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1951-10-18 第12回国会 衆議院 地方行政委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年十月十八日(木曜日)     午後一時三十六分開議  出席委員    委員長代理理事 野村專太郎君    理事 河原伊三郎君 理事 龍野喜一郎君    理事 藤田 義光君 理事 門司  亮君         生田 和平君  大泉 寛三君         尾関 義一君  門脇勝太郎君         川本 末治君  吉田吉太郎君         床次 徳二君  大矢 省三君         久保田鶴松君  立花 敏男君         大石ヨシエ君  出席政府委員         地方行政調査委         員会議議長   神戸 正雄君  委員外出席者         総理府事務官         (地方行政調査         委員会議事務局         第二課長    小熊  滑君     ————————————— 十月十七日  委員山手滿男君辞任につき、その補欠として河  野金昇君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  委員派遣承認申請に関する件  参考人招致に関する件  地方自治に関する件     —————————————
  2. 野村專太郎

    野村委員長代理 これより会議を開きます。まずこの際御報告申し上げます。去る十二日の委員会におきまして決定し、委員長より議長に提出いたしました国政調査承認要求書に対し、同日承認がありましたので、この点御報告申し上げます。
  3. 野村專太郎

    野村委員長代理 それではこれより地方自治に関して調査を進めることにいたしまするが、本日は去る九月二十二日、地方行政調査委員会議より出されました「行政事務配分に関する第二次勧告」について、地方行政調査委員会議議長神戸政府委員よりますその趣旨について、説明を聴取いたしたいと思います。
  4. 神戸正雄

    神戸政府委員 地方行政調査委員会議におきましては、昨年の十二月二十二日に、国、地方を通じましての事務の再配分に関する報告を提出いたしました。それにおきましてほぼ尽したわけでありますが、なお特例といたしまして残しておきました問題があります。それは大都市東京都と北海道との三つ地方団体に関する特例であります。関連いたしまして地方団体規模組織運営、あるいは国と地方との関係等につきましても、関連問題として残しておいたのであります。さらにそれらと関連し、それらの締めくくりといたしまして、地方財政制度に関する勧告をいたす予定にいたしておつたのであります。これを今回まとめまして国会政府とに提出いたした次第であります。一通りこれらの勧告につきましての御説明を申し上げます。  まず三つ地方団体についての特例でありますが、第一は大都市の問題であります。大都市につきましてはその行財政能力に応じまして、他の一般市町村よりもより多くの事務を担当することが適当であるというふうに考えまして、さきに提出いたしました報告におきましても、若干の特例をすでに設けておつたのであります。それは高等学校児童相談所卸売市場、並びに国道管理等であります。これらにつきましては、あまりにはつきりいたしておりましたから、すでに前の勧告におきましても明記いたしておいたのでありますが、なおその節におきましても、大都市に適したところの仕事は、もう少し研究して、附加するであろうということを予測しておつたのであります。その研究の結果およそ十三ばかりの仕事を、—それはおもに民生、衛生あるいは通産省関係等の問題でありますが、それら十三ばかりの新しい仕事大都市に指定いたしたのであります。それは府県で担当しておりますところのこれらのものについては、大都市なればやらしてもいいという立場から、そういうものを指定したのであります。かようにいたしましてもなお大都市にやつてもよい、あるいはやりたいというような考えが起り得る問題は残るのでありますが、ことに、これはやらしてはいけないというふうに考えました問題がありました。それは何かと申しますと、地方計画であるとか、あるいは農地調整であるとか、職業安定であるとか、自動車運輸といつたようなもので、それらの問題は、大都市のみでやらすよりは、やはり府県連絡をとつて、より広い地域にわたつてやる方が適当であると認めまして、そういうものは大都市に与えなかつたのであります。しかしながらそういつた若干の例外はありますが、相当にたくさんの府県仕事大都市にはまかされておることになります。従いまして、大都市につきましては、従来二重監督、二重行政の弊害があつて人民にとつても非常に煩雑であるし、当局者も手数がかかり、能率が上らない、むだであるという非難が、全部でなくてもほとんど解消することができるようになつたわけであります。それをもちまして、まず大都市のこれまでの不平というものは、大体において解消することになりましたから、大都市問題は一応片がついたとみなしてもいいわけであります。しかしながら、これと関連しまして、これまで、大都市側から要望があり、また現に地方自治法においても規定しておりますところの特別市という問題があるのであります。これをどうするかという問題は、私どもといたしましては、それに関連して附帯的にその回答を与えたのであります。これにつきましては、府県の側からは、そういう規定というものを地方自治法から削除して、問題を複雑化しないようにしてくれという要求がありまするし、他面大都市の側からは、現行制度でもなお足らないから、むしろもつと進んで大都市が特別市になるということに都合のいいようにしてもらいたいという希望も出ておるのであります。すなわち現行におきましては、大都市を特別市にすることにつきましては、国会法規によつて指定し、人民投票によつて人民意見を聞き、そうして最後決定をするということになつております。それにつきましては、人民投票は全県民投票でやるということに現在はなつておりますが、大都市側といたしましては、むしろ当該市だけの人民投票で足るようにしてもらいたい。国会の御決定があれば、当該市人民投票だけできまるようにしてもらいたいという希望であるのであります。私どもといたしましては、だんだん研究いたしましたが、これはまず現行規定をそのままということに一応きめたのであります。そうしてこの問題には、何といたしましても、いろいろ研究し準備しなければならぬ問題があるということを耳にいたしますので、これはそう簡単に扱うことはできない。それぞれの大都市につきまして、具体的の情勢に従つてやらなければならぬ。すなわちその都市国家的の重要性を多分に持ち、金国家影響を受け、また全国家影響を及ぼすような重大性を持つているかどうか。そうして、そういう都市を特別市にしても、大都市としての性格を十分に伸ばして行けるかどうか。そうしてそういう都市をつくるということが、国家的に必要であるかどうか。そういうことをそれぞれの都市について国会でもつて御審議いただいて、それで一応まず一つ前提ができますが、さらには、残つたところの、残存部というものが困つてはいけない。はたして残存部独立して自治体としてやつて行けるかどうかということも考えなければならぬのでありまして、残存部立場も十分考慮して、残存部自治体として十分伸びて行けるような態勢もつくらなければなりません。さらには、かりに大都市府県から独立いたしました後におきましても、共通した仕事を持つことになるのでありまして、両方に関連した仕事がありますから、そういうものを協同的に処理するという形式も考えなければなりませんし、さらには、一つ営造物両方で管理するという問題も出ましようし、いろいろと、二つのもの連関するところの、営造物なり行政事務なりを処理するという方式から、さらにその責任を分担する、負担する、特に財政負担をする方式ども、十分整えて行かなければならぬのであります。これらにつきましては、ただ独立市になるところの大都市だけの考えできめるのではなく、残存部も納得するような条件が備わらなければならぬと思うのであります。そういうように十分慎重な態度をとつて、その当該都市条件なりあとの始末を十分考えて、そして条件がそろえば初めてそれをお取上げいただいて、そうして現行法規従つて、それぞれの順序をふんで特別市をおつくりになるようになさることが適当であろう。ただ単純に、容易に、軽々しくこういうものを決定するということでなく、慎重にやつていただく方がよかろうということの意見を添えて提出いたしておる次第であります。  次に東京都の問題であります。東京都につきましては、これはまことに単純な考え方でありますが、東京都を二つにわけて、二十三区だけを大都市特望市というような形にして、あとの三多摩独立の県にでもすれば、きわめてすつきりした形になるというような考えがありまして、これは長い問いろいろの方面から—学者等の間からも、そういう考えが出ておるのであります。しかし実際について調べてみますると、そう単純にりくつ通りに、机の上で考えるほど簡単な問題ではなく、長い間の沿革といいますか、長い時というものがありまして、二つのもの、三多摩と二十三区とは切つても切れね関係に立ちまして、二十三区の立場といたしましても、三多摩によつていろいろリクレーシヨンなり、永利なり、あるいは住宅問題なり、民生、衛生産業いろいろなものに関連して、これに依存することが強くなつてこれを切り離すことは困るという考え方が強いようであります。三多摩立場に立ちましても、いろいろこまかい反対はあるかもしれませんが、しかし私どもの調べたところでは、これも東京と関連をもつて発展して行きたい、こういう意思が強いということを見出しましたので、学者の机上の計画的な結論をやめた次第であります。従いまして、現在の東京都すなわち二十三区と三多摩とを合せた特殊な地方団体の形を維持することを、まず前提といたした次第であります。  そういたしまして、さて東京都というものは、どういうものであるかということになりますと、これは府県という性格と、そうして二十三区については、大都市という性格二つ性格を持つ。三多摩に関する限りは、都というものは府県ということになりまして、その下に一般市町村同様な市町村というものが存在するという、変態的な形をとるところに持つて行つたわけであります。しからば二十三区の区というものはどうなるかということでありますが、これはまことにたくさん各方面からのいろいろな陳情もあり、いろいろな議論が出て参りますし、相当私どもとしてはむずかしい問題として、最後まで幾たびも審議して、ようやく結論に達したような次第でございます。しかしすでにある程度まで二十三区の区というものは、法人区として長い歴史を持つておるし、地方自治法ができましてからは、一層自主的な自治団体としての取扱いを受けることになつておりますので、これを全然自治区でないとすることは、自治というものの発展の上においていかがであろうかということになりまして、まず自治区たる性格も完全ではないが、制限された自治区として、あるいは完全なる自治団体に準ずるものとして認めようということになつたわけで、決して単に五大都市のごとく行政区とはしなかつたのであります。行政区ではない、しかしながら不完全な制限された自治団体ということに持つて行つたのであります。従いまして、それによつて区というものが一応行政区となり下つたわけではなく、特別な地方団体であるが、地方団体としての資格は持つ、しかしながら二十三区におきましては、都というものが大都市行政というものを一体的に行うことによりまして、能率的に行うことが、非常に市民のために便利であるという立場を尊重いたしまして、この二十三区というものは、既存の制限された自治権を持つ場ところ団体と認めたのであります。かようにまずきめました。そうして事務配分の上におきましては、仕事がこれまでのように、はつきりしない点がありましたから、これこれの仕事行政区の仕事、ただ都知事がかつてに当てがうのでなく、法律でもつて法定化して、一定仕事自治区の仕事というふうに保証する。単なる行政区でありますれば、市長というものが区長に上からおろすというのでありますけれども、そうでなく法律の力でもつて、これこれの仕事自治区の仕事とする、その仕事というものは結局市民の身近にあるところの仕事、つまり身近に感ずるような仕事をできるだけ区にまかして、そうして身近の仕事であつても、市あるいは都が全体として肯定し計画したということにおきまして、非常に意義のあるものはおそらくそれはまかされない、そうしてその中間的の仕事におきましては、ある程度まかしてよいものは委任をする、都の仕事であつても、都の仕事一定部分は区に委任するという道を開きました。しかしともかく区というものの仕事といたしまして、法律の力でもつてはつきりと仕事が指定されまして、これまでのように年々歳々都区協議会とか何とかというものをつくつて仕事のとり合いをするということはなく伸したい。法律の力でもつてはつきりしたい、こういうふうにきめた次第であります。  それから次に北海道でありますが、北海道につきましては、これは御承知通り北海道というものは人口稀薄な広漠な地域を擁しておりますし、それから国家的総合開発重要性を持つたところでありますから、従いましていろいろな行整におきまして、ことに道路とか、河川とか、山林とか、港湾とかいつたような面におきまして、国の責任一般府県よりは多く持たせ、国のやる部分を多くいたしたという点に特徴があります。一々のことは申しませんが、そういう意味をもちまして国の責任仕事一般府県よりも多くしたのであります。これに関連いたしまして、ついでにいたしましたことは、最近に政府北海道開発局というものをおつくりになつて、そうして国の責任のあるものは全部やるのだという御方針でお始めになつたようでありますが、しかし何もかも政府出先機関をしてやらしめるということは、地方民意思というものを反映する上においていかがかと存ずる次第でありますから、たとい国の責任に属する仕事でも、軽い仕事、小さい仕事、比較的重要性のないものは、むしろ北海道にまかして地方民意思を反映せしめてやるようにして、そうして国といたしましては、せつかくできたところの北海道開発局というものに、大きな仕事であるとか、むずかしい仕事、技術的に、財政的に、地方では力に余るような比較的大きな仕事というものを、もつぱら国の力でもつておやりになる。たとい国の責任であつても、まあなるべく地方にやらすということに持つてつていただきたい、こういうことを私どもとしては結論したのであります。それが事務特例の問題であります。  次に地方団体規模の問題でありますが、規模につきましては、市町村の中の町村はすでに前の勧告でも触れております。実際におきましても、あまり多くは言いませんが、ある程度進捗いたしまして、そうして町村というものが相当力強いものになりましたし、またこれからなろうとしつつあるものと思いますし、これにつきましては、さらに助成の方法でも講じていただいてもつと町村が力強いものになることを、地方自治発展のために希望する次第であります。  市につきましては、市というものはだんだんふえます。町村を合併するとか、現在ある市が附近の町村を併合するとかいう形で、どんどん新しい市ができますが、考えてみますと、市というものは一般町村よりも、たとえば警察、消防のような特別の仕事もありますし、教育委員会というような仕事、あるいはその他若干の仕事町村よりよけい負担すべきことになつておりますから、あまり小さい市ができるということは好ましくないと考えます。これは別に確固たる標準があるわけではありませんが、現在の人口三万という標準などは幾らか引上げたらよかろう。どのくらいと言われるとむずかしいですが、五万とか七万とか、幾らか引上げてそうして市としての名目の立つような形をなして行く。人口ばかりでなく、市街的な形をなしておるというようなものに市というものを認めてそうしてただむちやくちやに町村を一緒にして、ばらばらな、市と言えないような形のものを市にするようなことは考えなければならぬというふうに思うのであります。  それから次には府県でありますが、府県規模につきましては、これもいろいろの議論がありまして、まことにむずかしい問題でありますが、大体におきまして府県規模というものは治山、治水、交通等関係から申しますと、できるだけ大きい方が望ましい。しかしながら、また他面におきまして市町村調整をするとか、市町村仕事がうまく行かぬものにつきまして、それを補完するとか、調整とか、市町村のめんどうを見るとか、いろいろ連絡をとるとかいうことになりますと、大きいよりは小さい方がいいのだという、二つ違つた要求があります。そこでこれにつきましては、私どもといたしましては結論を出しませんで、現状のままでもできぬことはないが、しかし能率的にいろいろな政策を行うのには、もう少し大きくした方がよかろうという程度のことを勧告いたしておる次第であります。どうしろということは申しませんので、できるだけ大きい方がよかろうというだけで、それより進んでかれこれは申し上げないことにいたしたのであります。  次にそれと関連して道州の問題でありますが、道州制をつくろうという相当有力な議論がかねてからありまして、いろいろな方面からそう持つて行けと言つて、いろいろ説得をれた場合もあります。しかし考えてみますと、道州というものを、かりに府県の上につくるとすれば、それは屋上屋を架することで、非能率的であり、まことに金のよけいかかることで、人民にとりまして迷惑なことになりはしないかと憂えるのであります。しからば府県を廃して道州をつくつたらどうかということでありますが、なるほどそうすれば、一つ考え方としてはおもしろい考え方であります。市町村というものが有力になつて自治能力が進んで来れば、そうなつてもいいと思います。あるいは理想から言うと、府県市町村の二段の自治団体があることはおもしろくない。徹底して市町村というものを力強くして、府県をなくした方がいい、そこまで行けという議論が、学者的な議論としては相当強くあるのでありますが、おそらく将来市町村が力強くなりまして、自力でやつて行けるのだ、国家のやつかいにならぬでも、国家の知識的の援助を受けなくても、財政的な援助を受けなくても、たいていのことは自分でできるのだというように、自治団体というものが強く進んで来ますれば、おそらく地方団体というものは、府県というものを必要とすることは少くなつて来るでありましよう。しかしそこまでは行つておらないので、現段階市町村におきましては、力がなくて国にたよる、あるいは府県にたよる。府県によつていろいろお世話を受けるという場合があるようであります。そう理想的に一足飛びに市町村だけで自治体をつくつて府県をやめてしまうということもいけないのでありますから、府県というものは、まず残すものとして考えたのであります。そういたしまして道州というものをつくるといたしますと、さて府県というものが残る、市町村のほかに府県を残すことを前提としますと、道州だけにするという議論は成り立たぬわけであります。どうしても道州というものはよけいなものになつて来ます。従いまして現段階では道州というものは、市町村から遠いところにおるということになりますと、その道州というものは、国の出先機関ということになつて地方自治からいうと、地方自治発展に逆行するようなことになりますので、そういつた道州という、国家出先機関のような形になりそうなものはやめて、むしろ府県というものをしばらく温存することに持つて行つた方がよかろうという、少くとも現実に即したところの結論を出した次第であります。  それから組織運営でありますが、これはその後政府におきましても各方面でいろいろお考えになつて地方自治庁あたりでも、あるいは政令諮問委員会というようなものでもお考えになつておるような問題でありますから、われわれとしては深く立ち入る必要が少いと認めました。しかし一応はやはりわれわれといたしましても、なるべく能率化するとか簡素化することは望ましいということを言つておりまして、重要な点について若干の点を指摘いたした次第であります。なるべく部制のようなものを少くしたらよかろう、委員会のようなものもこれまでのように委員会付部局をつくつて地方費用をふやすよりは、地方費用をなるべく少くするように、ある程度委員会事務局というようなものは、一般事務の方にやつてもらうというようなこと等々を考えたのであります。  なお次に私は申し上げたいと思いますが、議員の数を減らすということをうたつております。別段に取立てて言わなくてもよろしいことでありますけれども、これもやはり能率とか経費の面とか、有用な人を得るに都合がよいというようなことを考慮いたしまして、そういうような点を考えた次第であります。  もう一つ名誉職ということをうたつたのが非常に刺激したように聞いておりますけれども、これは名誉職ということであつて、決して報酬を払わぬとかいうことではないのでありまして、名誉職というのは、まつたく専務職に対する名誉職でありまして、さらに役人のように専務ではない。従いましてこの報酬ども月給というようか形でなく、やはり実費的に仕事に応じて支給するということで行きたい、こういう立場にあります。専務ではないということにつきましては、いろいろまた議論がありますけれども、国の場合と地方の場合は違う。国会議員は速くから出て来られて、国家のすべての仕事の中心として国民の意思を代表しておやりになる仕事が年がら年中ありますから、専務的におやりにならなければなりませんが、地方の方ではまずわれわれ実験したところに吉ますと、理事者専務的にやつておりまして、それを監視するとか指導するとかいうようなことに重きを置くべきものであります。地方におつて地方仕事を監視するというのでありますれば、必ずしも専務的にならぬでもよろしいのではないか、こういう考え方であるのであります。  それから次に東京都につきまして、ちよつとついでに特別の点がありますから申し上げます。東京都の運営は御承知のように府県大都市性格二つを合せたものであるということによりまして、普通の府県よりは都市的な仕事が多いだけ、部局ども少し多くなつております。それから議会にも二十三区という大都市的なものの特別委員会をつくれということをうたつております。さらにもう一つ重要なことは財政の面でありますが、財政の面におきまして、区の仕事をするにどれだけの費用がかかるかということを調べてみました結果、あまりに小さい財源では不十分でありまするし、大きな財源、たとえば普通の市町村で申しますれば住民税であるとか、固定資産税というものでは多過ぎるのであります。従いましてこれは国会でおきめになるのでありますが、法律でもつてきめられた住民税のようなものにつきまして、一定部分を都に保留して、あと部分、たとえば三割なら三割を住民が保有して七割を還元する、すなわち千代田区なり中央区でとつたものを都にもどしてもらうというように調整いたしまして、むだを少くするようにいたしました。また一面におきましては、二十三区の間の仕事あるいは財政のでこぼこを調整するということもおのずからできるわけであります。貧乏であるから少い財源でのみやらなくても、ある程度ゆたかなところの財源がまわつて来る可能性もあります。しかしながらまためいめいの負担したところのものをとりもどすという面もあります。これは前に申しました区というものが完全な自治体ではなくして制限された自治体であるという表現が、そこに現われておるのであります。東京都というものが大都市の特異性を持つて仕事をする、区というものが制限された自治体をもつて自分の財源をある程度保有する、還付税というものは御承知のように完全な都税でもありませんし、都税であり、同時に区税である。還付を受けるところの区の税であります。しかし都のものは都が一方でとり、そのとつたものを自分のところにとどめておく部分と、還付する部分とわけますから、とにかく不完全ではあるが、区というものも一つの有力な財源は持つことになるわけであります。その点が違つております。  それから北海道でありますが、北海道につきましては組織の上では大したことはありません。ただこれまで支庁というものが比較的権限が乏しかつたのですが、人民の便宜という面から申しますと、遠い札幌まで出かけなくても、支庁でもつて間に合うよう、支庁の権限をふやすようにしてもらいたい。あるいは北海道の特殊性がありますから、開拓部というようなものをつくつたらよかろうということを示唆したわけで、格別問題はありません。  その次に財政問題について勧告いたしております。財政に関しましては三つの点を、全体についてわれわれは一つの基準としております。一つ行政事務の再配分に伴いまして、いろいろ費用の増減がありますから、それを調整し、そうしてその地方には自己の財源、自己のとり得る税というものを持ち得るように持つて行くということが一つ。第二は、平衡交付金とか補助金とかいうものであります。とかく税を使つて地方自治に干渉したり、いろいろなことをするような傾向がありますが、平衡交付金、補助金の交付方法とか交付の時期等を適正にしまして、そういつた自治侵害の弊のないように持つて行きたいということ。第三には、許可とか認可とかいうことが、従来はとかく多過ぎる傾向がありましたが、そういうものによつて地方の自主性をそこなうことがないように持つて行く。この三つの大きな方針をきめたのであります。  第一は税でありますが、税につきましては実は詳しく書こうと試みましたけれども、これはなかなかめんどうでありまして、ことにせつかくシヤウプ勧告が出て地方制度ができましたさ中に、それに大変革を加えるようなことをするのも穏当でないということも考慮いたしまして、ただ大きな数字だけを出すにとどめました。すなわちいずれ行政事務の再配分をした結果は、税によりますと市町村の分がふえ、国や府県は若干減ります。減りますと、それだけ府県財源の一部を市町村に譲つてもらいたいものもあるし、それからまた国の税源も若干遠慮して、残つた分を市町村あるいは府県にまわし得るものもある。たとえば所得税について申しますれば、所得税の全収の一割なら一割を減らせば、減らしただけ住民税の所得割にまわすということ、あるいは酒の税、タバコの専売益金といつたようなものにつきましても、政府で一割方減らせば減らしただけ新しい地方の酒、タバコの消費税にまわす。決してこれは地方でもつて国と同様な税法とか取立てによつてとるのではない。それでは地方で不適当でありますが、地方といたしましても小売価格を基準にして、小売の面でもつてとる方法を講ずれば、別に地方として不適当でありません。また生産税というような形でとれば国でなければならぬが、しかし市町村とか府県でありましても、そういつた税をその管内の小売の額に応じてとるということになれば、これは可能であります。多少の不公平がありましても、もつと弾力性のある消費税を確保したいという希望はある程度考慮して行くということを幾らかそこにうたつてありますが、こまかいことは触れておりません。   次に平衡交付金も問題です。平衡交付金につきましては、これまでのような配付税に持つて行こう、元へもどそうという考え方も相当有力ですが、それは国の所得税なり法人税なりの一定部分を交付するというようなことにしまして、それを政府都合によつて上げたり下げたりする。政府が自分の都合でもう少し減らしたいと思えば、割合を少くするような法律を出すということに持つて行かれるきらいもありまして、こういうものは国家の収入なり国家考えというものに拘束されまして、弾力性がないようであります。あるいは地方立場言つての自主的な面が欠けている。国の御都合でもつてどうにでもなるという欠陥がそこにあつて、あまりにも機械的になるので、もう少し地方の必要に応じてやり得るようなことに持つて行かなければならぬと思つています。平衡交付金というものがとかく争いがちになるということは地方仕事には国から義務づけられた義務事務と、そうではなくて、地方が自分で切り盛りして行く随意事務二つありますが、随意事務、つまり地方自治能力及び財源やいろいろの事情によつて、あるいは大きくし、あるいは小くし得る仕事には、平衡交付金が必要でありません。ところが国がこれだけはやれといつて義務づけた仕事については、あくまで国が裏づけをし、後見をしなければならない義務を持つている。これとこれをしろと言つた以上は、それはしなければならない。そこで私どもといたしましては、随意事務についてははずす。これまでシヤウプ勧告の中では、随意事務も義務事務も一緒に見積つた。ところが義務事務の方ならば、まだまだ計算ができますけれども、随脅事務になつて来るとこまかくなる。それで見てやつたとか見てやらないとか、見方が大きいとか小さいとか、しよつちゆう中央と地方との争いがたえぬのであります。そこで私どもといたしましては、平衡交付金については、財政需要額と財政収入額とを見合けて、足らぬところを国が平衡交付金て出すということは、今の平衡交付金の方法と同じでありますが、財政需要額の見積りにおきまして、国が義務づけた仕事だけに限る。大きなことをいえば、義務教育あるいは民生の保護費というものはこれこれの法律をもてこうしろ、それだけはどうしてもやれというのでありますから、それだけのものは精密に計算して財政需要額を目積つてやれ。しかしながら各地方自治団体で、自分のところでもつてどうにもできるよ一うな仕事は、各地方自治にまかせておく。地方団体の持つところの財源によつて財源と見合せてたくさんあると思えばよけいやる、少いと思えば控えておくということにするが、義務づけた仕事だけは十分国が責任をもつてつてやれ。そういたしまして、財政収入額の方はどうかといいますと、収入の中から地方の随意事務に充つべきところの自由財源というものを引いて、引いた残りを財政収入額として財政需要額と見合すという勘定になります。従つて引く場合におきましては、地方団体の力によつて、財力のゆたかなところは割合いに少い。たとえば全収入額の二割五分でしんぼうする。しかし財政力の弱いところの貧弱な市町村あるいは府県におきましては、七割五分とか、場合によつては十割全部見て財政収入額として見積るところはないということになるかもしれません。そこをどうきめるかということは別の問題にいたしまして、とにかく財政力に応じて、財政力の大きいところは割合に少いものでしんぼうするし、財政力に乏しいところは割合に多くのものを自由財源にとつておいて、残りを財政収入額として、財政需要額と見合せて足らぬところを平衡交付金として補充する。そうしてその場合においてこういうことが一つあります。政府財政都合で、四十億なら四十億出せぬ、八百億出せぬという場合が起つて参ります。今も起つておりますが、これからも起りましよう。その場合にはそれだけ政府の義務づける仕事を減らすという条件をつけます。ですから地方団体としては、政府に義務づけられた仕事のために地方財政が圧迫される、地方自治が蹂躪されるという非難はあたらなくなつて来るというようにしたらよかろうということです。なほ平衡交付金につきましては、少くとも年度の始まる前に予定額は政府からきめて出すべきである。今のように、予算がつくれぬとか、つくつたが財源がなくて途中で赤字が出るなんていうことのないように、年度の初めまでに予定額を国の方から示すようにしてもらいたい。こういう希望であります。  それから補助金につきましては、とかく補助金を濫用して地方自治を侵すおそれがありまするので、できるだけそれを減らすという方針で、大体新規の事業であるとか、ことに特別な仕事をどうするかということは結局立法問題ですが、そういうようなものに限る。第二は主として土木関係ですが、河川とか道路等々の方面におきましては、相当に大きな金がいつて、とうてい地方の力では背負い切れぬというものについては、一定の補助をするということもやむを得ぬと思います。その次は災害復旧の費用ですが、日本のような災害の多いところでは、ことに貧弱な地方団体では背負い切れぬ場合がありますから、これはひとつ全国的に分担するという気持で、国が見てやるということであります。この点は私ども十月の勧告の中に、ある程度基準を示しております。大体そんなようなものに限つておりますが、その他交付金といたしましては、国が地方に委託するとか委任する事務であります。たとえば国が地方の試験所に研究を委託するというように、委任事務というのは非常に多いのですが、こういつたものについては国が賠償をする、補償をするというとは当然でありまして、ことに委任事務につきましては十分に見てやつて、委任事務地方にまかせたために地方が迷惑するようなことのないようにしてもらいたいということを言つております。その他税にかわるべきところのものを国から地方に渡す、あるいは予算外の負担に属する債務の支払いといつたようなものもありますが、そんなようなものは当然国が出すべきものであります。補助金という名前があつたとすれば、性質は補助金でなくてそういつたものでありますが、そのことの性質に従つて交付することにしたらどうかと考えております。  それから公債につきましては、今日の特殊な情勢、つまりドツジ・ラインといいますか、何か金融統制が強力に行われまして地方の借金をする資金というものは預金部から出すという方法が立てられたのであります。議論の余地はありましようが、こういうものが守られておるところの現在におきましては、それをしいてとは言いませんが、少くともわれわれは昨年十月の勧告に述べました通り、これは需要別の査定ではなく団体別にして、少くともめんどうな手続というものは少くしてもらいたい。あまりに自治仕事について査定をされるということではやりきれぬから、団体別にする、市町村の分は府県別にしてもらいたいという要望を出しておりますが、それはそれといたしまして、多少恒久的な制度といたしましては、地方債はできるだけ自由にするということにしてもらいたい、こういう考え方を持つております。一面においては制限を緩和する。他面においては助成をするという二つの面を持つております。制限を解く意味におきましては、一つには、公債の発行額において償還費がその当該団体の歳出の一定割合を越えない限りはよろしい。ただ一定の割合、一割なら一割だけ、公債償還費に充てるだけの公債費であれば、それは自由にやつてよろしいというようなことも、一つの制限の緩和であります。それからあるいはこういうことが起つてはいかぬという何か特定の必要があれば、それはやむを得ぬかもしれません。国家的の重要性を持つた事項であつてそういうことをやられては、地方団体が立ち行かなくなる。他の一般の面においても弊害があつて困るという例があれば、それは制限してよろしい。一定の事項について制限をする場合には、制限するのはよろしいが、そういう制限をなるべく少くしようという希望が出されております。  それから助成につきましては、一つには、これまでのように預金部に依頼するばかりでなく、一般の金融機関であるとか、あるいは個人から公募し得るようなこと、そういう方に持つてつてもらいたいということ。さらには余裕のある、あるいは富裕な団体であれば公募もできますが、現在公募ができにくい。しかしながらできないからといつてつておいては大事な仕事ができない。学校ができない、せつかくの橋ができないというようなことでは困るから、やはりできるようにするために、公債を買わせるようにするために、地方金庫といつたようなものをつくつて国家もそれを助ける。しかし地方団体の全体が全体でもつてそれを維持して行く。国によるかよらぬかは第二の問題でありますが、ともかく地方団体によつて一つ地方金庫をつくつて、そして弱つた団体があればそれに貸してやる。安い利子で、よい条件で貸してやる。余つたものがあればなるべくそつちへ預ける。ほかへ預けないでそこへ預けるというように、全体的な形で、そういう精神を持つたところ、の地方金庫をつくる。そうして地方団体の起債を容易にする、助ける、助成するということとか、さらには国とか府県が、市町村にある程度債務補償をするということも相当やつてもらいたい。何でもかんでも補助金、補助金と言つていますけれども、そうでない。補助金をもらうよりは出すのだ。自分で負担する。今すぐでは出せぬけれども、五年後、十年後、百年後には、そこまで行つたら必ず出しますという確信を持つてせつかく努力しようというのに、それができぬというのは情ない話であるから、やはりそれは他の補助金よりは補償をしてやる。万に一つとか、千に一つそれるのがあつても、そこは国が、あるいは府県が見てやるということが一つの義務であるというふうに考えられます。要するにそういうことをきめましてうたつております。  最後北海道でありますが、さきに申しましたように、北海道につきましては総合開発政策という国家的の重要性もありまするし、広大な地面で、人口が稀薄で、財政力というか、租税力というか、租税の負担力も比較的乏しい地方でありますから、これは補助金なり平衡交付金なり起債なりという面において、若干特別な扱いをしてもよかろう。こういつたようなことを申し述べた次第であります。  まことに長々しく申しましたが、大体その趣旨で御了承願いたいと思います。まことにまずいものができたと今から思えば考えられまするが、その間におきましては、いろいろな注文が出て来ましたので取捨選択に困りました。理論的に学者の机の上の議論として考えますれば、もつとはつきりした線をもつてきめたいというふうに考えましたが、実際問題といたしましては、長い沿革を持ち、また複雑な利害関係を持ちまして、一方がよければ片方が悪いというのでありまして、その間双方の顔を立て、意見を尊重するという立場に立ちますと、まことに不完全ながらかような結論より出なかつた次第でありますから、あしからず御了承を願います。今後におきましても、これらのことが行われますれば、ある程度日本の地方自治というものは促進され、民主化にも役立つことと信ずるのでありますから、どうか皆さんの御努力によつて、たとえ全部とは言わなくても、有力な面が御採用になつて立法化されるようになることを期待いたします。またその時期が来たことを信ずるのでありまして、皆さんによろしくお願いいたす次第であります。
  5. 野村專太郎

    野村委員長代理 ただいまの御説明に対して御質疑がございましたら、お願いいたします。
  6. 門司亮

    ○門司委員 これは神戸先生にお聞きするよりも、財政委員会にお聞きした方がいいかと思うのでありますが、事務の再配分のことについてお伺いいたします。  最初にお聞きしておきたいと思いますることは、都道府県市町村との規模の適正化の問題であります。これは、今先生からお話があつたように、いろいろの角度から検討されているようでございますが、大体今の日本の町村の適正規模というものは、財政的に見て一体どのくらいの人口を、一つ市町村の単位とすればいいかということは、先ほどの御説明で一応私どもは承つたのでありますが、その基礎は、財政的なものが基礎になつているのか、あるいは行政上の問題が基礎になつておりますのか、この辺をもう一応お聞かせを願いたいと思います。
  7. 神戸正雄

    神戸政府委員 町村規模の適正化につきましては、私どもといたしましては、若干統計をとりまして、まず、一つ町村に一箇所の中学校をつくるのが適当な程度というようなものが、一つの大きな目安になつております。学校問題は地方では重要問題ではあるが、中学をつくらなければいかぬというときに、およそ人口七、八千程度のところが、ちようど一つの中学校ができる程度だ、単位だということが一つ念頭に浮んでおります。私ども人口七、八千ということを大体基準にいたしておりますが、その他では、はつきりと七、八千がいいというほどのことはありませんが、人件費とか役場費とかいつたようなものを調べてみますと、人口二、三千程度以下の小さいところでは割合に費用が食われたり、さりとて、一万以上の大きなところになると、長とか何とかいつて、特別な形において相当に費用もかかるようです。役場費といいますか、どうせ一つでも役場を持てば、そこに村長さんも助役さんも、いろいろの係の者もある程度備えなければなりませんが、あまり小さいというと、機構倒れになつてむだが多い。しかしまたあまり大きくなると、これまたどういうものか、その人口数の多くなるのに応じて、割合に少くするというわけには行かないので、適当の程度というものがございますが、ちようどそれが、人口七、八千ぐらいのところが割合に負担が適正だ、そんなような二つ標準を持つております。
  8. 門司亮

    ○門司委員 規模は大体そのくらいの規模で、財政面から考えれば、おそらくそういうこともあると思いますが、次に町村の合併の問題が必然的に起つて来ると思います。きようこれを先生にお聞きすることは、ちよつと行き過ぎかと思いますが、大体日本の町村人口七、八千ぐらいの単位にするということになりますると、現行町村制の上で置いておりまする町村は、大体どのくらい整理されるといいますか、統合が行われるかということでありますが、これがもしおわかりでありましたならばお教え願いたいと思います。
  9. 神戸正雄

    神戸政府委員 まず人口七、八千の程度にするとしますれば、三分の一程度に減ると思つております。今一万ちよつとありますが、それを三分の一程度に減すことができると思います。しかしながら、適正規模の問題について一番むずかしいのは、地形の問題でありまして、平地で自由に大きくもなり小さくもなり得るところはよろしいですが、山間の谷間であるとか、あるいは離島というようなところになりますと、絶体絶命で、千でも二千でもあるいは三百でも仕方がないというところも出て来るようであります。しかしできるところは、そうすれば三分の一程度になる、こういうわけであります。
  10. 門司亮

    ○門司委員 この統合の問題は、非常にむずかしい問題であります。たとえば東京都にあります宇津木村、神奈川県の蘆湯村、こういうような村は、御承知のように宇津木村は大体人口が六十人しかありません。神奈川県蘆湯村は大体人口が百二十人だと思います。そういう小さい村があつて、これが今まで、実は私も神奈川県におりますが、なかなか合併ができないのであります。だれが見ても、人口百二十人くらいの村が今まで存続しておることはおかしいように考えられますが、これはいろいろな条件で合併が困難であります。これをすることがいいということになつて参りますると、先生のお考えでは法律か何かで一ぺんにこれを統合するというような、悪い言葉で言えば強制的にでもやつてしまうことがいいとお考えになつておられますか、あるいは住民の自由意思で慫慂して行く形でこれを整備する、と言いますと言葉が行き過ぎますが、処置をして行つたらいいというお考えでございますか。その点についてのお考えがございましたらお聞かせ願いたいと思います。
  11. 神戸正雄

    神戸政府委員 それは私ども委員会議でも触れております。問題にはなりましたが、われわれの考えといたしましては、すべて民主主義の時代のことでありますから、法律の力によつて強制することはしないで、自由意思でもつてできるように持つて行きたいという考えを持つておりまするが、多少小さな村であつて立行かぬ村があつてもやむを得ない、こういう村は、そこが府県などの補完行政の余地が残るゆえんでありまして、何らか情勢が非常にかわらない限りは、こういう情勢は続くものと思いまして、すべて自由意思ということでいたしまして、あまり法律でおやりになるということは、私どもとしては穏当とは考えておりません。
  12. 門司亮

    ○門司委員 その次にお聞きしておきたいと思いますのは、東京都の区の問題です。これは行政の上から、いろいろ問題を起しておるわけであります。自治法によりますと、大体市と同じような取扱いをするということが二百八十三条にあるものでありますから、従つているくな問題を起しおると思います。将来これが東京都だけで治まりませんで、あるいは今区制をしいている所は行政区と自治区にしたらどうかという意見も多少ないわけでもございません。そこで今の東京都の区の問題を解決するということが一つと、もう一つは、先ほど申しましたように、現在大阪あるいは京都というような五大都市にあります区を自治区にしたらどうかという意見もないわけではないのであります。これらの点について、もし委員会議で検討された面でありますれば、この際お聞かせ願いたいと思います。
  13. 神戸正雄

    神戸政府委員 東京都につきましては、先刻申し上げた通りであります。制限された自治区として残ります。地の大都市行政区につきましては、これは大都市におきましては特殊性という問題があまりに重要と見られたために、その問題に触れておらぬようです。私どものところではいまだかつて大都市の区を自治区にしろという勧告または進言をした人もありません。でありますから、私どもとしてはそれを問題には取上げませんでしたが、見方によりますれば、それは一つの問題でありましよう。それで大都市行政区にしておきながら、東京都になぜ二十三区の自治区を認めたかと申しますと、それは大きな点を申しますれば、東京都は御承知のごとく、二十三区だけでも人口は五百万以上、全体を合すと六百万ですが、大体五百万以上の大きな都市であります。しかし他の大都市は、大阪は二百万といいますが、他は八十万、九十万、百万という程度のものでありまして、問題となれば大阪がなるかもしれません。大阪はあるいは東京のまねをして自治区的な力を持たせてくれという希望が出るかもわかりませんが、しかし大阪のようなところでは東京とは違つて、これまで自治区としての沿革がありません。自治区としての沿革が、東京にはあつて大阪その他にはないということが一つ。それから東京は先刻申した通り大きな都市でありまして、もし行政区としてやりますと、むろん区長というものがおつて市民に直結しておりますが、しかし市民からいえば、身近かな不平とか不満とかがあれば、行政区ですから、区長はあつても軽く見ますから、やはりすぐ東京都知事に持つて来る。百万の合からもやくやくと東京知事にいろいろな注文を持つて来るということになれば、ほとんど煩にたえないことになりやせぬかと思うのであります。しかし他の大都市では、大阪はちよつと中間でありますが、かりに京都なり横浜なり神戸なりをとつて見ますれば、それは必ずしも当らない。全体の市民からある程度苦情を持つて来られても、処理することはそうむずかしくはなかろうと思います。そこでやはり東京都のような大きなところでは、区というものがあつて、ある程度自治権を持つて、その権限によつて身近かな問題を解決して、そして責任を持つてやる。苦情があれば都知事からでもすぐ区長のところに行つて、区長が全責任を負つてつてもらうなら、やつてもらうということにする方が、より能率的といいますか適当である。しかし横浜、神戸あたりでは、必ずしも区長のところへ持つて行かぬでも、市長が全責任を負つてつてもできる。若干程度は違うと思いますが、しかし実は問題にはしなかつたのです。事実だれも言つて来なかつたのです。私ども関係者に聞いても、その問題はどちらでもよいのだというふうに申しましたから問題にはしておりませんが、若干違うと思います。
  14. 門司亮

    ○門司委員 もう一、二点伺いますが、現在の東京都の状態でありますが、私は行政関係から見ると、東京都制というものは失敗だと率直に言つた方がよい、こう考えます。それはもし東京が首都の都市であるとするならば、やはり首都の都市としての一元化した行政が行わるべきだと私は思う。それは今東京都の性格というものは、やはり府県性格を非常に持つております。そうしてその下にやはり市の性格のようなものを持つている。さらにその下にもう一つ半分ぐらいの自治区のような性格を持つております東京都制というものは、かなり複雑な形を持つていると思います。これはいわゆる首都の建設法というような特別法もできておりますが、そういう法律の面から見て参りますと、東京にはもし首都として特別の法案が必要だということになりますと、現在の都制をやめて、むしろ私は府県制というようなあいまいなものではなくして、東京都には東京都としてどちらかの一元化した組織がほしい。でき得るならば府県制というようなものを総合した東京市なら市制というもの一本で、すべての行政が片づけられるようになつて参りますと、その中における完全自治区でない制限自治区でありましても、自治区でありますれば、やや手数は省けると思いますが、今の東京都の行政というものは、府県制の様相を持ち、さらに市制としての様相を持つ。さらにさつき申しましたような制限自治区のような形を持つておりまして、非常に複雑であります。従つて行政を行いまする内面においては幾多の問題を包蔵しておると思う。これは東京都の諸君に聞かせると怒られるかもしれませんが、私は必ずしも東京都の都制というものは、明朗な都制じやないのではないかと思う。これはやはり原因は行政上の一つ組織が誤らしておるのじやないかというふうに考えられる。住民の方から考えますると、都制ではあるが、従つて形の上から行けば、二重行政が廃止されるような形になるのであるが、実際は三重行政のような形を持つ面もないわけではないというようなことで、住民の方から見ましても、私は必ずしも便宜ではないと考えておりますが、委員会の方ではこの問題についてどういうふうにお考えなつたか。
  15. 神戸正雄

    神戸政府委員 その点は先刻の説明の中にも触れておつたつもりでありますが、一つの理想論という形でありますれば、おそらく東京の二十三区だけを一つの特別の市としてやつて行く、そうして三多摩だけを独立の県にするというふうに持つて行く方が、一番能率的といいますか、簡素といいますか、そういう趣旨にはかないます。そういう案は東京の市政調査会あたりからも出ております。おそらくこれは柳田博士あたりの考えがずつと伝わつて来ておるのかと思います。理想論としては一つ考え方と思いますが、先刻申しましたように、理論と実際とをかみ合せまして、多少理想には遠ざかつても実際に即する。それで実際について調べてみますると、東京都の二十三区及び東京都という方面では、やはり三多摩というものが自分たちの存立の上に、発展の上に役立つておるのであります。プラスになつておる。若干の負担はしておつても、いろいろな面においてあるいは永利であるとか、水道あるいは観光であるとか、産業であるとか、住宅等におきまして、利するところが多いのであるから、それでその現状を維持してもらいたい。三多摩方面からも、それに対して、反対の考えを聞かなかつた。むしろ現状で一緒になつて行く方がよいという考えだというように聞きましたから、私どもは理想論でなく実際との関係から、まずその点については、現状を維持して行く、少し変態的であり、まことに首都として何か体裁の悪いというようにお考えの方もありましようが、まずこれを維持して、それに合う制度考えよう。こういうふうにいたした次第であります。お考えはごもつともな点も多々ありました。個人としては大いに同感の意を表します。しかし委員会としては、そういう実際と苦情を結びつける、そういう根拠のもとにこの案をつくつた次第であります。
  16. 門司亮

    ○門司委員 もう一つ最後財政問題を聞いておきたいと思いますが、勧告案の中に新しい補助金の問題にちよつと触れておいでになるようでありますが、私は地方財政の形でこれは必ずしも万全の策とは申し上げられないと思いますし、いろいろイデオろギー的な問題もあるかと思いますが、日本の地方債についていろいろ制限があつたり、それからきゆうくつな面があるのでありますが、私はこういう面を避けると同時に、地方財政を堅持して行きますことのためには、目的税の範囲というものを私は相当広げる必要があるのではないかということが考えられるのであります。それは一例をあげて申し上げますと、道路とか、橋梁とかいうものに多くの費用が使われるのでありまして、ことに日本の都市は建設途上にありまするので、そういう建設的の事業を相当しなければならない面がたくさん出て来ておる。ところがこれが一般経費でまかなわれることとかりますと、なかなか財政の面で困難がありまするし、それからもう一つは、たとえば道路の使用の関係でありますが、一つ町村があつて、その町村両方の大きな都市にはさまれておるというような場合の道路の損傷の率というものは、その村の使用率の損傷の率でありませんで、やはり自治体の違うところから来たトラツクなりあるいは自動車なりが、大体道路を損傷して行く、その損傷された道路はやはりそこの自治体の負担にならないわけではございませんで、やはり国道でない限わにおいては、いろいろな形においてこれが負担されておる、こういう面が私は出て来ると思います。従つてこれは目的税のような形で通行税をとるということも、多少の語弊はあると思いまするが、しかし使用者の負担としても何らかの負担をさして行くような形が、今日の地方財政をまかなつて行くのにかなり公平であつて、必要ではないかと考える。同時に日本では水道であるとか、あるいは電車を走らせるというような公企業という形の面で、現存取扱われておりするものについては、いろいろな形でそれについての起債というようなものが事業に限つて許されている場合もないわけではありませんか、道路とか、橋梁とか、あるいは港省の施設とかいうようなものについての起債はなかなかめんどうであつて、思うように行つておらない。これを一回起債してやると同時に、償還の一つの計画として当然受益者負担のような形がとられる税制が行われてもいいのではないかというような考えを私は持つのでありますが、この点について先生のお考えがありますれば、ひとつお伺いいたします。
  17. 神戸正雄

    神戸政府委員 その点は、われわれの委員会としては触れておりません。自由に議論することを許されるならば、個人としてはお説のような考え方に同感であります。この目的税的な考えというものに一つの長所を認めまして、そして道路であるとか、あるいは学校とか教育とかいうような、ある仕事を限定して、その目的のためにみなが出して、一般の経費の一般税と離れて目的税をつくつて、そしてこの仕事の進展をはかるということも、一つ考え方と思います。しかし私ども委員会としては、その問題には触れていません。でありますから、実際は便利の点もございますが、また弊害もございまして、もつと慎重に考えなければなりませんが、一つのお考えとしては、きわめて尊重すべきお考えと思いますが、私どもとしては、その議論は出て来ませんでした。
  18. 野村專太郎

    野村委員長代理 河原君。
  19. 河原伊三郎

    ○河原委員 地方議会の議員名誉職とせよという問題について少しくお伺いいたしたいと思います。現在町村の議会の議員は、名誉職的な仕事になつておりますが、都道府県の議会の議員は専門政治家的な活動をやつておるわけであります。そこで民主政治におきましては、何と申しましても議会中心の政治であり、議会を重視するということと、民主主義政治とは不可分のものでありますが、これを引立てて行こうというのでなくて、諸君はそんなに活動しなくてもよい、諸君の待遇はもつと引下げるのだというふうなことが、民主政治拡充のための方途であるかどうか、この点についてひとつ委員会議のお考えを承りたいと思います。
  20. 神戸正雄

    神戸政府委員 そういつた御質問は必ず出ると予期しておりました。民主政治であるから、できるだけ多数の者が寄つて、そうして専門的にやつてこそ、議会政治を重視するということになるので、数を減らすということ、さらには名誉職として報酬を打ち切るというようなことをすれば、それは議会を軽く見るというふうにも考えられますが、私どもといたしましては、地方議会は国会のごとくしよつちゆう開くということでなく、日をきめてお開きになつて、重要な問題をおきめになつて、そうして理事者を指導していただければ、理事者というものがその指導のもとに専務的に一生懸命になつて働くのでありまして、必ずしも議員の方方が常動的に、専務的においでにならなければ仕事ができぬというほどのものではないと思うのであります。むしろ議員を、議会を尊重すればこそ、かようにしまして、名誉職として高い地位を認めて、そうしてその指導性を十分に発揮していただく、こういうことにいたしたのであります。そうして名誉職であるからといつて必ずしも何も差上げないというのでなく、必ず実費は差上げるのであります。すなわち日当とかその他費用を弁償するということは当然のことでありまして、名誉職であるから何も上げないというのではないのであります。そういうようなことにするということは、他面におきまして、職務を怠つておるような方でも、議員であればすべて当然に同じ分配にあず承るというのではなく、仕事をよけいやつたから、それに応じた手当を受けるということで、十分に報いるところはあるのでありまして、必ずしもその議員なつた方々に御迷惑ということはない。相当に賠償はお受けになつて、職務に忠実に働いていただくことができる道があるわけであります。場合によりますと、名誉職である方が今日現在よりもより多くの報酬を差上げなければならぬ場合もできて来ると思います。要するに名誉職なつた方のお仕事の量に応じて、相当な賠償はするという意味の名誉職でありまして、そういう意味もどうぞ併せて御了承を願いたいと存じます。
  21. 河原伊三郎

    ○河原委員 現在の都道府県議会の運営は、国会のごとくほとんど始終開会いたしておるわけでなく、きわめて短かい時日を開会いたしておるわけであります。しかもそれは一々目を期して開いております。決してじだらくな、のんべんだらりのものではありません。しかしながら正式な開会がなくとも、それぞれの政党における政務調査とか、あるいは自発的に県へ行つていろいろな調査をするとかいつたふうに、始終都道府県と接触を保つておるのが通常であります。またそういうふうに日常いたしておりましてこそ、初めて県政の実態が把握できるのでありまして、単に招集せられたときに顔を出す、そして平生はほとんど遠ざかつておるというふうなぐあいでありますれば、おのずからその人の心も専心都道府県政を思うというふうなわけには参らない。一定の職業を持つてそれの方に専念しておつて、ただ招集されたときだけ顔を出すというふうなことでは、とうてい民主政治、ことに議会中心の議員としての職責を果し、都道府県民の期待に沿う活躍はできるものではないと、かように考えられるのであります。なおただいまの御説明によりますと、今までの都道府県議会の議員は日幾らとか、年幾らというふうであつたのを、今度は一回幾ら、一日幾らとかいうふうに切りかえられるので、いわば常雇いを日雇いに切りかえる、こういうふうな御構想のように考えられるのでありますが、さように解してよろしいかお尋ねいたします。
  22. 神戸正雄

    神戸政府委員 そう言つていただくと、議員というものの地位を引きおろしたようにも見られますが、私ども考え方は、あくまでも議員の地位というものを尊重して、敬意を払つて名誉という字をつけたので、実においてはおそらく今とそうかわりはないであろう。また実際議員の方々も本務は持つてつて議員を兼ねておつては、とうてい都道府県会議員として職責を果すことはできないから、しよつちゆういろいろ連絡のために、あちらこちらへ行つておるから、議会の開会中ばかりでなく、ふだんから、仕事をしておるのだ、常勤しているのと同じだというふうに仰せられますけれども、そこは違うと思います。専務の普通の職員は、一定の時間を、朝何時から夕方何時まで、あるいは超過勤務等をいたしまして、さしつかえない限り必ず来て仕事を日常やるのであります。しかし県会議員の方々というものは、なるほど、いろいろな政治的な団体等との交渉で、あちらとちらとお出ましになりますけれども、しかしやはり主たる仕事は、地方において農業なり商業なり、その他の仕事にお携わりになつて、その余暇をもつて、名誉だから引受ける、多少自分の本業にはさしつかえるけれども、犠牲になつて、あえて府県民のために仕事をするのだという意気込みでおやりになるものと思うのでありまして、われわれは決して日雇い人に落す—もつとも日雇いというものが低いものかどうか、民主時代には問題でありまして、遊んでおる有閑階級の方よりは、日雇いの方がもつと貴重な勤労者であるかもしれませんが、しかしともかく、ただいまの御説明では、何か落したようにお話になりましたが、そういうわけでなく、あくまで議員の方を尊重するという趣旨で来ております。もつとも、これにつきましては考え方が違つたものが対立しておりますから、私の考えが正しいか、あなた様の考えが正しいかということは、すべては一般の批判にまつよりいたし方がないと思います。私ども考えは、決してあなた様のお考えのような、議員というものを軽く見るものでないということだけはどうぞ御了承願います。
  23. 河原伊三郎

    ○河原委員 選挙に多くの費用を要するということは、非常に好ましくないことでありますが、過ぎました地方議会の選挙は、実に驚くべき状況を全国に展開いたしました。これは議員候補者や選挙事務長が費用を惜しまず使つたのではなく、集まつて来たからしかたがない、思わざる支持者が集まつて来て、そして自然に非常に金を使つたという結果になつております。いずれこの選挙法の改正はありましようけれども、しかしながら、とにもかくにも一定費用の制限はありましても、実質上選挙には相当の金がいるものであります。単にその人が普通の雇い人的に来てその日の一日幾らというふうな勘定で行くべき性質のものであるかどうか、この点についても考慮を払われておるか、選挙には相当費用を投じて出て来ておる議員であるということを考慮に入れられておるかどうかということが一つ。  いま一つは、待遇の点であまりに圧迫するということは、結局において、被選挙権はだれにでもあるということになつておりましても、実質上は局限された大金持でなければ議員には出られない、実質上において被選挙権を制限するのと同じ結果をもたらすものであるというふうな点にも思いを寄せておられますかどうか、この点を伺いたいのであります。
  24. 神戸正雄

    神戸政府委員 選挙費が非常に多くかかつているということは耳にいたしておりますが、事実はどうか、選挙費のかからない人もありましようし、一概には言えぬことと思います。しかし、とにかく選挙費は、今後選挙法の改正なり、国民の教育の向上なりによりましてだんだんと少くなるように持つて行くべきものであつて、おそらくそのうちにはそういう時期が来るものと確信いたします。理想は、選挙費はかからせてはならない、かからせぬでも済むようにしたいという考えで、あるいは事実たくさんかかつているかもしれませんが、そこまで見て、かかつているからどうということは考えておりません。しかし、かりに選挙費がかかりましたといたしましても、名誉職であつた場合と、有給的な取扱いをした場合とで、一人当りどれだけ違うか、平均すればそう違わぬだろうと思います。出し方によりますが、手厚く日当を差上げれば、おそらく今よりも多くなるかもしれない。そこはおきめになるときの問題でありまして選挙費がかりに多くかかつたといたしまして、選挙費をとりもどそうという考えで日当をとろうということは、そういうことは考えてはならぬことだと思います。それは別問題としてお考えになつていただきたいと思います。
  25. 河原伊三郎

    ○河原委員 平衡交付金制度の変更について、お伺いいたしたいと思います。現在の平衡交付金制度は、財政収入の少い地方、また財政収入の豊富な地方、それらが、日本国全体を一つのからだといたしまして、ある部分は非常に発達するが、ある部分は非常に貧弱であるというのでは、全体として調整のとれた国の発達というものは望み得ないという趣旨から来ているものであろうと思います。ところが今度改正されようとします行き方によりますと、国の事業的なものには国から金を出す、その他のものには出さないというようなことになれば、現在の平衡交付金制度運営状態とは、地方によりまして格段の差異を生ずると思います。その結果は、財政力の弱いところは、これは不具にも及ばないような悲惨な状態を呈するところもありましようし、また賛肉のたくさんできるところもできると思いますが、そういうようなことになつてもまいというお考えか。またはかような点については、別途何か調整の方法についてお考えがあるか承りたい。
  26. 神戸正雄

    神戸政府委員 政府から義務づけられたものについては、財政需要として見て、その足らないところは必ず平衡交付金で埋めるというようにすると、随意事務については、各団体の力によつて増減をし、しんしやくしなければならぬから、貧弱なところは立ち行かないようになりはせぬか。そうすると、余裕のあるところはよいが、余裕の少いところは困る、これは不都合ではないかという御議論でありますが、今日義務づけられた仕事が、これは計算の仕様によりますが、相当に多いのでありまして義務づけられた仕事を満たしますれば、他の随意の事務というものは、たいていのところはやつて行けないのです。つまり弱い団体でも、百パーセント自分の税なり、そういう固有の財源を使いますれば、今市町村にしましても、府県にしましても、随意事務くらいのことはたいていまかなつて行けるのでありまして、かりに百パーセント自己財源というものを残して何にも出さないというところがあつたといたしまして、義務づけられた仕事だけは十分にできるわけであります。随意的な仕事は、なるほど貧弱な団体ですから、百パーセントの固有財源でも十分にできぬだろうと御心配かもしれませんが、それくらいはできなければならぬはずです。またできるように心配すべきであります。税法等によりましてせめて自己財源で随意事務だけはできるように……。余裕のあるところは自己財源が余つておりますから、ほんのわずかだけを残して、大部分を平衡交付金の中べ提供します。ですから余裕のあるところは二割を残して八割を提供する、余裕のないところはゼロを提供する、何も提供しない。そうして国からまかされたような仕事は全部政府が見てくれる。政府が見てくれるのは、かりに金が足らぬといえば仕事を減らしてくれるというふうなことになりますれば十分にできます。そこで欲をいえば能力のない団体が、自分の随意事務もできないという場合、もう少しなければできやしないという場合がありはしないかという御心配であります。それくらいのことは地方団体が自分の力に応じた仕事をやつて行けばいいので、何もほかの余裕のあるところのまねをして同じようにやつて行くということは、かえつて地方自治というものから言うと好ましくないのであります。地方自治というものは、できるだけ自己の財源でもつて、自己の仕事を按配してやつて行くところにほんとうの精神がありますから、そこの当事者というものは、節約すべきところはうんと節約して、せめて自己財源の全部で随意事務だけなりともやりおおせるだけの努力を払うべきものである。市町村民も府県民もそれに協力するということでなければいけない。もしそれまでも国におすがりするということならば、地方自治というものは意義がないのであります。中央依存の弊に陥つているわけであります。どうかわれわれといたしましては、そういうことはないようにしよう。そこでどうしても制度だけではむろん完全ではありません。こういう制度をしいた以上は、地方自治体を背負つているところの委員の方も、理事者の方も自分のものとして自分の財源でできなければならぬ。しかし政府から義務づけられた仕事、これは相当多い。計算によると七割もあるということであるが、半分くらいかもしれません。それは計算の仕方によるかもしれませんが、とにかく政府から仰せつかつた仕事、義務づけられた仕事の方が多いのですから、そういうふうにして政府から平衡交付金で補償してもらえれば、あとはやつて行く、こういうふうに頭を切りかえるということが必要であると思います。決して自治を侵そうという考えはありませんが、それどころではない、むしろ地方自治を伸ばしたい、地方自治をもつと精神的に強くしたいという考えで、この問題に当つておる次第であります。どうかその点を十分御了承願いたいのであります。
  27. 河原伊三郎

    ○河原委員 そのはなはだしい一例を上げますれば、同じ状況の村である、ところがそこへたまたま大きな工場を持つて来た、それによつて固定資産税その他の税がたくさん入つて、そうしてその村ではその金が使い切れないというような村がにわかにできた。一方においては堂々として困つておる、その村の努力によつてそういうふうな違いができたのではない、運、不運によつてそういうことができた。そういうような場合、現制度であればうまく調整がとれるのでありますが、それがとれないということは一つの欠陥を来すじやないか、かように考えるわけであります。なおこの制度の変更によりまして、国庫から支出される金の差はどういうふうになりますかお伺いいたしたい。
  28. 神戸正雄

    神戸政府委員 お答えいたします。ある町村にたまたまレーヨン工場ができたということで、その固定資産税で十分にあり余つているということは、これは固定資産税の欠点でございまして、固定資産税市町村の税源としたことにこうなつ一つの欠点があるのでありまして、この調整につきましておそらくそういう場合には半分をその府県に帰属せしめる特例を設けまして、何か調節するようになります。どうも運、不運はありましてそういつた財源の余裕のあるところもありますが、それは恵まれた場合のことでありまして、これをある程度そういつた法制によつて調整することはできましよう。これはむしろ税法によつて何か緩和策を講ずべきであると思います。それからわれわれのような、こういつた改革をすればどういう数字になるかということは、これは実は私どもといたしましては、ある程度前の年度の数字によつて一応の調べはしておりますが、今私、宙に覚えてはおりませんが、もし改革すればどんな変化をするかという大体の見積りというか、見当ぐらいは二十五年度のものによりまして調べたものがありますから、それは資料として御必要であれば、事務局に申しつけまして提出いたさせます。
  29. 河原伊三郎

    ○河原委員 数字の点ははつきりしないようでありますが、相当な変更がないとしまするならば、その変更のない増額されない中で、差ができるとなると困る方の者は、非常に困る結果を来すと思う。また大きい差がありとすれば、それは単に絵に描いたぼたもちであつて、国の財政上これはできないというようなことで、あつさりと大蔵当局でけられるような懸念はないのでありますか、その点承りたい。
  30. 神戸正雄

    神戸政府委員 それは御説のような御心配はありません。相当の数字をもつて調べましたものですから、これまでも変更がありましても全体としますれば大きな増減とはならぬと考えます。つまり足らぬところはかりに市町村の方は仕事がふえて足らぬといいますれば、府県なり国なりの方から、それだけは補充するという建前で行つておりますから、さりとて国の方で足りぬといえば、しようがないのですが、国の方で仕事が減る、府県でも仕事が減るという面がありまして、差引して現在と仕事の面から見れば、プラス、マイナスでゼロになるはずでありますので、こまかい点につきましては多少狂いが来ますけれども、大きな、たとえば国から、あるいは国民が負担するものがこういうことをやつたためにふえるということはない。全体として国、府県市町村を通じて見れば、増減なしという考えの上の計算でやつておる次第でりまして、われわれの提唱する原則がきまりますれば、それに応じた財政計画ができぬことはないと思います。
  31. 野村專太郎

    野村委員長代理 ちよつと御質疑をいただく皆さんに御了承を得たいと思うのですが、本勧告は非常に重要な性格を持つものでありまして、今日の委員会においては大体神戸議長さんの御説明をいただいて、そうして時間の許す限り御質疑をいただこう、こういう予定を立てておりまするが、今日の委員会では質疑が完了いたしませんので、他日さらに機会を設けたいと思つておりますので、その点をお含みの上で、御質疑をいただきたいと思います。
  32. 大矢省三

    ○大矢委員 今度第二回の勧告が行われたのでありますが、第一次の勧告の実施状況を見ると、遅々として成績をあげていない。そこで特に国会並びに政府に、迅速かつ適切にこれを実施するように要望するということが書いてありますが、この第一次勧告が遅々として実施を見ない実情について、委員会はどういうふうにお考えになつておるか。私が考えるところによりますと、日本の自治行政というものは、長い間中央集権的でありまして、官治制度、現に府県の持つているところの権限、あるいは政府の持つているところの権限を努めて存置したいという考え方が依然としてのかない。その一例は、自治体警察のごとき、せつかく奨励しておきながら、財政が許さぬためにほとんど八割までこれを廃止してしまつた、こういう実例がある。従つて、日本の政治というものは、長らく官治、中央集権的であつて、なかなか容易にそれが抜け切れぬ、それをまたさらに強化しようとする。政府なり、一般府県の意図がそこにありながら、これが実施せられぬ、こういうふうに私どもは、一つの例でありますが考えておるのであります。さらにいま一つは、せつかく勧告はされても、事務配分をされても、それの裏づけとなる財政面が確立されておらない。この点今度の勧告も税制の改正をうたつております。たとえば大都市におけるところの遊興飲食税、入場税のごときは、当然これは都市にあるいは市町村に行くべきだ、こういうことを言つておりまするけれども、これは改正するのはずつとあとのことである。そして事務だけはどんどんやらして行つて、裏づけたる財政の確立がない。事務だけは一日も放任することはできない。また財政面はなかなかできぬということで、私はこういうところに欠陥があるのではないかと思いますが、その点で勧告する場合に、あるいはどうして前の勧告が遅々として実施できなかつたかという原因について、特に神戸委員長はどういうふうにお考えになつておるか、お聞きしたいと思います。
  33. 神戸正雄

    神戸政府委員 昨年の勧告が出まして、それが今に至るまで遅々として実施を見ないということは確かであります。私ども勧告した後に通常国会が開かれまして、関係の問題が若干ありましてたとえば陸上交通事業調整法の改正のごときその例であります。それにおきましても、私どもとしては、府県に自動車の仕事の一部を担当せしめるようにということを申しましたが、それは取上げられずして、相かわらず国に留保されることになりました。その後におきましても、中央において次官会議等で問題にされて、できるだけこれを尊重して立法化するということでありましたが、お説の通り中央集権化の中央の空気というものもありますし、また一つには、やはりまだ日本にはほんとうの民主化が徹底しないで、地方において中央に依存するという気持がありまして、両々相まつて熱意が足らないのではないかと思うのであります。そういつた点に非常な欠陥があるので、ありましてわれわれの仕事は重要でありますが、実現についてはまことに困難な事態に立ち至つておる次第であります。この点につきましては、こちらの委員各位におかせられましても十分御了解をいただきたいと思うのであります。もう一つ仕事地方にどんどんまかされるが、その裏づけ財源が伴わないというようなことから、地方仕事配分するということが行われないであろうという御心配はごもつともであります。それでありますから私どもは、財源の裏づけがなくてはいかぬから、財源の裏づけがなくて重要な事務を国から義務づけられることを牽制するためにも、先刻申しましたように、平衡交付金法の改正をして財源を多くして義務づける。財源の裏づけなくしてはこれ以上仕事をまかせないというふうに持つて行きたい趣旨でありまして、御講の財源の裏づけが事務配分に欠くべからざるものであるということは、ごもつともな次第であります。ただしかし、中央といたしましても、大蔵省を担当する人と他の仕事を担当する人とが違いまして、大蔵省以外の仕事を担当する面は、なるべく地方仕事をやらそうとはしない。しかし大蔵省としては、財源の範囲内でやれというようなことを言つていつまでたつてはつきり解決しません。でありますから、その面から申しましても、仕事を義務づける以上は、あくまで国が財源を見てやるように持つて行くようにいたしたいのでありまして、御説の通りであります。財源の裏づけという問題を、大蔵省と他の各省当局とが、しつかりと協力してやつてくれなければならぬものだ、こう考えております。
  34. 大矢省三

    ○大矢委員 委員長の注意がありましたから、もうごく簡潔にしたいと思います。ここに大都市制度のいろいろな事務配分を列挙しておりますが、大都市と称するのは—市は人口五万以上あるいはお説のように二百万から二百五十万というのもあるが、この大都市の基準と申しますのは、一体どのくらいを適当として指定されたのか、これは大体今の特別市制にも触れて来るのですが、いわゆる五大都市にも触れてお考えであるか、それともまた別の特別市制のものを考えている意向であるか、この点の基準をどこに置いたか伺いたい。
  35. 神戸正雄

    神戸政府委員 大都市というと、これまで行政上でいろいろ別扱いをしておりました。たとえば起債面におきましても、あるいは補助とかいうような面におきましても、その他財政ばかりでなく、いろいろな面で大都市として特に扱いを別にしておるようですが、結局それをそのまま受継ぎましたので、別段にはつきりした限界は与えておりません。従来大都市といいますと、大阪・京都、名古屋、横浜、神戸の五大都市を指さしておるようであります。特別市制は人口五十万以上について考えておるようでありますが、五十万と限つたことはございませんので、あるいは大都市という扱いをどう考えますか、これは行政なり、ことに立法の御当局でもつて、しかるべくおとりきめ願えばよい問題で、私どもといたしましては、現在の行政都市の中で特別扱をしておる五大都市大都市として指さしておるというだけのことでありまして、どれだけ以上がよいかとか、どういうふうにしたらいいとかいうことまで、はつきりと私どもはきめておりません。
  36. 大矢省三

    ○大矢委員 よくわかりましたが、この文面を見ますると、先ほど説明もありましたように、大体事務配分をやれば二重監督が廃せられて実際上、今日まで叫ばれて来た特別市制というものが必要がなくなるであろう、あるいはなくならぬまでも、非常に緩和されて、実際には特別市制になるのだというような解釈もできるような文面なんです。しかしながらまた一面、大都市としてはどうしてもこれは特別に考える必要がある。現に自治法にもありまするような五十万以上の市につき、特別市として指定すれば、当該地で住民投票によつてこれを決する。このことはそのまま存置することにしたというのでありまするから、特別市が必要ではあるが、しかし残存郡部の財政その他残存区域のことを考えれば、そう簡単にはできない、こう書いてあるから、特別市制が必要であるとも必要でないともはつきりしていない。その点は、今どういうふうに考えておるか、あるいはこれの再配分によつて二重監督が廃せられて特別市制はしがなくてもいいのだ、そうあわてる必要はないと考えるのか、あるいはこれは必要であるが、一時暫定的にとりあえずこうしたのだ、あとはその都市都市による事情を十分調査して残存区域その他のことも考えて、これは実施すべきであるという、いわゆる特別市制を認めるという勧告案であるのかどうか、その点がはつきりしないので、あらためてこの機会にお聞きしたいと思います。
  37. 神戸正雄

    神戸政府委員 委員会といたしましては、特別市制につきまして、特別市制が必要だということまでは言つておりません。特別市制の理論は、われわれの事務配分勧告によつて、ほぼ希望が達成される。仕事がふえれば二重監督、二重行政の弊がほとんどなくなるから、それでまず一応問題は解決されたと思う。しかしもつと進んで、特別市制というものが有用である、あるいは五大都市というものの国家重要性を認めて特別市にするということがよろしい、さしつかえないという判断を、国会において法律によつてつくりになれば、それは現行法規従つて手続はなされるし、判断の資料は、具体的に各都市について御研究、御調査に相なつておきめになられたい。私どもとしてはそこまでは結論を出さない。けれどもそれを打消して五大都市は特別市制にはなれぬとはつきりと申したわけではないのであります。五大都市というものはなり得る、なり得るが、それにはいろいろな条件を備えた場合に初めてできる、こういう立場でありまして、必要というわけでもなし、必ず五大都市を特別市にしなければならぬという、それほどのことはうたつておりません。それはすべては国会において具体的の場合について御判断をいただく、こういう考え方であります。
  38. 大矢省三

    ○大矢委員 あまり長くなると迷惑をかけると思いますから、最後に申しますが、私が特に神戸委員長にお聞きしたいことは、これは五大部市で、神戸さんは実際に長らく経験されたことと思いますが、単に二重監督を廃するということだけではないのであります。申すまでもなくこれは大都市の持つ行政の、いわゆる財政面における非常な困難さというものは、これは神戸さんも体験されたことであると思うが、ゆうべの読売新聞に、大阪が四十億からの赤字が出て、地方財政委員会から警告が発せられた、これは単に大阪だけではない、京都、神戸もその通りである。一体大都市がどうしてこういう赤字を出したかと申しますると、今度のシヤウプ勧告による税法の改正が画一的に行われた。大きな都市を有する府県も、小さな市町村を持つ府県も同じような精神によつてなされたからして、大都市を持つところの府県府県の方で、ずつと黒字を出している。兵庫県も京都府も、大阪府もその通りであります。こうした大都市を持つておる府県の方がよくなり、大都市は、特に大阪、京都、神戸というところは、こういうふうに赤字が出て来た。これは、特別市制が単に行政事務配分とか二重監督を廃するということだけでは解消できないことは、私が申すまでもなく、神戸さんもよく知つておられる。そこでこれは二重監督を廃すると同時に、やはり自主的な、ほんとうに民主的な経済上の自立をなさなければならぬのであつて、今も申したように、残存郡部のことも考えなければならぬ。それから単に都市といつても、都市だけの都合を見るわけには行かない。国家的見地からして、ことに国際文化都市とか、産業都市とかいうものをにらみ合せての特別市制をしかなければならぬので、その必要を認めればこそ、今度の地方自治法の中にも五十万以上につき置くということが書いてあるので、これが必要なことは申すまでもないことであるが、これが二重監督が廃止されて、今ただちに必要ないのだという今の神戸さんの考え方については、どうかと思う。それはその委員会全般の空気として私が聞くなら別ですが、神戸さんの品から、これはもう二重監督が廃止されて、特別市制をしく必要がない—必要が全然ないかというと、そうでない。それは後日、残存郡部のことも考えてやればいいのだ—これはいつのことかわからぬような意見については、私はどうかと思いますが、その点で、これがこの勧告通りの事務配分がされて、二重監督が廃止されて、特別市制の実施が、ほとんど必要がないほどにできるのだという確信を持つて、こういうふうに勧告されたか。私は、財政上の確立がなければ、結局二重監督は、いくらこの行政の再配分をしたところで解消できたいと考えますが、その点は特に大都市に経験のあられる神戸さんでありますから、特にお聞きしたい。
  39. 神戸正雄

    神戸政府委員 私の立場といたしましては、先刻申し上げました以上に申し上げることはありません。事務配分の問題は、われわれの委員会の重要な課題でありまして、その問題については、大都市にはかように事務を与えてもよろしいということを申したのでありまして、それでその点だけは一応解決した。しかしさらに進んで、大都市に特別市制をしくかどうかということにつきましては、それぞれの都市について、都市性格なり、重要性なり、残存郡部との関係なりをしつかりと把握して、適切なる計画が立つた上で、許すとか許さぬとかいうことを国会においておきめ願いたい。私どもとしては、それには触れない。御判断は、国会法律をおつくりになるときにおきめになつていただきたいという意味でありまして、現行法をいじくるという意味ではありません。現行法のように、特別市というものができ得る道は開かれております。その道が開かれても、道を開くとか開かぬということは、こちらで具体的な問題についておきめ願いたい。五大都市を全部同時にどうするということでなく、これを順を追つてするとかいうことにして、国会でおきめ願いたい、こういう考え方であります。自分がかつて市長であつたというようなことを念頭に置いてお答えすることは、私といたしましては、今の立場においてはできませんので、これだけの答弁でもつて御了承願いたいと思います。
  40. 立花敏男

    ○立花委員 やはり一番問題は、平衡交付金に対する考え方だと思うのですが、神戸さんの御説明の範囲では、平衡交付金が立法化されました当時の考え方政府の御説明、あるいはさらにさかのぼりまして、シヤウプ勧告による平衡交付金の考え方、これがやはり根本的に違つていると思うのですが、そういう点を御認識になつているかどうか、それをお尋ねいたしたい。それから結局こういう方法で平衡交付金をお扱いになりますと、たとえば今大矢氏がお出しになりました大阪の問題、あるいは神戸の問題、すでに大阪は四十億の赤字に悩んでおるそうですが、これがもつとひどくなるんじやないか、現在でもこういう大都市はほとんど平衡交付金をもらつておりませんし、あるいはもらつておつたものも返還を求められておりまして非常に困ております。これが神戸さんのお考えで参りますと、さらにひどい形になつて来るのじやないか、こう思います。これに対しまして、おそらく神戸さんは国家の義務事務の方は確保するんだからふえるじやないかというふうにお答えになるかもしれませんが、そうではなしに、神戸さんの御説明の中には、もし国家財政上、平衡交付金を減額しなければならぬときには、義務事務をそれだけ減らせばいいんだから、地方財政的な負担にはならないというような御説明だつたと思いますが、義務事務は、たとえば義務教育費のように、あるいは失業対策費のように、あるいは生活保護法による仕事のように、決してこれは国からの平衡交付金の支出が減つたから、それだけ減らし得るものではないと思う。それを減らしますとたいへんなことになる。学校教育をやめなければならぬ、失業対策をやめなければならぬ、こういうふうなことになりまして、たいへんなことになります。もしこれをやろうとすれば、地方財政の破壊になる。もしこれを御説の通りやめたとすれば地方住民の教育の破壊、生活の破壊、労働力の破壊となつて参りますことは明らかなので、こういう観点から申しますと、どういたしましても、御説明はこの平衡交付金自体の根本的な考え方にももとるし、実際上から申しましても、地方財政を破壊し、あるいは地方の生活を破壊するという結果に陥らざるを得ないと思うのです。これをもう少し突き詰めて言いますと、地方行政調査委員会議が初め出発なさいましたときは、地方の民主化、地方行政の自主化を目ざされまして、非常に理想的に御出発なさつたと思いますが、現在ではあまり現実というものの中におぼれ過ぎまして、非常に姑息な妥協的な御意見しか出てないのじやないか、特にこの平衡交付金の問題などは中央の予算の合理化にあるので、地方に渡ります平衡交付金がだんだん減つております。中央の臨時予算がふえるにつれて減つているのですから、これは動かしがたい事実なのです。減ることを合理化する役割しか果していない。なるほど義務事務には出すということはおつしやつておられますが、中央の予算の関係で減つた場合は、義務・事務は減らすのだということになります。中央の予算の関係で平衡交付金が減つて参りますと、それだけ減らしてもいいという考え方になつているわけなので、私どもはそれを減らしてはいけない、減らしては地方財政もあるいは地方民生も安定しないのだ、そういうことが根本だと思います。中央の予算が苦しければそれだけ減らせばいいのだという考え方——現在その方向に行つておりますが、その結果地方財政が破綻し、生活が困つておりますことを合理化する考え方じやないか、こう思うのです。これをひとつ説明願いたい。
  41. 神戸正雄

    神戸政府委員 義務づけられた仕事費用は、あくまで平衡交付金で見るということでありますれば、地方としては中央の考えでもつて自分たちのなさねばならぬ義務づけた仕事は必ずできる。義務教育なり、生活保護なりその他そういつた基本的なものは義務づけられた仕事の重要なものでありますから、そういうものについては御心配はいらぬと思います。ただ地方が自分の力で弾力性のある行政をし得る面まで、中央から見てもらわなければならない、地方が中央からできるだけ多く補助を受けてようやくやつて行くということは、地方の民主化、地方の自主、地方分権、地方自治という点からいえば好ましくないのでありまして、どうしても地方としましては、ある分野においては自分の力でもつて力相応のことをするということに行くべきものであります。御説のような一番重要な基本的なものはあくまで確保するわけであります。それを減らしたらというのですが、おそらく義務教育とか、民生の保護のような、そういうものまで地方が中央の御都合によつて減らされて仕事ができなくなるということはないと思います。なおそのほかにたくさんの義務づけられた仕事の中にもいろいろのものがあつてある程度まで中央としても必ずしもやらなくてもいいものがあり得るわけでありますから、そういう面をはずしまして、しばらく財源ができるまで待つ。財源ができたらそこまでやるのだ。しかし御心配のような義務教育なり、民生保護なりの基本的なものは、そこまで国家財源がないから削るなどというようなことは、相愛であろうと思うのであります。私はどうしても、この自治ということは、ある程度自分の力で、自分の力に応じたことをするということを基本にしてやる。国家から補助を受けて、ようやくにして自分のやるべきことをやるということは、あまり好ましくないというふうに考えておりましておそらく御心配のようなことは、そこまではまだ前途相当にあるので、基本的なものをくずすようなことには大丈夫ならぬと、自分では信じております。
  42. 立花敏男

    ○立花委員 平衡交付金の根本的な考え方、あるいはシヤウプ勧告規定されております平衡交付金の考え方と、神戸さんがへ今御説明なつたことは、根本的に違うと思います。その点をお聞きしたいと思います。  それから今神戸さんは義務教育のものは確保する、御心配はいらぬとおつしやつたのですが、事実今知事あるいは市長あるいは町村長あたりが心配しておりますのはこの点です。現実にこの点が、来るものが来なくて弱つておりますので心配はいらないというお考えならば、その点をはつきり勧告でお出しになるべきではないか。御心配がないように考慮するのだということを、はつきりお出しになるのが、ほんとうの勧告ではないか。そうではなしに、その点にはお触れにならないで、ただ口先だけで地方財政上の関係で減らした分は、義務費を減らせばよい、これは合理化以外の何ものでもない。その点は現実に即して現在それが行かなくて困つているのだから、知事やあるいは市町村長の望んでおりますのは、一定の割合を確保する法律をつくつてくれということを望んでおりますので、その点をひとつ現実に十分お考えを願いたいと思います。  それから根本的な点をお尋ねしておきたいと思いますが、地方行政調査委員会議は、おそらく廃止になるだろうと思いますが、最近地方行政簡素化本部というのが出来たように承つております。この簡素化本部が行政整理と地方行政のあり方と関連させて考えておりまして、この地方行政整理をやりますにつきまして、地方行政制度に幾多の改正をやろうとしておりますが、その考え方神戸さんがお出しになりました勧告の線に従つてやられるのか、あるいは神戸さんがお出しになりました勧告の問題とは全然別に、簡素化本部が別個に地方行政制度の改正を考え、それにあわせて行政整理をやるのか、この点をひとつ明らかにしていただきたい。
  43. 神戸正雄

    神戸政府委員 われわれ仕事は一応完了いたしました。しかるに政府といたしまして行政簡素化本部というものをつくつてさらには伺か別の調査会でもつくつて地方制度の改革を考えておるというふうに伝え聞いております。また事実簡素化本部は活動しているようであります。おそらくただいま自治庁で現在やつておられまするその簡素化本部なり、あるいは他の調査会といつたようなものができますれば、その調査会なりでわれわれの考えと全然離れた別個のことを考えるのでなく、われわれの考えたものも参照しつつ、実行に移すということであろうと解釈いたしております。しかし私は実際それには当つておりませんからほんとうのことは自治庁の当局者からお聞取りを願いたいと思います。決して私ども勧告を全然無視しては行わないだろうと、私どもは信じております。平衡交付金の根本の精神が、シヤウプ勧告と違うかというお尋ねの点ですが、それはシヤウプ勧告の平衡交付金制度とは根本的に違います。従来の配付税のような制度というものが、所得税、法人税の一定の割合というものを配付税として分配するという考え方であります。まつたく中央のとつ財源を中央の都合でもつて割当てる。地方都合ということは第二次的に考えられるというふうに思うのであります。しかしシヤウプ勧告の平衡交付金はいわゆる積み上げ式でありまして、各行政の部門について費用単位をきめて警察費なら警察費は一人十万円なら十万円、教育費ならば教員一人当り幾ら、児童一人について幾らというふうに計算しまして、下から積み上げて行く、そのまとめたものを分配するという考え方であります。平衡交付金と配付税とは考え方が違つております。平衡交付金は下からのものを積み上げて中央へまとめて、まとめたもので計算して分配しておるという考え方であります。私ども考え方も平衡交付金については根本の考えは同じです。やはり費用単位について、それは民生であれば要保護の一人について幾らとか、学校であれば小学校生徒一人幾らということをきめまして、それを計算して財政需要費というものを割出すわけであります。そうして全般の収入と見合つて足らぬところを補うという方式でありますが、われわれの考え方が違う点は、財政収入額全部を見合わすのでなく、ただその中で随意事務費用に充てる部分だけをとつておいて残りをこれだけは義務費用に充ててもらいたいということで、中央に出す、出したものと費用の集計とを突き合せて足らぬところを出すというのでありまして、下から相み上げる点においてはシヤウプ勧告の平衡交付金も、私どものとなえる平衡交付金も同じであります。ただ費用の見私りが、すべての行政費について計算するからあまりにめんどうになつて、あまりにこまかくなつて従つて計算がわかわにく、なつて来る、足るとか足らぬとかいうことは、義務ずけられたものであれば割合にわかりやすい。比較できるのですけれども、計算がしやすい。そうして政府として何としてもめんどうを見なければゐらないものだけは、十分に見積つてそうして地方から、下から積み上げて行つたところの収入額の中の自由財源だけを除いてあと残りを中央で集めてそれと突き合せて足らぬところを平衡交付金で出すということになりまして、平衡交付金の根本の点は、似寄つておりますけれども、シヤウプ勧告と同じでありますが、半分は計算の仕方なり、収入とに突き合せのぐあいが違う。標準財政需要額と標準収入額との計算を、シヤウプ勧告の方は全部でやつております。われわれの方は半分か七割か知りませんが、大部、分についてやつている、こういう違いであります。
  44. 野村專太郎

    野村委員長代理 立花君、発言時間がたいへん短くて恐縮ですが、次の機会も持てますから……。
  45. 立花敏男

    ○立花委員 これだけでけりをつけておきます。違わないとおつしやるのですが、考え方から申しますと、根本的に違うのでないか。神戸さんのお考えになつているのは、国からの義務事務だけのための平衡交付金をお考えになつておる。シヤウプ勧告はそうじやなしに、市町村全体の、自治体としての財政の不足をまかなうという意味で、平衡交付金が考えられている。しかもシヤウプ勧告によれば、義務事務はなるべく少くして市町村事務にまかして行く、そうした上で、やはり市町村財政がまかなえない場合は、平衡交付金で補つて行くということになつているので、根本的な考え方は、やはり市町村の固有事務としてそれをまかなうものとしての地方財政を中央でカバハーして参行く、これが根本になつている。自治体から申しましても、義務事務はこれは上からの事務でありまして、固有事務じやありません。文字通り固有じやありませんので、自治体そのものの本来の仕事としては、固有事務の方が重大だと思う。ところがその固有事務に対しては、平衡交付金をお考えにならない。ただ自治体としては傍系的であるところの、義務事務だけについて平衡交付金を考える。これでは根本的に平衡交付金の考え方の趣旨が違うと思う。この点はよほどお考えにならないと、重大な結果が現実問題として出て来るのじやないかと思いますので、この点をひとつ考えを願いたいと思いますが、こういう問題がたくさんございまして、私ども非常に疑問を持つておるのです。根本的な疑問は、神戸さんがお出しになつ勧告が、政府内においてどれだけの承認を得ておるのか。神戸さんは簡素化本部にも御参加になつていないとおつしやるのですが、全然神戸さんがおやりになつ勧告と違つた線が、出て来ている。これは私どもとしては非常に困りますので、ぜひこれは一本にしていただきたいと思いますが、この点は今後そういうふうに御努力なさる意思があるのかないのか、承つておきたいと思います。私ども聞くところによりますと、地方行政簡素化本部で出て来ております意見は、非常に神戸さんの意見とは根本的に違つた線がたくさん出て来ております。たとえば府県市町村との間に段階的な監督権を認めるとか、あるいは中央と地方に対する総合的統制の機関を設置するとか、あるいは地方の首長の公選制を廃止するとか、こういう点で神戸さんの考え方とは根本的に違つた意見が、どんどん簡素化本部の方から出て参つておりますので、こうなりますと、一体政府一つ政府でありながら、まつたく前の経験を度外視した、根本的に違つたやり方を、あるいは意見つくりつつある。これは行政の上から申しましても、まつたくむだですし、考え方の上から申しましても、混乱を導く以外の何ものでもないと思いますので、この点をもう一度はつきり、どうなさるおつもりなのか、これはどうなつて行くべきものなのか、お聞かせ願いたいと思います。  それからついでにもう一つだけお願いしておきますが、行政整理が今非常に問題になつておるわけです。中央では機構改革と行政整理は切離してやるということを言つておりますが、神戸さんのお出しになりました地方行政改革と行政整理との関連を、どのようにお考えになつており、また現実に行政整理が問題になつておりますが、それに対しては、どういう見解をお持ちになつておるのか、あわせてひとつお聞かせ願いたいと思います。
  46. 神戸正雄

    神戸政府委員 行政整理につきましては、私どもはこれは政府仕事と思いまして別段に意見を持つておりません。また委員会として、そこまでは議論もいたしておりません。しかし機構の問題につきましては、先刻お話になつたように、簡素化本部でもつてわれわれとは多少違つた考えを持つておるやに聞いておりまするが、それにはわれわれとしましては、それに対して注意を促すだけでありましてそれをどうしようということはできませんので、結局委員の方から政府の方におただしになりまして、違つている点については、なぜ違うかということを追究していただきたいと思います。私どもとしては、私ども立場から最善の努力を尽して一つ結論を出したわけでありましてそれにつきまして、それ以上それをどうするという権限はありませんので、政府がそれを尊重してくれるというふうに信じております。尊重するということは、まるのみにするという意味でないでしようから、あるいはある点において取入れ、他の点においては取入れないということになるかもしれませんが、しかしわれわれとしては、自治庁にはわれわれの案を出しまして十分説明して、われわれの方へ同調するように希望は述べておきました。また今後とも、あまり地方自治というものの強化と違つた線が出て来るという場合におきましては、それについての異議は申出るつもりでありますが、とるとらぬは政府でやります。最後は結局国会でもつてそれぞれ御決定いただくことになりましよう。
  47. 野村專太郎

    野村委員長代理 それでは残余の質疑は他日の委員会の機会に譲りたいと思います。勧告案に対しまする一応の質疑は、今日はこの程度にとどめておきたいと思います。
  48. 野村專太郎

    野村委員長代理 この際お諮りをいたしたいと思うのですが、委員派遣の申請に関してであります。過日のルース台風による被害は、相当甚大なものがあるようでありまして、本委員会におきましても、多大の関心を有するところでありますので、台風の被害の地方財政に及ぼす影響について委員を派遣してその実情を調査いたしたいと思います。つきましては、派遣委員の氏名、派遣地名、期間等につきましては、委員長一任として議長にその承認を求めたいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  49. 野村專太郎

    野村委員長代理 御異議ないようですから、さよう決定いたします。     —————————————
  50. 野村專太郎

    野村委員長代理 次に参考人招致に関しましてお諮りをいたしたいのでありますが、本委員会におきましては、境界変更、町村分離等の問題に関しましては、常に関心と研究、調査をいたしておるところでありまするが、過日埼玉県飯能町に起りました町村分離に関する事件につきましてその実情を調査いたしますことは、町村分離に関する問題について、今後多大の参考になることと信じますので、関係者を参考人として招致いたしましてその実情を聴取いたしたいと思うのでありまするが、御異議はございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  51. 野村專太郎

    野村委員長代理 御異議なしと認めまして、さよう決定いたします。  なお参考人の氏名及びその期日につきましては、委員長に御一任をお願いいたしたいと思います。
  52. 立花敏男

    ○立花委員 参考人に希望があるのですが、あとで申出ますから……。
  53. 野村專太郎

    野村委員長代理 次の委員会の期日は、公報をもつてお知らせすることにいたして本日の委員会はこれをもつて散会いたします。     午後四時二十分散会