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1951-05-24 第10回国会 衆議院 法務委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年五月二十四日(木曜日)     午後十一時一分開議  出席委員    委員長 安部 俊吾君    理事 押谷 富三君 理事 北川 定務君    理事 田嶋 好文君 理事 中村 又一君    理事 猪俣 浩三君    鍛冶 良作君       佐瀬 昌三君    花村 四郎君       古島 義英君    牧野 寛索君       松木  弘君    眞鍋  勝君       武藤 嘉一君    山口 好一君       大西 正男君    石井 繁丸君       田万 廣文君    加藤  充君       梨木作次郎君    佐竹 晴記君       世耕 弘一君  出席公述人                 末弘嚴太郎君         東京地方裁判所         判事      小林 健治君         早稻田大学教授 戒能 通孝君         弁  護  士 布施 辰治君         東京大学法学部         助教授     伊藤 正巳君         弁  護  士 毛受 信雄君         日本労働組合総         評議会常任幹事 塩谷 信雄君         最高裁判所事務         次長      石田 和外君         法務検務局総         務課長     宮下 明義君         日本弁護士会連         合会事務総長  江川六兵衞君         全日本産業労働         組合会議議長  吉田 資治君                 三好 幸助君         公立学校教員  熊田 正夫君  委員外出席者         專  門  員 村  教三君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた事件  裁判所侮辱制裁法案について     —————————————
  2. 安部俊吾

    安部委員長 これより裁判所侮辱制裁法案について公聽会を開会いたします。  開会にあたりまして本日御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。本案は去る五月七日に本委員会に附託となつたのであります。本案裁判所威信を保持し、司法の円滑な運用をはかる目的を持つて提出されたのでありまするが、わが国裁判制度より見てきわめて重要なものでありますので、本委員会といたしましては、広く各層の学識経験者各位の御意見を聞き本案審査を一層権威あらしめ、かつ本委員会の今後の審査に多大の参考となるものと期待いたしておるのであります。各位の御出席願つた次第でありまするが、各位におかれましては、その立場々々より腹蔵なき御意見開陳をお願いいたします。本日は御多忙中のところ貴重なる時間をおさきになり、御出席をいただきまして、委員長といたしまして、厚く御礼を申し上げる次第でございます。  なお議事の順序を申し上げますと、公述人発言時間は大体一人二十分程度といたしたいのでありまして、その後において委員より質疑もあることと存じまするが、これに対しても忌憚なくお答えをお願いしたいのであります。なお念のために申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになつております。また発言の内容は意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならぬことになつており、また委員公述人質疑をすることができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承を願います。発言の劈頭には職業と氏名を御紹介願います。  それではこれより公述人各位の御意見の御開陳を願うことにいたします。まず末弘厳太郎君より御意見開陳を願います。
  3. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 本日公述人としてお呼び出しを受けましたが、あいにくまだ病後完全に回復しておりませんので、ごく簡単に申し上げます。こまかい事柄についてはあと戒能通孝さんであるとか、あるいは伊藤正已さんとか、それぞれ専門家がおられますから、おそらくお話になると思いますので、ごくざつとしたことだけを申し上げておきます。  結論から申しますと、私はこの法案は無用でもあるし、またむしろ弊害が起りはしないだろうか。つまり裁判所威信をつくることには役に立たないで、かえつてこれをめぐつて裁判所威信を害するようなことが起るのではないか。またこういうものをこの際つくろうというのは、終戦後わが国の立法の中にかなりアメリカ模倣が入つて来て、これには非常にいいものもありますが、アメリカ制度模倣をするについては、アメリカでその制度が実際どういう政治的、社会的の諸条件のもとに行われておるかということを十分研究して初めて模倣できるのであります。とかく新憲法下においてアメリカただ形だけ模倣したような法律がいかに実際上迷惑を与えておるかという実例をたくさん知つておりますので、その一つになりはしないだろうかということを感じておるということを申し上げるのであります。  理由をわけて申しますと、まず第一に、アメリカ風民主政治というものにおきましては、司法権権威ということが非常に重要なことで、つまり日本の場合に移して言えば、かつての旧憲法下のように、天皇権威というもので政治のすべてをまとめて行くことができませんから、結局法というものの権威でまとめて行こう。法というものは死物にすぎないから、これを動かす裁判官を通して法の権威というもので全体をまとめようというのが、アメリカ民主政治の基本でありますから、この司法権威威信を増すということについては、いろいろなくふうがされておるわけであります。その意味において、日本の新憲法のもとにおいても、どうしたらば司法権威司法威信を今よりもつと増すことができるかということをわれわれお互いが研究し、心配しなければならないことは言うまでもないことなんでありますが、それには私は今度の法律のように、むやみに制裁を加えるということを通して威信を増そうと考えるのは間違いで、やはり民衆尊敬民衆納得、その民衆納得の上に権威がおのずからできるということでなければならないのでありまして、それにはおのずから別に道があるのだと思います。みずから尊敬に値すもようなことをしないでおいて、そうして侮辱されたと思つたからといつて、それに対して制裁を加えて行くのは、みずからだんだん威信を失うばかりであると思うのであります。後には伊藤さん、戒能さんあたりからお話があると思いますが、このいわゆる法廷侮辱罪という制度は、英米特有制度でありますが、実はイギリスの場合などについて、あれはともかくあの国独特の制度がうまく動いている実情を見ますと、結局裁判官というものが、あの国ではいわば弁護士、つまり法曹の中の長老裁判官をしておるのでございます。私かつてイギリスにおりましたときに、侮辱だといつて罰せられるまでには至りませんでしたが、裁判官弁護士がしかられておるのを法廷で見たことがあります。そのときに非常に感心しましたのは、裁判官がにこにこ笑いながら、ユーモアたつぷりな皮肉を言いながらしかつておるのであります。あれだけの余裕のある裁判官ならば、法廷侮辱だといつて罰せられても、どうもきようはおやじにやられてしまつたといつてあと納得して弁護士も引下ると思うのであります。それはつまりわれわれの弁護士仲間長老裁判官をしておるのだからということで、ちようどスポーツ審判官などはそのスポーツの先輩がやつておることで、あのスポーツ審判官権威が保たれておるのとよく似ておるのであります。それに比べると、日本裁判官と申しますのは、何と申しましても、これは官僚の一つであります。弁護士との間に、今言つたような関係はまつたくないといつていいのであります。こういう裁判官権威というものは、昔は天皇の名において裁判をして、権威を持つていた。この天皇の名においてということがなくなつた以上、これは裁判官みずからが権威をつくることをやらなければいけない。そうでない今のような状況のもとで、みずから権威を失墜するようなことをされたと思つたら、それを、よしんば軽い刑罰にしろ、罰してやつて行こうというような考え方は、非常に不健全な考え方でないかと思うのであります。それで、それに連関して考えますことは、たとえばアメリカ地方の都市の裁判官の中などには、裁判官を選挙しておる制度がございます。これなどは日本人から考えると、とんでもないことをやつているように思うのですが、よく聞いてみれば、やはり民衆尊敬ということを選挙という形で保障しようというのであります。つまり、ちようど国会議員皆さんが、選挙したのだということがやはり権威基礎であるように、裁判官を選挙するという制度さえ行われるほどで、裁判官権威をつくるについてもつと別途なことを考えなければいけないのだろうということが第一の理由であります。  それから第二には、現在アメリカあたり様子を見ておりましても、また今回この法案が出されるについて当局から出されておる資料などを拝見してみましても、現在日本でこの制度をつくらなければいかぬいかぬと言つておる基礎になつている事件は、実は共産党、あるいは朝鮮人に関する事件がほとんど大部分なのであります。アメリカでは、裁判所ではあまり問題になつておりませんが、最近数年例の非米委員会国会がやはり侮辱罪権限を持つておるのです。これはむろん裁判所ではありませんから、みずから罰することはできませんが、国会公述において国会委員会侮辱すると罰するのでありますが、これはやはり抵抗が非常に多くて、むしろそのために騒ぎが大きくなつております。それで大体アメリカの大学の先生ども共産党のような、刑事学言葉で言えば、いわば確信犯人に対して今の法廷侮辱罪というようなことで臨んでみても、実際効果はあがらぬのみならず、場合によると、あれで事が大きくなればむしろ共産党の宣伝になるようなことだということを言つておる人がおりまして、あの非米委員会関係で、共産党の連中を呼び出しては、今のコンテンプトの問題で問題を起しておることに対して、むしろ国会威信を害するゆえんだというようなことを言つているのを聞いたことがありますが、この問題はやはりわが国の今回の法案についても考えなければいかぬので、私は、裁判所とは違いますが、中労委及び東京都労委、それからまた船員中央労働委員会、この三つの委員長を約四年間やつておりましたが、これなどの経験でも、最初はたいへんなものでありました。初めての東京都労委事件のときなどは、赤旗を持つて来る、歌を歌う、それから昭和二十一年の大きな船員ストライキをやつたあのときなどでも、たいへんな騒ぎ、そうしてそういう状況というものが、地方労働委員会の中には、つい最近まで続いていたところがある。しかし中労委都労委船員中労委、私どもみずから苦心をいたしまして、やがてあとには旗を持つて来ないのはむろんのこと、歌を歌うことはしない、いわんや中へ入つて当事者としてしやべる資格がある以外の人間には発言一つ許さないということを厳格にやつて、守られておるのであります。日本の今までの共産党事件つて裁判官が処置よろしきを得ておつて問題にならないのと、それから比較的問題になつておるのと、そこらのことを考えてごらんになりますと、今の共産党の問題が問題であるとするならば、こういう法律をもつて臨もうということは非常な間違いで、むしろ悪い傾向があとに残るくらいじやないか、こう考えるのであります。  それから第三番目に申し上げたいことは、これはいやなことでありますが、私は裁判官一般侮辱してはいけない、司法権威をなるだけ増すように、国民みんなが努力しなければならないということを信じておりますが、同時にこれは先ほどからもるる申し上げましたように、裁判官みずからが尊敬に値するだけの行動をするということが最も大事でありまするのに、現在の日本の場合、私は必ずしもそう言えないのじやないか。それは私は、小さい問題は申し上げませんが、はつきり印刷されて出ておるもので、だれでも読むもの、そうして新聞紙も、すでに朝日新聞も毎日新聞も問題にした事件があります。そういう事件裁判所みずからは、その後懲戒手続をするでもなし、まつたくほおかむりしておる事実があります。それは何かといいますと、御承知の、昨年の秋の親殺しの事件判決における一人の裁判官が、判決の中に書いてある意見であります。一体少数意見を書く人が自分意見を述べ、そうして他の多数意見に対する批判をするとか、あるいは他の少数意見に対する批評的な意見を言うことは、これは自由であります。しかしながら裁判官お互い相手罵詈讒謗することは、権限にもないし、そういうことはあり得べからざることであると思う。皆さんの中にはおそらくすでに読んでおられる方があると思いますが、試みにちよつと文句を引いてみますと、相手をやつつけるために、相手の言うことは、民主主義の名のもとに、その実、えてかつてなわがままを基底として、国辱的な曲学阿世の論を展開するもので、読むにたえない、といつたようなことを、一体裁判官自分同僚に対して公の文書——これは世間の随筆を書いておると思われては困るので、公の文書の中でこういうことを言つて同僚をののしるのであります。これは、りくつで相手の言うことはいけないということは、幾ら言つてもいいわけでありますが、こういうことを言つては、他の裁判官に対する非常な侮辱であるのみならず、ひいては裁判所全体を侮辱するゆえんだと思う。それからもう一人の裁判官の言う中に、論者より休み休み御教示に預かりたい。この休み休みというのは何だといえば、ばかも休み休み言えという文句に違いありません。ただばかと言わないだけの話で、休み休み御教示に預かりたい、こういうふうな、われわれ民間のいろいろ自由な論議をしたり、物を書いておるときでさえ、こんな言葉はなかなか使いません。こういうことを裁判官みずからが、公の文書の中に書いている。これは裁判所みずからが懲戒に付するなり、あるいは場合によつたら弾劾制度の対象になるべき非常な非行だと私は思うのであります。こういうことが、最高裁判所において行われておるという事実は、日本司法制度全体に対して、国民として非常な不信を抱かざるを得ない。人の侮辱することを心配する前に、自分自分お互い侮辱しないようにされたならばいいと思います。そういうことをほうつておいて、こういうことを言うのは非常な間違いであるということをぜひとも申し上げたいと思います。  それから第四番目に、これで終りでありますが、昨年ですか一昨年ですかの裁判所法の七十三条の改正についても私はかなり批判的でありますが、ともかくあれができた以上は、あれを適当に使えばはなはだしい秩序違反に対して刑罰を加えることはできるのであります。これ以上一体今度のような、なるほど罰の程度は低いけれども、非常に適用範囲が漠然としておるああいうものを設ける必要が一体どこにあるか、そういう必要はないのじやないか。  それからもう一つ法廷侮辱罪というのは英米のまねでありますから、英米と同じように侮辱されたとみずから信ずる裁判官が、みずからすぐ罰するというのが特徴なんであります。しかし日本一般司法制度の中にはないこういう制度を一体取込んで来ることが、人権擁護の点から言つてはたしていいだろうかということは非常な問題だと思います。つまり今申しましたように、必ずしも民間から信頼されておらない裁判官が、みずから侮辱されたと思つて罰するということ、それで罰せられてしまう。しかもあの法案を拝見しますと、抗告をすれば、抗告裁判所がこのかりの処分をすればともかくそれまではただ留置されてしまう。私が今述べておるようなことを裁判所で言うと、彼は裁判所侮辱したということで、ずばりと裁判所が私を留置するということ、抗告をして抗告裁判所が出してやれというまでは私は留置場へ入れられてしまうのであります。これはほかの刑事制裁の場合は、よしんば官吏を侮辱したといつても、検事局をまわつて検事が起訴して初めて公判にかかつて行くわけなんであります。これはそうじやないので、裁判所がみずからこれは罰すべきものだと思うとさらつとすぐ罰を加えて、しかも体刑を加えろというところまでできる。そうして抗告をしても抗告それ自身には執行を停止する効力はないというのですから、とれくらい人権を脅かすものはないと思うのであります。私はやはり裁判所当事者も、弁護士などは非常に言論の制限を受けて、恐る恐るものを言わなければならぬことが起つてしまうだろうと思つて司法制度の公正な運用上かえつて恐るべきことが出るのではなかろうかと思います。重ねて申し上げますが、民主主義のもとでは司法権権威を増すということについて苦心をしなければならないということについては、何ら異存はない。だけれども今のような状況のもとにおいて、こういう法律をつくりますことは、何ら益するところがなくして、むしろ害があるのではないか、こういう考えで、全面的に反対であるということが私の結論であります。話はこれで終りました。
  4. 安部俊吾

    安部委員長 ただいまの御意見では裁判所侮辱制裁法は、現在の段階においては必要ないというようなお話でございまするが、それならばどういう場合に裁判所侮辱制裁法というものは必要であるかというようなことをお考えになつておりますか。
  5. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 それについては、要するに今後の推移を見ていて、一面は裁判所がそんな制裁をまたずに裁判所権威がもつと増して行くようになることをいろいろくふうもし、努力もするということをやつて、それでその様子次第、その上で考えたらいい問題だと思つております。
  6. 安部俊吾

    安部委員長 私ども考えでは、裁判官なるものは何らの制肘を受けることなく、その独自の立場において最も正当に法律を解釈する、そういう立場において判決を下したりまた裁判をするのだというのですが、いろいろの悪意に満ちた何か宣伝じみた、あるいは裁判官のその正当な確信をデイスカリツジ、いわゆる勇気をくじくというような点から、いろいろ裁判所において、法廷に対する罵詈讒謗であるとか、あるいは許可なくして発言するとか、そういうことを手放しのまま、そのままにしておいたならば非常に裁判官裁判する上において精神的にも非常な障害を感ずるというようなことは当然と思うのでありますが、その点についてはどうですか。
  7. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 それは今の程度でも退場を命ずることもできますし、ひどければ裁判所法の七十一条で罰することも今でもできる。それよりも先ほど申し上げましたように、私労働委員会経験、これは裁判所よりもつとひどかつた。それに対して私はやはりりくつを言つて納得させました。どう言つたかというと、一体ここはほんとうに理性的に事を片づけるところで、そこへ持つて来て旗を立てたり歌を歌つたり、多数で脅かすのは卑怯だ、理性で事を片づけるところへそういう実力を持つて来て心理的影響を与えるようなことをするのは卑怯だからお互いによそうと言つた。そうして私はそれについては断じて讓らなかつた。それだけで習慣ができました。私は裁判所もよろしく習慣をつくるべきであると思う。  それから一番問題になつたのは確信犯人の問題、確信犯人の問題はアメリカでも今やはり日本と同じように共産党の問題がかなりいろいろ問題になつておる。これらについて一体法廷侮辱罪的なものが実際上どれだけ効果を持つて、どんなふうに運用されているかは先ほどちよつと申し上げましたが、これはもう少しお調べになるといいんじやないかと思つております。そうして御承知のように戰前でも、もつと裁判官権威を持つていた時代でも、今よりもつとひどいことがございました。この法廷秩序を維持するための警察権みたようなものである、法廷侮辱罪はこの程度のことで、そう徹底的に共産党の問題、あるいは確信犯人の問題を片づけようといつても、そう簡単に行かないのじやないか、こう思うのであります。
  8. 猪俣浩三

    猪俣委員 委員長ちよつとお願いするが、あなたも委員の一人だからもちろん質問なさることは御自由であるけれども、大体今までの慣例委員長司会者なんだから、委員に先に質問させて、最後に足らざるところを委員長がやることが大体今までの慣例であり、それが委員長の貫禄を重からしめるゆえんだと思うから御忠告申し上げます。
  9. 安部俊吾

    安部委員長 それはかまいませんが、ただ二、三の点を御質問申し上げたのですが、それから委員に御質問願うことも一つの今までの慣例じやないかと思います。よろしゆうございます。ただいまの公述人の御意見開陳に関しまして、もしくはこの以外に関して委員より御質問ありますか。
  10. 猪俣浩三

    猪俣委員 末弘先生のお書きになりました法律時報の五月号で、大体今のような御趣旨の論文を拝見いたしたのでありますが、その中に、この法廷侮辱罪のような制度は、英米特有制度であつて、それがうまく運用されている基礎には英米独特の事情があるように思われる、という文句があるのであります。そこで先ほどちよつと触れりれたようでありまするが、この英米特有制度であつて基礎には英米独将事情があるということにつきまして、もう少し承りたいと存ずるのであります。たとえば一イギリスの法官は人体弁護士長老だというようなこともわかりますが、アメリカ弁護士裁判官関係は一体どうなつておるものであるかというようなこと、その他英米特有制度であつて、それが英米独特の事情に基くということについていま少しく御説明をいただきたいと存ずるのであります。
  11. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 お答えいたします。イギリスの方がそもそもこの制度の生れたところで、私は大体イギリスの方がうまく行つていると思うのですが、先ほども申しましたように、裁判官は大体弁護士長老だということの事情が一番事をうまく運ばせているゆえんだと思うのです。しかしそれでさえ法廷侮辱の問題を起すことは、裁判官としてはむしろ恥だと思われておるようです。が、ともかく事情はそういうことです。  それからアメリカの場合においても、大体において弁護士長老もしくは弁護士仲間から裁判官の多数は出ておるのであります。ことにアメリカは、御承知のように日本あたりから見ると想像もできないほどいわゆる弁護士協会みたいなものが非常に勢力を持つておるところであります。それでああいう勢力を基盤として初めて裁判官立場というものもできておるのであります。それで何と申しましても、日本の今の裁判官アメリカ裁判官とでは、民間弁護士あるいは弁護士団体との関係はまつたく違うと思います。日本では終戰後最高裁判所判事を選ぶ場合に、弁護士会の方から人を出されましたが、人が出たというだけでアメリカと同じような事情ではないことは事実を見ればやはりわかる。そこいらのことを私申したのでありますか、これらのこまかいことは、おそらく伊藤さんとか戒能さんあたりが事実はかなりもつとよく知つておられると思うのです。それからこういつたもの書いてありますようなことですと、もし御希望があれば後に資料を差上げてもよろしゆうございます。
  12. 猪俣浩三

    猪俣委員 それではひとつぜひ参考書類法務委員会へお貸し願いたいと存じます。
  13. 安部俊吾

    安部委員長 ほかに御質問ありませんか。
  14. 梨木作次郎

    梨木委員 今出ております裁判所侮辱制裁法によりますと、即座に逮捕することができることになつておる。ところがこれは逮捕状なくして逮捕する建前になるわけでありますが、この点が憲法の三十三条の「何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。」この憲法規定から申しますと、裁判所侮辱制裁法制裁刑罰じやない、だからこれは犯罪ではないということになれば、これは現行犯ということに言えないと思う。そうすると、これを逮捕することは憲法規定からいつても違反するようにわれわれは考えるのでおりますが、この点をどういうぐあいにお考えになりますか御意見を承りたい。
  15. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 憲法の条文に反するとか反しないとかいう議論よりも、その点で一番大事なのは、やはり英米侮辱罪制度そのままをまねておるわけで、みずから法律違反なりと認定してみずからただちに罰する制度ということが、むしろ問題であります。制裁する一つの方法として、ただちにつかまえるという方法がある、つまり一種の法廷警察権とかいうような考え方、従つて何か似ているものをお考えくだされば、旧憲法時代の警察犯処罰令及び違警罪即決例、あれに似たことをやろうとしているものだと思うとわかると思うのです。それでお説のように、新憲法的にいうと、あまり——私先ほど申しましたように人権擁護という点からいうと思わしくない法律であるということだけ申し上げましたが、その第何条にどうだこうだというふうには十分研究しておりません。
  16. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 一点だけお尋ねいたしたいのであります。先ほど先生のお説にもございましたように、法治国家におきましては、裁判所に最高の権威を持たせることが、国家秩序維持の最高の原則ではないかと思う。そこで問題になりますのは、戰争前におきましては、天皇の名におきまして裁判所権威を持たせまして、あれだけの最高の秩序を維持することに曲りなりにも成功をいたして来たと思うのでありますが、終戦後には新しい民主主義の輸入によりまして、その法廷の最高権威が失墜されておること、これはだれしも否定していないことだと思います。そこでどうして裁判所の最高権威を保たすか、この方法について先生の御意見を承りたいと思います。
  17. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 新憲法規定裁判所法、その他裁判官の給料を特別によくするとか、いろいろなくふうがすでにされておりますことは御承知の通りです。これは英米では非常に特殊なのでございます。すでに御承知かもしれませんが、これは半分じようだんですが、イギリス裁判官がパリに遊びに行つて、フランスの裁判官が電車で裁判所に通うのはふしぎだと言つたという有名な話がある。電車で民衆と一緒にもまれて行くようでは権威が保てないというくらいイギリスあたりでは裁判官を特別扱いしておる。日本でも曲りなりにもかなり特別扱いをして、最高裁判所の建物に行つてごらんになるとわかりますように、驚くようなとんでもない建物の中に鎮座しておられます。そうして官舎をやる、自動車を買う、あのくらい優待したら権威は増しているだろうと思うのです。これ以上権威を増すのには、さらに何かして上げるよりも、裁判官が御努力なさることだと私は思う。もう必要なことは十分されておる。
  18. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 議論いたすわけじやないのでございますが、そこで裁判官権威については、あらゆるくふうをわれわれ国民としても払つているし、裁判所自体も払つているわけですが、遺憾ながら民主主義の新しい段階においては、そうした形式的な問題をもつてしては片づかない、どうしてもそこに悩みが生れておると思うのであります。この悩みを形式的な問題、ない素養の修養という問題でなしに片づけるいい方法はないものでしようか。
  19. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 私は裁判官みずからの努力ということを申しましたが、制度的に言うならば、今の制度でも、あるいは懲戒法であるとかあるいは弾劾法とか、ああいつたようなものを、もつと実質的に運用することは、かなり意味があると思われる場合が、私はあり得るのじやないかと考えております。  もう一つ非常に大事なことは、日本司法官の権威を維持するために、割合に守られないおそれがありますのは、裁判官裁判に関する以外にあまり意見を発表されない方がいい、これは英米裁判官の道徳になつていると思います。つまり裁判官は言い訳を言わないという有名なことわざがありまして、自分裁判については、もうあとで何を言われようが、裁判そのものに書いてある以外にへりくつを言わない。それから裁判以外において、何か自分政治的信念だとか学説とかいうようなものをやたらに述べまわることが、日本ではあたりまえのように思われておるようだが、裁判官はやはりそういうことをされないというのが建前のようであります。むろん英米の場合でも、裁判官で著書のある方がありますが、その多くは裁判官になる前の著書でありまして、裁判官になられてからは、裁判以外のところで意見を述べるということは非常にされておらないのです。これなどは、司法官に対して国民がもつと信頼を持つために大事な事柄なんであります。つまり裁判官のもう少し守るべき道について、それこそ最高裁判所の規則でつくるなり何なりして、裁判官自体ごくふうをなさつたらいいのじやないか、こう考えております。
  20. 石井繁丸

    ○石井委員 ただいま末弘さんから、英米では弁護士長老裁判官をやるので、侮辱の問題が起きてもそれほど角立たない、また侮辱罪なんかを適用することはほとんどない、こう申されたのでありますが、私らも共産党事件にいろいろと関連して考えさせられることは、昔でもやはり共産党事件のときには相当法廷が荒れたのであります。そこで裁判所においては、たとえば佐野學や徳田球一の三・一五の裁判のときには、当時名古屋の控訴院の部長をしておつた宮城實さんを東京地方の部長に——ある意味においては格下げというようなかつこうでしようが、事件重大というので、非常に老練であり、かつまた研究を積んでおる宮城さんを抜擢いたしまして、裁判に当らせた。そういう関係でありまするので、非常に共産党の大物をそろえた事件において、また自由法曹団の、なかなか法廷闘争に熟練された布施さんの一党がそろつても、さばいて行つた。こういうふうに思われるのでありますが、現在の東京裁判所等において見ますると、大体まわり持ちで、そういう事件について熟練であるということを考慮しないで当らせる。こういう形になるので、裁判官も自信がない、そういう問題についての確信がない。こういう関係から、また被告たちや何かの方においても軽く見る。こういうことから法廷における秩序が乱されるというふうに思われるのです。むしろ法廷における裁判所侮辱制裁というふうなことを考えるよりか、そういう裁判については大物を拔擢する、そうしてそれに当らせて、その人の経験とその人の力量によつて、円滑に裁判を進める、こういうふうなことを考える必要があるのではなかろうかと思われるわけですが、英米などではそういう特殊の事件については、そういう扱いをしておるかどうか。また日本でもそういうふうにしたらどうかということについて御意見を承りたい。
  21. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 ただいまのお尋ねについて、英米でどうしておるかは事実は存じません。それから、実際上そうしたらばうまく行くかもしれませんが、そのかわりに、また昔の思想検事、思想判事なんという専門家ができても、また弊害が起るおそれがあるのじやないかと思つております。それよりか、やはり裁判官全体として、当事者に対して一方は十分なる親切気を持ちながら、しかも、ほんとうに毅然としてやつて行くという、根本の心がけの問題じやないかと私は思つております。
  22. 安部俊吾

    安部委員長 石井君に申し上げますが、ほかにもたくさんありますから、ひとつ簡潔にお願いします。
  23. 石井繁丸

    ○石井委員 これは裁判所側の意見にもなると思いますが、実際を言うと、裁判所においては地方の部長というような、ほんとうに裁判の一線に当るところに最も熟練した経験を積んだ人をすえておくというふうにして、高等裁判所とかそういうふうなところへ年功みたいにだんだん上げていくというよりは、地方の部長級の裁判の実に当る人に大物をすえておく、経験を積んだ人をすえておくというふうなことを考えることが、実際は裁判を重からしめ、また国民に非常に信用せしめるゆえんじやなかろうかと思いますが、裁判所側でなく、裁判所側以外の学者の立場において、あるいはいろいろな経験を積まれた立場におきまして、御意見を承りたいと思うのであります。
  24. 末弘嚴太郎

    末弘公述人 簡單にお答えいたしますが、ただいまの点は私も賛成で、今まで労働の関係について書いたことも言つたこともありますが、日本裁判官が、やはりいわゆる普通の役人の出世主義と同じように、古い老練の人は上の裁判所で、下の裁判所は割合に若い人とか、あるいはあまり出世しないような人がおるような気味があります。ことに労働問題の仮処分などを地方裁判所の支部などで扱つている場合も、かなり無理があるように見受けられました。むろん最近では支部もよくなつて参つたところもありますが、終戰後一時は、支部が労働問題の仮処分を扱つて、とんでもない決定をやつて、事を非常にむずかしくした例なんかあります。やはり裁判官として一番大事なものは、今度の制度ですと第一審です。今度は二審も事実審理をほとんどやらないようなことになつたので、一審は非常に大事なんですから、一審に優秀なる裁判官を配属するという制度にすることは非常に大事なことで、ひいては今の秩序維持の問題にも関係がある、こう考えております。
  25. 安部俊吾

    安部委員長 どうもありがとうございました。  次に小林健治君より御意見の御開陳をお願いします。
  26. 小林健治

    ○小林公述人 ただいま御紹介にあずかりました小林健治であります。裁判所侮辱制裁法案の御審査あたりまして、実務家として卑見の一端を述べます機会を与えられましたことは、非常に欣快とするところであります。ただいま実務家と申し上げましたが、私は昭和四年五月に司法官試補を拝命いたしまして、東京地方裁判所等において修習いたしました。昭和五年十二月に判事に任ぜられ、昭和九年二月一日まで東京地方裁判所、次いで宇都宮地方裁判所で民事裁判事務を担当して参りました。昭和九年の二月二日から東京地方裁判所東京裁判所または東京刑事地方裁判所において、もつぱら刑事事件の事務を担当して今日に及んでおります。その間昭和十五年三月から昭和十九年十二月までの約五箇年間予審判事をいたしておりました。昭和二十年一月から現在まで刑事部会議体の裁判長をしております。従つて私の今日申し上げます意見は、刑事裁判の実務家として、しかも東京地方裁判所判事としてのごく限られたものであることをまずもつて御了承願いたいと存じます。  まずこの法案に対する私の結論を申し上げますると、私は本法案に賛成するものでありまして、その成立を心から希求するものでございます。以下その理由を簡単に申し上げます。  ただいま末弘先生から手きびしくわれわれの地位、素養、人格、識見等について御批判がございましたので、非常に謹聴しておつたのでありますが、期せずして私は末弘先生とまつたく反対の意見をここに開陳するのやむなきことを御了承願いたいと思うのであります。  まずこの法案の趣旨でありますが、この趣旨については、先ほど委員長が申された通り、裁判所威信を保持し、司法の円滑なる運営をはかろということにおいて、皆様何人も御異論のないことと存ずるのであります。  次にこの法案の必要性について二、三私の感じを申し上げますと、さきに申し上げましたように、私は昭和九年二月から昭和十九年十二月まで東京地方裁判所東京裁判所、または東京刑事地方裁判所に陪席判事、単独判事または予審判事として刑事事務の処理に当つて参りました。その聞幾多の審判に参与、経験したのでありますけれども、当時は旧刑事訴訟法でありまして、裁判所または裁判官の職権的、ある意味では一方的措置が講ぜられた場合が多かつたのでありますが、それでも一件たりとも旧裁判所構成法第百九条によつて体刑を命じたり、あるいは勾引したり、拘留したり罰金に処したという事例を経験して参りません、従つて私の経験から申しますと、少くとも昭和十九年十二月までは、旧裁判所構成法第百九条の規定は無用にあるかに見えたのであります。ところが終戦後のある種の刑事事件法廷の様相は、まさに一変したと言い得るのでございます。特に昭和二十四年一月一日、現在の刑事訴訟法が施行されまするや、当事者主義に便乗したとも見得る事態がかなり発生しておるのでございます。敗戦に伴う民族的自暴自棄から来る道義の頽廃、ある民族による集団的反抗、あるいは思想混迷による等のことからして、悪質犯罪の激増とともに、その審判に当つて不当な行状に及び、法廷はもちろん、その内外において不穏な事態を引き起しておるのでありまして、これが全国的事例については、すでに政府委員の方あるいは最高裁判所の職員の方から御説明があつたことと存じます。ここでは私が経験しましたほんの一、二の事例を御参考まで申し上げたいと存じます。その第一の事案は、ある政党の有力な幹部が指揮して、旧軍術の大豆等の主食を管理者に強要して、管理権を人民の手に移したと称して、これを多衆に分配した事件であります。この事件昭和二十一年の六月、私がその審理に当つたのでありますが、まず数十名の者が私ども裁判官を取囲みまして裁判は公開である、従つて大衆の面前でやるべきである、日比谷の公会堂、または日比谷のあの大広場においてやるべし、それが公開の本質であると言つて、執拗果敢に私どもに数次の折衝を続けました。法廷においては、証人に対し、裁判長の制限に従わず、必要以上に長時間に尋問を続け、あるいは侮蔑的言辞を弄し、ときに傍聴人は被告人に呼応してその発言を声援する等、かなりの喧騒をきわめておりました。  次に昭和二十三年の四月に開かれました生産管理に起因する某事件の公判においては、被告人は裁判長たる私をわざわざ議長々々と連呼し、しかも時をきらわずしばしば発言を要求するのであります。なかんずく最もその処置に窮しましたのは、私どもが休憩または会議のために退廷しようとしてドアを出ようとする際に、傍聴人かあるいは被告人か確定し得ないのでありますが、資本家の御用裁判あるいは反動判事という罵声を私どもの背中に浴びせるのでございます。  そのころまた、これは特殊な思想及び政治運動をしておるかなり知名な政治家の詐欺事件でございましたが、執拗に保釈を要求いたしまして、この保釈が許されざる事情については、あるのでありますが、保釈を要求いたしまして、その保釈の許されざる理由をもつて裁判長たる私に国賊裁判長、かような罵声を浴びせるのであります。さらに最近におきましては、数例において被告人が検察官を指さしまして、売国奴検事、売国奴検察官と呼号する事例があるのであります。さらに被告人が証人に対しまして、生かしてはおかぬ、ただでは帰さぬというような言辞を弄する事例もあるのでございます。特に最近におきましては勾留理由開示の法廷で、被告人、利害関係人らが裁判官、検察官に食い下りまして、ある種政治的な意見を露骨に表明し、また傍聴人たる同志を啓蒙するがごとき言辞を弄するのが、通常の状態とも言い得るのでございます。ここにこの種事件あるいはその傾向のある事件、あるいは勾留理由開示事件について、最近東京地方裁判所でこれだけ取扱つたという例をちよつと調べて参りましたが、勾留理由開示手続だけについて申しますと、昭和二十五年で一東京地方裁判所及び八王子を合せまして合計二百十五件の申請がございます。うち実際に開示手続をしたものが百三十二件、特に二十五年の十一月には五十四件の開示手続を行つております。本年に入りましても四月までに請求が百三十四件、実際の開示五十三件を数えておるのであります。これが大体手続において今言つたような波瀾、混乱をあるいは好ましからざる事態を引起しておるのが実情なのでございます。  そこで法廷で、訴訟指揮権という面からこの事態にいかに対応すべきかということを私ども考えさせられるのでありますが、法廷または裁判手続を行うその他の場所における裁判長、裁判官の毅然たる適切なる態度は、訴訟指揮権が法廷その他の場所において施行される公判の円満なる進行に重大なる力を持つことは申すまでもないのでございますが、この種の訴訟指揮権は御案内の通り刑事訴訟法に認められておるのでありまして、それ自体訴訟法上のものであつてその作用にはおのずから一定の限界がございます。道義と条理を無視し、あるいは法廷を階級闘争の一場裡であると観念し、法と秩序を無視し、暴力的言動をもつて法廷を支配しようとする被告人に対しては、単なる訴訟指揮権のみをもつてはとうてい円満なる訴訟の進行を期し得ないことは明らかであろうと思います。しかのみならず、これら被告人に呼応してこれを声援するがごとき傍聴人の存するにおいては、この訴訟指揮に挺身する裁判長または裁判官の労苦は、お察し願いたいと思うのであります。  かような情勢あるいは事実に面しまして、私どもは何らかの、権力というと語弊がございますが、これをうまく運営する方法を与えていただきたいと申しますのは、これは当然の要請であると思うのであります。その点についてはすでに法廷警察権、それから今の裁判所侮辱制裁というものが考えられるのではないかと存じます。この点についてはすでに末弘先生からもお話がございましたように、法廷警察権については裁判所法七十一条、同条の二、七十二条におきましては、裁判長に退廷、退去を命じ、その他警察官を使用するというようなことを許容しております。七十三条において、裁判長の命令に従わずしてなおかつ訴訟の進行を妨害する場合にはこれを処罰し得ることを規定しておるのであります。前者についてわが東京地方裁判所の実情を申しますと、通常は老齢の廷吏一人であります。裁判長が訴訟指揮権を実施し得る裁判所要員は一人の老齢の廷吏だけでございます。この点から行きましても——後にこの点は申し上げたいと思いますが、裁判長の方で警察権の執行を万全ならしむる方法については、各位の特段の御配慮をお願いしたいと存ずるのであります。  次に警察官を使用できるという点でありますが、これが現在なかなか実際には使用できておりません。と申しますのは、御案内の通りパトロール制というようなもので、予備員というものは警察署に現在おらないようであります。従つて急遽派遣を求めましても、これに応ずるだけの力がございません。この点について私が最近経験いたしました事件の一例を申し上げますと、当時被告は十六人でありましたが、当時東京地方裁判所に係属しておりました同種事件の百三十数人の併合統一審理を要求して、各被告人は裁判長の制止も聞かず一斉にその申立をいたしました。私どもは会議の結果、技術的にまた法律的に不可能のゆえをもつてこれを却下すべく決定したのでありますが、その情勢下におきまして却下するにおいては、さらに法廷が喧騒混乱に陷るべきことが認められましたので、私は進行について協議するために退廷いたしました。そしてその間丸の内警察署に警察官の派遣を求めたのでありますが、二十三名かの警官が到達するまでに四十五分の時間を要しております。この四十五分の間いわば法廷が空白の状態に置かれた、十六人の年少気鋭の人たちに対して当時法廷に配属されましたのが、東京地方裁判所としまして動員し得る限度でありましたが、廷丁は五人でございます。五人の廷丁をもつてしては、あの人たちに立ち向うべき何ものもございません。やむなく四十五分法廷を真空の状態に置いたのでありますが、幸いにしてそれ以上何らの混乱も生じませんので、私もいささか責を果したような気がして、その日は裁判の進行を続けたのでありますが、現状におきましては法廷警察権はわれわれは完全に使用し得ないという状態にあるのであります。  次に本法案英米裁判所侮辱制裁法との比較における私ども考えを申し上げますと、ただいま末弘先生、また伊藤先生その他からも専門的に御説明があるかと思いまするが、英米法におきます裁判所侮辱というものは、講学上直接、間接あるいは民事、刑事というような分類がされるような非常に広汎なものであります。御案内の通り新聞雑誌すなわち出版による侮辱についてしばしば問題を起しており、最近においては労働争議の中止命令に対する処罰について、これまた世界的論争を巻き起したことは、私どもの耳に新たなることでありますが、直接裁判所侮辱というものについてはかつて異論はないのではないかと私は考えております。この意味についてこの制裁は、司法の円滑な運営、法廷の神聖を保持するに必要的不可欠の最小限度のものであると英米においては承認しておるのではないかと存ぜられます。まさに本法案は一読して明らかなるごとく、法廷または裁判官の面前及びこれと同一視すべき場所、いわゆる直接侮辱のみをもつて対象としておるのでありまして、すなわちこの大目的達成の最小限度のものである。この程度のものはわれわれ裁判官たる地位に対して与えてほしい、与えても、後に申し上げますが、その運用いかんによつては十分な効果を発揮し得るものであろうと考えるのであります。  次に本制裁裁判所法第七十三条の審判妨害罪との関係について一言いたしたいと思います。裁判所法第七十三条によりますと、同法第七十一条によつて法廷での裁判所の職務の執行を妨げ、または不当の行状をなしたために裁判長から退廷を命ぜられ、その他法廷秩序を維持するため必要な事項を命ぜられた者あるいは必要な処置を命ぜられた者、これと同法第七十二条によつて法廷以外の場所においての裁判の職務の執行を妨げたるため退去を命ぜられ、その他必要な事項または処置を命ぜられた者が、その命令に違反して裁判所の職務の執行をさらに妨げた場合に、この七十三条の適用があるものと私は解するのであります。すなわち約言しますと、まず職務執行を妨げて不当の行状をした者に対して、裁判所または裁判官から退去を命ぜられ、他の作為不作為の命令を受けた者が、これに従わずして退廷しなかつた。さらにまたその命令に反して職務の執行を妨げたりした場合にのみ、この七十三条は適用あるものと私は考えるのでありまして、その処罰にあたりましては検察官の捜査、起訴を経て後審判すべきものでありまして、しかも刑事訴訟法第二十条第一号の趣旨から申しまして当該裁判官はその裁判に関与し得ないと考えるのが至当ではないかと考えるのであります。この対象と形式において、まさに本法案とは非常に相違があるのでありまして、その点が一番論議されるのでございましようが、その七十三条をもつて足るという論者に対しては、私はこの七十三条をもつて十分でありましようかとむしろ反問したいのであります。同条によつて裁判所威信を害する不当なる行状をした者あるいは検察官を売国奴と呼号し、証人に対してただは置かぬぞ、殺してしまうぞと発言した者に対して七十三条はただちにもつて適用できるかどうか、私は大きに疑いを持つております。また野卑な言葉をもつて検察官、ときに被告、ときに弁護人を侮蔑する傍聴人、これに対しても右七十三条をただちにもつて適用し得るかどうか、これまた私は疑いを持つております。これをしも法廷警察権だけのもとに放置してよろしいものでございましようか。私の解するところによりますと、法廷威信というものは裁判官を初めといたしまして、弁護人、証人、陪審またはすべての傍聴人を含むこの訴訟関係者に対する暴力、脅迫、侮辱を含めての法廷等における秩序紊乱、これが裁判所侮辱であると解するのでありますが、本法案を通読してみましても、本法案によつて保護されるのは裁判所威信、すなわちその裁判関係を構成する全員の関係において、法廷またはこれに準ずる場所の全体的観点から考えるべきものであると解するのであります。すなわち裁判官に対する直接の言動はもちろん、他の裁判所職員、検察官、弁護人、被告人、証人等の訴訟関係人、ときに傍聴人に対する言動であつても、それが法廷のために法廷の品位を傷つけ、法廷の神聖を害する場合は、本法案第二条の適用ありと考えるのでありまして、一面からいえば本法案裁判官裁判所職員はもちろん検察官、弁護人、被告人、証人、傍聴人等その裁判関係を持つすべての人々が、平穏安泰にその分を盡すことを保証するものと解せられるのでございます。そしてそれが法廷の品位を傷つけるかどうか、職として裁判経験のある、その訴訟において中立不偏冷静であるべき当該裁判官にその判断をまかせるということは、必ずしも一方的な制裁または裁判になるとも考えられないと思うのであります。この点につきまして旧地方裁判所構成法第百九条の規定を回想してみたいと思います。同条によりますと、第一項において「裁判長ハ審問ヲ妨クル者又ハ不当ノ行状ヲ為ス者ヲ法廷ヨリ退カシムルノ権ヲ有ス」第一項においては「前項ニ掲ケタル違犯者ノ行状ニ因リ之ヲ勾引シ閉廷ノトキマテ之ヲ勾留スルノ必要アリト認ムルトキ裁判長ハ之ヲ命令スルノ権ヲ有ス閉廷ノトキ裁判所ハ之ヲ釈放スルコトヲ命シ又ハ五月以下ノ罰金若ハ五日以内ノ勾留ニ処スルコトヲ得」と規定し、第三項に「其ノ処為ノ軽罪若ハ重罪二該ルヘキモノナルトキハ之ニ対シテ刑事訴追ヲ為スコトヲ得」と定めてあります。右規定は現裁判所法第七十三条と本案との性格を兼ね備えるものでありまして、右第二項はまさに本法案とその趣旨において同一のものであるのであります。この意味からしまして、本法案はまつたく新規な、独善的な、または米英の模倣ということは言い得ないのでありまして、ある意味から言えば、裁判所構成法への復帰とも考えられるのでありまして、別に新しい立法であるとは私は考えておりません。私ども裁判所法第七十三条によつて、この裁判所構成法百九条が削除されたことを、当時の情勢から見まして、しかあるべしとして賛意を表して参つたのでございまするが、先ほど申し上げましたような情勢の変化は、さらにまた裁判所構成法百九条に復帰するのやむなき必要を感ぜしめられておるのでございます。  以上が私の本法案に対する積極的賛成理由でありますが、以下その反対理由の一、二に対して考えてみたいと存じます。時間を超過しましたので簡単にいたしますが、まず第一は裁判所法七十一条ないし七十三条との関係でありまして、論者はこの法条をもつて十分なりとするのでありますが、その十分ならざる理由を詳細に申し上げる時間を持ちませんので省略いたしますが、先ほどの一、二の解釈によつて御了承願いたいと思います。  さらに反対論で私どもの一番関心を持つのは、わが刑事訴訟法の大原則たる不告不理の原則を破るのではない、か、その意味において賛成できないという御意見があろうかと存じますが、私の解するところによりますと、この裁判所侮辱制裁法は、一言にして言いますれば、裁判所特に法廷威信、神聖を侵害する場合における裁判所の自救行為的性格を多分に有するものと考えておるのでございます。しかもそれによつて保護さるべきものは、その裁判における裁判官裁判所職員のみならず、検察官、弁護人、被告人、傍聴人を含めての、その訴訟に関係を有する一切の人の安泰、平穏なる訴訟行馬であることに御留意を願えれば、さらに一層この自救的行為というものが理解できるのではないかと存ずるのであります。その意味からしましても、先ほども触れましたように、当該裁判官にただちにもつて制裁を与えさせるのはいかぬというような御議論も、裁判官経験、冷静、不偏その他から見て、あながち一般制裁と区別しても、そしりは受けないのではないかと考えておるのであります。  次に私のこの法案に対する感想、また覚悟を一言申し上げさせていただきたいと思います。制裁の威力をかりまして、裁判所威信を保持しようとするのは、往時の封建的思想に根ざすものである。裁判所権威を確立し、司法の円滑なる運用をはかる道は、裁判官にその人を得ることであつて、決して制裁ではないという御意見については、ただいま末弘先生も述べられましたが、私どもは深く考えさせられるのであります。私どもはその閲歴、素質、人格、識見において、またその訴訟指揮の技術において、司法の尊厳を守る者として、省みて忸怩たるものがございます。ただ私どもはこの職をつかさどるに当つて、清廉と潔白については強い自信を持ち、清貧を楽しむだけの心構えのあることは、人後に落ちぬと確言し得るところでございます。同時にまたそれらはより高い人格によつて裏づけなければならないと深く信じまして、日夜その反省を怠らないものでございます。それにもかかわりませず、この法案の成立をこいねがうゆえんは、まさに汚されんとする威信を今日にして食いとめ、今日にして支持したいという念願にほかならないのでございます。私どもはまた一方において、強い権力のもとに、陶酔、偸安、自己満足しようとするものではありません。私どもは謙虚な心をもつてこれを運用したいと念じておるものであります。私どもは、その権力が強ければ強いほど、これに対する監視、批判、そして弾劾がより強かるべきことが、民主主義の根本的原理であると考えております。私どもはかりにこの権力、権能が与えられた場合、その適正な運営を常に反省し、あらゆる面からの監視、批判を喜んで受けたいと存じております。もしそれこれが濫用のそしりを受けるにおきましては、いかなる弾劾、制裁をも甘受する覚悟でおります。同時に人格識見の高揚、訴訟技術の練磨に努め、大方の御支援によつて、この権力をして拔かざる博家の宝刀たらしめんと、切に願つて心に期しておるものでございます。  なおこの点について一言させていただきますが、この権力は個人としてではなく、裁判官としての地位に与えられておるという点でございます。私どもは先般各位の御配慮によつて、他の行政官または公務員よりも、より多額の報酬を定められました。私個人から言いますれば、他のより有能な同輩または先輩より多額の報酬を受けるということについては、内心忸怩たるものがございます。しかしながら裁判官たる地位に与えられた報酬として、私どもはこれを甘受いたしまして、その地位にふさわしき人格、識見、訴訟技術その他を習得したいと念願しておるのでございます。私どもは決して個人たるその人に与えられる権能であるとは思つておりません。まさに裁判官たる地位に与えらるべき権能であると信じております。  最後に、私は昨年五月ある会合において、時期尚早のゆえをもつて、この法案の制定に反対の意見を申し述べたことがあります。しかしその後の情勢の変化は、まさに今日ここに申し上げるような意見にかえるのやむなきに至つたことを御了承願いたいと存じます。  以上卑見の一端を開陳いたしたのでありますが、一つ参考として愼重御審査の上に、この法案を可決、成立せしめるにおいては、望外の仕合せと存ずる次第であります。御清聴を感謝いたします。
  27. 安部俊吾

    安部委員長 この際ちよつと申し上げておきますが、委員の御質疑は、議事の進行上三、四人の御意見を承つた後にいたしたいと存じますから、さよう御了承願います。  次に戒能通孝君の御意見の御開陳をお願いいたします。
  28. 戒能通孝

    戒能公述人 私の今日申し上げたいと思いましたことは、先ほど末弘先生が大体お話くださいましたので、繰返しになることはできるだけ避けたいと思つております。  先ほど末弘先生お話になりました通り、裁判所威信というものを一番よく守つて行くものは、これは言うまでもなく裁判官の人格ではないかと思つております。言いかえれば、裁判官が予断を持たず、公正に裁判して行くこと、これがあくまでも裁判所威信を守つて行く一番大きな本道ではないかと私は信じております。しかるに末弘先生先ほどおつしやいました通りに、ある種の判決におきましては、同僚に対する裁判みたいな非常に極端な言辞を使つていたという事実が出て来るのであります。つまり最高裁判所判事たるものが、その同僚に対して国辱的、曲学阿世とか、あるいはまた休み休み言うようにという文字を使つていたことがあります。こういう裁判官を私たちが前にした場合、どういうふうに感ずるかということは非常に大きな問題だと思うのでございます。私も実は判例集でそれを読みまして、ぞつとしたのでございます。そうしてこの裁判官を前にして私が何か議論をしました場合、ほんとうに正しく私の言うことを聞いてくれるであろうか、それに対しましては私はむしろ悲観し、また疑惑の念を持たざるを得なかつたのであります、さらにまた末弘先生は。裁判官はみだりに判決以外の場合には意見言つてはならないということを御指摘になつたのでございます。この点まさにその通りでありますが、裁判官がしばしば政治意見を述べられるということがないではないと思うのでありまして、その一つの事例が昨年の十月の「展望」という雑誌の六十三頁のところに出ておりますので、もし御機会があつて御参照願えればありがたいと思うのであります。  さらにこの裁判所侮辱制裁法案が提案された一つ理由といたしまして、共産党関係事件の処理ということが言われているように伺つたわけでございます。ところが共産党の言い分は全然聞いてやらないという態度をとれば、自然共産党関係の人たちがおとなしくないであろうということも十分に考えられるのでございます。いかに共産党員であろうとも、訴訟に勝ちたいとかあるいは無罪になりたいという気持は、おそらく持つているのではないかと思うのでございます。しかるに共産党側の人間の言い分というものは絶対に聞いてやらない、共産党というものは完全な暴力団体であるから、それについては何らの証言もいらないというような意見判決で供述せられるところの裁判官がある場合におきましては、どうしてもデスペレートな見解というものが起らざるを得なくなつて来るのではないかと思うのでございます。この点は昭和二十五年九月九日の福岡地方裁判所小倉支部の判決であるとか、あるいはまた昭和二十六年三月十五日の神戸地方裁判所判決というようなものにおきまして、共産党は暴力団体であるということは公知の事実である。これについては何ら証言を要しないというような意見が述べられているのでございますが、おそらくこの公知の事実に対する証拠というものは、全然提出されていなかつたのではないかと思えるのでございます。こういうような点から申しまして、いわゆる法廷闘争というものがだんだん荒つぽくなるかもしれないというような御意見につきましては、かりに自分の好まない人間の言い分であろうとも、本気に聞いてやろうという意思を十分に現わされるようにしていただくことが望ましいのではないかと思つているのでございます。  さらに裁判所侮辱制裁法というものは、これは裁判所に対する侮辱制裁というふうには書いてございますが、しかしながらやはり事実上の問題となりますと、多かれ少なかれ裁判官個人に対する侮辱制裁というものになりはしないか思うのでございます。裁判官の心境につきましては、ただいま小林判事からいろいろ伺つたのでございますが、そのお話を伺つておりますと、やはりある種の人々は非常に憎らしいという感じをお持ちになつたように、私が間違つていなければ伺つたわけでございます。その方が現われて自分侮辱した人間を裁判するということになつて参りますと、不告不理の原則よりはもつと不利な原則、大きな抜け穴が出て来はしないかと思うのでございます。裁判官に対する侮辱制裁ということ、これにつきましてイギリス制度がどんなふうにして発展して来たかと申しますと、これはあまり詳細な勉強はしておらないのでございますが、非常に古くから出て来ていることだけは明らかであるように存じます。十二世紀の後半時代にすでに出ていたことは明らかであるようであります。しかるに十二世紀、十三世紀時代のイギリスというものは、まだ各所にいろいろな王様がおりまして、王様が王様の権力の中に入つて来るものに対して武力ででも抵抗していた時分でございます。言いかえれば、王様とその官吏に対しましては乱闘を辞さないという態度をとつていたときでありまして、法廷侮辱罪の成立も基本的には不敬罪の一種、官吏侮辱罪の一種として成長して来たように思えるのでございます。従つて中央政府の裁判所の統一ができ上つた後におきましては、裁判官はできるだけ自分に対する侮辱を身に受けないで、それを聞き流すだけの余裕がある、それが裁判官として理想であるというふうに考えられていたようであります。たとえばパーリーという——親子二代続きましたイギリス法律家でありますが、そのパーリーという人のある本の中に裁判官としての理想の型が書いてあるのであります。それによりますと、ある裁判所におきまして若い弁護士が、裁判官に対して猛烈に侮辱的な発言をしたのであります。ところが裁判官は、傍聴人、それからそばにいた弁護士どもあきれたことには、黙つて聞いていたわけであります。それはちようど巡回裁判であつたわけでありますが、その夜みなで宿屋に集まつたとき、長老弁護士から裁判官に対して、あのこましやくれた弁護士をどうして叱らなかつたかと質問をしたのであります。それに対しまして裁判官が答えているのであります。私の父親は私の子どもの時分に小さい犬を一匹飼つておりましてね、犬は月が出て来るとよくほえましたよ、というのであります。それは一体どういうことかと質問を受けますと、いや、月はそのまま輝いておりました、ということで話は終りになつたということでございます。ただいまの小林判事の話を伺つおりますと、いろいろな問題が一緒に出て来ているのでございます。たとえば名誉毀損とか、あるいは脅迫に対する罪の規定というものが裁判所侮辱の問題と幾分混線しておられるのではないかと、たいへん失礼でございますがちよつと伺つていて感じたのでございます。さらに裁判所というものは、これは弁護士に対して自由な発言を許さなければならぬということ、これは当然であろうと思うのでございます。法廷におきまして弁護士は、自分の依頼者のために自分の全力を盡して闘わなければならないというそういう職業的な義務を負担しているものと私は信じているのでございます。この場合に、弁護士発言が常に何らかの脅威の前にさらされるようになつて参りますと、弁護人のほんとうの弁護権というものに対して制限をすることになるのではないかと思うのでございます。弁護士発言が、かりに裁判所に対して不快な感じを持たせ、威信を失墜したというように思われますと、百日以下の監置もしくは五万円以下の過料に処せられるわけでありまして、弁護士が真に自分の職務を盡す場合におきまして、この法律案は相当大きな障害になりはしないかと思えるのでございます。  それから最後の問題といたしまして、この法案において取上げられているのは、いわゆる直接侮辱の場合に限られておりまして、英米法なんかで申します推定的侮辱、コンストラクテイヴ・コンテンプトというものには別段の規定はないのでございます。しかし一般原則としてそのことができ上つて参りますと、その原則が拡大されるという可能性が十分考えられるではないかと存ずるのでございます。たとえば旧憲法下において成立しておりましたところの治安維持法にいたしましても、まさかあの法律を制定した方々が太平洋戰争中時代のような、ああいう適用状態になろうとは予想されておらなかつたであろうと思うのであります。しかし一旦ある法律がつくられてしまいますと、それがどんどん自動的に拡大するということは十分考えられて参るのであります。そういうような意味で、私は伝家の宝刀ということはできるだけ避けていただくことをお願いしたいと思います。伝家の宝刀がありますと、伝家の宝刀が思いがけない、制定者の意思とはまつたく違つた方に向わせられることも起るのであります。共産党関係の人たちが法廷妨害を盛んにやるというようなお話がございましたけれども、しかし人によつては必ずしもそう見ていらつしやらない老練な弁護士もおられるのでございまして、たとえば昭和二十六年の六月の正木昊弁護士が書いておいでになるところによりますと、実際の裁判において共産党員が裁判を妨害してしまつたという事例は、ほとんどないのであるというふうに言つておいでになります。正木弁護士は三鷹事件にも関係しておいでになつた由でありますが、その三鷹事件のような事件においてすら法廷妨害というふうなことがほとんど皆無であつた。それから横浜の人民電車事件というものについても言及されておりますが、これも調査の結果は裁判官の方に欠陷があつたことがわかつて、これを法廷侮辱罪の口実にすることができなくなつたということも言つておいでになります。私は弁護士ではございませんから、現在の法廷がどんなふうに進んでいるか私自身としては経験を語ることはできないのでありますが、非常に豊富な経験を持つておいでになる方かこういう意見をお持ちになつていらつしやることは、私にとつて重要なる参考資料だつたと思うのでございます。最近でございますけれども、私が「裁判」という本を一冊書きましたときに、一裁判官という形で一通の手紙をいただきました。それによりますと、お前の言つていることは、法廷における事実というものを通して真実を立証すべきであるという主張を繰返しているようであるけれども、その主張に対して相当非難のあることは自分は知つている。今の日本裁判所は事実の提出によつて真実が明らかにされ、適用される法規の解釈が裁判官に受入れられるような状態にはないという非難があることも自分は知つているが、しかし自分としてはやはりお前の言うことに対しては賛成する。自分は最近ある朝鮮人事件を取扱つた。朝鮮人事件を取扱つたことは、非常に妨害を初期においては受けた。しかしながら自分はこの人に対していかなることを言おうとも、感情に動かされず、事実とそれから法とによつて裁判をするという意思をもつてじつと法廷を見ていたのです。彼らも自分の意思がわかつたか、非常におとなしく爾後の運営に協力してくれた。自分としては自己の信念、正しさを信ずるし、お前のように人間の信念を信ずることが正しいのではないかということで、わざわざ言つてくださいました方がありました。この方はお名前を書いてくださいませんでしたので。真実裁判官であるかどうか私わかりませんですが、しかしそういう意見の方もおそらくいらつしやるのではないかと推測するのでございます。たいへん雑駁でございましたが…。
  29. 安部俊吾

    安部委員長 次に布施辰治君よりお願いいたします。
  30. 布施辰治

    ○布施公述人 私は弁護士立場裁判所侮辱制裁法案に対する意見を述べる機会を与えられたのであります。私は弁護士という立場より、さらに裁判に密接なる利害と関心を持つ大衆の一人として意見を述べさせていただきたいと思います。実はある者からは、この法案の適用対象になるような立場を私たちに浴びせかけられておるような議論も聞くのであります。またいわゆる法廷闘争、法廷戰術というような言葉は、私が最初に用い始めたといつてもよいほど、この法案とはきわめて関係のある立場が顧みられるのであります。従つて私の今まで持つております体験的、またこの問題について常に検討しております理論から、この法案がいかなる性格を持つものであり、そしてまたこれが実現されましたならば、どのような影響と効果を持つであろうということに関連して多くの意見を持いておるのです。その大体を皆さんに聞いていただき、また質疑があるならば、その質疑に答えて私の意見を盡したいのが私の念願です。しかしすでに前公述人において、またその問答において現われました問題を繰返すことは時間の浪費とも考えます。予定した私の批判、意見ではなく、今まで現われた公述人意見、これに質疑を投げかけられますこの会場の雰囲気、それらを再批判的に私の意見を述べて、皆さんの御参考に供したいと考えます。しかし必要な公述人意見として結論をはつきりすることが第一と考えます。  私はこのような法案は、今の段階でというのではなく、永久に必要はない。むしろ有害であるという結論において反対するものであることを宣言いたします。その理由を今まで現われたこの会場における質疑並びに公述人意見というものに対する再批判的にこれを拾い上げて参りますと、裁判威信もしくは権威裁判所威信もしくは権威ということを誤解されてはいないだろうか、さらに裁判所威信あるいは裁判権威というものを尊重しなければならぬことは当然だが、そのために法の威信というものを傷つけはしないだろうかということについて御再考を仰ぎたいのであります。これを率直に言うならば、この法案を制定することは、裁判所威信を保持するためという目的に出て、逆に裁判威信を破るであろう。またこういう法案を制定することによつて、初めて小林健治君の言われるように、裁判威信は保ち得るのだといつても、そのためにこの尊い国会に与えられた立法の威信は、地に落ちるであろうということを考えていただきたいと思うのであります。私は裁判というものの威信は、何者にも侮辱されてはならないと考えております。また何者といえども裁判所威信を傷つけるような侮辱をしてはならないということを考えております。けれどもそういう裁判所侮辱されてはならない威信は、裁判所がいかにしてこれを築き上ぐべきものであるか。よそからの力をもつてこれを保持してやらねばならぬというような性質のものであろうかということを考えていただきたい。私はここで前の公述人方の意見と重複しない範囲で、私の意見を述べますならば、裁判威信は尊重されねばならぬというのは何ゆえであるか、それは裁判所に出入される皆さんにおいても、すぐ感ぜられる通り、裁判所ほど良心という問題をよく取扱う役所はないようであります。裁判官は良心の独立ということを憲法においてわざわざ保障されております。裁判所へ証人に行けば、良心に誓つて云々というあの宣誓書を読み上げさせられます。そうしてこの良心というものは、何かそれは善悪の批判、皆さんがみずからの行為について自己批判をなされるとき、あれはよかつた悪かつたという良心の批判、呵責、これこそは人間の一番大事なものであることをお考えになると同時に、裁判の意義はこの良心を制度化したものであるというところに、裁判威信の尊重されなければならないゆえんがあるのだと私は考えております。しかしながらそのような裁判威信、良心の権威制度化したその裁判威信は、あくまで公正なものでなければならない。と同時にその公正さは独善の公正さであつてはならない、何人をも得心させるような公正さ、それこそ初めて裁判威信でなければならない。そうして何人も得心するということは、何人の良心にも理解し得る裁判官裁判という良心の制度的に発現したその公正さが、共通するということなのであります。ところがこの法案はどうでございましようか。裁判官の主観的——自分侮辱されたと感じたその相対立する、もうすでに自分意見がいれられない相手方にこれを法律によつて強制しよう、押しつけようというところに、この法案の意義がある。そこで私は小林健治君ら、またこの法案の提案責任者としての田嶋君らによく考えていただきたい。裁判というものは、あくまで良心的な批判の制度であり、そうして良心的な批判というものは、あくまで自己内省の謙虚にある。この謙虚の掘下げがなくして、ほんとうの自己批判というものはあり得ない。そこにこそみずから謙虚に自己批判をして、自己にとらわれることを恐れて裁判制度化というものが——ここに多くの理論は申し上げませんけれども、いわゆる不告不理の原則ができて、また一方において起訴をする検事、そうしてその検事とは独立した裁判所というものが裁判するのだという裁判制度が成り立つておるのであります。さらにこの問題を突き詰めて行くと、小林健治君が幾分触れました——多少良心があると見えて、幾分触れました、その触れた言葉の中に刑事訴訟法の第二十条忌避の制度を持ち出して来られておるのであります。この忌避の制度は、何を書いてあるか。自分が被害者である場合あるいは自分の直近の者が被害者である場合、その裁判に関与することができないということを、刑事の裁判でも民事の裁判でもともにこれを書いておるのであります。これは不告不理の原則というもの以上に最も良心的な規定であることを裁判官は反省しなければならぬ。すなわち自分が公益を侵害されたと思うとき、そこに誤りあつてはならない。侵害されたと思つても、自分裁判官として裁判する場合には、その裁判にみずから関与してはならない。親戚とかそういう利害関係のある者における公益の侵害についてさえ自分裁判官として関与したならば、それに身びいきするおそれがありはしないか。それに幻惑されるおそれがありはしないかというので、忌避の制度が、民事にも刑事にもともにきわめて明白に規定されております。私は裁判の良心、裁判の正義は忌避制度によつて保たれておることを常に強調しております。これは不告不理の原則以上であります。にもかかわらず裁判官がみずから自分侮辱された、自分法廷の進行がうまく行かない。これはだれの妨害だというふうににらんだならば、ただちにこれを処罰することができるというような法律をつくることは、まつたく裁判を破壊するものであります。裁判威信を蹂躙するものであります。こういう本質的な——裁判の本質はいかなるものであるかということを考えていただきたい。裁判の本質を守るために、裁判の本質をぶちこわすというようなまつたく逆な錯覚に陷つておる例と理論は、天下はなはだ多いのであります。この法案はまつたくそういう錯覚に陷つておるものではないかと思います。  さらにもう一点を引きますならば、この裁判所侮辱制裁法案は、私の今論証したような不告不理の原則に背くという反対論が出るであろうが、これは裁判所の自救権の行使だということをいわれる。一体自救権の行使というものは、法によつて行われるものかどうかということを考えていただきたい。自救権という言葉そのもの、そして自救権という正当防衛的な権限が、われわれ人間のいわゆる現場興奮あるいは事実興奮の間に発現されなければならない場合においては、法を越ゆるものであることを考えなければならない。法を越える問題に法を持つて行きますとき、それは立法の濫用である。哲学の貧困実にあわれむべきにたえないと私は考える。のみならず、この問題について刑法はどういうことを書いております。正当防衛、緊急避難、あらゆる自救権行使についての保障はしております。けれどもその場合常に過剰行為をおそれる。どうも必要の度を越えて興奮のあまり悪いことをしないとは限らないというので、過剰行為を罰する規定があるのである。こういうことを考えたならば、裁判官みずから侮辱された、自分の計画した通りの法廷進行がなめらかに行かないからというて、自救権行使的にこんな処罰をほしいままにすることを許されますならば、それこそ常に正当防衛権の過剰、それが合法化されることによつての誤りを犯すであろうということは、目に見るように明らかな人間性の把握でなければならないと思う。そういうことに少しでもの考慮を含めた上の立法なりや、提案なりや。私は実に嘆かわしく感ずるのであります。  それからさらに私はこの国会における立法技術というものには敬意を表しますけれども、立法技術が技術の範囲を越えて、立法詐術に陷つておる場合の多い法律を見せつけられることを嘆いておるものであります。この法案のごときは、まさに立法詐術です。——だれが立案されたか知らぬが、立法詐術です。なぜならばまず多くの人たちが、この法案に対してどう考えるか。これは裁判侮辱制裁する法案のように考えます。ところが法案には裁判所という所の字が入つておるのであります。これはおそらく一般の人のこの法案に対する印象とは違つたまぜものといいますか、時限爆弾が仕込まれておるような感じがある。さらにこの法案に対しまして、多くの人々はやはり法廷におけるあの法廷騒擾、そういうような場合に必要な法案であろうというふうに考えられるでありましよう。ところが第二条をよくごらんになればわかる通り、法廷の内と外とを問わないのであります。これも私は一般の人人がこの法案に対する理解と印象の上には考えないある種のことを盛り込んでおる。だから刑事訴訟法をごらんになつても、民事訴訟法をごらんになつても、原則はきわめて基本人権を尊重するようにできておるけれども、例外的には云々の場合には何々することを得、というその例外規定を盛り込んでおくことを忘れない。これが立法の技術を越えた一種の詐術であります。この法案を私は徹底的に字句の詳細にわたつてまで批判するならば、その跡の多いことをはつきり鮮明し得ると同時に、私はこういう法案をいかに、いわゆる詐術的に濫用されるかということについて皆さんの御注意を喚起したい。それはおそらくこういう事件は、事件として問題を起しても、最後の裁判ではすべて無罪になるだろう、決して処罰されるようなことは起つて来ないだろうと思います。けれどもこの場合私はある最も悪辣な官僚警察官、これは名前をあげてもよいくらいでありますが、高級な位置におつたものでありますが、これがもう無罪になることはわかり切つてつても、無罪になるまでつかまえてさえおれば、それでもうおれの目的は達するのだ、こう言つてまつたくむちやな逮捕検束をやつていた警察官僚のあることを考えていただきたい。おそらくはこの法案が実施されたからといつて処罰されるような人は出ないでしよう。けれどもそれは目的ではない。結局は無罪になつても、一応そこでとつつかまえて、無罪になるまででも押えつけるところにこの法案のねらいがあると私は考える。こういうようなことは立法の権威を害するもはなはだしいといわざるを得ない。立法の権威はどこにあるか、あくまでも守られるところになければならない。ほんとうに実施し得るところにあらねばならぬ。ところがこういう法律を制定したからといつて、実はまつたく守られもしないだろう。その効果も上らないだろう。これは末弘博士の言われた通り、まつたく逆効果を奏するであろうというようなことの考えられる場合、こんな法律をつくることは、司法威信を保とうとして司法威信を傷つけろとともに、立法の威信を傷つけるものであることを考えなければならぬと考えます。  さらに私は二、三の実例を申し上げます。かの勾留理由開示の場合に問題が起つた。ある種の裁判裁判長がとつちめられた、こういうようなことを小林健治君が実例をあげておるのであります。しかしこの勾留理由開示で問題になつたのはどんなことが問題になつたか。実は勾留理由開示の申立人は、利害関係人という肩書においてできるということになつていたのであります。ところが最近においては利害関係人という条文の表現は、これは法律術語なんだ、いかなる利害関係ということをはつきり表示しなければ勾留理由開示の申立人たる資格がないといつて、どんどん却下しておるのでおる。こういうことをやつておりますために勾留理由開示において、なぜ勾留したかということを裁判長に質問すれば、いや証拠隠滅のおそれがあるからだ、こういうのであります。この場合やはり証拠隠滅のおそれということは、利害関係人という表示と同じように、これは法律術語の表示なので、利害関係人ということについて具体的に事実を示せというならば、やはり裁判所の方でも、証拠隠滅のおそれという、その術語に沿うた具体的な事実を示しなさいと言つて反抗する場合があるのでありまして、こういうようなとき問題が起ります。そこで私は皆さん考えていただきたいと思いますことは、日本という国の官尊民卑のまことに嘆かわしき一つの風潮であります。私は多年法廷に立つての感想をそのまま言うならば、よほど基本的人権を蹂躪され、裁判所から侮辱された、そういうときでなければ抗議をする傍聴人も被告も弁護人もない事情であります。決して事を好んで裁判長に罵声を浴びせかける、あるいは問題を起すとかいうことはありません。もうがまんをする限りがまんしておる、民卑の屈従、その勘忍の尾が切れて、そうして忍ぶべからざるに及んで爆発するのが、法廷におけるあの種の抗争だということを考えていただきたい。だからそういう意味でも私は決して問題は起らないと思う。ただここで法廷に傍聽人がたくさん殺到する、これがたいへんなことのように考えております。けれども集団的な犯罪について、ある責任者が検挙されるというようなときには、これは責任者個人の犯罪、個人の責任ではないのであります。やはり民主的に結ばれたる利害関係なり、同士的な団結のメンバー、これらの全部が被告の位置にすえられたものと考え法廷監視、これは必然の民主的な自覚の芽の吹き始める尊さでなければならない。それを理解しないで、ある集団犯罪の場合に、また他の多くの人たちが傍聴に来るということが、いかにも自分らが威圧でも受けるがごとくに考えておるところに間違いが起るのであります。それこそそういう民主的な犯罪の性格、傍聽人と被告との立場を理解してこれに対処するならば、絶対に問題は起らない。にもかかわらずそういう場合、すぐに身の危険を恐れるもののごとく警察官にすがろうとする。この警察動員、特別警備という、警察国家のこのやり方がいつでも問題を挑発しておるのであります。こういうようなことを考えて来れば、私は幾多の例によつて、ある事件ではどういう裁判長がやりそこなつたか、ある事件ではどういう裁判長はどうにかやつて行けたという実例を、あげようとすればあげる資料をたくさん持つておりますけれども、そういうことは時間の関係上、ここでは省略しますが、ただ許すことのできない一事は、小林健治君が言われる通り、傍聴人に対しても、検事に対しても、だれに対しても法廷侮辱、進行を妨げたものは処罰する。けれども私に言わせれば、むしろ裁判官そのものこそ法廷侮辱の張本人である場合が多いと言いたいのであります。この法廷侮辱の張本人であるべき非人格的なあるいは識見の低劣な、民主思想をはつきりと理解しないようなそういう裁判長を、それこそ支配封建、天上の神格者のごとくにまつり上げようとするのがこの制裁法案であります。どうしてこういう法案が提出されるのかを私は理解し得ないのであります。こういう法案は、言われました通り裁判所構成法百九条の復元だとか、これはさきに民主的な警察の改善ということで、サーベルがこん棒になつた。そのときには警察の民主化をみな喜んだ。ところがそのこん棒を持つた警察官にさらにピストルを与えた。これはサーベルよりもつと恐ろしいのであります。サーベル時代の拔劍という問題よりも、ピストルになつてからの暴発問題は非常に恐ろしいのであります。そうして責任はとられていない。サーベルを取上げてこん棒を与えて、一旦民主化した警察にピストルを与えるということが、いかに民主化の逆転であるかということを考えればいい。
  31. 安部俊吾

    安部委員長 布施君に申し上げますが、大分時間も経過しておりますから、簡潔にお願いします。
  32. 布施辰治

    ○布施公述人 それでは結論を申し上げますが、まつたくこれは逆転であります。そうしてこのぐらい野蛮な、不告不理の原則を無視し、そうしてまた人間良心の、いわゆる裁判の本質にいう、自分が支配者である場合において、みずから裁判しようとする謙虚さを忘れさせる。こんな野蛮な法律はない。そうして戰争ほど野蛮なものはないというところに一脈相通ずるものがある。私は今ここでは多くは申し上げませんけれども、戦争防止のためにも、戰争を放棄した日本憲法の名誉のためにも、私はこういう野蛮な法律は絶対に通してはならぬ。現段階において必要がないばかりではない、裁判所の本質、法律権威のために、絶対にこういう法律を通してはならない。どうしたつてこれは実施、実現の正しい効果は生まない。むしろ逆効果を生むであろうということを警告し、予言して私の意見を終ります。
  33. 安部俊吾

    安部委員長 ただいま御意見を御開陳くださいました小林健治君、戒能通孝君、布施辰治君に御質問なさる方々は、この際御発言をしてください。
  34. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 ちよつと私から布施さんに対して一言お尋ねしたいと思います。非常にりつぱな御意見を承りまして参考なつたのでありますが、あなたが冒頭に述べられました言葉の中に、法廷闘争というものは、私が言い出したと、法廷闘争ということにおいて議論が進められたようでございますが、法廷闘争という言葉の発案者と申しますか、初めてつくつたお方と申しますか、どういうところからそういうお言葉が出たのでございましようか。
  35. 布施辰治

    ○布施公述人 お答えいたします。これは戒能君によつて公述されましたように、法廷の争いは単なる利害の争いではないのであります。民事で言えば幾らの金をとるか、幾らの金をとられるかというようなことに、実は裁判というものを理解してよろしいのです。ところが民事の場合でも、借家争議、労働争議というものになると、裁判に負けることは生活を破壊されることなんであります。生活を破壊されるかどうか、すなわち生きるか死ぬかの闘いなんであります。こういう争いになりますと、その裁判というものに対して、私たちの強く緊張した気持、そういうところにあの階級闘争というものの原理、そうして歴史的発展、これらを思い合せて来るとき法廷の、ただある者とある者との間における金銭の取引や、あるいは物件の取引というようなことではなく、生きるか死ぬかというような事件を争う場合の争いは、ほんとうに闘争だということを理解してもらいたいという意味から、実は法廷闘争という言葉が使われるようになつた。刑事裁判においてはなおさらのこと、私はあるときにおいては、一生懸命という言葉がある。これをほんとうに裏づけるものは死刑囚の闘争だということを言つたことがある。うそを言つたとて自分が助かりたいからであります。ここに一生懸命という、自分の命をかけての争いということが形容し得るのである。ほんとうに私は人道主義者として前から立つて来ておるのでありますが、人道主義の極致は同情にある。同情の極致はその人になるのにあると私は考えます。第三者的な同情はまだほんとうの同情ではありません。最も苦しめる者とその苦しみをともにする、その人になる同情こそ、ほんとうの同情だ、そういう立場から法廷で生きるべく勝つべく闘う、その争は闘争という文字によつて表現されることの当然を信じて、そういう言葉を使つたのであります。
  36. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 わかりました。先ほども申し上げましたように、私は議論をするわけではございませんが、もう一つお尋ねいたしておきます。先ほど小林判事が、法廷の実際の姿を言われましたが、売国奴とか、生かしてはおかないというような脅迫的な言辞があるという。これは結局お説のような真剣な、生きるか死ぬかの気持から出る言葉かもわかりませんが、闘争という部面から、そうした間違つた法廷に対する発言、行動それから結果というようなものが生れるのではないかと思いますが、この点はどうでしようか。
  37. 布施辰治

    ○布施公述人 それは全然逆であります。私の法廷に関与する限りにおいて、売国奴とかあるいは裁判官に対して、ばかだとかいうような者がありとしますならば、傍聽人百人か百五十人のうちのほんとうにただ一部の気まぐれ者の一人であると私は考えております。こういうようなものは、裁判長からある制止を加えまして、弁護人がついておりますならば、弁護人はともに制止して、それを戒めるなり、退廷させるなり、これはもう法廷の民主的な傍聴者の自律において、そんなことはいつでも制止されておる気まぐれ者であります。これは闘争の真剣さから出て来るものではない、気まぐれ者の言葉であります。そんなものを対象に法律はつくるべきではない。法律は大衆を相手につくるべきものである、こういう私の見解です。
  38. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 もう一つだけ御質問いたしますが、それが気まぐれでなくして、真実にそういうものが存在し、現実にそんな場面があつたとしたらどうしますか。
  39. 布施辰治

    ○布施公述人 そういうことが計画的にあつたとして、それから次々にあるといつて、これもやはり気まぐれとは解釈できないものとして、そういうものが出て来たらどうするかということであります。この点について、私は裁判所裁判外の警察関係というものをよく考えていただきたいと思う。これは団体等規正令による追放者が潜行したというので逮捕状が出ております。これはまつたく裁判所関係のない、検察庁と関係のない、一般警察において、多大の警察費を使つて、監査局あるいは調査局というものを置いて、常に監視の目を光らせておるのであります。こういうところで一般的に取締ればよろしいのであります。取締らなければならぬのであります。それが無能であり、無為であり、その結果、今度は裁判所へ逮捕状を要求して、そうしてその協力を借り、またそれに同調する。そういうところに裁判威信を害するおそれがないか、あるいは立法の威信を害するおそれがないかということを私は考えるのであります。そういうものがありまするならば、法廷に現われたそのときに、それをむきになるようなことでは、ほんとうの政治はできない。そういうようなものが計画的にある、気まぐれでなく出るというならば、それが法廷外で、すでに取締らるべき政治があつてほしい、法律があつてよろしい、こういうふうに思つております。  それからついでですから申し上げますけれども、この議会で、すでにある法律を活用しないで、次から次へと法律を出しておる弊は、あげればたくさんあります。だから今の訴訟規則のあの六十九条以下また刑事訴訟法にも民事訴訟法にもあるこの法廷の指揮権、警察権、こういうようなものを利用すれば十分にできるのに、これを不問に付して、何もできないものとして新しい法律をつくつておる。ここに国民が雨の降るごとく出る法律に、目を疲らすという混乱、混迷を感じておるのであります。私はそういう意味からも、生きておる法律を活用されることを考えてほしい。新しいものをつけ加えることは大きな間違いである、これは二重生活の、あるものを使わないで新しいものばか模倣したり買つて来る家庭経済のまことにぶざまなことを考えても、思い当られるだろうと思います。
  40. 安部俊吾

    安部委員長 それでは休憩いたしまして、午後二時より再開いたします。     午後一時三十一分休憩      ————◇—————     午後二時四十七分開議
  41. 安部俊吾

    安部委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  伊藤正已君より御意見開陳をお願いいたします。議事の進行上、御意見の御開陳はお一人十五分以内にお願いしたいと思うのですが、できるだけ簡潔にお願いいたします。それでは伊藤正已君。
  42. 伊藤正巳

    伊藤公述人 実はこの裁判所侮辱制度につきましては、英米法を研究しております私といたしましては、昔から少し関心は持つていたのでありますが、この法案については実はほとんど知るところがないのでありまして、昨日夕方遅く、この法案を見せていただいたというようなわけで、従つて非常に厳密な議論をこれについてやるということは、まだはなはだ準備不足なのでございます。従つてはなはだずさんな感想を申し上げるにとどまるかもしれませんが、その点は御了解を得たいと思うのであります。  そこでこの裁判所侮辱制度は、私、英米法を研究しておりますものの立場からみますと、英米法の制度として特有ないわゆる裁判所侮辱制度、コンテンプト・オブ・コートの制度を継受したあるいは継受しようとしておるものと思われるのであります。ところが英米法におきます裁判所侮辱制度は、一言にして言えばどういうことかといえば、再々すでに申し上げた方がいらつしやいますが、裁判所威信を害する行為を、その害された裁判所自身が即決の手続でもつて処罰する方法あるいは制度ということになるのではないか、そのいうふうに思うのであります。元来侮辱という制度イギリスにおいて中世の非常に古くから存在していたのでありますが。これは裁判所侮辱に限つた制度ではございませんで、あるいは国王の侮辱であるとかあるいはビシヨップ僧侶を侮辱したというような制度があつたのでありますが、現行法として上つて参りましたのは、ここにいう裁判所侮辱と、もう一つ国会侮辱という制度であります。国会侮辱という制度は、現在英米ともにやはり認めているのでありまして、たとえば国政調査権で出て来た証人が、国会の言うことを聞かないというような場合には、委員会はできませんけれども国会は院としてはこれを処罰する権限を認められているという非常に特色のある制度であります。それと同じような制度が、あるいは国会侮辱制度よりももつと発達した制度として認められているのが裁判所侮辱制度なのであります。これは非常に古くから発展して来ましたために、いろいろな歴史的な理由が加わりまして、非常に広汎ないわゆる社会的役割を果しているのであります。すなわち裁判所侮辱となる行為は、この法案にあげられましたいわゆる直接侮辱には限られません。あるいは直接侮辱はむしろあまり重要性を持たないとすら考えられているのでありまして、社会的には、いわゆる直接侮辱ではなく間接侮辱の方に非常に大きな意味が認められておるのであります。間接侮辱と言えばどういうものがあるかと申しますと、すでにお触れになつた方もいらつしやいますが、出版による侮辱、つまり何か出版をして裁判所侮辱するというようなことがあげられるわけであります。大分前でありましたが、この法案が問題になりましたとき、新聞社関係がこれに対して非常に反撃を加えました。  それからもう一つ、非常に特色のある制度として、裁判所の命令ないし判決に従わない行為が、裁判所侮辱になるわけであります。従つてそういうことをやると拘禁刑というもの——これが妥当であるかどうかはわかりませんが拘禁される。そういういわば民事訴訟法の考えから言えば間接強制の一つの手段として裁判所侮辱裁判所においては用いられているわけなのであります。これが小林さんの触れられましたように、労働法なんかに非常に大きな役割を果しているのでありまして、そのためにアメリカでは非常に問題を提供して、いろいろな法律が出ているという状態なのであります。そういうふうに非常に大きな役割を果しておりますために、またそれに対する批判も非常に強いのでありまして、アメリカにおいては非常に多くの批判がなされている。特に今申しました出版に対する侮辱及び労働法上適用される侮辱に対してはその批判が非常に強い。憲法上の問題であるとか、あるいは自然的な正義に反するとかそういう論議がなされているのであります。にもかかわらず英米においてはこの裁判所侮辱制度を廃止するとか、あるいはまたそれを縮減しようという試みがほとんど成功しておらないのであります。そうしてむしろ裁判所のいわゆる固有権、裁判所として存立している以上はどうしても持たなければならない権利として認められていると思われるのであります。それはどういう基礎があるかと申しますと、やはり非常に常識的ではありますが、英米裁判所が持つている非常に伝統的な高い地位、そうしてそれに対し民衆が寄せている非常に強い信頼というものがやはりこの制度をささえている基盤であると思われるのであります。  そういうふうな英米法上の制度を本法は採用しようとしているわけなんでありますが、それに対して、私いわば英米法を研究している者の立場から本法に対する感想を述べさせていただくのでありますが、結論だけ先に申し上げさせていただくならば、今までの公述の方が非常に多数反対説でありまして、わずかに賛成されたのは当事者的な意見であるところの裁判官の方だけでありますが、私はある程度の不満はありましても、この制度は採用した方がいいというふうに思うものであります。そうして今留保しました不満というのは、この制度が非常に危険であるという点もむろんありますが、むしろ裁判所侮辱法を採用するならば、もう少しいわゆる英米法の間接侮辱的なものも考えてみてはどうかというふうな不満なのでありまして、そういう意味で従来の反対論とはまつたく違つた立場に立つと思われるのであります。そこで時間の関係もありますので、その理由を簡単に申し上げますと、本法に対する反義はいろいろな点があると思いますが、要訳して二つのものにわけられると思うのであります。  一つ裁判所威信を守るといいながら実質的には非常な不信を招く制度である。従つて有害にして無益であるという批判反対論であると思われるのであります。むろんこれに対して私も決してそんなことはないとまつこうから反対することはできない。なるほど一理ある議論であると思われるのであります。英米の人たちの中にも、そういう議論をしておる人が相当見受けられるのであります。しかしその御意見を今まで聞いておりますと、まず何よりもその御意見を持つておられる人たちの考えの底には、裁判官に対する非常な不信が存在していると思うのであります。むろん私は日本裁判官の方がすべて非常に信頼を置くことができる人であるとは思わないのでありますが、しかし現在の日本憲法は、司法権をになうものとして裁判官国民全体の信頼を得られる人を予定している。また私が見るところでも、多くの裁判官の人たちは、それだけ期待し得る方であると考えているのであります。もちろん非常に鋭い武器は、その反面みずからを傷つけるものであるということはいうまでもないのであります。それだけに用いる裁判官の側において十分な愼重さがあることは、むろん要求しなければならないことでありますが、それはそれとして、裁判官を信頼するという立場に立てば、この制度はやはりそういう反対論にもかかわらず必要なのではないか。私は実際に法廷を見たことはそうありませんけれども、話に聞き、あるいはまた今日小林裁判官の述べられたような状況を見ますと、公正な審理は最も厳粛な法廷の場において行われることが必要じやなかろうかと思われるからであります。そうしてこの法案が通ると盛んに用いられるというような非常な危惧が、反対される公述人の方々の心理にはあると思うのであります。これはそのような制度としては英米にももちろん存在しておらないので、いわゆる伝家の宝刀としてある。しかし伝家の宝刀としてあるのに対しては、多くの公述人の方は、そういう制度であつてもいけないということを言われるのでありますが、それだけに裁判官としては非常な慎重さを要求されるのでありまして、そういう制度をうしろに持つて裁判官法廷秩序の維持に当ることは、さほど反対すべき理由はないのではないかというふうに思われるわけであります。そうしてその内容に及んだときには、いろいろな制度、ことに義判官弾劾制度というようなものがあるのでありまして、それに対しての保障はあり得るのではないかというふうに思われるのであります。ことに弾劾というのはアメリカでは相当用いられておりまして、裁判官に対する弾劾というものは、大体この裁判所侮辱の内容をめぐつて用いられているのを見ましても、そういう保障方法はやはり相当有効にとられていると見なければならないと思われるのであります。従つてそういうものに対しては、そういう一応の理由によつてそのように答えることができるのであります。  それから第二には、すでに裁判所法にちやんとりつぱな規定があるではないか、それに対して屋上屋を架するようなことをやる必要はないのではないか、むしろこれは無用のことであるというふうに言われる反対論があるように思われるのでありますが、これもなるほどそうではありますけれども、それは御承知のように、裁判所の認める、検察官などを通して通常の刑事手続でやるという方法でありまして、いわゆる英米法の特質である裁判所侮辱法の妙味といいますか、そういうものは一切奪われてしまつておるわけであります。裁判官の面前で行われた行為を裁判官独自の判断ですぐその場で押えつけて、そうして秩序をとにかく維持して行くというのが、この制度の本質に存在しておると思われるのでありまして、そういう意味で、そういう通常の手続があるからといつて、これが無用であるとは言えないのではないか、そういうふうに思われるのであります。英米においても、もちろんこの通常の刑事手続による処罰の方法を認められているのでありまして、そういう二本建になつておるのであります。従つてわが国においても、そういう二本建にして、場合によつてはこの伝家の宝刀を拔く、しかしそれには及ばないときには通常の刑事手続で行く、それにも及ばないときは警察権の発動によつて裁判官みずからが押えて行く、こういう方法をとればよいのではないかというふうに私は考えるわけであります。もちろんそのように申しましても、日本裁判所侮辱制裁権というものは、この法律がつくられたあかつきには、この法律によつて与えられるものでありまして、イギリスでは、この裁判所侮辱を処罰する権限基礎として、いわゆる超記憶的な、記憶を絶した時代からの慣行であるというふうに基礎づけており、アメリカでは、いわゆる裁判所固有権というものでもつて基礎づけているのでありますが、わが国はこのような基礎づけを持たない点において、英米に比べて問題は非常に多いと思います。そしてまたかえつて不審を招くおそれがあるという危惧も多いのでありますけれども、しかし日本憲法裁判所に対しては非常な信頼を寄せていることは、これはすべての人が指摘している点でありまして、たとえば違憲立法審査権を認めておるしいうことは、行政権に対しては徹底的な猜疑の念を持つのに対して、裁判所を非常に信頼するという立場に立つておる日本憲法から見ても、そのような権限を与えるに価するものではないか、そういうふうにも考えるものであります。大体これが私の賛成論の概要であります。  それではどういう点に私の不満が存するかと申しますと、これは最初に英米法の概要を申し上げましたように、いわゆる英米法の直接侮辱のみを取上げているのであります。またそれのみがやはり当面の対象とされたようにも思われるのでありますが、私は裁判所侮辱制裁法という非常にいかめしい名前の法律が出る以上は、英米のいわゆる間接侮辱的なものをそこにまた考慮する余地があるのではないか、そういうふうに思われるのであります。なぜならば一面においてこのように狭い制度をとつて行くということは、何か裁判所侮辱制裁法というものが、ためにするところがあるのではないか、そういう気持を一般の人に非常に抱かせている。つまりもつと具体的に言えば、いわゆるある一部の法廷闘争の弾圧策ではないかというような意見一般市中には行われているわけであります。そういう意見を非常に抱かされがちである。つまり自由権の圧迫というような法律であるというふうに思われる危険性が非常に多いと思われるのでありまして、そういうことはむろん裁判所侮辱制裁制度の持つ付随的な点として現われやすいものでありまして、それだけにアメリカでも反対は多いのでありますが、裁判所侮辱そのものの持つ意味はそういう点にはないと考えられる、従つて現在の法案のように、直接侮辱だけを取扱うとするならば、むしろ裁判所法の改正なり、あるいは裁判所法の増補を行つてやつた方がよいと思う。何も裁判所侮辱制裁法というような堂々たる單行法をつくる必要はないのではないかというふうに思われるのであります。従つてその反面として、この裁判所侮辱制裁法をおつくりになるのでありましたならば、むしろその点における若干間接侮辱的な考えを入れていいのではないか。むろんそれは非常にむずかしい問題でありまして、ことに出版による侮辱というものに対しては非常な疑惑を持つわけでありまして、そういうものを入れろというのではありませんが、少くともこの前ほかの方からも申されました、いわゆる間接強制的な意味をもつているところの裁判所侮辱というものが、この中に取入れられてしかるべきではないかというふうに思われるのであります。これはつとにわが国の民事訴訟法の学者などが、ドイツの民事訴訟法には間接強制の手段が置いてあるのに、わが国の民訴訟法にはないということは非常な欠陷であるということを申しておるのでありますが、そういうものを救う意味においても、この機会においてこれがつくられてしかるべきである。あるいは現在の日本法律を見ましても、たとえば人身保護法などは、この裁判所侮辱がこのような働きをすることを予定したような法規を置いておるわけであります。そういう点においても、この機会にこの法案とともにそういう考慮が払われてしかるべきではないか。そういう考慮を払うことは、かえつて裁判所侮辱制裁法の持つほんとうの意味を明らかにし得るのではないかというふうに私は考えるのであります。そういう意味で、結論を繰返しますと、本法案に対しては、採用されることに私は賛成でありますとともに、なお望めばそういう点が考えられるのではないか、そうしてまたそれが決して不当に働くものではないというふうに私は考えるのでありまして、ただそれだけの感想に近いような意見を述べさしていただくことにいたします。
  43. 安部俊吾

    安部委員長 次に毛受信雄君より御意の開陳をお願いいたします。
  44. 毛受信雄

    毛受公述人 私は現在弁護士をやつております毛受信雄でありまして、大正十一年から約三十年間、主として民事を専門としておるものであります。ただいま日本弁護士連合会の常務理事をやつておりますので、今日もこの公述人としてお呼び出しにあずかつたわけであります。  日本弁護士連合会といたしましては、本法案に対しましてみずからの意見をきめる前に、全国の各弁護士会に対しまして、本法案に対する意見を問い合せまして、その研究の結果を報告しておつたのでありますが、各弁護士会とも賛成の意見はありませんので、全部この法律案の成立に反対しておるという態度なのであります。弁護士連合会といたしましても、先だつて理事会の決議をもちまして、本法案には反対する、反対理由も掲げまして、各方面へ配付いたしたわけであります。その反対理由のおもなる点は、今日も公聴会において最初の公述人であります末弘厳太郎博士がお述べになりましたことでほぼ盡きておるのであります。ただいま伺いますと、伊藤助教授は、結論において賛成だとおつしやつておりますが、内容を伺つておりますと、われわれの立場とまつたく同じだと感じたのであります。と申しますのは、本法案に対する反対論の第一の根拠として私ども申し上げておる点は、現在の日本裁判官の現状に即しまして——こういうことを申し上げるのは遺憾なことでありますけれども、現在第一線に働いておられる裁判官に対する国民の信頼——国民と申しますとはなはだ漠然となりますが、私ども多年弁護士として法廷に出まして接触しておりますものの面から見ますと、むろん信頼すべき裁判官もおりますけれども、概して第一線の若い裁判官は信頼ができないということを申し上げなくてはならぬのははなはだ遺憾とするところでありますが、伊藤先生はただいま、わが国の新憲法裁判所を非常に地位の高いものに認めた、その地位が高かるべき裁判所であるから、この侮辱制裁というくらいのものを認めるのは当然のことのようにおつしやられましたが、私どもの見る裁判官は、憲法では相当高い地位を与えられておりますけれども、現状ではこの憲法の与えておる高い地位に相当しておるかどうかということについて、非常に疑問を持つのであります。ここが抽象的な御意見と、具体的な現状に即した意見とのわかれるところだと思いますけれども、本法案に御賛成だとはおつしやりながら、やはりそういう反対論がある、しかしてその反対論にも一部の理由があるということをお認めになつておりますお立場を伺いますと、われわれと同じ意見になる、こう私は感じたのであります。裁判所侮辱制裁法が目的としておるところの、裁判所権威を確立して、そうして司法の円滑な運用をはかるということの必要であることは、申し上げるまでもない。この点についてだれ一人反対する者のないことは、疑う余地がないのでありますが、その方法として本法案のごときものを制定することが、今日のわが国裁判所の実情に照らして適切であるかどうかということが問題なんであります。私は英米法における。裁判所侮辱制裁というものについてよく知りません。それから近時法廷におきまして訴訟関係人が多数の威力をかつて故意に裁判官の命令に反抗したり、審理を妨害したりしている事件が頻発しているということも、新聞紙上で見たり、あるいは人の話に聞いたりしますが、実際その面にぶつつかつたことがありませんので、実情を存じません。その点は御了承願いたいのでありますが、しかし私の聞いている範囲におきまして、そういう事態が頻発しても、それを処理するの道は、今日裁判所法の七十一条ないし七十三条の規定によつて取締り得るものであると思わざるを得ないのであります。裁判所がみずから特別に独自の制裁権を持ちまして、そういう不穏のことと申しますか、これをみずから取締るということは、そういう不穏の徒に対する矢面に立つて争うことになり、これはこの侮辱制裁法の庶幾している司法の円滑な運用ということをむしろ妨げこそすれ、摩擦抗争をますますはげしくするのみであつて、円滑な運用を望めない。なぜならば、故意に裁判官の職権の行使を妨害する者は、本法案で認めているような制裁程度で窒息すべきものではあるまいからであります。ますますそれを運用いたしまして、彼らの闘争の宣伝に供せられる危険が十分にあると思うのであります。私どもは根本において裁判所威信を発揚し、これを保持するということは、裁判官その人の問題であると考える。わが国裁判官の現状が、英米裁判官の現状と非常に径庭のあるということは、遺憾ながら認めざるを得ぬのでありまして、裁判官にその人を得るという方向に、われわれ法曹関係の者は十分努力を加えなければいけないと思う。先ほど末弘博士からは、裁判所の待遇は現状で十分であるというように承つたのでありますが、私どもの見るところによりますれば、第一線に働いておる裁判官の待遇は、現在なお非常に悪い。裁判官にその人を得、人材を得るという上から申しますれば、もつと待遇をよくしなければならぬ。裁判官にその人を得ることができれば、侮辱制裁法のような、こういう裁判官に権力を与え、その権力によつて裁判所威信をつなごうというようなことを考えなくても、国民の信頼と尊敬の上に裁判所威信というものは十分保たれて行くものである。さらに現在施行されている裁判所法の七十一条ないし七十三条の活用によつて、故意に妨害する者に対しては十分取締り得る。そこで私怪訝にたえませんのは、法廷でそういう不穏な事態がしばしば発生したのにかかわらず、何ゆえ之が検察庁が七十三条の発動について非常に怯懦であり、躊躇しておる傾向が見える。これはともに司法権威信、円滑なる司法運用に志す法曹として非常に怠慢であると考えざるを得ないのでありまして、今日まで聞くところによりますと、鳥取県の米子支部におきまして、わずか二件ばかり七十三条により告発した事件があるそうでありますが、その中の一つは無罪となり、一つは他の罪名とともに懲役六箇月に処せられた、こういう事件が今日まで二つあるだけであります。その他、各地方法廷におきましてひんひんとして伝えられるいろいろな場合に対して、検察庁が審判妨害罪の起訴権を発動したという事実を聞かないのでありますが、これは検察庁も、あるいはわれわれ弁護士という在野法曹の立場といたしましても、ともにみずからの努力によりまして、法廷威信を保つことに努力すべきはもちろんでありますが、こういう裁判所侮辱制裁法のごとき法律の制定によつて、現在の裁判官威信を保たんとすることは、その根本において誤りがあるということを申し上げて、私の意見を終りたいと思います。
  45. 安部俊吾

    安部委員長 次に塩谷信雄君より御意見を承ります。
  46. 塩谷信雄

    ○塩谷公述人 私は総評の塩谷信雄であります。働く者を代表いたしまして簡単に私の公述をしたいと存じます。  権力をもつた権力の行使を可能にするという考え方は、最近の改正法において非常に顯著に現われつつあるのではないか、これはきわめて非民主的な傾向ではないかということをおそれるものであります。高い民主的な思想の基盤の上に、法治国の理念が徹底した国において初めて、高い弁護士の地位や裁判官の地位、信頼が保たれておると私は考えておるのでありますが、わが国におきましては、御承知の通り新しい体制を取入れることに非常に急でありましたが、今日わが国国民の民主化の度合いというものは、きわめて低いと言わざるを得ないと私は思うのであります。つまり組織的にはある程度民主化された形式を採用いたしておりまするが、運用する人の面において、それにふさわしい程度にまで高まつておらない、民主化が徹底しておらない、このような段階であると私は思うのでありまするが、最近政府はこのような段階において、わが国の実情に即さないという理由をもつて、民主的な諸法律を次ぎ次ぎに修正しようという準備を進めておるのでありまするが、私は特にこの裁判所侮辱制裁法という法案も、この一連の流れの考え方を代表しておる法案であると言わざるを得ないのであります。私は昨晩遅くようやく公述人に出ることを承知いたしたものでありますので、詳細なことにつきましては省略さしていただきたいと思うのでありまするが、裁判所威信を保つたり、法廷内における秩序を保つという点につきましては、私はその必要性を痛感いたすものであります。当然われわれといえどもこれに何ら反対すべきものはないのでありまするが、しかしながら先刻来の公述人において示されたように、これにはすでに裁判所法のしかるべき条文がある。七十一条から七十三条には明らかに規定がある。もしこの規定が不十分であつて、どうしてもこのような法案を提出せざるを得ない、法律をつくらざるを得ないというのであるならば、裁判所法の修正をどうして提案されないのであるか。私はこの点非常に了解に苦しむ、技術的にまつたく不可能であるということはうなずけないものであるのであります。私どもは最近の事例において、裁判所裁判、あるいは裁判官の職務の執行が特に妨害されたりいたしまして、必ずしも円滑に行つておらないということを聞いてはおるのでありまするが、このような点については、先ほども御指摘がありましたように、裁判官その人にはたして人を得ておるかどうかという点が、日本の民主化の度合いとともに、さらに考えられなければならない。憲法においては多く裁判所に期待をかけておる、信頼をかけておるというお話はありまするが、この憲法を、今日わずかに五年か六年のうちに改正しようというような思想の混乱しているような状態のもとにあつて裁判官といえどもその国民の一人たるを免れないのであります。従いまして、私は今日外国においてこの種の法律がある、英米等においてその例を見ていることは、これは確かでありまするけれども、これをもつてただちにわが国適用するということは、決して時宜を得ておらない。わが国においてはさらにさらに一層いわゆる民権の自由についてこれを伸張させる育成の途上にあると私は思うのにかかわらず、このような権限裁判官に与えることによりまして、自由権が大きな侵害を受ける危險性があると考えるのであります。つまり権力をもつてまさに権力を行使せんとする警察国家的なにおいがいたすのでありまして、高き人の信頼の上に立つて裁判の公正と威信が保たれるという方向にわれわれはさらに努力して行かなければならない。権力をもつて押えることなくして、努力する方法は十分あり得るのであります。現に憲法に保障せられたところの法律規定によつて制裁の処置もできまするし、権威を保つ方法も明定されておるのでありまするが、その方法によつてもし不十分なりとすれば、その方法をさらに是正する態度をとるべきであろうと考える次第であります。簡単でありまするが、私の公述を終ります。
  47. 安部俊吾

    安部委員長 ただいま御意見を御開陳くださいました伊藤正已君、毛受信雄君、塩谷信雄君の御三人に対しまして御質疑はありませんか。猪俣浩三君。
  48. 猪俣浩三

    猪俣委員 伊藤先生ちよつとお伺いいたしますが、それはあなたの結論を確めておきたいと思うのであります。この提案せられましたるところの法案は、直接侮辱だけで、間接侮辱はない。でき得べくんばそれを入れてもらいたいという御希望があつたことはたしかに承りましたが、それを入れないくらいならば、現行の裁判所法の七十一条ないし七十三条を改正したらどうかというような御意見もあつたかと考える。そこで結論として、今出されておるものは間接侮辱は入つておらぬ。入つておらぬこの裁判所侮辱制裁法に御賛成であるのか。入れないようであるならば、今の裁判所法を改正した方がいいという御意見でありまするか、それをはつきりさしていただきたい。
  49. 伊藤正巳

    伊藤公述人 その点お答えいたします。私はもしこれで間接侮辱が入らないとしまして、でき得べくんば裁判所法改正あるいはまたそれの増補にしていただいた方が適当ではないか。しかしもしそれができなければ、むろんこの法案のままでさしつかえないと思います。
  50. 梨木作次郎

    梨木委員 伊藤さんに伺いたいのでありますが、あなたのさつきの議論の前提の一つといたしましては、現在の裁判官が信用に値するということが一つの前提になつておる。これはあなたが実際裁判に参与されまして、あるいはある程度の知識をお持ちになつて結論なのか、それとも、まあ大体信用できるのだろう、憲法でもこういうように裁判官を高く待遇しておるから……。そういうところから今のような御議論が出て来るのか。そこをひとつ伺いたいと思います。
  51. 伊藤正巳

    伊藤公述人 その点お答えいたします。むろんその点で私が現在の裁判官に全幅の信頼を置いているというわけではございません。しかしただいままでの多くの公述人の方々の御意見を聞いておりますと、どうも裁判官はまつたく信用のならない人のように皆さんが思われているような気がしてならないのであります。私はむろん大学を出てまだそれほどもつておりませんし、裁判の実際にタツチしたこともないので、長らく実務に携わつて来られた方に比べますと、私の言うことは机上の空論かもしれないのでありますが、しかし私の知つておる範囲の中では、裁判官は多く信頼ができるように思われるのであります。しかしそれも非常に狭い範囲であることは言うまでもございません。それからなお、裁判所侮辱などをとるよりも、裁判官の人格の陶冶がまず第一条件であるということを皆さんがおつしやいました。なるほどそうであると私は思います。裁判官の人格の向上なくしてはこの制度は生きないということは言うまでもないと思うのでありますが、しかしそういう人格の陶冶に励んでいただくと同時に、こういう権限をその背後に持たせることは、決して私はそう不当なものでない、こういうふうに考えるのであります。
  52. 梨木作次郎

    梨木委員 私は先ほど末弘さんに伺つたのでありますが、裁判所侮辱制裁法によりますと、これはその場で逮捕できる、これは憲法との法律解釈はどういうふうになつておりますか。
  53. 伊藤正巳

    伊藤公述人 その点私は憲法学者でもありませんので、はつきりしたお答えはできないと思いますが、あの憲法現行犯であればとらえてもいい、逮捕状はいらないということを規定していると思います。それで御質問の趣旨は、これは犯罪ではないから現行犯に入らないではないかとおつしやいますが、それは犯罪ではないかもしれませんが、憲法犯罪である場合ですら、現行であれば逮捕状はいらないのであります。そういう場合、裁判所の目の前で行われるとことで、裁判官は実際令状を出す権限を持つていますから、当然憲法の趣旨からいつても、憲法の厳密な文字解釈では問題はあるかもしれませんが、憲法の趣旨は現行で悪いことをしたのは逮捕状はいらないと考えておるのでありまして、そういう意味で現行犯犯罪であるから、犯罪でない——いくら悪いことをしておる者でも、これがいくら現行であつて犯罪でないから、逮捕状がいるのだという解釈は出て来ないと思うのであります。
  54. 加藤充

    ○加藤(充)委員 あなたは法学部の助教授でいらつしやるからお聞きするのですが、今の言葉の中に、法律の文字通りの解釈によれば問題はあるかもしれないかということをさしはさまれたのですが、あなたは法学者として法律の文字上の解釈によれば疑義があるというような問題について、結論をくだしてもいい、そういう方法論と立場をもつたのか確かめておきたい。
  55. 伊藤正巳

    伊藤公述人 その点若干誤解があれば訂正いたしたいと思うのですが、何も法律解釈はいわゆる厳密な文理解釈に限るというわけではないと私は考えているのでありまして、いわゆる類推解釈もあれば反対解釈もあるわけであります。現行犯という文理が犯罪だけを限るというふうに解釈すべきものではないと私は考えるのであります。従つて何も文理に疑問があるものを、あえてこじつけて解釈するのがいいというわけではむろんありません。
  56. 加藤充

    ○加藤(充)委員 憲法の基本的な精神なり態度と立場というものは、基本的人権の保障という精神だと思う。現行犯をいかに解釈するか、それも文字通りの解釈ではなくて、類推解釈もあるというようなところまで拡張されても、それはその人の立場で自由かもしれませんけれども、基本的人権の保障という憲法の一大原則と精神、こういうものと比べるならば現行犯という解釈をどういうふうに持つかという問題とは質的に違うと思うのであります。従いまして憲法規定解釈、そういうもので現行犯のところを問題にしましたが、現行犯という規定の裏には、やはり基本的人権の保障という大眼目が裏づけになつていると思うのですが、こういうものをちよこまか引用されたりなんかすると、まつたく文字通りの解釈、文字通りの拡張類推主義、こういうきわめて権力的なものになりやすいと、あなたの態度と方法を私は危惧するのですが、その点についてひとつ…。
  57. 伊藤正巳

    伊藤公述人 その点でありますが、私が拡張解釈あるいは反対解釈と申したのは、何も憲法の基本的人権についてではなく、御質問が法律の解釈そのものについてであつたと思つたからそうお答えしたのであります。私はむろん憲法の第三章に規定してある基本的人権についてはつまらないもの書をいたこともありますけれども、厳密に守ることは当然であります。従つて現行犯の問題でございましても、私はつきり覚えておりませんが、昔刑事訴訟法で何か現行犯を非常に拡大した規定を置いておつたように思いますが、それを拡大していいかどうか、これに対して私は非常に否定的でありますけれども、現在この法案の問題になりますと、現行犯、これは犯罪でないからというと犯罪でない、いかに小さなものであつて犯罪でない、法律犯罪とされておらないからといつてこの憲法規定がいらないということはおかしいと思うのでありまして、これは現行犯をどんどん拡大する。そしてほんとうの現行犯でないものを現行犯という解釈をして、逮捕状なしにとつつかまえるということは、これは越権だと思います。しかしこの裁判所侮辱の場合には、そういう解釈の仕方とは質的に異なるのではないかというふうに私は考えておるのであります。
  58. 加藤充

    ○加藤(充)委員 あなたは法律学者でいらつしやるようですが、あの現行犯の問題で、実務上とりわけ弁護士の人たちの間から、あるいは当の被害者の間から、いわゆる現行犯の不当な拡張解釈、従つてまた緊急逮捕というような事実が非常な職権の逸脱、濫用ないしは基本的人権のきわめて著しい侵害として、昨今問題になつている事実をあなたは御存じですか。
  59. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 議事進行について……。あとにまだたくさんの公述人が控えております。加藤君の発言の趣旨はちよつと脱線いたしておりますから、そこのところ整理していただきたいと思います。梨木君の発言に端を発して、人権問題に入つておりますから…。
  60. 安部俊吾

    安部委員長 ただいま田嶋君の御意見もありますが、加藤君どうですか。多少侮辱法に関する問題の本質からはずれておるような点もあると思いますが、もう少し簡単にお願いできませんでしようか。
  61. 加藤充

    ○加藤(充)委員 結局現行犯並びにその逮捕手続についての解釈論、それから同時に手続論について、裁判所侮辱法との関連で私は質問しておるつもりでありますが、先ほどからもそういうような現行犯の解釈、並びに逮捕手続、それが梨木委員からの発言に端を発してそこまで行つてしまつたのでありますが、行つてしまつた原因の中には、どうも私は現行犯というものをどういうふうに解釈できるかという点から考えた態度と方法で、基本的人権の保障ということがきわめて憂慮される状態において侵害される、そういう侵害の憂慮すべき事態を、あなたの発言なり態度なり方法なりから見受けたので質問したのです。
  62. 梨木作次郎

    梨木委員 先ほど伊藤さんの発言の中に、たとえば東京地裁の小林判事さんからの陳述の中で、ああいう状態だとやはり裁判所侮辱制裁法が必要だという感想を漏らされました。私はあのときいろいろ質問するつもりでおつたのですが、いつの間にかおられなくなつてできなかつたのですが、あの事例であげられておるのは終戦直後の事例であります。それで私たちは大体におきまして、裁判というものはやはり社会の縮図だと思うのです。社会でいろいろ混乱があればそれがそのまま法廷に出されて来るわけです。いろいろ急激な時代の移りかわり、これがつまり社会の縮図として現われて来るわけです。日本裁判官はいまだ民主的な訓練を受けておらない。だから一応ここで被告人やあるいは弁護人や、あるいはその他訴訟関係人の従来の態度をそのまま維持して来る裁判官に対しては一つの反発が起つて来るのです。私たちは弁護士として実際法廷に立つておりますけれども、非常に厚顔な裁判官も、そんな非民主的なことではいけませんよといつて、われわれの行動を通じて、裁判所に自覚してもらうような行動をやつておると、非常におとなしくなつてしまう。これはいろいろ経験しておるし、また実際個人的に裁判官がわれわれに漏らされる感懐を聞いておりますと、私は共産党の人間でありますが共産党の諸君でもいろいろ勉強させられることがありますよと述懐しておる。ことにこういう混乱期、まだ一つの正常な形に社会がなつておらないときにおきましては、やはりこういう権力的なものによつて一つ法廷秩序を保とうというやり方よりも、やはり摩擦とか混乱というものを、ある程度寛容な気持で維持して行くやり方の方がいい、こういうように思うのでありますが、これは私の意見になりますが、それらのことを通じて、もし御意見がありましたら聞かせていただきたいと思います。
  63. 伊藤正巳

    伊藤公述人 別に今の御意見に対しましてはありませんが、もし私の裁判官に対する認識が不十分であれば、その点を指摘されればそれまでなのでありまして、実は私はそういうことはよく知りません。
  64. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 ちよつと毛受さんにお願いいたします。先ほど発言の中で毛受さんは、日本弁護士連合会の常務理事として、全国の弁護士からの反対意見をここでまとめて申し上げます、こういうような御発言であつたと思います。全国の弁護士会の反対意見というのは、具体的にお述べになつていらつしやらないのでありますが、具体的にひとつ、どういうような意味で全国から反対があつたか。たとえば、あまりこまかくできないかしれませんが、名古屋ブロツクだとか、大阪ブロツクだとか、広島ブロツクとかあるでしよう、そういつた面でひとつ……。
  65. 毛受信雄

    毛受公述人 お答えいたします。全国の弁護士会意見を結集してここで申し上げる、と申し上げたわけではなかつたのでありまして、日本弁護士連合会は本法案に対する態度をきめる参考とするために、各地方弁護士会に、本法案に対する意見の回答を求めたわけでありますが、回答を受けた限りにおきましては、全部が反対の回答であつた。その内容について御質問でございますから、各地方別に申し上げますが、参つておりまする意見は、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会、千葉、横浜、和歌山、新潟、京都、静岡、仙台、大阪、函館の各弁護士会、かようになつております。大体反対の理由としてあげられておりますことは、本法の制定の目的とする司法の円滑なる運用のための方策としては、裁判所法の七十一条、七十二条、七十三条の活用で十分だということが一つ理由であります。それからある弁護士会意見としては、本法は糺問主義に逆行するものであるからいけないという反対、それから少数の意見でありますが、憲法に違反する疑いがあるということを加えておるのがあります。要するに総括して反対理由を一貫しておるものは、裁判所法七十一条ないし七十三条の規定で十分である、それ以上に本法案のごときものをつくる必要はないというのが、各地方のほとんど一致した意見であります。
  66. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 伊藤氏にお尋ね申し上げたいと思いますが、この法案に書いてあります例の監置、この監置は刑罰ではないと提案者も御説明になつておりますけれども、しかし自由を拘束するについては、これはまつたく同一だと思います。名前がかわつただけであつて、名前をかえてやれば、いかに自由といえども、どのようにでも拘束できるものであるという根拠は、一体どこにあるか。監置と拘留との本質的な区別をひとつ承りたいと思います。御承知の通り、監置は刑罰でないとおつしやるけれども刑罰には拘留という規定があります。拘留と監置とどこが違うか、その人のからだを、その人の自由を拘束する上においては、ちつともかわりはありません。しこうして刑罰を科するには、刑事訴訟法の手続をふんでしなければなりません。これは憲法の保障するところであります。その手続を経ないで、名前をかえたならばいつでも自由にできるといつたような、そういつたような規定を設けることは憲法違反ではないか。つまり監置制度というものは憲法違反ではないかというのであります。いま一つ刑事訴訟法の手続の上において勾留処分というものがあります。これは刑罰の拘留でなしに、刑事訴訟法の手続上の勾留というものがいま一つ別途許されております。これといわゆる監置との間に何か相違があるか、本質上の差異があるというのか。私ども考えるところによれば、いわゆる自由を拘束するのは、これはやはり拘留です。刑事訴訟法上の勾留でも、刑罰の拘留でも、人の自由を拘束するという点については、これは違いはありません。しかもその自由を拘束するということは、必ず犯罪を前提といたします。犯罪なきところに刑事訴訟法上の勾留もできなければ、刑罰を科してその自由を奪うことも許されません。しかるに名前をかえて、監置という名前をもつてすれば、それは自由にできるということでありますならば、将来人の自由を拘束するについては、名前をかえれば、裁判所以外のものでも、人の自由を自由に拘束することができるという、そこに根拠が生れて参ります。そうするということになると、これは憲法上ゆゆしき一大問題が起るのじやないかと、私どもは懸念をいたしますが、その私どもの疑問に対する法律研究家としてのあなたの所見を承つておきたいと考えます。
  67. 伊藤正巳

    伊藤公述人 ちよつと初めの方を聞いておりますと、私がこの法案をつくつたようなことでありますが、私は全然この案を知らないのであります。私はむろん、それが監置という名前であろうと何という名前であろうと、事は実質が問題になつておると思うのでありまして、実質的にやはりそれが刑罰に当るようなものであれば、憲法上の問題になると思うのであります。しかしこれが、あるいはこの作成者の方の御意見でもあろうと思いますが、犯罪に対する刑罰でなくして、いわゆる秩序罰が主であるという意見をとつておられると思います。またこれは「百日以下の監置若しくは五万円以下の過料」というのでありまして、そういう秩序罰たるのわくは逸脱しておらぬのではないかというふうに思うのでありまして、私はむろんこの案をつくつたわけでも何でもありませんので、そういう点については詳細な御説明はできませんが、私はそう解釈することによつて、これはやはり憲法違反ではないという意見を持つわけであります。
  68. 安部俊吾

    安部委員長 ほかに御質問ありませんか——それではどうもありがとうございました。  次に戸石和外君より御意見を承ります。
  69. 石田和外

    ○石田公述人 最高裁判所事務次長石田でございます。結論的に申しますと、申すまでもなく私といたしましては、この法案には全面的に賛成でございます。いなむしろ最も時宜に適した立法であると、敬意を心から払つておる者の一人でございます。その詳しい理由につきましては、午前中東京地方裁判所の小林判事が、実際に裁判に携わつておる、にじみ出るような体験から詳しく御説明いたしましたので、大体私の申し上げようと考えておりましたことも、ほぼ同様でございますので、詳しいことは避けまして二、三私の立場から蛇足をつけ加えさせていただきたいと考える次第であります。  裁判所国民から付託されました使命は、せんずるところ厳正な法の適用によつて、公正な裁判をするということであろうかと思います。このためには、あるいは裁判官の地位の保障、司法権の独立の規定、あるいはその責任を追究する意味においての裁判官弾劾法、分限法等の制定があります。裁判所法が新しく発足いたしましてから日なお浅いのでございますが、国会その他の御支援を得まして、着々と理想に向つておのおのの制度が整備しつつあると確信いたすわけであります。先般特に裁判官の待遇等につきまして、特別の御考慮を願つたこともその線に沿つておりまして、裁判所の職員といたしましても、自発的に質の向上、裁判官のみならずその他の職員の質の向上ということに、着々努力をいたしておるわけであります。  ところで今問題になつております現下の急務は、法廷秩序維持の問題でございます。裁判が民主的になり、訴訟手続も当事者主義が徹底して参りまするにつれて、法廷秩序維持ということは、きわめて緊要なことでございまして、秩序の保てない法廷で公正な裁判を期待することが、はたして妥当でありましようか。このことは古今東西を問わず、また国柄のいかんを問わず、法廷は神聖の場所として静粛に審理が行われなければならぬということは、これは論をまたぬところであります。しからば法廷秩序はいかにすれば維持できるかという点でありますが、原告、被告、弁護人、証人その他の関係人、傍聴人、すべてが裁判長並びに裁判所に協力することが期待できますならば、何ら裁判所侮辱制裁法というような制度も必要ございますまいし、また審判妨害というような規定もいりますまいが、遺憾ながら現実は決してさようではないのでございます。しからば法廷秩序はだれが維持して行くかということになりますれば、申すまでもなくこれは裁判所であり、裁判長でなければならぬわけであります。午前中ある方の御意見といたしまして、その権威を持つに値しない者に権威を持たせて、裁判官がさような権限を発動するようなことになると、非常に妙なことになるというふうなお言葉がございましたけれども、これは裁判官自分の地位を守る、そういう制裁法を背景にして安きについて、自分だけの安全を守るという趣旨の誤解ではないかと思います。要するに目ざすところは、法廷秩序維持ということにあるわけでございます。終戰前私も約二十年間法廷裁判に従事いたしました経験がございますが、終戦前におきましては、ほとんどかようなことは問題にならなかつたのでございます。終戦後今日に至るまで非常に法廷が混乱するという状態になつておりますが、これはいろいろ原因はあると思います。あるいは一般の道義の廃頽、あるいは民主主義のはき違え等、また午前中ある方から、その責任は要するに裁判官にあるのだ、裁判官が弱体であるからだというような趣旨のこともございました。いかにも中にはさようなこともあるかもしれませんが、しかし裁判官がいかに苦労をして裁判を運行しているかということは、午前中小林判事からも衷心吐露しましたような次第でございまして、かりに完全な理想的な、裁判官が臨みましても、特に秩序を破壊しよう、法廷を混乱させよう、また裁判官に対する評価を引下げようというような意図のもとにいろいろな言動が行われますならば、いかにりつぱな者が裁判に従事しましても、法廷秩序を維持することはむずかしかろうかと思います。釈迦に対しても、キリストに対しても、孔子に対しても、いろいろな欠点を上げつらつてこれを誹謗するならば、それも不可能ではないと考えるのであります。裁判官がその力がないのだ、また今のような程度裁判官には、さような権限を認める必要はないのだというふうなことを言つておりましたのでは、一体いつになつたら、そういう理想的な時代が来るのでありましようか。  前置きはその程度にいたしまして、私は裁判所法七十一条ないし七十三条の規定で、裁判官さえしつかりすれば十分秩序を維持できるという御議論に対しましては、それは事実から見ますと的をはずれておる御議論だと思います。まずそれには最近の法廷の混乱状態がいかなる程度のことであるかということを十分認識を得たいと思います。午前中も出ましたが、ある弁護士の方から、ある雑誌に闘争の事例なんかないんだということが載つておつたという御発言があつたようでございましたが、事実はまつたくそれと相違しております。最近のいろいろな公判闘争の事例を事務局の刑事局で整理をいたしてみたのであります。これはすべてではございませんが、手に入つた数十の事例につきまして多少分類的に整理をいたしたのでございます。時間がございませんから、ごく一端だけお耳に入れておきたいと思います。まず法廷において裁判官、検察官その他訴訟の関係人に対して、脅迫、罵倒または侮辱的な言動が再々なされております。たとえば午前中にも小林判事から申し上げた例もありましたが、そのほかにも全国各地にございます。反動裁判官というふうなことを言つた被告もおります。それから被告人の一人に退廷を命ずるや、他の被告人はこもごも立つて、その不当を鳴らして、弾圧だと称して裁判長の発言禁止に従わないので、結局被告全部を退廷させたという事例もございます。あるいは裁判官に対し被告人が、検事の手先となるなというふうな放言をいたしましたり、あるいは法廷のガラス窓から審理中の法廷内をのぞく法廷外の傍聴人に対し、裁判官が注意を与えると、冷笑をもつてこたえた。あるいは裁判官秩序維持に関する注意を促すと、悲しがるなと発言した。あるいは一般傍聴人から発言をいたしますので、それを禁止しましたところが、一般傍聽人に発言を許さないということを攻撃する。さような事例は枚挙にいとまありませんから簡単にとどめますが、傍聴人が被告人を激励するために、審理中あるいは被告人の入廷に際して、拍手、声援、助言あるいは握手をするというふうな事例も多々ございます。それから開廷中労働歌、革命歌を高唱する、あるいは開廷中法廷外からさようなことをするという事例もございます。裁判長の訴訟指揮権の行使に対して従わないという事例も多々ございます。それから被告人から不当な発言、不当な行状、こういうこともたびたびございます。これを一々申し上げましてもいかがかと思いますから申しませんが、その他開廷中に被告人が突然そろつて裁判長の指揮に従わず黙祷を始める、あるいはこれは朝鮮の人だと思いますが、日本語を知つておるにかかわらず日本語を知らないというふうなことをやるとか、あるいはまた弁護人の方がアジ演説をやつて、傍聴人等の嘲声をいざなうような発言をしつつ害する、あるいは赤旗を法廷内に持ち込むとか、その他枚挙にいとまがないくらいの例がたくさんございます。しかもこのようなことはきわめて組織的に一つの大衆運動としてなされますので、怒号、声援あるいは罵詈讒謗、あるいは歌を歌うというふうなことで、法廷秩序の維持どころではなく、裁判官が長時間にわたつて立往生しなければならなく、手の施しようがないというような状況でございます。これに対しましてはもちろん七十一条、七十二条その他によりまして発言を禁止し、あるいは退廷を命ずるという措置はその都度とつておるのでありますが、さようなことがとうてい実際に行われない。先刻小林判事が申しておりましたように、法廷には弱々しい老齢の廷吏しかおらぬということもあります。あるいは警察官が出動して来ても間に合わぬという場合もございます。かような状況のもとに審理をいたしておりますので、これでは公正な裁判を期待することが無理ではないかということは、たれでもがお感じになることだと思うのであります。退廷を命じてそれに従わなかつたというような場合に、初めて審判妨害の規定が発動されるわけでありますが、この審判妨害の規定では該当しないという場合もたくさんあると思います。たとえば多数の傍聴人をある目的であらかじめ入廷させておいて、組織的な不当な行状をする、こうした傍聴人は退廷させることはできますが、それ以上のことは何もできないのであります。従つて多数の傍聴人があらかじめしめし合せて、各個に次々に不当な行状に出ました場合は、これに対する方法はないのであります。それから審判を終えて裁判官が退廷をしようとする際に、はなはだしい場合には机の上にかけ上つた例等もございます。あるいは革命歌を歌う、これも審判妨害という規定では処理できないわけでございます。それからまた最も困りますのは、裁判所威信を失墜させて、その公正を疑わせるような不当な言辞を弄する場合が多々あるのでありますが、そのような場合に対しても、その都度單に発言を禁止し、退廷を命ずることはできますが、退廷すればそれで何ら制裁がましいことはできない。こういう間隙を縫いまして、いろいろ闘争が行われますが、これに対しては何ら制裁する方法はない。しかもこれは普通の刑事手続によらなければ審理できませんから、検事から起訴がないと何らこれは問題にならない。検事の方もかりに起訴の問題のほかにさようなことで簡単に問題を起してみても、また新たなる妨害の事件が起きるだけで、大体その辺は熱がないのではないかというふうに考えられるわけでありまして、今まで審判妨害で起訴を見ましたのはこれまでたつた二件、これは鳥取の米子にあつた事件でありますが、二件だけあります。二件とも一審では有罪ということになりましたが、そのうちの一件の方は退廷命令が徹底しなかつたということで、二審に行きましてはそれが無罪ということになりました。     〔委員長退席、田嶋(好)委員長代理着席〕  それからまた不当なことをする弁護士さんに対しても、何ら弁護士会の方でも処置をおとりにならない。全然手放しの状態になつているのが今の姿であります。それからなお審判妨害は検事の起訴をまつて初めて問題になるわけでありますが、元来当事者主義が徹底しております今の訴訟手続におきまして、当事者の一方である検察官の方に問題にするかせぬかというかぎを預けられておるということは、むしろ当事者主義という点からいつてもおかしいのではないかというふうにも考えられます。これは余談でございますが、要するに七十三条の審判妨害の規定では間に合わないというのが現状でございます。もう一つの点は、裁判所にさような権限を持たせると濫用をしはしまいかという御懸念があつたようでございます。ことにその中で、先刻弁護士会の御意見として糺問主義に帰りはしないかという点がございましたが、これはまつたく意味が違いはしないかというふうに考える次第でございまして、ただ裁判の公正を害するような侮辱的な発言を取締り、さようなことがないようにするだけのことでございまして、むしろ願うところは当事者主義の訴訟を徹底して、正当な意見は十分にはき得るという平穏な法廷をつくり上げることが目的でございますから、さような糺問主義化するとか、あるいは法廷内における言論の自由が拘束されるとかいうふうなことはごうもないのであります。
  70. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員長代理 ちよつと石田君に申し上げますが、時間が大分経過いたしておりますので、結論を急いでください。
  71. 石田和外

    ○石田公述人 大体さようなことで裁判官は決して不公平な扱いをするものではないという前提によつて論を進めるか、あるいは裁判官はかようなことをするかもしれないという前提に立つて論を進めるかによつて、非常に議論することが違つて参りますが、要するにきめどころの問題といたしましては、裁判官には不公平なしという前提で論議がなさるべきであります。     〔田嶋(好)委員長代理退席、委員長着席〕  かりにさような不公平な裁判官がございましたら、むしろその裁判官を除外あるいは弾劾すべきものだと考えるのでございます。時間もございませんので、この程度で終りたいと思います。
  72. 安部俊吾

    安部委員長 次に宮下明義君より御意見を承ります。
  73. 宮下明義

    ○宮下公述人 私は法務府検務局の総務課長をいたしております。本日申し上げまする意見は、法務府全体の意見を代表するものでもなく、また検察官全体を代表する意見でもなく、まつたく私個人の意見とお聞取り願いたいのであります。結論を申し上げますと、私は一点の附加的意見を留保いたしまして、本法案に賛成するものであります。附加的な意見は最後に申し述べることといたしまして、私がこの法案に賛成いたしまする理由を簡単に申し上げたいと思います。  裁判法廷という場で行われる手続であることは、いまさら申し上げるまでもないことと考えるのであります。この法案に盛られておりまする裁判所侮辱というものの本質を、裁判官個人に対する侮辱というふうには考えるべきものではなくして、裁判所という場所で、裁判官を中心といたしまして、すべての訴訟関係人がそこに行われておりまする法律及びルールを厳格に守りまして、公正平穏な裁判を遂行すべきところを、これをその法律及び規則を意識的に蹂躪いたしまして、司法並びに裁判所権威を失墜する、害するということが裁判所侮辱の本質ではないかというふうに考えますので、そのような考え方に立つて、この法案を是認いたしておるものであります。  私、最近アメリカに参りまして、幾多のアメリカ法廷を傍聴いたしたのでありまするが、非常に痛感いたしました点は、一人あるいは数人の裁判官を中心にいたしまして、その権威を認めまして、平穏、公正に、自由に、権威の中に民主的に裁判が行われておる姿を見まして、現在のわが国裁判の現状と照し合せて非常に羨望にたえなかつたのであります。もちろんその理由といたしましては、午前中からいろいろ御意見がございましたように、その裁判官が高邁練達の長老であります点も多分に影響しておるものと思うのでありますが、しかしながら、いやしくも裁判関係をいたしますすべての関係者が、裁判権威を認め、あるいは裁判が行われる場所である法廷権威を尊重いたしまして、その権威のもとに、お互いがルールを守りながら、裁判の手続を遂行して行くという気分があふれておるのではないか、この点もわが国の今の裁判と思い合せて十分に反省してみなければならない点ではないかとしみじみ感じた次第であります。ただ單に裁判官個人に対する侮辱がコンテンプトだというふうに考えることなく、あるいはこの法案の表題がいけないのかもしれませんが、裁判が行われる場所である裁判所の規則を破り、その裁判所権威を失墜するいろいろな行為に対する制裁をきめるものである。一つの手続が一定の場所で行われます際には、必ずそこに厳格な規則が守られなければならないことは、申すまでもない点と考えるのであります。たとえば国会におきましても、国会法あるいはそのもとにおける厳格な規則がございまして、平穏公正に各種の審議が盡されておるところであります。しかもその根底には懲罰の制裁がございまして、最も重いものは、刑で申しますならば死刑に相当する除名もあるわけであります。そのような規則が公正に守られるための最終の担保というものがなくては、大勢の人が集まりまして、お互い法律規則を守りながら進める手続というものは、決して公正に遂行できないと考えるのであります。このような意味合いにおきまして、裁判所につきましても、裁判所の最後の権威を守る裁判所侮辱制裁法というものが制定されてしかるべきものと考えておるのであります。私職務上、現在日本各地における刑事裁判の実情の報告を受けておるのでありますが、最近全国的に見まして日本の刑事裁判の前途をはなはだ憂慮しておるのであります。決して一箇所、二箇所の問題ではなくして、全国的に審理妨害、あるいは裁判所権威を失墜する各種の行為が行われておるのでありまして、このような状態が続きますと、結局裁判所権威というものもなくなり、従つてひいては法の権威というものも地に落ちるのではないかと考えるのであります。民主的な社会におきまして法の権威が失墜いたしました場合、いかなる状態になるかということは、いまさら申し上げるまでもないところと考え法務府検務局におきましては、最近各種の会同等において、この状態に対する検察側の対策等を協議いたしておるのであります。いかにして裁判官法廷警察権あるいは訴訟指揮権に協力すべきかという問題を真剣な問題として取上げておる実情でございます。このような実情から見ましても、この法案の成立を心から希望しておるのであります。さいぜん、検察官が現行法の裁判所法七十三条を少しも活用しないではないかという御意見がございましたので、現在の裁判所法第七十三条に関係いたします私の意見を附加させていただきたいと思います。  石田さんの言われましたように、裁判所法七十三条の審判妨害罪は、裁判官法廷警察権を行使いたしまして、審判妨害をはかるもの、あるいは不当の行状をするものに対して、一旦特定の命令を発しまして、なおかつその命令に従わない場合に、初めて審判妨害罪となるのであります。ただ不当の行状があり、あるいは裁判権威を失墜する行状がありましただけでは、ただちに審判妨害罪にはならないのであります。従つてそのような事態が起きました際に、裁判官が適切にこの法廷警察権を行使いたしますと、この規定が使われるわけでありますが、さいぜん石田さんが言われましたような各種の事情がございまして、なかなかこの規定は使いにくい規定であります。それならば、この七十三条をもう少し広げて、もつと広い範囲に、使いよい規定にしたらよいのではないかという御意見があろうかと考えます。この点については私は反対の意見を持つております。裁判裁判長の主宰のもとに遂行されます手続であります以上、裁判長の意思を無視いたしまして、派生的な事件を次々に犯罪なりとして引抜いて行くということはいかがなものか。むしろその裁判を主宰いたしております裁判長の意思を反映いたしまして、その後においてなおかつ犯罪的な行為があつた場合に初めて犯罪とするのは了といたすところでありますが、ただ審判妨害をすべて犯罪としてしまうという点については、多分の疑問を持つておるのであります。申すまでもなく、現行法の七十三条は、刑法の公務執行妨害的な規定であります。裁判長がある命令をいたしまして、その命令に従わない、その命令に従つて適当な措置をとらない場合に初めて犯罪となるわけでありまして、本質は公務執行妨害的なものであろうと考えております。やはり犯罪として取上げるならば、この程度のものにしておくべきではないかということを考えております。なおこの七十三条という規定は、さいぜん石田さんからも御意見がありましたように、ほとんど使われておりません。しかしながら、裁判所における審判妨害が、さいぜんお述べになりましたように二件だけではなくして、これ以外に、裁判長が警察官の派出要求をいたしまして、その警察官を使つて退廷させようとする場合に、これに対して暴行を加えたというような公務執行妨害は、その他においても相当数逮捕し、これを起訴いたしておるのであります。従つて犯罪として取上げる限度は、やはりこの程度にしておくべきものではないか。裁判長の意思にかかわらず、その手続が進行されております際に、どんどん犯罪として引抜いてしまうということは、やはり法廷における審理の円滑な運用を阻害するのではないかというふうに考えておるのであります。なお審判妨害を犯罪といたしておきますと、憲法のいろいろな規定関係上、検事の起訴を要し、また厳格な刑事訴訟手続によらなければならないものと考えております。そういたしますと、時期がおくれまして、適切な処置ができないのであります。検事といたしましては、本案の公訴維持のために、極力努力いたすものでありまして、派生的な事件はなるべくこれを避けたいという気持が動きますのは人情であろうと思うのであります。従つて御指摘のありましたように、従来検事といたしましては、この審判妨害を使う事例は非常に少いわけでございますが、原告官として、本案遂行の責任を持つておりますものといたしまして、やむを得ない心理状態ではないかと考えております。そのようなことを考え合せますと、裁判所法七十三条を広めて、これで現在の事態に対処するというのは必ずしも賛成できないのであります。やはり刑罰に出ないで、本案に盛られておりますような別箇の制裁という形をとりまして、裁判長の独自の判断でその制裁を適切な時期に科して行くという形が最も妥当な形ではないかというふうに考えているのであります。  以上の理由で、裁判所法七十三条の拡張あるいは改正で本案にかえるという意見には必ずしも同調できないのでありまして、原案のような形で裁判所侮辱というものをぜひつくつていただきたいということを考えておる次第であります。ただ私が心配しておりまする点は、本案の第二条の実体規定の立て方についてであります。本案によりますと、裁判所または裁判官の面前で審判を妨げ、命じた事項を行わず、とつた措置に従わず、その他裁判所威信を害する行状をした者という形になつております。従来の立法例から申しますと、このような書き方をいたしますと、「その他」以上のものは擬制例示、一つのフイクシヨンとしての例示として解釈するのが普通の解釈でありまして、裁判所の命じた事項を行いませんと、反対解釈を許さず、それがそのまま裁判所威信を害する行状になつてしまうというふうに解釈するのが普通の解釈であろうと思うのであります。しかもこの「命じた事項を行わず、その執つた措置に従わず」という言葉には、何らの制限が設けられておりませんから、裁判所または裁判長の法廷警察権に基く命令のみならず、訴訟指揮権に基く命令を一切含むものと考えるのであります。ところが現在の刑事訴訟法等では法廷警察権、言いかえますならば裁判所法七十一条、七十二条に基く各種の命令だけではなくして、訴訟手続上のいろいろな命令があるわけであります。たとえば刑事訴訟規則によりまして、証人申請をいたします場合に、尋問事項書の提出を裁判長が命ずることがあります。これを提出いたしませんとその証人尋問の申請が却下されるわけであります。また複雑な証拠の取調べを請求いたしまする場合に、証拠説明書の提出を命ずる場合があります。これを出しませんとやはりその証拠申請が却下されるわけであります。また刑事訴訟法によりますと、検事が主張いたしております以外の事実が認められるというような場合には、裁判所が訴因罰条の追加変更を命ずることがあります。これに検事が従いませんと無罪となるわけであります。このような訴訟手続上の命令が、訴訟法及び規則の上でたくさんあるわけでございますが、それを当事者といたしましては、当事者としての確信でそれに従わない場合があろうかと思うのであります。必ずしも裁判所威信を害するような仕方でなくて、自分確信のもとにそのような命令に従わないという場合においては、あるいは請求の却下を受け、あるいは無罪となつて当事者として不利をこうむるわけでございますが、それでいいのではないか、そのようなものもすべて裁判所侮辱となるというのは、少しひどすぎはしないか。もしこの二条の書き方がそのような場合も入るというふうに認めるならば、その点しかるべく御配慮を願つて、そのような裁判所威信を害する行状あるいは裁判所威信を害するような仕方で命令に従わない場合でない、単純に自分の信念で、自分の不利を覚悟の上で命じた事項に従わないような場合は除外されるように御修正くださるよう適当な御配慮が必要なのではないかということを考えております。この点を附加的意見としてつけ加えまして、本法案の成立を希望いたすものであります。
  74. 安部俊吾

    安部委員長 次に江川六兵衛君より御意見を承ります。
  75. 江川六兵衞

    ○江川公述人 私は日本弁護士連合会の事務総長江川でございます。同時に弁護士であります。先ほど同職であり、かつ日本弁護士連合会の常務理事である毛受君から、大体われわれの意見が表明されましたから、重ねて申し上げる必要もないと思います。また先ほど来約十人になんなんとする、本案にきわめて関係の深い学界並びに法曹界の方面の公述者のうちで、本法案に絶対的な賛意を表されたのは最高裁判所の石田さんだけで、宮下さんは法務府の代表ではないとおつしやいましたが、ある意味においての修正を附加して賛成された。また大学の伊藤教授も本案には御賛成ではありますけれども、立法的な立場といたしましては、裁判所法の一部改正でまかなえるのではないか、特に本法案のようなきわめて重要なものを、裁判所法と両建で行く必要はないというような御意見に承つたのであります。われわれはもとより本法案に対しては全面的に賛成はしかねるのであります。その点は今まで反対意見を述べられた各公述人の申されたところをそのまま引用して、重ねてこれを申し上げる必要はないと思いますが、ただここで私は、ちよつとわれわれが今まで聞き及んでおりますところの本法案に対する各界の——これはむろん代表意見ではありませんが、御意向をここでごひろうしてみたいと思います。  われわれ日本弁護士会連合会におきましての総括的意見は、今毛受君が述べられましたが、実は過日秋田市において、五月十九日でありましたか、東北弁護士会連合会の総会がありまして、その席に各弁護士会からそれぞれの議案が提案されるのでありますが、その際にも、やはり仙台弁護士会から本法案に対する反対建議の件というものがありまして、これは結局われわれが、先ほど毛受君によつて主張されたような程度理由をもつて、全会一致をもつて反対である。従つてその意見を強く中央の方へ反映してもらいたいという依頼を実は受けました。先ほど毛受理事から申されましたように、全部の弁護士会からの回答はありませんけれども、これは大体同一の趣旨であるということはおのずから想像にかたくないのであります。また本日は検察庁の方はおいでになりませんが、実は過日われわれが最高裁判所の事務当局と最高検察庁並びに法務府の方々にもお寄りを願いまして、この問題について御懇談を遂げたことがあります。その際にも検察庁の方は、必ずしもこれは全面的な御賛成ではない、相当強い反対意見があるというふうに承つておる。また最近ある筋から入手した情報によりますれば、最高裁判所においてすら。必ずしも全員一致の御意見ではないというふうにも承われる。こういうふうに、最もこの法案について関係の深い法曹人がそれぞれ異なつ意見を持つておるということは、とりもなおさず本案がまだ法案として国会に提案される程度に達していない。いわゆる未熟な法案である。もう少しこれは大いに研究をし、そうして各界の調整をとつて裁判所の言われる、石田君の言われるような現状もあるいは一部はありましよう。しかしながらわれわれはこれは必ずしもこの法案によつてのみ救済される問題とも思つていない。その点はもう少し時間をかしてもらつて、そうして裁判官並びに検察官、法務府、学会、ことに衆議院、参議院の法務関係の方々とも十分御協議を申し上げて、案を練つた方がいいのではないか。従つて国会もすでに会期もあますところ数日であるにかかわらず、国民の基本的人権にきわめて重大な影響を及ぼすような、こういう大きな法案を急速に審議し、これを通過しようということは、これはきわめて無謀である。     〔委員長退席、田嶋(好)委員長代理着席〕  今期国会においては、これはこの程度において審議はお打切りになつて、来るべき臨時国会あるいは来年の通常国会において十分御検討されるのが賢明ではなかろうかと思う。これが私の大体の本法案に対する反対と提唱であります。  なお一言ことでつけ加えておきたいことは、これは今まであまり皆さんから御発言がなかつたのでありますが、私は本法案がかりに通過いたしましたとすれば、この法案の実施にあたつて、はたして裁判所あるいは法務府が期待されているような効果が上るかどうかということを非常に懸念するのであります。これは二つの面から懸念があるのであります。一つは、先ほども話がありましたところの裁判官の濫用である。また一つ裁判所がはたしてこの法案によるところの制裁を十分に科し得るかどうか、いわゆる裁判官の能力について疑いがある。先ほど本案についての濫用は決してないのだ、また裁判官はきわめて現在の状態において満足すべき状態であるというようなお話もありましたけれども、これはもう少しお考えおきを願いたい。東京とか、大阪とか、あるいは名古屋とかいうような、少くとも高等裁判所のあるような大きな裁判所所在地ならば、りつぱな人材も集めていらつしやる。従つてこういう法案がかりに実施されることになりましても、われわれあえておそれないのであります。しかしながらこれが全国のきわめて辺鄙な方の、民事もやれば刑事もやる、また非訟事件も扱うというような、きわめて閑散な裁判所、そしてまた弁護士の数もきわめて少いというような小さな裁判所、あるいは小さな弁護士会のあるところでは、こういう法案によつて先ほど石田さんあたりから言われるような保障がはたしてでき得るだろうか。これは先ほど申しました秋田の大会のときにも、地方弁護士会の諸君からわれわれに対して非常に注意をされた点であります。というのは、例をとるならば、青森とか秋田とかいうような比較的裁判所の数も少いし、また簡易裁判所でありましても、一人の裁判官が一人で二つの裁判所、三つの裁判所をかけ持つているような現状である。そしてまた弁護士の数も簡易裁判所所在地あたりには一人か二人しかいない。地方裁判所所在地におきましても、十人くらいの弁護士しかいないというようなところもある。ある弁護士に対して、これはけしからぬからというようなことで、多少感情的に恨みでも持つているような事態があつたと仮定すれば、それは江戸のかたきを長崎で討つというようなことで、こういう法律が濫用されるようなことがあり得るから、この点も十分御留意願いたいという注意を受けたのであります。先ほど裁判官の忌避の問題が出ましたけれども裁判官に対する忌避制度というものが実際においてうまく行われているかどうか。また忌避の濫用もあるかもしれませんが、ほんとうに忌避に値して忌避申立が成り立つて、その裁判官によつて認容されたことがあるであろうか。多くの場合はことごとくこれは棄却になる。結局裁判をした裁判官はみずから公正なりと確信しているのであります。従つてまた本案について、第二条以下の制裁を科するにあたりましても、裁判官はいわゆる被害者的立場にあるから、そこに多少感情が現われて来ることも当然である。そこに法の適正なる運用が期されない憂いがあるのであります。これがまず運用についての私の懸念であります。さらにそれでは裁判所がはたしてこういう法律をうまく運用し得るか、裁判廷の審判妨害罪は先ほど宮下君並びに石田君からお話がありました。多少相違はありますけれども運用されておるがごとく、またおらざるがごとくである。必ずしもいい結果ではないということはわかります。ただ先ほど来説明されたような対象になる事件において、もし第一の制裁に当る行為が現われ、その制裁に当る行為を審理し、裁判する過程において、さらに第二、第三の問題が続出するということはこれは当然なことであります。この場合に一体裁判官がはたしてよく冷静を持して、公正に裁判し得るかどうか、この点が私の最も危惧にたえないところであります。先ほどどなたの説でありましたか、拔かざる宝刀という言葉を拝聴いたしましたが、むろんそういうねらいであろうかと思うのであります。この法律ができたからといつて、拔かざる宝刀で蔵し切れるものではないのであります。こういう観点からいたしまして、私は本法実施の効果について大いなる疑いを持ち、また懸念を抱いておるのでありまするから、もう少し実効のある、そうして適用の可能性のある法律考えた方がいいのじやないか、裁判所法の改正またしかり、その他単行法にいたすならば、もう少しわれわれの心配のないような法律にしていただきたいということを特にお願いいたしまして、私の公述を終ります。
  76. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員長代理 ただいま公述されました石田和外君、宮下明義君、江川六兵衛君、以上三人の方に対し御質疑はありませんか。
  77. 猪俣浩三

    猪俣委員 石田氏及び宮下氏の御意見に対しまして、実は多大の疑問がある。しかしここではデイスカツシヨンするのではありません。われわれ皆さんをお招きして、その知慧を拝借いたしたのでありまして、そこに多少の遠慮がありまするから申しません。しかし御議論には、私ども多大の割切れないものを持つております。しかしこれはここではやめましよう。ただ私は先般法務事務局を通じまして、この裁判所法の七十三条の発動した統計を要求してあつたのです。まだ入手いたしませんが、きよう石田氏の発言によつて了解しました。これは驚いたことであります。とにかく法廷秩序が保てないで困るから、こういういかめしい法律をつくろうというのに、現行法の裁判所法というものは、何にも実効を現わしておらぬ。そこで法廷の円満な運営ということ、あるいは裁判官権威ということに対しては、われわれはその保持について人後に落ちるものではありません。その最大原因は、制度運用は人にあり、裁判官その人にあるのであります。その人にあるという理由一つは、はなはだなまけておる。これは私どもは横浜裁判所における人民電車の事件法廷において革命歌を高唱したというような新聞記事に基きまして、訴追委員会といたしまして調査に参りましたところが、その結果の印象からいいますると、実に裁判官がだらしがない。いわゆる裁判所法における法廷指揮権を何にも発揮しておらぬ、さような実情にわれわれ訴追委員会の人たちとしては印象づけられて帰りました。そういう意味におきまして、統計の示すがごとく、われわれもまた実地に当つたのに見るがごとく、現行法それ自体を、裁判官がいかなる考えか、いくじがないのか、だらしがないのか、とにかくはなはだ励行を怠つておる。これを第一に励行すればよい。それもしないでおいて、新しい何かいかめしい法律をまたつくろうということは、私どもは、はなはだ解せないのであります。この励行をしなかつた事実があるかないか。また七十三条違反として問題になつたのは、二件であるという原因はどこにあるのであるか。なおまた私どもの見るところによれば、七十一条ないし七十二条において、今宮下氏あるいは石田氏が、こういう場合には、この法律じや取締れないというようなことをいろいろ言つておるけれども、どうもそれに私どもは不可解な点がある。これを十分に活用すれば十分できると思う。やらぬでおるのじやないかと思われる。だからこういうような意味におきまして、最高裁判所の石田氏、なおまた検察庁側の宮下氏は、いかなる御感想を持つておるか、こういう最高裁判所の事務局でつくられたという法廷闘争の事例を見ますと、実に数多くある。しかるにかかわらず、鳥取県でたつた二件ということは一体どういうわけか、この真相をお聞きしたいと思う。  それからなお制度運用は人にありの第二点といたしまして、今の裁判官は、今の行政官に比較して決して劣つておるという意味ではありません。行政官よりはすぐれた人が多いと私は思う。清貧に甘んじて大いに正義の殿堂を守つておられることは尊敬に値する点もあると思うのでありますが、但し石田氏が言われたように、釈迦やキリストも悪口を言われると、何か釈迦やキリストに比較されたようでありますが、それではわれわれはなはだ考えが違う。私どもは、終戰前の皆さん、石田氏も裁判官であられたから申し上げるが、但し石田さんがそういう裁判官であつたというのじやないが、大いに諸君にここに反省していただかなければならぬ点が多々ある。一体終戰前における検事だの裁判官というものは、いかなる思想を持ち、いかなる行動をしておつたか。人民戰線の事件におきまして、私どもはあきれかえらざるを得なかつた。あるいは軍部、あるいは官僚その他の勢力に押されて、裁判の独立なんてまつたくなかつた。それに関係しておつたところの裁判官諸君が、この民主主義の今日においても、やはり冷然としてその地位にある。そういう人が多々ある。そういう人には強い反省がなければならぬ。そういう強い反省がなくして、そうしてこういう法律をつくらして、諸君がこれを持たせられることに対しましては、戦時中において、今の大部分の判検事諸君がいかに卑怯であつたか、その態度を知つておるがゆえに、また反動勢力ができました際には、どういうことになるであろうかという危惧を持つのであります。かような意味におきまして、そういう点につきまして、一体皆さんはどれだけ自信があるのであろうか、私ははなはだ疑問であります。そういう意味においても、こういう法律案は、もう少し現行法を十二分に皆さんがまじめに実施して、なおほんとうに民主的な反省が行われて後になつて考うべきことで、私は今の裁判官に対しましては、こういう法ははなはだ危険であると思う。  はなはだ自分意見を言うようで申訳ないのでありますが、こういう私ども考えが一体無理であるか、あるいは多少の道理があるのであるか、現職におられる両君の御意見を承りたい。
  78. 石田和外

    ○石田公述人 私、言葉がまずいものですから、あるいは誤解があつたかもしれませんが、まず今の御質問の第二点から弁明を申さしていただきます。私、いかにも終戦前裁判官としてやつておりましたが、少くとも私に関する限り、また私の知つております同僚に関します限り、ただいま猪俣議員から御指摘があつたようなことについて、何らやましいと申しますか、そういうことはございませんでした。これはまあ過去の問題でございます。  それで先刻いかにも釈迦、孔子というようなことを申しましたが、それは何も今の裁判官として反省をしないというのではないのでございまして、ただ非難をする段になれば、どういうものに対してでも非難ができるのじやないか。それではいつまでたつても、司法威信というものは保持されないのじやないか、ひいては法の威信というものにも、ひびが入るのじやないかということを申し上げただけのことであります。  それから第一の審判妨害罪の点につきましては、先刻あるいは私の説明が足りなかつたかもしれませんが、要するに、いろいろな事例があるのに、起訴がほとんどないじやないかという点でございますが、これは宮下公述人もおられますから、検察側の立場の御釈明があると思います。ただ裁判所側から見て想像するのでありますけれども、さつき宮下公述人からも言われましたように、本案事件を控えつつ、派生的な問題でやたらに起訴をするということは、好ましくないということだの、あるいは法廷内で被告人、傍聴人みなが組織的に騒ぎますと、その場ではわかりますが、それをあとから証拠問題として考えますと、さつき言いましたように、退廷命令が徹底していなかつたというような、いわば言いのがれではないかとも思われるのでありますが、さようなことのために、要するに物的証拠というものが残りませんから、その場ではみながわかるのでありますけれどもあとから通常の訴訟の手続に行つた場合に、はたしてどうか、という点等から、検事の方としては起訴を控えられるのではなかろうかというふうに考えるのであります。それから発言禁止とか退廷命令とか、そういつた七十一条、七十二条については、相当これが活用されているのが実情でございます。
  79. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員長代理 猪俣君、ちよつと御注意申し上げますが、きようは政府委員でないので、公述人として御出席くださいまして参考意見をわれわれは聞いているのでございますから、政府委員に対する質問のようなことは、ひとつ御遠慮願います。
  80. 猪俣浩三

    猪俣委員 最高裁判所の事務総局で出したこの法廷闘争事例という中に、公判の状況について書いてある。これを読んでみると、裁判官がしつかりしておつて、いわゆる七十一条を発動したところは、あとはみな平静になつているというような報告になつているのであります。でありますから、これをおつくりになつ皆さんも、一体この七十一条で今の法廷秩序は保ち得ないということを、どこまでも主張なさるのかどうか、それを最後にお聞きいたしておきたい。
  81. 石田和外

    ○石田公述人 先刻も申し上げましたように、どうも七十一条、七十二条のようなことでは、事実上収拾できない場合が多々ございます。それで収拾できる場合ももちろんございますが、その都度法廷権威というものは、失墜させられておるわけでありますから、日々裁判所というものはそういつた侮蔑的なことにさらされておるという次第でございます。     〔田嶋(好)委員長代理退席、委員長着席〕
  82. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 石田さんと宮下さんにちよつと承つておきたいのでありますが、石田さんの御発言では、審判の妨害罪は、検事の方が問題にしないので結局事件にならぬと言わんばかりのお言葉でありました。ところが宮下さんの方のお話では、裁判所がこの法律は使いにくいので、結局命令を出さぬ。命令を出しても、同じようなことが繰返されるので、それで裁判所も用いにくいだろう、結局七十三条を発動しないというのは、裁判所の方が将来のことを恐れて、遠慮をなさる、結局裁判長の方がやらないから、事件にしようにもしようがないのだという検察当局の意見のように聞えました。これは御両人の間でこんなに意見が違つておりましたならば、私どもどちらがほんとうの事実なのか解釈に苦しみますので、どうか裁判所側におけるところの御意向と、それから検察当局における御意向と、どつちが事実なのか、ひとつここに具体的にお示しをお願いしておきたいと思います。  それからいま一つ、石田さんのお話では、裁判所法の七十三条の運用では、法廷秩序維持と、公正円滑な裁判を保障をすることができないので、結局本法案を出すことには、全面的に賛成をなさる、こういう御意見でありました。これによれば、今回の法案は、裁判所法よりも秩序維持並びに公正な裁判を実施するについては、より効果的であるということをおつしやるのでございます。ところがさてどうでございましよう。裁判所法七十一条、七十三条の運用によつては、相手方を犯罪人として扱うことができる。これ以上強力な、私は法律はないと思う。それを犯罪にならないところの過料であるとか、監置であるとかいつたような、効果のきわめて軽微な制裁によつてその目的をはたして達し得るとお考えでございましようか。こういうことをやるとお前を懲役にするぞ、こう言つて効果のない者に、お前が再びそういうことをすると、今度過料に処するぞと言つてみても、何の効果もないのではないか。しかもそのことによつて、今度は、今の民主主義的な審理方法は、被告と検事、これがいわば、言葉は悪いのでありますが、法廷においてけんかをする。それを裁判長が神様のような姿でこれを審判する。ところが今度はこの神様がこの被告の発言あるいは傍聴に来ておる者の発言に対しまして、それに制裁を加えようとする。神様が、やはり今度はけんかの相手になりまして、これがとうとうそのけんかのうずの中に巻き込まれて来はしないか、そうするといわゆる民主主義的の、弾劾する者と弾劾せられる者とがあつて、そこで裁判官がきわめて公正無私な立場におつて、これを公正に裁判をするといつたような形が破れて、結局裁判官が、いやこれはこういう発言をしたからといつて、これに制裁を加える、まだ聞かなければ、こうもするああもする、こういつたことになりますと、あなたのお話ではこの民主主義的な審判方法というものを維持するために必要だとおつしやつておるところのこの制裁が、かえつて民主主義的な裁判方法を破壊する結果になるおそれはないだろうか、そこで私はその根本的な点と、はたして監置、過料によつて犯罪さえもいとわずにやかましく罵詈雑言をいたしておりまする連中を押えるだけの、ほんとうに力があるだろうか。この点私は確信を得られませんので、実際その実務についてここに御発言なさいましたので、それを基調といたします御信念を伺つておきたいと存じます。もしも死刑に当るような重大案件があつたような場合に、死刑に処せられては困る、そういつたような犯人が出て参りましたならば、裁判所法七十三条でさえもやり得ないものを、いかに監置をしてみたところで、いかに過料に処してみたところで、そのような者はより今度は裁判所に反撃するであろう、より紛糾するであろう、より引延ばすことによつて、彼らは目的を達するような結果になりはしないか。むしろそういつたときに神様である裁判長が、審理不能でございますと言つて退廷をした方が、より効果的ではなかろうか、これは死刑に処するような案件について紛糾をしてけんかをしたあげくに審理が長引いて、裁判所の責任においてそういつたような結果になつたというよりはもつといいし、今度は軽い案件について言えば、むしろそういつたような案件について長くひつぱられては困るといつたような事件については、裁判所が今日は審理ができませんといつてお下りになることが、より効果的か、こういつたときに、裁判所がその責任のあるうずの中に巻き込まれて行くことの当否、並びに裁判所が、そういうことをなさることについて、はたして裁判所法七十三条を適用するよりもより効果的であるということの根拠を、ぜひひとつ承ることができれば、本法律案を審議する上においてわれわれ都合がよいと存じます。
  83. 石田和外

    ○石田公述人 審判妨害罪は犯罪として懲役がついております。しかしながら先刻来申し上げますように、どうもこの法律運用がうまく行かないのでございます。ことに法廷秩序維持ということになりますと、瞬間々々の機をとらえて、うまくそこを秩序を立ててリードして行かなければならないという点がございます。それで要するにこの法案が通りまして、さような権能が裁判所に来ましても、先刻来も言つておりますように、ことごとくこれでもつてこの宝刀を抜いて切りまくつて、死人の山を築くというふうなことでは決してないのでございまして、むしろこれは全然使わずにおいて、この法案をうまくふところに入れておいて、それでこれを伝家の宝刀として拔かずに、その背景のもとに法廷秩序を保つて行く。だから運用はきわめてむずかしかろうと思います。今佐竹議員もおつしやる通りに、裁判官がその渦中に入つて抜きさしならぬようになりはせぬかというような御懸念は、絶無ではないと思いますが、さような場合には、その裁判官はむしろ非常に恥ずべきだと考えるわけであります。さようなことで御納得行きましようか。
  84. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 宮下さんのお答えになる前に、審判妨害罪は検事の方で怠けるのだから、結局七十三条の運用がうまく行かないのだとおつしやるし、宮下さんの方では、裁判官の方でやりにくいだろうから、一向やらないものだから、検察当局もこれを起訴しようにもどうにもならないのだ、といつたように、先ほど意見が違つておりますので、あなたの御意見を聞いておきたいと思います。審判妨害罪は、検事の方が問題にしないので、わずか二件くらいで終つた、検事の方でもつとやるならば、この運用でもつとうまいぐあいに行つておるのだろう。その議論をお進めになると、結局今度のこの法案などあるいはいらぬということに落ちつきはしないか。
  85. 石田和外

    ○石田公述人 起訴のほとんどないことは、事実でございます。今まで審判妨害として起訴がありましたのは、二件だけでありまして、それは動かすことのできない事実であります。その原因は、直接的には要するに検事の方が検察権の発動をなさらないから、結局起訴がないわけであります。
  86. 宮下明義

    ○宮下公述人 お答えいたします。先ほど私が裁判所法七十三条が使いにくい規定だと申し上げましたのは、必ずしも裁判官が使いにくいという趣旨でなかつたのでありまして、申し上げる趣旨は、先ほど猪俣委員がおつしやつたように、従来の具体的な裁判において、必ずしも裁判所法七十一条、七十二条の適切な発動のなかつた事件が確かにあつたわけであります。それで検察側といたしましても、適切な時期に適切な訴訟指揮権あるいは法廷警察権の発動をして、裁判所に協力して行くという態度をとるようにというような指示もいたし、またそのような態度をとりつつあるわけで、確かにそのような事例がございまして、裁判所が使わない場合もございます。しかしながら逆に検察官の方で、裁判所が訴訟指揮権、法廷警察権を発動いたしまして、退廷を命じて、一応その場が収まつたような場合、あるいはそこで少しごたごたがございましても、一応その紛糾が収まつたような場合においては、事後に取立ててそれを荒立てまして、公益の代表者と申しましてもやはり原告官としての当事者でありますので、非常にいこじになつて、あくまでも被告人側を追究して行くような態度がとりにくい点は、御了承願えるだろうと思います。この点があるいは検事として怠慢ではないかというおしかりを受ける事例があるかと思いますが、私の申し上げたい点は、裁判所側で適切な訴訟指揮権、法廷警察権の発動のなかつた事案もございます。これはあるいは裁判長として、その事案の審理をやはり円滑に遂行したいというお考えが、先にたつからでもあろうかと思いますが、そのような配慮でつい手心が加えられる。検事の方といたしましても、やはり原告官としての立場で、そこである配慮が加えられる。従つてどちらに責任があると申しますか、結局両方に責任のあるような規定でございまして、そういう意味において、非常に使いにくい規定であります。従いまして私といたしましては、そのような使いにくい規定ではなくて、適切な時期に適切に妨害を排除し、審理を正常にやつて行ける根拠規定がほしい、これが私の考えであります。
  87. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 それでは宮下さんにもう一度ひとつこれはお教えを願いたいのですが、使いにくい規定である、これをうまいぐあいに使いよいようにすれば、今回の法律案は必ずしも出さぬで済むという御意向でしようか。もしそうだといたしますと、七十三条の改正でよいのじやないかという議論が自然出て参ります。その七十三条の規定が使いにくい規定であつて、十分効果を発揮することができないので、自然こういつたような今度の法律案を出さなければならぬような情勢になつた。そこでその使いにくいということを、ほどよく使い得るように改善することによつて、目的を達成し得るならば、ことさらにこういう独立法案を出すことは、私は必要ではない、こう思いますので、この法案に対して、根本的に賛成するか否定するかという、私ども考え方をきめなければならぬ資料といたしまして、ぜひとも法務府の検務局の要職にあられる方でございますから、御意見を承ることができれば幸いだと思います。  今一つ石田さんに言葉を重ねて恐縮でありますが、伝家の宝刀とおつしやつていますが、これは伝家の鈍刀にも及ばぬところの法律じやなかろうか。つまり、お前こういうことをしたら懲役に処するぞと言つても、なお治まらないような人々に対して、犯罪でないところの過料や監置に処しても、効果はないではなかろうか、これが一つ。それからいま一つは、裁判官がけんかの当事者に入つてみて、みずから刑事訴訟法の手続によらない命令をすると、先ほど宮下さんもおつしやつておりますように、何かぎこちない空気といつたようなものが生れて参りますることは、自然の姿ではなかろうかと思う。先ほどお話になつておりましたが、釈迦や孔子のような人は、私どもがいかにけんかをふつかけても相手にならないと思う。神様が非常に偉いのは、われわれが神様を少々侮辱いたしましても、ちつとも私どもにたたりを与えません。たたりを与える神様は私どもはたたり神と申しまして、まことにいやな気持がいたします。この裁判の方式も、原告と被告というものがあつて、これにけんかをさせる。そこで裁判所は神様のような姿で審判をする。この状態がほんとうに正しい民主主義のあり方ではないか。それを神様がのさばり出て来て、だれやらはこう言つたといつて、お前は監置だ、お前は過料だといつて神様が当事者になれば、民主主義制度を破壊することになるおそれはなかろうか。この心配なんです。これがこの法律を審議するについては根本的な私ども考え方なのでございますから、いま一つ御説明いただきまして、私どものこの法案に対する賛否を決する資料の御提供をいただきますれば幸いであります。
  88. 宮下明義

    ○宮下公述人 お答えいたします。第一の点についての御質問に対して、裁判所法七十三条が使いにくいと申しております趣旨は、結局刑罰の形にいたしまして、検事の起訴を待つて裁判をするという制裁の形では、適切な審判妨害の排除ができないと考えておるわけであります。従つてある状態がございまして、検事の起訴を待つて裁判をすると、そこに検事の考慮も入りましようし、あるいは裁判所の考慮も入りましようし、何か使いにくい形になりますので、むしろそういう形ではなくて、今度のような裁判所検事の起訴を待たないで、独自の判断で制裁を科する形をとりました方が、適切な時期に適切に妨害排除ができるというふうに考えておるわけであります。
  89. 石田和外

    ○石田公述人 要するに処罰するというのが目的でないわけでございます。ただ法廷秩序を維持するためにある権能を認めていただく、それによつて法廷秩序を維持する。審判妨害罪の方はむしろ処罰が目的で、裁判所侮辱制裁法の場合は処罰しないでできるならば一番いいというところの見解の違いではないかと思います。
  90. 佐竹晴記

    ○佐竹(晴)委員 裁判所法七十一条、七十三条を運用いたしますと、いろいろな発言をする者があれば退廷を命ずる。こういう直接の裁判所の命令によつてその妨害をただちに除去することができる。それからまた侮辱する者があつたら、それをまた出すこともできるし、いやだと思つたら裁判長は引込むこともできるし、中に入られたら被告も困る、関係人も困るので、そこでひとつ静かにやつてもらいたいというきわめて消極的な威力を発揮することもできます。それから先ほどおつしやつておりましたが、警察官についてはこれをただちに使うことができない場合があるということでありますが、法廷に臨んだ空気ですぐにわかるし、この状態では警察官が必要だと思えば、すぐ事務官に命じてその手配をすることがでるし、騒ぎ立てれば一旦休憩をして十分なり二十分後に開廷することもできます。そういつた直接効果のある、しかも刑罰によらざる方法があるにもかかわらず、その方策をとらないで、犯罪にあらざる過料及び監置を命じて法廷を維持しようという。あなたが先ほどおつしやつたのは法廷における直接の秩序維持なんですが、監置というのはそれから後百日なら百日その法廷に寄せつけないというのです。目的はその期間裁判を円滑に公正にやつて行けばいいのであつて、それをつないで置く必要は少しもないと思う。しかるにかかわらずここに伝家の宝刀なりと称して刑罰によらない過料ないし監置の法制を新たにつくらなければならぬという根拠はどこにあるのか、私どもはこれを疑問に思つておる。ところが最高裁判所における、しかもあなたの二十年の裁判官を通じての実例をるるここにおあげになつての御説明でありますが、実務家の体験せられておるあなたの気持と私どもがしつくり行かない。七十一条以下の規定を用いて、直接にその法廷秩序を保ち得る適正な実権を持つて、聞かなければ警察官の力を用い、さらに聞かなければそれを犯罪として扱うことができる規定がここにあるにもかかわらず、それでもなおかつやるというのならば、それはよほど悪質です。これに対して犯罪にあらざる過料ないし監置の方法をもつていたしまして、どうして七十一条、七十三条より以上の効果を認め得るでありましようか。伝家の宝刀としてのこの法案を価値づけることができるであろうかどうか。私はこの点についてもう少しお教えいただければ幸いであります。
  91. 石田和外

    ○石田公述人 先刻から申し上げておりますように、七十一条、二条、それを受けて立ちました三条で審判妨害罪の形はできておりますが、先刻来宮下公述人からも申されておる通り、運用がきわめて不便なわけであります。ある人をただ罰しようということであれば、審判妨害に触れるものとして、それをこの条文の手続によつて検事が起訴して刑事事件として処罰するということで十分目的は達せられますが、処罰が目的というよりも、むしろ法廷秩序を維持して行くという観点から見ますと、そういうことではきわめて不便でありまして、その時期々々に起きてくるいろいろな問題を円滑に進めて、法廷秩序を維持して行くということが実際できないのであります。かりに警察官が来ておりましても、口頭でいろいろ言いますことについては何ら手がないのであります。何回申し上げても同じでありますが…。
  92. 安部俊吾

    安部委員長 御質問になる委員の方方にお諮りいたしますが、大分時間も経過しておりますし、意見開陳を願つておるのでありますから、まだ御質疑がありましようけれども、討論にわたらぬようにきわめて簡単にお願いいたします。
  93. 石井繁丸

    ○石井委員 これは前に小林判事も申されたし、また石田さんも申されたのですが、どうも喧騒にわたるが、年寄りの廷丁が一人くらいで処置ない、そこで裁判所が蹂躙されて秩序が乱される、こういうのが小林判事が実務に当つた経験であり、また石田さんもそういう方面から聞かれておるところの御意見であろうと思うのです。そこで廷吏については、何も年寄りばかり使う必要もないし、相当若い廷吏をもつて充実してそういう場合に対して処する、こういうことをやつたかどうか、一点伺いたいと思います。
  94. 石田和外

    ○石田公述人 それはおそまきながらやつております。いつどういうことが発生するかわからないものですから、さつき申しましたように、警察官をいつも警備に呼んでおくなどということはできません。簡単な場合には、そこにおる廷吏が相当しつかりしておれば、ある程度裁判長の命令を実現することはできるのであります。それでそういう方面につきましては、すでにできるだけの手配をいたしております。
  95. 石井繁丸

    ○石井委員 廷吏が喧騒にわたつたときに外に出してしまう、そういうことが実行された場合に、それでもまだ法廷秩序が守れないという紊乱状態に陷つたというような実例があるのですか、その点を伺いたい。
  96. 石田和外

    ○石田公述人 そういつた例は多々ございます。裁判長が退廷を命じた、しかしそれが実際実現できなかつたという例も東京においてございます。
  97. 石井繁丸

    ○石井委員 私の言うのは、法廷外に出させることが実際に励行できた場合においてなお秩序が保てないという場合です。今の石田さんのおつしやつたのは、出させようとしたけれども、廷吏の力が及ばないので出なかつた、そこで秩序が乱れる。ところが若干充実された廷吏によつて、そういう裁判長の法廷指揮が現実に遂行されたが、それでもまだその秩序が保てなかつた、こういう場合があつたのですか。
  98. 石田和外

    ○石田公述人 今仰せになつたような例はたくさんあるわけであります。つまり被告人のみならず、傍聴人がたくさんおりまして、一緒になつていろいろ闘争みたようなことをやつて、廷吏が五名や十名くらいでは、裁判長の命令に従つて手配しても、とうていその混乱を防ぎ得なかつたという例はよくございます。
  99. 加藤充

    ○加藤(充)委員 こういう法案に賛成されたという理由一つに関連がありますからお尋ねするのですけれども、たしか石田君だと思うのですが、終戰前には問題にならなかつた、終戦後にこういう問題が出て来た、だからここにこういう法の制定が必要だというような趣旨の意見開陳があつたと思うのです。終戰前に問題にならなかつたという半面には、問題になるべきものが問題にせられなかつたのであり、なり得なかつたのであります。そこでは、典型的なことを申し上げますと、治安警察法であるとかあるいは治安維持法であるとかいうようなものがありまして、自由と平和を求めた人、信教の自由を求めた人々、キリスト教の信者までが処罰投獄されたのであります。またあの苛烈な戰争の中で、生きるためにやむを得ないやみ取引というようなものまでこれを犯罪として処罰しておる。そうして法の権威ということで問答無用的に、そして戦争下の公共の福祉と国家の要請ということで起訴され、裁判をさせられたのであります。弁護人はその法廷の中で、個人の生きる権利を守るための発言すらも封ぜられて行つたのであります。戰後どうしてこういうことが起きて来たかというと、その根本的なものとしては、結局基本的人権の保障ということ、一例を申し上げますならば、被疑者も有罪の判決があるまでは、無罪の推定を受けるものだという取扱いないし方針、こういうものが出て参つたのであります。ここに戰前と戦後の大きな相違が出ておる。この根本的な、制度的な、精神的な相違がここにあると思うのであります。先ほど猪俣委員も御質疑をしたようでありますが、裁判官ないし検察官という御連中は、旧態依然たる頭で、そういうようなことの切りかえがきわめて少い人たちが、相かわらずその席をふさいでおるというようなところに問題があるのではないか。石田君は二十年の裁判官の経歴を持たれる。あるいは宮下君も同様だと思うのですが、そういうような人々はこの歴史的な変化をごく謙虚な気持で反省しなければならないのではないかと思うのであります。これは佐竹委員の質問に対するお答えの中にそういう趣旨のことを聞いたと思つたのでありますが、やはり基本的人権を侵害すべからざることに努力し、それを尊重することに努力するところに裁判の機能があり、裁判制度、組織があるのではないかと思うのです。第一段に申し上げましたような根本的相違があるのに、反省の足りないことを忘れて、どうもおれの言うことを聞かないということで、能率的に、平穏に、しかも文句なしに判決に服せしめるために、このような裁判官のための制裁規定が必要になつて来るという考え方では、私は反省の必要があると思われてならないのであります。  それから第二点は、先ほど佐竹委員に対する御弁弁の中にございましたようですが、裁判所側と検察官側とのこれを必要とする理由が違う。これはやはりいろいろないきさつはありましようけれども、この裁判官侮辱制裁法というような意味合いの法律の中に、実は行政権力警察権力の前に、昔通りに裁判所判事がおどらされるというような危険を見取らざるを得ないのであります。こういうような法律があるのになぜ適用しないか。自発的にやれるようなことをなぜやらないのかということになつて参りまして、結局行政権——裁判所が検察庁の圧力の中に押し込まれて行く。従つてそこには訴訟当事者立場が乱されて参りまして、佐竹委員が再三強調したようでありますが、検察側と被告側、あるいは原告、被告の当事者というようなものが並列した上に裁判所があるという一応の民主主義的な憲法制度下における裁判所制度が乱れて来てしまう、こういうような気がする。乱そうとするのか、またそういうことを意識するといなとにかかわらず、その間のもたもたが、裁判所側と検察庁側はどうしてこの法律が必要なのか。さらに屋上屋を架する法律が必要かという質問に対する答弁、意見開陳が、その証明だとしか受取れないような気がするのであります。この点が第二段。右に申し上げましたような理由から考えますると、刑事公判などにおきましては、明らかに検察官側も裁判所に対しては、これは被告側と同じような立場に立つものであります。原告としての検察官は、被告としての被疑者ないしは被告人と対等であり、対立するものでございましようが、さすれば裁判の公正を乱るというような場合におきましては、検察官も同様な取扱いを受けなければならないと私は思うのでありまするが、この法案にはそのことがない。しかもそのことはこの法案の欠陷であり、この法案の一方的な性格を表わしているものだと私が感ずるのには証拠がございます。これは皆さん公知の事実でありましようが、三鷹事件の公判廷の全体のあの訴追手続、あるいは裁判の手続進行の間いろいろないきさつもございましたでしようけれども裁判の公正を害しようとしてやつたこの検察官側の行動は、私ども指摘するのは容易なことでありますが、こういうようなものに対する制裁というものがないならば、これは裁判所の公正、法廷の公正という間に間に結局検察庁側の独断専行、それが裁判官側も動かしてしまうということになりはしないか、こう思うのであります。  それから最後に一点だけ石田君にお尋ねいたしますが、いわゆる公判闘争なるものの報告をいろいろ集められていると思うのでありますが、私は一審には関係いたしませんが、私自身が関係したことですから申し上げてもいいと思いますが、控訴審を引受けたのであります。昭和二十一年の末ころに扶桑金属の隠匿物資の摘発に端を発しましたいわゆるあの神戸地方裁判所に起訴されたいろは事件というのがございました。新聞に出た有名の事件でありますから説明は必要ないくらいであります。このときに大野という第一審の神戸地方裁判所判事が、弁護人が裁判所に……。
  100. 安部俊吾

    安部委員長 加藤委員にお諮りいたします。質問の要領だけをお述べになりまして、あなたの質問する理由はオミツトしてください。きわめて簡単にお願いいたします。
  101. 加藤充

    ○加藤(充)委員 承知しました。簡単にいたします。三人ほどの弁護人が裁判所弁護士控室に出頭しておつたのでありますが、大野裁判長は通例慣例になつておりまする開廷の呼出し案内を弁護人にいたさず、十数名か数十名か忘れましたが、その被告人だけを法廷に入れまして、弁護人が来ない前の開廷でありまするから、被告人も静穏を欠くのが予想されますが、退廷を命じてしまつたあとに弁護人が遅ればせながら飛んで出たというようなことであります。しかしこれはいろいろな法廷の騒がしい問題も新聞に出た模様でありますが、控訴いたしまして、私ども引受けたのですが、大阪高裁の萬歳規矩樓さん、今は和歌山地方裁判所の所長をやつておられるようでありますが、その人が第八部の刑事責任者として担当をされて出たのでありますが、これは私ども見ましたところによりましても何ら平穏を害することなく、しかも得心のいつた裁判を一応それなりに静穏に受けたのであります。その後においていろは事件の控訴審の公判の法廷の騒擾というものは一つも報道されなくなつた。そのほかにもありますが、こういうことになりますと、騒擾というが、あなたの表現した言葉では騒擾ということになりますが、あるいは公判闘争ということになりましようが、判事のよからざる、行きわたらざる処置のために、不当に刺戟してこういうことになることがあるというりつぱな例証であると思う。私の言うことがうそと思うならば、職権をもつて萬歳規矩樓さんにお尋ねくださつてもけつこうであります。こういうようなことについて、事実の報告資料をまとめるときにこういう問題までお調べになつたかどうか、このことをお尋ねします。
  102. 安部俊吾

    安部委員長 加藤君、どなたに対する質問ですか。
  103. 加藤充

    ○加藤(充)委員 これは石田君にまずお答え願います。
  104. 石田和外

    ○石田公述人 大分長いようでございまして要点が多少つかみ得なかつたかと思いますが、第一の点につきましては、敗戦前といえども不当に弁護人の発言、被告人の発言等を制限したというようなことは少くも私ども並びに私の知つている者についてはなかつたと思います。それで新憲法になりまして人権尊重ということが強調されてなければならぬ点については十分裁判所の諸君といえども反省をいたしております。  第二問、第三問につきましてはそういう御心配はないと確信いたします。  一番最後のお尋ねにつきましては私実際資料をつくりませんでしたので、それを参考にしたかどうか今はお答えができない次第であります。
  105. 山口好一

    ○山口(好)委員 本日は公述人意見を聞くのが目的でありますから、また公述人公述時間も大分遅れておりますから、現在の三人の公述人意見の聴取をこれで終つてあと残りました御三人の意見をただちに聞かれ、かつこの法案についての公述者に対する簡単な質疑をもつて本日は打切つていただきたいと思います。
  106. 安部俊吾

    安部委員長 山口君のおつしやる通りでありまして、加藤君は、これは公述人の御意見に関して何か了解しない点があることをはつきりさせるための質問でありまして、公述人の御発言に関して、あるいは賛成、あるいは反対の御意見というものは追つて討論の際、もしくは他に発言する機会があるのでありますから、この際はこの程度にして、ほかにも三人もあるのですから、また発言する機会が十分ありますから……。
  107. 加藤充

    ○加藤(充)委員 ちよつと一言だけ、私は別に反対、賛成の意見公述された人に述べたつもりはない。意見を聞いたんですが、意見を立てられた理由なり、意見なりについて、われわれが得心が行かなかつたり、あるいは不十分なところがあるとか、この点も確められたかということを質問すること、その証言をさらに権威づけるために聞くことは何ら私は委員としての発言を逸脱したものではないと思います。
  108. 安部俊吾

    安部委員長 どうもありがとうございます。  次に吉田資治君の御意見を承ります。どうも長い間お待たせいたしましてはなはだ済みませんが、さらに簡潔に十二、三分の程度においてお願いします。
  109. 吉田資治

    ○吉田公述人 産別会議の吉田資治でございます。先ほど総評の塩谷君が労働者を代表いたしまして反対の趣旨を述べました。私も労働者を代表いたしまして同様にこれに対して反対の立場をとつていることをまず表明いたします。但しいろいろ御意見につきましては、それぞれ専門家の方が述べられておりますので繰返す必要もないかと思うのでありますが、私は法律の直接の被害者といたしましては、本日の公述人の中では唯一のものではないかと思いますので、その体験をもとにいたしましてこういう法律の危険性について一言触れておくことが皆さんの御参考になるのではないか、こういうふうに考えるのであります。大体先ほどからいろいろ法の運用について、あるいはその基礎をなす裁判官の態度について述べられております。しかし私は自分の体験からいいまして、現在の裁判官がまことに不十分な状態にあるということを述べなければならないのであります。先ほどから検察側や、あるいは裁判所の方を代表されていろいろ述べられております。二十年の経歴を持たれる裁判官が何ら恥ずべき事実がなかつたということを言われておりまするが、私きわめて大胆な発言であつたと考えております。これは主観の問題でありますから別にそのことを私は直接問題にするつもりはございません。しかし私は二度にわたりまして以前の天皇制のもとにおきまして治安維持法の適用を受けて監獄にぶち込まれたので、その経験を申しますると、第二回目のときは昭和十六年でありました。四月八日に治安維持法違反の容疑をもつて逮捕されましたが、私と家内と二人が一年以上にわたつてぶた箱にほうり込まれておりました。これは何らそういう法的な条文がないにもかかわらず、いわゆる拡張解釈といいますか、かつてな解釈をいたしまして、あの世界無比のぶた箱、不潔きわまる光線も入らないぶた箱へ一年以上もぶち込まれたのであります。そうしてようやく裁判なつたのは翌年の七月でございます。その裁判の結果どういうことになつたかと申しますと、先ほど猪俣さんも言われておりましたが、人民戰線で大分いじめられていたようであります。人民戰線というのは直接治安維持法の対象にはなつていないのであります。治安維持法は、御承知のように私有財産制度を否定し、天皇制を廃止することを目的にした何らかの行為だということに規定されております。ところが人民戰線というのは直接そういうことを目的にしていない。にもかかわらずこれをそういう国家を転覆する意図を持つ予備行為として罰したのであります。ところが私の昭和十七年の第二回目の裁判におきましては、どういうことになつたかといいますと、何らそこに犯罪を構成する事実がなかつた。一年以上にわたつてぶた箱に置きましたけれども、何ら具体的な事実がない。ところで考え出しましたことは、結局国家を転覆するそういう直接治安維持法の予備行為をする人民戰線、このまた予備行為をした、こういうことになつたのであります。そうしてそれはどういうことかといいますと、かつてそういう治安維持法関係で容疑を受けた人たちと交際を続けておつた、これが唯一の証拠だつたのであります。いわゆる準備のまた準備をしたというので、遂に二年の懲役を言い渡されました。これは判事の話によると、これ以下の刑期がないのであるから、まあがまんしろと言われたのであります。そういうことで二年の懲役を私は科せられておつたのであります。こういう事実を私ども見ますと、裁判官の公正は、なかなか個人の良心やなんかでは守り通せない事態が起きて来ておるということを私どもは見のがすわけにはいかないのであります。なるほど昔の軍閥時代、そういう反動のはげしい時代におきましても、ある程度の良心を守つておられました判事があつたろうことは、私も想像するのでありますけれども、なおかつこういう大きな政治勢かに支配されて来ておる。これは否定することができないのであります。私どもはそういう経験を身にしみて感じております。従つてそういう事態に対しまするわれわれの態度といたしましては、午前中にも布施弁護士が言われましたように、一生懸命になつて命をかけて闘わなければならぬ。何ら事実がないにかかわらず、そういう法の準備の準備と称して投獄するような事態に対しましては、正は正として命をかけて闘わなければならぬ。法廷闘争ということがあたかも悪事であるかのごとく裁判所側や検事の側で言われますけれども、闘うことが善であります。これは悪事ではないのであります。そういう一種の政治的な、反動的な意思に基いて大きく左右され、そうして正義地に落ち、その不正を強引に押そうとする事態に対して闘うことは、正しいことであろうと私は信じておる。そういうことがなぜ法廷において許されないのであるか。法廷は民心に基いて正義を主にして裁くということが中心であるにもかかわらず、そういう不正の事態があつたときに、敢然として闘うことは、法廷であろうと、神の前であろうと、どこであろうと許されなければならないことだと私は信じておる。にもかかわらず、先ほどから裁判所なり、検察当局の御意見を聞いておりますと、法廷で自己の正義を主張するそのこと自体がすでに悪事であるという立場をとつておられるように私どもには感じられるのであります。なお法廷に現われる現象につきましては、先ほど梨木さんも言われておりましたけれども、その当時の状況によつていろいろ現象が異なつて参ります。終戰直後における状態と今の状態とはずつとかわつておる。戰争以前に私どもが最初に裁判にかけられましたのは四・一六で私は逮捕されましたのですから、昭和七年でありますが、そのときに一体どういう処置がとられたか、これを少し具体的に申し上げますと、皆さん承知かと思いますが、当時は天皇を代表して裁判長が出て参りました。従つて出て参りますときには、被告、傍聽人を初め検事もすべて起立をして敬意を表することが習慣になつておつた。これは強制された。ところが共産党裁判におきましては、それに対して否定しておりますから立ちません。そうすると、立たぬのはけしからぬ、権威を認めない、これは処罰に値する、そういうことを言つておりますが、それでは裁判にならないので、そのときに裁判所はどういう措置をとつたかといいますと、判事あとから入らないのであります。さきにちやんとすわつておるのであります。そうしてあとで被告を入れる。こうすれば別にお前は立たないとか立つとかいうことはありません。そういうちよつとした気持、ちよつとしたやり方で法廷秩序はちやんと保たれました。私どもは先日ある人の勾留開示の法廷に私も利害関係人として一度立つたことがあります。戦後初めて私は法廷を見ました。ところがその法廷でどういうことが行われているか。裁判官が出て参りまするときにやはりみなが一応立つて敬意を表します。裁判の神聖をわれわれが認めているからであります。それはなぜ認めているか。これは日本憲法天皇の主権ではなくして、人民の主権だということをちやんとうたつているからであります。われわれはこの人民の主権に対して敬意を表することは当然であります。従つて今行われていることは、人民を代表するその権威をわれわれが認めまして、みな起立して敬意を表する。戰争以前にやられなかつたことがちやんとやられているのであります。こういう事態があるにもかかわらず、先ほどからいろいろ述べられておりますように、赤旗を持ち込んだり歌を歌つたりする事態がある。なるほどあつたでありましよう。なぜそういうことがあるか。それはそういうことをやらせるような裁判官の態度だからと私は言いたい。先ほど報告にもありましたように、共産党自体に対して、こいつが暴力的であるということはすでに周知の事実であつて何ら証明する必要がない、という判決文が出ているということが報告されております。こういう頭の判事諸君がまだいる。これに同じではないにしても、これによく似た人たちがまだたくさんいるということ。そういう事態が現在の民主主義的なあらゆる措置に対して反発を呼ぶことは当然であります。こういうことを是正するのは当然であります。言つてわからないものに対しては、労働者が団結の力を発揮してこれを覚醒させるのは当然なことだと私は信じている。こういう事態に対して、もつと率直に、もつと敬虔に、こういう事態を認め、それを反省するという立場に立たないと、私は裁判所権威というものは確立しない。先ほど最初にも末弘さんが述べられておりました。裁判所権威というものは法律によつて確立されるものではない、と末弘氏は労働委員会経験を述べて、正しいことを信念を持つて遂行すればみなが納得するという事例を、四年間にわたる貴重な体験の中から皆さんお話なさつておつたのであります。この新しきものを正しいとして守る勇気と良心こそが、私は裁判所権威を守る唯一のものだと考えております。私は戦争以前の経験から、神聖であるべき裁判官が大きく反動勢力、大きく軍部の圧力に押されて、そして正しいことを正しいと言い得なかつた事実を知つているがゆえに最近の裁判官がもしもそういう事態を今起しているといたしますならば、裁判官自体の態度が民主主義的な日本状況に合つていないのではないか。あるいはまた最近特に民主的な運動に対して、あるいは言論に対して、弾圧を加えておりまする一連の反動勢力、この反動勢力によつて一種の圧力を受けているのではないかと私はその点を懸念する。むしろこういうことによつて裁判所権威づけるということは、裁判所権威がだんだんだんだん日本の人民の間から信頼をなくしている一つの証拠になるのではなかろうか。ほんとうに正義を守つて、ほんとうに自信を持つてやり得る裁判官でありまするならば、こういうことに私は賛成される人は一人もないと思う。検事はその職権からいろいろなことでやりたいのは職務でありますから、検事さんが賛成されるならまだ話はわかる。裁判所判事の側でこういうことに賛成されるのは、私は実に不可解千万に思つているわけであります。私はそういう意味でこういう問題が出て来る場合におきましては、法の権威を守り裁判所権威を維持するためには、私はいかなる政治的な圧力も、あるいは外部からの干渉や圧迫に対しましても、断固として自己の信念を守り通す、正義を正義として守り通す勇気と良心を、まず裁判官諸君が持つてもらいたい。これが守られるならば、日本の人民は絶対の信頼をするでありましようし、裁判所権威を無条件に認めるであろうということを私は信じているわけであります。従つてそういう意味からいいまして、こういう法律をつくつて権威を持たせようなどという考え方は、実に何といいますか、自己の正義と力を信じない卑劣な考え方、卑怯な考え方ではなかろうか、こういうふうに私は考えているわけであります。  それからなお私がさつき触れましたように、こういう事態が起きますのは、私は單に裁判所一つの事実に対する現われとしてだけではなくして、全体として日本のいろいろな裁判や行政やあるいはその他のいろいろな教育や、産業、経済や、万般のものが法律をもつて何か押しつけよう、何か一つの意図をもつていろいろな発言を封じて行こう、かつての軍閥がやりましたような、そういう一つのやり方をここに復活させようとしているのではなかろうか、その一つの現われとしてこういう形が出て来ているのではなかろうか、と私は懸念せざるを得ない。たまたまけさほど、私ども関係いたしておりまする労働組合、それから青年団体、婦人団体それから学生団体の四つの機関紙が発禁の処分を受けて、そしてその責任者が逮捕され印刷所まで封印されているというふうな事態が起きているのでありまして、これに対しまして、私どもは絶対に反対であるし、抗議の意思表示をしているのでありますが、私はこの機会に、こういう事態に対しまして、当法務委員会が、明らかにポツダム宣言の違反であり極東委員会の十六原則に違反する、こういう反動的な行為に対しましては、ひとつぜひとも御調査願い、あるいはこういうやり方の取消しについて御努力願いたいということをこの機会に私は要請したいのでありますが、ともかくこういう事態が現実に起きて来ているのであります。こういうものが一連のいわゆる進歩的な運動、言論、労働組合やその他の学生運動、婦人運動、そういう運動に対する弾圧がずつと出て参つております。最近そういうことがずつと起きて来ている。そういう一連の反動政策の現われとして、これを見なければならぬような事態に実は追い込められているのであります。
  110. 安部俊吾

    安部委員長 大分時間もたちましたから、結論に入るように願います。
  111. 吉田資治

    ○吉田公述人 結論を急ぎます。結局そういうことから考えますと、いろいろなこういう法案、そういう民主的な運動に対する弾圧というものが、現在行われておりますところの政府の戦争協力の政策や、あるいは、再軍備の政策、そういうものと一連いたしまして、日本の労働者の非常に悲惨な生活、奴隷化の状態、植民地化のこういう一連の政策として現われて来ているのではないか。すなわちこういう一連の政策が結局裁判の上におきましては、かつてナチスのやりましたような、もう有無を言わせず反対者をやつつけるという一つの形としてここに出て来ているのではなかろうか。私はこういう意味で、こういう法案を新たにつくつて法廷におけるいろいろな行動を制限するということにつきましては断固として反対したいのであります。どうかこういうことがなく、あくまでも不正を排し不義を排して、そして一切の政治的な圧力や外国の干渉をはねのけて、日本の国が日本人の国としてあくまでも自由と平和をこの国に打立てる、こういう一つの方向をぜひとも私は国会自体が持つていただきたい。そういう観点から、私は進んでこの提案者に対しましては、こういう法案の撤回を実は要望したいわけであります。  以上私の公述を終ります。
  112. 安部俊吾

    安部委員長 次に三好幸助君より御意見を拝聴いたします。三好公述人
  113. 三好幸助

    ○三好公述人 私がここに立ちました経過をちよつと申し上げます。実は私はこういう問題に対しては縁もゆかりもない、まつたくのしろうとであります。しかし近ごろ例の三鷹事件を初め、その他法廷におけるいろいろな問題が、時々新聞によつて報ぜられるのを見まして、いつも考えさせられておるのであります。のみならず、近ごろの新聞を見まして、現在の日本の姿はどうかということを考えたとき、人類の幸福から脱落して行く日本民族の、現下の伝えられておるところの事実を見たとき、私は実に悲しく、心は暗くなるのであります。そこで何とか法の神聖を保持し、人類の理想を思い、日本民族の、同胞の幸福を何とかしたいというような考えから、十八日に今日ここに公聴会があるという公告を見たので、こちらに意見を出しましたところ、昨晩おそくなつて電報が参りましたので、今日責任を果すためにここに立つた次第であります。  私は今申し上げたように、まつたくのしろうとでありまして、この問題につきここに立つに至つたのは、裁判所に対する侮辱に対して制裁を加える、侮辱制裁、この四文字を見て、これはけつこうなことだ、これは大いに私の意を得たものだ、ぜひ実現してもらいたいということを考えたのであります。ところが今日ここに参りまして、先ほどからそれぞれ専門の方々からいろいろな御意見を伺うと、現在裁判所法七十一条ないし七十三条にすでにあるのじやないか、何も今新しくこういう法令をつくる必要はないのじやないかというような御意見がありました。しかしそういう意見を言う人は、やはり侮辱に対しては制裁を加えるということでは私と同じ意見だ、こう考えました。私の結論といたしましては、今申し上げたように、この法律の制定には私は賛成であります。私は裁判の神聖を保ち、そして裁判官は達識であり、完全な人であるということを前提とすると同時に——われわれ人間というものはだれでも——裁判官も実は同じでありますけれども、まず第一に裁判官はりつぱな人である。人の善悪を裁く人だから、前提としてはりつぱな人だ、こう考えなければうそだと思います。しこうしてその対象になるところの、被告と申しますか、法廷に立つ人は、人間であります、ところが人間というものは、私の考えでは、五感生活の人間であります。五感という言葉は始終使われておりますが、私は人間の性的生活を入れて六感生活と言いたいと思うのです。そういうような六感生活をするところの人間は、決して完全なものじやない。だれでもあやまちがあるときにはそれを是正することが必要であると私は思います。そういうような考えを前提として、次にこの議論を進めてみたいと思います。
  114. 安部俊吾

    安部委員長 三好さん、あなたのお話は大分わかつたようでありますが、あなたは賛成だという結論ですね。あなたは職業は何でいらつしやいますか。
  115. 三好幸助

    ○三好公述人 私は元は自治行政に多年、それから教育などにもタツチしておりました。現在大いに働きたいのですが、ごらんの通りの年で、だれも使つてくれませんから、無職であります。  それで新聞の伝えるところの、法廷においてそういう姿を演ずる彼らは、ほんとうに無知であると思う。いわゆる誤れる自由主義、民主主義にとらわれたものであつて、——新聞を見ての感想でありますが、ほんとうに彼らには正しき主義主張なく、共産主義の破壊思想を信条としているものであると私は考える。人は何と言われても、私はそう考えております。すなわち社会における危険分子であると思う。陰険で、姑息で、正々堂々たるところの態度がない。ただいたずらに法廷に妨害を与えて法廷を混乱させ、かくのごときことは裁判を冒涜するものであつて、ひいてやがてはこれはわれわれの大事な国家社会に対して爆弾を投げつけるような恐ろしいものでないかと私は考えております。これは間違つているかもしれません。  そこでわれわれは考えさせられます。一体われわれ人間というものは、自分一人だけのものじやない。自他一体である。これは人間ばかりではありません。動物でも、植物でも、生きているものでも、生命のないものでも、われわれはやはりそれらのすべてのものを生かしておるし、またそれらのものによつてわれわれは生かされている。いわゆるこれは愛であります。ほんとうはそういう、姿の人間生活でなければならない。自他一体、かくして行けば、そういうような問題は起らない。
  116. 安部俊吾

    安部委員長 三好さん、大分よくおわかりになつたようでありますし、時間も経過しましたから……。
  117. 三好幸助

    ○三好公述人 かくして人生の目的は正しく、人間に初めて価値というものが生れて来る。国家社会を離れたところの人間というものは、ロビンソン・クルーソーの生活以外に私はないと信じております。真の自由平等、真の民主主義、これはこの国家社会性というものから出発したものであつて、ここに世界人類が絶えず文化生活の向上を念じているのです。これに逆行するものは取除いて、そしてほんとうに真にお互い幸福な生活をして生きて行こうというのが、これがわれわれの理想であります。かるがゆえにおそらくこの地上の人間が——はなはだおかしい話ですけれども、生れたときからいわゆるいろいろな迷信ができる、あるいはいろいろな習慣ないし道徳法制そういうようなものがわれわれ人類の世界に発生し、これが制定されて、常にこれらのものは絶えず科学的進歩をしてやまないものだと私は信ずる。彼らが真に平和を愛好し、自由、平等を理想とし、人権を尊重して、もつて文化生活の進歩発展を望むならば、すべからくその態度は正々堂々でなければならない。憲法において、裁判国民国民のためにするのだというように私は拝見しています。すなわち彼らが裁判を冒涜する行為は、実はわれわれ国民侮辱するものであつて、その行為たるや実に愚昧きわまるものだと私はいつも考えさせられております。もし真に自分たちの要求上必要であるならば、新憲法によつて弾劾裁判の道も許されておる。また裁判官を罷免する道も開かれておるのでありますから、何も法廷でそんな冒涜するような行為をする必要は少しもないと私は考えます。要するにこういう現在の情勢を見たとき、私はこの法の必要を痛感するのであります。しかし先ほどからもいろいろ御意見の中にあつたようですが、要するに法は人が運用し、人が生かして行くのでありますから、その点さえ気をつけて行つたならば一向さしつかえない。必要でなかつたら廃止すればいいし、不完全であつたら改正すればよい。私は以上のように考えて今日ここに参つたのであります。はなはだ乱暴な言葉を使つて失礼しました。その点おわび申し上げます。
  118. 安部俊吾

    安部委員長 次に熊田正夫君の御意見の御開陳を願います。できるだけ簡潔に願います。
  119. 熊田正夫

    ○熊田公述人 福島県郡山市長者町三二、熊田正夫でございます。今まですでに老大家の方々が余すところなく論ぜられましたので、私はそれら一切を省略いたしまして、ほんとうの自分の所感だけをここで述べさせていただきます。  まずこの法案に対して、私は教育的な面から、社会教育上の一過程として本案法律化は、現在の日本にとつては必要かと考えまして賛成をいたすものであります。しかしながら私は法治国の日本の国家が、各法律にあまりにも刑罰が多過ぎるのではないかと考えるものであります。刑罰条項はできるだけ減少して、そうしてまたこれが少くなることを願つております。ただ日本の現状においては、これは無条件に賛成するわけには参りません。どうしても過渡的な事態として教育刑を課すべきだろうと考えるものであります。それで先ほど申し上げましたような結論なつたわけであります。このほかに実は私は平騒擾事件、金谷川事件等の裁判状況、それから自分の本法案に対する考え等を準備して来たのでありますが、これらは時間の関係で省略させていただいて、これで終らせていただきます。
  120. 安部俊吾

    安部委員長 ありがとうございました。ただいま公述されました吉田資治君、三好幸助君、熊田正夫君、以上三人の方々に対しまして何か御質疑がありますか。
  121. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 熊田君は平事件裁判を傍聴したと言われましたが、そのときの状況ちよつと…。
  122. 熊田正夫

    ○熊田公述人 ただいまのお尋ねに対して簡単に申し上げます。平事件は御承知のごとく共産党を背景とした福島全県下に起つた暴動と考えられます。さてこの公判当日は、デモンストレーシヨンが行われ、県下特に福島地方裁判所所在地の福島市においては非常な人出でありまして、地方裁判所法廷を埋め、裁判進行中にすら労働歌を歌い、かつまた法廷内においてもやかましくて、私たち傍聴者に裁判官の声が聞えない場合も往々にしてあつたように記憶しております。またある場合には、あまり騒々しかつたので、暫時休廷いたしたように記憶しております。何回公判がありましたか、私現在記憶にございませんが、とにかく第一回目と判決言渡しのときとは、先ほど申したような状態でありました。外部では労働歌を歌つており、内部における被告たちは、これに相応じたような態度で、その言語、行動、態度等は、終始被告としての真剣さを欠いていたような感じを私は抱きました。詳しくお語いたしますと長くなりますので、この辺で終りたいと思います。
  123. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 あなたが傍聴したのは平事件、金谷川事件でありますが、金谷川事件についてちよつと簡單にお話願いたい。
  124. 熊田正夫

    ○熊田公述人 それでは金谷川事件について簡単にお話いたします。金谷川事件は、三鷹事件に相応じて起つたように考えられまして、この傍聴のときも先ほどの平事件と同様の状態でありまして、むしろ平騒擾事件以上に公判廷は傍聴者並びに労働歌を歌う人たちでやかましかつたのですが、被告は先ほどの平騒擾事件ほどひどくはないように私は感じましたが、やはり同様な状態が見られました。
  125. 田嶋好文

    ○田嶋(好)委員 そのとき裁判長は法廷を収拾するのに困つていたような状態でありましたか。
  126. 熊田正夫

    ○熊田公述人 困つていました。
  127. 加藤充

    ○加藤(充)委員 あなたは何度平事件の公判を傍聴しましたか。
  128. 熊田正夫

    ○熊田公述人 四度だつたと思いますが、その点はつきり記憶はありません。
  129. 加藤充

    ○加藤(充)委員 それから金谷川事件は。
  130. 熊田正夫

    ○熊田公述人 金谷川事件は、はつきりわかりませんが、三度だつたように記憶しております。
  131. 加藤充

    ○加藤(充)委員 平事件は平市で公判がありましたね。
  132. 熊田正夫

    ○熊田公述人 平ではなく、福島の地方裁判所であります。
  133. 加藤充

    ○加藤(充)委員 金谷川事件は。
  134. 熊田正夫

    ○熊田公述人 同様です。
  135. 加藤充

    ○加藤(充)委員 あなたはどこの先生をやつているのですか。
  136. 熊田正夫

    ○熊田公述人 私は福島県安積郡喜久田中学です。
  137. 加藤充

    ○加藤(充)委員 そうするとあなたは福島で、学校の先生で、何回も特別に傍聴に行つたというのは、特別の興味があつたのですか。
  138. 熊田正夫

    ○熊田公述人 そうであります。
  139. 加藤充

    ○加藤(充)委員 学校は休んで行つたのですか。
  140. 熊田正夫

    ○熊田公述人 傍聴に参りましたのは、休暇手続で行つたのであります。
  141. 加藤充

    ○加藤(充)委員 休暇手続、傍聽ということでですか。
  142. 熊田正夫

    ○熊田公述人 ほかに用件もありましたそのついでに…。
  143. 加藤充

    ○加藤(充)委員 それではあなたは、金谷川事件の第一回の公判を傍聽されましたか。
  144. 熊田正夫

    ○熊田公述人 第一回には人がたくさおりりましたので、外で傍聽いたしました。
  145. 加藤充

    ○加藤(充)委員 中で傍聽したのは、何回です。
  146. 熊田正夫

    ○熊田公述人 金谷川事件ですか、それは一回であります。
  147. 加藤充

    ○加藤(充)委員 何回目ですか。
  148. 熊田正夫

    ○熊田公述人 回数はわかりません。
  149. 加藤充

    ○加藤(充)委員 傍聽券はどうして手に入れました。
  150. 熊田正夫

    ○熊田公述人 傍聴券を手に入れたのは、あすこの私の親戚に並んでもらつていただいたように記憶いたしております。
  151. 加藤充

    ○加藤(充)委員 親戚はどういう人ですか。
  152. 熊田正夫

    ○熊田公述人 齋藤という方です。
  153. 加藤充

    ○加藤(充)委員 被告の特別の関係のある方ですか。
  154. 熊田正夫

    ○熊田公述人 違います。
  155. 加藤充

    ○加藤(充)委員 よろしうございます。
  156. 安部俊吾

    安部委員長 これをもちまして本日の公述人公述は全部終りました。公述人各位には長時間にわたりまして、熱心に腹蔵のない御意見を述べられましたことに対しましては厚く御礼を申し上げます。今後の委員会審査におきましては、各位の御意見を十分に反映して審査を進めたいと考えております。どうも御苦労さまでございました。  それでは公聽会はこれにて終了いたします。明日は午後一時より委員会を開会いたします。本日はこれにて散会いたします。     午後六時三十三分散会