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秋山俊一郎君 皆さんお
考えになれば、誠に簡単にお
考えになりますが、一体
漁業者にお会いになればすぐわかる。とても人の前に出て来てそういう
説明はできない
連中が多いのだから、とてもみずから
行つてそういうおえ
らがたの前で
自分の
考えを話すということはできないと、頭から
自分で
考えてかかる
連中が多いのです。これは私は誠に恥かしい話で、我々の
同僚、業界の中にそういう
連中が今以ておるかということは、私も言いたくないのでありますけれ
ども、ただこの
経済状態の面白くない際に、何遍でも受ければよいじやないかと言つた
つて、とてもそんなものではありません。これが普通の
船員であるならば、閑漁期に下りて来て、或いは
船主の
指導の下に
試験を受けよう、或いは少し
勉強をしようということもありますけれ
ども、その日その日を暮しておる
連中が、何遍も
試験を受けに行くということは
考えられないのです、だから丁度先だ
つてもあん摩、はり、きゆう師の
試験等も出て来て、片端から
試験々々とおつしや
つておられますが、これは私はこの
法律を制定するにつきまして
公聴会でも開きまして、
一般大衆漁民の声もとり入れて頂きたいと思いましたが、それもできないということで、そうすれば我々の責任も非常に思いのでありまして、この際特にこれを
考えて頂いて、中央におられるかたはそういうお
気持でおられましても、実際に
試験に当る人の
気持は必ずしもそうではないかも知れない。私は
曾つて二十トン以上の船に乗込むところの
丙種運転士、或いは
機関士等の
試験をするために
講習を開きまして、
関係官等のおいでを
願つて、そうしていろいろな団体が
講習を受けて、二週間なり、或いは長いのは一カ月というような
講習をいたしまして、そうして
試験を受けさしたのでありますが、それでも合格しないものもたくさんある。そういういろいろな
経験を持
つておりますが、そういう
連中は皆若い者であります。大体二十代から三十代くらいの者で、四十過ぎた者は全然来ない、そういう
連中ならばいいのでありますが、現在の
漁師は五十、六十になる者が乗
つてや
つておるのに、それを引出して
試験をするというようなことは、私
考えると誠に可哀そうであり、これが
試験が受けられなかつたら
商売はできないのだということになると、一家の破滅というようなことも
考えなければならないので、この
試験制度につきましては、
経過規定は三年でありましても、そう普通の
船員のようなふうには
考えられないと思う。
従つてこの
規定は私は暫く削除してもらうか、或いは今私のお願いしておりますような、
市町村長乃至は
漁業会長等の
証明によ
つて一応
資格を与えてもらうということでなければ、大きな
シヨツクを与える。のみならずこれは騒動になりはせんかと私は
考えるわけであります。これは恐らくまだ全国の
漁民には滲透しておりません。一部の人はそういうことを聞きつけて大分猛烈に運動をしつつある。こういうことをやられては困るということを
言つて来ておる向きもあるのでありますが、全般的に恐らく知られていないと思う。それで全般的にこれがわか
つて来ますと、それは困るという声が強くなると思いますので、何とかそういうふうな
程度の
試験と申しますか、認定をしてもらえないのか、こういうふうに私は
考えておるのですが、どうでもやはり
口述試験等をやらなければならんものか、それがためには例えば
海上の
衝突予防法のごときものも教え込まなければいけないというものもたんさんあると思うのです。そうしなければ困るというものもたくさんあると思います。併しそれによる損害というものはそうたくさん出ておりません。むしろ大きな船からやられる場合多い、それは小さな船からではなく、大きな船がやるということが多い、それは多くは港内の問題です。
従つて一律にこういう
規定が出るということは、非常に私
ども憂慮しておるのでありますが、私はむしろ
漁船法もできたので、
船員法と別に
考えたらどうかということを先般来
考えておる者の一人でありますが、この急激な
試験制度による小さい
漁民の困窮ということを考ますと、このまま私はそれを通すわけに行かんと
考えます。もう一応そういつたような
内容について、これはどういうふうに
通りましても、
試験というものは、尤も
試験を行うということを書いてある以上は行わなければならんでしようが、何かその辺を修正して行くということについての非常な不都合なことがあるかどうかお伺いしたいと思います。