○
参考人(
大山勲君) その
事情を申上げますためには、このような背景についてちよつと言わして頂きたいと思いまして、申上げたのであります。つまり実際の具体的な
経過において何が故に暇がかかつた、そのことは結局この問題についていろいろ
議論のやりとりがありまして非常に暇がかか
つたのでありまして、もう少しでございますから時間を頂きたいと思います。そういうふうにいたしますると、結局終戦後新らしい
学園、民主的な
学園というものが建設される
段階にありましたのが、再び元へ戻りまして、
学問、思想の自由が侵害される、或いはこの
法規の
改正によ
つて人事問題について暗い影ができて、学閥の復活を来すというようなことが非常に我々の恐れるところなんであります。そういう観点から非常に
公開審査そのものが紛糾したのであります。
次に、具体的にどのように進展いたしましたかの御
説明を申上げたいと思うのであります。部分的には
只今進藤氏が発言せられましたのと重複するような点があると思いますけれ
ども、その考え方においては必ずしも一致しないと思いますから、どうぞお聞きにな
つて頂きたいと思います。つまり
現行法におきましては、先ず
公開の
審理を行なわねばならないと
管理機関に義務を負わしているのであります。これは非常に重要なことだと私
たちは考えております。而もこの第
五條が
最初に立法されましたときの
模様などを伺いますと、まさに私が今まで申上げましたように新らしい民主化された
学園の
自治を建設するためにこそ
公開審査をやる必要があるんだということが、
各党議員から強調せられたように伺
つております。それでそういうことがありまするから、私
たちはその
公開という字の、
法律に言われている
公開ということの解釈について、最も民主的な
意味における
公開を私
たちは主張したのであります。
東大当局はその
公開という、これこそ
手続規定や何かが詳細にな
つていなかつたところから発生する問題でありますが、その
公開というものをできるだけ幅を狭く解釈しようとせられたのであります。例えば
新聞記者席が設けられてありまするから、これは十分に
公開されてあるといつたような、一例を申上げますと
理由が
説明されたのであります。併しながら
新聞記者等は
最初の一回か二回は
傍聴に来られますが、そういつも来られるものとは限りません。そうするとこれは
有名無実になるのであります。むしろこの
事件に関しましては、
事件に
利害関係のある
人たちこそ最も
傍聴を
希望するのであります。従いましてつまり不都合のない限りはできるだけ民主的な
公開という
趣旨に
従つてやるべしというのが私
たちの
意見であ
つたのであります。これにつきまして、
東大の
評議会とも私
どもと十分な
論争が行なわれまして、非常に長時間
論争が行なわれまして、結局私
たちの論理が勝つたと思います。それで結局
東大の
評議会と私
どもとの
見解の一致の上で、
東大におきまして現在行なわれておりまするような事実上無制限の
公開が行なわれておるのであります。つまりこういうことは真理を探求する
学問の府において、事態が完全に
公開されるということは、
支障のない限り最も望ましいことであるということに盡きるのであります。そのようにして第一回が行なわれたのであります。第二回以後に問題になりましたのは、
只今進藤氏から
説明せられましたごとく、どのような
方式によ
つてこの
審理を実行して行くかということについての
見解の相違がそこに発生したのであります。そもそも非常に
手続上暇がかかるというようなことが言われますが、手数がかかつた或いは時間がかかつたということは、私
どもは本質的な問題ではないと考えております。何度も申上げますように、
手続規定がなかつたということは、実際に事を進行するためにどうするかというと、その
手続を結局そこにおいて作らなければならん。
つまりテスト・ケースとして
一つのモデルを作らなければならない、そういうことに、ぶつか
つたのであります。
神戸大学におきましても、また
事件は解決しておりません。その場合に
文部省側の
説明によりますと、ただ漠然と
神戸大学は遅れていると言われますが、
神戸大学では学長が病気をなさつたために
審理ができなくて遅れたのでありまして、
神戸大学における
事情は全然別の
理由によると思います。
東大におきましては、そうようにとにかく
法律ができまして、初めてその
法律に
従つて事を進行する、如何にするかという
手続の
規定がないために、
手続の
規定自体を考えなければならん。而も
東大という
審理探求の最高の学府が、論理的なあいまいなことで事を決するということは、これこそ日本の
文化教育上重大な汚点を残すわけであります。
従つて論理的に割切れて、あいまいのないことを実行すべきであるというような点につきましては、私
どもの意図するところが
東大の
評議会でも了解せられたと思います。従いましてその点について詳細な
議論がなされたわけであります。その際に行われた
議論は、要約いたしますると、第一に
手続を制定する
権限がどこにあるかというところに
最初に
疑点が起
つたのであります。
法律には何も
規定されておらなか
つたのであります。そこで何も
規定されてないといたしますと、私
どもの
見解に従いますれば、
学園という特殊な環境において、
学園の
自治という角度から申しまして、民主的に
手続をきめるべきであるという我々の主張であ
つたのであります。
当局側は一応は
大学の
管理機関として、つまり
行政機関として
手続を作りたいと言われておりましたが、併しながらこの
公開審査について
手続を作るための
法律的根拠は結局確かにあるということは言い切れなか
つたのであります。でそのようにして先ずその
手続の
規定、
東大におきましては
審査基準という名前を付けておられますが、そういうものの決定する
権限がどこにあるかという点があいまいであつた。
次に
東大当局が私
たちに示されましたその
手続、つまり
基準案なるものは私
たちの目から見ますと、非常に大きな
疑点を生じたのであります。つまりこれは
只今進藤氏から
説明しましたごとく、
評議会がいわば
判事と
検事とを兼ねて事を処理するという
性格が
はつきりとその中に盛られて来たのであります。それからとの問題につきましては、その後
論争が続けられましたが、結局納得の行く了解には達しなかつたと思います。それからつまり、その
管理機関が
判事と
検事とを兼ねるという二重
人格の矛盾、それからもう
一つは、
只今進藤氏が言われましたように、
真実の
発見ということにつきましてはどういうことが必要かと言いますと、この
公開審査を受ける
立場の者の
防衛権、これはむしろ
基本的人権と申したいと思いますが、十分なる
防衛権が認められなければ、
公開審査の
現行法の
立法趣旨にもどるわけであります。つまりいわば
被告の
立場にある
人たちが
自分の
意見、或いは
自分のいろいろの
事情の
説明のための
自己防衛権、これが制限されるということは、非常に
真実の
発見という
目的からいたしまして
支障を来たすのであります。この点につきましても非常な
論争が起
つたのであります。そういうようなことが言われまして、
当局側が多少原案を修正したのであります。
第三回目は五月十六日でありますが、この時もむしろ我々側のこの
審査手続に関する
意見について続々我々側が主張したのであります。それにつきまして
議会側からいろいろと
質疑が出て
論争が続いたのであります。それから然らば
被告の側ではどのような
手続にしたらば最もよろしいと考えるかというふうな
提案が
当局側からなされたのであります。そこで私
たちとしましては、必ずしも
理想案とは言えませんが、少くとも民主的な
方法によ
つてやるのにはこういうやり方がよかろうという
一つの案を
作つたのであります。で案を五月三十日の四回目に発表いたしまして、
評議会の
かたがたに皆見て頂き、なお
学園の自主のためには
教授会が非常に尊重されなければ真の
学園の
自治はできない。
従つて評議会だけで事を決するのではなく、
教授会にも諮
つて、私
どもの
作つた案がいいか悪いかを検討して頂きたいということを申入れたのであります。で私
どもの作りました案を
参考資料としてここに持
つて参りましたので、
委員の
かたがたにお配り申上げたいと思います。部数は十五部しか持
つて参りまけんでした。この一部は私
たちの作りました案で、もう
一つのほうは
当局の作りました案に対する批判、それからどうすべきであるかといつたような
解略書であります。私
どもの作りました案はどういう案かと申しますと、その
根本理念だけを申上げます。
先ず第一に、
評議会がこの
基準を作成する
権限を独占することなく、民主的な討議によ
つてきめようではないかというのが第一点であります。
それから第二点は、
大学管理機関はこのような
審査を行う場合には三つの
原則に
従つてや
つて頂きたい。第一の
原則は
審査を受ける者の基本的な
人権を制限しない。それから第二は
予断を以て
審査をしない。これは私
どもの
審査におきまして、私
どもは
当局側の一部の
かたがたは明確に
予断を持
つていると考えているのであります。このように
予断を以て
審査に当るといたしますると、これは
学園の
自治、
学問の府という所が
真実の
発見ということにつきまして非常に誤りを犯す危険があります。この点を特に強調するのであります。それから第三番目は
公開の
原則を破るようなことをしない。この三
原則を頭に置いて
大学管理機関は
審査を行な
つて頂きたい。
それから第三番目には、その
方式はどのようでもいいのでありまするか、要するに
教授会が十分に尊重されるという
根抵の上においてこの
審査の
手続を進めて頂きたい、こういつたような
趣旨の
具体案を作成したのであります。これにつきまして、六月二十日に
当局側ではいろいろと検討せられた結果、
組合案に対する
一つの
解答がなされたのであります。その
解答につきまして私
どものほうからいろいろと鶴をし、その質問の
内容、それから
解答の
内容につきまして論理的に矛盾する点、そういつたような点についての
論争が続いたのであります。そういたしまして、その日は遂に非常に長時間やりましたが、完全に
結論に達せず、七月十一日に更にその点について
論争が続いたのであります。遂にこれは要するに
平行線に乗
つてしまつた。
従つて南原総長の言葉によりますると、遺憾ながら
見解は対立のままであるというふうに言われたのであります。このことはどういうことを
意味するかと申しますと、結局
東大当局側は私
どもを論理的に、つまり
学園の府らしく論理的に私
たちを完全に屈服することができなかつたという具体的な現われだと思うのであります。このようにいたしまして私
どもは
平行線で徒らに時間を遷延することは望ましくないものでありますから、それでは一応
当局の考えに
従つて一応はやりますが、併しながら私
たちの正しい論理は飽くまでも貫徹するように努力する考えである。この点につきましては
南原総長もそれはよかろう。で遺憾ながら
見解は対立のままであるが、併しながら
真実の
発見、具体的に
真実の
発見という
目的に副うという
趣旨においては
見解は完全に一致した。
従つてそういう精神のもとに
現行法規に抵触しないように事をやろうという点につきましては完全に
意見が一致したのであります。このように、今
進藤氏が非常に暇がかかつたと申されたのでありますか、まさに
大学のこのような人事に関する基本的な重大な問題のやり方をそう軽卒にきめることは間違いでありまして、むしろこれだけ愼重にや
つても私
どもはまだまだ愼重さが足りないと考えております。このようにいたしまして、一応
基準の
論争は打切りまして、第七回目に入りました。九月十九日であります。この日に初めて
当局側から我々が何が故に
審査を受けねばならないかという事実
関係及び摘條
説明書、つまりいわば
裁判における告発状のごときものが我々に手交されたのであります。このときは、その
内容について字句の質問などでその日は終りました。九月二十六日にこの告発文の
内容についていろいろと詳しい質問が展開されたのであります。このことは一種の争いの形式にな
つておるのでありますから、どの点が争点の中心になるかということを
はつきりとして、この
はつきりした争点をめぐ
つて両方の
見解か十分に述べられて、そこにおいて初めて真理が
発見されるという建前の私
どもの論理が
評議会に、取上げられまして、このような形式にな
つたのであります。そのようにいたしまして、
当局側の告発文に対する質問が十分なされました。それに続きまして第九回目は私、
どもの答弁書というものが作成されたのであります。告発文に対する私
どもの答弁書は、部分的にはその
通りでありますが、又大部分は告発状の言
つておることは私
どもの考えておることと違
つておるといつたようなことがいろいろと
説明されたのであります。その前半部か九回目に提出されて、それについて詳しい
質疑応答がなされたのであります。それから第十回目には後半部として、
法律的の根拠について私
たちの主張が展開されたのであります。で十一回目には
当局側から私
どもの答弁書の
内容についていろいろと詳しい質問がありまして、この
手続によりまして、どこに争点があるかということが
相当明確にな
つたのであります。更に私
どものそこにおける
論争の結果、
当局側が告発文を出す以上は告発に値する証拠物件がなければならない、その証拠物件を見なければ処分を受ける側の者は十分な自己弁護ができない、これはとにかく新憲法におきまする
基本的人権を守る建前からは当然のことだと思うのであります。そこで証拠物件を具体的に私
たちに頂きたいということが要求されまして、
当局側はそれを諒とせられ、証拠物件を全部私
たちに配付して下さ
つたのであります。その証拠物件の
内容についての質問がそれ以後続けられて、去る三月十三日までにその証拠物件についての詳しい私
どもからの
内容についての質問が済んだのであります。
で、次の
段階は、今予想されておる
段階はこの証拠物件をめぐ
つての私
どもの反証であります。このような罪に該当しないという事実や証人を挙げて、私
どもに罪がないということを立証するわけです。このようなことが完全なる
公開の席で今まで続いたのであります。このようなふうにして十分に
手続を養して、その上において処分に価するとして処分されるならば、これはその
手続が間違いない限りにおいては、
学園の
自治の一番根本問題は人事問題でありますが、これが最も正しく処理されるのではないかというふうに考えるのであります。
只今進藤局長からは、その非常に暇のかかつた点、或いは
手続の非常に困難な点が縷々
説明されまして、
従つて面倒くさいから困るといつたような
趣旨の
説明がなされましたが、今まで申上げましたように、なぜ面倒くさく
なつたかというとは、結局我々が新らしい新憲法に則つた民主的な処置をやろうとするのに対してそれを妨害しようとした。その妨害をしようとしましたが、そのの妨害しようとする論理が我々を屈服せしめることができずに結局長びいた。それからもう
一つは、この新らしいやり方についてのモデルケースに
なつたために暇がかかつた。これは
一つのモデルができまして、それが確立いたしますれば、これから以後のこういう問題はもつとスムースに行くのじやないか。私
どもの是非お願いいたしたいことは、
文部省側か
説明せられましたごとく、
運用上、
実施上
支障があるからこそ、
従つて現行法規を更に精密化し、つまり
現行法規の本当の
内容を完全に骨抜にするという形で問題が提出されるのではなくて、
現行法規の立法精神を十分に済し、
学園の民主化を更に発展し、
学問の自由を守るために
現行法規の不備を補
つて現行法規の根本的な点を抜き去ることなく、不備を補い、そうして
手続規定をもつと明確にして、それこそ簡略に而も正しくできるように
改正して頂きたいというのが我々の念願なのであります。
それから先ほど
進藤氏から
説明せられましたことの中に、
審理技術が非常に問題になる。これは正にそうであると思いまするが、併しながらこの
論争を、この
公開審査の
論争におきまして、
東大の法学部長横田喜三郎氏は、少くとも
評議会におきましては、我が国の
法律学の最高権威の
東大の法学部の代表が参画してや
つているのであるから、
東大辞議会の考えることは絶対に間違いはないというような、主張をなされたのであります。従いまして、必ずしも
進藤氏が心配せられるようなことがあつたとは私
どもも考えていないのであります。
以上長々と恐縮であり、近したが、なお御質問によ
つてお答え申上げたいと思います。