○
参考人(伊與田圓止君)
只今御
紹介にあずかりました伊與田でございます。この
法案につきまして時間を頂きまして、いささか
意見を述べさして頂きたいと思います。
この
法案につきまして考える際に、私といたしましては、やはり現在の
日本の
教育制度の向
つて行く方向ということを基盤といたしまして、その上に立てられました
大学教育、その
大学教育の
管理をするところの
法案であるという
立場でこれを考えて行きたいと思います。そういう場合に現在の新
教育制度に課せられている使命というものは、すでに新らしい憲法に盛られているところのものであり、又それは
教育基本法にはつきり謳われておるところのもの前提として、
只今の
大学教育がやはり進められて行かなければならんということを考えるのでございます。そういう
立場を考えますと、この
法案が適用されるところの、この
法案が実際に行われますところの
大学の実態がどうかということは、やはり考えなければいけないと思います。この
法案ができましても、その
法案の、
法律そのものが施行されましても、
大学そのものについて非常なかけ隔て、食い違いがあつた場合に、その
法案が生きて来ないし、却
つてその
法案自体が邪魔になるというような
立場も考えられるわけでございます。そういう
立場から考えますと、今朝ほどから我妻さんなどから申述べられておりますところや、ほかのかたがたが言われましたところを勘案いたして見ますと、大体においてこの
法案が、旧制
大学の現在までの慣例その他と余り食い違わないというようなところに、やはりこの
法案の基礎があるのではないかというふうに考えて見ますと、現在の旧制
大学と、それから地方に新らしく立てられてできましたところの
大学と比較しましたときに、非常にその
内容、それから水準などについて食い違いがあるわけでございます。そういう
内容その他水準の食違いのあるところへ同じ
法律を持
つて行
つて当てはめた場合に、果してこれが合理的に行われるかどうかということはやはり考えなければならんと思います。そういう面から行きますと、現在行われておりますところの新
教育制度というものが、従来の
教育に対する考え方というものを打破して、即ち
教育の機会均等を与えることと、それから平和を愛好するところのよき住民を作る、それと同時に
日本の学術の水準を高めるというところのやはり観点に置かれなければならないのではないか、そういうふうに考えられるわけでございます。そういうふうに考えられて来た場合に、現在のそういう方向に
教育自体が進んでおるかということにつきましては、必ずしもそうでない、新
教育に対する批判の声がしばしば起
つておるということは、そういうことをやはり示しておるのではないかと考えられるわけでございます。そういう面から行きますと、この
法律を作る前提といたしまして、現在進んでおるところの
新制大学の構想というものがはつきり活かされるということがやはり前提になると思います。そういう観点から見ますと、先ず第一の欠陥といたしまして、今朝ほどから申述べられております中で、
財政の問題、いわゆる
予算の問題が大きく出て来ると思います。
予算の問題は何らかの形において解決されて、
日本の
教育予算というものが拡充されなくちやならないということはやはり抽象的に言えると思います。それと同時に現在までの旧制
大学がはらんでいたところの長所と、それからそれに附随していたところの短所をこの際打破することが必要であるということを考えられるわけでございます。
従つてこの
法案で取上げられなければならない問題といたしましては、今までの
大学にあるところの欠陥というものをこの
法案によ
つて補い、長所を助長するということが根柢には考えなくちやならないのじやないかと思うわけでございます。ですから先ほど申上げておりますように、現在の
新制大学の方針に則つたところの拡充が行われなくちやならないということをやはり前提といたしまして、この
法案を考えなくちやならないというふうに、こう考えるわけでございます。
次に、そういう総括的な問題を出まして、次に上程されているところの
法案を拝見いたしまして、それについての
意見を申上げたいと思います。その場合に立法の趣旨ということが問題になると思います。ここに盛られておりますところの
大学の
自治と
民意の
反映ということは非常に重要な問題であると思います。その場合に
大学の
自治ということはどういう形においてされなくちやならないかと言いますと、先ほど申上げましたように、旧制
大学の弊害の打破ということがやはりその
内容として入
つて来なくちやならないのではないかと思うのでございます。
大学の
自治ということが言われます場合に、従来の
大学におきましては、権威ということを言われるわけでございます。
大学の権威、それが地方におきましては象牙の塔ということが言われるわけでございます。一面
大学の権威が、地方で批評されますところによりすと、象牙の塔ということでいろいろな問題が醸し出されるのであります。そういうことを打破する面をこの
法案に盛ることが必要であるということか考えられるわけであります。
民意の
反映という点につきましては、従来それらの
大学が権威として
国民から離れていたのでありますが、これに対して
国民の
大学であるという感じがこの際大きく盛り上げられなければならないという新らしい使命が入
つて来たわけでありまして、そういう面で
民意の
反映というものは、この際合理的にこの
法案の中に取入れられなければならない。併しながらそれが非常に間違つた方法で取入れられた場合には、非常に今後の問題に大きく
反映して来るということが考えられるわけです。その趣旨を一貫して眺めまして、この
法案について考えますと、先ず第一に、機関の種類が問題になるのであります。機関の種類につきましては、
中央審議会、
評議会、
商議会、
教授会というものが機関として存在するわけでありますが、その中で大体一貫して流れているところは
商議会というものが
一つの
民意の
反映であるという形で挿入されておるわけであります。
従つてこの
商議会の問題につきましては、
相当この際この
法案を考える場合に十分考えられなくちやならんと思うのであります。なぜかならば、それは
民意の
反映を現わすという形のものであるわけであります。ところが
起草協議会で考えられているところを、今朝ほどからの我妻さんなどの
発言をお聞きいたしますと、
商議会というものが大した重要性を持
つていない。もとより
財政その他に関連いたしましたような問題、そういうようなものがあつたほうが望ましいのじやないかという
程度の非常に弱い形で取上げているように考えられるのであります。そういう面から考えられたところのものを、こういうところへ盛り込むということは、非常に慎重に考えられなくちやならないというように考えられるわけであります。
商議会というものを、この場合非常に弱い、何といいますか、お座なり的にここへ挿入して置くというような形であるならば、将来非常な問題を起すのじやないかと考えるわけです。そういう面から行きますと、むしろこういう非常に不十分であるものは、この際一応保留して、むしろ第一の
大学審議会その他の
構成又は活動について十分にそういう面を考えたほうがいいのではないかと、そういうように考えられるわけであります。
次に機関の
構成について考えますと、この各機関を通じましてその
構成が非常に従来の行き方、要するに高等的な、いわゆる上のほうのかたがたによ
つて構成されてそれが
管理される、これは勿論
責任その他に関連して来る問題ではございますが、そういう面でもう少しこの際
大学の
自治、それから
教育の基本方針に則りました点から考えまして、もつと民主的に、もつと大きく拡げていろいろな総意をその中へ取入れて
構成されるということが適当ではないかと考えるのであります。そういう意味から
中央審議会の
構成は、この際何とかして、少くとも全国の
大学におきましてそれぞれの
責任を持
つて教育の仕事をしておるところのかたがたを何らかの形でこの中へ取入れるということをこの際断行する必要があるのではないかと考えるのであります。そういう面については、具体的には先ほどからの
参考人の中に、全国の
教授、
助教授、常勤の講師の選挙によるところのものを入れろというようなことも言われておりますが、そういうこともやはり重要な形として考えられるわけであります。いずれにいたしましても、全国の
学長、
日本学術会議、
文部大臣が任命いたしましたところの
学識経験者を除きました以外にも、そういう形のものはこれに取入れなければ万全なものにならないというふうに考えるのであります。
次に
評議会、
教授会でございますが、この
構成につきましても、この際やはり旧制
大学で行われておりますものより一歩進めて
大学の
自治を確立するには、
大学の民主化ということがやはり重要な裏付けであると思うのであります。民主化と併せて
大学の
自治という場合に、やはり
大学の封建性が多分に残るという危険性が考えられるのであります。そういう面から行きますと、
教授会、
評議会におきましても
教授、
助教授、常勤講師というものを入れたところの
評議会、
教授会というものが考えられ、
評議会は、当然そういう
教授会を基礎として選出された人によ
つて構成されるということを考える必要があるのであります。それは今朝ほど佐野さんから言われましたように、勿論
教授は
責任者であり、その補助をするところの
助教授、常勤講師であるわけでありますが、併しながら実際におきまして、
新制大学におきましては定員その他におきまして同格のかたがたがそれぞれアンバランスがあるということも考えられるわけであります。而も旧制
大学におきましても、私の聞くところによりますると、学科その他によりますと、非常に高年輩で、而も
社会的には
相当認められるところのかたが
助教授として残り、
研究にいそしまれているわけでございますが、そういうかたが
大学を
管理する場合にそれにタツチできないということはやはり不合理であると考えられるわけであります。勿論実際
教授が行われる場合には、当然
教授あり、
助教授あり常動講師と考えられますが、それらに対する
意見を述べるというときについてはやはり同等に扱われているのじやないかと考えられるわけでありまして、それでもつと拡大して考えますれば、助手以下のいわゆる雇員のかたがたがあるわけでございますが、こういうかたでも何十年となくその
大学に勤めております。実際には実験工科
関係などにおきますると、実験などについては先生がたよりも実質的に生徒に
教える面が非常に多いという場合があり得るのであります。そういうかたがたが、
自分の仕事を通じて何らかの形で
大学の
管理機関に対して
意見が
反映するということができ得れば必要ではないかと考えるわけであります。それはなぜかといいますと、
大学というものを考える場合に、それはやはり全体的なものとして、
教育基本の考え方として、人間完成ということがやはり前提として考えられなくちやならないと思うのであります。そういう場合に助手であ
つても又それ以下の者であ
つても、
自分は
教育の場にいるのだという自覚を持たれる必要があるのであります。単なる技術屋であり、単なる小使であるという考え方では、
大学の本当の
教育はなされないのじやないかと思うのであります。小使でもやはり私は
教育の場にあるから、人間を作る場所において仕事をしておるという自覚が必要ではないかと思うのであります。そういう面から来ますと、そういう自覚を高めるためには、何らかの形で
自分の
意見というものが問題になり、又
意見というものが申述べられる機会というものがやはり与えられることが必要ではないかと思うのであります。そういう観点から考えますと、今の
評議会、
教授会におきましては、少くとも助手クラスまでは、そういうかたの
意見を
反映するというような機会が与えられることが必要ではないかと思います。それで勿論それを考える場合には、現在の現段階においてそういうことはむずかしいということも考えますが、構想といたしましては、そこに観点を置いて、そういう気持を
大学全体に与えるということが、やはり
日本の将来の
大学教育というものが本当のものにな
つて来るという点からは十分取上げられなければならないと私は思うわけであります。
それから機関のやはり
権限が
法案としてはやはり問題になると思うのでございます。
権限につきましては、
中央審議会につきましては、それを
委員会のような形にして公選にするというような御
意見も出ているわけでございますが、少くともこの
法案を考える場合には、
財政その他の面から考えまして、やはりこれを
審議決定するという機関に持
つて行くというようなことが必要じやないかと思うわけでございます。それはなぜかと申しますと、やはり
予算その他の問題に関連いたしまして、
文部大臣の力を強めるという意味でむしろそういうものを決定機関にすることが必要ではないかということを考えるわけでございます。それは
文部大臣が
予算の場に臨む場合に、そういうようなバツク・アツプがあることによ
つて、
日本の
教育に対するところの
教育予算の、文教
予算を考える場合にですね、そういうものを背負
つて発言するということが非常に現在の段階では必要になるような段階に来ておるのではないかというように考えられるわけであります。そのほか細かい
権限について問題になるところはあるわけでございますが、少くとも
商議会につきましては、先ほど申上げましたような点から、前のかたも申上げているわけでございますが、人事権などにつきましては、若し
商議会のほうを削れない場合においては、人事権などについてはやはり慎重に討議する心要があるのではないかと考えるわけでございます。それから
学生の
懲戒などにつきましては、実際に生徒に接しておるところの各
学部の
教授会などでやはり取上げて決定して行くというような、そこから離れたところで単に
学生の問題を討議して決定するということがないように、実際に即したほうがいいのではないかと考えられるわけでございます。
それから
管理の主体でございますが、
文部大臣の問題は別といたしましても、
大学におきまして
学長、
学部長の間に非常に
責任を負わされているわけでございます。併し実際におきましては、各
大学において
評議会で決定されたところのものは
大学によ
つて代表されて、而も
責任は
学長が全部負うんだというようなことがないように、むしろこの際、
学長については
評議会を代表するのだというような
立場に、この
法案を持
つて行く、これがむしろ
実情に即しておるのではないかというふうに考えられるわけでございます。それから職員の問題につきましては、先ほど申上げましたのですが、
学生との
関係につきましては、やはり何らかの形で
学生と
学校の機関との意思疏通の機会が与えられるということが、むしろ
学生との間に問題を起し、又
学生自体がどうも解き放たれた形で動くというようなことがないようになるのではないかと考えるのであります。そのためには何らかの形で
学生との意思の疏通を図る予備機関を持
つて行くことが必要ではないかと考えられます。そういう場合には
学生との
協議会を設けるというようなことをこの
法案の雑則あたりに盛り込んで頂いて
学生の生活、それから
学生の厚生などについては、
学生の
意見を十分取入れて
学生の勉学を助ける基礎を作るということが重要ではないかと考えます。それらを拔かしては、やはりこの
法案が不備になるのではないかと思います。大体において
大学は、教官と
学生と、而もそれに実際に仕事をするところのその他の職員によ
つて構成されていることを考えますと、
学生との意思疏通を図る機関を如何にして
法案は考えられないかと考えられます。
その他のことにつきましては又御質問のときにお答えするといたしまして、非常に短い時間で全体的に御
意見を申上げられませんでしたが、この辺で
意見を終りたいと思います。