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1951-05-22 第10回国会 参議院 通商産業委員会 第33号 公式Web版

  1. 会議録情報

    公聴会   ━━━━━━━━━━━━━ 昭和二十六年五月二十二日(火曜日)    午前十時四十一分開会   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○計量法案内閣送付)   ―――――――――――――
  2. 深川榮左エ門

    委員長深川榮左エ門君) 昨日に引続き計量法案について公聴会を開きます。  なお公述人各位に申上げますが、本日は午後から電力問題に関する特別委員会が開かれる予定になつておりますので、本日の公聴会は午後まで延長いたすことができませんから、各位におかれましてはその点お含みの上、十五分間程度で御発言をお願いいたします。最初尺貫法存続連盟理事長橋本君にお願いいたします。
  3. 橋本五雄

    公述人橋本五雄君) 私は只今指名いたされました橋本五雄であります。目下尺貫法存続連盟理事長を務めております。  私は全国多数の諸団体の加盟賛成あり、五千万乃至七千万同胞を網羅すると評せられる大有志団体たる本連盟を代表して、僣越ながらその一致せる意見を陳述するの光栄を有します。尤もその大体は過日議員諸君のお手許に差上げでおきました小冊子に尽きております。要するにそれは本連盟修正意見として、一つ尺貫法メートル法ポンドヤード法の三者を同様に併用するという修正意見であります。而してその理由としておよそ十五項目ほど掲げ、第一メートル専用の不可能なることより天下大衆反対するところを立証して、三者併用の必要を論じ、且つ政府は来る三十三年以後といえども尺貫法ポンドヤード法は存続するというも、取引や証明には用いられぬとしておるので、それではあつてもないと同然であるから、是非三者を同格に併用せよと要望し、国会にその賛成を求めたものであります。  けだし右の三者併用論を述べる根拠は、過去二十年間に亘る我が連盟機関紙昭和の光」に詳記してあります。この「昭和の光」はこの通り厖大なものでありますが、一、尺貫法存続必要論と、二、最初熱心なりしメートル専用論者の後悔と懺悔談を以て充たされております。先ず大正十年メートル専用法提案者、時の農商務大臣山本達雄男爵、その時の法制局長、後の大蔵大臣馬場鍈一氏貴族院当該委員長山川建次郎男衆議院の同じく委員長東武氏及び大阪市メートル促進会会長紫安新九郎代議士等懺悔転向談等それぞれに見るべきものが少くありませぬが、御参考までにそのうちの一、二を引用して私の理由とする裏付にしたいと思います。  第一に、貴族院であれほどメートル専用論の急先鋒のごとく目された田中館愛橘博士が公然第七十三議会貴族院本会議において申されますに、自分は従来尺貫法を旧弊なりとか、世の進歩のため廃止する必要ありとか主張していたが、全く誤つていた。日本では是非ともこれを尊重存続する必要があることを悟つた。自分も従来の説を一変して、メートル尺貫法併用賛成いたします。若し又これが国民精神関係あることでありますなら、何事を措いてもメートル法などは廃却すべきことであるとまで申しておられます。昭和十三年一月三十一日の貴族院の速記です。如何にも田中館博士らしく豹変してしまわれたのは、大学者面目躍如たるものがあると、感ぜさせられました。  第二に赤痢菌発見者として世界的にも有名なる大科学者、元の京城大学総長志賀潔博士曰く、自分は毎日研究室に入り、試験管を覗きつつメートル法によつて諸種研究をしておるが、一たび家庭に帰れば全部尺貫法を用いておるが、そこに何らの矛盾もなければ衝突もないのみならず、尺貫法日本的情味に豊み、簡単にして要領を得ており、我々科学者に非常なる慰めと潤いを与えておる。又尺貫法は如何なる科学にも応用ができんことはない。それを何ぞや、メートル十進法学生時代から使い慣れておるからといつて他の計量法は全部やめてしまえという専用論者の説は余りに極端で、却つて一般国民メートルを呪詛、怨嗟せしむるような嫌いあり、全くメートル論の横暴で却つて同法を冒涜するものである。自分は常にメートルを愛用しているために、どうかメートルに累を及ぼさんようにしてもらいたいと、真摯なる態度を以て専用論者警告しておらるる。実に博士のごときこそ真のメートル愛用者なり、又活用者であると思います。それでこそあのような世界的大発見もできたのであろうと思います。それを思うと、そんじよそこらに喧々囂々メートル専用論を高唱する諸君は、メートル愛用者とか活用者というよりは博士のいわゆるメートル冒涜者悪用者ともいうべきではなかろうか、かかる人々はただにメートルを涜冒するのみならず、国家進歩発達をも阻害するのではなかろうかと我々は憂慮に堪えません。  現に私は衆議院委員会を傍聴し、又去る十八日の公聴会に臨めるとき、大いに感じました。さすがに本院の公聴会は如何にもと首肯せらるるような構想の下に開かれておるのに満足いたします。一昨日の衆議院では、公述人はすべてで十三名あつて政府案賛成者ばかりを招集し、反対者としては私一人であつた。而もその賛成者は十二人とも異口同音にメートル専用賛成し、政府はもつとメートル法強行をせよ、メートル専用猶予期限を短縮せよ、第三に計量監督機関を増大強力にし、且つその統一を図れというような政府の代弁をなせるごとくであり、又製造業者等は一、検定料国家負担にせよ、二、検定中、器物の破損は当局これを賠償せよというようなことばかりでありまして、或いは打合せて来たものか知らんが、億面もなく自分勝手なことばかり同様に言うものかなと余りのことに私は微苦笑を禁ずることができませんでした。ただそのうち一人出色の説をなし、頗る示唆に富む警告をしておられた東京商工会議所理事藤斎三氏がありましたが、氏は本日も見えておりますので直接よくお聞き願いたい。とにかくそんなふうで、東京大学名誉教授工学博士伊東忠太先生読売新聞社顧問馬場恒吾氏及び日本経済新聞社顧問国家公安委員小汀利得氏等はいずれも堂々たる原案反対意見提案者であるにかかわらずその人々は何故か一人も招かれていなかつた。これでは折角の公聴会有名無実である。そこでこの光景を目せる同士眞鍋勝代議士は急に法務委員の職を捨てて同会の委員に代り、いたく憤慨してその現状を難詰しておられたような次第であつた。かくては将来といわず今より憲政を茶毒し、民主政治を破壊するもので、これ皆専用論者のなせる所為ではないかと思うとき、真に肌に粟を生じました。ああメートル専用論の余毒遂にここに至れるか。恐るべき極みではありませんか。かくのごときは是非参議院の諸公の御考慮を願います。  次に計数計量学上の大権威者東京大学名誉教授東京天文台長理学博士平山清次先生の論文中に曰く、メートル法十進法は先ず可なりとしても、世界のことは十進法だけでは割切れんものがたくさんある。ときには三進法、四進法乃至六進法を併用せねばならんことが多い。現にその通りつておる科学者が少くない。そこに至ると日本尺貫法最初より三進法、四進法を用い、且つ十進法を採用しておる。実に世界に冠絶せる度量衡法であると絶讃し、次いでメートル法を批判して曰く、同法の使用は未だ百七十年ぐらいに過ぎず、新らしいだけに未熟な点が甚だ多い。十進法だけでは割切れんもののたくさんあることは上述のごとくであるが、語系、語路の関係不便不都合の点あり、又その語は冗長にして何でも略言略語を以て呼ぶため間違いの起り易き虞れあり、なお且つメートル法は普通の用途にはミリは細か過ぎメートルは大き過ぎ、帯に短く襷に長しという未完成品です。日本の一分、一寸、一尺乃至一丈というように適度にできておらん。かく言うときに、然らば仏独両国等は何故好んでこれを用いるかと問う者あらん。その答えは簡単である。西暦一七九年のフランス革命に際し、王政時代制度をことごとく改廃する必要あり、ために勿卒の間に仏国はこれを用いたものである。又ドイヅは西暦一八七一年多数の小国を統一して連邦となせる際、如何にも多数の小国がおのおの別々の度量衡を有し、真に種々雑多であつて不便混雑に堪えず、止むなく隣国フランスメートル法を用いたるに過ぎないと説明しておられる。思うにメートル法は全く革命の産児である。故に政府委員の考するように現在三十五、六歳の者は皆メートル以外は知らない。今後七、八年間、即ち来る三十三年になると現在人は皆四十二、三歳になる。故に今より一段とメートル教育に馬力をかけ、又地方においてはあらゆる宣伝機関を総動員してその普及を図れば、全国津々浦々に至るまでメートル化することができると説明しておられたが、談何ぞ容易なるやである。メートルは大革命国家非常時に遭遇するにあらざれば容易に普及せぬということは世界歴史が証明しておる。或いは世の中には革命期の来るを期待しておる者があるかも知らんが、我ら国民はこの上の革命騒ぎ是非御免を蒙りたいのである。まして千三百有余年以上使いなれて日常生活になくてはならんところの我が尺貫法はやめてメートル専用にせんとするごときは全く空想であり、できんことであります。  最後に、私は去る三月十六日、同士眞鍋勝代議士と共に総司令部科学技術課係員デイーズ氏を訪ね、我々の希望する上述修正案を示して意見を求むると、婉然として結構な案であると首肯された。それは米国ポンドヤード法メートル同様に取扱えというのであるから、あたかも我が意を得たりと言わんばかりの態度であつた。誰でも自国のものが他国で優遇されるととを喜ばんものはないと今更のごとく感じたのは私も眞鍋代議士も同様であつた。かく最後デイーズ氏曰く、実は自分機械技師であるから、皆自分同様メートルを使えばいいがと思つておるが、米国人は同意せぬ故むしろ自分ポンドヤード法併用しておるような次第である。技術家輿論には従わねばならん。日本国会が貴下らの案に同意すれば総司令部では何ら異存はない。よろしく国会に諮つてみよと慫慂しておられた。それを聞ける私らはさすがに民主国技師であると感ずると同時に、日本技術関係者輿論も何も顧みず種々の陋策まで講じて自分の好むものを他に強いて用いさせんとする横暴さと大分違うと感じました。そもそも今日如何なるときと諸君はお考えでありましようか。殊に経済上、貿易上のことは何としても米英両国圏内に同調して行かねばならん時代ではありませんか。然るに同圏内常用計量基準たるポンドヤード法を疎外して第二次的に遇してやつて行けると思いますか。かのメートル法専用論のごときはすでに三十余年前の過去の遺物であります。あんな説を今に振り廻す人々は頑固にして頭の融通がきかん人々ではないかと思います。若しそれ当局にその人あらば、この際三十三年末の期限でも撤回して、将来の禍根を芟除したであろうものをと思うが、その人なかりしは誠に残念である。今日の大勢を観破するだけの大政治家は我が国の国情に密接なる尺貫法と共に速かにポンドヤード法を優遇することに気付かねばならん。然らざれば内は日本国民尺貫法に押され、圧せられ、外はボンドヤード法に押されて両方より板ばさみとなり、折角学術界で愛用しておるメートル法まで遂に影が薄くなることを上述の志賀博士同様に私は憂うるものであります。衆議院は人物も多く、又昨日は同士眞鍋代議士総務会に訴え、代議士会に臨み、適当なる警告をされたそうでありますから、如何に決議されかる知りませんが、かの公聴会に列せる以来私は多少心細く感じ、只今公正無私、識見卓越せる参議院諸君を信頼するのほかなしとまで感じておるような次第であります。どうか諸君はこの際こそ国家のため思い切り二院制度の必要と参議院存在価値を発揮し、高所大所よりこのたびの計量法案を検討して、我が連盟即ち大多数国民の希望するように尺貫法メートル法ポンドヤード法の三者を同格に併用して計量界の安定を図り、科学進歩経済の発展に寄与するよう政府案を修正せられんことを切望いたします。
  4. 深川榮左エ門

    委員長深川榮左エ門君) 次に早稲田大学教授内藤君にお願いいたします。
  5. 内藤多仲

    公述人内藤多仲君) 私はメートル法専用推進を希望するものでございます。  私は早稲田大学建築教育に四十年、主として建築の実際方面教授に当つております。又民間建築指導等にも当つて、例えば現に日比谷の日活国際会館建築指導等にも当つております。かような立場から申上げる次第でありますが、この実施期日昭和三十三年十二月三十一日専用になるという原案でございますので、是非その通り実行されることを望みます。今度は是非延期しないようにそれまでに完全に切替えられるように万全の準備を政府のほうではお立て願いたいと思うわけでございます。私の教育面から申しますというと、工学全般についてはすでにメートル制学生はことごとく教育されておりまして、今更フートポンド尺貫等と申しても全く通用いたしません。過去の学生尺貫或いはフートポンド等でやつて参りました。私どももそういう教育を受けて、いわゆる尺貫フートポンド等初等数学には随分悩まされたわけでありますが、近頃の学生はそういう煩わしさを全く経験することなしに新知識の吸収に非常に能率を挙げて、それだけ学問進歩が早いのでございます。で工学全般においてはすでに殆んど全部メートル学問のほうでは切替えられ、実際のほうでも殆んど八〇%、九〇%切替えられております。自分の専門の建築のほう、鉄骨とか鉄筋コンクリートのようなものは勿論一〇〇%メートル法になつております。木造でも通常学校建築、或いは官庁建築事務所建築等メートル法が大部分でありまして、ただ住宅に一部メートル法でない尺貫のものがあるというのに過ぎないのであります。で先年、これは昭和十年頃でありますが、同潤会の手でメートル法の家と通常尺寸の家とを二様に作つて、そのいずれがよいか悪いかを経験いたしましたところが、値段においては極めて僅かメートル法でやつたほうが高い、これは職人等が慣れないためでありますが、使つて見ますというと、非常にこの使い方がよろしい、例えば廊下が一メートルであれば三尺三寸である、玄関も一メートルあればいい加減間に合う。押入れも便所も非常に工合がよろしい、二畳の部屋が三畳以上に使えるとか、或いはメートルの四畳半のものならば六畳に使える、六畳のメートル部屋ならば八畳に使えるといつたような工合に非常によろしい、これは実際の経験でございます。でメートル制度について尺貫との議論は随分長く尽されたもので、もう繰返す必要はないと思いますが、我々がこの今の時代メートル尺貫フートポンド、この三つのいわゆる三重制などということは到底堪え得ないのであります。この進歩の激しい今の時代是非一つ一本のメートルにして、そうして一日も早く我々の日常生活というものを科学と結び付けて、そうして能率を挙げて世界進歩に遅れないようにしたいと思うのでございます。恐らく尺貫法を云々されるかたは、大体年配のかたがどうも私見ると多いようであります。私も年配でありますが……。これは自分らの趣味嗜好といいますか、そういつたことから将来の若い青年たち禍根を残すということは誠に堪え得ない。自分らは尺貫がいいと思つても、むしろそれは忍んで子供のためにメートルを進めて一元化させなければならないだろうと思います。又数年経てば若い人がみな次時代を背負うわけでありますから、我我が決してそんな心配をする必要はない、一体我々は自分らの生活においても、服を着たり和服を着たり、二重生活をやつております。又これは別ですけれども、我々の名前にしても漢字制限がありますが、お互いの名前を読める人は少いだろうと思う。こういつた自分名前、人の名前が読めないような字を使つて我々は文明ということを称することができるでしようか。無論メーターを使うと同時に、我々はもう日本の国字さえも廃止して、いつそローマ字にしたらいいというくらいになつておる。ローマ字ならば必ず人の名前間違いなく読める、初めて読んでもわかるのであります。メートルによる能率の向上はこれは極めて大きいのでありまして、申すまでもなく一メートル単位となりまして、そうして一メートルの平方が一平方メートル、その立方が一立法メートルで、これが一トン、物の単位と重さの単位、つまり長さと面積と立体と重さとこれがことごとく一貫して、従つて物の比重がわかれば、その物の重さはすぐわかる、これは一つの例であります。ところが尺貫でいいますと、例えば材木のほうで尺締めと申しますれば、一尺角で長さ十二尺のものを尺締めと言います。又一石と言えば一尺角で長さ十尺のものを一石という。こういうような煩わしいことは我々は覚え切れない、そういうことに頭を労するということは決して得策ではないと思います。又我々の家庭でも家内が申しまするに、洋服の生地を買つて来ようとすれば、ヤールで買つて来る。幅はインチである、裁断するときにはセンチでやる。景行天皇身の丈一丈二尺余と書いてあるそうです。尺貫論者尺貫は千三百年以来の我々の尺度であると申されますけれども景行天皇身の丈一丈二尺なんということは決して我々の今の尺度ではない、それは周尺でありまして、それを計算すれば曲尺で六尺一寸二分になるそうでありますが、そういつた尺貫日本古代りものであるというようなことは全く間違つていると思います。むしろあれは明治四十二年ですか、法律できめられた……詳しいことは知りませんが、むしろ日本尺貫メートルから出て来ていることは周知通りでございます。かような次第で我々は一日も早くメートル法に切換えられんことを希望する次第であります。どうか政府におかれましても、この趣意に沿うて進んで頂きたいと思います。
  6. 深川榮左エ門

  7. 五藤斎三

    公述人(五藤斎三君) 東京商工会議所の五藤斎三でございます。昨年からこの公聴会が開かれておりまして、計量法に関する賛成反対の御意見が多多公述せられましたことと存じ上げるわけでありますが、私は商工会議所と申します商工業商工団体を代表いたしまして、理論的な根拠に立ちましての法案に対する各条のそれぞれの賛成反対の御意見があろうと思いまするが、それを超越いたしまして、大局的な観点から社会の実生活にこれがどういう影響を及ぼすか、かるが故にこれをどうしで頂きたいといつたような意味の意見を申上げてみたいと存じます。  メートル法基礎といたしまする今度の計量法の問題でありまするが、このメートル法是非につきましては、もう頗る古い論議の歴史がありますことは御承知の通りでありまして、メートル法がすべて十進法基礎を持つておりまするので、計量簡易化標準ということには非常にいい基準であるということは私のもう非常に賛成いたすものであります。でありまして、そのためにものを計測いたしまする精度を高くいたしますることも従つて可能性があり、容易であろうということも十分に認めるものであります。でありまするが、ただ現在の社会情勢の上で、これが急速な施行強行ということがどうかということが考えられるわけでありまして、商工会議所におきましても、過日来数回に亘りましてこの問題の懇談会を開きました。国会における公聴会におきまするように、やはり商工業の分野におきましても、賛成反対両論があるのであります。この賛成の御意見は主として学術的な立場、或いは教育的な立場、文化的な立場から日本の新らしい制度を推進して行こうという面の御意見の中にその賛成論が多いように思われるのであります。反対、或いは反対と申しませんでも、今少しく併用を希望したいというような議論は、実際社会生活にタツチをいたしておりまする商工業販売業者、或いは物を製造する業者の中に多いように思われるのであります。私社会情勢を見てみまするのに、戦争終結以来、相当にメートル法社会に普遍的に行われるようになつていましたのが、その後の社会情勢の混沌たる状態のために非常にこれが逆行いたしまして、尺貫法逆戻りをしたという傾向が社会現状の上において認められると思うのであります。これは一つはこれを担任せられます当局のこの問題に対する施策の生ぬるさの招来した結果であると私は考えるのでありますが、例えばデパートへ行つて調べてみますと、デパートは古くからメートル法賛成を掲げておるようでありまするけれども、戦後の社会情勢からいたしまして、お客様本位商売のほうではメートル法一本ではどうしても商売ができない、こういうことで尺貫法併用した度量衡器を新らしく買入れまして、メートル法専用度量衡器を裏のほうに押込めて、ほこりや芥にまみれさして置いてある。どうしても尺貫法併用した度量衡器がないとお客様の満足を得られないというのが現状であるそうであります。例えば布の問題にいたしましても、只今お話のありましたように、その仕入れに対しましてはメートル法で仕入れなければならん現状だそうでありまするが、お客様はどうしてもそれをヤールで買おうとせられる、そのためにヤードポンド度量衡器がないといけない。食料品でも一部メートル法によつて計量して仕入れるものがたくさんあるようでありまするが、それを売る場合にはやはり匁で売らないとお客様が承知せられないのが現状で、そういう状態が現在の状況のようであるのであります。なおこの朝鮮事変発生以来特需が起りましたり、それに引続きまして世界の軍拡の状況に応じまして、新特需が正に日本経済に関連を持とうといたしておるのでありますが、この特需の中にこういうものが殆んどヤードポンド法による計量を命ぜられておるようであります。由来アメリカ計量基準は殆んど英国の亜流を汲みましたヤードポンド法で行われているようであります。日本発注をせられます特需のいろいろな機械器具類でも大部分インチサイズのものが発注をせられている、アメリカの自動車、アメリカの飛行機、全部インチサイズ使つているようであります。日本はこの前の戦争のときにそれを非常に精度の確保があり、便利があるところのメートル法に直すべきだというので、戦時中にこれを直しましたことは周知通りでありまするが、この前の戦争においても戦争終末段階においては、この街の中小工業を大いに利用しなければ軍需生産が間に合わんということになりまして街に入りましたところが、街の工場には殆んど大部分の旋盤その他の工作機械インチ・システムの機械しかないようで、メートルのネヂが切れないというので、一部の軍の規格製品メートル法に直したものを更にインチ逆戻りをさしたというような歴史を私ははつきり覚えておりますが、今日の日米経済協力の上では又そういう問題が起りつつある。これは現在の社会環境におきましてのこの計量基準をどうするかということを深く考えさせられるのであります。そういう観点から私はメートル法は非常に理想的の計量基準でありますけれども、今日の日本経済日米経済協力によつて復興し、自立をして行かなければならない現段階におきましては、これの専用強行を或る程度緩和をせられます必要があるのではないか、こういうことが今日の日本の復興を早める上において大いに示唆を持つものではないかと考えられるのであります。私は本法案に盛られておりまする土地建物に対する施行期間を、期限を付けずに保留をしておられますことに鑑みまして、或る種のものに対しては今少しくこの保留期間を長く認めて置かれることが必要ではないかと思うのであります。土地建物に関しましては、これの完全な使用方面からも、伊東忠太先生のごとき不可能だという人もあるようでありますが、只今公述されましたお隣りの人は、メートル法があると便利なものができるという御議論もあるようであります。これは恐らく保留をなさいましたことに対しては、政府におかれまして課税の標準を急速に変えることが非常に困難だというような、政府の御都合によるところが大いにあるのではないかと私どもは想像いたしておりますが、民間におきましても、産業上には理想的にいいと思いまするメートル法も、これを強行することによつて却つて経済が逆行するような結果を起しはせんかということがありまするので、土地建物保留期間に準じまして、或る種のものはよく御研究の上でもう少し保留期間をお付けになるということが必要ではないかと私は信ずるものであります。  もう一つ適用品種の問題でありまするが、現在及び今後の計量に盛られておりまするところによりますというと、非常にロー・クラスの計量器まで一律に度量衡検査の検定を受けなければならんようになつておるようであります。その中で教育用に使いまするような、物差で申しまするならば三十センチとか一尺とかいつたような物差に類するような教育度量衡器に関しましては、これは検定から除外せられることが私は望ましいと思うのであります。現在の度量衡検定の実情をいろいろ調べて見ますというと、みそもくそも一緒に、精度の高いものも低いものも一緒に検定をせられますために、非常に検定量が多くなりまして、そのために精度を確保せねばならん検定がややもするとルーズに流れておるという実情をよく聞くのであります。度量衡検定の実情を聞いて見ますというと、たくさんのものを持込みますというと、到底検定員だけで検定ができないから、持込んだ者にお前検定印を押してくれというようなことで、何も検査せずに検定印をどんどん押している。ただ印が押してあるからこれは検定済だというような状態が非常に行われている。これは非常なロー・クラスのものまで検定するということによつて生ずる悪弊ではなかろうかと思うのであります。又或る場合には余りにたくさんあるので、物差の一束がどこかへいつてなくなつてしまつたというようなこともたびたび起るようでありまして、これらに関しまして当業者からは相当の苦情があるようでありまするが、要するに権力に負けてそういうことを大つぴらに言えないというようなことをよく聞くのであります。こういう点から考えますというと、本当に取引証明に使用のせられないような、教育用の器具としてはつきりいたしておりますようなものは、その用途を明示させまして検定から除外をするそのためにはそれを製作する。工場の規格なり、設備なり、試験機械なりをよく検査をせられて、それらに信頼をしてそういうロー・クラスのものは検定から除外する、こういうことが今後の取扱の上に絶対必要ではないかと私は考えます。  それからなお今一つそれと対蹠的に考えられますことは、今度の計量法の中に、度器の中に経緯儀或いは六儀、八分儀といつたような測量機械が入つておるのでありまするが、この経緯を検定いたしまするような設備は恐らく現在の度量衡検査所にはないと私は信ずるのであります。例えば経緯儀等になりまするというと、その度盛が正確でなければならんことは申すまでもありませんが、その全体の機械工具の中で、軸の正確な削り方が全体の目盛に大きな影響をする。或いは光学的なレンズの設計の良さ悪さが角度の測定に大きな影響を及ぼすといつたような、総合的な検査が必要でありますが、而もこれが非常な高精度によつて行われなければ役に立たないものである、こういつたような面から今日の計画法に盛られております許容誤差の範囲を超えまして、これは確保せられなければならない精度を要する機械であるのであります。こういつたようなものは現在の度量衡検定所では検査することが不適当ではないかと思う。例えばアメリカのビューロー・スタンダードのような特別な機関ができまして、こういう高精度のものを精密に測定をするという機関ができまするならば、これは結構だと思うのでありまするが、むしろこれらはその工場における製作設備、試験設備等を十分に検査をせられまして、その製造所の技術なり信用に任すといつたようなことが必要ではなかろうかと思います。これらのものは一般の生活には直接関係の薄いものでありまして、基本的な学術的或いは土地の定量といつたようなことに使うものでありますから、これは特別に御考慮をなさる必要があると思う次第であります。  これを要しまするのに、メートル法のいいことはよくわかるのでありまするが、これを早急に使用強行せられまして、これに罰則をお付けになるということは私どもは如何かと考えられるのであります。例えば暦の例を例に取つて見ましても、明治四年でありましたか、太政官布告によりまして以来、日本の暦は太陽暦を用いるということにきまつて参つたわけでありまするが、それ以来七十有余年を経ました今日でも、なお農耕のためには、種蒔きは陰暦によるほうが便利である。或いは収穫も陰暦によるほうが便利であるとせられまして、農耕のためにはこれが実際上非常に使われておる。こういう場合に、お前は陰暦で種を蒔いたから処罰をするというようなことをやりますと、これは社会の混乱を起します。或いは尺貫法ヤードポンド法によつて計量取引をいたしましたために罰をこうむるというようなことも今日の社会情勢ではいささかまだ時期が早いのではないかと考えられるのであります。今日の新聞にも出ておりましたように、文書横書の制度がよろしい、こういうことが一般に認められまして、内閣の通牒によつて二十四年の何月かに各省に横書をすべしという通牒が出ておるそうでありますが、これを実行しておられます官庁はほんの二、三しかない、大部分の官庁は依然として縦書が便利だ、そのほらが経済だといつて横書を使用せられませんように、非常にいいということはわかつておりましても、多年の民族的な習慣をすぐ改めるということは必ずしも容易でない。又これを強力に遂行いたしまするために、経済の面におきましては、日米経済協力に支障を来すようなことが起りましては、これは甚だ残念ではなかろうかと思うのであります。私はこの計量法そのものがメートル法基準とせられて制定をせられますことには賛成でありまするが、これを強行いたしますることを、短期間の期限をお付けになりますことには少し考慮を要すると考えるものであります。商工業の業界におきましては、そういつたような意見が多いということをお伝えを申上げまして、私の公述を終ります。
  8. 深川榮左エ門

    委員長深川榮左エ門君) 次に東京青果協会長荒木君にお願いいたします。
  9. 荒木孟

    公述人(荒木孟君) 私は東京青果協会長の荒木であります。青果協会と申しますのは、中央市場における卸、小売、仲買全般の業者団体でありまして、取引の関係全国の農林、農民に及ぶと同時に、小売方面におきましては、都市における全体の小売商並びに一般消費者に関係のある部門でございます。水産のほうは私の関係外でありますが、やはり業種の性質上立場は全然同じであると存じます。  私の関係します生鮮食料品の現在の取扱は、生産者の方面も中間業者たる取引業者方面も、又消費者一般の方面も殆んどすべて尺貫法によつておりまして、メートル法の観念は全然ないと言つていいくらいの実情でございます。極く卑近な例で申しましても、生鮮食品の取引の値段の決定、価格の決定はすべてその日その場のせり売りによつてきめるのでありますが、そのせり、間髪を入れんような殆んど戦場に等しきせりをする頭はすべて尺貫本位でありまして、これを若し一定の時期に全然廃止して、新らしい計量法で取引をしろということは殆んど不可能なことではないか。従つてこういうことを強制するということは、本当に実現される日になりましたら、生鮮食品の取引は非常な混乱を来たすことは当然であります。又これに基く物的の損害、取引の混乱から生ずるいろいろな間違いとかいうようなことも極めて多方面に深刻に波及するであろうと思うのでありまして、結局私どもは実際取引所の現在の社会の実勢から、尺貫法を一定の時期に一挙に廃止するということには絶対に反対をせざるを得ない立場であります。もとよりこれは我々の考えとしまして、メートル法を否認するのでもなし、又メートル法がそれぞれ必要とし、これを利益とする分野において採用され、それが漸次国民生活に浸潤して多年のうちに、或いはメートル一本化するということがあつてもなくても、それはあえて問うところでございません。ただ法律の強制によつて一挙にこれを強制するということに反対する次第でございます。或いはメートル専用論者のかたから申しますと、何も直ちに今実行するのではない。当初の昭和十四年の勅令によつては、すでに二十年の猶予期間を附した。或いは又今回の計量法案においても今後八年の猶予期間がある。それだけの期間を与えて置けば、その間にメートル法を取入れる態勢、或いは尺貫法廃止の態勢が整うであろう。それによつてメートル法強制から生ずる損害とか不便とか、不利益とかいうことを取除くことができるであろうという考え方であろうと思いますが、実際においては昭和十四年後すでに十二年を経過しておりますが、いわゆる切替え或いは受入れ態勢ということには一歩も前進していないのであります。却つて従来の一時メートル法で或いはだんだんこう押して行くような形勢であつたのが、猶予期間のために旧来のやはり尺貫法社会の必要に基いてはつきりと腰を据えたという状態であります。従つてこれは今後八年の日子をかしてもやはり同様なことであります。結局八年の間にこういう取引業者がだんだんに現在の尺貫法を次から次から改めて何どきでも尺貫法廃止になつても差支えないというような準備は絶対にこれはいたしません。いたしようがないのであります。結局これは廃止になつたときに初めてそのことを若し法律で強制されるならば、止むを得ず或いはどんな乱があつても法で命ぜられることは仕方がないということでやるほかないのでありますが、あらかじめこれに準備をして摩擦のないような態勢を整えるということは先ず絶対になかろうと存じます。大体法律の発効期間と申しますか、実際にものを言う期間を二十年の後にする、或いはこれを短くしても八年の後にする、つまり八年後にやつとものを言う法文、二十年後にやつとものを言う法文というのは、私どもの常識で考えまして、これはほとんど実施せざる法律、半面から言えば法文そのものが実情に適しない、或いは不便である不利益であるということを法文みずから物語るのではないかと思うのであります。従つて若し今後二十年後、若しくは十年後には学校の教育なり、社会教育なり乃至は実際の社会上の利害得失によつてメートル法を実施しても差支えないと、これを強制しても差支えがないという情勢になるときならば、そのなつたときに用いる法律を制定するなり改正するなりしてよろしいことではないか。今からそれを予定して徒らに尺貫法を悪く言えば貶す。或いは専用でなくちやならぬというような頭を法律の上で予定する必要はないのではないかと私どもは考えるのでございます。大体我々も取引上その他から言つて計量基準の一元化ということにはこれは決して反対ではございません。できることであるならば、計量法が一元であることは最も望ましいことでありまして、これは世界的に一元であればなおいい。一国においても一元であるのは無論よろしい。元来これは民族計量法はすべて本来は一元でありますが、只今日の世界情勢から申しますと、殊に我国のごとく文化並びに経済において欧米諸国について行く立場で来た以上は、やはり欧米の新らしい計量法が輸入され、又それを採用するということはこれは必要の部面並びにこれを利益とする限りにおいて止むを得んことと思うのであります。これは一面から言えば便利である、便利であるが故に計量法が多元的になつておるのでありまして、これを強いて鎖国的に、又は国粋主義のような考えで古来からの尺貫法であるから、飽くまでも尺貫一本で行かなくちやならない。外国の法をとつて来るなどはよろしくない。そういうことを決して申すのでではありません。やはり日本の国情、今日の世界経済上から考えて、外国の計量法を必要に応じて取入れることは止むを得ない。従つて日本計量法が二元又は三元になることもこれは不便なようであるけれども結局は便宜のためにそうなつておる。従つてどもはその便宜なものをやめろというのではない。同時にそれが便宜であるということをもう一歩強行に進めてこれに習熟する、それで社会一般に広く行われておる現在の尺貫法を一定の時期に若しくは一時に廃止してしまう、それまでのことは行き過ぎではないか、そうする必要がどこにあるか、現在尺貫法で取引をしておることについて何らの社会に対するこれは損害又は弊害を及ぼしておるとは思われない。それぞれ建築方面建築方面メートル法を用い、衣服のほうではヤード法を用いる、私どものほうの生鮮食品、一般農村方面において尺貫法を用いて何ら実害は生じていない、こういう立場からやはりこれは一国の言語、風俗、習慣、こういうことは尺貫法もやはり一種のこれは言語であり、習慣であり、風俗である、これを一挙にして法律の力を以て強制するということは、立法論として甚だ当を得ないとこう考えるのでございます。例えば先ほど例にも挙げられましたように、日本社会生活からいうと、衣食住各方面において和洋折衷いろいろなものが雑多に存在しますが、これがだんだんに融和せられて将来どこへ落付くか、これは随分問題でございましようが、一時にこれを法律で何年何月以降は和服着用罷りならん、何年何月以降は日本語の使用はならん、エスペラント語を使わなくちやならん、英語に統一しろということはこれは恐らくなかなか無理ではないか、程度の差はありましても、やはりメートル法専用尺貫法廃止ということは、本質においては言語、風俗その他のものを法律で以て改めるということと同じことであつて、随分無理な話ではないか、こういうことが私ども反対理由でありまして、又実際方面におきましても、国民日常生活に非常な関係のある生鮮食品取扱の困難が目に見えることでありますから、立法府の諸君におかれましても、社会の現実を一つ基礎にして適当な御配慮をお願いいたしたいと思います。
  10. 深川榮左エ門

    委員長深川榮左エ門君) 次に度量衡管理員影山君にお願いいたします。
  11. 影山佐九郎

    公述人(影山佐九郎君) 影山でござります。只今いろいろとお話を承つておりますると、ただこの尺貫法とか、或いはヤード、ポンド法とかいうものをなぜ残さないかというようなお話もあります。又尺貫法ヤードポンド法メートル法よりは世界的じやないかというようなお話もありますから、先ずそういう点に関してはつきりするために、メートル法の現在の特長或いは又その状況ということを参考に申上げておきたいと思いますが、時間もありませんが、ちよつとそれを読み上げてみます。  第一に、メートル法が他の度量衡に優つている点を申しますと、一、各単位がすべて十進法のみであるから計算に便利であり、又中間の単位を省略してもわかることであります。二、単位の値が大きいものから極く微細なものまで揃つているから、如何なる場合にも使用できるのであります。三、単位の呼名がその比率を現わして而も度量衡のいずれにも共通しているのであります。四、度、量、衡相互に密接な連絡があつて、比重の計策にも便利であります。五、これらの特長がありますから、現今の科学界に広く使用されているために、科学研究との連絡に都合がよいのであります。  以上がメートル法の持つ特長であります。又のみならずこれが国際間にどれだけの何を持つているかと申しますと、万国郵便に関する規定でも、国際学術会議の記録、それから航空に関する記録、或いはラジオの電波長の表示、気象通報や天文、地震、磁気その他の観測通報、それから水泳や陸上等の運動競技の記録、或いはその他いろいろ国際的なものには必ずメートル法がたくさん使われております。それでこういう世界的にこうして使われているメートル法日本だけがほかのものを使うということは余りにもおかしいように思います。私どもは更にこの世界的のことを申上げますと、今までも貴族院衆議院にローマで開催された万国議員協議会の決議書が届いておると思います。又モナコで開かれた国際水路会議でもメートル法でやつてもらわなければならんというので、そのために水路関係メートル法になつておるわけであります。そういうふうに殆んど世界的、国際的のものはもうすでにそういうふうになつておるのであります。世界人口は、これは計算のしようでいろいろ違いますけれども、十七億くらいの見当に対しまして専用国は約六億であります。それからメートル法を併せて使つておるのが約九億あります。全然わからないのは二億見当ばかあるわけであります。そうするとメートル法でわかるというものを加えますと、殆んど六〇%から七〇%ぐらいがわかることになつておるわけであります。そのくらい国際的のものであります。同時にヤードポンド法の内部をよく眺めて見ますと、ニユーヨークのメトリツク・アソシエーシヨン、ロンドンのデシマルアソシエーシヨンで盛んにメートル法の宣伝普及に活動しております。イギリスあたりでもメートル法のカラツトというものを使つております。そういうようにアメリカでもイギリスでも実際ややこしいので、何とかして直そう直そうとしておる際に、日本がなぜそういうメートル法よりヤードポンド法をとらなければならないかというと、今五藤さんなどが申されました通り、対外的の必要があるからだとこうおつしやいますけれども、それも尤もです。いろいろな注文が海外から出て来ましよう。併しメートル法専用が外国の注文を受けるために不向きだということは全然違うと思つております。諸工業能率を進めそれを科学的にしようとすれば、どうしても科学研究単位メートル法を、工場が使つておる単位メートル法に直結しなければ完全によい安いものを早く作ることはできないと思います。よい安いものを早く作るというためにはどうしても科学と直結しなければならない。それには工業方面をどうしてもメートル化して行かなければならないのであります。そうして見ますると、そのことだけでもメートル法が必要なんです。若しお客がボンドでくれとアメリカさんが来ましたら、最後の包装をポンドでやつてやればいいと思うのであります。インチでくれと言つたらインチで包装してやつたらいいわけであります。最後の輸入輸出のことについては何ら制限はないのであります。法の規定も法の制裁も何もないのであります。物を作る場合、工場の能率を増進して製品のいい物を作るがために工場がメートルでやれというのであります。決してメートルの表示したものでなければ海外に売つてはならんぞというわけではないのであります。併し更にそれをもう少し申しますと、日本の周囲は殆どメートル法併用か或いは専用国になつておるわけであります。日本の商品がどこに流れて行くかというと、恐らく工業の盛んでない方面に流れて行くでしよう。アメリカ、イギリスは決して日本の商品のようなものは買つてはくれないでしよう。恐らくこれを買つてくれる所は南洋とか蘭印諸島です。これはメートル法専用国です。オランダが盛にメートル法を植付けましたから……。又フイリピンなどはスペイン領時代からメートル法使つております。又安南とかタイとか、これも皆メートル法使つております。南米のウルグワイ、エクアドル、アルゼンチン、チリ、中米のメキシコあたり、それからパナマ、これは違いますが、あの辺の小さい国も皆メートル法専用国であります。そういう方面に売るためにはメートル法を使うほうが向うは却つて話がわかる、サイズを表示するとかいうことに都合がいいわけであります。中国の人が買に来たり或いはイギリスの人が買に来て、メートル法はわからないというのがありましたら、最後段階だけはそうしてやつたらいいので、決して初からメートルでやつてはいけない、ポンドで作らなければ商品ができないものではない。イギリスやアメリカでさえヤードポンド法工業に不向だと言つております。インチの八分の一、十六分の一というような四上り三上りはうるさくて工業向には不向だから、どうにかしてヤードポンド法十進法に改正したい。さもなければメートル法を採用するかというようなことでほめておるといつては悪いですが、中でそういう意見が対立しておる。その際に日本が何を苦んで工業としてメートル法を使わないでヤードポンド法を使わなければならんのか、最後の仕上だけを御注文に応じたものをやつたらいいのであつて、工程作業そのものをメートル法でやつたら科学的になるわけです次に今まで約二十年、三十年の間メートル法が遅々として進まなかつたのは何のためであるかというと、日本には自分自分、人は人という気持が多分にあるわけです。今橋本さんのお話にGHQに打つたら、或る人が自分機械技師なのでメートル法でやつておるのだが、アメリカの世間がポンドだから自分も仕方なくヤードポンド法を覚えておるのだ。世間がそうだから自分もそうなるのだというその気持、ところが日本はこれは甚だ失礼なお話ですが、大蔵省は大蔵省さえあれば日本には他の省はどうでもいいようなことを言い、安本は安本で自分のほうだけ顔を立てておけばほかはどうでもいい、通産省は通産省として自分のことだけやつてつて、ほかはどうでもいいというセクシヨナリズムの悪い癖がある。同様にこれが民間にもあるわけです。試みに化粧品を御覧なさい、ほかはわかろうがわかるまいが私の方はポンド詰だ、私の方はヤード詰だといつてつておる。そんなことはわかろうがわかるまいがかまわない、現にそのために家庭科学化をそれだけ損じているので、どうしてもこれからの日本人が世界に、国際に伍して行くには家庭生活を根本的に科学化しなければならない。ところが今の買物の状態を見てごらんなさい、奥さんが市場へ行く、これは幾らですか、これは半ガロン入つています、半ガロンではわからんが、ああそうですか。これは幾らです、これは五キロ入つている、わからん、これは幾ら、五ポンド入つています、そんなことはわからない、仕方がないから値段は幾らですか、三円五十銭、これは三円、二円五十銭、どちらが安いか、金のことはわかるが、ほかのものはわからん。何故家庭がこうなるかというと、そのために今はラジオでも新聞でも或いは又街頭にあるいろいろな本を見ましても、家庭生活の改善に参考になる書類はたくさんある、参考資料はたくさんある、ラジオでも注意すればたくさんあります。それを家庭に取入れることは何故できなかつたか、これは尺貫法なるものが科学的じやないのです。重さと容量と長さに何ら無関係になつておるから、比重とか、濃度とか一つ一つ計算しなければならない、そのために家庭の人は尺貫法だけしか頭にないから、そんなむずかしいものをやれんから、結局ふんふんと聞くだけで、実際家庭で実習してみよう、実験してみようということはできないのであります。簡単なことでも医者へ行かなければならん、簡単なことでも薬剤師へ行かなければならん、育児とか或いは炊事方面でも家庭には相当科学をとり入れる部面が洗濯などでも相当ある。家庭で染色する、或いは家庭で洗濯することもメートル法のようにいわゆる学科的な度量衡が頭にあつて、そういう部分をみたら直ぐやれるのにかかわらず、やらんのは何か、今の度量衡が悪いからであります。今一つ悪いのは、日本の各業界がセクシヨナリズムであることで、ほかがわかつてもわからんでも私の方は一貫目で売つている、私の方はこれはポンド詰で売つている、わかろうがわかるまいが私のほうはそれで売つている、私は金を取つていればいいんだ、これは官庁のセクシヨナリズムというものを民間の人が悪口言うが、民間自体がそうなつている、このセクシヨナリズムを直さなければならない。今総司令部の何とかいう人が言われたように、世間がそうすれば仕方なしに私もそれを習つたと同じように……、そうして行かなければならない、私いつか農村へ参りましてメートル法の話を一ついたしました。百姓はそんなメートル法なんか要るもんか、尤もだ、向うの人はそう思つている、それですから本当に農業を改善する、実際メートル法の必要というものは原始産業の農業とか水産という方面には最も必要なのであります。今まで科学方面を取入れていない方面家庭とか、農業、水産というような面が最も必要なのであります。農村あたりは本当に雨量が何ミリというと、よくわからん、昨夜の小雨は二十ミリであるとか、或いは二三日で以て百二、三十ミり降つた、相当降つたということがよくわかるようになつてくれればいいが、そんなものは要らん、こう言うから気象台のほうではつまりお世辞を使つて坪当り何石何斗降つたと言う、新聞にもそう堂々と書いてあります。これは果してわかつている入が何人ありますか、わからんけれども、ただそう言えばふんふんと言うて気持ちがいい、尺貫法で言われたら気持がいいというだけのことで、決してその尺貫法に書いたそのものがわかつているわけじやないのです。私は今から三十年ほど前に静岡県の水産試験場の橘川章という人に対して水産のほうはこれから先どうしても計量的に行かなければならん、それには水産のほうは使つておる単位が余りにものんき過ぎるから少し科学的な単位を使わなければならんということを私説明しました。私の言つた結果ではないでしようが、最近においてはだんだん水産の方面でも施設にそういう計量的の施設が出て来ている。まあこれは時間がありませんからその実例を話しておる暇もありません。今現になんでしよう。昔は「目に青葉山ほととぎす初鰹」といつて初鰹というのはこの三月、四月ということになつているが、昔南洋の委任統治であつた当時は一月から二月鰹が獲れている。鰹というのは海の水が温かになつて、十七、八度になつて来ると寄つて来る。又寒くなつて来たら今度は南洋に行く、三月頃は小笠原島に、一月二月寒いときはサイパンから南のほうに、だからそこに行つたらいいんです。そのためにはどのくらいの温度の所を鰹は往復しているか。又鰹が喰べる餌というものはどういう所に、温度などのくらい、又どのくらいの水玉の所では食物の供給ができないから鰹は棲まないのだということで、科学的にやるにはどうしても計量的に水深を測つて見る、海の深さ、塩水のつまり比量を測つて見る、或いは水圧を計つて見る、いろいろの濃度の屈折なんかを測つて見る、そうならなくては本当に完全な漁業調査というものはできないのであります。度量衡を離れて物の進歩とか発達とかいうものはないのであります。今我々は「きゆうり」を食べます。冬の真中でも「きゆうり」を食べることができる。そうして六月と同じような湿度とか温度にしておいたら冬の真中でも「たけのこ」が出れば「きゆうり」もできれば今食べられる。この自然を征服するにはどうしても度量衡、それを使わなかつたら完全に行かんのであります。ですから私に言わせますと いうと、今荒木さんが何年経つてもや はりどうもメートル法は進んでいないと言うけれども、それはそういう気持を直さなければならん。度量衡がごしやごしやになつているほうがいいか、一本ですつと行つたほうがいいのかということで比較しますと、どちらがいいかということはわかると思う。これができないのは何であるか、これは人は人、自分自分という気持、セクシヨナリズムのお蔭です。そこで甚だ遺憾ながら今尺貫使つて罰せられたらどうかという、それは我々も尺貫使つて罰するということは決していいとは思いません。そんなものは法律で規定すべきものでない。むしろこう指導奨励、こういうもので行つて、決して法律で臨んでやるべきものではない。かかるセクシヨナリズムの強い、小さいところで小さい殻を作ろうという気持でいる日本ではそこに何らか統制力を持たせなければならんようになるかも知れません。ただ気持だけでそういうことを言うているのか、つまり尺貫法というとちよつと御承知の方もあるかも知れませんが、昔は尺貫法とは言いません。この尺斤の法なりというので、戦国時代以後にそういうものが出て来た。尺貫法は昔の何じやありません。そういうものは単位も変つていれば事情も変つているわけです。それは唐尺度を取入れた古代尺度と大宝令の尺度との違いと同じようなものなんです。これはまあ気持だけです。論語には以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべし云々……とありますが、その六尺は何かというと尋常一年か二年の子供のことを言つておるのです。それが南宋時代なつたらどうで す、三尺の童子は云々……と言つておるが、六尺と三尺はやや同じなんです。そういう尺を日本で輸入して高麗尺と言い、或いは古代尺と言い、或いは大尺、小尺、而も更にそれが天平尺になつたらば又更にそれが伸びている。奈良の大仏が五丈三尺何寸と言いますが、五丈何尺は何の尺で測つたのか、天平時代に作つたときの尺で測つたのか、天平時代の尺で測つたとすれば、その五丈何尺は今の六丈何尺にならなければならぬ。かように尺貫でも時によつて変遷が甚だしいのであります。又その単位の入換えもある。尤も両と言えば昔は重さの両でしたが、徳川時代には金の両になつて、而も又薬種屋さんなどは目方の両に使つている。四匁一両に使つていた。今では坪も同じです。何町何段何畝というが、昔は坪じやない。長さのことですからただ坪とは言いません。そういうものでも尺貫法の尺とか貫とか言う気持がいい……。
  12. 深川榮左エ門

    委員長深川榮左エ門君) 発言中ですが、大変時間が過ぎましたので、結論を一つお述べ願いたいと思います。
  13. 影山佐九郎

    公述人(影山佐九郎君) そこで私はここに皆さんの御心配になつていることが、そうなんじやないということの最後の何を申上げましよう。最後メートル法専用によつて生ずる各方面の無理や損失を……、これは無理や損失は必らずある。あるべきはずです。今まで使つたものをこうするわけですから……。それをどういうふうに無理がないように、損失がないようにして行くかということを申上げたい。これは今の法令以外に、その以前の例えば今度確認された以前の法律であります、大正十年の法律でさえもそういうことははつきりしてある。それは輸出や輸入の場合は必要に応じて相手国の度量衡を用いても差支えないから、紡績業や毛織業、輸入機械というようなものの部分品、又組立、修繕には何ら支障がなくなつて来る、現行法でも……。第二は従来の文書商品等に記載されておる度量衡単位期限後でも改訂することなくそのまま有効なんです。何も心配することはない。而もその大正八年度量衡統一調査会の答申に土地建物、鉄道、路線、船舶、その他各般の登記、登録その他記録における度量衡は従来のものをそのままとすることを得とはつきり書いてあります。又何か相続でもするとか分家でもするとか事件が起きたら、そのときに訂正して行つたらいい。ただ昭和三十三年の何月何日までに一切メートル法にしなければならぬぞということは何も規定してない。憂杷に過ぎない。又家庭方面、或いは取引、証明以外の場合にはメートル法を強制されることはないのですから自由になつておるわけです。これは無論社会がだんだん家庭というものを、家庭の環境というものを直して行かなければならぬ。家庭あたりで直して行くにはやつぱり学校教育の完全普及を待つてからやるわけです。それから第四にメートル法専用法律はすでに三十七、八歳になつている人々メートル法は知つている。これは度量衡というものは理窟じやない。実際自分が手がけて、目で見てやらなければわからない。一ミリは何とかと言つても口だけではわからない。目で見なければわからない。本当に一ミリのものを示して見れば初めてそれはわかるのですから……。そういうものは一、二年メートル法使用すれば昭和三十三年までには我が国の中堅層たる四十五、六歳まではメートル法が使える、差支えない程度になるのであります。又現在は我が国の鉄道とか郵便、ガス、水道、運送、医薬、その他のほうにおいてメートル法使つているから、この転換期に混乱とかいうものは殆んどもうない。あと遅れたものが続いて行けばいいのです。あらゆるものをがらりと変えるようなことは全然ありません。又特殊の事情があるためにメートル法以外にヤードポンド法で品物を輸入するということなら、そういう際はそういう物差を永久に主務大臣の指定を受けて作成するということもできるのであります。そういうふうに全般的に無理のないようにやつてあるのですから、何もこれに対して反対することはない。ただ尺と言われなくなつた、貫と言われなくなつたというのが癪に触わる、そういうようなことは気持はよくわかります、私も日本人ですから……。その気持はよくわかるけれども、ただ度量衡は実際のことでなくちやならぬ。気持、気分だけではやつて行けません。この点は尺貫法論者に対して私は同情はしておりますけれども、その主張は曲げるわけには参りません。
  14. 深川榮左エ門

    委員長深川榮左エ門君) 委員のかたに申上げます。公述人のかたに御質問はありませんか。
  15. 小野義夫

    ○小野義夫君 東京青果の協会長にお尋ねいたします。今の青果関係尺貫法によつて取引きされておる人間の数ですね、人口で言うたらおよそどれくらいを占めておるのでしようか、農村その他尺貫法による今の現状は、およその見当で結構ですから……。
  16. 荒木孟

    公述人(荒木孟君) 私も統計的にわかりませんが、とにかく生鮮食品は農漁民のほとんど全面に亘りますから……、結局現在の農民漁民、これはみんな自分の生産品を販売するにしても何にしても、みんな尺貫法の頭ですべてをやるのです。それから取引業者としては東京都内でも、と申しましても小売商は果実、蔬菜すべてを合せまして四、五万軒になると思います。消費者はこれは全国消費者ですから、そういうわけですから、関係人員と言えば数千万と申上げてよろしいんじやないかと思います。
  17. 小野義夫

    ○小野義夫君 五藤理事にちよつと伺いますが、つまり日本工業現状は大体旋盤その他におきましてもインチが多く用いられているので、これをメートル法でやるという場合には、機械の大きさとか何とかいうところに故障があつたのですか。どういうことで工合が悪くなつているのですか。
  18. 五藤斎三

    公述人(五藤斎三君) お答えいたします。日本機械工業ヤードポンド法によるインチの捩子山を切る機械が相当入つて参りまして、大体イギリス及びアメリカの旋盤、ルーニングその他の工作機械はいずれもヤードポンドの捩子切りの装置が付いているのであります。捩じ込む捩子を切る専門の旋盤、捩子切り旋盤と申しますものは最近の製品に限つてアメリカの製品もインチ山とミリ山と、両方に切れるような二つの補助器具を付けておるのであります。でありますが、主なる工作機械はことごとくインチサイズになつておるのであります。これは先ほど申上げましたように、前の戦争時代日本の軍部がこれをメートル法に統一した、そのほうが精度が確保できるし、非常に便利だ、こういうことで大いに推奨いたしましたが、広く中小企業を利用するという面において暗礁に乗上げて更にそれが逆行した、こういう事情であります。戦後におきましては、例えば市中に出ておりますセカンド・ハンドの旋盤を例にとつて見ますと、ミリ山の旋盤は安い、インチ山の旋盤は値が高い、これは戦時の丁度裏返しになりまして、インチの旋盤が非常に用いられるようになつた。そこに特需が出て参りまして、特需のものは全部インチの捩子山になつておる、サイズが皆インチであります。それでインチの切れる旋盤を使うほうが有利だということでありますし、精度も確保ができる、ミリ山の旋盤に百二十七倍というチェンジ・ギアを入れますと、それはインチの捩子も切れるけれども、それはインチキだ、こういうことでありまして、イチン旋盤のほうに非常に逆行しております。先ほど影山公述人からお話の中にもありましたように、物を計つて渡したり、或いは包装をする長さをきめたりすることは、これは現在どちらでもできますけれども、ただ機械を作る場合には、インチの山をミリの旋盤で切るとそれは、精密なものはできない、こういう点がありますので、この点はよほど考えておかなければならんと思います。で一つ例をとつて申上げますが、私は光学工業に従事しておりますが、光学工業アメリカに参ります物の値段を一例に申上げますと、双眼鏡というのは大体日本の軍部がドイツの亜流を汲んでどんどん作つて来たものでありますから、双眼鏡は全部ドイツ流の双眼鏡が出ております。それはアメリカのマーケツト・プライスが百七十ドルです。日本製はオキユパイド・ジヤパンという烙印が押されているからでしようが、それがアメリカでは市場で八十ドルにしか売れない、ところでこの頃測量機会が出るようになりました。これは日本は明治二十何年以来、アメリカのガレーという会社のものを見本にして作つておる。それを大学でも教えておる。そういうことで、日本で作る測量器械は皆アメリカ式の測量器械が作られておる。それがこの頃アメリカの市場に出て参りますようになりますというと、アメリカのマーケツト・プライスが、アメリカのガレー会社のものが五百ドルで売れる。日本で作つたものが四百八十ドルで売れる。これがアメリカと同じものが参りますので、それを尊重して高く買う、ドイツ式に日本で作つたものは向うへ持つてつても叩かれております。こういう実情でありますが、これは経済の面から大いに考えておかなければならんと思いますので、メートル法の理念的なよさ、それからこれを推奨するイデオロギー的な御議論は私は傾聴に値いするものであり、その通りだと思うのでありますが、今日の日本経済事情は日米が協力しなければならんというところに一つのポイントがあると思いますので、この点に対しては計量法の施行の強行ということについては一応のお考えが必要じやないかと思います。で、これを施行規則を見てみますと、輸出に関するものは、この法律の適用期限が切れてもやはりヤードポンド法基準器の検査もできることになつておりますが、ただそれは輸出する度量衡器に対してそういうことではないかと思うのであります。輸出品を削つて作る旋盤を日本でたくさん使います場合は、それを検査する検査器具、或いはその検査器具を申しますのにヤードポンド法で申さなければならん、或いは捩子の山を申しますと、インチで何山ということを申します。これが取引の基準になります。こういうことは国内の取引の基準で絶対的に禁止されると、そういう機械を使うことはできないことになります。それは使うことができないから、結局外国へそういうものは作つて出せない、こういうことになります。この点に対しては何らかの法の上において匡救する規定を設けておく必要がある。これは今後の日米経済協力が長きに亘つて行われるということを考えれば考えるほど必要だ、こういうことを御記憶願つておきたいと思います。
  19. 小野義夫

    ○小野義夫君 もう一つ伺いますが、そうすると今後日米経済協力というものが何年ありますか知りませんが、これは軍拡が終つたら直ぐやめるというものではなく、例えば継続して七、八年も行われる、そうすると、この種の機械日本の工場においてはだんだんインチ制の機械が殖えて来ますから、丁度飛行機になるというと、日本の工場の主だつた優秀工場はことごとくインチ制の機械が満ちるということになつて、この法案が先ほどの御説のように或いはその実施ができないという態勢になるかも知れないように、機械工業その他の方面が実情から考えられるのですが、どうでしようか。
  20. 五藤斎三

    公述人(五藤斎三君) 今日すでに自動車の部品というものは特需の中の最も大きなフアクターを占めておりますことは御承知の通りでありますが、この自動車の部品は、全部インチサイズでございます。捩子もインチに切らなければならない、こういうことであります。これは今後の日米経済協力が進めば進むほど、それが飛行機なんかは、日本サイズは、ミリで、アメリカサイズはことごとくインチで、インチ工作機械がどうしても必要だということになつて来ることは必然であろうと思うのであります。この点については小野議員のおつしやるような危惧は相当あるのではないか、この点を一つ御注目願つておきたいと思います。
  21. 深川榮左エ門

    委員長深川榮左エ門君) ほかに御発言ございませんか。  なお公述人のかたで補足的に御発言がございましたら、この際御発言を簡単にお願いいたします。……委員のかた、別に御発言ございませんか。  それでは本日の公聴会はこれで終ります。  公述人のかたは、お忙しいところわざわざおいで頂きまして有難うございました。厚くお礼申上げます。  それでは本日はこれで散会いたします。    午後零時十九分散会  出席者は左の通り。    委員長    深川榮左エ門君    理事            古池 信三君            栗山 良夫君    委員            小野 義夫君            小松 正雄君            加藤 正人君            山川 良一君            駒井 藤平君            西田 隆男君            境野 清雄君   政府委員    通商産業省通商    機械局長    玉置 敬三君   事務局側    常任委員会専門    員       山本友太郎君    常任委員会専門    員       小田橋貞寿君   参考人    尺貫法存続連盟    理事長     橋本 五雄君    早稲田大学教授 内藤 多仲君    東京商工会議所    理事      五藤 斎三君    東京青果協会長 荒木  孟君    度量衡管理員  影山佐九郎君