○
説明員(
武野義治君)
新聞でも御
承知のように、
釜山の
収容所の数カ所におきまして、約六百に近い
日本人婦女子が非常な困窮した生活の下に置かれ、そうして一日も早く
日本に帰りたいという陳情が出されておるという件につきましては、いろいろな
情報で、
委員の
皆様がたは
十分情報をお持ちと思いますが、私
ども引揚課といたしましては、総
司令部から四回に亘りまして
身元調査の
要求を受けておるのでございます。本年の一月五日附におきましては、百六十八名の
人々、一月八日附には七十一名、二月二十三日には二百六十七名、二月二十七日附を以て七十九名、計五百八十五名の
身元調査に対しまして
要求を受けたわけでございます。一月の二回に亘りまする
調査を実施いたしまして、二月の中旬に総
司令部のほうに
連絡を申上げたのでありまして、私
どもの
立場といたしましては、
日本人の血を持たれた
かたがた、特にこうい
つたような特別な
状況から苦難に会われておる
かたがた、そうして夫は死亡し或いは行方不明にな
つておる、今後の生計の問題も非常に心細い、こういうふうないろいろな情勢から、我々といたしましてはできるだけの奉仕をいたしたい、こういう
気持でこの問題の
調査を担当したわけであります。勿論この
調査の実際は、
国家地方警察本部に
連絡いたしまして、そちらのほうからや
つて頂いたわけでございまするが、その結果、非常にその困難な問題は全然
本籍がなくな
つて見当らない、或いは戦災かその他によりまして、非常に見出し得ないという者がかなりあ
つたようでございます。そうして見出し得ましたものにつきましても、第一回目の
調査ではいろいろ
郷里におきまして
本人を十分に知
つておるというところが割合に少くて、
親戚縁者その他を歴訪いたしまして、いろいろの要素を確認したという点におきまして、
相当の困難があ
つたようでございましたが、とにかく或る点の
項目についてはだんだんわか
つて参
つたわけであります。併しながらこのポイントといたしましては、いわゆる
本籍という問題になりますが、
只今申上げましたように
本籍が見出し得ないというものがかなりあるわけであります。
本籍を見出し得た者も、ここにお廻しいたしました
書類の二
項目から六
項目にかけましては、非常に欠けたものがある。例えば
渡鮮の時期というような問題につきましても、これはいわゆる
終戦後
向うへ渡
つておるという
ケースが少くないわけであります。そうして
終戦後は御
承知のように、
日本人の
渡鮮というものは非常に厳禁されてお
つたわけでございまして、
指令にも、一九四六年三月十六日の
引揚に関する
基本指令が出ましたときにも、その
最後の
附属書第七雑件にございますが、
日本国民の
朝鮮への
旅行というものは、
日本及び
朝鮮占領のために必要不可欠な
旅行と認め得られない限りは認められない。又その際に、
日本国民個人個人の業務の解決とか、或いは
日本国民に関する厚生だとか
救護事業というようなために、これを援助する目的で
渡鮮するというようなことは、この
必須要目とは広められないというような、
相当厳格な
規定もございますように、
日本人としての
渡鮮は禁止せられてお
つた、特別の場合を除いては禁止されてお
つた。それから
朝鮮人として渡航するということも、やはりこの
基本指令に基きまして、大韓民国の
居留民団がいろいろ
書類を取りまとめ、そうして民団は
代表国にこれを伝達する、そうして
代表団が総
司令部の
許可を得るという一連の
手続によりまして、この
渡鮮というものが行われた。
従つてこの
調査をいたしますと、
終戦後渡航したという場合には、やはり
朝鮮名を以て正式の
朝鮮人というような
印象の下に、渡航しておる者があるのではないかと私
ども考えざるを得なか
つたのでございます。
従つて終戦後におきましては
占領軍の管下におきまして、
渡鮮というものが、
相当こういうふうにやかましい問題にな
つておりますときに、現在
釜山におる帰りたいという者の中には、かなりのそういう人人もおる。こういう問題につきましては、やはり心から同情はいたしますけれ
ども、一応そうした法規的なバツク・グラウンドを発揮させなければならない
状況にあ
つたわけでございます。又
渡鮮の時期も、
終戦前というものもかなりございました。
従つてこれは
終戦前、例えば一九三九年に
行つたとか、或いは
終戦前数年前に
行つた、或いは第一次大戦の直後に
行つたという者もございましたが、こういう場合にはやはり鮮籍がはつきりしておるならば、これは
朝鮮人として正式に
入国の
許可をもら
つて、そうしてこちらへ来たときには、
外国人登録令の対象にな
つて行くという形にならざるを得ないと思いまするが、これも最終的な
決定というものは総
司令部にございますわけであります。我々はただこうい
つたいつ
渡鮮したか、どういう
状況の下に
渡鮮したかということに、できるだけ詳細にインフオーメーシヨンを与えたいと
考えておる次第でございます。
それから次に
正式結婚か
内縁の妻かというような問題もございますが、非常にデリケートな問題でございまして、勿論
内縁の場合には、
戸籍が残
つておるわけでございますが、これが
終戦前に
向うへ行かれた、そうして
内縁の
状況にあるという場合丁には、
日本人としての
帰還ならばこれは問題はないわけでありますが、御
承知のように
日本人として帰る場合には、
朝鮮の、
南鮮政府のいわゆる
証明書というものが出たわけでございます。いわゆる
退去証明書というものが出たわけでざいますが、この
退去証明書は、
朝鮮事変以後は確かにこれは停止されておるのではないかと私は記憶しておるわけでございますが、
従つて退去証明書がないという場合には、これは
本人がたとえ
内縁の者であると主張しても、やはり
調査をしなければならないという問題が起
つて来る。もう
一つは、その
子供の問題でありますが、
子供も十九ぐらいの
子供もあ
つたり、
相当大きな
子供もございます。小さい
子供もございますが、これなどはやはり
朝鮮籍に入
つているという者が多いと思います。というのは、
内地で
調査いたしましても、こちらに残
つておる
家族は知らないというのが大
部分でありますが、一人ぐらいならあれだが、その後生れた二人、三人については知らない、こういうことになりますと、やはり現在十六歳未満の
子供は親と随伴する、こうい
つたような一般的な取扱を考慮に入れましても、やはり
子供のいわゆる
朝鮮名前とか、或いははつきりした
系累の何と申しますか、本当の親か子かということにつきましてやはり
内地でわかる限りの
調査もいたしたいということになるわけでございます。
又
身元引受人についてでございますが、この
身元引受人ということも、かなりその
家族のほうでは冷淡な場合もないわけじやなはいのでございまして、もう親兄弟と訣別して
行つたとかいうこともあり得るのでございますが、とにかくこういう事態にな
つて、親許なり或いは
親戚が引受けるということになりますれば、これは
相当確実な
帰還の
一つの条件になるわけでございますが、そうでございませんと、全部これはやはり国家的に面倒を見て上げなければならない、先ほどのように
子供の場合には、
国内で
相当学校の問題とか、或いは御
婦人なら
結婚の問題、それから
食糧配給の問題というものがございます。最近の例でございましたが、帰
つて来たときには、やはり
自分は
朝鮮籍を抜いておる、
日本人であるという
印象で帰
つて来られた、そうして
援護庁のほうでやはり特別な計らいと言いますか、とにかく
引揚証明書というものをもら
つて郷里に帰
つて来た、帰
つて来て、その
証明書によ
つて日本人ということを立証しようという
気持でございましたのでしようが、残念ながら法律的な
関係においては、こうした正式な離婚というものはできておらん、
従つて本人の
結婚というような問題も、
朝鮮人ということ以外には、
日本人としての
法規的立場においての
結婚というものはできない。又
学校の問題も、そういうようにこれは
朝鮮人として取扱わなければならない。併しながら御
本人は
日本人だと
思つておりますから、
外国人登録令の適用によ
つて登録されるということも、あえて喜んでやらない。中途半端の
関係ということもございました。このように一度
国内に入れましたら、もう
政府関係者としては、できるだけ親切に取扱いたいという点がございますが、やはりいろいろ帰
つて来られる
かたがたの
個人的ないろいろのお
考えの程度によりましては、なかなかこちらの希望するような
状況で、
援護のほう、その他の
関係においてマツチするというわけには行かないという
ケースもあるわけでございます。これは若干余談ではございますが、そのように我々といたしましても、入れるときの
調査というものはやはり十分にして置きたい、そうして入れたらできるだけのあれをしたい。勿論その取
終的決定というものは総
司令部にございますから、そうい
つた点でやはり我々はできるだけその詳細なことを
報告申上げたい、こういうような
気持で
調査を進めておりました。先般のように、この
書類にございますように、三月一日附のときから、今後約一カ月半を要する見込であるというふうに謳
つてございますが、
最初の二件につきまして、而もわかり得る
範囲というものは、来週の半ば頃までには何とかしてもらいたいとい
つて、
国警のほうにも督促しているのでございます。
国警のほうでも非常に努力されておられるのでありますが、
国警本来の仕事も多うございまして、なかなか各
方面の御要望に沿うほどスピーデイに処理されて行くということは、或いは御期待のようには行かないということがあるのではないか。その点は私
どもも本当に気にしている次第でございますが、とにかくできるだけ
釜山の
かたがたのために
調査を一刻も早くまとめて、そうして
入国許可を許せるものは、そういうふうに総
司令部のほうにも我々の見解についても附言いたしたい、こういうような
気持でや
つております。
最後に、
内地に
戸籍を有する者は当然
引揚げ得るわけで、これは勿論でありますが、総
司令部により
入国を
許可された
鮮籍日系婦女子に対しては、右に準じて
援護を与えることにしているということにな
つております。
従つて我々といたしましては、
委員の
皆さんがたの御
発言の御
趣旨を十分拝聴いたしまして、そうしてその
趣旨に副うように努力しているのでございますが、今のところまだ完結した
調査というものは、もう
ちよつとかかる、こういうことで御了解願いたいと思います。