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岩間正男君 それでいてこれは
池田蔵相に言わせると、非常に画期的な
予算だそうです。第九国会でも私は質問したのですが、画期的な
予算で架空ではない、正確だ、成るほど正確だ、こういうぼろ
教科書みたいなものをやる、一番
最低の
基準の何かを集めて来て、それをだんだん減らしてそういうことをやる、そうしておいてどうかというと、
義務教育の
無償ということが語られている。それで辻田さんの今希望的な観測というものは非常に私もそういうことをなさらなければならないという
気持に対しては同情するわけですけれども、併しそのまま割引なしに頂くわけに実際問題としていかない、現実はどうかと申しますと、
文部省はそういう努力をしても努力が足らないことが大体において多い、いつでもそうなのです、我々が
予算の問題を突くといつでも今辻出さんの言われたようなことを聞く、我々ははあ……と言
つて、それで多分そうやるだろうと思
つていると、いつもがちやんこにな
つている、それで最後になるとまるで違
つた形になる、私はここでどうしても警告せざるを得ないのは、六三制の小型なことを繰返すことにならないかということです。これは、何らの
計画がない、そうしていて
財政の裏付はない、こういう形でも名前だけは欲しがる、
義務教育無償という名前だけは欲しがる、こんなことを使うべきことじやない。
子供が一人入るのに五千円も一万円もかかる。こういうような
負担で悩んでいるときに、
義務教育無償というのは何百分の一、実はここで大体
計算して見ると、今言
つた教育費、
給食費、
学用品費、これだけでも
文部省の
最低の
計算で約七百億、今の
物価の値上りを
考えると七百億要るとすると、これを出さなければ全部これは
父兄の
負担にな
つて来る、そこへ持
つて来て大体
国家と地方
財政と合せて三億八千何がしの一体
負担というものは、成るほどないよりはいいかも知れない、併しこれは焼石に水です。こんなところに問題の
本質があるのではないか。それなのにそこのところを突つ込まれるというと
池田蔵相のごときは何と言
つているかというと、架空ではない、正確だ、こういうことを言
つた、戦争前にも同じことを繰返して来た、それで
日本の
教育はどんどん
観念的に流れて
行つて名目だけは残
つている。私は天野さんにも
是非聞かなければならんと思う、この前の
予算委員会で聞きかけたのですが、十分でないのです。こういうことで一体本当にこれをや
つていいのかどうか、そうして問題の
本質はまるで氷山の下に沈んだような、そうして氷山の上の一角のところを
ちよろ
ちよろとなぜているというような
程度でいいのか、だからして
日本の
教育というものは一方でどういうことにな
つているかというと、どんどん崩壊しつつある。見て御覧なさい、我々はこれはここで事実を挙げることができる、一昨日も話したのでありまするが、最近の私学における腐敗の事実なんか実際なんですか。
子供が入るためにどのような賄賂が行われ、試験の答案がどのように家庭から家庭へ私学の
教育の手を通じて事前に見せられておるか。そうしてこの報酬は何万円だ、こういうところに追込まれているのです。こういうようなことがこうした
政策の現われなんです。こうした欺瞞的なものをや
つて国民をごまかそうとしても駄目です。これ対して
文部省はこういう事態に対してまるでそんな上のほうだけごまかしておいて、大切なそういう重要な問題、これは大衆の生活に深く結ぶのであ
つて、今苦しい、とにかく重税と
物価高、こういう苦しい生活において、
教育費の
負担というのは、参議院の
予算委員会の公聽会で聞いても
はつきり出ております、一
父兄のかたが出て来て、少くとも
小学校では一人五百円ずつはかか
つている。
子供を二人も三人も出した場合には相当生活費の大きな
部分を占める。こういう問題に対してもつと突込んで入
つて行つて、それが又
日本の
教育の平等、貧富の差によ
つて教育を受けたり受けなか
つたりするそういう事態を廃止して、飽くまでも
教育の平等を守り拔くというそういう気高い
一つの闘い、そういう闘いを
はつきり打ち出すために努力するなら、
義務教育の
無償ということはわかるのであります。その精神においてこそ
義務教育の
無償ということはわかるのであります。(「簡単々々」と呼ぶ者あり)この提案がまるでむちやくちやなこういうような形で、全くこれは鼠が南京袋の一角をかじるようなやり方でやられることについては我々は了承することができないのであります。この点ですね、再びやはり六三制のような形を繰返さないという保証を
はつきりさせる必要があるのじやないか。どうも頼りない次第であります。私はこれは重要だと思うのでありますが、どうでしようか。