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吉川末次郎君 幸い
岡野国務大臣が
おいでにな
つておりますから、自治行政上における現下の緊急問題につきまして御
答弁を得たいと思うのであります。それは
大臣が御出席にな
つておりません先日の
委員会におきまして、私が
質問いたしまして、小野政務次官から若干の御
答弁を得たのでありますが、即ち現下
地方選挙を前にいたしまして、
地方自治政治界の問題にな
つておりまする
地方自治体におけるところの
議員の減少の問題でありまして、小野政務次官のその節の御
答弁は私非常に不満足でありましたので、直接
一つ自治庁の長官である岡野
大臣から御
答弁を
はつきりと得たいと思うのであります。その節私は申上げたことなのでありまするが、結論を先に申しまするというと、
自治庁は各
地方自治体に対して議会の
議員を減少すべしという
意味の通牒を発せられたということでありまするが、それは私の
見解によれば非常なるところの誤りである。又そういうことをせられたところの法的根拠というものがどういう根拠に基いてせられたのであるか。及びそれを私は非常なる誤りを犯していられると思うので、一時も早く各
地方自治体に対してかかる誤れる通牒の誤りを清算する
意味においての取消しをお出しになる必要があると、とのように
考えておるわけであります。でその理由を申上げたいと思うのでありますが、
岡野国務大臣は幸いにして実業界からお入りに
なつたかたであ
つて、いわゆる今日、までの
地方行政の一般の通俗観念における玄人であると言われておる、いわゆる旧内務省の官僚の出身ではないのであります。それは大変結構なことだと思うのでありますが、
地方行政を担当するところの内務省の旧官僚、従来しておりましたものをそうした要衝にできるだけ着かささないような方針をスキヤツプが大体実施して来ておると思うのでありますが、具体的なことはこれは省略……、申上げなければならんならば申上げますが、それから内務省も解体させてしま
つたという点は、従来の旧内務省の官僚というものが、たびたび私もこの
委員会で言うことで一部のかたから非常に厭がられておるのでありますが、これは軍閥と組んで
日本の
国民というものをば非常に反民主的な方向にリードして来た、こういうことを拂拭しようというところの意思にとれるだろうと思うのであります。その意思がどうもいつも私は
委員会でも言うのでありますけれども、どうもまだ十分に
地方自治体及び当局は理解していないところの憾みが非常にあるのであります。今度のそういう通牒もやはりその清算し得ざるところの封建的な旧内務省官僚の
地方行政に対するところの謬見に基いて、少くともその謬見が
一つの潜在的意識にな
つて私は行われていることが明白であると実は
考えておるのであります。その旧内務省官僚の諸君を以て構成されているところのあなたの部下の諸君があなたの名を通じて、あなたの意思が加
つておるのでありまするが、そういう通牒を出しました理由は新聞にも書かれておりまするように、その例としてアメリカの
地方自治体というものが
議員を非常に減少するところの傾向があるということが比較対照に出されて来ておるのであります。ところが
地方自治体の
議員が多過ぎるというような議論はあえて戰後今日において始ま
つた議論ではなくて、今いうところの旧内務省官僚がたびたび今日までそういうことを言うて来ておるのでありまして、旧内務省官僚の諸君というものは、外国の
制度で以て何か部分的に
自分のそういう官僚イデオロギーに役立つようなことがありまするというと、民衆というものが十分な知識と理解とを持
つておらないのに乗じてそういう謬見を振り廻すのであります。そういうことはやはり旧内務省官僚中の米国通の一人と言われておりまする前田多門君が曾
つてそういうことを非常に振り廻したのであります。その節私も前田さんに対して非常にそういうことを言
つたのでありますが、米国の例だけを引くのでありますけれども、米国がそういう傾向があるということは事実であります。ニユーヨークの州におきましても七十何人かありましたところのイルダーメンというものが二十何名に新らしい州知事によ
つて減らされたということもある。又ほかの州においてもそういうことがあることは事実であります。ところが米国のそういう
地方自治体の組織というものは、米国の自治体の全般的の組織、それは背景をなしているところの米国の政治、或いは米国の歴史、或いは米国の民主主義的な人心、そういうようなものとしラテプな、相対的な
関係においてそういうことが行われて来るのでありまして、岡野さんもアメリカの
学校にいらつしや
つて御承知のことと思いますが、外国の自治体の行政組織というものは各ステートにおいて異
つておる。各ステートの中においても各シテイーや自治体においてそれぞれ異な
つておる。同じカリホルニアでもロスアンゼルスとサンラランシスコは全然構成が違
つておる。市会
議員に該当するものの名から違
つておるような形にな
つておる。そしていろいろバラエテイーを持
つたところの自治体のローカル・ガーバメントの組織で、最近の
一つの新らしい傾向としてデモイン市、ガルべストン市で起
つたところの、極く少数のマネージヤーによる会社経営の組織を自治体に持込んで、三、四人のコミツシヨナーにこれを任して極めて能率本位に実業会社と同じようにや
つてもらうということで、デモイン市やガルべストン市で非常に成績を挙げておる。その
精神が非常に広が
つて日本にも紹介されて、都市支配人或いは少数のマネージヤー、少数のコミツシヨナーがや
つているところの
制度が、その影響がいわゆる大統領制といいますか、この自治体と
地方議会が対立しでおる都市の
制度に相当の影響を與えておると私は
考える。そういうことをしやべりますと、長くなりますから省略いたしますが、さつきも申上げますように、いろいろ米国の
地方行政組織、或いはその背景をなすところのアメリカのデモクラシー、アメリカの政治的な
考え方と相対的に結付いてそういうことが局所的に出て来ておる。それを従来においても前田多門君のような官僚中のアメリカ通が部分的にそういう偏面的な知識を振り廻
わしたことがある。官僚の一番嫌いなものは議会の
議員なんだから……(笑声)旧
憲法の下で官僚政治というものは
議員というものを抑え付けるということばかりや
つておる。ところがその観念が
地方自治体に
おいでもやはり同じように、そうした官僚主義の
見解で以て議会の
議員というものを一番いやがる、
議員というものはできるだけいてくれないほうがいい、政党というようなものも余り機能を持たないほうがいい。そういう
自分の観念に役立つところのとんでもないところの部分的な知識だけを持
つて来て、そうして非常にそれを自治体に利用しておるのであります。その例は幾らでも挙げられますが、これもその
一つの例なのであります。たまたま先般来
地方自治体の、あなたの部下の諸君やその他自治体行政の
関係者が、G・H・Qの好意でアメリカに
行つて来ると、十分な勉強もしないで一カ月やそこら見て来て、そうして非常に権威のあるもののごとくそういうことを言いふらす。ところが
日本においては、
地方行政の研究というようなものは具体的にはどこにもない。だから向うのそういうことを批判するだけの知識のある人間はない。
従つてそれを批判する
立場にある新聞や言論界が同じように附和雷同して、曾
つて前田多門氏がそういうことを提唱したときに多くの人が附和雷同したのでありますが、今日も又多くの新聞、読売新聞は多少違
つたことを
言つておるが、附和雷同して官僚政治を謳歌するような、附和雷同して太鼓を叩いておるような現在であると思います。そんな馬鹿げたことはあり得べからざることであ
つて、そして、この間も言
つたのでありますが、これはアメリカにたまたまそういう傾向がある。それを部分的に偏面的に赤ゲツト的に入れておる。ところが一たび大西洋を越えてヨーロツパに行きますと、ヨーロツパの多くの諸国は大体において
日本の
地方自治体における選挙民と
議員の数の比率は大体は同じで、多数の
議員を出しておる。私今記憶は
はつきりいたしておりませんが、大体間違いないと思いますが、例えば東京都のような大都市に該当するものとしては、イギリスにおいては言うまでもなくロンドンであります。ロンドンのカウンテイーカウンシイルの
議員というものは百四十何名かと思
つております。それから今は
制度は変
つてああいう国情にはな
つておりますけれども、大都市について申しますならばベルリンであります。ワイマール
憲法の下におけるベルリン市というものの市会
議員の数というものは二百二十五名であります。パリーは百名であります。ウイーンが百二十名であります。これは間違いないと思
つておりますが、かように大体において
日本の
地方団体の
議員の数と大して差違はないのであります。そういうことを少しも言わないで、そうしてアメリカの
自分たちのイデオロギーに合致する偏面的な知識だけを、新聞記者や一般の選挙民が十分な知識を持たないのに乗じてそういうことを頻りに宣伝いたすのであります。そして
地方民をして
一つの錯覚に陥れるようなことをしている。これはけしからんと
考えるのであります。大体何人が一番適当であるということは、これは選挙というものは何のために行われるものであるかというその見地から当然に結論が生れて来るものである。選挙は要するに選挙民の政治的意思というものを代表さす代表の原則が選挙の原則でなければならん。そうすれば相当バラエテーのあるいろいろの利害
関係のある
資本家、労働者、中産階級、小売商人、月給取、いろいろな利害
関係が皆違うのでありますから、そういう異るところのバラエテーのある利害
関係をリフレクトさせる、それを
地方自治体の政治に反映させるということが選挙をやるところの目的でなければならんと思います。ところがむしろ例えば赤坂区というのがあ
つて、赤坂区の東京都会
議員の定数は一人であ
つた。一選挙区に一人というような定数で今言うところの代表の原則が発揮することができないことは明瞭でありますから、相当なる数を出さなければならん。然らば何人が適当であるかということは、それはいろいろと
考えなければなりませんれけども、
ただ少くすればいいというようなことを今日唱えておるような議論というものは、これは間違いであるということを基本的にヨーロツパ各国における例と比較して、対照して私は
考えて行かなければならんとこう思います。それでそういう点と、それからもう
一つあなたたちのほうの
立場で言われていることは、その例として箱根のどこかで有権者が百何人しかいないのに十二人の村会
議員が出ていると新聞に書いております。ところが選挙というものは利害
関係を代表するためにできるならば、皆集ま
つてやるのがいい、デモクラシーの
立場からすれば
日本国民全部が集まるのがいいのだが、八千万の
国民が全部
国会議事堂に集まることもできないので、我々が選ばれてここに出て来ておる。できるならば皆集ま
つて、昔の隣組のように、町会のように皆が集ま
つて相談するのがいい。それはスイスのカントンにおける直接民主主義政治の実情について、多くの政治学の本にそれが民主政治の
理想であると書いてある通りであります。だから何も百二十人の有権者のうち十二名の村会
議員が出ておるということは、悪いことでも何でもない。むしろ喜ぶべきことである。ところがそれが何か非常に悪いことであるように、意識的か潜在意識的にか、昔の内務省の官僚と同じような反民主的な
考え方でそういうことを頻りに何か悪宣伝するということは、実に謬見であり、これは御反省を願わなきやならんと思います。なお申上げたいのですが、大体においてこの間も育
つたことであ
つて、速記録にも載
つております。政務次官の御
答弁は極めていんぎん鄭重でありましたけれども、何にも
はつきりしない御
答弁でありまして、全く不満足であるのでありますが、以上の大体の論拠に基きまして、ああいう間違
つた……
地方自治体一万有余は今日は非常な混乱を来たしているのであります。
地方に参りますと、
議員から第一に聞かれることはそれなんであります、それはそのときも言
つたことでありますが、
地元の東京の都会
議員なんかが勝手なことをするというようなことに対する悪感情が東京都内においては多少感情的に結び付いておる点があろうかと思いますが、東京都内における特別区の組織は行政組織上間違
つておると、私は現在の
制度は
改革しなければならないと思
つておるのでありますが、そういう都会
議員が昔は年に二百円であ
つたところの歳費を今日では月に一万二千円、一万五千円も取
つてですよ、そして
自分が退職するのに十万円とか、十五万円とかの慰労金を勝手にとるようなことをしているといよううなことと結び付けて新聞紙上に
言つておりまして、間接にそういうことが加
つていると思いますが、これは別問題でありまして、そういうことから切り離して、今私が申しましたような論拠に基きまして、あの間違
つた通牒を私はもう
国会議員といたしまして一時も早くあんなものは取消してもらいたい、間違
つてお
つたという意思表示を私はしてもらう必要があろうと思うのでありますが、それについて
一つ岡野国務大臣の御
答弁をお聞きしたいのであります。