○河野(一)
説明員 教育費の確保の問題でありますが、教育費というものは、財政当局は、一体制度がき
まりました上におきましては、そうめ
つたに削減のできるものでは実はないのであります。しかしその額が非常に上りますことにおきまして、常に財政上いろいろな問題を出している
わけでありますが、これに
関連して全額あるいは一部国庫負担というようなことも、よく言われるのでございます。これにはまずその教育ということを、どこの
事務としておやりになるのが適当であろうか。国が直接やるということにするのか、あるいは地方
団体がその地方自治の内容としておやりになるのかというところに、
一つ問題があろうかと思います。もし地方自治の重要な内容であるとしておやりになる場合には、経費の
責任と仕執の
責任とは、これは本質的には一致すべきが当然なのでありまして、つ
まりほかの人のさいふで仕事をやるというのはおかしな話で、従
つて地方自治の内容として教育をおやりになる場合においては地方の負担ということは、これは原則的なものだと思うのであります。但し、地方
団体といたしましては、教育費というものは非常に大きな額を占める。九百億程度の地方
団体の教育費でありましようか、そのうち約六百億近くは教員の俸給であろうと思います。
東京都の例は、あるいは適当であるかどうか知りません。山梨県あるいは鳥取県等の財政力とは非常に違うと思いますが、学童一人当りの教育費というものは一そんなに違わないのであります。おそらく財政力においては十倍以上の差があ
つても、教育費自体は、児童一人当りにすればそう大して違いはない。従
つて貧弱府県に、教育費の負担というものは非常に重くなる事実があるということは、いなめないのであります。ことに府県財政におして、八十万人の府県職員のうち、六十万人というものは
学校職員でありまして、これのベース・アツプその他で
学校負担が、ことに貧弱府県がお困りにな
つておるということはその
通りであります。従
つて、この貧弱府県における財政の確保の手段として、教育の内容面が低下することを防ぐために、財政の面から義務教育費の国庫負担ということをあわせて
考えなければならぬという問題が起ると思う。この問題につきましては、来年度の問題として、地方平衡交付金の問題とあわせて
考えなければならぬ問題だと私は
考えております。
それからもう
一つは、教育費を確保することの
一つの手段としての教育税の問題であります。あるいはPTAの問題も
お話になりましたが、率直に申し上げまして、私は教育税という制度は古いと思います。過去においてアメリカにおいて十六州ばかりが財産税を基本として、その一定パーセンテージを教育税としておとりにな
つておりました。しかし税源というものが、財産でなしに証券あるいは勤労に向
つて行く場合において、そういう税が教育のように非常に伸びて行く経費については適当でないということがわか
つて、現在においてはほとんどすべての州において実行されておりません。
国民の税負担というものは、公平でなければならぬのでありまして、従
つて教育だけのために税制をかえるとか、あるいは目的をつくるということは、現在の
——これは私見でありますが、進歩した税制の下においては、なかなか困難ではないだろうかと思います。むしろ教育費を、ほかの面でいかにして実質的に向上させて行くか、あるいは確保するかという問題であるかと思います。
それからPTAの負担の問題、百億あるいは三百億ということになりまして、これが義務教育の無償の原則に反するということは、これはごもつともな話であろうと思います。しかし結局国家の財政が負担するといいましても、究極のところ個人のふところから出るのでありまして、PTAの負担が全部いいとは私も思いません、しかしまた必ずしも悪くないと思うのであります。もしPTAの負担三百億というものを国で負担せいといいましても、これがために相当な財政負担を要すると思います。基礎控除千円上げるにつきましても、二十五億ぐらいの金がいる。つ
まり一万円上げれば二百五十億の金がいるというような現在の
国民の負担の現状において、どういうふうにこの問題を解決すべきか、そうい
つた全般の問題を
考えて、決してその
状態がいいとは申しませんが、ものことというものは、順を追うて漸次に理想に向
つて進むべきものであ
つて、一方
国民の負担が重くて、税金の問題がなかなかうるさいことは御承知の
通りであります。
国民経済の
回復と相ま
つて、順次こういう点が是正されて、行かなければならぬ、私はそう信じておる次第であります。