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1951-11-01 第12回国会 衆議院 地方行政委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十一月一日(木曜日)     午前十時三十七分開議  出席委員    委員長代理 理事野村專太郎君    理事 河原伊三郎君 理事 藤田 義光君    理事 門司  亮君       池見 茂隆君    大泉 寛三君       角田 幸吉君    門脇勝太郎君       川本 末治君    小玉 治行君       床次 徳二君    久保田鶴松君       立花 敏男君  委員外出席者         参  考  人         (埼玉地方課         長)      大澤  操君         参  考  人         (飯能町長)  増島  徳君         参  考  人         (国家地方警察         埼玉飯能地区         警察署長)   岩附 一雄君         参  考  人         (元加治分村期         成同盟会副会         長)      森田 文夫君         参  考  人         (前飯能町議会         議員)     諸井陸左右君         参  考  人         (飯能町元加治         地区青年団長) 横田 亀三君         参  考  人         (飯能町元加治         婦人会長)   清水 スミ君         専  門  員 長崎 茂男君     ――――――――――――― 十月二十五日  武蔵野市八丁特飲街廃止に関する請願三木武  夫君紹介)(第二二二号)  地方財政平衡交付金増額並びに起債額拡大に関  する請願大内一郎紹介)(第二二三号)  同(坂本質君外二名紹介)(第二二四号)  同(吉武惠市君紹介)(第二七九号)  旅館を対象とする遊興飯食税の撤廃に関する請  願(野村專太郎紹介)(第二七五号)  電気ガス税免除に関する請願河原伊三郎君紹  介)(第二七六号)  入場税を市町村に移譲の請願塩田賀四郎君紹  介)(第二八〇号)  映画演劇に対する入場税減免に関する請願(河  野金昇紹介)(第二八一号) 同月二十六日  乳牛購入資金起債に関する請願佐々木秀世  君紹介)(第三四四号)  都市計画用地買収起債認可等に関する請願(  田中伊三次君紹介)(第四〇九号)  消防起債増額に関する請願山本猛夫君紹  介)(第四一〇号) 同月三十日  狩獵者税改正に関する請願田嶋好文君外一  名紹介)(第五三八号) の審査を本委員会に付託された。 同月二十七日  地方財政確立に関する陳情書  (第二五二号)  地方財政確立のための緊急措置に関する陳情書  (第二五三号)  都道府県の部を任意に定め得るよう地方自治法  改正に関する陳情書  (第二五四号)  地方公務員給与改訂財源措置に関する陳情  書(第二六〇号)  平衡交付金増額並びに地方起債わく拡大に  関する陳情書  (第二六二  号)  地方起債わく拡大に関する陳情書外二件  (第二六三号)  町村に対する税源拡充に関する陳情書  (第二八四号)  行政事務配分急速実施とその財源確保に関  する陳情書  (第二八五号)  各種負担金寄附金等整理合理化に関する陳  情書  (第二八六号)  地方財政平衡交付金に関する陳情書  (第二八七号)  地方債わく拡大に関する陳情書  (第二八八号)  首都建設委員会廃止反対に関する陳情書  (第三〇四号)  特別平衡交付金増額に関する陳情書  (第三一七号) 同月二十九日  平衡交付金増額並びに起債わく拡大に関す  る陳情書(  第三二二号)  地方財政平衡交付金安定化配分適正に関す  る陳情書  (第三二七  号)  行政事務配分急速実施とこれに伴う地方財  政の確立に関する陳情書  (第三二八号)  平衡交付金並び起債わく拡大に関する陳情  書  (第三二九号)  鳥取県の財政危機に対する応急措置に関する陳  情書(第三三八  号)  府県財政改善に関する陳情書  (第三四七号)  教育財政確立のため平衡交付金増額陳情書外  二件  (第三六一号)  平衡交付金増額並びに起債わく拡大に関す  る陳情書(第三  六五号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  埼玉飯能町元加治地区分村紛争事件に関し、  参考人より実情聴取の件     ―――――――――――――
  2. 野村專太郎

    野村委員長代理 これより会議を開きます。  本日は、去る十八日の委員会におきまして決定をいたしました埼玉飯能町元加治地区分村紛争事件につきまして、参考人方々よりその実晴を聴取することにいたします。  わが国の地方制度は、戦後きわめて広汎かつ根本的な変更を受けましたので、その制度の面におきまして、また運用の面におきましても、年をふるに従いましてさらに改善を要する点があろうと考えられるのでありまして、本委員会におきましても、地方自治地方財政警察及び消防に関し、調査研究をいたして、地方行政の円滑なる運営地方自治進展のため、努力いたしておるところであります。しこうして最近各地におきまする町村分離境界変更に関する問題につきまして、紛争が起つております状況でございますので、委員会といたしましても大いなる関心を持つていたのでありまするが、たまたま去る九月二十四日、飯能町において分村問題について端を発し、さらに相当規模暴行事件まで惹起いたしましたことは、まことに遺憾とするところであります。およそ事を処理し、解決するにあたりまして、暴力をもつてすることは、われわれの強く否定するところでありまして、暴力行為によつて分村問題を解決せられんとすることがならないわけでありまして、われわれとしても、地方自治法等改正を加える必要があるか、あるいはその運用面におきまして遺憾の点がないかというような点について、今後調査研究をしなければならないと考える次第であります。  その意味におきまして、本日飯能町元加治地区分村問題について、参考人方々よりその実情を聴取することは、本委員会の今後の調査に多大の参考となること確信いたす次第であります。委員長といたしまして、本日御多忙中にもかかわりませず御出席くださいましたことに対しまして、委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げる次第であります。本日の委員会においては、忌憚なくその実情参考人各位より述べていただきますことを希望する次第であります。  本日御出席をいただきました参考人方々の御氏名を申し上げますと、埼玉地方課長大沢操君、飯能町長増島徳君、飯能地区警察署長岩附一雄君、飯能町会議員、元加治分村期成同盟会会長森田文夫君、前飯能会議員諸井陸左右君、飯能町元加治地区青年団団長横田亀三君及び飯能町元加治婦人会会長清水スミ君、以上の七名でございます。  議事の進め方につきましては、参考人方々より一応十五分程度実情についてお述べをいただきまして、そのあとにおきまして、委員各位より御質疑を賜りたいと思うのであります。大体お尋ねをいたしたい要件につきましては、あらかじめお願いをいたしておきましたが、どうかひとつ議事の進行上重複しませんように、要点を十分率直に承ることを希望いたす次第でございます。  それではまず大沢参考人よりお願いいたしたいと思います。大沢参考人
  3. 大澤操

    大澤参考人 埼玉地方課長大澤であります。埼玉県として求められたる御質問に対しましてお答え申し上げます。  第一番の本分村問題に対してとつ県当局方針についてでございますが、飯能町は現在約三万五千人の人口を有しまして、しかも有力なる各種工場を相当数持つた県下最大の町でございます。戦時中の合併町村におきましては、昭和二十三年の日七月二十日法律第百七十九号地方自治法の一部を改正する法律の附則第二条によりまして、合併地区住民の投票によりまして分離し得る二箇年の期間中に、県下の幾つもの町村が同規定によりまして分離独立したのでございますが、しかし飯能町におきましては、何らこのような機運が見られなかつたので、県といたしましては分離して小さくまとまるよりも、もつと大同大結して若干の施設を整備させ、商工業発展と相まつて、やがては市制を施行し、ますます産業進展をはかり、名実ともに同地方中心となることが、同町の住民の福祉を増進するためにも、また同地方産業発展のためにも適当であると考えていたのでございます。またこの際元加治が分離することは、政府並びに県の方針である町村適正規模指導立場からも好ましくないと考えておつたので、県首脳部の協議の上、この線に沿つて勧奨することをいたしました。県におきましては、地方課及び地方事務所を通じまして、折に触れ機に応じまして、最善努力をして来たのでございます。しかしながらこの問題はあくまで住民意思と町の自主性を尊重すべく、最後の決定というものは、住民の自由なる意思に基くべきごとは、これは当然自治法の精神から明らかでありますので、県の考え方を強制し、住民意思を圧迫してまでも、分村派を抑圧せんとすることは、ごうも考えていなかつたのでございます。  次に第二点の本件の本質県当局はいかに見るかという御質問でございまするが、分村問題が表面化しましたのは、中学校建設敷地問題及び土木費支出問題等からでありまして、元加治住民はこれによりまして非常に冷遇されたと思い、これを動機といたしまして、従来合併に伴つてつていました不平不満の感情が呼び起されまして、財源にも割合恵まれているところから強い独立意識となつて現われました。ちようど機会を同じくしました町会議員選挙運動におきまして、分村を公約として当選しました議員候補者が述べられました、分離独立することは元加治住民の幸福をもたらす唯一の道であるという演説等によりまして分離意識が一層あおられまして、のつぴきならない政治問題と化したのではないかと考える次第でございます。  第三番目の、本問題について今後県はいかに対処するかという点でございまするが、目下刑事問題が起つておりますので、今後同問題が落着後、県といたしましては旧飯能地区並びに元加治地区双方が、ともに過去の一切の行きがかりを捨てまして、建設的、協力的の立場から大飯能建設市制実現に向つて最善努力を払うに至ることを心から希望するものでございます。しかしながらこれも住民意思中心をなすものでありますし、また自治体の円滑なる運営が基本でありまして、県はさらに今後住民の動向を十分見きわめまして善処して参りたい、かように考えております。以上であります。
  4. 野村專太郎

    野村委員長代理 次に増島参考人からお願いいたします。
  5. 増島徳

    増島参考人 飯能町長増島徳でございます。第一番の分村問題発生の原因及び運動動機、こういう御質問でございまするが、元加治分村問題発生動機は、昭和十七年に県から商工農林地区を持つている飯能、元加治加治南高麗精明の一町四箇村の合併を勧奨されたのであります。当時の国の方針としては弱小町村合併によつて、強力なる自治体をつくろうとしたものであつたのでありまするが、この際飯能吸収合併を望んだのでありますが、昭和十八年四月に円満に、吸収合併でなくて五箇町村を解体して一つの飯能町を建設したのであります。分村の動きは、合併農業会一緒合併したのでありますが、昭和二十二年十一月の農業協同組合法の制定によりまして、昭和二十三年には各地ごと組合を設立したのであります。その際元加治地区内に分村の声がございましたが、立消えとなりました。また町会等選挙のあるごとに、分村の声があつたことも聞いております。この分村問題の今度の発生のもとは、合併の当時無理に合併させられたのだから、元の通りに郡部に返してくれ、こういうのが一番最初の元加治から出たものでありましたが、しかしその裏には、町会議員選挙ということがありまして、つまり改選前の町会議員がいくじがなかつたから、その者にかわつて今度の町会議員を送ろうというのが、最初動機でありまして、それを分村問題に結びつけたのだ、こういうふうに考えております。そこで分村貫徹スローガンとして、五名の町会議員を出し、そしてそれは全部当選いたしまして、反対者が二名落選いたしました。それでこの分村問題を目標といたしますには、今申しましたように、町の方へは、分村はむしろ郡部への、合併である、ただそれだけを申して来たのでございまするが、その陰におきましては、中学校建設ができなくて、あるいは道路や橋ができなかつたとか、または税金の還元が少いというふうの内部的の何はありましたけれども、町の方へ来たところはただ単純に、つまり郡部合併から元へ返してくれ、こういうだけの話でありました。それで最初動機になりましたのは学校問題であると申しておりますが、その学校問題はすでに昨年の一月に学校——飯能町には加治と元加治地区のところに今小学校中学校と二つありまして、あとのものはみな飯能の第一中学南高麗中学校に新設されたのであります。加治と元加治地区中学校小学校一緒になつております。それを昨年一月につくるということを、私町長の構想として発表いたしたのであります。そういたしますと、その敷地問題について加治、元加治委員の間に確執が起きまして、どうしてもその位置がきまらない。第一候補地、第二候補地、第三候補地、第四候補地、第五候補地まで行つたのでありますが、どうしても候補地のまとまりがつかない。それで双方加治、元加治地区の者が場けんかするようになりまして、どうしても収拾がつかないから、町長調停に出ろという話でありました。一旦役場で集合いたしまして、町長自身調停に出ましたのですが、加治、元加治地区の両方とも意見が相違しまして個人攻撃となり、とうてい収拾がつかない状態になつたのであります。それでは町長が独自の案を出すからということになりまして、町長といたしましては元加治地区に接近した地区を選定いたしまして、それを加治地区の者の反対を押し切つて加治地区の方へ建てるか、そうでなければ第二案といたしまして、今飯能に第一中学校があるのが四万、坪もありますので、そこへもつて行つて加治地町の第二中学校を建てる案、さらに加治、元加治を一中に合併して、そうして第三校をつくつて一校で済ませるという三つの案を出しました。町会におきましては第一案、第二案をとりませんで、第一中に合併する、つまりあと二十学級を建てる案を取上げまして、それを可決して、そうして現在は加治、元加治中学生を全部収容するだけの学校ができております。そうしてすでに加治中学校だけは本年の四月に廃校いたしましたが。元加治中学校はどうしてもこつちの元加治方面につくるのだという話でございましたから、それは財政の都合が許し、また元加治だけの中学校をつくる熱誠があるのならばつくるという——それは議決する際に協定がついておりました。そうして町といたしましては、その学校は本年つくるということを県に申請いたしまして、敷地決定するように申入れたのでございますが、それは元加治の方では分村一派であるために、学校のことに耳をかす必要もないというので、起債の申請も取消しますし、また敷地も選定しないで今日に至つております。また学校方面といたしましては、十分に元加治地区の生徒を収容するだけのものは飯能にできております。それから税金とかあるいは道路とかいうものは決して元加治地区をまま子扱いするということではなく、今の行政面におきまして、六・三制の中学建設のために飯能町といたしましては、決して元加治だけ冷遇したのではなく、全部を同じようにしまして、そうして学校建設のために土木とか、あるいはほかの方面施設はすべてを犠牲にして学校をつくることに重点を置いた次第であります。ですからこの学校ということはそれはよく承知しておりますから、その学校をつくつてくれないということは内部的な話で、町への要求は先ほど申しました無理に合併させられたのだから元へ返してくれ、それだけにとどまつております。  それから町当局とつ態度、これは分村問題が不自然な態度で起つている、こういうことがありますので、ほかから指導者を入れて指導し、また平仙工場において資金を出しておる、そういうこともありましたものですから、それについてはまず第一に私がこの平仙工場の実権を握つております平岡雅雄氏と会合しまして、その真否を確かめました。その当時は否定しておりましたが、あとで着々出て来ることは、平岡雅雄氏と、それから今の川越から来ておる飯島健輔という人の指導のもとにやつているということが明らかになりました。それに対して、そういう態度、つまり分村に不自然な態度資金を出し、またそういうふうに煽動するということはよくないから、やめるようにということを指導者と目される本人に直接交渉いたしました。それからさらに松永東氏が分村問題の顧問弁護士であるというような話を聞きまして、当時は、こういう問題が起つた町村の場合におきましては非常に運動が激しくて、候補者として立つことができない。また立つても村八分にされて、どうしても立つことができないという、あるいはまごまごすると火をつけるというような、そういう人権蹂躪問題がありましたものですから、その人権擁護委員になつておる平岡雅雄氏に、私は直接電話をかけまして、そうして来てもらいたい、こういう事案があるが、注意してもらいたい。そうして同時に私は警察公安委員会の方にも、こういうことで町会議員に立ちたくも立てない人があつては困るから、よく調べてくれというようなことを言いましたが、そのときに平岡雅雄氏が顧問弁護士松永東氏に会つてくれという話でありまして、選挙前でございましたが、川越の料亭に会合いたしまして、よくその真相を聞き、また人権蹂躙のないように注意いたしました。そこに飯島謙輔氏が介入しておるということでありまして、飯島謙輔氏に会つてくれという話でございましたが、私は飯島という人には別に新聞社で会つていて会う必要がないので、その人に会うことはとうとう断わりましたけれども、さらに松永東氏が会つてくれという話でありますから会いました。ところがそのときに飯島謙輔氏の言うのには、私は町長をごまかしたり、または内政に干渉するような気持はないから、その点承知してくれということであります。それならばけつこうですということでわかれたのであります。しかし事実はそうではなく、言葉と行動とは、非常に反対になつて来ました。そうしてそのときには、今町会選挙の場合であるから、選挙終つてちやんと確定してから、解決策を持ち寄つて解決をしようということになつてわかれたのであります。それから五月の十一日に、さらに解決策を持、ち寄つたのでございますが、そのときはもうすでに分村の気勢が強く、これは町会決定すべきものであるからとにかく町会決定してフエア・プレーで行くということで顧問弁護士それから平岡雅雄氏などとそういう話にきめて、そうしてそれなりになつております。それからその前五月七日に、私は分村スローガンで当選しました五人の町議と、それから仏子方面宮岡馬之助氏と、それから野田方面有力者である中沢茂氏、この七人と会談しました。そうして私は元加治を愛するがゆえに分村をすべきではないと思う。君らの方は分村した方が幸福だというように考えているようだ。元加治地区が幸福になるようにという同じ方向を持ちながら、結論が二つ出るということは、これは何らかの食い違いがあるのだから、訂正するように努力しましようということでわかれたのであります。  それから県にも連絡をいたしております。県庁地方課にはたびたび連絡をとつてお願いしております。それから八月二日には、町長とそれから細田代議士県庁へ行きまして、そうして何らか県で処置をとつてもらうように、中に入つてもらうようにお願いしたのであります。さらにまた八月の二十一日には、市川県会議員と議長、それから町の庶務課長とともに県庁に出まして、そうして知事総務部長地方課長にもお目にかかりました。それでそのときには、二十三日には町会がありますので、県の方から知事総務部長に出ていただくようにお願いいたしたのであります。知事に会いましたところが、総務部長を出すという話でした。そうしますと、町会の日には総務部長おいでにならずに、今ここにおいでになる大沢課長おいでになりました。そうして適正規模のことをよく町会の席上で説明をしていただくはずでありましたが、とにかく町会が混乱いたしまして、遂に説明せずに帰つていただいたのでございます。それから九月九日には、松永東氏がちようど知事一緒飯能にあります天覧山駅の復活問題について来ましたから、その席上松永東氏に、あなたを今元加治地区ではほとんど神様のように考えているようです、あなたが中に入つてくださればこれがまとまるかもしれないから、ぜひまとめてくれるように、円満に解決するようにというふうにお願いしましたが、これもとうとう成功せずに終つたのであります。  第三項の問題の本質は、これは分村派最高幹部の三人か四人の指導者によろ分村運動であつて、そうしてそれが実に軍隊式指導をし、期成同盟隊を組織しまして、細胞を密にし、指導者の命令を守つて強力に運動した。それから宣伝地下運動に非常に全力を注いだ。それから資金を十分に出した。これが本質でございまして、つまり資金町会議員買収をし、またたき出しをし、ラジオ・カーを出し、また運動者には酒を出したというふうなぐあいにやりまして、五人の町会議員が出ておりますけれども、私から見ますれば、元加治地区民を十分に納得し押えるだけの力がないし、また飯能町の町会に出て来ましてもリードするだけの力のない人だと私は考えております。将来の方針については、これはみなその指導者のやつたことが誤りで、第一に分村問題のもとが郡部の圧迫によつたということが言われております。第一代の町長といたしまして、元加治地区から平岡良藏氏が出ておりますが、決して不平満々町長をやつたとは考えられません。それはないと思います。それから学校をつくるなんと言いましても、これはいつも宣伝でございまして、飯能町においては二里以上も遠くから通つている者もあるのに、元加治地区は一番遠いところで一里半くらいであります。りつぱに第一中学ができておるのに、通えないということからどうしてもつくるというなら、敷地をきめてくれと、呼びかけているのですが、敷地もきめないでただ学校をつくると言う。財政がゆたかでいろいろな施設ができるといいましても、税金が安くなるということは今の時代に考えられない。こういう誤つた指導方針でやつております。冷静になりまして、指導者誤りであつたということを地区民がよく反省いたしますならば、それは十分に飯能町としてあたたかい手を差延べてやつて行ける、こういうふうに考えております。いろいろのデマとか、断食とかいうようなことをやつておりますが、これはみなその指導者の誤れる方針であつて、決して元加治地区民全体が正しい判断のもとに、分村運動を起しておるのでないということを申し上げておきたいと思います。以上であります。
  6. 野村專太郎

    野村委員長代理 次に岩附一雄君からお願いいたします。参考人岩附一雄君。
  7. 岩附一雄

    岩附参考人 私は飯能地区署長岩附でございます。  第一項目の、現在までに判明した事件の概要でありますが、この事件はまだ捜査中でございます。起訴の段階になつておりません。従つて訴訟法上詳細なことは申されませんが、本年の九月二十四日の午後六時ごろから、飯能町の元加治小学校の庭において、元加治分村期成同盟会主催区民大会が開かれました。そこで集まつた約五六百名の者が数箇班にわかれまして、午後七時三、四十分ごろ、分村反対派であるところの元加治地区に住んでおる西久保宗重、諸井陸左右、中沢阿栗、西久保寅三郎、平岡勘五郎、平岡貞作、この人たちの家を大挙襲撃いたしまして、屋内へ乱入し、戸障子、窓ガラス、家財道具等を、手当り次第にめちやくちやに破壊しました。そうして、おやじを出せ、殺すぞ、火をつけるぞというような脅迫的な言辞を弄し、西久保宗重外二名に全治一週間ないし二週間くらいの傷害を与えたのであります。この物件の損害は約二十四五万円くらいに見積られております。被害の状況は写真がございますから、おまわしいたします。  本件に対し警察とつ態度でありますが、九月二十四日の午後八時四十分ごろに、飯能町の警察署長から国警の県本部へただいま申し上げましたように、七時半ごろ暴動が起きた、応援頼むという電話がありましたので、当時私は県本部の鑑識課長をしておりましたが、私は隊長の命を受けまして、刑事部長とともに捜査課員を連れまして、即時現場に性行いたしました。そうして町署長並びに前の地区署長から状況を聞きますと、区民大会に集まつた者が大挙して、町の警察並びに本町内にある分村反対派の町議のところへ押し寄せるという情報があつたので、署員を非常招集しまして町の方を固めておつた。とこるが裏をかかれて、部落のうちで事件が起きてしまつた。こういうことであります。なおその当時隣接の警察署へ連絡いたしまして、署員を招集待機させたそうであります。翌朝、飯能町の警察署の中に特別捜査本部を設置いたしまして、県の刑事部長が本部長になり、私がその補佐官になりまして、国警、本部の捜査課並びに鑑識課の課員約三十名を中心にしまして、町署並びに地区署の署員を動員しまして捜査を始めました。  まずこの事件を見ますと、襲撃の箇所が七箇所であること、しかも班別に襲撃したらしく、一斎にしかも短かい時間の間に行われておる。電話線まで切断してやられておる。こういう状況かう見まして、単なる群衆心理による偶発性の事件ではない。相当計画性のある事件と認めましたので、捜査は慎重にやつたのであります。なおこの事件は夜行われたことでありました。しかも物的証拠は何もありません。証人の証言以外に証拠はないのでありますしかもこの元加治地区のほとんど九十九パーセントまでが分村派でありました。反対派が全部やられてしまつたのですから、一般からの聞込み捜査は絶対に不可能でありました。従つて被害者側を調べて、被疑者を見つける以外に方法はないのであります。非常に苦心をいたしまして、ようやくある程度の証拠を集めて、裁判官の逮捕状をとりまして、九月二十九日の朝実行行為者と認められる者二十四名を暴力行為等処罰に関する法律違反で逮捕いたしました。次いで十月四日、八日と第二次、第三次の検挙を行いました。これらの人を調べまして、大体あばれ込んだ人たちの名前が出て参りました。その行動も明らかになつて参りましたので私の方から申しますといわゆる証拠が非常にたくさん集まつて参りましたので、あとは、逮捕状はとつてありましても、なるべく呼び出して調べて返すという方針をとりまして、今日までに逮捕した人は九十四名であります。これは全部身柄を送致いたしました。逮捕せずに調べた被疑者が百四十二名であります。これも全部書類送致の手続をとつてあります。  次に三番目は本件に対する警察当局の見解と背後関係でありますが、前にも申し上げました通り、まだ捜査中でありますので、本件に対するはつきりした見解はまだ申し上げられないのであります。しかし思想的な背景は目下のところないようであります。以上でございます。
  8. 野村專太郎

    野村委員長代理 次に参考人森田文夫君にお願いいたします。
  9. 森田文夫

    森田参考人 飯納町会議員分村期成同盟会森田であります。この会の起りますいろいろな事情を申し上げる前に、副会長として本事件の起りましたことを、まことに申訳ないと深く深くおわびを申し上げます。  飯能分村を要望する根本条件といたしまして、元加治地区が一致団結して分村を希望しております事由は、まず地形的に見まして飯能の本町と非常に関連性の少いことが立証できるのであります。飯能本町はその昔、吾野、成木、名栗の三谷津の落ち合つたところに商業、産業地区ができたのでございますが、元加治は古来多摩山脈の支流天王山沿いの入間川畔に構成された農工の村落なのであります。そして両者は距離も相当違つておりまして、畑地によつて隔たつておるのでございます。また歴史上からも飯能町は付近の村落の商業地として非常に栄えておりましたが、元加治地区は繊維工業を主体として独立的発展を遂げて来たのでございます。従つて昔から元加治の取引関係や子弟の教育、政治、文化面の連繋なども、飯能町との繋がりは非常に少いのでございまして、その実例は枚挙にいとまがないくらいでございます。両者に建立してある神社仏閣などの歴史や、昔時の文化をたどつてみても、その由来がことごとく違つておるのでございます。しかも元加治地区は人口五千四百、面積が三百五十六町余、戸数が九百余、職業別にこれをわけますと、農業が二百五十八戸、工業が四十二戸、商業が九十九戸、給料生活者が四百二戸、職人その他が百十戸で、りつぱに独立できる心地なのでございます。  この元加治は、合併県下屈指の優良町村に数えられて来た村でありまして、平仙レース工場、所沢毛織等の優秀工場を初め、中小工場を中心とする農村だつたのでありますが、分村した場合は、二十五年度飯能町に徴収された一人平均の町諸税千五百余円を徴収し、これを基礎として予算を組んだと仮定すると、総額一千万円以上となりまして、役場費二百七十万円、教育費二百七十万円、教育費二百万円、土木費五十万円、保健衛生費五十万円、その地諸項目二百万円としても、三百万円以上の余剰を生むという計算となつたのでございます。これを懸案となつて中学校建設費にまわしますれば、日ならずしてりつぱな校舎ができ上る。また学校建築につきましても、過般川口市より分離した鳩ケ谷町の実例を見ましても、分離後わずか半年で、町民より寄付を仰がなくても、国庫補助あるいは町予算、起債等で、総工費七百余万円の学校ができております。元加治村でも同様短時間で完備した中学校校舎を建設できることは火を見るよりも明かであります。  その他衛生面におきましても、本町が衛生都市飯能の名にそむかないように、再三DDTの散布を行つているにもかかわらず、元加治地区は年一回という実情つたのでございます。また土木事業は年間わずか十三万円しか本町から還付されなかつたものが、四倍の予算が組んである関係から、現在工事が中止になつているような橋などの復旧も非常に易々たるものでございます。  こういう面におきまして、元加治昭和十八年に合併した当時と現在と比べて、悪くなつてはいても、何らよくなつておらないというが現在の実情なのでございます。ましてやただいま町長さんからも申されましたが、町長さんが飯能町長となりましてから、元加治の町政に対して姿を見せてくだすつたことは、一度もないという実情なんでございます。これが大体元加治がどうしても分離して行きたいという根本理由でございます。  それから分村期成同盟会の設立及び経過でございますが、分村期成同盟会ができ上りましたのは、本年二月九日全町会議員方々が、中学校建設問題につきまして、保護者会を中学校でやりましたのでございます。そのときに町会議員方々の意見が、一人々々まちまちだつたために町会議員頼むに足らずという理由のもとに、ここに行政研究というものが生れたのでございます。そうして隣接の東金子、金子、水富村という村を調べましたところが、元加治は単独でもつ七分離してもやつて行けるという確証を握りましたために、ここにおきまして、分村期成同盟会と看板をかけかえたのでございます。その当時の会長には、前の町会議員であります、今度まことに申訳ない襲撃事件があつたのでございますが、平岡貞作さんが会長になりまして、そうして副会長には、町会議員であります築地亀藏さん、あるいは西久保宗重さん、平岡歓五郎さん、新井徳三さんという人たちがなつたのでございますが、西久保宗重さん、平岡歓五郎さんは姿を一度も見せてくださらなかつたのであります。ところがたまたま町会議員の改選があるのに対しまして、飯能町に町会議員を送ろうか送るまいか、むしろわかれるには送らなくてもいいだろうという結論にまで行きましたのですが、町当局の町議会でなければ分離できないという事情のもとに、五人の町会議員を送るということになりまして、そうして初めて町会議員を新規に送るということになつたのでございます。そうして分村期成同盟会は、着々とこの分離運動に進んで行つたのでございます。  それから第三の騒擾にまで至つた事情及びこれに対する見解は、この席に内席しております被害者の諸井陸左右さんがいらつしやるのでございますが、副会長といたしまして、不肖私二十二日の勾留まで食つて参りましたのでございますが、まことにこの件につきまして諸井陸左右さんに申訳ないとおわび申し上げる次第でございます。この事件ができましたことは、こういうことをやれというのでなくして、計画というものがなくしてできたということが、ここにあるのでございます。私ら副会長、あるいは会長、あるいは黒幕と言われる者が、こういう暴動を起せということを、何で申し上げられましようかということを、ひとつおくみとり願いたいのでございます。それはどうしてかと申しますと、西久保宗重さんは平岡平仙工場の親戚でございます。諸井陸左右さんは新井徳三町議の御親戚でございます。中沢阿栗さんは支部長をしております中沢茂さんの御親戚でございます。平岡貞作さんは平仙レース工場の御親戚でございます。平岡鐵五郎さんだけが何でもないのでございます。その親戚である家をこわせとか何とかいうことを、幹部が申し上げるということは絶対にないと言つても、私はさしつかえないと思います。ただできましたのは、あるいは群集心理ではないかというのでもつて、私らも調べられて参りました。この点はここにいらつしやる諸井陸左右さん初め襲撃を受けました方々に対しましては、十分おわびを申し上げる次第でございます。  それから分村に対する将来の方針は、法の許す限り——私らが幹部となりまして、また地区民が無知であつたということが一つの原因ではなかろうかと思いますが、法の許す限りぜひ分離さしていただきたい。そうして元加治を単独なる元加治村とさしていただきたいということを念願する次第でございます。
  10. 野村專太郎

    野村委員長代理 次に諸井陸左右さんよりお願いいたします。参考人諸井陸左右君。
  11. 諸井陸左右

    ○諸井参考人 私が諸井でございます。ただいま森田君の申されました通り、ラジオあるいはニュースで世界的に報導されるような不祥事ができましたということに対しましては、私どもほんとうに何と申し上げてよろしいかおわびのしようもありませんが、どうか皆さん御容赦をお願いいたします。  第一の本分村問題に対する意見並びに採つた態度、こういう御質問でございますが、私はすでに分村は絶対法に触れておるからいかぬということを申して参りました。その理由は、今森田君が一千二百万円という納税額を保有しておるというようなお話でございますが、私が申し上げますならば、実際にそれは空論であります。現在二十五年度に飯能に納税いたしました額は、七百五十八万六千七百三十九円でございまして、今森田君が主張いたしましたようなこととは、五百万も食い違いができておるのでございます。それはなぜかと申しますればいわゆる首謀者になられた方々は、残念ながら一回も町村自治をやられたことのない方でございまして、あまりにも申されることが厖大である。これが根本問題でありまして、区民を籠絡したと私は信じております。とにかく二十六年度現在、本年度の納税額が七百二十三万一千三百十円でございます。それを見ましても、とうてい独立して行けないことがわかると私は思います。なお自分の村の恥を皆さんの前で申し上げなければなりませんが、十二月三十一日までもう幾日もございません現在、二十五年度と二十六年度を対照いたしまして、百四十四万五千百七十円という滞納があるのでございます。これで独立して行けるかと私は心中まつたくおそれておる者でございます。それですから、皆さんにどうか理解をしていただいて、こういうことでなく、実際にこの元加治村を見直してくれ。今元加治は歴史がどうだとかいうようなことを言いましたが、実際元加治というもの仏子、野田という二字からできておりますが、仏子と合併いたしましたのは二十三年の九月十七日で、やはり議会で町村一緒になるという法令ができたので、合併したのですが、仏子と私どもの方の村とは、非常に質朴な村である野田と、非常にはでやかな村の仏子とが寄り集まつたのでございますから、いつも純朴な私の方の野田は、仏子の方々に引きずられておるまうな形でございます。とにかく昔から仏子は、いつも堰場につきましても、無法な行為をいたす。自分の方の水田に水を入れるために、杭の高さを、きまつておるにもかかわらず、高いのを打つ。打てば、元加治村の方はやはり水田が低いものでございますから、私の方に弊害が来る。そういうようなことで明治七年にも大げんかができたのでございます。そのときは私どもの方は水室連合と申しまして、野田と笹井と根岸と広瀬とが組んでおり、仏子は岩沢という連合に組んでおつたのでございます。何百年の歴史ということはただ形容的に飯島謙輔氏が文章をこしらえたにすぎません。そういうふうに人心におきましても、思想におきましても、違つておるものが統合したのでございますから、元加治村は神社仏閣のお話がございましたが、神社を見ていただいても、野田の方は充実してつくります。仏子の方はとにかく工業地でございまして、大きい方もたくさんございましようが、とにかく貧富の差が非常にあるのでございまして、それはつくりましたものを見ていただけば、すぐに立証できることと思います。そういうようなわけで、絶対に分離をしてもこれはだめなんだ。それよりか飯能合併しておつて飯能はとにかく大都市計画途上にあるのだから、これを大都市にして、市の電車もつくつてもらう。現在は武蔵野線という電車があつて、同じ村で二箇所停車場がございます。仏子にもございますし、私の方の野田にも停車場がございます。ですから東飯能まで電車で通わせてみたところで、これは大したことはない。飯能町の地図を見ましたならば、ほんとうに交通の便利だという所は、元加治ほど恵まれているところはないのでございます。ましてこれより先、御承知のように、税金も軽減されるなんということは、もちろんないはずでございますから、お互いに神様の寄り集まりではないので、人のやることだから、飯能に欠点があつたならば、元加治の方で要望して、できるだけ向うからもしてもらつたらいいじやないかということを、私は常々申しておりました。ですから選挙にも、反対を標榜して立つたのでございますが、圧迫干渉やいろいろのことで落選いたしたのでございます。とにかく落選するのは無理もないのでございます。選挙前に、区民に対して何の話もなく、一戸一名印鑑を持参して集まれという触れで、みんな出ました。ところがこれは分離するので署名をするのだからと、こういうことで、区民は九割九分まで分離に賛成だというお話でございますが、これはもつてのほかのことだと私は思います。これはほとんど圧迫的行為によつて無意識の区民を引きずつて行つたのだと思います。そうしてごの分離運動も、選挙に五町議が当選すると同時に、だんだん薄らぎまして、六月の中旬にはほとんど立ち消えのようになりまして、区民全体は何だ、これは町会議員に出るために分村を旗じるしにしたのだというような声まであつたのでございます。ところが八月の四日に、飯能の町有財産が名案にございますが、その町有財産の調査委員として、新井徳二氏と平岡千代吉君が参りまして、それを見ましたところが、これは相当の財産だ、わかれさえすれば、この財産を分配できるのだというのが、これが今度の分離の熱烈になつた起因と私は想像しております。三千万や三千五百万はとれるのだ、一千万ぐらい使つても何でもないということが主体で、議員買収しろ。そのために八月五日から青年層を動員しまして、自動車やラジオカーで呼びかけて、分離熱がひどくなつたのでございます。そうしてもうそうなる以上は、先ほど駐長さん、署長さん、県の方からもお話がありましたように、手段を選ばなくなつたのでございます。何が何でも分村という理由は、ちつとも私あたりにはわかりません。地形から参りましても、すべての今日の時勢から参りましても、とうていそういうばかげたことはやることじやないと私は思つています。しかしながら有力者平岡雅雄君が、二言目には、何ぼでも出す、これは憶測、あるいは風評でございますから、よくわかりませんが、これには政党意識も相当あるというようなことも第三者から話を聞いております。  第二に、暴行による被害状況、今署長さんから皆さんのお手元にお配りしました写真で実情はごらんのことと思いますが、二十四日の午後七時半、群衆が大挙いたしまして、「あけろ」「諸井を出せ」「ぶつ殺すぞ」こういう掛け声のもとに、玄関のガラス障子、いわゆる表通りのガラス障子、雨戸を百数十人、家の裏表、周囲から寄り添いまして乱入し、石を投げる、ける、昔絵で見ましたようにはち巻姿で、手当り次第丸棒とか、いろいろな所持品を持ちまして、そうして、突きさす、道具を投げる、重い物は大勢でかつぎ出して、築山の石にぶつけてぶちこわす、こういうような乱入をいたしましたことが、どうしてこれが、今森田氏の言いましたように、幹部が少しも知らないんだということが申せましよう。この立証は、とにかく元加治小学校に会長名でもちまして、分村に対する経過報告という題目のもとに、男子は軽装して予定のものを持つて出ろという触れだつたそうであります。私はその当時飯能に参つておりましたが、とにかくやることは何でもやれ、どんなことをやつても、非合法なことであつても大丈夫だ、町警は今月一ばいで廃止になつてしまう、あとは国警だから国警は平岡の旦那がついている。飯島の旦那がついているから、やるだけやれ、こういうように群衆に触れまわしたものだから、まだ日本の国民性の心底にこういうことが潜在しておつてはたいへんだと思うような殺伐意識が、表面化したことと私は信じております。まことに何と申し上げてよろしいか、これはひとえに私の不徳のいたしたところでもございましよう。しかしながら、今森田君が申しましたように、とにかく工業地帯として県下で屈指だというような、人にあがめられるような土地でありながら、何とおわびしていいかわかりませんようなこの暴行ざたをやつたことは、何と弁解いたしましても、私は幹部の責任であると思います。昔秩交暴動がございました。首謀者二人が背負つてつて、われわれ二人がやつたのだ、ほかの者は何もしたんじやないと言つて、死刑に処分された。それと今度のことを考え合せましたならば、何という幹部だと私は思います。下の者にみなやらせて、幹部は知らぬ顔をしている。とにかく群衆が五班にわかれて、出動のときは全部そろつておりました。それがとにかく音が始まつて引揚げて、そのときにのこのこ家へ帰つたというようなことで、どうして指示しないとかいうようなことが言えましようか。人にやらせて——もしやらせたのでないしたところで、その責任を負わないで、どうして今日いられましようか。そういう人だからごそ、こういうことができたのだと思います。  三番目に、分村運動並びに騒擾事件の背後関係、こういう御質問にお答えいたします。初めに、元衆議院議員の、分家と土地では申しております平岡良藏氏宅を分村の首謀者の宮岡馬之助ほか数名がたずねて、ぜひ分村に御賛成を願いたい、こう同氏に申し入れたそうであります。そのときに同氏いわく、現下の国情からしてそんなばかげたことができるか、反対だ、ということで頑として断わられた。その帰り道に、本家と申しておりますが、これは今の本家で、もつと本家もございますが、平岡雅雄氏をたずねて、新家へ伺つたところが反対されましたというと、それでは自分が賛成する、こう平岡氏が言つたそうであります。これを総合いたしましたならば、平他のお家騒動ということを、新聞紙上で報道しておりますが、この一事を見ましてもそれが裏づけられたことと私は信じております。そうしてその話に力を得て、分村期成同盟会を構成、そうして運動強化となり、地方町村議会に、いかなる手段でもよろしいというので、新聞紙上で御承知の通り、増収賄その他あらゆる手を尽して、まつたく善良なる気持では何とも申し上げられるような行動が数々あるのでございます。こういう時代に、とにかく国家の法律に従うのが国民であるにもかかわらず、いかなることをしてでも、法の許す限りというようなことを、ただいま森田君が申されましたが、どうか皆さん、こういうときに法を云々して、とにかく騒擾事件というようなことにまで立ち至りましたこの責めを、どうぞ十分に御認識くださいまして、反対のわれわれに対しても、どうぞ御同情をお願いいたします。  それから四は、本問題に対する将来の見通しということでございますが、今後区民が反省して、指導者が善導したならば、本来の姿に返つて行つて、必ず私のこの生地も何とか県下屈指の土地になりはしないか。但し区民は非常に性質が雷同性が強く、熱しやすくさめやすい、まして自制力がない、そうしてよく職人根性と申しますが、人を踏み倒して自分が偉くなる、そうして人をののしる、うらやむ、こういう性格があるのでございます。そうしてもう一つは、貧富の差が非常にある、そうして虚栄心が高過ぎる。それからいいところを申し上げますならば、信じた上はいかなることがあつても断行する。その精神が今度の暴行になつたと私は思つております。真に指導者がよかつたならば、負けじ魂があろ区民でございますから、事に当れば熱心にやる、そういう長所がございますから、どうぞ皆さんの手で、この私の村を御指導願いましたならば、それこそ大飯能都市計画上におきまして、ほんとうにこの汚名をそそぐごとができやしないかということを、心ひそかに存じておるものでございます。  これをもちまして簡単でございますが、終ります。
  12. 野村專太郎

    野村委員長代理 次に横田亀三君からお願いいたします。参考人横田亀三君。
  13. 横田亀三

    横田参考人 私は飯能町元加治区青年団副団長の横田亀三であります。  私の分村理由につきまして申し上げます。私たちの元加治は、合併前は県下屈指の優良剛村に数えられておりました。中小工場を中心とする農村でありますが、昭和二十五年度には一人平均町諸税千五百円余を徴税されております。合併されて以来の実態を申し上げますと、元加治地区の町民税三百七十六万余円、固定資産税百七万余円、償却資産税八十二万九千余円、その他で合計約八百万ばかりの税金を納めております。これで見ますと、元加治地区民は、一人平均千五百であります。また当地区にどれだけの費用をかけているか、その実情を申し上げますと、土木費約五百余万円、これは飯能町の予算であります。その中で元加治は十三万余円、教育費は元加治は九十四万余円、これを見ますと、わずか三十分の一という情なさであります。学校を見ましても、町当局者が元加治を軽視し、差別待遇をされていることは見逃すことができないものではないかと思います。このまま放置しておけば、同じ飯能町でありながら学童、生徒の教育程度が、町中央部の学校と比較して低下して行くということは、火を見るより明らかであります。やがては山間僻地の教育施設と何らかわりがないごとくになるのであります。元加治地区の小中学校後援会費は、年間数十万円の寄付を集めて、ようやく学校のまかないをやつているありさまであります。重大なる考慮を必要とするものではないかと思います。また消防費を初め警察その他あらゆる町の事業に協力するために、当地区民の年間の寄付金及び分担金は、約百余万円になるものと思つております。これら実態より見ると、大飯能町において、公平妥当な為政者によつて、大局的立場に立つた行政を行う場合にも、元加治地区が大飯能の他地区とはきわめて関連性が少いということも考えられます。また元加治地区が、大飯能の他地区に比べて、合併前の旧施設がはるかに優秀なために、何ら手を加えなかつたということも考えられます。また元加治地区は、大飯能の他地区に比べて、価値がはなはだ少いがゆえに、この地区に町費をさくことを最小限に止めたかということも考えられます。現在飯能町の予算は、町長さん指導下に助役及び各課長さんたちが作成するものと考えられるのでありますが、第一に、もし元加治地区において新事業を計画し、これを予算に組み入れることは、出身町議によほどの政治力を必要とするのではないかと思います。第二に予算にかりに編入されたとしても、必ずしもその議案が町議会を通過するものとは考えられません。かりに元加治地区民が独立して、村予算を編成するとせば、最も適切なる事業を計画し予算に計上すれば、さしたる困難なく可決されることを確信しております。すなわち予算編成から議案可決までの過程に、著しい差を生ずるものと考えております。昭和十八年合併以来、地区出身の町議に政治力ゆたかな人は、一人もなかつたということは言えるでしようが、その面から見ましても、町から元加治地区の現金は搾取されたということも考えられます。同時に元加治区は、大飯能の植民地化されるのではないかということも、私たち青年として憂えておりました。合併前は、私たちは子供でありましたが、その時分県下で三つぐらいしかない優良町村であり、また県からの助成金、補助金も全然受けていない村であるということも聞いております。消防自動車は昭和九年には二台もできております。このゆたかな平和な元加治村が、合併してからというものは、橋にしろ、学校にしろ、非常にみじめなありさまであります。それを見てわれわれ青年は、これは確かに世代を負うのは青年である、そういう考えのもとに何が何でも分村せねば、この平和な元加治は元のような優良町村にはなれない、なり得ないということを感じております。そのためにわれわれはごの分村を主張するのであります。  二の分村反対者態度という項目でありますが、これにつきましては、昭和二十二年、その当時自分も青年団員でありました。その当時元加治分村ということが唱えられたのであります。そのときには反対者諸井陸左右さんが会長であつたそうでありますが、そのときにいろいろな事葉から農業会が郡にできたことと私は記憶しております。分村反対者態度につきましても、思想の自由ということがありますから、われられは別にこの問題をどうこう言う必要はありませんが、真に村を愛する分村反対態度が、非常に見えなかつたのではないかと考えております。  三に移りまして、青年団は、これは青年といたしまして八月四日の選挙ごろから、この分村の熱が非常に上つておりました。これは地区民も同じであります。その結果があの選挙によつて五町議が当選したのであります。純真無垢な青年は、非常にこの分村ということを頭に置きまして、どこで会つても、この分村の話ばかりであつたと記憶しております。そうして青年は純粋な分村運動行つておりました。それは八月当初より飯能地区民は、すべて分村は町議会の議決を経なければできないということを承知ておりました関係上、懇願運動行つたのであります。八月五日より毎夜五名ずつ編成いたしまして、メガホン・カーに分乗しこの懇請運動を約一箇月半、二箇月ぐらいの間続けております。非常に青年団員も血の出るような叫びをしておつたのであります。私たちは決してこの暴力事件ということは、終始一貫考えておりません。何ゆえ暴行事件にまで発展したかということでありますが、それはちようど町議会が二十三日に開かれるのでありますが、その前二十日ごろより、地区民は二十三日の町議会を非常に期待しておつたのであります。それと同時に地区民も非常に動いておつて運動が苛烈でありました。それは元加治分村できるということを信じて、懇請運動行つてつたのであります。それで二十三日町議会があり、二十四日の経過報告によると、分村できないということになつたのであります。過去半年間にわたり青年、それから地区民が血の出るような運動を続けておつたのも、この一日にして水泡に帰したような形になつたのであります。ほとんど二十日より不眠不休の運動を続けておつたのではないかと思います。私もこれは断言いたします。仮眠に仮眠を続けた分村運動でありました。二十四日の暴力事件に及んだということは、そういう不眠不休の運動もあつたし、反対者たちの地区民を興奮させるようなこともあつて、この事件が起つたのではないかと私は感じております。  四の将来どうしたらよいかという項目でありますが、刑事問題まで起した元加治が、はたして現状で飯能町と一緒に手を携えて行くということは、私は絶対不可能ではないかと思います。私も過去二十日刑務所生活をして参りました。それを考えてみますに、この暴力事件に対しては、責任は非常に感じております。しかし責任を感ずると同時に、私としては一生この事件を忘れることはできないと思います。このままで放置すれば、必ずや元加治は平和な、そして明るい元加治となることはできないと思います。私はほんとうに皆さん方のあたたかい手によつて分村せねば、絶対に元加治には平和は来ないと確信しております。どうかお願いいたす次第でございます。
  14. 野村專太郎

    野村委員長代理 最後に清水スミさんからお願いいたします。参考人清水スミ君。
  15. 清水スミ

    清水参考人 私のような者が、ここに大勢様の前に出てごあいさつをいたし、またいろいろ参考人として申し上げることは、皆様は早くより御通知がございましたために、原稿をしたためていらつしやいましたが、私におきましては、電話にて通知がございましたわけで、原稿をしたためるわけには参りませんでしたが、この元加治地区分村問題の始まりましたことについて、一言皆様に申し上げたいと思います。  元加治村は、昭和十八年飯能地区合併いたすことは元加治地区の人といたしましては、大体が不満でございましたが、上御一人というお言葉をいただきましたためにだれ一言いやという人はなくそれに合併いたしたわけでございます。それはほんとうに事実のお話でございます。それから飯能町から恩典をこうむりましたことはまことにまことにございませんでした。それはその地区議員の方のそう申し上げましてはあまり私のような者が小しやくなことを申すかとお思いになるかもしれませんがそのときの議員さん方——これは戦争のためかと思いますが、あまりにも御熱心でないことが、このたび現われたのではないかと私は思います。それでただいまの議員さん方、五人の町議さんが、非常に御活躍くださいましたが、この分村ということをどうしてもいたさなければならないという原因は、中学校の教育上の問題から出たことと思います。とにかく中学校の生徒を、飯能の大きな学校へ入れるということは、母たる立場といたしましては、農村の子供ですし、また元加治は、前の方が申し上げました通り、貧富の差がはなはだしゆうございます。そしてお大尽の子供は、飯能町へ通学いたしますに、自転車通いあるいは電車通いで参りますかわかりませんが、貧しいところの子供は、徒歩で参らなければなりません。雨降り、雪降りのときは、母の立場としてはほんとうにかわいそうに思います。また隣村のお母さん方も、ほんとうに飯能に入れて、私たちは困つておるということは実際でございます。それにつきまして、独立いたしたならば、元加治地区ならば、中学校くらい建てられないことはなかろう。そこで私婦人会長といたしまして、期成同盟の委員の方には婦人会としては、その中にお仲間に入れませんから、婦人会の有志の方にお話いたしまして、村を愛する心のもとに、着々と皆様とともに運動をしておつたのでございますが、事こういうことになりましたことは、まことに深く深くおわびいたす次第でございます。私たちも相当運動はいたしましたが、反対派の方も相当に運動をあそばしていらしつたようでございますが、この暴動はまことにまことに悪いことをいたしたと思います。これは運動の行き過ぎだろう私は思います。  あまり自分かつてなことを申し上げるようでございますが、原稿もしたためて参りませんので、私の考えだけを、一応申し上げた次第でございます。そして今後婦人会といたしましては、融和運動をいたしまして、何とかして飯能と元加治をなごやかにし、そして地区民一体となつて、なごやかに暮したいことを、ひとえにお願いいたしておるわけでございます。地区民のある一部の婦人の方には、どうしても飯能の町に買物に行かれない、また飯能へどうしても足が向けられないと言う方も往々にございますが、そう申し上げましてはまことに失礼でございますが、飯能町は元加治方々が、大体大勢買物にいらしつていらつしやるのです。それを元加治の人が入間川または豊岡へ行く不便もありますので、一日も早くこれを解決していだだきまして、そして飯能町、元加治地区をなごやかにして暮して行けるように、婦人会が大いにその運動をいたしたいと思います。以上でございます。どうぞよろしく……。
  16. 野村專太郎

    野村委員長代理 以上をもちまして、大体参考人各位よりお話を伺つたわけですが、この陳述に対しまして、委員各位より御質疑がございましたら。
  17. 大泉寛三

    ○大泉委員 飯能合併にさかのぼつて立場でありますが、他の合併というものは、おのおの大きな町を中心にして、あるいは大きな市を中心として合併が行われております。この飯能町は、各町村が解散して飯能町を組織したということでありますが、そういたしますと、その当時の財産その他区域等においては、一切そこで処理されてしまつたものと思います。ただいわゆる行政上の都合によつての区域となつておられるけれども、もはや解散してしまつたならば、これはみな互格互譲の立場になつているのじやないか、こういうふうに考えるのであります。町長さんのお考えはどうでありますか。
  18. 増島徳

    増島参考人 まさにその通りでございます。飯能町は、ほかの町村と違いまして、吸収合併ではありませんので、五箇町村全部が解体いたしまして、そうして飯能町を形成したのでございます。元加治地区というものはありますけれども、もともと財産も何も全部ありのままで持ち寄つて、解体して飯能町を形成し、財産も共有ということにいたしたのであります。
  19. 大泉寛三

    ○大泉委員 飯能町を組織した当時、各町村会の議決を経られたときに、いわゆる合同でなくて、解散をまずもつて議決せられたと思うのでありますが、その当時の状況は、元加治村に関する限りどういう分野でありましたか。
  20. 増島徳

    増島参考人 解散したと思いますが、はつきりわかりません。それは前町長細田代議士がその当時の議員でございましたので、お聞きくださればわかると思います。
  21. 大泉寛三

    ○大泉委員 私の聞かんとするところは、元加治村のその当時の情勢が、反対が相当あつたか、反対はなく、村の解散に対して大部分が賛成であつたかどうかという、その当時の状況を、記憶されている範囲内において、どなたでもよろしいですから、承りたい。
  22. 諸井陸左右

    ○諸井参考人 私はその当時話をまとめましたときの議員でございまして、多少はもちろん反対もございました。ただ、反対がございましたのは、元加治村の橋梁費積立金、教育費積立金、村基本財産積立金というものがございまして、ほかの町村と違いまして、元加治村は臨時費が非常にかかる。なぜかと申しますと、川が中央に流れておりまして、橋が三本もございます。普通の考えでおりますと、ほとんど破産をするような状態に立ち至ることがたくさんございまして、その積み立てて参りました金が、その当時の金で十万何千円という金がございました。それを持つて婿に行くならいいが、それの処分をどうするのかと聞きましたところが、ほとんどかつぱらい主義で、元加治村はそういう点にかけましては、非常に巧妙な手段の持主でありますから、全部それを何かの方面に使用いたしておりまして、からつけつで参つたのでございます。そういうふうなわけでありまして、まつた飯能町に対しましてかれこれ責任は負わしておりますが、その当時のことを考えますと、そういうことは義理にも、善良な心であつたならば、申せないと思います。横田青年団長あたりはまつたく純真無垢な子供で、親達がやつたことをただ傍観しておつただけでございますから、元加治村というものは優良町村である、こういうことを聞いておるから、そういうふうに申すのでありますが、元加治村はもともと優良町村の位置にはございません。信用組合にしましても、破産の状態になつたことが二回もございます。そういう悪い方面をちつとも今度は指摘してありません。ただいいことだけを並べてありますから、純真無垢の青年は、全部それにつられたと私は信じております。とにかく元加治村は、先ほど横田青年団長が申しましたように、県下ではございませんが、郡下では上から六番地くらいになつたこともございますが、それは信用組合が発達しておりまして、そのまた反面に工業者でございますから、取引関係が連続しておる関係で、もし大きいのが一人つまずいたならば、下下までずつとその余波を食うような町村でございまして、もし一朝間違つて機業が衰微いたしましたら、それこそたいへんな詰になるのであります。そのために信用組合は、破産状態どころではございません、今とほとんどかわらないような不祥事件を起して、組合長は三年という懲役までも食うような始末でございまして、われわれはその当時やはり清算人といたしまして組合員に選ばれまして、清算をして、やつと今日の状態に立ち返らせた次第でございます。そういうふうなわけでございますから、ただいいことだけを考えて、そういうことを言うということも、私はどうかと信じておる一人でございます。青年団の横由君あたりは、幼少のときから非常に頭もよく、まつたく模範の青年であります。そのために、ほんとうのいいことだけを聞かされて、悪いことは聞かされなかつたから、優良町村だから、独立さえすれば大丈夫だというようなことは、今後帰つてよく調査もし、反省もしていただいて、今町長さん、あるいは婦人会長が言われたように、お互いに相和して、そして大飯能建設して行くように、青年諸君といたしましても反省していただきたいと、私は懇願するものであります。
  23. 大泉寛三

    ○大泉委員 さつき諸井さんからでしたか、政党関係が相当あるという御意見もありました。それからそれに対して顧問弁護士の方もおられるということでしたが、その顧問弁護士の方はどなたでありましたか、どういう御意見を申されましたか、簡単にその点だけ承りたい。
  24. 増島徳

    増島参考人 顧問弁護士というのは、松永東氏が期成同盟会顧問弁護士である、こういうお話でございます。それでさつき申し上げましたように、最初に会いましたのは選挙前でございました。つまり平岡雅雄氏から松永東氏に会つてくれという話は、期成同盟会顧問弁護士であるから、当選してしまつた場合には、町長対弁護士というような対立した資格で会わなくちやならぬ。その前に、町長顧問弁護士という対立した状態でなく会つてくれということでございましたから、会いました。それは選挙前でございます。今選挙中であるから、ほかにいろいろ仲介者もあるしするのだから、選挙が済んだならば、お互いに解決策を持ち寄つて、よく協議しよう、こういうことで最初は会いました。それから選挙後にやはり同じように会いましたけれども、もうとにかくここまで進んでしまつては、町会の決議にまつよりほかしかたがない、フエヤープレーで行こう、こういう話でありました。
  25. 大泉寛三

    ○大泉委員 それから財政的な直接の関係はあつたか、なかつたかということであります。たとえば、今年度から固定資産税が町村に与えられて、固定資産税を納めるものは、きわめて大きい資産を所有しておる大工場、あるいは大生産機関がおもにこれを負担しておる。そういういわゆる税負担面において、分村したならばこれが相当軽くなる、こういうような打算的な一つの考え方から、少数の指導者に数えられておるところの人々が、固定資産税が適用せられた結果、村の分離が実現したときには相当有利になるというようなことの見通しはなかつたのでしようかどうでありましようか。この点率直に簡単に承りたいと思います。
  26. 増島徳

    増島参考人 その点は幾分あると思います。あるというのは、今森田文夫君あるいは横田亀三君も言われたように、徴収額においてはみんなどこも同じでございまして平仙工場だけでも年額約百八十万円くらいの税を出しております。その点はあるいは固定資産税の点から見れば負担が軽減されるというふうな考えがあつたかもしれません。
  27. 大泉寛三

    ○大泉委員 それから森田さんにお伺いしたいと思いますが、各地に起る分村分離は、初めは非常に理論立つて動いておるようでありますが、だんだんにその運動が激しくなると、感情が大部分支配して来る。特に戦前は、合同するときには、みな喜んで合同されたように思います。ところが分離となると、占領下にあるような日本として、分村独立、その独立という言葉が非常に魅力を持つておる。また一般町民が、占領下にあるから独立という言葉に、ただただ引きずられるという感情がある。こうした部面において、何らか指導者——指導者がないといえばそれまでですが、そういう相談の上にされるようなことはなかつたか。いわゆる独立という一般村民の感情をつかまえて、やろうじやないかというような傾向が、多分にあるように私は思うのですが、そういう傾向があつたかなかつたか。
  28. 森田文夫

    森田参考人 元加治の分離の動機というものは、結局中学校なのでございます。中学校建設問題が動機となりました。元加治昭和十八年に合併しますときに、先ほども諸井さんから申しました通り、賛成者はむろんあつたと思いますけれども、反対者も多かつたことは事実なのであります。それはその当時翼壮関係の、前町議であります築地亀三さんという町議の方などは、この反対のほごを向けて非常にやつてつた。それから今度のまことに申訳ない襲撃事件に入つてしまいました。諸井陸左右さんは、前埼玉知事の西村知事さんが存命中に、農業会の解散のときに、農村の人だけがこの農業会の分離に入るのが普通なんですけれども、私あるいは新井徳三それから築地喜治という壮年層の方が入りましたのは、そのときに分離の声が出ておつたが、これはただ農業会の分離だけで、村の分離はあとまわしというような状態でもつて、その当時から元加治の分離というものは出ておつた。その当時の会長さんにお願いしましたのが諸井陸左右さんでございます。この分離とか独立云々とかいうよりもむしろずつと継続しておつたのでございますけれども、分離についてだれがその指導者になるかというと、指導者になり手がなかつたというのが事実なのでございます。ただ学校動機でもつて行政研究会ができ、そうしてここに分村期成同盟会というものが成つて、会長ができましたために、分離運動というようなことでもつて、ただ独立云々というよりも、むしろ分離ということは十八年から続いておつた。それで昨年の七月三十一日までにやれば簡単にできたものが、そこまで地区民が熟さなかつたということは事実でございます。ただ指導者が非常に分離というものを研究しましたあかつきになつたということだけは、事実でございます。
  29. 川本末治

    ○川本委員 最初増島町長にひとつお尋ねしたいと思います。あなたはいつから今の町長におなりになりましたか。この四月からですか。
  30. 増島徳

    増島参考人 昭和二十四年の二月六日から町長になりました。
  31. 川本末治

    ○川本委員 その以前は町政のことには御関係はございましたか、全然ございませんでしたか。
  32. 増島徳

    増島参考人 町会議員を五期勤めました。細田代議士町長であつたときには、議長を勤めておりまして、細田代議士選挙に当選しましたあと町長をやりました。ずつと約二十八年ばかり町政に関係しております。
  33. 川本末治

    ○川本委員 そうしますと、飯能の行政については非常によく御承知になつているわけでございますが、ただいままで参考人の方の御意見を承りますと、相当以前から、合併をした当時は戦争中でございましたから強制合併であつた、みなやむを得ず黙つてはおつたが、相当の不満はあつたということはお認めになりますか。
  34. 増島徳

    増島参考人 合併当時元加治としては、初代町長平岡良藏氏を出すくらいでありましたから、一部の反対はあつたかもしれませんけれども、表面上においてはそう反対はなかつたと思います。ただ精明地区におきましては、大分反対がありまして、そうしてようやく納得して精明地区が最後に入りまして、大飯能町を建設しました。元加治地区——それはどこにも反対と賛成はありますが、第一回の合併町長を出しましたかち、反対はないと思います。
  35. 川本末治

    ○川本委員 そういうようなところに食い違いがあるのではないかと思いますが、今分離派の方の御意見を承りますと町長就任以来、元加治地区には一回も顔をお出しならないということでありましたが、それはお認めになると思いますが、そのほかにいま一つ承りたいと思いますのは、森田さんの御意見と、諸井さんの御意見と税収に対して大きな食い違いがございますが、それはどちらがほんとうでございますか。
  36. 増島徳

    増島参考人 町へ一回も出ないというのは、知らないからだと思います。始終は出ておりませんが、町政について、元加治地区に出張してやつたことは、たびたびございます。ただ出張所へ監査に行くとか何とかいうことはございませんけれども、町へ、元加治地区へ、一回も出ないというようなことはございません。  それから税収のことにつきまして、今森田君の何と大分違つておりますが、二十六年度の元加治の町民税の総額が、七百二十三万一千三百十円というのが正確でございます。
  37. 川本末治

    ○川本委員 町長さんにもう一つお尋ねいたしたいと思いますが、簡単にお答え願いたいと思います。感情問題などが非常に込み入つておるように拝聴いたしますが、これに対しまして、将来町長さんとして、どういう処置をおとりになるお考えでありますか。それをごく簡単に承りたいと思います。
  38. 増島徳

    増島参考人 これは今日の自治法を深く町民が考えておりませんので、町長は熱意をもつてつているのですけれども、町長学校をつくらない、こういうふうに、つまり指導者が間違つて指導しておる、こう思うのです。税金が安くない、何もかまつてくれない、へんぱな扱いをしているというふうに、間違つたうその指導でもつて町民をひつぱつておる、こういうふうに思うのです。今の税のことにつきましても、学校の問題につきましても、決して元加治についてへんぱな扱いはしない。戦争後におきましては、どこの地区におきましても、決して満足な施政をやつているところはないと思う。ことに飯能町におきましては、私は就任以来学校をつくるごとに重点を置いて、そうしてほかのことはすべて犠牲忙してやつて参りました。学校をつくること自体に間違つた宣伝を、指導者がやつておりますから、それが明らかになりまして、町民によく理解していただくならば、私は必ず町民の協力を得る。町民に反省をしていただけると思う。極力それをやりたいと思つております。ただ元加治地区町民の方は、先の町会議員がいくじがないということでございますが、それを町長といたしましては、先の町会議員がいくじがないということを声明することは、そうして顔をつぶすことは、はなはだよくないことだと思つておりますから、それについては皆さんが先の町会議員をいくじがない、また町長も熱意がないというようなことを言つてつたのでは、町政上よくないと思う。さらに間違つた指導のもとにやつていうことを、私の方から言つて行きますと、いろいろの面に摩擦ができて来まして、そうして今の指導者の全部をあれはいい、あれは悪いということになります。今司直の手によつてつた方向に向いておつたということは、逐次判明すると思います。ですからそれによりまして、町民によく冷静な判断をしていただきますれば、町の行政面が必ずへんぱでなかつた町長学校をつくらぬというのではないというふうに理解がつけば、円満に手をつないで行けると考えております。
  39. 川本末治

    ○川本委員 署長さんにちよつとお伺いしたいと思います。時間がございませんから簡単にお答え願いたいと思います。あなたはごく最近に飯能署長におなりになつたようでございますが、先ほどの御説明が非常に不十分であつたことを、私非常に遺憾に思います。     〔野村委員長代理退席、大泉委員長代理着席〕 いま少し親切にお話していただくといいのですが、時間がないから、あまり詳しく御説明できなかつたと思いますけれども、あなたの御説明は、聞くところはほとんど何もなかつた。ただお義理におつしやつたように思いますが、その中でも大きな食い違いがあると思います。あなたの御説明によると、元加治地区の者は九十九パーセントは分離派だつた、こういうことをはつきり言われた。そうするとあなたと同じような立場におられるかもしれないと思われます。騒擾事件の被害者の諸井さんのお話では、九十九パーセントも分離派の賛成者はない、こういうことを言つておられますが、この点はどちらに信用を置くべきかということに、われわれは非常に迷うのであります。
  40. 岩附一雄

    岩附参考人 私が九十九パーセントと申し上げましたのは、あの捜査でどこへ行つても何も入らないのです。ですから感じとして、ほとんど全部がそうだ、こう感じた感じでございます。別に根拠があるわけではございません。それから捜査に行きまして、四日も五日もかかつてやりましたが、どうしてもわからない。口を緘して言わない緘口令をしいたのかもわかりませんが、どこへ行つてもわからない。新聞社の方では早くかかつてくれというし、町の方からはなまぬるい、いつまでたつても犯人が上らぬじやないかというふうに、非常に苦しい立場におりました。そうしてようやく六日目にあれだけの人の逮捕状が得られるようになつたわけです。感じでほとんど全部そうだ、こういうふうに感じたことを申し上げたわけでありまして、別に根拠はございません。
  41. 川本末治

    ○川本委員 根拠のない漠とした話を、かりにも警察署長が、こういうところ来へておつしやるということは、私どもはなはだ意を得ないのですが、ここは裁判所でございませんから、あまり突き進んでお聞きはしたくないと思いますが、一応注意だけは申し上げておきます。根拠のないような話を、こういうところでおつしやることは、今後御注意を願いたいと思います。  次は森田さんに伺いますが、現在町会議員であるあなたが、現在の元加治地区の方からの納税の額も、はつきり御存じないように、今町長さんの御説明、諸井さんの御説明を伺つておりますと聞えるのですが、一体どこからそういう数字をお出しになつたかという点を承つておきたいと思います。
  42. 森田文夫

    森田参考人 実はこれに対してはまことに申訳ないのでございますけれども、飯能本町に参りまして、すべて納税額を調査あるいは聞取りをいたしますのですが、飯能本町といたしまして、何が幾ら、何が幾らということを、はつきりと教えてくれるということはおそらくないのでございます。それがまだできていないのではないかということを、私らは考えておるのであります。それに対しまして向うから参考にとりました数字と、こちらから持つて行きます数字、それから今後における固定資産税の増加というのを総合いたしまして、私らの方で予算を編成しましたまたあらためて分村期成同盟会の方でつくりましたのは、金子村の例をとりまして元加治が分離したあかつきの村の予算としましては、八百何万というのをつくりまして、県当り局の方にも出してあるわけであます。
  43. 川本末治

    ○川本委員 これも少しくおかしな感じがいたします。あなたが町会議員さんでなければ、そのお説も一応ごもつともですが、いやしくも町会議員である方が、町へおいでになつて、一体だれが幾ら税金を払つているかということを聞いたら、はつきり町で書かなければならぬ。あなたには書き出させるだけの権能があると思うのですが、それをおやりになつていなかつたということからも、こういう問題が起きたやに考えますが、あなたの御説明はこれ以上お聞きする必要もないと存じます。  諸井さんにひとつ伺いたいと思いますが、先ほどこれは大泉委員からも、ちよつと御質問がありましたが、この騒擾事件の背後には政党が動いておるというお話がありましたが、それはどんな政党が動いておるのかということを、簡単でよろしゆうございますから、それだけをお答え願いたい。
  44. 野村專太郎

    野村委員長代理 なるだけ要点だけ簡単にお願いします。
  45. 諸井陸左右

    ○諸井参考人 確定したことは申し上げられませんが、いわゆる共産系の方もたいへんに入つておられますようなことも、文書でも配付されましたからわかります。また社会党が入つていることは事実でございます。宮岡馬之助君も社会党員でありますから……。そういうような方面から、われわれは政党も十分そこに介在しているということを察知一いたしたのであります。
  46. 川本末治

    ○川本委員 私が意見を申し上げることでもありませんが、まだ青年団の横田君、婦人会長清水さんなどには、いろいろお尋ねしたいと思いますが、他の委員諸君の割当もございますから終りますが、要はこの問題は当局の方方が、いま少しく温情をもつて御解決願うよりほかないと考えられますので、双方とももう少し的確な問題で、感情に走らないようにおやり願いたいということを一言希望を申し上げて、私の質問を終りたいと思います。いろいろありがとうございました。
  47. 大泉寛三

    ○大泉委員長代理 立花君。
  48. 立花敏男

    ○立花委員 皆さんの御意見、相当詳しくお話願つたのですが、どうしたら根本的な解決になるかという目安が、どうしてもちよつと立ちにくいのです。そういう観点から関係者の皆さんはお考えになつておられるかどうかお尋ねいたしたい。と申しますのは、私ども皆さんに来ていただいて意見を承つておりますのは、騒擾事件などの刑事的な糾明、そういうものにはありませんで、私どもが扱つております地方自治の今後の運営について、どういうふうにやつてつたら、こういう問題が起らないで済むかということの参考のために、御意見を伺つておるのでありまして、そういう観点から二、三補足的な御質問をさしていただきたと思いますので、そういう観点からお答え願いたと思います。  分離賛成の方三名ばかりの御意見は、非常にはつきりいたしておるようです。これは元独立した優良町村であつた加治が、戦争中の上御一人の名による合併によつて、その後だんだんと地区運営がよろしく参らず、しかも生活が非常に困難であり、特に特徴的なのは中学校の問題であるが、これを何とかして解決しなきやいけない、これは分離によつて初めて達成されるのだ、そういうふうに明確な御意見を、森田さん、青年団副団長の方、婦人会の方、このお三人とも御主張なさつておるようであります。これは分離を主張される方の、非常にはつきりした明確な一致した意見だと思うわけであります。この点は、それに間違いないかどうか、ひとつ確かめておきたいのであります。
  49. 森田文夫

    森田参考人 元加治の分離につきましては、ただいまのところ地区民の大部分、——むろん分離に対しましては反対の者もあります。あるからこそああいう不祥事件を起したのでございますが、五〇%とかあるいは六〇%というのでなく、ほとんど大部分、むしろ子供に至るまで、今は分離しなければならないという気持になつていることは事実でございます。また飯能町からどうして分離したいかということになりますと、まことに申訳ないことでございますけれども、飯能町外三箇町村南高麗加治精明実情を見ますと、元加治地区は十八年前と何らかわりがない。上の方に仮橋がかかつてつたのですが、それが合併後においては、一度もかからないというような状態でございます。それから野田と仏子という村落の間にあります高橋のごときは、元は普通であつたのが、今は三トン以上の自動車は通れないような制限標までつくような状態なのでございまして、飯能本町が元加治を何ら顧みないということが、この原因になつたのであろうと思うのであります。そうして飯能本町の町長さんにお願いの陳情書には、元の姿にしてもらいたいという、ただ一語だけでもつて進んでおりますが、この中には相当の理由がございます。ただ笑つてわかれされていただきたいというのが理由でなくして、元の姿にしていただきたいというのが、地区民の希望だつたのであります。ですからこの奥には学校あるいは橋、その他の施設に対しますお願いが、たくさんあつたのが事実でございます。     〔大泉委員長代理退席、野村委員長代理着席〕
  50. 立花敏男

    ○立花委員 他の横田さん、清水さんのお考えもほぼ同じで、結局合併前は豊かな独立した町であつたのが、合併後になると苦しくなつて来た、だからわかれさしてくれ、わかれてもやつて行ける根拠がある。学校も建つんだというふうに言つておられるように思うのですが、時間が長くなりますので、他のお二人の方の答弁も、私そういうふうに推察さしていただいておきますが、これに対しまして、分離反対の方の方の意見が、まとまつていないんじやないかと思うのであります。町長さんは、今度の事件本質は、指導者が間違つて買収したりなんかしたから、そういう問題が起つたと言われますが、これは本質的な問題じやありませんので、根本的にはやはりそういう財政的な困窮——住民の要求が満たされない。学校ができない、税金が安くならない、こういうところから問題が起つておりますので、その問題が私は本質だと思いますが、遺憾ながら町長さんの御説明では、そういう点にはあまりお触れにならなかつたし、また諸井さんの御説明も、分村しては十分やつて行けないのだ、かえつて困るのじやないかというふうなお考え方なんですが、ひとつこの分村反対の方の代表として、どなたでもけつこうですから、そういう財政的な困窮に対して、どういうふうにやつたら、うまく行くとお考えになるのか、その点をひとつ承らせていただきたいと思います。分村の主張をなさる方の御意見は、初めは独立したゆたかな町だつた。それが合併によつて非常に苦しくなつた、学校とつ建てられないというような状態になつて来た。これが分村できると、元加治自身で学校を持つこともできる。だから分村さしていただきたい。だから問題はゆたかな町にする、しかも財政的にゆたかな町にできるという主張が、分村派にあるわけであります。それに対して、分村反対派の方は、そうじやない。分村すればかえつて独立の町村財政が維持できないのだ、学校もできないのだというふうにお考えかどうか。この分村の主張に対して、どういう財政的な解決策をお持ちかどうか、それをひとつ承りたい。
  51. 増島徳

    増島参考人 今の合併後何れもしないということは、これは私がさつき申し上げました指導者の計算違いだと思うのです。元加治中学校のごときは、一番最初にこしらえたのです。教室が狭隘だというので、昭和二十三年度に約百十万円をもつて、校舎をこしらえたのです。それが小学校の校庭にこしらえまして県の規画に合わなくて、補助の対象にならないのです。そのために町から五十五万円を出し、それから地区民から五十五万円かを出して、その中学校をこしらえた。それは小学校の校舎の中にこしらえたので、小学校として許可を受けたわけなんです。それで飯能町の第一中学校をこしらえるときに、飯能町全体から五百万円の寄付を募つたのであります。そのときにはみんなに割当てて、中学校の寄付を募つたのですけれども、全体で約五百万円の寄付ですから、元加治だけで一戸平均九百円近くになると思うのでありますが、そのうち元加治地区では、もう中学校をこしらえた、費用は前の細田町長時代にそれを按分しておるので、この中学校をつくつた寄付は、その分から元加治地区はのけてある。そのくらい元加治地区のことは考えてしました。今合併後高橋の仮橋がかからないというような話がございましたが、これは、飯能町には毎年水害にかかる橋が三つあるのです。その一つは矢颪という所と川寺という所にある仮橋と、もう一つは阿須という所と岩沢という所にある仮橋と、そして野田と森田君のすぐそばの仏子を繋ぐ三つの仮橋がある。その三つの仮橋が毎年水に流されてしまつて困るものですから、それに対して毎年二つずつ仮橋をこしらえて、そうして一つはその翌年にまわす。そういう協定ができておりまして、そうしてこの橋は毎年はかからない。三つも毎年仮橋をこしらえて流されてしまうものですから、そういうような協定ができております。それにもかかわらず、あそこの仏子の橋と阿須という所の橋は、そこの地区民の熱望によつて飯能町から二十万円の補助を出しまして、りつぱな永久の橋ができております。それから川寺の方面もりつぱな橋ができております。しかし元加治地区の橋は依然として仮橋でやつているわけです。今年度もその仮橋の地区が非常に地盤がかたいのでどうしても杭が打てない。それで仮橋をこしらえるとしましても、約百万円近くかかる橋なんです。それは渇水の時だけするように、本年は約三十万円ばかり仮橋の費用として計上してございます。そういうようなぐあいで、橋というようなこととか、税というようなものは、みんな町会議員が出まして、よく検討してやりますものですから、決してそれに対するへんぱということはない。今言つている町会議員に出ている方には、昔のこともあとのこともわからぬ、ただ現在だけを言つていることでありまして、聞違つた考え方と思つております。
  52. 立花敏男

    ○立花委員 飯能財政は今黒字ですか赤字ですか。それから元加治が要求しております橋、どうしても必要だというように言われていると思うのですが、それがつくれるのかつくれないのか。あるいは元加治の要求するような中学校が最近において建てられる見通しがあるのかどうか。飯能財政の見地から、その見通しをお聞かせ願います。
  53. 増島徳

    増島参考人 つくるという見通しは、昨年度におきましては来年度でなければおそらくできないだろうということを、元加治地区民に申し上げてありました。しかし私はやることといたしましては、決して実行のできないことは、あやふやなことは言明しないという町政のやり方でございますから、おそらく二十七年度になるだろうということを申し上げておきましたが、二十六年にできる見通しがついたんでございます。本年度にできる見通しができまして、そうしてすでにそれは二十五年度において元加治地区につくるということを、県に申請してある。その計画に基いて県では二十六年度の第三・四半期の計画に入れるから、敷地とそれから予算を早く決定してよこせというようなふうのことでございますから、それについては学校の計画として十分立ててありまして、そうして八月の十日までに具体的のことを言つてよこせ、県の方からそういうふうに言つて来ました。その前に敷地が八千坪、それから約十二教室で七百万円の予算をもつて県に申請してございます。それでなお敷地を早く出せば補助の対象として百六十万円だけとつてあるという県の話でございました。それでさつそく元加治町会議員五人の方に、こういうふうなことを言つておるが、これは分村問題とは別にして、分村問題は分村問題として運動してもいい。けれども困るのは学校の生徒であり、父兄であるから、学校をつくつたらどうかということを申し込んだのであります。そうすると町長が宥和政策に乗り出したというので、五人で相談しまして、聞かない、それを町長から地区民に話して、敷地をきめてもらうように町長から申し出たのでございます。最高司令部の指令だという話もございますが、それを聞かないというので、町会議員は出て来ないのであります。さらに電話で言いましたけれどもそれでも出て来ない。しかたがないから、それでは町会議員のかわりを私がやろうというわけで、婦人会、青年団、元加治地区の元老、あるいは有識者全部に通知を出しまして、八月十日までに敷地決定すればできるということが来ているから、どうだということを知らせました。それに対して町に出ないという調印を全部からとつて、私のところへ持つて来ております。それですから話もできません。ただ出て来ましたのは学校の校長と、ほかに三人ばかりしか出て来ません。そこで、こういう計画があるので、今町会議員にも言い、さらに私が町会議員のかわりになつて地区民に申し上げるのだが、ということを申しましたが、分村問題で、そんなことは聞く耳は持たぬ、こういう話で蹴られております。そして四百万円の起債も申請してあるのですが、その四百万円の起債も……。
  54. 立花敏男

    ○立花委員 簡単に御返事を願いたいのですが、予算は赤字か赤字でないか、橋や学校の予算を組んでおるかどうか、そういうことを聞いております。時間の関係もありますので、簡単でけつこうですから……。
  55. 増島徳

    増島参考人 赤字はございません。
  56. 立花敏男

    ○立花委員 予算に橋の方はお組みになつておるのか。
  57. 増島徳

    増島参考人 かり橋の予算はつくつてございます。
  58. 立花敏男

    ○立花委員 学校の予算は……。
  59. 増島徳

    増島参考人 学校の予算は敷地決定しなければ……。
  60. 立花敏男

    ○立花委員 そんなことはいいのです。組んであるのか、組んでないか……。
  61. 増島徳

    増島参考人 組んでありません。
  62. 立花敏男

    ○立花委員 それでは結局橋の問題あるいは学校の問題が、実際は解決できないというような見通しじやないかと思うのですが、そういう問題が争いの根本になつておりますので、そういう問題をどういうふうに解決するかということが、問題の焦点であり、問題の本質を解決するものではないかと思うのです。そういうものについてどういうふうにして、元加治の要求する橋なり、学校なりを予算にはつきり組んで、いついつまでに建築できる、あるいは建設できるという見通しを、町長として持たれておるのか、これは簡単でよろしゆうございますから……。
  63. 増島徳

    増島参考人 予算を組むには敷地とか、あるいは具体的なことがきまらなければできないのであります。敷地のきまらないものを予算を組むということはできないことなのです。だから元加治の方で、つくるという気持で敷地を選定して、そしてここへつくるということにして、初めて設計図も立ち、具体的に予算ができるのです。組んでつくるという見通しはできておりますが、元加治の方へこちらで行つて、地所を選定して見つけてやるということは、これはできない相談です。
  64. 立花敏男

    ○立花委員 県の地方課の大沢さんにお聞きしたいのですが、県の態度は少しあやまつているじやないかと思うのです。これに御承知のように戦争中の合併でございまして、婦人会長が言われたように、上御一人の名によりまして、天下り的に押しつけられました合併なので、住民も納得いたしておりません。あの戦時中の地方行政の必要から、合併さしたものでございますから、その点ははつきりお考えになつて対処されないといけないじやないかと思います。特に県の方で、分村反対だ、現状維持だというようなことを、たびたび折に触れ機に触れ、元加治の方へ行つて話したと、あなたは言われたのですが、そういうことをやることが住民の総意を害するのじやないか。そういうことを言うべき立場にも県の方はないと思うのです。またそういお考えで、特に町長連絡をおとりになり、町長から招待されて、分村反対適正規模の現状維持というようなことを、あなたがそういう問題のある町へ出かけて行つて、お話になるということは、非常に誤解を招く、行き過ぎた行為じやないかと思うのですが、そういう点は御反省になつているかどうか。また今後もそういう態度で臨まれるのかどうか、それをお聞きしたい。
  65. 大澤操

    大澤参考人 第一点でございますが、戦時中の合併町村でありますれば、昭和二十三年の七月二十日の法律第百七十九号によりまして、二箇年間のうちに自由に——自由と申しましても住民の投票によりまして、分離することができることになつておりまして、埼玉県におきましても分離した町村がございます。しかしながら飯能町の元加治地区におきましては、この期間中に実施いたしませんで、最近になつてこの分離の問題が起つたのでございまして、県といたしましてはどうしてもこの学校問題が中心となつてつておると思つております関係上、できるならば円満解決をして、大同団結して大飯能建設に邁進していただきたい、かような考えでおつたわけでございます。  また第二点の適正規模の点でございますが、これは政府の方針でもありますし、また県としても従来から持つておりました方針でございますので、できますならば先ほど申し上げましたような線に沿つて、大同団結していただくことが望ましい、こういうことでお話を申し上げたわけでございまして、冒頭にも申し上げましたように、これでもつて県が強制的に圧迫するというのでは全然ございません。あくまでも住民の自由な意思によつて、これを御決定願いたいというふうに考えております。将来におきましてもこの適正規模の考え方は続けて参りたいと思いますが、ただ具体的に飯能加治地区が分離してはならぬということを、繰返して申し上げるようでございますが、いたすことができないことは当然でございます。
  66. 立花敏男

    ○立花委員 県としてなされることは、分村反対だとか、現状維持だとか、適正規模とかいうようなことを、問題の起つているところへ行つて指示するのではなしに、本質的な問題である橋がかけられない問題、学校が建てられない問題、これに対して県としてどういうような財政的な援助をし、あるいはそれの財政的な裏づけができるような協力をするかということによつて、解決しなければならないじやないかと思うのです。ただ大大同団結、大同団結では橋がかかりませんし、学校が建ちませんので、こういうふうな問題を県として協力なさることが必要なので、今までとられました県の態度は、いたずらに紛争を助長するような、分村を押えつけるような態度をおとりになつたのじやないか。しかもそれによつて問題の本質のあり場所をはぐらかして、何か違つた方向べ持つて行くような何でおやりになつたので、こういう紛争が起りましたのは、県の責任もあると思いますから、今後慎重にやつていただきたいと思います。  結論的に申しますと、家が栄えております間は、子供に十分小づかいがあり、おやつがあり、飯が食えるのでありますが、貧乏して参りますと、一つの茶わんの飯も取合いになり、兄弟げんかを始めることになるのでありまして、そのことだけ見ておりましても、決して解決いたしません。もつと大きなところへ目をお配り願つて、今度の紛争の問題でいろいろな感情の摩擦があると思いますが、そういうものはお互いにみんな乗り越えていただきまして、飯能あるいは元加治住民の要求するような施政が行われ、それを裏づける十分な金が、国家からも出て参りますように、皆さんで御協力願うのが一番いいのではないかと私は思います。私どもがきよう皆さんに来ていただきましたのは、あくまで最初に申しましたように、騒擾事件を糾明するとか、刑事的な観点からこの問題を扱うというのではありませんで、今後日本の地方自治体がどういうふうにすれば行政も財政もゆたかになつてつて行けるかということを考えて参ります上に、参考に供したいと思いましてお願いいたしましたので、今後もそういう観点からお気づきの点は、私どもにお示し願いだいことをお願い申し上げまして、私の質問を終らしていただきます。
  67. 門司亮

    ○門司委員 たくさん聞こうと思つておりましたが、次の委員会が控えておりまして時間がございませんので、ごく簡単に聞いておきます。いろいろ各委員から聞かれておりまするが、ひとつ町長さんにお聞きしておきたいと思いますことは、この事件発生後二日目の日に町会が開かれております。そうしてその町会では、十八対零で分村反対だということが議決されておりますがそのほかの十二名の議員は欠席をいたしております。この実情は行政を行う者としては、少し考える余地はなかつたということであります。片一方においては、非常に大きな問題が起つておる。そしてこれは十八対十二でありますが、相当数の人がこれに参加しないという現状に置かれておるときに、しやにむにそれを決定づけてしまうという態度は。将来円満にこれを運んで行く上において、私は支障ができはしないかと考えるのでありますが、そのときの町長の心境を、この機会に伺つておきたいと思います。
  68. 増島徳

    増島参考人 二十三日の町会は流会になつておりまして、きめてはおりません。そのときに分村反対派の十八人のところへ賛成派が出なかつたということは、これはいろいろのこともありますが、買収されてどうとか、あるいは軟禁されていたとかいうことで、あるいは形成不利と見て流会の戦術を反対派がとつたために、町会が流会になつたかと思います。始まりに反対派の方で二人ほど出席しておりましたが、議会が始まると、すぐに退席してしまいました。多分流会戦術のために、賛成派は出席しなかつたのだと思います。
  69. 門司亮

    ○門司委員 端的に答えてもらえばよかつたのですが、私の認識が間違つておれば、間違つておるでいい。私は十八対零で議決したという報告を受けたのですが、流会になつておれば、流会になつたということでけつこうであります。流会になつておることは事実でございまね。
  70. 増島徳

    増島参考人 事実です。
  71. 門司亮

    ○門司委員 そうすると町会では、いまだこの分村には反対だという議決はとられておりませんね。
  72. 増島徳

    増島参考人 いや、二十三日の町会が流会になつたと申し上げたのです。
  73. 門司亮

    ○門司委員 そうするとその後の町会で、これはどういう形で議決されておりますか。
  74. 増島徳

    増島参考人 やはり十八対零で否決されております。
  75. 門司亮

    ○門司委員 それは二十四日の議会でありますから、私が最初聞きましたように事件発生二日後に行われたのです。従つて二十三日後の町会です。そうすると十八対零で議決されたということには間違いないのですね。
  76. 増島徳

    増島参考人 間違いありません。
  77. 門司亮

    ○門司委員 私はそのときの情勢を今お聞きしたわけでありまして、事件発生後こうした問題が起つておるときに、反対者が一人も出て来ないというのを押し切つてそうして言葉は逆になりますが、分村反対者だけできめるということは、先ほど申し上げたように、将来これを円満に片づける上に、非常に支障を来すのではないか。分村はできないのだということを町会できめてしまつておる。そうしますと、分村ができるようにやり直すのには、もう一回議決のし直しをしなければならないことになる。これは町会としては面目上の問題になりますが、やればやれないことはないと思います。が、ここに将来円満に片づけるためのがんを残しておるのではないかと思うのであります。解決のかぎをこの機会に失つておるのではないかというふうな気がしますが、それに対する町長の心境をさつきお聞きしたわけであります。
  78. 増島徳

    増島参考人 二十三日の町会が流会になりまして、十六名の議員が連名で臨時議会の招集を私に請求して来ました……。
  79. 門司亮

    ○門司委員 私の聞いておりますのは、形は二十三日が流会でありましようとも、その次の議会で成立いたしておりましようとも、十八人の分村反対町会議員さんだけで議決した、十二名の諸君は欠席した、こういう姿で町政を押し切つて行く。しかもこつちには大きな事件が起つておるというときに、こういう姿で押し切つて参るということになると、将来この問題を円満に片づけて行く上に、支障がありはしないかということであります。その支障がありはしないかという点について、町長はそういうことをきめるときにお考えにならなかつたかということであります。もう一つつつ込んで聞きますが、それならば町長としてこの問題は将来円満に解決し得るという自信がおありになるかということであります。
  80. 増島徳

    増島参考人 私はこの問題が起る前の二十日の日に辞表を提出しております。それで辞表を保留中にやりました仕事でございまして、法的に責任ありというだけで出ておりました。ですから積極的にこれをどうこうするということは考えておりませんでしたが、とにかくいずれにしても、この問題は町会決定すべき問題であるのだから、町会決定した後にすべきだと考えております。
  81. 門司亮

    ○門司委員 私の質問の仕方が悪かつたのかもしれませんが、町会決定すべきことではありますが、その町会決定したことが、将来紛争の解決し得ぎる感情をいつまでも残しはしないかということを、私は憂えたのであります。それはそれでよろしゆうございます。もう一つ町長さんにお聞きしておきたいと思いますことは、この事件発生までに、先ほど県庁地方課の諸君あるいは知事総務部長が来ていただけるはずであつたけれども、来ていただけなくて、町会でそういう問題を聴取することができなかつたというお話を伺つたのですが、一番大事な地元に対して分村が有利であるか有利でないかということ、ことにいろいろ話を聞いてみますと、一方は有利であると言うし、一方では有利でないと言つておりますが、これらの経済的関係あるいは地理的関係というものを、町長として親切にいずれにも加担しないで、指導されたことがあるかどうかということであります。
  82. 増島徳

    増島参考人 私は分村には反対立場にありました。それはどういうわけで反対するかというと、適正規模の問題もございますのですが、今までの元加治地区の構成を見ますと、森田君も言われるように、五人の町会議員がちりぢりばらばらであつた。とうてい円満にまとまつて行くべき部落でない。反対者もある。今九〇%とかなんとか言つておりますけれども、これは指導者によつてそういうふうに九〇%になつたと、私はこう見る、ですからこういうふうに圧迫して、分村宣伝をしてあおることは、元加治の不幸になると私は信ずる、それで私としまするならば、むしろ飯能町としましては、五箇町村合併しましたのですけれども、元加治は大飯能の一五%の徴税額であり、また地域としてはごく小部分であります。飯能町としましてはこれを切り離しましたところが、プラスにもならなければ、マイナスにもならないという結論が出るのでございます。決して元加治を搾取するなんということはないのでございます。しかしこれをもし切り離して独自でやれといつた場合には、これは必ず私は立ち行かないと思う。ですからこれを切り離してやつたならば、必ずあとでまた後侮して合併するか、あるいはどこかほかへくつつかなければやつて行けないという結論を私は持つております。そういうような一旦つき離して、また後侮して合併してくるというようなことを知りながら、この分離に町長が賛成するということは、これは町長としてなすべきことでないという信念のもとに、いろいろの方面で、つまり分離でない方に誘導して参りました。ですからその分離をするしないということは、自分らは分離が不利であるということは、幾たびか親切にというか、あるいは町民にわかるように、町会議員にも何べんか言つております。
  83. 門司亮

    ○門司委員 私のお聞きしましたのは、一番最後の言葉だけでありまして、町会議員というお話がありましたが、問題はやはり住民の関係でありまするし、従つて町会議員を説得されることも、町長としての一つの役目であるということに間違いありませんが、しかしこういう大きな問題ができて、そうして町長がそうして町長がそういう信念でおいでになりますならば、これの基本動力になつておりまする住民に対して、私は公聴会のような形とか、あるいは役場からお出かけになつて、そうして地区住民を集めて、間違いないような説明をされるとかというようなことが、私はなされたかどうかということを、実はお聞きしたわけであります。このことは、自分は反対だからそういうことをしなかつたと言えば、それだけのものでありまして、それから先は私どもの判断にひとつおまかせを願つておきたいと考えております。  それからもう一つ、お聞きしておきたいと思いますことは、これは分村の問題の中に、いろいろ資金という言葉が出て参つておりまするが、分村をする、しなければならないという、要するに分村賛成の方の資金は、一体どういうところからお集めになつたかということであります。これは賛成をする者の全部の公平なる負担において、運動資金が出されておるか、あるいは他のどこから資金が出て来ておるかということを、おわかりになる方があつたら、ひとつお話を願いたいと思います。
  84. 森田文夫

    森田参考人 これは地区の有志といたしまして、私らもこの分村に対する資金は出しております。それから平仙レース工場からもいただいております。そうして役員ほとんどは五千円ないし一万、二万という資金を、分村期成同盟会の方に出しております。その経理は分村期成同盟会の会計が全部やつております。
  85. 野村專太郎

    野村委員長代理 ほかに御質疑がないようでありますから、これをもつて埼玉飯能町元加治地区分村紛争事件に関し、参考人より説明聴取の件は終了いたしました。  この際私から一言申し上げますが、委員会がこの問題を取上げましたのは、さつき立花委員がお話の通り、全国に同種のいろいろの点があるのです。この点は参考人各位も御存じの通り、町村に対する標準規正の問題であります。しからばといつて、民主政治に対する国民の純情というものは考慮しなければならぬ、こういう点から今回古今未曽有の暴行事件が起きたことは、非常に遺憾である。このことによつて、もし分離が実現するということになりますと、非常な悪例を残します。同時にまた暴行まで起すに至つた事情というものを考えてみますと、これは等閑に付することができないのであります。そういう点から本委員会といたしましては、今日の参考人各位の意見は非常に参考になりました。本委員会といたしましては、重大なる関心を持つて、これらの紛争を将来未然に防ぎ得る方途を考えたい、さように考えております。  今日は県当局警察当局及び直接関係者よりその事情を聴取することができまして、分村問題等に関して、本委員会今後の調査に、多大の参考になりましたことを、委員会を代表して厚く御礼を申し上げる次第であります。一日も早く円満に解決することを希望するものであります。  本日はこれをもつて散会いたします。     午後一時十九分散会