○
岩間正男君 私は
日本共産党を代表してこの
改正案に
反対であります。
反対の
理由はいろいろありますが大体次の三点に帰することができると思います。大体
政府のこの
提案理由を見ますと、
社会教育主事の
身分を今日において
確保しなければならない。このために新たに第二章を設けたのでありますが、果して現在の
社会情勢を見てこの
程度の
改正を以て所期の目的を達成することができるかどうか。この
ようなものは單にこれだけの改革で、如何にも
社会教育に対して
政府が熱意がある
ように見せかけておるやりかたは、むしろ欺瞞にひとしいと思うのであります。我々はこの
法案に対しまして、最初提案されました一昨年におきましてこの
法案に
反対をしたのです。この
反対の
理由としましてはいろいろありましたが、先ず第一に
財政的な裏付けがないということ。次にこの
法案の中にひそんでおる精神に
官僚統制に
向う点がある。この点を挙げたのでありますけれども、そういう点につきまして、殊にこの
財政的な裏付けを十分にするということによ
つて、
社会教育をもつと質的に
内容的に改善するという方向が、その後二年間のこれは内閣の政策によ
つてとられたかどうかということを検討して見ますと、殆んどこれは皆無と言
つてもいいという
ような
状態であります。成るほど部分的にはこれは実に問題にならない
ような
予算を取
つて名目的なものが遂行された面がある
ようでありまするけれども、併し我々の問題にしたい
社会教育委員というものは、社会の広範な
教育の問題なのでありまして、今申しました
ような部分的な改革では何ら目的を達することはできない。むしろこの
社会教育法案が
実施されたにもかかわらず、社会の生活の実情、又殊にもうこの中に大きく問題にしなくちやならない
青少年の一体生活
状態、道義の
状態、こういうものはどう
なつたかというと、むしろ悪化の方向を辿
つておることは、これは犯罪統計なんかで事実か歴々として出ているのであります。だからして根本的に言うならば、現在の内閣の政策そのものがもつと徹底した社会政策が行われて、その上に立
つて社会教育というものが
実施されるのであつたならば、これは
意味を持つと思うのでありますけれども、逆な方向に行
つて何ら社会的な政策というものはこれはない。こんな人民生活の破綻が大きく出、そうしてそれが
青少年の犯罪、或いは道義の廃頽という形にな
つて現われておるのであります。だからしてこれは
社会教育主事の
資格を
確保しなければならないという
ような論拠を立てておるのでありまし
ようが、先ほど申しました
ように、その
ような問題でこの問題は解決されない。むしろこういうことは名目であ
つて、現在はこの
ような
社会教育主事という
ような
制度を法的な裏付けをすることによ
つて、
一つの
官僚統制の線をますますこれは濃厚にする、こういう
ような意図が隠されておる。こういうことを我々は考えることができるのであります。それは最近のいろいろな国際情勢並びに国内情勢を考えますときに、そうして日本が今置かれておる現状についてはくどく触れませんけれども、これから考えるときに、むしろそういう
ような危險のほうが遥かに多い、こういう点から考えまして、私はこの
ような
一つの糊塗的な改革は何らの
意味を持つものではない、こういうふうに思うのであります。
また私のこの
反対の論点としたいところは、この
社会教育主事の権限は成るほどこういうふうに認められて来るという形になりますけれども、一方作られておるところの
社会教育委員、こういうものは一体現在どういうふうな形にな
つておるか。これは
教育委員会の諮問機関ということにな
つておりますけれども、殆んどその職責を果していないというのが現状ではないか。或いはこれは盲腸的な存在にな
つて、ただ日本民主化の
一つの飾り物、こういう形にな
つて、この
社会教育委員の機能というものが十全に活用されていない。こういう
ような点から考えますときに、むしろ
社会教育主事の権限
身分というものが保障されることによ
つて、ますます今後
社会教育委員というものが軽視される方向を生み出すことは、これは恐らく明らかな事実であろう、こういう
ように考えるのでありまして、いわゆる
官僚統制の面からしましてこの危險を十分に考えるものであります。その例は遠いことでありません、
教育委員会の実態を見れば分るのであります。現状で大きく問題にな
つております
ように、
教育長の権限というものは
法案に謳われておるものよりは実は大きくむしろ過大になされておる。又
教育委員会の
法案なんかの
改正によ
つてもそういう
ような傾向が現われておる。そのときの事情におきまして
教育委員というものは実は有名無実な方向に追込まれておる。こういう
ような実情がやはり同じ
ように
社会教育法案の中にも大きく出て来る、そういう根拠が今度の
改正によ
つてますます進められると私は考えるのであります。
第三としましてこの
社会教育主事をなぜこういう
ような
一つの
官僚統制的な機構にしなければならないか、これは現存はそうだから言うのでありますけれども、若しも本当に
政府に日本民主化に対する徹底したところの要求と情熱があつたならば、もとより日本のそういう
ような一般的な民主化というものに力を入れる、そうしてその中から真に正しいところの
社会教育主事という
ような人
たちを生み出して行くという
ような方向を取るべきであ
つて、それをそういうふうな面の努力というものは殆んどなされないでいて、そうして現在はどうもうまく行かないから
社会教育主事を十分
身分付けなければならない。そういう
ような簡單に
一つの日本民主化の方途をか
ような形においてこの
改正案がなされておるというところに、元来これは單に
文部省の政策だけではありませんけれども、現在と
つておる吉田内閣の一連の政策が具体的に末端に現われておるということを私は指摘せざるを得ないのであります。
この
ような三つの観点から考えまして、私はこの欺瞞的な糊塗的な改革を以てしては
社会教育の実績を挙げるということはできないのである。そうしてむしろそれによ
つて得る利益というものは微々たるもので、この
ような
官僚統制により更に日本の再武装の問題、更に戦争に巻込まれるというこの危険の中に果す今後の役割のこの危險のほうが、日本の民族並びに人民大衆に與える被害を大きく考える故に、私はこの
ような
法案に対しましては飽くまで
反対するものであります。