○
参考人(鈴木栄二君) 私
大阪の
警視庁の鈴木でございます。本日参議院の権威ある行政
委員会の正式な
参考人としてお呼び出し頂きまして、私
ども自治体側の
意見を御聴取頂くことになりましたことは非常に光栄に存じます。只今
田中警視総監から、根本の精神から細部の条項に至るまで詳細にお話になりましたので、私が蛇足を加える余地がなくな
つたのであります。私
どもが申上げたい点は、殆んど
田中総監のお話で事理明白に御
説明があ
つたわけであります。ただ角度を変えました
立場から、若干時間を頂きまして私の所見を申上げさして頂きたいと思うのであります。
このたびの
警察法の
改正の提案が、
政府のほうで
国家公安委員会と
国家地方警察を
一つの技術的な起案のお手伝いをさせて、法務庁のほうでこれをいよいよ議会に出す手続を進めておられるようでありますが、こういう重要な
自治体警察をかなり大きく
国家地方警察で吸收するかもわからない、域いは
自治体警察から報告をとられるとか、或いは
自治体警察の中に
捜査権を延長するとか、こうした
取締をして
自治体警察の中にどんどん入
つて来るというような、物すごいこの改革を
自治体警察に何らの相談なしにずつと進めておられたわけであります。それはすでに
警察法実施当時からこういう
考え方が
国家地方警察の一部において企画されてお
つたのでありますけれ
ども、これは一昨昨年の一九四九年に
マツカーサー元帥が九月二日の休戦記念日の声明の際、
警察制度は変える必要はないのだということをはつきりと声明しておられるのであります。
ちよつと簡単にこの点を読み上げてみますると、これは一九四九年九月の二日でありますが、渉外局特別発表として皆さんもすでに御
承知と思いますけれ
ども、「この
警察力の行使における
地方分権という法律に定められた
原則に基礎をおいた効果的な
警察制度の建設についても少なからぬ進歩がみられた、日本国民は以前にもまして
警察力が如何なる支配者層の手中にもなく、みずからの手に握られていること、又彼らの指示によ
つて地方の
治安維持のための法的武器を提供するものであることを理解するようにな
つて来た、一国の
国内秩序の保持は、法律に定められた安全措置に従う限り、各
地方団体がその
地方的
責任に応じて
警察力を運営する
方法の如何にかか
つていることを国民はよく心得ている、ここでも現在の
国家財政の不手際のため、いろいろな困難を経験しているが、この問題はさきにも指摘したようにすでに解決の方向に向
つている。又この問題とは別に、
警察法に盛られた新しい
理念の具体化についても大きな進歩の跡が見え、
警察業務は現在自制と寛容と推奨に値いする能率を以て運営されている、
警察国家再現の危險とか、現在のような機構と陣容の
警察制度では、
治安の
維持ができないという危險は全然ない、」というようにはつきりと
警察法改正について根本的な
理念を侵したり、或いは政治的な大きな変革をする必要はないということを一昨昨年の九月に声明されておるわけであります。我々もこれは別に
マツカーサー元帥が言われるからどうのというのじやなしに、全く同感でありまして、この
自治体警察においてみずから
国家地方警察の動きもよく知
つてお
つて、共にこのあらゆる角度から見まして、この制度を合理的に運用して行きましたならば、非常にいい民主的な
警察ができる。建設的な改革は
自治体警察、
国家地方警察相互が円満な協議をして、そうしてこの方向がいいという方向であれば別でありますが、
国家地方警察が
自治体警察を支配するような、いわゆる上位に立つような改革というものは、これは
自治体警察を抹殺するような方向に向うのであります。
従つて国家地方警察はそういう企画を前からや
つてお
つたことはうすうす聞いておりましても、これほど物すごい改革を
考えてお
つたとはわからなか
つたのであります。いわんやこの
マツカーサー元帥の
書簡の声明によ
つて終止符を打たれたと思
つてお
つたのが、この一月の早々におきまして突如として、
大橋法務総裁の車中談にその頭が現われまして、その頭が案外底の深いものであ
つて、着々それが起案の状態が進行しておる。而も
国家地方警察長官のその話の裏付けの談が出まして、その結果
一般国民の注目を引いて参
つたわけであります。我々といたしましては、すでにこの問題は根本的な改革は必要がない、又そういう
国家地方警察のほうの一方的な案によ
つて、こういう大きな改革が手を着けられるはずがないと思
つてお
つたのが、相当真剣に或る一部の人たちがこれを推進しておる。そういう点で我々もじつとしておるわけに行かない。本当に民主
国家を愛するがために、又
自治体警察の健全な発達は我が国が民主的な政治をやるためには是非必要であるとはこう民の
立場から見ましても、これいう国いう間違
つた方向に改悪させたのでは大変なことになるというので、真剣にこの問題に対して取組んだわけであります。
従つて別にこれは
国家地方警察から挑戦されてこちらが買
つて出たというような外観を呈しましても、決して心の底では別に
国家地方警察を向うに廻わすような狭い心がないことを十分御理解頂けると思うのであります。ひたすら本当に民主的
国家の発展を祈るために、こういう大切な日本の根本的な制度が、緊急事態であるとか、或いは共産党の一部がのさば
つてお
つてまだつかまらない者があるとか、或いは労働争議が少し悪化して、僻陬の地域におきまして一時分安
委員会が麻痺状態に
なつたという極端な例外があ
つたといたしましても、又朝鮮人が集
つて来て少しがたがたいたしましても、こんなことで
国内治安がそう紊されたということはないのであります。我々そういうことについて
警察の技術的な面から見まして、これは根本問題として
考えるほどのことはない。それは
警察自身の能率の悪い点があろうと思います。そういう点は今後において改善されなければならん。そういう
警察の作戦上の下手な点もあ
つて起る問題もあると思いますが、根本制度をこれほど物すごく変えなければこういう
治安体制を強化できないとは
考えない。それよりももつと
国家地方警察も
自治体警察も虚心坦懐に心を虚しうして
お互いに五分と五分で附合
つて行けるような体制を基礎といたしまして、
お互いに協力一致してやると、これでなければどんないい制度でも
却つて能率が悪くなる。いわんや今度の
国家地方警察のほうで起案しまして、
国家公安委員会が提示しているところの
改正案に至りましては、殆んど全条を通じまして
国家地方警察を拡充強化されて、現在の
国家地方警察の性格を変えまして、
国家警察的なものにしようという意図が非常にはつきりあらゆる線に出ておるわけであります。そこで現在の
国家地方警察の性格は、現行法におきましては非常事態のとき以外はルアラル・ポリス、村落担当の
警察組織であります。
全国三万の
地方駐在
巡査の持
つておるいわゆる
地方警察であります。そういう五千以下の町で役場も一人前でない、又そこに
警察というような組織を持つにしては余りに中途半端であるというので、そういうところはアメリカなんかでも一人か二人の
警察官で、やはり
自治体の
警察を持
つている所もあるようでありますが、日本ではまだ初めてだからそういう村落は一応面到見てやろう。それを
全国地域にしますと、山間僻地でありますから、面積は非常に広いのでありますけれ
ども、
人口は非常に少い。それは
警察官が
人口千二百人或いは千五百人に一人ぐらいの割合でお
つても間に合う所であります。そういうものをかき集めまして、
国家地方警察における三万の
定員のベースが出ておるわけであります。
従つてそれ以外の
国家地方警察の役割りは非常宣言が
総理大臣によ
つて発せられました際に、その非常宣言の下におきましては
全国の
警察を統合運営する。
連絡し、或いはその全体の
警察官の配置或いはその運用につきましてお世話をする。開き直
つて命令したところで、そう簡単にできないことはできないのでありますから、皆が協力して行く体制の下において、まあ能率的にその非常事態の鎮圧についての采配を振う。これだけが例外として
国家地方警察の特殊な権能を持
つているわけであります。これはマ
書簡の
警察制度の改善のその
書簡におきまして明瞭にこれが劈頭に書いてあることでございまして、
国家地方警察は非常事態のときにのみおいて
政府がこれを利用することができる。それ以外のときには村落
警察の運営しかできない。この証拠に
国家地方警察の
運営管理は
府県の
公安委員会の下にあるわけであります。
府県の
公安委員会がその
運営管理権を持
つておるのでありまして、別に
東京の
国家地方警察の本部、或いは管区本部というものは全然
運営管理権は持
つておらないのであります。
行政管理権、御
承知のように予算とか人事のお世話をするほうの権能は持
つております。
警察執行の
指揮権は
府県の
公安委員会が持
つておる。こういう現行の建前から申しましても、
国家地方警察は全然その中央的な
警察じやない。
府県以下の
警察であります。組織が
全国的に拡ま
つてお
つて、
費用が国費で出ておるというだけの違いであります。それ以外は
府県以下の
警察であ
つて、而もその
所管する地域は山間僻地である。それがなぜ中央
警察になろうとするか。これは結局
国家地方警察の中に入
つておる人の多数は元の内務省系統の優秀な官吏が多いのであります。そういう人たちは現在のような
農村警察で甘んじられない。やはり
国家警察的な仕事をやりたいというのは御尤もな点であろうと思います。余りにそういう人たちが残
つております。
従つてそういう残
つておる人たちは寝ても覚めても村落
警察なんに頭を突つ込んでは仕事の張合いがない。どうしても
全国的な管轄の何か仕事をしたいと、こういう案を寝ても覚めても
考え続けておる。
マツカーサー元帥から終止符を打たれてもなお締めないで、なお蒸し返し返し出しておるわけであります。それが共産党の
治安に対する影響、或いは緊急事態が当初朝鮮のほうから影響しまして、日本にいろいろそういう影響を与えておる。そういう不安に乗じまして、多少日本の
人心の不安、或いはいつ何どき同時多発的にいろいろな
事件が起るのではないかという
一つの想像的な不安状態に対しまして、この
国家地方警察が中央集権的な力を持たないと治まり切らんぞというような影響を与えておるのではないかと思うのであります。そういうようにその人たちも憂国の
考えから、本当に国を憂える
考えから出ておるのではないかと私は善意に解釈したいのでありますが、併しそういう一時的な現象、その民主
国家としての或る過程におきまして、全体主義的な体制をと
つたほうが便利であるという場合にも応々にして遭遇するのではないか。丁度野球の試合のピンチのようなもので、外野手が全部内野のほうに集
つたほうが都合がよいというような非常の場合におきまして、そういうことが一時的に
考えられましても、併し根本的な制度改革の
理由にはならない。運用面におきましては非常宣言という手があるのでありますから、そういう手によ
つて、若し
総理大臣、議会がそれを賛成して、その非常宣言の状態を持続することが
国家のために
治安上必要だということならば、その状態においては
国家地方警察が
全国の
自治体警察と混合しまして、これを
総理大臣の命令下に置きまして、
治安維持のために共同の統制下に入るわけでありますから、そういう準備も平常から警備訓練としてや
つておるわけであります。
従つて平常はそういうことについては準備訓練のことがありましても、直接執行的な運営面に何ら影響のない問題であります。それで結局
国家地方警察の性格が
一般国民にもはつきりしない点がありまして、上に
国家という名前が付いておりますので、如何にも中央的な権限を持つのではないか。
自治体警察の上に立
つておるのではないかという一種の錯覚を持
つておる人が相当あるのであります。そういう点が
国家地方警察の人たちの中にもあるのではないか。無意識的に自分は
自治体警察の上に立
つておる、立たねばならんという
考え方を持
つておる人たちがおる。現行法を研究すると、至るところに壁がある。この壁をぶち破
つて、中央集権的なものにしなければならないというのがこのたびの案ができ上
つた根拠ではないか。
従つてこれは私は悪意を持
つてや
つたと誤解したくはないのでありますけれ
ども、こういう本能を持
つておる。そういう人たちにこういう本能があるということを認めざるを得ないのであります。そういう点から出ておるわけでありますから、至るところに
地方警察が
国家警察に乗り替ろうとするにおいがぷんぷんとして出ておりますから、これをやらせるかやらせないかということは国民全体として大きな問題である。
マツカーサー元帥の
書簡という根拠もあり、又
国家全体が憲法によ
つて地方分権をするということは新らしい日本の将来を平和にし、又自由な政治をやるために必要である。そういうことはあらゆる角度から過去のにがい経験から見まして、誰しもこれは知
つておるわけであります。で、こういう一時的な緊急事態であるから、共産党が幾らかがさがさしておるということに眩惑されまして、
国家百年の計を誤まるような大きな変革をこの際に持ち出すということはよほど監視を要すると思うのであります。そういうことで、
一つ国家地方警察の性格並びにその内包する本能というものをよく皆さんも再認識して頂くことをお願いいたしたいと思います。それからこれは申すまでもないことでありますけれ
ども、民主主義の社会が健全に行くためには、どうしても権力が
一つの所に大きく固
つてはいけない。集中排除という
考え、これは経済的にもあらゆる角度から言えるのでありますけれ
ども、
一つの
国家全体を支配するような力を持
つてはいけない。思想的にも、経済的にも、宗教的にも、或いは
警察の面から
考えましても、
一つの力というものが国民全体に絶対的な権力の力を持つということは、そこに本当の自由というものは圧殺される。それの運用によ
つては全体主義的な方向に政治まで引きずられることになる。これは過去の日本の明治以来の政治史というものがそういうことについてのにがい体験をたくさん積みまして、
警察が軍閥と結託して日本のフアツシヨ化に大きな拍車をかけておる。そういう点におきまして特高
警察が歩んだ道は非常に我々に反省すべき資料を提供しておるのであります。それで本当の政治の自由というものを守るためにも、
国内社会において
一つの独裁的に近い権力を与えるということは恐ろしいことになる。どうしても権力は或る程度手頃に分散しまして、その力を持
つておる者が協調
連絡によ
つて民主主義社会を健全に擁護して行く以外にはないのじやないか。結局一人の力が集ま
つてこの
国家を形成しておる場合におきまして、
国内に
一つの強い団体があ
つて、その団体が有無を言わさず
一つの命令によ
つて或る意図を実現するような圧力を持つということは恐ろしいことであります。
国家地方警察が若しこのたびの
改正案を全部通してもらえば、元の旧内務省の力と殆んど変らんだけの強力な
警察になることは間違いない。
国家は一元的な力を持つことは間違いないのであります。若しそういうことが終局の
目的として許されるならば、これは非常に賢明な案であります。併し我々は我慢できないと思うのでありまして、こういう
一つの力が独裁的に近い権能を発揮するというようなことを許すことは、これは非常に日本の民主的な発展を妨害することになる。そうして我々過去において嘗めましたにがい政治的圧迫に
警察が利用されること、一部のそのときの天下を取
つておる政党が便利に利用することもある代りに、又逆に
なつた場合はその政治家は又困るような場合に遭遇する。
警察が政治的に関与する性格を完全になくするためにも、中央的な
警察を今復活さしてはいけないと思う。ただ特殊な
犯罪に対する特殊な
警察というものは、これは地域を持
つておりませんから、地域を持つ今の
自治体警察と
国家地方警察がこれを牽制しまして、勝手なことをやらさない、やはりチエツク・アンド・バランスの
関係で、
一つの力が特殊な
犯罪について
全国的な
捜査権を持
つておりましても、それはそれ以外のことには一歩も出られないということであれば、地域を持
つておる
警察は全区面的な法の執行官として監督しますから、越軌な行動に出られない。麻薬なら麻薬だけを追い廻す、或いは共産党だけを調査する。共産党の暴力行為の計画をのみ調査するということが
目的であれば、それでも
一つの
特殊警察であります。併し共産党そのものは今のところ合法的な団体として認められておる以上は、個々の違法行為を調査研究する以外にない。共産党だけを目標とする
捜査機関というものはあり得ないわけであります。そういう点で団体規正令の系統におきまして特審局がその調査事務をや
つておる。この特審局の仕事を拡充強化しまして、その調査能力をもつと現在の経済調査庁のようなああいう規模におきまして相当の調査能力を持たせる、それに
警察が
国警といわず、
自警といわず、これに協力してやる、そういうことになりましたならば、相当能率が上るのじやないか、
自治体警察に
国家地方警察が乗込むことによ
つて能率が上るというのは、これはとんでもない摩擦を起すだけであ
つて、
却つて能率が下る。それで円満に
警察が行くはずはないと思うのであります。なお現行法におきましても、
警察法第五十八条は始ま
つた事件或いは及んだ
事件が他の管轄のほうに延びて行
つたり、他の管轄から延びて来た場合におきましては、
捜査権がずつと延びて行くのであります。この運用におきましても、
国家地方警察のやり方は、
自治体警察にどんどん何か手掛りがあれば乗り込んで来て、今でもや
つております。黙
つてどんどん
捜査を始める。それで至る所で摩擦を起しております。ときには管轄のない
事件まで間違
つて、無中にな
つて飛び込んで来る違法な
事件であります。そういう
事件になりまして、我々は
お互いに、注意を喚起して違法にならないように、或いは妥当性を無視しないように、
お互いに牽制し合
つておるのであります。それによ
つて一般の市民が迷惑することを最小限度にするということにあらゆる努力をしているわけであります。先ほど管轄権を
国家地方警察から
自治体に及ぼす異種例として、
金融機関の例を
田中総監が挙げられましたが、こんな
金融機関の問題で始まり及んだということであれば、現行法の五十八条では物すごく広い地域まで管轄が伸びるのであります。田舎で起
つた信用組合の
事件が
大阪市内はおろか、どこまでもその
関係者が伸びて来る。小さい町の信用組合の
事件でも、
大阪市の大
銀行に乗り込んでどんどん逮捕状を執行している。それを
大阪の
警察官は知らない。誰が何をや
つておるかわからないで、あとで
新聞に出てわかる。こういうことが往々にして起るわけでありまして、それでは
大阪警視庁の
捜査の主体性というものはふつ飛んでしま
つて、
一般市民も、自分らの
警察は何をしているのだ、田舎の
警察に乗り込まれてやられているのじやないかということで、
自治体警察の主体性というものは市民の信頼を失うわけでありますから、こういうことをやる場合におきましても、十分
連絡して、こういう
事件があるが、君のほうでやるか、やらなければ自分のほうでお手伝いしようと思うがどうか、そういうような運用によ
つてやりましたならば摩擦は起らんのでありますけれ
ども、黙
つてどんどんや
つて、
新聞に発表することによ
つて国家地方警察の存在を明らかにするというふうに邪推されても仕方がないような行動をや
つているわけであります。これが全面的にこういう各種の
犯罪について一方的にやることが許されましたならば、
自治体は返上したほうがいい、もう勝手にしろというくらいに滅茶々々に混乱するわけでありますから、これはどう
考えても現行法の五十八条にも勝手にやれないような条文を追加してもらうことを協議しているわけであります。五十八条をやるにしましても、入
つて来る場合は必らずその管轄のある
警察の公案
委員会に、技術的にはそこの所轄
警察署に行
つて連絡した上でその所轄内で活動する。黙
つてごそごそ入
つて来て逮捕状を執行することは違法でなくても妥当でない。妥当でないということは違法よりもまだ悪い、民主主義社会における妥当でないということは違法よりもまだ悪いということを注意を喚起しているわけであります。これは
国警の幹部はよく知
つておるのでありますけれ
ども、末端のほうではまだまだ古い
警察時代の熟練工ばかりでありますから、なかなかその人たちは自覚しないのであります。
情報の問題におきましても、これは明らかに論理的に一方的に中央集権的に
情報を集めるということは、便利な場合はあると思うのであります。
政府はいろいろ
情報が手に入る。又事実重要な
情報が手に入らなければ
国内治安情勢がわからんのでありますから、これは確かに
政府といわず、
一般の中央の人たちは知りたいことであります。併し
新聞は大抵のことを報道してくれておるのであります。
新聞に出ないことはよほど秘密にな
つておることであ
つて、大体
地方的な問題は、その
事件の大小、重大性によ
つては、
新聞はそれを十分
全国的に報道してくれておる。ラジオも報道するのであります。それ以上の秘密の
情報というものは、これはよほど注意して聞かないと、
一つの
情報の中に着色された
情報が出て、人を脅かすような
情報が入るわけであります。我々
警察の仕事をしておりましても、眉に唾するような
情報が十のうち八つほどはある、
一つ二つがどうかなあというので更によく調べてみるという程度であ
つて、大部分は
常識でおかしな
情報がたくさん入
つて来るのであります。その
情報判断というのは非常にむずかしいのであ
つて、その判断をする人が特異な
考え方を持
つておれば、その
情報を人を驚かすためにでも利用できる。これは曾
つての特高は悪いことばかりや
つたとは言いませんけれ
ども、特高の罪悪史の一面におきましては、相当意識的なスパイ政策をや
つている。即ち作為された
情報をこしらえて
中央政府なり、議会に対して人を脅かすような
情報を提供しているということがわかるのであります。三・一五
事件、四・一六
事件と言われて、我々記憶に残るだけのあの
全国的な共産党の大
検挙、こういうことは本当は芝居がか
つているのであります。こんなことを
全国的にあれだけ熟さなくても片つぱしから
検挙できるものをわざわざ中央
委員会その他にスパイに入
つてお
つて、芝居がか
つた検挙をや
つたのであります。それが特高の機密費を増額するということに十分利用されている。こういうことで結局スパイ政策が
中央政府の各方面を或る程度脅かすような
情報に利用される場合がありますから、よほど民主
国家におきまする
情報というものは余り聞きたがらないほうがいい、やはり
新聞その他の正式の報道というものを我々は見るほうが本当の
情報でないかと思うのであります。影の
情報というのは
警察の予備活動として、間違
つてお
つても、無駄なことでありましても、それだけの準備をする余裕を持つということ、そういう作戦上の準備
情報としては必要でありますけれ
ども、
一般に提供する
情報といたしましては余りに人の知らん
情報を知
つているというようなのは碌な
情報ではないのであります。一日前に知
つたところで別に大した違いはないのでありますから、そういうことでこの
情報を
地方に集めて得意になる必要は毫もない。我々は現地において有効な
情報をと
つて有効に
警察力を運用するだけの
情報があればそれだけで十分じやないか、それには我々も
警察としては自分自身の力だけでは
全国の
治安の問題は解決できない、
お互いに
情報を交換し合
つてお互いに卒のないようにやらなければならん。例えば神戸で困るような
事件があるということがわか
つてお
つて、そんなことには知らん顔をしていることは水くさい、逸早く知らせて上げる、神戸でまずいことが起れば
大阪もその影響を受けないはずはないのであります。我々は
情報におきましては、法律の
義務があろうがなかろうが、これは快く
お互いに
警察の連合体としての
立場から、協同
援助の
立場から事前に
情報を活溌に交換しております。又
国家地方警察に対しましても、これは確かに田舎の
警察を管轄しているというので放つとくわけに行きませんので、全体にその
情報を通信の便がありますから、
国家地方警察に
情報を上げている、細大なく秘密にしないで上げているんであります。虚心坦懐に上げているのでありますが、それが
東京で集
つて国家地方警察本部が殆んど九分九厘まで
自治体の
情報を集めて
政府に報告したり、自分が編纂して
情報の資料として流している、これがどれだけに価値があるか、どれだけの値打のあるものかということを私は怪しむのであります。そんなものは、書面にな
つて来るような
情報は碌なものではないのであります。読む暇のあるような人は本当は重要な仕事をしておらないのです。やはり口から耳に入れた
情報が本当の
情報で、書面にな
つて持
つて来る
情報は死んだ
情報であります。
新聞を読むほうか早いのであります。そういう点で
情報を取りたがるという心理には、やはり
情報收集によ
つて本当に特高的な活動をする可能性が非常にある。この点は十分警戒を願いたいと思います。
時間がないので簡単に申上げますが、この問題は
情報の中に選挙違反
情報が出ておるというような疑いがあるのでありまして、これは非常に政治に対する自由を侵害するというような恐ろしいことになりますから、そういう一方的な
情報を
全国的に集めて政治的な
情報にまでこれを利用されるということは、特に警戒する必要がありますので、下手な
情報をとらせるというような場合、更に進んで選挙違反
情報までとるというような結果にまで陷りますので、過去の特高
警察のや
つた実績から見ますると、よほど注意しないと、こういうことを一定の
情報の要綱を示しまして、これで
情報を出して来いということになりますととんでもない
情報が強制されて作為されますから、そういう点につきましても法律的な
義務にしないほうがこれが民主的にやれるのじやないか、さように
考えるわけであります。なお最後に
地方自治体の問題でありますが、これは一番重要な問題でありりまして、
田中総監も言われましたように、これは今投げ出さなければならんと思
つておるところは
財政的な問題が殆んど唯一の
理由であります。
従つてこの
自治体を育成し、自活体
警察を本当に育成する
責任を
政府が果すつもりであるならば、先ず平衡
交付金を合理的にこれを殖やしてや
つて、
自治体が
警察が
維持できる
基準を与えなければならん、これだけの金をや
つておるのになお且つ投げ出すのか、投げ出すという前にはこれだけの金があなたのほうには
警察財源は確保されておるのだということをはつきり感じ、その財源が
自治体の現在の
定員を
維持するにふさわしいだけの財源であるということをはつきりと
地方自治庁その他の
府県を通じましてこれを明らかにしてやる。それをやらないでただ
財政上困るからというので投げ出すように仕向けることは、これは明らかに
自治体警察を抹殺する
一つの政策があると思われてもいたし方ないのであります。私
どもは本当に公平な
立場から申上げまして、自由な
意思によ
つて警察を
国家地方警察に再信託する、返上でなくて再信託するという手続きは私は民主主義の社会においては許さるべきだと思うのであります。ただその前提として飽くまでもその
自治体警察でやれるだけの、独立してやれるだけの
財政的な裏付、又
一般市民が十分理解するだけの余裕を与えまして、なお再信託するほうがいいという判断を与え、必要になれば
一般住民投票等によ
つて決する。併しまだそれでも
国家地方警察に再信託しないで
自治体警察に持
つて行くほうがより
地方自治の線に副うわけでありますから、この方向に持
つて行くように指導するように政策を
考えるほうが審法の精神に副うのじやないかと思うのであります。随分長くかなり抽象的なことを申上げましたが、なお御質問によりましてお答えさして頂きたいと思います。