運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1951-10-29 第12回国会 衆議院 予算委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十月二十九日(月曜日)     午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 小坂善太郎君    理事 有田 二郎君 理事 橘  直治君    理事 苫米地英俊君 理事 西村 久之君    理事 中曽根康弘君 理事 川島 金次君    理事 風早八十二君       天野 公義君    江花  靜君      岡村利右衞門君    尾崎 末吉君       小淵 光平君    角田 幸吉君       甲木  保君    川端 佳夫君       上林山榮吉君    北澤 直吉君       坂田 道太君    島村 一郎君       庄司 一郎君    高橋  等君       玉置  實君    中村  清君       中村 幸八君    松浦 東介君       南  好雄君    井出一太郎君       今井  耕君    早川  崇君       平川 篤雄君    稻村 順三君       戸叶 里子君    横田甚太郎君       小平  忠君    石野 久男君       小林  進君  出席政府委員         大蔵事務官         (主計局長)  河野 一之君  委員外出席者         公  述  人         (全国銀行協会         連合会理事) 千金良宗三郎君         公  述  人         (東京大学名誉         教授)     那須  浩君         公  述  人         (朝日新聞論説         委員)     土屋  清君         公  述  人         (日本経済団体         連合会理事)  原 安三郎君         公  述  人         (日本労働組合         総評議会議長) 武藤 武雄君         専  門  員 小林幾次郎君         専  門  員 園山 芳造君         専  門  員 小竹 豊治君     ————————————— 十月二十九日  委員高橋等君辞任につき、その補欠として玉置  實君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  昭和二十六年度一般会計予算補正(第1号)  昭和二十六年度特別会計予算補正(特第1号)  昭和二十六年度政府関係機関予算補正(機第2  号)     —————————————
  2. 小坂善太郎

    小坂委員長 これより会議を開きます。  本日は補正予算各案につきまして、公聽会に準じまし、一般各界権威者各位の御意見を聽取することといたします。  本日おいでを願いました公述人は、朝日新聞論説委員土屋清君、経済団体連合会理事日本化薬社長原安三郎君、全国銀行協会連合会理事千代田銀行頭取金良宗三郎君、東京大学名誉教授農村更生協会会長農学博士那須浩君、日本労働組合評議会議長炭労委員長武藤武雄君の各位であります。  公述人各位におかれましては、目下本委員会におきまして審議中の補正予算重要性にかんがみまして、これがいよいよ実施のあかつきにおきまして、社会各方面、各階層に及ぼします影響等につきまして、忌憚なき御意見の御開陳をお願いいたしたいと存ずる次第であります。それではこれより順次御意見の発表をお願いいたします。  まず全国銀行協会連合会理事千代田銀行頭取金良宗三郎君より御発言を願い、次に那須農学博士、さらに土屋清君の順序にお願いいたしたいと存じます。千金良宗三郎君の御発言をお願いいたします。
  3. 千金良宗三郎

    千金良公述人 それでは追加予算につきまして、私の考えますことをこれから申し上げます。  本年度補正予算案一般会計歳出で千三百六十二億円に上つております。その結果補正後の一般会計の総額は七千九百三十七億円となつておるわけであります。また一方歳入では、租税自然増收を初めといたしまして、官業收入等増加を含んで千七百六十七億円の増加を見込んでおります。その結果歳入歳出との差額が四百六億円になり、これが減税財源になる、こういう仕組みであることは申すまでもございません。  今補正予算案の内容を見ますると、まず歳入でありますが、千七百六十七億円のうちで千五百六十七億円が租税自然増收でありまして、そのうちの法人税増收が八百五十四億円という巨額に上つております。また所得税中心としての源泉徴收は五百七十九億円の増加となつております。これに専売公社の益金四十五億円、公団整理收入八十億円が官業收入の主要の項目となつておるのであります。  これに対しまして、歳出においては、財政投資のほかに、講和後の重要項目が取入れられております。すなわち四百億円をもつて外為特別会計及び食管特別会計の繰入れに計上してあります。二百十億円をもつて開発銀行輸出銀行その他の政府関係機関への出資投資に充てております。また三百億円をもちまして平和回復善後処理費国際通貨基金への出資に計上してあります。この三者で全歳出の約七〇%という大きな比率を占めております。その他の項目では自衛力強化のために百七十六億円、地方財政平衡交付金のために百億円、給与改善費のために七十三億円等がおもなものであります。  なお歳出減少したものとしましては、終戰処理費の一部を米国が負担することによりまして、約八十六億円が減少されました。すなわち終戰処理費は、終戰処理事業費減少が百七十五億円でありますが、新設の特別調査資金への繰入れが七十五億円でありまするから、差引八十六億円の減少なつた。なおこの特別調達資金一種回転資金でありまして、連合軍のために調達する労務に対しまして、この資金からまず賃金が支拂われて、あとからその分がドル外為会計に拂い込まれ、これを円にかえて償還されるという形で、一種回転資金の形式をとるものと思われます。  本年度追加予算の大要は以上のごとくでありますが、次にこの予算の問題となる点につきまして、二、三私の考えを申し述べたいと存じます。  第一の点は自然増收の点であります。申し上げましたように、今回の予算案では、租税自然増收は千五百六十七億円を見込んでおります。ところで、問題はこの予算編成根幹をなしておりまする租税自然増收を生んだ経済基盤が今後どうなるかである。朝鮮動乱の影響によりまして、昨年から本年にかけまして、産業界はまだ比較的に活況を続けておりまするが、これが永久に続くものであるかどうか疑問であります。見方によりましては、この九月、十月が峠ではないかというふうにも見られております。万一朝鮮動乱が停止となりまして、さらに最近の電力の危機が一層の深刻度を加えて来るというようなことになりますると、生産は減退しまして、企業利潤は激減する、そういうときはかかる大きな自然増收を本年から来年にかけてなお期待できるかどうかということは、非常に疑問視されるところであります。なおまた固定資産の再評価再々評価の結果、法人收益は現在より減少するのが当然でありまして、従つて本年度はともかくといたしましても、来年度歳入見積りにはよほど慎重に予算をとりませんと、そこに予算上の齟齬を来す。本年度法人税だけで行きましても、初めの予算が六百三十億、その上にさらに八百五十億というような大きな予算外收入があつて、それで千五百億というようなことになつたのであります。さような大きな收入が本年度から来年にかけて望み得るかということは、非常に疑問であります。これは本年度としてはよろしゆうございますが、来年度予算を組むときには、これが非常に慎重に取入れられませんと、予算上の齟齬を来す、こういう意味であります。  第二の点は税收調整についてでありますが、今回の予算案では、租税自然増收を千五百六十七億円と見込みました。これで歳出大半をまかなうとともに、所得税中心としまして四百五億円の減税が行われる計画になつております。すでに日常生活におきましても非常に深い関係のありまする米価や電気料金等が値上げされ、また近くには運賃、郵便、電信、電話の料金等の値上げが予定されておるのでありまして、所得税軽減と申しましても、それによつて国民生活が楽になるというわけのものではないのでありまするが、それでもこの減税が歓迎すべきものであることはもちろんであります。特に退職所得の課税について低減をはかつたことなどは、実際的かつ非常に合理的な改正と思われます。なお所得税等軽減の反面におきまして、法人税は逆に現行の三五%の税率が四二%に引上げられ、明年一月から実施のことになつておりまするが、これについてもいろいろ議論があるのであります。しかし一方におきまして、たなおろし資産の評価減を認められたこと、また退職手当積立金損金算入を認められたこと、設備の近代化の場合におきまして、特別償印を認められたことが一方にバランスする材料としてありまするので、四二%の税率が高過ぎるという考え方も一方にありますが、しかし今後の財政支出の増大であるとか、あるいは個人所得税との権衡等を考えますと、これはやむを得ないのではないかと思われます。ただわれわれは常にこの資金の流れということを非常に気をつけておるのでありまするが、法人税増徴等によりまして金融市場を不当に圧迫することがないようにということを非常に希望しております。それは現在法人税決算期関係で五月と十一月、この両期に集中して徴收されます。しかもその金額が非常に莫大であるという面からいたしまして、金融がその場合に非常に圧迫せられる、金融市場が非常に混乱を起すということがあるのであります。これをおもんばかりまして、このたびは分割納付が認められたようでありますが、しかしやはりこの延滞日歩を四銭もとるということでありましては、大量の法人税を支拂う会社は相当有力な会社でありますからして、やはりほかの方でいわゆる一般金融機関金融をつけるということになります。そういたしますると、その会社はよろしいのでありますが、自然としわが寄りまして、ほかの企業の方の金まわりが悪くなる。従つて租税分割納付ができるようにいたしましても、四銭という日歩は少し高過ぎるのではないか、やはり金融市場とマツチするような日歩を課するというのが、税制上適当ではないかと思われます。なお一層進みましては、徴收した法人税を一時市中銀行に預託しておきまして、必要のあるごとにそれを政府が引出すというふうにしたならば、一層金融市場財政の方との連絡がうまくとれるのではないか、こう考えております。  第三の点は、今後の増税についてでありまするが、今回の補正予算昭和二十四年度から続きました財政規模の縮小の方向が放棄されましたが、今後は講和関係費用であるとか、あるいは防衛の費用であるとかいうようなものを考えますると、財政はやむを得ざるとするもやはり増加するという傾向が見られるのであります。しかもその自然増收については、前述いたしましたように、必ずしも増收傾向が続くものとは思われないのでありまして、本年度は一応減税をしましても、情勢いかんによりましては、今後再び増税を必要とするような場面が出て来るのではないかということがおそれられるのであります。こういうこともあらかじめ考えておかなければならないことである、こういうふうに思われます。この場合におきましては、これまでのような極端な直接税中心主義を変更すべきものではないか。直接の負担というものは、一般国民脳裏心裏に浸透しておりまするので、今後税金はもつととりやすいようにして行つたらどうか。そのためにはやはり間接税を加味する、従来の直接税のほかに消費税あるいは売上税というようなものを加味して、かりに増税を必要とする場合にも、あまり国民の神経を刺戟しないようにして行つたらどうかということが考えられるのであります。  第四の点は財政投資についてであります。対日援助の打切りによりまして、見返り資金への新規資金の繰入れが今後期待できなくなり、これまで一般金融機関でまかない切れない電力海運等に重点的に融資された有力な財源がいわゆる先細りとなる。これにかわるべき企業自己資金と申しましても、まだ資本蓄積の貧弱な現状におきましては、そうたよるべくもない。また市中銀行資金によることも、現在の市中金融機関一般的オーバー・ローンの現状におきましては、とうてい多くを望むことができないのであります。結局これらの資金については、政府資金投資にまつよりほかはないのでありますが、今回の予算開発銀行輸出銀行等への投資が二百十億円計上してあります。これではとうてい長期資金の対策としては全きを得ない。それにもかかわらず今回の追加予算におきましては、インヴエントリー・フアイナンスという形で外為会計資金であるとか、あるいは食管会計資金に四百億円をたな上げしている。また事実上これと同じ効果を持ちまする支出に、国際通貨基金への出資並びに国際開発銀行への出資、この両方で二百億円、並びに特別調達会計資金へ七十五億円の繰入れがあります。この約七百億円は一応国民経済からして資金が吸い上げられまして、財政上のいわゆるリザーヴ・フアンドとして残される勘定であります。もつともこのうちの外為会計資金であるとか、食管会計資金であるとか、あるいは特別調達会計資金というものは、ある程度運用されるであろうと思います。しかし国際通貨基金への加入のための資金、あるいは国際開発銀行への加入のための資金というようなものは、本年度は使用される可能性がすこぶる脆弱ではないかと思われるのであります。従つてこのうちで、ほんとうにこのリザーヴされる部分については、それに相当するだけの額を運用部資金から、あるいは見返り資金から出しまして、これを金融調整に用いるということにしたらばどうかと思われます。この外為会計資金としまして、さらに三百億円の繰入れがしてありますが、これはもとより輸出が盛んになれば、それだけの金が用いられるかもしれない。現在の傾向で見ますと、日本銀行が今度ユーザンスの扱いをかえまして、B勘定という、従来のつまり外国から品物が来まして、来てからさらに六十日なり九十日なりドルでもつてフアイナンスしたその期間は、すなわち外為勘定から出ておるから、金がいるわけであります。それがなくなつた。従つてそれだけのものは、少くとも円資金としてこれが外為会計勘定に入る。これによつて節約する部分が非常に大きいのであります。その上にさらに三百億円をつけ加えましたならば、非常に大きな外為会計資金ができるのではないか。これが全部使えるようになれば、まことにわれわれとしては望むところでありますが、やはりこれは結果においてリザーヴ資金として相当残るのではないかと思われます。こういうふうなものを政府滞留資金としてとめておくということは、財政の全体の規模からしまして、ある部分資金を、常にとめておくということは、決して悪いことではないのでありますが、これが非常に過度になるというと、現在のような、一般金融が梗塞しているときに、政府財政のみ非常にゆたかに資金をたくわえて、そのためにほかの方の金融機関が無理をして出す。結局金利の負担がかかりまして、それが一般の物価に及ぼし、経営のコストに及ぼすというようなことでは、今われわれの国是としております輸出という上から見ましても、決していい結果は得られないのであります。この点から見ましても、政府滞留資金というものを適当にとめておいて、できるだけ過剰と思われる部分は、これを一般金融市場に流すということが適当ではないか、こう思います。  私の申し上げるのはこれだけであります。
  4. 小坂善太郎

    小坂委員長 ただいまの御意見に対して質疑はありませんか。
  5. 川島金次

    川島委員 ちよつとこの機会に、千金良さんにお尋ね申したいのですが、きようの御公述の中にはございませんですが、二つばかり専門家立場から御説明あるいは御所見を伺つておきたいと思います。  その第一は、千金良さんも御承知と思いますが、先般補正予算が上程されました場合に行いました池田大蔵大臣財政演説、その演説の中の金融の問題については、資金統制行つて経済の効率的な運用をはかろう、こういうことを言つております。この金融統制だけで、はたして経済がうまく行くかどうかということは、非常に大きな当面の問題だろう思います。われわれの見解では、少くとも金融統制だけで、今日の講和後の日本経済を乗り切つて行くことは、きわめて困難だという観点に立つております。少くとも重要なる原料、資材等に対する計画的な統制というものが行われない限り、いかに金融統制だけやつて行つても、その効果というものはほとんど上らないという感じを私どもは持つております。そういう事柄について、銀行家としての千金良さん、または仲間たち見解はどういう見解になつておられるか、それをまず率直にお聞かせ願いたいと思います。
  6. 千金良宗三郎

    千金良公述人 お答えいたします。ただいま川島さんの言われたことはごもつともでありまして、私たちもやはり資金統制だけで、現在の物資の円滑な交流というものが行われるとは思つておりません。われわれも常にそのことは申しておるので、資金調整、これはもちろん幾分かの効果はあります。しかし全きを得るためには、やはり非常な重要な物資については、物資統制が必要だということを考えております。
  7. 川島金次

    川島委員 それからもう一つは、大蔵大臣は昨年来から非常に資本蓄積という事柄を取上げて強調しております。そして機会あるごとに国民にそれを訴えておるのだが、今の政府、ことに大蔵大臣自身としての資本蓄積に対する具体的な方策というものは、われわれから見るとほとんどない。われわれは資本蓄積必要性というものを非常に認め、認識しているのだが、政府自身においてただ資本蓄積の必要を強調するだけで、具体的なものを持つていない、こういうふうに一概に言えるのじやないかと私は感じております。そこで専門家立場で、資本蓄積の具体的に積み上げて行く積極的な方策というものが、私はなくちやならぬと思うのですが、銀行側として大蔵省あるいは政府側に何か積極的な資本蓄積の方法について、建言あるいは要請をしたというようなことがあるかどうか。また、もしそういう事柄についての積極的な資本蓄積方策というものをお持ちであつたならば、この機会にひとつ教えていただきたい。
  8. 千金良宗三郎

    千金良公述人 お答えいたします。資本蓄積の非常に必要なことは、万人が認めておるところであります。一般といたしましても、これは例の資本蓄積月間ですか、今やつておりますがわれわれ金融業者としましてもできるだけの資本蓄積をいろいろと宣伝勧誘等によつて行つております。しかし、もちろん、それだけは全きを得ない。今一番必要なことは、やはり税制改善である。しかしほんとう税制の理論的な方面から行きますと、通らない事柄です。しかし現在は非常な重税に苦しんでおるような状態でありますので、いくらかせいでためても、税金に持つて行かれてしまう。その大半であるか、あるいはもつと高額なものを持つて行かれてしまうというな状態では、なかなか資本蓄積効果は上がらない。資本蓄積効果が上れば、従つてインフレーシヨン傾向もなくなる。そうすれば一層蓄積を助長するのであります。第一番に蓄積しなかつたら、インフレの傾向も收まらないし、蓄積するためには、税というものは、やはり非常に大きな障害となる。税を納めないのではないが、しかし今の能力、課税主義でどこまでも行きますと、これを徹底させると、なかなか資本蓄積の実が上らないというような状態です。そこでわれわれとしましては、無記名定期預金をやつてくれということを非常にしつこく、これはほとんど一年以上にわたつてこれを言つておりますが、なかなからちがあきません。一方その半面におきましては、政府の方で今度一種貯蓄債券を出す。あるいはさきに認可されました投資証券こういうふうなものが、みな所得税関係では事実上のフリーな蓄積なのであります。そういうなものが、最も貯蓄根幹である一般預金に適用されたならば、一層効果が上るのではないかと思つて努めておりますが、まだ、そのわれわれの努力の結果が現われて来ないわけであります。これは実は皆様方にお願いいたす次第でありますが、この際ぜひどうか国会におかれましても、税制の御審議のときに、無記名定期預金は実行していただきたい、こう思つております。
  9. 角田幸吉

    角田委員 ただいま無記名定期預金貯蓄の増強をはかる、こういう御見解でありますが、無記名定期をやりますと、一体どのくらい預金ができるというお見込みでありますか。これをひとつお伺いいたします。
  10. 千金良宗三郎

    千金良公述人 お答えいたします。これは実は私は満足なお答えができないことを非常に残念に思うのであります。どのくらいいわゆるたんす預金があるかということ、まあ新しい預金であります。今までの預金がそれに移行するだけでは、大して資本蓄積効果がない、多くのたんすのすみとか、あるいは縁の下にある金が出て来て、初めて一層効果ある資本蓄積と言えるのであります。これがどのくらいあるか、実は私も勘定したことはないのであります。ただ世の中ではこれが五百億あるとか、千億あるとか言われております。しかし実際としましては、今すでに実行されております例の投資信託あれが幾らあるかといいますと、初め五十億で行きまして、さらに五十億か何か、今この数字ははつきり言えませんが、とにかく最初の計画は五十億、さらに追加計画があつたようであります。それだけのものが相当な成績を收めておりますが、問題はその中に新規預金がどのくらいあるかということであります。伝え聞くところによりますと、百円札の大きな束を持つておる人があるというようなことも聞いております。これは実は証券取引協会の方でお調べくださると、もつとはつきりわかると思いますが、結果におきまして、資本蓄積を勧奬したら、どのくらい集まるかということ、あるいは無記名定期をやつたらどのくらい集まるかということは、やつてみなければわかりません。しかし、少くとも今より非常なプラスになるということだけは申し上げられると思います。
  11. 小坂善太郎

    小坂委員長 千金良さんにちよつと申し上げたいのですが、そういうことを御主張なさる全国銀行協会の方で、無記名定期を主張する根拠は、こういうところにあるのだ、これだけのことをすれば資本蓄積の実績が上るだろうというような資料でもおつくりいただいて、当委員会に配つていただくと非常に参考になると思います。
  12. 千金良宗三郎

    千金良公述人 これはたしか国会の皆さんにも差上げてあるのではないかと思います。大臣などにも相当要望しておりますから。……
  13. 小坂善太郎

    小坂委員長 そうでございましようか、あらためて、そういうお話を願つておくと非常に好都合であります。
  14. 角田幸吉

    角田委員 ただいまのお話で、投資信託が二回で百億という見当がつくと思います。そういうものを基礎にして、どのくらい無記名預金が出て来るというような御経験上の推測ができると思いますが、そういう御経験上の推測ができますれば、この際承つておきたいと思います。
  15. 千金良宗三郎

    千金良公述人 お答えいたします。ただいまのお話は、われわれ商売人であるから推測ができるだろうということでありますが、実はこれは一般物価傾向とか、いろいろあつて貯蓄心理というものは始終動揺をしておる。金のあり高が幾らあるということばかでなしに、外界のいろいろな情勢、たとえば国際物価情勢であるとか、内地物価情勢であるとか、いろいろなものが関係して来て、それが貯金者心理影響するのじやないかと思うのであります。従つてわれわれ商売人でも、これをやつたらどのくらい集まるかということは、はつきり申し上げることができないのであります。
  16. 北澤直吉

    北澤委員 ただいまのお話によりますと、外為に対するインヴエントリー・フアイナンス三百億、それから食管への百億、国際通貨基金及び国際開発銀行への二百億、特別調達資金への七十五億等、合せて大体七百億円が、一般市場から吸い上げられてリザーヴになる。従つてその穴を運用部資金でもつてカバーしたらいいじやないかという御意見でありますが、こういうふうに七百億を一般から引揚げるというのは、御承知のように今後相当インフレの気勢が上つて来るのじやないかということで、結局今日日本で最も大事なインフレ抑制という大きな観点から、こういうふうな措置がとられておるというふうに私は考えておるのでありますが、現在のインフレの状況——きのう来ましたドツジさんなんかも、どうも日本人はインフレに対して不感症でいかぬと言つておりますが、金融の面からのインフレ抑制策という意味で、こういうリザーヴにすることになつたと思うのでありますが、それに対して、もし預金部の金を出すことになれば、そういうリザーヴはなくなる。結局そういうことによつて、またインフレというものが助長されると申しますか、そういうふうになると思うのでありますが、その点についてお考えを承りたいと思います。
  17. 千金良宗三郎

    千金良公述人 今の北澤さんのおつしやるのはごもつともでありまして、われわれといえども、やはり財政には若干のリザーヴ・フアンドがあることは認めざるを得ないのであります。すでに例の見返り資金会計におきましても、また閉鎖機関の勘定におきましても、あるいは前の復金の会計におきましても、みな相当のリザーヴ・フアンドがある。さらにその上に重ねて三百億なり四百億なりが重なるというところに、少し無理があるのじやないかということを言つておるのです。七百億全体のものが全部リザーヴ・フアンドになつてしまう、これを全部出せということではないのであります。このうち食管の会計あるいは特別調達の関係、また外為会計でもある程度は運用できる、それは認めます。しかしほんとうに一年もたな上げになるようなものがもしかりにあるとすれば、そういうものはこの際出したらどうかというような考えであります。
  18. 上林山榮吉

    ○上林山委員 御承知の通りに、補正予算においては勤労所得税の減免を相当にやり、一面法人税の率の引上げをやつたわけでありますが、これに対して先ほどのお話の中で、法人税を引上げることはやむを得ないんだという消極的な意味において御賛成の意を表せられたようであります、一面この問題に対して、再生産のためにこういう率を上げるのは困るんだというような意見もあるようであります。しかしわれわれはこういう意見に対しては、この税率の上昇によつても、内輪において相当の技術的な操作ができるという含みにおいてこの意見に賛成をしかねるのでありますが、実際金融に携わつておるあなたの御意見として、この問題に対してもう少し何かはつきりした積極的な御意見があれば、この際承つておきたいと思います。
  19. 千金良宗三郎

    千金良公述人 今のお話でありますが、もとより法人といえどもやはり社内蓄積を盛んにする、できるだけ個人の蓄積のほかに法人としても蓄積をすべきものだ。その意味におきまして私は税率はなるべく従来通りにすえ置くことが望ましいと思つております。しかし一方におきまして、先ほど申し上げたように、いろいろ資本構成の面とか、あるいはたなおろし勘定の面とか、積立金の面とかいうところで、相当負担軽減が行われる。これは蓄積の一部になります。これを相殺すると、大体しかたがないのじやないかという意味で消極的に賛成したわけであります。
  20. 小坂善太郎

    小坂委員長 次に東大名誉教授、農村更生協会会長、農学博士那須浩君にお願いいたします。
  21. 那須浩

    那須公述人 私は今回の補正予算の中で、農業に関係のある事項若干について私見を申し述べたいと存じます。  第一に糸価安定特別会計というものが新しく設定されまして、これに三十億円が計上されたということは大いにけつこうであると存じて喜んでおるのであります。それはこの機会に多年の要望でありました糸価安定の特別会計が設置されなかつたならば、おそらくは今後の通常国会以後におきましては、安全保障協定等に基くところの費目が非常に厖大な額となりまして、この糸価安定のための資金のごときは、とうてい捻出されないのではあるまいか、永久にこのことが実現されないのではあるまいかということを懸念しておつたからであります。御承知のように今日の日本の蚕糸業というものは、戰前に比べますと非常な衰退なのでありまして、産額もわずかに十七、八万俵、そのうち十万俵が輸出されておる状態にしかすぎないのでありますし、またいろいろな人造繊維が発達して来ておる今日、以前のような繁栄を夢みることは不可能であると存じます。しかしともかくも蚕糸業はわが国内において相当重要な産業でありますし、やりよういかんによりましては、現状程度のものはこれを維持して行けるのではないかと考えられます。しかるに日本の生糸の価格に非常な変動のあるということが、世界における生糸を原料としていろいろの織物その他をつくつております人々に、日本の生糸の買付を躊躇せしめておる。と申しますのは、これを買いつけましても、いよいよ荷物が届いて、そうして加工して売り出すというまでには数箇月かかるのであります。その間に生糸の価格が変動する。これも上つたならばよろしいのでありますが、暴落するというようなことになりますと、せつかく糸を買いつけてこれに加工した人が莫大な損をこうむるようになる。これが生糸の国際的需要をはばんでおる非常に大きな原因でありまして、この糸価安定に対する要求というものは、もうずつと以前からあるのであります。本来ならば、私は日本の製糸家が自己の力において実行すべき問題だと思います。日本におきましても片倉とか郡是とか相当大きな製糸会社が十も力を合せましたならば、輸出生糸数量の過半を掌握しておるのでありますから、その申合せいかんによつて、ある程度の糸価の統制はできるはずである。しかしそれがなかなか困難である。製糸家は大きなものも小さいものもたくさんあるのであります。そうして遠慮なく申すと、往年今井五介さんなんかが中心人物として国際的にも国内的にも大いに働かれましたが、そのあとを継ぐ人があまり見当らない。ただ当面を糊塗するに急で、衰えて来たとはいえ日本にとつて重要産業である製糸業の基礎を確立して行く努力が——私はなはだ酷評になるかもしれませんけれども、当局者の方面で欠けておる。現状をもつてしたならばますます衰えて行くと思います。この際政府がこういう糸価安定の特別会計を設けられた。今は一俵二十万円以上もしておりますが、これがかりに下つて十五万円くらいになりましたときに、輸出生糸の十万俵の二割に当る二万俵を三十億円をもつて買い入れることができる。この二万俵までてこ入れしないでも、価格の維持はできると思う。その半分の一万俵を買わないでも私はできるのではないかと思う。政府はそういうことに出動しますと、私仄聞するところにおいては、進駐軍の方面では、これは政府が当業者の経営に参与するのだ、ガヴアーメント・イン・ビジネスだ、これを好まぬと思うのでありますけれども、りくつからいえばその通りで、当業者みずから出して上がるべきことであるのであります。日本の実態を見るとそれができない現状にある。それでなかなかこれは今までも進駐軍方面で難色があつた予算のように聞いておるのでありますが、何といいますか、この際に認めなければ、永久に日の目が拝めないのじやないかというこのときに、これが計上されたことは、そちらの方の了解を得られたのであろうと思いますが、これは私は日本の蚕糸業のために、大いに慶賀してしかるべきことである、こういうように存ずるのであります。これが第一の点。  第二の点は農林漁業資金融通特別会計であります。今回六十億円を増額して当初予算と合せて百二十億円になつた。これも非常に喜ばしい。但しなお欲を申しますると、この百二十億円でもなお四、五十億円は不足しておるのではないかと考えられるのであります。というのは、今日までに農林中央金庫に対してのこの方面資金融通の申込みがすでに百二十億円に達しておる。ほかに普通銀行に対しても三十億円くらいある、少くともこれが十億円、二十億円ふえることが当然予想せられるのであります。差引これが百二十億円をもつてしても、なお民間の要求四、五十億円は満たし得ない状態であろうと思うのであります。しかし今日の非常に窮迫しておる国家財政でありまするから、すべての要望を満たすということも困難であるということは考えられるのでありまして、ともかくも今回この増額を見たということに対しては、この際満足の意を表しておきたいと存ずるのであります。  第三に、積雪寒冷單作地帯対策のために二十億円というものが追加されたのでありまするが、承りますると、この二十億円全部が土地改良に充てられるそうであります。それもけつこうである。在来土地改良には国営の事業あり、府県の事業があつたのでありますが、それ以下の町村あるいは部落、あるいは民間団体等においてこれを行う際の資金に欠けておつた。今回のこの予算が在来資金に非常に飢えておつた方面の要望を、どうか満たす方に十分使われることを希望いたすのでありますが、国、府県、すでに今まで費用もある程度持ち、仕事をしていたそちらの方にまわされるということになりますると、多少私は遺憾の念を禁じ得ない。それから土地改良もけつこうでありまするが、寒冷單作地帯における農業経営の改革に対して、特に資金を必要とする面もあるかと存ずるのであります。将来こういう方面資金需要のあることもひとつ御考慮願えれば、たいへん仕合せであると、こう存じております。  第四に申し上げたいと思いまするのは、これは行政整理に関しまして米穀の統制ということに一つの変革を加えるということを予期しての人員減なり、その他行政費の減少ということが見込まれておるように存ずるのでありまするが、米穀の統制をこの際変革するというこのことが、はたして時宜を得たるものであるかどうか、また十分所期の目的を達し得るものであるかどうか、あるいはそれが翻つて国家予算の面に、予期せざる出費の厖大を来すことになる懸念はないか等々のいろいろな点をひとつ吟味いたしまして、この予算案をお考えになりまする際の御参考に供したい、こう考えるのであります。  今日米穀に関する統制を変更する——世間には撤廃という言葉で呼ばれておりまするから、これは少し誤解を招く表現だと私は考えております。とにかくこの米穀統制撤廃、これを中心として非常に議論が紛糾いたしておること御承知の通りであります。これは米の生産者の立場、消費者の立場、また米穀の流通を取扱う業者、または団体の立場、あるいは食糧行政に当つておる人の立場、国家財政の当局者等々のいろいろの立場の相違に基いて、またこの問題に対する見解に相違が出て来る、あるいは同じ立場に立つておる人でありましても、国内の経済情勢、今後の国際政局の動きいかん、これについての見通しが違つておりますとまた異なるところの結論が出て来るのでありまして、これがいろいろな形で入り乱れて今日の世論の紛糾を来しておると私は見ておるのであります。この紛糾を来しておる問題の正体は何であるか。米穀の統制撤廃というふうに往々呼ばれまするけれども、私はこれは正しい表現でないと思いますることは、米穀に関する統制を全部やめてしまいまして、そうしてその需給及び価格、あるいはこれに影響を及ぼすところの国外よりの主要食糧の輸入数量、その売出しの価格等につきまして、全面的に国家がもう何らかまわない。全部を自由経済におつぱなすということは、これはどこでも言明していない。今日一部において主張されておりまするのは、政府が米を買い上げるについて、またこれを一般に配給するについてくぎづけになる価格をきめて、そうしてその価格で農家をして保有米以上のものは供出させる。あるいはさらにだんだんと保有米プラス余裕を認めて、ある数量を農民から供出させる、そうしてこれにほかのいろいろなものを抱き合せまして、一人当り幾ら配給する。この価格をくぎづけにすること、強制的に生産者をして供出させること、そうしてこれを一定の数量をきめて国民に配給する、これをやめようという意見なのであります。これをやめると同時に、むしろ他の面におきまして、市場における米価なり主要食糧の価格なりに対しては、直接間接に一種統制を加える。そうしてそれが暴騰しないように、暴落しないようにある幅の中に維持しよう、それを維持できるようにするには、ある程度政府が手元に主要食糧のストツクをたくわえておらなくてはならないが、それもやろう。それから輸入する食糧については、これは国家管理をやつて行こう。こういう考え方でありますから、これは米穀なりあるいは主要食糧の統制を撤廃するのではない、今日行われているものの一部分をやめ、新たに若干のものを加える、すなわち統制の形態並びに内容を変更して行く、こういうことであろうと私は考えておるのであります。しかしこのことに対しまして、前刻申し上げましたようないろいろな議論が紛糾しておる。  一体なぜ供出制度、価格のくぎづけ制度、配給制度というものが生れたかということを考えてみますと、これは申すまでもなく、戰時欠乏経済の産物なのです。非常に数量が不足しておる、乏しい。ゆえに重要度の低い方面には消費させない。そうして最も重要なる国民の主食という方面において、その消費を全部なり、その圧倒的大部分を確保して行こう、そうしてこれを国民の各階層の間に最も公平に分配して行こう。そうして不足なるがゆえに、高くなるというのは当然でありますが、高くなることは国民生活の安定を阻害するがゆえに、この不要の消費を押える、国民の間に公平なる分配をするということ、価格の騰貴を押える、この三つが目標でありまして、そのためにとられたところの供出制度、価格のくぎづけ制度並びに配給制度である。これは私は当然であり、けつこうなことであると思う。但しこれが完全無欠に行われたということは申し上げかねる。なぜなればこの価格は欠乏時においては当然高くなるのはあたりまえではないか。在来の日本の主要食糧の価格、たとえば米をとらえてみましても、農業経営の形態が外国に比べると日本は小経営である。そうして非常に集約的に土地を耕作しておる。その結果米の生産費というものが高い、あるいは農民の生活程度が高い、国家に対して負担する諸税公課も高いということから、生活程度なり文化の低いところに比べるとまた生産費が高い、いろいろなことがからみまして、外米よりは内地米は高いのが多年の状態だつたのであります。たいがい外米は日本に入れても二割以上安い、こういう状態であつた。ところが、の世界一般の市価よりも安いところに公定価格をきめて、そうしてこれをなるべく維持しよう——これは本来ならば世界の公定価格よりももつと高いところにはね上る、それが本筋なのです。それを逆に低いところに押える。しかも欠乏時において押える。前には相当潤沢であつた。朝鮮米、台湾米等がどんどん入つて参りまして、むしろ米穀が過剰で苦しんだというときにおいてすらも外国の米より高かつた。それを欠乏時において安いところに押えて行こうとするのでありますから、ほかの小麦その他もこれに準じてそういう措置をとるのでありますから、これは生産側にとつては相当苦しい。そこでまた配給量が潤沢であるならばそういう問題も起りませんが、乏しいときでありますから、配給量も十分潤沢というわけには参らぬ。ほかの雑穀であるとか、いもであるとか、いろいろなものをまぜる、まぜたものが来てもなおかつ一部の人は足らないというので買いあさりをする。こういう状態でありますから、やみの値段は高くなる、これまた当然なのであります。そういう状態のもとにおいて、生産者としては正直に申告して保有米として認められたものも、自分の月常の食生活を満足させるに足らない乏しい程度である。これではお百姓をやつて自分のつくつた物も腹一ぱい食えないということではつまらないというので、ここに生産を偽り、うその申告をして供出額をなるべく少くしようとする、これはもう日本全国を通じての現象になつたのであります。供出割当などが来た場合には、知事から町村長に至るまで、自分の分担する部分を少くすることに最大の努力をする、始終中央政府の当局とこれについてえらい折衝をしておつた。ですからここに生産額についてのうその申告があり、これに基いて実際の生産とはかけ離れた比較的少いものが供出された。そうしてその余裕は最も切実に必要を感じておる方面、金をゆたかに持つてそれを買い入れる便宜を持つておる方面に流れて行つたのであります。その中には料理屋のぜいたくな消費に使われたものもあるでありましよう。ですから不要不急な方面への消費が全部閉止し得たわけではない、それから金のある者でもない者でも平等に食べたというわけではない。それからやみの値段は公定価格と比較にならぬ高いものである。このやみの売買を計算に入れた実効価格は公定価格よりもずつと上まわつておる。ゆえに公平なる分配とかあるいは不要の消費を押えるとか、価格の騰貴を押えるとかいうこの三つの点は、そのいずれを見ましても、決して百パーセント完全に目的を達したとは言えないと私は思う。しかしながら全然こういう政策をとらなかつた場合に比べますと、はるかに国民生活を安定させ、物価の騰貴を押えることに貢献した効果はあつたといつてよかろうと思う。そういう効果が一面にある、他面において国民がうそを言うことを当然と思う。法律で禁じてあることを国民のほとんど全部がやつて平気でおる、法律の権威というものがここに失われて来る。またやみの売買に従事する人間が、一時のごとく、皆さんにも御承知のように、きたない乗物の中に横行して横暴をきわめた。またこういうわずかくらいの米なり何なりを輸送するために人間が動きまわる。これは輸送力というものに対して非常に重い負担になるばかりでなく、むだな経費がかかります。いろいろな点におきまして、生産者の方でも、一般には高く売れるものを、政府はこんなに安く買うのはひどいじやないかという不満の声があり、消費者側にも、どうしても足らないのだ、やみで買おうとすればこんなに高いのだ、もう少し無理なことでなしに、自由に物資が動くようにしてもらえないものだろうかという要望が出て参ります。これは戰時の欠乏経済においてはやむを得ないとしても、少し余裕ができたならば、こういうようなことはやめてもらいたい。ことにこういうことをするために厖大な行政機構ができ、そのための国家の費用も少からぬものがある。あるいは巡査がやみ屋さんの取締りに目を光らせて、ほかの方面の任務がおろそかになるとか、いろいろなことがいわれまして、もう少しのんびりとした気持で農家が生産できるように、そして生産できたものは正面に売るようにしたい。第一に米の生産を偽る。それが遡及して農地の面積までも偽るようになつて行く。農地の面積だとか、重要な食糧の生産高だとかいうものまでも正確でない。私は農林省の米の生産の統計なんというものは、何百万石といううそがあると思う。実験はあれよりずつと多いと思う。あの通りならば、やみ屋さんがかつぎまわる米なんかありつこないです。ですから国家の政策を決定すべき重要なる基礎数字が非常に怪しい状態になつておる。そうして国民が法律を無視し、うそを言うことが平気になる。こういう状態はどうかなるべく早くやめてほしいというのは無理からぬことだと思う。ここで今申した通り、そのために厖大な行政機構というものが生れて来る。やはりお役人さんが商売をすれば、商売人がやるよりもたいがい経費がよけいかかります。安上りになるのだという計算も往々にして出ておりますけれども、その計算の内容を綿密に検討してみると、それが当つておるかどうか、相当疑問だと思う。ゆえに、もし米の供出なり配給なりというものをここでやめていいというような情勢なつたとすれば——、私は一刻も早くやめるということに実は賛成なんです。  しかし問題は、今日そういう情勢に達しておるかどうかというところにある。第一に日本も平和にはなりましたけれども、朝鮮事変の勃発以来、いつ何時火の手が大きくなるかもしれないという、いわゆる準戰時体制です。ですから日本も再軍備をしろのなんのという声が高い。国際的危機というものは、不幸にしてわれわれが望んだように解消されつつないのであります。もしも国際的危機がより緊張した場合、あるいは不幸にして戰争の勃発した場合には、今日は幸いに豊作も続くとか、国際的にも食糧が潤沢になるというようなことで、輸入食糧がある程度ゆたかになつて日本国民はたいがい腹一ぱい食べられるような状態になつておりますけれども、この輸入というものが杜絶してしまうことを覚悟せねばならぬ。そうしますと、戰前においても朝鮮とか台湾から米だけでも千何百万石というものが入つて来た。その他の雑穀とかいろいろなものを加えますと、二千万石くらいのものが入つて来た。戰前においてもそれくらい足らなかつたのが、今日は人口が一千万人以上もふえておるのですから、それを加算しますれば、戰前並に食えば今日は三千万石くらい足らぬと思うが、これがストツプしてしまうことになる。政府はこの不足に対処するたけの何千万石かのたくわえを持つておるか。政府でなくても、民間にあるかというと、これはない。端境期になれば、もう倉庫むなしというような状態になる。国際的情勢は緊迫している。このとき今申したような供出とか配給制度をやめて自由にして、そうして一朝輸入がとまり、国際情勢が悪化するということになれば、また統制を再び始めねばならぬ。元通りの戰時欠乏経済にもどらざるを得ない。そういう危険があるとすれば、食糧の問題は非常に慎重に取扱わなければならなない。統制は原則としてやめた方がいいというのは、たいがいの人にわかつておる。これも主要なるものの生産量並びに主要なるものの消費までも、国家管理のもとに置いた方がいいのだという共産主義の原則でも守る方ならば、平時になつても続けてやつた方がいいという議論が出て来るかと思うのでありますが、しからざる限り、社会主義でも温和な社会主義、あるいはそこまでも行かないというような立場に立つておる人ならば、これはもうそんなことはなるべくやめた方がいいのだというのは私はもう常識だと思う。私どももその常識論者の一人であるのです。なるべく早くやめた方がいいのだというのは持論です。但し今の国際情勢等を考えますと、これはもう少し愼重にやつた方がいいのではないか。大いに冒険してあやまつよりは、愼重にしてあやまつた方がいいのではないかという感じを持つのでありますが、そういうような感想を持つ人が相当ある。  これは国際情勢に対する判断でありますが、それからもう一つは、国際情勢に対する判断だつて、いつ何時どんなことになるかしらというてびくびくしておる。それが三年も五年も十年も続いてはやりきれないのでありますが、そういう緊迫状態があるならあるで、国内に相当の蓄積があればいい。私は少くとも日本の国で不足する一年間の分量だけは、非常時の予備として何らかの形で国内で持つていることが望ましいと考えておる。それはこの米穀の統制を撤廃する、撤廃しないという問題と離れてです。国際危機が来た場合には、統制を続けておつて輸入はとまつてしまうのですから、それに対処するためには、どうしても一年間の不足分、三百万トンくらいのものは——何も全部米でなくてもよろしい。米でも麦でも、場合によつては、とうもろこしでもよろしいのですが、政府はそれを年度内に放出してしまうものではない。端境期になつてもなおかつそれくらいは予備として国内に持つておる。そうすればいつ何時輸入がとまりましても主食に関する限りは、少くとも向う一年間は今まで通りの食生活を国民に保障できる。その間に農業経営のかじをとり直して、あるいはさつまいもでも大いにつくるとか、道に菜つぱを植えるとか、戰時中やつたようなことを大いにやる。そうして国内の増産に努めることもできるのでありますが、それくらいの余裕がなくて輸入が杜絶してしまうと、これはもう非常な困つたことになります。ですからこれは統制の撤廃とか継続とかいうことを離れて、一年間の不足分くらいは何らかの形で国内に持つていたいというのは、実は前からの私の持論なのであります。あるいは日本にそれを全部買うだけの在外資金がないとすれば、でき得べくんば、一部はいろいろの日本の国情を訴えることによつて、無利子の現物を借りていいじやないか。あるいは今後米軍が安全保障協定の結果、日本の国内にとどまることになりますが、米軍だつて食糧は必要なんですから、米軍が一年間に必要とする食糧を十年間くらい持つて来ておいたつていいじやないですか。米軍のものとして日本もたくわえる、アメリカさんもたくわえる、いざというときには融通する、これならわれわれは大いに安心です。それはひとつ議会の皆さんに御盡力をお願いしたいと思うのであります。それくらいの蓄積があれば、これは場合によつたら米の統制をはずしても、価格の調節ができると思うのです。政府の手持ちのストツクがなくて価格の調節ということはできません。値下りしたときに買い上げてつり上げることはできましよう。しかしながら、値上りしたときにこれを押えるというわけには行きませんよ。その際には外国から小麦でもうんと入れて、そうしてあまり米価が高くならぬように押えるために安く売り出すということになりますと、相当補給金というものの額が大きくなるのではないかと思うのです。財政上の負担というものが助大するおそれがあると思う。とにかくそういうような点でいろいろと心配なことがあるのであります。ことに二千五百万石だけは今年も供出させる、こういう御計画があるようでありますけれども、供出したあとは自由販売を認めるのだ、こういうことであり、そうして自由販売になつた場合の値段が、供出価格よりもはるかに上まわるというようなことでありますと自由販売になつたときの平均の値段というようなものとにらみ合せて、安く供出したものに対してはまたあとで差額を賠償してやるのだ、あと拂いをするのだ、こういう約束でも十分おつけになれば、これは出すかもしれませんけれども、そういう補償なしに供出させるということでありますと、供出すればばかをみるのはわかつているのですから、なかなか出し澁るだろうと思います。ことにだんだんと品薄れになつて来るという状態を予期しますと、今日の公選知事は自分の県の安全ということを第一に考えますから、中央の大都市等でいかに要望がありましても、まずわが仏たつとしで、自分の県から出すことをいやがるので、昔日本で——昔といつても、あまり遠い昔ではありませんが、十何年前か米が不足しましたときに、当時は官選知事であつた。この官選知事を説いて、そうして米産の府県から中央の大都市に米をまわさせようとする、そのために、当時の内務大臣というと知事さんに対しては非常に力があつたものでありますが、そういうような力を借りて、警保局長が並び、何だかんだつて十分威光を発揮して、そうして知事一人々々呼び出して談判しても、なかなか簡單にうんと言わなかつた。いわんや今日の公選知事においておやですから、そこにやはり予期通りの供出を実現させることは非常に骨が折れると思う。これについてはよほどの覚悟を持つて、ただ圧力だけでなく、十分経済的にも納得行くだけの準備をしておかかりに相ならぬと、なかなか供出米が十分集まらぬのではないか、こういうふうに懸念いたすものであります。そうしてまた集まつたとしても、今まで通り配給をどんどん続けて行きますと、じきになくなつてしまう。価格調節ということが非常に困難になつて来て、そういうときにいろいろ好ましからざる事態が懸念されますので、本旨としては、現行の供出制度並びに配給制度というものはやめた方がよい。そうしてのんびりとした形で、生産者がうそを言わず、生産者が気持よく増産に邁進できるようにする。そうなりましたならば、おそらく今日より米価は上ります。日本の国内市価は世界市価より高いのが普通であるのに、下にあるというような情勢は改まるので、そういうところが改まつて有利になつてこそ、増産に対する熱意も具体的に実を結ぶのでありまして特利に不利益な状態に押しつけておいて、増産々々といつたつて、これは無理な話である。ゆえに本筋からいえば、これはなるべく早くやめることが望ましい。しかしやめるに際しましては、やはりある程度国際情勢も見きわめ、国内において手持ちの主要食糧の数量も蓄積でき、十分に市場操作ができるという確信を持ち、生産者、輸送者、配給者あらゆる方面に必要な金融措置もでき、正米の取引所も動いており、その面で熟練せる信頼の置ける業者が活躍する、こういう條件ができ上り、あるいはこれと同時に熟して来るという十分なる見きわめを得た場合にやるべきである。その見きわめが今日すでにあるか。来年の四月一日から、最も品がすれに近づいたときにおつぱなしてよいのかどうかということになると、これは人によつて非常に見解が違うのでありますが、私としては相当大なる不安を持つているということを申し上げます。そうして急いで外国に買付に出る結果は、外国の米価をどんどんつり上げてしまう。黙つてつていればまだよいのですけれども、そういうふうに国内で声が高くなりまして、日本政府は何十万トン買うのだということでやり出しますと、足元を見すかして、どんどん高くなりますから、その面においても相当な不利益が生ずるのではないか。ゆえに統制撤廃を御主張になつたこの原則はけつこうとして、私は大いに賛意を表しますけれども、その時期、実行方法につきましては、これは、もしこの方向にお進みになるということでありましたならば、今申し上げたような不安のないように十分の御配慮をお願いせざるを得ない。  それと関連して、私この際一言申し上げたいことがある。もしも幸いにそういうような不安がなくなつて、米の供出制度も、やみ配給制度もやめて、そうして米も麦も国内においては自由販売にする。外国から入つて来る主要食糧については国家管理のもとに置く。そうして政府は市場において買い出動あるいは売り出動して、かつての米穀法時代におけるがごとく、極端なる高値あるいは低値を抑制して行く、こういう措置をとられるといたしましたならば、見通しとしては、国内における米価の動きはとまりますが、今日の市価以上になるのは当然なので、今よりは何割か高くなるだろうと思います。そうすると今日よりは何割か高い、これはインフレーシヨンが進んで高くなるというそれを度外視して、インフレーシヨンが加わればさらにそれ以上に高くなります。かりにインフレーシヨンの考えを捨ててただそういう自由にしただけで高くなる。それから今日のいわゆる実効価格というところでとどまるか。それだけの措置をとるとしましても、やはりそれを中心としてある程度上つたり下つたりする。下つたりする方は少くて、上つたりする方を、ことに国際的にも米の乏しい現況から考えて、これはむしろわれわれとして予期しておかなければならぬと思う。この上つたり下つたりが、むしろ実効価格で計算したものよりも上の方に上る幅が大きくて、下の方に下る幅は少いのではないかと想像されるのであります。結局平均は実効価格よりも上になると私どもは思う。どれくらい上になるかということを御質問になると、それは答えられません。あらかじめお断りしておきますが、何十何円高くなるかということは申し上げかねますが、高くなるという予想をいたす。そうするとそれが基礎になりまして、工業労働賃金というものもやはり高くなると思います。あるいは一般の俸給生活者の俸給も高くんざるを得ない。そこでこれは一面において要するにインフレの促進になるのではないか。また一面においては、工業、生産費を高くすることによつて日本輸出工業の発展に対して、ある程度のブレーキをかけることになるのではないか。この不利をほかの方面の合理化なり何なりによつてどの程度取除き得るかどうか、そこに一つの非常に大きな問題があると思う。さりながらそれがむしろ自然の姿である。今日のこれは不自然の姿です。世界の市価よりも、生産費の高い日本の市価を低いところに置いておく……。
  22. 小坂善太郎

    小坂委員長 農政問題の大先輩の那須教授お話を非常に期待しておりまして、あとでいろいろ質問が出るだろうと思うのでありますが、それをお受けいただいておりますと、土屋さんが午後時間がないようなので、一応切りをつけていただいて、ひとつ午後にまた御都合願えないでしようか。
  23. 那須浩

    那須公述人 それでは私の話はじきにやめます。  結局、日本の工業を発展させるためには、労働者の生活費を低くしよう。それにはやはり主要食糧の値段を高くしては困るのであります。ことに商工業方面は、爆撃なりいろいろな戰争の被害が大きいが、農村、農業方面はそれがあまりなかつた。ゆえに犠牲を拂う経済的余裕を持つているのだ、こういうところから、当然主要食糧に対して支拂うべき代価を支拂わないで、国家が安く公定価格をきめて、そうしてインフレの進行を可及的に引きとめようとした。そして、日本の工業生産品の生産費というものを低い水準に置こうとした。そこに日本国民経済の中の均衡をもたらした一つの政策があると見ておるのであります。ゆえに日本の工業品は、労働者の待遇を悪くして、そうして安い生産費でソーシヤル・ダンピングをやるのだという非難を外国から受けないような形になつておるが、私をして言わしむるならば、実は農民の売るところのそういう主要食糧の値段は、生産費を差引いたものは、これは利潤などというものはほとんどない、農民の労働報酬なのであります。この農民の労働報酬というものを極度に低くしてやつているのですから、つまり工業労働者の生活を低くするかわりに、そのしわを農民の方に押して行つたのです。ですから、そこまで立ち入つて考えれば、やはり一種のソーシヤル・ダンピングなのです。農民の犠牲において工業生産品の値段を安くしている。そうすると、それが日本国民経済を伸ばして行く上において、絶対的に必要なものであるとするならば、この農民の犠牲をカバーするだけの措置が必要なのじやないか。すなわち、安いなら安いで、もつと増産できるようにいろいろとその方面資金を融通するとか、いわゆる農業の振興あるいは農業保護についてのほかの方面の費目を十分に潤沢に計上するならば、一方生産物の値段は安いけれども、こつちで利益を得ておるから満足できる、こういうこともあると思うのでありますが、その点の措置が十分でないと、これは無理である。そういう状態のもとにおいては生産は萎縮する。人口はだんだんふえる。国内の食糧の増産は最も望ましいが、これが行われないと不足がだんだんふえる。一九六〇年になると四千万石くらいのものを入れなければなるまい。そのためには今の相場でも七億ドルくらいの外貨を年々拂わなければならない。こうなつて来ますと、工業品の輸出がどんなに伸びるか知りませんけれども、売上げ代金のかなりの部分を輸入食糧の代価として支拂う。それで一体日本輸出工業が完全に伸び得るかどうかという問題なのです。そこでやはりこの農業と工業の間のつり合いの問題、一つの産業にばかり犠牲を拂わせる。これも一時はやむを得ないと私は思うが、しかしながらそれを永久化して、農業階層のみの犠牲において工業を盛り立てて行こうという考えは、はなはだ不健全であるし、工業の発展自体が、食糧を買うために外国から原料が買いにくいという状態になつて、阻止されるのではないかと考えるのです。そこで、この米穀の統制を撤廃するとか撤廃しないとかいう問題は、ひとり消費者の日常の生活費が高くなるとか、農民の手取りが多くなる少くなるというだけの問題じやなく、これからの日本国民経済の発展をどういう物価水準において伸ばして行くか、それから農業、商工業の間の所得のどういう流通分配において日本の将来の国民経済を伸ばして行くか、この大きな見通しと関連しておる問題なのであります。私はその大きな見通しのもとに、もし今日の統制をこのまま続けるとするならば、さらに土地改良なりその他いろいろな面において、この農業に対して国家は積極的に奨励の措置をとり、そうして国内の生産がもつと増強されるようにやらなければいかぬ、こういう結論を実は持つておるのであります。ですから、米穀統制の問題は、見ようによつては、日本の将来の国民経済の発展を左右するくらいの大きな問題であると私は考えておるのであります。原則としてはたいへんけつこうであるけれども、この原則を実行するのには、非常に慎重な注意を必要とする、これが私の結論であります。  どうもたいへん長くなりまして恐縮でございました。
  24. 小坂善太郎

    小坂委員長 御質問が多いと思うのでありますが、今申し上げましたように、土屋清君が午後は御都合がつかぬそうでありますから、那須教授にお残りをいただいて、午後質疑を受けていただくようにお願いしたわけであります。  では次に、朝日新聞論説委員土屋清君にお願いいたします。
  25. 土屋清

    土屋公述人 補正予算の検討に入る前に、ごく簡單に、講和を控えた日本経済の今後の見通しに触れたいと思います。  今後の日本経済は、楽観論と悲観論が非常に対立しておりまして、必ずしも一致した見解には到達しておりませんけれども、私は、どちらかというと悲観的な要素の方が強いと思います。すなわち第一には財政負担の増大という問題がございます。第二には経済自立の可能性、特に、東南アジア、あるいは日米経済協力という形においてどこまで国際收支のバランスができるか、あるいはドル不足の問題が解決できるかという問題などでございます。第三には、インフレを抑制しながら資本蓄積を達成するという困難な課題がはたして果せるかどうか。特に電力、鉄鋼、石炭、造船、鉄道というような基礎産業においては、多くの固定投資を必要とするのでありまして、これによつて十分なる資本蓄積が可能なりやいなや、下手をすればインフレになる危險を多分にはらんでおるという問題がございます。最後には人口の重圧が経済に及ぼす影響でありまして、今後十年間に千三百万人人口がふえる。これは單に物資の需要を伴うものではなく、多くのエンプロイメント、就業を必要とする、この解決が経済に対して相当な圧迫になつて現われるおそれがあるのであります。詳しいことは申し上げられませんが、こういう問題をはらんでいるとするならば、今後の経済の運営においても、あるいは財政の運営においても、よほどの覚悟を持つて当らなければならぬのじやないか。ところが不幸にして、政府の方は、非常に事態を楽観的に考えているように見える。本心はどうか知りませんが、政府は非常に楽観的で、国民の方が悲観的である。これが逆に、国民が楽観的で、政府が悲観的であれば、政策がそこから出て来ると思いますけれども、政府がしいて楽観を裝つており、国民の方がどうなるのかという顔つきでおる。この常態では、なかなか今後の経済の運営がむずかしいのじやないかと思います。それとともに、こういう大きな課題を控えているとすれば、経済に対してどうしても計画的な運営ということをもう少し考えて行く必要がある。これは何も必ずしも価格統制をやれとか、配給統制をやれとか、そういう問題ではございません。どの自由経済の国家においても、経済計画的に運営するための方策を相当講じておるのでありまして、日本のような野放しの自由経済をやつている国はない。ところが経済の運営、財政運用におきまして、日本においては野放しの自由経済の形が強い。これでは今後の重大な課題を達成して行く上において多くの障害が出るのではないかと思うのであります。  補正予算につきましては、私は四つのことを申し上げたいと思います。第一に減税の可否ということでありまして、御承知のように今度の補正予算においては、四百五億円の減税、これは来年度において八百億円くらいの減税になるということであります。     〔委員長退席、橘委員長代理着席〕 当初池田蔵相がサンフランシスコに行く前に、一応閣議に諮つた補正予算の原案によりますと、わずかに歳出が四百五十六億円、それから歳入が八百億円程度でありまして、非常に歳入の余裕が乏しかつたわけであります。減税するとしても、辛うじて減税ができるという程度でありました。そういう歳入状態のもとにおいて減税を行つた場合においては、来年度において講和に伴う歳出が増大した場合に、再び増税をしなければならなくなり、非常な無理が起る。従つて減税はできないのではないかというふうに考えておりました。ところが今度実際補正予算が決定してみますと、千七百億円の自然増收であるということになりまして、まことに驚くばかりの自然増收であります。これだけの自然増收がありますれば、私は四百億円くらいの減税はしてもさしつかえない。ドツジ氏は来朝早々、減税に対して批判的な意見を漏らしておりますが、千七百億円の自然増收というものがもしも事実であり、また来年度においても同じ程度の経済の基調が維持できる、そういう前提をとれば、この程度の減税はしてさしつかえないと思います。それは何と申しましても、今日の低額所得者特に勤労所得者の課税負担というものが非常に重い。月一万円の收入をとつておる人々が税金を拂つておるというような状態でありまして、非常に課税負担が重い。従つて最低限度の所得税減税をはかるということは、どうしても必要であります。また電力あるいは鉄道運賃、ガス、郵便料金その他の基礎価格というものが上昇傾向にありますので、ここで減税をいたしませんと、実際上増税されたと同じような結果になるわけであります。その意味におきまして、最低限度の減税というものは当然すべきだと考えられる。但しこの場合には、今申しましたように、来年度講和関係費用というものを、ある程度まかない得るという目算が立たなければだめでありまして、その意味におきまして、蔵相が来年度予算規模を今年度程度にいたしたい、これはつまり講和関係予算は千五百億円あるいは二千億円程度にとどめるという意味だと思いますが、ぜひそれだけは、減税する以上はしつかり実現をしていただきたい。それでなければ、蔵相の減税というものは相当無理だということになつて参ります。従つて一応これだけの自然増收を前提にする以上は、今年の減税に次いで来年の減税ということもけつこうだと思うのでありますが、今後において、増税の必要が出ないとは決して私は言えないと思う。その場合において、今から政策を練つておく必要があると思うのであります。今後税收を確保する場合には、先ほど千金良さんも少し触れられましたが、間接税の増徴という方向に向うべきだと思います。間接税は、財政学の理論からすれば、大衆課税になつていけないというのが、今までの定説でありましたが、今日のように、所得の差が戰前に比べで非常に減少しておる、そういう状態のもとにおいては、その不公平感というものは、かなり減つて来ておるわけであります。国民に苦痛を与えないで税收を確保するいうことになれば、ヨーロツパ大陸の例を見ましても、間接税主義に重点を置くということが当然の傾向だと考えられる。従つて、それについてもあらかじめ準備されることを希望いたしたいのであります。  第二は財政投資の問題であります。自然増收が千七百億円ございまして、四百億円の減税をいたしましたが、それから後に残るものを一体何に使うかという問題になりますと、財政投資ということが、先ほど申しましたように、日本の基礎産業その他が非常に消耗いたしておりまして、合理化あるいは近代化の必要に直面しておるときには、財政投資ということを一番先に考えなければならないことだと思います。今度の予算におきましても、六百十億円の財政投資というものが計上されております。このほかに国際通貨基金への出資を加えると、八百億円になるわけであります。但しこの財政投資のうちには、あるいは出資も含めての話でありますが、相当リザーヴ的なあるいは不急不要と見られる部分が少くない。つまり外為会計に対する出資三百億円、食管会計に対する出資百億円、それから国際通貨基金の二百億円を加えますと、純粋の財政投資もしくは出資というものは、わずかに残りの二百十億円しかないのであります。これでは財政投資が全部で六百億あるいは八百億といいながら、実際はほんとう産業界に対して、当面の必要を満たすというには、私はとうてい足らないと思うのであります。先ほどもインヴエントリー・フアイナンスの問題が出ましたが、これは何回も議論いたしましたので詳しいことは省きますけれども、私はインヴエントリー・フアイナンスというものは、これ以上さらにつけ加えるべきものではないと思います。これは必要があれば日本銀行の貨出しでやつてよろしいものである。それが一時的に多少インフレ効果を伴いましても、ある時間的な経過をたどつてみれば、結局そのインフレ効果は消滅するのでありまして、それを三月とか年度末とかいうように年度を区切りまして、そのこまかいわくの中で考えますから、インフレになるような錯覚が現われるのであります。経済というものは自然の流れであつて、人間がかつてに三月とか四月とか時間を区切るだけの話でありまして、かりに日銀貸出しによつて食管会計なり、外為会計資金需要をまかないましても、それはやがてそれ自体として收縮すべき関係に置かれるのであります。別にそれに伴うインフレ効果を過大に考える必要はない。少くとも食管会計、あるいは外為会計への出資というものは、本格的な財政投資に向けるのが至当と思うのであります。その意味におきまして、最近電源開発の問題が非常にやかましくなつて参りまして、政府でもそれについて何らかの機関をつくるような御意見があるように聞いておりますが、ぜひともこれは本年度内において、財政投資によつてスタートすることが大事だと思います。それだけの余裕は、こういう財政出資のむだをのければ十分あるのでありまして、前途に横たわつておる日本経済合理化あるいは近代化の点から見ますれば、ぜひとも今年度においてそういう財政投資をもつて、そういう大規模な電源開発の事業をスタートせしめていただきたいと思うのであります。  第三は資本蓄積の問題であります。財政投資を行うことが必要なのはもちろんといたしまして、企業の自己資本蓄積ということは、今後ますます充実して行かなければいけないのであります。大体日本企業金融機関に依存し過ぎるということが、いろいろの企業の弊害の一つだと思われる。その場合に法人税税率を三五%から四二%に引上げるという案については、もう少し慎重に考える必要がありはしないかと思います。これはなるほどことしのように異常な收益に恵まれている場合には、七%程度の増徴ということは大した影響がないように思います。しかし現に今電力不足ということが相当激化しておりまして、下半期の経済界の状況というものは、私は予想以上に悪くなると思います。来年度以降においても、電力問題は解決しても、しかしはたして朝鮮動乱以来のばかばかしい景気というものが、いつまで続くかということについては、非常に疑問が感ぜられるのでありまして、その場合に三五%を四二%に引上げるということは、企業に対して自己資本蓄積の意欲を喪失せしめるおそれがありはしないか。三五%に下げたということは、法人税としては安いと思うのでありますけれども、その結果としてようやく正当な利益計上というものがなされまして、こういう法人税自然増收の八百五十五億円を今度のこの補正予算で計上するというようなそういう事態が起つたのであります。これをまた引上げるということになると、心理的にも経済界の非常な悪化と相まちまして、また再び利益を隠蔽するというような方向に行く懸念がある。これはもちろん企業が悪いのでありまして、そういうことをすべきじやないのでありますけれども、りくつだけでは動かない。どうしてもその点においてそういうマイナスの効果を生ぜしめるようなことを、今経済界の状況がこれほどよくはならないだろうという事態が考えられるときに行うことは、慎重にすべきじやないかと思われる。むしろ企業が濫費を抑制して資本蓄積を行わせしめるということのために、政府が何らかの手を打つ必要があるとするならば、これは税法上の特典をむしろ企業に与えた方がよろしい。今度も減価償却、重要産業の特別の設備の更新については、税法上の特典を考えられているようでありますが、さらにたとえば利益金をもつて試験研究を行う、あるいは中間工業化を行うというような場合には、それに対して経費あるいは損金とみなすというような思い切つた措置を講ずる方が、私はかえつて全体としては効果があると思います。こういうような措置は、イギリスなどでも実施しているところでありまして、日本でも今後研究して行く必要がある。つまり利益でもつて企業のためになるようなことをするときには、税金をかけないということにすれば、企業でも濫費を抑制して、自然に自己資本蓄積に当るような方向に行くと思う。ぜひともそういう方向でもつて企業資本蓄積を奨励するということにすべきではないかと思うのであります。この資本蓄積については、資金蓄積をはかると同時に、資金の配分、つまりその用途についての方向づけということが重要であります。先ほども邦須さんからいろいろお話がありましたが、現在では資金を自主的に規制するという段階——大蔵当局もおそらくそうだろうと思います。これは私は今の段階ではこれでやるよりしかたがない、つまり金融だけ飛び離れて強度の質的な規制を行うことは適当でありませんから、現在では自主的規制でけつこうだと思います。しかし自主的規制をやるにしても、やはりその根本には政府が一つの経済の持つて行く方向についての計画を持たなければならないのでありまして、その計画がなくて、銀行に自主的な規制をしろといつても、資金を一体どこに向けたらいいのか、非常に不明確なのであります。一切の資金融資をとめて、石炭、電力、鉄鋼に向けるといえば簡單でありますが、それだけでは済まない。石炭、電力、鉄鋼、その内部間において、どういう配分をするのかということが、また問題になつて来るのであります。朝鮮動乱以来の動きを見ておりますと、たとえば鉄鋼を四百五十万トン、鋼材を四百五十万トンというような非常な増産をはかつた場合に、そのために必要となる石炭の増産については、別に配慮がとられていないというようなちぐはぐな現象が出ておる。質的統制を自主的にやらせるならば、政府がまず計画的に、どういう方向に、重要産業、基礎産業を持つて行くかということについての、しつかりした方針を示すことが急務である。当然それはある程度の物資に関する統制も伴つて来るということになるだろうと思う。それでなければこの蓄積された資本というものが有効には利用されない。この点においてもう少し計画的に考えて行くことが大事だと思うのであります。  第四は物価対策でありまして、蔵相は過日の財政演説におきまして、経済の安定、能率、発展ということを申されました。たいへんけつこうだと思うのでありますけれども、その安定ということになりますと、まずやはり物価の安定が前提である。インフレをひどくするということでは、とうてい経済の発展も財政の運営も期待できない。その安定のための物価対策というものが、どれだけ一体予算的にあるいは財政上考慮されているかということについて、私は非常に疑うのであります。ただいま那須先生から米の統制撤廃についての御意見がありました。私もまつたく同感でありまして、今日十分なる準備をなすことなく、かも国際情勢の微妙なところを見のがしまして、卒然として米の統制撤廃を行うということをすれば、おそらく米価は目先上らざるを得ない。それが賃金にはね返り、企業の生産コストにはね返つて、結局それが大きなインフレの糸口になる懸念が十分ある。たとえど古い話になりますが、終戰直後に生鮮食料品の統制撤廃を行つたことがあります。これは卒然として行つた。その当時も反対論がずいぶんありましたが、やはり今度の米穀統制とこまかい点は違いますが、大体同じような理論で行つたのであります。その結果は猛烈な終戰直後のインフレを激成し、遂に預金の凍結という非常措置を講じなければならないようなことになつた、われわれはこの経験を忘れてはいけない。今ここでもつて卒然として米の統制撤廃を行うというようなことは、蔵相の言う安定ということについての考え方と矛盾しているのではないかと思われる。またこの物価の安定ということになりますと、特に重工業関係の価格においては、鉄鋼価格の高いことが非常な問題であります。これは御承知のように中共からの輸入を米国に切りかえた、そのための運賃負担の増大ということが重要な要素になつている。もちろんそればかりではございませんけれども、それが主要な原因であります。これは日本側の責任でもない。国際情勢の変化のために、たまたま鉄鋼の原料が上らざるを得なくなつたのでありまして、これに対して補給金を出すということは当然だと思います。補給金の出し方が、船賃に対する補給金であるのか、あるいは輸出用の鋼材、あるいは造船用の鋼材に対する補給金であるならば、出し方について検討を要すると思います。金額は別にそれほど多くを要しない。しかもこういう国際情勢の変化によつて、鉄鋼価格に生じた異変というものを解消し得るとするならば、大局的に考えまして、鉄鋼補給金を出すということが当然予算上考慮さるべきある。それが物価の安定あるいは鉄鋼価格あるいは重工業製品の高いのを是正する重要な方策であると思うのであります。また今日物価高の有力な原因となつておりますのは、電力不足ということであります。電力問題が生産コストの増強を非常に招いている。この問題の解決にしても、これは電力面からいろいろな方法がございますが、結局最後は石炭にはね返つて来る。この際どうしても石炭を百万トン、重油を三十万キロリツトルくらいは輸入で確保しなければいけない。その輸入というものは緊急になしておかないと、今後の石炭事情、あるいは電力事情がもつと行き詰まつた場合において、あわてても間に合わない、相当重大な事態が起るのではないかと思われる。そのために予算的に早く手を打ちまして、必要とあれば政府の責任においてでも、そういう物資を確保するということをなすべきだと思うのであります。またこの春以来の日本の猛烈な物価騰貴、これは海外物価の二割騰貴に対して、日本は五割上つたのでありますが、その一つの大きな原因というのは、昨年の秋において原料輸入が非常に不振だつたということであります。そのころ民間——われわれもそうでありますが、もつと外貨を使つて原料を輸入しなければいけないと言つたのに、そのときは大蔵当局もそれほど熱心ではないので、結局この春になりまして、物価の先高、原料薄ということから、先高の予想を生ぜしめて、それが思惑を刺激して、一挙に物価の騰貴を招いたのであります。そればかりが原因じやありませんけれども、これは政府の原料政策の失敗ということによるところが多いと私は思うのであります。あわてて一月から三月に九億ドルも——昨年の一年分くらい輸入しようとあせつたために、今度は逆また一部価格の暴落を来すというような非常に大きな波を起さしておる。今日においてはあつものに懲りてなますを吹くと申しますか、原料輸入がとかく遅れがちであります。必ずしも全部の物資についてそうではありませんが、やはり相当長期的に見て、日本の今の原料輸入では困る場合があるのでは、ないか、再びかつてのインフレ的な物価騰貴を起す懸念がなきにしもあらずだと思うのであります。しかも民間輸入業者は、この春の痛手でもつて輸入力を持たない、信用力が伴わない、銀行もまた金を出さないということで、外貨予算を計上いたしまして、実に今期のごときは七億ドルも計上しておりますが、計上してもそれがなかなか実行に移されないという状態である。その場合に、ただこれをぼんやりと見送つておるということではやはりいけない。これはどうしても備蓄的な意味におきましても、私は政府が輸入を確保するという措置をとらなければいけない。那須先生は米の備蓄ということを言われておりましたが、それと同じような意味において、今重要原料の備蓄ということが、非常に不安定な日本経済においてぜひ必要な、ぜひやるべきことだと思うのであります。その場合起る非難は、政府そういう仕事をすれば非常に非能率的であるというのでありますが、しかし民間商社の輸入というものがいかに非能率であつたかということは、この春以来の事態で立証済みなのです。特に政府はそれ以上非能率であるとも私は考えない。政府の特別会計の中に重要物資の輸入をはかる資金が、たしか二十五億円以上本年度予算に計上されておりますが、こういう資金をもつと増しまして、政府の重点的な観点から必要物資を確保するという措置をとつておくこことが、物価勝貴の抑制という点から見て必要だと私は思うのであります。  要するに、物価対策について計画的な運営がちつとも考慮されていない。特に野放図の米の統制撤廃によつて物価騰貴を招くような危険すら感ぜしめていることは、非常に遺憾だと思うのであります。この点について予算的にも考えていただかなければならないと思うのであります。これで終ります。
  26. 橘直治

    ○橘委員長代理 午前の会議はこの程度にとどめまして、午後一時より委員会を再開して、公述人各位の御意見を聽取することといたします。  これにて暫時休懇いたします。     午後零時三十四分休憩      ————◇—————     午後一時十二分開議
  27. 橘直治

    ○橘委員長代理 休憩前に引続き会議を開きます。  公述人より意見聽取を継続いたします。まず経済団体連合会理事日本化薬社長原安三郎氏に御意見の発表を願います
  28. 原安三郎

    ○原公述人 今回の補正予算を拝見いたしましたが、どうもこれは本年度に限つて予算がまだできておりませんので、十分の意見を述べられない点もあるわけであります。ドツジさんが昨日からお見えになりましたから、いよいよ本予算にかかると思われますが、それを含んだ予算ができておるようであります。しかし私は予算の全般について政治的の観点から論ずることになりますると、時間は二十分ではとても問題にならぬ、二時間かあるいはもつとかかるかもしれませんが、とりあえず私どもの関係をしておる経済上の面から見たこの補正予算に対する考えを述べてみたいとこう考えております。  まず今回の補正予算は、税並びにすべての收入四千四百四十五億円という予算に対して、千五百六十八億円、これだけ増收があつたというのでありますが、これはわれわれ会社を経営しております点からいうと、予算が三割ほど違う。これがもし赤字が三割だつたら一体どうなるかということであります。本予算をつくられたときは昨年の秋の末であつたと思われますが、朝鮮動乱は六月二十五日でありましたから、いくらか経済界の変動は考えられておりましたが、割合にこの点が織り込まれていなかつたことがこういう差が生じたのであろう、こう考えるわけでありますが、予算というものは、われわれの個人経済でも同じことで、増收などがありますと、むやみにこれをすぐに使いたいという傾向を持つております。こんな点について、ぜひ政府はもちろんのこと、国会においても十分御審議つて、この使い道を十分査定し、そうして有効適切に使われるようにお願いをいたしたいと思うのが、全般的のお願いであるわけでございます。  そのうち私申し上げたいのは、歳出の方で補正予算に盛られている点を自分たち関係しておりまする仕事の面から申し上げてみたい、こう考えるわけであります。そこで、平和回復善後処理費として百億円を予想されております。これに対する簡單な御説明がございましたが、これは順次に批准でもされ、また批准書の交換が終り、同時にまた進んでいよいよ各国との議定書がこまかく規定されることになりますと、それによつていろいろな実行的な面が現われて参りますから、事前にこの予算がとられていなければならぬということは想像のつくことで、適当な処置だと思われますが、さてこの百億円が、この際すなわち三月までに使い切れますかどうか。余つた金は簡單に余裕をつけておくという傾向を持つことは事実ですから、こんな点についてこまかい見通しを持つてつける数字ではありますけれども、国会でよくお見通しを願つて、有効適切に、余つたのじやない、いわゆる当然とれるものをとつた、やはり国民の膏血でありますから、十分御査定を願つて使い拂いを願いたい、こう思うわけであります。こんな点はほとんど見通しのつかぬ数字であろうと私は考えますから、特にこの点で御注意を拂つていただくことが少くとも必要であると思うのであります。予算決定の際はなおさら大切であろうと思うわけであります。  それからこの中で主として私たちが考えておりまする問題は、開発銀行に対して七十億円を今期出された問題です。実は開発銀行は、この補正予算書に現われておりますように、九月末までに三十六億円ぐらいしかまだ貸しておりません。あれは申込みが非常にたくさんありまして、来年の三月末までに二百五十億円も貸出しを予定しておるわけであります。それに対してすで政府の決定しておりますものは、復金から返つて来るもの、この十一月から復金の事務を引継ぎますから、それが八十億円、今度は七十億円、前のと合せて百五十億円であります。そうするとここに百億円の不足が出る。これはぜひ今度の予算でとつてほしかつたと私は思う。予算が少いからどうも貸出しができないということは始終言われることでありますが、そういうことから、すでに計画を立てている方も、固定資産の方の建設を遠慮しておるという傾向が多々ありますわけで、どうかその点でもう百億円ぐらいふやしてもらいたい。そうするとちようど開発銀行の二百五十億円の、本年度末までの貸出しに対する見通し予算に合うわけであります。しかしわれわれ業界の面からいえば、それでははなはだ感心しないので、実はこの際将来の日本の発展のためには、各業種別に割りますと、少くとも五百億円はこの面から貸出しをしてもらわなければならぬと思つております。これはインフレを起すといわれておりまするが、私の解釈ではインフレを起していない、いわゆる復興金融金庫では二箇年間に七百億円を貸し出したわけであります。これを開発銀行がわずかに本年度の最後までに二百五十億円を見ているということは少い。その二百五十億円を貸し出すということに対して、現在今度の七十億円を補正予算に入れて百五十億円、こういうことになつておりますから、この面ではもつと開発銀行にまわしていただくような処置が望ましい、こんなふうに思つております。これを政府側のいろいろな方面からの推算によりますと、本年産業関係には三百十五億円になつておりますが、そのうちいわゆる開発銀行に対しては七十億円で、輸出銀行に対しては二十億円、その他国民金融公庫三十億円、農林漁業に対しては六十億円、これはそれぞれの面から必要な数字が盛られておると思つておりますが、特に私は自分の取扱つておりまする仕事の面から、市中銀行現状並びに元の固定資産あるいは建設資金などに金融が向けられた興銀または勧銀がなくなつた現在において、ぜひともこの開発銀行の活動が望ましいわけなのであります。これはあとで申し上げますが、日本の自己資本、いわゆる資本蓄積というものが、各社あるいは経営企業体はもちろんのこと、個人にも、税金の圧迫その他の面から、なかなか現われない。これは銀行預金が非常に少いということから、どうしても政府資金によつてこの目標を達成しなければならぬものだ、こう考えておるわけなのであります。私は特に今度の政府措置のうちで、平和回復に伴う善後処理費の百億円に対する御査定と、それから開発銀行に対する七十億円をもうあと百億円だけ御準備を願つて、これによつて少くとも開発銀行の目的を達成したい。もしこれがもつと多く出していただける余地があれば、業界は多々ますます弁じて、有効また適切な仕事にとりかかれるわけなのであります。現在は重点産業として電力、船舶、鉄鋼、石炭、大体そういうものに重きを置かれておる。この四種類以外の固定資産の擴張あるいは最も大切な仕事の進展ができないということに相なつておりますものを、この開発銀行でまかなつてもらうというまた希望と楽しみを持つておりますので、この面において特に皆様の御配慮が願いたいというふうに考えております。私から希望を述べますとはなはだ恐縮でありますが、ただこの数字を見まして、その点で政府の配慮をより多く願いたい、かように考えております。  歳出の面において特に気のつきましたのはそんな程度でございますが、歳入の線で今度の予算に私たち立場から申し上げたいことがあるわけなのです。それは法人税の問題です。これはさつきお話したように、予算の非常に超過した数字、法人税はごらんの通り八百五十五億円の予算超過、すなわち増收と相なつたわけなのですが、この場合に、大体法人税の数字の大きかつたのに対して、また今度の法人税の増徴、すなわち三五%課税率を今度は四二%、二割増されたわけなのであります。この問題はわれわれふしぎに考えておるわけなのであります。一体日本の産業は、終戰後に復興金融金庫または開発銀行をつくることになつた、途中は見返り資金にかわりました、これなどもみな不十分なのです。破壊された後に復興するという以外に、日本に大きな経済上の発展を望み、またこの日本の将来の基礎は、経済上の発展のみにおいて初めてわれわれが世界の仲間入りができるのじやないか。一たび平和條約調印ができて、各国の議定書ができましても、輸出をするとしても国内物資がいいものがふんだんにできるのでなければ、この目的が達成できないのであります。そういう際に、不完全な設備がこの五年間続けられておつたわけです。これは皆様ごらんになつてもわかりますが、朝鮮の動乱のために、今年の一月、二月は非常な好景気という形を来しておりました。これは戰前の日本昭和十二年以前の日本、あの当時の日本はこんな状態ではなかつた。少くともこの昭和十三、四年ごろが、日本全体の生産高、各品種の生産高のふえた時代でありましたが、あのころにおいては、あれだけの注文を受けたくらいでは手持ち商品が少くなつて物価の暴騰、価格の値上りなどは起きて参りませんでした。その値上りのごときも原価の三倍、五倍というはなはだしい値上りは来しておりません。これは日本のふところが狭くなつたので、すなわちいつも工場、倉庫には原料の手持ちもない、製品の手持ちもない。そういうやり方でありますから、突然の注文を受けると、かくのごとき暴騰を来すわけであります。今度またあの方面の需要が非常に減つたということになりますと、もう三、四月、五、六月ごろから——この特需物資需要が続くもの、こう考えておりましたから、やはり生産を続けておると、朝鮮方面の需要が、戰況、事態の変化によつてさほど十一月、十二月ほどいらなくなり、一、二月ほど需要がなくなりました。その瞬間から、あの状態の、あの機構で生産を続けて行きますと、すぐ品物が余つてしまう。今度はなけなしの倉庫に納まりきれないで、仮置場に置くというような状態で、倉庫は満腹であるという状態である。これはどういうことかというと、これはすなわち日本のふところが小さくなつたからである。昔であれば朝鮮の需要に対してわれわれの生産品が向うと同時に、東南アジアといわず、中国といわず、いろいろの方面に同一品種のもの——純戰時品はそうありませんが、しかしながら一般に向けられる物資の方は、その方面の需要とにらみ合せて参りますから、平常多数生産しておりましても、いざ戰争用の需要が減りましても、さほど物の多過ざるということはありません。でありますが、この四、五月の状態は需要が非常に減ると同時に、生産機構を急に縮めなければ、品物の過多、資金の不足、一方にはいつまでたつて資本蓄積が行われませんし、また金融業者はオーバー・ローンによらなければ貸出しはできませんから、これを規制します。そういう関係で非常なきゆうくつがあります。またあの時代の値段の下り方のごときは——国際物資で買いそこなつて、下つたものもありますが、それ以外に内地製品で原価の五、六倍になつたものが、すぐ原価以下に下るというような乱暴なことはありません。これはこういう交通機関が完全で、そうして世界的交流があるといつた時代には考えられないような物価の上り下りで、これは安定してないということであります。これは今の日本経済機構が非常に小さくなつて、元は少くとも海であり、大海に近いものであつたが、最近ではたらいか、あるいは水たまり経済をやつているわけであります。でありますから、特需の激増とともに、すぐに手持ちの商品が少くなつて、値が暴騰します。少し需要が減りますと、前の機構でやつて参りますと品物が余つて暴落する。そういう状態になつておりますから、どうしても資本蓄積ということを思い切つてやる。すなわちそういう点から考えますと、日本で明治維新以後一番大きな仕事をしたのは、いわゆる株式組織による資本集積、この資本の集積あるによつて初めて日本が五百年の列国からの経済上の手遅れ、不利をとりもどして、りつぱな経済国家となり、そうしてこれは残念なことでありましたけれども、この数年間の驚くべき戰争を続けて参つた。この戰争を続けたことはマイナスでありましたけれども、あの蓄積日本経済組織、特に株式組織といものがあつたためだといつて私はさしつかえないと思う。この株式組織は東洋その他の国においては盛んでないし、また東南アジア方面においても盛んでない。これは経営者が非常に良心的に、いわゆる喜良な管理をし、異常な注意をもつて自分のものとしないで、りつぱにこれをやり、株式を尊重し、投資を尊重するという精神であつたからであります。このことは日本が教えられずして数十年間行つて来た美事でありますが、今後これによつて日本は復興して行き、発展して行かなければならないとわれわれは考えます。  この以外に法人税の増徴によつて、法人をいじめる、いじめるというと語弊がありますが、それが一番とりいいから、これから一番税金を集められるという考え方は、日本の一番いい組織である資本集積による大事業の組織の前途をはなはだ暗からしめるゆえんではないかと考えます。二、三年前から株式の民主化、あるいは資本の散布、もつとも財閥の解体によつて、ほとんど財閥の持つておつたものは従業員その他にわけられました。この形は非常にけつこうであります。八千万の国民が何種類かの株式を持つて事業を楽しむ、それはけつこうでありますけれども、税金においてマイナスの形を示すというのは、はなはだよろしくないと私は考える。前に法人に対して超過所得税というものがございまして、これは廃止されましたが、今度は三五%が四二%になる、これは軽いものではないと思つております。ドイツのごときは、終戰後最近まで純益の五〇%はまずこれを蓄積して、その残りに対して税金をかけておる。そういうやり方をこの復興のためには考ており、またこれが占領地である西ドイツでは、日本と同じアメリカ関係の指揮下におりながら認められておるわけであります。日本ではだれがこれをそうしなかつたか。そのりくつ、根本は遡及いたしませんけれども、少くとも現在は、税金は法人からとれというような傾向をとつております。私は法人と個人は区別のないものだと思います。最近商法の考え方も、いわゆる英国主義で、法人は個人の集積なりとという考え方から、所得税を量定しますときには、配当に対する金額には二割五分だけ控除します。これはすなわち法人は個人の集積だ。ドイツ主義、あるいは大陸主義、あるいは米国主義によりますと、法人と個人は別ものだ。別に税金をかけておる。別のものとして活動しておる。こういう見方でありますが、私は少くとも法人は個人の集積であり、私たちの仕事は、全部株主を基礎とするのだ、こういう考え方でありまして、商法の案は今そういう形になつて税金はもどされておりますが、一方そういう考え方があるにかかわらず、法人税が四二%となりまして、七%の増徴は非常に大きな問題ではないかと思います。それはなぜかといいますと、現在の税制においても、まず一応一割以上の配当をしておりまする会社は、この三五%のほかに例の地方税がございます。事業税または市町村税を累加しますと、五二・二%くらいになります。これに対して役員の賞与、これは当然役員には賞与を与えなければなりません。一番大事な株主の配当、これはみな社外に出ます。これを累積いたしますと、どうしても七二%に相なります。今度これがもう一段とふえますと、今度は八〇%幾らになるわけです。そうなりますと、百万円もうけますと、現在で二十八万円だけが手元に残つておる。それだけ蓄積されておる。ドイツでは今までこれが五十万円ほど手元に残つておつた。こういうことでありましたわけですが、そのことから考えまして、われわれは一番いい税金であり、また一番楽にとれるからといつて、この面にしわを寄せることは、株式組織による資本の集積をますます盛んにしようと思つておりまする自分たちには、たいへん大きな障害で、株式組織の妙用、株式組織の真の価値ということを認識しない考え方ではなかろうかと考えております。この点について、どうか従来の三五%にプラス七%、四二%の問題は、ぜひ前率あるいはそれ以下にできればけつこうでありますが、そういうふうに、今申し上げたような株式組織による大事業の育成、そうして大産業を日本に興さしめる、株主の尊重、株式の民主化、そういう面から取上げていただきたいと思うのです。これはまだほかにこの問題についていろいろ考慮すべきことがあります。たまたまさつき千金良公述人お話のしまいの方を伺いましたが、千金良氏はこれに対して消極的の意見を持つておりましたから、これについて説明したいのは、千金良氏は卸物資並びに有価証券に対しては一割の積立金準備金を認めて、それに対して控除を救済的にやろうじやないかというような御説明もあり、その他の措置によつて株式会社が保護されるというふうに言われておりましたが、今度の税制改革の中で、あの卸物資並びに有価証券の九〇%の評価を認めて、一〇%を積立金にする問題は、少しもふしぎじやない。これは昔から大蔵省が大蔵省措置で各税務署に認めさせておつた問題であり、私はむしろこのころのように物価が、さつき申し上げたように変動がはなはだしく、原価の何倍にもなつたり、またそれが一度にどかつと下つてマイナスになつたりなどするときに、一割なんて大した問題じやない、少くとも二割だけの措置をする。これは日本ではどうしてこうなつておるか。日本は世界と実質的な交流がなかつた。為替は海外との交流もできておりますし、世界の物価がこれに反映しなければならぬのですけれども、まだそういう面にはいろいろなバリケードがあつた。今度通商協定ができまして、四十八箇国との話合いがつきましてこの議定書の中に、今度はいよいよ支拂いに関するこまかい協定なんかもできましたから、ますますこの点についての障壁はなくなると思いますが、現状においてはそうである。でありますから、暫定的に考えますと、あの卸物資の本質を認める準備金は、いわゆる物の値、すなわち帳面価格の二割下げてもいい。あれがありますと、法人税の引上げに対する救済になり、マイナスにはならない。ことに法人税は八百五十五億からの増徴ができたにかかわらず、その方面ちようど裏合せになる開発銀行のごときは、出資があまりにちびちびしていはしないか。これは甲の県で集積された銀行預金は、必ず甲の県で使わなくちやならぬという考え方ではありませんが、やはり政府の面において、鶏を育成して卵を得ようとするその鶏を育成する意味において、開発銀行資金をまわすがごときは、法人税増徴で裏づけできることではなかろうか、こういうふうに考えております。  それからもう一つここで法人税を四二%に七%上げたことと連関して、政府がやり落している問題があります。それは何かと申しますと、さつき申し上げました所得税を申告するときに、二割五分だけ配当金のものを控除することになつておる。あれは三五%のとき、株主に対して株主を代行して会社からとれたのだから、その意味において株主個人に二五%返すということが建前なのです。今度これを四二%にしましたら、あの二五%をここで三〇%——はつきりした計算では約三〇%になりますが、あるいは三二%、あれを引上げなければならぬ。つまり控除額を引上げなければならぬ。あそこは計算的にぽかつと落しておる問題です。この点はどうぞ御注意を願わないと、たいへん大きな数字になります。これに連関してちよつと小さな問題で、しかも一番神経を悩ましておる問題は、例の讓渡税の問題であります。これを述べますと非常に長くなりますから申し上げませんが、この讓渡税と並行して、あの申告のときに配当金に対する二五%は、株式を持つ人に対して非常にいい感じを与え、また計算上ばかりでなく、実際上かくあるべきものです。いわゆる会社と株主は連関しておるものだ、個人と連関性のあるものだということの意味をはつきり現わすものである。その意味で四二%に対しては三〇%の控除を認めなければならぬ。それから今度はやはり源泉で二〇%配当の税金をかけておる。あれは最後において税金で二五%を控除するときに、全額金額で問題を考えられることになりますから、これは最近の各株主が自分の名前にしないで、有価証券業者または銀行金融業者の方に持たしめて、税金を免れようと努めていることに対する捕捉方法で、これは公平なやり方で私はけつこうなことだと思います。そうして実害もないと思います。そうして会社と株主の経営の分離でない。すなわち切り離すべからざるものであるという原則の線に沿うておりますから、あれは私はけつこうなことだ、こう思つておりますが、今申し上げました二五%を三〇%ないし三二%にしていただくことは、ぜひ努めていただきたいと思います。  私、今度税收状態を拝見しますと、砂糖消費税だけが予算通りに行つており、ほかのものはみな増收があつたわけなのです。あの点にどうかひとつよく考慮をしていただかぬと、私ども会社経営者のごときは、半年ごとの決算ではありますが、その予算の狂つたということは、非常に責任があることになるわけです。この点は相当お考えを願わないと、もし赤字になつた場合には赤字の責任でありますが、増收なつた場合には、何となく、増收だからいいじやないかという感じで、補正するときに楽に使える。さつき申し上げたことなのですが、そういうことをなからしめるに、嚴格な予算をとつていただきたい。砂糖消費税以外の他の税收がみなふえて、ただ一つ減つているのは富裕税だけであります。富裕税が減つておることについてちよつと申し上げたいと思いますが、富裕税は、シヤウプのつくつた税制のうちで、社会主義的な考え方の入つた——口実上考えられた問題ではなかろうかと私は思う。それは一般税率を五五%まで下げた。それによつて税收が減りますけれども、それよりも多額の收入をする人に五五%の線で免れしめるような感じを抱くことをおそれて、あそこで一応富裕税なるものを置いて、そして多額の收入者に対してバランスをとつた。     〔橘委員長代理退席、委員長着席〕 こんなふうに考えられたのですが、所得税とまるで違う性質のものである。徴税上、課税上非常に困る。税調査のときに、一々家庭または世帶について調査をするときに非常に難儀がある。また調査される方も非常に不愉快である。また富裕税をとるための前提で、富裕税をとる資格を獲得しそうな人たちに対する予備調査というものが非常にこまかい。あれはむしろ税率を上げて、そうして多額の收入のある者は高い税率で税をとることにした方が、徴税上も、感情上の悪いいきさつもございませんし、またその調査がそれじや完全であるかというと、ちよつとも完全じやない、完全でないことを知りながら調査をやつておられて、そしてその上に税收のごときもひどく少いわけなのです。こんな極端な税金を形の上にお置きになるのは、むしろシヤウプの勧告のうちで一番悪いものではあるが、せつかく話があつたのだから置いたというようなようなものでなかろうかという感じがいたします。これなどはぜひ修正されて、むしろ所得税一本でやられた方が、こういう方面における趣旨に合うのではないか。ことにシヤウプさんも、所得税中心に今度の税制を確立されましたうちに、この富裕税だけが存在しておるという、例外のものでありますから、これに対してすぐ納得の行くものではないかというふうに考えられるわけです。われわれに直接関係のある税制に対しては、そんなふうなことを申し上げておきたいと思つております。  それからここで申し上げたいのは、今度の予算のうちで一番心配するのはインフレ問題であります。一体どんな結果が現われますか、これは想定がつきませんが、現在のまず米麦の統制撤廃の問題、これは種々なる方法がよろしければ目的を達するものですから、今何ともここで論議できませんけれども、今すでにここに現われておりますのでは、鉄道運賃はさつそく十一月から二割五分ないし三割の値上げ、これをかりに三割としますと、四百億円の増收があるわけであります。これはさつそく物価にはね返つて来ることは事実です。電力も三〇%幾らかになつておりますが、これまた早晩引上げて行かなければいけないという状態に立ち至つております。郵便のごときは、引上げの率は、最もはなはだしいもので、五〇%から一〇〇%の値上げである。そう大きな金額ではありませんけれども、かくのごとくはつきりと、政府関係による物価騰貴あるいはインフレ助長の問題が起つておりますから、この点はドツジさんの来朝によつて、いろいろな点で問題が起るのじやないかと考えますけれども、それがどういう響きを持ちましようとも、さつきお話しました生産設備を擴張する面における資金は、どうしても一般預金によらずして国家資金によるという線を堅持し、同時にそれが従来のいわゆる復金インフレなどを導くおそれはありません。最近二年は、ほとんど設備をしておりません。平和條約調印が終つて、いよいよすぐに働き出しません。列国はおそらく半年か一年日本のやり方を見ますから、それまでにそういう方面における輸出貿易その他の貿易に向くような施設が完成するわけでありますから、一、二年の余裕がなければいかぬ。今度の電力不足でも、工場へ先月から電力が来ない。それはたいへんだといつておりますが、この電力不足は二十年前からいわれておるが、こんなものは急にできる問題でない。生産設備の問題も、今生産にブレーキをかけておりますけれども、ほんとう日本が自由な貿易ができ、自由な経済国家をつくるとするならば、私は来年はだめだ、再来年だと思う。朝鮮から特需の注文がちよつと来ると、すぐ物が上る。注文がとまるとすぐまた困る。こんな小さな世帶では独立経済とは言われはしない。その意味から、開発銀行の百五十億円を当てにそれだけ生産をやる。そのうちで出されるのは特需の重点産業だけだ。石炭、鉄鋼、電力、船、こんなものだけに限る。これは限られてはいけない。全部のものがこれに沿つて動かなければならぬ。今からこれを考えなければならぬ。その点に特に御注意をお願いしたい。  それから、これはちよつと気がついたのですが、さつき一般銀行に対する預金、これをどうしても無記名預金にしてほしいというお話があつたときに千金良氏はやはり、御自身のお仕事の立場から、はつきり皆さんの御質問に対して答えられなかつたが、あの無記名預金がいよいよ実施されますと、おそらく千億円ふえると私は思う。これは皆さんのお聞きになりたい点だと思う。千億円ふえるということは、あの制度がなくなりましたのが、一昨年の四月になくなつて、きれいになくなつたのが十一月、そのときに順次に減つて行つて、結局それとおぼしきものは約千億円減つております。ところが、それから後通貨の発行高はふえておる。その割合だけはふえると私は思います。これは私のごく常識的な考えです。銀行屋さんは断定したこととか、見通しをなかなか言わぬ。しかし皆さんはそれをとらえてどうこうというのではない。私は銀行屋でないから、もつと大きな目から見て、千五百億円くらいのものはふえるのではないかと思う。また同時にさつき無記名預金のふえる一つの測定として、投資信託お話があつた。投資信託は八十四、五億円か、百億円近くになつておりますけれども、これは実は投資信託そのものに対して、投資信託名儀をつくつてもらいたい会社がある。自分で投資をしている分が相当ある。でありますから、いわゆるたんす預金のみと断定できない。そういう方面資金が相当集まつておる。私は銀行の窓口をちよつと横から批評したわけです。  私のお話は、自分の狭い範囲で、自分の仕事に関係している面だけを申し上げたわけです。御質問がございましたら、私のわかつておりますことはお答えいたしたいと思います。
  29. 小坂善太郎

    小坂委員長 ただいまの公述に対して御質疑はありませんか。——御質疑がなければ、原さん、ありがとうございました。  午前中に聽取いたしました東大名誉教授那須浩君の御意見に対しまして、質疑をこの際許したいと存じます。
  30. 角田幸吉

    角田委員 米の統制撤、これはほんとうの意味においての全面撤廃の意味ではありませんが、言葉上わかりやすく米の統制撤廃、こういうことで先生にお尋ね申し上げたいのであります。米の統制撤廃が行われると、おそらくはそれに伴うて非常なインフレが来るであろうということを述べられたのでありますが、そこでお聞きいたしたいのであります。今の米の生産者価格が、内地米が一升当りで申し上げますと六十二円、外米が五十五円五十銭、こうなつております。東京におけるやみ価格というものは百七十円ないし百八十円、これを配給米に不足しておるものをやみで買つて一ぱいにやつておると大ざつぱに押えまして、実効格価というものは、生産者の公定価格、やみ価格というものを合せますと、東京市民は一升当り百十円くらいの米を食べているのではないか、こういうふうに推定しておるのでありますが、もしこの際におきまして米の統制撤廃が行われたといたしましたならば、東京都において大体どのくらいの価格になるであろうかということについて、もし御見解がありましたならばこの機会に承りたいと思います。
  31. 那須浩

    那須公述人 たいへんむずかしい見通しの問題でありまするが、最近における一般物価高騰の趨勢、これに基いて公定価格というものも時々改訂を加えておる次第でありますが、この趨勢がそのまま継続したならば、来年の四月くらいには公定価格としても今日の二割くらいを上まわるようにしなければいけないのではないかというような見通しを持つておる人がおります。そういたしますると、ただいまの実効価格は百十円くらいではないかというお見込みは、現在の公定価格、このべースをそのまま維持してさしつかえない、こういう前提のもとにそういう計算がはじき出されたと思うのでありまするが、このベース自体がさらに一般物価高騰、また米の生産費も高騰する、パリテイ計算も高騰するという事情のもとに上つて行つたといたしますならば、やみ価格はむろんそれよりもはるかに上になるのでありますし、結局実効価格なるものは百十円ということではないのではないか、あるいは百二、三十円というようなところに行くのではないか。すなわちやみ価格というものははるかにそれを上まわる次第でありますが、そんなような見通しが一部にはあるということ——私は確信をもつてそうだということは申し上げかねるのでありますが、一部にあるのだということ、並びに今日の統制価格をはずして——全部はずすのではありませんが、ある幅のもとに弾力性を持たせて、くぎづけの統制価格をはずすということをいたしましたならば、かつて政府がある程度食糧について手持ちがあり、そうして統制を試みたときにおいてすらも、はなはだしい場合には三割八分くらいの値幅を示したことがあるのであります。中枢の値段よりもそれくらいかわつたことがあるのであります。それだけの十分の措置をとれなかつたときには、七割四分というような極端な価格の変動を来したこともあるのであります。もし政府がいわゆる米穀統制を撤廃するといいましても、全然自由に放任するつもりではなく、ある程度の手持ちの主要食糧を持つて、米の価格が極端に変動することを押えるという措置をとるといたしましても、その手持ちの数量が潤沢でない、ことにたとえば米以外の食糧はある程度あるといたしましても、今日世界的に品が不足しており、容易に日本としても買いあさることができないので、米の手持ちがはなはだ手薄である。国内における供出量も予期しただけ集まらなかつた、こうういうよな場合におきましては、ただいまお話のありましたような中心の見通し価格、あるいは実効価格というようなものから、相当に開いた値段がある時期には現出して来るのではないかということが考えられるのであります。その相当に開いた値段というものはどれくらいであるか、人によつては二百円くらいになるのではないかということを考えておる者もおります。
  32. 角田幸吉

    角田委員 ただいま私が東京においては実効価格百十円くらいのものを食べておるのじやないか、こういうことを申し上げましたが、百十円であれば、十分農家の米として、また他の物価としてもそのくらいで落ちつくであろうということとあわせてお尋ね申し上げたのでありますが、来年度のいろいろなベース・アツプもあり、それから電力代も上り、諸般のものが上るということでどうなるかといつたようなことになるのでありますが、それで米が自由に売買されておつた時代、その時代において、異常な場合においては、七四%も値段の高低があつた、あるいは三八%のときもあつた、こういうお話であつたのでありますが、通常の場合におきましては、一年間にどの程度の米の値段の開きがあつたのでありますか、もし御記憶がありましたならば、そのことを承りたいと思います。
  33. 那須浩

    那須公述人 通常の場合の値幅、これは米穀法におきましては、御承知の率勢米価——一般物価の変動と米価の変動とのにらみ合いから、一般物価がこの水準に達したときは、米価は多年の動向から考えてこの程度の高さにあることが妥当である、こういうところを計算上出しましたのが率勢米価でありますが、この率勢米価の上値二割、下値二割を限度として、それ以上高くなつたならば、政府は押えよう、安くなつたならば、買いに出動して値下りをとめよう、こういうことを考えておつたのであります。このことは年によつて、あるいは一割くらいの変動のときもあろうし、あるいは三割、四割になることもあるかもしれないが、大体多年の米価の変動を見ると、大体中枢のところから二割ぐらいのところを動いておる。それくらいならば、これはまず平常の変動と見ていい、それ以上になるとこれは過度の変動である。過度の変動はとめたい、こういうような考えに立脚しておるのであります。大体二割くらいの変動とお考えいただいたならばよろしかろうと存ずるのであります。  それからもう一つ、先刻お答えを逸したのでありますが、生産費の問題であります。これも一般物価が向上して参りますと、あるいは肥料その他も高くなつて参りますと、やはり現在の生産費では間に合わないということになるのではないかと考えられますることが一つ。それから現在の生産費というものの内容を私は詳しく見ておりませんけれども、私の推想いたすところでは、生産費の中に当然土地資本の利子、あるいは小作料というものが入つて来ると思うのです。ところがこの土地資本の利子、あるいは小作料として計上されまするものは、農地改革の結果といたしまして、土地がとにかくこの改革によつての買上げ、売渡しの場合いには、非常に安い値段で取引されたのであります。そうして小作料も非常に安い水準にきめられたのであります。これはある意味から申しますると、土地の持つておるところの経済上の値打というものを無視いたしまして、社会政策的の考慮からそれよりもはるかに低いところのものをきめたのであります。これは農地改革が一種の平和の革命というような思い切つた措置でありましたからして、そういうこともできたのでありまするが、一旦それが片づきました後に、ことに土地が実際の耕作農民の間で取引されるということになりますると、表面の形式は別といたしまして、実質的にはこの土地の持つておる当然の経済的価値というものが現われて参る。水田一反が千円内外で売られましたものが、これが今日どの程度になつておるかというと、耕作者の間では数万円であります。何十倍という価値を示しておるのであります。もしもこの実際の土地の持つておる経済価値というものを基準として生産費を出しましたならば、とても先刻おつしやつたような低いものではないと思います。私こう申しますことは、そういうふうに生産費を上げろという議論をいたしておるのではないのであります。この長い間主要食糧の価格を世界市価よりも低いところにきめたということは、これは先刻申した通り、そういう国家のために経済上の犠牲を、あるいは重荷をにない得る一番余力のあつた農民階級に、その重荷を背負つてもらつた。そうして日本経済再建の基礎をつちかつて、労働賃金も一般物価もあれ以上に急速に上騰することを阻止したということを意味するのでありますが、このことが割合に困難なしにできたのには二つの事由がある。一つは、農家が戰時中ほかと比べて打撃を受けなかつた。のみならず疎開者が村に来て金をまいた、物をまいたということ、あるいはやみ売りによつてふところが暖かであつたということ、すなわちほかの階層と比べて、比較にならないように恵まれた環境に農家があつたということが一つ。この事情は今日ではもう急速に消えつつある、あるいは消えてしまつた。第二は、この農地改革の結果、在来の小作階層の人は小作料というものがほとんどただみたいになつた。小作階級の人の米の生産費は在来に比べると実質的に低くなつた。ゆえにかりに小作階級の人が自作農になつて、いわゆる小作農として小作料を拂つてつくつた米を売つたといたしまして、それが比較的安く売られても、土地資本のコストが人為的の極端な社会政策によつて非常に低められましたから、これをこららえることができたのであります。しかしこれは自作農階級について見ますと、在来彼が労働報酬とともに所得として受取つておつたこの土地資本利子に当る自作農階級の收入というものは、これは安い公定米価とともに低められたのであります。小作階級の立場というものも、だんだんと小作料が実質的に高くなり、土地というものが実質的に高くなつて来ますと、その有利な立場というものが、少くくとも計算上は消えて行くということになるのであります。そうしてそういう高い土地をつくつて安い米を売るよりは、高い土地をだれかに讓り渡して自分は転業した方がよいのではないか、こういうそろばんがはじき出されるようになるのであります。そこで他面において一般物価が高くなる。土地資本以外の生産のコストが高くなるということになりますと、いつまでもことさらに低いこの主要食糧の価格を人為的に維持しようとすると、食糧の増産が困難になるのではないか。食糧の増産が困難になつて日本が外国からますますよけいの食糧を購入せねばならぬということになると、それに応じて輸出工業を発展せしめることができるか。日本の工業としても国内の農村の購買力がなくなつてしまつて、国内の市場が狭くなる。その不利益を海外において十分補い得るやいなやという、ここにむずかしい問題が出て参るのであります。そうでありますから、結局は極度に低い人為的の米価を臨時にある非常の状態のもとにおいてきめるということは、私はやむを得ないし、正しかつたと思いますが、それを事情がかわつた後いつまでも維持して行こうという考え方は、これは誤つておる。そうかといつて野放しに高くして、そうして日本の工業労働賃金を高め、輸出工業の進展を阻害するということになつたのでは、また日本国民経済が立ち行かない。そこで結局この主要食糧の価格の問題になりますと、やはり高過ぎては困るし、安過ぎても困る。これはきわめて平凡な真理でありますが、あるほどほどのところにこれを維持せねばならない。このほどほどのところを政府が公定価格できめて、そうして一本にして行くか、あるいはある幅を認めて、その幅の中で動く自由を認めるか、ここに将来の政策のわかれ道があるのではないか、こういうふうに考えております。
  34. 小坂善太郎

    小坂委員長 那須教授は御都合があるそうですから、簡潔に質問をお願いいたします。
  35. 川島金次

    川島委員 那須教授の米麦統制撤廃に関する御所見は、われわれもまことに同感であります。  そこで私は統制問題は別にして、この機会にせつかくでございますので、教授から二点について御所見を承りたいと思います。その第一は、いよいよ日本も今日国際小麦協定に入り、五三年までの期限でありますけれども、年々五十万トンの小麦が輸入されることになろうということが言われております。この小麦協定に参加したことと、それに伴いまする日本の農村に及ぼす影響ということについては、御承知の通りいろいろ楽観論、悲観論があります。そこで那頂教授の、小麦協定参加に伴う日本農村に及ぼす影響ということについての御所見と、もう一つついでにお伺いしますが、日本が先ほど教授からもお話がありましたように、何か国際情勢が緊迫すると、いつでも食糧の自給対策ということが、すぐに役人の間から叫ばれて来るのです。一体日本現状をもつてして、はたしてこの食糧の自給、自立対策というものが可能なりやいなや。こういう事柄については、私どもも非常に疑念を持つておるのですけれども、ややともすると、何か国際情勢の緊迫があるたびごとに、そういう問題がむし返されて来ておる。しかもむし返されて来ておるのみであつて、その後における具体的な問題、あるいは具体的な対策、あるいは実行策というものが何ら行われておらないという実情でありまするが、この食糧自給という問題について、一体日本の置かれた現状において、それが可能であるのかどうか。この二点について、教授の率直な御所見をひとつ伺わせていただきたいと思います。
  36. 那須浩

    那須公述人 第一の点、国際小麦協定に基いて、比較的安価の小麦が相当多量、近き将来において輸入せられるが、それが日本の農業にいかなる影響を及ぼすだろうかという御質問でありまするが、私はさしたる悪影響はないような措置をとることができる、こう考えております。それはただいまお話のありましたるごとく、現状のもとにおいて日本は食糧が不足しておる。国内の食糧自給という声があげられ、その方の努力が続けられるといたしましても、それは食糧の不足額がこの上にも増大することを阻止する程度に、事実はとどまるのであり、絶対自給ということは、近き将来私は実現しないと思う。ゆえにどうしても輸入する必要があるのであります。それで五十万トンくらいのものは、あるいはそれ以上のものはどうしても輸入しなければならない。ゆえにこの輸入によつて国内の食糧が過剰になつて、そのために国内市価の暴落を来すというおそれはまずないのであります。それが第一。  それから輸入価格が、これが国内の市価に比べて非常に低いのであるならば、これをそのまま放出したらば確かに響くと思います。しかし今日までのところは、国内における人為的の操作の結果、国内市価というものが低い水準に押えられておる。そこで外国から比較的安く入れましても、それが国内市価よりも非常に低いというところには私は行かぬと思うのです。その五十万トンがいよいよ入つて来るときにはどうなつて来るか、これは未来の問題でありますが、かりにそのときに国内の農産物価格がだんだん上つて行つて、そうして外国から入つて来るものの方が相当安い、こういう情勢になつておつたといたしましたならば、私はそのときには国家は輸入食糧を全面的に管理いたすのでありますから、これはかりに百円で輸入したものであつても、国内の市価とにらみ合せてこれを暴落させない程度の値段で高く売る、この間において若干もうける、そのもうけというものは食糧行政全般に対して使う。あるいは消費者に対して一部分はこの外国で買つたものをそれよりも高く売る、その限りにおいては不利であるかもしれませんが、場合によりましては、国内で買つたものにそのもうけを加えて、国内のものは若干安く売る。こういうようなことをして、消費者に全体としては大いなる負担をかけないように、しかも国内の農業にいわゆる輸入食糧による恐慌をもたらさないような措置を当然とるべきだと思うし、とることができる、それは国内の食糧が不足しておる状態だからであります。それで私はただいまの御質問の第一の点は、実はそれほど心配いたしておりません。  それから第二の点、食糧の自給ということのかけ声はしばしば起るが、なかなかそれは実現しないではないか、はたしてこの可能性があるのかどうか。こういう御質問に対しましては、これはいろいろな前提條件が満たされれば可能性はあるのです。しかし前提條件が完全に満たされるかどうかということは、これは今後の一面においては政策のとりようにもよります。また一面においては国民の生活態度の変化にもよります。一面においては生産者側の努力、この努力を促すような価格が生産者に保障されるかということ、あるいは進んだ技術が十分に一般に普及するか、いろいろな前提条件によつてそのことが決定せられるのでありまして、ただ技術的に申しますならば、それは必ずしも不可能ではない。と申しますのは、これはもちろん水田一毛作地帶でもこれに土地改良を施しまするならば、二毛作にして裏作の麦をつくり得るというような土地は百万町歩以上あるのであります。そうしてそこで麦をつくつたといたしましても、千何百万石というものがとれる。それから日本におきまして一反四石以上米にしても麦にしてもとつているような篤農家が二十人くらい集まりました席で、これらの人々の意見を聞いたのでありますが、これらの人たちは自分たちが特別不可思議の魔法を行つているのではなく、ある程度自分らのやつているように土地をほんとうに肥やす、そうしてすぐれた技術を持ち得るならば、自分らに近いものがとれるはずである、こういう意見を持つているのであります。そこで今日の米にいたしましても一反当り二石くらいのものは、これは一躍二倍にすることはできないとしても、一割や二割増すということは決して不可能ではない。そのためにはしかし土地改良も必要であり、技術の徹底的普及も必要であろう。それからまた農業にいたしましても、ただいまは人造の肥料というものに過度の重要性を置いておるのでありますが、最近アメリカなどにおきましては、やはりほんとうに地方を肥やすためには、土地の有機質というものを十分に培養して行かなくちやならぬ。むしろ人造肥料なしに耕作することがいいのだというようなそういう議論が生れ、協会ができ、月刊の機関雑誌すら出しておるくらいでありまして、これはいろいろ農業の技術の面において改善を加えまするならば、まだ反当收穫を増し得る可能性はあるのであります。それにいたしましても、価格の点において、生産費を償わないような価格であるならば、農家は増産に盡力いたしません。ですからそういう点で、一般国民経済とのつり合いにおいて農家が努力し、これに対して正しい報酬を与えるだけの価格が、ここに保障せられ得るやいなやということが問題になつて来ると思う。いま一つは、これは食生活の改善であります。日本で足らぬ足らぬといいますのは、主として澱粉質の米とか麦とかが足らぬ。どうも澱粉質、食糧を少し食い過ぎておるように思う。もしもこの蛋白質、脂肪等を含んでおることがはなはだ少い米のようなものによつて、この蛋白質、脂肪を得ようとするならば、澱粉質としてはいらないものまでもよけい食べるようになるのであります。これを畜産物、水産物等によつて十分供給することができましたならば、この澱粉性の食糧、米や麦を食べることは、はるかに今より減つてもよろしい。それは各地の農村で、最近に酪農が発達して参りまして、農家が牛乳やあるいはやぎの乳を相当飲む。そういう場合には、農家の一日消費する米麦の量は著しい減少を来しておる。ゆえにそういう慣習が幸いに一般国民の間に普及すれば、これはある意味におきましては国民栄養上の改善にもなる。われわれパン食の習慣がかなりついた。ただこれに伴うところの蛋白質とか、脂肪とかいうようなものを、バターだ肉だという形で補いますと、かなり高いものにつきますから、それによつて普及がある程度押えられておるのでありますが、国民の保健の点から申しますと、むしろ合理的な食生活の改善になるのであります。またこれが日本の農業としても、今までのように作物に偏しないで、家畜を多分に取入れる、そういう立体的の経営にすることが、同面積で農家の経済をよくして行くゆえんだと、これは今日ではもう定説になつておりまして、そういう農家の経済をよくする面から申しましても、付面国民の食生活をよくする上からら申しましても、望ましいことであります。また水産物を食べるというような習慣が、戰時中農村に大分広まつたようにも思うのでありますが、こういうような食生活の将来の変化いかんによりましては、今日不足としておる米麦の数量がそれほど不足しなくなる。そうしてほかの方面のものは、今申した畜産物、水産物あるいは山林原野のくるみであるとか、その他樹木性のもので脂肪を供給するもの、そういうようなものを栽培することによつて補給する、もしそれがぐあいよいよ進みましたならば、必ずしも食糧の自給は不可能とは言えないと思うのであります。また別途に、農林省の農地局当局でありますが、その計算によりますと、土地改良、それから開墾等をやりましても、一九六〇年になつてなお四千万石不足すると思われる。その不足のほとんど全部を補い得るだけの増産が可能である。そしてこれに投下した資金も相当巨額に達するのでありますが、国家資金だけでも四千億円以上になり、民間のものまで入れますと八千億円くらいになつておると思うのでありますが、年々二千億円の生産ができる。だから投下資本に対する二割ぐらいの増産ができ、生産費を控除しても相当の黒字になるのではないか、こういうような計算も一部農林当局はいたしておるのであります。この計算のこまかいところは検討いたしておりませんから、保証することはできませんけれども、そういうような見方が一面においてはある。そうして今日外資の導入とか、あるいは国家資本を大いにつぎ込んで産業を開発する。それが水力発電であるとか輸出工業であるとかいう方面に、ややもすると偏重するようでありますけれども、私は、できれば日本の国内の土地資源開発という方面に、外資にしても国家資本にしても投ずる。それが、たとえば工業に投じた場合は二割の利回りになり、農業の方に投じた場合は、一割か一割半の利回りにしかならないということがあるといたしましても、ただ利回りの対象だけにとらわれて、国土資源の開発ということを放擲すべきものでない、こういうような考えを持つております。それについてさらにこまかい議論をいたしますと、非常に時間をとりますから、以上をもつて御質問に対する答えとして御了承願いたいと思います。
  37. 小坂善太郎

    小坂委員長 いろいろ御質問があつたようですが、もう一問だけお願いいたします。
  38. 中曽根康弘

    ○中曽根委員 英国で二重価格制度をやつておつたようでありますが、英国の二重価格制度というものは成功しているかどうか。それから日本において妥当性があるかどうか。  第二番目は、米麦の生産費計算、今パリテイ計算でやつておりますが、非常に政治的にきめられておる。今後われわれが米麦の価格をきめる場合には、どういう形の原価計算方式といいますか、やり方でやつたらよろしいか、この二点についてお伺いいたしたいと思います。
  39. 小坂善太郎

    小坂委員長 第二の点については、多少それと似通つたような話があつたのですが……。
  40. 那須浩

    那須公述人 英国の二重価格制度の最近における情勢につきましては、私資料を手にいたしておりませんが、英国が食糧の若干のものについてそういう措置をとつておつたことは事実でありますし、今日におきましても、昔の自由貿易主義というものは捨てまして、重要な農産物について、あるいは補助金を与えるとか、あるいはその消費に関して国内産のものをこういう割合に使えというようなことを強要するとか、各般の措置をとつて保護いたしており、人為的に価格をつくり出すことによつて、農事の維持、開発に努めておるということはかわつておりません。それで全部野放しの自由放任経済というものは、私は英国のような国柄、あるいはこれに似た日本のような国柄では、今後とることはむずかしいのではないか、こういうふうに考えておる。但しこれに対して国家が統制をする、その統制はでき得る限り幅を狭め、きゆうくつ性を取除いて、あまりに極端な干渉をする結果、不必要に国費が増大する、あるいは産業の開発が自由に放任したときよりもはるかに立ち遅れる、こういうことのないように二重価格制をとるなり、あるいはいろいろな補助金なり保護なりをするといたしましても、それには適当な限度が必要である、こう考えております。はなはだ漠然としたお答えで申訳ありませんが、最も新しい資料が私ただいま手元にございませんので、それ以上のお答えはこの際控えます。  もう一つそれと関連して、かつて私が日本の米の問題と関連して考えましたことは、やはり二重価格制度でありまして、日本の農家からはある程度農民の満足する値段で買い上げて、そうしてそれよりも幾らか安いくらいの値段で政府はこれを市場に放出する、あるいは配給する。すなわち国内の食糧を買つて、売る際には政府は損をする。今日の供出というのは、一般の自由市場におけるよりも安い値段で政府に出すから、農家はこれを犠牲と感ずるのです。ところが一般の自由市場よりも高い値段で政府が買つてくれるということになると、供出はむしろ農家にとつて利益であり、権利になる。そうすると、生産額を偽つてなるべく下目にごまかそうとすることはなくなるのではないか。他面におきまして、外国から買つたものは、これは日本の国内自由市場の値段が、戰前並に外国より高くなつた場合を予想してあるのでありますが、それにつきましては、外国から安く買つたものを幾らかもうけて、国内の農産物の市価とつり合いのとれた値段で国内に売る。そうすると輸入食糧については政府はもうける、国内生産の食糧については政府は損をする。このプラスとマイナスが完全に一致すれば、食糧統制に対しての財政支出というものは、——これは役人の給料とか多少のものはありましようが、非常に少くて済むことになるのであります。完全に両方が一致するというところがむずかしかろうと思うのでありますが、とにかく輸入食糧については政府はもうけて売る、国内生産の食糧については損をして売る、そういうことにして、二重価格といいますか、三重価格と申しますか、それをやつたらばいいのではないかと、これは今でも考えておる。但しそうなるためには、国内における主要食糧の価格というものが、戰前の長い間の状態であり、また生産のコストから考えましてそれが当然であると思われまする、外国の市価よりはある程度高まつた、こういう状態ができ上つていないと、私の今の構想は実行できかねるのであります。今日はまだそういう状態になつておらぬのであります。  それからいま一つは、この農産物の市価をきめるとして、生産費計算によるか、パリテイ計算によるか、こういう御質問でありますが、これは非常にむずかしいことでありまして、米価の審議会あたりでも、農業関係の団体でも、議論が繰返されてほせないのでありまして、これは簡單に生産費にのつとれということも申しかねる。というのは、生産費にのつとつたものが過度に高くて、そうしてこれを保障するということが、国民経済全体の発展を阻害する、日本の工業の発展も阻止されるということに相なりました場合に、これをもし認めましたならば、結局商工業の発展がとまる。そうすると農村における過剰人口が都会へ出て行つて、都会で仕事を見出すという機会が狭まる。農村に過剰人口が欝積する。これは結局農業経営の零細化を招く。戰前の平均約一町の経営面積が、今日ではすでに八反三畝に小さくなつておりますが、これがさらに将来五反となり四反になるということになりましたのでは、かりに主要食糧の価格が生産費を償うように高く買われましても、売るべき主要食糧というものはなくなつてしまう。あるいはあつてもきわめてわずかで、農家の生活状態は決してよくならないということが考えられるのであります。ですから生産のコストをカバーするところの値段を保障すればいいじやないかというけれども、それが国民経済全体に悪影響を与えて、それがまたひるがえつて農業経営の上に、農家の生活の上に悪影響を与えて来るならば、一時農家は利益したようであるが、百円利益して二百円損するということになれば、これは何もならぬのであります。そこでその生産費をカバーする値段というものは、その国民経済に及ぼす影響というものを見なければならない。そうしてもしそれが悪影響を及ぼすならば、カバーしないでもある程度がまんしてもらう。これは結局農家が労働賃金が低くなつてもがまんするということなのであります。これは私はひとり農家だけに強要するわけでない。そういう状態のもとにおいてはやはり負担の公平化をはかつて、工業労働者においても満足するだけの賃金が得られないでも、あるいは月給取りにおいても満足するだけの賃金が得られないでも、これは国民が公平に——このいくさに負けてこういうみじめな状態なつたときでありますから、乏しい生活に甘んじて、そしてそこから資本蓄積し生産を増強して行くという、その基礎を築かなくちやならない。その限りにおきましては、私は生産費のみに依存するというわけには参らぬと思うのであります。パリテイ計算で参りますならば、農家の購入するものと農家の売るもののつり合いがとれているから、いいではないかということでありますけれども、しかしこれは租税負担等がどういうふうにかわりますか、これはおそらくパリテイの以外になつていると思うのでありますが、ただパリテイ計算通りに米価がきまつても、もし租税負担が非常に多くなれば、農家の生活というものは非常に脅されるかもしれない。それが社会不安を招く程度になりましたならば、これまた考えものだと思うのであります。それでありますから、私は政府が価格をきめるということは、單に純粋経済学の問題として、生産費をカバーすればいいのだとか、パリテイをこうすればいいのだということでなしに、これはやはり一つの社会的の問題で、非常に経済以外の問題もあわせて考慮する。経済の問題を考慮するとしても、当面のパリテイとか生産費ということばかりでなく、それが国民経済全体にどういう影響を与えるか、日本の人口問題の解決にどういう影響を与えるかということを大きく総合的に考えた上で——これはたいへんむずかしいことでありますが、ある程度の見通しをそこに持つた上で、関係方面に納得させるだけの話をして、そうしてきめるのが筋だ、こんなふうに考えておるのであります。それで簡單にパリテイで行けばいいとは言えない。パリテイといいましても、第一あの選び出す品目、どういうものを選んでどういうものを無視したか、それに対してのウエートのかけ方が妥当であるかどうか、これはこまかに技術的に考えましたならば、決して完璧のものだとは思わないのであります。それでこれは非常にむずかしい問題である。しかし生産費もパリテイも、価格を決定する上において十分に考慮に入れなければならない。そこで私は、そういう百パーセントの確実な基礎がなくてきめることがあるから、くぎづけの公定価格をきめるよりは、できればある程度幅を認めて、昔の率勢米価式に、上つたり下つたりする幅を認める、そうすれば、あやまつても大したあやまちはないと思います。その幅の中で動く。これにはいろいろ国民経済の、パリテイにも生産費にも現われない重要な要素が、自由市場の価格決定の上には出て来ると思うのです。ですからそれを認めて、しかもその上を押える、下を押えるというような場合に、やはり今のようなパリテイの考え方も生産費の考え方も、あるいは一般国民の生活費の問題、これも考えなくちやいかぬと思うのでありますが、それもなお考慮して適当に限界をきめるべきだ、そう考えております。それは今のくぎづけ公定価格を撤廃した場合でありまして、そういう撤廃が今日ただちに実行することができるかどうかということは、これはまた別個の問題になります。はなはだ御質問に対して十分でなかつたかも存じませんが……。
  41. 小坂善太郎

    小坂委員長 ありがとうございました。  では次に総評議長、炭労委員長武藤武雄君にお願いします。
  42. 武藤武雄

    武藤公述人 労働者を代表いたしまして、今回の補正予算に対するわれわれの考え方並びに要望等を申し上げたいと思います。  第一に歳出の問題でありますが、今当面問題になつて参りまする講和條約調印後の国内治安の問題とからみまして、特に警察予備隊に関する費用が大幅に補正予算によつて組まれておるわけであります。本年度の当初予算の百六十億円に対しまして、ほとんど同額に近い百五十億円の補正予算が組まれておるわけでありますが、この補正予算を警察予備隊費にかくも大幅に組んで行く、いわゆる考え方について、われわれ国民の側に立つ者として、非常な疑念を持つものでございますが、問題は、警察予備隊の持つ性格に対する疑惑が非常に強いわけでございます。日本の憲法論をめぐる再軍備の問題を云々することは別といたしまして、この前、十月十一日の朝日の報道によりますと、増原警察予備隊本部長官は、部隊の装備の問題について触れておりまするが、これまではカービン銃、重軽機関銃だけで裝備されておつたけれども、このほど新たに迫撃砲特に口径六十ミリ、小型ロケット砲口径約七十五ミリ、バズーカ砲の一種等を全国的に部隊に配備をして、すでに演習をしておるということもいわれております。大切な税金でありまするから、もちろん私たちは納税については協力をしなければなりませんが、一体国内治安を目的とする警察予備隊に対して、常識では考えられないかくも高度の裝備をなす必要があるであろうかという問題が考えられるわけであります。国内の治安に限定される以外は、国民にそういう武裝が許されておるわけでもなし、そういつた重火器に近いものを裝備しなければ、国内の治安が維持できないような事態は、国内には起きて来ないのではないか。従つて国外から来る武力侵寇に対する交戰を目的として考えるということになると、これは憲法によつて示されておる軍備のない平和な日本をつくつて行く、いわゆる交戰権の発動は認めない——かりに今のような考え方において部隊を裝備して行くことになれば、当然武力の侵寇に対しては交戰権を発動する、こういうふうに考えを持つて行かざるを得ないのではないか。いつの国家間の戰争の場合においても、みずから他を侵略することを表現する国はないのでありまして、必ず外敵の侵入に備える、外部の脅威に備えてということが、再軍備をする場合の考え方になるのであります。従つてたち国民の側としましては、この警察予備隊の性格を、どのように考えて、予算支出を認めて行くかという問題について、慎重な御討論を願いたいと思うのであります。国内の治安対策のみに限定して考えるならば、国内労働政策やあるいは経済政策にこたうるとするならば、このような厖大な装備を必要とする部隊がないわけであります。ただ政府が今考えておるような法律の強権にとつてみ国内の政策を考える、そういうことを前提にしてこういうものを考えて行くのであれば別でありますが、警察予備隊の性格に対しましても、国会の選良としての皆様方立場から十分解明して、国民にこれを明らかにして予算というものを考えていただきたいということを、特に冒頭に要請する次第でございます。  この補正予算を含めまして、今年度は七千九百億を上まわる総予算になるわけでありまするが、この厖大な予算の中で、今月直接の治安費と目される支出が千四百六十七億九千万円になつておるようであります。しかしながら治安費と目されるものについては、これらのものだけであるというふうに、われわれには考えらない面も多分にあるわけであります。たとえば見返り資金の中の経済再建費というものが七百五十四億円あります。また昨年度補正予算から通算いたしますと、九百億円に達する外国為替特別会計への繰入金などもあるわけでありまするが、こうういうものが一朝有事の際に軍事費として動員されるような心配があるのかないのか、そういうこともわれわれの知りたい一つの問題でありますが、かりにこういうものが、場合によつてはそういう要素も含んでいるということになると、本年度の総予算の中に占める準軍事費を合せますと、三千百二十一億円という巨額に上るわけでありまして、これは実に全体の予算の三八%に当るのであります。  一方社会保障並びに教育関係における費用はまことに微々たるものでありまして、全部合せましてもわずかに約五百億円、六%にしかすぎないのであります。私たちは今日の日本の国力の中において、社会保障に対しておのずと限度のあることはもちろん承知をいたしておりますが、しかしながらわれわれの目から見れば、非常に中途半端な社会保障制度であると思われまする一昨年の社会保障制度審議会による答申案ですらも、いまだほとんど何らの考慮も、政府の政策の中に拂われていないというのが、実情ではないかと思うのでございます。特に最近問題になつて来ております国民健康保険の事業が、社会保障制度の中には非常に大きな要素を占めておるわけでありまするが、今日北海道等におきましては、社会保障の医療救済機関の制度が現状のような形で考えられておるならば、北海道の医師会としては、健康保険の担当医たることを返上するというような決議もなされておるようであります。今日東京におきまして、この問題に対する全国大会が開かれて、勤労者農民組合、一般市民団体あるいは医師関係の方々が集まりまして、社会保障制度実施の中の当面特に緊急を要する健康保險による医療機関に対する国庫負担に対する要望を政府に出すべく大会を開いておるようでありますが、この問題まことに深刻な問題でありまして、これ以上被保險者に対しまして負担の強要をいたしましても、もはや限度に来ておるわけでありまするから、どうしても国庫による補償によつて、この問題を解決しなければならないと思うのであります。  なお今日日本におきましては、結核の罹病率は世界に比較いたしまして非常に高いのでございまするが、現在結核療養を受けんといたしましても、その対象になるものは予算関係とにらみまして、まことに微々たるものでございます。従いましてこれを全面的な国庫の補償によつて救済する以外には、結核に倒れました者の救済の道はないのであります。労働組合等においてたくさんの職員を使つておりまするが、組合の本質から申し上げまするならば、こういつた結核に罹病した職員に対しては、永久にこれを保障してやるというのが、われわれの主張であるべきわけでありまするが、残念ながら現在のわれわれの力をもつてしては、完全に見てやることは不可能であります。従いまして、一般とは違つて最大限の保障をいたしましても、なおかつ非常に不幸な状態に陷つているのが、結核患者の実情ではなかろうかと考えるのであります。われわれはこういつた者に対する国家の保障というものを、まずとりあえず国会において取上げていただきまして、十分なる対策を考えていただきたい、こういうふうに考えているわけでございます。  次に組合側の立場から考えまして、国家公務員の給与の引上げの問題でございまするが、十月から平均千五百円政府は引上げるということを言つております。これによつて給与は一万六十二円ベースになるという計算を出しておりまするが、この見合いの費用といたしまして、七十三億円をこの補正予算の中に組んでおるようであります。なおこのほかに年末の手当といたしまして、〇・八箇月分の二十億円が計上されておるわけでありますが、さきに人事院は八月二十日に、一千二百六十三円の税込みべースを八月の一日からさかのぼつて実施するようにという勧告をいたしておるのであります。年末手当におきましては、一箇月分の手当を支給することを勧告しておるのでありまするが、この勧告に対しましても、政府の案によりますると、完全に無視されておるのであります。いつも国会で問題になりますように、公務員が団体交渉権、罷業権を剥奪されまして、今日彼らの給与を保障する機関といたしましては、法律に明記されました人事院以外にはないのであります。この人事院の勧告すらも一方的に無視をして、かくもわずかな額を計上されている。この公務員の給与全体を、勧告をそのまま受入れたといたしましても、わずか百二十億円の増額にすぎないのでありまして、警察予備隊やその他の増加に比べますると、これは当然このくらいのことを考えてやるべきではないか、こういうふうに考えているわけでございます。並びにこの千五百円引上げの内容でありまするが、さきに政府は昨年度補正予算で給与ベースを千円引上げた際に、これを上級に厚く下級に薄くというような配分をして、職階制の強化をはかつたということでありまするが、たとえば一級一号、十四級六号というふうに比較してみますれば、引上げと前に大体七・〇一倍であつたのでありますが、引上げ後は八・三三倍というように上つて来ているわけであります。人事院の勧告は、このカーブをさらに強化しておるのでありまして、現在の千五百円引上げの職階制の内容はまだ発表されていないわけでありまするが、もし現行以上にカーブを急上昇させるということになりますれば、それが下級官吏の絶対的な地位低下をもたらす以外の何ものでもないということになるのであります。もちろんこの点は人事委員会等において問題になるわけでありまするが、予算を組む際においても、十分この程度にまで立ち入つての御論議をお願いしたいと思うのであります。  次に最近問題になつておりまする行政整理の問題であります。政府は行政機構改革の方は、明年七月ということに延期をしておりまするが、首切りの方だけは早くやつてしまいたいという考えでおるようであります。今度の補正予算を見ましても、その首切りの費用として三十億円を組んだようでありまするが、実際には学校給食費の十五億円を、二十三億九千万円に増額したために、額は二十一億一千万円というふうになつております。政府はしきりに公務員数の増加がいわゆる重税の原因である、こういうふうにたびたび宣伝をしておりまするが、これはまつたく根拠のない主張であろうとわれわれは考えるのであります。さきに述べました治安関係費の増額によつても明らかでありますように、またさらには、政府国民と官吏の比率を七・五人につき一人という数字を出して、盛んに宣伝をしておるようでありまするが、中央地方を通じまして、独立採算経営をやつておる団体の職員も、この計算の中に入れておるわけであります。さらにその総計を、一世帶四人として四倍をしてつくり上げたものでありまして、このような無理な作業をやめて、純然たる政府予算における公務員というようにして行けば、四十七人に一人という合理的な数字が出るのであります。また一般職員と警察関係その他との比較によつても、大体こういう形は出て来るのではないかと思うのであります。特にこの中で農林関係の行政整理をすでにこの予算の中に織り込んで、米麦統制撤廃をこの予算の面から、もうすでに強行して行くというような形で出しておるのでありまするが、これはわれわれとしましては、まつたく言語道断の政策ではないか、こういう予算の仕方は誤りではないかと考えておるわけであります。農林省の食糧管理関係で整理の対象になる者は、一方六千二百五十五名というふうになつておりまするが、わずかに一万六千人の人員を首にするために、生産者並びに八千万の国民大衆がどのような状態になるかと真剣な議論をしない先に、補正予算においてこういうものを考えて予算を組んで行くということは、非常に間違いではないか、こういうふうに考えておるわけであります。  歳出の面につきましては、その他いろいろございまするけれども、大体組合側の立場として、労働者の立場に立つて考えてみますと、以上の点を要望なりわれわれの意見として申し上げておきたいと思うのであります。  次に歳入の面でありますが、税金の問題につきましては、これは当然税制審議会あるいは委員会等で問題になるわけでありまするが本年度の税の自然増收が千五百六十七億円に上るということであります。その中で法人税自然増收が非常に多いわけでございまするが、これは、現在の特需景気といいますか、現在の経済の活況による非常な利潤が、この中に現われて参りまして、こういう厖大な自然増收になつておると思うのであります。その反対にいわゆる所得税の側に立つて見ますれば、われわれ勤労者階級の税金に対する状態というものは、依然として困難な状態にあるということが言えるわけであります。すなわち申告所得税は六・四%しか自然増收の形になつて来ない。法人税の場合には七・五%というふうになつて来ておる。また富裕税の方は二・九%、こういうことになるわけでありまするが、これは現在のわが国の所得構成として、おのおのの所得階級の税金に対する態度を如実に現わしておると思われるのであります。申告所得税の不調は、重税に悩む中小企業者、農民の苦労等を率直に表現をしておると思うのでありまするが、富裕税の不調に至りましては、これは高額所得層がまつたく納税意欲を失つておるというふうに判断してもよろしいのではないかと思うのであります。結局政府がこの補正予算の中で、今回四百億円の減税年度内に行うということを盛んに発表しておるわけでありまするが、われわれ勤労者側に立つて税金負担が軽くなるということはもちろん望んでおることでありますから、予算の中で余裕ができ、あるいは他のものをできるならば削除いたしましても、税金軽減ということを真劍に考えられるという考え方に対しましては、これはまことに賛成でございます。しかしながらかりに本年度年度内に四百億の減税ができたといたしましても、それでは今政府が言つておりまするように、物価の上昇その他をこの税金によつてささえられ得るのかという問題になりますると、先ほどもどなたか申し上げましたように、たとえば貨物運賃についてはすでに三割あるいは旅客は二割五分というように、郵便料金に至つては、はがきが五円、封書が十円、電燈料金はまだまだ上るのではないか、電報料金等に至つても相当高額の値上げをやつておる。こういうことから考えてみましても、政府が考えておるように、税金軽減によつて国民の生活が楽になるというようなことは、まつたく逆でありまして、こういつた値上りによるはね返りは、相当勤労者階級の中に出て来る、こういうふうにわれわれは見ておるのであります。こういつた問題についても十分の御検討を願いまして、勤労者階級による税金負担というものを、できるだけ軽減する方向に御審議をお願いしたいと思うのであります。大体われわれの税の負担に対する過去の統計をとつてみましても、昭和九——十一年度における一箇月に対する国民の一世帶当りの負担を統計に出してみますと、大体九——十一年度においては二十七円という数字が出ておるわけでありますが、昭和二十五、二十六年度においては千九百七円、これを九——十一年における金の価額に換算をして考えてみましても、現在においては当時の二十七円という納税負担に対しまして四十四円、二十六年度減税を予想しましても四十一円、こういうふうな当時の貨幣価値に換算しても、相当程度の税の負担になつておるわけでありまするから、税金の問題についても十分の御審議を願いたいと思います。  特に最近われわれも取上げて、議会方面等に要請をしておりまする退職金の課税の問題につきましては、今回政府は相当大幅に引下げるというようなことを発表されておりまするけれども、われわれは大体考えとして、この税金の対象にするという考え方そのものに反対なのであります。先ほども申し上げましたように、社会保障制度の一環として考えるならば、当然こういつた退職金制度のようなものは、全体として考える場合には政府が考えなければならないと思うのであります。ただこれをもつて私は、労働者を雇用し、あるいは政府が公共事業に使用する労働者に対する退職手当を個々の者が考えてはいけないという主張ではないのでありまするが、老後の生活というものを考える場合に、その企業の強弱によつてそういつたものがあつたりなかつたりするこういうようなことは、国民にとつて非常に不幸なことでありまするから、こういう問題こそは政府が取上げて、社会保障制度の一環として考えて行かなければならないと思うのであります。しかるに今日においては、それを政府が取上げないどころか、終戰後とつて参りました政策におきましては、労働組合が労働関係において闘いとつたごくわずかな退職手当金に対しまして、大幅な税金をこれに賦課して行く、しかもその退職手当金を積み立てる積立金に対しても、相当高額のいわゆる利潤としての税金を賦課しておる、二重、三重の税金を賦課して、今日労働関係においてこの問題を論議する場合においては、税金の対象になるからということで、これの積立てを経営者がサボるというような状態もあるわけであります。こういう問題についても、当然税制審議会あるいはその方面関係からだけでなしに、予算を組む場合等においても十分論議をしていただきまして、国民全体の立場に立つた歳入あるいは歳出というものを十分ここで御審議を願いまして、妥当な結論を出していただきたいということを要望いたしまして、非常に簡單でありまするが、われわれ労働者側から見ました今回の補正予算に対するわれわれの意見を申し上げる次第であります。
  43. 小坂善太郎

    小坂委員長 武藤公述人に対して御質問はありませんか。
  44. 上林山榮吉

    ○上林山委員 武藤公述人に対しまして簡單にただしておきたいと思います。  まず二十六年度補正予算一般的にごらんになつて、賛成の要素が多いのか、反対の要素が多いのか。ただいまの御議論を承つておりますと、おおむね反対のごとく聞えるのでありまするが、この点をまずただしまして、二、三続けて質問したいと思います。
  45. 武藤武雄

    武藤公述人 補正予算の考え方に対しまして、本質的に、一国の予算でありまして、その予算を国家が運用して行く場合に、必要に応じて補正予算を計上するという考え方に対して私は反対をするものではありません。しかしながら今回組まれております補正予算の内容について、われわれ国民の側として非常に納得のできない部面が相当高額の予算となつて現われて来ておる。そういう予算の考え方に対して、もつと別な面で国民に対する政策というものを考えた上、予算の考え方というものがもつと別な意味で考えられてしかるべきではないか、こういう点で御指摘になりましたように、この予算案に対して相当強く反対の態度を示している、こういうふうに思つてさしつかえないと思います。
  46. 上林山榮吉

    ○上林山委員 あなたの観点がはつきりいたしましたので、逐次二、三質問を続けてみたいと思います。まず第一点は、勤労所得税をあるいはその他の税金を、三年間続いて減税の方向にわれわれは持つて行こうとして努力をしておる。今回の補正予算においては勤労所得税を三万円の基礎控除から五万円、しかも一人の扶養家族一万五千円を二万円として、三人までこれを認めよう、こういうことをしておるのでありますが、これは考えてみるに、日本の現在の経済財政状態においては、これは諸外国からも指摘を受けるほど思い切つた処置である、不満足であるけれども今の状態においては思い切つた処置である、こういう議論が非常に多いのであります。この点を見て、低額所得者、勤労所得者に対する本予算の偏成方針は、われわれは相当考えてやつたものではないか、こういうふうに思つておるわけです。ところが今あなたは、鉄道の運賃あるいは郵便関係の値上り、その他の諸物価の値上りによつて、そのはね返りによつて、これがむしろマイナスになるのだ、こういうような御意見を吐かれたのでありますが、そのはね返りの数字をもしお持ちであるならば、お示しを願いたい。どの程度にはね返つてこういうふうになるのか……。(発言する者あり)黙つて聞きたまえ、質問中だから……。そういうような意味合いにおいて、減税あるいは給与ベースの引上げ、こうしたようなものを勘案しても、はね返りの数字がこれだけあるために、マイナスになるのである、こういうふうに、抽象的でなく、できるなら数字によつてお示しが願いたい。これをまずお尋ねしておきます。
  47. 武藤武雄

    武藤公述人 税の軽減政府が数次にわたつて考えて来ておる。税の軽減の方針がとられておる。その内容の問題に対してどの程度かという問題は別として、減税の方針がとられて来ておる。この直接税の負担を軽くするという問題に対しましては、これはわれわれも賛成であります。何も反対する理由はございません。一見、今回特に低額所得者の收入を、税金によつて控除額を引上げて、これを救済してやるという考え方が強く出ておるということも、これは形の上ではわれわれはうなづけます。ただそこで問題になりますのは、諸外国の例から考えてという問題でありますが、本日も新聞等によりますと、ドツジ氏が日本に参りまして、世界の情勢から考えて、日本のこのような税の軽減の方針は、大体間違いであるというような考え方の意見を出されておるようであります。しかし、これはたとえばアメリカならアメリカの労働者が、今持つておる生活水準から考えて引出して行く税金の比率と、特に勤労者の生活がすれすれの形でなされておるような状態、その場合に納める税金の比率とを混同して考えることは、間違いでないかと私は思うのであります。従いまして、生活的に非常にゆとりのある国の国民の拂う税金が高額であつたとしても、それは十分耐え得る能力があるわけでありまするが、それが生活そのものの最低の状態を歩いておるような状態における税金の比率というものは、多少その比率が軽いといたしましても、その勤労者の受ける生活費の圧迫というものは相当ひどいわけでありますから、これを單に国際的な関係からだけ割出して、日本の勤労者の負担が軽過ぎるというような判断をなされることは、私は誤りではないかと思うのであります。ただいま税金軽減の分と一般物価のはね返りの面とを一体どのくらいか、総合的に出るかという問題であります。これはまだまだ全体的な値上り率その他についてそれぞれ今後出て来るわけでありますが、たとえば先ほどにおきましては、電気の問題等も再度問題になるというようなことも言われておりましたが、かりにこの前の電力値上げの問題のときに出されましたあの原案だけそのまま見ても、大体生計費に対して四百円くらいのはね返りが考えられて来るようなことも、一応数字として出されておつたようであります。こういう点から考えて、次々と主食の値上り、あるいは鉄道、郵便その他のものの値上りを比較いたしますと、今勤労所得税軽減によつて今回軽減される額と、この物価のはね返りとを比較して、それがプラスになるか、マイナスになるかということを議論すること自体が、私はあまりにも物価の変動というものを過小に考えて物事を判断されておると思うのであります。総合的な値上りがどのくらいになるかというという数字を私は今持ち合せておりませんが、一見して考えてみまして、常識として考えてみまして、この問題は比較することのできないほどのはね返になる、こういうふうに何人も常識として考えてもさしつかえない、こう思うのであります。
  48. 上林山榮吉

    ○上林山委員 私はもつと根拠のある御意見が聞けるのかと考えておりましたけれども、遺憾ながら常識上の御意見であつたので、常識上の意見中心としてここで論議をするということは、あまりにも議会を軽視する傾向であると、考えますので、私自身これに対してこれ以上追究いたしません。私はもう少し材料も持つておりまするが、この問題はこの程度でおいた方が相互のためによかろうと考えます。  そこで、百五十億円の警察予備隊の費用がふえたことによつて、わが国が警察国家になる、あたかもこの予算は警察国家的性格を持つておる、しかもこれは再軍備にただちに擴大されるのであると、予算を通じてのお話でありますが、あなたのいわゆる千四百六十億円という軍事費的要素、ことにそれ以外の部面についても、相当そういう方向に転化し得るものがあるという御議論は、私はこれもまた感情的な、ないしは宣伝的な要素を含んだ常識論じやないか、こういうようなことを考えるのでありますが、百五十億円の警察予備隊費の内容をごらんになつてお話であるかどうか。この内容は御承知の通り、人員は一人も増加はしないのである。單に電信、電話の強化、第二次的のいわゆる裝備というか、そういうような方面に重点があるのであつて、増原警察予備隊本部長官がどういう新聞談話を発表したか知りませんが、その内容を数字について見ますと、あなたのおつしやるような要素はまことに稀薄である。私どもは常に予算というものは、数字がものをいうのでありますから、そういう点から考えてみて、あたかもいわゆる左翼政党の諸君が言うような感覚に立つての御議論かのように考えたのであります。この点をどういうふうにあなたはさらにお考えになつておるか、謙虚な気持で、議論じやないにお話願えれば、幸いだと思います。
  49. 小坂善太郎

    小坂委員長 なおちよつと申し上げます。公述人の方につきましては、意見公述をしていただくので、議論をしていただくためにおいで願つたのではないのでありますから、そのつもりでひとつお願いをいたします。
  50. 武藤武雄

    武藤公述人 意見を求められたのですから、意見を申し上げます。大体私は何も左翼主義者でも何でもありません。まじめなことを申し上げると非常に左翼主義者のようにとられがちでありまするが、大体警察予備隊の費用の内容として、一応部隊の宿舎、倉庫の整備、改築あるいはトラツクその他各種の車両、工作機械の購入とか、あるいは札幌、福岡両地区の補給倉庫の新設とかあるいは無線施設関係の裝備とか、その他ずつと数字は出ております。ただ私は、増原長官の談話が單に新聞発行表であるから責任の云々は別として、予算の数字だけで考えてみろという御意見でありまするが、しかしながら、責任のある人がやはり警察予備隊の裝備の問題について触れられておるわけでありまするから、国民の側として聞く場合には、これは真実のものとして受取らなければならないと思うのであります。また多分に予備隊の考え方に対しては、そういう性格を持つておるようにわれわれも判断しておるのでありまするが、ただいま申されましたように、人員を一人もふやしていないではないかという御意見と、部隊そのものに対する考え方を、人員をふやさないから警察予備隊は純然たる警察なんだ、こういうふうにお考えになることは、私は誤りではないかと思うのであります。要はこの予備隊に対する考え方が、ほんとうにこれは警察として純然たる国内治安を維持するに足り得るものとして考えて行くか、それとももう一歩飛躍した形のものを考えて行くかということに、国民の側においてはいろいろの心配があると思うのであります。先ほども冒頭に申しましたようにいわゆる再軍備、軍隊をつくるか、つくらないかという問題は、これは大きな問題でありまして、これは別の観点から政治的に論議をされるわけでありまするが、現実起つて来ておるこういう問題に対して、部隊の持つておる性格の問題に対して金を出す場合には、相当真劍に考えて御議論を願いたいということを申し上げたわけでありまするから、人員がふえていないからこれは警察の域を脱していないものである、こういうふうには判断できないのではないかと考えます。
  51. 上林山榮吉

    ○上林山委員 どうも意見が並行的であるし、また私の質問にお答えなくして自分の御意見が多いようでありますので、同僚諸君がやめろと言いますから、最後に一言だけ申し上げてやめたいと思います。  そこで先ほどは警察国家の性格の点から御議論になつたので、そうではないという観点に立つて質問申し上げたのであります。人員の増加の点はもちろんのことでありますが、この百五十億円の費用がどういうふうに使われているか、この点から見て、ごらんになつた通り、ほとんど第二次、第三次的な強化という方面に重点があつて、あなたの考えておられるような方面に重点がない予算なんだ、その意味から考えて、どうして警察国家的予算であるということが言えるのかどうか。この点をもう少し数字的にお尋ねしたかつたのでありますが、お答えがほかにそれましたので、これはその程度にいたしておきたいと思います。私どもはこの予算を見て、百五十億円がかりにあなたのおつしやるような予算であると一歩讓つたとしても、総体的にながめまして、たとえば住宅公庫の問題、あるいは国民金融公庫の問題、あるいは農林漁業特別会計の問題、こういうような問題を初めその他の産業投資の問題を考えてみましても、これに占める率から考えてみると、相当に性格が違つておるのだ、こういう親点を持つておるわけであります。  そこで私どももこの社会保障制度というものについて一例を申し上げますならば、この予算に一億円の戰争犠牲者に対する調査費を組んでおる。これは二十七年度においては、あるいは二百億円ないしは三百億円の戰争犠牲者に対する予算の醵出されることを予想して、この問題を考えておるわけでありますが、そういうような意味合いにおいて、社会保障制度というような問題も、財源の許す範囲内において国民負担ということを考えてやらなければならぬ予算であり、その性格を相当に持ちつつある予算であると、こういうように考えておりますが、それに対しては、どういうような考えを持つておるか。さらに申し上げたいことは……。     〔発言する者多し〕
  52. 小坂善太郎

    小坂委員長 静粛に願います。
  53. 上林山榮吉

    ○上林山委員 どうも野党の諸君が痛いと見えまして、やじが非常に盛んでありますが、私最後にあなたの見解をただしたいことは、あなた方が希望しておる社会保障制度、これに対して私一言あなたの御意見を承つておきたいのは、あなた方が考えて、モデルにしておるのは、イギリスの社会保障制度に近いものではないか、こういうふうに考えますが、現在イギリスは国民負担、あるいは財政の困難、こういうような点から社会保障制度に対して、今批判的態度を国民みずからが持つて来ておる。だからこの問題について、われわれも相当擴大強化してやらなければならないと思つておるが、それには限度がある、国民負担というものは、公平に考えて行かなければならぬ、こう思つておるのでありますが、あたかもあなたの御議論は、警察的国家の要素が大部分であつて、社会保障制度の予算はほんのわずかである、産業的予算もほんのわずかである、こういう御議論であつたから、野党の諸君がやじるような質問にもなるわけであります。それでその問題について、もう少しお聞きいたしまして、これでやめたいと思います。
  54. 武藤武雄

    武藤公述人 ただいまの社会保障制度の問題でありますが、イギリスが最近社会保障制度の——部分的でありますが、たとえば歯の治療に対する国庫の費用を、国民側にもある程度負担させるということがきまつて問題を起しましたが、御承知のように、イギリスで現在行つている社会保障制度を見ましても、昭和二十五年度の保障費総額が十億ポンドにも達し、軍事予算をはるかに上まわつた社会保障制度がなされておる、こういう状態と、日本の社会保障制度がそれでは一体どのくらいなされておるのかというと、今この補正予算一本を見ましても、わずかなものでございます。教育費と合せてわずか六%くらいにしかなつていないわけでありますから、そういう状態を考えまして、日本の場合において、大体社会保障制度というものそのものがイギリスの国民の批判を浴びておる。従つて日本状態においても社会保障制度というものに対して、いわゆる政治的に政府がこの問題を考えなくてもよいのだというふうな、そこまで私は考えたくはありませんけれども、今の御議論から言うと、ますます社会保障制度というものに対する熱意が思いやられるのであります。従いまして、私たちは今のような考え方に対しましては、まつたく了解できないことであります。
  55. 小坂善太郎

    小坂委員長 これにて公述人各位よりの御意見発表は全部終了いたしました。  この際委員長よりごあいさつを申し上げます。各位におかれましては、本日はまことに御多忙のところ長時間にわたりまして、本委員会に御出席を願い、御高見を開陳くださいまして、本委員会今後の審議上多大の参考となりましたことは、深く感謝いたすところであります。ここに委員会を代表いたしまして、委員長よりお礼を申し上げます。  本日はこの程度にとどめまして、明三十日は午前十時より委員会を開会して質疑を継続することといたします。これにて散会いたします。     午後三時三十一分散会