○服部参考人 御承知の
通り十二日に陛下の行幸を仰ぐことになりまして、その御通路の整備につきましては、でき得る限り全力をあげて大学当局の者がやる。しかし手不足のおそれがあればというので、警察から十数名の応援を得て整備に当
つておりました。その少し前に何がしかの不穏の形勢は看取できないではありませんでしたけれ
ども、われわれ教育者としては、あくまで学生を信用するという
立場を生命としておりますので、ことに日本人である以上は、幾らがさがさ言うてお
つても、いざとなれば、これは陛下に対する適当な敬意を表するのとかたく信じてお
つたわけでありますが。しかし警察当局としましては、万一の場合をおもんぱか
つて数回打合せをいたしました結果、今申したような現場の警備はその
程度でありましたが、万一をおもんぱか
つてごく近い距離のところに、一定の警官の準備をしてもら
つておりまして、万一のとき大学から要請すれば時を移さず応援に行くという建前でお迎えしてお
つたのであります。
ちようど予定の
通り午後一時二十分、お車は無事に玄関先にお着きになりまして私が御案内申し上げて所定のところへ御安着になりまして、引続いて各学部から一名ずつ代表者が出まして、専門的の
研究の一端を御
説明申し上げました。大学御滞在の時間は、予定は四十分でありましたけれ
ども、陛下の御興味をお引き申したと見えまして、いろいろな熱心な適切な御下問もありましたし、
説明に時間がやや延びまして、終りましたのは予定の時間を十一分超過しまして、結局お帰りに玄関に出られましたのは二時十二分でありました。そのままお車は
支障なくお帰りにな
つたのでありますが、そのとき、私御先導申し上げて玄関へ出たときにふつと私が気づきましたことは、整列は非常に整然としておる。しかし第一線の人がきは警官隊がつく
つてお
つた。これが非常な初めと終りとの違いでありますが、結局陛下にはつつがなくお着きにな
つて無事に御出門にな
つたのであります。
あとでその警官隊の入りました様子を現場にお
つた者からいろいろ報告を受けましたが、その実情は次の
通りであります。お車が着いて、陛下がお出ましになりますと、聞もなく一隊の者が列を離れて押し出して参
つて、からのお車をとり巻いて、平和を守れとか、私はよく知りませんが、そういう歌を歌
つてちよつと気勢を上げてお
つたのであります。その人数は、的確な
数字はわかりません。またそれに参加しておる学生は、本学の学生もおりまするし、ほかの学校の学生もお
つたと聞いております。なお学生だけでなしに、子供まで入
つてお
つたというようなことでありまして、はたしてそこへ集
つた者が、みな何がしかの共通の意図を持
つてお
つた者ばかりとも思えない。群衆心理に引かれて来た者もあ
つただろうと思います。しかしその人数は的確なことは申し上げ得ないのであります。そういう実情でかなり混雑してお
つた。そのうち定刻二時も近寄
つて来たし、このままおれば、あるいはお車が進まれるにも
支障を来すおそれを感じましたので、大学当局から市警の方へ応援を頼むということを要請したのであります。そうすると、用意しておりました一隊の警官が入
つて参りまして、初め申したような人がきをつく
つて、通路は完全に
整理されたという状態であります。
これにつきまして、善後処置を連日連夜各学部長が集まりまして協議して、大体の方針としましては、当日に限らず、こういうふうな気風をかもして来た一部の責任として、かねて京都大学の学生の自治会として認めておりました同学会なるものがあるのでありますが、まずこれを解散すること、これの組織の責任者を処罰すること、それから大学としましては、将来ますます学生の補導を完全にするために、補導
機構を
改革する、拡張する、充実する、もう一つは、時を移さずに学生に
もつと健全なる本来の
趣旨に沿うた自治団体の結成を促しております。今日までのところで、学生の動きとしましては、この同学会解散、それから責任者の処罰ということについて、ぶつぶつ小言は言うておりますが、正面切
つて特にこうという働きはしておりません。それよりも
もつと顯著な学生の現われとしましては、かなり自粛の情が現われております。その一、二の例をとりますと、この同学会なる団体の
事務所が学内に貸し与えてあるのですが、それを一定の日までに明け渡すようにということを申したのでありますが、それに
従つてその
通りきれいに清淨をして渡しております。それから十七日の日に、以前から企ててお
つたものでありますが、平和学生大会を催すということを執拗に十二日以後も申し出ておりましたけれ
ども、この際そういう会を持つことは穏やかでない、
もつと自省するがよかろうと指導いたしましたら、その
通りに
従つてその大会は不法には開いておりません。なおもう一つ原爆展なるもの、これも大分以前から十二日の
事件前から申してお
つたものでありまして、十五日から十九日の間に開きたいと言うておりましたが、ただ彼らが希望しておりました会場がやや不適当である、授業があるのに――一定の講堂でありますが、そこを借りたいということを申しておりまして、これは授業のさしつかえになるから、また外部からも人が入
つて騒がしくなるから、この会場はおもしろくない、それよりもほかの学生集会所がありますので、そこでやるのが至当であろうというように指導してお
つたのですが、十二日の
事件以前はどうしても会場変更ということは承服しない、執拗にやはりその会場で開くことを申しておりましたが、あの
事件以後この原爆展はやらないという状態にな
つております。これらは一、二でありますが、各自の気持はおそらく自粛しておるものと思います。また一般学生――善良という
言葉を使
つたら語弊があるかもしれませんが、一般の学生も、あれはどうも一部の学生の行き過ぎである。けしからぬというような空気はみなぎ
つて来ておる状態であります。
引続き当日のことにつきましての調査、これは現在進行中であります。なおそのほか補導
機構の拡充ということにつきましても、私の不在中も皆に依頼して進めております。また現に今日や
つておる大学長
会議の議題の一つにこれは以前から組まれてお
つたものでありますが、学生厚生補導の
機構問題ということについてただいまも熱心にやはり
研究しつつある状態であります。将来再びこういう不祥事のないことを希望します。
結論といたしまして、今回こういう
事件を引起しましたことについては、国民全体に対してまことに相済まないと衷心遺憾の意を表する次第であります。