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説明員(
八嶋三郎君)
疎開跡地の問題につきまして、実は今
田中先生から御指摘ございましたように、実は
京都、
小倉というのが実は
仕事の非常に握れておる
一つでございます。他の所はまあ多少ありますけれ
ども、大
部分は片付けて参
つたのでございます。
疎開跡地の問題といたしましては、現に
終戰後疎開をいたしましたところで、
都市計画上真に必要として将来残して行こうというものだけを実は限定いたしまして、それに対しまして、まあ
地方がそれぞれそれを借りるという形を一応とらしたのであります。
昭和二十三年頃であ
つたと思いますが、その
賃貸費に対しまして実は
助成の道を講じさせ、この
事業化については、当時は
再建整備の
費用、そういう
費用をとりまして、又今日は
重要幹線街路という
費用によ
つて実は
疎開跡地の
整備事業というものをやらせておるのであります。私
どもといたしましては、極力
一つ疎開跡地としてきめましたものを、
道路としてきめましたものを、速かに完成を図
つて参りたいということを実は念願いたしておるのでございます。その中で実は
京都と
小倉というものが
相当大きな
面積であり、それが今日残されておるという
情勢であります。実は京
都市の問題につきましては、今までも私のほうのなけなしの
予算からは
相当多額の援助はいたしておるのでございます。本
年度も
国庫補助といたしましては、一千二百万円の金をこれに対して出しておるのでございます。
事業費といたしまして、二千六百万円の
事業というものをやらせておるのでございますが、併し何と言いましても、
疎開をいたしました
面積というもので、これを
都市計画上必要といたしまする
面積が二十一万五千坪という
数字が出ておるのでございまして、今日まだ未買収の
土地というものが約十万坪という
報告に実は相成
つておるのでありまして、これに対しましては、私
どものほうといたしましては、できるだけ
一つまあ
補助の
金額というものを高めて行きたいという
意味におきまして、実は
重要幹線街路の額を上せて行きたいという
要求も実は
安本のほうに提出いたしておるのでございます。一方
市当局によ
つて出されましたり、これが
起債という
方面につきましても、いろいろ盡力されておりまするし、私
どもといたしましても、京
都市の
情勢につきましては、再三
自治庁、
財政委員会の
方面に実は陳情いたしておるのでございます。京
都市といたしましては、大体の
計画というものを今回打立てられまして、
昭和二十七年、八年の
あと二カ年間で何とか
疎開跡地というものの解決を図りたいというので、実は一応の
財政計画というものをお立てになりまして、そうして大体
予算外の
契約といたしまして、それを買うということにな
つております。それに対しまして
利子を
拂つて行こう、二十七
年度、二十八
年度においてなし崩しで元金と同時に
利子を
拂つて行こうという形の
措置を講じておられるのであります。私
どもといたしましては、御
承知の
通りに、
重要幹線街路費というものの
補助対象にな
つておりますので、大体
国庫補助の
対象といたしておりまするものは、十一メートル未満の
補助幹線街路に対しましては、これは
一つ補助の
対象にするということはむずかしいと思
つております。
あとは大体向うでは三十六メートルくらいの
道路が多いのであります。いわゆる
堀川道路とか、三
條道路とか、或いは
南八條道路というような
道路をや
つておりますので、そういう
方面を
一つ補助対象にして行くということで、実はもう
あと三カ年
計画というものを作りまして、実はその
費用を作りまして
安本方面に
要求いたしておるということでございます。なおこれはまあ
疎開跡地の問題のほかに、京
都市におきましては、いろいろ比較的に
事業を進めて行きたいという問題が実は多いのでありますが、何にいたしましても
一つ大きな
仕事だけは速かにやらないというと、市民の
人たちにも非常に御迷惑をかけるという形にな
つておりますので、私
ども今年
京都に廻しました金の大
部分というものを
疎開跡地の
整備事業というものに廻しておるのであります。何とか一日も早く
京都の問題だけは解決してやらなければならんという実は責任を感じておるのであります。それから
小倉の問題がありますが、
小倉の問題は実はこれも
面積は非常に多いのであります。それで
都市計画上整理しようというのが大体十一万坪、
片方は二十五万坪でございますが、
片方は十一万坪という
数字に相成
つておるのであります。ただ
小倉市は正直のところこの機会において申上げるのも如何かと思いますが、従来
学校方面に
相当に金を使
つていた
関係上から、
財政的に
市單でこの
小倉市は
都市計画事業に持
つて来るという
金額が今まで実は非常に少か
つたという
関係上非常に遅れておるということは現実の事実でございます。未済の
面積が十一万坪のうち九万何千坪という
数字に相成
つておりますので、
昭和二十七
年度以降の
事業費にいたしましても、大体一億円近くの金になりまするので、更にこれもまあ大体
京都よりも小さい市でございますので、私のほうといたしましては、幅員十五メートル以上くらいの
街路を
補助対象として取扱
つて行きたいということを
考えておるのでございます。これも
一つ三年間くらいでやりたいと思
つておりますが、これも
あとに述べます。
小倉市の問題にはほかに
一つ大きな問題が出て参りますので、これが果して三カ年間で完遂が、私のところとして
助成の形を取り得るかどうかということは、多少私はほかの問題との
睨み合せの問題がございますので、ここで
はつきり言明ができないと思います。ただ本
年度に
小倉市もその点非常に
考えてくれまして、
市單におきまして、二千五百万円というものを実は都計
事業に出そうということで肚をきめて、市議会の訂正も得たようでございます。実は
小倉市につきましては、例の
日豊線との
関係上
鉄道の
はんこをお借りしなければならないという問題がございます。それと同時に駅の移転という問題もございますので、これは実は
鉄道方面から是非ともや
つてもらいたいという
要望が出て来ておりますので、それがために
立体交叉が二カ所ほど出て来ております。これは二カ年くらいで何とか解決して行かなければならんということになりますと、この
事業費だけの、
都市局の
負担だけでも、
鉄道との十分な打合せができておりませんが、
鉄道の分も含めまして九千五百万円、これも一億円近くの金を要する。そのうちで仮に半分を
都市局関係で持つことにいたしましても、四千六百何十万円という金を出さなければならんという、実は
都市計画の上から見ますと、
相当に
小倉市というのは金を食う
都市なのでございます。戰災
都市以外といたしましては、
京都、
小倉というのは私のほうといたしましては、これは
相当面倒を見て行かなければならんような状態にな
つておりますので、
一つ皆様方の御同情、御協力によりまして、
都市計画のこうした
事業方面の
予算を拡大さして頂きまして、一日も早くこうした
要望に副いたいということを念願いたして置く次第であります。