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1951-02-03 第10回国会 参議院 決算委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年二月三日(土曜日)    午前十時二十三分開会   —————————————  委員氏名    委員長    前之園喜一郎君    理事      岩沢 忠恭右    理事      岡崎 真一君    理事      相馬 助治君    理事      棚橋 小虎君    理事      仁田 竹一君    理事      溝口 三郎君           池田七郎兵衞君            大矢半次郎君            北村 一男君            小杉 繁安君            寺尾  豊君            西山 龜七君            廣瀬與兵衞君            カニエ邦彦君            栗山 良夫君            小林 亦治君            小泉 秀吉君            村尾 重雄君            赤澤 與仁君            井上なつゑ君            常岡 一郎君            山崎  恒君            小林 政夫君            加賀  操君            岩男 仁藏君            鬼丸 義齊君            谷口弥三郎君            千田  正君            森 八三一君   委員の異動 十二月十日委員谷口弥三郎君辞任につ き、その補欠として深川タマヱ君を議 長において指名した。   —————————————   本日の会議に付した事件 ○昭和二十三年度一般会計歳入歳出決  算(内閣提出) ○昭和二十三年度特別会計歳入歳出決  算(内閣提出)   —————————————
  2. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) 只今より決算委員会を開会いたします。  昭和二十三年度一般会計歳入歳出決算昭和二十三年度特別会計歳入歳出決算議題といたします。  本日は昭和二十三年度決算検査報告書の三百十から三百十四、国有財産売渡価格が低価に失したもの、これを御審議を願いたいと思います。先ず会計検査院の御説明をお願いいたします。
  3. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) 会計検査院の第四局長であります。  只今議題になつております三百十号以下の案件について簡單に御説明を申上げます。三百十号から三百十二号までは、旧軍用地売拂がたくさんに行われておりますが、そのうち非常に売拂価格が安過ぎる、坪当り一番高いのが三十円、一番安いのが十五円であります。飴玉三つ四つあたり値段国有地を売拂うのが、如何さま安いじやないだろうかという案件を並べたわけであります。国有地売拂い土地売拂い土地値段というものは幾らが正しいかということは実はなかなかむずかしいのであります。私どももたくさんの案件を取扱つておりまして、幾らがいいかということになりますと、実は非常に判定に苦しむ場合日が多いのであります。如何さま安いというのをここに並べたわけであります。それから大体五十円以下というのは如何にもひどいじやないだろうかというので、ここに十五円というやつも書立てたわけでございます。三百十号でありますが、これは姫路市所在の元陸軍輜重兵連隊、それから捜索連隊城北練兵場土地を二十五円から三十円で売つたわけであります。相手公共団体のことでもございますし、安いのはこれは大量に売ることもありますから、止むを得ないとも思いますが、これは競馬場などの敷地に使用するものでありまして、売拂う当時もすでに無断でこの工事を始めていたという因縁づきの土地であります。相手姫路市であります。これを二十五円から三十円ぐらい、こういう値段で売つたわけであります。  それからその次の若松でありますが、若松練兵場もこれは市営住宅とか、総合運動場とかそういうものにするために売つたのでありますが、これが單価坪十五円であります。先ほど申上げておりますように国有地はなかなか集団地が多いのでございまして、民間売買のようにいい値段取引もむずかしいかと思います。それから相手公共団体のことでありますから相当程度民間取引より安くなるということはこれは止むを得ないと思います。まあ十五円というのも相当安過ぎるのじやないかと、こう考えておるのであります。  それからその次の都城でありますが、これは日本繊維工業敷地として売つたのであります。元の歩兵二十三連隊都城陸軍病院、その他をまとめて売つたのでありますが、これが坪二十二円と十八円であります。時期も今から見ますると大分前ではございまするが、それにいたしましても終戰後の二十三年十一月であります。こういう値段ではどうか、こういうのがこの批難骨子になつております。先ほども申しましたように土地価格幾らに売つたらいいかというのは実はなかなかむずかしい、で資料がなかなか揃わないのであります。それでこの批難もいろいろな資料を掻き集めまして案にした点もやございまして、甚だまずい資料を取つたというような、あとから振返つてみますと、私ども批難のやり方がまずかつたと思われるような点もございますが、いずれにいたしましても、十五円とか二十二円とか、こういう値段はひどく安いのじやないだろうか、こういうふうに大局的に一つ御覧願いたいと思うのであります。  それから三百十三号でありますが、これは秋田駅前土地を三百五十円、これを基準にいたしましていろいろなものを引きまして、結局百六十円から三百十五円で売つた点であります。秋田は御存じかと思いますが、駅前連隊があつたのであります。どこでも都会というものは、駅というものができますと、そこを中心にしてどんどん発展して行くというのが自然の勢いであります。各地がそうなつておりますが、秋田は一番目抜きの場所に大きな陸軍用地がありまして、町が駅から相当離れた、連隊通り越した先が町の中心になつていたのであります。それが終戦によりまして、いわば市の発展の障害になつていた陸軍用地が解放されたわけであります。ここに挙げてあります土地は駅のまん前であります。まあ自然の勢いといたしますと、これは駅の中心に将来なるべき土地であります。そこを三百十五円から百六十円で売つてしまつた。こういうのがこの案の骨子であります。私どももこれは安いという考えでいろいろ資料を集めにかかりましたが、実はこの案件をまとめますまでにはそういう売買実例もやよく出しておりませんし、わからなかつたのでありますが、いろいろなものから推算いたしまして、私どもも安いというので、この案をお出ししたわけであります。それであとで振返つて見ますと、先ほども申し上げましたように、費料のとり方が不備だ、まずいというような点もございますが、大局から見ますと、やはりこれは安過ぎる、こういう判定が誤つていなかつたということは現在でも考えております。本件につきましては、本件に限らず、国有財産批難がたくさんございますが、これに対しましては、当局もいろいろ私どもから見ますと強弁と思われるような弁明をされております。説明書を御覧になりますとわかりますが、批難よりもむしろ長い文章を書いたり何かしておられますが、や私どもも又先ほどから縷々申上げております通り、とりました資料、こういうようなものには完全なものが少い。土地案件の本質上止むを得なかつたのでありますが、まずい資料をとつたばかりにあげ足をとられたというような結果を来たしておるようでありますが、大局から見ますとやはり非常に安い。その後にこの秋田などのいい売買実例が出て参りまして、そういうものから判断いたしますと、やはり三百円とか百六十円とか、あの駅前の将来発展することが明らかな土地をこういう値段で売つてしまつたという点はいかさま安過ぎる。こういう結論においては私どもは変つておらないわけであります。  それから三百十四の熊本財務局のものであります。これは宮崎の延岡でありますが、これの土々呂の元の陸軍船舶工丘連隊演習場があつたのであります。この船舶工兵は御承知のように敵前上陸というようなことをやる兵隊であります。岸壁施設を持つていたのであります。この岸壁施設をこみで地元水産業会宮崎水産業会に売つたのであります。この岸壁施設というと相当金がかかるわけでありますが、こういうものをつけて置きながら、値段土地だけの評価よりまだ安い、こういう値段やで売つてしまつたのであります。これなんかに対しましても、当局者はひどく強弁されておるのでありますが、坪当り三十六円で売つたのであります。私どもこれはあとから地元市役所、それから勧銀、こういうものに非常に見まして安いという感じを持ちましたので、評価を依頼いたしましたところが、市役所のほうは当局者が三十六円で売つたものを、岸壁こみで坪当り百円ぐらいが相当だろう、こういう回答を頂いております。勧銀評価は、これは上土地を別といたしまして、土地が四十円余り、四十円五十三銭でありますが、土地代は四十円岸壁は別に三十六万円取るのが相当だ、こういう回答を得ております。これを当局者は、勧銀評価で申しますと、全体が六十六万円ほどになります。六十五万九千円でありますが、当局者は二十六万五千円で売つてしまつた、こういう案件であります。これで大体三百十号から三百十四号までの概略の説明終つたのでありりますが、この値段の決定は当局者先ほど来申しておりますように会計検査院見解と必ずしも一にいたしておりません。それから又ものによりましては参議院のほうも実地御調査になりまして、その報告書が出ておりますが、その報告書も私ども見解と必ずしも一致しておらない、相当食い違つておる面もあるようであります。いろいろ御質問もおるかと思いますが、その辺につきまして私ども見解政府の御説明を伺いました上で又改めて申上げたいと思います。
  4. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) 大蔵省のほうの御説明を願います。
  5. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) それでは只今の三百十号乃至三百十四号の問題につきましての政府側答弁を申上げます。ここにやございますように会計検査院のほうから批難事項が出ておるわけでございますが、一般に申上げましてこれ等の土地売渡し価格が安いという点については我々もこれが非常に高いものであるということは考えておりません。大体において低くめであるということやは考えるのでありますが、ただこの間にやはりいろいろ個々事項に当つてやみますと、相当止むを得ない事情があるわけでありまして、そういう点をよく考えた上で御判断を願う必要があるのじやないか。又御承知のように国有財産をいろいろ処分して、参ります際に、ここにやはり何と申しますか、時間的な制限というようなものもございまして、これは高くなるまでずつと持ち続ければそれはいいのではないかということも考えられますが、一方においてこれは処分相当急ぐ、成るべく早くこれは民間の利用に移したほうがいいというような見地から、時間的な制約というものもやございますので、なかなかその点価格の点について思うにまかせないというような関係もあるというような点も考慮願いたいと思うのであります。なおこの批難事項のいろいろ具体的な数字を出しておられますが、一般的な問題といたしまして、一応検査院のほうでは一般財産税課税価格日本勧業銀行調査全国市街地価格平均指数を乗じた金額でやつておるのだというふうに御指摘になつておりますがや、この点は実は国のほうではこの全国平均指数以外にその土地々々の、各土地毎の価格というようなものを参考にしておるわけでありまして、この全国百四十都市平均と各都市の地価は違つておりますので、その点の意見の食い違いが出ておるというような点もあるように思うのです。  各個々の問題について簡單に御説明申上げますと、最初の三百十の姫路市のこれは練兵場並びに連隊の跡でございますが、これは当時の事情といたしましては姫路市がこれを先ほど説明がございましたように、競馬場に欲しいということであつたわけでありますが、これは当時の状況から申しますと、姫路としては場合によつてはこれやは農地として認定したいというような希望もあつたようで、そういう点について相当牽制を受けたというような状況もあつたようであります。結局これは競馬場随意契約で売ることができませんで、入札にしたわけであります。そうして入札の結果、他に二番札、三番札もあつたわけでありますが、姫路のものが一番高くて、これに結局落札になつた。現場は先ほど申上げましたように周囲は田畑でありまして、非常に濕地の状態である。その中には血染の塚というようなものもありまして、そこで昔老婆が家を構えておりて、そこへ来た巡礼を次々に殺してその血で以て織物を染めて売つたというような非常に嫌な跡があるような関係もありまして、なかなか普通のものでは住宅地等になるようなところではないというような事情もあつたように聞いております。  それから次の三百十一が若松市の練兵場の跡でございます。これも若松市の最南端でございまして、北のほうが旧軍用地、西のほうが若松城の跡、而も南のほうが相当幅の広い九尺の道路で田圃になつておるというようなところでありまして非常にこれは濕地帯でございます。そういうところでございますので、これを二十七級といたしましたということにつきましてはこれは止むを得ないところではないかというふうに考えておるわけであります。  それから次は三百十二でやございます。これは都城でございます。都城連隊並びに陸軍病院跡でありますが、御承知通り都城農業都市で、これは売拂地がすべて郊外の土地に位置しておるというわけで又相当畑地としてはよくないところであります。又特にその跡が防空壕の跡でありましてその莫大な整地費が要る、又練兵場のほうは路面が一尺ほど低くなつて、これを完全な敷地にしますためには相当の経費が要るというようなことも考えられるのであります。こういうような土地についてこれを売ろうといたしますと、やはり何と申しますか、買手のほうで澁るだろうと思います。処分には相当骨折つたと出ております。それぞれそのものについては多少やや低くめに感ぜられるのでありますが、そういう事情がありまして止むを得なかつたように考えられております。  それから次に三百十三の秋田の問題でございますが、これは只今お話のございましたようにほかにも連隊が駅の近所にあるわけであります。ただこの地形を見て見ますというと、駅のすぐ近くではありますが、片方の市街地との間には非常に高い生垣がございます。そうして相当これは大きな土地でございますので、成るほどその一方のほうは非常に何といいますか、賑やかなところでありますので、ここに検査院のほうで御指摘になつておりますような五十六級、類地賃貸等級の五十六級を基礎とすることもいいかと思うのでやありますが、非常に広い土地であります、その裏側の土地になりますと相当低い三十九級というようなことになつております。そういう関係から全体やをひつくるめますというと、これは大体こちらで見ますと五十一級の相場でやあるというふうに見ておるのやであります。従つてその五十六級とそての五十一級の差、又先ほども申上げましたように、全国平均指数つは検査院側の立てた玉・二一倍というふうな数字を取つておりますが、財務局のほうでは、この北地のほうでも平均指数を取りまして三・四六倍という関係から、三百三十円程度のものが出て来たわけであります。この点については多少見解の相違があるわけであります。  次は三百十四の土々呂町の該土地であります。これは戦時中に陸軍から強制買収をされた土地でありまして、それを今回昭和二十三年九月に水産業会に対して売渡しをしたわけであります。そういうふうな事情もありまして、現地の地元といたしましては、その価格でも非常に高いということでなかなりかまとまらなかつた価格でありますが、漸くここに押付けたというような点があるわけでありまして、価格そのものから見ると、なおいろいろな見方によつては、非常なもう少し高くなるのではないかというふうに見られるのでやありますやが当時の事情としては止むを得なかつたものではないかというふうに考えられます。以上簡單でありますが終ります。
  6. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) 只今政府の御説明に対し会計検査院のほうで何か御意見ございますか。
  7. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) いろいろ御説明がありましたので、ちよつと先ほどの私の申上げましたことをや補足して置きます。三百十号から三百十二号、これにつきまして若松についてはお話がありませんでした。姫路都城、これについて大分細かい御説明がありました。その前にこの財産税課税価格日本勧業銀行調査全国市街地平均価格指数、これを会計検査院が持ち出したことにつきまして反対の御意見があつたようであります。これは実は当局がこれをお使いになつておるのでありまして、会計検査院が別にこれをやれとか申したわけではないのであります。これは物価指数つと変動というものを見る意味でこれをお使いになつて売拂つておるものが非常に多いのであります。私どものほうに証拠実書類が全部出ておりますが、これは幾らでもお目にかけるものがございます、当局がこれをお使いになつておる。これが妥当かどうかという点はいろいろ御意見あるかと思います。併し先ほどから申上げましたように、土地売拂土地値段というものはなかなか幾らが正しいかということはわからないのであります。勧業銀行というのは昔からいわば土地評価につきましては、唯一最大権威者というように見られております。その勧業銀行が作りました指数というものに相当権威を置いて見るというのは、これは当然なことでありまして、一つ一つ勧銀評価をしてもらうということは鑑定料を取られましたり、いろいろな関係で実際問題としてなかなかむづかしい。それでこの指数を一応の標準にしているのでありまして、これで、この指数で出した値段で売らなければいけないとまでは、決して会計検査院言つてはおりませんし、政府も又それによつて売られるわけではありませんが、一応の指針にしているということは、これはまあ強く申しますと殆んど全部がそうだ、こう申上げてもいいのではないかと思うのであります。当局がこれをおとりになつておる。ここにも通牒の写しを持つておりますが、全国勧銀指数はこういうものだと言つて方々に配布されております。各財務局に配布された通牒が出ております。最初物納財産売拂いにつきましてこれを使われるようになりましたのですが、一般軍用財産、こういうものの売拂いにもこれを一応の基準にしてやれ、勿論それで売れと、こういう意味ではございませんが、一応の基準として計算を必ずこれによつてした上で、いろいろ上げたり下げたりしておられるのであります。先ほど都城の土や地が非常に、このくらいの値段相当だと、こうおつしやつたのでありますが、その後に実は公務員宿舎、御承知のように三十四年度から公務員宿舎方々に建設しておりますが、公務員宿舎用地を、これをお売りになつ財務部が、財務局言つておりますが、この財務局が今度は逆に買収しておられるのであります。その値段を見ると驚くべき現象があるのであります。この都城日本繊維にお売りになつた十八円、二十二円、こういう安い値段でお売りになつた直ぐ前の土地でありますが、これを二十五年三月に百九十円で買収されているのであります。十八円が相当だと言つてお売りになつて一年半ばかり経つと、百九十円ですぐそばの土地を買収している、こういう事実があるのであります。この百九十円は時期が違つております。ですからその後の値上りというものも考えなければいけないのでありますが、二十三年十一月の標準値段にこれを引直して見ますと、百四十六円四十銭になるのであります。政府がお買いになるときには当局用地としてお買いになるときには百四十六円出さなければ買えない。売るときには十八円と二十二円で売り飛ばしてしまつて、それでその値段が正当だと、こういうことを伺うと、私どもとし序では非常に遺憾なのであります。もう一つ申上げますと、同じ時期に修正やいたしました値段が百四十六円余りであります。この土地を十八円、二十二円でお売りになつているのであります。而もこの百九十円で買収されたときの書類を見ますと、お売りになつたかたが、同じ人が買つているのであります。こういうのを見ますと、私どもとしては政府がながながといろいろな答弁を書き、いろいろな強弁をされましてもどうしても納得できないのであります。一年くらいの間に十倍という値段を出してお買いになり、その土地をお売りになるときには十分の一くらいの値段で売つて行つて、而もその値段が正しいのだと、こうおつしやるのに対しては私どもとしては納得できないのであります。  それから秋田でありますが、これも私ども書き方が非常にまずいのでいろいろあとで、これはしまつたというような所も実はあるのでやありまして、あまり今いい案やということにはなつていない、その点は素直に認めるのであります。売買実例がありはしないかというのでいろいろ手を盡しましてその後に出て来たのであります。これは一つでござついましてこの秋田土地当局がお売りになつたのは三十三年の末から交渉があつたようでありますが、正式にきまつたのは二十三年の一月であります。それから約一年前二十三年の三月に秋田市内、これは目抜場所でありますが、大町という賑やかなところで地の等級もこの本件のところよりは若干いいようであります。六十級の土地であります。これを千四百四十円でたしか日産火災海上つたと思いますが、これが買つた実例があります。面積も違いますし、等級も違いますので、一概に言えませんが、これを仮に二十二年の三月の売買実例本件の二十二年の末から二十三年やの初めに売買があつたということでや一応これを修正をして見ますと、本件土地は千八百三十六円になるのであります。千八百三十六円、こういう一応基準が出るのであります。勿論千八百円でお売りなさいとはこれは申上げられないだろうと思います。いろいろな事情もございますし……。併しながら千八百円という一応の値段が出る土地を三百円なり、百六十円で売つたと、こういうのが本件であります。先ほどから申上げました通り、この中を御覧願いますと、書き方がまずいためにいろいろ揚げ足を取られるような面もあるのでありますが、併し大局から御覧願いまして平年余り前に秋田市内売買実例が六十級の土地が千四百四十円という事実はあるのであります。これを私どもが東京におりまして秋田事情を調べてもこれはわかるのであります。秋田でお売りになるときに御当局がこういう売買実例をお調べにならんという点にも私どもは甚だ遺憾の点があるのであります。いろいろ申上げましたが、要するに秋田案件につきましてはこういう売買実例もございますし、大局から見ますと百六十円とか、二百八十円、三百十五円という値段はやはり安過ぎたんじやないだろうか。自然の環境から申しましても先ほど申上げましたように秋田市というのは駅前連隊の広大な地域がございますために、非常に駅前前の発展というものは妨げられていたと思います。それやが開放されまして放つて置けば当然その辺やが市の中心になる、非常に発展するということはこれはわかり切つたことであり出す。土地を売る場合にはいろいろむづかしいのでありますが、将来の発展見込みということも一つの大きな要一系であります。目抜場所が千四百四十円で売買されたという実例がございますから、御当局としては当然これを御参照願つて然るべきだつたと思います。これについては何ら御参考に供されないで、まあ私どもから見ますと今のような売買実例に比べますと非常に安いと思われるような値段でお売りになつた次第であります。  それから立ちましたついでに申上げたいのでありますが、この秋田につきましては参議院のほうから特別に御調査になりまして、報告が出ております。これによりますと、まあ中味は省略いたしますが、結論といたしまして、従つて本件についてはむしろ会計検査院見解が不適当であつて財務局の売り渡し価格が不当であるとは認められない、こういう私どもから見ますと非常に残念な結論が出ているのであります。これに対してとやかく私から申上げたくないのでありますが、今まで申上げたことによりやまして、この結論だけはこのなかに書いてございますことのなかには御尤もなこともございます。私ども先ほどから申上げました通り資料の取り方が不備、資料に対する見方が悪かつた、或いは財務局のほうから資料を取らないで地方事務局のほうから資料をや取りましたばかりに間違いがあつた、こういうこともあります。一つ一つにつきましては私どもとして甚だ面白くなかつたというようなこともございますが、この結論だけは今市上げました売買実例、この一つを以てしても私どもとしては実は御認識をお改め願いたい、こういうふうに感じている次第であります。
  8. 岩沢忠恭

    ○岩沢忠恭君 只今会計検査院、大蔵省から政府当局の御説明を聞いたのでありますが、第一に会計検査院にお尋ねいたしたいことは、こういうような土地処分なり或いは国有財産処分については相当今後出ることだと思いますが、今御説明を聞いておりますと、土地の売価といいますか、そういうものについて会計検査院で何か標準でもあるのですか。その標準が今お話を聞きますと、何かどうも勘で行くような気がするのですが、大蔵省としてはいろいろ相続税とか、或いは財産税とか、或いは賃貸価格といつたようなことについて相当厳密に調査しておられる。又そのときと場合によつて相当売買率が変つて来るのじやないかと思いますが、ただそれを総括的に会計検査院のほうで、これはどうも安過ぎるのじやないかというような感じが説明の中に受取れるのですが、従つてそういつたようなことは今後続々起るものでありますから、会計検査院といたしましての土地評価標準はどうしておるのかということを伺いたい。  もう一つは、勧銀が成るほど全国土地調査ということを十分いたしまして、その価格がどのくらいだという標準をきめておりますが、これが一律にどの都市勧銀価格をアプライするということは私はどうかと思う。これはやはり土地そのものについては勧銀評価というものを参照されて、その土地場所、とき、経済状態、相手の利用価値というようなことによつて多少の幅が斟酌されるのじやないかと思いますが、それについての御意見一つ
  9. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) 只今の御質問でありますが、大蔵省がいろいろな面から検討して、それにきめたのに、あと会計検査院がただ勘で批難しておるのじやないか、そういうふうに承わりました。ちよつと御参考までに申上げますが、土地評価でありますが、先ず姫路の例をとつて申上げますが、先ほども相続税の課税標準というようなことについてお話が出たようでありますや、相続税の課税標準によりますと、あすこの土地は最高が百四円になるのであります。相続税の課税標準は税金をかける場合の標準でありますから、一般のあれよりは安いのが常識だと思います。一般の売価よりはその安い相続税の課税標準で計算いたしますと百四円になる土地を、三十円でお売りになつておるのでやあります。御当局の計算もこうも抽象的にお書きになつておると誠に御尤もであります。ところがその通りにやつておられないのであります、ただ最後に逃げておるのは、精通者の意見を聞くとこれくらいだからこの計算は不当だ、これに落ちつくのが実際のお取扱いであります。この土地値段というのは、先ほどから申上げておりますが、事実なかなかむずかしいのでありまして、こういういろいろな計算をいたしまして、実際にその値段で売れるかどうかという点は相当疑問があるのであります。そう政府が非常に厳密な計算をしてその通りに売つておるのではないのでありまして、それから会計検査院も決して勘でいたしておりません。ここに掲げましたのは安過るじやないかというのは、年に何十件も出て参りまして、それを検査して参りまして、そのうちでいろいろな角度から見て政府が御採用になつておるので、今の姫路なんかもその一つであります。相続税の課税標準による計算は私どももしております。それによると百四円になります。それから都城は二十二円及び十八円で売つておるが、当時の相続税の課税標準で計算すると百二十円、九十六円になります。それを二十二円、十八円で売つておるから、会計検査院は実は文句を言うのでありまして、私どものほうは初めこの案には相続税の課税標準によると幾らになるという標準はつけたかつたのでありますが、これはなかなかそれで売れと会計検査院で言うのも言いにくい面もございますので、実はこの批難から削除したのでありますが、相続税の課税標準で計算いたしますと、常識的にも一般の市価よりも安くなるのです。こんな安い標準で計算しても百四円になるのを、三十円、二十五円で売つてしまつた。それから百二十円になるのを二十二円、十八円で売つてしまつた。そして最後のきめ手はなにかというと、精通者に聞いたら、こういう御意見であつたからこれで売つた。ですから会計検査院は実は文句を言うのでありまして、せめて相続税の課税標準ぐらいの値段で売つておれば、まあ姫路とか若松都城について決して会計検査院は文句を言わないのであります。それから、これからこういう例は今後たくさん出るかというお話でございますが、国有財産は引続き重点的に実は検査をしておりますが、大体土地の主なるところの処分は終りました、最近はむしろ建物のほうの代金とか売拂について多いのでありまして建物の値段は実は土地よりなおむずかしいのでありまして、実は今年も私どものほうで二十件近くのものが問題になりましたのですが、これはどうも土地よりもむずかしく、而もその安を出しますと、あとから国会のほうで御調査なりまして、私ども書き方がまづかつた点などをぎゆうぎゆうやられるものですから、建物につきまして、こういう案を出しますことはこれは私個人の気持としましては局長として全部そういうものは国会にお目にかけたくないという気持さえ実は持つております。私どもとしてはこれはなんかの機会に申上げたいのであります。曾つて参議院で会計検や査院は国会の耳目として国会と検査院で共同して政府当局の非違を正そう、こういうような御決議があつたこともございます。これは昭和二十二年の八月六日でございます。私どもは国会の耳目として働きたい、こういうようなつもりでやつておるのであります。なんでもかんでも国会にお目にかけたい、こういうような気持は多分に持つておるのでありますが、たまたまこう出しまして少しまずいところがあると、逆に会計検査院先ほどちよつと読上げましたように、会計検査院見解は不適当であると、こういうような報告が出るようになりますと非常に消極的にならざるを得ない、こういう気持が私どもとして強いのでありまして、余計なことを申上げて恐縮でございますが、国有財産売拂会計検査院相当重点的に検査はしております。それでひどいのは出しますが、この三十三年度というのが、恐らく一番多いのではないかと思います。今後はこういう値段の高い安いというのは余りたくさんないと思います。むしろ代金を拂つていないというような案件は出て参ると思います。値段が高い安いということになりますと、非常にむずかしい問題もございますが、そう今後はこういう問題は出て来ないのではないかと考えます。
  10. 深川タマヱ

    深川タマヱ君 国会の耳目になつて働いて下さつているとおつしやつた会計検査院の方が御指摘になりましたように、只今都城土地売買はどうも穏当を欠くように聞えますが、一年前に僅か十八円や二十二円で売つたものが僅か一年の間に百九十円で買求めたかたが、而も同じ人によつて買求められるということはどうも私どもに納得がいきにくい上に、いつだつたですか、参議院のかたが調査に行つた報告書を拝見いたしましてもどうも穏当でないように書いてありますので、調べた大蔵省のかたがおいでになりますので、この間のお調査がよくおわかりでしたら御説明頂きたい。
  11. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 都城土地につきましては、先ほどからもお話のございましたように、我々もこれが非常に何と申しますか、高いというようなことは考えておりませんので、相当低く目であるというふうに我々は考えておるのであります。売渡した際の価格が、ただ先ほどからも会計検査院のかたからもお話になつておりが、土地価格というものが非常に何といいますか、売る場合と買う場合とこれは非常に値段が違つて参ります。又どうしてもここを買いたいというような場合には相当値段が出ますが、又足もとを見られるというようなときにはこれがなかなか値段が低い。それならば、値段が低ければいつまでも売らないで放つておけばいいじやないかというふうに考えられますが、併しなかなかそうもいかない事情もあるわけでありまして、そこで非常に値段のほうもデリケートな問題が多いのでありますが、ここで一番問題になりますのは恐らく都城が、将来この土地が西方郊外のほうで発展も期待できないというふうに考えられておつたのですが、その後非常に情勢が変つてきたんではないかというふうに想像されるのであります。その点が一点と、それからもう一点はここの報告書にも書いてございますように、相当疎開跡地であつて、整地に非常な経費が要る。又相当何と申しますか濕地でありまして整地費用が要る。そういう点において従来、つまり売渡しのときには相当そういうように状態が悪かつたのでありますが、その後これが非常に何といいますかよくなりまして、こういう紡績会社などもできて、そこの土地がよくなつた。そういたしますと、自然に附近の土地等もだんだん上つてくるというような点もあつて相当値が出て来た。そこに又あと公務員宿舎などのために急いでその土地を買わなければならんというような事情から、そういう額が出てくるような状態が起つてきているんではないかというふうに考えております。
  12. 深川タマヱ

    深川タマヱ君 御本人はまだあるのだろうと思いますから、一つ御本人を呼んでみる必要があると考えますが委員長どうですか。
  13. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) 深川委員に申上げます。その当事者が同一人であるかどうかということもよくわかりませんので、なお研究して次回にここで申上げます。
  14. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 只今の、つまり後で買つたと言いますのはこれは都城の電波監理局というところで買つたのでありますが、ただその買つた場合に、買つた額について事務局の方に、恐らく出張所だと思いますが、意見を求められただろうと思うのですが、その際に、つまりこう電波監理局のほうでは実際話をつけてもつて来ている。そこで又止むを得ずそれに合せるような調書を作つたというのが恐らく実情ではなかろうかと思うのであります。
  15. 深川タマヱ

    深川タマヱ君 大蔵省のかたにお尋ねいたしますが、先ほどの御説明の中に、一年前に濕地であつたのが一年の間に変えた、そのことについて伺いたいのが一つ。もう一つは一年の間に紡績工場が立ち並んだ、そのことについて一つ。それからもう一つは公務員の住宅をそこに立てなければならないせつぱ詰つた事情があつたのかどうか、そのことを若しおわかりでしたら伺いたい。
  16. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) この売渡しましたのはたしかこれは二十三年でございまして、この買入れのほうが二十四年の十一月でございますか、その間に私はまだ現地を見ておりませんので、実際紡績会社が建つたかどうかということは知りませんが、そこへ紡績会社ができるということははつきりしておるわけであります。そういうものが当然何といいますか、その実際に工場が動いて行くというところまで或いは至つていないかも知れませんが、そういう点が何といつてもそれができるということだけでもいろいろな土地関係としては有利な條件になつて来るこういうふうに考えた次第であります。それから今の公務員宿舎の点は、都城に電波監理局というのがございまして、この宿舎として是非その宿舎がいるということは、これはどうも事実であつたと思います。
  17. 小泉秀吉

    ○小泉秀吉君 ちよつと会計検査院に伺いたい。国会の耳目として働くつもりで、毎年努力しておつたが、国会の調査報告や何かで見ると、自分たちのやつておることに水を差されるようで、いわゆる審査意欲を抹消するようなことになるから、少くとも家屋のような、住宅というようなものに対しては余り触れないようにしようというようなふうに私は伺つたんですが、若し私が伺つた通りだとすればこれは重大なことではないかと思いますので、会計検査院の職能が国会で賞められたり、けなされたりすることによつて左右されるというようなことはこれは勿論ないことだろうと思いますが、こういう問題はやはり会計検査院の職能の大局に立つて、是非一つ従来の通りの意思気込みとそれから理論の上に立つた御計算がなされるよう特に委員長から会計検査院のほうに只今のようなことが、私が理解したようなことであるならばお取消しを願つて本当にやはり働いて頂きたい、私はかように考えるものであります。
  18. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) わかりました。
  19. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) 私の申し方が或いは悪かつたかも知れませんが、私どもといたしましては、先はど申上げましたように、曾つての御決議の次第もございまして、国会の耳目ということで、只今のようなことのないようにいろいろ検査しております。ただ建物の値段というようなことになりますと、土地値段先ほど来縷々申上げましたように、非常に実は判定がむずかしいのであります。きわどいやつ、例えば私どもがいろいろな資料から計算いたしまして、その六割なり、或いは七割なりの、或いは五割なりの値段政府がお売りになつた、こういうふうな案件ですと、私どもも強いて検査報告に上げて、批難するという態度は今までも実はとつていないのであります。建物の値段につきましてもいろいろ検討いたしまして御当局に照会をたくさん出しております。それで改善を促すという処置もとつておりますし、決して検査をにぶらせるとか検査をやめてしまうとかいう、そういうようなことは全然、国会がどういうような御報告にお出しになりましても、そういうことは全然してもございませんし、将来もするつもりもございません。私どもとしては一貫した態度で毎年検査方針を定めまして、その方針に従つて一年間いろいろ調べ、注意を喚起するという方法を今までもとつておりますし、将来もとるつもりであります。  先ほど申上げましたごとく、まあ非常にきわどいものが多いという一例ともして申上げましたのであります。どうぞその点は御懸念のないように一つお願いしたいと思います。
  20. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 私は都城軍用地のことにつきまして当局にお伺いいたしたいと思いますが、実は都城軍用地の問題につきましては、私ども昨年の夏実地調査に参つたのでありまして、その調査につきましては、御報告をなしてありますから御覧頂きたいと思います。私ども調査の結果は会計検査院批難なさつておることが少し弧すぎるのじやないかというような結論に調査の結果はなつたのですが、先ほど大蔵省のかたから御説明があつたのですやが、私どもは大体坪二十二円とか十八円というのが大体妥当であろうというふうに考えておつたのでありますが、大蔵省では先ほどお話では安すぎるというようなふうにちよつと伺つたのですが、安すぎるのだか或いは妥当な値段かということははつきり考えてあるのかどうかお伺いいたしたいと思います。  それから会計検査のほうへお伺いいたしたいのですやが、この三百十二番の説明になりますが、一般に軍川地の売渡しでは財産税の課税価格勧業銀行調査全国市街地価格平均指数を乗じた金額を基準にしておる。その基準に合せて日本繊維工業売渡した分はその基準に対しては一四%ぐらいだからこれは著しく低価に失するのだ。なお日本繊維正工業に売渡し土地は工場敷地として将来発展の可能性があるのだというように認めておるというようなふうに伺うのでありますが、私ども調査に参りましたのでございますが、現地はこれは都城からずつと離れておるところにございまして、将来工場地帯として有望な土地だというようなことは私は本件土地に対しては認めることはできないのじやないかと実は考えておるのですが、御承知通りに終戦後軍用地全国に十四、五万町歩実はあつたのですが、それは全然開拓のために無償で、実は農林省に移管するのだという原則があつたのですが、これは、それが工場敷地やの発展の見込みがあるものとかないものとかいうようなことは、これは問題外なんですが、原則として軍用地は全部開拓地のできるものはするのだということになつてつたのであります。さぞやこでこの日本繊維工業売渡し土地はどういうところかと申しますと、実はあすこは百町歩ぐらいの軍用地は殆んど全部が開拓地になつて、あすこは入植者が皆入つておるのやです。その当時開拓者に譲渡した土地はこれは無償で、実は無償に近い、無償だと思いますが、尤もそれに対して開墾地のような加工費を出して、そうして農地の価格売渡していますので、土地価格というものは、実は全国的に事用地で十何万町歩というものは殆んど値段がないようなことになつていたのでございます。それで三千坪ですか、この工場敷地が開拓地の中に介入しているような地形になつているのでございますが、その部分と開拓をした所とは、殆んど地形については私は変つてはいないんじやないか。而もや続いて開拓すれば同じような畠になつてあの附近は全部自作農地になつている所へ、真中へそういう介入したような土地が実は入つている。全部開拓地にこれは譲渡するというのが、そこが開拓にならないから工場敷地に売つたのだ。そしてそれに対する道路とか地均し費用とかいうものをかけて、工場敷地にしようとしたのだ。どうして工場敷地にそこだけを特に売つたかということについて、また私もはつきりしないのです。県庁でもその当時実は陳情があつたから、こういうことをやつたのだろうというように思うんですが、その当時の人もおりませんし、記録もないからわからんという話でございますが、とにかくあすこが、実はその介入したような土地が工場敷地として将来有望な土地だというようなことはどうしても現地の事情からも私は見ることはできない。全体が開墾地の中に取巻かれたような土地であるのでございます。その廻りに点々として実は宅地等があるのでございますが、その宅地のその当時の売買事例というのは、これは大蔵省のかたから御説明を聞いたのですが、畠川地としてでなく、宅地として二十二円八十銭くらいの売買事例があるのです。だからそれに対して道路とかの加工費を入れれば、二割減ずればいいことになるのです。それが病院の敷地のほうですが、それに対してなお開墾地のほうのもつと地形の悪い、開墾にもならないような所だから、それを敷地にすればもう少し加工費がかかるから、又二割くらい引いて、そうして十八円くらいにきめた売買事例が、大体その近隣で二十二円くらいでその当時あつたということですから、それと比べて大蔵省が売つた値段はそう高くはないように私どもは考えているのでございます。あの本件土地に対して全国百四十都市ですか、それの工場地の平均指数を掛けたのであります。それだけで考えて一四%だということはこれは少し批難が強過ぎるのじやないかというように考えているのでございます。先ほどこういう問題に対して二十五年度に公務員の宿舎を買うときには、同じような場所でこれは百九十円を出して買つているのだからという問題ですが、大体それを二十四年くらいに物価指数を比べて見れば百四十六円くらいになるのだから、買うときは非常に高くて、売るときには非常に安かつたというようなことでしたが、二十五年に実は買つたような状態と本件土地売買のあつたのを今比べて見ても、これは比較は私は情勢が違つていてむずかしいのじやないかと考えるのです。  なお会計検査院で言われているのは、これは売買の決定のありました二十三年の十一月の場合を基準にしていられるのでありますが、その売買の契約を大蔵省と日本繊維工業でやつたのは丁度満一年前の二十二年の十二月に実はやつているのでございます。二十二年の十二月から二十三年の十一月、一年間の物価の変動も相当あるのですが、その後特に二十五年までには非常に物価の変動があるのでございます。こればかりの土地売買するに一年も手続にかかつているということは、これは非常に事務の澁滯していることで、何か改善の余地があるのじやないか。一年前に売買契約をしたときと、そうして決定を一年後にしたときの標準で安いとか高いとかいうことを言うのも私は妥当ではないと思うのでございますが、売買契約のときを基準にするのか、それから決定のときを基準にするのか、どつちが正しいのかというようなことについても、これは当局から私は説明を伺いたいと思うのでございます。
  21. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 只今の契約の時期の問題でございますが、これは、私のほうではちよつと事情がはつきりいたしませんのでありますが、三十二年の十二月の売買契約というのは恐らくは実際の話と申しますか、実際の交渉がそのときにあつて、いろいろとお話しして、最後に二十三年十一月に正式の契約が締結になつたのじやないかというふうに考えるのであります。これは法文上から申しますれば、二十三年や十一月号の契約当時の時価で決定すべきものであるというふうに考えられるのでありますが、何分にもそういう場合にはいろいろと前からのいきさつがありまして、殊にこの契約の締結についての手続の遅延についていろいろむしろ役所内のほうで責を負うべきような事由、例えば書類はこれは恐らく都城から旧熊本の財務局へ持つて行く、或いは熊本の財務局でこれを審査していたというようなことがあるのでございます。そういう場合にいろいろ当事者の係の者が、その連絡がまずかつたというようなことでもありまして処理が遅れるというようなことになりますと、むしろ役所のほうの事務の遅延のためにいろいろな不利を與えるということになりますので、前の価格に引きずられるということが起ると思うのでございます。併し法律的に正式に申しますれば、これは売買契約が締結になつたときの価格ということとすべきが原則であると思うのでございます。
  22. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) 先ほど会計検査院批難が強過ぎはせんか、こういうお話でございました。先ほど来しばしば申上げましたように、この土地価格基準というものがなかなか実はむずかしいものでありますから、或いは財産税の課税標準なりそういうようなものから一応の基準を作つて、その上下の差の余り激しいものという意味で挙げたわけであります。書きかたとしては御指摘のように或いはまずかつたかも知れませんが、先ほど申上げましたように、この都城案件は相続税課税標準で計算いたしますと、百二十円になるのであります。それで百二十円と九十六円になります。私どもはこの日本勧業銀行調査指数を乗じた金額を基準とすると、こう言い切つたのは、実は少し強過ぎたのでございますが、いろいろなものから計算いたしまして、どうも安過ぎはしないだろうか、こういうつもりでこの案をやつたわけでありまして、ここに書いてあることだけで決して判断したわけではございませんので、その点御了承願いたいのであります。  それからその末の方に、「日本繊維工業渡しの分は紡績工場用地として利用するもので、いずれも市内にあり、すべて将来発展の見込がある」こう書いてございますが、これは工場用地として買つたのでありまして、日本繊維が工場に使うということは、これは確かのようであります。それからその後の発展見込みでありますが、これは先ほど深川さんからもお話がございましたが、電波庁の関係で、電波管理から実は買却しました土地本件敷地の斜め前でございますが、この公務員宿舎用地とこの都城電波監理局との間は一本の直線的な道路でずつとつながつております。相当いい道路なのでございますが、地域的には電波監理局の公務員宿舎としていい地域のようでございます、余り近くはございません。この附近は農地だというお話でございますが、私は実は行つたことはないわけでありまして、資料だけで判断しているのですが、この売拂いました附近が都城高校、五十市中学、その他市営住宅、財務出張所、放送局、こういうようなものが諸所にできておりますが、私現地を見ておりませんので、或いはこれは予定だけかも知れません。それから非常に便利な所だということは、これは都城の市外、市外ではございませんが、外れでございますが、五十市という駅がございます、その五十市の駅から六、七百メートルの所のように、地図で見ますと、そういうふうになつております。それから購入のときの調書を見ると、交通が非常にいいというようなことも書いてございますし、終戰直後は農地として利用するという全国的な方針の中に入つてつた土地かも知れませんが、又現況なりこれを売ります当時のあれから参りますと、農地並に扱うとすれば、非常に安く処分しなければいけないというような感じは、実は私どもの集めました資料ではそういう感じは持つていないわけでございます。ただここが都城のような所でございまして、昔軍隊で持つてつたような所ですから、あれがすぐ工業土地に転換するとも私どもは考えませんが、この会社が工場、用地として買つたことは事実であります。駅から比較的近い所だというので、今申上げましたようないろいろなものが、これは建つたのか、これから建つのか、ちよつとわかりかねますが、その後の資料で見ますと、相当いい市街、それから住宅区域と区画整理というようなことも図面の上で、見取図ですが、出ておりまして、将来の発展見込みという意味から申しますと、そう農期としてしか使えないというふうにも見受けられないのですが、その点御了承を願いたいと思います。
  23. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 工場敷地になりました所は、これは交通が便利で、そして駅からすぐ近所にあるというお話でございますが、駅がすぐ近くにあるということは、お説の通りでございますが、それは駅と申しましても、ここらでいうと、バラツクのようなり小さな駅で、駅といえるほどのものではないと思う。汽車がとまる程度のものと私は考えております。なお将来工場地として発展の見込みがあるかどうかということですが、これは先ほど申上げましたように、この土地は開墾地の真中に介在するような土地で、その開墾地は軍用地の拂下、自作農創設の法律で長い間譲渡等を禁止されたる土地で、農地としてもほかに利用するということは禁止されている土地ですから、私はここは少くとも二、三十年の間は工業地帶として発展する見込みはないと考えているのでございますが、その点、これは実地調査の結果だけを申上げておきます。
  24. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) では三百十乃至三百十四はこの程度で質疑は保留して、次に移りたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  25. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) それでは三百十五乃至三百二十三を議題にいたします。会計検査院の御説明を願います。簡明に、重点的に御説明を願います。
  26. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) 三百十五号、三百十六号でございますが、これは船舶の売拂なりその他の処分に関しましての案件でございます。全国財務局において船を相当処分しておりますが、この売拂価格が低いというのが三百十五号であります。大分たくさん出ております。三十三年度中の船舶の売拂は十一万二千トン、金額が二億八千三百万円、こういうことになつておりますが、この売る値段基準を十六年の四倍から十五倍程度に見ておるのであります。そうしてこの四倍から十五倍というのはどういう標準当局者がお出しになつたかと申しますと、日本銀行の調査による機械類の一般物価指数をおとりになつて、その通りにはしておりませんが、一応これを参酌いたしまして機械類の値上りを申しますと、十六年を基準として出しますと、二十一年が九・九、二十二年が二十三でありますが、これを更に下げまして四倍から十五倍、結局一般の機械類の値上りを御参酌にはなつておりますが、それよりも更に低い率でおきめになつた、こういうようになつておるのでありますが、私どもといたしましては船を売るのだから、船と機械とは違う。船の価格の値上りを参酌すべきではないか。その船の価格の値上りがわからないならともかくも、これは運輸省にお聞きになればすぐわかるのでありまして、私どものほうで運輸省海運総局について調べたところによりますと、十六年を基礎といたしますと、鋼船五十倍から六十五倍ということになり、機帆船とか木船もこれに準じて値上りをいたしております。船をお売りになるのに船の価格の値上りを参酌しないで、日銀調査一般の機械の価格の値上りを参酌して、而もそれよりも低くきめておる。これがこの批難骨子であります。海運局をなぜ一体お調べにならないのであろうか。それからもう一つは二十一年度に十六年を基礎にしておきめになつたのを二十三年度にそのまま使つておるわけであります。二十一年から二十三年と申しますと物価変動が非常にまあ大きかつた時期であります。二十一年にきめたものをそのまま使つてつた。結局において非常に安く売つてしまつた、こういうのが批難の第二の要点であります。それからその後当局者もお直しになりましたが、お直しになつた頃にはもういろいろな売りやすいものは大分安い値段で売れてしまいまして、折角お直しになつても売りにくいものが残つた、こういうような実情になつておるようであります。  それから三百十六でありますが、これは三菱重工業に貸しておりました機帆船を三菱重工業が他に転貸いたしまして、転借人が使用中に燒いてしまつた、その燒いたときの損害賠償を国としてどうすべきかというのがこの批難骨子になつております。借受人は、これは国のものなんですが、これを私用船として保險に付しております。その保險金を取つていたのでありますが、二十四年五月に会計実地検査当時においても当局はその弁償金を取つていない。借りた人間が国に無断で保險に付しまして、それを燒いてしまつた。その保險金を自分が取つていたのに国がそのままにしていた。これを会計実地検査のときに見つけたのであります。非常に措置が緩慢であつたというのが批難の一点でありますが、又その弁償金の取り方であります。これは大体保險会社が評価いたしますと、三百六十万円ほどになる船であります。それで機帆船は非常に危いものでございますから、保險をなかなか評価通りに掛けてくれない。それで保險金が百五十万六千円ということになつたのでありますが、その百五十万円をそつくり借受人のほうで取つていたのに、国が全然それを放つたらかして置いたと、こういうのであります。それで検査院の注意によりまして、ここに百八十七万五千円とありますが、これの八掛だけ保險金を取つております。保險金を取つたのは百五十万余りであります。百五十万円の保險金を取つて検査院で注意いたしますと、いろいろな経費を借受人が負担しているからということで、更に三十万円引きまして、百二十万円弁償金を漸く取つたというのでありますが、私どもといたしましては、百二十万円も少し低過ぎるのではないか。国が三百五十万の価値のあるものを貸したのでありますから、燒いたのは、国が責任があるわけではありません。借受人のほうが責任があるわけでありますから、保險の百五十万円から、いろいろな経費がかかつたからといつて更に三十万円も引いて百二十万円取つているというのは、少し低過ぎるのではないかと考えておるのでありますが、とにかくこの批難骨子は、今申しましたように、保險を取つてしまつたのに、国が何もしないで放つて置いたものを検査院が注意をしたということであります。
  27. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 三百十五号と三百十六号の点について、大蔵省側として御説明申上げたいと思います。  三百十五号につきましては、只今説明がございましたように、船舶の売渡価格が著しく低価に失した。それは船価指数というものを掛けて、船舶の売上価格を算定しているが、それが機械の倍数等を参酌しておつて、造船のほうの指数はとつておらないという御批難でございますが、この点につきましては、この大蔵省の説明書にも書いてございまするように、実はこの旧軍用船舶というものについては、一般の新造船とは違いまして特殊の状態にあるわけでございます。第一には、性能、構造等がいわゆる旧軍用船で、軍用に使うために造つてありますので、一般の輸送船としては非常に稼動力が低いということが第一点であります。第二は終戰後数年を経ているわけでありまするが、戰時中非常に苛酷に使つておりますし、又終戰後混乱をしておつて保管が惡いというために、実際これを使います場合には、非常な修理を要するものが多いわけでございます。それでこの大修理を要するということになりますと、却つてその破損程度状況によつては、新造船のほうが採算上有利になるということがありまして、まあこういう点についてはどうしても船価をきめる場合に非常に不利な影響があるということになつております。それから第三点といたしましては、拂下げの船舶の改造、修理を行います場合におきましても、当時の事情といたしましては、関係方面に改造許可を受けなければならない。関係方面では非常に嚴密な検査をしまして、漸く許可をする。或いは又燃料の配給についても許可を得なければならんという状況で、非常に燃料配給が逼迫しておつたわけでありますので、そういう点については、なかなかむずかしい点があるわけであります。こういう点を全体の状況と総合勘案して見ますというと、普通の新造船の値段一般の船舶の値段というものから見まするというと、どうしても相当これは割引きして考えなければ到底売却できないというので、結局この船価指数において、新造船価指数の大体三〇%程度に決定をしたわけであります。その結果、実際のあれを見てみましても、このくらいの船価指数できめましても、なかなか讓渡が円滑に行かなかつたわけであります。実際の処分状況は必ずしも順調でなかつたわけであります。そういたしまして、結局まあ二十四年十月になりまして、会計検査院の御注意もあり、船価指数を上げたのでありますが、最近のようにかなり船舶関係がよくなつて参りますと、多少まあ事情は変つて来るわけでございますが、当時の状況においては、このくらいにいたしましてもなかなかその拂下げについて順調に行かないというような状況であつたと思います。それから見ましても、それほどこれが低いものであるとは言えないように我々としては考えております。  次に、三百十六号の損害賠償求償額が低価に失したのではないかということでございまするが、この点につきましては御指摘のように、百二十万三千九百二円の徴收決定をしておる。ところがこの価格先ほどの船価指数から決定した価格になつておる以上、これは低いのではないかということを考えられるわけであります。特にその理由としては、保險価格が百八十七万五千円であるということが、その理由の主なところであるかと思うのでありまするが、これは本船は終戰後一時使用者が大修理をいたしまして、約百万円の金を投じておる。従つてこの求償いたしました百二十万円と合算いたしますと二百二十万円となる。従つてこれらの状況を勘案して見ますると、この求償額というものも、必ずしもこれは低価に失したものではないというふうに考える次第であります。  簡單でございますが御説明申上げます。
  28. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 只今船舶の評価のことにつきまして、会計検査院と大蔵省のほうから御説明がございましたが、会計検査院の御説明によりますと、この船舶の評価をなさるについて、十六年を基礎として、鉄鋼船は五割から六割、木造船もその程度に上つておるというような評価から言われておるようでありますが、本件のような軍用船舶で稼働率の低いようなものについてはこれらについては何かウエイトを付けてやるほうが私は適当ではないかと思いますが、それらについて御考慮になつたかどうか伺いたいと存じます。  それから大蔵省のほうの御説明によりますと、これは軍用船舶で、普通の輸送船とは違うのだからと、日銀の一般の機械のような価格標準にしてやつておられるようでありますが、やはり船は船なんだから、何か海運総局のほうの資料参考として御採用になるべきであると思いますが、そういう点はどういうふうにお取計らいになりましたか。  もう一つ、この決定になりましたのが二十一年度で、それを二十三年度まで續いてやつておられるようでありますが、非常に、その間に私は五倍くらいの物価の変動もあつたの相当違いもあるのでありますが、とにかくこれは非常に安過ぎたというようなことはお認めになるのでございますか、その点をお伺いいたしたいと思います。
  29. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 只今の船価指数については、成るほどその機械類に関する指数も勿論これは考慮しておるわけでありますが、又そういう点を先ほど申上げました経済度、需要度を総合勘案いたしまして、結局船価指数というものは、新造船価指数の三割程度に決定したということで、勿論その新造船価というものの上り方というものは考えておるわけであります。  それからなお先ほどの第二の点の船価指数の変動の状況でございますが、これは昭和二十三年九月までの間は五倍から九倍、且つこれは船の種類によつてつておりますが、五倍から九倍、三十三年十月から二十四年九月までの、大体一年になりますが、この間が五倍から十五倍、そうして二十四年十以降は、これを十倍から四十倍、こういうふうに順次直して来ておるのであります。
  30. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) 溝口さんの先ほどの御質問でありますが、一般の民船の値段基準にして軍用船を云々するのはどうか、こういうふうなことでありまして、これは軍用船は鋼船、木船大分多いのでありますが、これは実は軍艦ではないのであります。軍艦は、御承知のように、全部壊しまして、売つたものは一隻もごございまをせん。軍艦でない軍用船でございますが、民船と実はそう違わないのでありまして、軍艦と民船、あれには線がありません。これはポツダム宣言のあれによりまして、全部武器と一緒に壊してしまいました。民船はこの中には一隻も入つておりません。陸海軍が普通の用途に使つていた軍用船であります。たまたま籍が陸海軍にあつたというだけでございます。そういう民間の船とそうえらい違いは、たまたまはございますが、稀に非常に性能の違うものもございますが、そう民間の船と違つたものはないのであります。又それだからこそ、こういうふうにたくさん買手もついたのでありますが、ただ性能が、戰争中酷使しましたために、新造船なんかに比べますと劣る、低性能船というものは、それはあつたことは確かにあつたと思います。併しきわ立つてそうたくさんの船がみんな民間の船と違うというのではありません。大体民間の船と同じような働きをするものであります。その点をどうぞ御了承願いたいと思うのであります。  それから私どもとしては、やはり船は船なんで、一般の機械というようなものの値上りを標準にして、而もそれより安いというようなもので売らなくともいいのじやないか。書き方が少しきつかつたかも知れませんが、單に新造船の値上りをそのままとれとは考えておりません。このことを参酌して適当なところにきめたらいいのじやないかと考えておるわけであります。
  31. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) よろしうございますか。……それでは三百十五、三百十六は質疑を保留いたしまして、次に進みます。  審議の便宜上、三百十七から三百三十二をあとに廻しまして、三百三十三乃至三百五十二を議題にいたします。会計検査院の御説明を伺います。
  32. 小峰保榮

    説明員小峰保榮君) 三百三十三から三百四十七までは、社寺国有境内地の目的外使用、立木の無断伐採、これに関するものであります。社寺は、御承知のように、昭和二十二年の法律第五十三号の規定によりまして、民間に讓與するまでは、その社寺国有境内地を宗教目的以外に使用してはならないのでありまして、一部を無断で住宅とか、商店及び映画館とか、そういうようなものの敷地とし使用させていたものをここにずらりと並べたわけであります。  それから又あとのほうは社寺国有境内地の立木を無断で伐つてしまつた、こういう案件であります。このような事態は、社寺側の関係者の法規を軽く見るというようなことによるのでありますが、監督官庁といたしましても、平素の管理が必ずしも十分ではなかつたのじやないだろうか、こういうふうに考えております。この中で三百三十三号と三百三十四号、これは極く近い東京の芝の増上寺にございますが、この電車通りに面した所に東照宮がございます。これなど境内地の中にはなかなか立派な家が建つております。  それから三百四十八でありますが、これは旧陸海軍飛行場施設の所に、広い土地を塩田として特に安く低価に貸付けたのでありますが、資金難とか、その他採算がうまくいかんというような事情によりまして、その土地のうち約四十万坪、建物三千坪、こういう大きなものが土地を使用されないで放置されている。又土地の二十四万坪、建物の六千五百坪、これが最初の貸付け目的である製塩に使われないで、ほかの目的に使用させた。こういうような大きな土地、建物が遊休施設になつていたり、目的外に使用させているというのは、国家的見地から見まして甚だ不経済でありまして、これを再検討してより効率的な利用を図るべきものではないかという趣旨で、この案件が出ているわけであります。  それから三百四十九号でありますが、これは憲法の規定によりまして、大蔵省に引継ぎました元の皇室財産である日光御用邸、田母沢御用邸の管理がよろしきを得ない。この施設は、引継ぎ前からの使用者である栃木県に使用させまして、同県はこれを観光協会に旅館とか、まあ洋式のホテル、こういうようなものを経営させまして、相当の收益を挙げているように見受けられるのであります。栃木県当局は、昨年の会計検査当時なお貸付の手続も取つていないということでここに掲げたわけです。整理が悪いとして揚げたわけであります。そのままこれを売拂うということで交渉しておりますが、たしかまだこれは解決してないものと思つております。  それから三百五十号でありまして、これは元の霞ヶ浦、土浦の海軍航空隊の施設で、土地が七万四千坪、建物が一万六千坪、非常に広いのでありますが、これは霞ヶ浦農科大学に、学校目的のために一時使用させているのであります。そのほかに土地が六万九千坪、建物が七千五百坪、これは日本体育会に同じ目的のために使用許可をしているのであります。実際使つているのは、非常に少ない。大部分が遊んだままになつていて、而も貸付料も二十四年三月分までで四百十五万円という大きな收納未済になつている。こういう案件であります。  それから三百五十一号は、これは元の豊橋の陸軍予備士官学校の施設のうち、土地四万坪、建物六千坪、これは愛知大学に使用させているのでありますが、学校当局は無断で、一部を民間の印刷工場に使用させている。又その他の一部は、学校の名義で、学校工場という名前でガラ紡の仕事をやつている。これは使用許可のときの條件に違反するものであります。  それから三百五十二号、これはレールの百五十四トン、その附属品合せまして当時の値段で四十三万円ほどの詐取、詐欺に会つて取られてしまつた、こういう案件であります。  御質問がありましたらなお詳細に御説明いたします。
  33. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) 政府の御説明を願います。
  34. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 三百三十三号乃至三百四十七号は、これは国有財産の社寺関係の問題でございます。検査院から御指摘のございましたように、境内の一部を無許可で住宅、商店、映画館等の敷地として使用さていたものがあり、或いは又立木を伐採しておりますものがかなりございます。これらの点につきましては、直ちに財務局より主として処理をいたしました。このうち三百三十三号乃至三百三十四号の増上寺及ぶ東照宮の点につきましてはこの住宅敷地になつております、又飲食店になつております所については、これは時価で売拂いをすることにしております。  三百三十五号の千葉神社につきましては、この千葉神社の中に、千葉神社が戰災に会いまして焼けてしまつた跡へ、終戰後例の露店が立並んだのであります。ここに百二十戸としておりますが、そう広いところでない所に露店が立並んだのでありますが、これは神社と商店のほう、或いは市のほうと折衝しまして、結局この商店は全部最拂うことになりました。その結果多分これは全部千葉神社のほうに土地を譲渡するということになつております。  それから三百三十六号乃至三百三十八号につきましては、これはなおまだ経済的な処分は未済でございます。  それから三百三十九号の大阪の竹林寺、これは竹林手の境内が大阪の道頓堀だと思いますが、あの一番賑かな所にございましてこれも戰災で焼けた跡、赤土の所を除いて、半分をたしか大阪の何とかいう非常に立派な映画館の敷地にしてしまつた。自分はよそへ寺を建ててもらうつもりでそういうことをやつたのでありますが、実際はそれができませんで非常に困つてつたようであります。結局この土地につきましては、映画館敷地になりましたものは、やはり時価で売拂いをすることにいたしまして、これはすでに支拂済みであります。  そのあとの三百四十号乃至三者百四十二につきましては、これはまだ経済的の処分は未済になつております。  それから次は、三百四十八号でございますが、これは先ほど指摘になりましたように、製塩事業のために借してあつたものが、その後の経済状況の変化のために、塩田がうまく行きませんで、そのまま放置しているのが多いのであります。これらにつきましては、これは機会あるごとに転換の途を講ずるよう指示しております。当時御指摘のときには、大体十九件あつたのでありますが、そのうち二件は、製塩業者のほうで讓渡を希望いたしまして、他に利用することにして買受けました。あと五件は事業の不振で再起の見込みがないということで、全面的に返還して参りました。あとの五件は、未利用地について返還を受けて、農地として農林省のほうに所管替えしました。あとまだ七件が未利用地を使用しているような状況で、これについても、他に売拂う目的で以て、これに返還を折衝しているのであります。それから三百四十九号はこれは日光の御用邸の問題でございます。これは憲法の規定によりまして、国のほうに国有財産となつたのでありますが、当時二十一年の十から宮内省が栃木県のほうに無償貸與しておりました関係上、栃木県のほうに、できれば県で買受けてもらいたいということでしばしば折衝いたしました。二十四年の十月頃には大体県のほうで買受けるということになりまして、評価も大体できまして、県のほうでも当局者は買うことに肚をきめたわけであります。そういうような関係もありまして、実はその間の貸付の手続が遅れえておつたのであります。ところが不幸なことに、二十四年の十一栃木県下に大地従がありまして、今市の大大震災がありました結果、県が非常に財政上痛手を受けまして、一月になつて県会を開きまして、買受けの決議を上程いたしましたが、県会で否決になりまして、遂にこの買受けのことがうまく行かなかつたので、そこで止むを得ずそれまでの貸付につきましては、土地、建物とも昨年の九月二十日に漸く貸付料を弁償として徴收いたしました。更にこれを正式に貸付の手続をとるように今交渉中でありますが、ただ一部に、向うのほうで一部だけは買受けたという点がありますが、まだ貸付料の点がはつきりいたしませんので、正式の賃貸契約ができないのでありますが、遅くも、今月中にはその点をはつきりさせて、賃貸契約を締結するということで進めております。  次は三百五十号、これは茨城県の霞ケ浦の大学の問題でございますが、ここに御指摘になりましたように、確かに大学の一部が非常に広過ぎるところもあると思います。二十四年の十一月に関係者を現地に招集して協議をいたしました。これは文部省も参りまして、いろいろと協議をしたのでありますが、協議がなかなかまとまりません。併し結局霞ケ浦農科大学は、これは県立の農科大学になることになりました。更に明年度からは国立の茨城大学の農学部として併合されるので、これについては現状のまま一応使用を認めるということにいたしております。  それからこのほかに御指摘になりました日本体育大学というのがございますが、これは使用料が現在まで百八十九万円のうち、昨年の七月に漸く五十万円だけを納めましたが、残額についてはなお納めませんので、これについては、法務府に対して取立て方を依頼して、只今手続を進めております。  それから三百五十一号は豊橋の問題で、これは私立の愛知大学に一時使用をさせているわけでありますが、これについても、なかなか大学のほうではこの土地が文部大臣の認可を得ておるということでどうしても経営上必要であるということを言いまし、なかなか讓らないのでありますが、これについても文部省のほうと相談いたしましてできるだけこの経営を合理的にやらせる、管理の万全を図るということで只今進んでおります。なおここにございますように財団法人日本聖書協会というものに転貸しておる点につきましては、これは学校のほうから返して参りましたので、これは今度国から正式に日本聖書協会のほうに貸付をいたすことになつております。  次は、三百五十二でございますが、これは東京財務局で物品を詐取されたのであります。これはすでに事件が発覚いたしまして、告発され、刑が決定しておるわけでありますが、これにつきましては、売渡し財務局のほうで注意を欠いた点がございまして、誠に遺憾であります。今後こういうことのないように、十分責任者に対しては注意をいたしております。以上であります。
  35. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) 御質問ございませんか。
  36. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 ちよつと大蔵省のかたにお伺いいたしたいと思うのでありますが、第三百四十八号、塩田の貸付の問題でございますが、終戰当時陸海軍の用地であつて、塩田の候補地になつておるものがございますが、これは先ほど申しましたように、軍用地はその当時は全部これは開拓の可能地のものは、開拓のために農林省に移管するのだという原則があつたのでございますが、その中で特に塩田になるようなものは、これは是非とも製塩が必要だというふうなことで、農耕地にはならずに、これは塩田に利用できるものは、これは塩田のほうへ除外して置こうというようなことでやつたのと、それから塩田にもなり農地にもなるというようなものは大蔵省と農林省で協議いたして、一つずつ現地についてもこれは実地調査をしたように聞いておるのでございますが、これはどつちに所属するかということで問題が多かつたのでございますが、地元の人たちに取り囲まれて身の危険まで感じてやつて来たような事例もあるのでございますが、この三百四十八の説明を伺いますと、その当時、そのような経過で是非とも製塩に必要なものは農耕地になるべきものでも、これは協定の上で製塩のほうに貸すというようなことで残つた土地じやないかと私は思うのでございますが、それが現在未利用のまま放置されて、製塩事業の目的以外に利用されておるようなものが現在あるのだというようなことを私は聞きまして、これは非常に奇異の感じを持つのでございますが、これらの土地建物は、農耕地文は工場として利用ができるというような御説明でございますが、そういうようなものは、こういう際に、塩田に留保されたような事情からも、若しこういうことが未利用のまま放置されて、そうしてその目的外に利用されているというようなことがはつきりしているならば、これは大蔵省としては、はつきり利用させるのか、そうして目的外に利用しているようなものならば、これは契約を取消すとかいうような処置をとつて、そうして若しそれが業者のほうで将来利用しない、製塩のために利用しないというものならば、これは改めて開拓地として、百町歩に近いような大きい土地だと思いますが、二百戸も入れるような土地を今放つて置くというようなことは、私おかしいと思うのでありますが、こういう点についてはどういう処置をとられたか。そうして又将来どういうふうになさるのか。大蔵省のほうから御方針をお聞きしたいと思います。  それと関連いたしまして、三百五十号の霞ケ浦の航空隊の土地もあるのでございます。これも未利用な広大な土地は、地元民から農耕のために返還方要望があるのであります。併し文部省のほうでも、これはいろいろな理由があると思いますが、数年間に亘つて利用しないということでありますから、文部省のほうでもはつきりした……県当局ですか、はつきりした将来の計画でも持つて、そうしてそのまままだ貸付を継続させるのか、そういう計画がなければ、これは取消すのだ、そうして地元の農民の要望もあるなら、そつちへ返還をするのだというようなはつきりした一つ措置をとつて頂きたいと思うのでございますが、そういう点について御説明を伺いたいと思います。
  37. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 三百四十八号の問題でございますが、これにつきましては、当時昭和二十年、終戰直後の状態におきましては、非常に製塩事業というものが必要である、戰争中から非常に塩が足りなかつたためにどうしても必要であるということで、特に只今お話のような農地の調整もいたしまして、製塩事業を奨励して参つたわけでありますが、その後関係方面の政策が、非常に塩に対してきつい政策をとつて参りました。この製塩に対する補助金というようなものも全面的に削られ、又電気の事情等も非常に変つて来るという、何と言いますか、政策の変動のために、製塩事業に予定されておりましたものが非常にうまく行かないものが相当できて来たという関係上、こういう事態が生じたことは、誠に遺憾なことでありますが、そういうために未利用になつ土地につきましては先ほど申上げましたように、最初事情から申しましても、自作農地として要請のあるもの、これについては、当然自作農地のほうに所管替えをする必要があるということで、先ほど申上げましたように、五件については所管替えをしたわけであります。そのほかの土地について、なお地元のほうから或いは要望があるかと思いますが、借受けをした者との間にいろいろな交渉の点もあると思いますが二件は、製塩業者が他にすでにもう利用するために希望もありまして、正式にこれは売渡しをしておるというわけであります。そのほか五件は返還を受けましたが、実はまだほかにそういう希望がないのでどうにもならんという状況であります。あとの七件については、これについてはまだ他に利用する方途がつかないことと、相手方がなおこれに対して承諾をしないというようなわけで、はつきりした解決がまだついていたいわけでありますが、我々といたしましては、とにかくこれをこのままで放つて置いてはいけないので、他に有効な利用の途があるものについては、利用するという方針で以て折衝しておるわけであります。  それから次の三百五十号の問題でございますが、これも先ほどちよつと説明が不足でございましたが、昭和二十年の十一月に現地で折衝いたしました際に、文部省も、県当局も折衝に来たわけであります。それから地元の農民も立会いまして、一部の土地はこれは自作農地のほうに所管替えをいたしました。只今申上げましたのは、その際に所管替えをしたあとに残つた土地であります。それについてもなお日本体育大学のようなものについては、なかなか誠意が認められませんので、まあ強硬手段をとるということも止むを得ないのじやないかというふうに考えておる次第であります。
  38. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) よろしうございますか。
  39. 溝口三郎

    ○溝口三郎君 塩田の所管替えをなさつた五件については、御説明があつたかと思いますが、これは開拓用地として農林省として所管替えになつたのか、お伺いしたいのであります。なお工場とか宅地にも利用できるものというような土地もまだ残つておるのでございますが、将来御調査の上で、こういうものを所管替えする場合に、先ほども申上げましたように、私は軍用地は、これは工場地帯になる場所も或いは住宅地に適当な場所もありますが、若し農耕地になるならば、これは開拓地が優先であるという原則は、終戰後にできておるようですが、今と事情は違いましても、その処分をするについては、まだその原則は取消しになつていないのでありますから、一応開拓適地になるならば、農耕地になるならば、これには将来農林省に移管をして、そうして農地委員会がその個々の農家に譲渡する計画を立てるという取扱になるべきものだと私思いますが、そういうふうに考えてよろしうございますか。
  40. 吉田晴二

    政府委員吉田晴二君) 只今申上げました五件についてはこれは自作農地として所管替えをしておるわけであります。その他の件につきましても、これは各県の農地委員会で農耕適地と認めて、決定したものについては、これは直ちに所管替えをするということに、只今農林省との間に申合せができております。そういう方針で進んでおります。
  41. 前之園喜一郎

    委員長前之園喜一郎君) ほかにございませんか。  本日はこれを以て散会いたします。次回は来週の月曜日の午前十時から開会することにいたしますから、さよう御承知を願います。    午後零時二十三分散会  出席者は左の通り。    委員長    前之園喜一郎君    理事      岩沢 忠恭君            相馬 助治君            溝口 三郎君    委員            大矢半次郎君            小杉 繁安君            寺尾  豊君            西山 龜七君            栗山 良夫君            小林 亦治君            小泉 秀吉君            岩男 仁藏君            深川タマヱ君            千田  正君            森 八三一君   政府委員    大蔵省管財局長 吉田 晴二君   説明員    会計検査院事務    総局検査第四局    長       小峰 保榮君