○竹村奈良一君 私は、ただいま上程されました
所得税法外七
税制改正法律案に対しまして、日本共産党を代表して
反対するものであります。
政府は、今度の
改正によ
つて、
国民負担の調整、
軽減を口にして
昭和二十六
年度の
税收総額は、
昭和二十五年十二月以前の
税法が実施された場合と比較すると七百四十三億円余の減少となると言
つておりますが、これは單なる統計数字上における
国民所得の増大を予想して示した宣伝文にすぎないものでありまして、
〔
議長退席、副
議長着席〕
予算から見れば、昨年と比較して、わずか五億五千万円の
減税にしかすぎないのであります。それが
地方税百七十八億円の増税と差引するならば逆に百七十二億余円の増税であり、しかも二十六
年度予算が、
政府の意図する再軍備や、あるいは
警察予備隊の
増強等が行われるとするならば
補正増額しなければならないこと火を見るよりも明らかな
現状では、
地方税合せて現在百七十二億円余の増税は、その十倍もの増税になることは予期しなければならないのであります。そのときには、
政府はまたまた
国民所得の増大という手品的な数字の上に立
つて、
課税標準をか
つてに
引上げ、割当的徴税を行うのが従来の例であります。
減税は実質的に
国民の
生活を向上せしめ、
負担の
軽減でなければならないことは当然であ
つて、今回行われる
改正も、
国民個々の
生活をゆたかにし、税金の
負担が実質的に
軽減されることこそ
減税だといえるけれども、そうでない限り、遺憾ながら
減税とはいえないのであります。
政府は
国民所得の増大と言
つているが、その正体は何であろうか。
朝鮮動乱の影響を受けて、糸へん、金へん景気をうたわれているけれども、これに反して、大多数の
国民の
生活は一体どう
なつているでありましようか。繊維製品は三割ないし四割の値上げである。しかも値段が上つただけではない。実際には、この値段でも手に入らない。たとえば、機屋は原綿難にあえいでいる。夏物のゆかたは今が染めどきだが、かんじんの生地が手に入らないで困
つている。品物は高いだけではない。
国民大多数の必要なだけ手に入らなく
なつている。糸へん景気はだれのものであ
つて、物はどこの国の、だれに使われているかということを聞きたくなるのであります。
金へん景気の結果はどうだ。
生活必需品の
値上りを招いたにすぎなくて
国民の大多数は、
生活上、これによるゆたかさは一つもない。それどころか、これにより農機具等の
値上りで、農民が犠牲を拂
つているのが
現状であります。これとともに、諸
物価の
値上りと、これに伴わない給與や賃金で、勤労者の
生活は、ゆたかになるどころか、逆に低下しており、農民も
生産費を償わない農産物で困り、中小商工業者は、品物の
値上りで、資金の入手に困
つているのが
現状であります。
朝鮮事変の影響は、結果においては何ら
国民大多数の
生活の向上ではなく、貧困化であり、
国民の一部を利益せしめたにすぎないのであります。これに対する
国民の不満をそらさんがために、一部
国民の利益を、
国民全体の
所得増大にすりかえ、單なる
税法上の見せかけ
減税をとなえているにすぎません。また
生活物資の
値上りに比して、実質的に賃金、給與が改訂されていない現在、それだけ勤労者の
生活は、実質的に
値上り分は悪く
なつているのであ
つて、微々たる
減税が何ら
生活上
国民負担の
軽減にはならないことは、火を見るよりも明らかであります。
ところで、かりに
消費物価の
値上り分だけ給與ベースと賃金の改訂が行われたとしても、一体どうなるであろうか。それで、はたして税が
軽減になるでありましようか。私はその一例を示しましよう。さきに引例したように、現在二五%の
生活物資の
値上りにより給與が二五%上つた場合の
所得税負担、夫婦及び子供二人で、従来は月一万二千円であつた給料者が、現在二割五分の
引上げによ
つて一万五千円に
なつたならば、一体どうなるか。
現行では
所得税月一千七十円であるが、
改正では七百九十円に減額されることに
なつている。ところが、さきに言つたように、
物価の
値上り分だけ、つまり二五%の給料の
値上りで月一万五千円に
なつたならば、今回の
政府改正案では、
所得税一千四百十七円と
なつている。これは一体どういうことになるか。給料三千円の
値上りは
生活物資の
値上りによつたものであ
つて、個人の
経済生活面では何ら豊かに
なつておらないのにもかかわらず、
所得一万二千円の折の税金は、
改正されないときの一千七十円と比較するならば、逆に三百四十七円の増税になることが判明するであろう。その上に
地方税を加算すれば、増税額はますます多くなるのであります。
政府のいうごとく、勤労者が
減税されんとするならば、いくら
物価が
値上りしても、
生活費が高くついても、給與ベースの
引上げや賃金
引上げも要求せずに、労働組合も解散して、おとなしく吉田
政府のいう通りの現在の
所得でがまんして奴隷的
生活に甘んじる者のみが
減税されるということであります。
申告所得税は、従来から多くの問題を含んでいる。特に農民
大衆の怨嗟の的であ
つて、いくら
政府は
税法上の
減税を行つたとい
つても、農民の不満は絶えないのである。なぜならば、
地方税の過重で、税金そのものは何ら安く
なつておらないからである。その上農民に対しては、各地で
税法に反して
所得に二割、三割の水増しが行われている。
たとえば栃木
税務署においては、米一石当りの
所得標準に対して三百円高く見積られており、これに対する
税務当局の言い分は、実收穫量は事前割当に対して増大している、しかし農民は、実收穫量はわからないので、事前割当しか承知していない、そこで申告は、
増收していても事前割当で申告するであろう、よ
つて増収分を石当り
所得標準率に織り込んでおくのである、と言明しているが、広島
国税局管内においても、これと同様のことが行われており、佐賀県下各
税務署においても行われていることは、国会に陳情されている事実からでも明らかである。この方式は全国でとられてお
つて、これに従わない者、この基準に反した者には全部
更正決定がなされるのである。そこでは、公的機関であるところの農業調整
委員会で承認された減収量も、なかなか言を左右に認めないばかりか、保有米を削
つて強制的に供出せしめられた者でも、保有米を十分持
つているとの建前の上に、前に遊べたように二、三割の
所得水増しが平気で行われているのである。
このことが各地で抗議されると、当局は常に、
税法に従
つて收支の明細がないから
所得が判明しないではないかと、青色申告をすればよいかと、つまり農民が記帳していないがゆえに判明しないから、いたし方なく基準によるのだと言
つている。ところで、連合国軍の農民解放に関する覚書にもあるように、数世紀にわたる封建的圧制のもとに日本農民を奴隷化して来た
経済的桎梏に悩まされて来た農民が、はたして
税務当局を納得せしめるような收支の記帳が完全にできるであろうか、これはできないりが当然である。もしこれが完全に記帳できるように全国の農民が
なつたならば、
生産費を割つた米価や、工業
生産品と農業
生産物との
価格差や、限定された
生産数量が天災に左右されながら、常に
価格は政治的に押えられ、
資本に圧迫されている事家を知り、直接税と間接税でしぼり上げられた税金が農業再
生産のために使われずに、長い間大
資本家擁護のために使われ、それゆえ世界で一番遅れた農業経営を続けさせられ、今また自分自身の首を絞める——費や、だれのためにかわらないが、命を的の——にかり出されるための準備、すなわち再軍備のための準備に使われるということを知
つて、一銭も税金を納めないようになるであろうことを
政府は気がついているのかどうか、聞きたくなるのであります。(
拍手)
このように、農民にできないことの原因が
政府自身にあることをひた隠して、それをたてに、
政府自身が
税法そのものすら無視した、割当にひとしい水増し基準を強制しながら、異議申立ての事務ふなれから、農民が団体で交渉しようとすれば、これは
税法にないとい
つて受付けないばかりか————しているのである。これは事実上異議申立てを認めないことであり、農民に対する天くだり的
課税であ
つて、表面的な
税法があ
つても、実質的には実行されないのが今日の状態であります。
この基準割当
課税は、中小商工業者にも適用されているのであります。たとえば大阪
国税局では、二十四
年度と比較して、荒物、青果、理髪業等は二五%ないし三〇%増として、東京では確定申告指導と称して、前年より平均三割増しを押しつけ、これを聞かなければ
更正決定をし、追徴税、加算税がついて高くなるとおどかし、気の弱い業者は、それで泣寝入りしているのである。このことは、二十六
年度の
所得税も前年に比し、農民には一〇・四%、中小商工業岩には一五・二鬼の水増しを前提として收入を見込んでいることで証明されるでありましよう。
法人税はどうか。
予算では前
年度と比較して六十三億六千七百万円の増とは
なつている炉、一体朝鮮事変以来、大
会社はどれだけ利益を得ているか。大蔵省では二千三十億円余と過小に見積
つているが、個々の
会社の二十五年上半期の決算に現われだのを見ても、いかに利益がそれ以上であるかを裏書きすることができる。たとえば、二十五
年度九月決算に現われた、おもなるものを拾
つてみても、新光レーヨンで七十九割、帝国人絹が十五割、富士紡が二十五割、大日本紡が二十割等で、化繊と紡績等十六社では百三十五億円であることからしても、これがほんの一例にすぎないから、特需
一般を考えるならば、実に驚くべき巨大な
金額になるでありましよう。
まして、この利益は一体どこから来たか。最も安い賃金で
生産した品物は、
国民に使用されるものではなく、とうとうとして外国に流れ出ているのである。たとえば綿布の各国の輸出状況を比較すれば判明する。イギリスは、二十四年の九億ヤードが、二十五年では八億ヤードに減少し、アメリカは二十四年の八億九千ヤードから五億五千ヤードに減少しているが、日本は、二十四年の七億四千四百万ヤードが、二十五年は十一億ヤードに増大しているのである。しかも、これらの輸出で得たドルは外国為替管理
委員会に握られへ現在では五億二千万ドルもそのまま外国銀行に無利子で眠
つているところの
現状で、これに対しての円資金は、御承知のごとく、本
年度国民の血税で補うのである。結局において、大
会社の利益は、低賃金と、
国民の血程の一部と、衣料不足に悩む
国民の犠牲とにおいて莫大な利益をもたらしたものであります。
しかも
政府は、これらの利益で積み立てる
社内留保を無制限に無税にするというのである。それがどれだけ行われるかは、業種別に利益率と配当を比較すれば判然とする。しかもこの利益は、
資産再
評価を行い、減価償却を行つた上でのことである。たとへば、紡績業が二十八割の利益で、配当が三割ないし四割、非鉄金属業は百二割で、配当が二割ないし三割、製紙業が二十五割で、配当が三割、鉄鋼業が九割で、配当が一割ないし二割である。これから見ても
相当の
社内留保が行われえものと見られ、しかも以上の利益率は公表されだ決算上の利益であるか、ら、特に業績のよかつた業種の実際の内部
蓄積は、これよりはるかに大きなものであることは、容易に想像されるのであります。それをいくら
社内留保しても
課税しないとするならば、それこそ大口脱税を合法化するにすぎないといわざるを得ないのであります。その上に、新規買入れの機械には五〇%の特別割増し償却を認めたり、
見返り資金で優先株を有する場合の配当は無税としたり、
預金利子の源泉選択制を
行つて銀行を財産の隠匿場所とし、大特需産業と銀行の擁護には至れり盡せりの保護政策をとつでいるが、平和的小
企業の
法人には何ら特別な
減税にならないことは明らかであります。
以上、
国民の
生活並びに日本
経済の実態の上に立
つて、
政府の称する
減税案なるものが、朝鮮事変で大きく転換した日本の
経済態勢、すなわち国際的軍事インフレの波に乘
つて、日本の巨大
資本に厖大なもうけを約束する立場から、これに見合う
資本の
蓄積を
国民生活水準の
引上げに求め、平和産業を破壊し、国をあげて———体制へ追い込む方針を隠すために、数字の魔術によ
つて国民をごまかそうとしているといわねばならない。(
拍手)
特に
最後に申し述べたい。古代ローマの支配者は、奴隷に対しては、あわれみとか、救いなどというものはまつたくなかつた。そむく者は、たちまち、むちうたれる、ただ死ぬことだけが彼らの苦痛と貧困とに終りをもたらしたといわれている。この残虐な支配君たちさえも、奴隷の労働力を保持するためにいろいろ手段を用いたといわれる。と同じように、外国の戰争成金どもに奉仕して、わけ前にあずかろうとする日本の支配者も、まつたく人民を——簡單に殺しはしないだろうが、近代化された支配者の巧みなやり方によ
つて、すなわちここでは
減税という掛声で、三反百姓も、日雇い人夫も、場末の燒いも屋も、それぞれの形で、血のにじんだ税金を、いまに何とかなるであろうという、はかない望みに託して、みじめな
生活と闘いながら、次から次へと取上げらるるであろう。奴隷の支配者は、むちを持
つていたが、近代の支配者は、差押えと称して、トラツクや小型自動車、ピストル、こん棒で—————であろうことを予言して、
反対討論を終ります。(
拍手)、