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那須公述人 私は今回の
補正予算の中で、農業に
関係のある事項若干について私見を申し述べたいと存じます。
第一に糸価安定特別会計というものが新しく設定されまして、これに三十億円が計上されたということは大いにけつこうであると存じて喜んでおるのであります。それはこの
機会に多年の要望でありました糸価安定の特別会計が設置されなかつたならば、おそらくは今後の通常
国会以後におきましては、安全保障協定等に基くところの費目が非常に厖大な額となりまして、この糸価安定のための
資金のごときは、とうてい捻出されないのではあるまいか、永久にこのことが実現されないのではあるまいかということを懸念しておつたからであります。御承知のように今日の
日本の蚕糸業というものは、戰前に比べますと非常な衰退なのでありまして、産額もわずかに十七、八万俵、そのうち十万俵が
輸出されておる
状態にしかすぎないのでありますし、またいろいろな人造繊維が発達して来ておる今日、以前のような繁栄を夢みることは不可能であると存じます。しかしともかくも蚕糸業はわが国内において相当重要な産業でありますし、やりよういかんによりましては、
現状程度のものはこれを維持して行けるのではないかと考えられます。しかるに
日本の生糸の価格に非常な変動のあるということが、世界における生糸を原料としていろいろの織物その他をつく
つております人々に、
日本の生糸の買付を躊躇せしめておる。と申しますのは、これを買いつけましても、いよいよ荷物が届いて、そうして加工して売り出すというまでには数箇月かかるのであります。その間に生糸の価格が変動する。これも上つたならばよろしいのでありますが、暴落するというようなことになりますと、せつかく糸を買いつけてこれに加工した人が莫大な損をこうむるようになる。これが生糸の国際的需要をはばんでおる非常に大きな原因でありまして、この糸価安定に対する要求というものは、もうずつと以前からあるのであります。本来ならば、私は
日本の製糸家が自己の力において実行すべき問題だと思います。
日本におきましても片倉とか郡是とか相当大きな製糸
会社が十も力を合せましたならば、
輸出生糸数量の過半を掌握しておるのでありますから、その申合せいかんによ
つて、ある程度の糸価の
統制はできるはずである。しかしそれがなかなか困難である。製糸家は大きなものも小さいものもたくさんあるのであります。そうして遠慮なく申すと、往年今井五介さんなんかが
中心人物として国際的にも国内的にも大いに働かれましたが、そのあとを継ぐ人があまり見当らない。ただ当面を糊塗するに急で、衰えて来たとはいえ
日本にと
つて重要産業である製糸業の基礎を確立して行く努力が——私はなはだ酷評になるかもしれませんけれども、当局者の
方面で欠けておる。
現状をも
つてしたならばますます衰えて行くと思います。この際
政府がこういう糸価安定の特別会計を設けられた。今は一俵二十万円以上もしておりますが、これがかりに下
つて十五万円くらいになりましたときに、
輸出生糸の十万俵の二割に当る二万俵を三十億円をも
つて買い入れることができる。この二万俵までてこ入れしないでも、価格の維持はできると思う。その半分の一万俵を買わないでも私はできるのではないかと思う。
政府はそういうことに出動しますと、私仄聞するところにおいては、進駐軍の
方面では、これは
政府が当業者の経営に参与するのだ、ガヴアーメント・イン・ビジネスだ、これを好まぬと思うのでありますけれども、りくつからいえばその通りで、当業者みずから出して上がるべきことであるのであります。
日本の実態を見るとそれができない
現状にある。それでなかなかこれは今までも進駐軍
方面で難色があつた
予算のように聞いておるのでありますが、何といいますか、この際に認めなければ、永久に日の目が拝めないのじやないかというこのときに、これが計上されたことは、そちらの方の了解を得られたのであろうと思いますが、これは私は
日本の蚕糸業のために、大いに慶賀してしかるべきことである、こういうように存ずるのであります。これが第一の点。
第二の点は農林漁業
資金融通特別会計であります。今回六十億円を増額して当初
予算と合せて百二十億円に
なつた。これも非常に喜ばしい。但しなお欲を申しますると、この百二十億円でもなお四、五十億円は不足しておるのではないかと考えられるのであります。というのは、今日までに農林中央金庫に対してのこの
方面の
資金融通の申込みがすでに百二十億円に達しておる。ほかに普通銀行に対しても三十億円くらいある、少くともこれが十億円、二十億円ふえることが当然予想せられるのであります。差引これが百二十億円をも
つてしても、なお民間の要求四、五十億円は満たし得ない
状態であろうと思うのであります。しかし今日の非常に窮迫しておる国家
財政でありまするから、すべての要望を満たすということも困難であるということは考えられるのでありまして、ともかくも今回この増額を見たということに対しては、この際満足の意を表しておきたいと存ずるのであります。
第三に、積雪寒冷單作地帯対策のために二十億円というものが
追加されたのでありまするが、承りますると、この二十億円全部が土地改良に充てられるそうであります。それもけつこうである。在来土地改良には国営の事業あり、府県の事業があつたのでありますが、それ以下の町村あるいは部落、あるいは民間団体等においてこれを行う際の
資金に欠けておつた。今回のこの
予算が在来
資金に非常に飢えておつた
方面の要望を、どうか満たす方に十分使われることを希望いたすのでありますが、国、府県、すでに今まで
費用もある程度持ち、仕事をしていたそちらの方にまわされるということになりますると、多少私は遺憾の念を禁じ得ない。それから土地改良もけつこうでありまするが、寒冷單作地帯における農業経営の改革に対して、特に
資金を必要とする面もあるかと存ずるのであります。将来こういう
方面の
資金需要のあることもひとつ御考慮願えれば、たいへん仕合せであると、こう存じております。
第四に申し上げたいと思いまするのは、これは行政整理に関しまして米穀の
統制ということに一つの変革を加えるということを予期しての人員減なり、その他行政費の
減少ということが見込まれておるように存ずるのでありまするが、米穀の
統制をこの際変革するというこのことが、はたして時宜を得たるものであるかどうか、また十分所期の目的を達し得るものであるかどうか、あるいはそれが翻
つて国家
予算の面に、予期せざる出費の厖大を来すことになる懸念はないか等々のいろいろな点をひとつ吟味いたしまして、この
予算案をお考えになりまする際の御参考に供したい、こう考えるのであります。
今日米穀に関する
統制を変更する——世間には撤廃という言葉で呼ばれておりまするから、これは少し誤解を招く表現だと私は考えております。とにかくこの米穀
統制撤廃、これを
中心として非常に議論が紛糾いたしておること御承知の通りであります。これは米の生産者の
立場、消費者の
立場、また米穀の流通を取扱う業者、または団体の
立場、あるいは食糧行政に当
つておる人の
立場、国家
財政の当局者等々のいろいろの
立場の相違に基いて、またこの問題に対する
見解に相違が出て来る、あるいは同じ
立場に立
つておる人でありましても、国内の
経済情勢、今後の国際政局の動きいかん、これについての見通しが違
つておりますとまた異なるところの結論が出て来るのでありまして、これがいろいろな形で入り乱れて今日の世論の紛糾を来しておると私は見ておるのであります。この紛糾を来しておる問題の正体は何であるか。米穀の
統制撤廃というふうに往々呼ばれまするけれども、私はこれは正しい表現でないと思いますることは、米穀に関する
統制を全部やめてしまいまして、そうしてその需給及び価格、あるいはこれに
影響を及ぼすところの国外よりの主要食糧の輸入数量、その売出しの価格等につきまして、全面的に国家がもう何らかまわない。全部を自由
経済におつぱなすということは、これはどこでも言明していない。今日一部において主張されておりまするのは、
政府が米を買い上げるについて、またこれを
一般に配給するについてくぎづけになる価格をきめて、そうしてその価格で農家をして保有米以上のものは供出させる。あるいはさらにだんだんと保有米プラス余裕を認めて、ある数量を農民から供出させる、そうしてこれにほかのいろいろなものを抱き合せまして、一人当り幾ら配給する。この価格をくぎづけにすること、強制的に生産者をして供出させること、そうしてこれを一定の数量をきめて
国民に配給する、これをやめようという
意見なのであります。これをやめると同時に、むしろ他の面におきまして、市場における米価なり主要食糧の価格なりに対しては、直接間接に
一種の
統制を加える。そうしてそれが暴騰しないように、暴落しないようにある幅の中に維持しよう、それを維持できるようにするには、ある程度
政府が手元に主要食糧のストツクをたくわえておらなくてはならないが、それもやろう。それから輸入する食糧については、これは国家管理をや
つて行こう。こういう考え方でありますから、これは米穀なりあるいは主要食糧の
統制を撤廃するのではない、今日行われているものの一
部分をやめ、新たに若干のものを加える、すなわち
統制の形態並びに内容を変更して行く、こういうことであろうと私は考えておるのであります。しかしこのことに対しまして、前刻申し上げましたようないろいろな議論が紛糾しておる。
一体なぜ供出制度、価格のくぎづけ制度、配給制度というものが生れたかということを考えてみますと、これは申すまでもなく、戰時欠乏
経済の産物なのです。非常に数量が不足しておる、乏しい。ゆえに重要度の低い
方面には消費させない。そうして最も重要なる
国民の主食という
方面において、その消費を全部なり、その圧倒的大
部分を確保して行こう、そうしてこれを
国民の各階層の間に最も公平に分配して行こう。そうして不足なるがゆえに、高くなるというのは当然でありますが、高くなることは
国民生活の安定を阻害するがゆえに、この不要の消費を押える、
国民の間に公平なる分配をするということ、価格の騰貴を押える、この三つが目標でありまして、そのためにとられたところの供出制度、価格のくぎづけ制度並びに配給制度である。これは私は当然であり、けつこうなことであると思う。但しこれが完全無欠に行われたということは申し上げかねる。なぜなればこの価格は欠乏時においては当然高くなるのはあたりまえではないか。在来の
日本の主要食糧の価格、たとえば米をとらえてみましても、農業経営の形態が外国に比べると
日本は小経営である。そうして非常に集約的に土地を耕作しておる。その結果米の生産費というものが高い、あるいは農民の生活程度が高い、国家に対して
負担する諸税公課も高いということから、生活程度なり文化の低いところに比べるとまた生産費が高い、いろいろなことがからみまして、外米よりは内地米は高いのが多年の
状態だつたのであります。たいがい外米は
日本に入れても二割以上安い、こういう
状態であつた。ところが、の世界
一般の市価よりも安いところに公定価格をきめて、そうしてこれをなるべく維持しよう——これは本来ならば世界の公定価格よりももつと高いところにはね上る、それが本筋なのです。それを逆に低いところに押える。しかも欠乏時において押える。前には相当潤沢であつた。朝鮮米、台湾米等がどんどん入
つて参りまして、むしろ米穀が過剰で苦しんだというときにおいてすらも外国の米より高かつた。それを欠乏時において安いところに押えて行こうとするのでありますから、ほかの小麦その他もこれに準じてそういう措置をとるのでありますから、これは生産側にと
つては相当苦しい。そこでまた配給量が潤沢であるならばそういう問題も起りませんが、乏しいときでありますから、配給量も十分潤沢というわけには参らぬ。ほかの雑穀であるとか、いもであるとか、いろいろなものをまぜる、まぜたものが来てもなおかつ一部の人は足らないというので買いあさりをする。こういう
状態でありますから、やみの値段は高くなる、これまた当然なのであります。そういう
状態のもとにおいて、生産者としては正直に申告して保有米として認められたものも、自分の月常の食生活を満足させるに足らない乏しい程度である。これではお百姓をや
つて自分のつくつた物も腹一ぱい食えないということで
はつまらないというので、ここに生産を偽り、うその申告をして供出額をなるべく少くしようとする、これはもう
日本全国を通じての現象に
なつたのであります。供出割当などが来た場合には、知事から町村長に至るまで、自分の分担する
部分を少くすることに最大の努力をする、始終中央
政府の当局とこれについてえらい折衝をしておつた。ですからここに生産額についてのうその申告があり、これに基いて実際の生産とはかけ離れた比較的少いものが供出された。そうしてその余裕は最も切実に必要を感じておる
方面、金をゆたかに持
つてそれを買い入れる便宜を持
つておる
方面に流れて行つたのであります。その中には料理屋のぜいたくな消費に使われたものもあるでありましよう。ですから不要不急な
方面への消費が全部閉止し得たわけではない、それから金のある者でもない者でも平等に食べたというわけではない。それからやみの値段は公定価格と比較にならぬ高いものである。このやみの売買を計算に入れた実効価格は公定価格よりもずつと上まわ
つておる。ゆえに公平なる分配とかあるいは不要の消費を押えるとか、価格の騰貴を押えるとかいうこの三つの点は、そのいずれを見ましても、決して百パーセント完全に目的を達したとは言えないと私は思う。しかしながら全然こういう政策をとらなかつた場合に比べますと、はるかに
国民生活を安定させ、
物価の騰貴を押えることに貢献した
効果はあつたとい
つてよかろうと思う。そういう
効果が一面にある、他面において
国民がうそを言うことを当然と思う。法律で禁じてあることを
国民のほとんど全部がや
つて平気でおる、法律の権威というものがここに失われて来る。またやみの売買に従事する人間が、一時のごとく、皆さんにも御承知のように、きたない乗物の中に横行して横暴をきわめた。またこういうわずかくらいの米なり何なりを輸送するために人間が動きまわる。これは輸送力というものに対して非常に重い
負担になるばかりでなく、むだな経費がかかります。いろいろな点におきまして、生産者の方でも、
一般には高く売れるものを、
政府はこんなに安く買うのはひどいじやないかという不満の声があり、消費者側にも、どうしても足らないのだ、やみで買おうとすればこんなに高いのだ、もう少し無理なことでなしに、自由に
物資が動くようにしてもらえないものだろうかという要望が出て参ります。これは戰時の欠乏
経済においてはやむを得ないとしても、少し余裕ができたならば、こういうようなことはやめてもらいたい。ことにこういうことをするために厖大な行政機構ができ、そのための国家の
費用も少からぬものがある。あるいは巡査がやみ屋さんの取締りに目を光らせて、ほかの
方面の任務がおろそかになるとか、いろいろなことがいわれまして、もう少しのんびりとした気持で農家が生産できるように、そして生産できたものは正面に売るようにしたい。第一に米の生産を偽る。それが遡及して農地の面積までも偽るようにな
つて行く。農地の面積だとか、重要な食糧の生産高だとかいうものまでも正確でない。私は農林省の米の生産の統計なんというものは、何百万石といううそがあると思う。実験はあれよりずつと多いと思う。あの通りならば、やみ屋さんがかつぎまわる米なんかありつこないです。ですから国家の政策を決定すべき重要なる基礎数字が非常に怪しい
状態にな
つておる。そうして
国民が法律を無視し、うそを言うことが平気になる。こういう
状態はどうかなるべく早くやめてほしいというのは無理からぬことだと思う。ここで今申した通り、そのために厖大な行政機構というものが生れて来る。やはりお役人さんが商売をすれば、
商売人がやるよりもたいがい経費がよけいかかります。安上りになるのだという計算も往々にして出ておりますけれども、その計算の内容を綿密に検討してみると、それが当
つておるかどうか、相当疑問だと思う。ゆえに、もし米の供出なり配給なりというものをここでやめていいというような
情勢に
なつたとすれば——、私は一刻も早くやめるということに実は賛成なんです。
しかし問題は、今日そういう
情勢に達しておるかどうかというところにある。第一に
日本も平和にはなりましたけれども、朝鮮事変の勃発以来、いつ何時火の手が大きくなるかもしれないという、いわゆる準戰時体制です。ですから
日本も再軍備をしろのなんのという声が高い。国際的危機というものは、不幸にしてわれわれが望んだように解消されつつないのであります。もしも国際的危機がより緊張した場合、あるいは不幸にして戰争の勃発した場合には、今日は幸いに豊作も続くとか、国際的にも食糧が潤沢になるというようなことで、輸入食糧がある程度ゆたかにな
つて、
日本国民はたいがい腹一ぱい食べられるような
状態にな
つておりますけれども、この輸入というものが杜絶してしまうことを覚悟せねばならぬ。そうしますと、戰前においても朝鮮とか台湾から米だけでも千何百万石というものが入
つて来た。その他の雑穀とかいろいろなものを加えますと、二千万石くらいのものが入
つて来た。戰前においてもそれくらい足らなかつたのが、今日は人口が一千万人以上もふえておるのですから、それを加算しますれば、戰前並に食えば今日は三千万石くらい足らぬと思うが、これがストツプしてしまうことになる。
政府はこの不足に対処するたけの何千万石かのたくわえを持
つておるか。
政府でなくても、民間にあるかというと、これはない。端境期になれば、もう倉庫むなしというような
状態になる。国際的
情勢は緊迫している。このとき今申したような供出とか配給制度をやめて自由にして、そうして一朝輸入がとまり、国際
情勢が悪化するということになれば、また
統制を再び始めねばならぬ。元通りの戰時欠乏
経済にもどらざるを得ない。そういう危険があるとすれば、食糧の問題は非常に慎重に取扱わなければならなない。
統制は原則としてやめた方がいいというのは、たいがいの人にわか
つておる。これも主要なるものの生産量並びに主要なるものの消費までも、国家管理のもとに置いた方がいいのだという共産主義の原則でも守る方ならば、平時にな
つても続けてやつた方がいいという議論が出て来るかと思うのでありますが、しからざる限り、社会主義でも温和な社会主義、あるいはそこまでも行かないというような
立場に立
つておる人ならば、これはもうそんなことはなるべくやめた方がいいのだというのは私はもう常識だと思う。私どももその常識論者の一人であるのです。なるべく早くやめた方がいいのだというのは持論です。但し今の国際
情勢等を考えますと、これはもう少し愼重にやつた方がいいのではないか。大いに冒険してあやまつよりは、愼重にしてあやまつた方がいいのではないかという感じを持つのでありますが、そういうような感想を持つ人が相当ある。
これは国際
情勢に対する判断でありますが、それからもう一つは、国際
情勢に対する判断だ
つて、いつ何時どんなことになるかしらというてびくびくしておる。それが三年も五年も十年も続いてはやりきれないのでありますが、そういう緊迫
状態があるならあるで、国内に相当の
蓄積があればいい。私は少くとも
日本の国で不足する一年間の分量だけは、非常時の予備として何らかの形で国内で持
つていることが望ましいと考えておる。それはこの米穀の
統制を撤廃する、撤廃しないという問題と離れてです。国際危機が来た場合には、
統制を続けてお
つて輸入はとま
つてしまうのですから、それに対処するためには、どうしても一年間の不足分、三百万トンくらいのものは——何も全部米でなくてもよろしい。米でも麦でも、場合によ
つては、とうもろこしでもよろしいのですが、
政府はそれを
年度内に放出してしまうものではない。端境期にな
つてもなおかつそれくらいは予備として国内に持
つておる。そうすればいつ何時輸入がとまりましても主食に関する限りは、少くとも向う一年間は今まで通りの食生活を
国民に保障できる。その間に農業経営のかじをとり直して、あるいはさつまいもでも大いにつくるとか、道に菜つぱを植えるとか、戰時中やつたようなことを大いにやる。そうして国内の増産に努めることもできるのでありますが、それくらいの余裕がなくて輸入が杜絶してしまうと、これはもう非常な困つたことになります。ですからこれは
統制の撤廃とか継続とかいうことを離れて、一年間の不足分くらいは何らかの形で国内に持
つていたいというのは、実は前からの私の持論なのであります。あるいは
日本にそれを全部買うだけの在外
資金がないとすれば、でき得べくんば、一部はいろいろの
日本の国情を訴えることによ
つて、無利子の現物を借りていいじやないか。あるいは今後米軍が安全保障協定の結果、
日本の国内にとどまることになりますが、米軍だ
つて食糧は必要なんですから、米軍が一年間に必要とする食糧を十年間くらい持
つて来ておいた
つていいじやないですか。米軍のものとして
日本もたくわえる、アメリカさんもたくわえる、いざというときには融通する、これならわれわれは大いに安心です。それはひとつ議会の皆さんに御盡力をお願いしたいと思うのであります。それくらいの
蓄積があれば、これは場合によつたら米の
統制をはずしても、価格の調節ができると思うのです。
政府の手持ちのストツクがなくて価格の調節ということはできません。値下りしたときに買い上げてつり上げることはできましよう。しかしながら、値上りしたときにこれを押えるというわけには行きませんよ。その際には外国から小麦でもうんと入れて、そうしてあまり米価が高くならぬように押えるために安く売り出すということになりますと、相当補給金というものの額が大きくなるのではないかと思うのです。
財政上の
負担というものが助大するおそれがあると思う。とにかくそういうような点でいろいろと心配なことがあるのであります。ことに二千五百万石だけは今年も供出させる、こういう御
計画があるようでありますけれども、供出したあとは自由販売を認めるのだ、こういうことであり、そうして自由販売に
なつた場合の値段が、供出価格よりもはるかに上まわるというようなことでありますと自由販売に
なつたときの平均の値段というようなものとにらみ合せて、安く供出したものに対してはまたあとで差額を賠償してやるのだ、あと拂いをするのだ、こういう約束でも十分おつけになれば、これは出すかもしれませんけれども、そういう補償なしに供出させるということでありますと、供出すればばかをみるのはわか
つているのですから、なかなか出し澁るだろうと思います。ことにだんだんと品薄れにな
つて来るという
状態を予期しますと、今日の公選知事は自分の県の安全ということを第一に考えますから、中央の大都市等でいかに要望がありましても、まずわが仏たつとしで、自分の県から出すことをいやがるので、昔
日本で——昔とい
つても、あまり遠い昔ではありませんが、十何年前か米が不足しましたときに、当時は官選知事であつた。この官選知事を説いて、そうして米産の府県から中央の大都市に米をまわさせようとする、そのために、当時の内務
大臣というと知事さんに対しては非常に力があつたものでありますが、そういうような力を借りて、警保局長が並び、何だかんだ
つて十分威光を発揮して、そうして知事一人々々呼び出して談判しても、なかなか簡單にうんと言わなかつた。いわんや今日の公選知事においておやですから、そこにやはり予期通りの供出を実現させることは非常に骨が折れると思う。これについてはよほどの覚悟を持
つて、ただ圧力だけでなく、十分
経済的にも納得行くだけの準備をしておかかりに相ならぬと、なかなか供出米が十分集まらぬのではないか、こういうふうに懸念いたすものであります。そうしてまた集まつたとしても、今まで通り配給をどんどん続けて行きますと、じきになくな
つてしまう。価格調節ということが非常に困難にな
つて来て、そういうときにいろいろ好ましからざる事態が懸念されますので、本旨としては、現行の供出制度並びに配給制度というものはやめた方がよい。そうしてのんびりとした形で、生産者がうそを言わず、生産者が気持よく増産に邁進できるようにする。そうなりましたならば、おそらく今日より米価は上ります。
日本の国内市価は世界市価より高いのが普通であるのに、下にあるというような
情勢は改まるので、そういうところが改ま
つて有利にな
つてこそ、増産に対する熱意も具体的に実を結ぶのでありまして特利に不利益な
状態に押しつけておいて、増産々々といつた
つて、これは無理な話である。ゆえに本筋からいえば、これはなるべく早くやめることが望ましい。しかしやめるに際しましては、やはりある程度国際
情勢も見きわめ、国内において手持ちの主要食糧の数量も
蓄積でき、十分に市場操作ができるという確信を持ち、生産者、輸送者、配給者あらゆる
方面に必要な
金融措置もでき、正米の取引所も動いており、その面で熟練せる信頼の置ける業者が活躍する、こういう條件ができ上り、あるいはこれと同時に熟して来るという十分なる見きわめを得た場合にやるべきである。その見きわめが今日すでにあるか。来年の四月一日から、最も品がすれに近づいたときにおつぱなしてよいのかどうかということになると、これは人によ
つて非常に
見解が違うのでありますが、私としては相当大なる不安を持
つているということを申し上げます。そうして急いで外国に買付に出る結果は、外国の米価をどんどんつり上げてしまう。黙
つて買
つていればまだよいのですけれども、そういうふうに国内で声が高くなりまして、
日本の
政府は何十万トン買うのだということでやり出しますと、足元を見すかして、どんどん高くなりますから、その面においても相当な不利益が生ずるのではないか。ゆえに
統制撤廃を御主張に
なつたこの原則はけつこうとして、私は大いに賛意を表しますけれども、その時期、実行方法につきましては、これは、もしこの方向にお進みになるということでありましたならば、今申し上げたような不安のないように十分の御配慮をお願いせざるを得ない。
それと関連して、私この際一言申し上げたいことがある。もしも幸いにそういうような不安がなくな
つて、米の供出制度も、やみ配給制度もやめて、そうして米も麦も国内においては自由販売にする。外国から入
つて来る主要食糧については国家管理のもとに置く。そうして
政府は市場において買い出動あるいは売り出動して、か
つての米穀法時代におけるがごとく、極端なる高値あるいは低値を抑制して行く、こういう措置をとられるといたしましたならば、見通しとしては、国内における米価の動きはとまりますが、今日の市価以上になるのは当然なので、今よりは何割か高くなるだろうと思います。そうすると今日よりは何割か高い、これはインフレーシヨンが進んで高くなるというそれを度外視して、インフレーシヨンが加わればさらにそれ以上に高くなります。かりにインフレーシヨンの考えを捨ててただそういう自由にしただけで高くなる。それから今日のいわゆる実効価格というところでとどまるか。それだけの措置をとるとしましても、やはりそれを
中心としてある程度上つたり下つたりする。下つたりする方は少くて、上つたりする方を、ことに国際的にも米の乏しい現況から考えて、これはむしろわれわれとして予期しておかなければならぬと思う。この上つたり下つたりが、むしろ実効価格で計算したものよりも上の方に上る幅が大きくて、下の方に下る幅は少いのではないかと想像されるのであります。結局平均は実効価格よりも上になると私どもは思う。どれくらい上になるかということを御質問になると、それは答えられません。あらかじめお断りしておきますが、何十何円高くなるかということは申し上げかねますが、高くなるという予想をいたす。そうするとそれが基礎になりまして、工業労働賃金というものもやはり高くなると思います。あるいは
一般の俸給生活者の俸給も高くんざるを得ない。そこでこれは一面において要するにインフレの促進になるのではないか。また一面においては、工業、生産費を高くすることによ
つて、
日本の
輸出工業の発展に対して、ある程度のブレーキをかけることになるのではないか。この不利をほかの
方面の合理化なり何なりによ
つてどの程度取除き得るかどうか、そこに一つの非常に大きな問題があると思う。さりながらそれがむしろ自然の姿である。今日のこれは不自然の姿です。世界の市価よりも、生産費の高い
日本の市価を低いところに置いておく……。