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証人(
松岡きく君) 私、
松岡でございます。
私が一番初めこの問題に触れましたのは五月一日でございまして、丁度都会
議員の選挙が終りましたそれから間もなく一両日おいてでございましたが、いわゆる
ホテル業者の御近所の奥様が大変弊害に日夜頭を悩ましてお
つたかたがたが、これは昨年の秋頃からこういう問題で困る、子供の教育上困るという話を個人的に
ちよこ
ちよこ耳にいたしてお
つたのでありますが、五月一日に私婦人
議員の立場として、母親の立場として聞いて頂きたいということで私どもに
見えた
かたがたがありました。その事情を伺
つて見ると、これはとてもゆるがせにしてはおけない。
只今までは一軒二軒の
業者でありましたが、その
業者が大変繁昌するために、今まで普通の住宅であ
つたものを
ちよつとした改造を加えてこれをホテルに名を変えておる。そのホテルが大変はやるので、先の地所を買占めに行
つた、それから裏の地所も又地主の
ところへ買人の交渉に行
つたという話を具体的にその
かたがたがなさいましたので、これは放
つておいては大変なことになる、今まではたかが一軒か二軒だから問題はないと思
つておりましたが、そういうふうに
皆さんが
立川地区の影響を受けまして、パンパンの増加に伴
つてそういう
業者が殖えるというとは、
業者が殖えることはますますパンパンが殖えることになりますので、殖えるということは大変なことだと思いまして、これは
一つ皆さんに集ま
つて頂いて、どの程度
皆さんがこれについて関心を持
つていらつしやるか、ここで一人か二人、あちらで心配しておるという現状では何にも
結論が出ませんと思いまして、五月六日の日に、先ほど町長さん、
議員さんから
お話があ
つて初めて聞いたというその日でございますが、五月六日の夜、私ども二十八人の
かたがたが期せずしてお集まりになりました。それでこれは情報を持寄りまして、これは大変なことだから
国立の町を
浄化しようじやないかというので、
浄化期成同志会を五月九日に発会いたしました。そのときの最初のメンバーは五十人でございました。その
かたがたは容認できないことだが、町の
かたがたはこれについて何と思
つているか、一応世論を聞いて見ようじやないかということになりまして、
国立と申しましても、さつき
議長さんから御
説明がありましたいわゆる
国立地区でございますが、その
国立地区を五十幾つかに分けまして、そうして婦人が当
つたのですが、婦人が一人ずつ
皆さんのお宅を廻りまして、
国立の最近の様子と、これをどうしてもきれいにするためには
浄化運動が必要だ、更にこれを法的に何とか
裏付けようとするには、
最後に行
つて文教地区の
指定になるのじやないかという
理由の下に署名運動を展開いたしまして、僅々二日か三日のうちに四千二百名の署名を得たのでございます。その署名は高等
学校の人が署名しておられました。四千二百名の署名を得まして、学生側がこれに応じて起上
つて下さいまして、四日か五日で六千名余りの署名を得ました。そうして大体
国立の世論がわか
つたと思いまして、同志会の幹部が先ほど町長さんがおつしや
つたように、
町議会で何とかして頂きたいということを要請しまして、その後の
経過は先ほど
皆さんから御
説明に
なつた
通りであります。その途中でいろいろ
反対が起りましたが、その
反対で私が大変に遺憾だと思いましたのは、
反対のかたが大変数が多か
つたという印象を与えておるようでございますが、これは或る
ホテル業者が駅の前で堂々と大きさは戸板一ぱいくらいでございますが、そのポスターを二十四枚貼りまして、それから四米半四方もあるような大看板を二枚立てまして、これは六月十六日から六月の二十五日までに
亘つて毎日々々そのポスターの文句を変えまして、中には促進
議員の個人的のあらゆる誹謗をしまして、大変に四十六万円もかか
つたというので、あとで
業者が
最後に決算
報告を出しておりましたが、厖大なお金を使い、その間には個人的に、例えば私どもの主人が
浄化期成同志会の
委員長をいたしております。私も促進派の熱心な
議員の一人でありますから、私どもへも両三度に
亘つて脅迫がましいことを言
つて参りましたし、又同志会の婦人方の
ところへも個々に何回も暴力めいたことをしましたけれども、それを
警察に訴えますと、紙一重の
ところでございますけれども、家宅侵入でないから侵入罪でないとか、金銭恐喝でないから恐喝罪ではないとか、大変に巧みなんです。その巧みな恐喝をたびたびやりまして、又署名した御婦人方に対しては、
反対派の商店は、こういうものに署名した者は今にとんだ目に遭うのだぞ、例えば私たちのうしろには向うのMPが附いているのだから、これに署名した人はどうなるかわからないというような脅迫がましいこともたびたびございまして、そうしてほんの二人か三人のかたにあやつられて
反対署名をいたしましたが、これは数学的に見ますと、
国立地区が千十八人、本村において千百十五人、
立東地区において五千四人、青柳において三十八人その他で二千二百三十五入の数字が
反対署名に出ました。これは先ほども
皆さんがおつしや
つていらつしやられるように、六月四日附の四
議員の
声明書に基きまして、その中で
農村地区が多か
つたというのは、税収入が来年から
文教地区になると三分の一になる、これはあとの足りない分は当然農村にかか
つて来て、農村は
負担に喘がなければならないというような趣意書でございました。そういうことで大変農村のかたがおびえるということが大きな
理由ではなか
つたかと思います。今申上げましたように
国立地区では千十八人のかたがこの署名に参加されまして、そのうちさつきも
皆さんが申上げていらつしやるように、商店側のかたが二百二十六人というかたが八月になりましてから、これは私どもは大変思い違いをしていました、普通
文教地区がきまろうかという初めのときにおきましては大変不安を感じていました、商売が成り立たないのではないかというように不安感じましたが、その後いろいろ
説明を聞いて見れば、別に特殊な商売以外には何ら
関係がないということがよくわか
つたから、むしろこれは
商人と主婦のかたが対立しているというようなことでは面白くないから、
文教地区に一刻も早くしてくれというような
請願書がこの初めの
反対者のうちから、商店側だけでも三百二十六八のかたが署名いたしまして、
文教地区を促進してくれという嘆願書をお出しになりました。又町長が八月六日の
反対請願をどうするかというときに、
反対請願を取扱う
全員委員会の副
議長をしておられる沢義夫さんというかたがおります。その沢義夫さんが、このままの
状態で
文教地区に
指定されたときには、
反対派のかたの心配するように本当に町の
財政ということは成り立たないのじやないかというように、沢
委員長から町長に特に御質問がありましたが、その八月六日の
委員会の
説明のときに、町長はこのままの
状態で
文教地区に
指定されても町
財政には何にも破綻を生じない、ただ
皆さんが故意に悪質な納税を怠るようなことさえなければ一向差支えはないというような御
説明がありましたが、そのとき
反対議員の四人のかたのお一人は、それなら道路を早速直せ、下水はどうしたとか、
学校ももう来年から充実できないものか、まあ
学校と言
つても小
学校、中
学校の
お話でありますが、できてもいいが、できるだろうとか質問しましたが、これは私どもが常識で考えましても、何千万円というお金が要る、
文教地区指定というようなことに
関係なく、できることじやないと思うのだが、それでもやれるというならすぐや
つてみろというような、大変に私どもにとりましては詭弁と思われるようなことがありましたが、これは先ほどのかたの
報告にもありましたように、大変にうまく運びました今日でございますから、もう何にも言うことはないと思うのでございますけれども、私どもはただ
文教地区というものはただ
学校を守る、学生を守るということだけでなく、この
国立の
学園都市の性格を本当に有難いと思
つて住んで来た母親……それは母親には限りませんですが、親の気持を尊んで頂いて、ただ
学校を守るだけでなく、子供の環境がいいからここに私は来たのだというような熱意でこの運動を御婦人が大変に熱心に一生懸命にや
つて頂いて、私は婦人である
がために先ほど申上げましたように大変な恐喝に遭
つたこともございますが、八月の六日の
金員委員会に集ま
つた婦人がこういう町の情勢でございましたので、暴力はいけないということでございましたけれども、
反対派のかたが大勢押寄せまして、丁度夜でございましたので、
役場の周りをすつかり囲みまして、中には屋根に上りましたり、木に登
つたり、そしてあらゆる罵詈誹謗を促進
委員に浴せました。終りましたときに私はこのままでは家に帰れないから、大変申訳ないが、
警察に知らせてくれと言
つて電話をかけて頂きたいというような、大変に臆病で申訳ないのでございますが、そんなような気もいたしましたくらい、こういう運動に本当に携わりました人は今後もあらゆる所でこういうことが起るのじやないかと思いまして、これは東京都の
文教地区の例でございますが、今後いろいろな所でこういう問題が起りましたとき、私どもと同じような苦労を
皆さんがなさるということは私は堪えられないように思うのでございます。それで
参議院におかれましては、こういう法をお立てになられるとときには、いろいろお金を使
つて華々しくやられるときは正当でなくしても勝つのだという印象を与えるのは大変残念だと思いますから、よろしくお願いいたしたいと思います。
それから赤松先生がすでにおつしやいましたが、私どもは運動の初め頃、あなた
がたは
国立のホテルというものは皆外人が相手だから、それをオミツトするという態度に出るのは大変損だ、これは恐ろしい結果になるのだということを責任のある
委員長さんのほうから又私のほうへ厳重な申入れがありまして、占領下にありましてこういうことは許されない、例えばあなた
がたが何と言
つて嫌だと言
つても、
立川の空軍の基地に————いるがパンパンを一人ずつ連れて———
国立に行進してもあなた
がたは何にも文句は言えないだろうというようなことを、或る立派な公職にあるかたが言
つていらつしやいましたが、これはこういう運動をする私どもが反米的ではなくて、そういうかたの気持、言動が皆を反米に導く、恐ろしいことだと思います。