○
矢嶋三義君 本
法案が
文化の向上
発達に顯著な
功績を残した
かたを
顯彰する
制度を確立する
意味におきまして、
文化国家再建を方向としている我が国にと
つて誠に適当な
法案と存じまして賛意を表するものであります。併しここで私は若干
意見を申上げますが、こういう法の運用というものは、
先ほど加納
委員からも言われましたように、公正な
選考ということが、而もそれに権威あらしめるということが最も私は重大だと思うのであります。そういう
意味におきまして、
先ほどから
文化とは如何なる
範囲を指すかというような
質問も出て来たのでありまして、私の賛意を表するこの修正案におきましても、広く「
文化の向上
発達」と、こういうふうに字句を修正したわけでありますが、かくのごとく
範囲を広くすればするほど、私はこういう
選考審査会におきましては
委員の主観というものが大きく入
つて、
一つの基準点がつかみにくいところに
選考の非常な困難さがあると思います。そういう
意味におきまして
選考審査会の
委員の十人の選定につきましては、
大臣としては特別の考慮を他の如何なる
委員会の
委員の選定以上に私は深く考慮を払うべきである。と同時に、構成した
審査会というものは、私は権威のある公正な
選考によるようにならなければ、こういう
法律ができましてもそこに誤りをもたらしますというと、私は却
つて結果はマイナスにな
つて来るのじやないか。こういう点を深く考慮し、強く
要望申上げる次第であります。
先ほど質問の途中でも出ましたが、少くともその狭い
学術、
芸術の面における表彰者というものは、やはり私は今まで
制度としてあるところの
文化勲章の
受賞者というものは重く用いられて然るべきである、こういう
見解を持
つているものであります。ただそれのみに限らずに、更にそれを広い
意味の
文化ということが加わ
つたのでありますから、
文化勲章受賞者だけに限るのではないという
政府の
提案理由を了とするものであります。それから次に申上げたい点は、飽くまでも私は
賞金であるべきである。その
功績を
顯彰するという点は重く見るべきである。
文部大臣が仰せられるように、現在の我が国の国民
生活の実情、我が国の経済状況から、理想論ばかり
考えられないという点もわかりますけれども、それは極く軽く見て、どこまでも私は
賞金であるという
立場を堅持すべきである。そういう
意味から言いまして、巷間伝えられるような
受賞者の
選考に当
つては
年齢的制限を加えるというようなことは排除すべきである、こういうふうに
考えるものであります。従いまして
年金の支給方法は政令で定めるようにな
つておりますから、この政令の制定に当りましては、どこまでも広く
意見を聞かれまして、十分愼重を期して頂きたい。こういうふうに
考える次第であります。
最後に申上げたい点は、確かにこの
法案がここに
提案されて参る過程におきましては、我が国の文教、科学の
発達のために、そういう
方面に非常に
功績を残された
かたを
顯彰すると同時に、その
生活の保障ということも
考えなければならないと、こういうお
気持があ
つたことは、私は争えないと思うのであります。この
法案は、私今まで申上げましたように、どこまでも
賞金であるべきであると主張すると同時に、やはり根本的なものは、現在の我が国の科学者が非常に
研究費に困窮し、更に私
生活においても困窮しておる。この事態を解決するところの施政をなさざる限り、我が国の文教、科学の振興というものは期せられない。そういう
意味におきまして、私はそういう
方面にも
政府は努力すべきものであるということを強く
要望するものであります。繰返して申上げますが、この
文化功労者の
選考に当
つて、
生活困窮というような面を多く取上げることは絶対に私は
反対であります。いやしくもこの
文化勲章を受けるレベルの人が国から
顯彰され、
年金を受ける場合に、
生活云々というような要素が微塵も入
つてないことを、恐らく私は希望するだろうと思うのであります。そういう
意味におきまして、私は或る程度そういう
学術、
芸術、広く
文化に非常に蘊奥を極められたそういう人に失礼になるような感じさえ私は持
つておるものでありまして、どこまでもこの
法案は、広く
文化の向上
発達に寄与された
かたへの
顯彰、
賞金という
立場において支給方法に関する政令を制定されるよう強く
要望いたしまして、修正案並びに修正部分を除く
原案に対して賛意を表するものであります。