不賛成のようでございますね。(笑声)そこでこの案につきましても、尤も余り広汎な御意見では困ると思いますが、委員長も決裁しかねると思いますが、皆さんが然らば一体五万円なら五万円に切るが、あとは公債なら公債でやつてもらいたいとか、何らかの方法でこの問題を解決する方法について、皆さんの希望を一つ意見書としまして委員長宛に至急御伝達願いたいことを私からお願いいたします。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  132. 幡谷仙次郎

    証人幡谷仙次郎君) 委員会も随分各方面の問題がございまして御多忙でしようが、もう一回開いて頂きたいと思うのですがね、書面で御報告申上げるよりももう一回開いて、その上で一つおきめを願いたいと思いますがね。書面では又いろいろどうもまちまちになつて、却つておきめになることが困難ではないかと思うのですが、もう一遍開いて頂くことを私は希望いたします。そうでなければ今晩十二時までかかつてもやつて頂きたいということを一つお願いしたいと思います。
  133. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 只今榊谷さんの御意見誠に御尤もと思います。なお私のほうでも理事会を開きまして、あとどういうふうにするかということを決定いたしたいと思つております。
  134. 幡谷仙次郎

    証人幡谷仙次郎君) ああそうですか。
  135. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) ほかにもうございませんか。
  136. 水田直昌

    証人水田直昌君) 先ほど千田先生の御質問と思つたのですが、確認に洩れたものの処置をどうするか、あれは大滝証人からの御意見でございましたが、千田先生の御質問のうちでは、全然提出をしなかつたものの問題と、提出をしておりながら外務省の認可委員会でもつていけないと否決されたものとの二種類あろうかと思います。大瀧委員のは前者についてでございますが、後者について私は否認されたものがみな止むを得ないということで引き下つておれば格別、そうでなければやはり如何なる政府の行政措置といえども、司法裁判というあの面倒な手続をする前に、やはりそれについてのプロテストをするということは許されておりますからして、この行政措置に対してもそうい簡易な、政府に対して再調査を申請する、こういう措置をとり得るような方途についてお考えを願うことが然るべきではないか、かように思います。
  137. 千田正

    千田正君 今水田証人のおつしやられるのは非常に結構なことだと思います。私自身の考えは、やはり政府は借りたのだから今日になつて返すにしましても、相当あらゆる手を尽して、仮に書類が不備であつても、当時の町会長であり或いは民団長であるというような人々の証明があつた場合はこれを認めてやるとか、やはりそういつたあらゆる便法を尽してなお且つどうにもならないというものは別としまして、政府は当然それだけの親切を尽していいと思うのです。ですからそういう点につきましても十分一つ意見を頂きたいと思います。
  138. 紅露みつ

    紅露みつ君 榊谷証人からも主張されましたように、今晩十二時になつてもというような大変熱心なお気持よくわかるのでございます。私どもも決して早く帰りたいと思うわけではございませんけれども委員も大変少くなつております。時間も経過しておりまするので、この証人の公述を重ねて又いたしますかどうかは、今お話になりましたように理事会にかけるといたしまして、今日はもうこの辺で一つ打切つて頂きたいと思いますので、動議を提出いたします。
  139. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) 只今紅露委員から御動議が出たわけでございますが、如何ですか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  140. 長島銀藏

    委員長長島銀藏君) それでは御異議ないと認めます。それでは本日は大体この程度にさせて頂きたいと思います。  なお証人各位におかれましては、長時間に亘りまして御多用中をお差繰り願いまして、非常な貴重な生々しい御意見を拝聴することができまして、当委員会といたしましても誠に有難く考える次第でございます。なおこの問題は極めて重要な問題でございまするので、当委員会といたしましても皆様がたの今日の御発言基礎といたしまして、なお委員会の諸君とも十分お諮りいたしまして、政府に強く要望をする考えでございます。本日は長時間どうも有難うございました。  ではこれで散会をいたします。    午後四時四十八分散会