○
羽仁五郎君
前回の私の
質疑が残
つておりましたのに対して、特に
地方行政委員会委員各位、並びに
委員長が、この際私の
質問の次回への続行を許されたことは非常に感謝することであります。そして
前回において私に與えられた時間は二時間であります。然るに本日これをお待ちしております間に、
政府の
委員のかたがたの御
出席が誠に遅れている。これでは重大なこの法案についての審議の促進ということについての
責任が
政府のほうにあると言わなければならないと思うのであります。
前回伺いましたことは、
前回にも申上げましたように、いずれも
国民が是非知りたいというふうに
考えていることであります。今も
政府委員の御
説明にもありましたように、
内部からばかりお
考えにならないで、どうか
国民のほうからどういうふうに見、どういうふうに希望しているかということについて
お答えを願いたいと思います。
前回私の伺いたか
つたことは、約八
項目あ
つたのですが、その中の六
項目まで伺
つて来たのでありますが、もう一遍御希望申しますが、
資料が来ておりませんので、その点について伺
つておきます。
第一に、この
警察の増強だけによ
つて社会の安全というものを図ることができない。やはり
国民が人間として生きるにふさわしい
生活をなすということについてのできる限りの
努力をしなければならぬ。この点についてどういうふうにお
考えでありますか、どういうふうな
資料を持
つて私
どもの
判断の材料になさるかということを
伺つたのですが、何にも
資料が参
つておりません。それでもう一遍重ねてお願いをいたしますが、大体
近代の
行政においてそれぞれの
行政の事柄に
関係してどれくらいの
予算が
バランスの上で必要であるかということは、
近代政治家としての
法務総裁も勿論十分御
承知のことだろうと思います。そして例えば
社会保障制度に対する
予算が国の
予算の何%、
警察に関する
予算がその何%、そのパーセンテージがどのくらいの
バランスをとるのが
近代国家として必要であるか、どれくらい以上の
バランスを破ればそれは
危險であるということは、
近代の科学的な
行政の常識だろうと思います。少くともこの
程度のことをお示しを願いたいというふうに思うのであります。
第二、
教育、
教養、
素質の点についてでありますが、
只今政府委員のほうから御
説明かありましたが、非常に御苦心にな
つてお作りに
なつた
資料であろうと思
つて拝見いたしておりますが、残念ながら納得することが全くできないのであります。御
承知でもありましようが、
近代の
一般の
行政については特に
人事院が創設され、そうして
人事院において
一般官吏の
素質或いはその
能力というものについては極めて
近代的な
調査が行われている。御
承知のように
マルチプライ・チヨイスというような
方法によ
つてその冨のさまざまな
能力や
素質や又その
教育の
程度というものがわかるようにな
つている。例えば
警察官の場合にもそういう
方法が私は当然とられているものと思います。然るにこれをそういう
資料が出ておりません。
マルチプライ・チヨイスの
方法で
警察官がこういうような場合に遭遇したとき、次の三つの場合、どれをとることが正しいかというような
質問を百乃至二百與えることによ
つて、その
警察官がこの
民主警察の本質というものをどの
程度身に付けておるかということは科学的に想定できます。私は個人的のことを申上げるのは甚だ恐縮でありますが、こういうことがどの
程度までなされておるのか、私の個人の経験から甚だ疑わざるを得ない場合があるのであります。それで先ほど、今日は
警視総監は御
出席にな
つておられませんが、私が戰争中に
警視庁に留置されておりました。その際に
町村金五君が
警視総監をや
つておられまして、私が
警視庁に留置されてお
つたこと自体についても問題がありますけれ
ども、併しそれはさて置くとして、
警視庁の
地下二階の
地下室に約数カ月留置されておりましたが、その間
警視総監が一回も
留置場を
視察に来られたことはないのであります。これは私自身が最もよく知
つておるのであります。私が呼び出されて調べられておる間に
視察に来られたかも知れませんけれ
ども、聞いて見たらそういうことはないということであります。
警察に
留置場を置いてあるということについては勿論これは
法律が許すところであります。それに問題はありませんが、併しいやしくも人の自由を束縛するものである、
従つて若し過重に人の自由を束縛するということがあ
つたならば、これは重大な問題である。
従つてその
警視総監なり
警察の署長なりというものが絶えず
留置場において人の自由が過重に蹂躙されておることがあ
つてはならない、ありはしないか、完全にないかということについては重大な
関心事であるはずだと私は了解しておるのであります。
法務総裁以下の
政府委員はどういうふうに御了解にな
つておるのか、又現在はそういうことはどういうふうにしてなされておるものであるか、端的に実はここで例えば
田中警視総監は毎月何回ぐらい御
視察にな
つておるかということを聞いても現在
警察においてどれだけ
基本的人権が尊重されているかということのテストになると思うのでありますが、残念ながら今お見えにな
つておりません。それから
警察官の
教育についてはいろいろなものを以て十分の知識を得られておると思うのでありますが、例えばこの前申上げましたような点について
警察官の
教育については現在
国家が或いは
国立大学というものを以て
教育の理論及びその実践について十分の研究もされておるので、そういう
方面には
近代教育、科学の進歩というものの見るべきものがございます。そういうものをどの
程度まで
意見をお聞きにな
つておるのか、それから又この前申上げた
警察官が
基本的人権をどの
程度まで倉重されておるか、或いは
警察官が
街頭において少女が
夕刊を売
つておる、その
夕刊を如何なる
理由にしろ商売ものを無料で取
つて行くということが果してあるかないか、又それが
一般国民に與える印象がどういうものであるか、又我々が
バスなり
電車なりで通
つております際に、先ず
警視庁の警官が
都営の
バスなり、
都営の
電車なりに、何らかの
関係を以て
無賃で乗車しておられるということは或いは了解し得るかも知れませんが、私の私立の会社の経営しておる
電車なり
バスなりに
無賃で乗車しておるというようなことは非常に始終見受けることです。これは一体どういうことなんですか、これは又
国民に與える
影響というものはどうであるか。こういう問題についてこれは或いはこの前にも
質問したような
汚職或いはそれらの
無賃、
無銭飲食、その他のこういう行為について、
齋藤国警長官は
自分が就任して以来、
汚職事件はないと
お答えになりましたが、今日お
出しに
なつた
資料を見れば、ないのではない、歴然としてある。
警視総監はそういうものは絶対ないとは言わないが、多数の中には心得違いも多少あるという
程度の
お答えでありましたが、これらは或いは
專門の
国立大学の、そういう
調査について
近代の技術を持
つておる
專門の
人々もおりますから、そういう
人々に
委嘱をして
調査をしてもらうということもできるのであります。
内部だけで御
反省にな
つているのじやなく、
外部から客観的な
調査をされることは十分できることですから、私はそういうことがなされていいものと思います。東大の
社会学に御
委嘱になることもよかろうし、或いはその他のいろいろな
專門家に
委嘱してそういう問題について外からの
調査を求め、それによ
つて客観的な
反省をなされ、又我々に向
つて客観的な
基礎をお示し下されば、我々は喜んで安心してこの
法律案に賛成し、或いは断乎として
反対するということができるのであります。そういう点についての
資料を期待したのでありますけれ
ども、全然お
出しにな
つておりません。これは是非お
出しにな
つて頂きたいというふうに思うのであります。
それから第三に、
配置の問題でありますけれ
ども、この
配置の問題についてお
出しに
なつた
資料も、いわゆる
国民が知りたいと思
つている
配置に関しては何ら知ることがどうもできません。実際もつと
国民の気持にな
つて、
警察官は主として主力をどういう点に注いでいるのかということがわかるような
資料を
出して頂きたいというふうに思うのです。これはなぜかと申しますと、殊に
新聞紙上などで見ますと、
警察官が残念ながら今日かなり政治的な場合に非常に動員されておる。実際のそれだけの実害があるものか、
危險があるのか、
ちよつと想像に苦しむようなところに随分多数の
警察官が動員せられておる。他面
国民の
生活の安寧を守る
方面には甚だ手薄であるということを私
どもはしばしば
国民の中から聞くのであります。そういう
意味の
配置表というものを作
つて頂きたいというふうに
思つたのであります。
それからその次に
拳銃の問題でありますが、
只今御
説明を伺いましたが、依然として納得できないのであります。で、これは
法務総裁に改めて伺
つておきたいと思いますが、
拳銃は
兇器であるというふうに私は解釈しておりますが、
法務総裁は
拳銃は
兇器であるというふうにお
考えにな
つておるかどうか。まあ
兇器という
言葉の
意味ですね、それはやはり人の
生命を絶ち、或いは人に
危害を與えるものだ、例えば今
軍隊の御
説明がありましたが、
軍隊は
外国へ向
つてのものであるというようなお
考え方では困るのじやないかと思うのです。つまり
武力というものは
外国に対してだけでなく、国内の
国民に対して與えるところの
威力というものがあります。これが
バランスを失すると、
国民の
人権というものは守られることができない。この
警察官の
職権濫用などがあればということの……
警察官には或いは
逮捕とか、或いは
調査とかそういう
権限が與えてある。これが
国民にと
つては
警察官がそれを行使する根拠があ
つて行使をしているのでない場合でも、にこにこ
笑つてそばに近付かれた場合でも、
国民としてはこの人は或いは
逮捕し、或いは
調査する
権限を持
つているのである。これを
国会が
責任を持
つてそれを與えてある。併しそういうものが過剰に発揮されると
国民の
人権が危うくされる。それに対しては
国会としてはこれを厳重に監視して、そういう過剰な
武力、過剰な
威力というものが
国民に及ぶということは飽くまで避けねばならない。それが現在この議題とな
つている
警察法の改正についても我々がこれに賛成するか
反対するかの
基礎とならなければならないと思うのです。従いまして、この
拳銃というような人の
生命を絶ち、或いは
危害を與える、即ち
兇器、
白書兇器を
携帶して行くということについては、
国会としては御
承知のように
警察官の
職務執行法なり何なりが討議されましたときに、かなり有力なる
反対の
意見があり、本
会議においてもこの有力なる
反対の
意見が開陳せられた。
法務総裁も十分それをお聞きに
なつたことと思うのです。
反対の
意見だからとい
つてこれを無視されるということは……、
近代のパーリアメンタリズムから
言つても尊重さるべきものである。少数の
意見の中にも聞くべきものがある。それは多数によ
つて可決せられた
法律を施行されるときにも十分尊重されることだろうと思います。これらを裏付けるためには
拳銃の
使用が適正に行われておるということの
調査をやらなければならないと思うのであります。先ほどの御
答弁では、そういうものがあり得ないように、
考えられないようにとられましたが、これはどうも納得することができません。そうして今申上げたような
兇器を
携帶しておるのだからということが意識に強くおありになれば、これが
国民に與える
影響、即ち
国民がそれから受取るところの
圧迫、即ち
国民の自由或いは
人権というものに対するそれだけの
圧迫があるのですから、必要のないところにこれを示すということはしないということに飽くまで
努力なさらなければならない。私の知
つておる事実、占領後間もなくですが、日本の或る
地方で
労働組合の
会議室に━━━が臨まれ、そうして
自分の腰から
拳銃を抜いてそれを
テーブルの上に置いたということに対して、
組合側からはこれは不当なる
威嚇であるというふうに訴えられた。これが
調査をせられた結果、これは如何にも不当なる
威嚇であ
つたというふうにい
つて責任がとられたことがあります。
拳銃をと
つてテーブルの上に置くということはすでにそれだけで
威嚇であり、それだけで
威力である、
国民の自由と
人権に対する
圧迫である。併しそれを抜がないまでも差しておるということだけであ
つても、これは
国民の自由と
人権に対する
圧迫ですから、この
圧迫が必要な限りは
国会は
責任を持
つて国民の前に必要なんだということは言えます。それが必要ありやなきやという
資料がなくては我々は
責任を持
つて国民の前に我々の
責任を全うすることはできない。ですからこれは事実必要である……、この前も申上げたように、国全体として存置を許される必要にして
最小限度の
武力というものがある、今日はそれが
警察予備隊などによ
つて相当充実しておる。
従つて警察予備隊の存在しなか
つた当時の
警察官の
武器携帶という問題は改めて検討される必要があると我々は思うのですが、依然としてないとお
考えになるかどうか。今申上げたような点から、特に
交通警察官なり或いは
一般警察官でも今おつしや
つたように、こういう必要があるかも知れないから常時
携帶しておるのだというお
考えは、依然として新憲法以前の
官僚主義のお
考えがあるのじやないかということを非常に恐れます。昔は
警察官なり何なり
官吏は
職務執行に熱心であれば少しは
国民の自由や
人権を侵しても許されるというお
考えがあ
つた。今日はそういうことはまさかお
考えにな
つてはいないと弔う。
職務執行の熱心の余りだから了承してもらいたいというようなことは昔はあ
つたが今日はない。どういう
理由があるか、どういう必要があるかもわからないから常時
携帶しておるのだいうことは、
近代の
警察或いは
行政についての
観念の上からは
承知するこのできないことだと思う。これこれ具体的な必要があるから、そうして
交通巡査が
武器を
携帶し又
警察官が常時これを
携帶しておる。先ほど
外国の例をお
引きになりましたが、
警察官職務執行法にはお
引きに
なつた
外国の例のようなものはどこに認めてあるのであるか。恐らく認めてないのじやないかと思います。そういう点についてもう少し高邁なる識見を伺わないと安心してこの法案の審議に当ることができないというふうに
考える。以上のようないろいろな
警察官の
素質が非常に低いということが恐れられる。そうしてその
素質が非常に低いだけでなくて、今朝の読売新聞で見ますと、私も非常に構いたのですが、
警察官諸君の中に結核にかか
つておるかたが甚だ多いらしい。「
警視庁全管下警官の二・三三%の六百二十名だという。六百二十名というと
国警神奈川全体に匹敵する。大きな
警察の三カ署ぐらいは新設できる数である。これは容易なことではない。警官といえば薄給という
言葉が連想される世の中であ
つてみれば、”結核警官”の療養設備をまず
考えねばなるまい。二百名を收容する
警察病院と年一回の健康診断だけが設備の全部だとあ
つてはそれこそ二階から目薬というものである。」というふうにな
つている。そうして最後に「十分に安眠のできる宿舎の設備がほしい。睡眠不足の、栄養不良の、神経衰弱気味の警官などはわたくしたちにと
つては困る。男の、警官のヒステリイ症状ほどわたしたち良民を悩ませ、苦しめるものはないからである。」と書いてあります。こういうように
警察官の心理状態の異状であるということさえも
国民に対して非常な苦しみと悩みとを與る。況んや
拳銃を吊げていることが
国民の自由と
人権とに対するどれほどの圧力であるかということは十分に
考えて頂かなければならない。
従つてそれほどの
職権を持
つて活動されておる
警察官の
教養、又その
素質、又その健康というものについて十分の御配慮なくして、單に増員だけをせられるということになりますと、
素質の悪い非常に不健康な、そうして
国民を悩まし苦しませるところの警官が殖えて行くということになる。これは我々として賛成することはできないのです。どうかそうでないという証拠を御示しを願いたいのであります。
それから最後にこの前に、グレンタイン氏の
意見とも関連しまして、
警察の対象とする犯罪は
地方的なものである。全国的な問題冬
警察が取扱うというふうにな
つて行くと
警察国家の
危險が非常に大きくな
つて来る。この点についてはつきりした御
答弁を得られなか
つたので、これを
法務総裁からも伺
つて置きたいと思うのであります。そうしてどこまで
警察力というものによ
つて解決するか、どこから先は政治によ
つてでなければ解決できないかという、この限界があると思う。それについての
法務総裁の御所見をお示しを願
つて置きたいと思います。
それからこれらと関連しまして、ときどき新聞などで拝見してまさかそういう事実があるのじやないと思いますが、
警察が
国民に向
つて密告を奬励され、そうしてその密告に対して賞金などを與えられるというようなことが新聞に報道されていることがございます。こういうことについてはその
責任者はどういうふうにお
考えにな
つているのか、極く最近の私が今見ておりました英国の新聞のニユーステイツマン・アンド・ネイシヨンの中にこういう文句があります。エブリワン・ヘイツ・ザ・ペイド・インフオーマー、何人も金をもら
つて密告をするような人間を憎悪するという
言葉がここに出ている。果して
法務総裁なり現在の
警察のかたがたは金をもら
つて密告するような人間を憎悪するという国際的な常識の上に立たれるか、密告をする人は大変結構だ、それに賞金を與えるというようなお
考えの下に立
つておられるのか、これも我が
警察制度の民主化の制度の上に沿うているのか沿うていないのかということを
判断をする上に必要であると思うので、
お答えを願いたいと思います。一応私の
只今までの御
質問に
お答えを願つで、続けて
質問をさせて頂きたいと思います。