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岩間正男君 私はこの
法案に不
賛成であります。謳われておるところは
義務教育の
無償、それを一部分果すのである、この
法案の第一条にその
趣旨が書かれております。その
趣旨を見ますというと、
義務教育の
無償の
理想のより広範囲な
実現への
試みとしてと、なかなか大きなことが書かれておるのでありますけれ
ども、果してこれだけの
手段で以て、
憲法で
保障しておりますところの
義務教育無償の
理想が一体どれだけ達成されるかという点において、非常にこれは疑問を感ぜざるを得ないのであります。大体
日本の文政の性格がこの
法案にも出ておると思うのでありますが、これはしばしば我々も
委員会或いはあらゆる
機会におきまして論議して参
つたところでありますけれ
ども、
日本教育改革の大きな目標は
教育の
民主化或いは又
教育の
機会均等確立、こういうことが謳われておりますけれ
ども、これが
予算的な
措置、
財政的な
基礎を確立しない、そういう
努力が非常に十分になされていないために、この
理想は達成されていないのであります。先ほ
ども予算委員会のほうで論議したのでございますけれ
ども、六三制がその最もよい
一つの性格的な現われでありまして、つまり現在の
段階におきましては、まだ中
学校の校舎さえ十分に満足するような状況にならないのに対しまして、一方人口の増加によりまする
自然増で
学級がどんどん殖えておる。ところがその
自然増の
学級数を吸収することもできない。こういう形によ
つて実際は六三制が不完全な
予算的措置のために、実は
小学校の面において大きくこれは崩れておる。そうして一
学級が八十人、七十人というような
戦争前と少しも変らないような態勢に追込まれているのであります。こういう点から
考えますときに、
一つの
試みというようなものをただ
試みのままで、本当に十分な
計画と、それからそれに対するところの
予算的裏付けを以てやらないときには非常に危険な
事態が発生することは、六三
制そのものがこれは前車の轍を示しておるのでありまして、我々はこういう
事態に対しまして、
つまみ食い程度のことをやるべきではない、我々といえ
ども、最初から
義務教育無償ということを非常に大きな念願としてや
つて参
つたわけであります。そうしてこのことは同時に、
戦争前の
日本教育が持
つておりましたところの貧富の差によるところの
教育の
一つの
階級性、つまり貧しいものが
教育を受けたくても、
才能があ
つても、受けることができない。そうして富めるものがそれほど
才能がなくても親の光や財的な
裏付によ
つて、上のほうの
学校に進む、ここに
近代日本の
一つの不幸があ
つた、こういうふうな
考えで、こういうものを
解決するために、飽くまでこれは強力な
財政的措置をしなければならない。そうしてそういうような
要求を本当に叶えるのが、つまり
憲法二十六条におけるところの「
義務教育は、これを
無償とする。」というような気高い
一つの
理想を
盛つた条項であろうと思うのであります。それが五年間放置されておりまして、今こういう形で、全くその一端ということでなされるのでありますけれ
ども、これは何と言いましても、今
言つたように非常に杜撰なものであるということを言わざるを得ないのです。仮に昨日の
委員会の
審議におきましても、
文部省の側の意向を
伺つたのでありますが、
最低の限度において
義務教育を達成するためには、どれだけの費用が要るか、これに対しまして、
文部省側の答弁としましては、
教科書が
小学校の全部、盲
学校、そういうものを見積りますと、約四十九億、
給食費が二百三十三億、それに
学用品として二百三億、大体計五百億足らずの
予算が要るということが言われておるのであります。併しこれは
物価高になる前の
一つの推計でございますから、
物価の現在の
値上りを見ますというと、約七百億というものが、
教科書、
給食費、
学用品、これだけの
最低の
義務保障をするために必要なのであります。然るに更にこれに対しまして、
子供の雨傘とか、履物とか、そういうようなものまで、もつと
教育の十全な
機会均等というものが
実現される、そういう
理想的な場合を
考えますと、これは千五百億とか、二千億とかという
数字が出て来るのであります。こういうような
要求に対しまして、一億三千何万という
数字というものは、甚だこれは僅少なものであります。その結果は、先ほど
高田委員からも指摘されましたように、非常にこれは数学的にも問題にならないというようなことが起
つて来るのであります。そうしてそれが又見通しのない一年限りの
法案という形で出されております。先に
行つて果してこういうようなことが持続されるのであるかどうかという
保障も現在ではないのであります。又こういうようなやりかたによ
つて起るところの
一つの代償として支払わされて来るところの思想
統制的な面が、こういうようなことによ
つてないということが、現在の
情勢の中で果してこれは
保障することができるかどうか、こういう点を
考えますときに、我々としましては、
義務教育の
無償そのものを根本的な
一つの
教育対策の中に熱意を持
つておるのでありますが、それがこういう形で全くこれが
一つの思考錯誤的なことによ
つて繰返されるごとによ
つて、再び六三制の混乱のようなものを小型でここに繰返すということになりはしないか。もつともつと根本的に少くとも
義務教育無償という名前をかぶせるのでありますから、これによ
つて現在非常な生活苦にさらされ、税の
負担、
物価の
値上り、こういうところで殆んど
教育の
機会均等というものは
戦争前の形のような形に戻され、そうして
教育に対する権利を奪われているところの多くの
国民大衆に対しまして、もつと或る
程度の少くともこの
義務教育無償の名に値いするだけの、これは楔を打込まない限りは、この問題に対して何ら根本的な
解決をするものではない。これは悪意にとれば、これによ
つて実は四月に臨んでおるところの
選挙対策である。こういう形で、やらないよりはや
つたほうがいい、こういう形によ
つて実は微細なところの
一つの
予算を提出することによ
つて大衆にそのような幻想を振りまく。併し実質は何かというと、殆んどこれは論ずるに足りないところの形になります。こういうような
欺瞞性に対して我々はこれを
賛成することはできないのでありまして、我々はそういう点で、このような、ないよりはあればいいというような、実際は
必要額の五百分の一とか、全く問題にならない〇・〇何%というような形で出されて来るものを、而も財的な
裏付はなくても、併し
精神はいいじやないか、或いは親心がいいじやないかというように
文相は説明されておるのですが、この
説明そのものが非常にこれは
一つの宣伝を目指しておるところのものと言わざるを得ない。こういうところに現在陷
つているところの
文部行政の大きな矛盾がある。むしろわれわれはこういうような
一つの欺瞞的な雰囲気というものを打
払つて、もつと冷厳に、この時代の中に本当に大きく楔を打込むということが、目下の
日本の
教育を真に改革する途であり、それから又
人民大衆が
教育の
平等権を奪われつあるこの現象に対しまして、我々は
解決を与えるところの途であると、こういうふうに思うのでありまして、むしろこういうような
思考錯誤そのものから起るところの
欠陷の面について、いろいろ
考えられるのでありまして、得るところよりもむしろ失うところが多いという点に立つものでありまして、こういう点から私はこの
法案に対しまして反対せざるを得ないのであります。