○高橋道男君 私は緑風会の一員として、ややともすれば取残されがちな文教問題の若干について
政府の所信をお伺いいたしたいのであります。
政策を分ければ、精神的、文化的なものと、物質的、
経済的なものと、この
二つに分けることができると思いまするが、あとの物質的、
経済的な面は、感覚に訴えやすい
がために、それに重点がとられがちでございます。
政府の方針について見ましても、物質面である財政、
経済、産業等のものに対しましては、極めて周到多様であります。総理の施政方針
演説に続いて、
安本長官、
大蔵大臣、二
経済閣僚からの懇切なる御説明が加えられたほどであります。併し精神面の
対策は誠に單純且つ不十分と言わなければなりません。総理は
演説において強く、
国民の道義を高揚し、
国民の自立精神を振興することが
根本であ
つて、
政府は文教の振興に一段の力をいたす
考えであるという旨、抽象的に言及されている
程度に過ぎないのであります。講和を前にして自立
経済が確立されつつある今日、
政府の方針、一応御尤もであると言われるかも知れませんが、真に
経済を自立させ、更にそれを発展させるためには、單なる財政
経済政策だけでは不十分であります。この際、私は、ダレス大使が文化問題に関して、特にロツクフエラー氏を帯同されたことに敬意を表すると同時に、このことは我々に深い示唆を與えるものであるということを附言いたしたいのでございます。而して我が国将来の発展は、今後成長して来る次の世代の人々の力量如何にかかるものでありまして、これを思うとき、我々は、眼前の月に見える
対策のみならず、一層の明確なる意図を以て百年の計の礎を打ち据えなければならないのであります。これが方策の
一つとして、学校教育、社会教育の拡充強化が必要であると信ずるのであります。
来
年度予算案を見ますれば、この教育面を担当すべき文部省の所管経費は合計二百七十億円とな
つております。本
年度より
増額されたことは誠に結構でありますが、一般会計総
予算額と比べますと僅かに四%にしか当らないのであります。かかる
予算案を以て総理が言われる文教振興の目的送行に確信があるのかと言いたいのであります。(「ないない」と呼ぶ者あり)総理は、独立
国家として頼むべきは
国民の独立自由の愛国的熱情であると明言しておられますことは、誠に同感であります。終戰後、荒廃した我が国が今日の復興を見ましたことは、
連合国の好意ある
経済的、物質的
援助によることは改めて申すまでもなく、我々はその点、衷心感謝のほかはないのでありますが、その中核にあ
つて、我が
国民精神があらゆる苦難に堪えて復興を推進して来たからこそであります。醇乎たる
日本精神、曾
つての全体主義や軍国主義ではない、極めておおらかな、正しく、明らかな、清らかな、素直なる
国民精神の民主的成長こそが、我が国を護持して行くものでありますが、文教政策は、かかる
国民精神育成への環境を與えることだと存ずるのであります。
大蔵大臣が、来
年度予算編成の四つの特色の
一つとして、文教
予算の
増額を得意気に語られるのは、誠に結構でありますが、インベントリー・フアイナンスの半額にしか当らない
程度であります。一部の教職員をして、教育の主目的でない彼等の賃金闘争や或いは組合
運動に走らせておる今日、昨日の文部
大臣の御
答弁において、現在の教員の給與では不十分であるということを仰せられておる今日、この比重の軽い
予算を以て長い将来の
日本を守るべき
国民養成の目的に対処することができるかどうか。これを文部
大臣にお伺い申したいのであります。
次に学校寄附金の要請が相変らず跡を絶たぬことであります。学校自体の名義は避けて、同窓会とかPTAとかの名義が用いられておるようでありますが、その寄附金の用途を調べますと、その会自体の経費にとどまらず、むしろ多くは学校の施設の整備或いは教職員の生活費補助等に充てられておるのであります。これは明らかに学校
予算の
不足を証明しておるものでありまして、この傾向は、国立学校に限らず、公立学校もその例に漏れないのであります。十日ほど前の報道によりますと、東京都の小学校、中学校だけの年間の寄附金総額は、およそ十億に達するそうであります。勿論自発的な寄附金を抑える必要はありませんけれども、半ば強制的な割当式の多い現状では、
政府が折角減税を声明し、或いはシヤウプ傳士の勧告を容れて寄附金募集を戒められても、事実上
国民に対して減税感を與えないばかりか、学校に子弟を送
つている父兄に対しては、負担の過重或いは悪平等ともいうべき感じに苦しませておるのであります。むしろ
政府は、
計画通りの減税が行われなくても、国立学校は一切国費を以て、又公立学校はおのおの市町村の費用と国庫補助とを以て賄うようにするのが妥当且つ明朗だと思うのでありまするが、この点、文部及び
大蔵当局は如何にお
考えになるかを伺いたいのであります。
次に私立学校の教職員の問題についてお伺いをいたしたい。教育
関係の法律に基いて設立されている私立学校が将来の
日本を背負うべき青少年の育成に当
つていることは言うまでもございません。然るに、終戰後の社会
情勢、なかんずく
経済状態は、私立学校の
経営を著しく困難にいたしております。私立学校の
経営について当事者みずからが苦心するのは当然でありますけれども、今問題といたしたいのは私立学校教員の待遇でございます。将来の
国民を養成する目的については、その学校が国立、公立、私立による区別はないと思います。
従つて各学校の教員は、その奉職する学校の如何にかかわらず、教育共通の目的に向
つてその職責の完遂に努力しているのであります。現在給與
制度における職階性の年数計算に当りましては、教員である場合、公立、私立の差異が認められていないことは当然且つ公平な
措置でございます。然るに教員退職後の
措置につきましては、私立学校の
関係は問題にされていないのであ
つて、恩給年限の計算には私立学校勤務の年数は全く除外されておるのであります。学校
経営上の差別は止むを得ませんが、教員間にも差別を求めることは人間に差別を求めるようなもので、全く不当であると
考えるのであります。教育は、先日も油井議員が仰せられた
通り、利欲を離れた、ときには自分自身の生活や生命までも捧げる聖職であることを私も固く信ずるものであります。而して教員間に人間としての差別があるべきはずでないことも私は併せ信ずるものであります。憲法第十四條の
国民平等という建前は暫らくおくといたしまして、教育基本法第六條に、法律に定めてある学校の教員は全体の奉仕者であるということがありますが、この精神から申しましても、同じ聖職を奉じる教員の、少くとも退職後については、これを一に帰して
国家が遇するのが至当であると
考えるのであります。この意味において、恩給制、年金制を検討して、同じ聖職を奉ずる
国民の基本的人権を尊重する上から、教員であるものを共通平等の観点において考慮すべきであると思うのであります。各種学校を除く
全国の学校教員はおよそ六十五万人、そのうち私立学校の教員は一割の約六万人とな
つております。この方策が立てられるならば、
関係教員の厚生安定の一助となり、殊に延いては私立学校の特色ある教育を助長し、併せて教育国策に貢献することになると思うのでありまするが、この点、当局は如何にお
考えになるか伺いたいのであります。
次に、文化
国家建設に学校教育が基本方策の
一つであることは勿論でありまするが、人間練磨のためには社会教育がこれを補うべき大切な問題であります。この社会教育を充足する
一つとして、社会教育法、図書館法が制定され、公民館、図書館等の施設が設けられておるわけであります。昨春、図書館法が審議される当時、公立図書館はおよそ一千四百、公民館はおよそ九千三百五十とな
つております。当時独立建物を使用していた公民館は全体の半数に満たず、又使用面積の一館平均は九十余坪とな
つております。又一方、公立図書館の使用面積の一館平均は約三十坪、蔵書は平均約五千冊という、誠にその
数字を疑いたくなるような
状態でございます。私は文化
国家を標榜する我が国がこんな民度であることを憂うるばかりであります。民主主義というものは、外からの強要なしに理想に向
つて多数の人が動いて行く建前でございましようが、民度の低い
段階におきましては、ときには第三者の忠告奨励の必要なこともあり、
国家や公共団体の場合には、法律等による適当な制約がなければ、却
つて民主主義運営を停滞させ、延いては、いつまでも民度を高めない虞れがあると思うのであります。公立図書館、公民館はそれぞれ法律の定める施設でありまするが、任意制である現状のままでは拡充発展を期待することは頗る困難であります。私は図書館や公民館は、青少年の成育に深い
関係を持つのみならず、成人の教養にも大きな影響を持ち、一般の精神補導にも大きな役割を持つ重要な社会教育施設であると思うのでありまするので、この図書館又は公民館或いはその合体した施設を各市町村が
一つ以上を有すべきことを
原則とし、一定年限内に設備するよう法律を
改正しては如何かと思うのでありまするが、当局にその御用意があるかどうかを伺いたいのであります。
次に、政治と宗教との問題について
一つお尋ねしで置きたい。憲法第二十條に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とあり、又宗教が国権に影響すること、国が宗教を支配することを禁じております。いわゆる政教の分離であり、明治憲法に比べますると信仰の自由が確立されたと言われております。明治憲法においては「
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由ヲ有ス」とあ
つたのでありますから、この信教自由は明らかに枠を作られていたのでございまして、事実、終戰までは限度を越えた信仰の
統制や干渉が行われてお
つたのであります。併し新憲法においては、信教の自由を保障するだけで、何ら制限或いは條件を付けておる文句がないことを以て、端的に信教の絶対自由を肯定していいのでありましまうか。私は若干疑問なきを得ないのであります。何故ならば、新憲法は民主主義を大前提とするものでありまするが、宗教が民主主義に副わないことが起る場合、或る種の宗教
運動と称せられるものが社会秩序を濫りにするがごときことが起る場合、宗教は、
国家国民を律しておる憲法、法律にはお構いなしだと
考えてよろしいでしようか。ブルンナーというヨーロッパの神学傳士は、東洋宗教の教義に民主主義を発見することはできないと、誠にひどいことを
言つておるそうであります。仮に彼の
言葉が肯定されるならば、東洋に含まれておるこの
日本の宗教は、本質的に我が新憲法の精神には合致しないということにさえなるのであります。無論私はこの神学者の説に同調するものではありませんが、教義そのものは宇宙の真理を蔵し、その布教は民主的に展開し、衆生を済度するはずでありましても、これを
組織化し、
制度化して行く途上、極めて善意に、或いは意識することなしに、民主主義に副わないような、例えば封建的な、独裁的な、専制的な要素が取入れられ、延いては社会生活の秩序や民主主義の発展に好ましからざる影響を及ぼす虞れがある場合にも、政治はこれに無関心であ
つていいのでありましようか。個人の信教については或いは絶対自由が許されると思いますが、
組織体である宗教団体が、
国民生活を規制しておる憲法に優先したり或いは憲法から遊離することが許されるであろうか。それはあたかも学問や思想の自由は認められても、それが発展して行動となり
国民生活を脅かすようなときには、然るべき制肘を受けねばならぬのと同様ではあるまいかと
考えるのであります。信教に関する明治憲法と新憲法との精神は全く異なるものだと私は
思つております。併し、実際の政策としては、以前のような極端な干渉彈圧が行われるはずはないと
思つておりますけれども、
国家、
国民の秩序が、信教の自由、少くとも宗教団体の行動に優先するのではあるまいか、こう思うのでありまして、この点、憲法の解釈と実際上の問題とについて
政府のお
考えを伺いたいのであります。
以上、私は主として文部
大臣に御所見を伺いたいのでありますが、併せて
関係大臣からも御所見を伺うことができますれば誠に幸いとするところであります。
御清聽有難うございました。(
拍手)
〔
国務大臣天野貞祐君登壇、
拍手〕