○
大橋国務大臣 このたび
検察庁の
異動の問題につきまして、世上いろいろと注目の的となりまして、またこれに関連いたしまして毎日新聞紙上をお騒がせいたしておるということは、私といたしましてはま
つたく不徳のいたすところと深く反省をいたす次第でございます。ただいま
お尋ねをいただきましたので、この機会にこの
異動についての私どもの
考え方を、経過に従
つて申し上げたいと思うのであります。
実は昨年の六月に私法務府に入
つたのでございまするが、七月の十四日に、
検事総長が停年で退職をされました。福井
検事総長でございます。従いまして後任の
検事総長を
任命しなければならぬということに
なつたわけでございます。そこで私はこの後任の
検事総長の人選に着手をいたしてお
つたわけでありまするが、そのために各方面の人々にお会いをいたし、また部内のいろいろな諸君にもお会いいたしまして、
検察庁の全体の
人事というものについての自己の認識を深めることに努力を続けてお
つたのであります。この間において私が感じましたことは、従来
検察部内におきまして、いわゆる塩野閥、反塩野閥なるものが存在をいたし、その間において
人事をめぐ
つて相当の確執がある。これはこの派閥に
関係をしておると称せられまする各
個人については、ほとんどみずから意識しておられないかもしれませんが、しかし部内の
一般にそういう認識があり、また社会
一般におきましても、さような認識を持
つておられるように見受けたのであります。そして塩野閥の代表的な人物と目せられてお
つたものは岸本広島
検事長であります。反塩野閥の頭目と考えられてお
つたものが
木内次長検事であ
つたのでございます。私は従来各官庁におきまして、
公務員の間におきまする派閥の存在、しかしてその派閥間の確執というものが、いかにその官庁の能率を阻害いたし、国民の信頼を裏切
つたかという事例をあまた見聞いたしておりますので、
国家治安の重大なるこの時期におきまして、真偽は別といたしまして、さようなる派閥が存在するといううわさが立つだけでも、これは重大な問題である、こう考えたのであります。従いまして
検事総長の
人事というものは、
検察部内最高の
人事でございまして、この
人事もまた派閥抗争に全然無
関係に遂行することは不可能である。必ずや派閥間の抗争に何らかの影響を及ぼすものである、こう考えまして、私はこの
検事総長の
任命という機会に、
検察部内派閥の一掃を企図することが、自分の使命である、こう考えた次第でございます。私はかようなる構想のもとに、両者の派閥の間にありまして、比較的穏健なる立場に立
つておられたところの
佐藤刑政
長官を中心とし、この派閥の解消を企図いたしてみたい、こういう構想を抱懐するに至
つたのであります。
元来両派閥の代表者と称せられておりまする
木内次長検事にいたしましても、岸本広島
検事長にいたしましても、このお二方はいずれも
司法部内におきましてすぐれた
検察官として、多年その手腕をうたわれた方々であり、また部内の信望のおもむくところ、おのずから二つの派閥の代表的な人としてうわさを立てられたのでありまして、私はこの
検察界におきまする至宝とも目すべきお二人が、真に
検察のため協力一致をいたすということによ
つて、初めて
検察の全能力を発揮し得るものと、かように確信をいたしたのであります。そこで
検事総長を
任命いたします場合においては、この
検事総長の
任命ということを契機といたしまして、この派閥
関係の根本的な解消ということをできるだけ考えてみたい、こう思
つたのであります。
そこでもう
一つ、私がこの
検事総長の
人事に関連いたしまして、
次長検事をも動かしたいということを考えましたのは、従来私長らく内務省におりまして、内務省におきましては、絶えず中央、地方の職員の入れかえということが言われてお
つたのでございます。御
承知の
通り、旧内務省におきましては、警保局、土木局、地方局、衛生局、きわめてその
職務の範囲が広汎でございます。従いましてかようなる役所におきましては、中央の仕事というものは非常に專門化しておりますから、中央、地方の入れかえということが必ずしも能率向上のゆえんでない、こう私は内務省在官中には考えてお
つたのでございますが、これに反しまして
検察庁の
事務というものは、ま
つたく
検察一本でございますから、中央においても地方においても、その仕事というものは根本的に
一つである。そしてすべての
検察官がこの
検察事務に習熟いたしまするためには、あるときは中央において全般的な企画の仕事に携わり、またあるときは地方の第一線にあ
つて実務に携わる。この両者の経験を積むということが、真に
検察官の向上のため必要であるばかりではなく、さようにして
検察事務の中央、地方の表裏を通暁しました
検察官が首脳部に存在するということが、
検察の能率発揮のため必要ではないか、こう考えまして、私は特に
検察の幹部の
人事におきましては、絶えず一定の期間を週期といたしまして、中央、地方の交流ということをやる。地方にいる者はいつも地方の下積みになり、中央の者は絶えず中央の要職にするというようなことは、かえ
つて個人の修練の機会を逸するばかりではなく、全体の人たちの気分も沈滞せしめるおそれがある、こう考えまして、中央、地方の入れかえということもこの
人事の上において必要である、こう存じたのであります。
もう
一つ、この中央、地方入れかえということを進めますと、
木内次長検事は終戰後ほとんど東京に在勤しておられます。従いまして私は適当なる機会におきまして、
木内次長検事が第一線の
検事長として、地方第一線の体験をさらに深くされることが、御
本人のために必要であるのみならず、
検察首脳部が中央にのみおり、地方の実情からうとくなるということは、
検察界のために
一つの不幸である。一面岸本
検事長は終戰後ほとんど地方におられまするから、地方において十分体験せられたる実際的の知識経験をも
つて、この中央企画に参画してもらうことが必要である。ことに終戰後のわが国の状況というものは、従来百年にして変化するところを一年にして変化するという、実に変転目まぐるしい世相でございまするから、過去の中央の経験をも
つていつまでも中央の企画に当るべきでなく、非常にかわ
つて来た地方の実情を
はつきり把握した方が中央に来るということも必要である、こう存じたのであります。
話は前後いたすかもしれませんが、もう
一つ木内次長検事にこの際転出していただいた方がよい、こう思いましたのは、これが
一つの派閥解消の契機になり得る可能性がある、こう私は確信をいたしました。
司法部内におきまする派閥は、伝えられるところによると長年のことでございまして、これが解決につきましては、なかなか一
通りのことでは参りません。派閥の解消ということは、いわば両者の和解ということでございます。和解においては、常に優位にある者がその
利益の一部を相手方に与え、そうして相手方の感謝の念を基礎として和解をして行く、こういうことが私は適切ではないかと思
つたのであります。
木内君は長らく中央において中央の
地位を固執しておられ、一方において岸本君は、しばらく地方におられたので、私はこの機会に、
木内君が大悟一番、自分は長く東京にお
つたから、この際ひとつ地方に出たい、ついては君が東京へ来ておれのかわりにや
つてくれ、おれはしばらく大阪で勉強して、地方から君に協力しよう。
木内君のこの大乗的態度に対しましては、岸本君も必ず感情的に感謝の念を持たざるを得ないであろうし、ここに両者がほんとうに握手をし、相携えて日本の
検察の一体化を完成し、あらゆる派閥を解消する
一つの機縁があり得る、こう私は確信をいたすに至
つたのであります。そうして
佐藤検事総長を中心にいたしまして、この機会に
木内、岸本両君をして真に握手せしめ、将来においてはいたずらに自己の
利益を相互に主張することなく、互いに相手のためを考え、ある者は中央より喜んで地方の任地におもむき、そのかわりに相手は中央に入
つて来る。まに適当な機会において、地方において相当の体験を積まれた岸本君が中央に帰られ、そのあとに
木内君が喜んで出て行かれる、こういう態勢ができ上
つたならば、これこそ
一つの和解であり、そうしてかような
手段以外に、この派閥解消ということは私としては考えられなか
つたのであります。
今から考えてみますると、私のこの
考え方というものは、あるいは非常に甘い見通しであ
つたという御批判があるかもしれません。また結果的に見まして、その御批判に対しましては、潔く服しなければならぬと存ずるのでありますが、当時の私の心境といたしましては、さような考えをいたしたわけであります。そこで私は、
検事総長の候補者と考えておりましたる
佐藤刑政
長官に対しまして、私のその考えを詳細申し上げましたるところ、これに対しましては、
佐藤君もま
つたく同感の意を表せられたのであります。ただ
佐藤君は、その実現の時期についてはまた具体的に相談をいたしたいということでありましたから、これはまことにごもつともなお
言葉でありまするので、私といたしましても了承をいたし、
佐藤君と私とはま
つたく将来の構想について一致したる意見のもとに、私は
佐藤君を
検事総長の最適任者として御推薦申し上げた次第なのでございます。かくのごとく、この
木内問題に関しまする私の構想は、
検事総長更送の当時から十分に
佐藤検事総長と話し合
つた問題であるということをまずも
つて御了承願いたいのでございます。
その後、昨年秋の初めになりまして、私は
検事総長に対しまして、かねてから話し合
つておりましたこの
人事の問題について具体的な相談をいたしたい、こう申し上げまして、久しきにわた
つていろいろ御相談をいたしたのであります。
人事の終局の目標をどこに置くかという点については、すでにただいま申し上げましたるごとく、
木内次長検事と岸本
検事長の中央、地方の入れかえ、この点につきましてはま
つたく意見が一致いたしてお
つたのでございまするが、
佐藤検事総長は、ただその方法において私と所見を異にせられておることが明らかとな
つたのであります。それはどういうことであるかと申しますると、私自身といたしましては、多年にわたるこの派閥を解消するには、相当具体的な荒療治がこの際必要である。そうしてそのためには、ほとんど何人も不可能であると考えておるところの
木内君と岸本君の円満なる更迭、直接交代ということを実現いたしまして、この
木内君と岸本君の更迭が円満に行われたということを天下に示すごとによ
つて、この派閥解消の契機とすることが最も適当である、こう考えたわけであります。これに対しまして
佐藤君は、その方法はあまり荒療治過ぎはしないか、むしろこの交代をできるだけ円滑に行いまするためには、
木内君から岸本君に至りまするまでの間に、中間的に第三者を一時はさむ方がよかろう。そして適当なる時期において終局的に岸本君を
次長検事に持
つて来る、これがよかろう、こういう御意向であ
つたわけであります。私といたしましては、自己の考えておりまするところがやはり最善であると確信いたしてお
つたのであります。この
人事たるや
次長検事でございまして、
検事総長の直接の部下であります。従
つてこの問題についての第二次的な
責任者はまず
佐藤検事総長であるといわなければならない。かつまたこの
人事の行われましたる後におきまして、派閥解消という——私と
佐藤君の両者が話合いの上、これこそわれわれの使命であると確信をいたしました、この派閥解消に向
つて努力を重ね、そうしてこれを実現すべき第一次的な
責任者もまた
検察界の中心であります
佐藤検事総長であるといわなければなりません。そこで私といたしましては、この
人事の手続を取運びまする第一次
責任者であり、今後派閥解消についての第一次
責任者であるところの
佐藤君と私と終局の目的において意見が一致いたしまする以上は、多少その実現の
手段方法において私と所見を異にいたすところありといたしましても、私は第一次的の
責任者たる
佐藤君が真にこれを推進いたしまするためには、
佐藤君みずからが最善なりと信念をも
つて確信するところの
人事を認めなければこれはむずかしい、そう思いましたので昨年の十一月に至りまして、私は
佐藤君の構想を承認いたしまして、中間的な人物をも
つて充てるということはよろしい、終局的な目的において君とぼくが一致している以上は、これを責任をも
つて遂行しようとするところの君の構想を承認しよう、こういう態度に出たわけでございます。
爾来
佐藤検事総長を中心といたしまして——私もまたこれに協力をいたしたのでございますが、この
異動の前提條件となりまする
木内次長検事の
検事長転出についての折衝を開始いたしたのでございます。その当時は、私どは
木内次長検事の手腕力量から見まして、
検事長に転出されるといたしまするならば、少くとも大阪が適地である、こう判断をいたしまして、
佐藤検事総長を通じ、また私みずからも、この
検察の派閥解消についての私並びに
佐藤検事総長の根本的な
考え方を述べ、そしてこの解消の
手段としてこれが最も必要であるゆえんを述べ、また将来の
検察のために、また
木内君御自身の
検察官としての将来のために、これが適当であると確信をいたす旨を述べまして、極力これに対して同意を表せられるよう懇請をいたしたのであります。しかしながらこの私並びに
佐藤検事総長の一致の努力というものは、遂に昨年中においては効果を上げることができなか
つたのでございます。その後今年一月に入りまして、
佐藤検事総長が三月八日に出発いたしまして、アメリカに見学においでになり、約二月半の間東京を去られるということが決定をいたしたのでございます。従いまして、この重要なる
人事の問題をそのときまでに事前に解決をいたしたい、こういう点について私は
佐藤検事総長と意見が一致をいたしましたので、最後的な努力をいたしたい、こういう段階と相なりまして、具体的に大阪の
検事長の渡邊君に対しまして、
木内君とその
地位を交代してほしい、こういう
交渉までいたしたのであります。そして
木内君が
承知をされますならば、この
人事は実現できるという見通しが立ちましたので、私は爾後
佐藤検事総長をして、二月末までの間にこの
人事について同意を表せられるようあらゆる努力をお願いいたしたのであります。
しかるに二月の二十七日でありましたか八日でありましたか、要するに二月のほとんど最後の日に相なりまして、
佐藤検事総長がお見えになりまして、自分としてはあらゆる努力を盡しましたけれども、もはやこの問題については万策盡きたという状態であるということを復命せられました。そこで私といたしましては、かねてから
検察庁法第二十
五條というものの
解釈につきまして、一時世上に
検察庁側の
解釈として伝えられたような、さような
解釈があるということも聞いておりましたので、いやしくも
法律をつかさどりまする法務府の
人事におきまして、法規に違反したところの
処分が行われるというがごときことは、これはとうてい許すべきことでございませんから、この点につきましては
佐藤法制意見長官を初め、法務府の諸君に対しまして十分愼重に研究をいたすように命じてあ
つたのでございます。この研究の結果が二月の末に完了をいたしまして、その結果といたしまして先ほど来私の述べましたような
解釈が法務府の
解釈として確定をいたすに至りました。そこで私といたしましては、この
人事というものは私の就任においての
一つの使命であり、個々の人の動きがどうということではございませんが、この
人事によ
つて真に重大なる治安を担当しまする
検察の能率的運営が可能になる、こう考えましたから、これはあくまでも私の使命として遂行をする必要がある、こう考えまして、すでに
佐藤検事総長がこの問題についてあらゆる努力をいたしたけれども、ここに万策が盡きたと言
つて来られましたので、この上は私みずからの責任におきまして、私に与えられた権限に基いてこれを解決いたしたい、こう考えたのでございます。
そこで私といたしましては、ただいまも申し上げましたる
通り、法務府の
法律的な
解釈というものについては、私どもは
一つの意見を持
つておりまするが、これが
木内君の
意思に反して強行されまする場合においては、必ずこの
法律の
解釈ということが問題になる。またこの
法律解釈が問題になるばかりでなく、この
人事の内容というものについても、必ずや世上の批判の的となる、こう考えまして、そうしておそらくこの
人事を強行するということになりまするならば、各方面からこれを阻止しようという力も必ず現われて来る、こう予想をいたしたのであります。そこでかようないろいろな障害が起るということを私自身が覚悟をいたしまする以上は、私が自己の責任において断行しなければならぬという計画は、当然その主役を演じなければならぬところの私自身が、ほんとうに信念をも
つて最善なりと信ずる計画でなければならない。他人の意見に引きずられたり、あるいは第三者の指示によ
つたり、あるいはまた自己の
都合、自己の
利益がいささかでも入
つておりました場合においては、あらゆる障害の前にこれを強行するという決意は必ず鈍るものであります。そこで私は熟慮の末、自己の
良心に考えまして、
国家の現状から見、また
検察の現状から見、この
人事は国民のために絶対に必要であるところの最善の案である、信念に誓
つて最善の案であるという強い確信の持てる案でなければいけないと、こう考えまして、後に伝えられましたような
人事異動計画をとりきめたわけなのでございます、私はこの計画につきましては、一時世上におきまして、これは党のさしがねによるのではないか、あるいはまたかえ
つて、
木内をおつぱら
つてそこに新しい閥をつくろうとする私の下心があるのではないかというようなうわさも流れたことを知
つております。私はこの計画をつく
つた際におきまして、必ずさような声が上るであろうということも予想しておりました。そして私はいろいろな非難を受け、いろいろな障害を乗り切
つてこれを断行いたしまするためには、あらゆる角度から見て、世論の批判に耐えるだけの十分な案でなければならぬという確信のもとに、この案を内定いたしたのであります。そうしてこれは
木内君が従来の態度を変更されない以上は、必ず私としては強行いたすという決意をいたしまして、そうして先週の金曜日にこの案を
佐藤検事総長に内示をいたして、その意見を求めたのであります。
佐藤検事総長はこれに対しては全面的に反対であるという旨を申し出られたのであります。しかしながら私といたしましては、すでに第一次的の
責任者でありますところの
佐藤検事総長は、
佐藤君みずからの構想に従
つて私の了解を得て全力を盡されましたけれども、万策盡きたと言
つておられて、バトンを私に渡されたのであります。従いましてバトンを握
つた私がこの苦難の道を切り抜けまするには、私みずからの信念に誓
つて最善なりと確信する案でなければ、私としては確信を持
つてこれを強行することができないのでございますから、もはや万策盡きたと言
つて私にバトンを渡されましたる
佐藤検事総長のこの際におきまする賛成反対の意見は、私としては考慮する必要はない、こう考えまして、自己の判断に従いまして、これを強行いたそうという
意思を重ねて強く表明いたしたのであります。
そこでこの案は、
次長検事にただちに岸本君を持
つて来る。そして
木内君の任地は大阪にあらずして
札幌である。これが当時の案であります。この点につきましては二つの疑問が持たれると思います。それは十日前までは大阪の渡邊
検事長と
木内次長検事と交代しよう、こういう法務府側の案であ
つたのに、この際において何ゆえに岸本一君を持
つて来たか。その事情はただいま申上げましたるごとく、第一次的の
責任者でありますところの
佐藤検事長の責任において、またその努力においてこの
人事を推進するということを考えます以上は、
佐藤君がみずから最善なりと考えられる案にして、しかも最後的には私と同一の目的に達し得るのでありますから、
手段方法は
佐藤君の判断に従
つてこれを許すのが私の立場として当然である。しかしいまや
佐藤君が万策盡きて私にバトンを渡されました以上は、このたびの
責任者たる私みずからの努力によ
つてこれを解決する以上は、私みずからがいかなる困難の場合においても、確信を持
つてこれが最善なりということを主張できるところの私自身の構想がなければならぬ、こう思いましたので、十日前には渡邊
次長検事の構想でありましたものが、ここに岸本
次長検事という線に
なつたわけでございまして、事情はそういうふうな
趣旨であ
つたということを申し上げる次第であります。
なほまたもう
一つの点は、さきには
木内次長検事に対して大阪転出を慫慂しながら、最後の段階に至
つて札幌を充てた。このことについて御疑念の向きがあると存ずるのであります。この御疑念は私まことにごもつともなことと思うのでございまするが、実は私といたしましては、この案は、先ほどから申し上げましたような経過から見まして、最後の段階に至りますまで
木内君の同意は得られないということを前提といたし、その場合において、これは私の責任において強行するということを前提といたした内容なのであります。
木内君が最後まで地方転出に同意せられない、そうなりますと、大阪についてすら同意せられない
木内君が、
札幌への転出に同意せられることはとうてい考え得られません。これは名古屋にしようが、広島にしようが、どこにしようが、最後まで同意をせられなか
つたのでありますから、
発令後におきまして、必ず
木内君に関連いたしまして、いろいろな支障を生じて来るものと思
つたのであります。あるいは赴任を拒絶せられるあるいはこの
発令は無効であるというような御主張があるのではないか。これは別に
木内君がさようなことを考えておられたであろうということを私どもは想像をいたしてそう考えたのではなく、私といたしましてはあらゆる事態を想像いたしました上でこの案をきめなければならない。強行
発令をいたしました場合に
木内君が赴任せられない、あるいは辞表を提出せられるということを十分に考え、それに対する対策をもこの案の中に含めておかなければならない。あるいは大阪、名古屋に強行するということになりまして、辞表を提出せられますると、大阪、名古屋の
検事長の補充をいたしまするには、その後におきまして少くとも重ねて二、三の
検事長級の
異動を行わなくてはならなくなります。すなわち一週間あるいは二週間の短期間にさような大規模な
検察首脳部の
人事異動をやる、またやらなければならないような状態に押し詰められるということは、私といたしましては今日治安の
責任者として耐えることができなか
つたのであります。そこでどうしても
木内君が地方転出をがえんじないということを前提といたしまする限り、あとの手直しの
人事ができるだけ手軽に参るということで準備いたさなければならない。それがためには同意せざる以上は、
木内君の任地は跡始末の簡單な
札幌もしくは高松のいずれかでなければならない、こう考えまして、この二つのうちで便宜
札幌といたしたわけであります。このことは決して私は
木内君が大阪をけ飛ばしたから、その腹いせに
札幌に飛ばせというような了見は毛頭持
つたわけではございません。さような自分の感情あるいは自分の一方的な
考え方、そういうものがごの案の中にいささかでもありましたならば、私は世の中の批判に耐えて、この案を最後まで囲執するだけの勇気を失うであろうということを想像いたしたのであります。私みずから、これは
個人的なものでございまするから、
一般からはどういう批評があるかは別といたしまして、少くとも私自身において何ら自分の利害あるいは第三者の勢力あるいは自分の感情こうい
つたものがいささかでもまじ
つてお
つたならば、私としては最後までこれを強行する勇気がくじける。これは少くともたれの前に出しても、私としては信念を持
つて良心に誓
つてそれが最善の
人事である、こう確信をいたす案であ
つたのでございまして、何らさような腹いせ的な
意味はなか
つた、ま
つたく最悪の段階を予想いたしました
人事の技術的必要から、
木内君の任地を
札幌といたしてあ
つたわけであります。これは大阪を承認せざる以上、
木内君が
札幌におとなしく行かれるというようなことは、とうていあり得ないだろうという可能性が強く考えられたからであります。しかしこの
異動案は、あくまでも
木内君が最後まで地方転出を同意せられない場合のものでございまするから、もし
木内君が地方転出に同意せられるような事態がありまするならば、その際におきましては
木内君の任地については
検事総長に一任をいたしたい、こういう
意思を私は土曜日の晩に人を通じて申し入れ、またその後に至りまして法務府の官房長、刑政
長官を使いとして
検事総長のもとに送りまして、
はつきりこのことは申し上げてあ
つたのでありまして、
佐藤検事総長はそのことを十分
木内君にも伝えられ、またそのことを頭に置いて最後まで
木内君の説得に努力をせられてお
つたのであります。従いまして私といたしましては、できるだけこの問題は最後の瞬間に至るまで円満解決に努力すべきものである、そうしてまた円満に妥結をすることが、今後の
検察官の
身分保障の上からい
つても適切である、こう考えまして円満解決に努力をいたしたのであります。しかし最後の段階におきましては強行をもやむなしという決意はかたか
つたのであります。
しかしてもう
一つ、この問題がかように紛糾いたしますについては、私としては多少みずから求めたというような傾きもなくはなか
つたのでありますが、この点を釈明いたしたいと思うのであります。なぜこの問題を急に解決しなければならなか
つたかというと、先にも申し上げましたるごとく、三月八日に
検事総長の渡米の出発期日が定められておりましたので、それに間に合う最終の閣議は三月六日の閣議であ
つたのであります。私は三月六日の閣議においては最後的な解決を得なければならぬ、こう思
つておりました。しからばもつとおそく、三月六日までこの
人事を伏せておくか、あるいは
佐藤検事総長に通達をいたすにしましても、数日間の余裕を与えるということでなく、どうせやるならばもつと差追
つた時期にや
つたらどうだろうかということも考えたのでございまするが、私は最後まで円満解決を希望いたしてお
つたのであります。それにはできるだけ時間の余裕を相手方に与えることが適当であるし、またその間においてこれが新聞紙等に漏れまして——これは私はただちに金曜日に
異動案を内定いたしまして、
佐藤検事総長の意見を徴しました後に、
関係の各
検事長に対しましてこれに同意するかどうかということを電報で照会いたしました。この電報照会をいたしまするならば、中央で厳秘にしておりましても、地方において漏れて必ず新聞に載るだろう、しかし私みずから漏らすわけには行きませんが、これが新聞に漏れ、そうして
一般の人たちがこれに対して批判を行われるということは、むしろ私としては望ましいことだ
つたのであります。この問題に関する限り、私はあらゆる角度から批判をしていただきたい、そうしてそれらの批判に対して、私はすべての点について、私がこれが最善の
人事なりと信ずる
理由を十分に
説明をいたす機会を持ちたい、そうしてそのこと自体が結局事態を円満に収拾する
一つの機縁ともなり得るであろう、こういう期待のもとに、ことさら火曜日の閣議に上程するという最終的な期間を示し、そうしてなおこれに対しては、
木内君が同意するならば、
木内君の任地については一切
検事総長の意見におまかせするという妥協の條件まで示してこれを内示いたしたわけでありまして、このことは、私は決して初めから何でもかんでも強行しようというのでなく、最後的には私はこれはぜひともやらなければならぬ
人事である、こういう確信はありまするが、しかし大筋さへ通るならば、
検事総長の意見によ
つて妥協的な線を打出すことはやぶさかでない、こういう態度をと
つて参
つたのであります。最後的な結果につきましては、すでに御
承知だと存じまするから、経過につきまして御報告申し上げます。