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1951-05-22 第10回国会 参議院 法務・文部連合委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年五月二十二日(火曜日)    午前十時三十九分開会   ―――――――――――――  委員氏名   法務委員    委員長     鈴木 安孝君    理事      伊藤  修君    理事      宮城タマヨ君    理事      鬼丸 義齊君            北村 一男君            左藤 義詮君            長谷山行毅君            山田 佐一君            齋  武雄君            棚橋 小虎君            岡部  常君            中山 福藏君            一松 定吉君            羽仁 五郎君            須藤 五郎君   文部委員    委員長     堀越 儀郎君    理事      加納 金助君    理事      成瀬 幡治君    理事      若木 勝藏君    理事      木内キヤウ君            川村 松助君            木村 守江君            工藤 鐵男君            平岡 市三君            荒木正三郎君            高田なほ子君            波多野 鼎君            和田 博雄君            梅原 眞隆君            高良 とみ君            高橋 道男君            山本 勇造君            大隈 信幸君            矢嶋 三義君            岩間 正男君   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○戸籍法の一部を改正する法律案(衆  議院提出)   ―――――――――――――    〔鈴木安孝委員長席に着く〕
  2. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 只今から法務文部連合委員会を開きます。  先例によりまして便宜私が委員長を勤めさして頂きます。今日は戸籍法の一部を改正する法律案について参考人各位から御意見を伺います。参考人としておいでを願いました各位に申上げます。今日は御多忙のところ連合会のためにおいで下さいまして誠に有難うございます。伺いますることは、子の名に用いる文字はこれを制限することが可であるか否であるかということについて、各位の御意見を承わりたいのでございます。いわゆる無制限にこの名前文字を使用していいか、又これを制限するほうがよいかということの可否について承わりたいのでございます。時間は十分から十五分くらいの範囲で御意見を承わりたいと思います。先ず毎日新聞社出版局書籍部顧問藤森良信君に先に御意見を承わりたいと思います。
  3. 藤森良信

    参考人藤森良信君) 私は先ず結論から申上げますが、子供名前制限を付けるということは当然のことと思います。又そうしなければならないと思います。  第一の理由といたしましては我々は自分子供名前子供自身のためのものでありまして、親のものではない。子供は大きくなりますと、非常に親自身が付けた名前子供のために利益であるかどうかということが、小さいときはわからないが、だんだん大きくなるに従いまして非常に不便を感ずることがたくさんあります。例えば親は今までの例で申しますと、戸籍吏受付主義間違つても何でも受付けるという例がたくさんあります。私の親戚でも「勀」という名前を親がつけた。その子供が今非常に大きくなりまして、自分子供があるようになりまして、名刺一つ作るにも一々活字を作つてもらわなければならない。木版を作つてもらわなければ名刺一つできないのであります。こういうような不便がなぜ起るかといえば、今までこれに対して何らの制限がない、自分の好きな名前を勝手に付けておる。これに一応……そこで範囲はどこに置くかわかりませんが、戸籍吏において一応これについて制限を与えておつたならば、こういう本人の不便はなかつたと思うのであります。ところが今までは殆んど無制限であつた。勝手に名前を付けておつたので、こういう名前が非常に多いのであります。この間国語審議会において調べられたことで裁判所で改名をした、その中の例で非常にむずかしい名前があつて本人としては困つて変えなければならないというのがあつたのであります。これというのはやはりみんな親がその本人のことをちつとも考えないで、割合に無責任というか、自分の趣味だけで付けておつたというのがこういう原因ではないかと思う。私はこの点からいたしましても、どうしても或る点の制限を与えてやらなかつたならば、子供のためでなく、又子供自身のためのみでなく、お互いが非常に不便ではないかと思うのであります。子供名前本人が使うよりも他人に使つてもらうことのほうが多いのであります、私は最近こういう例を聞きましたのですが、それは有名な杉下という野球の選手であります。その長男が生れたのであります。その長男が生れた場合、おふくろさんは姓名判断に何か名前を付けてもらつた。そうしたら允彦(のぶひこ)と付けた。本人は「允」を「充」と思つておるのであります。「彦」だけが制限外であるからといつて戸籍吏に断わられてもう一回聞いて名前を付けてもらつた。「功一」と付けてもらつたそうであります。偶然それを私が聞きまして「允彦」はむずかしい、「彦」の字はない。この字は、「功一」は誰が読んでも楽だから、「功一」ということにしたらどうかと私はちよつと注意したのであります。ところが、おふくろさんは帰つて行きましたが、この間丁度発表になりました翌日でしたか、藤森さん、「彦」の字はいいじやありませんかと来た。今度いいということになりましたが、私はこの「彦」の字はいいが「允」の字は今までもなかつたし、恐らくこの字はほかに使われる字じやないから今後とも許されない字だ……。この「允」という字をおふくろは「充」と同じだと思つておるのであります。こういうふうに自分子供名前の字を、ただ人に付けてもらつて、充分の充と同じくらいに簡單に考えておるのでありますから、深く考えないで、これは「充」も「允」も同じだと思つており、ただ「彦」の字はない、「充」の字はあるのだと思つておるのであります。このくらいに子供名前に対しては迷信的に非常に神経質でありまするが、自分子供の将来のためを考えて、これが果してみんなに楽に読まれるかどうかということは、ちつとも考えておらないのであります。それでありまするから、私は今現に当用漢字として一応の枠がある。その枠の中でも音訓だけは無制限でありまするけれども、私はむしろこれを音訓も、一応の国語審議会が発表した音訓の中でやつてもらいたいぐらいの、私は考えでおるのであります。そうしたならば、当用漢字を覚えておる者は、誰の名前でも勝手に読める。十分に読めていい。又自分も人に読んでもらつて非常に生活が楽じやないか。今度の選挙を見ましてもわかりまするが、非常にむずかしい名前の人が立つておりましたが、そのパーセンテージは調べてありませんけれども、恐らくはむずかしい名前の付いた人のほうが落選率が多いのじやないかと、私は思うのであります。こういう点から考えましても、子供名前は楽な、誰でも読めるような名前を付けてやるということが極く必要じやないか。この点から私はこの杉下さんのおふくろさんにそう言つてやりました。あなたの息子さんはアメリカに行かれましたが、あなたのお孫さんも将来外国にでも行かれるかも知れませんから、行かれるようなことがあるでしようが、そのときに「允彦」という、こういうむずかしい名前を付けて、向うに行つて非常に困るような場合があるということを、今までの実例を挙げて説明いたしましたが、本人も非常に納得して行かれました。こういうように、私はむずかしい名前を付けて、ただ親のひとりよがりでおるということは、本人のために非常に私は不幸じやないか。それでありますから、是非とも制限をして、誰でも読めるようにしてやるということは、本人のため、又お互いのためだと思いまするから、私は当然枠はなければならんと思います。
  4. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 只今の御意見に対して、御質疑のあるかたは、午前の各位の御発言が済みましてからお願いすることにいたします。次は国語協会理事岡崎常太郎君。
  5. 岡崎常太郎

    参考人岡崎常太郎君) 私も結論を申上げますと、藤森さんと全然同意見でありまして、制限という言葉がいいか悪いか存じませんが、若しその言葉を用いるとすれば、これは制限をすることは申すまでもないことである。今更議論をする必要もないと思うのであります。少しお尋ねの趣意に遠ざかるかも知れませんが、無制限に勝手な名前を付けるということは、親がむずかしい言葉で申しますると、命名権と申しますか、名前を付ける権利を持つておる。だからして自由に何でも付けてよろしいと、こういうふうに考えて来るということが基になりまして、いろいろな凝つた名前を付けたり、珍妙な名前を付けたりすることになつて来るのであろうと思います。一体この子供名前を、親が子供だからというが、子供を対象として、そうして名前を付けるということについての考えを私はこう考えてみたいと思つておるのであります。それは我々は、誰一人として長生きをしたくない者はないのであります。併し百二十五歳まで生きる人は珍しいのでありまして、いずれは世を去らなければならぬ。そこで我々は人間を初めとして生物はそうでありましようが、子孫を残して、そうして自分の命を長くして行くのであります。世継ぎを作つて行くのは、即ち自分が長く生きることなんであります。でありますから、自分が生んだ子供は、それは子供でありまするけれども、或る意味から言いますると、自分の命の延長であります。他人ではないのであります。ほかの人間ではない。自分と同じ人間考えていいと思うのであります。言葉を換えて言いますると、自分のつまり生れ変りであります。でありまするから自分が更に生れ変つて新らしい世の中に活動をして行くのである。そのために名前が必要であるというので、名前を付けるのでありまするけれども、若し考え方が、この子供といつて自分よりも別の者ではないのであります。極く極端に言えば自分である。それを考えたときに千種さんのおつしやられるように、変てこ名前を付けて、チヤコとかいろいろな名前を付けて、そうして満足し得るはずはないのであります。そこに親というものには非常な考え違いがあると私は思うのであります。これは自分名前である、子供名前ではないのであります。ですが、生れ変つた自分名前考えましたならば、不便な名前を付け、子供に迷惑をかけ、社会に迷惑をかける、そういう名前を選ぼうと思つても選べないはずです。その点について根本的に私は親の考え方間違つておると思うのです。そういう間違つた考えを我々は指導してやる必要があると思うのであります。私はこういうふうに考えますると、どんな名前を付けてもよろしいということは、それは制限をされたから初めて考えなければならぬという問題ではなくして、みずから進んでそういうことを自分制限をして、どんどんよい名前を付けるということになるべきであろうと思うのでありまして、これは一つ命名についての根本の考えです。こういうことをもう少し世間一般父兄に、父兄と言いまするか、親に十分徹底する必要があると思うのであります。そういう点から考えてみまして、制限ということを十分今はいやに思われるでありましようけれども、適当な文字をゆつくり考える必要がある。そういうように思うのであります。それで今つまり名前文字制限する、そのために適当な名前には名前としての適当な文字が必要だから、それを選定する必要がある。こういたしますときに、材料を今までの古いものから取つてやるということは、それは或る点まで必要でありまするけれども、これはすでに過去の問題です。子供は将来の、未来のものです。未来のものが未来社会に活動するためには必要な名前というものがなくてはならん。そうしまするというと、徒らに今までの名前に囚われてはいけないと思うのです。我々もずつと以前に標準漢字、五百字かを制限して、それを名前文字にといつて選定しましたが、それは何かというと、それまでの紳士録などに出ておりまするところの古い人の名前を取つたのであります。その当時は我々はいいと思つておりましたけれども、今日になつて考えまするというと、それは古くさくて駄目だ、黴の生えたものだ、こういうふうに考えるのであります。今でも昔の名前が行われておるのでございまするから、一体現在の人の名前にどういうふうな名前があるかと思いまして、丁度千種さんの真似をいたしまして少し調べてみたのでありますが、それは只今の現に行われておりますところの東京の電話番号簿であります。それを見まするというと、あれが八百二十七頁あります。それで皆見るわけに行きませんから百頁ずつに切りまして、そうして八枚ばかり、百頁め、二百頁め、三頁頁め……、その頁の中に現われておるところの人の名前を調べてみたのでありまするが、そうしまするというと第一番の百頁めの中にはこういう名前があります。これは何と読むのでありまするか、私はとても読めないのであります。金へんに虎という字が書いてあります。字引をひきませんので、字引にあるかどうかわかりませんが、私はこれを調べるときに初めて見たわけであります。生れて一ぺんも見たことのない字であります。それが出ていたのであります。恐らくは元気のいい虎に、それ以上にうんとお金を持つておる、そういうような人にしてやりたいというお考えで、この字をこの人に付けたんでありましよう。こういう人がですね、若し議員さんにでもなりますれば非常に元気で、そしてお金がたんまりあつて、非常に活動なさるだろうと思うのです。今どうしていらつしやるかわかりませんが……。それから二百頁に清岡さんですが、これは日へんに英という字(暎)これも珍しい字であります。三百頁めに、こういうのがあります。椎名夙朴さん何と読むのでありましようか。ともかくこういう字があります。それから四百頁めには高橋〓一さん、これも恐らくはここに相当の御年配のかたもいらつしやるだろうけれども、初めて御覧になるかたもあるだろうと思うのです。電話帳にちやんとあるのです。それから五百頁めに至に成という字があります。鳥居さんでありますが、これも初めてであります。それから六百頁めには日能遼一郎さん、この遼の字はそう珍しくないのでありますが、私は名前として初めて見るのであります。更に七百頁めには宮本瀇一郎さん、これは何と読むのでありますか、若し御承知のかたがあつたらお知らせを願いたいと思うのであります。更に八百頁ですね、これには小林九に虎さん、これは鳩という字とは違います。(笑声)こんな調子でありますが、定めしこれを電話帳お作りになるときには、非常に事務のかたがお困りになつただろうと思います。電話帳を見たついでに正誤表を見たのです。その正誤表つまり間違つた字を書いたために、正誤という手数をおかけになつておるわけでありましようが、ちよつと一頁を見ました。そうしたら天野さんというかたのお名前に、これは何と読んだらよろしいのか〓という字があります。それは間違いで、「はこがまえに異なる」というのが正しい字であります。この正しい字も何と読むのが正しいのでありますか、これも一つ読んで頂きたいと思います。すでにこれをお作りになるときに、恐らく木版お作りになつたに違いないでしようが、そうして又この正誤の表をお作りになるときにも、恐らく木版お作りになつたでしよう。この調子では名前を付けるにしても、何をするにしましても、これは非常に社会的な害毒を流すと言つてもよろしい。こんなことでそれがちやんと今日電話帳に載つておるのであります。それからもう一つ前田「等久」というのがありますが、これは違つておるので、これの正誤として〓というのが書いてある。これは何という字でしようか、読めません。これは木版をお取りになつたのか、或いは印刷が不十分なために竹冠の下の二本が写らなかつたんでしようかと思つて、虫眼鏡でわざわざ見ましたが、どうしてもない。恐らく算術の算の字を略して、こういう字を書いて前田「サンキュー」というのかも知れませんが、(笑声)これではお礼も言えません。そういう名前を付けております。こんな調子でありますから、電話帳にたくさん出ておるからといつて、それを中心に子供名前を選定することは不適当であります。過去の文字、過去の名前はそれはもうすでに過去のものでありますから、更に何十年後に活動する子供のために特別な文字を選定して、そうしてそういう文字を付けるのは将来子供のためには悪いというふうに指導してやる必要がある。こういう点から我々は更に丹念に研究をいたしまして、そうして子供に付ける名前を選定する必要があるじやないかと思います。そういう点から考えまして、今の電話帳をもう少し調べて見ますというと、なかなかいい材料がたくさんあると思います。この正誤表にいま一つ、たくさん例はありますけれども申上げますと、実はちよつとここでは失礼のように思いますけれども土岐善麿さんのお名前間違つておるのです。この麿という下が間違つてつて、磨くの磨という字になつておる。それをちやんと正誤表に出しております。土岐さんには失礼でありますが、麿という字は今の名前ではないと思います。昔の非常に高貴のかたにあるわけです。こういうような調子で、今の文字を九十二種類か新聞で拝見しまして、私は切抜きを持つておるのであります。この中に十分考えなければならん文字がたくさんあります。現在の人には或いはいいかも知れませんが、三十年、四十年後に活動する人の名前としてはこれはどうも考えなければならん文字が、相当私どもから考えれば多分にあります。でありますから、そういう文字を今一生懸命急いできめても、それは子供のためにならんと思う。我々はつい覚えず知らず、むずかしい文字を付けるのはいかんとこう言いながら、子供にむずかしい文字を付けることを奬励する結果になつてはいないかと思います。従つて私はもう少しこういうようなことについては、慎重になさつて、調査を十分になさいまして、そうして皆にどういう意味で名を付けたらいいのかということを、とくと肚に入れさして、そうして皆に納得して、いい名前を付けるように進んで行きたいと思います。大変失礼いたしました。
  6. 鈴木安孝

  7. 吉田澄夫

    参考人吉田澄夫君) 本日お招きを受けましたが、格別変つた意見を持つておるわけではございませんので、ただ平常考えておりますことを意見として申上げまして御参考に供したいと思うのであります。殊に平素教壇生活をいたしておりまして、毎時間学生の出欠をとつておるのでございますが、学生名前を全部完全に読めたためしが実はないのでございます。一クラス五十名くらいおりまして、そのうちで必ず五名か七名くらいは読めないのであります。やさしい字が書いてありましても「ふみ子」と読むのか、「あや子」と読むのかちよつと迷うというようなことがしよつちゆうございます、これは私だけかと思いまして同僚にも聞いて見たのでありますが、やはり同僚も読めないと申しております。ところが、悪いことに名前が完全に読めないということがもう殆んど免疫のようになつておりまして、無神経になつておりまして、一向それを不思議に思わないのでございます。これは社会全体がそうじやないかと想像するのでございますが、つまり名前の書き現わし方の不合理なものに対しまして、我々が無感覚になつておると言いますか、或いは無自覚と申しますか、そういう状態じやないかと思うのでございます。で今後の社会におきましては、我々の名前はこんなことではいけないと私は考えるのでございまして、誰にも正しく読めるような名前を各自が持つているというようになるべきであると思います。そのためには、どうしても親が子供命名をいたします際に、十分そのことを一つ注意してもらいたいというふうに考えるのでございます。そこで私は、かねがね子供名前をつけます際に次の三原則を嚴守すべきであるというふうに考えております。それは先ず立派な意味を持つておる名前をつける。これはもう当然なことでございます。それから次に、やさしい文字を使用する。これは仮名の場合には殆んど問題がないのでございますが、主として漢字を用いる場合でございます。やさしい漢字を用いて欲しい。それから次にやさしい読み方を選ぶということでございます。たとえ字はやさしくても読み方が特殊であるというのでは人は正しく読んでくれないのであります。今の「ふみ子」「あや子」、「文」の字を書きましてどちらにも読みます。或いは幸という字を書きまして「さち子」或いは「ゆき子」、どちらにも読めます。そうでなくて成るべく周囲の人が正しく読めるような読みをつけるということが大切であろうかと思うのであります。私は国語の教師でございますので、国文学の例を引くことをお許し願いたいのでございますが、兼好法師の徒然草にこういう一段があります。それは百十六段でございますが、寺院の名、お寺の名であります。「然らぬ萬づの物に名を附くること、昔の人は少しも求めず、唯だ有りの儘に安く附けけるなり。この頃は深く案じ、才賢を顯さんとしたる様に聞ゆる、いと煩厭し、人の名も、目馴れぬ文字を附かんとする、」人の名前も見馴れないむずかしい漢字を使う、「目馴れぬ文字を附かんとする、益なき事なり。何事も珍しき事を求め、異説を好むは、淺才の人の必ず有る事なりとぞ。」と、人がこういうふうに言つておるというふうに表現をいたしております。無論これは兼好自身考えであります。それから近世になりまして本居宣長玉勝間という随筆集を作つておりますが、その中にこういう一段がございます。「今の世人の名の事、近き世の人の名には、名に似つかはしからぬ字をつくること多し、又すべての名の訓は、よのつねならぬがおほきうちに、近きころの名には、ことあやしき字、あやしき訓有て、いかにともよみがたきぞ多く見ゆる、すべての名は、いかにもやすらかなるもじの、訓のよくしられたるこそよけれ、」こういうやさしい文字で、そうして読みがよくわかるような名をつけるのが一番よいのだということを申しております。こういう先人がすでに言つておることでございます。私もこうした先人考え従つて今申上げたような三原則を立てておるようなわけでございます。  それから次に名前文字当用漢字で押えることの可否についてでございますが、一体当用漢字と申しますのは、山本先生委員長で、当時我々も当用漢字審査をしたのでございますが、御承知のように社会生活上一応必要と認められる漢字範囲を示したものでございまして、人名漢字については殆んど全く考えられておらないのでございます。その当用漢字審査をいたしました際に、しばしばやはりこの人名漢字の話が出たように記憶いたしておりますが、さて少しこれをやつて見ますというと、いろいろむずかしい問題が起つて参りまして非常に複雑であることがわかつたのであります。でこのほうは後廻しにしようということになりまして、そうして今日に至つているようなわけなんでございます。でありますから、この名前当用漢字で抑えるということになりますとそこに相当大きなズレがある。つまり名前に殆んど用いないような文字当用漢字の中に相当たくさん入つている。それから又少なくとも現在におきましては相当名前に用いられているような字が当用漢字に入つておらない。こういう食い違いがあるのであります。それで私は理想案としましてこの人名専用の、人名だけに用いる、いわば人名当用漢字表というようなものを作るべきであると思つているのでございます。それから同時に、只今岡崎さんからもお話がございましたが、読みでございます。読み人名漢字には特殊のものがございますからして、これも專門に調べてきめる必要がある。それから字体もきめる必要がある。かように考えているのでございます。字体のほうは当用漢字体表というものはすでにできておりますが、その字体が殆んどそのまま利用できると思うのでありますが、読みのほうになりますというと、例えば信用の「信」、「ノブ」という字、これは当用漢字音訓表のほうでは「シン」という音が取られているだけでございます。ところが名前のほうになりますというと、これはまあ「ノブ」という読みがある。それから一字名といたしましては「マコト」と読むわけであります。それは現在の音訓表の中には入つておらないのでありますが、或いは「正」という字、これは音訓表のほうでは「セイ」「シヨウ」「タダシ」、こういう音と訓が認められております。併し名前のほうといたしましては、これは「マサ」という読みがある。そういうようなわけで一字一字について相当検討を要する点がある。ところが今の「信」でございますが、「ノブ」「マコト」ならば先ず普通でございますがりそうでなくて昔からの読みを調べて見ますというと、そのほかにこういうような読みがあります。「アキ」「アキラ」「コト」「サダ」「サネ」「タダ」「チカ」「トキ」「トシ」、それから「ノブ」「マコト」「ミチ」という読みがあります。字は易しうございますが、そういう読みで以てつけられたらこれは全然我々読めない。併し昔からの習慣としてはそういう名乗訓というものがあるから間違じやない。ですから読みのほうもまあ本当申すというと抑える必要があるということになる。もう辞書なんかもこんな本が幾種類も出ておりまして、昔の人もこういうふうな本を参考にして読みをきめたらしいのでございます、理想案としては私はそういう特別な人名当用漢字表というものを作るべきだと考えているのであります。併しこれは相当に長い時間をかけて研究しなければならないことでございますからして、今急の間には合わないと思います。それでこれは然るべき機会におきまして、例えば国語審議会の固有名詞部会というようなところで十分一つ御研究を願いたいと思うのでございます。今日この問題を処理いたします実際的な方法としてはどうしたらよろしいかと申しますと、私の考えではやはり今回の国語審議会の提案が妥当であろうと考えるのでございます。今回増補になりました九十二字は、我々曾つて国語協会に紹介いたしましたところの五百字と対照いたして見ますと、大体その中に入つておるのでありまして、この九十二字というものが入れば、今問題になつておるようなことは大部分解消するのじやないかというふうにまあ思つております。  それから次に名前をこの漢字制限戸籍法のほうで規定することの問題でございます。勿論こうした問題を法律で規定することにつきましては、いろいろ議論の余地があることと存じますが、漢字制限の精神がまだ一般に普及しておらないように見受けられますし、又人名社会性についても十分の自覚がないというふうに認められまするので、今日の段階におきましては何らかの制限を法律の上で規定するということは止むを得ない処置ではないかと、私は考えるのでございます。社会が自発的に易しい漢字を用いてくれるようになれば、こうした規定をやめにしてもよろしいと思いますけれども、それまではどうしてもこれは必要じやないかと思うのでございます。この名前文字制限につきましては昔からやはり政府で法律命令というようなものを出しておる例は幾つも数えることができるのでございます。明治の初年に太政官の布告というようなものにおきまして、名前に関することを規定いたしておりますが、例えば天皇の御名の文字は、一字一字としては用いてもよろしいけれども、御名そのものを名前に使つてはいけないといつたような規定がございます。それから更に遠く遡りまして、奈良朝、平安朝頃にもすでにそうしたものがあるのでございまして、類聚三代格という書物を見ますと、神護景雲二年五月三日の日附で、「この頃諸司入奏の名籍を見るに」、役人たちが差出したところの名簿、そういうものを見るに、「菩薩及び聖賢の名を用い」、仏様や聖賢の名前が用いられておる「常に経聞を見る毎に懐安からず」、これを見聞きするとどうも困つたことだと思う、「爾今宜しく更然することなかれ」、以後そういうような名前を付けてはいけない、「掌る者施行せよ」、役人たちはよろしく適当な措置を講じて欲しいというような、これはまあ当今の勅令というようなものに当るものかと思いますが、そのほかにそういつた或いは「百姓の改名をたやすく許さざること」、つまり一般の人たちの名前を改めることをたやすく許してはいけないというような規定も延暦十七年二月八日の日附で出ております。そういうわけで歴史上そういう名前に関することを法律命令に規定するというようなことは例があることなのでございます。かようにこの名前を見るに、書き現わし方社会性を保持する意味から申しましても、又文字というものの通用性という点から見ましても、又只今挙げましたように、古来の歴史的事例に照し合せて見ましても、それを法律に規定するということは一向差支えないというふうに考えるのでございます。大体この程度でございます。
  8. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 日本弁護士連合会副会長、阿保淺次郎君。
  9. 阿保淺次郎

    参考人(阿保淺次郎君) 私は戸籍法の一部改正に関する法律案は誠に妥当な案と思いますから、無条件で賛意と表する次第であります。  いろいろ御議論もあるようでありまするが、成るほど親というものは八千万の国民でありますから、変つた親もあると思いまするが、要するに親というものは子を愛するものでありますから、子の不利益になるようなことは、これは考える親はないと思います。子供に非常に奇抜な名を付ける、人の読めないような名前を付けるというような親は、これは何万人に一人しかないだろうと思います。その他の親というものは、恐らく子供の利益を図つて、そうして名前を付けるのだろうと思います。でありまするから極く極端な例で本法案に反対するということは、これはよほど考えものだろうと思います。要するに本法案というものは当用漢字では少し狭いのではないか……、この固有名詞については云々とありますから、これは通常の文書とか、或いは談話とかいうようなことには重きをおいたでありましようけれども、固有名詞については余りその当時のおかたがたが考えておらなかつたのではなかろうかと思うのであります。殊にこれが起つた原因から考えて見ましても、茅ヶ崎では、この問題で戸籍係から届出を却下されたというので、それに対する抗告がありまして、その抗告が却下されたから、東京高等裁判所に又再抗告をした。その東京高等裁判所の判決を見ますると、むずかしい名前を付けることは公共の福祉に反するという判決でありますけれども、これは果して最高裁判所に行つたならば、どういう判決になりますか、これは容易に判断の付かない問題であります。殊にその客観理由を見ますると、公共の福祉に反する。これは成るほど一応御尤もでありまするが、又公共の福祉に反するとしなければこの抗告というものを排斥する理由はないのであります。公共の福祉に反するということになりますると、これは又その一面を見ただけで、他の平面を見ていないのでありまして、若し当用漢字だけに名前制限することになりますると、これまで何ら制限のない時代でありましても、同姓名の者が非常にあつた。若しこの当用漢字のみに名前制限したならば、同姓名というものは非常に殖えて来るだろうと思う。同姓名が殖えて来ると、これ又社会の福祉のために重大問題であると私は考えるのであります。  もう一つの理由はタイプライターが使用できなくなるだろうとか、或いは活字がないとか、こういう議論でありまするけれども、これは又甚だ不徹底でありまして、これから生まれる子供に対してそれは言うだけで、過去のつまり制限のない時代に付けられた名前については殆んど制限がないのでありまするから、これは当用漢字以外の文字はたくさんある。それらをどうするか。タイプライターの使用ができないというけれども、そういう過去に付けられた名前についても使用ができない。これは全部徹底的にやるならば、過去の名前も全部改めさせる。こういうことに行かなければ到底完全なものになりはせんだろうと思う。殊に本件は名前だけでありまするけれども、この姓のほう、姓はこれはもうあらゆる種類のものがありまして、只今お話のあつたような読めない姓もたくさんある。これなども全部一掃して、そうして全部何人でも読めるようなものに改めて来なければ、これは本当に徹底したものではないと思います。要するにこの本案の趣旨というものは読んで見ますると、「市町村長は、出生の届出において子の名に前項の範囲外の文字を用いてある場合においては、届出人に対してその旨を注意することができる。」でありまするから、これはどうもちよつとむずかしい、当用漢字の中に入つてないからこういう名前は少し考えたらいいだろうというので、十分にその考慮の余地を与えることになつておる。それでもどうしても聞かぬというのならば、これは止むを得ぬ。こういうのでありまするから、届出本人の自由意思をすぐそのまま採用して何でもよろしい、こういうのではなく、十分に注意をして改めさして行こう。こういうことになつておりまするから、本案というものは非常にこの適用の妙を得たものでありまして、今日のこの実際から見ましても、当用漢字では少し狭過ぎるというこの弊害を、これは除去する意味もあります。又一面において人の読めないような名前を付けることを防ぐ意味もありまして、両々相待つて誠に適当な案と私ども思料いたします。在野法曹はこれには殆んど全力を注いで賛成をしておるような状況でありまして、さような次第でありまするから、どうかこの案を通過せしめられんことをお願いいたしまして、私の意見といたします。
  10. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 只今までの参考人のかたがたの御発言に対しまして、御質疑のおありのかたはお願いいたします。
  11. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 吉田先生にお伺いしますが、人名当用漢字表というのは別に長い期間をかけて研究して作るのが妥当だということを申されましたが、大よそ何字ぐらいだというような見通しがございますか。
  12. 吉田澄夫

    参考人吉田澄夫君) 私は一つの標準になりますのは、国語協会の名付委員会で作りましたところの標準嘱付文字というのがございますが、それは五百字でございます。それはかなり理想的な、漢字制限の精神をかなり強く打出した案でございますので、もう少し緩めて、もうせいぜい二百字ぐらいも殖やせば私は結構間に合う。七百字ぐらいで十分であるというような、大体これは私一個の見通しでございますが、考えておるのでございます。
  13. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 次に阿保先生にお尋ねいたしますが、国字政策との関連はどういうふうにお考えになつていらつしやいましようか。国語審議会あたりで研究されておるところの国字、そういう名前だけでなくてできるだけ漢字を少くして、子々孫々非常に漢字というものに、簡單に言えば悩まされるのを排除しようという、そういう方針と、人名というものの普通の制限というものの関連をどういうふうにお考えになりますか。結局先生の御意見では一切制限をなさらんがよいというわけですか。
  14. 阿保淺次郎

    参考人(阿保淺次郎君) 一切制限をせんがよいというわけではないのですがね、本案は非常に適当な案だ、何でも彼でもいいという意味ではないのです。非常に妥当な案だとこういう意味なんですがね。
  15. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 続いてお尋ねいたしますが、「届出人に対してその旨を注意することができる。」と注意権を認めて、そうして注意しても従わないときには「受理しなければならない。」という受理権をここに打出してあるわけでございますが、現在のような当用漢字の徹底していないとき、更に迷信が非常に強くて、子供名前を如何なる態度によつて付けるべきかという、こういう社会的な意味もよくわかつていないときに、こういう法律では、もう手放しになつたのと同じようになるのではないのですか。
  16. 阿保淺次郎

    参考人(阿保淺次郎君) それは大分違うだろうと思います。それは付ける人によつて何の考えもなくやるけれども、戸籍吏が相当注意したならばやはり考え直すだろうと思います。それでも何でも聞かんという人もあるかも知れません。それはもう止むを得ない。この案から行きましても止むを得ないけれども、この前の注意ということによつて十分そこは救われる余地があるだろうと思います。
  17. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 そこは立場が変りますというと、国字政策という立場から、この指導という立場から又別な意見が出て来ると思いますが、それは意見になりますから申しませんが、先生は先ほど千八百五十字の今の当用漢字では狭い、こういうふうに御発言になつたわけでありますが、どの程度までお拡げになつたらよろしいかという点と、それに関連してお伺いするのであります。ここの提案理由にも、同姓同名の異人が、十年も経過するとたくさんできて来るということが書かれてありますけれども、次の点如何でございましようか、名前を付けるのに、非常に迷信にとらわれている関係で相当縛られますが、そういう点がなくなりますれば私千八百五十字を計算して見たのですが、名前に一字付けると千八百五十種類であります。併し普通の人の名前は大概二字になつておりますけれども、これをパーミユーテーシヨンで組み合せますと、二字使うというと三億四十二万六百五十種類、何某という三字の人がある、これをパーミユーテーシヨンで、三字になると六十三億二千百三十六万千二百種類、合計すれば六十三億三千四百七十八万三千七百というものができるわけですが、生れる子供の中には女の人もおりますし、仮名を使うとすれば、私そう同姓同名がたくさん出て来て困るというような事態はないのじやないか、こういうふうに計算して感ずるのでございますが、重ねてお尋ねいたしますが、千八百五十では狭いという御発言は、どの程度まで拡けたならば、今の日本の人口の状態と合せたら適当かということで何かお考えがありましたら、お伺いいたしたいと思います。
  18. 阿保淺次郎

    参考人(阿保淺次郎君) それは実は、もう何字ぐらい殖やしたらいいかということについてはよく十分の研究もできておりませんし、これは又よほどこのほうの專門家の知識も借りなければ到底できません仕事でありまするが、同姓名のことは今のお話もありますけれども、今でさえも相当あるのですから、これを制限したならば、今の何倍という同姓名が出て来るだろうと思います。成るほどこの高等数学的に計算して行けばそうなりましようけれども、これが現在でさえ同姓名はたくさんあるのですから、現在の何十分の一というふうに制限したならば、やはりそれだけ同姓名が殖えて来るだろう、それだけの漠然たる考えでございます。
  19. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 他に御質疑はございませんか。  それでは午前はこの程度で休憩いたします。    午前十一時四十三分休憩    ―――――・―――――    午後一時三十三分開会
  20. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 午前に引続き連合委員会を開会いたします。  先ず新聞国語改善委員会委員長、園田次郎君の御意見を承わります。
  21. 園田次郎

    参考人(園田次郎君) 社会生活を滑らかにし、いろいろな能率を高めるために、人の名前制限を加えるということが必要であることは、すでに各方面で唱えられているのでありますが、只今政令で人名を現行の当用漢字範囲制限されているこの制度は、私個人の意見では肯定しているのであります。このことは、一部の意見で唱えられますように、基本人権を害することにはならないと思います。と申しますのは、これは広く社会の福祉のために、そういう制度がとられたのだろうと私了解いたしておりまして、従つてその基本人権を害することにはならない、こう考えます。一部では英米などでも名前制限はないのじやないかということは唱えられますのですが、英米におきましてもアルフアベツトで届けなければ受付けられないわけなんで、これをロシア語若しくはペルシヤ語などの文字で届けても受付けられない。これは要するに公共の福祉を守るための制限に違いないのでありますが、この日本の場合の制限は形は違いますが、やはりこれは社会福祉を守るところの制限であると私は了解しております。当用漢字が前の国語審議会で制定されましたとき、固有名詞は別に考慮するということになつておりますが、これはすでに存在しておる固有名詞についての考え方でありまして、これから先、付ける人名、官庁の名前、地名、或いは会社の名前というようなものは、大体この千八百五十字の中で賄えるじやなかろうか、又そうすることが望ましいという考え方であつたことは、当時の教科書局長の談などから判断いたしましても、そのことは了解し得るのであります。ただその場合考えなくちやなりませんことは、人名というものは、社会慣習というような点、或いは又家のいろいろな特殊事情などがありまして、当用漢字にない文字を、そういつた関係から付ける、当用漢字の枠から外れる文字がある事実は、これはもう肯定しなくちやならないと思います。従つて今の段階におきましては、人名に限つて当用漢字の枠を多少緩めるという暫定的な措置も、必要ではないかと思います。御承知のように今の当用漢字の千八百五十字の中で、人名に使い得る文字は、これは人々の考えでいろいろ意見があるでございましようけれども、やはり十百字から五百字、五、六百字は人名に使い得ると思います。この七百字乃至五百字の人名に使い得る文字を巧みに運用すれば、人の名前を使うのにさほどの不便はないと思いますが、先ほども申しましたように、その家の特殊事情若しくは社会慣習というようなものは、どうしてもはみ出る事実は認めなくちやならない。衆議院の戸籍法の改正法律案を拝見いたしますと、前項の範囲外の文字を用いてある場合、つまり常用平易の当用漢字の枠でございますが、範囲外の文字を用いる場合には届出人に対して、その旨を注意することができる。但し届出人がこれに従わなくてもその届出を受理しなければならないということになつておりますが、常用平易という見解の問題になりまして、これは戸籍吏のそれぞれの考え方でその範囲は非常にまちまちなんです。千八百五十字の以外でも、やさしい文字だからこれはいいだろうという解釈になりますと、甲の人はこれはやさしいと見るが、ほかの人はこれは非常にむずかしい、常用平易ではないと見る人もあるかも知れません。従つて注意権というものは、ややもすれば無制限と同様のことにならないとも限らないと私は考える次第であります。先刻阿保公述人は、注意権というものは非常に妙味のあるものだという御意見をお述べになりましたが、これが妙味のある運営の形をとれば非常に結構なんでございますが、今言つたような各人各人の解釈に任してやるということになりますと、非常な混乱を起すもとになる虞れがあるのではないかと、私は考えるのであります。この意味におきましてやつぱりこの社会生活の能率を上げるために、何らかの制限というものはどうしても必要であろう。そしてそれも漠然たる制限でなくてはつきりした枠、戸籍吏のかたがたが誤解なくそれに準拠し得るような枠が必要であろうということを考えるのであります。それでさつきも申されましたが、当用漢字の枠では不便があるという事案を認めて、当用漢字の枠を人名に限つて多少緩めて、そしてその範囲命名をやるということが、最も今の段階では穏当な処置ではなかろうかと、こう考える次第であります。簡單でありますが……。
  22. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 次は東京地方裁判所判事、千種達夫君。
  23. 千種達夫

    参考人千種達夫君) この問題は国語の問題と、それから法律上の問題と両方ございますが、国語のほうの立場からはいろいろ多くのかたがお述べ下さるだろうと思いますので、私は法律上の立場から、特にこの戸籍法というものの立場から、少し意見を述べさせて頂きたいと考えております。  それには現在家庭裁判所に名の変更とか、氏の変更等を求めて来ている例がたくさんございますので、その実情を申上げますことのほうが、或いは御参考になるかと存ずるわけであります。改名につきましては戸籍法の百七条第二項に、正当な事由があるときには名の変更ができると規定してございまして、その正当な事由という言葉の意義については、法律に何も規定してございませんですが、裁判所が従来判例によつて正当の事由と認めておりますものは、ちよつと先にお配りしておきました紙に書いてありますように、襲名の場合とか、同姓同名の者が同じ村にあつて困るとか、或いは神官、僧侶になつたから名前を変えてもらいたい、或いは神官、僧侶が又俗に戻つた場合、或いは珍奇な名前であるとか、難解難読であるとか、男女の性別が困難であるとか、或いは長い間通称をこういうふうにしておつたとか、又は出生届の誤りであつたとか、その他の問題でございますが、そのうち珍奇な例とか、或いは難解難読な例というのが、これに多少の関連を持つて参るわけでありますが、この全体の名前の変更を申立てております件数が、相当の数に上りまして、昨年の統計では八千五百九十八件でございます。その他、後にちよつと述べますが、氏の変更を求めますのが一千九十一件昨年ございまして、合せますと九千六百九十九件で、約一万件毎年名前の変更や氏の変更を求めて来ておるのでございますが、その間に珍奇であるとか、難読難解であるとかいうような例が頗る多いのでございまして、私がここに例を上げましたのは、前に触れました二、三十件のものをここに書き上げただけでございまして、一万件からございます名を全部目を通しましたならば、恐らく珍奇、難解難読の標本がたくさんございますでしようと存じております。で、先ずここにちよつと珍奇の例としまして、変更を許された例を書いておきましたが、「カメ」を「カヨ子」とか、「ウン子」を「多喜子」とか、「クマ」を「正江」、「をのぶ」を「のぶ子」とか、「トリ」を「益代」、「デコ」を「秀子」、「クマ」を「禮子」とか、「わくり」を「利枝子」、「一二三」を「由起子」とか、「満登」を「滿夫」、「ヲモ」を「吉枝」、「年吉」を「正治」とか、「一尺六寸」を「三平」に直したり、「方位」とか「たこ」とか「勘解良」とか「一郎太夫」とか「田舎」とか「三月」とか「マワシ」とか、とにかくいろいろな珍奇な名前がたくさんございます。併しこれは全部許すというわけには参りませんので、「トラ」というのを「友紀子」に直してもらいたいというので大分頑張つたのでありますが、高等裁判所ではとうとうこの字は許しておりません。或いは「ウン」という名前を付けられた人が、お客さんが来て咳払いをして「ウン」といつたら思わず返事をして恥をかいた、嫁に来ても名を呼んでくれないから直してもらいたいという申出がございますが、これは裁判所が許しておりません。それから難解難読という字がございます。変更を許された例としてここにございますが、私も読めませんから読みませんが、「達功」とか「舜何人」「展己」「正せん」、何と読むのもわかりませんが、とにかくここにいろいろございますが、私には読めません。或いはこの中にございますが、例えば「懿」という字を「厚」という、これはおじいさんが漢学者であるから付けてくれたのであるけれども、誰も読んでくれない。普通の辞典にはないし、おじいさんが死んだから直しでくれとか、或いはここにあります「彬に心(つとむ)」、こういう字はございませんのを、勝手に作つて届けたのであるから、どうも困るからというのもございます。それから、「にんべんに胥(さとし)」なんというような字も、これは字引を引いて見ますと、知惠あることとか康煕辞典にあるそうですけれども、ないのもあるとか……。次にあります「いとへんに兼(かとり)」なんという字は、これは字がございませんが、おじいさんが或る人に頼んだら勝手にこういう字を届け出たというのであります。そのほかにも字を知らないためにお父さんが勝手に付けてくれた名前であるから、字引を引いてもありませんし、それから名刺を作ろうと思つても活字がないので困るから改めてもらいたいというような件数も相当な数に上つておるのでございます。許可されない例としましては、「かずえ」と読んで「主計」と書いてありますが、これは許されておりません。「六一」と書いて「むつかず」と読むのでありますが、これを「任廣(ただひろ)」と直してくれというのも許されておりません。「寅五郎」を「伸」と直してくれというのも許されておりません。そんなものは勝手に許せばいいじやないかという御意見もあるかも知れません。戸籍法でそんなふうに縛らずにおいて、勝手な届出をさして置いて、変えて欲しければ本人の届出に任せておけばいいではないか。変更をそうむずかしくしなくともいいじやないかという意見が出るかも知れませんが、名前をむやみに変えさせますというと、前科を隠すために使つたり、或いは債務を逃がれますために勝手に名前を変えてしまうというような弊害が非常に多いのでございますので、むやみに名前を変えさせることはできませんのです。そこで法律は正当な事由がなければいけないということになつて、その正当な事由の解釈は家庭裁判所の判断に委ねられておるわけであります。ですから、そんなに変えなければならないような名前であるならば、むしろ初めから付けさせないほうがいいのじやないかということも考えられるのであります。氏の変更につきましても、これは法律は止むを得ない事由があるときには許すことになつております。名前の変更は正当の理由があればよろしいのでございますけれども、氏の変更は止むを得ないという制限がございますので少し窮屈でございます。それでも珍奇、難解、難読のような例は、氏の変更を許しております。一部の人たちに名をつけることだけを問題にして氏を問題にしないのは怪しからんじやないかという御意見がございますが、氏を強いて変えさせることはできませんが、本人がこの字はむずかしいからということで変更を申出ますならば、これは許されることになつております。許されております例をここにたくさん掲げておりますが、「忍足」を「志村」、「馬洗」を「洗」、「幾戸」を「木戸」、杓子とか、南風花(はいばら)とか、いろいろございますが、ちよつとこれは私どもにも読めないのであります。このようにしてむずかしい名前がつけられておりますと、子供も非常に困りますし、又社会も迷惑するのでございますが、併しこれにはそんなふうに名前をつけることを制限することは自由を害するものであるというようなことが強く述べられておりますが、併し子供名前をつける権利を親に与えましたのは、むしろ権利というよりは、親の子に対する、又社会に対する任務であると考えなければならないと思うのであります。この届出を正当な事由なくして怠りましたときには千円以下の過料に処するという規定がございますが、これはやはり親がこの届出義務を怠つたからでありまして、むずかしい名前をつけられますというと、子供は大きくなりましてからいろいろ迷惑をこうむります。殊に今後国字問題がこういうふうに動いて参りまして、法律にも当用漢字以外の字は一字も使つておりませんつ三十年なり五十年なり先のことを考えますと、むずかしい名前がつけられておるために、子供がどれほど迷惑をこうむるか知れないと思うのであります。元来親権というもの自身が、親の権利であると申しますよりは、むしろ親の子に対する、社会に対する義務とまで考えられて来るようになりましたので、例えば親権も濫用しますというと、家庭裁判所は親権の喪失をさせることができますし、未成年者を養子にしますときには、裁判所の許可を得なければ親の自由にすることはできませんし、或いは労働基準法におきましても、親が子に代つて金をもらうことは許されておりませんし、或いは児童福祉法などにつきましても、必要な場合には親から子を引取つて養うようなふうにも規定しておりますし、そのほか法律によつて親の権利を制限する規定はたくさんございます。これは決して親の自由を侵害するということよりは、むしろ子の利益のために、或いは又いろいろのかたから述べられておりますが、社会の利益保護のために、これは止むを得ない措置であると考えるのであります。どの範囲に字を制限するかということは、これはいろいろ又問題のございますことでありますから、ほかのかたがたからお述べになることであると思いますので、こういう意味から適当な範囲において字を制限することが望ましいことではないかと思います。これを自由の制限であるというように考える人は、子の名前をつける親の義務が果して如何なる性質のものであるかということを認識しないものであり、又子は親の所有物であるとして生殺与奪の権は親が握つておるのであるというような昔の考え方から、まだ脱しきれないところがあるのではないかと思うのであります。当用漢字のほかに名前をつける漢字を新らしく国語審議会で加えられまして、それが恐らく一両日のうちに内閣から発せられるのじやなかろうかと思いますが、そうすれば法務府のほうではこの省令を改正することであると思います。改正はすぐ二、三日のうちにできることでありますから、それを出してしまいますならば、新らしい固有名詞の字で直ちに戸籍を受付けることになりますから、そうすればもはや戸籍法の改正などはする必要がないと思います。
  24. 一松定吉

    ○一松定吉君 ちよつと伺いますが、変更を許された例で、「カメ」を「カヨ子」、「クマ」を「正江」、「トリ」を「益代」、「クマ」を「禮子」、こういうことはよくわかるのだが、同じ例でありながら「トラ」を「友紀子」、「ウン」を「きい子」をなぜ許さないのですか、そのわけを承わりたい。
  25. 千種達夫

    参考人千種達夫君) これは裁判所によつて実は取扱がきまつておらないのでございまして、まだ十分の統一ができていないためでございます。許したほうの事件は、これは東京の家庭裁判所であつたかと存じます。それから許さないほうの事件は、地方の家庭裁判所でございましたので、こういうものはおいおい慣例が統一されて来ますというと、同じように行くことになるかと思つております。
  26. 一松定吉

    ○一松定吉君 いやわかりました、そうだろうと思いますね。これはやはり統一をするように御努力願わなければいかんね。
  27. 中山福藏

    ○中山福藏君 ちよつとお尋ねいたしますが、正当な事由というのは、これは家庭裁判所の判事の單独の意思で決定するわけでございますか。
  28. 千種達夫

    参考人千種達夫君) そうでございます。
  29. 中山福藏

    ○中山福藏君 これは最高裁判所のほうで何らか一定の方針についての指示を与えておりますか、ないのですか、それを承わりたい。
  30. 千種達夫

    参考人千種達夫君) これはそういう事件を扱います判事の單独の意思によるわけでございまして、最高裁判所といえどもその判事の法律解釈につきまして指図をしたりすることはできないのでございますが、ただそれに対して不服がございましたならば許可されないことについて不服がございましたならば、不服な者は高等裁判所に抗告するわけでございます。先だつてうち許可されなかつた事件がございまして、高等裁判所に抗告いたしました。高等裁判所に抗告いたしますと、高等裁判所では又裁判いたします。それに対して又憲法違反とか何とかいう不服がありますならば、最高裁判所に上告いたしますから、そういうことによつて最後的に法律解釈の統一ができるようになるわけであります。
  31. 中山福藏

    ○中山福藏君 ちよつともう一つお尋ねしたいのですが、それはあらかじめ最高裁判所のほうから一定の方針を明示しておくということが却つて事務の簡捷の上に必要じやないのですか、むしろ、上告の方法をとつて最高裁判所まで行つて多数の時日を要するというようなことよりも、最高裁判所があらかじめ一定の方針を指示しておくということが事務の簡捷の上から非常に必要なことじやないかと思いますが、そういうことについては何か最高裁判所のほうでは留意しておりませんか。それを一つ
  32. 千種達夫

    参考人千種達夫君) 私実は最高裁判所でございませんので、或いはこの答弁はいたしかねますけれども、併し一般の所掌事件という立場から申しますというと、最高裁判所のほうでも全体の統一を図るような或る程度の努力は会合を開きますなり、何なりしまして、統一を図るようなことは可能であろうと思いますけれども、更にそれ以上にこうせよという命令的にはできないことになつております。
  33. 中山福藏

    ○中山福藏君 それはわかつています。どうも有難う。
  34. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 次に人文科学研究所教授、桑原武夫君。
  35. 桑原武夫

    参考人(桑原武夫君) 私は遠隔におりますので御通知を受けましてから、資料はありましたが、十分資料等を調査する暇がございませんでしたので、誠に相済まん次第でございますが、平生考えておることを申上げさせて頂きます。それでこの問題は名前の問題でございますが、実は一般国語・国字問題と全般的な連関を持つておると考えられます。これだけを單独に考えることができないと思います。そういたしますと最近東京大学の出版部から出ました「日本人読み書き能力」という、こういうものを持つてつておりますが、大きな調査書が出ておりまして、これは占領軍、それから日本の教育研究所、代表者は務台理作博士になつておりますが、実に大きな努力を費やしてなされた、世界で最初の国語の調査である、世界でこれが最初であります。そうしてこれは科学的にも最も尊重すべき材料だと思います。これによりましていろいろ試験をいたしたのでありますが、問題は常用漢字内の研究であります。警官でありますとか……履歴書、一番むずかしいのは履歴書であります。その程度の読み、書き、そういう程度であります。そういうものを日本全国にデイメンシヨン・システムでやりましたが、そういたしますと、それを満点、満点と申しましてもそのときの気分等で、不注意がありますから満点を下げまして九十点、八十一、三点以上を満点と見ると、満点を取つた人間が日本人でどれだけあるかというと、日本全国で六・二%であります。これは実に驚くべきことでありまして、常用漢字の程度で、一番易しいのはミシン、マツチなどを含みまして、六・二%。日本は初等教育の普及率は世界最高でありまして、ちよつと今数字を忘れましたが、九三・四%……、勿論先生がたの教え方の御努力を一層願わなければならんのは勿論でありますが、にもかかわらずとにかく九三%の者が初等教育を完全に終えておりながら六・二%、このことは要するに日本の文字、或いは国語全般に何か欠点があるということをまあ予想されるわけであります。そういう意味からして、戰後常用漢字ということができたのであろうと思います。常用漢字等につきましては、あとで土岐参考人の御専門でありますから、私が申しますことは差控えます。ともかく常用漢字というシステムができておる、この際この法案の改正案にございますように、無制限に何でも届出人の自由に認めるということになりますと、一方において常用漢字で国民を教育し、小学校、中学校皆そうでございますが、そうして法律その他を改正しておきながら固有名詞の分はそれと逆の方向で取るということは、大変国家の政策として矛盾を生ずることになる。そうして若い者を大変思想的にぐらつかせることになる。思想と申しますか、国語に対する考え方に対して大変大きな……小さいようでありますが、動揺を与えるということになると思いますので、御愼重に願いたいと思います。そうして私は結論から申しますれば、この法案のように何でも改めればよいということは、私は参考人として反対をいたしたいのであります。それで常用漢字の方策を、これ以上きびしくするということは問題といたしませんが、とにかく保つて行くといたしますれば、無制限に殖やすことは困るのではないかと思います。それで私は大学を出ましてから現在に至るまで、二十数年教師生活をいたしておりまして、姓名のほうは今日の問題なんでありますが、教師をして多少文字を解する人間でありますが、教室に行つて出欠を取りますときに、四十人なら四十人の学生の出欠をとるときに、その名前を完全に御本人の希望するように読めたことはまだ曾つて一度もございません。これは、君、どう読むかということを聞いておる。たくさん生徒を扱つておるから、又その次行くと生徒はそうじやありませんということを育つて、若い学生だから文句を言つて来るのである。それで如何に読みが困難であるかということがわかる。このことは選挙のとき一番はつきりいたしますので、今度の地方選挙におきましても候補者が自分名前に片仮名、平仮名を書いているということは、如何に民衆にはむずかしいか、伝えにくいかということがわかるのです。もう一つは世界で、自分名前に振仮名をつける、文字がありながらもう一つ横へ文字を差し加えるということは、世界で日本だけでございまして、中国語はむずかしいと思いますが、常識的な大体の見解ができておりまして、これは法律ではございませんが、それの読みは蒋介石、毛澤東というあれ以外に毛澤「ひがし」と読むわけに行かないので、読みが一定しておるので、日本より簡單でございます。そういう意味で中国と同じ文字を使いながら、法律化されていない点は中国と同じでありますが、向うの読みは一定していて、こちらのは一つ漢字読みが幾つもある。これを無制限というか、無制限にするということになると収拾のつかないことになる。そこで千種参考人も法律的な立場から、これができて制限することが、自由の侵犯ではないという御意見を申述べられましたが、法律は勿論私は詳しいことは申しませんが、最高裁判所のこの間の判決で、名前子供の私有物ではなくして社会のものである、これは正しいと思います。それでフランスのことをちよつと申添えますが、フランスは世界で誰しも自由な国であり、殊に個人の自由、私などから考えますと、やや行過ぎと思われるほど個人の自由が発達した国でございます。そこで名付けがどうなつておるかと申しますと、フランスの民法の名付けのところて、こういう規定がございます。この法の公布以後においては、子供の出生を確認すべき戸籍簿には、さまざまのカレンダーと申しますか、カレンダーが毎日ありまして、それにここに持つてつておりますが、こういう極く民衆的な日記では皆何月何日としますと、下に例えばこれが一月十七日でありますと、聖アントワーヌ、聖レオニオと二人書いてある。その日は聖者の祭でございまして、よほどひねくれた者でなければその日生れた聖者の名前をつけるのであります。日記には版によつて若干の差異があるので、法律ですから一つのものを認めるわけに行きませんが、さまざまなカレンダーのうちにおいて用いられておる、或いは聖人の名前でなくても、古代史における著名人物の名前、姓名の名としてはそれのみを受入れることができ、そうして公吏に対してはこれ以外の如何なる名をも、その作成する証書に記入することは禁じられる。こういう条項がございます。そういうわけでありますからして、概算五百幾つという名前が、それぞれの市役所に備え付けてございまして、その中から届け人は選ばなければならない。これは日本よりももう少し統制と申しますか……、例えば今ここに最近の有名なフランスの小説家、文学者の名前を研究しておりますので、その二、三を申して見ますと、マルセル・ブルースト、マルセルは太郎とか、次郎とかいうことで、最近死にましたアンドレ・ジード、アンドレというのは一番多い名前であります。あのようなむずかしい字を書いて、文学としては極めて非民主的なものがポール・ヴアレリ、ポールはこれは極めて民主的なあれで、有名な評論家であり、文学者であるポール・ブールジエ、この前の総理大臣エドワール・ダラデイエ、エドワールは最もホピユラーなものでありまして、若干申上げましたが、聖者の中でも、いずれも今申しましたレオニオというのは極めて稀れでありまして、聖者の中でも誰が選んでも極めてやさしい名前をつけます。これはちよつと余談のようでありますが、私がフランスに留学いたしまして一番驚きましたことは、電話でものが通じるということ。日本で申しますと、私たちが電話をかけて、どつかへ物を届けるときて、桑原「たけお」と言うと、「たけお」の「たけ」は竹の竹でなく、武士の武でありますということを言い、「お」は夫の「お」というように非常に面倒だが、フランスで私はポール・ブールジエと言うと、二十分もすると、店から物が間違いなく届く。これは当り前のことでありますが、私は下宿のおかみさんが、全部電話で用事を済ませているのに甚だ驚いたのでありますが、そういうような電話、電報というものでも簡單に行つておるのであります、それでこの法律が制定されましたのは千八百年でありますから、今から百五十一年前であります。そうして政治的、経済的自由ということの解釈は、フランスではいろいろ変つておりますけれども、こういう名前に関するものは、ナポレオンが皇帝にならない時分、この法律はその後改正されていないということ、そういうことを制限することが自由の侵犯にならぬ。あの自由の好きなフランスの立場を考えるとき、根本的な立場を考えるときに、御参考になるのではないかと思います。アメリカではそういう制限は法律的にないようでございますが、併しこれも常識で考えまして、さつきここに挙げたようなものは、現実にはないようであります。それからイスラムの、つまり回教徒の世界では、姓名の名は大抵きまつておりまして、これは少し行き過ぎになつてつて、同名の人ができる虞れがあるくらいだそうで、私は知らないが、学者から聞いたところによりますと、これは勿論明確な枠が、中国では先ほど申しましたように、法律的な制限はありませんが、常識的に変つた名前をつけておらんし、一旦つけた名前は、読みは、文字を解する人には一定しているということになつております。そういたしますと、日本の現行のままでも、決して私は自由の侵犯というふうに考えないのでございます。併し当用漢字は、これは私の想像で間違つてつたらお許しを願いますが、固有名詞のことまでは考えないで、一般社会生活、文化ということでできたんだろうと思う。そういうふうないろいろな点があると思います。そうしますと、若干不備な点があるだろうという御意見もあると思いますが、併し当用漢字はいろいろ減じたり増したり、或る時期が来ますと、しなければならない。こういう変転極まりない時代でございますから、そろそろその時期が来ているのではないか。そうしますると、今度新らしく勘考するときに、そうした枠内できめられても事実要らない字があるのであります。そういう字を抜きますことによつて、全体の枠を拡げずに救うことができる。そうして新らしく規定しました当用漢字の法律はそのままにして、そのうちで付けるということにすれば、今のままで永久ということじやない、その当用漢字は、或る時期を見まして改変しまして、やはり国民の名前はその枠内で付けるということが、日本がこれから起ち上つて世界と競争して行きます上に……私たちは外国人とお附合いして、実に残念に思いますことは、彼らは全部、タイプライターの機械をそういう文字というものにアプリケートしておるのに対して、我々は飽くまで文字を手で書くということのために読み損ないその他いろいろな不便を生じておるということを考えましても、ここで全面的に何をつけてもいいということになりますと、これは国家の将来という見地から見ましても、残念ではないかと思います。不準備ですが、これだけ申上げます。
  36. 鈴木安孝

  37. 土岐善麿

    参考人土岐善麿君) 午前から只今まで参考人からいろいろな説が出まして、ただ一人のかたを除いては、この名前に用いる文字制限を加えるということは適当であろうという御意見のようであります。そうして、このただ一人の阿保参考人の御意見戸籍法の改正を全面的に賛成するということでございます。これは参考人の一人の御意見でありまして、それは勿論自由でありますが、そのときに在野法曹団の殆んど皆この改正に賛成しているというようなお話がありました。それで私は晝の休憩のときに、どういう手続でそういうことをお調べになりましたかということを伺いましたら、それは寄り寄り話をしておつたということでございます。寄り寄り話をしていたというだけのことを、在野法曹団の殆んど皆が賛成しているということに、一人の参考人が代表しておつしやつているということは、適当でないのではないかと思います。従つて全面的に賛成するという御意見も、或る参考人のお一人の御意見であるというふうに、私は了解していいんだと思います。これは念のため御報告かたがた申上げたいと思うことでございます。  私は国語審議会の立場で申上げます。すでにこの名前社会性というようなことについては、いろいろな面からお話がありまして、これはそれぞれの理由で私は賛成でございます。従つてそれについては改めて私から申上げることはございませんのですが、日本語と漢字との関係を考えまして、漢字というものが、或る限界を以て使われるということは当然のことだと思うのであります。つまり日本語と漢字との結付きというものについて、もつと根本的な問題がある。それは国語政策、国語教育の上で以て考えられて行くということであり、又実践されて行くことであると思います。子供名前のことも国語政策、或いは国語教育というものとの結付きにおいて考えられるということが、当然なことでありまして、子供名前を付ける場合、親がどうするかということは、結局親の良識というものに期待するよりほかないと思うのであります。当用漢字というものに限定するということが必ずしも適当でないかも知れませんけれども、併し現在のどころ、親の良識というものが、そういう枠の中で以て一応規定しておくということが必要な段階であるとしますれば、私は当用漢字ということで以て名前を選ぶということも、現在としては止むを得ないことであると同時に、当然しなければならんことだろうと思います。併し戸籍法のほうでは、子供名前は常用平易な文字を使わなければならないということだけが出ておりまして、今度の改正ではそこに一項を加えて注意権と、それから拒否権を行うことのできないような形にしようとしておるわけであります。この法のことは、私は戸籍法を改正しないで、施行規則のほうでそれを処理することができるのならば、そのほうが適当であつて、常用平易な文字を使うという原則的なものが、戸籍法に出ておればそれで十分なのではないかと思います。それで国語審議会としましては、当用漢字表というものができたときに、固有名詞というものの問題を全然考えていなかつたわけではないようでありますけれども、併し固有名詞全般に亘つて当用漢字表というものが考えられたというわけではなかつたようであります。これは前の国語審議会のことでありますけれども、それで社会的にいろいろな意見が出て来、いろいろな事実が出て来るとすれば、その問題を適当に処理するということがやはり国語審議会の責任であるというように考えられましたので、固有名詞の部会の先議事項として、子供の名に用いる漢字のことを取上げまして、部会を設けて、部会の部会長には東京大学教授の宮澤俊義博士がなられまして、八回部会を開きました。総会を二回開きまして、建議の形のものと、声明書の形のものと二通作りまして、建議は文部大臣と法務総裁とに出しました。この建議と声明はお手許に差出したようなものでございます。それでそのうちに九十二字の漢字当用漢字表以外に人名に用いても差支えないものであろうというふうに認めたということになつております。これも、別紙に掲げる程度の漢字はという言葉になつております。その九十二字をどういう工合にして選んだかということは、細かく申上げれば長くなりますが、大体国語協会の名のつけ方委員のほうで作りました「標準名づけ読本」、それから文部省の国語課で調査しました「都内電話帳に現れた人名漢字出現度数」、朝日新聞社の用語調査室で調査しました「当用漢字以外によく使われる人名漢字」、それから「第三回全国連合戸籍事務協議会において増加を希望した漢字」、国語研究所で調査しました「読み書き能力調査の被調査者名に使われている漢字の出現度数」、それから前橋市立若宮小学校の生徒の調査、これは「同校在学生人名漢字出現度数」、それから文部省の国語課で調査しました「都内高・中・小学校々子生徒の名まえ調査」、こういうようなものを一応資料にいたしまして、そうしてまとめましたのが九十二字になります。これは漢字に対する考え方から申しまして、こういうような数を選定することが、多いと見る見方もありましようし、或いは少いと見る見方もあるかも知れないと思います。併し本来子の名に用いる文字というものは、それ自身将来性を考えた問題でありまして、国語審議会が固有名詞について考えるといつたのは、過去の固有名詞について考えるという形になつておるのでありますから、過去と将来とを混ぜこぜにして考えるということも適当でないのではないかという考え方が出て参ります。それで先ほど阿保参考人からその点で少し過去と将来とを一緒にされたような立場で以て御発言がありましたが、私は子の名の問題というものは、将来にかかる問題であるという意味からいつて当用漢字という枠の中で一応つけておくことが将来の子供の幸福であるということはいえることであろうと思います。併し人名については特殊な事情もありますし、又社会慣習というものもありますから、それに応じて若干の幅を拡げるということも、現実的には必要だろう。そういう考え方で九十一字が選ばれたわけであります。この九十二字のほかに、勿論当用漢字の中から名前に適当な文字は、選ばれるわけでありまして、先ほどもお話がありましたが、大体人名に普通に使われる文字が千八百五十字の中に五百字くらいはございます。それからそれに準じて使つてよさそうな文字考えられるものが千七百三十字ございます。例えば当用漢字の中に死ぬという「死」という字がございますが、こういう字は名前につけないだろうと考えても、或いは「不死夫」といつたような名前に使われるというようなことがありまして、当用漢字の中で以て名前には適当であるか、適当でないかということを厳格に判断することは困難である。併し大体百二十字ばかりは殆んど絶対に使われそうもないものであるというように考えられます。それで人名漢字表というようなものを作るというような考え方もないではないのでありまして、当用漢字の中で絶対に使えそうもないような文字を省いて、そこへ人名に使われている過去の実績のようなものを入れたらどうかという考えもあつたのでありますが、それはやめまして、当用漢字当用漢字として、そのまま名付けのための自由な選定に委せる、そのほかにいろいろな事情を考えて九十二字というものを入れておけば、大体過去のことも将来のことも、そうして将来を強く考えた上で、これで一応始末がつくのじやないかという工合に、国語審議会では考えられたわけでございます。従つて私は戸籍法を改正するというところまで行かないでも、戸籍法には現在のように常用平易な文字を使うということだけが規定されておりまして、それの実際の運用の上で、施行規則のほうでこの九十二字というようなものも考慮に入れてお計らい下さるようなことになれば、一応この問題が解決するのじやないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
  38. 千種達夫

    参考人千種達夫君) 反対の御意見を実は伺わなかつたので非常に残念なことでございますが、今ちよつと伺いますと阿保さんが弁護士の多数が制限を設けるのに反対だという御意見であつたということを伺つたのでありますが、私も弁護士のかたに数人お会いしましたが、私の接する範囲では制限することに反対だという意見は聞きませんので、むしろ自分らはこの問題について前から研究しているのであるが、自今らの意見が、研究しているものの意見が、弁護士を代表して国会の参考意見として述べる機会のないことを非常に残念だと思う。その点はよく内容を参考意見として述べておいてくれということを数日前或る弁護士から伺つております。
  39. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 白鳥義三郎君。
  40. 白鳥義三郎

    参考人(白鳥義三郎君) 戸籍法の一部改正のことにつきまして、私の存じのよりのことを申述べさせて頂きたいと思います。すでに各種の專門的な立場からそれぞれの御意見が発表されておることと考えております。殊に先ほどお伺いいたしますと、すでに殆んど全部のかたがこの改正案に対しては反対であるという御意見があつたようでございます。従つて私がこれからくどくどと申上げなくても、私の考えはすでに皆様がたから御意見の発表があつたものと考えている次第でございます。端的に申しまして、私も今度の改正案はその理由が乏しいのじやないかというふうに考えております。現行通りで差支えないというふうに考えております。勿論先ほど土岐先生からお話がありましたように、一般に使用する文字と人の名前に使う文字との間に多少の相違がある。従つて人名に対して制限を加えるならば、一般の当用文字範囲を多少拡げたほうがいいのじやないかという御意見、誠に賛成でございます。ただ一、二私の存じのよりを申述べさせて頂きたいと存じますのは、土岐先生からも御発言がございましたが、人につける名前も年と共に移り変つて参りますので、今度内閣のほうから御発表になりました九十二文字も少し範囲が広過ぎるのじやないかと、むしろそういうふうに考える次第でございます。お伺いいたしますと、この九十二文字を御選定になられますときには、いろいろ電話帳やそのほか過去の普通一般の名前材料としてお使いになつたというのでございますが、併し先ほど申しました通りに人の名前も何と申しますか、流行と言つては語弊がございますが、年と共に移り変つて行くものでございまするので、若しも仮に最近の十カ年なら十カ年につけられた名前材料として御検討に相成りまするならば、恐らくは九十二文字を必要としなかつたのではないかというふうに考えております。  なおもう一つこの名前に関連してでございますが、読み方が非常に乱雑でございますので、履歴書を書きましても、或いは極く簡單な新株の募集の申込をいたしますのにも、一々振り仮名をつけているのでございますが、漢字名前を書いて、それに振り仮名をつけなければ適用しないということではこれは余り褒めたものじやない。そういう習慣は当然改むべきだと考えておる次第でございます。従つて文字制限するばかりでなしに、むしろこの読み方も一定のものにしておつたほうがいい、当用漢字のほうでは音訓を統制しておるようでございますが、それを名前のほうにも適用したほうがいいのじやないかというふうにさえも考えておる次第でございます。勿論、今私が申しましたことは或いは本委員会で御審議になります範囲外のことかも存じませんが、若しも範囲外のことに亘つて発言をいたしたのでございましたら、是非御容赦のほどをお願い申上げたいと存じます。  誠に簡單でございますが、私といたしましては今度の改正案はその理由が乏しいのじやないか、現行のままでいいというふうに考えている次第でございます。これを以て私の意見を終りたいと存じます。
  41. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 只今までの各参考人のかたがたに対して御質疑のあるかたは御発言を願います。
  42. 中山福藏

    ○中山福藏君 私は各参考人にお尋ねしたい、それはこの姓名鑑定というのが巷間到る所にありまして、これには一種の迷信を伴う、だからその他のことによつて制限しましても実体的には制限があつて、外形的には制限がないという結果を或る場合に伴う。そういうことについては参考人のかたがた、が一応お考えになつていらつしやるでしようか。若しお考えになつたとすればどういう御意見か一ぺん承わつて置きたい。
  43. 土岐善麿

    参考人土岐善麿君) 私からお答えしたいと思います。迷信と考えられるかどうかわかりませんけれども、例えば十二支のようなものをつけるといつたようなことがございます。そういうようなものを調べまして、始めはこういうものを将来つける機会がないだろうから、まあ成るべくそういうようなものをつけないほうがいいから省こうという意見もあつたのであります。併しこの特殊な事情というようなものの中に、親の名前を継ぐといつたようなことが、一字とるというようなことがあつたりいたしますので、そこまで制限してしまうことは余り窮屈であろうというようなことから、戌という字を除いて十一支が全部取つてございます。それから名前に対する地域的な漢字の選定の違いといつたようなものがございます。例えば海岸のほうは磯吉とか崎子というようなものが出て来る。山のほうの地域では熊太郎とか虎之助というようなものが出て来るといつたようなことがあるようでありまして、これはどうもどの辺に基準を置けばいいかというようなことは、先ほど申上げたように漢字の限界というものを考えますと、どこかに線を引かなければ処理ができないというようなことで十二支なんかは十一支だけが入つているわけであります。それから何の丞というような丞の字なんか将来つける人がないかも知れませんが、過去にそういうものがあるといつたようなことで入つておりますし、それから動物の名前なんかが若干入つておりますのは、これは当用漢字のほうではできるだけ片仮名で書く。植物、動物の名前を片仮名で書くといつたようなことがきまつておりますけれども、そういうものが入つておるというようなことになります。なお国語研究所で調べましたこの資料の一つ、これが大体一番まあ範囲の広い形で取りましたが、年齢の関係から考えて十段階ばかりに分けて漢字が整理されたもの、それから取つたものでありままして、だんだんと迷信的なものが若い世代には少なくなつてつて、将来はなくなるだろうというような見通しがつくと思います。
  44. 千種達夫

    参考人千種達夫君) 名の変更を求めます理由の中に、家庭裁判所に、姓名判断に見てもらつたら、この名前は悪いといつたから、姓名判断による名前に変えてもらいたいという意見がかなりあるのでございます。その場合に、この点だけは全国の裁判所が一致しておりまして、そういう理由では変更することができないということで、全部許しておりませんので、そこでこの変更の理由の中にはそれを書いてありません。却下された中には随分たくさんそういうものがございます。
  45. 中山福藏

    ○中山福藏君 何かそれは制限されても、本人は平気で巷間で用いておる。この点を法律的にどう取扱うかということは非常に将来の問題だと思う。だから一応法律で制限しても、その法律は何にも効力を発生していない場合が誠に多いのです。だからその点の御意見は法律家としての判事さんとしての意見は将来どうするか。制限しても制限が何にも役に立たんというような結果になつておる。そこをお伺いしたかつたのですがね。
  46. 千種達夫

    参考人千種達夫君) それは本人が、実際の名前と別の名前を通称として使つておる例はたくさんございまするが、名前の変更が許されません限りは、本名はやはり戸籍簿の通りの本名でいろいろな届けとか、そのほかはしなければならんと思いますが、通称を用いましたり、雅号を用いましたりしますことまで法律で制限するということは、ちよつとできないことじやないかと思います。だからそういう意味でお使いになるのは自由に任しておくよりほか仕方ないのじやないかと思うのでございます。
  47. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) ほかに御質疑はございませんか。
  48. 千種達夫

    参考人千種達夫君) それからちよつと申添えますが、そうして通称が、そういう名前が非常に長く五年とか十年、二十年とか続きました場合には、通称がそういう名前になつているから、元の名前を変えてもらいたいという理由で変更を許している例はございます。ここに書いてありますが。通称が長い間行われておりますので、その通りにしてもらわないと不便だから、変えてもらいたい、これは許されております。
  49. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 参考人各位に申上げます。本日はこの委員会のために、長時間に亘りまして本法案の審査に当りまして有力なる参考意見を頂きまして、誠に有難うございました。委員会といたしまして深く感謝の意を表します。  委員各位に申上げますが、連合委員会はこれを以て閉じることにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  50. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 御異議ないと認めまして、連合委員会を閉じることにいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時四十四分散会  出席者は左の通り。   法務委員    委員長     鈴木 安孝君    理事      宮城タマヨ君    委員            北村 一男君            左藤 義詮君            山田 佐一君            齋  武雄君            岡部  常君            中山 福藏君            一松 定吉君            須藤 五郎君   文部委員    委員長     堀越 儀郎君    理事      成瀬 幡治君    委員            木村 守江君            高田なほ子君            梅原 眞隆君            高良 とみ君            高橋 道男君            山本 勇造君            大隈 信幸君            矢嶋 三義君   事務局側    常任委員会專門    員       長谷川 宏君    常任委員会專門    員       石丸 敬次君    常任委員会專門    員       竹内 敏夫君   参考人    毎日新聞社出版    局書籍部顧問  藤森 良信君    国語協会理事  岡崎常太郎君    埼玉大学文理学    部教授     吉田 澄夫君    日本弁護士連合    会副会長    阿保淺次郎君    新聞国語改善委    員会委員長   園田 次郎君    東京地方裁判所    判事      千種 達夫君    人文科学研究所    教授      桑原 武夫君    国語審議会会長 土岐 善麿君    津田沼町長   白鳥義三郎君